2021年07月30日

東京裁判を進める上で「通州虐殺事件」は実にやっかいな不都合な歴史だった

 国内では未だ「日中戦争は日本の侵略戦争だ」との自虐史観が蔓延しているが、日中戦争(日支事変、日華事変、支那事変)は、毛沢東率いる中国共産党の挑発行為によって勃発したものだということは今や歴史的にも証明されている。

「日中戦争」勃発前の支那の新聞の大勢は、「日本をやっつけるべし」という「対日主戦論」が幅を利かせていて、過激な知識人・学生・都市市民、中国共産党、地方軍閥の3グループが主戦論だった。 共産党と軍閥は知識人などに主導された過激世論を味方として、蒋介石政権に対しての立場を有利にしようと狙っていた。

 特に中国共産党は「反日」を最大の政治的武器として使っていた。 現在の「反日」も見方を変えれば中国共産党の危機感の表れと見えなくもない。

 昭和6年(1931年)11月に江西省の瑞金に成立した中華ソビエト共和国は、毛沢東の名により我が国に対して「宣戦布告」を発している。

 この様に何時、何処で我が国への攻撃が起っても不思議ではない状況の下、昭和12年(1947年)7月7日、盧溝橋で日本軍と中国国民革命軍第二十九軍との衝突事件が起った。 この後には「通州」で、支那人による日本人虐殺事件が起こっている。

 この日本人虐殺事件こそが歴史から消された「通州事件(通州虐殺事件)」である。 所謂「南京大虐殺」は知っているが、通州事件について知る国民は少ない。

 通州での残虐行為は全く語られることはなく、学校の教科書にも歴史書や年表にも載ってはいない。通州虐殺事件は東京裁判に不都合ということで不問にされた。

 東京裁判で、日本側弁護団は、この「通州事件」について外務省の公式声明を証拠として提出を図るが、ウェッブ裁判長はその申し出を安安と却下した。

 この通州での日本人虐殺事件を東京裁判で取り上げることは、日中戦争(支那事変)での連合国の「日本悪玉論」の論拠を失うばかりか、東京裁判を進める上でも実にやっかいな不都合な事件だったということは言わずとも分かるだろう。

 この通州虐殺事件を知らずして、この後に起きる盧溝橋事件は語れない。通州虐殺事件は日本人にとって決して忘れてはならない歴史の真実なのである。

 虐殺事件は昭和12(1937)年7月29日に起きた。北京から東に18キロほど下った通州という街は、明朝時代に城壁が築かれ、天津からの集荷の拠点として栄えた運河の街だ。 通州は当時、日本軍が駐屯しており治安も安定していた。

 規律正しく公正な日本軍は、当時の支那の何処の街でも庶民から歓迎されていたことは当時の写真などでも知るところ。ところが、治安の良いはずのその通州で、昭和11年頃から不穏な空気が漂い始める。最初に騒ぎ始めたのが朝鮮人らだった。

 通州に於いても同じだが、これに朝鮮人らは「日本は悪い国だ、朝鮮を自分の領土にして朝鮮人を奴隷にしている」と言い触らし、「次は支那を領土にして支那人を奴隷にしようとしている」などと根拠のないデタラメを半ば公然と吹聴し始める。

 昭和12年になると更に過激になり、「日本軍と日本人を追い出さなければならない。いや日本人は皆殺しにしなければなない」と言い出す迄になって行く。そうした風評は止まることはなく、益々エスカレートし民衆は殺気立った。

 そうした仄聞は現地に駐屯していた日本軍にの耳にも入ってはいたが、現地の日本軍は「その様な根も葉もない噂など相手にする必要はない」と問題にしなかった。

 多くの日本人は物事を客観的に捕らえ様と努力する。これは日本人にとっては至極当たり前のことで美徳とも言えるものだ。だが、何も反論もせず、怒らないことで朝鮮人や支那人を付け上がらせる結果になってしまったのも事実。

 これは現在の対中、対韓外交でも言えることだろう。興奮し易く、直ぐに舞い上がり、感情的になるのは古来から変わらぬ朝鮮人の特徴で、中国共産党の工作員らにとってこれほど利用し易い民族はいなかっただろう。

 昭和12年7月29日午前3時、通州にいた冀東防共自治政府の保安隊(第一総隊と第二教導総隊)合わせて3000人が日本軍を襲撃する。この時、通州にいた日本人は380名。内軍関係者は110名、残りは全員が婦女子だったという。

 不意を突かれた日本兵は防戦一方。襲撃開始と同時に日本兵30名が死亡した。必死で防戦をしている間に、支那人の学生や朝鮮人が日本人の居留区を襲撃し、日本人居留民260名をたった一日で極めて残虐な方法で虐殺するに至った。

 東京裁判での支那駐屯歩兵第2連隊小隊長・桜井文雄証人の証言がある。

 守備隊の東門を出ると、
殆ど数間間隔に居留民男女の惨殺死体が横たわっており、
一同悲憤の極みに達した。
「日本人はいないか」と連呼しながら各戸毎に調査していくと、
鼻に牛の如く針金を通された子供や、
片腕を切られた老婆、
腹部を銃剣で刺された妊婦等の死体が
其処彼処のゴミ箱の中や壕の中から続々出てきた。
ある飲食店では一家ことごとく首と両手を切断され惨殺されていた。
婦人という婦人は14、5歳以上は悉く強姦されており
全く見るに忍びなかった。
旭軒では7、8名の女は全部裸体にされ強姦刺殺されており、
陰部に箒を押し込んである者、口中に土砂をつめてある者、
腹を縦に断ち割ってある者など、見るに耐えなかった。
東門近くの池には、首を縄で縛り、
両手を合わせてそれに8番鉄線を貫き通し、
一家6人数珠繋ぎにして引き回された形跡歴然たる死体があった。
池の水が血で赤く染まっていたのを目撃した。

 証言した桜井小隊長は、事件後に現地に調査に入った人物だが、文中にある旭軒での出来事を全て目撃した女性の体験談もあるが筆舌に尽くし難い。

 日本国内では未だ「日中戦争は日本による侵略戦争」だという自虐史観が蔓延しているが、日本は「北京議定書」に基づき在留邦人保護の為に軍隊を駐屯させていたのであって侵略が目的ではなく、侵略というものでもない。

「盧溝橋事件」は中国共産党の謀略であることは今や明らかになっている。上海に駐留していた日本海軍陸戦隊に、正規軍10万人で一方的に攻撃した何れの事件も中国共産党が仕掛けた戦争であり、侵略者は我が国ではなく中国共産党である。

 天安門事件やチベット、ウイグルなどで、中共軍が行ってきた虐殺や弾圧は筆舌に尽くし難いが、歴史を見ても決してこれらは対岸の火事ではない。

「盧溝橋事件」にしても「通州事件」にしても、「事実」を知ることが大事であり、事実を知れば東京裁判で断罪された多くの罪が如何に不当なものであり、不公平且つ不正義な人倫にも悖るインチキ裁判であったことが分かるだろう。

 アジア動乱の濫觴はいつの時代も中共が元凶であるというのは歴史を見れば分かる。中共による挑発行為が止まない中で、沖縄県民が第二の通州事件に捲き込まれない為にも、戦争を避ける上でも防衛体制の充実且つ法整備を急がねばならない。

 三島由紀夫は「国防」とは「それを失ったら日本では無くなってしまうものを死守すること」であると訓えた。そう考える時、喫緊にやるべきことは米国依存の歪な体制を正し、国内に巣食うあらゆる反日・売国勢力を排除すること以外にない。

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2021年07月29日

「コロナだ」「デルタ株だ」と騒ぎ過ぎだわな(苦笑)

 新型コロナの国内感染者数が過去最多の9583人。福島県内でも80人が感染したと大騒ぎしている。昨日の全国の死者はたった8人。つまり例年起こる流行性感冒(風邪症候群)になったということだ。毎年、風邪やインフルエンザで死ぬし治療を施せば重症化はしない。「コロナだ」「デルタ株だ」と騒ぎ過ぎだわな。

 新型コロナウイルス感染症対策分科会の尾身茂らナンチャッテ専門家らが、頻りに「医療逼迫」を語っているが、流行性感冒なのだから新型コロナの現在の「二類感染症」を「五類」指定するなどの措置を講じれば医療逼迫は起こらない。

「風邪うつすなよ」程度なのに緊急事態宣言まで出したって防げない。それより「これからは五類指定となるので自己責任というか、ワクチンも治療も無料ではなく三割負担となります」と注意喚起を促した方が注意すると思うがなぁ(笑)

 因みに抗ウイルス薬「レムデシビル」は1回分(5日間、6本)で25万円。最高で2回投与で合計50万円。保険適用で3割負担になっても15万円。今回のワクチン接種も入院費も無料だが、有料となれば行動制限するし率先して自粛するだろうよ。

 医療逼迫と言いながらアビガンを未だに承認しない不思議。承認しないことで尾身ら医療機関や医師会にメリットでもあるのか。効果的な日本製ワクチンが開発されるまでの治療薬としてアビガンを認可することを誰に憚り、何を躊躇しているのか。

 新型コロナに罹患し、重篤な状況から生還した芸能人や著名人らが口を揃えてアビガンの有効性や特効性を訴えていたのは何だったのか。コロナに感染し入院した地元暴力団幹部も「死ぬかと思ったがアビガンが効いた」と言ってるし(笑)

 アビガンの有効成分「ファビピラビル」に関するライセンス契約を、富士フイルムと結んだ中共の製薬大手・浙江海正薬業が後発医薬品を増産し絶大な効果を発揮してるというのに、「日本人には有効性が無い」とはどういうことか。

 ワクチンとはウイルスの生体から作られ、弱毒化・無毒化された抗原のこと。抗原を体の中に入れることにより、ウイルスをやっつける抗体が出来る。その抗体によってウイルスから守られるのだが、アビガンはワクチンではなく有効な治療薬。

 専門家らは「安全性」「副作用」という理由を吐けて反対してるが、アビガンを製造した会社が製薬会社じゃなく富士フィルムというのが理由だろう。アビガン承認を遅らせ、製薬会社からの論功行賞を狙いってるというのが正しい(苦笑)

 連日の新型コロナ感染者数に意味なんぞ無い。ウイルスは変異して人間との共存を図ってるのだから威力は無くなっている。感染者数の高さに比べ死者は激減してるのに、感染者を過去の月日と比べて不安を煽ってどうしたいというのか。

 未承認だがアビガンなどの治療薬もあるし、重篤になる可能性のある高齢者はワクチン打って、それでもコロナが怖いというなら自宅に引き籠ってなさいな。
 
 高齢者の死亡率は高いが別にコロナじゃなくても死ぬよ。今夏、熱中症で亡くなった人のリスクとどう違うの。40代以下のコロナ死亡率は限りなくゼロに近くなった。交通事故より低い死亡原因に怯えてどうするの、つ~か何をやりたいの。

「ゼロコロナ」は有り得ない。ウイルスはバカじゃないから人間との共生を図るしかない。ゼロコロナは線量をゼロにと始められた除染作業と同じで化学を無視する暴挙でしかない。原発事故で放射脳のアホが出たがコロナ脳も似たり(苦笑)

 昨日、県営あづま球場で行われた野球で日本VSドミニカ共和国の第一戦は劇的なサヨナラ勝ちで終わった。内堀福島県知事は保身から無観客にしてしまったが「復興五輪」なのだから、福島の今をリアルに世界に発信する為にもリトルリーグの子供たちや野球部員らを招待してやるべきだったと思う。ソフトボールも同じ。

 そういう意味でも、マスコミや野党に批判されようと有観客を決断した村井宮城県知事は立派だ。東大出の官僚と防衛大学出身者の違いというより覚悟の違いだろうな。これからは世論に迎合し日和ることを「内ぼる」と呼ぶことにしよう(笑)

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2021年07月27日

「敗戦は必定なれど三春に倣うべからず」(二本松藩家老・丹羽一学)

 戊辰戦争は西軍と東軍の戦いであり、決して「官軍」と「賊軍」が戦った訳ではない。「賊軍」や「逆賊」の汚名を雪がねばならない。会津武士道の昇華を白虎隊に例えるのなら、二本松少年隊は正しく二本松武士道の昇華そのものだろう。

 慶応4(1868)年、西軍の会津征伐に於いて二本松藩の家老・丹羽一学は「敗戦は必定なれど三春に倣うべからず。二本松は城が灰燼に帰し、一族屍を野に曝すとも武士道と信義に殉ずべきである」と、藩論を徹底抗戦に纏め上げた。

 同年7月27日、木村銃太郎隊長(22)に率いられた少年隊士23名が蹶起する。会津白虎隊士の構成年齢が16~17歳だったことに対し、二本松少年隊の最年少隊士の年齢は僅か12歳だった。少年隊は、城下西口の要衝である大壇口に布陣。

 7月29日午前9時頃、少年隊は隊伍を組んで進軍してくる西軍に向かい、銃太郎の号令一下、轟然と火を吹いた大砲によって、終に戦史に残る激戦が開始される。だが、奮闘空しくその日のうちに落城してしまう。これを以て「二本松藩との戦いは易易だった」と罵詈を浴びせる歴史家もいるが、事実はそんな簡単なものではない。

 圧倒的な武力を前に「東北列藩の信を以て滅びよう」と義を貫いた。当時、西軍隊長だった板垣退助も「一藩挙って身命を擲(なげう)ち、斃れて後已むまで戦い抜く、武士道の精髄を尽くしたのは二本松を以て最上とする」と讃えている。

 幕末の薩摩藩士で、後に貴族院議員で元帥陸軍大将となった野津道貫も、戊辰戦争の回顧談(近世国民史)で「兵数不詳の敵兵は、砲列を布いて我軍を邀撃するのであった。我軍は早速之に応戦したが、敵は地物を利用して、おまけに射撃は頗(すこぶ)る正確で、一時我軍は全く前進を阻害された。我軍は正面攻撃では奏功せざる事を覚り、軍を迂回させて敵の両側面を脅威し、辛うじて撃退することを得たが、怨恐らく戊辰戦中第一の激戦であったろう」と語っている。

「射撃は頗る正確で」というのは、スペンサー(元締め)銃を手に奮闘した二本松少年隊の小澤幾弥のことだろう。幾弥この時、弱冠17歳。戊辰戦争前まで江戸で育った幾弥は、新式のスペンサー銃を二本松藩に持ち込んだ。

 二本松の戦いでは、阿武隈川を超え霞ヶ城(二本松城)に殺到する西軍を丘の上から次々と撃ち倒した。だが「最早これまで」と師・朝河八太夫と討ち死にする。砲術師範の八太夫は昨今持て囃されている朝河貫一博士の祖父である。

 二本松藩には、代々「必殺を期すには、斬らずに突くべし」という刀法が伝わっている。これは、浅野内匠頭が江戸城内での一件を聞いた二本松藩初代藩主・丹羽光重が、「何故、浅野公は斬り付けたのか。斬り付けずに突けば好かったものを」と、酷く悔しがったという由来から「斬らずに突け」が伝統となった。

 少年隊士・成田才次郎が、出陣の際に父から訓されたのも、この「斬らずに突け」だった。大壇口から敗走中の混乱で隊士はバラバラになってしまい、才次郎は単独で二本松城下の郭内まで戻るも戦意は尚も旺盛だった。

 才次郎は「必ず敵将を斃してやる」と一の丁の物陰に潜んでいたところ、馬上豊かな武士が一隊を率いてやってくるのが見えた。長州藩士・白井小四郎が率いる長州藩の部隊だった。才次郎、隊列が目前に来るまで充分に引き付る。

「此処ぞ」と大刀を真っ直ぐに構えるや、一気に先頭の白井に向って突進した。しかし、歴戦の長州兵はこの遮二無二突進する小さな刺客に即座に反応し隊長を護るべく馬前に出る。白井は「子供じゃ、手を出すでない」と声を掛ける。

 白井は、突っ込んで来るのが子供だと瞬時に見抜き、兵を制した。だが、それが徒となり、才次郎の剣は狙い違わずこの敵将の脇の下から胸部を突き刺した。

 白井、堪らずどうっと落馬する。驚愕した長州兵らは慌てて才次郎を捕えようとするが、刀を振り回す才次郎に近寄ることも出来ない。已む無く鉄砲を使い、漸くこの小さな勇士を倒すことが出来たという。この時、才次郎は若干14歳。

 現在、長州藩士・白井小四郎の墓が市内の真行寺に残っている。維新後の明治3年には、長州藩から香華料として金二両が納められた。少年への一瞬の憐憫が自らの死を招いたこの将の墓前には、今でも多くの参詣者からの香華が絶えない。

 西軍が城に迫ると、大城代・内藤四郎兵衛は「我は城の主将たり、虚しく内に在って死すべきにあらず」と城門を開いて討って出る。敵軍との奮戦激闘の中、見事な最期を遂げた。四郎兵衛の最期、潔さは、二本松藩士の鑑と称されている。

 二本松藩軍事奉行の丹羽和左衛門は床机に腰掛けて割腹し、膝上に広げた軍扇の上に自らの内臓を引き出して立亡していたという。正に鬼神となりし。

 徹底抗戦を唱えた家老・丹羽一学は、城の土蔵奉行宅で郡代見習・丹羽新十郎と城代・服部久左衛門と共に壮絶な割腹自刃を遂げた。一学の「風に散る 露の我が身はいとはねど 心にかかる 君が行末」との辞世が心に響く。

 少年隊を始め、多くの二本松藩士や先人らは藩と己の名誉を守る為に堂々と戦い、そして潔く散った。断じて「賊軍」や「逆賊」ではない。こうした純真無垢な殉国精神は、大東亜戦争で散った特攻隊の英霊の精神とと通ずるものが在るだろう。

 祖国を守る為に尊い命を捧げた特攻精神は祖国愛の極致であり、「神風精神」こそ大東亜戦争が自存の為の祖国防衛戦争であったことの証である。

 二本松少年隊や白虎隊然り。人というのはどれだけ生きたかではなく、どう生きたかが大事であり、特攻隊員や二本松少年隊の覇気に学ぶものは多い。

 山河麗しい二本松に生まれ育った者として、また二本松剣友会の末席を汚した者として、二本松少年隊や先人の生き様に感謝せずにはいられない。合掌再拝。

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2021年07月26日

君子は独りを慎むというが愚生の場合「小人閑居して不善を成す」か(笑)

 インチキ宗教や拝み屋でも信者がいるのに、正統右翼浪人を自任する愚生の支援者は年々減る一方。要は「強烈な努力」と、何より維新者としての「本気さ」が足らないのだろう。連絡が来たと思えばボランテイア的な困り事相談ばっか。

 愚生の性格上、困り事や相談事を聞くと報酬なんぞより、その相手側の卑怯さや狡さが我慢出来ず自分事の様に感じてしまうのが長所であるが悪い癖でもある。

 まあ、相手も困ってるのは分かるが、専門家(プロ)にタダで頼む神経が分からない。「タダより高い物はない」というが、依頼する方もタダでやってやると感謝する気持ちが薄れるのは確か。本当に困ってるのは愚生の方なのになぁ(笑)

 ブログも4つやってるが最近はどうもヤル気が失せている。政治批評のブログも毎日同じ様な事を綴っているが、タダで読めるからアップされるのが当たり前の様に感じてる節がある。因みに「当たり前」の反対語が「有り難い」である。

 身近な者や身近に存在する人の意見というのは、いつも聞けるということもあって中々耳に入ることはない。「近くの坊さんえらくない」とか「遠きは花の香、近きは糞(クソ)の香」という喩えがあるが、それに近い気がするな(笑)

 例えば、近所の神社仏閣というのは身近過ぎて、当たり前に存在してるから有難く感じないもの。それと同じで、身近な人からの意見や苦言は疎んじられたり軽んじられるが、その軽んじられてる意見が正論だったり事実だったりするものだ。

 こうしたことを分かり易く喩えるなら、キリストは愛を説いて十字架に架けられた。日蓮は道を説いて流罪に遭った。政治家もまた偉いヤツほど殺されている。

 古来、真理を説き、道理を訴えた者は世の中に受け容れられることはなく、偉人といわれる多くはバカかキチガイ扱いされた上に、罰せられるか殺されている。

 ガリレオ・ガリレイもそう。「天動説」が当り前だった時代に「地球が太陽の周りを廻ってる」などとはキチガイの戯言だった。結果「地動説」を唱えたガリレオは世を誑かす者だとして宗教裁判にかけられた。これが当時の大勢であり正論だった。

 現代でも、当たり前だとか正論だと思っていることはマスコミに因って創られてるものばかり。正しいことというのは、いつの世も後になって気付くもの。後の世には、間違いや非常識とされ批難されることも無きにしも非ず。

 目先の事しか考えないそんな時代に、必死に「これが正しい」と吠えたところで理解してくれないのは当然のこと。何しろ世の中にはバカの方が多いのだから、どうしてもそういう結果になってしまうのは自明の理でもある。

 今のあやふやな世の中に於いて、「あの人は良い人だ」とか「あのことは正しい」などというのは、古来に学べば大半は間違っていると思った方が好い(笑)

 大勢というのはいつの世も一部の扇動者に因って創られるもので、単に平均的意見に過ぎないのだ。「オレは良い人間だ」とか「善人だ」と周りに吹聴してるヤツに限って、その裏では何をやってるか分かったものではない。

 そんな紳士面した地元の名士の裏の顔を暴いてるのが、拙ブログ「汚れた顔の紳士達」だ。政治批評の数倍の閲覧者はいるが、未だに支援者どころか会費さえも払わずタダ読みしてる連中ばっかで、コピーして配ってる輩もいるのには厭きれる。

 愚生の経験上、笑顔を浮かべてるヤツ、愛想好く振る舞ってるヤツというのは意外と性格が悪いのが多く、単に調子がイイだけに過ぎない。「笑うと目が無くなるヤツは信用するな!」という訓えがあるが、強ち間違いではない。

 作られた笑顔の裏の顔というのは実に醜いもので、自分を誤魔化そうとしているに過ぎず、逆にブスっと無表情のヤツの方が案外信頼出来るものだ。「剛毅朴訥は仁に近し」とは正しく。その逆が「巧言令色鮮し仁」である。

 返事もそう。何でもかんでも「ハイ、分かりました」なんていうヤツは実は意外と聞いていない。此方が話をしてる最中に、此方の目をじっと目を見ているヤツもダメだ。そういうのは相手側に自分の気持ちを悟られまいとしてるだけ。

 話を聞きながらも、時々目を伏せ要点をメモしたり、同意した内容があれば視線を上げ、此方の目を合わせ相槌を打つ様な人物なら使い物になるだろう。 

 何事も、信用し過ぎず、違う角度から穿った見方をすることも必要なことでもある。何故なら、現在の常識や多くの意見というのは、マスコミや或いは戦後に創られた米国の価値観だったり。大事なのは、常に人を見抜く眼力を養うこと。

 愚生にしても、同じ様な薀蓄や能書きを連日綴ってると、有難みも薄れ、軽んじられてしまうのも当たり前といえば当たり前っちゃ当たり前だわな。

 右翼の本分とは、日本の純粋性を曇らすもの、それは「共産主義」であろうが「資本主義」「民主主義」であろうが、我が国の国柄や国體を損ねる主義思想に断固として対峙する覚悟であるが、愈々その覚悟も慢性的不如意で挫けそうにもなる。

 四書の一つ「大学」に「君子必慎其独也 小人閑居為不善」という教えがある。君子は独りでいる時に必ず慎み深くするが、小人は他人の目がないと悪い事をするとの意味。小人の愚生は日々を持て余し好からぬことを考える日々が続く。呵呵。

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2021年07月22日

「体育の日」が東京オリンピックに合わせて「スポーツの日」に変更されたが

「体育の日」が東京オリンピック2020開会式に合わせて「スポーツの日」に変更され、23日に移動となった。今日は「海の日」だが、海の日の本来の謂れを知る国民は少ない。オリンピック観戦や景気向上に繋げたいと祝日法を改正し四連休としたが、新型コロナの影響で無観客となり経済効果は全く期待出来ない。

「体育の日」は昭和39(1964)年10月10日、有色人種国として初のオリンピックが東京で開催された日に因む。開会式では日の丸をイメージした純白のズボンと真っ赤なジャケットを着た日本選手団が堂々と行進した光景を忘れもしない。

 そんな記念すべき10月10日を忘れ去る様に名称を「スポーツの日」変更し、来年以降はハッピーマンデーに組み込むとは実に怪しからんことだ。

「体育」と「スポーツ」ではその意味と趣旨は根本的に違うものだ。スポーツは競技であり、楽しんで行う「娯楽」を意味し、体育とは健康の保持や増進と体力の向上を図る為のもの。「体育」は「知育」「徳育」と並ぶ重要な教育指針でもある。

 体育の日の名称変更の理由を「教育的意味合いの強い『体育』という言葉がそぐわない」とか「スポーツに自己実現や国際社会との窓口を開く役割がある」という。祝日法を都合よく改正しているが本質はそこじゃないと思うのだが(苦笑)

 所謂「ハッピーマンデー」は左翼陣営の策謀であり、その目的は我が国の歴史・伝統・文化の否定であり国體破壊にある。そうした愚策を否定せずに、景気対策や言葉遊びの如くに「スポーツ」などと改称するとは本末転倒である。

 諸外国に比べ、我が国の祝祭日ほど「国柄」の分かる素晴らしい伝統や文化はない。だが、多くの日本人が祝祭日をただの休みとしか考えなくなったのは、政治家の無能や不作為も然ることながら日本人の精神的貧困の顕れでもある。

 外国人が日本人と交流して感じるものは気品であり、洗練された礼儀正しさであり、寛大さである。世界の何処を探しても、日本人の様な洗練された美を追求する高い創造性や質素な上品さに比肩するものは他にはいないだろう。

 この様な我が国の生活文化を支えているものが日本語である。安易な横文字の使用は先人達が長い歳月に亘り言葉に宿らせて来た重い意味を失わせる。

 明治の先覚者は、外来語をそのまま使用することなく咀嚼して全て新漢字に翻訳した。日本語で西洋文化を学ぶことが出来たことは実に偉大なことだ。

「スポーツの日」という現代の軽佻浮華な舶来趣向と比べれば、明治人の気骨と気概や高い見識を伺い知ることが出来る。祖国の言葉である日本語に自信を持ち、何処までも日本語で主張し、日本文化を貫いたからこそ発展が得られたのだ。

 戦後の利己心剥き出しの価値観は欧米を模倣したからだ。我が国を経済大国にしたのは戦前に教育を受けた人々であり、それを潰してしまったのは戦後教育を受けた世代である。それをしても戦前の教育や価値観が全て悪ではない。

 欧米流の理性や教育に抜け落ちているのは「本能論」。人間と動物の優劣性を強調する余り、動物にある「本能」を下等なものとして否定しまった。

 仏教でも儒教でも「本能」が「理性」を創るのに重要な役目を果たしていると説いている。これらを考えるに、教育で一番大事なのは「徳育」である。徳育は忠君愛国ばかりではなく「人間性」を確立することに在る。

 そこで我が国の教育を再生するには「正しい精神論」を創ることが必要となる。正しい精神論は正しい肉体を創るのが大事で、そこに「体育」が必要となる。

「健全なる精神は健全なる肉体に宿る」という。スポーツという娯楽から健全なる肉体と精神は生まれない。「知育」「徳育」「体育」こそ教育の要である。

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2021年07月19日

「海の日」が7月20日でなければならない理由

「海の日」がハッピーマンデーに組み込まれて久しい。海の日の趣旨は「国民が海の恩恵に感謝し海洋国家の繁栄を祝う日」であるが、本来の意味は全く違う。

 戊辰戦争で西軍に負け、明治新政府より「朝敵」「逆賊」に仕立てられた東軍の会津藩は、不毛の領地「斗南藩」に移されることで終結する。開拓は艱難辛苦を極めたが、その開拓がその後の津軽、青森の発展に寄与したことは言うまでもない。  

 会津藩に限らず、戊辰戦争で徳川幕府に恩義を感じ、抗戦するも敗れた多くの東日本の雄藩は、長州閥の新政府に参政することなく辛苦の日々を送っていた。

「賊軍」「朝敵」「逆賊」との汚名を着せられた東軍雄藩は、新政府に対して言いたいことは山ほどあっただろう。だが彼らは臥薪嘗胆、耐えることで日本国全体が保たれるのならばそれを諒として己の悲運を甘受し、その抗し難い天命を潔しとした。

 明治9年、畏れ多くも明治天皇は、東北地方へ約50日間に及ぶ巡幸に臨まれた。この巡幸の目的が、戊辰戦争に敗れて以降、異国の地で艱難辛苦の日々を送っていた会津藩を始めとした人々を明治天皇が慰撫し、激励する為に他ならなかった。

 出発は6月2日、横浜港を出て福島県磐城へ寄港。磐城からは馬車で郡山から福島~仙台~岩手~青森と北上、次いで明治丸で津軽海峡を渡り、函館を経て三陸沖を海路戻るというコースを辿っている。 この間、東北の人々は巡幸の先々で奉迎した。

 明治天皇も国民の奉迎に応え、各地で開墾や産業の振興に尽くした功労者を労らわれている。愚生の住む郡山(安積)では、荒野を拓いて出来たばかりの桑野村まで分け入り、開拓者の苦労話に耳を傾けられ、金五万円を下賜されたという逸話が残る。

 青森県弘前の私学「東奥義塾」では、魁となる外国人教師に拠る英語教育が行われていて、生徒10名が英語を披露した。天皇はその進取の気象に感心され、生徒らに「ウェブスター辞書を買う代金に」と一人につき金五円を下賜された。

 或る地方では、小学生が献上した蛍一籠を嘉納され、岩手では太布半纏と呼ばれる農民の仕事着をお買い上げ遊ばされている。 巡幸先でのどの逸話も明治天皇の慈愛が満ち溢れたもので、正しく天皇と国民は君民一体であることを痛感する。

 戊辰戦争で「朝敵」や「賊軍」「逆賊」と蔑視され、辛苦を極めた東北の人々との間に親しく絆を結ぼうと努める明治天皇の大御心とその面影が偲ばれる。

 この明治天皇の東北・北海道の巡幸を以て、逆賊も朝敵もなく、戊辰戦争での一切の蟠りも無くなったのだ。だが、明治新政府は東軍の死者を靖國神社に祀ることなく、幕末から明治新政府樹立後の不正義と不条理を糺すことはしなかった。

 青森港から「明治丸」に御乗船遊ばされた明治天皇は函館を経由し、太平洋沿岸を通り横浜に帰港された日が7月20日であり、この日以外の「海の日」に何の意味が在るというのか。ハッピーマンデーなどとは論外も好いところ。

 自民党は以前、「海の日」を従来の7月20日に変更する祝日法改正案の提出を計画したことがある。保守政党として当然の認識だろう。だが、情けないことに「三連休が減る」ことで観光産業への打撃を懸念する党内の慎重派に配慮して断念した。

「海の日」に対して「山の日」がある。「海の日があって山が無いのは怪しからん」と制定された。「八」の文字が山の形に見えるので「8」、木が立ち並ぶイメージから「11」ということで8月11日を「山の日」に制定したというから厭きれる。

「海の日」をハッピーマンデーに組み入れながら「山の日」は8月11日に固定している不思議。これも観光産業へ配慮して強制的に盆休みにさせる為のものでしかない。

「海の日」は単なる休日ではなく歴史的意味がある。海の日には我が国の君民一体の国柄、天皇と国民を繋ぐ深い謂われがあることを我々は知らねばならない。

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2021年07月18日

横綱・白鵬の勝ちに拘る相撲を観ながら大相撲を憂う

 大相撲名古屋場所、横綱白鵬と大関照ノ富士の無敗同士千秋楽決戦は好勝負を期待する。立ち合いから白鵬の右の強烈なかち上げを堪えた照ノ富士が左上手を取る。腰を振り照ノ富士の上手を切りに行く白鵬、見応えのある一番に見えた。

 だが、照ノ富士の左上手を切った白鵬は左右の張り手というかビンタを繰り出し、左からの強引な小手投げ。一発目は堪えた照ノ富士だが、二発目の腕を折らんとばかりの強烈な小手投げに脆くも崩れた。勝った白鵬は雄叫びを上げてガッツポーズ。

 相撲ファンの多くは前日十四日の結び正代との一番の、白鵬の見世物興業の初っ切り張りの仕切り線から徳俵まで下がり腰を割った相撲に、横綱らしからぬ相撲に違和感を覚えた。そんな相撲ファンのは千秋楽の白鵬の相撲をどう感じただろう(笑)

 白鵬は「膝が好くなかったからしょうがない」と批判も意に介さない。白鵬が尊敬してるという名横綱の双葉山は必ず受けて立った。何故に受けて立ったかというと隻眼だったからだ。白鵬は双葉山の技量や人格と比べてもかなり御粗末だ。

 白鵬の勝利は結果だから仕方ないが、ガッツポーズと雄叫びは相撲が武道ではなく格闘技に堕ちた瞬間にも思えた。八角理事長が正代戦に苦言を呈したが、千秋楽の白鵬の立ち居振る舞いに苦言を呈さないのであれば相撲離れに拍車がかかるだろう。

 日本人横綱不在の中で、モンゴル人力士の活躍は大相撲人気を支え、中でも白鵬は日本人以上に日本人らしく振る舞っていたのは誰もが認めるところ。

 日本人女性と結婚し、子供を日本人として育てている立派な日本人だと思うが、未だ白鵬を外人とする風潮は止むことはないのは相撲の美学や潔さに欠けるからだ。横綱日馬富士の引退も本を正せば白鵬に原因があったが不問に付された。

 白鵬自身「平成の大横綱」として、千代の富士や二代目貴乃花らの様に一代年寄りを与えられる資格はありながら、モンゴル国籍に拘り、「モンゴルの国籍の儘でも一代年寄りを貰えないのは可笑しい」と言って憚らなかったのも驕りそのもの。

 この発言は、我が国の歴史や伝統を軽視するもので、その言い分は身勝手なものと断じざるを得ず、白鵬を庇い続けて来た愚生でも違和感を覚えた。それでも紆余曲折の末に日本国籍を取得し引退後は協会に残れることになったことに安堵した。

 最近の白鵬というか熟年期に入ってからというもの、勝ちや記録に拘り、醜い相撲が目立つ。大関~横綱と伸上がって来た頃の堂々とした相撲ではない。

 最近は「張り差し」とばかり。張り差しとは、張り手をして自分の形に組む立会いで、白鵬は右張り手から強引な「かち上げ」てから相手のまわしを掴んでというパターンか、立ち合いの変化から勝負に持ち込むパターンが多くなった。

「張り手」というのは下位力士は番付上位の相手にはやらない、というかやれない。況してや横綱となれば失礼になるのでやる力士はいないだろう。

 横綱にしてみれば相手は全て下位の力士であり、相手を見下して「張り差し」をするのは当たり前かも知らないが、自分だけしかできない技(張り手)を、下位力士にすることは狡いし、卑怯だし、観ていても実に醜く不満が残る。

 横綱は、相手が同じ横綱同士以外は「張り差し」はやらないのが相撲界の仕来りであり慣例だったが、白鵬の「張り差し」は下位相手、然も上り調子の若手や初顔合わせとなると潰そうと思わんばかりの張り手とかち上げをぶちかます。

 昨今の白鵬の相撲は横綱として正々堂々とした相撲では無い。横綱の振舞いなど二の次で、単に勝利数を重ねることだけしか頭にないのではあるまいか。

 こうした相撲ばかり取ってると「やはり外国人だな」と思われるし、長い歴史の中で横綱が築いてきた尊いものを失ってしまうのではないかと危惧する。

 大相撲は単にスポーツではない。明治維新で「断髪令」が発せられても丁髷の伝統を貫き、「国技」を自任し、戦後もずっと表彰式で国歌「君が代」を斉唱し、天皇賜杯を戴く保守の牙城とも言うべき存在である。

 この大相撲を目の仇にし、歴史・伝統・文化を否定する左翼勢力が、「賭博」やら「八百長」やらを執拗に煽り立て、糾弾したことは記憶に新しい。

 恐らくは、こうした大相撲を目の敵にする勢力から、「通算勝利記録と歴代一位の優勝回数を誇る一代年寄りを白鵬に与えないのは、日本人差別社会の現象である」とのキャンペーンが張られることになるのではあるまいか。

「蟻の穴から堤も崩れる」という。白鵬の勝ち星に拘る卑しい相撲を観て大相撲ファンは離れて行くことだろう。白鵬の前人未到の45回目の優勝の裏では、大相撲の存続にも影響しかねない怪しい何かが蠢いている気がしてならない。

 長い休場明けから復帰した場所での全勝優勝というと昭和の名横綱・北の湖を思い出す。だが、優勝の翌場所、連敗すると潔く引退した。白鵬もそうであって欲しい。間違っても、連敗して休場~復帰というのだけは止めて貰いたいものだ。

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2021年07月16日

何でも腐して悦に入る低能ジャーナリズムを糺せ!

「人は小さなウソには騙されないが大きなウソには騙される」とはアドルフ・ヒトラー。「何故なら、彼らは小さな嘘は自分でも吐くが、大きな嘘は怖くて吐けないからだ」と語る。我が国のマスコミ報道というのは大きな嘘の塊の様なものだ。

 世の中(大衆)というのは自分で見聞きしたものよりも、数の多いものが「当たり前」と捉え、数の少ないものを「間違い」と決め付ける癖がある。新型コロナの報道もオリンピックに関してもマスコミ報道に感化された意見ばかり。

 いつの世も大衆が時代を創っているのだが、その大衆の多くは無知で愚かであり、扇動される大衆というのは実に操縦し易く、都合好く世論操作が行われる。そういう意味では国民意識というのは戦前から何も進歩もしていない気がする。

 偏狭な自説を垂れ流す司会者や、胡散臭げなコメンテーターの愚論を聞いてるだけで血圧が上がるのでテレビは殆ど見ない。何事も自分の目と頭で考えることが大事で、テレビばかり見ているとバカになるってのも満更嘘ではない。

 マスコミが報じない重要な問題を自分自身で紐解き、考え、判断出来る公正、無私無偏な目を持ちたいものだ。 問題意識を持たずにマスコミの垂れ流す報道を見ている大衆は、無意識にマスコミの報道こそが正しいと錯覚してしまう。

 大多数の有権者は、マスコミの提供する偏った報道に毎日接することで意思行動を方向付けられる。声の大きい者、頻繁に接する物に、人は正しい者、魅力のある物として誘導される。新型コロナの報道も同じでマスコミ報道を鵜呑みにする。

 例えば「テレビショッピング」だが、視聴者に都合の良い部分だけを繰り返し何度も見せて、その後にタレントや有名人らに感想を聞いたり、実体験を語って貰ったりすることで、視聴者は大して欲しくないものをついつい勢いで買ってしまう。

 テレビショッピングは一種の洗脳番組だ。マスコミはこうした人間の心理を全て理解した上で繰り返し何度も垂れ流す。これを「バンドワゴン効果」という。

 過去を見れば、民主党政権誕生の最大要因は、連日マスコミが垂れ流した「政権交代で日本が変わる」というバンドワゴン効果であり、それに因って国民は民主党の正体も分からずあやふやな雰囲気のまま民主党に投票してしまった。

 民主党政権の誕生こそバンドワゴン効果の最たるものだった。所謂「生前退位」もマスコミはその手法を採った。 マスコミにとって報道するものが見せたいものであり誘導したいもので、報道しないものが国民には知らせたくないものなのだ。

 巨大な洗脳装置がマスコミであり、くだらない芸能ニュースやお笑い番組などにどっぷり浸かっている人達こそが愚民政策の体現者なのだ。我が国の政治が三流と言われる一因に、進歩の無いマスコミの影響があるのは言わずもがなだ。

 マスコミはオチョクリに乗っかって何でも腐す。そういう冷笑的な態度を執ることが真のジャーナリズムだと錯覚している。こうした「低能ジャーナリズム」を糺すことが、政治を正すことにも繋がり、畢竟、祖国日本の再生にも繋がるだろう。

 放送法第1条第2項には「放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによって、放送による表現の自由を確保すること」が謳われ、第4条第2項には「政治的に公平であること」、そして第4項には「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点をあきらかにすること」と記されている。

 憲法21条では「報道の自由」が保証されているが、これは、礼儀を欠いた取材活動や報道を無制限に保証するものでもない。憲法前文に記されている「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」した上での自由であるということを自覚すべき。

 新聞倫理綱領にも「言論・表現の自由の下、高い倫理意識を備え・・・」とあり、「言論・論評の自由を守り抜くと同時に、自らを厳しく律し、品格を重んじなくてはならない」と記されている様に傲慢になりがちな記者を諌める為の規定だ。

 だがどうだろう、新聞記者諸公に高い倫理意識など感じることもなく、とても品格を重んじてるとは思えない。テレビにしろ、傍若無人な礼儀を欠いた偏向極まる報道は祖国日本の品格を貶め、国民の倫理意識を低下させ続けている。

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2021年07月14日

「耐乏生活を潜り抜けた人間は強い」徳川家康の処世術に学ぶ

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 徳川家康の金言で「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し。急ぐべからず」というのがある。家康というと、華やかな道を歩んで来た様に思っている人がいるが、そんな人物がこうした言葉を遺したところで心に響くものではない。

 家康の生い立ちは可哀想なものだった。まだ「竹千代」と呼ばれていた三歳の時に、離別になった母と別れ、六歳の時には今川家に人質として捕らわれる途中、義理の叔父の為に織田側の人質として捕らわれてしまう。

 今川と織田の休戦和議が成立し、人質交換で故郷の岡崎に戻されるも、僅か十二日で再び今川の人質として駿府に送られる。この時、竹千代八歳。

 この様な人質生活の中から、油断は出来ない、人を警戒する習慣と、耐乏生活の中から、金銭の有難さ、質素倹約、質実剛健の気風が育まれたといっていいだろう。

 家康の家臣達も、主人は人質、所領は代官の管理。知行も扶持もろくろく貰えず、百姓仕事をしながら、じっと時節到来を待つこととなる。

 家康十五歳の時、初めて今川から墓参を許され岡崎に戻ったことがある。譜代の家来の一人が田に出て泥だらけになって草むしりをしているのを見つけ、「難儀をさせることよ」というと落涙。これには周りにいた家臣達も思わず強泣した。

 また鳥居忠吉という齢八十を超す老臣は、家康を自宅に招くと、人払いをして土蔵に案内する。中に入ると床一面に銅銭がうず高く積まれていた。

「殿、この同銭は殿が戻られた時の軍費でござる。爺が今川の者達の目を盗んで蓄えたもの。よいか殿、殿の後ろには、この様に家臣の一人一人が血の滲む苦労をしながら明日の日を待っているのですぞ」

 家康のこの生い立ちが、終生堅実な生活を営ましめたといって好いだろう。三河武士の剛強・忠義・団結心を謳われたのも彼らが圧迫と貧窮の中に育ったからだ。

 昔の軍隊では、仙台の二師団と、熊本の六師団が最強と言われた。これも東北と九州が貧しく、そうしたことが大きく影響していたのは言うまでもない。

 耐乏生活を潜り抜けてこそ人は強くもなるし、他人の苦労も理解出来るし、何より人間味も深まるというもの。「苦労は買ってでもしろ」とは蓋し正論。

 失敗し、火傷を負い、その失敗や苦労から享けた恥や我慢から学ぶことで人としての器が大きくなって行く。場数を踏むとはバカ(失敗)の数でもある。

 バカな経験を積み重ねることによって男の重みが変わって来るのもの。人間というのは成功から学ぶことは無い。失敗を経験し、そこから学んだ者の知恵は傾聴に値するのは、生きた学問を学んでいるからこそ面白く為にもなるのだ。

 温室で育った野菜や果物は見かけだけで味に深みはない。やはり自然の風雪に耐えてこそ味わい深くなる。人間だって同じで、苦労や失敗を経験せずに周りに同調して無難に生きて来たヤツというのは見せかけだけで、いざとなると挫折に弱い。

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 画像は「徳川家康三ヶ方原戦役」。敗走し馬上で脱糞した戒めの絵だ。顔を顰(しか)めた家康が憔悴した表情に描かれていることから「顰像」とも呼ばれる。

 元亀3年12月22日、遠江国敷知郡の三方ヶ原(現在の静岡県浜松市北区三方原町近辺)で起こった「三方ヶ原の戦い」は、元亀3年12月22日(1573年1月25日)に、遠江国敷知郡の三方ヶ原で起こった、武田信玄軍2万7千人と徳川家康軍1万1千人(うち織田信長からの援軍3千人)との間で行われた戦いである。

 この戦いでは、武田軍の死傷者200人に対し、徳川軍は死傷者2,000人を出したと言われている。徳川軍の各隊が次々に壊滅していく中で、家康自身も追い詰められ、僅かな供回りのみで浜松城へ逃げ帰った。家康最大の危機でもあった。

 浜松城に戻った家康は、後にこの敗走を忘れない為に苦渋の表情の肖像画を描かせた。これが通称「顰像」といわれる「徳川家康三ヶ方原戦役画像」である。

 この肖像画は、一般に血気に逸って武田軍の誘いに乗り、多くの将兵を失った自分に対する戒めとして描かせたとして知られており、慢心から熱くなった自分を抑える為に、この絵を見て自重していたという逸話が残されいる。

「失敗を真摯に反省することが次の成功に繋がる」という家康の人生譚は、現代を生きる我ら日本人の共感を生んで止まない。「あの天下の家康でさえ失敗した」と思えば、何事にも結果を恐れず気楽に向き合うことが出来るだろう。呵呵。

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2021年07月13日

「剣聖」と称された宮本武蔵の処世術に学ぶ

 宮本武蔵は言わずと知れた、江戸時代初期の剣術家であり、大名家に仕えた兵法家で芸術家でもあった。二刀を用いる二天一流兵法の開祖で、京都の兵法家・吉岡一門との戦いや巌流島での佐々木小次郎との決闘は誰もが知る逸話である。

 武蔵と言えば、剣術の奥義を纏めた「五輪書」が有名だろう。書名の由来は密教の五輪(五大)からで、それに準えて「地・水・火・風・空」の五巻に分かれる。

〈地の巻〉自らの流を二天一流と名付けたこと、生涯と兵法のあらましが書かれた巻。「真っ直ぐな道を地面に書く」ということに準えて「地の巻」。

〈水の巻〉二天一流での心の持ち方、太刀の持ち方や構えなど、実際の剣術に関する巻。「二天一流の水を手本とする」剣捌き、体捌きを例えて「水の巻」。

〈火の巻〉戦いのこと。個人対個人、集団対集団の戦いも同じであるとし、戦いに於いての心構えなどが書かれている。戦いを火の勢いに見立て「火の巻」。

〈風の巻〉他の流派について書かれている。「風」というのは、昔風とか今風とか夫夫の家風などのこと。他流派を批判し自らの二天一流の有用性を説いている。

〈空の巻〉兵法の本質としての「空」について書かれている。

「五輪書」での教えで「山水三千世界を万里一空に入れ、満天地とも攬(と)る」という一節が記されている。この「万里一空」とは「世界はどこまでいっても空は一つ」「全てのものは一つの世界に留まっている」という考え方(思想)である。

 この万里一空こそが、武蔵が修業の中で確立された剣術への思想の根本でもある。「動揺せず、常に冷静な気持ちで事に当たる」「一つの目標に向かって精進する」などの意味として解釈されるが、これを実際に行動に繋げるのは実に難しい。

 武蔵は死の直前、弟子らに「独行道」という21ヶ条の置文を遺している。

 一、世々の道をそむく事なし
 一、身にたのしみをたくまず
 一、よろづに依枯の心なし
 一、身をあさく思、世をふかく思ふ
 一、一生の間欲心思はず
 一、我事におゐて後悔をせず
 一、善悪に他をねたむ心なし
 一、いづれの道にもわかれをかなしまず
 一、自他共にうらみかこつ心なし
 一、恋慕の道思ひよるこゝろなし
 一、物毎に数奇このむ事なし
 一、私宅におゐてのぞむ心なし
 一、身ひとつに美食をこのまず
 一、末々代物なる古き道具所持せず
 一、わが身にいたり物いみする事なし
 一、兵具は格別、余の道具たしなまず
 一、道におゐては、死をいとはず思ふ
 一、老身に財宝所領もちゆる心なし
 一、仏神は貴し、仏神をたのまず
 一、身を捨ても名利はすてず
 一、常に兵法の道をはなれず

 この訓えの一つに、「いづれの道にもわかれをかなしまず」というのが記されてある。別れというものは悲しいことではあるが、死別に限らず、生きていれば別離というものは避けては通れない。全ての生き物に平等に与えられてる必然である。

「かなしまず」とは、武蔵という人物は血も涙も無い冷血漢だったのだろうか。

 酒を嫌いな人が「我、酒を絶つ」、或いはタバコを吸わない者が「タバコを絶つ」などとは書かない。飲みたいが、或いは、吸いたいが、これを止めようと自分に誓願した者だけが「絶つ」と言ってこそ、人に訴えるものがあるのではないか。

 そう思う時、武蔵は寧ろ、人一倍感情豊かで、熱血漢であり、別離に人並み以上の涙を流しながら、涙を見せまいと努力した人間に違いないと想像する。

 五輪書の「動揺せず、常に冷静な気持ちで事に当たる」との教えとは程遠く、何か事が起これば右往左往。愚生も右翼浪人を気取り、時局に一喜一憂し私感を尤もらしく披歴しているが、目先のことを語ることや喧々諤々の議論に意味もない。

 天地自然や人間の大道を心得え、時の動きに従いつつも正義を踏み外さず、危機に際しても平時と同様に対処出来る心構えを日日の精進で涵養することこそ大事。

 五輪書には「一つの目標に向かって精進する」と在る。独行道には「常に兵法の道をはなれず」と在る。目指した目標があるなら、その志を忘れず、困難に決して挫けることなく真っ直ぐ生きねばならない。男の修業とは斯く在りたいものだ。

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2021年07月12日

正しく自然とは人智の及ばない大いなる存在であるが

 静岡県熱海の土石流は、線状降水帯の大雨に重なってメガソーラー施設からの雨水が盛土だった谷川に流失し大惨事を引き起こした「人災」であり厳罰すべきだ。メガソーラー発電なんぞ豊かな森林を切り倒してまでやる意味が分からない。

 原発事故の放射線で死んだ人はいないが、土石流事故を招いたのは再生可能エネルギーというのは明らか。「高が電気の為に命を犠牲にしてはならない」と叫んだ坂本龍一や反原発派の連中は、今回のこの大惨事をどう感じているのだろう。

 正しく自然は人智の及ばない大いなる存在である。地震や津波、豪雨や日照りなどを人間は完全に制御することは不可能であるが、最小限度に防ぐことは可能だ。

 東日本大震災での津波防止にしろ、今回の豪雨に因る河川の決壊や増水などは人智で防げたが、「コンクリートから人へ」などという妄想的仕分け作業と人命軽視がこうした最悪の結果を齎した。正に近年の自然災害は天譴の様相を呈している。

 人々は自然を征服すべく挑み続けるか、それとも自然と共に生きて行くかの二者択一である。賢明なことに我ら日本人は自然と共生することを選んで来た。

 自然は一瞬のうちに暴れ回り甚大な被害を出したりもするが、同時に無限の恵みを我々に齎してくれる存在である。被害より恩恵の方が大きいだろう。 古の人々は、自然の織り成す様々な悪事や新羅万象の全てを「神」と感じ取った。

 豊穣を齎してくれた「神」を称え、荒ぶる「神」を畏れ、それを鎮め、人々は神々と共に生きて来た。 新羅万象の全てが「神」として捉えられ、山の神、海の神、森、川、水、岩・・・そして人間さえも神の在る景色の一部に過ぎなかった。

 人間がそうしたことを忘れ、唯物主義や拝金主義から神(自然)をも懼れぬ様になったのはそんな遠い昔ではない。そんな象徴的愚策こそ「仕分け作業」だった。

 仕分けによって様々な弊害が出た。津波による被害の想定も仕分けのパフォーマンスに悦に入った蓮舫は「1000年に1度くるかどうかも分からない事業に予算は組めない」と宣った。だが、その途端に1000年に1度という地震が来た。

 そこに菅直人の現場視察というパフォーマンスが火に油を注いだ。福島原発事故は「反原発」を訴える菅のマッチポンプであり「人災」であるが、逮捕どころか批判もされないところに、反原発派の胡散臭さと破壊活動的左翼思想が現れている。

 仕分けによって予算の無駄を削り、財源を確保するのというは結構なことだ。だが、国家維持に必要な予算をソロバン勘定で削減することがあってはならない。

 例えば、アジア情勢が緊迫する中で、防衛省への予算カットや人員削減は頂けない。自衛官諸君の士気が下がる。日々訓練に励み、災害となれば逸早く現地に駈け付けて人命救助や復旧に勤しむ自衛官の報酬は十二分に与えるべきだ。

 少子化にも拘らず日教組や全教に気を使い、教員を増やしてるが、少子化を控え、教育現場で実現すべきは「合同のクラス」で、別に1年生と2年生が合同で授業を行っても何ら差し支えないし、現に過疎地域ではそういった学校は幾らでも在る。

 少子化もあって一人っ子の家庭が多い中、合同のクラス学校で兄弟や姉妹といった家族意識を味わえることは情操教育にも役立つと思うが如何だろう。

 民主党の愚策の仕分け作業では、先端技術の研究開発事業の削減を決定している。我が国は「科学技術創造立国」や「国家基幹技術」を目指さねばならないが、自民党が政権奪取しながらも未だに民主党の愚策を継承しているマヌケさに驚く。

「観光立国」なんぞ早々に止めるべきだ。スポーツ振興の費用の削減も子供達の夢を無くすものだった。教育とは国家の大本、充実した予算を組まなくてはならない。

 国家の大本を為す「国防」や「教育」や「研究開発」が、単なる費用対効果の対象にされたのは残念なこと。あれだけ大騒ぎして、結果は1兆8千億円程度の予算が削減出来ただけ。政治家の大衆迎合的パフォーマンスにはうんざり。

 我が国の無駄といえば政治家の報酬。地方議員は日当制で十分だろうし、何より国民を騙して成立させた政党交付金制度は振り込め詐欺より質が悪い。 政治的良識は存在せず衆院と同じ政争機関でしかない参議院は早々に廃止すべきだ。

「政治家は隗より始めよ!」とはいうが、政治家が滅私奉公し自ら率先垂範してることなど見たことはない。やってることといえば全てが「我田引水」ばかり。

 何より無駄なのは「男女共同参画社会」の関連予算だろう。性的変質者らの策謀を何時まで続けるつもりなのか。また、在日への生活保護も廃止し、薬漬けと乱脈医療に見られる現在の医療制度を見直しすれば10兆円以上が削減出来る。

 現在の予算の組み立てをガラガラポンした方が好い。根本ではなく目先をチマチマと見直すだけだからダメだ。序に政党もガラガラポンするのが好い。

 予算を立て直して、我が国の危機管理と防災と国防が万全なものに整えなければならない。より高度な災害対策が構築されて行くことが、震災や自然災害などで犠牲になられた方々の無念さに応える唯一無二のものであると信じて止まない。

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2021年07月11日

民主主義とは正に大衆迎合主義と衆愚政治であると痛感する

 地元紙には、左翼人士が私感を垂れ流す「日曜論壇」というコラムがある。今回は東日本国際大学学長代行の福迫昌之という人物が「メディア・イベントと政治」と題して語っている。冒頭には大谷翔平選手を取り上げ、徐々に東京五輪を腐す。

 この御仁曰く「東京五輪が、民意を無視して強行される様を『民主主義の終焉』と捉える向きもある」らしい。多くの国民は五輪開催を願っている。反対してるのは日本のやること成すこと何でも腐すいつものメンバーで、何が民主主義の終焉か。

 柔道での金メダルを期待し。池江選手の頑張りに夢を託し、陸上400メートリレーで世界を驚愕させるシーンが観たいと思う。その他にも感動を貰えるだろう。だが、この御仁、アスリートには「勇気や元気や感動を与えなくていい」と宣う。

「県民の一人としては、この期に及んで『復興五輪』のスローガンを復活させ、分断の渦に巻き込むことだけは勘弁して欲しい」と締めくくっている。言葉は学者らしく纏めているが、内容は左翼人士に共通する偏狭な自民党政権批判である。

 五輪反対派は新型コロナに託けて、パンデミックが起これば多くの人が感染すると危惧してのことらしいが、そこには24時間テレビと同じ偽善を感じてしまう。彼らには、日本人の底力を信じオリパラを必ず成功させようという気は毛頭ない。

 言行全てが破壊活動なのだ。こういう連中というのは五輪を中止したらしたで批判をするのは目に見えている。また外国人選手やその関係者を受け容れることでパンデミックが起こると思っているのなら、外国人差別そのものではないのか。

 菅総理の右往左往ぶりは大衆の意見に惑わされてる結果であり、民主主義の弊害でもある。新型コロナ対策の不手際にしても、福島第一原発の処理水問題にしても、政治が科学的論拠を無視し、反対派の顔色を窺い迎合するから混乱が生じる。

 政治家の多くは民主主義を曲解して「国民の目線に立った政治を行う」と然も国民を慮った様な台詞を吐く。だが、民主主義の本質は国民目線に立つことではないし、平均的な国民を創ることではない。平均値で国の政を行うことは余りにも危険だ。

 政治が国民目線に立った時には必ず国は滅ぶというのは世の常である。何故なら、国民の判断力は古今東西常に低く、その意見もマスコミに誑かされた怪しい時代の雰囲気に流され、大衆に流され、実に幼稚で気紛れなものだからだ。

 過去の政権交代にしろ、その圧倒的支持を得た民主党が失脚したのも、自民党の政権奪回にしても、インチキ保守の安倍人気にしても、その全てが多くの国民の安っぽい風潮からホンのチョッとの間に支持されただけの気紛れの結果でしかない。

 政治とは、国家観を重んじながら、国民目線とかけ離れた歴史観、人間観、世界観、時には高度な権謀術数を必要とするものなのだ。経済もまた然り。

「国民の目線」とは、ワイドショー番組に煽られた平均的意見であり、マスコミは国民の安直な正義感に迎合し、自分達の主張こそが「正義であり、民主主義である」との主張を居丈高に振り翳し、国民を煽動し続けているのが現状である。

 正に「民主主義とは衆愚政治である」ということを痛感する。「大衆の多くは無知で愚かである」と言ったのはアドルフ・ヒトラー。また「熱狂する大衆のみが操縦可能である」と訓えている。分かり易く言えば大衆というのはバカということだ。

 ネットでは自称保守派が自分の仕事そっちのけで日本の将来を熱く語り、意にそぐわない意見には反論し批判するが、そういう人もまた扱い易いというもの。

 本来、政治というものがきちんと機能していれば、国民大衆が政治なんぞに係わることなどないものである。三島由紀夫は、嘗て政治の現状をこう喩えた。

「胃痛の時に初めて胃の存在が意識されると同様に、政治なんてものは、立派に動いていれば、存在を意識される筈のものではなく、況して食卓の話題なんかになるべきものではない。政治家がちゃんと政治をしていれば、鍛冶屋はちゃんと鍛冶屋の仕事に専念していられるのである」。正しく、三島の揶揄した通りだろう。

 それが然も自分が政治家になったつもりで、あ~だこ~だと嘆いている。 ヒトラーはこうも言う、「私は間違っているが世間はもっと間違っている」と。

 愚生も熟熟そう思う。こういう熱狂する大衆が現在の有権者であり、その一票一票を集めて当選してるのだからバカしか当選しないのは当たり前でもある。現在の政治家にバカが多いのはそういうことで、こんなのに期待する方がバカだ(笑)

 仮に動物の世界で喩えれば、数の多いのが当選するのは当たり前のこと。ブタとかネズミとか、要するに力や能力なんぞ二の次で、数さえあれば当選する仕組みになっている。当選したブタやネズミは自分を弁えず勘違いしてるだけ。

 本当に当選して貰いたい、百獣の王ライオンは、幾ら力があっても数が少ないから当選出来ない。トラやゾウやゴリラでも同じこと、当選は無理なのだ。

 力や能力のある者が当選出来ないのでは、立派な政治も出来なければ立派な政治家も生まれることはない。政治を立派にしたいなら先ずは有権者がライオンやトラにならなきゃダメだ。でも、この世の中ではそれもまた無理というものだろう。

 今の政治家はブタが偉そうにしているだけで、民主主義というのはこういうものでもあるのだ。「主権在民」などというと聞こえはいいが、1億3000万分の1の主権では、無いのと同じ。在る様に錯覚しているだけ。主権在民なんぞクソ喰らえだ。

 今のネットでの声は、それが犇めき合って、夫夫ブタやネズミやニワトリがギャーギャーと鳴き声を張り上げているに過ぎず、結局は数の多いブタやネズミやゴキブリどもの騒いでいる通りの世界になるより他は無い時代なのだ。

 国内を見渡せば、一番多いのが労働者だ。取分け、労働組合なんぞブタの集団と言って好いだろう。そうしたブタ労働者の支持を得ないことには野党なんぞ当選出来ないのだから、まともなヤツが政治家を志すとは到底思えない。

 創価学会なんぞ養鶏場のニワトリというのが正しく、飼い主の池田養鶏場の安い科学飼料で飼育された単なる激安鶏肉に過ぎない。こんなブロイラーを食べたがってるのだから自民党も公明党の所為で信用を無くすのも時間の問題だろう(笑)

 我が民族の将来と国家の前途を思うは人間の最も真剣なる感情であり、政治を糺すのは大いに結構な心掛けだとは思うが、政治の仕組みや現在の選挙の仕組みがブタしか当選しないシステムになっているのだから根本的に変わり様がない。

 そんな杞憂よりも、与えられた自分の仕事に専念してた方が余っぽど国の為になる。衆愚政治はこれからも続くだろう。そして行き着く処まで行かなけりゃ国民が気が付くことも無い。そしてその時に維新という革命が起こるのだ。

 歴史は常に繰り返されるものである。次の衆院選も、マスコミに煽られた有権者の気まぐれで選ばれるのは間違いない。所詮、自民党にせよ立憲民主党にせよ、「でもしか政党」というのは変わりはない。有権者の不幸はここに極まれり。

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2021年07月09日

汝、ゆめ晴天の友となる勿れ、雨天の友となれ!

 日暮里在住の畏友から鬼子母神の入谷朝顔市の鉢植えが届いた。新型コロナの影響で朝顔市が昨年に続いて中止になる中で、態態贈ってくれる気遣いに痛み入る。

 団体を辞して以来、兄弟分やら舎弟分やら諸先生方など離れて行く右翼人が多い中で、昔と変わらず付き合ってくれる友がいるというのは有り難い。クーラーが無い拙宅では朝顔は正に一服の清涼剤。今年も厳しい夏を無事に乗り越えられそうだ。

「汝、ゆめ晴天の友となる勿れ、雨天の友となれ」という言葉がある。天気の良い時、つまり順調な時にだけは付き合うが、少し具合が悪くなると、いつの間にか遠ざかって寄り付かなくなる。こういうのを「晴天の友」という。

「晴天(人生が順調)の人と友達になろうとはするな。寧ろ雨天(苦難に直面)の人に心を寄り添える様な人間になろう」という意味だが、人間落ち目になったりすると遠ざかって行く。人というのは多くは権威主義だから当然と言えば当然。

「人の痛みの分かる人間になれ」というが、人の痛みなんぞそう分かるものではなく所詮は他人事。人の痛みを分かる人間なんぞ御目にかかったことも無い。

 いたとしても、相手の悩みや苦しみを聞いて、如何にも同情しているフリをしているに過ぎない。そういうヤツに悩みや弱みを見せれば、単に恥を曝すことにもなり兼ねない。「人の不幸は蜜の味」ではないが、それが人間の性でもある(笑)

 会社で出世出来ないのも、設立した会社が倒産したりするのも要は実力が無いからに尽きる。そんな弱者に寄り添ってくれる人など世の中にはいないと思え。

 逆境やピンチになると、人というのは潜在能力を発揮するものなのだが、その逆境やピンチを避けてしまったり、悩み事を直ぐに吐露するというのは如何なものか。

 人間というのは精神が弱い故に誰かに縋りたくなるのだろうが、困難を経験することでその先に繋がるのも確か。それらの悩みや困難を避けてどうするのか。眼前の悩みなんぞ死に逝く特攻隊員の渾身の悩みに比べればどうってことは無い。

 苦難とは危険を教える慈悲の鞭でもある。幸福と苦難は表裏一体であり苦難の本質を弁えれば、人生の苦難や悩みとはやはり天の与えた試練と考えるべきだ。

 未だ起きてもいないことに、また将来のことを気に病んでいるよりも、今日一日を本気で真剣に生きることに心血を注げ。「一日一生」とはそういうこと。

 人というのはどうしても自分よりも強い者には媚び諂うが、自分より弱い者や自分の能力より劣る者には強気に出るし、外見や肩書などで見下したりする。

「弱きを助け、強きを挫く」のが仁侠道だが、今やそうしたヤクザはおらず単なる暴力団と化してるが、社会全体も弱い者が淘汰される「仁義なき戦い」そのもので、社会構造そのものが自己中心的で金銭欲逞しい暴力団とどっこいどっこい。

 ヤクザというのはそうしたことを理解しているから見栄を張る。高級車を乗り回し、仕立物の背広を着て、高給時計を身に着けては偉くなったと勘違い。

 組織の名刺ひとつでも貫目が違えば見下し、上の者には諂屈する。漢(おとこ)の世界などとカッコつけたところで、所詮は見かけ倒しの世界でしかない。今や右翼団体もその任侠道とは程遠い暴力団傘下に甘んじているのだから何かを況んや。

 要するに、現代に生きる人というのは外見や肩書でしか判断しないし、そうした者にとっての価値感というのはその程度のものなので気にする必要もない。

 愚生の嫌いな輩は「貧銭を以ってこれを軽蔑する者は 富貴を以ってこれに諂屈する(吉田松陰)」という手合い。こういう手合いが暴力団や右翼の世界にはうじゃうじゃいる。こういう輩は何事も掌返しが御上手で晴天の友ばかり(笑)

 そんな友というのはチョッとでも雨天になるといなくなるものだ。良い時も悪い時も同じ様に接してくれる友人が一人でもいてくれたら人生捨てたもんじゃない。

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2021年07月08日

低投票率は公職選挙法下での有権者の一つの意思表示の現れである

 都議会議員選挙での投票率の低さが際立った。こうした低投票率は都議会選挙だけではなく、地方議員選挙や参院選挙でも同じで、今秋行われる衆院総選挙でも同じこと。投票に行かないのは、支持する政党や候補者がいないからに尽きる。

 低投票率を解消するなら選挙投票を義務化すれば解決出来るだろう。だが、現在の二者択一や烏合の候補者から選ぶとなると有権者には気の毒だ。そういう意味でも「支持政党なし」や「該当者なし」の項目を創るなどの対策を講じるべきだ。

 投票を棄権した有権者の多くは政治には無関心で、また自分の思いを托せる政治家がいないから。棄権票というのは有権者の「政治不信」という一票でもあるのだ。国民のそうした声を反映出来る選挙制度改革を実現するべきである。

 今やネットでの選挙運動も合法化されたし期日前投票は容易になった。時代に即しコンビニでの電子投票や郵便投票、インターネット投票なども可能にすれば投票率は上がる。棄権した理由が無いなら相応の罰則を科すことも一考だろう。

 こうした投票方法を確立し、例えば有権者の三割が「該当者なし」なら議員定数を三割削減すれば好い。最高裁で「一票の格差」の違憲判決が出る度に公職選挙法を弄んで数合わせしてるが、根本的解決を図らない限り不毛な裁判が繰り返される。

 明治22年「衆議院選挙法」が制定され翌年、我が国で初めて国会議員選挙が行われた。選挙権は、直接国税15円以上支払った満25歳以上の男性に与えられた。

 大正15年には納税額は関係なく25歳以上の男性に与えられ、敗戦後、占領下だった昭和25年に「公職選挙法」が制定され、20歳以上の女性にも選挙権が与えられることとなった。平成27年には満18歳以上の男女となった。

 男女平等から戦後の公職選挙法は誕生したが、女性への選挙権付与で世の中が大きく変わって行く。男女同権は兎も角、納税額は大事なのではあるまいか。況してや高校生に選挙権は要らない、18歳以上の働いてる男女に与えるべきだ。

 公職選挙法が改正される度に有権者である国民ではなく、議員が優遇されて行く不思議。インターネットでの選挙活動が解禁され、ビラ配布も容認された。だが、何故か電子メール送信禁止事項があるなど、ホント御役所仕事そのものではないか。

 公職選挙法を改正するなら、先ずくだらん選挙カーによる選挙方法を見直しては如何か。移動中は名前の連呼しか叫べず、立会演説会には粗末な許可証を立て掛ける。正に現在の選挙カーに拠る選挙運動は昭和25年制定当時の儘なのだ。

 かといって、選挙カーのレンタル代やらポスター代、文書交通費、光熱費やその他諸諸、昔は選挙にはカネが掛かったものだが、今やその支払いは役所が払う。つまり、国民が納めた血税が議員に成りたがる輩に垂れ流されてるのだ。

 地区対抗戦の様な意味の無い選挙カーでの選挙を止めて、候補者が各地区を一緒に回り(候補者を何グループかに分ける)、公民館や体育館、集会所などで立会演説会をすれば好いではないか。何故、そんな簡単なことが出来ないのか。

 国民不在の政争を繰り返す衆議院と、その衆議院のカーボンペーパーに成り下がり、党利党略の政争の機関に成り下がってしまった参議院。生業議員ばかりで、行政のチェックと提案機構という本分を忘れた地方議会の劣化は甚だしい。

 地方議員は議員報酬は返上し、福島県矢祭町の議員と同じく「日当制」を諒とすべきだし、国会議員は国民から詐取している政党交付金を返納するべきだ。

 国費然り、議論の無駄を省く為に参議院を廃止して一院制にするべきだ。抑々、参議院とは「貴族院」の名残りであり、言い換えれば「勅選議員」でもある訳だが、現在の参議院は「良識の府」どころか、衆院と同じ政党が仕切ってる御粗末さ。

 イタリアでは「上院」は選挙で315人の議員を選出していたが、憲法改正の是非を問う国民投票が成立し、上院議員は100人の首長ら地域代表者で構成され、法案の審議や内閣の承認は「下院」のみが担うこととなり事実上の一院制となった。

 一院制が無理ならこれに倣い、参議院は定数を100名程度とし、勅選議員として全国の首長代表や地域代表者などで構成し、内閣の承認は天皇、法案審議は衆議院のみとすれば予算も軽減出来るし、何より法案審議の迅速化を図れる。

 だが、議員というのは国民の生活よりも己の生業が大事であり、身を削ることは夢のまた夢。公職選挙法を部分改正したところで抜本的な改革は出来ない。

 議会の改革は公職選挙法改正に非ず、先ずは議員自ら身を削ることだ。「政治家は出たい人より出したい人を」とは蓋し名言だとは思うが、いっそのこと政治家なんぞ、裁判員制度と同じく抽選で決めてしまった方が好い。呵呵大笑。

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2021年07月06日

「友よ山河を滅ぼす勿れ」というスローガンを掲げ反原発を訴えてるが

 原発事故以来、福島県の緑豊かな自然が失われているかの様な声を耳にする。山形県から福島市を流れる一級河川「荒川」がある。調査対象の全国162河川の中で、11年連続で「水質が最も良好な河川日本一」に認定されている。

 水の汚れを示す指標の一つである生物化学的酸素要求量(BOD)の年間平均値を用いて水質を評価しているが、荒川のBODは1ℓ0.5㎎と数値は低い。荒川は景観が素晴らしく、山形へ続くルートは釣り場としても人気の河川でもある。

 原発事故以来、山本太郎を筆頭に「被曝する場所で生活なんてありえない」「福島の人達は命に怯えながら生きている」「美しい福島の自然は破壊された」などと、福島の現実も見てもいないのに恰も見て来た様な嘘を垂れ流す。

 福島第一原発事故周辺だけを見て福島県を貶め続けてるが、福島は彼らが思うほど自然は破壊されてはいない。「荒川の11年連続日本一」ということは原発事故の起きる前年から日本一だ。反原発派こそ復興に水を差す現実逃避の盲である。

 今や福島県内に限らず全国で太陽光パネルを敷き詰めた施設が乱立している。バブル崩壊で倒産したゴルフ場の有効利用ならまだ分からないでもないが、新たに森林を伐採してまで設置する再生可能エネルギーってのは本当に必要なのだろうか。

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 愚生の故郷にはバブル時代に出来た小浜城ゴルフ倶楽部が在ったが、今やメガソーラーの施設となっている。その近くに「二本松太陽光発電合同会社(本社・東京都銀座)」が森林を伐採しメガソーラー施設を造った。その広さは東京ドームの4倍。

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 施工は地元企業ではなく何故か石川県の池田建設工業。故郷の麗しき山河が金儲けで伐採されて行くのは悲しいことだ。最近では、本宮市と郡山市の境に在る森林が伐採され、メガソーラーが設置されているのが主要幹線道路からも確認出来る。

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 県内をドライブすると大規模な太陽光パネルや巨大な風力発電の風車を目にする。郡山市内では布引山や会津の背炙山の巨大風車は正に圧巻だ。だが、自然の風景と最先端技術の融合は見る者にとっては異様な光景である。

 原発稼働停止で、国内の大資本から民間企業、外国資本までもが太陽光発電事業に参入した。結果は地上げ屋が跋扈し山林が売買され森が伐採されて行った。

 緑豊かな森が人工的なパネルで敷き詰められ、広場も埋め尽くされ自然の景観を損なっている。ゴルフ場が乱立されたバブル時代と同じ構図である。

 原発事故後、再生可能エネルギーに転換されたが、資源の乏しい我が国が、原発の再稼働無しで繁栄を維持出来るとは到底思えない。何より「便利」という価値観に溺れた日本人が、太陽光や風力、再生可能エネルギーだけで足りるとも思えない。 

 反原発派どもは「原発を稼働しなくても電力は足りている」と叫んで憚らないが、産業振興に伴う電力不足の不安は大きく、原発事故以来、化石燃料に頼ったツケが我が国経済に大きく圧し掛かっていることにはダンマリを決め込む。

 原発再稼働をしないことで余計な経費が加算されたことを無視して都合の好い切り貼りばかり。原発停止に伴う火力発電に使われる液化天然ガスや、太陽光パネルに使われる半導体等電子部品、石油製品の輸入増加で貿易収支は赤字続き。

「脱原発」の理想は分からないでもない。だが、福島第一原発の事故も防波堤などの整備を万全にしてさえいたら大事には至らなかった。「人災」の原因こそ改めるべきで原発そのものに罪は無い。もう少し、我が国の科学技術を信じるべきだ。

 将来、「想定外」の巨大地震が起き、東日本大震災を上回る大津波が発​生したとなれば、日本の原発より、乱立する中共や韓国の原発が危​機に瀕するのは明らか。

 そうした事態に備え、我が国は原発事故の原因と対策、更には収束技術や環境に与える影響などあらゆる研究を怠らず、万が一事故が起きたなら、その研究や技術を提供することこそ原発事故を起こしてしまった我が国の務めであろう。

 故野村秋介が叫んだ「友よ山河を滅ぼす勿れ」というスローガンを掲げ反原発を訴えてる右翼こそ、こうした風潮に異を唱えるべきだが何故か沈黙を極め込む。反原発というのも、「反米」なら反天皇で在ろうが連帯するソレと同じか(苦笑)

 再生可能エネルギーという名のバブル崩壊は時間の問題だろう。況してや、多くの人命が失われた静岡県熱海の土石流事故は「人災」である。反原発の風潮の流れからの再生可能エネルギーの愚策で甚大な被害を被ってることをどう感じるのか。

 営利至上主義から伐採された森林も、バブル崩壊で荒れたゴルフ場と同じ様にほったらかしにされるだろう。伐採された森林は元の麗しき姿に戻ることはない。

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2021年07月05日

小泉純一郎の「脱原発論」は安っぽいセンチメンタリズム

 脱原発をライフワークとする小泉純一郎は、全国を講演して聴衆をオルグする。倉吉市内での講演で「原発ゼロでも停電しないことが証明されている。核のごみの処分場も無いのになぜ動かそうとするのか」と政府や電力会社の姿勢を批判し、再生可能エネルギーの導入を強く推し進めるべきとの持論を展開した。

「ひとたび事故が起きれば古里がなくなる。それを目の当たりにしても原発を諦めず、過ちを改めようとしないのは不思議でしょうがない」と強調しているが、故郷が無くなったと騒いでるのは自称被災者ばかりで、多くは故郷に戻り頑張っている。

「再生可能エネルギーの導入を強く推し進めるべき」というが、静岡県熱海市の土石流事故は再生可能エネルギー政策の危険性を露わにした。また、再生可能エネルギーの方が賦課金など国民負担は大きいのに、それらには何故か口を噤んでる。

 小泉が脱原発に傾いたのは、放射性廃棄物の最処分場が確保されていないというのが最大の理由だが、こうした重要な問題を放置し続けて来た責任は自民党や小泉ら歴代首相に在る。そういうことを無視し、今更ながら他人事の様に「即ゼロがイイ」などと煽動していることこそ無責任の極みではあるまいか。

 安倍政権下で「脱原発」を政治決断する様に迫ったが菅政権下でも同じ。「政治が原発ゼロの方針を出せば、必ず智恵のある人が良い方針を出す。専門家の知恵を借り、その結果を尊重して進めるべきだ」と小泉節で尤もらしく訴える。

 だが、その「必ず知恵のある人が・・・」という言い方こそ具体性に欠ける無責任な発言そのものではないのか。「(原発費用を)代替エネルギーに費用を回した方が、エネルギー源が開発される」というのも具体性に欠ける夢物語に過ぎない。

 新規原発の増設が不可能な中で、将来的に「原発ゼロ」に向うのは誰にでも分かる。だが、世界の流れは原発推進であり、中共や韓国などは増設している。

 国内では「脱原発」「反原発」運動が盛んだが、原発事故当時、世界に在った400基の原発は2020年には倍の800基になった。我が国だけが原発を捨てるというのは余りにも危険だ。小泉の狙いは再生可能エネルギー推進という我田引水である。

 小泉は「稼働原発がゼロだった13~15年も電力が安定供給された」として水力や太陽光、風力を中心とする電源構成に転換すべきだと強調してるが、現実は90%が火力発電によって賄われた。こうした事実に触れないことにも違和感を覚える。

 このまま原発依存から脱却し、化石燃料への依存度が高いまま推移した場合に様々な弊害が出て来ることは火を見るより明らか。例えば、万が一原油輸入のシーレーンを封鎖された場合、福島第一原発事故以上のパニックが起きるのは必至だ。

 我が国は四辺を海に囲まれた島国であり、1970年代に起きたオイルショックの経験から産油国との外交関係の重要性、そしてシーレーンの安定化が不可欠と感じた我が国は外洋に伸びるシーレーン千海里防衛構想を策定したのは当然のこと。

 国内経済にしても、多くを海上交易に依存している我が国の輸入依存度の高さは石油が99.8%、石炭98.4%、天然ガス(LNG)796.6%、原子力(ウラン)に至っては100%を依存していることでも分かるだろう。輸出も同様である。

 こうしたことからも、海洋国家としてシーレーン防衛の重要性が認識され、海上自衛隊は「対潜水艦戦」や「対機雷戦」に重点を置き訓練を行っている。

 現在もイランの核開発によるホルムズ海峡の危機や、中共の覇権主義によって南シナ海や東シナ海、そして尖閣列島などが脅かされているが、適切な海上権益を確保し、マラッカ海峡から日本までのシーレーンの安全を確保することが重要だ。

 米軍と協力して千海里防衛は当然ながら、太平洋~インド洋地域、南シナ海、東シナ海のシーレーンの防衛体制を確立することが大事であり、それが結果的には中東等での事態発生に対する抑止力となり、中共の野望も阻止可能となる。

「脱原発」の流れで原発を廃炉にすることより、シーレーンの防衛こそ真剣に考えなければならないのだが、小泉や反原発派からは全くそんな声は聞かれない。

 原発を再稼働しない場合の代替のエネルギーが、太陽光や風力といった不安定な電力供給で国力を維持出来るとは思えない。太陽光発電は夜間や雨天、曇天では効果は少ないし、風力は風が吹かなければどうにもならないのは分かってるだろうに。

 その点、原発というのは「プルサーマル」や「高速増殖炉」も並行して実用化出来れば、化石燃料に依存しなくてもかなりのエネルギーは自国で賄えることになる。

「脱原発」の理想は分からなくもないが、それよりも現存する原発の安全対策を盤石に施し、核リサイクルなどの技術開発研究こそが喫緊の課題ではないのか。もう少し、日本の技術力というものを信じ、期待しても好いのではあるまいか。

「エネルギー供給の危機」をクリアした上で、太陽光や水力、火力、風力、或いはメタンハイドレートへの投資や、蓄電の技術開発に多額の資金を投じれば、将来的な脱原発への道が開かれるだろうが、実際には実現するにしても相当先の話。

 将来的に原発依存からの脱却を図るなら、安定的供給可能な新エネルギーや蓄電技術などへの莫大な投資が伴う。小泉は「原発はコストが安いと言っていたのはウソだった」と訴えてるが、再生可能エネルギーの国民負担は小さくない。

 太陽光や風力による発電は安価で、家庭に安く提供出来るということだったが、今や一般家庭の「再エネ発電賦課金」の負担金は2兆円を優に超える。

 国はこうした現実を無視して2030年度には発電全体の22~24%を再生可能エネルギーで賄うことを目標に掲げている。小泉はその急先鋒というか露払い。

 政府の目標達成の為には、多くの企業に磯部地区のメガソーラー発電所の様な施設を乱立させるしかない。つまりは、太陽光パネルが増設されればされるほど一般家庭への「再エネ発電賦課金」という負担金は殖え続けるということでもある。

 今や反原発派の主役として破壊活動に躍起な小泉純一郎だが、その発言は相変わらず中身の無い安っぽいセンチメンタルリズムと政治家時代の不作為の責任放棄。そこに再生可能エネルギーの利権が絡む。この軽薄さを嗤わずにはいられない。

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2021年07月03日

自由民主党は反共政党であるという自覚はないのか

 現在の政治を糺すには自民党粛正が不可欠である。現在の自民党は単なる選挙互助会に成り下がった。幹事長が選挙を仕切る構図の弊害が顕著となっている。媚中派の二階俊博の幹事長記録が自民党歴代最長となったというのが何かを況や。

 自民党幹事長が劣化して行くのは小沢一郎辺りからだろう。人材不足も顕著となり、加藤紘一や野中広務、古賀誠、山崎拓、石破茂など無自覚左翼というか容共議員が幹事長に就き、国家観なんぞ二の次で国民不在の権力闘争に明け暮れた。

 我が国には自民党以外の保守政党が無い。自民党か野党の議員しか選べないのでは投票率は下がる一方。その自民党が保守政党と言えるのかといえばそれも疑問で、唯、保守票欲しさに保守のカタチを取り繕っているだけに過ぎない。

 選挙制度にも問題がある。小沢一郎が謀った二大政党へ向けての小選挙区制という二者択一は、中庸を重んずる国民性からも向いてはおらず、小選挙区を廃止し中選挙区制や一県全土での大選挙区制を導入すべきではあるまいか。

 選挙区にロクな候補がいければ棄権するしかない。中選挙区や大選挙区、例えば福島県で10人当選となれば弱小政党にもチャンスは巡って来るし、有権者の選択肢も増える。何より、総選挙の度に3分の1が改選され国会に新しい風が吹く。

 昭和30年11月15日、日本民主党と自由党の合併により「自由民主党」が誕生した。党是は自主憲法の制定。だが、自民党の歴史を見れば、保守政党とは程遠い中道左派の歩みである。改憲政党では無いのに九条改正を叫ぶのも不思議なことだ。

 何故に自主憲法制定を目指したのかといえば占領下にまで遡る。昭和25(1950)年6月25日、北朝鮮が突如として南朝鮮(韓国)に侵攻。これを機に同じ民族同士が相討つ戦争となり、休戦に至る約4年間で数百万人が犠牲となる大惨事となった。

 朝鮮戦争が勃発し、ソ連との対応に苦慮したマッカーサーは吉田茂首相に、国内警察力と海上警備力の強化を促す書簡を送る。所謂「マッカーサー書簡(文書)」である。これはマッカーサーが実質的に、日本国憲法の破棄を促したものである。

 だが、吉田は日本国憲法を破棄せず遵守することを選ぶ。当時の吉田のこの判断の是非を現在の価値観で論ずることに意味は無いが。吉田の判断に由り我が国が米国に利用され、朝鮮戦争やベトナム戦争に駆り出されなかったのは事実だろう。

 だが一方で、「マッカーサー書簡」が送られたのを機に、日本国憲法を破棄し、旧大日本帝国憲法(欽定憲法)に戻していれば、九条議論や安保関連法案や集団的自衛権の行使云々で不毛空論の議論が繰り返されることはなかったとも思う。

 また朝鮮戦争が、我が国の主権回復(昭和27年4月28日)後の1948(昭和28年7月27日)まで続いていたことで、憲法見直しの機を失ったのもまた事実である。

 昭和30年になると日本国憲法の見直しなどの機運が高まり、その年の11月15日、日本民主党と自由党が合併し、自由民主党が誕生することとなるのである。党是は自主憲法の制定であり、安倍らが謀る九条改正は党是と矛盾する。

 第九条の改正を謀るというのは現憲法を認めることであり、究極の護憲運動というのが正しい。現在の自民党綱領には、自主憲法制定は取り除かれ「新憲法の制定」を謳い、そして「高い志をもった日本人を」として次の様に明記されている。

【私たちは国民一人ひとりが人間としての普遍的規範を身につけ、社会の基本となる家族の絆を大切に、国を愛し地域を愛し、共に支え合うという強い自覚が共有できるよう努めます。・・・教育に対して惜しみなく資源を配分し、日本人に生まれたことに誇りがもてる国際感覚豊かな志高い日本人を育む教育をめざします】

 実に好い内容だとは思うが、何一つ実行していないではないか。だが、「教育に惜しみない資源を配分し」と言ってるが、それが高校教育の無償化や給食費の無料化だとすれば本末転倒と断じる他は無い。将来を担う子供達への教育の中身を論ずることなく教育という言葉を易易と語ることがあってはならない。

 社会福祉の充実やそれに伴う財政再建も大事だが、営利至上主義と言うべき経済主義ではなく、日本国民としての普遍的規範を身に付け、家族や仲間との絆を深め、共に支え合って地域と国家に尽くす日本人を如何にして育むことこそ大事。

 男女共同参画社会、ジェンダーフリー(ジェンダー平等)、SDGsや人権擁護法案、協働・共生社会、外国人参政権、外国人住民基本法案、極め付けは女性天皇容認論と女性宮家創設など、左翼陣営は次から次へと国體破壊の策謀を重ねている。

 こうした行政側への共産主義の介入を奨めたのは悲しい哉、共産党ではなく、保守を自任する自民党政権下だったというのは実に御粗末という他はない。

 自民党の「立党宣言」には【社会的欠陥を是正することに勇敢であらねばならない。われらは暴力と破壊、革命と独裁を政治手段とするすべての勢力又は思想をあくまで排撃し祖国再建の大業に邁進せんとするものである】と記されている。

 自民党は立党精神に立ち返り、過去の容共的愚策の実行という過ちを糺すと共に共産主義を行政権と連結せしめようとするあらゆる企画や行動とすべからく対峙すれば自ずと支持率も恢復するだろうし、日本再生もそこの成否に懸かって来る。

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2021年07月02日

中国共産党に祝意を示すマヌケな政治家どもの歴史認識を嗤う

 結党から100周年を迎えた中国共産党に対し、自民党媚中派議員の代表でもある二階俊博幹事長は祝意を示した。立憲民主党も枝野幸男が続き、小沢一郎はマヌケにも「国際社会が中国に嘗てない大きな期待を寄せている」などと祝意を表した。

 公明党の山口那津男に至っては「一つの政党で100年を迎えるということ自体中々ない」と讃え、「尚一層、世界の平和と発展、安定の為に力を尽くして頂きたい」と語った。「尚一層」と言うが、中共が世界平和に貢献した事実なんぞ無い。

 一方で、共産党の志位和夫はtwitterで「中国による東シナ海や南シナ海での覇権主義的行動、香港やウイグルでの人権侵害は社会主義とは無縁であり共産党の名に値しない」と指摘したのは、二階や小沢らよりも格段に立派に見える。

 日本共産党は、コミュンテルン日本支部として設立されてるから中国共産党と仲違いするのは分かる。中共との違いを強調してるが、中身は同じ暴力革命集団。

 昭和12(1937)年7月7日、「支那事変(日支事変、日中戦争)」の引き金となった「盧溝橋事件(七七事変)」が勃発。「日中戦争は我が国の侵略戦争だ」という認識が蔓延しているが、この認識は明らかな誤謬と無知と自虐史観そのもの。

 我が国は、1901年9月7日に調印された列国と清国・義和団との戦闘の事後処理に関する最終議定書である「北京議定書」に基づき在留邦人保護の為に軍隊を駐屯させていたのだが、盧溝橋でその日本軍を攻撃してきたのは中国共産党の方だった。

 上海でも日本人保護の為に合法的に駐留していた海軍陸戦隊に、正規軍10万人を動員し一方的に攻撃を仕掛けたことで戦争は本格化したが、何れも中国共産党が仕掛けた戦争であり、つまり侵略者は我が国ではなく中国共産党である。

 戦争勃発前は果たしてどういう状況だったかというと、支那の新聞の大勢は「対日主戦論」が幅を利かせていたことは言うまでもない。当時の主戦論には過激な知識人を始め、学生・都市市民、中国共産党、地方軍閥の3グループが扇動した。

 共産党と軍閥は知識人などに主導された過激世論を味方として、蒋介石政権に対しての立場を有利にしようと狙っており、特に、共産党は「反日」を最大の政治的武器として使っていたことは歴史的事実で、これは現在も引き継がれている。

 昭和6年(1931年)11月には、江西省の瑞金に成立した中華ソビエト共和国が、毛沢東の名により日本に対して宣戦を布告。 何時、何処で日本への攻撃が起っても不思議ではない状況の下で昭和12年(1937年)7月7日に事件が起ったのだ。

 実は、共産党にとって当時の状況は深刻で、中華民国西安で起きた、張学良・楊虎城らが蔣介石を拉致監禁した「西安事件」に因り、蒋介石は共産党攻撃を中止し、共産党と協力関係を作ることを約束し共同抗日と国共合作が促された。

 然しその後、蒋介石は共産党に対し次々に厳しい条件を突き付けた。この窮地に大博打を打って出たのが毛沢東だった。国民党軍の中に大量に潜り込ませていた共産党軍に反日を煽り、それに紛れて7月7日22時40分に発砲事件を惹起した。

 発砲事件の翌8日に共産党は、中央委員会名で蒋介石や全国の有力者、新聞社、団体に発信しているが、実は日本軍は8日午前5時30分に初めて反撃を開始した。

 当時の通信事情からしても8日に初めて反撃されたのに、8日に公式電報を作成し発信することなど絶対的に不可能であることは明らか。その証拠が存在する。

 支那派遣軍情報部北平(北京)支部長秋富大佐は、「事件直後の深夜、天津の特殊情報班の通信手が、北京大学構内と思われる通信所から延安の中共軍司令部の通信所に緊急無線で呼び出しが行われているのを傍受した。

 そこには「成功した」と3回連続反復送信していた。これが何を意味するものか解らなかったとが、今ではそれが「盧溝橋事件」の明らかな証拠とされている。つまり、謀略が成功したことを延安に報告し、延安では電文作りが行われたのだ。

「盧溝橋事件」は中国共産党が起こした謀略であり、共産党が盧溝橋事件を起こしたことは今や100%明らかな歴史的事実である。「日中戦争は日本の侵略だった」などという共産主義者らのプロパガンダをいつまで信じ続けるつもりなのか。

 戦争の発端となったこの事件の「事実」を知れば、自ずと真相は白日の下に曝されるだろう。だが、悲しい哉、日本人というのはたった一度の敗戦からこうした歴史の事実すら知ろうとせずに現実逃避を続けている。

 歴史と言うものは為政者に都合の好い様に作られるものなのだ。「中国四千年」の歴史にしろ、朝鮮の輝ける歴史にしろ、かの国での歴史とは、新しい王朝が如何に正当性を持つかという謂わば創作物でありフィクションに過ぎない。

 政治家は歴史認識を問われると「歴史は歴史家に任せる」などとキレイゴトを言う。だが、近隣諸国にとっての優秀な歴史家というのは、自国の正当性を如何に論じられるか、歴史的事実を捏造してでも真実と言い張れるかが大事となる。

 捏造には全力でカネで買収し、銅像や記念館を建て既成事実化するのが常套手段である。「従軍慰安婦」や「南京大虐殺」という大嘘も、我が国が論拠を示し毅然と反論して行かなければ、時代が経つにつれ真実になってしまうだろう。

 歴史の問題は国の存亡に係わる一大事であり、国民もいつまでも共産主義者のプロパガンダや自虐史観という洗脳の留めなき淵に漬かり込んでる場合ではない。

 況してや、中国共産党の汚辱の歴史を忘れて祝意を表し、「一つの政党で100年を迎えるということ自体中々ない」とは、我が国政治家の劣化は甚だしい。

 中国共産党への「ウイグル等における深刻な人権侵害に対する非難決議」を阻止した二階や小沢ら媚中派売国議員どもと公明党議員を次期総選挙で駆逐しよう!

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2021年06月30日

国賊小沢一郎が結党100年の中国共産党へ祝意を示し忠誠を誓う

 媚中派議員の筆頭である小沢一郎が、結党100年を迎える中国共産党へ「創建以来、幾重もの困難を克服し、中国を大きな政治的、経済的影響力を持つ国に成長させた。国際社会が中国にかつてない大きな期待を寄せている」と祝意を表した。

 ソビエト連邦崩壊後、東欧では「マルクスレーニン主義」を捨て去り、党名も変更した。合法政党の地位を有しつつ、未だに堂々と「共産党」を名乗っている存在は先進国の中では「中国共産党」と、恥ずかし乍ら「日本共産党」だけだ。

 中国共産党が中華民国との国共戦争に勝利し、中華人民共和国を建国したのは戦後の1949年10月1日。小沢の「創建以来の幾重もの困難を克服」とは、先の大戦での我が国へのゲリラ戦と、蔣介石率いる国民党との戦争を言ってるのだろう。

「中国を大きな政治的、経済的影響力を持つ国に成長させた」というのも、中国共産党の策謀にまんまと嵌り、せっせと貢いできた我が国の朝貢があってのこと。

 小沢一郎や二階俊博ら媚中派の元凶は田中角栄。昭和47年9月29日、田中は中国共産党政府を唯一の合法政府であると承認し「日中共同声明」に調印した。同時に、国際法規であった「日華国交条約」を破棄。道義国家が失墜した象徴である。

 田中は、調印での会見で「先の大戦で中国国民に重大な損害を与えたことに、責任を痛感し、深く反省する」と謝罪した。この認識が現在の歴史認識と対中外交に引き継がれている。田中の歴史認識は村山談話や河野談話より遙かに罪深い。

 平成21(2009)年末、小沢は畏くも天皇陛下と中国共産党習近平副主席(当時)との特例会見を強行し、国民の顰蹙と怒りを買ったのは記憶に新しい。

 特例会見は、宮内庁が各国に対して平等の適用の原則を無視し、決して手を出してはいけない天皇の政治利用の領域に踏み込んだ不敬千万と言える逆賊行為だった。

 中国共産党詣で国家主席に拝謁した小沢が、その交換条件として陛下と次期国家主席に決まってる習近平の会見を画策し安請け合いしたのは想像に難い。日本での最高権力者としての力量を誇示したいが為のものだったことは明明白白。

 この悪しき前例は、諸外国に行ってきた平等の原則の立場を失う事になり、世界からの皇室への尊崇の念や天皇という威厳は薄れて行く可能性を暗示させた。

 臣下の礼で胡錦濤と記念撮影に納まる小沢訪中団の欣喜雀躍とした態度には呆れ返ったが、中共への走狗と化し忠誠を誓うが如くの媚び諂いの為に畏くも天皇陛下が政治的に利用されるという屈辱的な事態は断じて赦し難い蛮行だった。

 訪中の際に小沢は、日本では見せたことの無い饒舌さで次の様に宣った。

「政権交代を実現したが、こちらの国に喩えれば解放の戦いは未だ終わっていない。来夏に最終決戦がある。兵を募り、鍛え、勝利を目指している。野戦軍の総司令官として解放戦が終わるまで徹したい」。正しく中共の走狗と化した瞬間だった。

 自分の立場をチベットやウイグル自治区や支那各地で虐殺行為を行った人民解放軍の総司令に准えたその神経こそ異常で、何たる傲慢、何たる驕気だろう。

 こうした認識は二階ら媚中派議員も同じで、中国共産党への「ウイグル等における深刻な人権侵害に対する非難決議」が、国会に上程されないまま国会が閉会したが、非難決議を事実上阻止したのは媚中派議員と公明党だったことを忘れるな。

 今秋行われる総選挙では小沢一郎や二階ら媚中派どもと公明党を一掃しよう!

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2021年06月27日

ガソリン価格が3ヵ月連続で1ℓ160円を超えた場合揮発油税25.1円を停止する

 平成21(2009)年の衆院選で民主党はマニュフェスト(政権公約)の目玉の一つとして、ガソリン税などの暫定税率廃止を掲げた。羊頭狗肉のマニュフェストが功を制し政権を奪取したが、民主党は公約を反故し暫定税率廃止を見送った。

 その代わりに燃料価格の高騰対策として翌22年、「所得税法等の一部を改正する法律」を成立させ、所謂「トリガー条項」というものを盛り込んだ。

 この「トリガー条項」は、総務省が発表する小売物価統計調査に於いて、ガソリンの平均価格が3か月連続で1リットル160円を超えた場合、揮発油税の上乗せ税率分である25.1円の課税を停止するというものである。

 尚、停止後に3か月連続でガソリンの平均価格が130円を下回った場合には、課税停止が解除される。だが、東日本大震災の発生を受けて、適用されると復興財源となる税収が約1.8兆円減るという理由から「トリガー条項」は発動されなかった。

 今、ガソリン価格の高騰は止まるところを知らず160円近くに跳ね上がった。先日、会津方面に出かけたが市内のガソリンスタンドは見並160円を超えていた。

 最近は利用者も慣れっこになってしまって、近所のスタンドのガソリン価格が160円を割り、156円などという数字を見ると如何にも安くなった錯覚に陥る。

 福島原発事故後、被災者や自称・被災者への優遇措置が講じられているが、事故後も県内に留まり復旧・復興に汗する県民にこそ優遇すべきで、県内ナンバーの車への給油に限って揮発油税を廃止するべきだと思ったが実行されることはなかった。

 友人のダンプ屋も復旧・復興関連工事もあり多忙を極めてはいるが、燃料費の高騰で儲けは薄いと言っていた。現在の軽油価格は過去のレギュラーガソリン並。

 ガソリン価格の高騰は企業の経費にも大きく影響し、景気回復の足枷にもなっている状況を見れば「トリガー条項」を発動し、ガソリン価格を下げるのが得策。コロナ禍で景気が低迷してるのだから身近なガソリン価格を見直すのも手だと思う。

 因みに、沖縄県は「沖縄復帰特別措置法」によりガソリン価格は安いが、東日本大震災で被害を被った東北3県にもそうした措置を講じるべきだったと思う。

「トリガー条項は、東日本大震災の復興財源確保の為に発動しない」と結論付けられたが、復興財源を確保の為と言いながら、国会議員の歳費削減や国家公務員の給与削減や復興特別法人税といった対策が解除されたのは合点が行かない。

「政治家は隗(かい)より始めよ!」という言葉がある。遠大な事をするには、手近なことから始めよ。転じて、事を始めるには先ず自分自身が着手せよという意味だ。昨今、口先ばっかりで命がけで実行しようという政治家は見当たらない。

 国民に社会保障費の財源を確保するなどという名目で消費税増税を押し付けながら、政治家どもは地方議員を含めあらゆる面で優遇され過ぎている。こうした現状は、政治家として在るべき「滅私奉公」という生き方からは程遠いものだ。

 地方議員は日当制にし、無用の長物・参議院なんぞ廃止すべきであり、何より「政党交付金」は導入された目的とは程遠いもので即刻廃止するべきだ。

「政党交付金(政党助成金)」は、企業・労働組合・団体から政党・政治団体への政治献金を制限する代償として、平成6年の細川政権時に導入された。

 細川はドイツの事例を挙げて、「ドイツでは、国民がカネを出し合って政党を援助している。政治家がカネ集めに奔走しなくて済むし、何よりクリーンな政治を実現出来る」と訴えてこの制度導入を訴え、国民もならばと同意した。

「政党助成法」の成立で、当然、企業献金や政治資金パーティーは無くなり、政治家は国家国民の為に汗してくれるものと国民の誰もが思った。だが、現実は政治資金パーティーは無くならず、政治家は政治資金集めに狂奔するばかり。

 政党交付金として国会議員一人当たり約5000万円。国民一人当たり換算で約250円、1年で約320億円が支払われ、過去に支払われた総額は実に約9兆円に上る。

 政党交付金は政党に配られ政党職員の給与や選挙での活動費に充てられる。結果、公務員の様な政党職員が殖え、政策秘書という職員らが作ったクソの様な政策を当選だけが目当ての投票要員に成り下がった政治家がその政策実行を謀る。

 抑々、議員歳費は年間約2300万円、文書交通費約1200万円、他にも公設秘書の給料や議員会館、議員宿舎など年間合わせて約1億円以上の国費が計上されている。誰が見ても十分な金額だろうが、欲の皮のツッパッた連中は何処までも貪欲だ。

 相変わらず国会議員のバカ共は企業献金やら個人献金、政経パーティーと金策に狂奔しているが、これ即ち「政党交付金詐欺」と言っても過言ではないだろう。

 政党交付金は、政治活動の自由という観点から、政党交付金の使い道には制限が無ければ立法事務費も使途報告の必要もなく解散時の返納する義務もない。

 正に「政党助成法」は国民をバカにした法律であり、あの小沢一郎の事件も、本を糺せばこの政党交付金の在り方を論じなければならない問題だったのだ。先の広島選挙区での河井議員夫婦の公職選挙法も同じく政党交付金が使われている。

 総務省は令和元(2019)年の政治資金収支報告書を公開した。自民党本部の収入は約245億円。第二位は日本共産党の約205億円。公明党約129億円。旧立憲民主党約70億円、旧国民民主党約57億円。日本維新の会約20億円と続く。

 共産党は政党助成金を受け取らず、政党助成金制度の廃止を主張しているが、至極真っ当な認識であろう。共産党以外の政党は「政党交付金」を受け取ることが、国民への背信行為であり、詐欺行為だとの認識はないのだろうか。

 こうした状況を見れば「トリガー条項」発動が、東日本大震災復興の財源確保の為にも出来ないという理由は単なる詭弁にしか聞こえない。コロナ禍で景気が低迷する中で「トリガー条項」発動し、景気回復の呼び水とするべきだ。

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2021年06月26日

朝鮮戦争と日本国憲法と自衛隊

 我が国が未だGHQの占領下だった1950(昭和25)年6月25日、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が突如として大韓民国のソウルに侵攻する。これを機に同じ民族同士が相討つ戦争となり、数百万人が犠牲となる大惨事となった。朝鮮戦争である。

 朝鮮戦争を遡ること5年前の1945年8月9日、ソ連は我が国と締結していた「日ソ不可侵条約」を一方的に破棄し参戦。その3日後には朝鮮半島北部に侵攻した。

 朝鮮への侵攻準備が出来ていなかった米国はこのソ連の侵攻に慌て、急遽、ソ連との間で朝鮮占領の協議が行われた。結果、38度線で分割する事で合意した。  

 北朝鮮でソ連は、日本人の軍人・行政官・警察官を抑留すると共に親日派を一掃し、共産主義者を中心に人民委員会を組織させ委譲する。1946年2月、ソ連の傀儡として、重慶に亡命していた金日成を首班とする政権を誕生させた。

 一方、南朝鮮では、米国に因って総督府の残留朝鮮人官吏を活用し軍政権を敷く。1946年1月に、間接選挙による「過度立法議院」を構成させ、翌年の2月、安在鴻を長官とする過度政府を発足させた。 ヤルタ協定では1948年3月迄、国連の信託統治を予定していたが、米ソの対立で全ての協議が決裂することとなった。

 1948年8月、米国は反日活動家の李承晩を初代大統領に据え、大韓民国を建国させる。そしてソ連は、この翌月に朝鮮民主主義人民共和国を建国させた。

 北朝鮮では金日成の支配下で着々と国政の整備が進んだのに対し、韓国は官僚や亡命先からの帰国者、米国の措置で監獄から解放された共産主義者が入り乱れ、政権は安定せず、労働組合によるストライキが多発し、社会混乱が加速した。

 1946年10月以降、それまで容共的だった米国は次第に共産党の抑圧政策に転じ、米国の傀儡政権である李承晩は、日本と共同歩調を執ろうとした呂運亮を暗殺し、自ら大統領に就くと「反日・反共」を国是としたのである。

 李承晩が最初にやった仕事は親日派の追放であり、その結果、日本に育てられた優秀な官僚は次々と追放されて行った。現在の文在寅大統領の目的は、この李承晩の行った親日派の追放の完遂であり、「反日と反共」であった国是が、いつの間にやら容共国家となり、「反日」のみとなってしまっているのが現在の韓国である。 

 こうし田中で米ソの対立に因って朝鮮戦争が勃発すると、韓国内で指揮を執っていたマッカーサーは危機感から吉田茂首相に、日本の国内警察力と海上警備力の強化を促す書簡を送った。所謂「マッカーサー書簡(文書)」と言われるものである。

 この文書はマッカーサーが実質、押し付けた日本国憲法の破棄を促したものだ。このマッカーサー書簡から1ヶ月後には「警察予備隊令」が決定、翌日公布、即日施行というスピードで準備が整えられ、自衛隊の前身たる警察予備隊が誕生した。

 当時は、日本国憲法に違反しない為に警察予備隊は「軍隊」ではないという欺瞞の下で「師団」を「管区」、「歩兵」を「普通科」、「砲兵」を「特科」、「兵器」は「武器」、「戦車」に至っては「特車」という御粗末なものだった。

 安倍前首相は、憲法九条改正を訴えながら自衛隊を「我が国を防衛する為の必要最小限の実力組織」にすると語っている。この認識こそが占領下時代の警察予備隊の儘なのだ。正に安倍らの謀る憲法改正はインチキであり、究極の護憲運動である。

 我が国が主権回復した昭和27(1952)年の8月1日、警察予備隊と海上警備隊を統合し「保安庁」が設置される。政府は「保安庁法」」を提出するも、野党は「憲法9条」を楯に政府を攻撃。この不毛な議論の構図は今も変わらない。

 吉田茂はその答弁で、「戦力とは近代戦を実行する力であり、保安隊、警備隊にその力はない」と詭弁を弄した。その結果、自衛隊は永い間「戦力なき軍隊」と言われた儘で、今も吉田と現憲法の呪縛に囚われて続けている。

 吉田が日本国憲法を遵守を明言したことで、我が国が朝鮮戦争やベトナム戦争に駆り出されなかったのは事実だろうが、「マッカーサー書簡」が送られたのを機に憲法を破棄していれば、我が国はまともな国家になっていたに違いない。

 当時の吉田茂の判断が良かったかどうかなど議論したところで意味はないが、この時の憲法解釈が未だに大きく圧し掛かっているのは紛れもない事実である。そして今、安倍晋三ら似非保守派が姑息な憲法改正を謀ろうとしている。

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2021年06月25日

「陛下は五輪開催を懸念」と私感を垂れ流した西村泰彦宮内庁長官を更迭せよ!

 西村泰彦宮内庁長官の拝察は軽挙妄動の極みであり、天皇の政治利用に繋がる大問題であり万死に値する。今や天皇を護るべき宮内庁こそが、反天皇運動の忠実な実行者であり、正しく天皇の権威を貶める獅子身中の虫と化している。

 畏くも陛下が恰も新型コロナの蔓延で五輪開催を懸念し、五輪開催を強行する政治情勢を危惧したかの様な流布は許されざる愚行であり、即刻、更迭すべきだ。

 こうした天皇の側近である宮内庁長官の発言は「拝謁記」や「富田メモ」と同じく、左翼陣営や反天皇活動に都合よく利用されるのは過去の事例が示す通りだが、宮内庁長官という立場を利用した反天皇運動の第五列と言っても過言ではない。

 一昨年、初代宮内庁長官田島道治の「拝謁記」が公開されたのは記憶に新しい。メモには、主権を回復した昭和27年5月の主権恢復を祝う式典で、昭和天皇が、先の大戦への「後悔」と「反省」を表明する予定だったと書かれていたという。

 メモには、式典での御言葉の中に「私ハどうしても反省という字をどうしても入れねばと思う」と述べたと書かれてある。「どうしても」という言葉が繰り返されてる意味は、それだけ強く過ちを反省していたということなのだろうか。

 この陛下の御意向に対し、吉田茂首相は「戦争を御始めになった責任があるといはれる危険がある」と反対したという。「後悔」と「反省」に意味は無く、正に主権回復とは程遠い、米国に因る戦後民主主義教育の継承そのものではないか。

 吉田茂の反対の理由も尤もらしいが、式典で「反省」を盛り込まなかったのに、その後も「天皇の戦争責任・退位論」は治まらなかったのはどういうことか。

「天皇の戦争責任・退位論」は「天皇制廃止運動」として、1932年にソ連共産党から日本共産党へ指令された「コミュンテルンテーゼ(命令書)」の忠実な実行であり、式典で「反省」を口にしようがしまいが左翼陣営の既定路線だった。

「大東亜戦争終結ニ関スル詔勅」に於いて「五内為ニ裂ク」と仰せられた通り、道義的に最も責任を痛感されたのは昭和天皇であり、自ら身を苛まれたのである。拝謁記と終戦の詔勅では、陛下の御覚悟と御意思が余りにも違い過ぎる。

「富田メモ」とは、平成18(2006)年7月20日付の日本経済新聞朝刊に、宮内庁長官・富田朝彦が書いたとされるメモで、「昭和天皇がA級戦犯の靖國神社への合祀に強い不快感を示した」とされる内容が列記されているというもの。

 このメモが発表される5年前の平成13(2001)年8月15日、朝日新聞朝刊で「A級戦犯合祀を契機に昭和天皇の参拝が途絶えた」とする記事が書かれてから「A級戦犯分祀論」なるものが騒がれ出すのだが、何故か「富田メモ」もその流れと同じ。

 所謂「A級戦犯」合祀は昭和53(1978)年10月17日に行われた。翌年4月19日に朝日新聞がこれを報じた。「A級戦犯分祀論」は慰安婦問題と同じく朝日新聞の策謀であり、「A級戦犯分祀論」も「富田メモ」も陛下の御親拝阻止が狙いである。

 我が国に戦犯(戦争犯罪人)はいない。連合国側が定めたA(class-A war criminal)、B、C級の区分に関係なく、刑死・獄中死された方は「法務死」と称されている。靖國神社では「昭和殉難者」として分け隔てなく平等に御祀りしている。

 第十六国会の議決により「戦傷病者戦没者遺族援護法」及び「恩給法」が改正され、これを以て法的に復権されているのだから、「戦犯」と蔑視して靖國神社側の殉難者合祀を論う前に、第十六国会の法改正の是非を論ずるべきではないのか。

 国会議員が「A級戦犯」と言い続けていること自体が国会軽視であるが、日本人の未熟さを現している象徴でもある。まさか、韓国の様に「親日分子取締法」などの法の不遡及の原則に反する事後法を制定して昭和殉難者を断罪するおつもりか。

 平成28年、天皇の位を皇太子殿下に譲位する意向を御示し遊ばれたとの報道は世界にも報じられた。この報道を受け、宮内庁の風岡典之長官は「そういう事実はない」と事実を否定するも、その後は積極的に退位に与したのはどういうことか。

 陛下の御発露を受けて執るべきは、皇太子殿下が陛下の御公務や国事行為を輔佐出来る環境を整える為に、現憲法第一章の天皇条項の見直しをするべきものを「生前退位」という共産党用語で国民世論を誘導し退位法案を強行した。

「生前退位」は天皇廃止へ導く為の皇室典範の改悪がその目的であることを見抜けず、保守を自任する安倍内閣で実行されるというマヌケさ。宮内庁は陛下の御高齢を理由に祭祀の軽減を謀った。宮内庁に巣食う逆賊どもの剔抉粛正は待ったなし。

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2021年06月22日

樺美智子の暴殺と三島由紀夫の「反革命宣言」

 60年安保闘争の象徴でもある東大生の樺美智子(かんば みちこ)が、昭和35(1960)年6月15日国会前で謀殺された。愚生が生まれる2ヶ月前のことだった。同じ年の10月12日には、山口ニ矢が日比谷公会堂で演説中の浅沼稲次郎を刺殺する。

 1960年頃というのは「マルクス・レーニン主義」という麻疹に罹った俄か左翼が巷に溢れていた。樺が暴殺された4日後、日米安保条約が成立し彼らの麻疹も沈静化したが、あの暴動は敗戦の悔しさからの反米闘争だったのではあるまいか。

 東大全共闘と三島由紀夫が駒場キャンパス900番教室で激論を交わす。全共闘の反体制と革命への情熱を否定はしない。討論の最後に、三島は「天皇の下で」と天皇を認めた上での行動を促すも全共闘の学生らはコレを否定した。三島の提言に賛同し、天皇という御旗を掲げれば我が国の革命運動は変わっていたことだろう。

 世界の共産主義者は祖国を愛する愛国者ばかり。世界広しと雖も祖国を貶し、歴史伝統文化を否定し続ける売国の共産主義者は日本だけの珍現象。反米闘争に熱を上げた全共闘世代は、マヌケにも戦後民主主義という米国の策謀を忠実に実行した。

 無条件降伏した我が国に対し、米国は徹底した教育改革を行った。その徹底した「戦後民主主義教育」は意図した以上の効果を上げ、悪害を及ぼし続けている。
 
「戦後民主主義」とは、自国を汚辱に塗れた過去と捉える自虐史観であるが、そんな教育を実行したのは日教組や教育委員会であり、文科省も同列である。

 戦後民主教育を受けた多くの国民は国家から恩恵を受けながら、個人と国家を常に対立させ、恰も国家は「人間を抑圧する組織」と見做し、反国家反体制的なポーズをとることが未だに「進歩的」で「文化的」だと錯覚している。
 
 彼らは「国民」という言葉を毛嫌いし、「市民」という言葉を好む。例えば、新型コロナウイルス感染症対策分科会会長の尾身茂が、「コロナの患者さんで手一杯なのに、オリンピックをやるのは、中々一般市民の理解が得られない」などと語っていたが、この「市民」という言葉に尾身の左翼思想を垣間見る。

 占領下で強制されながら悉く失敗した米国の策謀を疑うことなく当たり前だと錯覚し、それを変えることすら躊躇しているとは政治の怠慢以外の何ものでもない。

 米国の押し付けというと現憲法ばかりが論われるが、教育委員会制度も「労働三法(労働組合法、労働基準法、労働調整法)」も米国製ということを知らない。況してや日本の癌とも言える日教組も左翼の巣窟でもある学術会議も米国製である。

 因みに「労働三法」は、憲法28条の労働基本権の理念に基き制定されたことになっている。企業などの労使関係を規定し、対等的労使関係の基礎となっているが、結果は労働組合が乱立し労働人を蔓延らせることとなったのは皮肉なことだ。

 米国は「日本国憲法」で国民を骨抜きにし、「労働三法」で労働者を優遇し、「教育委員会」制度の導入によって教育を荒廃させたという事実を冷静に見れば、占領下押し付けられた様々な悪法を撤廃し、改革を図るのは当然のこと。

 三島由紀夫は「文化防衛論」の「反革命宣言」で次の様に述べる。

「もし革命勢力、ないし容共政権が成立した場合に、例えたった一人の容共的な閣僚が入っても、もしこれが警察権力に手を及ぼすことが出来れは、忽ち警察署長以下の中堅下級幹部の首の挿げ替えを徐々に始め、或いは若い警官の中に細胞を潜ませ、警察を内部から崩壊させるであろう」と述べ、次の様に記す。「我々はあらゆる革命に反対するものではない。暴力的手段たると非暴力的手段たるとを問わず、共産主義を行政権と連結せしめようとするあらゆる企画、あらゆる行動に反対するものである。この連結の企画とは、所謂民主連合政権(容共政権)の成立及びその企画を含むことを言うまでもない。名目的たると実質的たるとを問わず、共産主義が行政権と連結するあらゆる態様に我々は反対するものである」

 今、周りを見渡せば「男女共同参画社会」を始め「外国人地方参政権付与」「住民基本法案」「夫婦別姓法案」「戸籍制度廃止法案」「人権救済法案」の実行を謀る。極めつけは「女性天皇論」や「女性宮家」である。正しくカタチを変えた共産主義が次々と企画され行政権に入り込み、また連結され様としている。

「男女共同参画社会」とは共同参画と言いつつも「共参社会」というのが正しく、つまりはカタチを変えた「共産社会」の実現が着々と実行されているのだ。

 これらは全て共産党が推進し、実行したのではない。総理府や中央官界に入り込んだ全共闘系と共産党系の過激な連中が共同謀議的に考案したものであり、それらを疑いも無く実行したのは自民党ら歴代政府である。これほどマヌケなことはない。つまりは、三島が悲観した予言より酷い状況に陥っているが現在の祖国日本なのだ。

 これらに対峙するべき愛国陣営を見渡せば、営業保守と何ら変わり映えのない活動に終始している現実は、右翼人を自任する愚生も隔靴掻痒の感は否めない。

 自民党は保守政党とは程遠く快復の兆しすら見えない。連立する公明党と袂を分かち、正統な保守政党に変えて行かねばならない。同時に国を憂うる国民が亡国的政策と対峙し、保守本流の流れを作って行かねば成らない時に来ていると痛感する。

 三島由紀夫の憂いた容共的策謀が実行されている中で、三島が教示した様に暴力的手段たると非暴力的手段たるとを問わず、共産主義を行政権と連結せしめようとするあらゆる企画、あらゆる行動や態様に対峙抵抗しなければならない。

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2021年06月21日

辛抱堪らずSOSして救出された辛坊治郎が太平洋単独横断リベンジに成功

 ヨットでの太平洋無寄港単独横断に挑戦していたキャスター辛坊治郎が、米サンディエゴの入国桟橋に着岸しリベンジを果たした。8年前の前回は福島県小名浜港から出港して僅か5日でSOS、海上自衛隊の救難飛行艇に救助されていた。

 前回は出港5日後にヨットが鯨と衝突して沈没し、海上自衛隊に救助された前回の失敗を振り返っていたが、鯨が原因で沈没したというよりヨット経験の甘さと無計画さが原因で、助けた海上自衛官への感謝が先ずあって然るべきだ。

 辛坊治郎といえば、イタリアG7(主要7カ国首脳会議)での酩酊会見でマスコミに謀殺された中川昭一に対し放った「お父さんも自殺したらしいやないか。自殺したらええねん。二度と表に出てこられへんで」との暴言は決して忘れることはない。

 読売テレビのバラエティ番組の「たかじんのそこまで言って委員会」で、「お父さん(中川一郎)も自殺されてるし。自殺したらええねん」と中川大臣の酩酊会見を批判し、「自殺しろ!」との暴言を吐き、己の蛮勇に悦に入ったっけ。

「ああいうことを何回も何回もTVで放送すると、本人は自殺の恐れがあるから、もうこの辺で止めといてやろうやないかという話になるじゃないですか。とんでもない話だと思います。あんだけ国際社会に恥かいてね、オメオメねぇオメオメ有権者の前にもういっぺん出るなと、もう二度と再びたぶん出られないと思う。出てきたら必ずあのVTRを流されますからね。その意味では世の中にはやってはいけない事があるんだって」と、そこに至った事情も鑑みることなくエラそうに中川を批判した。

 その後、中川昭一は急死した。だが、中川の死は未だに謎が多い。ジャーナリストを気取るならば、酩酊したことより、何故に酒豪の中川が少量のワイン程度で酩酊するに至ったかを調べるべきだったのではあるまいか。「酩酊記者会見」の裏側を知る、日テレの原聡子や読売新聞の越前屋知子らこそ日本を貶める原因を作ったのではと疑うべきではなかったのか。辛坊の批評は実に薄っぺらな感情論でしかない。

 堀ちえみのブログに「どうか永遠の眠りについてくださいね」などと書き込みをした女性が迷惑防止条例違反の疑いで書類送検されたという報道を目にしたが、こうした書き込みより、公共のテレビで「自殺しろ」と発した辛坊の方が罪が重い。

 中川昭一の死は保守陣営にとって大きな痛手だった。 また、辛坊はその2年前にも、鬱陵島視察の為に韓国へ入国しようとした自民党の新藤義孝、稲田朋美、佐藤正久の3人が入国を拒否され、拘束された際も、日本のジャーナリストとして韓国側の無礼と国際常識の無さを批判せず、あろうことか3人を痛烈に批判した。

「この3人も、こういう中途半端なことして、韓国との外交関係を壊すのは私はアホだなと正直思いますね。本気でやるなら、この3人、ホントに腰抜けだなと思うのは、私なら漁船チャーターして直接竹島に上陸しますよ」などと、本末転倒の持論を垂れ流し扱き下ろした。これだけでも辛坊に政治を語る資格はない。

 スポンサー獲得に必死な辛坊は、福島県内のTVに何度も出演しては、「ヨットの経験は素人なもので…」「どうにかなるでしょ」などと、自虐気味に語っていたが、相方のブラインドセーラーの岩本光弘さんもヨット経験があるとはいえ、素人の辛坊が全てをバックアップしていくのは無理があったと言われても仕方なく、今回の太平洋横断の企画は準備も経験も中途半端だった断じざるを得ない。

 ネットでは既に在日認定されている辛坊だが、認定されなくても顔を見ればあっち系の顔だ。あの顔を見れば中川昭一に吐いた暴言を思い出すし、垂れ流される愚論は浅はかな感情論ばかり。もうマスコミには登場して欲しくはないと思っていたが、あんなインチキジャーナリストにも需要があるのだから厭きれるばかり。

 日頃、日本や自衛隊を批判してる辛坊が、その自衛隊に救助されたという事実は皮肉な事だった。「中途半端で、ホント腰抜け。泳いで帰ったら好いのに(笑)」「世の中にはやってはいけない事がある」「自己責任じゃなかったのか」と辛坊が過去に言った台詞を、そのままそっくりコイツに返してやりたいと思ったっけ(苦笑)

 自衛隊の救出は心強かっただろうし頼もしかっただろう。辛坊よ、日本は貴様が思うよりずっと素晴らしいのだ。ゴールした辛坊は、前回の失敗を振り返り「生かされていることに、ありがとうございます」と神妙に語った辛坊。「死にかけました」と語っていたが、彼奴の言葉を借りれば「死ねば好かったのに!」だわな。呵呵。

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2021年06月17日

次期総選挙は自公連立解消と健全野党の出現を待望する

 内閣不信任案が提出されるも反対多数で否決。立憲民主党や日本共産党は菅総理が「解散」し、「コロナやオリンピック」を利用して支持を殖やそうとしたのだろうが、その邪な策略は敢無く轟沈。立憲というのは救い様の無いアホだな。

 小選挙区と政党交付金制度が導入されて以降、政治の劣化が著しい。白黒を着ける小選挙区制度は日本人には合わない。昔の中選挙制度を復活させた上で新たな区割りを決めるべきだ。中選挙になれば毎回3分の1が国会に新しい風が吹く。

 小選挙区比例併立制を続けている限り政党主導の政治でしか物事が進まず、青雲の志を持つ若者は政治信条より先ず政党幹部の顔色を窺わなければならない。要は「地盤」「看板」「鞄(かばん)」の三要素の全てが党幹事長に委ねらる。

 党幹事長が政党交付金という血税を選挙に投入し、当選した議員は党の為に投票要員となり下がる。当の意向に反する思想や信条や政策を持つことは許されない。

 総選挙後には、いつも通りに区割りが問題だとして「一票の格差」で訴えられ「違憲判決」が出されることは必至。「一票の格差」が何故生まれてしまうかといえば、有権者の多くが「誰がなっても同じ」という政治不信が根本的な問題である。

 投票を棄権した多くの有権者は、自分の思いを托せる政治家がいないが為に棄権するのだが、小選挙区に因る二者択一は選択肢の無い有権者にとっての意思表示は「棄権」するしかない。そういう意味では棄権票も「政治不信」という一票なのだ。

 総選挙の度にこうしたくだらない裁判がいつまでも続くことは如何なものだろう。「民主的政治過程の歪み」と断じるならば、そろそろ選挙の投票は義務化して「該当者なし」の項目を創設すれば「一票の格差」なんぞは簡単にクリアされる。

 投票数が過半数に満たない選挙区の議員は「0」にして、地方選挙で「該当者なし」が例えば30%なら、議員定数の30%を削減すれば好いだけのこと。

 今ではネットでの選挙も合法化され、期日前投票は容易だし郵送による投票やインターネット投票なども可能にして有権者の意思が反映出来る環境を整えるべきだ。

 不正は厳罰に処し、理由なく棄権した場合には過料や地域ボランティア奉仕などの処分にするなどすれば好い。 何より、選挙カーで名前を連呼し伸し歩く選挙スタイルを廃止したら如何か。今の時代、アレくらい無駄で無意味なものはない。

 選挙カーでの選挙は、戦後にインフラが整備されず、マスメディアも少なかった戦後から高度成長期の名残りというべきもので、今の時代にはそぐわない陋習だ。

 今や道路は農村に至るまで整備され、テレビや新聞、パソコンといった情報源は何処の家庭にも備わっているし、候補者が選挙カーで態々乗り付けなくても、候補者名は誰もが容易に知ることが出来る時代に、選挙カーとは時代遅れも甚だしい。

 選挙期間中は立候補者同士が一緒に行動を共にして各地区を移動し、公民館や体育館、集会所などで政策や主張を訴え、候補者同士の討論や、住民との質疑応答などを行った方が有権者には判り易いし、政治家のレベルも向上するだろう。

 所詮、現在の選挙は地区対抗戦とか団体戦といった限られた人達だけの選挙戦でしかなく、この悪しきスタイルが政治不信に輪を掛けていると言っても過言ではない。一票の格差は区割りではなく、現在の選挙スタイル自体を変えなきゃダメだ。

「該当者なし」の投票が成立すれば、国家観皆無で滅私奉公の精神に乏しい議員らは有権者から三行半を突き付けられるだろう。有効投票が過半数に満たない参議院は国民の意思で廃止され、国会議員や地方議員は半減されるに違いない(笑)

「誰がやっても同じ」というのは政治家への最大の侮辱だが、その政治家自身が恥とも思っていない不思議。有権者も選挙の時だけ利用されるのではなく、政治家を凌駕する国家観を持つことになれば我が国の政治もきっと向上するに違いない。

 衆議院の任期満了は10月21日。公職選挙法31条1項には「任期満了による総選挙は、任期満了の日から前30日以内に行う」と規定されており、年内には行われることとなる。国益を害し続けても尚、自公連立に拘る自民党の粛正は必至だ。

 媚中派の公明党が連立政権入りしている事態が異常と言うことを自覚するべきだし、党利党略に明け暮れている立憲民主党ら野党の向上無くして政治の正常化は無い。改めて、政治とは最高の倫理であり、最高の道徳であることを自覚せよ。

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2021年06月15日

台湾は「チャイニーズタイペイ」ではない!

 英国で開催されたG7(先進国七ヵ国首脳会議)で、台湾を巡り「台湾海峡の平和と安定の重要性を強調し、両岸問題の平和的解決を促す」と「台湾」との名称を明記し、新彊ウイグル自治区の問題を提起し中国共産党への圧力を鮮明にした。 

「中華人民共和国」は中国共産党一党独裁の「中共」であり、先の大戦で我が国が戦ったのは「中華民国」であり、戦後に建国した中華人民共和国ではない。

 第二次大戦後、中国共産党と中華民国との「国共戦争」で勝利し、何故か戦勝国の仲間入り。台湾は共産主義体制でもなければ「一国二制度」を承認している訳でもない。歴然とした資本主義及び自由主義体制を採る独立国である。

 国共戦争で敗走し台湾に逃れはしたが、第二次大戦の戦勝国は中華民国であることは歴史が証明している。だが、何故か世界は中国共産党の圧力に屈し、台湾を国家として認めないばかりか、中共が常任理事国として横暴を揮っている。

「台湾」との名称を使わず、国連やWHOへの参加を認めず、中共の一部であるかの如く「チャイニーズタイペイ」と表記することは中共に媚びる姿を如実に現している一例だったが、戦後約75年も経って漸く主権を認めた結果となった。

 我が国は日中国交恢復以来、台湾を国家として認めていないが、米国も台湾の国連参加を認めず中共を常任理事国として認める始末。そんな中でG7首脳会談の声明で「台湾」を明記したことは評価に値する。続けてWHOの参加を承認するべきだ。

 我が国がGHQの統治下から主権を恢復した昭和27年4月28日、我が国は「日米平和条約」を締結し、同時に報恩感謝として中華民国と「日華国交条約」を締結した。「日華国交条約」締結は、道義国家・日本としての当然の行動であろう。

 昭和47年9月29日、田中角栄総理大臣は、中国共産党政府を唯一の合法政府であると承認し、締結していた「日華国交条約」という国際法規を一方的に破棄し、日中共同声明に調印する。条約破棄を受けて中華民国は我が国との国交を絶った。

 田中は、調印での会見で「先の大戦で中国国民に重大な損害を与えたことに、責任を痛感し、深く反省する」と謝罪した。この認識が現在の歴史認識と対中外交に引き継がれている。田中の歴史認識は村山談話や河野談話より遙かに罪深い。

 我が国が先の大戦で戦ったのは、蒋介石率いる中華民国(後の台湾)であり、戦後に独立した毛沢東率いる中国共産党一党独裁の中華人民共和国ではない。

 抑々、台湾は日清戦争で我が国が戦利品として清から譲り受けた領土であり、三国干渉に因って澎湖諸島と遼東半島は返還したが、台湾は放棄したという事実は無い。つまりは台湾問題は、我が国の歴史問題にも通ずる問題でもあるのだ。

 田中らが強行した「日中共同声明」と「日中国交条約」締結に由って国際条約である「日華国交条約」が破棄された訳だが、この行為は明らかな日本国憲法第98条違反。旧ソ連の日ソ中立条約の蹂躙と同じ蛮行を我が国もやったことを恥じよ。

 未だ我が国が台湾を「チャイニーズタイペイ」などという表記が罷り通っているのは、田中が中国共産党を唯一の政府と認めた結果なのだ。我が国が道義国家であるというのなら、日華刻々条約破棄という蛮行と日中共同声明の発言を糺すことだ。

 多くの国民は親中派と同じく、我が国と支那との関係を「一衣帯水」だとか「古くからの隣人」などと心得違いをしているが、日中間に国交関係が樹立されたのは20世紀に入ってからで、未だ100年程しか経っていない関係である。

 歴史を辿れば日台関係こそ一衣帯水であろう。台湾には「信義誠実の原則」という日本人が忘れてしまった美徳が連綿と生きている。台湾との友好を深めることは我が国の国益にも適う。日華国交条約の蹂躙を詫び、日台国交恢復を成し遂げよう。

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2021年06月12日

過剰警備を止めれば政治家も少しはマジメに働いてくれるかもよ(笑)

 何事も真面目にやれば困難が待ち受ける。右翼なら真剣にやれば逮捕される。「もっとマジメにやれ!」ってのは、右翼人を自任する自分自身への戒めでもある。

 まぁ、愚生の活動家人生もう終わった様なもので、人生の最後に草莽の活動家らが集団テロ行為を惹起するならその末席に参画出来れば有難いと思っている(笑)

「もっとマジメにやれ!」っていう言葉で多くの国民が感じてるのは政治家への苦言だろう。何故に政治家がマジメに働かなくなったのかといえば、当選してしまえばその地位が保障され、滅私奉公しなくても過分な報酬が与えられるからだ。

 これは国会議員に限らず地方議員も同じで、今や議員特権は在日特権と大して変わらない。つ~か、議員の特権というか、我田引水的法令は目に余る。

 政党交付金(助成金)はその我田引水的法令の最たるものだ。この政党交付金制度は政治献金や団体献金を廃止する代わりに創られたものだが、未だ献金や政治資金パーティーが廃止されない状況は「なりすまし詐欺」の様なものだろう。

 この交付金を私的に運用し、不動産を取得した小沢一郎の様な大馬鹿者がいるが、政党交付金に由って党職員も準公務員的優遇措置が図られている。そうしたことが、結果、政治は政党色が強くなり、政治家という生業が最優先となった。

 政治家必携の本に「南洲翁遺訓」があるが、第四条にはこう在る。

「万民の上に位置するものは、己を慎み、品行を正しくし、贅沢を戒め、倹約に努め、職務に努力して人民の見本とならねばならない。そして民衆がその働きぶりを見て『気の毒だなぁ』と思うようでなければならない」

 果たして今「気の毒だなぁ」と思える政治家がいるだろうか。落選して気の毒なヤツはいるが、「井戸塀政治家」や滅私奉公を旨とする奇特な政治家なんぞいない。

 政治家がマジメにやらなくなった大きな要因には高額な議員報酬や政党交付金などの優遇措置だが、真剣さに乏しいのは「テロ」への恐怖心。日本的に言えば「天誅」だろうか。三島由紀夫は嘗て政治家の怠慢を比喩的にこう表現した。

「喩えば、暗殺が全然なかったら政治家はどんなに不真面目になるか、殺される心配がなかったら幾らでも嘘が吐ける」。逆説的ではあるが正論だろう。

 国益を忘却し、党利党略、私利私欲に狂奔する政治家どもに「天誅」とは言わないまでも、一発、ポカン!と食らわしたいと思ってる市井の戸は少なくない。

 だが、現実には国会議員の要人に対する警備は過剰で、テロは疎か演説会場で野次さえもロクロク飛ばせない状況だ。こうした過剰警備が、政治家が然も偉くなったと勘違いして政治を真剣にやらなくなった原因であると断じても過言ではない。

 政治家の警備や要人警護に当たるSP(セキュリティポリス)は、その昔、大日本愛国党の書記長だった筆保泰禎が、佐藤栄作元総理の葬儀告別式の際に、葬儀委員長だった三木武夫総理を殴打した事件をきっかけに創設されたものだ。

 テレビ中継もあり、あわや浅沼稲次郎暗殺を彷彿させたが、現行犯逮捕された筆保書記長は「容共的な三木に猛省を促すのが目的だった」と述べている。

 以前、筆保書記長に、この事件の逸話を聞いたことがある。

 筆保書記長が三木を殴った際に、三木が発した言葉は「犯人はコイツだ」だったそうだ。そんなことは言わなくても現場で見てた誰もが分かることだ(笑)

 昔の政治家ならば、テロの前に「話せば分かる」とか、殺されても「男子の本懐」ってなことになるのだろうが、三木の小物ぶりを示すものだろう。

 筆保書記長は、「右翼も小さくなったが、政治家はもっと小者になった」と自嘲気味に語っていたが、まぁ愚生も含めて現在の右翼にも「小者ぶり」は当て嵌まる。

 こうした小者の政治家を物々しく警備をするから、政治家は売国的失言をしても気に留めない。暗殺されるという恐怖が無いから売国奴が増殖するのだが、過剰警備を止めれば政治家も少しはテロの恐怖に感じマジメに働いてくれるかもよ(笑)

 右翼や市井の徒によるテロは無理だろうが、政治家の警備に当たる警察によるテロは可能だ。滋賀県警の巡査が惹起した「大津事件」を知ってるだろうか。

 明治24年5月11日、訪日中のロシア帝国皇太子・ニコライが、京都からの帰路だった滋賀県大津で津田三蔵巡査に斬りかかられ負傷した暗殺未遂事件である。

 以前から、ロシアの北方諸島などに関しての強硬姿勢や、我が国への高慢な態度を快く思っていなかった津田が、突然サーベルを抜いて斬りかかった。右翼団体員が行動を起こさない今、第二の津田三蔵巡査の出現を期待するしかないな。呵呵大笑。

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2021年06月11日

新型コロナウイルス感染症対策分科会の尾身茂会長が持て囃されている(苦笑)

 新型コロナウイルス感染症対策分科会の尾身茂会長がマスコミなどで持ち上げられている。このおっさん、誰でも分かることを尤もらしく語ってるが、間接的な政府批判ばかり。元厚生官僚だから日本医師会や厚労省批判はしないのは嗤える。

 オリパラが来月の控えてるのに「パンデミックの中で開催することは普通ではない」とは開いた口が塞がらない。武漢ウイルス研究所からの流失が騒がれ出してから既に1年半以上が過ぎるというのに、その間、このおっさんは何をやってたのか。

 政府批判は野党やオリパラ開催反対派を勢い付かせているが、正しく獅子身中の虫。語るなら「闇雲に怖がるのではなく、治療薬はアビガンが効果があるから心配ない。不安解消にはアビガンの早期承認が必要」とか言えないものか。

「コロナの患者さんで手一杯なのに、オリンピックをやるのは、中々一般市民の理解が得られないので、やるならば、そういうこと(医療逼迫)が起こらないようなやり方をするのが、オリンピック委員会及び日本政府の務めではないか」と言う。

 国民ではなく「市民」という言葉に尾身の左翼思想を垣間見る。医療逼迫を語るなら、新型コロナ対策として現在の「二類感染症」を「五類」指定するなどの提言も行うべきだし、医師会や厚労省の陋習を批判すべきだが身内には甘い(苦笑)

「二類じゃなく五類指定となったら医療費は全額自己負担となってしまう」との声も聞こえる。抗ウイルス薬「レムデシビル」は1回分(5日間、6本)で25万円。最高で2回投与で合計50万円。保険適用により3割負担になっても15万円だと煽る。

 アビガンを認可し「特例」を設けて無料にすれば済むことだろう。要は、政治家の決断力だ。アビガン承認を急ぎ「二類感染症」の指定解除が求められる。

 オリパラは当然開催されるだろう。来日する選手団や関係者のワクチン接種は来日する第一条件である。それでもパンデミックが起こる可能性はある訳だから、提言するべきは万が一の事態が起こった際の具体的な対応をどうするか。コロナ陽性になった外国人選手を選手村に隔離するのか、何処でどんな対処方法をするかだ。

 国民が不安なのは自分が罹ってしまったらという不安。「新型コロナに治療効果の見られるアビガンを承認する」の一言で多くの国民の不安が払拭されるのに、未だに承認しないアホ官僚と責任問題を警戒するマヌケな政治家。尾身も一蓮托生。

 菅総理が批判の矢面に立たされるのは致し方ない。前任の安倍政権下で新型コロナが国内に蔓延しているのに党利党略を優先したツケが出た。コロナ対策の不作為や不手際を猛省することなく未だに国民の自粛頼みとは本末転倒と言う他はない。

 後手後手の感は否めず屋上屋を架す菅政権。「特措法改正」で自粛に応じない店に罰金だとか言う前に、新型コロナ発症元が武漢ということで中共政府に阿て対策を講じることなく、アビガンの認可すらして来なかった政治家を罰するべきだわな。

 新型コロナウイルスに罹患し、重篤な状況から生還した芸能人や著名人らが口を揃えてアビガンの有効性や特効性を訴えていたのは何だったのだろう。

 アビガンの有効成分「ファビピラビル」に関するライセンス契約を、富士フイルムと結んだ中共の製薬大手・浙江海正薬業が後発医薬品を増産し絶大な効果を発揮してるというのに、「日本人には有効性が無い」というのはどういうことか。

 ノーベル生理学・医学賞を受賞した大村智教授が開発したイベルメクチンも本人自らが接種して完治させている。副作用が指摘されてるレムデシベルを承認しながら、アビガンやイベルメクチンが承認されないのは国益をも害している。

 中共発の「武漢ウイルス」との呼称は差別を助長すると禁止したが、「イギリス株」や「インド株」「南アフリカ」「ブラジル」などと地名で呼ぶ不思議。

「武漢」という地名を差別に繋がると禁止しながら、国名を付けた変異株報道には嗤うしかないが、新型コロナは、通常のインフルエンザA型なとど同じく「武漢ウイルス変異型A・B・C・・・」とした方が国民には分かり易いと思う。

 米英などが習近平の隠蔽工作を批判してる中で、媚中派が席巻する我が国の政治家どもは沈黙を続ける。武漢ウイルス研究所から発生した可能性は高く、トランプ元大統領が「中共に2000兆円の賠償請求を」という主張は当然のことだ。

 ワクチンとは、ウイルスの生体から作られ弱毒化・無毒化された抗原のこと。抗原を体の中に入れることにより抗体が出来る。その抗体によってウイルスから守られる。アビガンは新型コロナに有効な治療薬なのに何故か承認されない不思議。

 アビガンは、ウイルスに勘違いを起こさせて取り込ませることによって、ウイルスの増幅を止めてしまう化学物質である。新型コロナに罹患してしまった際の有効な治療薬として認可し使用することに何を躊躇する必要があるというのか。

 新型コロナによる死亡者数は10万人当たり3.5人、死因1位の癌の100分の1。新型コロナの死者は発生から1年半ほどで約13700人。因みに、スペイン風邪は世界で1億人が死亡し、日本国内でも当時の人口の半分が罹患し38~45万人が死亡した。

 スペイン風邪が流行った中でもオリンピックは開催されているのだから、オリパラ開催は当然だろう。最近の新型コロナ騒動の異常さは破壊活動としか思えない。

 新型コロナに怯えて、マスクやら手洗いやら嗽(うがい)を徹底した成果か、インフルエンザの感染者や死亡者が激減したのは怪我の巧妙とも言えなくもないが、一方で徹底した滅菌と外出自粛が免疫力の低下に繋がっていることも指摘されている。

 異常な程の新型コロナ騒動はワクチン接種の終わる11月には沈静化するだろう。新型コロナは年間数千人から1万人以上が死亡するインフルエンザと比べても死者数は大して変わらない。単なる新規のインフルエンザを怖がる必要は無い。

 変異株は自然の摂理でもある。ウイルスは宿主を殺すことではない。宿主の中で殖え生き長らえること。ウイルスを無くすことは無理なのに「感染者ゼロ」を目指すというのは、反原発派の非科学的な大騒動から始められた除染作業と似たり。

 ウイルスなんぞより、我が国の歴史・伝統・文化の破壊を目指す反日左翼活動家の方が遙かに質が悪い。反日左翼ウイルスの「ゼロ」を目指そう。呵呵。

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2021年06月09日

政府は皇位継承に関し現在の皇位継承順位を維持する方向で検討するというが

 戦後、GHQの策謀を実践し、天皇の家法でもあり、我が国の正統な国法である皇室典範を改悪すると共に、天皇に関する最終決定権を「皇族会議」から「国会」に移譲し、憲法や法律以前の御存在であらされる天皇を法の下に置いた。

 明治皇室典範に於ける皇族会議は、成年男子皇族20名を中心に組織された機関であった。非皇族である内大臣、枢密院議長、宮内大臣、司法大臣、大審院長の5名は、皇族会議全体の構成員的には4分の1でしかなかった。

 現皇室典範は皇族会議ではなく「皇室会議」となり、皇族は2名のみで、非皇族8名という構成下で皇統や天皇の在り方が論じられている異常事態。旧皇族の皇籍復帰を実現し、成年男子皇族を中心とした「皇族会議」に戻すことこそ肝要である。

 最近では「皇室会議」ではなく「有識者会議」なるものが、女性宮家や女性天皇を論じているが、この有識者会議には反天皇勢力に与する胡散臭げなメンバーも少なくない。抑々、臣下である国民が皇統を論じることに何の意味があろうか。

 その有識者会議のヒアリングが終了し、政府は現在の皇位継承順位を維持する方向で検討に入ったというが当然のことだ。抑々、皇位継承問題は、秋篠宮悠仁親王殿下の御生誕で沈静化されるべきだったのに何故か「女系天皇」が騙られた。

 有識者会議第六回会合では、小説家の綿矢りさ、気象予報士の半井小絵、漫画家の里中満智子の三氏が「女系天皇」の反対し、旧宮家の皇籍復帰に賛成した。

 綿矢の「養子縁組」に多少の違和感を覚えるが、養子縁組は旧皇族の皇籍復帰を成した後でのことなら問題は無いが、現皇室典範では養子縁組は認めていない。

 皇籍離脱させられた旧11宮家の方々は北朝第3代崇光天皇の皇子、栄仁親王から始まる伏見宮の系統に属し今上天皇との関係は、室町時代の伏見宮貞成親王を共通の祖先とされている。旧宮家が皇籍復帰すれば男子成年皇族は15名以上になる。

 宮家の再興は男系男子の皇位継承の安定を図るだけではなく、廃絶した宮家の再興することで皇室の本分である祭祀を継承して戴くということにある。

 憲法第一章の「天皇」条項を議論しない皇位継承議論に意味は無い。安倍元首相を筆頭に保守派は第九条改正に躍起だが、九条なんぞより、第一条から第八条までの「第一章」の天皇条項の矛盾と問題点を明らかにして、如何に現憲法が我が国皇統の歴史に相応しくないかを国民に示し、国體を論ずるべきではないのか。

 改めて日本国憲法第一章「天皇」の条項を記してみよう。

【第一章 天皇】

 第一条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。

 第二条 皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。

 第三条 天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ。

 第四条第一項 天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。第二項 天皇は、法律の定めるところにより、その国事に関する行為を委任することができる。

 第五条 皇室典範の定めるところにより、摂政を置くときは、摂政は天皇の名でその国事に関する行為を行ふ。この場合には、前条第一項の規定を準用する。

 第六条第一項 天皇は、国会の指名に基いて、内閣総理大臣を任命する。第二項 天皇は、内閣の指名に基いて、最高裁判所の長たる裁判官を任命する。

 第七条 天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。

 一 憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。
 二 国会を召集すること。
 三 衆議院を解散すること。
 四 国会議員の総選挙の施行を公示すること。
 五 国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること。
 六 大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を認証すること。
 七 栄典を授与すること。
 八 批准書及び法律の定めるその他の外交文書を認証すること。
 九 外国の大使及び公使を接受すること。
 十 儀式を行ふこと。

 第八条 皇室に財産を譲り渡し、又は皇室が、財産を譲り受け、若しくは賜与することは、国会の議決に基かなければならない。

 第一条は「天皇の地位は主権の存する日本国民の総意に基く」と在る。反天皇を叫ぶ共産党などが存在する限り「国民の総意」ではないことをどう説明するのか。つまり、天皇の地位は共産党が指摘してる通り違憲の存在であり、その共産党や反天皇勢力が「女性宮家」や「女系天皇」を容認している意味を知るべきだ。

 第二条には「皇位は世襲」と在る。左翼勢力はこの条項を念頭に「女性天皇」と「女性宮家」を声高に叫ぶ。今上陛下の後、世襲であるならば愛子内親王が正統な天皇であると叫ぶだろう。秋篠宮殿下を「皇嗣」にしたのもその為である。

 第四条第一項は「天皇は憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」と在る。これ即ち都合の好い天皇の政治利用。

 譲位遊ばされた上皇陛下は、この第四条を念頭に「憲法の定める国事行為を、高齢もあって全う出来なくなった」と吐露なされただけである。それを口実に「生前退位」などとして、皇室典範に附帯してまで退位させたのは逆賊の所業であった。

 四条第二項に因り「天皇は法律の定めるところにより、その国事に関する行為を委任することができる」なら、第七条の天皇の国事行為を、当時の皇太子殿下や秋篠宮殿下が輔佐し、或いは代行出来る環境を整えれば済んだことだ。

 上皇陛下の御発露を受けて執るべきは現憲法の天皇条項の見直しだった。現憲法は矛盾だらけ過ぎて、国の基本法として機能していない。第九条改正は現憲法の護持に繋がる究極の護憲運動。皇統死守なら執るべき道は現憲法の破棄であり、我が国の正統な国法である大日本帝国憲法と旧皇室典範を復元奉還すること以外には無い。

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2021年06月08日

「人を殺してみたかった」という欲求を実践するサイコパス予備軍

 愚生の住む郡山市本町二丁目の大竹銃砲店の79歳の男性従業員を刃物で頭や背中を刺したとして、15歳の少年が殺人未遂の容疑で逮捕された。逮捕された少年は「人を殺したかった。その為の銃が欲しかった」などと供述しているという。

 少年は、事件の1時間前の夕方5時半頃に銃砲店に「鉄砲を見せて欲しい。今から行きたい」と連絡。通常は午後6時には店を閉めるというが、恐らくは下見した上での犯行だろう。刺されるも剪定鋏で応戦する姿勢を見せると少年は逃亡した。

 銃が奪われていたら更なる悲劇を生んだだろうと思うと恐ろしい。用意周到な割にはあっさりと諦めてしまうのはサイコパス的行動の特徴でもある。今回の事件も過去の少年犯罪と同じく精神的異常性が起こすべくして起きた事件である。 

 どんな悪人でも少しくらいは良心を持っているだろうと信じている国民は少なくない。死刑廃止論者もこうした性善説からのものが多い。だが、世の中にはそんな考え方が全く通用しない「サイコパス(精神病質者)」と呼ばれる人間が存在する。

 今回のこの少年も典型的なサイコパスだと思って間違いない。サイコパスと呼ばれる人は2、300人に1人の割合で存在するという。以外に多いと思うだろうが、サイコパスにも理性でその欲求や衝動を自己抑制している人もいるのも確か。

 専門家はサイコパスの特徴の一つとして、口達者で社交的であり、表面的には魅力的に見える人物が多いという。今回事件を起こした少年も恐らく例外ではないだろう。親も「まさかうちの子が」と思っているのではないだろうか。

  一方で自分自身を偉大な人物や、また「可哀相な人のふり」をして同情を引こうとするという手をよく使うという。その為のウソも実にリアルだという。

 今後の少年の取り調べでもその点が明らかになるだろうが、少年の不満が幾許かは分からんが、「人を殺してみたかった」の一言はやはり異常だ。

 無責任で問題行動が目立ち用意周到に計画するが、一方でとても衝動的で刹那的な行動も目立つのも特徴だという。今回も準備周到の割には直ぐに逃亡を図った。

 責任を追求されて心理的に追い詰められると逆ギレするという。自分の行為の矛盾を突かれると焦るのだろうな。何事にも愛情や良心を持たないというだけでなく、あらゆる面に於いて感情が希薄で表面的であるという特徴もあるという。

 残忍で嘘吐きで善意を持たず狡賢く立ち回る。また成績も良く知能指数も高い人が多いという。数年前に長崎県佐世保市で起きた同級生刺殺切断事件事件を起こした女子高生も、成績も良く知能指数も高かったのを覚えているだろうか。

 彼女は小学校時代、クラスメートの給食にスポイトで漂白剤を混入。猫を殺し解剖。父親が眠っている時に金属バットで殴打するという凶行を謀っている。

 これだけでも隔離し治療するべきだが、サイコパスというのは従順に振る舞うから赦してしまう。その結果、更なる大きな犯罪を犯すことになるのだ。

 こうした事件が起こると、社会全体が起こしたものとして捉えて性善説ばかりを盲目的に信じ、犯人を社会的犠牲者と言わんばかりに異常な擁護姿勢を見せるが、所詮はこうした偽善に満ちたキレイゴトこそ諸悪の根源と言っても過言ではない。

 今回の事件はサイコパスの生徒が起こした特異な事件であり、いつもの如く教育委員会がしゃしゃり出て机上論で対応を議論したところで解決は見ないだろう。

 大事なのは教育を行って行く上で精神的な部分を如何にして育むかであり、それによって同じ様な事件を防止して行かねばならないが、そうした実りある教育を企画し実行して行く気配は無い。教育こそ国家の大本であることを肝に銘ぜよ。  

 愚生は戸塚ヨットスクールの戸塚宏の教育論には大いに共鳴している一人でもあり、不良少年や登校拒否児を与り更正させる私塾を創る夢は未だ潰えてはいない。 その資金を出してくれる篤志家が現れるのを鶴首しているが未だ現れない(笑)

 戸塚ヨットスクールというと「スパルタ式」で子供を死にやったことばかり取り上げられるが、不登校や家庭内暴力などで悩む親が子供を手放し、戸塚校長に一縷の望みを託した。実に600人以上の子供を更正させた実践教育の実績は凄いと思う。

 戸塚氏は自著「教育再生」で、教育は「科学的精神論」に基づくと言い「正しく・強く・安定(知・情・意)」した理性を創ることが大事だと教えている。

 学級崩壊や家庭内暴力、また今回の様な事件を起こす様な「間違った・弱い・不安定」な理性を持った子供達が大量に登場した原因を考えれば、戦後、我が国が採用した欧米型の「精神論」が間違っていたからだという戸塚氏の考えは正しい。

 何故なら戦後の日本を経済大国にしたのは、戦前に教育を受けた人々であり、積み重ねた実績を潰してしまったのは、戦後教育を受けた世代なのだから。更に「欧米流」の理性に抜け落ちているのは「本能論」であると戸塚は言う。

 人間の傲りだろう、動物との優劣性を強調する余り、動物本来に備わっている「本能」を、下等なものとして否定しまったのが抑々の間違いであると断じる。

 仏教でも儒教でも「本能」が「理性」を創るのに重要な役目を果たしていると説く。これらを考えるに、教育で一番大事なのは「徳育」であるというのだ。

「徳育」は忠君愛国ばかりではなく、「人間性」を確立することにある。だから、幸福になる方法も、きちんと仕事が出来る様になるのも「徳育」であり、我が国の教育再生の為には、先ず「正しい精神論」を創ることこそ肝要であると教える。

 失敗に失敗を重ねた文科省には教育再生能力は無く、米国製の教育委員会に委ねるなど以ての外で日教組や全教などの組合は非合法化し解散させるべき。

 我が国の教育が抱えている問題を解決するには、戸塚が教えている様に「小学校の段階で正しい人間性の基礎を創ること」こそが採るべき対策である。

「国語・数学・体育」に重点を置いた授業、記憶力ではなく、考える力の重視。合宿などの課外授業の活用するというのは単純ではあるが大きな成果を齎すだろう。

 戸塚の理想とする小学校像は決して突飛なものなどではなく、「科学的精神論」による教育の実践こそ、現在学校で起こっている学級崩壊を始めとした我が国の教育現場で起こっている諸問題を克服してくれるのではと期待している。

 余談だが、愚生に限らず「人を殺してみたかった」というより、殺してやりたいヤツというのはいるのではなかろうか。それってやっぱサイコパスかもよ(笑)

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2021年06月07日

昭和殉難者を「戦犯」と蔑視続けることは赦されない

 国際法上も不当な極東国際軍事裁判(東京裁判)に於いて、所謂「A級戦犯」として処刑された7名(東条英機、土肥原賢二、板垣征四郎、木村兵太郎、松井石根、武藤章、広田弘毅)の方々の遺骨が、神奈川県横浜市の東方面約30マイル(48㌔)の太平洋上に散骨されていたことが、米国の公文書から明らかになった。

 我が国には「A級戦犯」だとか「B・C級戦犯」「戦争犯罪人」などという呼称はない。マスコミを始め、未だに「戦犯」との呼び方をしている政治家などがいるが、戦後民主主義教育の弊害に加えて日本人の精神的幼稚さの現われでもある。

 我が国がGHQの占領統治から解放された昭和27年4月28日の翌年に召集された第十六国会の議決に拠り「戦傷病者戦没者遺族援護法」が改正され法的に復権されている。刑死、獄中死された方々は「法務死」と称され、靖國神社では「昭和殉難者」としている。日本人が未だに「戦犯」などと呼ぶこと自体が実に愚かなことだ。

 極東軍事裁判に於いて弁護する機会も与えられず、一審即結審という復讐という名の茶番劇で、或いは、外国の地で不当に処刑されたこの方々の命は決して軽いものではない。敢えて、反論もせず命を捧げて日本の罪を償ってくれたのだ。

 国際法の原理に基づき「この法廷(東京裁判)で日本を裁く権利は無い」とし、「各被告は、全ての起訴状中の各起訴事実部につき無罪とされなければならない」と述べた、インドのラダ・ビノード・パール判事の意見は忙殺されてしまった。

 悲しい哉、我が国は「侵略国」と断罪され、その責任者として7人に絞首刑の判決を下され、処刑された。この不当極まる東京裁判史観が未だに国内に蔓延り、日本人自身が自国を貶め続けてる現状は救い様が無く、マヌケなコントを見続けている。

 抑々「極東軍事裁判」自体が無効である。裁かれる理由となった「平和に対する罪」「人道に対する罪」は事後法であり、それに基づいて罰するということは国際法上も無効なのだ。「この法廷で日本を裁く権利は無い」としたパール判事の主張が正しいものだったことは、判決から2年半後、米国軍事委員会で証明される。

 マッカーサーは米国公聴会に於いて「彼ら(日本)が戦争に入った目的は、主として自衛の為に余儀なくされたものだ」と証言している。極東軍事裁判の最高責任者である連合国最高司令官マッカーサーが公的な場で認めたことは重い。

 戦争責任を問われた7名の処刑は、当時の皇太子(現上皇陛下)御生誕日である12月23日。この日を処刑日に選んだのは、未来永劫、日本人に贖罪意識を持たせる為のものである。因みに、判決日は天長節(当時)の4月29日だった。

 日露戦争の「奉天会戦」勝利を祝う3月10日の「陸軍記念日」に東京大空襲が行われた。現憲法を押し付けたのは「明治節」の11月3日。この事実を知るだけでも、米英を始めとした連合国が如何に非情で無慈悲だったかが理解出来よう。

 新聞報道では、当時、7名の処刑に立ち会ったGHQのシーボルト外交局長は、自著で「指導者達の墓が将来、神聖化されることの無い様に、遺灰は撒き散らすことになっていた」と記述している。米国が、指導者が神聖化されることを恐れたということは、先の戦いが聖戦だったということを米国側も知っていたからだろう。

 連合軍の日本弱体化への執念と暴挙は枚挙に遑なし。今こそ我々は、極東軍事裁判の不当性を明らかにし、未だに「戦犯」との汚名を着せ蔑視していることこそ米国追随の象徴であると肝に銘じ、英霊の名誉恢復を急がねばならない。

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2021年06月05日

「シュガーキング」と呼ばれた松江春次を知ってますか?



「シュガーキング」呼ばれた日本人がいる。その男とは松江春次。角砂糖を作った人物である。台湾に烏山頭ダムを設計した八田興一の銅像が在るが、当時台湾は日本領であり、八田以外に外国で建てられた日本人の銅像は二人だけだという。

 一人は黄熱病の研究で世界的に注目され野口英世博士、そしてもう一人は松江春次。野口英世博士の説明は要らないだろう。春次は、映画「バルトの楽園」で有名になった板東捕虜収容所所長・松江豊寿大佐の実弟である。二人共に福島県出身。

 角砂糖製造で成功を収め「キング・オブ・シュガー 」と称された春次は、明治9年市内馬場町(現在の中央二丁目)に生まれ、会津中学(現会津高校)を卒業。

 苦学して東京工業学校(現東京工業大学)応用化学科を卒業し大日本製糖に入社。春次はその後、米国ルイジアナ大学へ留学し砂糖科を卒業している。

 その後、技術習得の為にヨーロッパへ出向し31歳で帰国し、そして角砂糖の製造に成功する。その後も製糖会社を転々とし台湾での製糖業で成功を収める。

 それでも満足することなく、自身が描く南洋開発の夢の為に退社しサイパンへ渡る。当時、サイパンには5万人もの日本人が入植しており「南国の楽園」と言われた島だった。春次はこのサイパンで人類の共存を目指す夢に走り出す。

「南国の楽園」と言われたサイパン島だったが、ブラジル入植や戦後の北朝鮮帰還事業と同じく、実際には国の入植事業に失敗した日本人が生活に苦しんでいた。

 サイパン島をくまなく調査し、製糖事業の成功を確信した春次は、生活に苦しむ日本人と地元の人々を救う為に「南洋興発株式会社」を設立し開拓に着手する。やがて製糖事業は大成功し、日本からも多くの入植者を迎えることとなった。

 成功した春次は驕ることなく成金趣味を持たず、質素倹約を旨とする会津人らしく清貧な生活を続けた。「松江賞」というものを創設し、日本人や島人を問わず優秀な児童生徒に奨学金や教科書などを贈り若者の育英事業に私財を投じた。

 春次は、自分の苦難の経験から「青年に投資する」を持論とし、自分の土地、株券を売却し、故郷の会津工業高校へ33万円(現在の数億円に相当)を寄付し、機械科を創設させ、多くの技術者が育ち、後に日本の成長に貢献することとなる。

 会津白虎隊の悲劇は誰もが知るところだが、春次もまた日本の将来の為にも青年を育てなければという思いに駆られたのだろう。 だが、第二次世界大戦に巻き込まれ、真珠湾攻撃で大東亜戦争が勃発。激烈を極めた日本軍は終に敗走する。

 サイパンの「バンザイクリフ」は、戦争の悲劇の象徴でもある。サイパンを占領した米軍は、戦前に建てられた「キング・オブ・シュガー・松江春次像」の倒壊を謀るが地元住民からの懇願で断念。春次が如何に慕われていたかが分かる逸話だ。

 春次は、サイパン島の戦いの敗戦に因り財産の殆どを失ったが、砂糖製造を中心に開発事業に成功した優れた開拓者として今も尚語り伝えられている。野口英世もこの松江春次も、我が福島県が生んだ偉人であり英雄であり県民の誇りでもある。

 晩年は、サイパンへの郷愁を抱きながら酒を酌み交わすことが楽しみだったという。春次は「生来無一物(しょうらいむいちぶつ)」との言葉を好んで揮った。「生来無一物」という言葉に激動の時代を生き抜いた春次の人となりを感じさせる。

 菩提本無樹「菩提本(もと)樹(じゅ)無し」
 明鏡亦非台「明鏡も亦台に非ず」
 本来無一物「本来無一物(ほんらいむいちもつ)」
 何処惹塵埃「何れの処にか塵埃(じんあい)を惹かん」

「生来(本来)無一物」とは禅の教えでもある。前出の詩の大意は「本来菩提には樹などという不変なものはない、明鏡という心もない。故に、本来無一物である。由って塵埃の溜まりようがないから払拭の必要もないではないか」というもの。

 私心も無く、資産も財産も無くなった春次の自虐的洒落に渾身の悩みと満足感が窺える。斯くいう愚生に私財は無いが、春次の生き様に学びたいものだ。

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2021年06月04日

小さな約束事を守れもしないで大きな志を果たせるとも思えない

 愚生は食べ物の好き嫌いは無いが人の好き嫌いは烈しい方だ。相手の拙い点があれば諭しはするが、本人が理解することなく治らないならさようなら。

 若い頃なら未だしも、もう直ぐ還暦になろうというおっさんが自分を誤魔化したり、諂ったり、愛想を振りまいて気に入られようという気は毛頭ない。

 蟠りを解消したり、仲違いした関係を戻すには一献するのが好いが、どうも嫌いな奴というのは酒飲みの作法も悪けりゃ、味の好みも違うからなぁ(笑)

 ほんの些細な件や相手が放った何気ない言葉の一つにしても心に留めることも無く、小さな約束事さえも守れない者が、大きな志を果たせるとも思えない。例えば何気に言った「そのうち酒でも」という社交辞令も自分が発したなら実行すべし(笑)

 facebookなどでの友達申請は互いの「約束事」だと思っている。高が知れてる約束事かも知れないが、そういう小さな約束事を守れない方というのは人として信用されないし、仕事もロクに出来ないのではと危惧する。

 夥しい数のFBFやフォロワーがいながら「いいね!」の数が1割も満たなかったり、逆に「いいね!」を押さなかったり。こういう輩というのは正直余り信用しない。FBFという小さな約束事を守れないでどうするの(笑)

 数年前まで500人以上いたFBFには、右翼を気取りながら居の安きを求めたり、思想信条が合わなかったり、人としての生き方や性格が合わない人がかなりいた。そういう友達関係に嫌気が差して全員削除した。そして現在FBFは11名ほど(笑)

 友達申請は70名近くいるが全員保留してる。記事だけ読みたいならフォローで十分だろう。態態FBFになって「いいね!」を押す煩わしさから解放されるし、こっちもくだらん記事を読まずに済むし。御蔭でフォロアーは500人超。

「くだらないと思われる事でも、全力を傾注して、最良の効果を収めるように努力する精神が偉いのである」とは、我が母校でもある国士舘の創設者・柴田徳次郎先生の金言である。一旦始めた由なし事は全力投球が好い。

 SNSやブログなんてのは他人から見ればくだらないことの一つだろう。ブログは街宣活動に替わる啓蒙活動の一つとして始めたものだが、面白いもので教えてるつもりが綴りながら勉強になるし、反論などから教わることは実に多い。

 今では政治・時局批評と右翼ジャーナル、食べ歩きに地元ネタと4つのブログを書いている。政治批評はマニアしか読まないが、食べ歩きブログの閲覧者は政治批評の約10倍。右翼ジャーナルは後進や愛国マニア向け&R15+か(笑)

 以前、フジテレビの番組で企画会社から「ブログの内容を使いたい」という連絡を貰ったので許可したら、朝の生番組だったがブログのタイトルがアップでチラッと0コンマ何秒映っただけ。サブリミナル効果にもなってなかった(笑)

 地元郡山市の話題を配信してる「いいね!郡山」なるサイトから「郡山の話題の店なども出てるのでブログを掲載したい」との連絡あり。そのページの「人気ブロガー一覧」をクリックすると拙ブログが共有されている。掲載料は当然0円。

 過日は「Trip-Partner」なる旅行会社から原稿依頼が来た。「食べ歩きや土産など観光客向けに、画像入りの記事を書いて貰えないか」とのことだった。

 暇潰しに悪くないなと思って連絡してみたものの、文章の送信などが「Chatwork」なるサイトを使わないとイケないらしく、これが愚生にはチョッと使い難く面倒臭いので止めた。原稿料は2000字で2000円らしい(笑)

 2000文字で2000円なら10件書いて2万円、100件で20万か。まぁ、地元のネタの「汚れた顔の紳士達」で、たま~に頂く原稿料で十分だな。つ~か、最近は右翼活動家じゃなく単なる引篭りのブロガーになってしまった感は否めない。呵呵。

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2021年06月03日

愛子内親王殿下を即位させることで皇統断絶の完遂を目指す

 衆院内閣委員会で立憲民主党の玄葉光一郎(福島3区)が憲法第二条の「世襲」に関し質問。加藤勝信官房長官は「天皇の血統に繋がる者のみが皇位を継承することと解され、男系、女系の両方が含まれる」と答弁した。

 驚くべきというか、この認識には厭きれるしか無い。敬宮愛子内親王殿下を含めて現皇室には「男系」しかいない。「女系」というのは何を指しているのか。これは現憲法が未来永劫継承される認識であり、女性宮家成立後の皇統を論じている。

 安倍政権下で成立した「退位特例法」には、皇位継承問題を施行後速やかに行う旨が附帯されている。反天皇と皇統断絶に与する共産党や立憲民主党は「女性天皇」へ蠢き出し、保守派を自任する自民党がマヌケにも「女系」容認を謀る。

 女性は天皇になれる。だが、女性が天皇に就くというのは普通の生活は送れないということを意味する。女性天皇論者は、天皇としての国事行為や祭事の重要性を理解していないから安易に語れる訳で、天皇を軽んじてる証左でもある。

 多くの国民は陛下の御公務の御負担を「女性宮家創設で軽減する」と思っているが、天皇が重んずべき「祭祀」の代行は名代として掌典長のみが許され、「国事行為」の代行は憲法第四条の第二項よる委任か摂政のみが可能である。

「摂政」を置くにしても皇室典範と憲法に基づかねばならず、女性宮家を創設し国事行為を担わせるのならば憲法第四条を改正しなければならないが、そうした議論もせずに「女性天皇」や「女系天皇」の話を持ち出すこと自体が異常だ。

 改憲論議にしても第九条ばかりで、第一章の「天皇」の条項が議論されることはない。第七条は「天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ」と明記されており、天皇は以下の項目を行っている。

一 憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。
二 国会を召集すること。
三 衆議院を解散すること。
四 国会議員の総選挙の施行を公示すること。
五 国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること。
六 大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を認証すること。
七 栄典を授与すること。
八 批准書及び法律の定めるその他の外交文書を認証すること。
九 外国の大使及び公使を接受すること。
十 儀式を行ふこと。

 第一章に明記される公務の代行は皇太子(現皇嗣)殿下しか成し得ないということ。女性皇族は精精「外国の大使及び公使を接受すること」や「儀式に参加する」ことくらいで、何より天皇としての祭祀を代行することは出来ない。

 野党やマスコミが天皇を慮るかの如く「公務の御負担を女性宮家を創設ですることで軽減する」と訴えてはいるが、国民を誑かす詭弁の何ものでもない。

 女性皇族が結婚することで皇籍を離れるのは「今後は一般国民としての生活を重んじよ」との天皇の大御心でもある。そうしたことを理解せず、安易に女性が天皇に成れないのは女性差別であるかの様に女性天皇論を語ることこそ女性差別である。

 過去に八人の女性天皇が存在した。その全ては男系の「女性天皇」であり、敬宮愛子内親王が天皇に即位されてもそれは男系の女性天皇となる。愛子天皇が御成婚となり第一子を儲けた場合、それは男系ではなくなる。

「女系天皇」論は、愛子内親王が御成婚遊ばされ嫡子が授かれば、その子は「女系」となる。内閣委員会の議論は、ここまで踏み込んでいるのだが、愛子内親王の御相手が一般人だったらどんなことになるかは想像しても分かるだろう。

「旧皇族と結婚すれば問題ない」という声もある。ならば皇籍復帰を先に行うべきであり、本末転倒とはこのこと。若し御相手が元皇族でなかったらどうなるのか。過去八人の女性天皇が嫡子を産まなかった意味はそういうことだ。

 秋篠宮悠仁親王殿下が継がない限り皇統は潰える。自民党保守系グループが「女系天皇」や「女性宮家」は、日本の伝統や皇室の終焉に繋がると指摘し、旧宮家の皇籍復帰を提言したが、女性皇族との養子縁組の項目は違和感を覚える。

 有志議員らは「特例法で可能」との認識を示すが姑息さは拭えない。旧宮家の皇籍復帰は憲法第十四条に抵触する恐れもあり、如何に皇統を維持して行く上で現憲法が我が国の国柄をも損なっていることを広く国民に訴えるべきだ。

 憲法以前の御存在であらされる天皇を皇統無視の現憲法の範囲内で収めようとするから更なる矛盾が生じる。現憲法第二条は「皇位は世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところによりこれを継承する」と記されている。

 つまり、上皇陛下から徳仁陛下への皇位継承は合憲だが、秋篠宮皇嗣殿下への皇位継承は世襲とはならない。第一条の「国民の総意」を理由に天皇を違憲の存在とする左翼勢力は、皇統断絶を謀る上でも皇嗣殿下の即位は憲法第二条違反と叫ぶだろう。

 男系男子に限定する皇位継承や宮家を「女性が天皇になれないのは可笑しい」だとか「女性宮家がないのは女性差別」だと絶叫しているのは、全共闘世代でもあり「男女共同参画社会」を成立させた名うてのキチガイ共と性的変質者らだ。

 男女共同参画社会は、その名の通り「共産(共参)社会」の実現であり、「女性宮家」や「女系天皇」論は、祖国日本の解体を目論む左翼勢力に因る反天皇運動である。ジェンダーフリー(平等)という怪しい世論の動きに騙されてはならない。

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2021年06月02日

女子テニスプレーヤー大阪なおみ選手の「鬱病」告白に思う(笑)

 女子テニス世界ランキング2位の大阪なおみ選手が四大大会の全仏オープン第2戦を棄権した。第1戦後に行わなくてはならない記者会見を拒否し、主催者側から1万5千ドルの罰金を科せられており今後の去就に注目されていた。

 大会を棄権した大阪選手はtwitterで大会関係者へに謝罪した上で、自らが「鬱病(うつ病)」を患っていたことを公表すると、世界で賛否両論が渦巻いている。

 SNSでは「大阪の鬱病告白は後出しジャンケンだ」とか「鬱病でアレだけ元気なプレーが出来るのか?」とかくだらん議論に一喜一憂しているが、超一流のスポーツ選手でも鬱病などの精神疾患に悩んでいる事例は少なくない。

 試合後の記者会見が義務付けられているというが、決勝まで進んだとして同じ様な質問を何回受けなければならないのだろう。試合後の記者会見は敗者だけにすれば好いのではないか。優勝した選手は決勝後にじっくりとやれば好い。

 鬱病などの精神疾患は誰でも罹る可能性はある。斯くいう愚生も将来どころか明日食う為の術にも汲汲し、自宅に引き籠ってるから精神的に滅入る。つまらないことで怒ったり、イライラしたり、明らかな鬱病の症状も見られる(笑)

 朝鮮民族特有の精神疾患に火病(ファビョン)というのがある。精神的苦痛や衝撃後に、不当さ、侮蔑感、挫折感、無力感などが持続的に頻繁に現れる不適応反応の一形態で、憎しみと憤怒の感情状態が長く続く障害だという。

 因みに、驚くことに人口の8割以上に抑鬱症状が見られ、成人男女の実に半数以上が憤怒調節障害だという。直ぐカッとなる愚生も朝鮮民族に負けてはいない(笑)

「憤怒調節障害」とは、ちょっとしたことで突然激怒してしまい、その怒りを抑えられなくなる障害で、相手の人や、その人の持ち物を攻撃するという症状が出る。韓国の成人の半分以上が、憤怒調節に困難を感じているというから恐ろしい。

 日本でもサイコパス(精神病質者)と呼ばれる人は2、300人に1人の割合で存在するという。以外に多いというのが正直なところだろう。だが、サイコパスだとしても理性でその欲求や衝動を自己抑制している人が殆どだという。

 専門家は、サイコパスの特徴の一つとして口達者で社交的であり、表面的には魅力的に見える人物が多いという。 一方で自分自身を偉大な人物や、同情すべき「可愛そうな人」に見せる為にウソを吐くのが実に巧く、芝居染みた言行で「可哀相な人のふり」をして周囲の同情を引こうとするという手をよく使うという。

 無責任で問題行動が目立ち、用意周到に実行するが、一方で衝動的で刹那的な行動も目立つのも特徴だという。責任を追求されて心理的に追い詰められると、逆ギレするという。愛情や良心を持たないというだけでなく、あらゆる面で感情が希薄で表面的であるという特徴も共通してるという。ん~愚生も注意しないとな(笑)

 愚生の盟友も若くして自殺したが、アレも一種の鬱病だろう。自殺は精神的病気とされて、日本国内では精神科の通院患者は300万人以上いると言われている。このうち半年以上が愚生と同じく就労も就学もせず、社会復帰訓練もしていない。

 その数は年々殖え続け、将来的には癌などの成人病患者より鬱病などの精神疾患患者が上回ると言われている。こうした症候は現代社会を反映し、精神的に病んだ者の通り魔などの犯行は一種の甘えの様な、豊かな現代社会の側面を現している。

 鬱病などの精神病というのは、時代を反映し刻々と変化しているように感じる。最近話題の「鬱病」「引き籠り」「欲求不満」「ストレス」といった病は、一種の甘えであり、豊かな社会の副産物のように思えてならない。

 いつぞや、先の大東亜戦争を経験して、食べ物に乏しく物も無い次代を経験した方の話を聞く機会が有ったのを思い出す。あの当時、人々は食うや食わずで、食に有り付くことで精一杯。引揚者住宅に住み、市からの配給をじっと待つ日々を過ごしていて、「鬱病」や「引き籠り」などしていた日にはイコール「餓死」を意味した。

 何やら、近所には「兵隊おじさん」という人がいて、突然「伏せッ」と叫んだかと思うと地面に腹這いとなり、機関銃を撃つ姿勢を取って「だッ、だッ、だッ」と擬音を発し、匍匐前進して立ち上がり、敬礼して立ち去るのだという。大人にも子供にも人気者で、今考えると明るい精神病者だったのだろうなぁ(笑)

 先の大戦を侵略戦争と疑って止まない左翼人士や戦後民主主義者らは、昭和初期~大東亜戦争終結迄の時代を「あの暗い時代」などと喩える。だが、愚生にはそんなに暗い時代とは思えない。確かに食べ物も満足に食べられず、極貧に喘ぎながらも人々の心は現代よりは遙かに豊だったと思えてならないのだ。

 現代は、モノが溢れ欲しい物を簡単に手に入ることの出来る時代でありながら、人心は荒廃し、自殺者は増え続けている。自殺者は他人を巻き込むことはないが、最近の精神疾患者は陰湿で時には凶暴となるというから始末に負えない。

 現代では巷にモノが溢れ、簡単に手に入ることの出来る時代でありながら、人々の心は飢え満たされないのである。自殺者や精神病患者の多さを簡単に政治の責任にはしたくはないが、社会の何処かが狂っているのは確かだろう。「幸福の青い鳥」は決してモノなどではない。人と人のふれあいであり「絆」であると痛感する。

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