2020年01月01日

「君国に忠」「親に孝」なるは最も現実なる道徳である

 令和2年、皇紀2680年の年頭に当り、謹んで陛下と皇室の弥栄を寿ぎ奉り、併而、御支援頂いている皆々様方の御隆昌と御健康を祈念申し上げます。

 愚生の好きな哲学者・西晋一郎は「わが民族の将来と国家の前途を思うは人間の最も真剣なる感情であり、君国に忠、親に孝なるは最も現実なる道徳である。之を離れては人類愛も世界的正義も空想に過ぎない」と訓える。

 心ある日本国民ならば祖国日本を憂い、心中密かに期するものがあるだろう。それは一体何か、何であらねばならないのか。これを一言にして表現するならば、天皇国日本の真姿開顕に奮励前進、捨身奉公するということに尽きよう。

 皇祖天照大御神が「豊葦原の千五百秋の瑞穂国は、是れ吾が子孫の王たるべき地なり、宜しく爾皇孫就いて治せ、行矣。宝祚の隆えまさむこと、当に天壌と窮り無けむ」と垂示し給う御神勅を心魂に刻んで奉拝するのは日本人の務め。

 明治二十二年二月十一日の紀元節の折、明治天皇は大日本帝国憲法施行の際に下し給える憲法発布勅語の中で、こう思召し遊ばされた。

「惟フニ我カ祖我カ宗ハ我カ臣民祖先ノ協力輔翼ニ倚リ我カ帝国ヲ肇造シ以テ無窮ニ垂レタリ此レ我カ神聖ナル祖宗ノ威徳ト並ニ臣民ノ忠実勇武ニシテ国ヲ愛シ公ニ殉ヒ以テ此ノ光輝アル国史ノ成跡ヲ貽シタルナリ」

 この御神勅こそが正に天孫降臨の御神勅の精神の継承である。

 欽定憲法に「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」と在る様に我が国は「天皇国日本」であり、これこそが日本国民たるものとして肝に銘じ、忘れてはならない万古不磨の大原理大原則であることを知るべきなのだ。

 後醍醐天皇に仕えた北畠親房卿は「皇統正統記」の冒頭、「大日本者神国也。天祖はじめて基をひらき、日神ながく統を傳へ給ふ。我國のみ此事あり。異朝には其たぐひ なし。此故に神國と云ふ也。神明の皇統を傳へ給へる國也」と訓えた。

 これもまた天照大御神の御神勅と同じく日本国民が矜持すべき信念であり、日本人としての信仰であらねばならないと断言して憚らない。

 この日本民族の精神と道統を受け継ぎ、これを護持し、これを宣布し、そして子孫に伝えるところの責任と使命を有する者は、今を生きる我ら日本人であることは言うを待たないところであろう。

 然るに、この万邦無比の国體、尊厳崇高なる祖国日本の歴史と道統に目を覆い、西洋物質文明に被れ、或いは共産主義反逆思想に随喜して、日本人の本質を自ら喪失し、無機質な人種が増殖する傾向は由々しき一大事と言わざるを得ない。

 本居宣長は自著「うひ山ふみ」の中で、「やまと魂だによく堅固(かた)まりて、動くことなければ、昼夜からぶみをのみよむといへども、かれに惑はされるうれひはなきなり」と教示している。

「からぶみ」とは、今風に言えば「洋風かぶれ」ということだが、多くの国民も悲しい哉、「やまと魂だによく堅固まりて」どころではなく、民主主義に溺れ、欧米の価値観を盲信し、まやかしの平和を謳歌している。

 未だ米国の占領政策の洗脳から目覚めることなく、米国や中共の走狗となった不逞の徒輩により大和魂の基盤そのものが逐次掘削されてしまった。

 政治家は「国防」や「教育」といった国家の大本を忘却し、経済至上主義の悪影響から国民は堕落し、国家は米国の傀儡の様相を呈している。

 この迫り来る祖国日本の危機に対処し、天皇国日本を盤石の安きに置く使命を有するものは我ら日本人であり、右翼で在らなばならない。正にその存在の意義を示す神機は近付きつつあるのだ。さあ、それに備え遺憾無きを期そうではないか。

 念頭に当り、右翼浪人として、そして一維新者として、貧すと雖も志士の覚悟を忘れることなく草莽の道を歩んで往こうと思っておりますれば、本年も何卒御付き合いの程宜しく御願い申し上げます。すめらぎいやさか。

 皇紀2680年 令和2年 歳旦 佐久間五郎拝

※コメントは会員のみにさせて頂いておりますが、コメント入力希望の方はパスワードを教えますのでmr.cordial@live.jpへ御気軽にメールを寄せられたい。

《会費&御支援》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ

cordial8317 at 07:07|PermalinkComments(0)

2019年12月30日

憲法九条より第一章「天皇」の条項こそ見直さなければならない

 今年は天下の悪法である退位特例法案に基き天皇の退位が謀られ、令和元年に改められた。天皇の大権である元号制定権をも簒奪した安倍政権だが、相変わらず野党のオウンゴール的為体もあって支持率は高く、インチキ保守が迎合する。

 憲法以前の御存在であらされる天皇を現憲法で語り、現憲法との整合性ばかりを優先し天皇の祭祀を軽んずる安倍政権。何故に左翼陣営と対峙し、天皇の御存在や天皇が重んずるべき祭祀を理由に憲法改正の狼煙を上げないのだろう。

 安倍は白々しくも「戦後レジームからの脱却」を訴える。占領下で謀られた様々な弱体化政策を見直すことが「戦後レジームからの脱却」であるなら、天皇の御存在、つまりは国體を明徴にすべきなのは言うまでもない。

 戦後レジームの最大の問題は天皇の御存在を軽々しくしたGHQの策謀に在る。国體と皇統破壊を目指して創られた現憲法で天皇の存在を語ること自体が大間違いであるが、九条改正こそ絶対とする安倍に国體明徴の意識なんぞ皆無だ。

 現皇室典範はGHQにより改悪され、現憲法には天皇が優先されるべき祭祀や大嘗祭の規定は存在しない。大嘗祭は皇室の私的行事となり、先日斎行された大嘗祭に対しても左翼陣営から告発され違憲裁判が行われるのは避けられない。

 現憲法と現皇室典範こそ国體破壊の元凶であり、現皇室典範も現憲法も旧皇室典範と欽定憲法に復元改正し陛下に奉還すべきは国民の義務でもある。

 憲法九条改正を図り、更なる憲法の従順化を謀ろうとしている安倍政権。まやかしの改憲に保守派が迎合するが、退位特例法案に基く一連の動きは皇統断絶の一里塚であり、安倍こそ天皇廃止論者に与する究極の護憲派である。

「女性天皇」や「女系天皇」の流れも退位法案と同じく食い止めるのは難しい。「万機公論に決すべし」ではないが、世論調査では「男女平等社会の時代」という認識から女性天皇と女系天皇を支持する人が大勢を占めている。

 保守を標榜する自民党だが、二階幹事長や石破茂を見るまでもなく「女性だからダメというのは如何なものか」との声が上がる。男女平等と伝統文化の継承を同列に考えてる自体が大衆迎合であり、政治の劣化の極みである。

 こうした意見に保守派は、皇位継承を安定させる策として臣籍降下させられた旧皇族の皇籍復帰を提言している。秋篠宮皇嗣殿下と悠仁親王の皇位継承が確実なのに、何故にこうした不敬な議論が罷り通るのか。

 反天皇運動を展開する共産主義者らは秋篠宮皇嗣殿下と悠仁親王殿下への皇位継承を阻止し愛子内親王を天皇に即位させ、女系天皇を成立させることで皇統断絶を謀る。保守派は単に「神武天皇の血筋」という男系男子に固執する。

 国民の多くは、天皇を単なる諸外国の王室の様な象徴としての存在としか思っていない。現憲法では、天皇が本来行うべき祭祀は否定され、第一章「天皇」条項に明記されている国事行為のみを行う存在でしかない。

「女性天皇」や「女系天皇」に反対し、皇統を万全の安きに置くのは「旧皇族の皇籍復帰」が最も望ましいが、それよりも大事な事は、天皇とは神道に於ける祈りの存在であるということを周知していくことだと思う。

 憲法以前の御存在であらされる天皇が、皇統断絶を謀る為に制定された憲法の下で論じられていることが抑々の間違い。現憲法が存在する限り、悲しい哉、天皇は憲法に明記されてる国事行為を忠実に遂行する傀儡でしかないのだ。

 安倍首相やその周辺の営業保守派やインチキ右翼が憲法九条改正に躍起だが、国防とは領土主権だけではない。三島由紀夫は「国防とは、それを失えば日本では無くなってしまうことを護ること」と訓えた。

 畢竟、何より皇統を死守することこそ肝要であり、憲法九条より、第一章「天皇」の条項こそ議論し、喫緊に見直さなければならない。

※コメントは会員のみにさせて頂いておりますが、コメント入力希望の方はパスワードを教えますのでmr.cordial@live.jpへ御気軽にメールを寄せられたい。

《会費&御支援》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ

cordial8317 at 06:11|PermalinkComments(0)

2019年12月28日

死刑執行は刑事訴訟法に基づき粛々と行うべし!

 平成15(2003)年に起きた「福岡市一家4人殺害事件」で、強盗殺人や死体遺棄などの罪に問われた中国人の元専門学校生・魏巍の死刑を執行した。

 平成15年6月20日、福岡県博多湾で4人の遺体が発見された。遺体には首を絞められた跡があり、捜査の結果4人の遺体は近くに住む男性と妻と子供2人と判明した。 目撃証言と防犯カメラの映像から3人の容疑者が割り出された。

 魏巍死刑囚の他2名は中国に逃亡するも逮捕され、死刑判決と無期懲役に処せられている。死刑となった主犯格の男は事件から2年後、判決から半年後に死刑執行されている。それに比べても事件から16年も経っての死刑執行は遅過ぎる。

 刑事訴訟法では、死刑確定から6ヵ月以内の執行を定めており、何れも6ヶ月以内に検察庁が法務大臣に「死刑執行上申書」を提出し、規定通り押印し、「法相の命令から5日以内に執行されなければならない」と定められている。

 法務大臣の心情なんぞ関係なし、法務大臣の任を享けたなら職務を遂行するべきで、死刑執行も出来ないのなら法務大臣の就任は拒否するべき。死刑執行の覚悟も無く大臣なら何でも頂いておこうという気持ちが浅ましい。

 我が国の死刑制度は「仇討ち禁止令」や「決闘禁止」に代わるものとして成立したものでもある。明治6年2月、司法卿であった江藤新平が「復讐禁止令(仇討ち禁止令。太政官布告第37号)」を発令した。

 幕末から維新期の派閥、政論の対立による暗殺とその報復という面があったところから、この種の紛争を断ち切る為のが目的だった。明治22年には「決闘罪ニ関スル法令」も発布され、敵討ちや復讐は禁じられた。

 主君や親兄弟などを殺した者を討ち取って恨みを晴らすことは、日本人の美意識の顕れともいえる。江戸時代には武士階級の慣習として公認され「敵討ち」と認められれば罪に問われなかったばかりか、それは美化され大衆の支持を得た。

 現代でも「死刑制度」を容認する国民が80%以上もいるのは、国が遺族に代わって遺恨を晴らして欲しいという気持ちの顕れに他ならない。

 死刑廃止論者は、「国際人権基準」がどうのだとか「非人道的」だとか「生きる権利の侵害」「死刑囚の資料を精査する十分な時間があったとは思えない」とかばかりで、被害者側に立った意見は殆ど聞くことはない。

「死刑廃止は今や世界の大勢で日本もそうすべき」という意見は少なくない。今回の死刑執行でも抗議が相次ぎ、フランス大使館も抗議声明を出した。フランス大使館は主犯格の死刑を執行した中共へ抗議したのだろうか?

 死刑廃止の理由として挙げられる理由は「冤罪の疑い」や「法により国が人を殺す事は罪悪で人道に反する」「死刑には期待する程犯罪防止効果は無い」「人間は善を行うべき道徳的本性を先天的に具有しているのだ」など様々だ。

「冤罪」は、袴田事件を見るまでもなく確かに有り得なくはないが、それは警察捜査の傲慢さと科学捜査の正確さが乏しい時代のものが殆どで、そういう疑いのある事件は再審対象にすれば好いだけの話し。

「人道に反する」とは、「人を裁けるのは神のみだ」というキリスト教的欧州思考に冒されているもので、そんなものに与する方が大きな間違い。

 左翼人士や人権派弁護士などにも、こうした主張をする人を見かけるが、日頃、反米を唱えながら、また共産主義者であり無神論者でありながら、都合の好い部分は米国でもキリスト教でも利用しようというのはホント逞しい(苦笑)

 残虐な犯行をした者が、死刑廃止で国法により生命を保証されるというのも如何なものか。況してや再審請求を利用して執行停止を謀るなど姑息過ぎる。「生」に拘るより、「死」を以て償うべきだと思うのは愚生だけではあるまい。

 抑抑、前述した通り、我が国の死刑制度は被害者遺族に代わり国が仇討ちする意味合いがある。仇討ちを合法化するなら兎も角、終身刑を導入したところで被害者の感情は薄れることは無いし、犯罪が減るとも思えない。

「社会は肉体の安全を保障するが、魂の安全は保証しない」と言ったのは三島由紀夫。大事にしなければならないものは肉体より魂、精神性である。

 死生観の違いといえばそれまでだが、残虐な犯行をした者が、死刑廃止で国法により生命を保証され、のうのうと生きてるというのも如何なものか。

「死刑」は他人を犠牲にした犯罪への相当の審判であり、無駄に生き長らえて来た人生にピリオドを打つ為の優しさでもあり、死刑制度とは死刑囚への大慈悲である。法務大臣は私感を抜きに刑事訴訟法に基いて粛々と執行すべし。

※コメントは会員のみにさせて頂いておりますが、コメント入力希望の方はパスワードを教えますのでmr.cordial@live.jpへ御連絡下さい。

<御支援の御願い>みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ

cordial8317 at 06:22|PermalinkComments(0)

2019年12月23日

我が国には「A級戦犯」「B・C級戦犯」「戦争犯罪人」はいない

 本日は上皇陛下の御生誕日。謹んで陛下の弥栄と長久を祈念申し上げます。また12月23日は所謂「A級戦犯」として処刑された方々の命日でもある。

 GHQは当時の皇太子生誕の日を選び処刑を行った。日本人には未来永劫に亘り、戦争犯罪という贖罪意識を持たせる為に敢えてこの日を選んだのだ。こうしたことでも米英を始めとした連合国が如何に非情かが解るだろう。

 我が国には「A級戦犯」「B・C級戦犯」「戦争犯罪人」はいない。第十六国会の議決により「戦傷病者戦没者遺族援護法」が改正され、それを以て法的に復権されている。由って国民が「戦犯」と呼称することは愚かなことだ。

 連合国側が定めたA(class-A war criminal)、B、C級の区分に関係なく、刑死、獄中死された方々は「法務死」、靖國神社では「昭和殉難者」としている。

 所謂「A級戦犯」として処刑された方は東条英機、土肥原賢二、板垣征四郎、木村兵太郎、松井石根、武藤章、広田弘毅の7名。所謂「B・C級戦犯」は1068名。凄惨なリンチに等しいもので亡くなった方など約100名いる。

 戦勝国に因る見せしめとして行われた極東軍事裁判に於いて、弁護する機会も碌々与えられず、一審即結審という復讐という名の茶番劇で、或いは外国の地で不当に処刑されたこの方々の命は決して軽いものではない。

 敢えて反論もせず運命を諒とし、命を以て日本への罪を償ってくれたのだ。今を生きる我々は、英霊の方々への恩とその悲劇を決して忘れてはならない。

 極東軍事裁判で、パル判事は「裁判の方向性が予め決定づけられており、判決ありきの茶番劇である」との主旨でこの裁判そのものを批判した。

「国際法の原理に基づきこの法廷で日本を裁く権利は無い」
「日本の戦争を一方的な侵略戦争とは断定できない」
「真珠湾攻撃以前の案件を扱うことは事後法となり、管轄権を侵害している」
「非戦闘員の生命財産の侵害が戦争犯罪となるならば、日本への原子爆弾投下を決定した者こそを裁くべきであろう」
「各被告は全ての起訴状中の各起訴事実部につき無罪とされなければならない」

 パル判事のこうした公正な意見は連合国側に忙殺された。だが、判決から2年半後、米国軍事委員会でマッカーサーが「彼ら(日本)が戦争に入った目的は、主として自衛の為に余儀なくされたものだ」と証言したのだ。

 極東軍事裁判は連合国最高司令官の権限に基づいて行われたものだが、その責任者が公的な場で日本の正当性を認めたことは重い。

 大東亜戦争を「侵略戦争」であるとか「アジアの人々に多大の迷惑を掛けた」と罵り、戦争の原因を天皇や軍部、そしてA級戦犯であるなどと喧伝しているのは無知に加え、大戦の原因や犯人を隠し続けたいからに他ならない。

 我が国の政治家は安倍首相を筆頭に「歴史は歴史家に任せる」という。だが、歴史の問題は一国の存亡に係わる大事である。その歴史家が偏狭な歴史認識の持ち主ならどうするのか。歴史が捏造された儘で国が存続出来るのか。

 戦後、近代史、特に大東亜戦争に至る経緯とその後の検証を怠ったのは、経済復興や景気対策と社会保障といった目先のことばかりが優先され、中韓からの要らぬ抗議を避ける為に謝罪や譲歩を続けていたのが大きな要因である。

 如何なる国家も国民も、その国家の為に殉じた人々に対して敬意を払う権利と義務があるのは言うまでもない。国家の危機の要請に応じ、敢然と戦場に赴いて戦い散って逝った英霊に対し、感謝の誠を捧げることは当然のこと。

 悲しい哉、靖國神社の在り様を思う時、我が国の政治家らが国家に殉じた英霊に敬意を示さない姿は情けなく恥ずかしい。政治家のこうした姿が、どれだけ国民精神の頽廃を招いていることか政治家どもは省みたこともあるまい。

 愛国心の欠落と国防意識の低下。高邁な精神は欠落し、日本国民としての誇りや自信の喪失。子殺しや親殺しなどの自己本位の犯罪等々、現在の我が国の社会に蔓延する諸問題の全ては国家に殉じた方々への感謝の欠落に起因する。

 何度も言うが、我国には「戦犯」など存在しない。

 マスコミや政治家、国民までもが「戦犯」という蔑称を使っていることに違和感どころか怒りを覚える。本日ここに、英霊への戦犯との汚名を雪ぐと共に御霊の安らかならんことを祈る。すめらぎいやさか すめらみこといやさか。

「東条英機の遺言書」http://cordial8317.livedoor.blog/archives/52044601.html

※コメントは会員のみにさせて頂いております。コメント入力希望の方はパスワードを教えますので mr.cordial@live.jpへ御気軽にメールを!

cordial8317 at 06:19|PermalinkComments(0)

2019年12月21日

伊藤詩織と山口敬之のバトルが面白いので第二弾(笑)

「据え膳食わぬは男の恥」とばかりにやっちゃった、たった一発の中田氏で330万円の賠償命令が出された山口敬之。外国人記者クラブで会見に応じ、裁判への不満と自分の正当性を訴えた。驚くのはその場に伊藤詩織が参加していたことだ。

 伊藤ってのはレイプされてその怖さからPTSD(心的外傷後ストレス障害)になったんじゃなかったっけ。そんな精神的に滅入ってる女が乱入してくるというのも何だかなぁ。PTSDの患者が、加害者と同じ空気を吸っている不思議(笑)

 PTSDよりジャーナリストとしての思いが強いとすれば、ジャーナリストの鑑だな。つ~か、PTSDには大麻治療が効果的だというし、PTSDでアルコール依存症になるより大麻の方が好いかもよ。医療大麻なら合法だし逮捕されないし(笑)

 伊藤の「Black Box」や、山口の「月間Hanada」を読んではみたが互いの都合の好い部分しか語ってないが、どちらかといえば山口の方が理に適ってる様に感じる。というのも、伊藤は日本を貶める発言をしてるというのもあるからか。

 山口の友人でもある文藝評論家の小川榮太郎の「月間Hanadaプラス」の記事、「性被害者を侮辱した『伊藤詩織』の正体」という論文が中々面白い。山口が語っていない重要な部分や真相を友人の視点で掘り下げて論じている。

 山口の友人というのを引いても実に括目する内容で、中でも面白いのは、合意無きセックスで中田氏された以降の伊藤の行動だ。執拗に山口にメールを送る伊藤。被害妄想というか、被害者意識が徐々に膨らんで来る。

「意識不明の私に避妊もせず行為に及び、それ以降私は妊娠したらどうしようという不安の中にいます。山口さんは私が妊娠した場合のことをお考えですか? 私はこれから一生仕事をしていこうと思っていた中、今は妊娠して働けなくなってしまうという恐怖でいっぱいです」との内容には戦慄さえ覚える。

「まだ生理が来ていないので不安で仕方ありません。寝ても覚めてもこのことで頭が一杯です」「妊娠と仕事の事で大至急お話したいので、連絡の取れる電話番号を教えてください」「妊娠の可能性があるので渡航の時期を伸ばせませんか?」

 恐らくはこの後は「中絶するにしても、もし中絶することで二度と妊娠できない身体になってしまったらどう責任を取ってくれるのでしょう」ってか(笑)

 銀座などにもこうした性悪なホステスの手口に騙されるオッサンは後を絶たないが、伊藤もこれと同じ香ばしい臭いがプンプンする。山口もとんだ女とやっちゃったものだ。普通の男なら面倒臭いしカネで解決するだろうな。

 愚生も似た経験があるが、そんな時は「そうか、なら産めば。今はカネは無いが養育費はなんとかする」と応えると、それを機に連絡は途絶える(笑)

 それでも山口は伊藤のメールに反応しない。そういう意味では中々図太い神経とも言える。そんな山口の対応にプライドが傷付けられた伊藤は怒り心頭に発し、感情が赴く儘に更なる恫喝メールを山口に送信し続けた。

「あの夜、山口さんに意識がないまま強制的に性行為を行われ、肉体的にも精神的にも傷つけられました。あの後、膣は数日間痛み、乳首はかなり傷つきシャワーを当てられないほどでした・・・」と「強制的」という言葉を使い出す。

 山口はそれでも応対を避けた。そして翌日には「レイプされた上、妊娠の可能性のある女子にこれ以上何を言うつもりでしょうか」。妊娠していないことは明らかになってる上で「妊娠」という言葉を使い、更には「レイプ」まで。

 山口はこれらのメールの前「準強姦罪」で訴えられているが、警察に被害届を出した以降のこうした遣り取りは何を物語っているかは察しが付くだろう。

 伊藤の対応は実に如何わしいもので、刑法で無罪になるのは当然。逆を言えば妊娠を偽り誠意を見せろと迫る伊藤こそ脅迫罪に問われて然りではないか。

「パソコンで撮影されていたに違いない」とか、「部屋に盗聴器が仕掛けられていた」だとか「公安が外で見張ってる」とか訴えていたが、その全てが妄想。妄想癖甚だしいのはやはりそっち、否あっち系ではないかと疑ってしまう(笑) 
 
 強制猥褻罪に問われている立憲民主党の初鹿明博は「タクシーに乗ったことが合意だ」と嘯いてるが、酒席でヘベレケに酔っ払ったことはタクシーに同乗したレベルじゃなく、愚生を始めとした世の男性は「合意」と確信するわな(笑)

 恐らくは、伊藤にすりゃこういうことは初めてじゃないだろう。普通なら「妊娠」にビビり内内で和解するだろうが、思う様にならないから警察を利用し、仲間を抱き込んで、その仲間の悪知恵を働かせたのではあるまいか。

 それにしてもゲロ臭漂う女と、どんなプレイをしたら「膣は数日間痛み、乳首はかなり傷つきシャワーを当てられないほど」になるんだろう。山口もどうせならパソコンか携帯で一部始終を録画しとけば好かったものを(笑)

 こんな痴話話が世界に発信されたことが恥ずかしい。別に山口を庇う訳ではないが「天網恢恢疎にして漏らさず」と言う通り、恩を身体で返したことにすりゃ好かったものを、徒で返した伊藤には天罰が下るのは時間の問題か。呵呵大笑。

 昨日アップした「ゲロを吐きまくった女とやっちまった山口敬之が悪い(笑)」も御参考に!http://cordial8317.livedoor.blog/archives/52113902.html

※コメントは会員のみにさせて頂いておりますが、コメント入力希望の方はパスワードを教えますのでmr.cordial@live.jpへ御連絡下さい。

<御支援の御願い>みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ

cordial8317 at 08:51|PermalinkComments(0)

2019年12月19日

ゲロを吐きまくった女とやっちまった山口敬之が悪い(笑)

 元TBSワシントン支局長で安倍首相の側近と言われていたフリージャーナリストの山口敬之が、自称・ジャーナリストの伊藤詩織なる元キャバ嬢から性暴力を訴えられた裁判で、東京地裁は山口に330万円の損害賠償の支払いを命じた。

 刑事裁判では不起訴処分となった事件が民事訴訟で覆された形だ。日本の司法の歪さが表れた裁判でもある。判決理由は「酩酊状態で意識の無い女性に合意が無いまま性行為をした」「女性には被害を虚偽申告する動機が無い」というもの。

 山口側は裁判やSNSなどで被害者側の主張に整然と反論しているが、ネットでの主張がマスコミに流れることはない。「合意の無い性行為」「酩酊状態」という言葉が恰も真実の様に語られているが、知れば知るほど胡散臭い事件でもある。

 キャバ嬢だった伊藤詩織は、その店で山口と知り合った。マスコミへの入社を夢見る伊藤は「TBSワシントン支局でインターンをしたい」とを働きかける。

 TBSには採用されなかったが、山口の口利きで日本テレビのインターンになることとなった。女の目的は有名になることとカネ、その為のハニートラップだったということで、一転して女性の立場を利用して被害者ぶるとは狡い女だわな。

 それにしても、キャバクラで出会っただけで正体不明の女をそこまで助けてやるかね普通。山口にも伊藤にも暗黙の了解があったのは確かだろう。

 問題の行為のあったという日の経緯を山口が詳しく語っている。馴染みの恵比寿の焼鳥屋から寿司屋での一献。元キャバ嬢の性か、酒豪を自任する伊藤は酒を浴びる様に飲み続けたという。そして二軒目の寿司屋で早々と大破轟沈(笑)

 伊藤は「飲み屋でトイレに行ってる間にデートレイプドラッグを飲まされてレイプされた」と、過激な言葉で山口を糾弾してるが、20年来通っている馴染みの店でそんな怪しげなドラッグを入れられる訳もないし、店も共犯に問われる。

 泥酔状態で一人で帰れそうもない状態を見兼ねホテルに連れて行く。泥酔した伊藤はトイレでゲロを吐き服はゲロまみれ。そんな伊藤を山口は介抱した。

 ホテルに連れて行くなら、自分の部屋に連れ込むのではなく別な部屋を取ってやるべきだったわな。目が覚めた伊藤は、昨夜の自分の醜態に恥じ入ったのは想像するに難い。そんな申し訳なさからセックスに及んだのだろう。

 ホテルのトイレでゲロをそこいらじゅうに撒き散らし、それを健気に掃除する山口。愚生も経験はあるが、よく貰いゲロをしなかったものだ。まぁ、山口の下心なのか、優しさなのか。愚生ならそのまま放置プレイ必至(笑)

 まぁ、ゲロを吐いた女とやるのはかなりの根性だ。況してや泥酔して意識が無かったということはシャワーも浴びてないんだろ、さぞくちゃかっただろうに。要は、山口は湧き上がる性欲に負けたというそれだけのこと。

「据え膳食わぬは男の恥」とばかりにやっちゃった、たった一発の中田氏が330万円か。高級ソープランドに何回行けることか(笑)

 この事件は加害者が安倍首相の側近ということもあり、多くの新聞、テレビ、週刊誌が大きく扱われ、海外でも「性犯罪の被害者と主張する女性が顔を出して記者会見を行った」とスキャンダラスに報じられた。

 これに便乗したのが野党や左翼人士らで、伊藤をジャンヌダルクの如く持ち上げて、「勇気ある告発」と称え、山口を性犯罪者として社会から抹殺した。

 先日、立憲民主党の初鹿明博議員が強制猥褻罪で書類送検された。初鹿は「(被害女性)が同じタクシーに乗ったことが合意だ」と開き直り無罪を主張。

 伊藤を支持してる野党議員や左翼らは何故かこの問題には沈黙するが、左翼や野党というのは身内にも大甘だし、ダブスタは御家芸でもある(笑)

 警察では不起訴となり、検察審査会も「不起訴処分は妥当」との最終結論を出している。「犯罪行為があった」との主張は退けられ、刑事事件としては完全に終結した事件を民事に持ち込む理由は果たして何なのだろう。

 仄聞されている様に、安倍首相専属のジャーナリストだったことが災いしたのか、それともライダイハン問題を公表したことが原因なのか。

 それにしても「合意の無いセックスが違法」というなら、世の男性の多くが性欲の捌け口としてやってるセックスは全て犯罪になるぞ(笑)

「女性には被害を虚偽申告する動機が無い」というが、ジャーナリストとして有名になりたいというのは十分な動機だろう。況してや、安倍首相のイメージを失墜させることが目的だったとは思えないか。最近は裁判官の無能が際立つ。

 それにしてもこの女の上昇志向と権威主義、そして金銭欲は異常とも言える。神奈川出身だという。神奈川の「伊藤」というと、愚生の兄弟分が同じ姓で半チョッパリ。金銭欲と性欲逞しく、やっぱり出自は滲み出るものだ。呵々。

※コメントは会員のみにさせて頂いておりますが、コメント入力希望の方はパスワードを教えますのでmr.cordial@live.jpへ御連絡下さい。

<御支援の御願い>みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ

cordial8317 at 07:28|PermalinkComments(0)

2019年12月14日

筆順がバラバラな人というのは字が下手くそな人が多い(笑)

 超有名ブロガーで、保守派でもある元FBFのブログ「筆順と当用漢字が日本をダメにする 」というのを読んでみた。感想は「角を矯めて牛を殺す」かの様な内容。当用漢字や筆順で日本はダメにはなりません(笑)

「当用漢字」というのは「当面の間だけ用いて良い字」として選ばれた漢字として「これ以外の漢字は使うな」と制限したのが始まり。

 漢字の使用率を段階的に減らし「最終的には漢字を廃止しよう」と考えたらしいが、これはGHQの意向だったということが薄薄分かる。

 新聞や本も人気ブログなどもそうだが、読んでいて「これは漢字で好いだろう」という字が平仮名だったりするが、こうしたことも当用漢字の弊害だろう。

 当用漢字は、昭和21(1946)年に国語審議会の答申に基づき、内閣告示された。昭和21年といえば我が国が敗戦した翌年のこと。

 周知の通り、占領下、米国は様々な日本弱体化政策を謀った。中でも教育改革は日本人を強制する為の大きな策謀の一つだった。

 占領下の日本に教育使節団を日本に送り込み、日本の教育制度を根本から矯正し、旧い制度を廃絶する目的で「漢字全廃」を計画した。英語を推奨し、アルファベット26文字を覚えさせ、日本語を全てアルファベット表記にさせた。

 昨今の小学校での英語教育の推奨にしても、占領下で米国が行ったアルファベットの強制と同じ構図。そうしたことをしても未だに米国の属国の儘なのだ。

 米国は、戦前の我が国の学校教育を内務省の中央集権的統制から解き放ち、その管理を地域住民の代表により構成される合議制の委員会の下に置こうと画策した。その結果が、今やどこの自治体にも当たり前に在る「教育委員会制度」だ。

 教育委員会のモデルは米国の教育委員会制度である。これは、米国の開拓時代の占領統治の思惑から生まれたもので、日本の統治もこれと同様に、占領によって米国の意の儘に置こうというのが真の狙いだった。

 米国の実行した「戦後民主主義教育」と日本国憲法を始めとした様々な法律や制度の押し付けは、米国の思惑以上に大きな成果を齎し続けている。

 因みに「常用漢字」は、現代に於ける漢字使用の標準で、昭和56(1981)年に国語審議会で答申した常用漢字表が交付され現在に至る。

 旧い漢字には夫夫意味があるというのは分かるが、字体やその意味など細かいことより、当用漢字を含めて漢字は日本人の誇りであるということこそ教えるべきだ。また、筆順を教えることも別に悪いことではないと思う(笑)

 何故なら、字が下手な人というのは筆順がバラバラだからバランスが悪く、字が下手クソなのが多い。漢字を上手に書くには筆順は大事で、楷書の段階で筆順をきちんと覚えることで、行書や草書に役立ってくる。

「日本は滅びる!」「日本が危ない!」と叫び危機を扇動する営業保守や自称愛国者にはうんざり。正統保守ならば神州不滅を信じ神武肇国の精神の高揚と国家国民の繁栄を目指すことこそ大事であり、徒に不安を煽るべきではない。

 況してや当用漢字を批判するなら、その実行を謀ったGHQと文部省を糾弾すべきだし、教育委員会制度も、労働三法(労働組合法、労働基準法、労働調整法)も米国製。営業保守らは安倍の改憲を支持してるが、その実は護憲派と同じ。

 米国製のクソ憲法や労働三法や教育委員会制度を有難がり、それらを信奉しているのは「反米」を叫んでいる珍左翼ばかりか保守派にも多く存在している。当用漢字が日本をダメにしないが、戦後ヤルタポツダム体制の検証は待ったなし。

※コメントは会員のみにさせて頂いておりますが、コメント入力希望の方はパスワードを教えますのでmr.cordial@live.jpへ御連絡下さい。

<御支援の御願い>みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ

cordial8317 at 06:24|PermalinkComments(0)

2019年12月13日

COP25で日本だけがやり玉に挙げられている不思議

 COP25で日本だけがやり玉に挙げられている。国際NGOが世界のCO2排出に日本が大きく貢献したとして「化石賞」なる賞を受賞する様子が放映されてた。

 小泉環境相の演説後には2度目の「化石賞」授与。NGOのこうしたパフォーマンスは嗤うしかないが、こうしたニュースを取り上げるのも如何なものか。

 世界で最も多く化石燃料などを使っている国は、中共がトップの21%、米国16%、インド6%、ロシア5%、日本はたった3%に過ぎない。

 ドイツは2%、韓国2%、カナダ2%,フランス2%など。温室効果ガスの排出を批判するなら、我が国より先ずは世界第一位の中共を批判すべきだろう。

 世界の電源別発電電力量の38.4%が石炭を利用している。ドイツのNGOも日本を批判しているが、ドイツの電源別のエネルギーは全体の42.5%が石炭に依存している。日本を批判する前に自国の政策に苦言を呈しなさいな。

 1997年12月、国立京都国際会館で開かれた第3回気候変動枠組条約締約国会議(COP3)での京都会議では、CO2の排出抑制が決まったが、日本だけが議定書を遵守しエネルギー抑制を行い、80兆円もの血税を投入している。

 事実を報じず、日本バッシングの映像を見た国民は、日本が多くのCO2を排出していると信じ込み、また世界では日本への批判が殖えて行くのは避けられないだろう。風評や流言飛語というのは何気ない一言や行動から始まるものだ。

「流言飛語」とは本来は「流言蜚語」と書く。「世の中で言い触らされる確証のない噂話。根拠のない煽動的な宣伝。デマ」という意味だが、「蜚」とは悪臭を放つ小さな虫の意味だ。因みにゴキブリは「蜚蠊」と書く。

 相変わらず、反原発派や早々と福島の地から逃げた自称被災者の元県民から、故郷である福島を貶める流言蜚語は止むことはない。反原発の主張は別に構わないが、県外に逃げたのだから福島の地を貶めることだけは止めて欲しい。

 福島県内に住む我々が「県民は昔の様に普通に生活してる」と言えば、「それはデマだ」とか「騙されてる」だの言われ、インチキ学者らからは「福島県人とは結婚するな」だとか「子供を産むな」とまで差別される始末。

 こうした意見に反論すれば「東電の手先」だの「ニセ福島県民」などと呼ばれる。「福島の子供達は逞しく生きている」と言えば「そうやって子供を被曝させてる」とか「無責任だ」と非難される。

 我ら福島県民は、福島の地で生き、福島の地で死にたいだけなのだが、反原発派らに言わせれば「福島に留まってることで、福島から一刻も早く避難したい人の邪魔をしているだけだ」と断じられる。

 福島県内の農家は「放射線の汚染物を作り、ばら撒いてる」と言い放つ山本太郎を筆頭に、福島原発事故を利用して勢力拡大を謀っているが、福島県民差別や被災地差別をしていることさえ気付いていない。

 こうしたことを流言蜚語と言わずして何という。科学的根拠に乏しい感情的批判は何の成果も生まない。COP25での日本バッシングも同じ様なもので、日本を原発事故当時の福島に置き換えると分かり易い。

 CO2削減するには単純に化石燃料を使わなければ好い。化石燃料に替わるエネルギーは原子力と再生可能エネルギーだが、再生可能エネルギーは基幹エネルギーには成り得ない。風力や太陽光はそれこそ森林開発という名の環境破壊だ。

 CO2削減を訴える連中というのは原発再稼働にも反対。国際NGOの日本へのバッシングは、国内の反原発派と同じく我が国の国力低下が狙いである。

 抑々、温暖化は温室効果ガスだけが原因ではない。地球上の二酸化炭素排出の殆どは海から出ており、人類が出すCO2は僅か3%に過ぎないとも言われている。牛の出すメタンガスを批判し「牛を食べるな」とは、も~いちゃもんだ(笑)

 温暖化は人間が進化の上で及ぼしたというより自然の摂理であり、地球という星の寿命とも考えられる。温暖化という天譴を防ぐのは人間の智慧と覚悟次第。 

 スリーマイル島、チェルノブイリ、東海村の事故が起き原発の廃止や削減が相次いだ2006年、米国が政策を転換し国際原子力パートナーシップ(GNEP)を策定、原発推進を決定した。原発推進の方向性は間違ってはいない。

 原発再稼働の大きな理由は地球温暖化対策である。日本の火力発電が世界的バッシングを受けるなら、我が国の技術の粋を結集した原発を推進すべきである。

※コメントは会員のみにさせて頂いておりますが、コメント入力希望の方はパスワードを教えますのでmr.cordial@live.jpへ御連絡下さい。

<御支援の御願い>みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ

cordial8317 at 05:07|PermalinkComments(0)

2019年12月11日

天皇皇后両陛下が26日、秋篠宮両陛下が28日に御来県!

 地元紙の一面には、両陛下が26日、台風19号で甚大な被害を被った本宮市を御訪問との記事が載っている。福島県民の一人として実に有難いことだ。

 28日には、秋篠宮両殿下が梁川町を御訪問遊ばされる。新聞では「皇嗣(こうし)秋篠宮ご夫妻」と、作為的に「両陛下」ではなく「ご夫妻」と呼称する。こうした皇族への称号不使用が、皇室への尊厳を毀損する。

 政府は、譲位後に皇位継承第一位となる秋篠宮殿下の尊称を「秋篠宮皇嗣(こうし)殿下」と呼称すると発表しているが、ならば、マスコミは「皇嗣秋篠宮ご夫妻」ではなく「秋篠宮皇嗣両殿下」と称するべきだろう。

 この「皇嗣」という名称は皇統の歴史には無い造語である。本来ならば皇嗣殿下ではなく「皇太弟(皇大弟)」と称するべきである。共産主義者や反天皇勢力らの狙いは「皇太子」を空位とし、東宮職を消滅させることに在る。

 皇太子を空位にさせる意味は、敬宮愛子内親王殿下の女性天皇への布石であり、正統な皇位継承者である秋篠宮悠仁親王殿下即位阻止への一里塚。更には秋篠宮家を存続させるのは御二人の内親王殿下の女性宮家創設が目的である。

 先日9日は、皇后陛下の御誕生日。マスコミは「皇后陛下」と称することなく、不敬にも「雅子さま」と報じる。今や皇族方への称号は略され「さま」が常習化しているが、「さま」の呼称は皇室典範23条違反であることを自覚すべきだ。

 皇后陛下の生誕日は、戦前は「地久節」として国民挙って御祝い申し上げた日でもある。「地久(ちきゅう)」とは、老子の「天長地久」からの典拠。昭和6年、香淳皇后の地久節である3月6日が「母の日」に定められた。

 現在の母の日はGHQの意向もあり、米国と同じ5月の第二日曜日となっている。戦後、「天長節」が「天皇誕生日」と名称が変更され、それに伴い「地久節」も無くなってしまったが、本来ならば「母の日」として祝うべき日である。

 報道では、宮内庁発表として「依然として快復の途上にあり、体調には波がある」との見解を公表。即位関連行事が続いたことで疲れが残り「(皇室関連の行事への)過度の期待は逆効果」と国民への理解を求めたが余計なことだ。

「天皇家」というのも可笑しなことで、皇室には武家的な「家」は無い。マスコミは皇室への親しみ易さを演出しているが、陛下や皇室のことは、喩え褒めることであっても、そうしたことを軽々に口にすることは不敬である。

「皇后陛下」と呼ばずに「雅子さま」など、皇族方への「さま」呼ばわりは、反天皇運動の実践であり、国民が殆ど知らぬまに、ソ連共産党から日本共産党へ送られた命令書の忠実な遂行を謀ってると言っても過言ではない。

 日本人であるならば上皇両陛下、皇后陛下、敬宮愛子内親王殿下、秋篠宮妃殿下、悠仁親王殿下と称するべきで、マスコミが主導する「開かれた皇室論」から、我が国の伝統文化や美徳が喪失して行くということを自覚すべし。

 戦前の様に「畏れ多くも畏くも」とは言わないまでも、正式な敬称を使い、節度ある敬意を表すべきである。共産主義者が謀る反天皇運動に与するマスコミに拠る皇族への敬語不使用、敬称略運動を糾弾しなければならない。

※コメントは会員のみにさせて頂いておりますが、コメント入力希望の方はパスワードを教えますのでmr.cordial@live.jpへ。

<御支援の御願い>みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ

cordial8317 at 06:30|PermalinkComments(0)

2019年12月08日

日本国民として大東亜戦争の大義を忘れる勿れ!

 昭和16(1941)年12月8日未明、大日本帝国海軍は真珠湾を攻撃、東アジアに永遠の平和を確立し光栄の保全を期す戦いの火蓋が切られた。

 米国では12月7日(現地時間)を、「汚名の日・リメンバー・パールハーバー」とし、対日戦争での犠牲者の追悼式が行われ、我が国を「騙し討ちをした卑怯な国」として糾弾し、日本蔑視は止むことはない。

 未だに我が国が、こうした汚名を着せられ、糾弾され続けるのは、あろうことか前の晩の酒席で飲み過ぎて「宣戦布告の覚書」を指定時間に渡せず、真珠湾攻撃から1時間後に持参した駐米大使の大失態に他ならない。

 我が国の外交史上歴史に残る大失態にも拘らず戦中戦後、誰一人として咎められず、責任も取っていない。それどころか、彼らは外務次官や駐英大使、その他第一級ポストに昇進し、叙勲までされている事実には驚く他はない。

 彼らが戦争の大義を理解し、職務を遂行していれば我が国も日本国民も「嘘吐き」「卑怯者」といった汚名を着せられずに済んだろう。だが、抑々、大東亜戦争に至ったのは「騙し討ち」と言われる真珠湾攻撃そのものが原因ではない。

 我が国が何故に米英との開戦を決意し、何故に真珠湾攻撃に至ったかは、1953年のペリーの黒船来航時代まで遡ると共に、混迷を極めたアジアの近代史と世界史を学ばなければ到底理解することは出来まい。

 我が国は西洋列強に追い着くべく、強力な中央集権国家を形成しようと明治維新という大業をたった数年で成し遂げた。

 15世紀の大航海時代以来、白人による世界制覇の波がアジアにも押し寄せ、当時、アジアは次々と列強に蚕食され植民地となった。

 その間に勃発した日清・日露戦争も、その後の日韓併合も歴史の必然であり、大東亜戦争もまた支那事変に端を発した日本軍の一方的な侵略戦争ではなく、避けては通ることの出来ない歴史の一齣だったのだ。

 歴史の検証をする際には、自国の罪を論うことは大事なことだが、大東亜戦争の真の歴史と意義を知ることは日本国民としての義務でもある。

 歴史を検証する上で大切なのは、古今東西、世界に蔓延る覇権主義の克服を主張すべきであって、幼稚な正義感や倫理観から他国の覇権主義には目を瞑り、一方的に我が国だけが自虐の淵に止め処なく漬かり込むことではない。

 昭和16年12月8日に渙発せられた「大東亜戦争・開戦の詔勅(米英両国ニ対スル宣戦ノ詔書)」には大東亜戦争に至る経緯が記されている。(抜粋)

【・・・東亞安定ニ關スル帝國積年ノ努力ハ悉ク水泡ニ帰シ帝國ノ存立亦正ニ危殆ニ瀕セリ事既ニ此ニ至ル帝國ハ今ヤ自存自衞ノ爲蹶然起ツテ一切ノ障礙ヲ破碎スルノ外ナキナリ皇祖皇宗ノ神靈上ニ在リ朕ハ汝有衆ノ忠誠勇武ニ信倚シ祖宗ノ遺業ヲ恢弘シ速ニ禍根ヲ芟除シテ東亞永遠ノ平和ヲ確立シ以テ帝國ノ光榮ヲ保全セムコトヲ期ス 御名御璽】 

(・・・東アジアの安定に関して我が帝国が払ってきた積年の努力は悉く水の泡となり、帝国の存立も正に危機に瀕すことになる。ことここに至っては、我が帝国は今や自存と自衛の為に決然と立上がり、一切の障害を破砕する以外にない。皇祖皇宗の神霊を戴き、朕は汝ら国民の忠誠と武勇を信頼し、祖先の遺業を押し広め、速やかに禍根をとり除き、東アジアに永遠の平和を確立し、それによって帝国の光栄の保全を期すものである)

 我が国にとって大東亜戦争は結果的に敗れはしたが、日露戦争以降の懸案だったアジア諸民族の独立と復権を齎し、開戦の詔勅で示された大東亜戦争の大義とアジアの希望の星としての役割は見事に果たしたのだ。

 本日、大東亜戦争の開戦日に当たり、先の大戦で戦陣に散った英霊に対し衷心より感謝の誠を捧げる。すめらぎいやさか すめらみこといやさか

※コメントは会員のみにさせて頂いておりますが、コメント入力希望の方はパスワードを教えますのでmr.cordial@live.jpへ御気軽にメールを寄せられたい。

《会費&御支援》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ

cordial8317 at 06:21|PermalinkComments(0)

2019年12月07日

習近平の国賓招待は怪しからんが・・・

「北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会(救う会)」会長で、保守派の重鎮とも言える西岡力が安倍首相に年末の靖國神社参拝を提言した。

「安倍総理は仕事納め後に私的で靖国に行くべき。トランプは『失望した』と言わないし、中国は日本に擦り寄りたいから、韓国だけが批判している状況を作るチャンス。中国が抗議してきたら、習近平の国賓はなくせばいい」というもの。

 この発言に対し、Twitterで保守派や自称愛国者と見られる多くの人が「グッドアイデア」などと称賛してるツイートを目にした。

 何故に年末に靖國参拝なのか。「中国は日本に擦り寄りたいから、韓国だけが批判している状況を作るチャンス」というが、靖國神社をそんなものに使うこと自体が靖國神社の政治利用だし、何より英霊への冒涜ではないか。

 西岡は常々、保守派向けのネット番組などで靖國参拝を控えている安倍に苦言を呈している。今年8月15日に閣僚が参拝しないことも批判していた様だ。

「外国から内政干渉で国のために亡くなった人達の慰霊が出来ないのは非正常。日本国内の反対で行かないならまだしも中国への配慮で行かないのは非正常。安倍政権は考えてほしい」と、靖國神社を慰霊の場所と思っている節がある。

 靖國神社は、国家に殉じた英霊の顕彰を重んじている神社であり、その死を悼み悲しむ場所とは違う。保守派や自称愛国者らはこれを理解していない。

「顕彰」とは、隠れた功績や善行などを称えて広く世間に知らせることである。慰霊や追悼が目的なら遺骨が埋葬されている千鳥ヶ淵墓苑へ参れば好い。

 西岡を始め、営業保守派や自称愛国者らは「諸外国に言われる筋合いは無い」と、総理大臣の靖國参拝を熱望する。総理や大臣が参拝することで靖國が騒がしくなるなら、「政治家なんぞ、靖國に関わるな」と声を大にして言いたい。

 況してや政治的駆け引きや外交で靖國神社を利用することがあってはならない。政治問題が長引けば陛下の御親拝は益々遠退いてしまうのだから。

 国家の為に尊い命を捧げた人々の御霊を奉斎する靖國神社を、国家の責任で護持することは余りにも当然のことで論議の余地などない。

 戦前はそれが厳守され、国民挙って護国の英霊に感謝し崇敬の誠を捧げた。殊に特筆すべきは靖國神社の大祭に限り、天皇陛下が御親拝せられたことだ。聖恩無辺、英霊並びに遺族にとっての感激と光栄、これに優るものはなかった。

 戦後の歴代首相も春秋の例大祭に参拝していたが、8月15日に三木武夫の「私的参拝」し、中曽根康弘の「公式参拝」というパフォーマンスで政治問題化した。

 複雑化する靖國問題を解決するには8月15日の喧騒はマイナス。また分祀論や都合の好い憲法解釈ではなく、靖國神社の「宗教法人格」を見直せば済むことだ。

 靖國神社は現在「宗教法人」となっているが、これは占領下、国家と神道の分離を謀ったGHQの「神道指令」に因って、靖國神社の存続に苦慮した当時の政府や神社関係当局の緊急避難行為というべき措置であって実態は宗教ではない。

 宗教とは「教祖・経典・布教活動」の三要素を必須不可欠とするが、靖國神社にはその一つも無い。唯、祀りの様式を神道に則って行っているに過ぎない。

 本来ならば、我が国が主権を恢復した昭和27年4月28日に、靖國神社と全国の護国神社を「宗教法人格」ではなく国家で管理するべきだったのだが、政治の怠慢、それも自民党の無作為でそれも成されずに現在に至っている。

 習近平の国賓招待は怪しからんが、「中国が(靖國参拝に)抗議してきたら、習近平の国賓はなくせばいい」というのも、天皇を政治に利用するつもりか。

 我が国の保守派に欠落してるのは「尊皇」であるが、保守派を自任するなら、覚悟の伴わないが日本外交を煽るより、遺族の悲願である「靖國神社法案」の重要性を提言し、靖國神社国家護持と陛下の御親拝が可能になる様に努力邁進せよ。

※コメントは会員のみにさせて頂いておりますが、コメント入力希望の方はパスワードを教えますのでmr.cordial@live.jpへ御気軽にメールを寄せられたい。

《会費&御支援》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ

cordial8317 at 05:41|PermalinkComments(0)

2019年12月03日

多くの偉人が「戒語」を遺したが戒語とは己の経験に基く自戒である

「我仏 隣の宝 婿舅 天下の軍 人の善悪」とは、人の集まる所では決して口にしてはならないものを並べたもので茶道の教えの一つである。千利休の高弟・山上宗二が茶の席で豊臣秀吉に向かって説いたと言われている。

 山上宗二の「一期に一度の会と思って亭主を畏敬すべし」との言葉は、誰もが知る「一期一会」の語源ともなった一文である。

 茶席で先の戦話を自慢する秀吉に「我仏 隣の宝 婿舅 天下の軍 人の善悪」と繰り返す。これが徒で秀吉の逆鱗に触れ殺されたも言われている。

 こうした戒めは、失敗も成功も経験者であれば、その言葉というのは心に響くものだ。戒めを説く偉人は多い。人との付き合いの中での「戒め」を分かり易く教えたのが、大愚良寛(良寛和尚)の「良寛戒語(九十戒)」だ。

「言葉の多き」「話の長き」「負け惜しみ」「返らぬことを幾度も言う」「客の前に人を叱る」「人の恥かくことを言う」「人を嫉むことを言う」「おれがこうした」「手柄話」「人を敬いすぎる」「悟り臭き話」・・・

「言うこと言わぬ」「さしたることもなきことを細々と言う」「あゝ致しました、こう致しました、ましたましたのあまり重なる」「言い足らぬことは又つぎても言うべし」「言うたことは再び返らず」「ことばの過ぐるは愛想なし」・・・

 嫁に与えた戒語には「ゲラゲラ笑い、ふくれ面、無駄口など固く止めなさい」と訓える。どうだろう、各各感ずるものがあるだろう。

 良寛は「災難に逢う時節には、災難に逢うがよく候。死ぬ時節には、死ぬがよく候。是ハこれ災難をのがるる妙法にて候」とも訓える。

 災難に遭ってしまうことは誰でもあること。それが何処でいつ起きるかは分からない。起こってしまった災難を取り消すことは出来ないし、災難に慌てふためいたりしてしまうと、過った対処をして災難を大きくしてしまうという戒め。

 小さなことで慌てたり驚いたりしてばかりいれば、心の中で災難が大きくなってしまい、いざという時には冷静な判断は出来ないだろう。起こってしまった不幸には「人生にはこういう時もある」と受け容れることも大事なのだ。

 良寛は70歳にして若くて美しい貞心尼とめぐり逢い純真な恋をした。その貞心尼に看取られながら亡くなった。実に幸せの絶頂での死にも思える。そんな良寛和尚の辞世の句は「散る桜 残る桜も 散る桜」。諸行無常やるせない。 

「戒語」というのは経験に基く自戒。例えば、少年の頃には手の付けられない不良だったという水戸光圀公は、18歳の時に司馬遷の「史記」を読み、学問と修養に励む出す。史記に負けない歴史書を作ろうと志を立てたという。

 光圀公の教えの一つに「欲と色と酒を敵と知るべし」というのがある。

 酒を飲まない人や、欲の無い人が、こういうことは記さない。そういう意味でも、あの天下の副将軍でもある黄門様でさえ、若い時分には女と酒に溺れ、失敗を経験したのだろうと思えば、少しは気が楽だろう。

 宮本武蔵の「独行道」にも、「如何なる別れも悲しまじ」という項目がある。これも冷血ならば敢えて書かないだろう。武蔵というのは人一倍涙脆く、人情深い故に感情を表に現さないような修行を積んだのだろう。

 まぁ、己を戒めるのも好いが、余り気にし過ぎると人間、こじんまりしてしまいますし、自動車のハンドルでも遊びが無いと直ぐに事故りますよ(笑)

※コメントは会員のみにさせて頂いておりますが、コメント入力希望の方はパスワードを教えますのでmr.cordial@live.jpへ。

<御支援の御願い>みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ

cordial8317 at 06:37|PermalinkComments(0)

2019年12月01日

1年というのは実に早いもので、あっという間に師走かぁ(笑)

 本日は師走朔日ということで朝まだ気から身を清め、神饌を替え、神前に向い、畏くも天皇皇后両陛下の弥栄を祈念し、併せて心願成就を懸けた。

 早いものであっという間に師走となった。1年の感じ方というのは1歳なら1㌔、40歳なら40㌔、80歳は80㌔と、年齢と同じスピードで過ぎるという。愚生というと59㌔、どうりで1年が年々早く感じる訳だ(笑)

 子供の頃というのは1年がホント長く感じ、学校へ行くのも億劫で授業が長く感じた。この長く感じるのは記憶が確りしてるから。歳を取ると記憶が曖昧になり、昨日の出来事や何を食べたかさえもよく覚えていなくなる(笑)

 閑話休題。先日、地元紙に「憲法改正議論は憲法第一条から第八条の条項から議論せよ!」という内容の投稿をしたが採用される気配もない。

 今日は日曜日ということでいつもの左翼の婆さんがいつものコラムに登場してる。出だしこそ「桜を見る会」の騒動を批判しているのは好いが、結局は韓国のGSOMIAの離脱の根幹は徴用工だとの御認識を披歴。

「もし私たちが有無を言わせず徴用され、悪い条件の工場や炭鉱で働かされたらどんな思いをするのか」と問いかけている。

「国民徴用令」は、昭和13年の「国家総動員法」に拠るもので、翌年7月に実施された。朝鮮や朝鮮人への適用は差し控え、戦中、日本本土では中高年、婦人、学生に至るまで工場他に動員され生産に従事した。

 戦前(昭和14年)に日本内地に住んでいた朝鮮人は約100万人だった。その後には増え続け、終戦直前(昭和20年)には約200万人となった。

 増加した100万人の内の、70万人は自分から進んで日本内地に職を求めてきた個別渡航者と、その間の出生に因るものである。

 残りの30万人は大部分が工鉱業や土木事業の募集に応じて来たもので、これは徴用ではない。「国民徴用令」に拠る徴用労務者は極少数である。

 朝鮮人が徴用の対象になったのは昭和19年9月が最初で、奉仕期間は翌年3月の下関~釜山間の運航が止るまでの僅か7ヶ月間しかない。

 因みに、終戦後の昭和20年8月から翌年3月まで、希望者が政府の配給や個別引揚げで合計140万人が韓国に帰還している。

 北朝鮮へは昭和21年3月、連合国の指令に基づく北朝鮮引揚計画で350人が帰還するなど、終戦時までに在日していた者の内、75%が帰還している。

 戦時中に来日した労務者、復員軍人、軍属などは日本内地に馴染みが薄い為に、終戦後に日本国内に残留した者は極少数である。

 これらの調査が行われた昭和34年、登録されている在日朝鮮人は総計約61万人で、関係各省で来日の事情を調査した結果、戦時中に徴用労務者としてきた者は245人。現在、日本に居住している者は自由意思によって在留したものである。

 国民徴用令への無理解から、戦時中の企業労務者を「強制連行された可哀想な労働者」と認識してしまっている人が多いが、朝鮮人は日本人と同等の労働条件で差別されてはいない。このコラムニストの婆さんもこうした事実を理解していない。

「徴用例」は日本人、朝鮮人、台湾人が一律に負っていた労務提供の国民的な義務。韓国併合に因って多大な恩恵を受けていた朝鮮人も当時日本国民であった以上、国の法律に協力する義務があったことは当然のこと。

 こんな左翼の婆さんをコラムニストに選ぶなら、思想の反対側というより、公正でまともな日本人論を揮う愚生に依頼して欲しいものだ。呵々。

※コメントは会員のみにさせて頂いておりますが、コメント入力希望の方はパスワードを教えますのでmr.cordial@live.jpへ。

<御支援の御願い>みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ

cordial8317 at 06:35|PermalinkComments(0)

2019年11月29日

「人生会議」は家族や身内は勿論、身近な人にも話しとくべし!

BBXr8ea
 厚生労働省が吉本興業のタレント・小籔千豊を起用して作成した「人生会議しとこ」のポスターを巡り、批判が相次いでいるという。こうした批判はいつものことだが、愚生的には言いたいことや大事なことが十分に伝わって来る。

 人間というのは、誰しも健康であれば明日があると思って生きている。自分だけは直ぐには死ぬことはないと思っている人が殆どだろう。

 啓蒙が趣旨のポスターに「患者にも家族にも配慮がない」などと抗議した団体もいるというが、多くの人には「死」というのは他人事なのだ。

 イエス・キリストは「一日のことは一日にて足れり」と訓える。カッコイイ言葉でいうと「一日一生」。右翼人の中にもこの「一日一生」という言葉が好きなと人が多いが、終身保険に入ってながら「一日一生」って、何だかなぁ(笑)

「今、この場で頑張らずにいつ頑張る」というが、今日のことは今日中に全力を挙げてやり通す。明日なんて来ないかも知れないし、通勤中に事故に遭うかも知れないのだからその日に済ませれることは済ませておくべきだ。

 病気になっても意識が鮮明なら伝えることは出来るが、突然に意識が無くなり、また言語が不自由になってからでは言残すのは困難。まさかの時の為に家族や気の置けない友人などに死後の事を話しておくのは大事なことだと思う。

 愚生も愚妻には「葬式はやるな」「仏教徒でもないので戒名不要」「死に顔は誰にも見せないで棺桶を閉じて早々に焼いてくれ」「散骨して欲しいが、それも面倒なら市の管理する無縁仏の納骨堂に納めてくれ」と幾度となく話している。

 借金返済の対応や「脳梗塞で半身不随なら面会拒絶」「延命治療はするな」「身内には死んでから一週間ほど経ってから報告だけすれば好い」「香典や花は辞退しろ」「若し死ぬのが俺が後だったらどうしたい?」と細かく指示してる。

 愚妻や倅だけに言ってたところで、日頃付き合いもない親族や知人から「何でやらないんだ」と文句を言われるだろうから、兄弟や親戚や知人にも予め言い含めているが、追追、最期についての文書を綴り配布しておこうと思っている。

「死」というものは貧乏だろうが金持ちだろうが、誰にでも平等に与えられた道でもある。人間というのは死に向かっているのに必死に生きる。死と生、この二つは矛盾してるが生き続けるというのは死に近付いているということでもある。

 極楽浄土や天国なんてのは釈迦牟尼やキリストが死への恐怖を取り除く為の優しい嘘だと思っている。人間死んだら終わり、全てが「無」となる。

 釈迦牟尼は「長生きは無間地獄」と教える。立派な生き方とは長い時間ではなく、生き方の中身が大事。だが、多くは長生きしたいと願っている。

 愚生は極楽浄土や天国とは今を生きてる現生に有ると思っている。自分より劣る者や難渋している人に手を差し向けることこそが極楽浄土や天国というカタチなのだと思っている。助けてやるとどことなく気持ちが好くなるが極楽気分(笑)

 仏教徒の多くは、自分の家の宗派も分からずに死んだ時だけ坊主を有り難がっているが、仏教徒が死後に戒名を頂くのは、死んで釈迦牟尼の弟子となり、修行を続けるという意味すら分かっていない。要は、信者も坊主も葬式仏教なのだ。

 病気になる前や倒れる前に、自分の葬式や墓のことなども話し合っておくべきで、小藪のポスターはそうした大事な事を教えているのに、くだらない抗議してる利権団体というのは「死」の在り方というのを理解しているとは思えない。

 臨死体験という話は聞くが、実際に死の世界から戻った者はいない。それだけ死後の世界というのは居心地が好い素晴らしい処なんだろうな勝手に思っている。ということで、皆さんも、突然ポックリ逝くかも知れませんよ。呵々。

※コメントは会員のみにさせて頂いておりますが、コメント入力希望の方はパスワードを教えますのでmr.cordial@live.jpへ。

<御支援の御願い>みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ

cordial8317 at 05:11|PermalinkComments(0)

2019年11月27日

ローマ教皇ってのは政治パフォーマンスが大好物らしい(笑)

 ローマ教皇(法王)フランシスコが来日し、広島・長崎を訪問し核廃絶を訴え、官邸で「経済力より貧困対策」と宣い、皇居では「次の戦争は水を巡る戦争」との持論を垂れ、陛下に「施政者も共に行動する必要がある」と説いた。

 陛下は施政者(政治家)ではない。陛下へのこうした上から目線の進言や政治的なメッセージに違和感を覚えると同時にカトリックの偏狭さが窺える。

 教皇は福島原発事故の被災者集会を訪れ、災害の甚大さに触れてキレイゴトを並べていたが、結局は反原発派を喜ばせただけ。宗教と科学は相反するとはいえ、技術の進歩を留めることが共通の未来の姿だというのは偽善的過ぎる。

 集会でスピーチし、教皇とハグした高校生は非難区域外のいわき市からの自主避難者。避難先ではイジメに遭い、今でも出自を伏せなければならないという。そういうことなら、故郷に戻れば好いだろうに未だ自主避難を続ける不思議。

 兎にも角にも、ローマ教皇というのは政治的な発信が大好物らしい。集まったのはカトリック信者だから致し方ないが、安っぽい訴えを有難がる信者を見てると、未だに世界から戦争が無くならないのが何となく分かりそうな気がする。

 そんなに核が嫌いで経済格差や貧困を解消したいなら、日本ではなく米国や中共、或いは北朝鮮に出向いてその立派な教えを布教したら如何か。トランプはどうでも、習近平や金正恩の前ではキレイゴトも言えず沈黙するのが関の山だろう。

 教皇は、都内の教会で難民留学生らと対話するイベントに出席し、「特にお願いしたいのは、友情の手を広げて酷く辛い目に遭って、皆さんの国に避難して来た人々を受け入れることです」と訴えたが、上から目線の宗教家らしい。

 更に、日本政府が難民や在留資格の無い外国人などに対して厳しい対応を取っていると指摘し、より寛容な政策で難民らを受け入れるよう訴えた。

「寛容な政策」というが、不法入国者を無条件で受け入れる危険性を敢えて分かった上で訴えてるのか、それとも我が国を混乱に堕とすのが目的なのか。

 アジアの動乱の多くにカトリック教徒が係ったことは歴史が証明している。20世紀は正にキリスト教徒の望んだプロレタリア独裁を標榜する共産主義とキリスト教が世界の脅威となったのだが、教皇は21世紀のアジアの動乱が御望みか。

 その先兵となってるのが「日本カトリック司教団」。活動内容は「反原発」「憲法改正反対」「靖国神社参拝反対」「特定秘密保護法反対」「オスプレイ反対」「辺野古への基地移設反対」等々、宗教団体というより左翼団体そのもの。

 カトリックは世界13億人の信者がいるという。国内にもカトリック系の学校も在り、多くが憲法違反の私学助成金で成り立ってるが、「日の丸は侵略のシンボル」「君が代は天皇賛美」だと教えていることを教皇はどう思ってるのか。

 日の丸が侵略の旗なら米英や中共の旗は平和の旗か?抑々、カトリックとは、アフリカ、アジア、アメリカ大陸への殺戮と掠奪の先兵だったではないか?

 残虐の全てはキリスト教の教義の下、初めはスペイン・ポルトガル王、後にはイギリス・オランダ王の命令で行われたのではなかったのか。教義の下であれば、その殺戮と掠奪さえ赦されるという教えこそ一神教を信じる不幸でもある。

 最近、女性天皇の話題がマスコミを賑わせているが、2679年続く皇統の歴史には十代八人の女性天皇が存在している。ローマ教皇の歴史を見れば女性の教皇は存在していない。それどころか教皇を選ぶ枢機卿にさえ女性は一人もいない。

 他国に「寛容さ」を求めるなら、先ずは女性の枢機卿くらい誕生させる寛容さが求められる。だが、それは日本の難民受け入れより困難を極める。

 ローマ教皇フランシスコの日本訪問でのパフォーマンスを見ながら、八百万の神々が棲む神道の国に生まれた喜びを再確認した次第です。呵々。

※コメントは会員のみにさせて頂いておりますが、コメント入力希望の方はパスワードを教えますのでmr.cordial@live.jpへ。

<御支援の御願い>みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ

cordial8317 at 04:48|PermalinkComments(0)

2019年11月25日

日本を骨無しにした憲法に…俺と一緒に立つ奴はいないのか!(三島由紀夫)

 昭和45(1970)年11月25日午後0時15分、三島由紀夫は楯の会メンバーの森田必勝、古賀浩靖、小川正洋、小賀正義と共に陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地東部方面総監室を占拠し、憲法改正の必要性を訴え、同行した森田と割腹自殺を遂げた。

 当時、小学生だった愚生だが、この衝撃的な事件は鮮明に記憶している。

 携行した檄の中で、三島は「もっとも名誉を重んずるべき軍が、もっとも悪質な欺瞞の中に放置され・・・自衛隊は国軍たりえず、建軍の本義を与えられず、警察の物理的に巨大なものとしての地位しか与えられず・・・」と喝破した。

 戦後、我が国を占領下に置いたGHQは徹底した非軍事化を進めた。悲しい哉、現憲法下では「陸海空の戦力は保持しない。交戦権も認めない」となっており、自衛隊の存在自体が憲法上認められていないのが現実である。

 占領下の昭和25(1950)年6月、朝鮮戦争が勃発すると、マッカーサーは吉田茂首相に国内警察力と海上警備力の強化を促す書簡を送った。所謂「マッカーサー書簡(文書)」である。これは実質、日本国憲法の破棄を促したものだった。

 このマッカーサー書簡から1ヶ月後の8月9日には「警察予備隊令」が決定、翌日公布、即日施行という異例のスピードで準備が整えられ、政府は苦肉の策として現在の自衛隊の前身たる「警察予備隊」を設置した。

 当時は憲法上の「戦力不保持」の問題もあり、「警察予備隊は軍隊ではない」とする為に、「師団」を「管区」と呼び、「歩兵」を「普通科」、「砲兵」を「特科」、「兵器」は「武器」と呼称することとした。

「戦車」に至っては「特車」という始末で、当時の混乱ぶりと右往左往ぶりが分かるというもの。中学時代の社会の先生は、授業中「戦車じゃなくタンクと呼ばなくてはならない」と笑いながら教えていたことを思い出す(笑)

 その後、警察予備隊は「保安隊」となる。主権回復した昭和27年8月1日、警察予備隊と海上警備隊を統合し「保安庁」が設置される。政府は「保安庁法」を提出するも、野党は、憲法9条の条項を楯に政府を攻撃した。

 吉田茂はその答弁で、「戦力とは近代戦を実行する力であり、保安隊、警備隊にその力はない」と詭弁を弄した。その結果、自衛隊は永い間「戦力なき軍隊」と言われたまま憲法上から忘れ去られ、今もその呪縛に囚われて続けている。

 政府は今も自衛隊を憲法上認められる存在だと主張し続けているが、戦後最大の虚構こそが現在の自衛隊の存在なのである。

 自衛隊は現行憲法下では明らかに憲法違反の存在であり、未だ「警察予備隊」時代のまま「集団的自衛権の憲法解釈」などという目先の誤魔化しによってかろうじて存在し、あやふやな中途半端な存在のまま放置され続けている。

 安倍政権下で、健軍の本義も無き物理的な巨大な警察機構としての地位を取り払うことなく、憲法九条に附帯するという形で自衛隊を明記し、合憲化しようとしているが、これつまり現憲法の容認であり現憲法の絶対化でもある。

 自らの国家の防衛をも否定する矛盾だらけの現憲法を破棄し、違憲状態の自衛隊を「国軍」とすることに何を躊躇し、誰に憚るというのか。

 日夜、国の防衛の為に努力する自衛官の姿は心強いし、災害に立向かう自衛隊の存在は実に頼もしい。自衛官は我が国の誇りである。

 国防を論ずることなく、自衛隊の存在を憲法に明記することは自衛隊員への冒涜であり、平和主義を謳う現憲法との更なる矛盾を生むだろう。

 三島由紀夫と森田必勝は、現憲法の矛盾と戦後の不条理と欺瞞を訴えて壮絶な割腹自決を遂げた。常軌を逸した行動は、旧来の思想や社会構造を打破しようとする命懸けの行動であり、これ正しく憂国の至情である。

 こうした行動こそが正気の狂気であり、この狂気こそが我が国に圧し掛かる重苦しい閉塞感を打破する力に成り得るのだ。

【益荒男がたばさむ太刀の鞘鳴りに 幾とせ耐へて 今日の初霜】(三島由紀夫)

【今日にかけてかねて誓ひし我が胸の 思ひを知るは野分のみかは】(森田必勝)

 三島が訴えたかったのは、皇軍であるべき自衛隊の存在を否定する憲法改正の訴えは単なる手段に過ぎず、真に訴えたかったのは「日本人を骨抜きにしてしまった現憲法」に対峙し、破毀することこそが主眼であったと確信する。

「あらゆる困難に耐え、忍び難きを忍び、決して挫けることなく、初一念を貫いて、皇国日本の再建に邁進せよ」とは三島由紀夫。今こそ三島・森田の精神を想起し、祖国日本の恢復を図らねばならない。合掌。

※檄文(全文)https://www.culturebeanz.com/entry/2019/08/18/210139

※コメントは会員のみにさせて頂いております。コメント入力希望の方はパスワードを教えますので mr.cordial@live.jpへ御気軽にメールを!

cordial8317 at 05:06|PermalinkComments(0)

2019年11月23日

勤労感謝の日とは「人々の勤労によって生み出される万物の生産を祝う」日である!

 本日は「勤労感謝の日」。10月17日の「神嘗祭」は、天皇陛下がその年の新穀を皇祖の天照大御神を祀る伊勢の皇大神宮に奉り神恩に感謝される大祭であるが、11月23日はその新穀を陛下自ら召し上がられ万物の恵みに感謝する日である。

 宮中では毎年「新嘗祭」として祭事が催されるが、本年は先日に大嘗祭を済ませておられる為に、畏くも両陛下に於かれましては、昨日、伊勢神宮の外宮での親謁の儀続き、本日は内宮にて重要祭祀に御臨み遊ばされる。

 GHQは占領下「神道指令」を発令。これに因り催さ「新嘗祭」という呼称は廃止され「勤労感謝の日」と改められ、現在に至っている。

「勤労を感謝する」というと、何か労働していることに感謝する日の様に思ってしまうが、本当の意味は「人々の勤労によって生み出される万物の生産を祝う」というもの。つまり、神の加護による農作物を始めとした恵に感謝する日である。

 悲しい哉、今日の祭日の意味を穿違えている国民が殆どだろう。収穫祭のハロウィンでは随分と盛り上がった様だが、簡単に言えば勤労感謝の日とは日本版のハロウィンでもあり、そう説明した方が分かり易いか(笑)

「人々の勤労によって生み出される万物の生産を祝う」とするならば、国策としての農業振興と、食の安全保障や食料自給率の向上こそ急務だが、政府の減反政策一つ見ても、真剣に「農」を考える言葉は発せられない。

「農業」とは愛郷心、祖国愛に繋がるもので、愛情というものがそこには無くてはならない。世界各国でも「農業」の保護政策が行われているが、それは、そうした国々は「農は国の本」ということを自覚しているからである。

 占領下、GHQの弱体化政策に因り「農本主義」的国家観は排除された。大輸出国の米国の戦略に嵌り、大本を米国に委ね、軍事的安全保障でも自立出来ず、食料安保でも自立出来ず、これで果たして真の独立国家といえるのだろうか。

 国造りと農業の関係を経済論で語ることは、国家や郷土愛を放棄したと謗られても仕方ない。我らは平成の農本主義を構築する為にも安易な輸入物の購入を拒否し、国産物を購入し、食糧自給率向上を真剣に考えなくてはならない。

 日本書紀には皇極天皇が皇極元年(642年)11月に執り行ったのが新嘗祭の始まりとされ、旧くは霜月下旬の卯の日に斎行された。明治6年以降は11月23日に執り行われた。 因みに、天皇即位後初めて行う新嘗祭を「大嘗祭」という

 本日は県内でも「山ノ神講」として、全国各地でも山々の神に感謝し収穫を祝う行事が各地で行われるが、これは新嘗祭の風習や伝統を重んじ伝えて来た名残りでもあり、こうしたことでも天皇と国民の繋がりを知る。

 山の神講は女人禁制で行われるが、別に女性差別ということではない。俗に、口喧しくなった女房を「山の神」とも言うが、いつも頭が上がらず、かみさんに感謝しているという点では神様も女房も同じ。実に有難い存在なのである(笑)

 祝日法には「神々の加護と人々の勤労によって可能になる万物の生産を祝い国民が互いに感謝し合う日」であるとの趣旨が載ってある。であるなら、労働を意味する勤労感謝の日より「新嘗祭」との名称こそが相応しい。

 本日の新嘗祭に当り、麗しい祖国日本に生まれた喜びと、豊穣の秋に感謝すると共に、併せて皇室の安穏と陛下の弥栄を祈念する。

 すめらぎの 千代万代の御代なれや 花の都に言の葉もなし

 すめらぎいやさか すめらみこといやさか すめらみくにいやさか

※コメントは会員のみにさせて頂いておりますが、コメント入力希望の方はパスワードを教えますのでmr.cordial@live.jpへ。

<御支援の御願い>みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ

cordial8317 at 06:08|PermalinkComments(0)

2019年11月15日

「大嘗祭反対」「税金返せ」とシュプレヒコールを上げるキチガイども

 日没後、篝火と灯籠の薄明かりが灯される中で、陛下は廻立殿で身を清め、御祭服に着替え、悠紀殿へと向かう。宮内庁官長の先導で、侍従らが敷く葉薦の上を静々と進まれる陛下の頭上には、菅蓋が差し掛けられていた。

 弥弥、陛下が悠紀殿の中へ進まれると帳が閉じられる。中を窺い知ることは事は出来ないが、奈良・吉野に古くから伝わる歌「国栖(くず)の古風(いにしえぶり)」の後、悠紀地方の栃木の風俗歌が楽師らにより奏でられたという。

 大嘗祭に我が国の悠久の歴史を感じ、随神の道こそが日本人の教えであることを痛感する。それを示し導いてくれる存在こそが天皇である。

 神様とは何か、神道とは何か、元号とは何か。神道の祭祀を斎行する天皇とは何か。現神(あきつかみ)としての天皇の存在とは何か。現代に於いては、天皇の存在や祭祀は如何に重要かということを教わることはない。

 神社というのは近所に当り前に在って、祭りも愉しもうというだけで神への感謝はない。天皇の存在も同じで当たり前に在るものと考えている。

 神道とは新羅万象の全てが「神」の姿であるという考え方だ。山の神、海の神、森、川、泉、石ころや水、全てのカタチある物やそして人までも、その神の在る景色の一部に過ぎず、これこそが八百万(やおよろず)の神である。

 日本固有の信仰である神道は、こうした世界観の中から生まれた道である。神と共にあるから「惟神(かんながら)」といい、神の命を与えられているから人は「神の子」、生命は神の「分霊(わけみたま)」と考えられた。

 人は、彼等の暮らす土地の神である「産土神」の御陰を被って誕生し、産土神やその他諸々の神々と正しく付き合っていくことで四季の恵みを享受し、そして最後には産土神に導かれて祖霊の世界に帰って行ったという教えである。

 古の人々は神々の世界に対し、この様な確かな意味付けを必要としないまでも、それらを自然に体現し「神」を感じとっていたのだろうと推測する。

 我が国は天皇即日本であり、天皇の厳(いつ)を願うのは日本国民として当然のこと。我が国はいつの世も、時の陛下の御代である。いつの世にもそこには「君が代」の世界が存在し、それは存在し続けなければならないものなのだ。

 大嘗祭の反対集会があったという。我が国には共産党を始め反天皇勢力が存在する。その多くは天皇の存在を「天皇制」と断じる。だが、天皇という存在は天皇であって天皇制という制度ではない。天皇制とは共産党の造語である。

 反対集会の参加者らは「大嘗祭反対」「税金返せ」とシュプレヒコールを上げ、「たった一晩の儀式のために27億円もの税金を使い巨大な神殿が建てられた」と訴え、性悪にも「台風での被害者に充てろ」と災害や被災者をも利用する。

 現憲法下では、その是非は別として宗教色の濃い祭祀や祭事に公金を投入することは認められてはいない。大嘗祭の規定は現憲法や現皇室典範に明記されてはおらず、儀式の簡素化や憲法解釈で誤魔化しても違憲の誹りは免れない。

 左翼勢力が天皇を批判する論拠は現憲法だが、皇室予算は限られており、況してや天皇の祭祀が「私事」とされてしまった現在、その費用の捻出を皇族に賄わせるとでも言うのか。ならば憲法第八条の改正か撤廃しか方法は無い。

 憲法で定められている国事行為だけを行うのが天皇の務めではない。天皇が重んじるのは悠久の歴史の中で行われてきた祭事である。

 創価学会を始めとしたインチキ宗教団体が何千億、何兆円の非課税の布施を集めてる中で、天皇が祭祀予算の困窮を呼び掛けたらどれほどの寄付金が集まることか。左翼勢力が皇室への税金投入に反対するなら護憲では辻褄が合わない。

※コメントは会員のみにさせて頂いておりますが、コメント入力希望の方はパスワードを教えますのでmr.cordial@live.jpへ。

<御支援の御願い>みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ

cordial8317 at 07:33|PermalinkComments(0)

2019年11月14日

五穀豊穣と国家安寧を祈る大嘗祭を寿ぎ奉る

 皇位継承に伴う重要祭祀である「大嘗祭」が、本日夜半から翌日未明にかけて執り行われる。中心の大嘗宮の儀は「悠紀殿供撰の儀」並びに「主基殿供撰の儀」。一子相伝の秘儀とされ、即位後最初の新嘗祭を大嘗祭という。

 新嘗祭は、日本書紀に「皇極天皇が皇極元年(642年)11月に執り行った」という記述があり、天皇にとって重要な祭事の一つである。旧くは霜月下旬の卯の日に斎行されたが、明治6年以降は11月23日に執り行われることとなった。

「勤労感謝の日」がその日だが、勤労感謝という言葉に因って天皇と国民の繋がりを薄れさせ、我が国の道である神道という教えを奪い取った。

 勤労というと何か労働していることに感謝する日の様に思ってしまうが、本当の意味は「人々の勤労によって生み出される万物の生産を祝う」というものだ。

 神の加護による農作物を始めとした恵に我々国民が互いに感謝し合う日なのだが、悲しい哉、その意味を取り違えている国民が殆ど。天皇の神事を見れば「勤労感謝の日」というより、収穫を祝う「新嘗祭」というのが相応しい。

 本日斎行される大嘗祭では、全国の都道府県から寄せられた米や野菜などの神饌が供えられる。正しく大嘗祭は、豊穣の実りに感謝する「祭り」でもある。

 陛下は「大嘗宮の儀」に臨むに当たり身を清める「廻立殿」に向かう。その際には白い束帯の「帛御袍(はくのごほう)」を身に着けられる。

 陛下は廻立殿に入ると身を清める潔斎をし、最も神聖な白い「御祭服」に着替えられる。この御祭服は精練されていない絹「生絹(すずし)」で仕立てた装束で、陛下が自ら神饌を捧げ拝礼し、神々に御告文を奏上した後、御自ら口にされる。

 悠紀殿並びに主基殿へは天皇陛下のみ。皇后陛下は「帳殿」、男性皇族は「小忌幄舎(おみあくしゃ)」、女性皇族は「殿外小忌幄舎」で拝礼される。

 こうした神事を男女平等で語り、「天皇と皇后を分けるのは差別ではないか」という声が、いつもの左翼勢力や性的変質者のジェンダーから上がる。

 天皇にとって最も大事なものは「祭事」である。祭事では生理は「穢れ」と捉えられ、精神統一が求められる皇霊祭では生理中は参加出来ない。生理中に情緒不安定になる女性への配慮と身体を気遣ってのことでもある。

 こうしたことも理解せずに、感情的に「生理は汚らわしいものではなく女性蔑視だ」との反論もよく聞く。だが、こうしたことは何も皇室だけの例外ではない。

 イスラム教では生理中にはモスクには入れない。ユダヤ教でも生理中の女性との握手を禁じている。これは女性差別ではなく伝統の中で培った教えである。

「女系天皇論」も「女性天皇論」も、こうした女性差別を理由に論じられているのだが、左翼や反天皇勢力というのは考えや物事の見方が実に薄っぺらい。

 それでは聞くが、歴代ローマ法王に女性はいない。我が国の歴史には八名の女性天皇が存在しているが、ローマ法王どころか選ぶ枢機卿にさえ女性はいない。左翼陣営の理論なら、それこそローマ法王は女性差別の権化ではないか。

 国連女子差別撤廃委員会が皇位継承に関して異を唱えたのは新しい。女性天皇や女系天皇の意味も知らずに、その実行を謀る。左翼らも、女性差別と断じるならば、ローマ法王の制度こそ女性差別であり、バチカンにも抗議したら如何か。

 日頃「レディーファースト」と自慢してる国でもそういうもので、伝統を継承するというのはそういうことで、現代の幼稚な価値観や倫理観で語るべからず。

 新聞報道では作為的に「大嘗祭関連費二十四億四千万円」という数字を載せる。それに左翼勢力が税金の無駄と叫び、「そんな金があるなら被災者に充てろ」「憲法違反の施設にそんな巨費を投じるな」と世論を誑かす。

 現憲法には大嘗祭の規定が無い。GHQの謀で消されてしまったのだ。現憲法では天皇に祭祀は私事となり、国事行為が優先されてしまっていることを憂う。

 憲法改正は第九条だけではないし、現憲法は皇統を護る機能を有していない。歴史的な国家としての継続された「祭祀」に関する天皇の役割を現憲法を理由に否定し続けることは、未だ神道指令の呪縛から抜け出せずにいる証左である。

 擱筆するに当たり、本日からの大嘗祭が滞りなく斎行されますことを心より御祈り申し上げ奉ります。すめらぎいやさか すめらみこといやさか。

※コメントは会員のみにさせて頂いております。コメント入力希望の方はパスワードを教えますので mr.cordial@live.jpへ御気軽に!

cordial8317 at 07:01|PermalinkComments(0)

2019年11月13日

左翼活動家でもある落合恵子の地元紙への特別寄稿に違和感

75462268_2247296098708798_7507632438617571328_o
 購読している地元紙の福島民報に祝賀御列の儀での両陛下の御真影の下に、左翼活動家で反原発派でもある落合恵子の特別寄稿が載っているが違和感を禁じ得ない。何故にこのタイミングで祝意でもない論説を載せる必要があるというのか。

「平和希求の象徴に」とする文には、国民として祝いの言葉はなく、嫌味たっぷりに「天皇皇后両陛下は、さぞお疲れでしょう」から始まる文章は、左翼人士独特の言い回しで私感に満ち溢れ、読者の投稿などを巧妙に利用して扇動を謀る。

「私たち一般市民には社会生活である『公』と『私』を分けることができます。お二人にはそれがどこまで可能なのでしょう」と問い掛ける。公私を分けるなど可能な訳がないだろう。私事でさえ私見は控えなければならない御立場である。

 天皇皇后両陛下を「お二人」と呼ぶことに強烈な違和感を覚える。唐突に「女性天皇に賛成81%」とのお仲間でもある共同通信社の世論調査を持ち出し、「これは政治的マターであり(お二人の)、さぞご心労のことと思います」と当て擦る。

「激戦地への慰霊の旅に熱心であった上皇ご夫妻の意から、沖縄の人々の思いが気になって琉球新報、沖縄タイムスを読みました」という。上皇上皇后両陛下を「ご夫妻」と呼び、思想が同じ沖縄の二紙の記事を取り上げ私感を垂れる。

「代替わり費用に約百六十億円」と、恰も高額だと言わんばかりに世論に訴える。歴史と伝統という重みを金で比べる不寛容さと無知。「代替わり」というと言葉は共産党が常用してる単語だが、落合も共産党と同類だということが理解出来よう。

 水問題に御詳しい陛下だが、皇太子殿下時代に述べられた「世の中で社会的に弱い立場にいる人が犠牲になっていることは、とても残念に思います」との言辞を引用して、台風19号被害に重ね合わせる。福島原発の処理水問題も言いたげだ。

 落合は、絵本などを扱う「クレヨンハウス」を主宰していることもあり、バーバラ・クーニーの「ルピナスさん」という絵本の内容を綴っている。

 何やら、主人公の女性が大好きだった祖父の世代になり、祖父が言った「世の中をもっとよくするために、なにかしなくては」という約束を実行するという。

 彼女はその約束を果たす為に、、マメ科の植物で青や紫、薄紅などの花を咲かせるルピナスの種を撒き続け、やがて村はルピナスの花に溢れ、彼女も村人に敬愛されるようになったという、正に左翼の頭の中に咲き乱れる御花畑の物語だ。

 落合は「慣例を超えて今までと違った取り組む人というのは最初は奇異にみられていても実に立派だ」と訴えたいのだろうが、要は陛下に2679年の歴史と長い伝統の中で培ってきた慣例を打ち破り、新しい天皇の道を歩めと言わんばかり。

 そして最後に、天皇皇后両陛下に向かって「お二人に願うことは、お言葉で繰り返された平和を、ずっと希求される『象徴』であって頂きたい」と願い、「そして『私』の部分をどうか大事にされますように」と結んでいる。

 天皇にとっての「私」は無い。精精、那須御用邸でのプライベートな余暇や趣味に講じられている時間くらいなもの。天皇というのは祈る立場であり、それは「平和」であり、痛みの無い世界の実現である。その為に只管祈る。

 天皇にとって大事なものは「祭事」であり、国事行為や私事より優先されるべきものだ。天皇=祭事というのを知らない故に女性宮家や女性天皇を語り、男女平等という現在の安っぽい価値観で女系天皇論までも持ち出す。

 歴代天皇が古来より司って来た祭事は、現憲法に因って天皇家の私事になり、天皇の最重要儀式である「大嘗祭」の規定は存在しない。日本国憲法が我が国の正統に於いて悉く異質で国益を損しているか考えたことがあるのか。

 天皇は憲法第一章の制約から、第六条及び第七条の国事行為に因り「国会の開会式」「首相や最高裁長官の親任式」「大臣の認証式」など年間約六十回、国賓・公賓への接遇や会見、会食などの御公務が約百七十回という激務を熟している。

 こうした天皇の激務を理解していない故に、軽々しく「『私』の部分を大切に」などと言えるのだ。ならば、堂々と第一条から第八条の現憲法第一章を論じ、国事行為の軽減を図るべきだが、護(誤)憲派のくせに天皇条項を蹂躙(苦笑)

 第一条には「天皇の地位は主権の存する日本国民の総意に基く」と在る。反天皇を叫ぶ共産党などが存在する限り「国民の総意」ではないということになる。

 つまり、天皇の地位は共産党が指摘してる通り違憲の存在でもあるのだ。その共産党や左翼らが「女性宮家」や「女系天皇」を容認している意味を知るべし。

 いつの間にやら我が国はカタチを変えた共産主義が蔓延り、その「カタチ」は実に陰湿になった。最近の反天皇運動は昔の様に赤旗を振り翳したあからさまな反対運動は行わない。如何にも陛下や皇后陛下を慮ったフリをして世論を誑かす。

 今回の落合恵子の投稿も正しくソレ。こうした新聞社の現状を見ると我々が想像している以上に左翼が権力側に入り込み、行政権と連結せしめ、それに呼応して在野の左翼どもが反天皇運動と皇統断絶を謀り、無知な国民がそれら呼応する。

※コメントは会員のみにさせて頂いております。コメント入力希望の方はパスワードを教えますので mr.cordial@live.jpへ御気軽に!

cordial8317 at 05:47|PermalinkComments(0)

2019年11月11日

国民祭典の祝賀式典と祝賀御列の儀を滞りなく終える

 天皇陛下の御即位を祝う国民祭典の祝賀式典が土曜日九日夜に皇居前広場で催された。天皇皇后両陛下は二重橋に御出座し遊ばされ、国民の祝意に感謝し御言葉を賜られた。十日午後には御即位を国民に披露する祝賀御列の儀が行われた。

 国民祭典の祝賀式典での挨拶では台風19号などの被害に心を痛め、被災者へ寄り添う言葉を述べられた。東日本大震災後、上皇皇后両陛下は原発事故の風評が収まらない中で、御身は二の次にと被災地を行幸遊ばされた御姿と重なる。

 終戦後、昭和天皇が全国を行幸遊ばされ、国民の大きな励みになったのは誰もが知るところ。先帝陛下の御姿と両陛下の御姿が重なり、正に、国民と共に在りたいとの大御心に、改めて祖国日本に生まれたことに感謝せずにはいられない。

 台風被害が収まらない中でのパレードに違和感を唱える勢力が存在しているが、こういう時だからこそ陛下や皇族方の心の支えが必要なのだ。

 我が国の歴史を繙けば、仁徳天皇は高みから民の竈の煙をご覧になられ、明治天皇は日露戦争の最中、前線の兵と同じ食事を所望された。昭和天皇もまた東京大空襲で皇居へ被害が及ぶ中、御所に止まり、国民とその苦難を分かち合った。

 皇室は常に国民と共に在り。この「君民一体」こそが我が国體の精華である。我ら日本人が護るべきものは、平和・独立という主権、国益、国民の生命・財産だけではなく、日本という国柄や国體であり、畢竟、皇統であると痛感する。

 我が国は永い歴史の中から数々の伝統及び制度が生み出されてきた国家である。そんな中で永遠に無くなってはならぬものが天皇を戴く国家の在り方である。これこそが我が国のあらゆる制度の基盤であり核心であるのだ。

 我が国は日本即天皇、天皇即日本の天皇国家であることは言うを俟たない。2679年の永きに亙り「万世一系」の天皇を戴き、常に国民や世界の平和を祈り続けておられる天皇を、善き至高の存在として暮らして来た。

 天皇の御代が栄えることは、即国民の代が栄えることでもあり、この国體の精華は万邦類を見ないところである。正に、世界に冠絶した「君が代」そのものの世界が厳然と存在する国こそが、我が祖国日本なのだ。

 悲しい哉、日本という国に生を享けながらこうした国柄を否定し、天皇や皇室を批判する誠に以て不遜不敬、不届至極の不逞の輩がいるのも確か。

 祝賀御列の儀が生中継される中で、アナウンサーらは天皇皇后両陛下ではなく「雅子さま」だとか「秋篠宮さま」「ご一家」だとかの大合唱。ワイドショー並みの放映に終始し、国民も両陛下への親しみ易さを口にする。

 マスコミは陛下や皇室に対しては敬語を絶対に使わない。こうしたマスコミの「敬称・敬語不使用」や「開かれた皇室論」の姿勢は、今や国内外に蔓延し、天皇陛下や皇室に対する敬愛の念を薄れさせ続けている。

「開かれた皇室論」とは共産主義者に拠る反天皇運動である。戦後、マスコミは週刊誌などで陛下や皇族方を登場させ、不敬なスキャンダラスな記事で尊崇の念を薄れさせることに成功した。これこそが「開かれた皇室論」の狙いである。

「敬称・敬語不使用運動」も同じで、「雅子さま」「美智子さま」「秋篠宮さま」「紀子さま」「悠仁さま」という呼称は、本人は反天皇運動などと知らずにいても、共産党からの命令書を忠実に遂行している様なものなのだ。

 戦前の様に「畏れ多くも畏くも」とは言わないまでも、日本国民ならば「皇后陛下」「上皇(后)陛下」「秋篠宮(妃)殿下」「悠仁親王殿下」「(佳子・眞子)内親王殿下」との呼称使用し、節度ある敬意を表するべきである。

「開かれた皇室論」や「敬称・敬語不使用運動」、そして「女性宮家」から我が国の伝統文化や美徳が喪失して行くということを自覚しなければならない。

 今月には即位の最大の行事である大嘗祭が執り行われる。左翼勢力は大嘗祭を違憲と断じ、更には皇族減少を理由に女性宮家や女性天皇論を持ち出すだろう。

 祖国日本に巣食う奸賊共を排し迫る来る祖国の危機に対処し、天皇国日本を盤石の安きに置く使命を有する民族派陣営や真の保守派の覚悟は如何に。

※コメントは会員のみにさせて頂いておりますが、コメント入力希望の方はパスワードを教えますのでmr.cordial@live.jpへ。

<御支援の御願い>みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ

cordial8317 at 07:02|PermalinkComments(0)

2019年11月06日

「子ども」表記してる自民党公認候補ってバカかマヌケなのだろう(笑)

73370611_2234983599940048_5113327297973190656_o
 地元紙の折込に入っていた福島県議会議員選挙郡山市選挙区の公報を見ると、自民党県議団のボスと称される佐藤憲保と根本匠代議士の秘書歴13年を売りに出馬してる鈴木優樹が「子供」表記ではなく「子ども」表記をしていた。

 平成26年6月、文科省は国会での議論を経て、マスコミや左翼どもが常用してる「子ども」表記を、漢字表記の「子供」に統一する通達を出している。

 現代国語を書き表す場合の漢字使用の目安として用いられる「常用漢字表(内閣告示)」というのがある。これを基にした「新公用文用字用語例集(内閣総理大臣官房総務課監修)」には「子供」と表記する様に示されている。

 マスコミを中心に左翼勢力は確信的に「子ども」表記を続けているが、自民党公認候補までもが「子ども」表記を使ってることはマヌケとしか言い様がない。

「子ども」表記というのは「子供」の「供」という字が「お供え物」「お供する」などを連想させ「差別的な印象を与える」というのが理由。共産党は「子供」とは「大人の付属物や人身御供を意味する」と主張している。

 誰が子供を「お供え物」「人身御供」と連想するというのだろう。遜った「私ども」の様な接尾語の場合は「原則、仮名で書く」とされているが、「大人」に対する「子供」を意味する場合、漢字二字で表記するのが正しい。

「大人のお供(とも)」を表しているというが、その場合の漢字は「お供」ではなく「お伴」。仏壇の供物と同じく「子供とはお供え物」とは正にキチガイの不当な言いがかりであり、即ち子供への敬意が足らない証左でもある。

 悪党や政治家らを悪意的に「悪党ども」とか「政治家ども」とか詰ったりするし、「野郎ども」「若造ども」などと言ったりするが、「ども」とは敬意が低く、目下の者や見下した意味合いに用いられる場合が殆ど。

 この場合の「ども」は漢字だと「共」だが子供の「供」を「子ども」と表記することは、逆に言葉遊びで子供を弄んでいると捉えられても致し方ない。「子供」の漢字を使いたくないなら、平仮名で「こども」と書けば好いだけのこと(苦笑)

「子供」と同じく「婦人」というのも、アホンダラ左翼どもやジェンダーフリーの性的変質者どもらの企てによって公文書から消されてしまった漢字の一つ。

 これは、インチキ漢字研究者が、後漢時代の「説文解字」を紐解いて、「婦人」とは「箒を持って掃除をする女のこと」と紹介したことに始まる。

 この自説に、前出の性的変質者どもとキチガイどもが飛び付いて「婦人は差別だ」と叫んで抹殺した。しかし、間もなくこの説は全く誤りだと判明する。

 甲骨文字、それに続く金文の研究から「婦人」の「婦」は、「宗廟に酒を捧げ清める高貴な女性の意味」だということが判明する。だが、男女共同参画社会でのこうした言葉遊びや造語が改められることなく常用されている。

 また、男女共同参画社会の今では「看護婦」ではなく「看護師」と呼ぶ様になった。この「師」というのは、師団、軍師、派遣、元帥、追撃などに含まれる「追」のツクリは、軍隊を派遣する時に食料である肉を分けることが原義だ。

 普段、「平和」「平和」と叫んでいるアホンダラ左翼どもらは「師」の意味も分からずに「看護婦」を「看護師」と呼び換えて満足してるが、無意識のうちに軍隊に起因する漢字を使用しているとは夢にも思っていないだろう(苦笑)

「男女共同参画社会」というのは、こうした言葉遊びから始まった左翼陣営の共同謀議的愚策であり、こうした愚策に保守派であるべき自民党議員どもが違和感を覚えることなく、それらに与し、率先して実践していることは滑稽極まりない。

「子ども」表記を使ってるのは共産党を始めとした左翼どもか、単なる無自覚左翼のアホどもと見て間違いない。つまりマスコミは左翼勢力であり、疑うことなく使ってる自民党議員どもは余程のバカと見て好いだろう(苦笑)

 アホ野党の公認候補や公明党公認候補は当然「子ども」表記。他の自民党公認候補では山田平四郎と長尾トモ子がきちんと「子供」表記にしている。こうした何気ない事に気が付かないようでは議員になっても碌な仕事は出来ないだろう。

※コメントは会員のみにさせて頂いております。コメント入力希望の方はパスワードを教えますのでmr.cordial@live.jpへ。

<御支援の御願い>みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ

cordial8317 at 05:40|PermalinkComments(0)

2019年11月03日

現憲法が公布された文化の日は第二の憲法記念日である

 本日11月3日は「文化の日」。皇居では文化勲章が下賜され、順次、旭日大綬章などが授与される。全国では文化に功労が著しい方々が叙勲される。

 祝日法には「自由と平和を愛し、文化をすすめる日」を趣旨として制定された記念日である。昭和21年同日、日本国憲法が公布された日であり、「平和を愛し」との言葉を見るまでもなく「第二の憲法記念日」と言うのが正しい。

 現在の日本国憲法は、表面上は新憲法(日本国憲法)の制定とはなってはいるが、建前上は大日本帝国憲法(欽定憲法)第七十三条の条文に由る改正であり日本人自身が制定したことになっている。第七十三条の条文は次の通り。

「将来此ノ憲法ノ条項ヲ改正スル必要アルトキハ勅命ヲ以テ議案ヲ帝国議会ノ議ニ付スヘシ此ノ場合ニ於テ両議院ハ各々其ノ総員三分ノ二以上出席スルニ非サレハ議事ヲ開クコトヲ得ス出席議員三分ノ二以上ノ多数ヲ得ルニ非サレハ改正ノ議決ヲ為スコトヲ得ス」

 昭和21年11月3日の帝国議会に於いて昭和天皇は次の様に下賜された。 

「朕は、日本国民の総意に基いて、新日本建設の礎が、定まるに至つたことを、深くよろこび、枢密顧問の諮詢及び帝国憲法第七十三条による帝国議会の議決を経た帝国憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる。御名御璽」

 これが示す通りであるが、当時我が国は連合国の占領下に在り、政府にしてみれば不本意ではあるが米国の様々な条件を呑まざるを得なかったというのが真相であり、現憲法が「米国からの押し付け憲法」と言うのはこういうことだ。

 11月3日は、戦前には明治天皇の御生誕を祝い、明治大帝の御遺徳を偲び「明治節」であり、国民挙って奉祝した日である。敢えてこの11月3日に現憲法を公布させたということに米国の如何わしい意図が窺える。

 占領統治時代には多くの策謀が実行されている。例えば「東京裁判」でも、所謂「A級戦犯」28名が起訴されたのは同年4月29日の「天長節」で、当時の皇太子殿下の誕生日である12月23日に東条英機閣下以下7名の絞首刑が執行された。

 現憲法の発布を、明治天皇の誕生日という記念日を選んだという事実は、日本人に対し、贖罪意識を植え付ける為のものであることは言うを俟たない。

 こうした事実を知るだけでも、米英を始めとした連合国が如何に非情で無慈悲な日本人矯正を謀ったことが理解出来よう。

 教育勅語を下賜され、教育・文化を重んじた明治天皇の御遺徳を偲び、我が国の文化を奨めることが目的の「文化の日」ならいざ知らず、「自由と平和を愛し、文化をすすめる日」とは現憲法を絶対不可侵なものとしての強要である。

 現憲法前文には「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼し・・・」という記述があるが、「平和を愛する」という感情と、現実的に平和を守るというのは違う次元だ。今こそ戦後のあらゆる不条理を検証せねばならない。

 また、保守派や愛国団体の中には本日を「明治節」として、明治神宮を参拝し、明治天皇の御遺徳を啓蒙するという行動も見受けられる。「明治節復活」は異論はないが、明治神宮がそれに相応しいかといえばそれもまた疑問である。

 明治神宮は周知の通り、国民の総意により明治天皇と憲昭皇太后の御遺徳を偲び創建された神社であることは言うを俟たない。だが、平成16年、明治神宮は突如として神社本庁から離脱し一宗教法人となった。

 神社庁からの離脱の理由として、平成16年4月の陛下御親拝の案内状に「陛下」を「殿下」と誤記してしまった責任を取って離脱したとしている。

 然し乍ら、それは詭弁であり、見苦しい言い訳に過ぎず、その実は神社庁での主導権争いや確執の末の離脱というのが真相である。

 これ即ち、明治天皇と憲昭皇太后の御遺徳を偲ぶという本分を忘れ、神社を私物化し、営利至上主義に奔っている証左であり、こうした現状を憂慮せざるを得ない。明治神宮のこうした姿勢も糺さねばならない。

※コメントは会員のみにさせて頂いております。コメント入力希望の方はパスワードを教えますので mr.cordial@live.jpへ御気軽にメールを!

cordial8317 at 05:44|PermalinkComments(0)

2019年11月02日

琉球王国の象徴でもあり世界文化遺産の首里城が全焼

 琉球王国の象徴でもある首里城が全焼した。玉城デニー沖縄県知事は「必ず復元する」と語ってるが、国の管轄から県に移行させたのだから当たり前。政府や文化庁も支援するだろうが、国を都合好く利用するのは止めて貰いたいものだ。

 デニーは沖縄の将来像として「自治州的な一国二制度」がベストとの認識を示し「独特な歴史、文化、地理的特性を持つ沖縄だからこそ、一国二制度に移行すれば日本にとっても沖縄にとっても将来展望がより広がる」との考えの持ち主。

「政府から『これだけの財源と権限で沖縄の行政をしっかりやって下さい』と任される一国二制度です」というが、沖縄の歴史的な背景を利用して過分な財源を貰いながら国の政策には真っ向から反対。政府は沖縄の単なるATMではない。

 抑々「一国二制度」という言葉は、中国共産党が台湾問題に関して使われた言葉で、デニーのいう一国二制度とは、日本政府を利用し、中共と習近平の御機嫌を伺う、沖縄の伝統でもある「二股主義」が根源にあると感じる。

 沖縄の住民は、日本本土から南下した日本人とポリネシア系、台湾系、支那華南系で、「明」の時代に支那に入貢して琉球国・中山王として冊封を受け、奄美大島から先の宮古・八重山までの領域を支配する中央集権国家を築いた。

 琉球から日本へ使者が派遣されたのは室町時代になってからで、徳川時代に幕府の命令で島津藩が琉球に出兵し奄美大島を直轄化したが、琉球はその後に支那に誕生した清朝の冊封も受け両属の立場を採った。

 首里城は、戦前には沖縄神社としての正殿などが旧国宝に指定されていたが、戦後に再建された城を見ると漆で朱塗りされていたり、装飾に国王の象徴である龍が多用されていたりと琉球文化というより大陸文化の影響を強く感じる。

 二千円の図柄である「守礼の門」は、支那からの冊封使を迎えて行う琉球王の即位式の会場だが、これをしても沖縄が日本と支那との両属だったかが解る。

 冊封使とは、中国王朝の皇帝が付庸国の国王に爵号を授けるために派遣する使節。付庸国とは属国。清国から冊封使の品位は、朝鮮に対しては正三品以上であったが、琉球に対しては正五品以下従七品以上で朝鮮より下位とされた。

 琉球は日本文化が拒絶した「宦官制度」を導入していたことでも支那の朝貢国だった一面を否定出来ない。また、日清戦争の際には日本派(開化党)と清国派(頑固党)が乱闘を演じた。日清戦争で日本が勝利すると清国派は支那に逃避した。

 明治三十九年に沖縄の歴史・言語・民俗を研究し、沖縄で初めて文学士となった「沖縄学の父」といわれる伊波普猷(いはふゆう)の著書「古琉球」に拠れば、沖縄人にとっては沖縄で何人が君臨しても構わなかったという。

「明」や「清」の変わり目に当たっては「清帝」と「明帝」とに捧げる二通りの上表文を持参して行ったとのことでも、琉球人の二股主義の心情が現れている。

 伊波普猷の指摘する沖縄人の意識がどう変わったのか判らないが、最近の沖縄を見ていると日清戦争前の「頑固党」と見間違うばかりの連中が「日本からの独立」と「中共への隷属」を本気で考えているとしか感じない。

 今や沖縄は左翼勢力の尋常じゃない行動が目に付くが、デニーの一国二制度も同じで、中共への朝貢国としての琉球国王に即位したいが為のものだろう(笑)

 普天間問題で殊の外日米感情を煽り、米軍を撤退させ、中共の謀略通りに「沖縄ビジョン」の遂行を謀る。米軍を追い出し、代わりに支那から移民を受け容れようなどとは言語道断だが、二股膏薬主義の沖縄人ならやりかねない。

 火事の出火場所は本殿の真ん中だったというが、何か不信感は否めない。首里城の全焼を受けて、デニーの本音は政府より中共からの支援。日本からの独立を約束し朝貢国を演じれば、習近平は喜んで莫大な援助してくれると思うよ。呵々。

※コメントは会員のみにさせて頂いております。コメント入力希望の方はパスワードを教えますので mr.cordial@live.jpへ御気軽にメールを!

《会費&御支援》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ 

cordial8317 at 06:04|PermalinkComments(0)

2019年10月31日

天皇を戴く我が国こそが世界の中心である

 仏教に「須弥山(しゅみせん)思想」というものがある。須弥山とは世界の中心に聳え立つ高山で、その頂上には帝釈天が住むという世界観である。

 輪廻に関わる世界全体を表す「三界」と呼ばれる世界の最も上位にある「無色界」の更に最上位の非想非非想天と呼ばれる領域を「有頂天」という。

 我が国の「神国思想」は、この空想的な世界観である須弥山思想を日本に当て嵌めることによって、「天皇を戴く我が国こそが世界の中心である」という教えに導き、人々も日本こそが特別な神の国と信じる様になった。

 尊皇愛国の書として有名な山鹿素行の「中朝事実」では、世の学者の外国(主として漢土)崇拝を批判し、皇統の一貫を根拠に「日本こそ万国に卓越した中華・中国と呼ぶに相応しい国である」と日本主義を主張している。

 鎌倉時代末期、当時、全世界規模で支配力を強めていたモンゴル帝国が日本に襲来した際も、二度の台風によってモンゴル軍を敗走に導いたのは、台風を「神の吹かせた風(神風)」と解釈したことで一層流布することとなった。

 神国思想では、国土を「神州」、国民を「神裔=神の子孫」、国権を「神授(神から委託された権利)」という。国民は神の子として「子が親に孝養を尽くす様に、国民が国に尽くすのは最も現実なる道徳である」との教えに辿り着く。

 教育勅語も正にこの教えであるが、この神国思想を否定する左翼勢力や反皇室活動家らは「忠孝」を曲解し、根本的な「孝養」の教えも拒絶する。何故に拒絶するのかといえば先の大戦と神国思想を結び付けてるからに他ならない。

 これは戦後の米国に因る民主主義教育という洗脳が大きく影響している。また、明治維新後、長州閥の明治新政府が殊更に「天皇と神国思想」を政治的に利用した(天皇制と言われる根源)反動というのも一因に挙げられよう。

 別に「日本は神の国」とする思想は先人達からの伝統的な考え方でもあり、古事記や日本書紀でもこの点を事実として強調している。

 地上とは違う超現実的な世界を想定する神国思想は仏教だけではなく、キリスト教やイスラム教などの教えでもあり、人類普遍のものでもある。

 我が国の神国思想は、これらの考えとは一線を画し「日本という地上世界そのものが神の国である」とする処が特殊である。八百万の神々という日本固有の信仰である神道は、こうした世界観の中から生まれた道である。

 古の人々は神々の世界に対し、確かな意味付けを必要としないまでも、それらを自然に体現し「神の存在」を感じ取り、そこに天皇を重ね合わせた。

 以前、森喜朗元総理が「日本は天皇を中心とした神の国」と発言してバッシングを受けて早々に退陣したことがあるが、米国でも「日本はアマテラスの神の国」と教えているのに我が国ではタブーなのは不思議でならない。

 明治4年7月、江戸時代の藩を廃止して府県を置く「廃藩置県」が施行され中央集権的統一国家が確立された。因みにこの「県」とは「あがた」と読む。古代の皇室の料地、つまり県とは「神の土地」という意味を持つ。

 現在、地方自治の確立という理由の下で、この「県」を廃止して「道州制」を導入しようという計画が謀られている。こうしたことも政府中枢に入り込んだ左翼や反皇室活動家が国柄破壊の為の策謀である。

 我が国は神のすゑなる 神まつる 昔の手振り 忘るなよゆめ

※コメントは会員のみにさせて頂いております。コメント入力希望の方はパスワードを教えますので mr.cordial@live.jpへ御気軽にメールを!

《会費&御支援》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ

cordial8317 at 07:35|PermalinkComments(0)

2019年10月30日

慰安婦少女像は在韓米軍に轢き殺された犠牲者を悼む「平和を願う像」だったという

「議政府米軍装甲車女子中学生轢死事件」を知ってるだろうか。2002年6月13日、大韓民国京畿道楊州郡(現:楊州市)で、議政府市駐韓米軍基地の米第2歩兵師団所属の装甲回収車M88が女子中学生2名を轢死させた事件である。

 ウイキペディアの記事に拠れば、6月19日に同師団は韓米合同調査結果を発表。米軍側は故意や悪意によるものでなく偶然の悲劇であると強調。一方で事故原因としてМ88の構造上右方に死角があり、操縦手が気が付かなかった可能性も。

 管制官が約30m前方に女子中学生を見つけ操縦手に警告を試みたが「騒音や他の無線交信などにより不可能だった」と報告している。回収車は低速度で真っ直ぐ走行しており「急な方向転換が事故の原因」とする遺族の主張を否定した。

k
 6月28日には同米第2歩兵師団の広報が「誰も責任を負うに値する過失がなかった」と述べたことで米軍の対応を非難する世論が拡大して行く。

 2002 FIFAワールドカップの後この事件が広く知られるようになると、米軍を糾弾する世論が更に広がり、多くの市民団体が反米デモ行進を行った。

 裁判は11月18日から23日までに米軍キャンプ内の軍事法廷で開かれ、起訴されていた兵士2人に無罪評決が言い渡された。無罪判決に怒った市民らは11月26日に最初の集会を開いた翌日、兵士が謝罪声明を発表して韓国を去った。

 デモ活動はМ88轢死事件だけに限らず、これまで真相を解明することが出来なかった在韓米軍のレイプ事件や犯罪、更には何故か2002年ソルトレークシティオリンピックのショートトラックでの判定など様々な要素が加わったという。

 感情を抑えきれなくなるとファビョる民族だから止まるところを知らず、12月6日のソウルでの抗議集会には3万人余りが参加、駐米大使館への侵入を謀った。先日も駐米大使館に侵入していたが、こういう連中は射殺した方が好い(笑)

 12月14日の釜山の集会では、釜山の在韓米軍基地 (Camp Hialeah)後門がデモ隊によって突破され正門も突破。尤も警備する警察もグルだろうが(笑)

 このデモ以外にも全国各地や国外でも在韓米軍を追及する集会が開かれた。こうした反米運動の高まりに危機を感じたアメリカ政府は11月27日に謝罪を伝え、12月13日にブッシュ大統領が金大中大統領との電話で再度遺憾の意を示した。

 不平等だという批判があった韓米政府間の地位協定 (SOFA)を是正することにも合意したものの、韓国国民の怒りは鎮まらなかった。日本政府もそうだが、韓国への安易な譲歩は更なる譲歩を生むだけということがこうしたことでも分かる。

 こうした状況にアメリカ政府は事故当時の指揮官ら4人を懲戒処分にした。遺族は国家賠償を請求して、夫々の家族に約1億9千万ウォンの賠償金を支払った。

 韓国のこの反米運動を称えて、何故か北朝鮮では被害者である女子中学生を平壌牡丹峰第1中学校の名誉学生としたという。反米運動の陰に北朝鮮あり。

C2LHgETUAAAvu3z
 こうした抗議活動の中で生まれたのが少女像だった。像の製作者は、キム・ウンソンと妻のキム・ソギョン。親北朝鮮団体に所属し親北朝鮮団体「民族美術家協会」の事務長などを務め、積極的に反米運動を行っていた名うての活動家。

 少女像は在韓米軍に轢き殺された犠牲者を悼む「平和を願う像」だった。米軍車両事故で犠牲になった少女の記念碑が米国の韓国大使館近くの路上に無許可で設置されたことがあるが、数ヶ月後には地元区役所に撤去されている。

 撤去された像は恐らくは慰安婦少女像と言われてるものと同じだったことは想像に難い。少女像が金の成る木と感じた韓国人作家夫婦は、二匹目の泥鰌を狙って「日本軍に拉致され性奴隷にされた可哀想な少女」という演出を施す。

 慰安婦少女像の説明には「私は日本軍の性奴隷でした」として、「掻き乱された髪は、日本帝国軍によって自宅から強引に連れ去られている少女を象徴。握り拳は、正義の回復のための堅い決意を表しています。裸足でかかとの着いていない足は、冷たく無理解な世界によってずっと見捨てられていることを表しています」

「少女の肩に止まった鳥は、私たちと亡くなった犠牲者との絆を象徴しています。空いている椅子は、正義をいまだ証言していない高齢で死を迎えている生存者を象徴しています。少女の影はその少女と年老いたお婆さんで、無言のまま費やされた時間の経過を象徴しています。影の中の蝶は、犠牲者がある日彼らの謝罪を受け取って甦るかもしれないという希望を表現しています」などと書かれている。

「日本帝国軍によって自宅から強引に連れ去られている少女」らしいが、自分の娘が拉致されるのを銃を突き付けられてたから黙って見てたのか?

 韓国人ってのは娘や家族より、自分の命が惜しいヘタレ民族というのを曝している様なもの。娘を女衒に売り渡す親だもの抵抗するも何もないわな(苦笑)

 日本人ヘイト満載のクソ芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」にもこの少女像が出品されたが、何のことはない、反米抗議に味を占めた親北芸術家に拠る反日活動と金儲け。こうしたものに日本の左翼らが便乗して日本を貶めている。

k3


k2
 それにしてもこの慰安婦少女像は、米軍装甲回収車M88に轢き殺された沈美善という少女(右側)の顔立ちや髪型にそっくり。目は申孝順(左側)か。

 事故死したのにも関わらず、慰安婦という名の売春婦に仕立てられて金儲けの道具にされている。二人はきっと草葉の陰で泣いてるに違いない。合掌。

※コメントは会員のみにさせて頂いております。コメント入力希望の方はパスワードを教えますので mr.cordial@live.jpへ御気軽にメールを!

《会費&御支援》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ

cordial8317 at 05:36|PermalinkComments(0)

2019年10月28日

「女性天皇容認81%」に見る共同通信社の世論調査を嗤う

 世論というのは国民の声ではなくマスコミの作為的な報道で形成されていく。キチンと突き詰めた議論が成されない儘、安っぽいムードだけで、実に曖昧な次元で賛同者が殖えて行く。最近の「女性宮家」論はその最たるものだ。

 新聞に左翼の巣窟でもある共同通信社の世論調査が出ている。菅原一秀前経産相の議員辞職を求める声が48%もあるという。野党にも同様の案件があるがそうしたことは全く無視して我田引水的な世論誑かしの質問が列記されている。

「女性天皇」と「女系天皇」の質問では、「皇位継承できるのは男性に限られている」だとか「天皇は父方が天皇の血筋を引く男系で継承されてきた」とし、何故に男系が大事かを教えることなく男女平等であるべきとの思惑が滲み出る。

 女性は天皇になれるが、女性が天皇に就くというのは普通の生活は送れないということを意味する。女性天皇論者は、天皇としての国事行為や祭事の重要性を理解していないから安易に語れる訳で、天皇を軽んじてる証左でもある。

 第一章に明記される公務の代行は皇太子(皇嗣)殿下しか成し得ないということ。女性皇族は精精「外国の大使及び公使を接受すること」や「儀式に参加する」ことくらいで、何より天皇としての祭祀を代行することは出来ない。

 野党やマスコミが天皇を慮るかの如く「公務の御負担を女性宮家を創設ですることで軽減する」と訴えてはいるが、国民を誑かす詭弁の何ものでもない。

 天皇制廃止論者である共産党や立憲民主党の枝野幸男や辻本清美らが「女性宮家創設」や「女系天皇」「女系天皇」論を訴えていることでもその危険性が分かるというものだが、国民レベルでは女系天皇容認が多いことに驚く他はない。

「女系天皇問題」が活発に論議されていた平成17年、女系天皇容認論に対して、故三笠宮寛仁親王殿下が会長を勤める福祉団体「柏朋会」の会報「ざ・とど」で、女系天皇に明確に反対し旧皇族の皇籍復帰などを求めた文章を発表した。

「世間では『女帝問題』がかまびすしいので私の意見を『ともさんのひとり言』として聞いて頂きます」から始まる論文の論点は二つ。

 一つは「2665年(当時)年間の世界に類の見ない我が国固有の歴史と伝統を、平成の御世でいとも簡単に変更して良いのか」と疑問を呈している。

「万世一系、125代の天子様の皇統が貴重な理由は、神話の時代の初代神武天皇から連綿として一度の例外も無く、『男系』で続いて来ているという厳然たる事実です」と、皇統の歴史的な正統性を重んじるべきとの考えを示している。

 二つ目は、男系継承を維持する為の方法として、皇室典範を改正して、歴史上の幾つかの方法論を提起している。

1.臣下降下された皇籍離脱した旧皇族の皇籍復帰。

2.現在の女性皇族(内親王)に旧皇族(男系)から養子を取れる様にし、その方に皇位継承権を与える。(差当たり内廷皇族と直宮のみに留める)

3.元皇族に廃絶になった宮家(秩父宮・高松宮)の祭祀を継承して戴き、宮家を再興する。(将来の常陸宮家・三笠宮家もこの範疇に入る)

4・嘗ての様に「側室」を置くという手も有りますが、国内外共に今の世相からは少々難しいかと思うと述べられ、余談として明治・大正両天皇共に側室との間に出来た子供であることも記している。

 最後に寛仁殿下は「陛下や皇太子様は、御自分達の家系の事ですから御自身で、発言される事はお出来になりませんから、民主主義の世であるならば、国民一人一人が、我が国を形成する『民草』の一員として、2665年(当時)歴史と伝統に対しきちんと意見を持ち発言をして戴かなければ、いつの日か、『天皇』はいらないという議論にまで発展するでしょう」と結んでいる。

 正に殿下の意見は隻眼を有するもので、この意見に倣い「臣下降下された皇籍離脱した旧皇族の皇籍復帰」の実現を図るべきで、女性皇族(内親王)に旧皇族(男系)から養子より先んじて、旧皇族の皇籍復帰を成すことが求められる。

「今上陛下の血筋を受け継いでる後継者」なる価値観が散見するが、昭和天皇も上皇陛下より神武天皇からの男系の血筋を引く旧宮家の男子がいることを無視するというのは、皇統の正統性を認めたくない為のものであるのは明らか。

「女性宮家」では祭祀が叶わない。旧皇族の復帰を図り、廃絶になった宮家(秩父宮・高松宮、女性皇族しかいない常陸宮と三笠宮)の祭祀を継承して戴き、宮家を再興することこそ皇統を盤石の安きに置く最善最良の策である。

 蠢きだした「女性宮家」「女性天皇」「女系天皇」論は左翼の反天皇運動の一環であり、国民はマスコミ主導の実に怪しげな世論誘導に騙されてはならない。

※コメントは会員のみにさせて頂いておりますが、コメント入力希望の方はパスワードを教えますのでmr.cordial@live.jpへ御気軽にメールを寄せられたい。

《会費&御支援》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ

cordial8317 at 07:25|PermalinkComments(0)

2019年10月27日

13年も前の一件で更迭された菅原一秀前経産相も気の毒だな(笑)

 元秘書の告発に因り公職選挙法違反が避けられない状況になった菅原一秀経産相は安倍首相に辞表を提出した。事実上の更迭だが、13年も前の有権者への香典を渡した行為が問われるというのも気の毒に感じる(笑)

 この元秘書の執拗さは尋常じゃない。それだけ菅原の仕打ちが高圧的且つ陰湿だったのかもな。それにしてもこの秘書、贈答はいけないここと思っていたとして、「(菅原は)何をやっているのだろうと」感じていたという。

 ならば直接、親方である菅原の行為を諫めるべきだと思うが、言い訳がましく「解雇されるのではないかと怖くて言えなかった」と語っている。その時に怖くて言えなかったのに、解雇されて13年も経って告発というのも別な思惑を感じる。

「常に直諫なくば」と教えたのは吉田松陰。日頃、上司に対し何も言えない者は、いざという時には使い物にはならないのが多い。この秘書もその典型で、マスコミや野党の尻馬に載って国会を空転させる為のチンコロとしか思えない。

 こんな昔の香典の件で立件されるなら、野党の中にも同じ疑惑を持たれてる議員は少なくない。日頃、護憲を唱えてる野党が現憲法の「法の下の平等」を平気で犯してることさえ気付いていないとしたらマヌケ過ぎるだろう。

 今回の一件で、公職選挙法の改正を訴える声も聞くが、公職選挙法が改正される度に有権者ではなく議員が優遇されて行く。公職選挙法を改正するなら、選挙方法を見直しては如何か。今回の一件は現在の選挙制度が遠因でもあるのだから。

 インターネットでの選挙活動が解禁され、ビラ配布も容認された。だが、何故か電子メール送信禁止事項があるなど、選挙制度の御役所仕事が目に付く。

 その昔は、選挙に出馬となると宣伝車代やらポスター代、文書交通費、光熱費やその他諸諸のカネが必要だったが、今やそうした経費は殆どが役所が支払う。つまり、国民が納めた血税が議員に成りたがる輩に勝手に垂れ流されてるのだ。

 地区対抗戦の様な意味の無い選挙カーでの選挙を止めて、候補者が各地区を一緒に回り、公民館や体育館、集会所などで立会演説会をすれば好いではないか。何故、そんな簡単なことが出来ないのか。それは古い公職選挙法が原因。

 選挙カーでの移動中は名前の連呼しか叫べず、立会演説会には粗末な許可証を立てなければならない。正に現在の選挙制度は昭和25年制定当時の儘なのだ。

 明治22年「衆議院選挙法」が制定され、翌年日本で初めて国会議員の選挙が行われた。選挙権は直接国税15円以上で満25歳以上の男性に与えられた。

 大正15年には納税額は関係なく25歳以上の男性に与えられ、敗戦後、占領下だった昭和25年に「公職選挙法」が制定され、20歳以上の女性にも選挙権が与えられることとなった。平成27年には満18歳以上の男女となった。

 男女平等から戦後の公職選挙法は誕生したが、女性への選挙権付与で世の中が大きく変わって行く。男女同権は兎も角、納税額は必要なのではあるまいか。況してや高校生に選挙権は要らない、18歳以上の働いてる男女に与えるべきだ。

 愚生の場合、酒税は一般人より支払ってるが、所得税や市県民税は支払ってはいない。そんな無職の右翼風情にも選挙権を与える必要も無し(笑)

「政治家は隗より始めよ」という言葉がある。言い出した政治家が先ず国民に率先垂範しろということだが、そんな奇特な政治家などは今や見たこともない。

「滅私奉公」など今や死語だ。政治家を目指すのは単なる生業。今や地方議員を含めて政治家への報酬が国民の大きな負担となっていることを自覚すべきだろう。

 国民不在の政争を繰り返す国会と行政のチェックと提案機構という本分を忘れた地方議会。国会議員は国民から詐取している政党交付金を返納し、地方議員の報酬は福島県矢祭町議と同じく月3万円~5万円ほどの日当制で十分ではないか。

 議会の改革は公職選挙法改正に非ず、先ずは議員自ら身を削ることだ。「政治家は出たい人より出したい人を」とは蓋し名言であるが、いっそのこと政治家なんぞ裁判員と同じく無作為の抽選で決めた方がマシな議員が多くなるかも。呵呵。

※コメントは会員のみにさせて頂いております。コメント入力希望の方はパスワードを教えますので mr.cordial@live.jpへ御気軽にメールを!

cordial8317 at 08:59|PermalinkComments(0)

2019年10月25日

愛子内親王殿下を即位させることで皇統断絶の完遂を目指す

 安倍政権が謀った「退位特例法」には皇位継承問題を施行後速やかに行う旨が附帯されている。反天皇と皇統断絶に与する野党やマスコミは、国民の御祝ムードを無視するが如く「女性宮家」や「女性天皇」容認へ蠢き出した。

 女性は天皇になれる。だが、女性が天皇に就くというのは普通の生活は送れないということを意味する。女性天皇論者は、天皇としての国事行為や祭事の重要性を理解していないから安易に語れる訳で、天皇を軽んじてる証左でもある。

 多くの国民は陛下の御公務の御負担を「女性宮家創設で軽減する」と思っているが、天皇が重んずべき「祭祀」の代行は名代として掌典長のみが許され、「国事行為」の代行は憲法第四条の第二項よる委任か摂政のみが可能である。

「摂政」を置くにしても皇室典範と憲法に基づかねばならず、女性宮家を創設し国事行為を担わせるのならば憲法第四条を改正しなければならないが、改憲は第九条ばかりで第一章の「天皇」の条項が議論されることはない。

 第七条は「天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ」と明記されており、天皇は以下の項目を行っている。

一 憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。
二 国会を召集すること。
三 衆議院を解散すること。
四 国会議員の総選挙の施行を公示すること。
五 国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること。
六 大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を認証すること。
七 栄典を授与すること。
八 批准書及び法律の定めるその他の外交文書を認証すること。
九 外国の大使及び公使を接受すること。
十 儀式を行ふこと。

 第一章に明記される公務の代行は皇太子(皇嗣)殿下しか成し得ないということ。女性皇族は精精「外国の大使及び公使を接受すること」や「儀式に参加する」ことくらいで、何より天皇としての祭祀を代行することは出来ない。

 野党やマスコミが天皇を慮るかの如く「公務の御負担を女性宮家を創設ですることで軽減する」と訴えてはいるが、国民を誑かす詭弁の何ものでもない。

 女性皇族が結婚することで皇籍を離れるのは「今後は一般国民としての生活を重んじよ」との天皇の大御心でもある。そうしたことを理解せず、安易に女性が天皇に成れないのは女性差別であるかの様に女性天皇論を語ることこそ女性差別。

 過去に八人の女性天皇が存在した。その全ては男系の「女性天皇」であり、敬宮愛子内親王が天皇に即位されてもそれは男系の女性天皇となる。愛子天皇が御成婚となり第一子を儲けた場合、それは男系ではなくなる。

「旧皇族と結婚すれば問題ない」という声もある。ならば皇籍復帰を先に行うべきであり、本末転倒とはこのこと。若し御相手が元皇族でなかったらどうなるのか。過去八人の女性天皇が嫡子を産まなかったのはそういうことだ。

 秋篠宮悠仁親王殿下が継がない限り皇統は潰える。自民党保守系グループが「女系天皇」や「女性宮家」は、日本の伝統や皇室の終焉に繋がると指摘し、旧宮家の皇籍復帰を提言したが、女性皇族との養子縁組の項目は違和感を覚える。

 有志議員らは「特例法で可能」との認識を示すが姑息さは拭えない。旧宮家の皇籍復帰は憲法第十四条に抵触する恐れもあり、如何に皇統を維持して行く上で現憲法が我が国の国柄をも損なっていることを広く国民に訴えるべきだ。

 憲法以前の御存在であらされる天皇を米国製の憲法の範囲内で収めようとするから更なる矛盾が生じる。現憲法第二条は「皇位は世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところによりこれを継承する」と記されている。

 つまり、上皇陛下から徳仁陛下への皇位継承は合憲だが、秋篠宮殿下への皇位継承は世襲とはならず、皇統断絶を謀る左翼らは憲法第二条違反と叫ぶだろう。

 護憲派でもある反天皇勢力らが、来春の「立皇嗣の礼」を待たずに皇位継承議論を進めているのは、第二条を論拠として愛子内親王殿下を即位させたいが為であり、愛子天皇の誕生に拠り126代続いた皇統は断絶される。

 抑々「女性宮家」論は「天皇制廃止運動」の枢要な柱として、昭和40年(1970年)代半ば頃に、共産主義者らが発案したもので、1932年に出されたソ連共産党から日本共産党への「命令書(コミュンテルンテーゼ)」の命令遂行である。

 男系男子に限定する皇位継承や宮家を「女性が天皇になれないのは可笑しい」だとか「女性宮家がないのは女性差別」だと絶叫しているのは、天下の愚策でもある「男女共同参画社会」を成立させた名うてのキチガイ共と性的変質者らだ。

「男女共同参画社会」はその名の通り「共産(共参)社会」の実現であり、「女性宮家」や「女系天皇」論は、皇統断絶を謀り祖国日本の解体を目論む反天皇運動並びに左翼革命運動である。怪しい世論の動きに騙されてはならない。

※コメントは会員のみにさせて頂いておりますが、コメント入力希望の方はパスワードを教えますのでmr.cordial@live.jpへ御気軽にメールを寄せられたい。

《会費&御支援》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ

cordial8317 at 05:56|PermalinkComments(0)

2019年10月23日

百二十六代徳仁天皇の御即位に当たり謹んで御祝詞申し上げ奉ります

 百二十六代徳仁天皇の御即位に当たり、皇国臣民としての喜び之に優るものなし。この佳き日に当り、謹んで御祝詞申し上げ奉ります。

 我が国は永い歴史の中から数々の伝統及び制度が生み出されてきた国家である。そんな中で永遠に無くなってはならぬものが天皇を戴く国家の在り方であることは言うを俟たない。これこそが我が国のあらゆる制度の基盤であり核心である。

 我が国は正に日本即天皇、天皇即日本の天皇国家であり、この国體の精華は万邦類を見ない。2679年の永きに亙り「万世一系」の天皇を戴き、常に国民や世界の平和を祈り続けておられる天皇を、善き至高の存在として暮らして来た。

 天皇を族長と仰ぐ君民一体の家族国家が日本であり、「天皇即日本」「日本即天皇」の天皇国家が「日本」という国柄なのである。

 天皇の御代が栄えることは、即国民の代が栄えることでもあり、この国體の精華は万邦類を見ないところである。正に、世界に冠絶した「君が代」そのものの世界が厳然と存在する国こそが我が祖国日本である。

 このめでたい日に即位礼反対を叫び、無宗教である筈の共産主義者らが「宗教」と「日本国憲法」を屁理屈に天皇の存在そのものをも否定する。

 例えば、左翼陣営は「即位礼正殿の儀」で使われる高御座(たかみくら)に、皇位継承の証である剣璽や勾玉が高御座に置かれることに対し批判を強める。

 その理由は「三種の神器は天孫降臨の神話であり、高御座はそれを現すもので政教分離に違反してる」というもの。昨今の保守派より天皇の御存在を理解している様に感じるが、我が国は正に「神の国」であり、その何が不都合なのか。

 政府は、即位正殿の儀の後に賓客を招く国事行為の「饗宴の儀」を簡素化した。こうしたことも即位正殿の儀が、憲法違反の疑いがあると認識してる故の措置なのだろうが、憲法を都合よく解釈して一体何をしたいのか。

 憲法の従順化を謀ろうとしている安倍政権は、憲法以前の御存在であらされる天皇を現憲法で語り、現憲法との整合性ばかりを優先している。何故に左翼陣営と対峙し、天皇の御存在や祭祀を理由に憲法改正の狼煙を上げないのか。

 安倍は「憲法改正」を訴え自衛隊を憲法に明記するのに躍起だが、天皇条項に対しては現憲法との整合性を優先するというのは矛盾してないか。要は、安倍の九条改憲論は保守票欲しさの目晦ましと言うのが正しい。

 更には白々しくも「戦後レジームからの脱却」を訴える。戦後レジームの最大の問題は、占領下、天皇の御存在を軽々しくしたGHQの策謀に在る。国體と皇統破壊を目指して創られた現憲法で祭祀を語ること自体が大間違いである。

 占領下で謀られた様々な弱体化政策を見直すことが「戦後レジームからの脱却」であるなら、天皇の御存在、つまり国體を明徴にすべき。それには現憲法を破棄し旧憲法の復元を図るべきだが、隠れ九条信者の安倍にそんな意識は無い。

 現皇室典範はGHQにより改悪され、現憲法には天皇が優先されるべき祭祀や大嘗祭の規定は存在しない。現憲法と現皇室典範こそ国體破壊の元凶であり、現皇室典範も現憲法同じく復元改正し陛下に奉還すべきは国民の義務でもある。

 真の保守派であれば第九条なんぞより、第一条から第八条までの「第一章」の天皇条項の矛盾と問題点を明らかにして、如何に現憲法が我が国皇統の歴史に相応しくないかを国民に示し、憲法を論ずるべきではないのか。

 第一条は「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」と在る。

 安倍首相は、即位礼正殿の儀での寿詞(よごと)で「私達国民一同は、天皇陛下を日本国及び日本国民統合の象徴と仰ぎ・・・」と述べている。

 確かに国民の殆どは安倍首相と同じ思いだろう。だが、悲しい現実として「反天皇」を叫ぶ共産党などが存在する限り「国民の総意」ではないのだ。

 つまり天皇の地位は共産党が指摘してる通り違憲の存在であり、その共産党や反天皇勢力が「女性宮家」や「女系天皇」を容認している意味を知るべきだ。

 第二条には「皇位は世襲」と在る。今上陛下の後、世襲ならば愛子内親王が天皇になるということで、左翼勢力はこの条項を念頭に「女性天皇」と「女性宮家」を声高に叫ぶ。秋篠宮殿下を皇太子ではなく皇嗣にしたのもその為である。

 第四条第一項は「天皇は憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」と在る。即ち、都合の好い天皇の政治利用であろう。

 上皇陛下は、第四条を念頭に「憲法の定める国事行為を、高齢もあって象徴としての努めを全う出来なくなった」と吐露遊ばされただけのこと。

 この御発露を受けて執るべきは、四条第二項の「天皇は法律の定めるところにより、その国事に関する行為を委任することができる」に因り、第七条の国事行為を皇太子や秋篠宮殿下が輔佐、代行出来る環境を整えれば済んだこと。

 現憲法は、国の基本法として矛盾だらけで機能していない。第九条のみの改正は現憲法の護持に繋がる。左翼陣営もまた陛下の「憲法に則り、象徴としての努めを・・・」との文言を護憲と捉えて都合好く利用してくることは明らか。

 即位礼正殿の儀が終わり、来月には皇位継承の重要祭祀である大嘗祭が斎行される。大嘗祭は明らかな憲法違反だろう。左翼陣営は第二条の「世襲条項」を盾に愛子内親王の即位を目指すが、現憲法では皇統を死守することは出来ない。

 日本国憲法の無効と大日本帝国憲法の復元改正、旧皇室典範の奉還、旧皇族方の強制皇籍離脱を謀った宮内府告示の撤回、皇位継承儀礼を備に定めた登極令の復元など正統保守並びに愛国陣営が訴えなければならない課題は多い。

※コメントは会員のみにさせて頂いておりますが、コメント入力希望の方はパスワードを教えますのでmr.cordial@live.jpへ御気軽にメールを寄せられたい。

《会費&御支援》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ

cordial8317 at 05:59|PermalinkComments(0)

2019年10月20日

昭和19(1944)年10月20日、「神風特別攻撃隊」が編成される。

 本日は上皇后陛下の御生誕日。謹んで御祝詞申し上げます。10月20日は、歴史的にも現代を生きる我々が決して忘れてはならない日でもある。

 米連合軍部隊は圧倒的勢力でフィリピンのレイテ島に上陸を図ろうとする。大日本帝国海軍は徹底抗戦に応じるも戦況は芳しいものではなかった。

 昭和19(1944)年10月20日、戦況不利な状況から起死回生の反撃を決行し、連合軍の沖縄への上陸と本土決戦を阻止する為に、大西瀧次郎中将の指令下「神風特別攻撃隊(しんぷうとくべつこうげきたい)」が編成された。

 祖国日本を守る為に、愛する家族や故郷を守らんと死を決意して志願した特攻精神は祖国愛の極致というべきものであり、正しく「神風精神」こそは大東亜戦争が自存の為の「祖国防衛戦争」だったことの何よりの証である。

 沖縄への上陸を何が何でも阻止しようと特別攻撃隊が果敢に応戦するも連合軍の圧倒的軍事力には敵わず、翌年4月1日、米軍は終に沖縄に上陸した。

 迎え撃つ牛島満中将指揮下の師団と旅団、及び大田実海軍少将指揮下の海軍部隊、棚町整海軍大佐が指揮する約7千人の航空関係員が対峙する。

「鉄血勤皇隊」や「ひめゆり学徒隊」に代表される少年少女など、軍官民は決死の防衛戦を展開。本土からは、戦艦大和に代表される第二艦隊の出撃「菊水一号作戦」や、桜花隊や敷島隊等の航空特攻「菊水二号作戦」を発動する。

 更には、航空特攻だけではなく、海軍特殊潜航艇「回天」等の特攻作戦を展開する。こうした決死の戦闘空しく、同年6月23日に組織的沖縄戦は終結した。

 沖縄戦では特攻部隊が重要な役割を果たし、特攻戦死者の実に76%が沖縄戦で亡くなられている。鹿屋基地(海軍航空)からの特攻では1981名、知覧基地(陸軍航空)からの特攻で1036名が散華されている。

 特攻作戦は航空部隊や特殊潜航艇だけに止まらず「魚雷特攻」「空挺特攻」「対戦車特攻」「震洋特攻艇」「陸軍海上特攻」など、日本軍の劣勢を覆す為のこうした作戦で実に3972名の若者が祖国日本の為に尊い命を捧げられた。

 沖縄戦に出撃した戦艦大和は沖縄沖で砲撃戦を行う予定であったのだが、出撃後の4月7日、惜しくも鹿児島沖の海に沈んだ。大和の船内には歯磨き粉や歯ブラシ50万人分、月経帯15万人分などの民生品を大量に積み込んでいたという。

 こうした事実はつまり、大和は連合軍の沖縄上陸阻止という戦いだけではなく、沖縄と沖縄の人々を必死に護ろうとした何よりの証明と云えよう。

 特攻作戦を「無駄死」という声を散見する。現在の道徳観や倫理観で生死を語るなど笑止千万。我が国の現在の平和や繁栄は、純真無垢な彼らの尊い犠牲の上に成り立ってるということを現代に生きる我々は決して忘れてはならない。

 沖縄を始め国内では未だに「日本は沖縄を見捨てた」だとか「日本は沖縄を捨石にした」などという左翼勢力に拠るプロパガンダが蔓延っているが、いい加減、被害者意識を捨てて歴史の事実に目を向けたらどうだろう。

 被害者ぶったところでそこからは何も生まれない。純粋に沖縄を護る為に、我が国の未来の為に尊い命を捧げてくれた若き英霊に対し、今を生きる我々が被害者意識丸出しでは一体どんな顔向けが出来るというのか。

 沖縄戦で散華した大田少将は自決前「沖縄県民斯ク戦ヘリ県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」と打電した。この一文から沖縄を死守すべく先人達は戦い、力及ばず敗戦の憂き目を見るが、決して沖縄を見捨てた訳ではない。

 戦後、米軍の統治下に置かれた沖縄県民の負った犠牲は気の毒だが、旧ソ連の残虐非道、鬼畜の如き蛮行を受け、故郷を追われた北の島々の方々の想いに比べれば、占領したのが米国で未だマシだったとは思えないか。

 戦争に負けるとはそういうものであり、先の大戦は「一旦始めた戦争は決して負けてはならない」という重要な教訓を遺したと言えよう。

 10月20日で思い出すのは、新右翼のカリスマ的指導者だった野村秋介が平成5年に朝日新聞社で壮絶な死を遂げたことだ。何故にこの日を選んだのか?

「地久節(当時)の日に・・・」との声も無い訳ではないが、この日が「特攻作戦と若者の命」という深い意味が込められていたからである。

 理論家であり、行動派であり、何より権力に媚びず、幅広い人脈を持つ野村秋介の死は、新右翼に限らず右翼陣営全体にとっても大きな痛手であり、野村の死後、右翼陣営には指導者不足という課題が大きく伸しかかっている。

 10月20日というこの日の思いが吾が脳裏に去来する。

 すめらぎいやさか すめらみこといやさか

※コメントは会員のみにさせて頂いております。コメント入力希望の方はパスワードを教えますので mr.cordial@live.jpへ御気軽にメールを!

cordial8317 at 07:24|PermalinkComments(0)

2019年10月18日

靖國神社秋季例大祭に衛藤大臣が参拝し安倍は真榊で事を濁す

 靖國神社秋季例大祭に合わせて衛藤晟一沖縄北方担当大臣が参拝し、早速、中韓からの内政干渉的批判に曝されている。世間では首相の参拝を熱望する声が絶えないが、安倍首相は中韓に配慮し今では恒例となった真榊奉納で事を濁した。

 保守派や自称愛国者らは「諸外国に言われる筋合いは無い」と、総理大臣の靖國参拝を熱望する。総理や大臣が参拝することで靖國が騒がしくなるなら、政治家なんぞが靖國にかかずらって欲しくはないというのが正直なところ。

 いっそのこと千鳥ヶ淵墓苑をアーリントン墓地の様に造り直し国立戦没者墓苑にしたら如何か。靖國神社は、国家に殉じた英霊の顕彰を重んじている神社であり、慰霊や追悼が目的の政治家なんぞ千鳥ヶ淵に参じれば好いではないか。

 米中韓の不当な内政干渉に屈する必要はないが、首相の公式参拝や閣僚の参拝が現憲法下での解釈で赦されていないのならば参拝は控えるべきだ。

 現憲法20条第3項には「国及びその機関は宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」と明記されている。つまり総理や国務大臣の靖國参拝は第20条違反であり、それを認識してるからこそ「個人」としての参拝を強調する。

 また、最高裁が示した憲法の禁止する「宗教的活動」の定義は、当該行為の目的が宗教的意義を持ち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進または圧迫等も含まれる。つまりは「A級分祀論」なども第20条違反に問われる行為でもある。

 抑々、我が国には「A級戦犯」を始め「B・C級戦犯」「戦争犯罪人」という呼称はない。「戦犯」という名称は戦勝国である連合国側が定めた蔑称である。

 講和条約発効翌年の昭和28年に召集された第16国会に於いて、全会一致の議決により「戦傷病者戦没者遺族援護法」が改正された。この議決を以て全ての戦没者は法的に復権されているのであって「戦犯」と呼ぶことは国会軽視である。

 A、B、C級の区分に関係なく、刑死・獄中死された方は「法務死」と称され、靖國神社では「昭和殉難者」として御祀りしている。それにも係わらず国会議決を無視し「戦犯」と言い続けることは、東京裁判史観を妄信してる証左だ。

「分祀論」こそ非常識且つ無責任な愚論である。こうした主張が左翼ではなく自民党など保守を標榜する議員から発せられてること自体が恥ずかしい。

 石破茂ら分祀論者らは、尤もらしく「A級戦犯分祀が実現すれば天皇陛下が参拝できる環境が整う」などと、畏れ多くも陛下を利用し国民を誑かしている。陛下が御親拝せられなくなった理由はA級戦犯合祀が理由ではない。

 陛下の御親拝を妨害しているのは、石破ら不逞の政治家も然ることながら、国體破壊と皇統断絶を謀っている官僚どもと宮内庁幹部である。

 国家の為に尊い命を捧げた人々の御霊を奉斎する靖國神社を、国家の責任で護持することは余りにも当然のことで論議の余地などない。

 戦前はそれが厳守され、国民挙って護国の英霊に感謝し崇敬の誠を捧げた。殊に特筆すべきは靖國神社の大祭に限り、天皇陛下が御親拝せられたことだ。聖恩無辺、英霊並びに遺族にとっての感激と光栄、これに優るものはなかった。

 こうした問題を解決するには分祀論や都合の好い憲法解釈ではなく、靖國神社の「宗教法人格」を見直せば済むことだ。現憲法は矛盾だらけで機能していない。憲法議論は別に第9条ばかりではなく、靖國問題も提起する必要があろう。

 靖國神社は現在「宗教法人」となっているが、これは占領下、国家と神道の分離を謀ったGHQの「神道指令」に因って、靖國神社の存続に苦慮した当時の政府や神社関係当局の緊急避難行為というべき措置であって実態は宗教ではない。

 宗教とは「教祖・経典・布教活動」の三要素を必須不可欠とするが、靖國神社にはその一つも無い。唯、祀りの様式を神道に則って行っているに過ぎない。

 本来ならば、我が国が主権を恢復した昭和27年4月28日に、靖國神社と全国の護国神社を「宗教法人格」ではなく国家で管理するべきだったのだが、政治の怠慢、それも自民党の無作為でそれも成されずに現在に至っている。

 自民党は過去に選挙公約の一つとして「身を挺して国に殉じた英霊を祀る靖國神社の公式参拝と国家護持の実現を図る」という政策を幾度となく掲げて来た。保守政党として、また政権政党として至極当然の認識と政策であろう。

 だが、自民党は安定多数の議席を確保しながらもその公約は未だ実現せず、昭和49年の参議院での審議終了による廃案以来「靖國神社法案」は提出されることは無くなった。安倍や自民党がインチキ保守と詰られる一つの要因でもある。

 共産主義者に与し「退位特例法」の成立を謀り、天皇の大権である元号制定権を簒奪し、践祚改元奉告祭を無視し新元号公布に悦に入って安倍だもの靖國法案を成立させることなど眼中に無い。真榊奉納で保守票を取り込んでいるだけ。

 靖國神社を政治利用する前に長年の悲願である「靖國神社法案」を再提出し、靖國神社国家護持と陛下の御親拝に道筋を付ける為に政治生命を賭けよ。

※コメントは会員のみにさせて頂いておりますが、コメント入力希望の方はパスワードを教えますのでmr.cordial@live.jpへ御気軽にメールを寄せられたい。

《会費&御支援》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ

cordial8317 at 05:25|PermalinkComments(0)

2019年10月16日

「体育の日」が来年の東京オリンピックに合わせて「スポーツの日」に名前が変わる

「体育の日」が来年の東京オリンピック2020開会式の7月2日に合わせて「スポーツの日」に名前を変える。その前日の23日は「海の日」を移動させ、木金土日の4連休となる。オリンピック観戦や景気向上に繋げたい考えらしい。

「体育」と「スポーツ」ではその意味と趣旨はビミョーに違う。スポーツは競技であり、楽しんで行う「娯楽」を意味し、体育とは健康の保持や増進と体力の向上を図る為のもの。「体育」は「知育」「徳育」と並ぶ重要な教育でもある。

 体育の日の名称変更の理由を「教育的意味合いの強い『体育』という言葉がそぐわない」とか「スポーツに自己実現や国際社会との窓口を開く役割がある」という。祝日法を都合よく改正しているが本質はそこじゃないだろう(苦笑)

 所謂「ハッピーマンデー」は左翼陣営の策謀であり、その目的は我が国の歴史・伝統・文化の否定であり国體破壊にある。そうした愚策を否定せずに、景気対策や言葉遊びの如くに「スポーツ」などと改称するとは何事か。

 諸外国に比べ、我が国の祝祭日ほど「国柄」の分かる素晴らしい伝統、文化はない。だが、多くの日本人が祝祭日をただの休みとしか考えなくなったのは、政治家の無能や不作為も然ることながら日本人の精神的貧困の顕れでもある。

 外国人が日本人と交流して感じるものは気品であり、洗練された礼儀正しさであり、寛大さである。世界の何処を探しても、日本人の様な洗練された美を追求する高い創造性や質素な上品さに比肩するものは他にはいない。

 この様な我が国の生活文化を支えているものが日本語である。安易な横文字の使用は先人達が長い歳月に亘り言葉に宿らせて来た重い意味を失わせる。

 明治の先覚者は、外来語をそのまま使用することなく咀嚼して全て新漢字に翻訳した。日本語で西洋文化を学ぶことが出来たことは実に偉大なことだ。

「スポーツの日」という現代の軽佻浮華な舶来趣向と比べれば、明治人の気骨と気概や高い見識を伺い知ることが出来る。祖国の言葉である日本語に自信を持ち、何処までも日本語で主張し、日本文化を貫いたからこそ発展が得られたのだ。

 戦後の利己心剥き出しの価値観は欧米を模倣したからだ。我が国を経済大国にしたのは戦前に教育を受けた人々であり、それを潰してしまったのは戦後教育を受けた世代である。それをしても戦前の教育や価値観が全て悪ではない。

 欧米流の理性や教育に抜け落ちているのは「本能論」。人間と動物の優劣性を強調する余り、動物にある「本能」を下等なものとして否定しまった。

 仏教でも儒教でも「本能」が「理性」を創るのに重要な役目を果たしていると説いている。これらを考えるに、教育で一番大事なのは「徳育」である。徳育は忠君愛国ばかりではなく「人間性」を確立することに在る。

 そこで我が国の教育を再生するには「正しい精神論」を創ることが必要となる。正しい精神論は正しい肉体を創るのが大事で、そこに「体育」が必要となる。

「健全なる精神は健全なる肉体に宿る」という。スポーツという娯楽から健全なる肉体と精神は生まれない。「知育」「徳育」「体育」こそ教育の要である。

※コメントは会員のみにさせて頂いておりますが、コメント入力希望の方はパスワードを教えますのでmr.cordial@live.jpへ、または直接メールに御意見を。

cordial8317 at 06:35|PermalinkComments(0)

2019年10月15日

「誇り高き隊員を失ったことは我が国にとって痛手である」

 安倍首相は13日、防衛省での自衛隊殉職隊員追悼式に出席参列し「誇り高き隊員を失ったことは我が国にとって痛手だ。不幸なことが再び起こらないよう努力する」と述べた。この「不幸」という言葉が意味深に聞こえるのは穿ち過ぎか。

 自衛隊殉職隊員追悼式は昭和32年より、任務遂行中に不幸にして職に殉じた隊員の追悼する目的で防衛大臣主催により毎年この時期に実施されている。

 平成10年には、防衛省が六本木から現在の市ヶ谷への移転に伴い、敷地内に自衛隊殉職者慰霊碑が建立されることとなった。毎年、御遺族、内閣総理大臣、防衛大臣、自衛隊高級幹部などが参列し追悼式が行われている。

 だが、防衛省はその性格上、一般国民が足を踏み入れることは出来ない為に、広く国民が自衛隊員への慰霊や顕彰をすることは困難な状況となっている。

 昭和25年8月9日の警察予備隊発足以来、自衛隊では実に1964名の自衛官が殉職されており、今年も訓練中に亡くなった12名が合祀された。

 阪神淡路大震災や東日本大震災を始めとした災害派遣や我が国の平和と独立と国民の生命財産を守る為に行われている訓練などで、今迄に1976名の自衛官が殉職されていることを果たして国民の何人が知っているのだろうか。

 国民がこうした殉職自衛隊員に感謝し如何に慰霊と顕彰をすべきなのか。自衛隊殉職者慰霊碑を現在の駐屯地内から千鳥ヶ淵墓苑に移そうという声も聞くが、千鳥ヶ淵墓苑ではなくやはり靖國神社に祀るべきではあるまいか。

 中共の覇権的海洋進出を始め、韓国のGSOMIA脱退に見る朝鮮半島の緊張と日米安保の形骸化など、我が国周辺の安全保障環境は益々厳しいものとなりつつある今、一旦緩急を想定して万全の準備をすることが政治の務めである。

 若し「戦死」した彼らを顕彰するのはやはり靖國神社を於いて他にない。1976名にも及ぶ殉職自衛官も同じく靖國神社に祀り顕彰することは当然の行為であり、彼らの犠牲の上で平和を謳歌する我々国民の義務でもある。

 国家の危機の要請に応じ、敢然と戦場に赴いて戦い散って逝った英霊に対し感謝の誠を捧げ、慰霊し顕彰することは世界の何処の国でも当然のこと。 ところが残念なことに我が国では国の礎となった方々は国家から顧みられることが少ない。

 こうした英霊を軽んずる行為が、昨今の国民精神の頽廃を招いている要因となっていることを我が国の政治指導者は考えたことがあるのだろうか。

 河野防衛大臣は「隊員の遺志を受け継ぎ、国民の生命や領土、領海、領空を断固として守り抜く為に全力を尽くす」と語った。ならば、改憲さえすれば好いというものでもない。国家に殉じた英霊の祀り方も論じる必要があろう。

 殉職した自衛官のどういう遺志を継いで、どの様に世界の平和と安定に貢献するのか。 殉職自衛官に対し、憲法上の理由から国民が感謝の誠さえも捧げられないという誤謬に満ちたこの国の陋習を糺さなくてはならない。

※コメントは会員のみにさせて頂いておりますが、コメント入力希望の方はパスワードを教えますのでmr.cordial@live.jpへ、または直接メールに御意見を。

《御支援の御願い》 みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ

cordial8317 at 06:04|PermalinkComments(0)

2019年10月13日

「大丈夫、なんとかなる」。どうにもならない運命などありゃしない(笑)

 台風19号が東日本に上陸した。福島県を通過したのは未明だった為に詳しい被害状況が分からないが最小限に止まって欲しい。友人知人から心配のメールやメッセージを頂きましたが無事です。御気遣いに感謝。

 何事も用心することは大事なことだが、小さな事に一喜一憂することなく、いつどこでも平常心で自然体でいることの方がもっと大事である。

 因みに「自然体」とというのは、自由気儘なことや自分勝手や自分本位という自己チューということではなく相手や今ある状況に合わせることです。

「災難に逢う時節には災難に逢うがよく候。死ぬ時節には死ぬがよく候。是ハこれ災難をのがるる妙法にて候」とは大愚良寛和尚の金言である。

 災難に遭うことは誰でも起こり得ることで、それが何処でいつ起きるかは分からない。また起こってしまった災難を取り消すことは出来ない。

 災難に慌てふためいたりしてしまうと、パニックから正しい判断が出来ずに災難を大きくしてしまうこともある。慌てたり驚いたりしてばかりいれば、心の中で災難が大きくなってしまい、いざという時に誤った判断をしがちだ。

 起こってしまった不幸には、いつまでも後悔したり、立ち止まったりすることなく「こういう時もある」と諒としてその運命を受け容れることも大事なことだ。何より人生なんてのは、成るようにしかならないものなのだから。

 逆境やピンチになると人間というのは思いもよらない様な潜在能力を発揮する。だが、その逆境やピンチから直ぐに逃れようとする人は意外に多い。

 それだけ人間というのは弱い生き物でもあるのだが、これでは潜在能力どころではない。だが、果してどうにもならない運命などあるのだろうか。

「一休さん」こと一休宗純は、忌の際に集まった弟子達に「自分が死んだ後、どうにもならないことがあったらこれを開けなさい」と遺言状を渡した。

 やがて、彼の死後から数年たった時に弟子の中で大変困ったことが起こったという。弟子達は師に救いを求めようと渡された遺言状を開けてみることにした。そこには一言「大丈夫、なんとかなる」とだけ綴ってあったという。

 どうにもならない様なことや絶望というものは自分でそう思ってしまっているだけで、実はそれほど大したことではなく、なんとかなるものなのだ。

 人間、好い意味での諦めや開き直りは大事なこと。未来のことや、未だ起こりもしないことを一々気を病んでビクビクして生きて行くよりも、今この時を本気で懸命に生きるべきで「一日一生」とはそういうことである。

※コメントは会員のみにさせて頂いておりますが、コメント入力希望の方はパスワードを教えますのでmr.cordial@live.jpへ、または直接メールに御意見を。

《御支援の御願い》 みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ

cordial8317 at 07:10|PermalinkComments(0)