2018年05月08日

自分で読み取り、自分で判断する正しい眼を養わなくてはならない

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 昔はそれほど多くはなかった気がするが、最近は新聞休刊日がよくある。毎日朝4時頃には起床し、玄関から新聞を取ることから始まるのが日課な愚生は、新聞休刊日は何かもどかしく、隔靴掻痒の感は否めない。

「ニュースなんてネットで見れるじゃないか」と言われるが、長年やってきた日常のサイクルというのは中々変えることは出来ないものだ。

 右翼現役時代は情報収集の意味もあって何紙も購読していたこともあるが、今は地元紙の福島民報新聞を愛読している。

 民報新聞社は自由民権運動の流れを汲む新聞社で、同じ地元紙の福島民友新聞より硬派な内容で、昔は坂本弘記者の保守的な論説はお気に入りだった。

 だが、新聞社と雖も所詮は株式会社。原発事故以来、県民に寄り添った内容というより、被害者意識からか、反原発派に阿る記事が多くなり、その主張も安っぽい反権力と幼稚な正義感が目立つ。

 親米保守派や自称愛国者らは頻りに朝日新聞やテレビ朝日などの主張に噛付き批判するが、朝日新聞社も同じく株式会社であり、利潤を追求する中で、リベラルの読者らに媚びる記事を書くのは当然のことでもある。

 読者に保守派の多い産経新聞がタカ派的主張をするのもこれと同じことで、会社からの給与頼みのサラリーマンである新聞記者諸侯らに、国家観や国益を重んじた報道を心掛けよというのは無理というものだろう。

 本来、彼らにはサラリーマン以前に「社会の木鐸」としての矜持が備えてなくてはならず、木鐸の努めとは世人に警告を発し、教え導くことにある。

 朝日新聞は未だ自虐史観から目覚めることなく中韓に媚び諂い、我が国の国柄や国體を崩壊させんが為にそれらの走狗と化してしまっているのが現状。一方の保守派御用達の産経はどうかといえば単なる営業保守でしかない。

 嘗て、坂の上の雲を追い続けたあの時代、国民の側に立ち「自由民権」を主張した新聞や言論人は、「反骨」を旨とし、権力に対して敢然と闘い、大衆の代弁者を自負して記事に魂を吹き込んだ。

 時の権力は、そんな新聞社や記者らを弾圧するも、彼らはジャーナリズムの矜持と使命を以て決して弾圧に怯むことはなかったのだ。
 
 今や正統ジャーナリズムは存在せず、権力への批判は単なるパフォーマンスと化し、民衆に迎合して何でも腐して終わり。悲しい哉、そうした冷笑的な態度こそが真のジャーナリズムだと信じて疑わない。

 我が国を覆う重苦しい閉塞感は政治の不作為も然ることながら、国民を正しく導くことなく、正論をぶち壊して要らぬ方向へ世論誘導して悦に浸っている進歩の無い低能ジャーナリズムこそが元凶でもある。

 新聞休刊日でテレビを点ければTOKIOの「山口メンバー」のことばかり。その報道を観て国民は、あ~だ、こ~だと一喜一憂。

 正に我が国は「芸能国ニッポン」。戦後GHQはあらゆる占領政策を行ったが、日本人を骨抜きにするのに芸能界や娯楽番組というのが大きく役立った。国民はそんな米国の意図を知ることなく目先の享楽に夢中になった。

 正に芸能界とマスコミこそが戦後日本の象徴と言っても過言ではない。本来の日本人であれば、戦争で敗けたならそれを誰より悔しいと思い、臥薪嘗胆、国家の再建の為に努力すべきだが、敗けた張本人が享楽主義では情けない。

 その昔は「テレビを見るとバカになる」と言われたものだが、今ではテレビだけではなく、新聞を読むとバカというか幼稚な無自覚左翼や反原発に与してしまう。何事も自分で読み取り、自分で判断する正しい眼を養わなくてはならない。

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2018年05月07日

拉致問題が急転直下、解決されることを祈るばかり

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 米国トランプ大統領頼みではあるが、拉致問題が解決兆しが見えつつある。先日の南北首脳会談に続き、日米韓首脳会談や米朝首脳会談でも拉致問題が提起される。急転直下、解決されることを祈るばかり。

 戦前の「徴用令」を「強制連行」と混同し「拉致なんぞ強制連行比べれば大したことではない」「在日朝鮮人とは戦時中に強制労働をさせる為に連れて来た人達だ」と信じて止まない日本人も少なくない。

「徴用」を「強制連行」とし、未だに北朝鮮の「拉致」と同一視し批判しているバカがいるのには驚くが、こうした認識が国際的な人権問題である拉致問題の解決を遅らせている最大要因になっていることに気付くべきだろう。

 昭和13年の国家総動員法に基づく「徴用令」が発令され、戦中、日本本土では中高年、婦人、学生に至るまで工場他に動員され生産に従事した。

 日本人、朝鮮人、台湾人が一律に負っていた労務提供の国民的な義務であり、日本の統治によって多大な恩恵を受けていた朝鮮人も当時は日本国民であった以上、これに協力する義務があったことは言う迄もない。

 昭和14年に日本内地に住んでいた朝鮮人は約100万人で、終戦直前の昭和20年には約200万人となった。増加した100万人のうち、70万人は自分から進んで内地に職を求めてきた個別渡航者と出生によるものである。

 残りの30万人は大部分、工鉱業、土木事業の募集に応じて来たもので、戦時中の国民徴用令による徴用労務者は極少数である。

 国民徴用令は日本内地では昭和14年7月に実施されたが、朝鮮への適用は差し控え、昭和19年9月に初めて実施され、朝鮮人徴用労務者が奉仕した期間は翌年3月の下関-釜山間の運航が止るまでの7ヶ月間だった。

 日本人も台湾人も朝鮮人も等しく戦時徴用されていたのであり、韓国や北朝鮮が主張する「強制連行」とは「徴用令」への無理解と我が国の歴史の捏造であるが、我が国に居座る為の詭弁というのが正しい。

 因みに、終戦後の昭和20年8月から翌年3月まで、希望者が政府の配給、個別引揚げで合計140万人が帰還している。

 北朝鮮へは昭和21年3月、連合国の指令に基づく北朝鮮引揚計画で350人が帰還するなど、終戦時までに在日していた者の内75%が帰還している。

 戦時中に来日した労務者、復員軍人、軍属などは日本内地に馴染みが薄い為、終戦後、残留した者は極少数である。

 昭和34年の調査では、在日朝鮮人は総計約61万人で、関係各省で来日の事情を調査した結果、戦時中の徴用労務者は僅か245人に過ぎず、 現在、日本に居住している者は自由意思によって在留したものである。

 日本に寄食する朝鮮人ら多くは「我々は強制連行された可愛そうな朝鮮人なのだ」と詐称し、「我々を日本人と同等に扱え」と要求すると、政府や行政側は人道的措置として譲歩した。以来、その強要は更にエスカレートして行った。

 こうして生まれた「在日特権」なるものは、朝鮮人というより、歴代政府や行政側の事勿れ主義と不作為が最大原因であり、件の慰安婦問題も然り、そうした萌芽を創り出した責任の多くは日本側にあるのだ。

 被害者を装う彼らは所得税は不払いを決め込み、税務担当を脅して認めさせまともに納税することはない。挙句に、憲法で「日本国民の為」と明記されている生活保護の支給を外国人なのにまんまとせしめている。

 在日への生活保護費の受給率は日本人の4倍以上だという。生活保護の受給が一番な都道府県は当然大阪府。大阪には国内の3分の1の約20万人が住み、そのうち12万人が大阪市に集中している。

 最近では就労目的で来日した外国人が仕事を続けられず、生活苦を訴えて生活保護費の需給を申請し、行政側は在日特権の前例に習い、碌々に審査もせずに支給され、自治体の大きな財政負担になっている。

 生活保護費の不正受給に続き、沈静化している外国人への地方参政権が付与されれば、大阪市長の勝敗が左右しかねない状況を生み出すだろう。

 外国人参政権付与は在日朝鮮人が大半を占める「特別永住者」だけではなく、一般の永住者も選挙権の対象となる。つまり、支那人永住者にも付与されるのだが、この点は殆ど議論されておらず非常に深刻な問題を孕んでいるのだ。

 というのも「在日」が大半をしめる「特別永住者」は年々減少し続け、その減少傾向が止まらないのに対して、支那人「一般永住者」は急増している。

 在日韓国人の殆どが日本国民と結婚し、その子供は総て日本国籍になっているのに比べ、支那人永住者は、留学生の増加などで更に増加し、永住外国人の前提となる一般の在留外国人の登録者数は、今や韓国・朝鮮人の数を上回っている。

 外国人参政権付与問題は支那人の移民問題にも繋がるもので、現在は沈静化してはいるが、近い将来必ず支那人が騒ぎ出し大問題になるだろう。

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2018年05月05日

五月五日は「男子の健やかな成長を願う」端午の節句

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 今日は「こどもの日」。古くは「端午の節句」として、菖蒲や蓬を軒に挿して邪気を払う習わしがあったが、江戸時代以降、男子の節句とされ、武家で甲冑や幟を飾ったことに倣い町人も武者人形や鯉幟を立てる様になった。

「男子の健やかな成長を願う」ということにいつもの左翼のオバハンらが「女の子への差別」だと反発し今日に至っている。

 五月五日は別名「あやめの節句」や「菖蒲の節句」、五が重なる「重五(ちょうご)」「端陽(たんよう)」と縁起の良い日とされている。

「こどもの日」の趣旨とは「未来を担う子供の人格を重んじ、幸福を図ると共に、子供は自分を生み育ててくれた親に感謝する日」である。

 制定された当時は「親」ではなく「生んでくれた母に感謝する日」だったが、これも前出の性的変質者のオバハンらが騒ぎ立て「親」となった。

 男女共同参画社会とはこうした言葉遊びに拠って男女の差別を無くそうという謀に過ぎない。「子供」も今では「子ども」表記が氾濫している。

 文科省は平成26年6月、国会での議論を経て、左翼やマスコミが使用する「子ども」との表記を「子供」に統一する通達を出した。だが、今でも改められることなく、通達を出した与党の自民党議員までも使用している(苦笑)

 左翼やマスコミらが「子供」や「こども」ではなく、敢えて「子ども」表記を使うのは「子供」の「供」という字が、「お供え物」「お供する」などを連想させ、「差別的な印象を与える」というのがその最たる理由である。

 ならば別に態々「子ども」ではなく平仮名の「こども」で好いではないかと思うが、何故か文科省通達を無視して「子ども」表記に固執する。

 そうしたギャグの様なマヌケなことを真顔で実行し、それを疑いもせずに真似てる自民党や自称保守派というのもまた嗤うしかない。

「男女共同参画社会」というのは、こうした言葉遊びから始まった左翼陣営による共同謀議的大愚策なのだが、これを自民党政権下で実行し、今や保守を標榜する安倍政権下でも担当大臣が存在しているのだから呆れ甚し。

 こうしたキモ~イ屁理屈を並べ立てて騒いだのは、全共闘世代や共産党といったいつものキチガイ左翼やジェンダーフリーの変質者共だが、そうした輩らが総理府など政府中枢に入り込んでいたことに驚くしかない。

「子供」と同じ様に「婦人」という言葉も、こうしたキチガイ活動家らの企てによって公文書から消されてしまった漢字の一つである。

 これは漢字研究者の諸橋轍次が、後漢の時代の「説文解字」を紐解いて「婦人とは箒(ほうき)を持って掃除をする女のこと」と紹介したことに、前出のキチガイ共が飛び付いて「女性差別」だと叫んで「婦人」を抹殺した。

「婦人警官」が「女性警察官」となり、「看護婦」が「看護師」と呼ばれる様になったのもこうした影響だ。

 しかしその後、諸橋轍次の説は全くのウソだとバレた。甲骨文字、それに続く金文の研究から「婦人」の「婦」は、「宗廟に酒を捧げ清める高貴な女性の意味」だということが判明するも、奴らは間違いを認めることなく使い続けている。

「看護師」の「師」も、師団、軍師、派遣、元帥、追撃などに含まれる「追」の旁(つくり)は、軍隊で肉(食料)を分けることが原義だという。

 普段「平和」「平和」と叫んでいるアホンダラ左翼らがその意味も分からず、「看護婦」を「看護師」と呼び換えて満足し、無意識のうちに軍隊に起因する漢字を使用していることは実にマヌケで滑稽でもある。呵呵大笑。

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2018年05月04日

「天皇違憲論」は「自衛隊違憲論」どころの話ではないぞ!

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 安倍首相は憲法記念日の昨日、「美しい日本の憲法を作る国民の会(櫻井よしこ共同代表)」などが主催した改憲派の会合にビデオメッセージを寄せ、九条に自衛隊を明記する必要性を強調し「自衛隊違憲論を払拭する」とアピールした。

 具体的には九条をそのまま遺して、新たに自衛隊の存在を明記するという。安倍は自衛隊違憲論に終止符を打つ考えだが、歴代内閣と同じく自衛隊を巨大な警察機構と見做していながら、何が「美しい日本の憲法」なのか理解不能。

 取り敢えず憲法九条の改正や加憲が大事だと思ってる安倍は、九条の会や護憲派と同じレベルであり、そうした意味も知らずに実行を謀る「取り敢えず改憲派」の浅はかな憲法改正には危機感を抱かざるを得ない。

 自衛隊の存在は憲法解釈ではなく、現憲法の制定過程や自衛隊の設立過程について問題提起し、国の安全保障の在り方を国民に問いかけるべきで、九条をそのまま遺して新たに自衛隊の存在を明記するとは何事ぞ。

 嘗て、三島由紀夫は市谷駐屯地での蹶起の際に携行した「檄」の中で、自衛隊の存在を「警察の物理的に巨大なものとしての地位しか与えられていない」と喝破したが、未だに自衛隊とは「警察の物理的に巨大なものとしての地位」の儘なのだ。

 安倍は「国民の生命と安全を守る」という。だが「生命と安全」を守るのは本来警察の仕事であり、自衛隊が安全保障上の領土主権の防衛を担い、国軍として護るべきは「国柄」であり、畢竟「皇統」である。

 領土主権や安全保障は「国防」の一つに過ぎず、国防とは三島が教えている様に「それを失えば日本では無くなってしまうことを死守することである」。つまり、自衛隊が「国軍」であり「皇軍」で在らねばならないというのはこういうことだ。

 民族と歴史・伝統・文化、言語など、我が国の精神文化を護ることが「国防」であるなら、そうした意識や国家観が決定的に欠落しているのは政治家だろう。国防意識の欠落した政治家が自衛隊を語ることに違和感を覚える。

 九条で自衛隊が違憲であるなら、天皇の御地位も第一条で「国民統合の象徴」とはなってはいるが、共産党が存在する限り「主権の存する国民の総意」ではなく違憲の存在だ。天皇違憲論は自衛隊違憲論どころの話ではないぞ。

 安倍が第一条や第二条を理由に「現憲法は国の最高法規として機能していない」と国民に訴え、声高らかに「現憲法は無効である」と宣言でもしたらそれこそ歴史に名を遺すだろうが、そんな器ではない。

 第九十六条の発議条項の緩和は、革命政権樹立後に天皇条項を破棄することも容易になるという危険を孕む。安倍の改憲論はそうした危機感に乏しい、単なる保守派や自称・愛国者らの票欲しさのパフォーマンスに過ぎない。

「戦国策燕策」郭隗の故事に「隗(カイ)より始めよ」という格言がある。遠大な事をするには手近なことから始めよ。転じて、事を始めるには先ず自分自身が着手せよという意味だ。安倍の改憲目標は認めるが目標そのものが違う。

「改憲議論が進まない」のも、国民の多くが「憲法改正」も「自主憲法制定」も同じだと考えているし、護憲派も現憲法を理解しているとも思えない。こうした軽々しい雰囲気の中での安直な憲法改正は後々大きな禍根を遺すだろう。

 国家の行く末を憂い、国家観と憲法観を一にする政治家が隗より始めよ!

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2018年05月03日

「憲法記念日」ではなく新憲法制定を「祈念する日」こそが相応しい

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 本日は「日本国憲法の施行を記念し、国の成長を期する日」だが、何故か現憲法を頂戴した有難い日となっている。「憲法記念日」との名称は「終戦記念日」と同じく戦後民主主義教育に因る洗脳である。

 国の成長を期する日であれば、国の成長を阻害する元凶でもある現憲法を見直しは必至。名称も「新憲法の制定を祈念する日」こそが相応しい。

 保守派や自称・愛国者らに現憲法否定の理由を聞けば「米国から押し付けられた憲法だから」という声が少なくない。

 だが、米国から押し付けられたものは憲法だけではあるまい。戦後民主主義にしろ、営利至上主義の新自由主義の経済理論にしろ、戦後の平和や繁栄にしろ、或いはファッションや食べ物、価値観に至るまで米国製だ。

「押しつけ」がダメなら、米国から押し付けられている全てのもの、我が国に蔓延る米国製の価値観も否定すべきであろう。

 我が国の重苦しい閉塞感や欠落している国家の大本を取り戻す上で、隘路(あいろ)を切り開くには米国製の現憲法を見直す以外には手は無い。

 現憲法で得たものは、成否は別として「自由主義」「民主主義」「人権尊重」「平和主義」であり、今日の基を築いたと言ってもいいだろう。

 また、朝鮮戦争やベトナム戦争への参戦を回避出来たのも現憲法の御蔭でもある。だが、逆に失ったものはそれ以上に多い。

「礼節」「長幼の序」「忍耐」「我慢」「滅私奉公」「信義」「忠義」「孝養」「恥」・・・数え挙げたら限がない。

 失ってしまったものが現憲法の所為かどうかは分からないが、日本人はいつの間にか利己的なことを恥じない人間ばかりが殖え、自己犠牲の精神など皆無に等しくなったのは、敗戦後の占領政策以降であるのは明らか。 

 己を犠牲にして他人に尽くすことこそ日本人たる所以であり、美徳美風といえうものなのだが、今や心の中の高貴さを失い、高邁な知性の磨きを様を忘れ、目先の価値観と目先の欲望に溺れてしまった。

 現憲法を「米国の押し付け憲法」と言うのは容易い。だが、現実は大日本帝国(明治欽定)憲法第七十三条による改正によって施行されたのだ。

 昭和20年11月3日の公布式に於いて、昭和天皇はこう裁可なされた。

「朕は、日本国民の総意に基いて、新日本建設の礎が、定まるに至つたことを、深くよろこび、枢密顧問の諮詢及び帝国憲法第七十三条による帝国議会の議決を経た帝国憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる」

 当時、我が国は連合国の占領下に在り、政府にしてみれば不本意ではあるが、米国の様々な条件を呑まざるを得なかったというのが真相である。

 現憲法が帝国憲法73条に拠る改正であるなら、安易な憲法改正は逆効果。旧帝国憲法の復元・改正こそ我が国の執るべき道である。

 5月3日は現憲法を「記念」する日ではなく、新憲法の制定や大日本帝国憲法の復元・改正を心から「祈念」する日であらねばならない。

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2018年05月02日

マスコミの偽善に満ちたキレイゴトこそ諸悪の根源

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 戸塚ヨットスクール・戸塚宏校長が、フジテレビ系の番組に出演。司会は視聴率が取れると何故か持て囃されている坂上忍。

 よくぞ戸塚校長を呼んだと感心していたが、坂上は戸塚校長の意見を腐すばかりで議論にもなっていない。戸塚校長をコメンテーターに呼ぶなら戸塚校長の本を読むなり、その人の主義主張くらいは調べておくべきだろう。

 始めから戸塚に反論してやろうという姿勢が見え見えで、相手に対する敬がない。こうしたマスコミの偽善に満ちた対応と世論に流され易い視聴者向けのキレイゴトこそ諸悪の根源と言っても過言ではない。

 マスコミというのはあることないこと誇大に報道する。テレビ局御用達の専門家や有識者なる胡散臭げなコメンテーターを出演させ意見を述べさせる。一見、公正に見せかけてはいるが私感に満ちた偏向報道ばかりを垂れ流す。

 進歩の無いマスコミはオチョクリに乗っかって何でも腐し、自分達の主張こそが正義であるかの様に立ち振る舞う。坂上忍なんてのは所詮は河原乞食のタレント、テレビ局に阿り、当事者を腐して悦に入る。大声で反論するが言いっ放し。

 戸塚校長の本能を鍛え上げるという実践教育によって更生した子供らは多い。取材した番組スタッフに「諸君は偉くないどころかバカなの、そういうことに関しては」と痛烈に揶揄った。

 面と向かって「マスコミじゃなしにマスゴミ。諸君はゴミのごとき存在なんだ」と罵倒したが実に快哉。坂上の反論はマヌケさが際立った(苦笑)

 教育は国家の大本であるが、そうした意識に乏しい文科省や教育委員会が机上論で語ったところで解決は見ないだろう。

 大事なのは教育を行って行く上で精神的な部分を如何にして育むかであり、それによって同じ様な事件を防止して行かねばならないが、そうした実りある教育を企画し実行して行くかはやはり安倍総理の決断一つにかかっている。  

 愚生は戸塚ヨットスクールの戸塚宏の教育論には大いに共鳴している一人でもあり、不良少年や登校拒否児を与り更正させる私塾を創る夢は未だ潰えてはいない。その資金を出してくれる篤志家が現れるのを鶴首しているが未だ現れない(笑)

 戸塚ヨットスクールというと「スパルタ式」で子供を死にやったことばかり取り上げられるが、不登校や家庭内暴力で悩む親が子供を手放し、戸塚校長を頼り、実に600人以上の子供を更正させた実践教育の実績は凄いとしか言いようがない。

 戸塚校長は自著「教育再生」の中でで、教育とは「科学的精神論」に基づくものと言い切り、「正しく・強く・安定」(知・情・意)した理性を創ることこそが大事だと教えている。

 学級崩壊や家庭内暴力を起こす様な「間違った・弱い・不安定」な理性を持った子供達が大量に登場した原因を考えれば、戦後、日本が採用した欧米型の「精神論」が間違っていたからだという戸塚氏の考えは正しい。

 何故なら、日本を経済大国にしたのは、戦前に教育を受けた人々であり、それを潰してしまったのは、戦後教育を受けた世代なのだから。

 更に「欧米流」の理性に抜け落ちているのは「本能論」で、人間と動物の優劣性を強調するあまり、動物にもある「本能」を、下等なものとして否定しまったのが抑々の間違いであると断じる。

 仏教でも儒教でも「本能」が「理性」を創るのに重要な役目を果たしていると説く。これらを考えるに、教育で一番大事なのは「徳育」であるというのだ。「徳育」は忠君愛国ばかりではなく、「人間性」を確立することにある。

 だから、幸福になる方法も、ちゃんと仕事が出来る様になるのも「徳育」で、日本の教育再生の為には、先ず「正しい精神論」を創ることこそ肝要。

 失敗に失敗を重ねた文科省には、最早学校を変える能力は無く、教育委員会に委ねるなど以ての外。同時に教育改革をする上で日教組や全教などの売国集団でもある組合は非合法化し解散させなくてはならない。

 我が国の教育が抱えている問題を解決するには、戸塚校長が教えている様に小学校の段階で正しい人間性の基礎を創ることが喫緊にやるべき対策である。

「国語・数学・体育」に重点を置いた授業、記憶力ではなく、考える力の重視。合宿などの課外授業の活用するというのは単純ではあるが大きな成果を齎すだろう。

 戸塚氏の理想とする小学校像は決して突飛なものなどではなく、「科学的精神論」による教育の実践こそ、現在学校で起こっている学級崩壊を始めとした諸問題を克服してくれるのではと期待している。

 番組で戸塚校長は坂上からの揶揄にも平然と「神様だからね」と自らを神と宣言。 正しく戸塚校長は実践教育の神でありカリスマだろう。呵呵大笑。

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2018年05月01日

「文民統制(シビリアンコントロール)」を強化するってどういうこと(笑)

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 地元紙の読者欄には常連の左翼の爺さんが「戦前思い起こす幹部隊員の暴言」という投稿が載っている。小西洋之参院議員の主張に基づいたクソ内容。況してや「シビリアンコントロール」の意味も履き違えているし(笑)

「シビリアンコントロール(文民統制)」とは、政治家が軍隊を統制するという意味だが、別に軍人が政治家の僕(しもべ)になった訳ではない。

 政治や外交の不作為により、一旦緩急、他国と戦争に至った場合、最高指揮権は文民である内閣総理大臣にあるが、軍事的な指揮権は自衛隊統合幕僚長に委ねられる。つまり、軍事的な専門分野に文民が就く訳ではない。

 この爺さん、「文民統制(シビリアンコントロール)を強化するよう求めたい」としているが、文民とは軍人では無いという意味だがどういうことか?

 憲法66条では「内閣総理大臣その他の国務大臣は文民でなければならない」と明記されているが、この条項をどう強化するのか。護憲派が改正容認したということか。まさかとは思うが、自衛隊員を文民にでもしようというのか(笑)

 防衛省統合幕僚監部の三等空佐が、小西に「お前は国民の敵だ」と浴びせたという問題は、その場で謝罪させ和解していたにも拘らず、三佐が言ってもいないことを小西がマスコミにリークした疑いが持たれている。

 爺さんの投稿記事は、小西の一方的な発言やマスコミ報道に基づいた内容で、「戦前の軍部の暴走を思い起こさせる」とは単なる妄想でしかない。

 三等空佐の調査報告書に拠れば「日本の国益を損なうようなことじゃないか」とは言ったが「国民の敵」とは言っていないと明確に否定している。

 尤も小西が「国民の敵」であることに変わりはなく、「発言を明確に覚えている。組織的隠蔽ではないか?」というのも単なる思い込みと、朝鮮民族に多く見られる同一性虚言癖からの妄想でしかない。

 過去に小西はTwitterで安倍首相を「国民の敵」と断じているが、一般人からの批判と何処が違うのか。自分は好くて自分が言われりゃダメなのか。

 多くの日本人は「平和」なのが当たり前だと思っている。小西も同じく「平和を守る」「日本国民を戦争に行かせるわけにはいかない」「自衛官を戦死させる訳にはいかない」と訴える。

 だが、軽々しく「平和」を口にする政党や政治家に限って、安倍政権を批判はするがどうやって我が国の平和を創造するかという具体策は言わない。

 況してや「自衛官を戦死させる訳にはいかない」というが、自衛隊発足時から既に1870名以上の殉職自衛官がいることをどう思っているのか。

「戦争を誘発する大きな原因の一つは、アンディフェンデッド・ウェルス(無防備の害)だ」と訓えたのは三島由紀夫。

 軽々しく「平和」を訴えている政治家こそが戦争を誘発する最大要因となるというのは言わずもがな。小西こそが無防備の害なのだ。

 小西は、相手が自衛官だったからこそここぞとばかりに騒いでいるが、公務時なら未だしもプライベートなジョギング中だったというではないか。

 自衛隊員と雖も言論の自由はある訳で、己に対する意見を暴言だと断じて受け容れることの出来ない小西は、国民の代表である国会議員として、また良識が求められる国会議員として実に不適格としか言いようがない。

 今回の件で断罪されるべきは発言を捏造した小西であるにも拘らず、三等空佐が批判に晒される不正義は許されるものではない。

 愚生も啓蒙活動の一環として新聞投稿もしているが、ここのところ二回続けて愚生の投稿は採用なし。ということでやる気も失せた(笑)

 マスコミ報道に反論する内容や、安倍を支持してる様な内容は即ボツ。意見の分かれる事案は公正さ(つまり是と非、表と裏)が求められるのに相変わらず反安倍、反国家の投稿が殆ど。その結果が内閣支持率の低下を齎している。

 新聞購読者が減り、ネットが普及したのは自然の理。そのうち、反骨精神を曲解し、くだらん報道を続ける新聞もテレビも国民から見放されて行くだろう。

「天網恢恢疎にして漏らさず」。マスコミは報じない小西の姑息な対応を白日の下に晒し、この「国民の敵」に天罰が下らんことを切に願う。

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2018年04月30日

神社庁の「祝祭日には国旗を揚げましょう」というマヌケな新聞広告

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 昨日4月29日は「昭和の日」ということで、地元紙には福島県神社庁の「祝祭日には国旗を揚げましょう」という広告が出てた。

 祭日の国旗掲揚に異論はないが、「ハッピーマンデー」や「憲法記念日」など要らぬ祝日での国旗掲揚には違和感を覚える。

「ハッピーマンデー」とは、祭日の意味を薄れさせ国柄を見失わせることで国體破壊を目指していることは明らかで、祝祭日が単なる休日となってることをして何が「ハッピー」なのかさっぱり分からん。

 諸外国に比べ、日本の祝祭日ほど「国柄」の分かる素晴らしい伝統、文化はない。祭日とは宮中祭祀と大きく関わるもので、祭祀こそ決められた日の決められた時間にすべきものである。そして国民が共に祝うべき祝日であるのだ。

 彼奴等の狙いは鯔のつまり宮中祭祀、陛下の祭事の妨害にあることは明らか。だが、多くの日本人が、祝祭日を単なる休みとしか考えていないのは昨今の日本人の精神的貧困を顕している。神社庁もまた然り。

 自民党内でも、祝日の景気優先から「ハッピーマンデー」に同調する意見もあるというのは言語道断と言う他なく、保守政党としての資格なし。

 正月元旦(四方節)から始まり、師走の天皇誕生日(天長節)まで16の祝祭日があるが、5月3日の「憲法記念日」と4日の「みどりの日」「山の日」などの祝日は廃止し、「成人の日」や「体育の日」「海の日」は元に戻すべきだ。

 神社庁がハッピーマンデーを容認するかの如く「祝祭日には国旗を掲げましょう」などというのはマヌケ過ぎる。

 神社庁がすべきことは春分の日を「春季皇霊祭」、秋分の日を「秋季皇霊祭」、建国記念の日は「紀元節」、勤労感謝の日を「新嘗祭」に名称を戻し、4月3日の「神武天皇祭」と10月17日の「神嘗祭」として復活させることだ。

 神社庁も神道という随神の道の普及・啓蒙を疎かにして営利至上主義に陥っている感は拭えない。明治神宮の神社庁離脱がその最たるものだろう。

「ハッピーマンデー」に国旗掲揚をする理由は何なのだろう。米国製の御粗末な憲法を何故に祝わねばならないのか。明治天皇の東北・北海道への巡幸に謂れのある「海の日」を7月20日に戻すべきだと抗議したか?

 こうした神社庁のだらしなさが「退位法案」に繋がり、皇室典範の改悪が謀られたのだ。葬式坊主と同じく営利に奔り、政府に阿り媚び諂い、神官として陛下や皇統を護ろうという意識が欠落しているのではあるまいか。

「昭和の日」とは、昭和天皇の御遺徳を忍び、改めて平和とは何か、先の戦争とは如何なる戦いであったのかを考える日である。

「自存自衛と大東亜の開放」を掲げて戦われた先の大戦を、世界の国々は評価しているにも関わらず、国内では自虐史観から目覚めることない。

 未だに「侵略戦争」と断じ、現代の倫理観や安っぽい平和主義から「間違った戦争だった」と一方的に反省することに意味があるとは思えない。

 我が国が何故に米英との開戦を決意し、何故に真珠湾攻撃に至ったかは1953年のペリーの黒船来航時代まで遡り、アジアの近代史と世界史を学ばなければ到底理解することは出来まい。

 我が国は西洋列強に追い着くべく、強力な中央集権国家を形成しようと明治維新という大業をたった数年で成し遂げた。

 15世紀の大航海時代以来、白人による世界制覇の波がアジアにも押し寄せ、当時、アジアは次々と列強に蚕食され植民地となった。

 その間に勃発した日清・日露戦争に至ったのも、或いは日韓併合も歴史の必然であり、大東亜戦争もまた支那事変に端を発した日本軍の一方的な侵略戦争ではない、避けては通ることの出来ない歴史の一齣だったのだ。

 歴史の検証をする上で大切なのは古今東西、世界に蔓延る覇権主義の克服を主張すべきであって、他国の覇権主義には目を瞑り、一方的に我が国だけが自虐の淵に止め処なく漬かり込むことではないのだ。

 我が国にとって先の大戦は結果的に敗れはしたが、日露戦争以降の懸案だったアジア諸民族の独立と復権を齎し、「開戦の詔勅」で示された大義と、アジアの「希望の星」としての役割は見事に果たしたと言えよう。

 正しく我が国は神の国であり、昭和天皇は現人神であらせられたのだ。

 昭和天皇崩御での服喪国は34ヵ国に及び、大喪の礼には実に193ヶ国国の元首や代表が集まったことは、歴史上空前の出来事だった。明らかに昭和天皇はアジア、そして世界の救世主であらされたのである。

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2018年04月29日

願わくは朝鮮が統一され、その後に中共に併呑されれば尚更好し(笑)

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 相変わらず新聞には、安倍外交が失敗したかの様な「蚊帳の外」といったタイトルが躍る。別に我が国を見下し、己らと米中でやって行けるならそれで好し、願わくは朝鮮が統一され、その後に中共に併呑されれば尚更好し(笑)

 拉致問題が急転直下解決されれば北朝鮮への見方も変わるが、解決の兆しすら見えないのなら拉致家族には申し訳ないが日朝交渉はもう進めるべきではない。経済制裁という宣戦布告から、実力行使という戦術に転じるべきだ。

「朝鮮戦争」は日本の所為であると思っている日本人や朝鮮人が居ることに驚くが、朝鮮戦争と南北分断はソ連の領土拡大と米国の地政学上の結果である。

 我が国が敗戦し米国の占領下だった1950(昭和25)年6月25日、北朝鮮が突如として南朝鮮(韓国)に軍事侵攻する。これを機に同じ民族同士が相討つ戦争となり数百万人が犠牲となる大惨事となった。これが「朝鮮戦争」である。

 これを遡ること昭和20年(1945年)8月9日、日ソ不可侵条約を一方的に破棄しソ連が参戦すると、その3日後の12日には朝鮮半島北部に侵攻した。

 日本統治で朝鮮への侵攻準備が出来ていない米国はこれに慌て、急遽、朝鮮占領の協議が行われ、結果、38度線で分割する事で合意した。朝鮮戦争は停戦中だが、別に終結した訳ではなく未だに継続しているのだ。

 ヤルタ協定では1948年3月迄、朝鮮半島は国連の信託統治を予定していたが、米ソの思惑が複雑に絡み合い対立、全ての協議が決裂してしまう。

 同年8月、米国は反日活動家の李承晩を初代大統領に据え大韓民国を建国。翌9月、北朝鮮はソ連の後ろ盾で朝鮮民主主義人民共和国を健国させた。

 米国の傀儡李承晩は、日本と共同歩調を執ろうとした呂運亮を暗殺し大統領に就くと「反日・反共」を国是とし、最初にやったのは親日派の追放であり、その結果、日本に育てられた優秀な官僚らは次々と追放されていった。

 現在の文在寅大統領がやろうとしていることは、この李承晩の行った親日派の追放の完遂であり、「反日と反共」であった国是が、いつの間にやら容共だけとなり、「反日」のみとなってしまっているのが 現在の韓国である。

 つまり、朝鮮半島の非核化合意なんぞ画餅に過ぎず、「反日」で足並みの揃う北朝鮮と統一されても何ら不思議ではないということだ。

「朝鮮半島にこれ以上の戦争はない」という文在寅と「民族が戦争のない平和な土地で繁栄と幸福を享受出来る新たな時代を切り開く」という金正恩。ビミョーに表現が違うが、朝鮮戦争が終結したと見るのは時期尚早だろう。 

 朝鮮戦争が勃発するとマッカーサーは吉田茂首相に、国内警察力と海上警備力の強化を促す書簡を送った。所謂「マッカーサー書簡(文書)」である。これはマッカーサーが実質、日本国憲法の破棄を促したものだった。

 マッカーサー書簡から1ヶ月後には「警察予備隊令」が決定、翌日公布、即日施行という異例のスピードで準備が整えられ、自衛隊の前身である警察予備隊が誕生。その後、警察予備隊と海上警備隊を統合し「保安庁」が設置される。

 だが、吉田は朝鮮半島への出兵要請を日本国憲法第9条を理由に拒否する。吉田が現憲法を遵守したことを現在の価値観で是非を論じるものではないが、我が国が朝鮮戦争やベトナム戦争に駆り出されなかったのは事実だろう。

「マッカーサー書簡」が届いたのを機に、日本国憲法を破棄していれば我が国はまた違った国、否、まともな国になっていたに違いない。

 朝鮮戦争の勃発で日本経済は特需に沸いた。軍事を米国に依存し、戦後復興の名の下に経済政策を優先して行った。

 こうした限りない営利至上主義は日本国民の精神を蝕み続け、未だに目覚めることなく経済的繁栄のみに現を抜かし、国の大本を忘れ国民精神を失ひ、本を正さずして末に走り、その場凌ぎの偽善が罷り通っている。

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2018年04月28日

本日は「主権回復の日」、実質的な終戦記念日であるが・・・

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 本日は「主権回復の日」。昭和20年8月13日、我が国は大東亜戦争での敗戦を認め、8月15日、昭和天皇は終戦の詔勅が読み上げられた。その後、我が国はGHQの統治下に入り様々な弱体化工作と贖罪意識を植え付けられることとなる。

 昭和27(1952)年4月28日、サンフランシスコ講和条約が発効し、我が国の主権が回復。この日に因んで、安倍政権下で4月28日を「主権回復の日」と定めた。主権回復とは分かり難いが、「独立記念日」、実質的な「終戦記念日」である。

 8月15日は終戦勅諭が奉じられた日であって「終戦の日」でもなければ、戦争が終わった日だと喜ぶ日でもない。8月15日を「終戦記念日」と信じ込んでいるのはGHQによる戦後民主主義教育の洗脳の最たるものである。

 8月15日には、自称・愛国者や似非保守、右翼団体までもが挙って靖國神社に参拝しているが、これつまり我が国の歪で幼稚な愛国心の顕れでもある。

 4月28日は、名目的には大東亜戦争が終結し主権が恢復(独立)した日ではあるが、未だに続く米国依存と更なる米国追随は米国の敗戦後の統治下状態と何ら変わらず、「主権回復」とは名ばかりの悲しい現実が眼前に突き付けられている。

 主権回復に伴い「日米平和条約」が発効。この条約は昭和35年「日米の相互協力及び安全保障条約(日米安保条約)」が発効したことに伴い失効する。こうした戦後の歴史的事実こそが、日米関係の日米関係たる所以である。

「国防」という国家の大本を忘却し、まやかしの平和を貪り続け、魂亡き繁栄に現を抜かす根源こそが「日米安保条約」であり、安保条約の解消無くして真の独立は果たせない。「国防」を確立せずして真の主権回復など在り得ないのだ。

「国防」とは領土防衛だけではなく、三島由紀夫が語った様に「それを失ってしまえば日本では無くなってしまうものを死守すること」である。つまりは歴史・伝統・文化を守ということであり、畢竟、皇統を死守することに在る。

 終戦後の昭和21年から29年まで、昭和天皇は全国を行幸遊ばされ、国民を励ましになられた。正に、国民と共に在りたいとの大御心に、改めて日本という国に生まれたことに感謝せずにはいられない。

 我が国の歴史を繙けば、仁徳天皇は、高みから民の竈の煙をご覧になられ、明治天皇は日露戦争の最中、前線の兵たちと同じ食事を所望されたという。

 昭和天皇も東京大空襲で皇居へ被害が及ぶ中、御所に止まり、国民とその苦難を分かち合った。今上陛下もまた斉しい。陛下は常に国民と共に在り、この万邦無比の「君民一体」の国柄こそが我が国體の精華である。

 日本人が護るべきものは、平和や国民の生命や財産は言うに及ばず、「日本」という国柄や国體であり、皇統の死守こそが使命である。だが、悲しい哉、安倍政権下で「退位法案」が謀られ、皇室典範改悪の序章となった。

 真の主権回復にはGHQの占領下に改正された皇室典範を明治(旧)皇室典範に戻すと共に陛下に奉還し、諸悪の根源である現憲法を破棄し、米国依存体制からの脱却を図り、国防体制を確立する以外にない。

 然しながら、未だに占領下の弱体化政策を検証することなく米国の新自由主義を妄信し、米国追随著しい我が国一身独立は遥か夢の如し。

 米国製のインチキ憲法を有難がり、米国の価値感にどっぷり浸っているが、米国への依存体質が続くのと比例して、我が国の国柄と日本人としての矜持が失われて行く様を拱手傍観している訳には参らないのだ。

「米国依存からの脱却」や軽々しい「反米主義」とは言うのは容易いが、真の主権恢復を心から望むのであれば何より大事なことは「一身独立」である。福澤諭吉翁は各々をそうした心構えをこう訓えた。

 貧富強弱の有様は、天然の約束に非ず
 人の勉と不勉とに由って移り変わるべきものにて、
 今日の愚人も明日は智者となるべく、昔年の富強も今世の貧弱となるべ し。
 古今その例少なからず。我日本国人も今より学問に志し、
 気力のたしかにして先ず一身の独立を謀り、
 随って一国の富強を致すことあらば、
 何ぞ西洋人の力を恐るるに足らん。
 道理あるものはこれに交わり、道理なきものはこれを打ち払わんのみ。
 一身独立して一国独立するとはこの事なり。

「一身の独立を謀り、随って一国の富強を致すことあらば、何ぞ西洋人の力を恐るるに足らん」とは正しく。本日は日本国民として主権回復の意味を知り、真の主権回復を祈念し実現する日にしなければならない。すめらぎいやさか。

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2018年04月27日

世論調査という名の世論誘導に騙されるな!

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 左翼の巣窟でもある共同通信社の世論調査が一面トップに出てる。ここのところ頻繁にやってるが、世論調査というより世論誘導というの正しい。

「自民の改憲 否定多数」というタイトルを見れば新聞記事を鵜呑みにする情報弱者は「そうなんだ」と勘違いするだろう。

 抑抑、アンケートに協力した方々が日本国憲法を熟知してると思わないし、愚生の様に安倍のやろうとしている憲法改正は間違いだと思っているが、調査結果にすれば「改憲に反対」となる訳で意味はない。

 安倍は、現行の第9条とは別立てで「9条の二」を新設し、自衛隊を「我が国を防衛する為の必要最小限の実力組織」であると、その存在の明文化を企む。

 9条をそのまま遺して、新たに自衛隊の存在を「必要最小限の実力組織」などと規定しようとは何事か。これは憲法改正ではなく、公明党と同じ「加憲」であるにも関わらず、これを保守派や自称愛国者らが支援する。

 三島由紀夫は「檄」に於いて「最も名誉を重んずるべき軍が、最も悪質な欺瞞の中に放置され・・・国軍たりえず、建軍の本義を与えられず、警察の物理的に巨大なものとしての地位しか与えられず」と喝破した。

 自衛隊とは三島が憂いた通り、未だに「警察の物理的に巨大なものとしての地位」の立場の儘であるのだ。安倍はそれを不条理と認識せずに過去の過ちを正当化するが如く現憲法に附帯しようとしてるのだ。

 正に安倍の改憲は間違っている。自民党はいつから改憲政党になったのだ。やるべきは自主憲法(新)憲法の制定ではなかったのか。安易な改正に因って現憲法が不磨の大典となる可能性を秘めている。

 こういうことを書くと「ならば安倍以外に誰がやるのか?」「改憲しないと日本が危ない」だとかとの反論が湧いて出るが、安倍信者というのは余りにも安倍を崇拝し過ぎて目先のことばかりで全体像が見えていない。

「取り敢えず改憲派」にしても「九条の会」を始めとした護憲派にしても、第九条が本丸と思っている点では同じ穴の狢というのが正しい。

 現憲法は全文からして矛盾だらけ。前文で「平和を愛する諸国民の公正と信義を重んじ」と在り、悪いことをする者はいないという前提で書かれている。

 この前文を遵守すれば犯罪者が出ることもなく拠って警察も必要ない。だが現実には警察という組織によって治安や公共の福祉が守られている。

 憲法は法律ではなく法であり理想であり、それを基に現実に対処するのが政治である。安全保障関連法案を「戦争法案」と詰ったり、「徴兵制」が復活するかの様に国民を誑かしてる連中は、現憲法前文を蹂躙していることさえ気付いていない。

「シビリアンコントロール(文民統制)」にしても、当時は武装解除に応じて軍隊は存在しておらず、第9条で戦力は保持しないと明記しているのだから全ての日本国民は文民にも拘わらずこの条項(憲法第66条)を明記したのはGHQの錯覚。

 歴代首相の靖國神社への参拝が第20条違反なら、私学助成金制度は第89条違反。田中角栄は「日華国交条約」を破棄したが、これは明らかな第98条違反。また、第96条に基づき憲法改正の発議をすれば第99条違反に問われる。

「取り敢えず憲法改正」するくらいならやらない方がマシ。何故なら、それでなくても矛盾だらけの現憲法は、国の最高法規としては機能してはおらず、自ずと自然消滅の一途を辿るだろうことは明らかなのだから。

 世論調査で危惧するのは「女性天皇を認めることに賛成」というのが83%もいることだ。改憲ならば第2条を早々に見直すべきだが、国體護持や皇統の維持より第9条というのは実に御粗末な憲法改正論と断じる他はない。

「皇位ハ皇室典範ノ定ムル所ニ依リ皇男子孫之ヲ繼承ス」と明記されている大日本帝国憲法を復元改正こそ我が国の採るべき道である。

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2018年04月26日

断罪されるべきは三等空佐ではなく小西洋之である

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 防衛省統合幕僚監部の三等空佐が、小西洋之参院議員に「お前は国民の敵だ」と浴びせたという問題は、その場で謝罪させ和解していたにも拘らず、三佐が言ってもいないことを小西がマスコミにリークした疑いが持たれている(苦笑)

 三等空佐の調査報告書に拠れば「日本の国益を損なうようなことじゃないか」とは言ったが「国民の敵」とは言っていないと明確に否定している。

 尤も小西が「国民の敵」であることに変わりはなく、「発言を明確に覚えている。組織的隠蔽ではないか?」というのも単なる思い込みと、朝鮮民族に多く見られる同一性虚言癖からの妄想でしかない。

 過去に小西はTwitterで安倍首相を「国民の敵」と断じているが、一般人からの批判と何処が違うのか。自分は好くて自分が言われりゃダメなのか。

 相手が自衛官だったからこそここぞとばかりに騒いでいるが、公務時なら未だしもプライベートなジョギング中だったというではないか。

 自衛隊員と雖も言論の自由はある訳で、己に対する意見を暴言だと断じて受け容れることの出来ない小西は、国民の代表である国会議員として、また良識が求められる国会議員として実に不適格、ホント、クソとしか言いようがない。

 天網恢恢疎にして漏らさず。小西の姑息な対応を白日の下に晒し、この「国民の敵」に天罰が下らんことを切に願う。
 
 防衛省の調査報告書の内容を要約すると次の通り。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
●4月16日、概ね20:30頃に国会議事堂周辺をジョギングしていた。(常々、体力づくりのために国会周辺まで往復2時間ほど走っている)
●交差点信号待ちの小西議員と偶然遭遇し、目が合って会釈をされたが、一言想いを述べたいという気持ちが高まり、「国のために働け」と大きな声で言った。
●小西議員は「国のために働いている。安倍政権は国会で憲法を危険な方向に変えてしまおうとしているし、日本国民を戦争に行かせるわけにはいかないし、戦死させるわけにもいかないから、そこを食い止めようと思って、私は頑張っている」と反論した。
●戦死という言葉の言い方が軽く感じ、災害派遣等で遺体を目の当たりにしたときの強い衝撃や使命感、そして全ての自衛官が持っている『事に臨んでは危険を顧みず』という覚悟を軽ろんぜられたと感じた。
●「俺は自衛官だ。あなたがやっていることは、日本の国益を損なうようなことじゃないか。戦争になった時には現場にまず行くのは我々だ。その自衛官が、あなたのやっていることは、国民の命を守るとか、そういったこととは逆行しているように見える。東大まで出て、こんな活動しかできないなんて馬鹿なのか」とむきになり言い返した。
●小西議員は近づいてきて「あなたは現役の自衛官なのか。現役の自衛官がそんな発言をするのは法令に反する」と言ったが、「私の発言は政治的活動には当たりません」と言い返した。
●名前と所属を名乗るように要求されたが、「今は、一国民としての私の想いを伝えています」と拒否した。
●小西議員から「撤回しなさい。現職自衛官がそんなことを言うのは大問題だ。防衛省の人事局に今から通報する」と携帯電話を出したが、「何が悪いのでしょうか?」と応えた。
●再びジョギングに戻ろうとしたところ、小西議員が「お巡りさん、お巡りさん、現職の自衛官が…来てください、お巡りさん!」と向かいの交差点の警備の警察官を呼んだので、やましくて逃亡したと誤解されると思いその場にとどまった。
●そこで「あなたは国民を代表する議員でしょ。私なんかよりも、何倍もの力を持っていて、何だってできるのに、何で一国民が訴えていることを聞いてくれないんだ」と反論したが、小西議員は電話をして取り合ってくれない状態で、私がジョギングに戻らないように近づいてきていた。
●その姿を見て「あなたは何で権力をかさに着るようなことをするんですか?国会議員だったら、一国民が行っていることを、ちゃんと聞くぐらい、いいじゃないですか。本当にそういう行為が気持ち悪い」と言った。
●そうこうしているうちに警察官がひとり近づいてきたので、「勤務中に余計な仕事を増やしてしまい本当に申し訳ないです。」と言った。小西議員は「この人は現役の自衛官らしいんですけど、いきなり私に国のために働けって、強く罵るんですよ。私は国民を代表する国会議員なんですよ。その国会議員に対してね、一自衛官がこんなこと言ってくるなんてありえないから。彼は自衛官でね、強力な武器も扱う、警察のあなたたちもかなわないような実力組織なんですよ。実力組織の人間があんな発言をするなんて、恐ろしい」と言っているのが聞こえた。
●その後4人の警察官が合流し、事情を聴かれたので説明し、住所、氏名、生年月日、所属などを答えた。警察官から「どうする?謝っておくかい?」と聞かれ、事の重大さを認識し謝罪しようと思い「はい、もちろん。ご迷惑をおかけしましたし、ぜひ謝りたいです。」と言った。
●小西議員と向き合うと「あなたのさっきのような、人格を否定するような罵ったところとか、私の政治活動を冒涜するようなとことか、そういったところを謝罪してもらえるんだったら、特に防衛省に通報したりとか、そういうことはしないから」と言われた。
●「馬鹿」「気持ち悪い」といったことについて、「個人の尊厳を傷つけるとうなことと、考えの違いはあるかもしれませんが、日々日本を良くしようと頑張っている政治活動を冒涜するようなことを言ってしまい、大変申し訳ありませんでした。」と謝罪した。
●小西議員は自身の政治理念の述べ、2/26事件や5/15事件などクーデターが起きたことを踏まえ、シビリアンコントロールが大事というような主旨のことを話し、「あなたはどう思う?」と問うたので、「勉強になりました」と答えた。
●小西議員は私に近づき右手を差し伸べ、私も両手で握り返した。小西議員は、そのまま手を強く握りしめ「見解の相違もあるけど、あなたも家族がいるでしょうし、組織の中でも若いだろうから、しっかり頑張ってもらわないといけない。今回のことはそうやって言ってもらったから、防衛省には言わないから。あなたのような自衛官を殺させるわけにはいかないし、だからこそ憲法改正を何とか辞めさせようと思っている。だから活動しているんだ。先日も、質疑の時に防衛大臣に服務の宣誓の意味を問うたけれども、あの人は答えられなかったんですよ。あなたはそのような人の下で働いているんだってことを良く認識した方がいいですよ。そういう所を私は危機感を持っているから、頑張っている。あなたもまだ若いから、日本の為に一緒に頑張りましょう。」と言った。
●私は「すみませんでした」とだけ言い、小西議員からも「帰っていいから」と言われ、ジョギングしてアパートへ戻った。

 三等空佐の発言に偽りは感じられない。小西の姑息な振る舞いの一方で、この若き自衛官の国を思う気持ちが犇々と伝わってくる。

 今回の件で断罪されるべきは発言を捏造した小西洋之であるにも拘らず、防衛省はこの三等空佐を守りきれず左遷を余儀なくされるだろう。だが、悲観すること勿れ。この若き三等空佐を頼もしく思い、支持する国民が多いことを。

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2018年04月25日

現憲法は我が国體(皇統)を維持し続ける上でも実に御粗末な最高法規である

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 地元紙に「天皇陛下退位まで1年」というタイトルで、インチキ近代史作家・半藤一利とノンフィクション作家・保坂正康、日本近代現代史の東大大学院教授・加藤洋子ら無自覚左翼らの鼎談記事が載っている。

 そこに綴られてる言葉を見れば「太平洋戦争」から始まり「象徴天皇」「憲法順守」「天皇制」「退位」「第一子の皇位継承」「女性天皇」「代替わり」などと共産党用語が連なる。こんな輩の何処が識者なのか。

「歴史探偵」を自任する半藤は相変わらず安っぽい近代史を披歴し、近代史と天皇を語っているが、ピント外れもここまで来れば老害でしかない。

「女性天皇」推進派でもある保坂は、陛下の即位時に述べた「日本国憲法を守り、それに従う」との御言葉を、憲法順守の強い意志だとし、政治との関係について歴代天皇とは全く違う意識を持っていたと述べている。

 現憲法99条には「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負う」と明記されており、陛下が国権を重んじ、国法に従うのは当然のこと。

 別に、政治家が憲法改正の発議条項に従って行う憲法改正に反対している訳でもあるまい。況してや日本国憲法が施行されてから即位された天皇は今上陛下唯御一人であり、歴代天皇と比べてどうするというのか。

 天皇は憲法以前の御存在であらされるが、現憲法は歴史的な国家としての継続された「祭祀」に関する天皇の役割を否定している。天皇と政治を語るのであれば天皇の祭祀と現憲法の隔絶というものも提起すべきだろう。

 保坂に至っては「今後女性天皇も認められるべきだ」と述べているが、天皇の祭祀ということを重んずれば女性天皇などということは有り得ないことだ。要は「象徴天皇制」を妄信しているからこういう妄言が罷り通る。

 加藤は「将来、英国など世界の王室と同様、日本も第一子が皇位継承する様な流れになるのではないか。女性天皇に前向きな国民は多い」という。

 祭祀を重んずる神官の最高の御地位でもある天皇を英国王室と準えてるのは嗤えるが、「第一子が皇位継承する流れ」とは、つまり日本国憲法第2条を念頭に置いての確信的発言であるのは明らか。

 現憲法第2条は「皇位は世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところによりこれを継承する」と記されている。

 この条項を理由に世襲を強行し、愛子内親王殿下を即位させ皇統断絶を完遂しようする共産主義者に因る反天皇運動の奸策に他ならない。

 今後は皇太子殿下の御即位に当たり、皇太子妃や秋篠宮家のネガティブキャンペーンが益々露わになり、次々と反天皇を標榜する共産主義者があらゆる手段で天皇の在り方を論じて来るだろうが、国民は決して騙されてはならない。

 現憲法第2条は第9条よりも重要な条項であり、喫緊に見直さなければならないのだが、パフォーマンス的愛国心からの自衛隊の明記や防衛論ばかりで、国體に関わる問題に危機感を抱いてる政治家は限りなく少ない。

 因みに、大日本帝国憲法第二条は「皇位ハ皇室典範ノ定ムル所ニ依リ皇男子孫之ヲ繼承ス」と明記されている様に、皇位は男系男子が継承されなければならないことは言うまでもない。

 こうしたことでも、現日本国憲法が我が国體(皇統)を維持し続ける上でも実に御粗末な最高法規であるかが理解出来よう。

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2018年04月24日

豊葦原瑞穂国崩壊の序章でもある「種子法」が先月末で廃止されたぞ!

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 我が国の食糧管理制度(食管法)を支える法律の一つであった「種子法(主要農作物種子法)」が先月末で廃止された。戦後の我が国は食管法の下、主食である米や麦などの主要農作物については、政府が市場をコントロールしてきた。

 種子法は農家に優良な種子を提供する為に制定された法律で、品種改良や種子の提供に関して、政府や都道府県が責任を持つことを定めている。

 米、麦、大豆など主要農産物の品種改良を国や都道府県の公的研究が行い、良質で安価な種子を農家に安定的に供給してきた法制度である。

 食管法が平成7年に廃止され「主要食糧の需給及び価格の安定に関する法律(食糧法)」に引き継がれてはいるが、政府は種子法を廃止をする理由として、米の減反(生産調整)制度が今後無くなる見通しであることから、品種開発の分野についても民間開放するとしている。

 だが「民間開放」というのは詭弁であり、その実は「外資(外国)」参入を目的としたもので、国家の柱でもある農業を経済論で語るとは新自由主義を妄信し、食糧安保という意識に欠落している安倍の為せる業でもある。

 更に政府は、種子法廃止法案の追加措置として「農業競争力強化支援法」という法案を通した。この法案は驚くことに外資等の規制はしておらず、外国の企業が我が国の農業に参画する出来る為のものであることは明らか。

 つまり、公的研究機関や各県や自治体に在るハイテクプラザなどで培った研究資料やデータが外国資本に無償で提供され、それを盗用され、一部を変更することで特許取得となれば今迄の様には使用出来なくなるという危険を伴う。

 種子の分野を外資開放に因って、安価な遺伝子組み換え作物の種子が大量に出回り、我が国の食の安全や安定供給が脅かされることも懸念される。

 種子法廃止法案は、別名「モンサント法案」とも言われていた。モンサント社はベトナム戦争で悪名高い枯葉剤「エージェント・オレンジ」を開発しダイオキシンを撒き散らした世界最大のバイオ化学会社である。

 種子法廃止により、我が国は米国モンサントに食料を依存することになると言っても過言ではない。つまり、政治的な問題などで、種子の売り控えということになれば我が国の農業そのものが崩壊するという危険を孕んでいる。

 遺伝子組み換えの種子をグローバルに提供する企業としては、独バイエルや米モンサントだが、ここに来てバイエルはモンサントの買収を表明した。

 ドイツと米国は遺伝子組み換えの種子開発に熱心だが、一方では世界最大級のオーガニック市場を持つ国でもある。積極的に遺伝子組み替え食品を世界に輸出して利益を上げ、自分らは安全なオーガニック食材を口にするだろう。

 厚生労働省は「食品中の農薬の残留基準」の改正案で、安倍が妄信する環太平洋連携協定(TPP)や自由貿易協定(FTA)の流れで、外国の基準に合わせて残留農薬基準を大幅に緩和することは既定路線となっている。

 安全安心と言われた我が国の農作物が「種子法」の廃止と「農業競争力強化支援法」の成立で危機に瀕し、更には「残留農薬基準の大幅緩和」に因って外国産と変わらない危険な農産物が氾濫するだろうこと火を見るよりも明らか。

 正に、我が国農業の危機であると同時に葦原瑞穂国という国柄の崩壊であるが、農耕民族としての自覚を喪失している保守派や自称・愛国者らにそうした危機感はなく、農業を以て立国の基本とするという考えは持ち合わせてはいない。

 こうした我が国農業の崩壊と食糧安保の放棄という大問題に、農本主義を重んじるべき右翼民族陣営や反米主義の新右翼は沈黙し抗議の声すら聞こえて来ないのは摩訶不思議なことだ。右翼陣営の凋落は顕著である。嗚呼。

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2018年04月23日

南スーダンPKOで「武器携行命令」に右往左往

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 南スーダン、2016年7月8日、国連平和維持活動(PKO)に参加していた陸上自衛隊の宿営地近郊で政府軍と反政府軍の戦闘がおき、避難民が次々と自衛隊の施設に雪崩れ込んで来たきた。自衛隊は警備レベルを上げ不測の事態に備える。全員居住用施設に待機。2日後には宿営地近くのビルで再び激しい銃撃戦が始まった。

 指揮官は、戦闘に備え隊員全員に武器携行を指示。隊員は防弾チョッキとヘルメットを装着し、小銃に銃弾を装填した。一気に緊迫の度合いが高まった。

 隊員の一人はその眼前の現実に「死ぬかもしれない」と語り、「戦争だった。部隊が全滅すると思った」と証言。「戦争だった」ということは、自衛隊側も施設の警備をする他国軍と共に反撃したということなのか。

「自衛隊は国民や、その代表である政治家が決めたことを信じてやるだけの組織。その為にも、国民には本当のことを知って欲しい」と訴える。

 国際連合南スーダン共和国ミッションとは、2011年に独立した南スーダン共和国を支援する為に発足されたPKO活動で、翌年から自衛隊を派遣し、インフラ整備などを行って来た。PKO活動は平和維持がその主たる目的である。

 だが、現実には、政治情勢が不安定な南スーダンでのPKO活動は正にいつ戦闘が起きても可笑しくない状況であり、紛争地での平和維持活動の難しさに直面するに至った。翌年3月、安倍首相は南スーダンからの部隊撤収を表明し、2012年から5年に及ぶPKO活動は幕を閉じることとなった。

 我が国の国際的活躍は世界が認めるところであり、中でも自衛隊のPKOの貢献は我が国の誇れる活動である。過日成立した「安全保障関連法案」も国家と国民を護る為のものだけではなく、こうした海外で活動する際の不測の事態に備え、自衛隊員を守る為のものであるというのは言うまでもない。

 南スーダンでの日報を破棄したと大騒ぎして「南スーダンで戦闘行為があったのではないか」「自衛隊員が万が一犠牲になったらどうするのか」などと、然も自衛隊員を心配している様だが、日頃、自衛隊の存在を否定し「防衛費は人殺し予算だ」と詰っている政党や国会議員というのは実に白々しい。

 過去にはPKO活動で亡くなられた日本人もいるし「武力衝突」だろうが「戦闘行為」だろうが、そんな言葉遊びに意味はない。

 安倍首相や防衛大臣は、堂々と「平和というのは創り出さねばならない。その為に自衛隊員に若しもの事があれば国家としてどう慰霊し顕彰していくかということを考えなければならない」と何故に国民に訴えられないのか。

 自衛隊員も警察予備隊発足から1870名以上の自衛官が殉職されている。本来、こうした犠牲者は英霊として靖國神社へ祀るべき存在にも係わらず、そうした議論もせずに自衛隊員へにその職務の遂行のみを強いて、また日頃、自衛隊を蔑視していながら自衛隊員の犠牲を語るとは実に烏滸がましい。

 朝鮮戦争当時、自衛隊発足が間に合わず、極秘裏に派遣された海上保安庁の掃海艇を派遣、その内の一隻が触雷沈没し1名が犠牲となった。これは海上保安庁の職員ではあるが、事実上の戦死にも拘らず未だに戦死と認められていない。

 南スーダンでの自衛隊員の犠牲者は幸い出なかったが、他のPKO活動などで犠牲が出れば、殉職死が無駄死となってしまうことを危惧せざるを得ず、官邸筋が「死傷者が出れば政権が吹っ飛びかねない」という撤収理由は如何にも御粗末だ。

 軍隊とは任務の為なら死をも厭わぬ集団である。国家・国民の為に犠牲となれば国民挙って感謝の誠を捧げるのは当然であり国民の義務でもある。

 日報問題で大騒ぎし、またPKOの参加五原則が崩壊していたのではないのかという問題なんぞ些細なことだ。政府や国会は不測の事態に因り自衛隊員が殉職した場合に如何に慰霊し、顕彰して行くかという根本的議論を進めるべきで、国民不在の不毛な議論を何時まで続けるつもりなのか。

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2018年04月22日

野党の懲りない面々が #MeToo を掲げてるが、どんなセクハラ被害を受けたんだ???

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 野党のおばさんらが喪服を着て何やら騒いでいるが、自分達はこんな立派なことをやってるぞと言いたいのだろうが、ハッキリ言ってキモイ(笑)

 #MeToo(ハッシュタグミートゥー)は、ハリウッドの映画プロデューサーのハーヴェイ・ワインスタインによるセクハラ疑惑が報じられると、女優のアリッサ・ミラノが同プロデューサーからセクハラ被害を受けたと告白した。

 セクハラ被害を受けた女性らに'me too'と声を上げるようにTwitterで呼びかけたことが発端で、その反響は大きく、多くの著名人らがこれに呼応し、世界的なセクハラ告発運動が展開されるに至っている。

 この国会議員のおばさんらは #MeToo のボードを掲げているが、何か勘違いしてはいないか。福田次官の言葉を借りれば此奴らに「屁をこきたくなった」とは言っても「おっぱい触らせて」とは死んでも言わないだろう(笑)

 福島瑞穂が水を得た魚の様に生き生きとしてるが何をやりたいのか全く以て意味不明。そういやこのおばさん方、安保関連法案審議の際に壁を作って妨害し「触ったらセクハラだぞ~」と騒いでた連中じゃん(笑)

 テレビ朝日の記者が被害者だとは到底思えない。ホント、この連中というのは女性の立場を利用し、また子供や高齢者、貧困層や身障者、或いは原発事故の自主避難者などを利用しては良い子ぶる似非人権派のインチキ議員というのが正しい。

「Me Too」とは「私も」という意味だが、このおばさんらがどんなセクハラ行為を受けたというのか??? セクハラには縁遠い連中が「セクハラ」とは片腹痛いが、それとも愚生が「Me Too」の意味を間違えてるのか(笑)

 政府中枢にいた福田前財務省事務次官のみならず、野党の議員や関係者へも同じ様に#MeTooと呼びかけるならその行動を認めもするが、単なる政局に喪服と #MeToo ボードを掲げているだけでは世界から嗤われるだけ。

 このおばさん方や愚生の地元郡山市の増子輝彦民進党幹事長ら男性議員まで呼応してのパフォーマンスは、セクハラ被害を受けた女性や純粋にセクハラ問題に警鐘を鳴らしている方々へを愚弄するものであり侮辱である。

 ならば、立憲民主党の初鹿明博は、懇親会の帰り、タクシーの車内で支援者の女性にキスを迫るなどし、更にはズボンのチャックを引き下げフェラチオを強要した強制猥褻行為には抗議したのか?

 同党の青山雅幸は、秘書に抱きつきキス。山尾志桜里に至っては相手男性の自宅でも事に及び、終には離婚させ自分の政策秘書に雇用した。未だに謝罪もしないスケベ女が何が #MeToo か。被害に遭ったのは不倫相手の妻だろう。

 画像の面々の流行りの #MeToo ボードを掲げて悦に入った表情は最早ビョーキとしか言いようがない。抑々「流行」とは「病気」の意味だ。

 恐らくこいつらは「私らの意見を悉く無視する安倍首相のやってることは私らへのセクハラ行為だ」とか言うのではあるまいか。そういや、子供のいない安倍首相に向って「タネ無しカボチャに何が分かる」と言い放ったおばさん議員がいたっけな(苦笑)

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2018年04月20日

「好きになっちゃった」「オッパイ触っていい?」

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 訪米中の安倍首相はトランプ大統領と首脳会談を行い、拉致問題を米朝会談で取り上げることを確認した。米国大統領とこれだけ親密に付き合える首相は好き嫌いを別にして安倍をおいてはいない。

 数年前、拉致帰国者の実兄である蓮池透が上梓した本の中で「拉致被害者たちを見殺しにした安倍晋三と冷血な面々」として、「拉致問題はこれでもかというほど政治利用してきた。その典型例は安倍首相だ」と断じたことは記憶に新しい。

 政治利用というのは見方によってはそう見えなくもないが、安倍を断じるならば、被害者家族からの相談を「拉致問題は無い」と一笑に伏した政治家こそ責められるべきで、安倍のみを論い批判するのは如何なものか。

 拉致問題の政治利用というのは容易だが、批判されるべきは、過去の歴代政権が行ってきた「人道的措置」や「優遇措置」などの軟弱外交であり、過去のそうした愚策や大甘な外交姿勢を糺すべきだろう。

 新聞では相変わらず安倍首相を腐し、拉致問題提起の確約と引き換えにトランプ大統領から「対日貿易赤字解消」を強く迫られたと解説してるが、拉致問題と通商問題を駆け引きの道具に使われたというのは穿ち過ぎだろう。

 こうしたマスコミに因る反安倍の揚げ足取り的報道は、拉致問題の解決を遅らせるばかりか、拉致問題よりモリカケやセクハラ問題という政権を腐した報道姿勢もまた国民の拉致問題への無関心さを増幅させる。

 CIA長官が北朝鮮の金正恩と極秘会談し、また近々習金平が北朝鮮を訪問する。台湾海峡では中共軍が大々的な実弾演習を強硬した。

 正に近隣アジア情勢が緊迫する中で、我が国マスコミを見れば朝から晩までモリカケ問題とセクハラ疑惑しか報じない。

 週刊新潮の記事を読んではみたが、テレビ朝日の女性記者の執拗な森友関連の質問に呆れた福田事務次官が「好きになっちゃった」「オッパイ触っていい?」と揶揄ってるだけ。況してや「屁こいていい?」ってのがセクハラか(笑)

「過去にも何度もあって自己防衛から録音するに至った」などと正当化してるが、何度も嫌なことがあっても何度も会いに行くというのも嗤うしかないが、1年以上も取材しててレコーダーも使わなかったというのもマヌケ過ぎる。

 要は、森友学園問題で安倍の疑惑を裏付け出来ず、ならばエロ会話をセクハラだと大々的に報じ政局と結び付けようとしてるだけ。まさかとは思うが、この女性記者が次官に枕営業でもしてたんじゃあるまいな(笑)

 野党は野党で自ら出した法案までも審議拒否。拉致問題の解決を図ろうとする安倍の足を引っ張っているが、そうした我が国のドタバタ劇をほくそ笑んでるのは刈り上げ豚野郎や資産2兆円を超える習近平ら近隣諸国の首魁共だ。

 亀井静香ではないが「モリカケばっか食べてると栄養失調になってしまうぞ!」とは言い得て妙。マスコミも野党も、それを鵜呑みにして安倍批判をしている国民も、栄養失調どころか精神を病んでるとしか思えない。

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2018年04月19日

米山知事や福田次官より歌舞伎町の「ラブオンザビーチ」に通って買春してた前川喜平の方が悪質だろ。序に三保二本松市長(笑)

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 風見しんごのヒット曲に「僕笑っちゃいます」というのがある。愚生も何処となく思い当たる節もありカラオケでもたまに歌う(笑)

「ぼ~く ぼ~く笑っちゃいます、君の笑顔を~勝手に恋だと決めてたなんて~、ぼ~く ぼ~く笑ちゃいます堪えきれずに~、あーあ、笑ちゃって、あーあ、笑っちゃって涙なんかこぼし~ます~あ~あ♪」

 出会い系サイトで女子大生や10代の少女らと援交を重ねていた新潟県の米山隆一知事は、記者会見でこの件を質されると「少なくとも僕は好きでした」「相手も思ってくれていたと思う」と述べたことに思わず仰け反った(笑)

 正に歌詞通りの勘違い。昔の言葉で言えば風俗嬢の手練手管にしてやられたということ。簡単に言えばまんまと騙されたということだ。金銭欲逞しい風俗嬢に県民の顔でもある知事が本気になってどうすんの(笑)

 米山知事の場合、独身であり性の捌け口として出会い系サイトを覗いていたのは何となく理解出来る。然も遊び慣れてなかったのだろうな。だが、破廉恥行為が露わになった以上、ケジメを付けて辞任するのは当然のことだ。

 ここでふと思うのは、前文科省事務次官・前川喜平の買春と何処が違うのかということ。独身の米山知事と妻子がありながら風俗店通い、然も前川は女子高生相手だ。そういう意味では米山知事よりロリコン前川の方が遥かに罪が重い。

 加計学園問題の立役者でもあり反安倍の仲間だとして、前川のロリコン癖には口を閉ざすマスコミや野党らは、モリカケ問題の延長戦か、福田財務事務次官の小洒落た下ネタを「セクハラを疑惑」と大々的に報じ辞任に追い込んだ。

 まあ、福田次官も脇が甘いといえばそれまで。況してや相手が手練手管のテレビ朝日の記者だもの録音くらいはしてるだろうに(笑)

 福田事務次官の「好きになっちゃった・・・オッパイさわらせて・・・」というのが悪質なセクハラ行為で、出会い系バー「ラブオンザビーチ」に通い少女と買春していながら「女子高生の貧困調査」と白を切った前川は無罪放免。

 安倍周辺者は悪で、安倍に反発するロリコン官僚を然も正義のミカタかの様に扱う報道姿勢や野党の姿に違和感と嫌悪感を抱く人は多いだろう。

 米山知事は辞任の記者会見の中で「公職にある者、公職を目指す者の重みを理解していなかった」と述べた。正にこの言葉に尽きよう。

 公職にある者は「李下に冠を正さず」との言葉通り、不徳を恥とすべきだ。公職や政治を志す者も同じく、政治とは最高の倫理であり、最高の道徳であるということを肝に銘じ国家国民の為に滅私奉公するべきである。

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 我が故郷である二本松市長の三保恵一も「公職にある者、公職を目指す者の重みを理解していなかった」一人。市民の代表である市長の顔としては実に貧相で卑しさが滲み出てるこの男、県会議員時代にストーカー行為を行っていた。

 被害女性によると、三保が企画した中国旅行から帰った翌日から自宅に電話が来る様になり、一日に40回以上もかかって来たことがあるいう。これもまた冒頭の「僕笑っちゃいます」の世界、女性の笑顔を勘違いしたことから始まった。

 女性は警察に相談するも、当時はストーカー規制法も無く、ストーカーそのものに対する認識も乏しかったので三保が逮捕されたり、警察から警告も無かったというからその無能ぶりには飽きれるばかり。

 福島県警にしてみれば警察予算は県議会で決める訳で、やはり県議という立場に何らかの計らいや躊躇があったことは想像するに余りある。

 こうした三保のストーカー行為に、某雑誌は碌々取材もせずに「三保県議に愛人」「三保県議が頻繫に愛人宅を訪問」などと、然もこの被害女性が三保の愛人であるかの様な記事を垂れ流し、三保は愛人説を否定しなかった。

 女性にしてみれば夫は福島医大の医師であり、相手が県議ということもあり、ハッキリ断わることが出来なかった。それを三保は更に勘違いして更にエスカレート、電話では厭き足らず自宅を訪問するようになっていく。

 三保のストーカー行為とアホ雑誌の記事に拠って、女性は疑いや濡れ衣を晴らせない儘に夫と別居し、そして離婚するに至った。

 ストーカー行為に拠って女性の人生を台無したにも拘らず、三保は議員を辞するどころか、止まない上昇志向から二本松市長にまで上り詰めた。

 三保は未だに「公職にある者、公職を目指す者の重み」を理解しているとは思えない。ネットが普及し、文春砲炸裂の今の時代なら辞任必至だったろうに、ホント、三保という男は運だけで生きている。呵呵大笑。

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2018年04月18日

小西洋之が「国民の敵」であることに間違いないだろ(笑)

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 防衛省統合幕僚監部に所属する三等空佐が、民進党の小西洋之参院議員に「お前は国民の敵だ」と抗議したという。実に快哉、国民の一人としてよくぞ言ってくれたと思うし、発言は至って当たり前のことではないか。

 情けないのは、部下を庇うこともせずに早々に謝罪した河野統合幕僚長で、安易な謝罪は相手を更に付け上がらせるだけだ。

 小西は「身の毛がよだつ」と被害者面し、野党は「シビリアンコントロールの観点からも断じて許されない」と反発の声を挙げる。

「シビリアンコントロール(文民統制)」とは、政治家が軍隊を統制するという意味だが、別に軍人が政治家の僕(しもべ)になった訳ではない。

 一旦緩急、他国と戦争に至った場合、最高指揮権は文民である内閣総理大臣にあるが、軍事的な指揮権は自衛隊統合幕僚長に委ねられる。つまり、軍事的な専門分野にまで文民がしゃしゃり出れば敗戦は必至ということだ(笑)

 敗戦を経験した日本人が勘違いしているのは、戦争は軍隊が勝手に行うものだと思っていることで、戦争とは政治や外交の延長の解決手段であって、国際法上認められてる行為でもあるということを理解していない。

 米英は「戦争とは政治の継続である」と教え、ドイツでは「戦争とは別の調停手段を伴う政治的な取り引きの継続である」と教えている。

 憲法第66条には「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない」とあるが、抑々、日本国憲法が制定された当時、軍隊は既に解体され国民は全て文民だった訳で、この条項はGHQの錯覚に因るものである。

 逆に考えれば、文民統制を頻りに翳している野党や護憲派というのは、GHQの錯覚の上で成立した現憲法の過程を理解していないという証左であり、この時点で自衛隊を暗に軍隊であると認めてしまっているということだ。

 自民党憲法改正推進本部は、安倍総裁の意向を忖度し、現行の第9条とは別立てで「9条の2」を新設し、「我が国を防衛する為の必要最小限の実力組織」であると自衛隊の存在を明文化するとしている。

 更に9条の2の2項には、首相が内閣を代表して自衛隊の最高指揮官権を有するとする文民統制(シビリアンコントロール)も明確化するという。

 こうしたことでも分かる通り、安倍の謀る憲法改正は、過去の自民党政権下での憲法解釈と自衛隊法の正当化であり、国家の大本である国防を担う自衛隊並びに自衛隊員に対する冒涜である。

 小西は、昨年成立した安全保障関連法案に反対し「自衛隊員は他国の子供を殺傷する使徒」だと自衛隊を罵った人物でもある。成立の過程では委員長席に雪崩れ込み、髭の佐藤隊長からグーパンチで排除されたのは記憶に新しい(笑)

「自衛隊員は他国の子供を殺傷する使徒」というツイッターでの書き込みに抗議が及ぶと、ビビった小西は「自衛隊員を救わなければ」に変更した。

 安保関連法は、戦闘地域で活動する自衛隊員を守る為のものであるのだが、「自衛隊員を救わなければ」というのなら何故に安保関連法案に反対したのか、辻褄も合わないだろう。こういうアホ議員のキレイゴトにはうんざりする。

 日頃から自衛隊を敵視し侮蔑していながら、己がその自衛隊員から罵声を浴びた途端に被害者意識丸出しで文民統制を振り翳すとは呆れ甚し。三等空佐の言う通り小西は「国民の敵」であることに変わりはない。敵がダメなら人間のクズだ。

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2018年04月16日

獣医師会や獣医師会から献金を受けた政治家より安倍が叩かれる不思議

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 地元紙の一面には「内閣支持下落37%」との見出しが躍る。こうした世論調査こそ倒閣運動に与したもので、「加計学園理事長と安倍が友人だから新設計画が行われた」との質問は情報弱者向けの世論誘導そのものだろう。

 別に愚生は安倍信者ではないが加計学園問題の何処が問題なのか、「首相案件」も国家戦略特区なのだから別に首相案件であっても問題なかろう。

「反安倍」在りきの野党やマスコミは、安倍と加計学園理事長との仲を怪しげな関係と断定し、総理からの働きかけは絶対に在ったと譲らない。

 加計理事長との関係は安倍が議員になる前からの友人だというし、ならば第一次安倍内閣の時も出来ただろうし、何故にもっと早くやらなかったのか、その辺りを誰か分かり易く説明してはくれまいか(笑)

 何故に四国に獣医学部なのかを考えれば色々な問題が見えてくると思うのだが、どうも反安倍派は反原発派と同じく見え方が違う様だ(笑)

 この問題は、旧態依然の行政に与する前川喜平の公務員法違反とも取れる「極めて薄弱な根拠の下で規制緩和が行われた。認可は不適切だった」との妄言に、朝日新聞を始めとした売国マスコミが挙って便乗した。

 森友問題ではあれだけ佐川元長官ら役人を糾弾しながら、前川の公務員違反にはだんまり。加計学園の問題を見てると、騒ぎ立てているのは朝日新聞や毎日新聞であり、この全てが反安倍勢力であり、そこには公平や公正さは無い。

 朝日新聞や毎日新聞、NHKら反安倍が「政治的に公平であること」「報道は事実をまげないですること」「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」を遵守しているとは思えない。

 過去に、放送法第4条を論拠に偏向報道を続けるテレビ局に対し「電波法に則り免許を剥奪出来る」とした高市大臣の発言を論い「放送法第4条を撤廃しろ!」と言ってた連中が反対しているのは正に支離滅裂の極み。

 放送法第4条を撤廃すれば「政治的中立」をしなくても好いのに何故か反対し、相変わらず放送法違反の偏向報道を続けている(苦笑)

「首相案件」を然も大問題であるかの如く報道し、モリカケでは「(政治家への)忖度があって欲しい」と願い、加計学園問題では「(安倍サイドからの)働きかけがあって欲しい」という淡い期待を抱いてるとしか思えない(笑)

 加計学園問題の事の次第は西日本、特に四国地方での公務員の獣医師不足は深刻で、緊急の鳥インフルエンザや国際的な環境変化の流れの中で改善しなければならない喫緊の課題でもあった。

 そういう意味では、獣医学部新設に手を挙げてくれた加計学園には、感謝することがあっても批判されるというのが理解出来ない。

 批判されるべきは頑なに批判し反対してきた獣医師会であり、獣医師会の意向を忖度し「石破4条件」を作って獣医学部新設の妨害を謀った石破茂であり、獣医師会から100万円の献金を貰ってた玉木雄一郎や福山哲郎ら政治家共だろう。

 その石破が次期自民党総裁候補として安倍に続く支持を得ている様だが、石破の発言を持ち上げてるのは、朝日新聞を始めとする反安倍を自任する売国マスコミばかりというのも何かを況や。

 石破は、自民党を離党し「改革の会」に参加した辺りから保守派の鍍金が剥がれ始める。「新党みらい」「自由党」「自由改革連合」を経て「新進党」結成に参画したものの、結局は古巣の自民党に復党した。

 こうなったのも小沢との確執とも言われているが小沢と共通する部分も多く、支那に阿ることに於いては小沢を凌ぐのではなかろうか。愚生は安倍支持派ではないが、総裁候補がこんなのばっかじゃ安倍の方がマシと思うだろうな(笑)

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2018年04月15日

国会前のデモ参加はテロ支援者や準テロ支援者としてリストに載る可能性がありますよ(笑)

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 国会前で共産党や極左暴力集団らが安倍政権打倒を訴えてデモを行っている。韓国の蝋燭(キャンドルデモ)を模倣し、雨が降れば香港の雨傘革命をパクってるのが如何にもという感じが犇々と伝わって嗤える。

 米英仏がシリアに対して化学兵器を使用したとして首都ダマスカスなどを空爆、これにロシヤと中共が反発。俄かに国際情勢が緊迫する中で、相変わらず我が国はモリカケ問題やら日報隠蔽などで大騒ぎ。

 正に平和ボケ著しく、願わくは北朝鮮の刈り上げブタ野郎が国会前のバカ者共に一発ガツンとブチ込んではくれまいか(笑)

 国会前のデモ参加者は警察発表は3000名。ところが主催者発表になると、これが35000~50000人となる。正に「南京大虐殺30万人説」と同じ法螺。

 過去にも社会科教科書の沖縄集団自決に関し抗議集会が開かれ、主催者側は「参加者11万人」と大々的に発表。その数字を鵜呑みにした政府やマスコミが右往左往した挙句、教科書の見直しを検討したことがあった。

 この数字に疑問を持った大手警備会社のテイケイ(株)が航空写真を分析し、参加者の実数が「1万8179人」だったと発表すると騒ぎも沈静化された。

 その後も普天間問題に端を発した「反米集会」では主催者側は「参加者9万人」と発表するも、またもやテイケイに実数を調べられ、参加者の実数が1万1569人だったことが判明した。この数字も多く見積もってのものだ。

 数年前には「さようなら原発集会」が代々木公園で開かれ、主催者側は17万人が集まったと発表するもやはり3万人程度だった。

 主催者や左翼マスコミは「数字は関係ない、抗議集会に多くの人が集まった事実が大事」だと詭弁を弄すが、連中の狙いは「安倍政権打倒」というより「日本国解体」が目的である。正に革命の予行演習(笑)

 昭和60年代の反米闘争や左翼運動にノスタルジーを感じる連中が、安倍政権打倒運動にその思いをダブらせる。

 こういうデモに定年退職した戦後民主主義にどっぷり漬かった老害が参加してるのが目立つが、破防法に基づく監視団体である共産党や極左が組織的に関わっているデモに参加することはリスクも大きいことを知るべし。

 政府転覆を謀ることを主眼としたデモに参加することで、公安調査庁から監視対象となれば、テロ支援者や準テロ支援者としてブラックリストに載る可能性があり、就職や生活に支障を来す可能性は少なくない。

 国会前で大騒ぎしている若者を見ていると、その幼稚な正義感が共産党などの一部勢力に利用されているのだろうと確信する。正に「熱狂する大衆のみが操縦可能である(ヒトラー)」とは蓋し正論。

 共産党を始めとした左翼や無自覚左翼の連中は頻りに「民主主義」を振り翳すが、共産党政権下では「自由」が保障されることが無いことは歴史が証明する処であり、左翼政権下では民主主義は存在しない。

 左翼のいう「民主主義」とは、あくまでも組織原則は「中央集権制」が主であって、彼らの使う「民主主義」は単なる飾りに過ぎない。

「日本共産党の誇るべき組織原則である民主主義的中央集権制(民主集中制)」と、自らが記してある通り、「反主流派」は存在してはならず、党員同士の横の繋がりは「分派活動」として禁止されているのだ。

 国会前で参加者らを扇動しているSEALDsも共産党中央からの指示で動いているのは明らか。でなければ余程のバカの集まりだ。

 政府は日本共産党について「現在でも暴力革命の方針に変更はなく、破壊活動防止法(破防法)に基づく調査対象団体である」とする答弁書を閣議決定した。当の共産党はそれに色を作(な)して反論したのは記憶に新しい。

 警備する機動隊員に暴力で対抗する不法デモは実力行使で排除を図り、また民衆を扇動し政府転覆を謀る共産党には破防法を適用し非合法化するべし。

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2018年04月13日

高が右翼で人生を棒に振ること勿れ(笑)

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 人夫夫、座右の銘や感動した言葉、考えさせられた言葉というものがあるだろう。その多くは自戒からのものが多い。

 例えば、水戸光圀は18歳の時、司馬遷の歴史書「史記」を読み学問と修養に目覚め、「史記」に負けない歴史書を作ろうと志を立てた。

 一、正直は一生の賓、堪忍は一生の相続、慈悲は一生の祈祷。
 一、苦は楽の種、楽しみは苦しみの種と知るべし。
 一、主人と親は無理なるものと思へ、下人は足らぬものと知るべし。
 一、恩を忘るる勿れ。
 一、子程に親を思へ、子なきものは身に比べ、近き手本とすべし。
 一、掟に怖(お)ぢよ、火に怖ぢよ、分別なきものに怖ぢよ。
 一、分別は堪忍なり、小なる事は分別せよ、大なることは驚くべからず。
 一、九分に足らば、十分に零るると知るべし。
 一、朝寝すべからず、話の長者すべからず
 一、色と慾と酒とを敵と知るべし。

 これを信条として修養を積んだというが、この教えの一つの「欲と色と酒を敵と知るべし」という項目が目に留まる。

 酒を飲まない人や、欲の無い人が、態態こういう言葉は記さない。水戸光圀は少年の頃は、手の付けられない不良だったというが、それを思わせる内容でもあり、自己反省に基づくもの故に心に響く。

 そういう意味でも黄門様でさえ、若い時分には女と酒に溺れ、多くの失敗したのだろうなぁと思えば、少しは気が楽だろう。呵ッ呵ッ呵~。

 随分前になるが、行きつけの鮨家で日本の有名企業の会社社長の座右の銘が書かれたカレンダーを目にしたことがある。

 その中に「薄皮饅頭」で有名な郡山の老舗菓子店「柏屋」の先代・本名善兵衛社長からの言葉は、「一生を棒に振る」と書いてあった。

 訝しげにその理由を読んでみると、当人が大学時代、友人らが次々と就職が決まっていく中で、ある友人に「おまえは高が饅頭屋如きで人生を棒に振るのか」とバカにされたそうだ。

 友人の言葉に「確かにそうかもしれない」と一瞬思ったそうだが、多くの一流と言われる人達というのは、目指したその道で人生を棒に振っているではないのかとの思いに至ったという。

 確かに、長嶋にしろ王にしろ、イチローにしろ松井にしろ、高が野球如きだが、人生を棒に振るくらい真剣に打ち込めるものがあったというのは逆に幸せなことなんだと思う。尤も、成功者だからこそ言える言葉でもある。

 人間誰しも、若い頃にはなりたかったものはあるだろうし、大きな夢もあったろうに、いつの間にか些細な何かに熱中し、ついつい自分の理想とは違った人生を歩んでしまったのではないだろうか。

 斯くいう愚生も、若い頃の純粋で幼い正義感から右翼こそ日本人としての正義だと確信しその道に入った。世間から見れば、右翼なんぞドロップアウトにしか見えないだろうが、昭和50年代の右翼活動は毎日が刺激的だった。

 入隊してみたものの理想と現実の違いに失望したのもまた事実。だが、短い人生、この右翼の世界というより、右翼人、一維新者としての生き様を全うしたいとの思いは未だ已むことはない。

 右翼であった故にサラリーマンでは出会えない個性的な人物にも出会えたし、その多くが反面教師でもあった。現在の右翼人は画一化されてしまって、削げ者がいなくなってしまい、面白みも無くなった。

 今、現役右翼である若者や右翼を目指す若者に言えることは「高が右翼で人生を棒に振ること勿れ」だろうか。呵呵大笑。

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2018年04月08日

歴史・伝統・文化を否定する左翼や無自覚左翼の連中が大相撲を目の仇に

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 歴史・伝統・文化を否定する左翼や無自覚左翼の連中が大相撲を目の仇にし、賭博問題やら八百長問題を執拗に煽り立て、糾弾したのは記憶に新しい。「貴乃花VS相撲協会」の騒動が終わったかと思ったら今度は「女性差別」で大騒ぎ。

 誰だって救命救急措置を施してる女性に対して「女性は土俵から下りてください!」とのアナウンスはダメだと思うし、違和感を覚えるだろう。愚生だったら「おい、そっちかよ!」とツッコんだかも知れない(苦笑)

 アナウンスした行司当人も反省してるし、それを然も正義面して批判してる連中にはうんざりする。危惧した様に、日本という国は女性差別が日常的に行われているということが世界に発信されてしまっていることが大問題なのだ。

 事ある毎に大相撲は批判の対象にされ、そうしたことが相撲ファンが離れてしまう要因にもなっている。「角を矯めて牛を殺す」という諺があるが、欠点を直そうとして反ってそのもの自体を駄目にしてしまっている気がしてならない。

 相撲と神(神道)は関係が深く、本場所初日の前日には「鎮め物」として、萱(かや)の実、勝栗、スルメ、昆布、塩、洗米といった神饌が土俵中央に納められ、立行事が祭主を務め、「土俵入り」が行われる。使用した御幣は、神の降臨の証しとして四色の房に飾られる。

 四隅(四色の房)には、神獣の四神「東の青龍(青房)」「南の朱雀神(赤房)」「西の白虎神(白房)」「北の玄武神(黒房)」が描かれている。この四神はまた我が国の四季である「春夏秋冬」を顕している。

 力士が「四股」を踏むが、これは地面に潜む邪悪なものを封じ込める為のもので、「塩撒き」も土俵の邪気を祓い、神への祈りであり、「力水(ちからみず)」や「力紙」は清めの作法である。

 清めを終えた力士は「蹲踞(そんきょ)」から「揉み手」「柏手(かしわで)」し、両腕を開く「塵手水(ちりちょうず)」と続く。

「揉み手」は、古来は雑草の露で手を清めていた所作で、「柏手」は神に拝する際に打つ動作。「塵手水」は、手に武器を持たないことを表すものだ。

 勝ち名乗りを受ける際に「手刀」を斬るが、左が「神産巣日神(カミムスヒノカミ、カムムスビノカミ)」、右が「高御産巣日神(タカミムスビノカミ)」、真ん中が「天御中主神(アメノミナカヌシノカミ)」三神への感謝である。

 千秋楽の終了後には「神送りの儀式」があり、御幣を抱えた新弟子力士らが胴上げすることで、相撲の神々は昇天する。

 日本相撲の始祖とされるのが「野見宿祢(すくね)神」である。日本相撲協会発行の「大相撲伝」には、この野見宿祢神が中心に描かれている。宿祢は「埴輪(はにわ)」の発案者とも言われている。

 野見宿祢神を囲む様に「天手力男神(アメノタヂカラヲ)」と、相撲の元祖「建御雷之男神(タケミイカヅキノオノカミ)」、勝利の三神(造化三神)である「天御中主神」「高御産巣日神」「神産巣日神」が並んでいる。

 相撲は千五百年以上の歴史を有し、古来より五穀豊穣を祈り、その恵みに感謝する神事であり、垂仁天皇七年七月七日、当麻蹶速(とうまけはや)との御前試合が起源とされている。その勝者が「野見宿祢」である。

 現在の大相撲は、平安時代に天覧相撲である「相撲節会(すまいのせちえ)」が行われたことが始まりとされている。

 こうしたことを理解した上で大相撲を観戦すれば相撲もまた楽しいのだが、相撲もスポーツ化して勝敗ばかりが優先され、相撲協会の営利主義を苦苦しく思い、相撲が廃れてしまうのではないかと危機感を抱いてるのは愚生だけではあるまい。

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2018年04月07日

「女性は土俵から下りて下さい」とのアナウンス(笑)

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 京都舞鶴市での大相撲春巡業で、土俵上で挨拶中に倒れた多々見市長に救命措置をしてる女性へ、行司が「女性は土俵から下りて下さい」とのアナウンスしたことが問題となっている。

 更には女性が土俵を下りた後で、土俵を御祓いする為か塩を撒いたというが、確かに遣り過ぎた面は否定出来ない。本場所の神聖な土俵ならいざ知らず、イベントでもある巡業如きで女性を目の敵にしてどうするの(笑)

 現場の映像を見ても男性らも土足のままで上がってるし、行司も巡業部長らも大相撲の伝統や風習を履き違えてるとしか言い様がない。

 明治新政府から「断髪令」が発せられても丁髷の伝統を貫き、戦後も表彰式で国歌「君が代」を斉唱し「国技」を自称して来た保守の牙城とも言うべき大相撲を目の仇にする勢力が存在するのは紛れもない事実。日頃から歴史・伝統・文化を否定するそうした連中が大相撲批判を繰り返している。

 今回も、然も相撲協会や日本全体が女性差別をしているかの如くに大騒ぎし、それを海外のニューヨークタイムズなどのメディアが取り上げて、女性差別は日本の風習であるかのような報道を世界にバラ撒いている。

 舞鶴巡業の二日後、宝塚市巡業で挨拶に立った中川智子市長は「女性という理由で土俵上で出来ないのは悔しく辛い」と挨拶した。巡業先での市長の挨拶なんぞ男女問わず土俵下でやれば好いだけだ。

 別に相撲協会が女性差別をしている訳ではなく、伝統や風習を継承しているだけのこと。観客から「女性を土俵から下ろせ!」といった声があり慌てた行司がついアナウンスしてしまったのだろうが、女性は土俵に上がってはならないという風習を信じることを否定してしまうのもまた逆差別である。

 今回は現場の混乱が生じた際の行司の軽挙妄動であって、大相撲自体が批判の対象になる問題でもない。騒げば騒ぐほど、歴史、伝統、文化を否定する勢力に利用されるということを知るべし。彼らの狙いはそこにあるのだから。

 女性には生理があるが、生理は「穢れ」でもあり、皇室の神事の一つである「皇霊祭」では生理中の女性皇族は参加出来ない。生理中の女性というのは情緒不安定になるということから、精神統一が必要とする神事には不向きなのだ。

「国連女子差別撤廃委員会」が、男系男子に限られている皇位継承に関して皇室典範の改正を強要し「女性天皇」を要望するのも、或いは慰安婦問題にしても、我が国が女性を差別しているとの認識が生んだ妄想である。

 これは生理中の女性の体調を気遣うというのもあるのだが、クソ左翼や反天皇勢力からは「生理は汚らしいのか」とか「女性蔑視だ」と反論し批判する。だが、こうしたことは何も皇室だけの特例ではない。

 イスラム教では生理中には礼拝所であるモスクには入れないし、ユダヤ教でも生理中の女性との握手を禁じている。これは女性差別ではなく、伝統の中で培った教えでもあるのだ。

 では聞くが、歴代ローマ法王に女性はいないし、ローマ法王を選ぶ枢機卿にさえ女性はいない。日頃「レディーファースト」と自慢してる国でも伝統の継承という点ではそういうものなのだ(笑)

 事ある毎に薄っぺらい大相撲批判を目にすると、大相撲の存続にも影響しかねない危険を孕んでいる気がしてならない。相撲協会よ、確りせい!

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2018年04月06日

天皇陛下の靖國神社への御親拝を切に願う

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 天皇陛下は皇太子殿下へ譲位後は全ての御公務を退き、一部から囁かれている「二重権威」との疑いを招かない為に、即位に関する一切に儀式にも参列しない意向を御示し遊ばれたという。

「二重権威」だと危惧する声は何処から聞こえてくるのか。抑々、退位後の正式な「太上天皇」と称さないで「上皇」「上皇后」呼称することが怪しからんことで、危惧するのはこうした現世での皇統の歴史の改竄である。

 況してや皇太子殿下となるべき秋篠宮殿下を、皇統の歴史にも無い「皇嗣(こうし)殿下」とするとは何事か。「皇太子」の名称に戻すべきだ。

「秋篠宮家」を残そうというのは秋篠宮家を女性宮家にしようという宮内庁や反天皇活動家らの策謀に他ならない。

 然し乍ら、喩え女性宮家を創設したところで、女性皇族が出来るのは皇室外交くらいなもので、陛下の国事行為や祭祀を代行することは不可能。

 何故に女性宮家創設を急ぐかは、男系男子の皇統の歴史に楔を打ち込み、現憲法第2条を理由に世襲を強行し、愛子内親王殿下を即位させ皇統断絶を完遂しようする共産主義者に因る反天皇運動の奸策に他ならない。

 畏くも天皇陛下の御存在は歴史が証明している通り、憲法以前の御存在であらせられ、憲法が在って天皇が存在せられるものではない。

 抑々、象徴天皇や御公務、国事行為などというのは米国製の日本国憲法下での決め事に過ぎない。天皇にとって大事なものは「祭事」である。

「大嘗祭」の規定は今や現憲法にも現皇室典範にも明記されていない。安倍内閣はそういう理由から大嘗祭を皇室行事として閣議決定ではなく、後々の問題化を避ける為に口頭了承としたのだ。

 これつまり、未だ占領政策の「神道指令」の呪縛が解除されずにいる証左である。何が「戦後レジームからの脱却」か。

「戦後レジームからの脱却」を標榜するなら、御譲位と御即位に当たり、占領下でGHQに謀られた日本国憲法の制定過程を始めとした様々な戦後政策の矛盾と不条理を検証し、見直すべきではないのか。

 陛下は現憲法を遵守する義務を負う。だが、このまま現憲法を存続することは、即ち国柄や国體の崩壊が進むことを意味する。

 陛下の御気持ちを推察することは不敬の極みであるが、国家や家族の為に散華された英霊の魂に心を寄せている陛下には、臣民の一人として譲位前に靖國神社への御親拝を願わずにはいられない。

 先般、沖縄を行幸遊ばされた。皇太子殿下時代に続いて、即位後の平成5年には歴代天皇として初めて沖縄を訪問した。これは最後まで沖縄に心を寄せられていた昭和天皇の御気持ちを汲んでのことではあるまいか。

 陛下は「先の戦争では実に多くの命が失われました。中でも沖縄県が戦場となり、住民を巻き込む地上戦が行われ、20万の人々が犠牲になったことに対し、言葉に尽くせぬものを感じます」と述べられた。

 先の大戦での「沖縄戦」に於いて、特攻戦死者の実に76%が沖縄戦で亡くなっている。鹿屋基地(海軍航空)からの特攻で1981名、知覧基地(陸軍航空)からの特攻で1036名が散華した。先の行幸はこうした英霊への鎮魂でもある。

 沖縄行幸と同じく昭和天皇も心に留めていた、靖國神社への御親拝を平成の世で成し遂げて頂きたいと切に願う。このままでは靖國神社が政治利用され続け、皇太子殿下の即位後も御親拝が成されることはないだろう。

 天皇陛下の御親拝こそが英霊の魂を鎮める唯一無二のものであり、聖恩無辺、英霊並びに遺族にとっての感激と光栄、これに優るものはない。政治家は、靖國神社に関わるより、陛下の靖國神社への御親拝の環境を整えよ。

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2018年04月04日

皇統断絶の謀(はかりごと)に対峙せずして何が保守か、何が愛国者か。

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 政府は、天皇陛下の譲位と皇太子殿下の即位に伴う儀式の在り方を閣議決定及び口頭了承した。新聞には不敬な「退位」ではなく、日本共産党が最近常用している「代替わり」という言葉が躍っている。

 何処かのヤクザの襲名披露じゃあるまいに「代替わり」とは何ぞや。

 最近の反天皇運動は過去の様に赤旗を振り翳し、あからさまな反対運動は行わない。揶揄しつつも如何にも陛下の高齢や体調を慮り、そして世論誘導を謀る。

「譲位」ではなく「退位」「代替わり」という言葉が散見していることでも、共産主義者による反天皇運動は行政に留まらず国民意識の奥底にまでも浸透していることが理解出来よう。

 諸外国でも皇帝や国王が退位させられた後に処刑されている。抑々「退位」という言葉は「共産党用語」であることを知っているのだろうか。

 戦後、昭和天皇の「戦争責任論」を叫び強制的に退位させて、A級戦犯として絞首刑に処すという願望から使用されていた言葉である。

「退位」のそうした意味を知らず、左翼の策謀をも見抜けず、保守を標榜する安倍政権下で不敬極まる退位法案が可決され実行されるということ自体、我が国の保守勢力が如何に贋物であるかを現している。

 畏くも天皇陛下は歴史が証明している通り、憲法以前の御存在であらせられ、憲法が在って天皇が存在せられるものではない。

 安倍亡国政府は、あろうことに皇室典範に手を付けて陛下の譲位を附帯し、皇太子の即位に当たって行う大嘗祭も、現憲法に明記していないことを理由に国事行為ではなく、公的な皇室行事とすると閣議口頭了解とした。

「平成踏襲」というのなら陛下の譲位そのものをやるべきではなかった。陛下が「国事行為を全うすることが難しくなった」と御発露遊ばされ際に、皇太子殿下や秋篠宮殿下が輔佐する環境を作れば好かっただけのこと。

 陛下が御臨席遊ばされる国事行為を改めれば好かっただけのことなのに「陛下の御意向」だと勝手に推し量り、不敬極まる「退位法案」を全会一致で可決した。

 法案に反対した亀井静香は「天皇陛下の地位は、御自身の意志や国家権力によって左右されるものではない」とは蓋し正論。

 天皇陛下の御意向により天皇位を譲位(退位)することが可能なら、同時に皇位継承者(皇太子殿下)の御意向により、即位を辞退出来ることも可能になるということでもある。

 近年、週刊誌やネット上などで見られる皇太子妃殿下への誹謗中傷は、皇太子殿下即位辞退への布石ではとさえ思えて来る。

 こうした地ならしの結果、皇太子殿下即位に当たり、妃殿下へのネガティブキャンペーンはその激しさを増し、皇太子殿下が御即位され難くなるだろうことは想像するに余りある。

 党綱領で「反天皇」を標榜している共産党を始めとした反天皇に与する議員らも賛成しているところに括目すれば、如何に平成の世の譲位が後々の皇統の歴史に禍根を遺すことは明らかだろう。

 我が国は天皇即日本であり日本即天皇である。これ即ち、明治天皇が教育勅語の中に於いて「世々その美を済せる国體の精華」と御諭しになったところであり、万邦類い無き「天皇国日本」の真姿である。

 皇統断絶の謀(はかりごと)に対峙せずして何が保守か、何が愛国者か。

 神武肇国から滔滔と続く万世一系の皇統が、平成の世の共産主義者らの策謀に嵌って悪しき前例を創ることで断絶の危機が顕わになる。

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2018年04月03日

森友問題に続いて防衛省の日報問題で騒ぐつもりか

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「存在しない」としてきた南スーダン国連平和維持活動(PKO)陸自部隊の日報が防衛省の調査で存在していたことが確認された。これを受けて野党は公文書の杜撰な管理であり「政府ぐるみの隠蔽だ」として再度追求する構えだ。

 森友問題で決裁文書の改竄で大騒ぎしたことに味を占めた野党は、日報隠蔽で安倍政権を追い込む構えだが、この問題の本質は南スーダンで一体何が起こっていたかということであり、日報の隠蔽で騒ぐのは本末転倒。

 昨年2月、衆院予算委員会で自衛隊の南スーダンでのPKOを巡り、民進党議員が廃棄したとされる陸上自衛隊部隊の日報が見つかった問題を取り上げ「政府軍と反政府勢力の大規模な衝突が起き、戦車も繰り出され死傷者数百人が出た。戦闘が生起した」という記述について政府の認識を質した。

 この質問に対し稲田大臣(当時)は「一般的な用語では戦闘だが、法的な意味では戦闘ではなく武力衝突」と説明し、「憲法9条上の問題になるので『戦闘』ではなく『武力衝突』という言葉を使っている」との表現で事を濁そうとした。

 実に平和ボケを象徴する様な質疑応答だが、言い訳がましい答弁に終始し屋上屋を架した結果、稲田は辞任に追い込まれた。

「隠蔽」が大問題というならのPKO陸自部隊の日報よりも、東日本大震災に因り東京電力福島第一原子力発電所がメルトダウンしているという危機の中で、SPEEDIの数値を隠蔽した民主党政権の方が遥かに悪質だろう。

 本来であれば、SPEEDIの数値を参考に避難指示や避難命令を出すべきところ、科学的データを無視して「原発周辺20キロ圏内」避難命令を出した。

 この避難命令で、動かしてはいけない双葉病院に入院中だった重篤な患者の他、医療弱者が強制的に移動させられた結果、治療を受けられず70名が死亡した。正に菅政権下での殺人行為といっても過言ではない。

 放射線の数値が少ない地域への強制的な避難指示に因って町を崩壊させたのも、未だに多くの被災者が帰還が困難なのも、全て当時の災害対策本部長であり総理大臣だった菅直人が元凶である。

 菅政権下でSPEEDIの隠蔽に対して責任を取ったのか。大津波での犠牲者と原発事故の収束を最優先にした為に追求されなかっただけのこと。そんな無責任極まる民主党の生き残りである野党が「隠蔽」などとはちゃんちゃら可笑しい。

 原発事故から暫く経ってからSPEEDIの数値を公表したが、発表が遅れたのは「原発周辺20キロ圏内」という科学的根拠の無い避難指示の正当化を謀ったからに他ならない。これこそが正しく「隠蔽」ではないか。

 福島の復興は愚か復旧をも阻害してるのは、SPEEDIの隠蔽に始まった科学的データを無視して実行した除染などの不作為が元凶である。PKO陸自部隊の日報隠蔽なんぞ、菅直人の策謀に比べれば屁の様なものだろう。

 国会の不毛の議論は平和を創出する為に命懸けで行ってる自衛隊員に対する冒涜であり、平和維持活動と雖も戦闘は起こるし、結果的に殺し合うことにもなる訳で、いい加減、机上論でのキレイゴトは止めるべきだ。

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2018年04月02日

「大衆の多くは無知で愚かである(ヒトラー)」のだから世論調査に意味はない(笑)

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 地元紙のトップ記事は、共同通信社が実施した全国緊急電話世論調査が載せられ「佐川証言 納得できず72%」「首相に責任65%」とのタイトルが躍る。内閣支持率は二週間前の世論調査より3.7%増えているが、不支持率を強調する。

 相変わらず安倍首相に決算文書改竄の責任があるかの様な世論誘導と言うべき内容で、明恵夫人の国会招致が必要という答えも60.7%に上る。

 この世論調査を受けた人は佐川前国税庁長官の証人喚問を自分の目で確認したとは到底思えないし、こうした世論調査に意味があるとも思えない。

 要は、マスコミによる反安倍キャンペーンが功を奏しているという証であり、原発問題を抱える県内の安倍内閣の不支持は62%に上る。

「証人喚問が事実解明に繋がっていない」と思う県民は74.9%と全国世論調査と比べても異常に高い数値を示している。これも地元紙の反安倍の主張を鵜呑みにしてる結果であり、県民の不見識の表れでもある。

「わたしも間違ってるが世間はもっと間違っている!」とはアドルフ・ヒトラー。ヒトラーは「大衆の多くは無知で愚かである」とも訓える。

 マスコミの垂れ流す偏狭な正義感に煽られる大衆が現在の有権者であり、その一票一票を集めて当選してるのだからバカしか当選しない。現在の政治家にバカが多いのは当然のことで、期待する方がバカだ。

 仮に動物の世界で喩えれば、数の多いのが当選するのは当たり前のこと。豚とか鼠とか、猫とか犬とか、要するに能力なんぞ二の次で、数さえあれば当選する仕組みが現在の選挙制度なのだ。

 本当に当選して貰いたい百獣の王であるライオンは、幾ら力があっても数が少ないから当選出来ない。虎や象、ゴリラでも同じことで当選は無理。少数派は所詮、少数派でありトップに立つことはない。

 力や能力のある者が当選出来ないのでは全うな政治が成されるとは思えないし、立派な政治家も育つことはない。政治を立派にしたいなら有権者がライオンや虎にならなきゃダメだが限りなく不可能というものだ。

 今は豚や鼠に選ばれたが政治家が偉そうにしているだけで豚は豚でしかない。つまり、民主主義というのはそういうものでもあるのだ。 

「主権在民」などというと聞こえはいいが、1億2000万分の1の主権では無いのと同じ。在る様に錯覚しているだけ。主権在民なんぞクソ喰らえだ。

 今のネットでの声は、それが犇めき合って、夫夫、豚や鼠や鶏がギャーギャーと鳴き声を張り上げているに過ぎず、結局は数の多い豚どもの世界になるより他は無い時代なのだ。

 国内を見渡せば、一番多いのが労働者と戦後民主主義にどっぷり漬かった高齢者。取分け労働組合なんぞ豚の集団だ。その労働者の支持を得ないことには政治家にはなれないのだから、まともなヤツが政治家を志すとも思えない。

 創価学会なんぞ養鶏場の鶏だ。飼い主の池田太作養鶏場の鶏肉なんぞ抗生物質満載の激安鶏肉に過ぎない。こんな身体に悪いブロイラーを有り難く食べてるのだから、安倍政権も体調を崩すのも近いだろうよ(笑)

 大衆迎合のポピュリズムと衆愚政治はこれからも続くだろう。そして行き着く処まで行かなけりゃ気が付くことも無い。そしてその時に維新という革命が起こるのだ。そう、歴史は常に繰り返されるものであるから。

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2018年04月01日

「四月馬鹿」、エイプリルフールに嘘を考えてみる(笑)

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 今日から卯月、朝まだきから身を清め、神饌を新しくし、畏くも陛下の弥栄を念じ、併せて心願成就を祈念する。

 今日は「四月馬鹿」、エイプリルフール、嘘を吐いてもいい日だと言われている。但し、午前中限定ですので御忘れなく(笑)

「嘘も方便」「嘘は世情の宝」ともいう。嘘というのは悪気のある嘘は詐欺だが、相手への思いやりが込められたものや、世間を和ませるものが好い。

「講釈師見て来た様な嘘を吐き」なんてのもあるし、「商人は損と求めて蔵を建て」とかいうのもある。

 商人というのは、口では「儲かりません」と言いながら大きな蔵(家)を建てるなんてのはよくある話し。

「紺屋(こうや)の明後日」という。紺屋(染物屋)というのは天候に左右されるので、仕上がりが不安定で、約束した期日は当てにならないという喩え。

 愚生の実家のラーメン屋で出前の催促が来ると「今、出ました」なんてよく言ってたが、アレと同じだ(笑)

 花魁の世界には「手練手管(てれんてくだ)」なんてのもある。今でいうとキャバ嬢やホステスら飲食店の従業員だろうか。

「手練」とは人を思うままに操り騙す技巧だが、スナックなどでホステスの嘘を勘違いして、ついつい熱くなるなんて、思い当たる節はありませんか(笑)

 嘘には好い嘘と悪い嘘がある。自分の為に吐く嘘は感心しないが、周りを安心させる様な、また和ませる「嘘」は吐いても差し支えはない。

 気の利く嘘も吐けないのはバカ正直。そんな輩は世間からは遠ざけられる傾向があるが、そんな馬鹿正直な人も最近はめっきり見かけなくなった。

 まぁ、何事も一面な見方や考え方ではなく本音や嘘に隠された真実や優しさを見抜くことが出来れば人生もっと面白い。

 釈迦牟尼は「地獄」「極楽」を創られ民衆の心に安らぎを与えた。キリストもまた「天国」への夢を誘って多くの人々を救ってきた。

「人は小さな嘘には騙されないが大きな嘘には騙される」とはアドルフ・ヒトラー。「地獄」「極楽」「天国」なんてのは大きな嘘の典型かもよ(笑)

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2018年03月31日

放送法第四条を撤廃すれば堂々と偏向報道出来るのに何故か反対(笑)

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 以前、総務大臣だった高市早苗が政治的に偏向したテレビ局に対し放送法第4条を例に上げ「(電波法76条に基づき)国は放送局に対して電波停止できる」との発言をしたところ、左翼マスコミ御用達のジャーナリストらから抗議された。

 田原総一郎や鳥越俊太郎、青木理、池上彰らテレビ朝日やTBSの番組常連の彼らは「言論の自由」を振り翳し「放送法第四条を撤廃しろ!」と抗議した。

 池上彰に至っては「まるで中国政府がやるようなことを平然と言ってのける大臣がいる。驚くべきことです。欧米の民主主義国なら政権がひっくり返ってしまいかねない発言です」と宣った。

 安倍政権を共産党一党独裁の中共に準え「欧米の民主主義なら政権がひっくり返る」とは嗤うしかないが、然もこうした発言に寛容な日本人はバカだとでも言いたいのだろうか、日本の民主主義が欧米よりも劣るとでも言うのか。

 こうした偏狭な自説を公然と垂れ流すことこそ弊害が多く、放送法第1項「公安及び善良な風俗を害しないこと」を侵害している。高市大臣は放送法並びに電波法に則って粛々と電波停止するべきだったと今でも思う。

 反対するマスコミやジャーナリストらは「知る権利」を翳し「現憲法の精神に反する」と国民を煽動するが、一体彼らの「知る権利」とは何なのだろう。

「知る権利」とはマスコミの知る「権利」ではなく、国民が真実を知る「権利」でなくてはならず、マスコミは知り得た情報を公平公正に国民に伝える役目を担っているに過ぎないが、それを忠実に実行しているとはとても思えない。

 マスコミに「知る権利」が在るなら国民もまた然り。だが、国民は、マスコミやジャーナリスト、或いは自称・有識者らが取り上げる胡散臭げな問題に一喜一憂するばかりで、自ら考えることを放棄してしまっているのが現状である。

 NHKや朝日新聞ら左翼メディアはGHQの「言論統制」という弾圧から未だ覚醒せず、自虐史観から脱却出来ずにいるそんなマスコミやジャーナリストが「知る権利」などとは痴しく「社会の木鐸」としての誇りなど微塵も感じない。

「木鐸」とは「世人に警告を発し、教え導くこと」にあるが、自虐史観にどっぷり漬かった彼らは贖罪意識から中韓に媚び諂い、現憲法を金科玉条の如く崇め奉り、我が国の国柄を崩壊させんが為に走狗と化してしまっている。

 憲法21条では確かに「報道の自由」が保証され、また放送法第1条第2項には「放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによって、放送による表現の自由を確保すること」と謳われているが、これは記者やジャーナリストらの礼儀を欠いた取材活動や報道を闇雲に保証するものでもない。

 同法第4条は第1項から第4項あり、第1項「公安及び善良な風俗を害しないこと」。第2項「政治的に公平であること」。第3項「報道は事実をまげないですること」。第4項「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」と記されている。

 NHKやテレビ朝日、朝日新聞らが「政治的に公平であること」「報道は事実をまげないですること」「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」を遵守していると思ってる国民は皆無だろう。

 こうした左翼メディアの偏向報道を放置してきた責任は偏に政府に在り、何の為の放送法であり電波法なのか、また、憲法で保証されてる「報道の自由」との兼ね合いはどうなのかという疑問が残る。

 そこで安倍政権ではこの放送法第4条を廃止しようとしてるのだが、何故か高市大臣の発言を論い「放送法第4条を撤廃しろ!」と言ってた連中が「安倍政権の放送法第4条廃止反対!」の声を上げているのは正に支離滅裂の極み。

 放送法第4条を撤廃すれば「政治的中立」をしなくても好いのに、低能ジャーナリストの面々が反対するとはコレ如何に(笑)

 こうしたことは「安倍政権下での憲法改正は反対!」というソレと同じで、要は生理的に合わない安倍のやることには何でもかんでも反対なのだ。ってか、愚生も安倍ちゃんのやろうとしてる改憲は間違ってると思ってます。呵呵大笑。

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2018年03月30日

プロ野球開幕。選手団の靖国神社参拝を熱望する!

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 プロ野球は今日開幕。その昔は、福島県内ではジャイアンツ戦しかテレビ中継しなかったし、熱烈的な長嶋茂雄ファンなのでどうしてもジャイアンツが気になってしまう。開幕戦の相手は阪神タイガース、伝統の一戦らしい試合を期待したい。

 野球が当たり前にやれなかった時代がある。先の大東亜戦争では、多くのプロ野球選手が大好きな野球も出来ずに尊い命を投げ出されていることを、プロ野球ファンならずとも国民は知っているだろうか。

 愛する野球をやれるという当たり前のことを再認識する為にもプロ野球選手団は、開幕前に靖國神社に参拝し、犠牲となられた先輩方に首を垂れ、顕彰することを熱望しているが未だ実現されることはない。

 参拝することで平和の尊さと、野球がやれる有難さを実感すれば選手としての思いもまた違ってくるだろうし、プロ野球人気も高まるだろう。

 だが、今年、宮崎キャンプインの際に恒例だった宮崎神宮への参拝を個人の信仰の自由を優先して取り止めたことでも分かる様に、靖国神社参拝は困難を極めるだろう。だが、靖国神社には多くのプロ野球選手が祀られているのだ。

 先の大戦で亡くなられたプロ野球選手は、我々が想像している以上に多く、試合の途中で出征した方や、幾度かの戦火を潜り抜けて帰還し、再び出征して終には戦場に斃れた方など、実に69名もおられる。

 中でも有名なのは、東京巨人軍(読売ジャイアンツ)の澤村榮治投手だろう。澤村投手がどんなに凄い選手かは説明するまでもないが、年間最優秀投手に与えられる「沢村賞」はプロ野球選手の最高の名誉である。

 澤村榮治は野球だけではなく、普段の何事に対しても真摯な態度で挑む人で、実に立派な方だったという。「巨人軍の選手たるもの紳士たれ」というのは澤村選手を見習ってのことだろうと思っている。

 背番号「14」は永久欠番となっているが、ベーブルースを三振にしたくらいで永久欠番になる訳はなく、プロ野球選手として志し半ばで出征し、異国の地で散華されたその崇高な精神を忘れない為のものである。

 名古屋軍(現・中日ドラゴンズ)の石丸進一投手と朝日軍(現・横浜DeNA)の渡邉静内野手は、特攻作戦で散華されている。

 石丸投手は鹿児島県の海軍鹿屋基地から出撃の直前、最後のキャッチボールをして飛び立っていったという。どんな思いでキャッチボールをされたのか、これこそが渾身の悩みであり、その心中を察するに余りある。

 渡邉静選手も鹿屋基地から沖縄へ出撃した。夢見て憧れて入団したプロ野球人生での打席はたった二度しかない。戦争が悲しい現実を彼に与えてしまった。さぞ心残りだったろうが、未来を後輩に託して散華されたのだ。

 彼らは野球への情熱を「特攻」というカタチで尊い命を捧げ、沖縄を、そして祖国日本を死守すべく散華された。プロ野球選手団はそれに応える意味でも開幕前に靖国神社に参拝し、先人の御霊に感謝の誠を捧げるべきだと思う。

 自らの命を犠牲にすることで、国や家族、愛するものを守るという彼らの至高の精神を、今を生きる我々は決して忘れてはならない。

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2018年03月29日

敷島の 大和心を人問わば 朝日に匂う 山桜花(本居宣長)

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「敷島の 大和心を人問わば 朝日に匂う 山桜花」、桜花咲き匂うこの季節、日本人として生まれた悦びを自覚する一瞬でもある。

 愚生は団体は辞したが正統な右翼人だと思っている。右翼浪人とカッコ付けてはいるが、単なる無職、放蕩右翼と言った方が好いだろうか。右翼活動家を自任してはいるが、自分を愛国者だと思ったこともない(笑)

 右翼現役時代、街宣をする時も他団体の様に「我々は愛国者団体の○○であります」などではなく「自由・民族・平和を守る・防共挺身隊であります」というフレーズを好んで使っていた。

 右翼は愛国者ではない、行動によって世論に警鐘を促す単なる行為者であって、将棋でいうところの「歩」の様なものだ。その駒を扱う人によっては「と金」には成れるが精々そこまで。

「王将」になるべきはその駒を動かす思想家だろう。だがそうした思想家はおらず、右翼の先細りはこうしたことも原因である。

 困ったことに右翼人の多くは幹部になればなるほど、自分が恰も思想家や坂本龍馬にでもなったかと勘違いしてる。先生方の理論を見聞きしても所詮は先人の請け売りでしかなく、魂の籠っていない二番煎じでは心に響くものもない。

 最近の安っぽい愛国ブームも同じ様なもので日の丸を掲げただけで、或いは靖國神社に参拝しただけで愛国者や愛国心だと履き違えている。

 8月15日を「終戦記念日」だとして靖國に参集し遺族を押し退けて参道を闊歩する。だが、8月15日は終戦の勅諭が奉じられた日であって「終戦記念日」との名称はGHQによる戦後民主主義教育の洗脳の最たるものである。

 終戦の意味も理解することなく、8月15日にナンチャッテ右翼や自称愛国者らが靖國神社へ集結し、哀悼の意を表し、参拝をSNSで自慢する。

「哀悼」とか「追悼」とは、死者の生前を偲び、その死を悼み悲しむことである。靖國神社は英霊の追悼施設ではなく、英霊の顕彰を重んじている社であることを理解していないからこんな勘違いが罷り通る。

 8月15に靖國参拝することが然も愛国者として当然の様になってるが、これ正に無知と目立ちたがり屋の軽挙妄動と言わざるを得ず、そうした行動が愛国ということ自体を毀損していることに気付いていない。

 ネットでは如何にも「愛国的」な言葉に歓喜し、懐古的なフレーズを称え賛同するが、単なる営業右翼に煽られて利用されているに過ぎない。

 その結果というか反動が、所謂「ネット右翼」を始めとした愛国ブームだろうし、「日本会議」などの保守ブームなのだろう。

「国家という概念は今日、明白な内容を持っていない。だから軽薄な愛国教育しかできないのだ」とは、アドルフ・ヒトラー。

 三島由紀夫も「日本の様な国には愛国心などという言葉はそぐはないのではないか。大和魂で十分ではないか」と教える。

「大和魂(大和心)」とは、花鳥風月、山川草木、春夏秋冬の恵まれた自然に逆らわず調和して暮す従順な心であり、国学者・本居宣長が詠んだ「敷島の 大和心を人問わば 朝日に匂う 山桜花」、これに極まれり。

 愛国心というのは他人が教えて育めるものでは無い。行動の伴わない道徳教育も意味がなく、教育勅語を諳んじたところで徳目を実践しなければ空念仏と同じ。そんな偏狭な愛国心より、日本人の心の奥底に棲む大和心こそ涵養すべし。

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2018年03月28日

「国民の期待に応えてくれるでしょう」から一転して「国民の期待を裏切る様な証言」だ。(by 辻本清美)

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 野党は、決裁文書の改竄や土地の値引きにに安倍首相や官邸、明恵夫人らの関与があったことを決定付ける為に、佐川前国税庁長官を証人喚問に呼び付け関与を裏付けたかったのだろうが、証人にきっぱりと否定された。

 新聞一面のタイトルは如何にも文書改竄の経緯を「証言拒否」したと事実解明には程遠いとの内容になっているが、証言拒否は議院証言法で認められた権利でもある。その権利も認めないのか。金子委員長も証言拒否は認めているではないか。

「官邸に報告せず、財務省理財局の独断で行った」と述べてることからも、自分も刑事訴追される可能性もあり証言拒否するのは当然のこと。

 この証人喚問で安倍首相や明恵夫人らの濡れ衣は晴れたと思うのが普通だが、どうもアホ野党や売国マスコミは頭の中の構造がチト違う様だ。

 立憲民政党の陳(福山)哲郎は「文書改竄の経緯に関する答弁を全て避けた。誠実さの欠片も感じられず、疑惑は深まった」と避難してるが、疑惑は安倍や官邸の関与ではなかったのか。言うなら「理財局への疑惑が深まった」だろう。

 況してや「誠実さの欠片もない」のは野党ではないのか。当初、野党は佐川前長官に秋波を送っていたが、証言で安倍首相や官邸の関与を否定されると豹変して佐川証人を詰り捲くった。誠実さも礼節さも決定的に欠落しているのは野党だ。

 辻本清美に至っては「国民の期待に応えてくれるでしょう」との前言を翻して、「国民の期待を裏切る様な証言だ」と断じたが、愚生からすれば佐川氏は「良識ある国民の期待に応えた」と思う(笑)

 己らの偏狭な主義主張が国民の期待だと思っているのだとしたら自惚れも甚だしいし、辻元が「国民」という言葉を使うと違和感を覚える。それを言うなら「国民」ではなく「自分の」とか「市民の」だろう(笑)

「安倍明恵夫人の関与はなかったという根拠は?」という自由党の森ゆうこや共産党の志位和夫。「籠池氏はこう言いましたよ」という福島瑞穂や「全く納得出来ない」という小沢一郎の頭の中の構造はどうなってるのだろう。

 証人への礼節に乏しくアジるだけアジって質問を終わった共産党の小池晃は、質問の中身は無いが如何にも佐川前長官や安倍明恵夫人への悪いイメージを植え付けた。流石はアジテーションが得意の共産党幹部だけのことはある(笑)

 偽証罪などに問われる証人喚問で佐川前長官が誠実に答えようがアホ野党は「籠池氏の発言こそが真実」として耳を疑わない。安倍夫妻どころか昭和天皇をも愛国ビジネスに利用した詐欺師とアホ野党は似た者同士(笑)

「佐川証人、証言拒否56回」との新聞の見出しを見ても分かる様に、今後は証言拒否を前面に出して「疑惑が深まった」と更なる追及をする構えだが、これ以上続ければ安倍の支持率は回復し、野党らは国民から総すかんだろうよ。

 国益無視の政争を繰り返すばかりの今の国会は税金の無駄遣いそのもの。国会開催一日当たりの費用は約4億円。森友問題は既に1年2ヶ月以上も議論されているが、これだけでも数千億円の血税が無駄に使われたということだ。

 国会議員には歳費として年間約2300万円、文書交通費約1200万円、公設秘書の給料や議員会館、議員宿舎など年間1億円以上の国費が計上されている。

 これ以外に政党交付(政党助成)金として国民一人当たり約250円。年間総額約320億円。国会議員一人当たりにすると約5000万円。細川政権下で「政党助成法」が成立して以来、既に数兆円が国会議員の為に使われているのだ。

 細川は「ドイツでは国民がカネを出し合って政党を援助している。政治家がカネ集めに奔走しなくて済むし、何よりクリーンな政治を実現出来る」とドイツの事例を挙げて国民を説得させる演説を行った。

 政党助成法の成立で企業献金や政治資金パーティーは無くなり、政治家は国家国民の為に汗してくれるものと国民の誰もが思ったが、企業献金、個人献金、政経パーティーは無くならず相変わらず金策に狂奔し政争を繰り返している。

 これでは国民に対する「政党交付金詐欺」ではないのか。詐欺師の籠池とどっこいどっこい、否、それ以上に悪質だ。国会議員は己らの強欲さを羞じ、国民から詐取してる政党交付金を即刻返納しろっての(爆)

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2018年03月27日

民主主義の本質は国民目線に立つことではないし、大衆に媚びることでもない

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「熱狂した大衆だけが操縦可能である」とはアドルフ・ヒトラー。一億総評論家時代と言われて久しいが、森友学園騒動はその典型。自分で考えることを放棄したマスコミに煽られた大衆が大騒ぎしている。

 マスコミは国民の安直な正義感に迎合し、上から目線で「自分達の主張こそが正義である」と居丈高に振り翳して国民を煽動し続けているが、そこに社会の木鐸としての正義や公正さはない。単なる営利主義とサラリーマン思考。

 反権力を勘違いして何でも腐すマスコミとそれに便乗する民衆。安倍首相もまたマスコミに煽られた国民の視線を気にして、それ故に身の潔白を強調しているが、これぞ正しく大衆迎合主義そのもの。

 ワイドショーに煽られた平均的意見が国民目線らしいが、その平均値が正しいとは限らない。安倍も政治の王道を目指すのであればそんな雑音を気にしてどうなるというのか。国家のリーダーは強固な意思を持つべきである。

 安倍も明恵夫人も関与していないのは明らかなのに、野党はそれを理解することなく倒閣運動に利用し、安倍も関与を否定はするが中途半端で余計に誤解を招いている。マスコミに煽られた国民の声を受け入れてどうなるというのだ。

 民主主義の本質は国民目線に立つことではないし大衆に媚びることでもない。況してや平均的な国民を創るこもではない。民主主義の根本は多数決だが、数の多い意見が正しいとも限らない。

 先の対戦前、多くの国民は朝日新聞を始めとした好戦派の主張に賛同し神州不滅を信じた。「戦争反対」などと言うものなら「非国民」と罵られ、憲兵にひっぱられ酷い目に遭わされた。戦後は朝日新聞を筆頭に多くが掌を返した。

 いつの世も大衆の多くは無知で愚かであり、大衆というのは実に操縦し易く、そういう認識故に世論操作が行われるのだが、そういう意味では国民意識というのは戦前から何も進歩もしていない。

 政治が国民目線に立った時、必ず国は滅ぶというのは世の常。何故なら、国民の判断力は古今東西常に低く、その意見も時代に流され、大衆に流され、実に幼稚で気紛れなものだからだ。

 政治とは、国家観を重んじながら、国民目線とかけ離れた歴史観、人間観、世界観、時には高度な権謀術数を必要とするものなのだ。

 書き換えた決裁文書の報告書を読めば、近畿財務局が無理難題を嗾ける籠池の不当要求を撥ね退けたという経緯が分かる。

 国会の答弁と辻褄を合わす為に余計な文言を近畿財務局が削除したということで、これを民主主義の否定とは些か本質から飛躍し過ぎだろう。

 売国マスコミの垂れ流す記事も詐欺罪で拘留中の籠池も国家国民を騙そうとする点では同列であり、こうした嘘に踊らされる国会こそが危機管理能力の欠落。正に民主主義とは衆愚政治であることを痛感する。

 こんなことで安倍政権が崩壊するとは思えないが、森友問題騒動での国会機能の麻痺に因って国益を害しているのは確かだろう。近隣情勢が緊迫する中で万が一にも国家崩壊を招く様なことがあってはならない。

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2018年03月26日

「聞くは一時の恥、聞かぬは末代の恥」というが

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 哲学者・西晋一郎は「教えるとは実に教えられることである」と教える。読んだり、聞いたり、書いたりしたものを実際に他人に教えることで、自分に足らないものを発見したり学んだりするものだ。

 子育ての中で子供に学び共に成長していく。教諭が生徒に教えられることもあるだろう。「教えるとは実に教えられることである」とは正にそれ。

 SNSなどでもアップした記事へ反論や批判に応じることで、新たな発見や理論の形成と自分自身の向上にも繋がるということも少なくなく、意見の対立しがちなSNSと雖も、持ちつ持たれつの関係が成り立っている。

「聞くは一時の恥、聞かぬは末代の恥」という。だが、分からないからと直ぐに「分かりません」「分からない」を連発するヤツというのは、説明してやってもその場では頷くが理解出来ていない場合が多く時間の無駄だ。

 説明を聞く側も自分で調べた上で「分からない」ことを聞けば好いが、その基本的なことさえも備わっていないのに安易に聞いてくる。

 後輩や門下生にもいるが、こっちが話しているのに「分からない」と話の鼻を折るから先に進めない。その場で説明してやっても愛想よく返事するばかりで碌々理解していない。分からないならメモを取り、後で自分で調べれば好いこと。

「分からない」とは稚児だけに許された言葉で、本来は大人が使う言葉ではないのだが、今では恥ずかしくもなく「ワカンナイ」を連発している。

「三つ心、六つしつけ、九つ言葉、十二文、十五理で末決まる」という金言がある。先達はこうした養育法を実践した。

 昔の寺子屋は三歳入学。それまでに親は愛情を注ぎつつ、心を自覚させることに重点を置いて育てることを意識した。

 六歳くらいになると善悪の判断を知る年齢になる。そこで「躾」が必要となって来る。躾とは「仕付け」とも書くが、着物を縫う時に仮縫いが大事な様に、幼少期の仮縫いは親としての大事な務めでもある。

 九歳までには言葉や挨拶の重要さを教え、十二歳になる頃には文章も書ける様にならなくてはならない。

 十五歳になれば昔の元服であり、立派な大人の仲間入り。そこで「理(ことわり)」を理解しなくてはならない。「理」とは道理であり、条理であり、つまりは当たり前な事であり、生きて行く上での常識である。

 我が国は性善説で成り立っているが、それは三歳頃までの親からの愛情や幼少期の躾、学校での学習と社会全体での「理」を教える環境が整っていなければならない。だが、現代の日本人に性善説など通用するとは思えない。

「親」と「学校」と「社会」の三つのどれが欠けても教育上は好ましくはない。この三つのバランスが大事なのである。

 親や教諭が厳しくすれば体罰だと大騒ぎ。会社の上司や同僚に恵まれず、社長は社稷を重んじることなく金儲けに狂奔するばかり。

 そういう意味では親からも学校からも社会からも厳しく育てられていない現代の若者というのは現代教育の犠牲者と言えなくもない。

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