2021年06月17日

次期総選挙は自公連立解消と健全野党の出現を待望する

 内閣不信任案が提出されるも反対多数で否決。立憲民主党や日本共産党は菅総理が「解散」し、「コロナやオリンピック」を利用して支持を殖やそうとしたのだろうが、その邪な策略は敢無く轟沈。立憲というのは救い様の無いアホだな。

 小選挙区と政党交付金制度が導入されて以降、政治の劣化が著しい。白黒を着ける小選挙区制度は日本人には合わない。昔の中選挙制度を復活させた上で新たな区割りを決めるべきだ。中選挙になれば毎回3分の1が国会に新しい風が吹く。

 小選挙区比例併立制を続けている限り政党主導の政治でしか物事が進まず、青雲の志を持つ若者は政治信条より先ず政党幹部の顔色を窺わなければならない。要は「地盤」「看板」「鞄(かばん)」の三要素の全てが党幹事長に委ねらる。

 党幹事長が政党交付金という血税を選挙に投入し、当選した議員は党の為に投票要員となり下がる。当の意向に反する思想や信条や政策を持つことは許されない。

 総選挙後には、いつも通りに区割りが問題だとして「一票の格差」で訴えられ「違憲判決」が出されることは必至。「一票の格差」が何故生まれてしまうかといえば、有権者の多くが「誰がなっても同じ」という政治不信が根本的な問題である。

 投票を棄権した多くの有権者は、自分の思いを托せる政治家がいないが為に棄権するのだが、小選挙区に因る二者択一は選択肢の無い有権者にとっての意思表示は「棄権」するしかない。そういう意味では棄権票も「政治不信」という一票なのだ。

 総選挙の度にこうしたくだらない裁判がいつまでも続くことは如何なものだろう。「民主的政治過程の歪み」と断じるならば、そろそろ選挙の投票は義務化して「該当者なし」の項目を創設すれば「一票の格差」なんぞは簡単にクリアされる。

 投票数が過半数に満たない選挙区の議員は「0」にして、地方選挙で「該当者なし」が例えば30%なら、議員定数の30%を削減すれば好いだけのこと。

 今ではネットでの選挙も合法化され、期日前投票は容易だし郵送による投票やインターネット投票なども可能にして有権者の意思が反映出来る環境を整えるべきだ。

 不正は厳罰に処し、理由なく棄権した場合には過料や地域ボランティア奉仕などの処分にするなどすれば好い。 何より、選挙カーで名前を連呼し伸し歩く選挙スタイルを廃止したら如何か。今の時代、アレくらい無駄で無意味なものはない。

 選挙カーでの選挙は、戦後にインフラが整備されず、マスメディアも少なかった戦後から高度成長期の名残りというべきもので、今の時代にはそぐわない陋習だ。

 今や道路は農村に至るまで整備され、テレビや新聞、パソコンといった情報源は何処の家庭にも備わっているし、候補者が選挙カーで態々乗り付けなくても、候補者名は誰もが容易に知ることが出来る時代に、選挙カーとは時代遅れも甚だしい。

 選挙期間中は立候補者同士が一緒に行動を共にして各地区を移動し、公民館や体育館、集会所などで政策や主張を訴え、候補者同士の討論や、住民との質疑応答などを行った方が有権者には判り易いし、政治家のレベルも向上するだろう。

 所詮、現在の選挙は地区対抗戦とか団体戦といった限られた人達だけの選挙戦でしかなく、この悪しきスタイルが政治不信に輪を掛けていると言っても過言ではない。一票の格差は区割りではなく、現在の選挙スタイル自体を変えなきゃダメだ。

「該当者なし」の投票が成立すれば、国家観皆無で滅私奉公の精神に乏しい議員らは有権者から三行半を突き付けられるだろう。有効投票が過半数に満たない参議院は国民の意思で廃止され、国会議員や地方議員は半減されるに違いない(笑)

「誰がやっても同じ」というのは政治家への最大の侮辱だが、その政治家自身が恥とも思っていない不思議。有権者も選挙の時だけ利用されるのではなく、政治家を凌駕する国家観を持つことになれば我が国の政治もきっと向上するに違いない。

 衆議院の任期満了は10月21日。公職選挙法31条1項には「任期満了による総選挙は、任期満了の日から前30日以内に行う」と規定されており、年内には行われることとなる。国益を害し続けても尚、自公連立に拘る自民党の粛正は必至だ。

 媚中派の公明党が連立政権入りしている事態が異常と言うことを自覚するべきだし、党利党略に明け暮れている立憲民主党ら野党の向上無くして政治の正常化は無い。改めて、政治とは最高の倫理であり、最高の道徳であることを自覚せよ。

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2021年06月15日

台湾は「チャイニーズタイペイ」ではない!

 英国で開催されたG7(先進国七ヵ国首脳会議)で、台湾を巡り「台湾海峡の平和と安定の重要性を強調し、両岸問題の平和的解決を促す」と「台湾」との名称を明記し、新彊ウイグル自治区の問題を提起し中国共産党への圧力を鮮明にした。 

「中華人民共和国」は中国共産党一党独裁の「中共」であり、先の大戦で我が国が戦ったのは「中華民国」であり、戦後に建国した中華人民共和国ではない。

 第二次大戦後、中国共産党と中華民国との「国共戦争」で勝利し、何故か戦勝国の仲間入り。台湾は共産主義体制でもなければ「一国二制度」を承認している訳でもない。歴然とした資本主義及び自由主義体制を採る独立国である。

 国共戦争で敗走し台湾に逃れはしたが、第二次大戦の戦勝国は中華民国であることは歴史が証明している。だが、何故か世界は中国共産党の圧力に屈し、台湾を国家として認めないばかりか、中共が常任理事国として横暴を揮っている。

「台湾」との名称を使わず、国連やWHOへの参加を認めず、中共の一部であるかの如く「チャイニーズタイペイ」と表記することは中共に媚びる姿を如実に現している一例だったが、戦後約75年も経って漸く主権を認めた結果となった。

 我が国は日中国交恢復以来、台湾を国家として認めていないが、米国も台湾の国連参加を認めず中共を常任理事国として認める始末。そんな中でG7首脳会談の声明で「台湾」を明記したことは評価に値する。続けてWHOの参加を承認するべきだ。

 我が国がGHQの統治下から主権を恢復した昭和27年4月28日、我が国は「日米平和条約」を締結し、同時に報恩感謝として中華民国と「日華国交条約」を締結した。「日華国交条約」締結は、道義国家・日本としての当然の行動であろう。

 昭和47年9月29日、田中角栄総理大臣は、中国共産党政府を唯一の合法政府であると承認し、締結していた「日華国交条約」という国際法規を一方的に破棄し、日中共同声明に調印する。条約破棄を受けて中華民国は我が国との国交を絶った。

 田中は、調印での会見で「先の大戦で中国国民に重大な損害を与えたことに、責任を痛感し、深く反省する」と謝罪した。この認識が現在の歴史認識と対中外交に引き継がれている。田中の歴史認識は村山談話や河野談話より遙かに罪深い。

 我が国が先の大戦で戦ったのは、蒋介石率いる中華民国(後の台湾)であり、戦後に独立した毛沢東率いる中国共産党一党独裁の中華人民共和国ではない。

 抑々、台湾は日清戦争で我が国が戦利品として清から譲り受けた領土であり、三国干渉に因って澎湖諸島と遼東半島は返還したが、台湾は放棄したという事実は無い。つまりは台湾問題は、我が国の歴史問題にも通ずる問題でもあるのだ。

 田中らが強行した「日中共同声明」と「日中国交条約」締結に由って国際条約である「日華国交条約」が破棄された訳だが、この行為は明らかな日本国憲法第98条違反。旧ソ連の日ソ中立条約の蹂躙と同じ蛮行を我が国もやったことを恥じよ。

 未だ我が国が台湾を「チャイニーズタイペイ」などという表記が罷り通っているのは、田中が中国共産党を唯一の政府と認めた結果なのだ。我が国が道義国家であるというのなら、日華刻々条約破棄という蛮行と日中共同声明の発言を糺すことだ。

 多くの国民は親中派と同じく、我が国と支那との関係を「一衣帯水」だとか「古くからの隣人」などと心得違いをしているが、日中間に国交関係が樹立されたのは20世紀に入ってからで、未だ100年程しか経っていない関係である。

 歴史を辿れば日台関係こそ一衣帯水であろう。台湾には「信義誠実の原則」という日本人が忘れてしまった美徳が連綿と生きている。台湾との友好を深めることは我が国の国益にも適う。日華国交条約の蹂躙を詫び、日台国交恢復を成し遂げよう。

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2021年06月12日

過剰警備を止めれば政治家も少しはマジメに働いてくれるかもよ(笑)

 何事も真面目にやれば困難が待ち受ける。右翼なら真剣にやれば逮捕される。「もっとマジメにやれ!」ってのは、右翼人を自任する自分自身への戒めでもある。

 まぁ、愚生の活動家人生もう終わった様なもので、人生の最後に草莽の活動家らが集団テロ行為を惹起するならその末席に参画出来れば有難いと思っている(笑)

「もっとマジメにやれ!」っていう言葉で多くの国民が感じてるのは政治家への苦言だろう。何故に政治家がマジメに働かなくなったのかといえば、当選してしまえばその地位が保障され、滅私奉公しなくても過分な報酬が与えられるからだ。

 これは国会議員に限らず地方議員も同じで、今や議員特権は在日特権と大して変わらない。つ~か、議員の特権というか、我田引水的法令は目に余る。

 政党交付金(助成金)はその我田引水的法令の最たるものだ。この政党交付金制度は政治献金や団体献金を廃止する代わりに創られたものだが、未だ献金や政治資金パーティーが廃止されない状況は「なりすまし詐欺」の様なものだろう。

 この交付金を私的に運用し、不動産を取得した小沢一郎の様な大馬鹿者がいるが、政党交付金に由って党職員も準公務員的優遇措置が図られている。そうしたことが、結果、政治は政党色が強くなり、政治家という生業が最優先となった。

 政治家必携の本に「南洲翁遺訓」があるが、第四条にはこう在る。

「万民の上に位置するものは、己を慎み、品行を正しくし、贅沢を戒め、倹約に努め、職務に努力して人民の見本とならねばならない。そして民衆がその働きぶりを見て『気の毒だなぁ』と思うようでなければならない」

 果たして今「気の毒だなぁ」と思える政治家がいるだろうか。落選して気の毒なヤツはいるが、「井戸塀政治家」や滅私奉公を旨とする奇特な政治家なんぞいない。

 政治家がマジメにやらなくなった大きな要因には高額な議員報酬や政党交付金などの優遇措置だが、真剣さに乏しいのは「テロ」への恐怖心。日本的に言えば「天誅」だろうか。三島由紀夫は嘗て政治家の怠慢を比喩的にこう表現した。

「喩えば、暗殺が全然なかったら政治家はどんなに不真面目になるか、殺される心配がなかったら幾らでも嘘が吐ける」。逆説的ではあるが正論だろう。

 国益を忘却し、党利党略、私利私欲に狂奔する政治家どもに「天誅」とは言わないまでも、一発、ポカン!と食らわしたいと思ってる市井の戸は少なくない。

 だが、現実には国会議員の要人に対する警備は過剰で、テロは疎か演説会場で野次さえもロクロク飛ばせない状況だ。こうした過剰警備が、政治家が然も偉くなったと勘違いして政治を真剣にやらなくなった原因であると断じても過言ではない。

 政治家の警備や要人警護に当たるSP(セキュリティポリス)は、その昔、大日本愛国党の書記長だった筆保泰禎が、佐藤栄作元総理の葬儀告別式の際に、葬儀委員長だった三木武夫総理を殴打した事件をきっかけに創設されたものだ。

 テレビ中継もあり、あわや浅沼稲次郎暗殺を彷彿させたが、現行犯逮捕された筆保書記長は「容共的な三木に猛省を促すのが目的だった」と述べている。

 以前、筆保書記長に、この事件の逸話を聞いたことがある。

 筆保書記長が三木を殴った際に、三木が発した言葉は「犯人はコイツだ」だったそうだ。そんなことは言わなくても現場で見てた誰もが分かることだ(笑)

 昔の政治家ならば、テロの前に「話せば分かる」とか、殺されても「男子の本懐」ってなことになるのだろうが、三木の小物ぶりを示すものだろう。

 筆保書記長は、「右翼も小さくなったが、政治家はもっと小者になった」と自嘲気味に語っていたが、まぁ愚生も含めて現在の右翼にも「小者ぶり」は当て嵌まる。

 こうした小者の政治家を物々しく警備をするから、政治家は売国的失言をしても気に留めない。暗殺されるという恐怖が無いから売国奴が増殖するのだが、過剰警備を止めれば政治家も少しはテロの恐怖に感じマジメに働いてくれるかもよ(笑)

 右翼や市井の徒によるテロは無理だろうが、政治家の警備に当たる警察によるテロは可能だ。滋賀県警の巡査が惹起した「大津事件」を知ってるだろうか。

 明治24年5月11日、訪日中のロシア帝国皇太子・ニコライが、京都からの帰路だった滋賀県大津で津田三蔵巡査に斬りかかられ負傷した暗殺未遂事件である。

 以前から、ロシアの北方諸島などに関しての強硬姿勢や、我が国への高慢な態度を快く思っていなかった津田が、突然サーベルを抜いて斬りかかった。右翼団体員が行動を起こさない今、第二の津田三蔵巡査の出現を期待するしかないな。呵呵大笑。

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2021年06月11日

新型コロナウイルス感染症対策分科会の尾身茂会長が持て囃されている(苦笑)

 新型コロナウイルス感染症対策分科会の尾身茂会長がマスコミなどで持ち上げられている。このおっさん、誰でも分かることを尤もらしく語ってるが、間接的な政府批判ばかり。元厚生官僚だから日本医師会や厚労省批判はしないのは嗤える。

 オリパラが来月の控えてるのに「パンデミックの中で開催することは普通ではない」とは開いた口が塞がらない。武漢ウイルス研究所からの流失が騒がれ出してから既に1年半以上が過ぎるというのに、その間、このおっさんは何をやってたのか。

 政府批判は野党やオリパラ開催反対派を勢い付かせているが、正しく獅子身中の虫。語るなら「闇雲に怖がるのではなく、治療薬はアビガンが効果があるから心配ない。不安解消にはアビガンの早期承認が必要」とか言えないものか。

「コロナの患者さんで手一杯なのに、オリンピックをやるのは、中々一般市民の理解が得られないので、やるならば、そういうこと(医療逼迫)が起こらないようなやり方をするのが、オリンピック委員会及び日本政府の務めではないか」と言う。

 国民ではなく「市民」という言葉に尾身の左翼思想を垣間見る。医療逼迫を語るなら、新型コロナ対策として現在の「二類感染症」を「五類」指定するなどの提言も行うべきだし、医師会や厚労省の陋習を批判すべきだが身内には甘い(苦笑)

「二類じゃなく五類指定となったら医療費は全額自己負担となってしまう」との声も聞こえる。抗ウイルス薬「レムデシビル」は1回分(5日間、6本)で25万円。最高で2回投与で合計50万円。保険適用により3割負担になっても15万円だと煽る。

 アビガンを認可し「特例」を設けて無料にすれば済むことだろう。要は、政治家の決断力だ。アビガン承認を急ぎ「二類感染症」の指定解除が求められる。

 オリパラは当然開催されるだろう。来日する選手団や関係者のワクチン接種は来日する第一条件である。それでもパンデミックが起こる可能性はある訳だから、提言するべきは万が一の事態が起こった際の具体的な対応をどうするか。コロナ陽性になった外国人選手を選手村に隔離するのか、何処でどんな対処方法をするかだ。

 国民が不安なのは自分が罹ってしまったらという不安。「新型コロナに治療効果の見られるアビガンを承認する」の一言で多くの国民の不安が払拭されるのに、未だに承認しないアホ官僚と責任問題を警戒するマヌケな政治家。尾身も一蓮托生。

 菅総理が批判の矢面に立たされるのは致し方ない。前任の安倍政権下で新型コロナが国内に蔓延しているのに党利党略を優先したツケが出た。コロナ対策の不作為や不手際を猛省することなく未だに国民の自粛頼みとは本末転倒と言う他はない。

 後手後手の感は否めず屋上屋を架す菅政権。「特措法改正」で自粛に応じない店に罰金だとか言う前に、新型コロナ発症元が武漢ということで中共政府に阿て対策を講じることなく、アビガンの認可すらして来なかった政治家を罰するべきだわな。

 新型コロナウイルスに罹患し、重篤な状況から生還した芸能人や著名人らが口を揃えてアビガンの有効性や特効性を訴えていたのは何だったのだろう。

 アビガンの有効成分「ファビピラビル」に関するライセンス契約を、富士フイルムと結んだ中共の製薬大手・浙江海正薬業が後発医薬品を増産し絶大な効果を発揮してるというのに、「日本人には有効性が無い」というのはどういうことか。

 ノーベル生理学・医学賞を受賞した大村智教授が開発したイベルメクチンも本人自らが接種して完治させている。副作用が指摘されてるレムデシベルを承認しながら、アビガンやイベルメクチンが承認されないのは国益をも害している。

 中共発の「武漢ウイルス」との呼称は差別を助長すると禁止したが、「イギリス株」や「インド株」「南アフリカ」「ブラジル」などと地名で呼ぶ不思議。

「武漢」という地名を差別に繋がると禁止しながら、国名を付けた変異株報道には嗤うしかないが、新型コロナは、通常のインフルエンザA型なとど同じく「武漢ウイルス変異型A・B・C・・・」とした方が国民には分かり易いと思う。

 米英などが習近平の隠蔽工作を批判してる中で、媚中派が席巻する我が国の政治家どもは沈黙を続ける。武漢ウイルス研究所から発生した可能性は高く、トランプ元大統領が「中共に2000兆円の賠償請求を」という主張は当然のことだ。

 ワクチンとは、ウイルスの生体から作られ弱毒化・無毒化された抗原のこと。抗原を体の中に入れることにより抗体が出来る。その抗体によってウイルスから守られる。アビガンは新型コロナに有効な治療薬なのに何故か承認されない不思議。

 アビガンは、ウイルスに勘違いを起こさせて取り込ませることによって、ウイルスの増幅を止めてしまう化学物質である。新型コロナに罹患してしまった際の有効な治療薬として認可し使用することに何を躊躇する必要があるというのか。

 新型コロナによる死亡者数は10万人当たり3.5人、死因1位の癌の100分の1。新型コロナの死者は発生から1年半ほどで約13700人。因みに、スペイン風邪は世界で1億人が死亡し、日本国内でも当時の人口の半分が罹患し38~45万人が死亡した。

 スペイン風邪が流行った中でもオリンピックは開催されているのだから、オリパラ開催は当然だろう。最近の新型コロナ騒動の異常さは破壊活動としか思えない。

 新型コロナに怯えて、マスクやら手洗いやら嗽(うがい)を徹底した成果か、インフルエンザの感染者や死亡者が激減したのは怪我の巧妙とも言えなくもないが、一方で徹底した滅菌と外出自粛が免疫力の低下に繋がっていることも指摘されている。

 異常な程の新型コロナ騒動はワクチン接種の終わる11月には沈静化するだろう。新型コロナは年間数千人から1万人以上が死亡するインフルエンザと比べても死者数は大して変わらない。単なる新規のインフルエンザを怖がる必要は無い。

 変異株は自然の摂理でもある。ウイルスは宿主を殺すことではない。宿主の中で殖え生き長らえること。ウイルスを無くすことは無理なのに「感染者ゼロ」を目指すというのは、反原発派の非科学的な大騒動から始められた除染作業と似たり。

 ウイルスなんぞより、我が国の歴史・伝統・文化の破壊を目指す反日左翼活動家の方が遙かに質が悪い。反日左翼ウイルスの「ゼロ」を目指そう。呵呵。

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2021年06月09日

政府は皇位継承に関し現在の皇位継承順位を維持する方向で検討するというが

 戦後、GHQの策謀を実践し、天皇の家法でもあり、我が国の正統な国法である皇室典範を改悪すると共に、天皇に関する最終決定権を「皇族会議」から「国会」に移譲し、憲法や法律以前の御存在であらされる天皇を法の下に置いた。

 明治皇室典範に於ける皇族会議は、成年男子皇族20名を中心に組織された機関であった。非皇族である内大臣、枢密院議長、宮内大臣、司法大臣、大審院長の5名は、皇族会議全体の構成員的には4分の1でしかなかった。

 現皇室典範は皇族会議ではなく「皇室会議」となり、皇族は2名のみで、非皇族8名という構成下で皇統や天皇の在り方が論じられている異常事態。旧皇族の皇籍復帰を実現し、成年男子皇族を中心とした「皇族会議」に戻すことこそ肝要である。

 最近では「皇室会議」ではなく「有識者会議」なるものが、女性宮家や女性天皇を論じているが、この有識者会議には反天皇勢力に与する胡散臭げなメンバーも少なくない。抑々、臣下である国民が皇統を論じることに何の意味があろうか。

 その有識者会議のヒアリングが終了し、政府は現在の皇位継承順位を維持する方向で検討に入ったというが当然のことだ。抑々、皇位継承問題は、秋篠宮悠仁親王殿下の御生誕で沈静化されるべきだったのに何故か「女系天皇」が騙られた。

 有識者会議第六回会合では、小説家の綿矢りさ、気象予報士の半井小絵、漫画家の里中満智子の三氏が「女系天皇」の反対し、旧宮家の皇籍復帰に賛成した。

 綿矢の「養子縁組」に多少の違和感を覚えるが、養子縁組は旧皇族の皇籍復帰を成した後でのことなら問題は無いが、現皇室典範では養子縁組は認めていない。

 皇籍離脱させられた旧11宮家の方々は北朝第3代崇光天皇の皇子、栄仁親王から始まる伏見宮の系統に属し今上天皇との関係は、室町時代の伏見宮貞成親王を共通の祖先とされている。旧宮家が皇籍復帰すれば男子成年皇族は15名以上になる。

 宮家の再興は男系男子の皇位継承の安定を図るだけではなく、廃絶した宮家の再興することで皇室の本分である祭祀を継承して戴くということにある。

 憲法第一章の「天皇」条項を議論しない皇位継承議論に意味は無い。安倍元首相を筆頭に保守派は第九条改正に躍起だが、九条なんぞより、第一条から第八条までの「第一章」の天皇条項の矛盾と問題点を明らかにして、如何に現憲法が我が国皇統の歴史に相応しくないかを国民に示し、国體を論ずるべきではないのか。

 改めて日本国憲法第一章「天皇」の条項を記してみよう。

【第一章 天皇】

 第一条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。

 第二条 皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。

 第三条 天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ。

 第四条第一項 天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。第二項 天皇は、法律の定めるところにより、その国事に関する行為を委任することができる。

 第五条 皇室典範の定めるところにより、摂政を置くときは、摂政は天皇の名でその国事に関する行為を行ふ。この場合には、前条第一項の規定を準用する。

 第六条第一項 天皇は、国会の指名に基いて、内閣総理大臣を任命する。第二項 天皇は、内閣の指名に基いて、最高裁判所の長たる裁判官を任命する。

 第七条 天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。

 一 憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。
 二 国会を召集すること。
 三 衆議院を解散すること。
 四 国会議員の総選挙の施行を公示すること。
 五 国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること。
 六 大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を認証すること。
 七 栄典を授与すること。
 八 批准書及び法律の定めるその他の外交文書を認証すること。
 九 外国の大使及び公使を接受すること。
 十 儀式を行ふこと。

 第八条 皇室に財産を譲り渡し、又は皇室が、財産を譲り受け、若しくは賜与することは、国会の議決に基かなければならない。

 第一条は「天皇の地位は主権の存する日本国民の総意に基く」と在る。反天皇を叫ぶ共産党などが存在する限り「国民の総意」ではないことをどう説明するのか。つまり、天皇の地位は共産党が指摘してる通り違憲の存在であり、その共産党や反天皇勢力が「女性宮家」や「女系天皇」を容認している意味を知るべきだ。

 第二条には「皇位は世襲」と在る。左翼勢力はこの条項を念頭に「女性天皇」と「女性宮家」を声高に叫ぶ。今上陛下の後、世襲であるならば愛子内親王が正統な天皇であると叫ぶだろう。秋篠宮殿下を「皇嗣」にしたのもその為である。

 第四条第一項は「天皇は憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」と在る。これ即ち都合の好い天皇の政治利用。

 譲位遊ばされた上皇陛下は、この第四条を念頭に「憲法の定める国事行為を、高齢もあって全う出来なくなった」と吐露なされただけである。それを口実に「生前退位」などとして、皇室典範に附帯してまで退位させたのは逆賊の所業であった。

 四条第二項に因り「天皇は法律の定めるところにより、その国事に関する行為を委任することができる」なら、第七条の天皇の国事行為を、当時の皇太子殿下や秋篠宮殿下が輔佐し、或いは代行出来る環境を整えれば済んだことだ。

 上皇陛下の御発露を受けて執るべきは現憲法の天皇条項の見直しだった。現憲法は矛盾だらけ過ぎて、国の基本法として機能していない。第九条改正は現憲法の護持に繋がる究極の護憲運動。皇統死守なら執るべき道は現憲法の破棄であり、我が国の正統な国法である大日本帝国憲法と旧皇室典範を復元奉還すること以外には無い。

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2021年06月08日

「人を殺してみたかった」という欲求を実践するサイコパス予備軍

 愚生の住む郡山市本町二丁目の大竹銃砲店の79歳の男性従業員を刃物で頭や背中を刺したとして、15歳の少年が殺人未遂の容疑で逮捕された。逮捕された少年は「人を殺したかった。その為の銃が欲しかった」などと供述しているという。

 少年は、事件の1時間前の夕方5時半頃に銃砲店に「鉄砲を見せて欲しい。今から行きたい」と連絡。通常は午後6時には店を閉めるというが、恐らくは下見した上での犯行だろう。刺されるも剪定鋏で応戦する姿勢を見せると少年は逃亡した。

 銃が奪われていたら更なる悲劇を生んだだろうと思うと恐ろしい。用意周到な割にはあっさりと諦めてしまうのはサイコパス的行動の特徴でもある。今回の事件も過去の少年犯罪と同じく精神的異常性が起こすべくして起きた事件である。 

 どんな悪人でも少しくらいは良心を持っているだろうと信じている国民は少なくない。死刑廃止論者もこうした性善説からのものが多い。だが、世の中にはそんな考え方が全く通用しない「サイコパス(精神病質者)」と呼ばれる人間が存在する。

 今回のこの少年も典型的なサイコパスだと思って間違いない。サイコパスと呼ばれる人は2、300人に1人の割合で存在するという。以外に多いと思うだろうが、サイコパスにも理性でその欲求や衝動を自己抑制している人もいるのも確か。

 専門家はサイコパスの特徴の一つとして、口達者で社交的であり、表面的には魅力的に見える人物が多いという。今回事件を起こした少年も恐らく例外ではないだろう。親も「まさかうちの子が」と思っているのではないだろうか。

  一方で自分自身を偉大な人物や、また「可哀相な人のふり」をして同情を引こうとするという手をよく使うという。その為のウソも実にリアルだという。

 今後の少年の取り調べでもその点が明らかになるだろうが、少年の不満が幾許かは分からんが、「人を殺してみたかった」の一言はやはり異常だ。

 無責任で問題行動が目立ち用意周到に計画するが、一方でとても衝動的で刹那的な行動も目立つのも特徴だという。今回も準備周到の割には直ぐに逃亡を図った。

 責任を追求されて心理的に追い詰められると逆ギレするという。自分の行為の矛盾を突かれると焦るのだろうな。何事にも愛情や良心を持たないというだけでなく、あらゆる面に於いて感情が希薄で表面的であるという特徴もあるという。

 残忍で嘘吐きで善意を持たず狡賢く立ち回る。また成績も良く知能指数も高い人が多いという。数年前に長崎県佐世保市で起きた同級生刺殺切断事件事件を起こした女子高生も、成績も良く知能指数も高かったのを覚えているだろうか。

 彼女は小学校時代、クラスメートの給食にスポイトで漂白剤を混入。猫を殺し解剖。父親が眠っている時に金属バットで殴打するという凶行を謀っている。

 これだけでも隔離し治療するべきだが、サイコパスというのは従順に振る舞うから赦してしまう。その結果、更なる大きな犯罪を犯すことになるのだ。

 こうした事件が起こると、社会全体が起こしたものとして捉えて性善説ばかりを盲目的に信じ、犯人を社会的犠牲者と言わんばかりに異常な擁護姿勢を見せるが、所詮はこうした偽善に満ちたキレイゴトこそ諸悪の根源と言っても過言ではない。

 今回の事件はサイコパスの生徒が起こした特異な事件であり、いつもの如く教育委員会がしゃしゃり出て机上論で対応を議論したところで解決は見ないだろう。

 大事なのは教育を行って行く上で精神的な部分を如何にして育むかであり、それによって同じ様な事件を防止して行かねばならないが、そうした実りある教育を企画し実行して行く気配は無い。教育こそ国家の大本であることを肝に銘ぜよ。  

 愚生は戸塚ヨットスクールの戸塚宏の教育論には大いに共鳴している一人でもあり、不良少年や登校拒否児を与り更正させる私塾を創る夢は未だ潰えてはいない。 その資金を出してくれる篤志家が現れるのを鶴首しているが未だ現れない(笑)

 戸塚ヨットスクールというと「スパルタ式」で子供を死にやったことばかり取り上げられるが、不登校や家庭内暴力などで悩む親が子供を手放し、戸塚校長に一縷の望みを託した。実に600人以上の子供を更正させた実践教育の実績は凄いと思う。

 戸塚氏は自著「教育再生」で、教育は「科学的精神論」に基づくと言い「正しく・強く・安定(知・情・意)」した理性を創ることが大事だと教えている。

 学級崩壊や家庭内暴力、また今回の様な事件を起こす様な「間違った・弱い・不安定」な理性を持った子供達が大量に登場した原因を考えれば、戦後、我が国が採用した欧米型の「精神論」が間違っていたからだという戸塚氏の考えは正しい。

 何故なら戦後の日本を経済大国にしたのは、戦前に教育を受けた人々であり、積み重ねた実績を潰してしまったのは、戦後教育を受けた世代なのだから。更に「欧米流」の理性に抜け落ちているのは「本能論」であると戸塚は言う。

 人間の傲りだろう、動物との優劣性を強調する余り、動物本来に備わっている「本能」を、下等なものとして否定しまったのが抑々の間違いであると断じる。

 仏教でも儒教でも「本能」が「理性」を創るのに重要な役目を果たしていると説く。これらを考えるに、教育で一番大事なのは「徳育」であるというのだ。

「徳育」は忠君愛国ばかりではなく、「人間性」を確立することにある。だから、幸福になる方法も、きちんと仕事が出来る様になるのも「徳育」であり、我が国の教育再生の為には、先ず「正しい精神論」を創ることこそ肝要であると教える。

 失敗に失敗を重ねた文科省には教育再生能力は無く、米国製の教育委員会に委ねるなど以ての外で日教組や全教などの組合は非合法化し解散させるべき。

 我が国の教育が抱えている問題を解決するには、戸塚が教えている様に「小学校の段階で正しい人間性の基礎を創ること」こそが採るべき対策である。

「国語・数学・体育」に重点を置いた授業、記憶力ではなく、考える力の重視。合宿などの課外授業の活用するというのは単純ではあるが大きな成果を齎すだろう。

 戸塚の理想とする小学校像は決して突飛なものなどではなく、「科学的精神論」による教育の実践こそ、現在学校で起こっている学級崩壊を始めとした我が国の教育現場で起こっている諸問題を克服してくれるのではと期待している。

 余談だが、愚生に限らず「人を殺してみたかった」というより、殺してやりたいヤツというのはいるのではなかろうか。それってやっぱサイコパスかもよ(笑)

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2021年06月07日

昭和殉難者を「戦犯」と蔑視続けることは赦されない

 国際法上も不当な極東国際軍事裁判(東京裁判)に於いて、所謂「A級戦犯」として処刑された7名(東条英機、土肥原賢二、板垣征四郎、木村兵太郎、松井石根、武藤章、広田弘毅)の方々の遺骨が、神奈川県横浜市の東方面約30マイル(48㌔)の太平洋上に散骨されていたことが、米国の公文書から明らかになった。

 我が国には「A級戦犯」だとか「B・C級戦犯」「戦争犯罪人」などという呼称はない。マスコミを始め、未だに「戦犯」との呼び方をしている政治家などがいるが、戦後民主主義教育の弊害に加えて日本人の精神的幼稚さの現われでもある。

 我が国がGHQの占領統治から解放された昭和27年4月28日の翌年に召集された第十六国会の議決に拠り「戦傷病者戦没者遺族援護法」が改正され法的に復権されている。刑死、獄中死された方々は「法務死」と称され、靖國神社では「昭和殉難者」としている。日本人が未だに「戦犯」などと呼ぶこと自体が実に愚かなことだ。

 極東軍事裁判に於いて弁護する機会も与えられず、一審即結審という復讐という名の茶番劇で、或いは、外国の地で不当に処刑されたこの方々の命は決して軽いものではない。敢えて、反論もせず命を捧げて日本の罪を償ってくれたのだ。

 国際法の原理に基づき「この法廷(東京裁判)で日本を裁く権利は無い」とし、「各被告は、全ての起訴状中の各起訴事実部につき無罪とされなければならない」と述べた、インドのラダ・ビノード・パール判事の意見は忙殺されてしまった。

 悲しい哉、我が国は「侵略国」と断罪され、その責任者として7人に絞首刑の判決を下され、処刑された。この不当極まる東京裁判史観が未だに国内に蔓延り、日本人自身が自国を貶め続けてる現状は救い様が無く、マヌケなコントを見続けている。

 抑々「極東軍事裁判」自体が無効である。裁かれる理由となった「平和に対する罪」「人道に対する罪」は事後法であり、それに基づいて罰するということは国際法上も無効なのだ。「この法廷で日本を裁く権利は無い」としたパール判事の主張が正しいものだったことは、判決から2年半後、米国軍事委員会で証明される。

 マッカーサーは米国公聴会に於いて「彼ら(日本)が戦争に入った目的は、主として自衛の為に余儀なくされたものだ」と証言している。極東軍事裁判の最高責任者である連合国最高司令官マッカーサーが公的な場で認めたことは重い。

 戦争責任を問われた7名の処刑は、当時の皇太子(現上皇陛下)御生誕日である12月23日。この日を処刑日に選んだのは、未来永劫、日本人に贖罪意識を持たせる為のものである。因みに、判決日は天長節(当時)の4月29日だった。

 日露戦争の「奉天会戦」勝利を祝う3月10日の「陸軍記念日」に東京大空襲が行われた。現憲法を押し付けたのは「明治節」の11月3日。この事実を知るだけでも、米英を始めとした連合国が如何に非情で無慈悲だったかが理解出来よう。

 新聞報道では、当時、7名の処刑に立ち会ったGHQのシーボルト外交局長は、自著で「指導者達の墓が将来、神聖化されることの無い様に、遺灰は撒き散らすことになっていた」と記述している。米国が、指導者が神聖化されることを恐れたということは、先の戦いが聖戦だったということを米国側も知っていたからだろう。

 連合軍の日本弱体化への執念と暴挙は枚挙に遑なし。今こそ我々は、極東軍事裁判の不当性を明らかにし、未だに「戦犯」との汚名を着せ蔑視していることこそ米国追随の象徴であると肝に銘じ、英霊の名誉恢復を急がねばならない。

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2021年06月05日

「シュガーキング」と呼ばれた松江春次を知ってますか?



「シュガーキング」呼ばれた日本人がいる。その男とは松江春次。角砂糖を作った人物である。台湾に烏山頭ダムを設計した八田興一の銅像が在るが、当時台湾は日本領であり、八田以外に外国で建てられた日本人の銅像は二人だけだという。

 一人は黄熱病の研究で世界的に注目され野口英世博士、そしてもう一人は松江春次。野口英世博士の説明は要らないだろう。春次は、映画「バルトの楽園」で有名になった板東捕虜収容所所長・松江豊寿大佐の実弟である。二人共に福島県出身。

 角砂糖製造で成功を収め「キング・オブ・シュガー 」と称された春次は、明治9年市内馬場町(現在の中央二丁目)に生まれ、会津中学(現会津高校)を卒業。

 苦学して東京工業学校(現東京工業大学)応用化学科を卒業し大日本製糖に入社。春次はその後、米国ルイジアナ大学へ留学し砂糖科を卒業している。

 その後、技術習得の為にヨーロッパへ出向し31歳で帰国し、そして角砂糖の製造に成功する。その後も製糖会社を転々とし台湾での製糖業で成功を収める。

 それでも満足することなく、自身が描く南洋開発の夢の為に退社しサイパンへ渡る。当時、サイパンには5万人もの日本人が入植しており「南国の楽園」と言われた島だった。春次はこのサイパンで人類の共存を目指す夢に走り出す。

「南国の楽園」と言われたサイパン島だったが、ブラジル入植や戦後の北朝鮮帰還事業と同じく、実際には国の入植事業に失敗した日本人が生活に苦しんでいた。

 サイパン島をくまなく調査し、製糖事業の成功を確信した春次は、生活に苦しむ日本人と地元の人々を救う為に「南洋興発株式会社」を設立し開拓に着手する。やがて製糖事業は大成功し、日本からも多くの入植者を迎えることとなった。

 成功した春次は驕ることなく成金趣味を持たず、質素倹約を旨とする会津人らしく清貧な生活を続けた。「松江賞」というものを創設し、日本人や島人を問わず優秀な児童生徒に奨学金や教科書などを贈り若者の育英事業に私財を投じた。

 春次は、自分の苦難の経験から「青年に投資する」を持論とし、自分の土地、株券を売却し、故郷の会津工業高校へ33万円(現在の数億円に相当)を寄付し、機械科を創設させ、多くの技術者が育ち、後に日本の成長に貢献することとなる。

 会津白虎隊の悲劇は誰もが知るところだが、春次もまた日本の将来の為にも青年を育てなければという思いに駆られたのだろう。 だが、第二次世界大戦に巻き込まれ、真珠湾攻撃で大東亜戦争が勃発。激烈を極めた日本軍は終に敗走する。

 サイパンの「バンザイクリフ」は、戦争の悲劇の象徴でもある。サイパンを占領した米軍は、戦前に建てられた「キング・オブ・シュガー・松江春次像」の倒壊を謀るが地元住民からの懇願で断念。春次が如何に慕われていたかが分かる逸話だ。

 春次は、サイパン島の戦いの敗戦に因り財産の殆どを失ったが、砂糖製造を中心に開発事業に成功した優れた開拓者として今も尚語り伝えられている。野口英世もこの松江春次も、我が福島県が生んだ偉人であり英雄であり県民の誇りでもある。

 晩年は、サイパンへの郷愁を抱きながら酒を酌み交わすことが楽しみだったという。春次は「生来無一物(しょうらいむいちぶつ)」との言葉を好んで揮った。「生来無一物」という言葉に激動の時代を生き抜いた春次の人となりを感じさせる。

 菩提本無樹「菩提本(もと)樹(じゅ)無し」
 明鏡亦非台「明鏡も亦台に非ず」
 本来無一物「本来無一物(ほんらいむいちもつ)」
 何処惹塵埃「何れの処にか塵埃(じんあい)を惹かん」

「生来(本来)無一物」とは禅の教えでもある。前出の詩の大意は「本来菩提には樹などという不変なものはない、明鏡という心もない。故に、本来無一物である。由って塵埃の溜まりようがないから払拭の必要もないではないか」というもの。

 私心も無く、資産も財産も無くなった春次の自虐的洒落に渾身の悩みと満足感が窺える。斯くいう愚生に私財は無いが、春次の生き様に学びたいものだ。

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2021年06月04日

小さな約束事を守れもしないで大きな志を果たせるとも思えない

 愚生は食べ物の好き嫌いは無いが人の好き嫌いは烈しい方だ。相手の拙い点があれば諭しはするが、本人が理解することなく治らないならさようなら。

 若い頃なら未だしも、もう直ぐ還暦になろうというおっさんが自分を誤魔化したり、諂ったり、愛想を振りまいて気に入られようという気は毛頭ない。

 蟠りを解消したり、仲違いした関係を戻すには一献するのが好いが、どうも嫌いな奴というのは酒飲みの作法も悪けりゃ、味の好みも違うからなぁ(笑)

 ほんの些細な件や相手が放った何気ない言葉の一つにしても心に留めることも無く、小さな約束事さえも守れない者が、大きな志を果たせるとも思えない。例えば何気に言った「そのうち酒でも」という社交辞令も自分が発したなら実行すべし(笑)

 facebookなどでの友達申請は互いの「約束事」だと思っている。高が知れてる約束事かも知れないが、そういう小さな約束事を守れない方というのは人として信用されないし、仕事もロクに出来ないのではと危惧する。

 夥しい数のFBFやフォロワーがいながら「いいね!」の数が1割も満たなかったり、逆に「いいね!」を押さなかったり。こういう輩というのは正直余り信用しない。FBFという小さな約束事を守れないでどうするの(笑)

 数年前まで500人以上いたFBFには、右翼を気取りながら居の安きを求めたり、思想信条が合わなかったり、人としての生き方や性格が合わない人がかなりいた。そういう友達関係に嫌気が差して全員削除した。そして現在FBFは11名ほど(笑)

 友達申請は70名近くいるが全員保留してる。記事だけ読みたいならフォローで十分だろう。態態FBFになって「いいね!」を押す煩わしさから解放されるし、こっちもくだらん記事を読まずに済むし。御蔭でフォロアーは500人超。

「くだらないと思われる事でも、全力を傾注して、最良の効果を収めるように努力する精神が偉いのである」とは、我が母校でもある国士舘の創設者・柴田徳次郎先生の金言である。一旦始めた由なし事は全力投球が好い。

 SNSやブログなんてのは他人から見ればくだらないことの一つだろう。ブログは街宣活動に替わる啓蒙活動の一つとして始めたものだが、面白いもので教えてるつもりが綴りながら勉強になるし、反論などから教わることは実に多い。

 今では政治・時局批評と右翼ジャーナル、食べ歩きに地元ネタと4つのブログを書いている。政治批評はマニアしか読まないが、食べ歩きブログの閲覧者は政治批評の約10倍。右翼ジャーナルは後進や愛国マニア向け&R15+か(笑)

 以前、フジテレビの番組で企画会社から「ブログの内容を使いたい」という連絡を貰ったので許可したら、朝の生番組だったがブログのタイトルがアップでチラッと0コンマ何秒映っただけ。サブリミナル効果にもなってなかった(笑)

 地元郡山市の話題を配信してる「いいね!郡山」なるサイトから「郡山の話題の店なども出てるのでブログを掲載したい」との連絡あり。そのページの「人気ブロガー一覧」をクリックすると拙ブログが共有されている。掲載料は当然0円。

 過日は「Trip-Partner」なる旅行会社から原稿依頼が来た。「食べ歩きや土産など観光客向けに、画像入りの記事を書いて貰えないか」とのことだった。

 暇潰しに悪くないなと思って連絡してみたものの、文章の送信などが「Chatwork」なるサイトを使わないとイケないらしく、これが愚生にはチョッと使い難く面倒臭いので止めた。原稿料は2000字で2000円らしい(笑)

 2000文字で2000円なら10件書いて2万円、100件で20万か。まぁ、地元のネタの「汚れた顔の紳士達」で、たま~に頂く原稿料で十分だな。つ~か、最近は右翼活動家じゃなく単なる引篭りのブロガーになってしまった感は否めない。呵呵。

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2021年06月03日

愛子内親王殿下を即位させることで皇統断絶の完遂を目指す

 衆院内閣委員会で立憲民主党の玄葉光一郎(福島3区)が憲法第二条の「世襲」に関し質問。加藤勝信官房長官は「天皇の血統に繋がる者のみが皇位を継承することと解され、男系、女系の両方が含まれる」と答弁した。

 驚くべきというか、この認識には厭きれるしか無い。敬宮愛子内親王殿下を含めて現皇室には「男系」しかいない。「女系」というのは何を指しているのか。これは現憲法が未来永劫継承される認識であり、女性宮家成立後の皇統を論じている。

 安倍政権下で成立した「退位特例法」には、皇位継承問題を施行後速やかに行う旨が附帯されている。反天皇と皇統断絶に与する共産党や立憲民主党は「女性天皇」へ蠢き出し、保守派を自任する自民党がマヌケにも「女系」容認を謀る。

 女性は天皇になれる。だが、女性が天皇に就くというのは普通の生活は送れないということを意味する。女性天皇論者は、天皇としての国事行為や祭事の重要性を理解していないから安易に語れる訳で、天皇を軽んじてる証左でもある。

 多くの国民は陛下の御公務の御負担を「女性宮家創設で軽減する」と思っているが、天皇が重んずべき「祭祀」の代行は名代として掌典長のみが許され、「国事行為」の代行は憲法第四条の第二項よる委任か摂政のみが可能である。

「摂政」を置くにしても皇室典範と憲法に基づかねばならず、女性宮家を創設し国事行為を担わせるのならば憲法第四条を改正しなければならないが、そうした議論もせずに「女性天皇」や「女系天皇」の話を持ち出すこと自体が異常だ。

 改憲論議にしても第九条ばかりで、第一章の「天皇」の条項が議論されることはない。第七条は「天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ」と明記されており、天皇は以下の項目を行っている。

一 憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。
二 国会を召集すること。
三 衆議院を解散すること。
四 国会議員の総選挙の施行を公示すること。
五 国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること。
六 大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を認証すること。
七 栄典を授与すること。
八 批准書及び法律の定めるその他の外交文書を認証すること。
九 外国の大使及び公使を接受すること。
十 儀式を行ふこと。

 第一章に明記される公務の代行は皇太子(現皇嗣)殿下しか成し得ないということ。女性皇族は精精「外国の大使及び公使を接受すること」や「儀式に参加する」ことくらいで、何より天皇としての祭祀を代行することは出来ない。

 野党やマスコミが天皇を慮るかの如く「公務の御負担を女性宮家を創設ですることで軽減する」と訴えてはいるが、国民を誑かす詭弁の何ものでもない。

 女性皇族が結婚することで皇籍を離れるのは「今後は一般国民としての生活を重んじよ」との天皇の大御心でもある。そうしたことを理解せず、安易に女性が天皇に成れないのは女性差別であるかの様に女性天皇論を語ることこそ女性差別である。

 過去に八人の女性天皇が存在した。その全ては男系の「女性天皇」であり、敬宮愛子内親王が天皇に即位されてもそれは男系の女性天皇となる。愛子天皇が御成婚となり第一子を儲けた場合、それは男系ではなくなる。

「女系天皇」論は、愛子内親王が御成婚遊ばされ嫡子が授かれば、その子は「女系」となる。内閣委員会の議論は、ここまで踏み込んでいるのだが、愛子内親王の御相手が一般人だったらどんなことになるかは想像しても分かるだろう。

「旧皇族と結婚すれば問題ない」という声もある。ならば皇籍復帰を先に行うべきであり、本末転倒とはこのこと。若し御相手が元皇族でなかったらどうなるのか。過去八人の女性天皇が嫡子を産まなかった意味はそういうことだ。

 秋篠宮悠仁親王殿下が継がない限り皇統は潰える。自民党保守系グループが「女系天皇」や「女性宮家」は、日本の伝統や皇室の終焉に繋がると指摘し、旧宮家の皇籍復帰を提言したが、女性皇族との養子縁組の項目は違和感を覚える。

 有志議員らは「特例法で可能」との認識を示すが姑息さは拭えない。旧宮家の皇籍復帰は憲法第十四条に抵触する恐れもあり、如何に皇統を維持して行く上で現憲法が我が国の国柄をも損なっていることを広く国民に訴えるべきだ。

 憲法以前の御存在であらされる天皇を皇統無視の現憲法の範囲内で収めようとするから更なる矛盾が生じる。現憲法第二条は「皇位は世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところによりこれを継承する」と記されている。

 つまり、上皇陛下から徳仁陛下への皇位継承は合憲だが、秋篠宮皇嗣殿下への皇位継承は世襲とはならない。第一条の「国民の総意」を理由に天皇を違憲の存在とする左翼勢力は、皇統断絶を謀る上でも皇嗣殿下の即位は憲法第二条違反と叫ぶだろう。

 男系男子に限定する皇位継承や宮家を「女性が天皇になれないのは可笑しい」だとか「女性宮家がないのは女性差別」だと絶叫しているのは、全共闘世代でもあり「男女共同参画社会」を成立させた名うてのキチガイ共と性的変質者らだ。

 男女共同参画社会は、その名の通り「共産(共参)社会」の実現であり、「女性宮家」や「女系天皇」論は、祖国日本の解体を目論む左翼勢力に因る反天皇運動である。ジェンダーフリー(平等)という怪しい世論の動きに騙されてはならない。

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2021年06月02日

女子テニスプレーヤー大阪なおみ選手の「鬱病」告白に思う(笑)

 女子テニス世界ランキング2位の大阪なおみ選手が四大大会の全仏オープン第2戦を棄権した。第1戦後に行わなくてはならない記者会見を拒否し、主催者側から1万5千ドルの罰金を科せられており今後の去就に注目されていた。

 大会を棄権した大阪選手はtwitterで大会関係者へに謝罪した上で、自らが「鬱病(うつ病)」を患っていたことを公表すると、世界で賛否両論が渦巻いている。

 SNSでは「大阪の鬱病告白は後出しジャンケンだ」とか「鬱病でアレだけ元気なプレーが出来るのか?」とかくだらん議論に一喜一憂しているが、超一流のスポーツ選手でも鬱病などの精神疾患に悩んでいる事例は少なくない。

 試合後の記者会見が義務付けられているというが、決勝まで進んだとして同じ様な質問を何回受けなければならないのだろう。試合後の記者会見は敗者だけにすれば好いのではないか。優勝した選手は決勝後にじっくりとやれば好い。

 鬱病などの精神疾患は誰でも罹る可能性はある。斯くいう愚生も将来どころか明日食う為の術にも汲汲し、自宅に引き籠ってるから精神的に滅入る。つまらないことで怒ったり、イライラしたり、明らかな鬱病の症状も見られる(笑)

 朝鮮民族特有の精神疾患に火病(ファビョン)というのがある。精神的苦痛や衝撃後に、不当さ、侮蔑感、挫折感、無力感などが持続的に頻繁に現れる不適応反応の一形態で、憎しみと憤怒の感情状態が長く続く障害だという。

 因みに、驚くことに人口の8割以上に抑鬱症状が見られ、成人男女の実に半数以上が憤怒調節障害だという。直ぐカッとなる愚生も朝鮮民族に負けてはいない(笑)

「憤怒調節障害」とは、ちょっとしたことで突然激怒してしまい、その怒りを抑えられなくなる障害で、相手の人や、その人の持ち物を攻撃するという症状が出る。韓国の成人の半分以上が、憤怒調節に困難を感じているというから恐ろしい。

 日本でもサイコパス(精神病質者)と呼ばれる人は2、300人に1人の割合で存在するという。以外に多いというのが正直なところだろう。だが、サイコパスだとしても理性でその欲求や衝動を自己抑制している人が殆どだという。

 専門家は、サイコパスの特徴の一つとして口達者で社交的であり、表面的には魅力的に見える人物が多いという。 一方で自分自身を偉大な人物や、同情すべき「可愛そうな人」に見せる為にウソを吐くのが実に巧く、芝居染みた言行で「可哀相な人のふり」をして周囲の同情を引こうとするという手をよく使うという。

 無責任で問題行動が目立ち、用意周到に実行するが、一方で衝動的で刹那的な行動も目立つのも特徴だという。責任を追求されて心理的に追い詰められると、逆ギレするという。愛情や良心を持たないというだけでなく、あらゆる面で感情が希薄で表面的であるという特徴も共通してるという。ん~愚生も注意しないとな(笑)

 愚生の盟友も若くして自殺したが、アレも一種の鬱病だろう。自殺は精神的病気とされて、日本国内では精神科の通院患者は300万人以上いると言われている。このうち半年以上が愚生と同じく就労も就学もせず、社会復帰訓練もしていない。

 その数は年々殖え続け、将来的には癌などの成人病患者より鬱病などの精神疾患患者が上回ると言われている。こうした症候は現代社会を反映し、精神的に病んだ者の通り魔などの犯行は一種の甘えの様な、豊かな現代社会の側面を現している。

 鬱病などの精神病というのは、時代を反映し刻々と変化しているように感じる。最近話題の「鬱病」「引き籠り」「欲求不満」「ストレス」といった病は、一種の甘えであり、豊かな社会の副産物のように思えてならない。

 いつぞや、先の大東亜戦争を経験して、食べ物に乏しく物も無い次代を経験した方の話を聞く機会が有ったのを思い出す。あの当時、人々は食うや食わずで、食に有り付くことで精一杯。引揚者住宅に住み、市からの配給をじっと待つ日々を過ごしていて、「鬱病」や「引き籠り」などしていた日にはイコール「餓死」を意味した。

 何やら、近所には「兵隊おじさん」という人がいて、突然「伏せッ」と叫んだかと思うと地面に腹這いとなり、機関銃を撃つ姿勢を取って「だッ、だッ、だッ」と擬音を発し、匍匐前進して立ち上がり、敬礼して立ち去るのだという。大人にも子供にも人気者で、今考えると明るい精神病者だったのだろうなぁ(笑)

 先の大戦を侵略戦争と疑って止まない左翼人士や戦後民主主義者らは、昭和初期~大東亜戦争終結迄の時代を「あの暗い時代」などと喩える。だが、愚生にはそんなに暗い時代とは思えない。確かに食べ物も満足に食べられず、極貧に喘ぎながらも人々の心は現代よりは遙かに豊だったと思えてならないのだ。

 現代は、モノが溢れ欲しい物を簡単に手に入ることの出来る時代でありながら、人心は荒廃し、自殺者は増え続けている。自殺者は他人を巻き込むことはないが、最近の精神疾患者は陰湿で時には凶暴となるというから始末に負えない。

 現代では巷にモノが溢れ、簡単に手に入ることの出来る時代でありながら、人々の心は飢え満たされないのである。自殺者や精神病患者の多さを簡単に政治の責任にはしたくはないが、社会の何処かが狂っているのは確かだろう。「幸福の青い鳥」は決してモノなどではない。人と人のふれあいであり「絆」であると痛感する。

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2021年06月01日

我が国の貧困問題は経済的な問題よりも精神的貧困の方が深刻である

 最近は弱者を標榜して「貧困」や「差別」「人権」を主張さえすれば、然も当然かの様に主張する輩が目立つ。それを政局に利用しようと立憲民主党や共産党が便乗しマスコミが煽る。我が国の精神的貧困さの現れとしか思えない。

 朝鮮学校の無償化訴訟で元高校生側の敗訴が決定する一方で、先般、川崎で開催された音楽イベントに参加した在日の高校生が、SNSで「〇〇ヒトモドキ」などと揶揄されたとして匿名者を割り出して賠償金を請求し認められた。

 自民党前ではLGBTのグループが自民党の簗和生代議士の「生物学上、LGBTは種の保存に背くもの」との発言に噛付いて「差別だ」「人権が」と大騒ぎ。

「性的マイノリティ」を隠さない社会を目指せと言うが、差別や人権を主張する前に立ち止まって自分の置かれてる立場を冷静に見つめることも必要なのではないか。

 マイノリティとは少数派であり、少数派の意見を認めることこそ真の民主主義であるかの様な主張こそ本末転倒と言う他は無い。現代の怪しげな雰囲気に便乗して弱者や貧困を訴えさえすれば「保護されるのは当たり前」的な風潮は如何なものか。

 中国武漢ウイルス研究所に端を発した新型コロナの影響もあって、恥も外聞も無くここぞとばかりに生活の困窮を訴えては安易に生活保護という血税に集る。

 貧困を理由に生活保護を受給しているが、生活保護は近親者の援助も受けられず何らかの事情で働くことが出来ない人を扶助するシステムであって、働ける身体なのに生活費が足らないからと経済的困窮を理由に受給することは犯罪である。

 年金も同じく、老後に受給するというのは二の次で、働く現役世代が高齢者を扶助するシステムである。「年金はどうせ貰えないから」「長生きはしないから」との理由で年金支払いを拒否することは相互扶助の理解が足らない証拠である。

 年金の受給年齢の引き下げなどで誤魔化してるが、このままでは年金制度は崩壊するだろう。年金は支払った分を返還し、老後の生活は自己責任にするべきだ。現代日本人に足らないものは福沢諭吉が示した「国を支えて国に頼らず」の精神である。

 弱者というのは弱い立場だから弱者といのだろうが、その昔、作家の曽野綾子は、老人だから面倒見て貰えるのが当たり前だとか、住む場所が無いから救済してくれるのが当たり前という卑しい連中を「老人業」とか「難民業」と譬えた。

 最近はこうした「老人業」とか、原発事故を利用した「被災者業」に加えて「貧困業」が流行り、訳の分からぬLBGTが恥ずかしげも無く登場して「我々は優遇されるのが当り前だ」と言わんばかりに威張り、居直り、権利ばかりを主張する。

 因みに「当たり前」の反対語は「有り難い」であるというのを知ってるか。救済されるのが「当たり前」だと思ってる連中というのは、助けてやったところで当たり前ではない恩恵に「有り難い」とか「ありがとう」と感謝することは全く無い。

 我が国の貧困問題は経済的な問題よりも精神的貧困の方が深刻で、乞食根性丸出しで「優遇しろ」やら「カネをくれ」の大合唱は実に醜い。貧困や弱者を生業にしようとする連中に共通するのは国を支えようという気持ちなんぞ毛頭ないことだ。

 こうした連中から日本人の美徳である福沢諭吉翁が唱えた「痩せ我慢の気風」など微塵も感じることはなく、国民の模範であるべき政治家もまた党利党略・国民不在の政争を繰り返し、利権に集り、カネに群がる不逞の輩ばかりなり。

 こうした拝金主義の政治家らが、偉そうに経済論を語ったところで経済がまともに動くとは到底思えない。彼奴等の「経済戦略」とは名ばかりで、頭の中は単なるカネ儲けしかなく、鯔のつまり、カネの亡者である経済界の走狗というのが正しい。

 真の「保守」とは、祖国日本を信じ、我々日本人が未来永劫護り抜かねばならぬ民族、宗教、言語、歴史、価値観、習慣という世界の中で最も優れた我が国の精神文化を護り、継承して行くものでなくてはならないのだ。

 何より護るべきは皇統以外にはなく、天皇国日本が、異民族の支那人や朝鮮人を国内に抱え込むことによって多民族国家に変化し、混血によって日本民族の血が薄められ、それによって国柄が崩壊する様なことがあってはならない。

 こうした国家の根幹に係わる問題を、キチンと突き詰めた議論もしないまま、安っぽいムードだけでやれ「親善」だとか、やれ「グローバル時代の到来」だとか、「世界ではこうだ」とか「差別」だとか「人権」が実に曖昧な次元で語られる。

「人口が減れば労働力が減り国力も低下する」などとは営利至上主義に狂奔する経済団体の口実に過ぎず、喩え1億人を切ろうが、7000万人ほどになり、経済が停滞しようが、多民族を殖やして国柄が破壊されるより結構なことではないか。

 世界広しと雖も、美的感受性や道徳の圧倒的高さを有する国家は、我が国を措いて他はない。世界中が嘘八百並べても我が国だけは絶対にしない覚悟こそ必要。

 その覚悟に由って経済成長が鈍たとしても別に好いではないか。絶対に世界の真似をしないという、そういう自信や誇りというものを失ってはならないのだ。

 そういう意味では孤高の日本で好いのである。国防論より目先の経済戦略や経済成長を優先する余り、我が国體を壊すことを絶対に赦してはならない。そういう意味では将来的に攘夷や鎖国という選択肢もあって好いのだと思う。

 二宮尊徳は「経済無き道徳は戯言であり道徳無き経済は犯罪である」と諭したが、国防という国家の大本を忘れ去り。米国の価値観の押し付けと並行する魂無き繁栄に現を抜かしている今の日本人には道徳感覚を涵養することこそ大事であろう。

 愚生も自ら招いた悪因悪果で極貧に喘いではいるが、それも自業自得なのである。せめて国や自治体の世話にだけはなるまいとの意地だけ捨てない。呵呵。

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2021年05月27日

先人の気概に倣い祖国日本の独立と再建を果たさなければならない

 冒頭、個人的なことで申し訳ないが、昨日は糟糠の妻の手術があり約10時間に及ぶも無事に終了し、一先ずはホッとした。唯々恢復を祈るばかり。

 今日5月27日は「海軍記念日」である。明治38(1905)年5月27日、日露戦争に於ける海上での戦いである「日本海海戦」が行われ、東郷平八郎元帥率いる連合艦隊がロシヤのバルチック艦隊を撃滅し、終に勝利を収めた。

 この戦いを勝利することで、欧米列強に日本の地位を認めさせることとなり、幕末以来からの懸案事項であった不平等条約、つまり「治外法権」「関税自主権」という二つの不平等条約の克服を達成することになる。

「治外法権」は日清戦争後に克服したが、懸案であった「関税自主権」の回復を実現することで明治維新は成就し、真に独立を回復することが出来たのある。

 また、この戦争の勝利は、植民地にされていた民族の独立心を掻き立て、後の大東亜戦争後の植民地の解放に繋がったのは言うまでもない。

 日露戦争の世界史に於ける歴史的意義は、有色人種である日本人が白人に勝利することに因って、当時、白人欧米列強に植民地にされていた世界中の被抑圧民族を感動させ、独立への夢を駆り立てたことだろう。

 日露戦争での勝利は、世界の有色民族にとってもこの戦争での勝利は誠に大きな意義を持つものだった。そうした先人の努力と苦労の上に、現在のこの日本国が成り立っていることを現代を生きる我々は決して忘れてはならない。

 大東亜戦争後、占領政策によって訳の解らぬ「平和主義」が蔓延り、戦争=悪といった短絡的思考が常識化しているが、戦争というのは政治の延長であり、国際法上、紛争を解決する手段としては認められているのである。

 単純に「戦争か平和かを選べ」と問われれば、誰でも「平和」を選べに決まっている。だが、戦争の反対が平和ではない。

 国家間の紛争が、武力の行使なしに話し合いだけで解決されるのならばそれに越したことはないが、国際社会に於いては、平和的解決が話し合いだけで解決されることは殆んど無いのは歴史が証明している。

 戦争を放棄し平和的解決や非軍事的措置を採った方が遥かに犠牲者も多く、非人道的な解決になってしまう場合が多く、「戦争=悪」であるという短絡的な思考こそが、寧ろ暴走を招き戦争を招き寄せることに為り兼ねないのだ。

「日本国憲法」の前文に書かれている「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」というのは「念仏平和教」そのもので、第九条の武力に因る国際紛争の解決放棄を絶対的に信仰する状態こそが異常なことなのだ。

 戦後の日本人は「基本的人権の尊重」などと、国内に於いては権利を過剰に主張し続けているが、国際社会において、国家の権利を主張せずに黙り込むというのは、余りにも論理の整合性に欠けていると言わざるを得ない。

 北朝鮮の国家意思による日本人同胞の拉致に対しても何ら奪還する手立てを打たず、我が国の領土や領域をロシアや韓国に不法に占拠されている状況から脱ししきれない元凶は平和主義と基本的人権を謳う日本国憲法に在る。

 尖閣諸島や沖縄を併呑しようとする国が存在している中で、ただ指を銜えて傍観していることが果たして独立主権国家と言えるのだろうか。今こそ、明治人の気概に倣い祖国日本の独立と再建を果たさなければならない。

 今日は亡き親父の命日でもある。父は昭和3年生まれ、成績優秀ながら家庭は赤貧で進学叶わず、尋常高等小学校を卒業すると15歳で海軍に入隊、横須賀海軍工廠で海軍軍人としての人生が始まった。その後、土浦の予科練を経て終戦。

 終戦後、想い出の地である神奈川県相模原の地で土木作業員として従事し資金を貯め、数年後、帰郷し、古着屋の「相模屋衣料店」を起業した。

 その後、政治に興味が湧き町会議員などに関わったのが悪いのか、それとも親父の放蕩のせいか、多額の借金を背負い倒産の憂き目に遭う。

 昭和40年代に拵えた数千万という負債にもめげず、どこから聞き齧って来たのか「これからはカ(カレー)・ソ(ソバ)・ラ(ラーメン)時代だよ」と、当時は珍しかったラーメンを提供しようと「相模屋食堂」を開店する。

 因みに親父はラーメン修行はしていない。二本松市の製麺所の社長にラーメンの作り方を聞いて、道具を揃え、仕込みの練習もそこそこに一週間後には店を始めたという。親父のこの度胸とセンスは驚くしかない(笑)

 仕込みや仕事が丁寧だったのでホントに美味しかった。福島市の人気ラーメン店「佐川食堂」のスープを啜ると父と母の作ったラーメンを思い出す。今ではラーメンより煮込みカツ丼が人気だが、これも両親の遺産でもある。

 屋号の「相模屋」という名前を見れば、横須賀や相模原への思い入れが深かったことが分かるというもの。郷土に帰還後は4人の子供を育て、また町会議員を5期務めるなど地方自治や郷土の発展にも寄与した。

 ホント破天荒なオヤジだった。今思えば、20代での起業のことや軍隊時代の思い出をよくよく聞かなかったのが返す返すも悔やまれる。

 海軍軍人であり、何事にも厳しかったその父の命日が「海軍記念日」というのも不思議な縁を感じ、決して忘れることはない。南無大師遍照金剛。

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2021年05月26日

スーパームーンと皆既月食と天岩戸(あまのいわと)

 今夜はレッドスーパームーン。午後8時11分頃からは皆既月食が同時に起こるというから、天文ファンじゃなくても興味が湧く。 昨日入院したかみさんの手術が今日の午前9時から始まり、皆既食が始まる頃に終わる予定だから、月に祈ろう。

 3年前の1月31日にもスーパーブルーブラッドムーンと同時に皆既食が見られた。俄か天体ファンがカメラや愚生もスマートフォン片手に天体ショーを楽しんだ。

 天体観測は今やイベント化してるが、古来、日食と月食の日は「穢れの日」として、月や太陽から放たれる光は「妖光」として忌み嫌われ、幕末までは日食や月食の日は不吉な兆候とされ天皇の祭祀と政務を一切取り止めたという。

 天変地異や疫病などが起きると本気で信じられ、この妖光から天皇の玉体を護って来たことが伝えられている。こうした「不吉」は別に神道だけに限ったことではなく、ヒンズー教なども「災いが起こる前兆」として恐れ、祈りを捧げる。

 何故に天皇を日食・月食の妖光から護るのか。その理由は、玉体を護ることが、日本国の自然と社会の秩序を維持するために枢要なことだったからだ。その玉体安寧を維持することが、政治の核心の一つだったのである。

 日本神話の中でも有名なのが「天岩戸(あまのいわと)」だろう。太陽神である天照大御神が天の岩戸に篭ってしまい世界が真っ暗闇になり悪神が蔓延ったという話があるが、この話も皆既月食や皆既日食の出来事を喩えた話しだろう。

 伊邪那岐神(いざなぎのかみ)は「天上界を天照大御神が、夜の国を月読命(つきよみのみこと)が、海原を須佐之男命(すさのおのみこと)が治めよ」と命じた。

 ところが須佐之男命だけはその任務を果たさず、その為に悪神が蔓延り、諸々の禍が彼方此方で湧き起こる始末だった。伊佐那岐神は酷く怒り追放した。

 須佐之男命は姉の天照大御神を頼るが、暫くは大人しくしていたが元々気性の荒い須佐之男命は、程なく種々の乱暴を働くようになった。

 天照大御神の耕す田を壊し、御殿に糞を撒き散らしたりして手の付けようがない。それでも天照大御神は大目に見ていたが、服屋(はたや)で神聖な衣装を織っていると、皮を剥いだ馬が屋根を打ち抜いて投げ込まれ、服織女(はたおりめ)が死んでしまう事件が起きた。犯人は当然ながら、須佐之男命である。

 これには流石の天照大御神も激怒し「天の岩戸」に隠れ篭ってしまった。その為、世界は暗闇となり、悪神達が蔓延り始めたのである。

 そこで高天原の諸神である八百万の神々は、天の河原に集い策を取ることになり、思金神(おもいがねのかみ)の提案で、先ず岩戸の前に常世の長鳴鳥を集め鳴かせることに。次に伊斯許理度売命(いしこりどめのみこと)に八尺鏡、玉祖命(たまおやのみこと)に八尺勾玉を作らせ、布刀玉命(ふとだまのみこと)には御幣(みてぐら)を持たせ、天児屋命(あめのこやねのみこと)には祝詞を奉れせた。

 こうしておいて、岩戸の真ん中で天宇受売命(あめのうずめのみこと)が乳房や女陰を露に神憑りの踊り(今でいうストリップか)を大乱舞した。これを見て八百万の神々がどっと笑うと、天照大御神は気になり岩戸をそっと開ける。

「何事か?」

「あなた様より貴い神が現れたので皆喜んで騒いでいるのです」

 差し出された八尺鏡を見た天照大御神は、そこに映った自分の姿をその貴い神と勘違いし、猶もよく見ようと身を乗り出したところを、怪力の天宇受売命が岩を投げ飛ばした。そして、天照大御神が外に出ると漸く世界に再び光明が戻ったという話し。「天岩戸」こそ太陽神の天照大御神を信仰する我が国らしい神話であろう。

 スーパームーンと皆既月食という自然現象に多くの子供達も興味を持つ子供も多いが、科学万能の時代にこそ日本人としての自覚を促す意味でも「天岩戸」の神話を始め、古来の日本人の考え方や教えも伝承して行かなければならないと痛感する。

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2021年05月24日

賤民(せんみん)史観の歴史にこそ現代日本の潮流が存在している

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 歴史の授業で「士農工商」という身分制度は習うが、その下の人間以下の存在とされた「穢多(えた)非人(ひにん)」のことは教わることはない。

 その理由は「差別はいけない」という単純なものだが、そうした存在を黙(もだ)し、歴史から消してしまうことが果たして好いことなのだろうか。

 歴史にそういう負の時代が存在していたのであれば、その成否はどうあれその事実を教えなければ「差別」の意味さえも理解することは出来ないだろう。

「穢多非人」とは、江戸時代の幕藩体制下で所謂「士農工商」の更に下の下位層に位置付けられた人々のことで「賤民(せんみん)」とも呼ばれる階級である。

 大辞林には「皮革の製造、死んだ牛馬の処理、罪人の処刑・見張りなど末端の警察業務に従事させられ、城下外れの特定の地域に共住させられた」との説明がある。

 明治以降は、穢多非人の称が廃止されたが、この下位層は「新平民」と呼ばれ、現代では「同和」や「部落解放同盟」などが存在し、不当な差別を訴えている。

 江戸時代、同心を手伝った岡っ引きや十手持ち、罪人の世話や処刑、牛馬処理などを担ったという。明治以降にも屠殺に関わり、精肉店や革製品製造などに従事してる人に多いと言われ、歌舞伎や芸能なども非人の起源と言われている。

 清掃業や建築業、獣医や葬儀などの職にも従事したという。現代ではそうした過去に忌み嫌われた職業も勝ち組となり、その利益もかなりなものだ。やっぱり、商売というのは人がやらないことをやるのが儲かる近道であり秘訣だと痛感する(笑)

 愚生の敬愛する、現代の思想家で評論家の新崎智こと呉智英(くれ ともふさ、ご・ちえい)は、差別問題について逆説的にこう述べている。

「差別は正しい、差別と闘うのが正しいのと同じぐらい正しい。人類が目指すべきは『差別もある明るい社会』である。差別さえない暗黒社会にしてはならない」。哲学的ではあるが「差別もある明るい社会」とは実に示唆に富んでいる。

「差別表現」で思い出されるのは、現地取材も無しに怪しげな関係者の風聞を基に書き上げた、沖縄戦での集団自決を扱ったフィクション本「沖縄ノート(岩波書店)」だ。文中には「25年ぶりの屠殺者と生き残りの再会」との表現がある。

 岩波書店が昭和62(1987)年に発刊した「報道写真家」というのがある。この中で「戦場という異常な状況下では牛や豚などの家畜の虐殺と同じになる」という記述が問題にされ、部落解放同盟の抗議もあって直ぐに回収処分となっている。

 岩波書店は同じ差別表記の「沖縄ノート」も絶版にすべきだが、何故かマスコミからも部落解放同盟からも糾弾もされず、それどころかアホな裁判官がこのインチキ本を「沖縄集団自決軍命令」の証拠として採用し、摩訶不思議な判決を出した。

 大江の差別表記に、愚生は岩波書店に連絡し「部落解放同盟からの抗議や絶版の申請は無かったか」と聞いたが、担当者は「ありません」と憮然と答えた。大江健三郎のみが赦され、神格化される理由は果たして何なのか。

 過去に部落解放同盟が出した「神格化したものの考え方を一掃したい」という声明はウソ。要は、差別という権力が忌み嫌う言葉を都合好く利用しての反日工作というのが正しく、部落解放こそ相手に拠ってコロコロ変わる差別主義者である。

 幼稚な倫理観やキレイゴトによって、何でもかんでも「差別はいけない」と規制されてるのは逆差別の様にも感じてしまう。そうした風潮が、同和や部落解放同盟の差別ビジネスやアイヌ利権に繋がっていると言っても過言ではない。

 保守派や自称愛国者の中では日本人の倫理観の低下を憂い教育勅語を指導原理とする道徳教育を推進し、戦前の「修身」を復活するべしという声も聞く。

 だがどうだろう。修身には、例えば「おたけがめくらのてをひいて」という頁があり、幼少のおたけが障碍者の手を引いて助ける絵が描かれてある。障碍者への労りや優しさを教えているのだが、「めくら」は現代では差別用語だからダメだわな。

 昔の日本映画や古典落語などには、盲(めくら)、唖(おし)、吃(ども)り、跛(びっこ)、聾(つんぼ)などの放送禁止用語がバンバン飛び交っているから聞いててもリアルで、使われている日本語そのものが実に興味深いものばかり。

 そこには懐かしくも美しい日本語が処処に溢れていて、こうしたことを気にしながら観たり聴いたりすることこそ生きた耳学問であり実践した教育でもある。また、そうした語彙を知らないと意味不明で愉しさも半減してしまう。

 悲しい哉、現代に於いては差別用語は厳禁。更には、男女共同参画社会が主流の現代では差別用語どころか変な日本語や左翼造語が彼方此方に氾濫している。

 日本語教育や自国の歴史教育は国家の大本でもある。歴史を学ぶ上で、戦国時代や武将や偉人の生き様を学ぶのも好いが、江戸時代から明治にかけて旺んだった穢多非人の賤民史観の負の歴史にこそ現代日本の潮流が存在している様に思う。

 米国が謀った戦後民主主義教育や長州閥の明治新政府の不条理を検証することも大事だが、賤民史観の歴史を公平公正に教えることで差別が解消される。

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2021年05月17日

右翼(RIGHT)で何が悪い(笑)

 我が国を見渡せば一億評論家時代と言っても好いだろう。今やジャーナリズムに正義は存在せず、マスコミが垂れ流す安直な論評に一喜一憂し、右も左もサラリーマンも主婦も正義を振り翳し「政治を糺す」と声高に叫んでいる。

 マスコミは、国民の安直な正義感に迎合し、マスコミ御用達のコメンテーターやアホタレを登場させては偏った私感を居丈高に振り翳し、国民を煽動し続けている。

 政治とは国家観や歴史観を重んじながら、国民目線とはかけ離れた政治哲学や人間観、世界観、時には高度な権謀術数を必要とするものなである。国民目線とは、ワイドショーに煽られた平均的意見であり、国民に迎合するのは危険な兆候でもある。

 政治家は次の選挙しか頭に無く、国民の目を気にして「国民目線の政治を行う」と、然も国民を慮った様なキレイゴトを吐く。だが、民主主義の本質は国民目線に立つことではないし、平均的な国民を創り上げることでもない。

 政治が国民目線に立った歴史を振り返れば国は滅ぶというのは世の常でもある。何故なら国民の判断力は古今東西常に低く実に幼稚で気紛れなものだからだ。

 ネット(SNS)では自称保守派や自称愛国者らが将来を熱く語り、意にそぐわない意見には雑言を浴びせる。左翼もまた安っぽい平和主義で国民を誑かす。

 だが「正義」というのは実に難しく、あやふやな存在でもある。また、政治を糺すにしても政治の仕組みや選挙の仕組みが旧態依然だもの変わり様がない。

 政治が立派に機能して、政治家がちゃんと政治をしていれば、国民が政治を意識することも無く、自分の仕事に打ち込んでいられるものなのだ。

「胃痛の時に初めて胃の存在が意識されると同様に、政治なんてものは、立派に動いていれば、存在を意識される筈のものではなく、況して食卓の話題なんかになるべきものではない。政治家がちゃんと政治をしていれば、鍛冶屋はちゃんと鍛冶屋の仕事に専念していられるのである」との三島由紀夫の言葉は実に正鵠を射ている。

 自分の仕事もほっぽらかして政治の話題に一喜一憂している様は、正に政治が機能していない裏返しでもある。サラリーマンや主婦らが政治に関心を持って騒いでいる様では、衆愚政治はこれからも続くということでもある。

 そして行き着く処まで行かなけりゃ気が付くことも無い。そしてその時に「維新」という革命が起こるのだ。維新者はいつかの一旦緩急に備え己を鍛え上げよ。

「日本は滅びる!」「日本が危ない!」と徒に危機を煽り、祖国日本が恰も滅亡するかの様に叫ぶ自称保守や営業右翼が溢れている。それらの意見に自称愛国者が便乗し「尖閣を護るには憲法第九条を改正するしかない」と騒ぎ立てる。

 九条改正こそ究極の護憲運動であるということすら理解していない。「天壌無窮の神勅」を疑い、神国日本の不滅を確信せずに何が保守か、何が愛国者か。

 正統保守ならば、神州不滅を信じ、神武肇国の精神の高揚と国家国民の繁栄を目指すことこそ大事であり、憲法九条なんぞ末の話だ。我が国は、天照大神の「天壌無窮の神勅」に従って存在し、現在に至っているのを知らないのか。

 吉田松陰は「この神勅ある限り日本は永遠なり、日本の将来を悲観することは神勅を疑うという罪を犯すものである」と訓える。日本を愛し、国體護持を訴えると何故か「右翼」と蔑視され、自称保守派からも「朝鮮右翼」と罵られる(笑)

 自称保守派や自称愛国者らは、既成右翼への嫌悪感と蔑視から「自分達は右翼ではない」と否定する。だが、右翼を英語でいうと「right」だし、「all right」とは「よろしい」とか「差し支えない」、「任せろ!」といった意味だ。

 愛国者は「patriot」というが、右翼はrightであって愛国者でないというのはこういうことで、そういう愚生も愛国者などと逆上せ上ったこともない(笑)

 右翼という言葉には本来こういう意味を持つと理解してるので、右翼という世間からの嘲笑や蔑称を恥ずかしいと思ったこともない。右翼で何が悪い(笑) 

「今の時代はますます複雑になって新聞を読んでもテレビを見ても真相はつかめない。そういうときに何があるかといえば自分で見にいく他ないんだよ。いま筋の通ったことをいえば皆右翼といわれる。大体“右”というのは、ヨーロッパの言葉では“正しい”という意味なんだから(笑)」と三島由紀夫も言ってるではないか(笑)

「all right」。そう、汝臣民が全て右翼になれば事は解決する。呵呵大笑。

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2021年05月15日

本日は「沖縄本土復帰記念日」だが自主防衛を語らない沖縄左翼は中共の単なる駒でしかない

 5月15日は「沖縄本土復帰記念日」。昭和47年に沖縄が本土復帰する前、当時の首相だった佐藤栄作が発した「沖縄が帰らずして日本の戦後はない」との言葉は当時未だ小学生だった愚生にも大きく響き、その記憶は消えることはない。

 戦後、米国に統治されたのは沖縄だけではない。伊豆諸島は終戦翌年の昭和21年3月22日に、トカラ諸島は昭和27年2月10日に、主権回復した翌年の昭和28年12月25日には奄美諸島が、昭和38年6月26日には小笠原諸島が本土復帰した。

 言い方は悪いが、これが米国による統治だったから好い様なもので、旧ソ連(ロシア)に侵略され不法に強奪された南樺太や全千島列島は未だに返ることはなく、旧島民の方々が故郷へ帰ることすら儘ならないことを思えば恵まれている。

 沖縄では「米軍基地反対」さえ叫んでいれば平和が訪れると思っている県民も少なくないが、「反基地運動」にしても米国だから許されているとは思わないか。

 米軍の撤退はイコール中共からの併呑を意味する。米軍撤退を叫び自衛隊による自主防衛を訴えるなら未だしも、沖縄左翼は自主防衛は全く語らない。これつまり、沖縄左翼は沖縄併合を謀る中共の単なる駒でしかない。

 沖縄全体がきちんと突き詰めた議論が為されない儘に、安っぽい平和主義と過剰な被害者意識から、日本政府と米軍にその矛先が向けられている。

 これ恰も、安全保障という正論を語れる雰囲気は無く、唯単に「反日」や「侮日」で結託し、罵詈雑言を浴びせかける隣国と同じ構図と実に似たり。

 地理的に日本と支那の中間に位置する沖縄は、日本から見れば同じ日本人だが、支那や沖縄から見れば寧ろ支那と同族の関係にあった。住民は日本本土から南下し住みついた日本人と、ポリネシア系や台湾系、支那華南系だとされている。

 明の時代に支那に入貢して琉球国・中山王として冊封を受け、奄美大島から先の宮古・八重山までの領域を支配する中央集権国家を築いた。

 日本への使者の派遣は室町時代になってからで、徳川幕府の命令で島津藩が琉球に出兵し奄美大島を直轄化した歴史はあるが、琉球はその後に支那大陸に誕生した清朝の冊封も受け、日本と清の両属の二股外交の立場を採った。

 琉球は日本文化が拒絶した宦官制度を導入していたことでも支那との関係が深く、また日清戦争の際には日本派と清国派が乱闘を演じたことは歴史的事実。

 日本に帰属しながら「日清両属」を主張する琉球を沖縄県として統合した「琉球処分」は、日本の国土統一を進める明治政府にとって不可避の課題だった。

 明治5年、明治政府は琉球藩を設置し、琉球王の尚泰を藩王に任命する。明治12年には「廃藩置県」の通達に由り、首里王府を解体し沖縄県を置いた。

 しかし、清国はこの琉球処分に猛反発。東京や北京で沖縄の分断工作を謀ろうと国際問題化させる。清朝の摂政・恭親王と直隷総督・李鴻章は、北京訪問中のグランド元米国大統領と会見し、琉球問題の仲介を依頼する。

 その後、日本を訪問したグランド元大統領は、伊藤博文と西郷従道と栃木県日光で会談するが、逆に清朝の旧態を批判し、日本を支持したのだった。因みに、グランド元大統領は英国でも「琉球処分」での日本の論拠を擁護している。

 日光での会談後、東京でも日本政府とグランド元大統領との会談が持たれることとなり、その会談には畏くも明治天皇も御臨席遊ばされた。当時の日本外交が用意周到に展開されたことを窺わせるものの一つであろう。

「琉球処分」後も、沖縄本土では親清派の「頑固党」と親日派の「開化党」との抗争が絶えなかったが、その後に勃発した「日清戦争」で我が国が勝利すると、親清派(頑固党)は沈黙し、初めて沖縄が静穏に発展し軌道に乗ったのである。

 国内では相変わらず親中派や沖縄左翼が沖縄を攪乱しているが、これは過去の琉球処分への報復が着々と謀られているということでもある。過去に民主党政権下で奨められた「沖縄ビジョン」はその最たるもので、その首謀者は中共である。

 その革命運動の序章が米軍基地反対運動であり、平和の邦・沖縄という無防備の邦の演出である。自主防衛を語らない反基地運動は正に無防備の害そのもの。

 自主防衛を否定する現憲法を「平和憲法」と騙り、安っぽい平和主義を翳すことこそが戦争を誘発する最大の危険要因となることを思い知るべきだろう。

「戦争を誘発する大きな原因の一つは、アンディフェンデッド・ウェルス(無防備の害)だ」と訓えたのは三島由紀夫だが、蓋し正論。軽々しく「平和」を訴えている政治家こそが政治や外交を危ぶみ、戦争を誘発する最大要因となる。

 今の時代「平和」とは唱えるものではなく、いつまでも米国に依存すべきものでもない。「平和」とは自らが命懸けで創り出さねばならないものである。

 沖縄では未だに「日本は沖縄を見捨てた」「日本は沖縄を捨石にした」「日本軍は沖縄の敵であった」などとの声を耳にする。だが、沖縄と祖国日本を救う為に、尊い命を捧げてくれた英霊が存在していることを忘れてはいけない。

 先の大戦での「沖縄戦」に於いて、劣勢を覆す為の特攻攻撃が行われた。特攻戦死者の実に76%が沖縄戦で亡くなっている。鹿屋基地(海軍航空)からの特攻で1981名、知覧基地(陸軍航空)からの特攻で1036名が散華している。

 沖縄全体がきちんと突き詰めた防衛議論が為されない儘に、安っぽい平和主義と過剰な被害者意識から、日本政府と米軍にその矛先が向けられているが、いつまでも被害者意識では自らの命を犠牲にした英霊にどんな顔向けが出来るというのか。

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2021年05月13日

武漢ウイルスの90%が変異株に置き換わった

 国立感染症研究所は、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の武漢ウイルスが、N501Yの英国株やアフリカ株に置き換わったとする分析結果を報告した。

 見方を変えれば武漢ウイルスを粗制覇したということだろう。変異株の感染力は強いが、重症化は徐々に減って行く。変異株は自然の摂理でもある。ウイルスは宿主を殺すことではない。宿主の中で殖え生き長らえることにことにある。

 つ~か、「武漢ウイルス」や「武漢肺炎」は差別表記としながら、「英国株」「南アフリカ株」「ブラジル株」「インド株」と呼ぶのは好いというのも嗤えるな。

 ウイルスを無くすことは無理なのに、それを無視して「感染者ゼロ」を目指すというのは、反原発派の非科学的な大騒動から始められた除染作業と似たり(苦笑)

 新型コロナワクチンが出回れば騒ぎも沈静化するだろう。だが、その前に「新型コロナに治療効果の見られるアビガンを承認する」の一言で多くの国民の不安が払拭されるのに、何故か承認しないアホ官僚どもとマヌケな政治家ども。

 菅総理が批判の矢面に立たされているが、安倍政権下では新型コロナが国内に蔓延しているのに与野党ともに政争を繰り返し党利党略を優先した。コロナ対策の不作為や不手際を猛省することなく国民の自粛頼みとは本末転倒と言う他はない。

 後手後手の感は否めず屋上屋を架す菅政権。「特措法改正」で自粛に応じない店に罰金だとか言う前に、新型コロナ発症元が武漢ということで中共政府に阿て対策を講じることなく、アビガンの認可すらして来なかった政治家を罰するべきだわな。

 新型コロナに罹患し、重篤な状況から生還した芸能人や著名人らが口を揃えてアビガンの有効性や特効性を訴えていたのは何だったのか。コロナに感染し入院した地元暴力団幹部も「死ぬかと思ったがアビガンが効いた」と言ってるぞ(笑)

 アビガンの有効成分「ファビピラビル」に関するライセンス契約を、富士フイルムと結んだ中共の製薬大手・浙江海正薬業が後発医薬品を増産し絶大な効果を発揮してるというのに、「日本人には有効性が無い」とはどういうことか。

 ワクチンとはウイルスの生体から作られ、弱毒化・無毒化された抗原のこと。抗原を体の中に入れることにより、ウイルスをやっつける抗体が出来る。その抗体によってウイルスから守られるのだが、アビガンはワクチンではなく有効な治療薬だ。

 ウイルスに勘違いを起こさせて、取り込ませることによって、ウイルスの増幅を止めてしまう化学物質であり、効果的な日本製ワクチンが開発されるまでの治療薬としてアビガンを認可し使用することに何に憚り躊躇する必要があるというのか。

 専門家らは「安全性」「副作用」という理由を吐けて反対してるが、アビガンを製造した会社が製薬会社じゃなく富士フィルムというのが理由だろう。アビガン承認を遅らせ、製薬会社からの論功行賞を狙いってるというのが正しい(苦笑)

 多くの国民がアビガンに抱くイメージは新型コロナウイルスへの不安解消や罹った際の安心感であり、承認の遅れは国民の期待に水を差すものでしかない。

 新型コロナ対策として現在の「二類感染症」指定から「五類」に指定すべきという声がある。確かに、新型コロナは年間数千人から1万人以上が死亡するインフルエンザと比べても死者数は変わらない。要は、単なる新型のインフルエンザだ。

 連日、新型コロナの感染者数と死者数を報じているが、この数値に意味があるとも思えない。どんなコロナも変異して行くもので大騒ぎする必要も無い。

 武漢発症の新型コロナが騒がれ出して約1年半が経つ。連日、感染者の数を仰々しく報道するが、我が国の感染者は66万人と諸外国に比べて正に「さざ波」程度。死者も1万1214人(5月12日現在)と癌死亡者の100分の1程度しかない。

 世界の死亡原因の第1位は微生物感染症で1500万人。続いて心疾患、癌、脳疾患と続く。だが、飢餓での死者は年間で8億2100万人(2017年の統計)で、毎日2万5000人が亡くなってるという。コロナより飢餓問題に危機感を持つべきだと思う。

 令和2年の自殺者数は21081人。人工妊娠中絶数は1年間で実に17万5000人と言われている。コロナで大騒ぎするより対策を講じるべき問題は少なくない。

 ワクチン接種も始まったし、罹患者急増で病院の収容人数がパンク寸前なことも考慮してアビガンを早期に承認して民間医療機関で対処出来る様にするべきだ。

「五類指定となったら医療費は全額自己負担となってしまう」との声も聞こえる。抗ウイルス薬「レムデシビル」は1回分(5日間、6本)で25万円。最高で2回投与で合計50万円。保険適用により3割負担になっても15万円だと煽る。

 アビガンを認可し「特例」を設けて無料にすれば済むことだろう。要は、政治家の決断力だ。アビガンとワクチン投与で沈静化すれば特例を解除すれば好いだけ。初動対応のミスが現在に降りかかってることを率直に受け止めて対処するべきだ。

 コロナ禍が落ち着いたら新たな冷戦時代として世界の枠組みが変わるのは必至だろう。我が国が今やるべきは、コロナの蔓延を防ぎ経済成長を成す台湾の対応や施策に学ぶことだが、そうした対策を講じることなく屋上屋を架すばかり。

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2021年05月11日

「ノモンハン事件」を始め捏造された歴史を鵜呑みにしている日本人

 昭和14年(1939年)5月11日、蒙古との国境ハルハ河を越えて蒙古兵が満州国側のノモンハン地区に侵入する。所謂「ノモンハン事件」である。日本軍はこれを撃退したが、蒙古軍は駐留ソ連軍と共に再三に亘り侵入を繰り返した。

「ソ連軍は大量の戦車を含む大兵力を動員してハルハ河を越えて侵入し、ここで大激戦が展開されることとなった。8月20日には、ソ連軍は10万近い軍を動員し、2万人弱の日本軍に対し総攻撃を仕掛け、日本軍は大打撃を被った」

 これが日本人の信じるノモンハン事件概要だ。歴史探偵を自任する半藤一利や司馬遼太郎もそうだし、五味川純平なんぞはその最たるもの。何しろソ連の公式発表した日本軍の損害は52000人、ソ連軍9284人との数字を真に受けている。

 昭和12年に始まった「日支事変(支那事変)」から2年後に、何故に満州と蒙古の国境で突如この様なソ連軍との激戦が発生したのだろうか。

 実はこの1年程前にソ連は、ソ満国境の張鼓峰で侵入事件を起こしていて、この時には日本軍はソ連側に5500人の大打撃を与えて撃退した。だが、この時、日本軍がソ連領に侵入して来ないことをスターリンは見逃さなかった。

 ソ連がナチスドイツに勝利出来たのは、このスターリンの判断に拠るところが大きい。歴史に「もし」は無いが、あの時、日本軍がソ連に更なる猛攻を仕掛けていれば、ドイツと共にソ連共産党を打ちのめしていただろう。

 希代の悪党で戦略家のスターリンはヒトラーのソ連攻撃を予測し、東側からの脅威を除く為に日本と中華民国とを戦争に引き込むことに残力を挙げそれに成功した。第二次世界大戦が共産主義による策謀だった証左の一つであろう。

 盧溝橋事件や上海事件では策謀に成功したが、予想外に日本軍が強い。そこで日本側がどう出るかを偵察したのが「鼓張峰事件」と「ノモンハン事件」だった。

 ノモンハン事件で日本との「停戦合意」が成立した翌日の9月17日、スターリンはポーランド侵攻を命じ、ソ連軍はポーランドに侵入を謀り、また「ノモンハン事件」は共産主義者によって悪宣伝に使われた。

「貧弱な装備で旧式戦法の日本軍が、ソ連の進んだ機会化部隊に完膚無きまで叩きのめされた」という日本軍を貶し自国の軍隊の勇ましさを喧伝するものだが、悲しい哉、日本人の多くは未だそうした捏造された歴史を鵜呑みにしている。

 ソ連が崩壊し情報公開されて判ったことは、ソ連の損害は26000人、日本軍18000人と、実はソ連の損害は日本側を大きく上回っており、然も日本軍は、ソ連の戦車・装甲車800両と航空機1673機を撃退しているという歴史的事実である。

 10万近い大兵力を動員した側は損害は少ないと教わったが、結果はその逆だった。ということは、如何に日本軍が強かったかということの証しでもある。

 抑々、歴史と言うものは為政者に都合の好い様に作られるもの。歴史は国の大事である。明治開国以来の様々な歴史を再検証し日本再建の一歩とせよ!

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2021年05月09日

旧宮家の再興は皇室の本分である祭祀を継承して戴くということにある

 ここのところ影を潜めていた「女性宮家」や「皇位継承」の記事が躍っている。英国などの王室には尊称付きで報道するマスコミは、皇族に関しては徹底して「さま」呼ばわり。こんなんで宮家論や皇位継承を語ることが不思議でならない。

 京都産業大学名誉教授で、靖國神社崇敬会総代の所功も「愛子さまが結婚されても皇室に留まり、御両親を支えられる様にする必要がある」と「さま付け」、両陛下を「御両親」と不敬千万な宮家論を垂れ流していることに驚く。

 自民党内には「安定的な皇位の継承に向けて、女系天皇についても選択肢の一つとして検討すべき」「今の時代に女性の天皇が即位出来ない方が可笑しい」という意見が横溢してるのは、所功ら営業保守に因るところが大きい。

 自民党の河野太郎や二階幹事長らは「わが国の皇室はずっと男系で継承されてきているので、男系による皇位継承が続くのが一番望ましいと考えている。ただ現状は秋篠宮殿下、次の世代は悠仁親王殿下しかいらっしゃらないのが現状」と語る。

 秋篠宮皇嗣殿下並びに悠仁親王までの皇位継承が決まっているのに、何故に今、女性宮家や女系天皇、更には「内親王家」の議論をしなければならないのか。

「現在の皇室で男系を維持して行くのはかなりのリスクがある」との声が上がる。だが、そのリスクとは何ぞや。況してや「女系天皇についても選択肢の一つとして検討を行うべき」と言うが、そのリスクの方が大きいとは思わないのか。

「男系が継承されていることを強く期待するものだが、やはり万が一という事態を想定しておかなければいけないと思う」との「万が一」とは何を指すのか。こうした考えは、女性宮家創出や女系天皇容認論者の皇統断絶を謀る戯言に過ぎない。

 河野太郎は「例えば、内親王殿下、女王殿下が女性宮家として皇室に残られ、そのお子様が皇位を継承するというやり方もあるでしょうし、或いはGHQによって皇籍を離脱することになった旧宮家の男子が宮家を復活させるのか、養子に入るのか。養子に入るのも皇室典範の改正が必要だ」とも述べている。

 これは皇室典範第12条並びに第15条の改正が必要との認識だろう。女性宮家推進派は、皇室典範第12条の「皇族女子は、天皇及び皇族以外の者と婚姻したときは、皇族の身分を離れる」との条項を見直し女性宮家の創設を謀ろうとしている。

 旧皇族の皇籍復帰や養子縁組を成立させるには、同第15条の「皇族以外の者及びその子孫は、女子が皇后となる場合及び皇族男子と婚姻する場合を除いては、皇族となることがない」の条項の見直しが必要となる。

「1428年に御即位された後花園天皇の弟君が伏見宮を継承されて、その血筋の方々なので600年前に男系が分かれたのが旧宮家。そういう家の男子を戻す、或いは復活させることに国民の合意、支持が得られるのかという議論も当然ある」と指摘してるが、旧宮家の方には現在の陛下よりも血筋としては正統な方もおられる。

「今の日本国憲法第1条では、天皇の地位は国民の総意に基づく、とあるので、やはり国民の広い議論、国民の支持が必要になるんだろうと思う」とは正論だが、天皇を否定する共産党らが存在する限り「総意」にはならない。

 抑々、天皇とはどの様な存在であるかを理解していないから「男系」や「女性宮家」「女系天皇」などという議論に終始してしまっているのだ。況してや反天皇勢力は憲法第2条の「世襲」を曲解し、愛子内親王の即位を謀る。

 天皇とは諸外国の様な「王室」や「国王」の存在だと思っている人も多いが、分かり易く言えば日本固有の信仰である神道を伝え導く神主(神官)の最高の地位者であり、ローマ法王と同じく祈りを重んずる「祭主」である。

「女性天皇」「女性宮家」では天皇の重んじる祭祀が叶わない、神に仕える神事を執り行うことが憚れるのだ。別に女性差別ではなく、これが伝統というものなのだ。女性宮家や女系天皇論者らは国事行為をする便利な存在としか思っていない。

 女性が天皇に就くというのは普通の生活は送れないということを意味する。過去8人の女性天皇は全員独身で即位し、譲位以後も独身を通した意味は重い。

 女性天皇論者は、神道そのものの無理解と天皇が祭主としての祭事の重要性を理解していないから安易に語れる訳で、これこそ天皇を軽んじてる証左でもある。

 過去10代8人全ては男系の「女性天皇」であり「女系天皇」ではない。敬宮愛子内親王が天皇に即位されてもそれは男系の9人目の女性天皇となる。だが、愛子天皇が御成婚遊ばされ第一子を生んだ場合それは男系ではなくなる。

「旧皇族と結婚すれば問題ない」という声もある。ならば、昭和天皇が最後まで反対なされた皇籍離脱させられた旧宮家の方々の皇籍復帰を先に行うべきだろう。

 若し、愛子内親王の御相手が元皇族でなかったらどうなるのか。過去8人の女性天皇が嫡子を産まなかった重い意味を知るべし。女性皇族が結婚することで皇籍を離れるのは、一般人としての生活を重んじよとの天皇の大御心でもある。

 そうしたことを理解せず「今の時代、女性宮家が無いのが可笑しい」だとか「女性が天皇に成れないのは女性差別」と安易に語る。女性皇族を天皇の国事行為を補佐させる便利な存在と思ってることこそ女性差別ではあるまいか。

 安っぽい風潮(ジェンダー平等)で皇位継承を語り、「結婚されても皇室に留まり、御両親を支える」とは何事か。こうした愚論を垂れ流す保守派が国を亡ぼす。

 祭祀を継承するには旧皇族の復帰を図ることが重要で、廃絶になった秩父宮・高松宮、女性皇族しかいない常陸宮と三笠宮の祭祀を旧宮家を再興し継承するべし。

 皇位継承で大事なのは神武天皇以来の「男系」の血筋であり、「今上陛下とは血筋が違う」というのは近年の反天皇勢力に拠って創られた現代の価値観に過ぎない。

 旧宮家とは「伏見(ふしみ)宮」「閑院(かんいん)宮」「山階(やましな)宮」「北白川宮」「梨本宮」「久邇(くに)宮」「賀陽(かや)宮」「東伏見(ひがしふしみ)宮」「竹田宮」「朝香(あさか)宮」「東久邇(ひがしくに)宮」。

 旧11宮家の方々は北朝第3代崇光天皇の皇子、栄仁親王から始まる伏見宮の系統に属し今上天皇との関係は、室町時代の伏見宮貞成親王を共通の祖先とされている。

 河野大臣が「1428年に御即位された後花園天皇の弟君が伏見宮を継承されて、その血筋の方々なので600年前に男系が分かれたのが旧宮家」と説明されいる通り。

 内「山階」「北白川」「梨本」「東伏見」の4宮家は断絶しているが、東久邇家の系統には、歴代天皇と男系で繋がる男子が7名おられ、悠仁親王殿下と又従兄弟になる男子が5名、更に4名が生誕とのことで実に喜ばしい。

 東久邇宮盛厚王(明治天皇の孫)の妻は昭和天皇の長女である茂子内親王であり、上皇后陛下が民間から嫁がれていることをしても男系男子の正統性を有する。

 秋篠宮皇太弟~悠仁親王殿下の継承は決めっているが、東久邇家以外にも男系男子がおられ、皇位継承は旧宮家の皇籍復帰を成すことで盤石となる。

「長く民間人だった人が皇族になることに違和感」というのは付けたりに過ぎない反対理由であり、宮家を再興するということは男系男子の皇位継承の安定を図るだけではなく、皇室の本分である祭祀を継承して戴くということにある。

 大体「宮家」とは男系だからこそ宮家なのである。憲法以前の御存在であらされる天皇が、今や憲法中心の国事行為をやらせるだけの傀儡となってしまっていることを憂慮せざるを得ない。日本国憲法第1条から8条までの「天皇」条項を議論せよ!

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2021年05月05日

五月五日は「男子の健やかな成長を願う」端午の節句

 今日は「こどもの日」。古くは「端午の節句」として、菖蒲や蓬を軒に挿して邪気を払う習わしがあったが、江戸時代以降は男子の節句とされ、武家で甲冑や幟を飾ったことに倣い、町人も武者人形や鯉幟を立て祝う様になった。

「男子の健やかな成長を願う」ということに、いつものジェンダーフリーを妄信する性的変質者の左翼オバハンらが「女の子への差別」だと反発し今日に至っている。

 五月五日は別名「あやめの節句」や「菖蒲の節句」とも言われ、五が重なる「重五(ちょうご)」「端陽(たんよう)」と、縁起の良い日とされている。

「こどもの日」の趣旨とは、「未来を担う子供の人格を重んじ、幸福を図ると共に、子供は自分を生み育ててくれた親に感謝する日」である。

 制定された当時は「親」ではなく「生んでくれた母に感謝する日」だったが、この「母」にも前出のオバハンらが騒ぎ立て「親」となった。「母の日」は、欧米に倣い今月の第二日曜日に設けられてるが、本来は5月5日でもあったのだ。

 昨今、主流の「男女共同参画社会」とはこうした言葉遊びで男女の差別を無くそうというマヌケな謀に過ぎない。「子供」も今では「子ども」表記が氾濫している。

 文科省は平成26年6月、国会での議論を経て、左翼やマスコミが使用する「子ども」表記を「子供」に統一する通達を出した。だが、今でも改められることなく、通達を出した与党の自民党議員までも「子ども」を使用しているマヌケさ(苦笑)

 日本共産党やマスコミらが「子供」や「こども」ではなく、敢えて「子ども」表記を使うのは「子供」の「供」という字が、「お供え物」「お供する」などを連想させ、「差別的な印象を与える」というのがその最たる理由である。

「お供する」というが、その場合「お伴する」が正解。ならば、態態「子ども」表記じゃはなく、平仮名の「こども」で好いではないかと思うが、何故か文科省通達を無視して漢字と平仮名の「子ども」表記に固執している。

 悪党や政治家らを悪意的に「悪党ども」とか「政治家ども」とか詰ったりするし、古い映画などでは「野郎ども」「若造ども」などと言ったりする。「ども」とは敬意が低く、目下の者や見下した意味合いに用いられる場合が殆どだ。

 この場合の「ども」は漢字だと「共」だが、子供の「供」を「子ども」と表記することは、逆に言葉遊びで子供を弄んでいると捉えられても致し方ない。

 こうしたマヌケなギャグの様なことを真顔で実行し、それを疑いもせずに真似て使用し続けてるる自民党や自称保守派というのもまた嗤うしかない。

「男女共同参画社会」というのは、こうした言葉遊びから始まった左翼陣営による共同謀議的大愚策の最たるものなのだが、これを改めることなく保守を標榜する自民党政権下で実行し、担当大臣が存在しているのだから呆れ甚し。

 こうしたキモ~イ屁理屈を並べ立てて騒いだのは、全共闘世代や共産党といったいつものキチガイ左翼やジェンダーフリーを叫ぶ性的変質者どもだが、そうしたクソどもらが総理府など政府中枢に入り込んでいたことに驚くしかない。

「子供」と同じ様に「婦人」という言葉も、こうしたキチガイ破壊活動家どもの企てによって公文書から消されてしまった漢字の一つである。

 これは漢字研究者の諸橋轍次が、後漢の時代の「説文解字」を紐解いて「婦人とは箒(ほうき)を持って掃除をする女のこと」と紹介したことに、前出のキチガイどもが飛び付いて「女性差別」だと叫んで「婦人」を抹殺したというのが事の始まり。

 その結果、「婦人警官」が「女性警察官」となり、「看護婦」が「看護師」、「女優」が男女に関係なく「俳優」と呼ばれる様になったのもこうした影響からだ。

 その後、諸橋の説は全くのウソだとバレた。甲骨文字、それに続く金文の研究から「婦人」の「婦」は、「宗廟に酒を捧げ清める高貴な女性の意味」だということが判明する。だが、彼奴らはその間違いを認めることなく使い続けている。

 因みに「看護師」の「師」というのは、師団、軍師、派遣、元帥、追撃などに含まれる「追」の旁(つくり)は、軍隊で肉(食料)を分けることが原義。

 普段声高に「反戦平和」と叫んでいるアホンダラ左翼どもがその漢字の意味も分からず、「看護婦」を「看護師」などと呼び換えて悦に入り、無意識のうちに軍隊に起因する漢字を使用していることはマヌケで滑稽と言う他はない。呵呵。

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2021年05月02日

「憲法改正」をいう右翼は逆賊だってよ(笑)

 作家・山平重樹著「最後の浪人」の主人公でもある阿部勉という右翼人がいた。その阿部さんだが、実は郡山市の某企業の東京支店長。僅かとはいえ給料を貰っていたのだから浪人とは言い難い。右翼浪人と言えばやはり故横山武彦か愚生か(笑)

 以前、その阿部さんの弟子がtwitterで「憲法改正をいう右翼。しかし今上天皇は現憲法を守ると言っている。すると憲法改正は今上天皇に背くことになり逆賊的行為となる。右翼は天皇に叛旗を翻し逆賊となるのか。それとも耳に栓をして適当に憲法改正を叫び続けるのか。現今の右翼が駄目なのはこの辺りにも現れている」

「現今の右翼が駄目」という意見には同ずるが、現憲法99条には「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負う」と明記されており、陛下が国権を重んじ、国法に従うのは当然のこと。別に、天皇が政治家が行う憲法改正に反対している訳でもあるまい。

 まぁ、現今の小粒になったアマチュア右翼やセミプロ右翼がダメなのは単に指導者不足に因るところが大きく、営業保守らの主張を真に受けているからだ。

「憲法改正をいう右翼」というのも何方付かず。憲法9条改正は究極の護憲運動というのが正しく、憲法改正とは現憲法を認めるということであって、第9条改正で現憲法が絶対的な存在となってしまうだろう。そういうことを理解して「憲法改正をいう右翼は駄目(無知)だ」というなら分かるが「逆賊」とはもう嗤うしかない。

 天皇は憲法以前の御存在であらされる。現憲法は、歴史的な国家としての継続された「祭祀」に関する天皇の役割を否定している。宮中祭祀で重要なものは「四方拝」と「新嘗祭」であり、天皇にとって最も大事なものはこうした「祭事」である。だが、現憲法は祭祀を否定し、天皇とは単なる国事行為を行う傀儡と化した。

 天皇の「国事行為」について、現憲法では、首相の任命、憲法改正や法律の公布、外国大使らの接受等を定めているが、天皇の「公的行為」は「私的行事」とされ現憲法に明文化されていない。天皇の祭祀こそ国事行為の最たるものであるべきだ。

 天皇は憲法上の制約から、国事行為として「国会の開会式」「首相や最高裁長官の親任式」「大臣の認証式」「親授式」など年間約60回。国賓・公賓への接遇や会見、会食などの御公務を約170回という激務を熟されている。国體や国柄を鑑みれば、天皇の「祭事」を憲法上最優先で認められる様にすることこそ大事である。

 上皇陛下が御高齢を理由に譲位遊ばされたが、負担軽減というなら国事行為や公的行事を当時の皇太子殿下や秋篠宮親王殿下が輔佐する環境こそ整えるべきであった。現憲法の改正如きでは国事行為の軽減すら不可能であり、やはり我が国の正統な国法である大日本帝国憲法(欽定憲法)の復元改正こそが我が国が採るべき道である。

 前出のツイートの論法に倣えば、現憲法で明記されてる勤労や納税の義務を怠り、憲法という国権を重んじることなく、国法(刑法など)に従わない右翼は言語道断だし、父母(親)に反抗し、兄弟や友人と仲違いし、夫婦相和しどころか離婚した様な右翼は、教育勅語を語る資格も右翼としての価値も無いということだろう(笑)

 別な同じ様な思想家?を気取る輩も、「最近、天皇陛下(現上皇陛下)と皇后陛下(上皇后陛下)が、ともに、安倍政権の改憲路線に逆らうかのように、しきりに「護憲発言」を行っている。これは、天皇とその周辺が、現在の政治状況に強い危機感を抱いているということだろう」と、我田引水的ツイートしていたのを思い出す。

 畏れ多くも、陛下(上皇陛下)の「憲法順守」との言明を改憲反対に利用する点では、靖國神社の所謂「A級分祀論」のそれと似ている。こうしたことでも、憲法改正に反対する護憲派どもの主張が巧妙化しているのが分かるというものだが、憲法改正派もまた第9条ばかりで尊皇無き議論の軽軽しさには目を覆うばかり。

 明日は憲法記念日。記念とは「後々の思い出として残しておくこと」を言うが、何故に米国製の憲法を記念する必要があるのだろう。憲法改正を訴える保守派は本当に現憲法の矛盾を理解し、その上で憲法改正を訴えているのだろうか。

 自民党の憲法改正草案には「天皇を元首と位置付ける」としているのは評価できるが、現憲法と同じく「その地位は主権の存する国民の総意に基づく」とある。つまり、反天皇勢力の共産党が存在している限り「総意」は得られない。抑々、自民党の党是は「憲法改正」ではなく「自主憲法制定(現在は新憲法制定)」である。

 自民党の目指している「憲法第九条改正」は、保守派の票目当てのパフォーマンス過ぎず、自国の防衛だけを案じて第96条改正を図り、その上で第9条の改正を実現するというのなら、それは主権恢復というより単なる米軍の国防費負担軽減の遂行であり、更なる米国への忠誠であり、究極の護憲運動であることを自覚すべきだ。

 主権回復後の欽定憲法復元は叶わず、自由党と民主党が合併し自由民主党が結党され自主憲法制定を掲げるも何ら実行出来ずに徒に時が過ぎた。悠長に憲法改正を発議して国民の過半数の同意を得てる間に尖閣列島は中共に併呑されてしまうぞ。真に国を憂うるなら、やるべきことは改憲ではなく現憲法の無効宣言である。

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2021年05月01日

県内の企業団体や自治体及び地元紙が風評被害を齎す要因となっている

 地元紙では連日、東京電力福島第一原発周辺に貯まり続ける処理水の海洋放出への反対の立場から論評を綴り、反対する企業団体や自治体を取り上げている。こうした感情論に基いた解説や論説をいつまで続けるつもりなのだろう。

 今日も一面には「海洋放出反対で共同声明」というタイトルが躍り、政府の対応に「説明不十分」「県民に十分な説明が無い儘の決定だ」と批判する。だが、「十分な説明」とは具体的にどうしたら十分な説明が成されたとなるのだろう。

 今や農本主義を忘却し営利主義に奔るJAやタカリ体質が身に憑いて離れない漁連や森林組合。そこに共産党系の生協連が入り込んで世論分断を謀る。マスコミが科学的データを以て報道すれば解決するのに偏向報道を垂れ流す悪循環にはうんざり。

「十分な説明が無い」というのは、付けたりに過ぎない反対の為の屁理屈でしかない。端から処理水への理解するつもりも無いだろう。こうした非科学的な感情論からの反対運動や声明が福島県への風評被害を齎してるという自覚も無い。

 政府が、処理水の海洋放出を決定したことを受けて、復興庁はALPS(他核種除去設備)で無害化されたトリチウムをキャラクター化して説明したチラシや動画を作成するも、反原発派らの抗議されて取り止めになったのは記憶に新しい。

 国が国民に分かり易く説明しようとしてるのに、「恐ろしい放射線トリチウムに可愛らしいキャラクターを使うのはケシカラン」とはそれこそ怪しからんことだ。こうしたことでも、反原発派らが海洋放出に賛同することは不可能だろう。

 トリチウムは自然界にも存在する放射線物質でもあり、人体に及ぼす影響はセシウムの700分の1とされている。原発事故に因る放射線セシウムの被害が無い中で、セシウムより低いトリチウムに怯えることは煽られた世論というのが正しい。

 4月28日付の地元紙の2面には、処理水問題に関して「トリチウム総量1930兆ベクレル」とのタイトルが躍っていた。トリチウムの何たるかも理解することの無い多くの新聞購読者は、1930兆との数値の大きさに驚いたに違いない。

 だが、2016年には福島原発周辺に貯められた処理水に含むトリチウム総量は760テラベクレルと報告されている。テラベクレルとは1ベクレルの1兆倍。とすると1930兆ベクレルという数値は揮発などもありかなり低くなっていると推測出来る。

 因みに、1979年のスリーマイル島原発事故では93000テラベクレル、1986年のチェルノブイリ原発事故では520万テラベクレルが放出されている。フランスのラ・アーグ再処理施設からは、桁違いの1京1600兆テラベクレルが排出されてる。

 カナダのブルース原発からは年間1280兆ベクレル排出。かなりの数値だが、これらの数値は国際基準値の範囲内で飲料水に使ったところで問題も無い。過日、細野豪志元環境相が放った「水道水のトリチウムは毎日飲んでる」との発言は正しい。

 そんなにトリチウム処理水が恐ろしいというなら、反原発派が「御用学者」と断じて止まない高田純先生に倣い処理水を飲んで自ら発癌性物質というのを証明してみりゃ好いだろう。飲んでも何ら影響はないから一笑に付されるだろうが(笑)

 韓国でも月城原子力発電所で4基のCANDU炉から、1999年以降の累積では6000テラベクレルを超える処理水が放出されている。760テラベクレルあった頃はでも韓国は8倍もの処理水を日本海へ放出してたが、今や3000倍以上となる。

 そうした状況を知ってか知らずか、韓国政府は「トリチウムは危険であり環境被害を及ぼす」「絶対に容認できない措置」と反発し「強い遺憾」を表明し、反日無罪の国柄から国民が反日デモを繰り返し、処理水の海洋放出の抗議する。

 今回、共同声明を出した連中も韓国政府と同じレベル。更に、読者への諂いと破壊活動の御先棒を担いでいるのか、反原発の風潮に与するマスコミの「トリチウムを含んだ処理水」という言葉が要らぬ風評を生んでいるのは確かだろう。

 大阪府知事と大阪市長は、処理水の問題に対し、「政治や科学が風評に負けることがあってはならない」と、処理水の大阪湾への放出を受け容れると発表したが、コロナ禍にあっても福島県民を救済しようという気持ちは変わっていない。

 内堀福島県知事にも大阪府知事や大阪市長の様な智慧と決断力を持って欲しいものだ。感情的議論が続くことは県民にとっても好ましいことではない。科学的根拠に基いて粛々と海洋放出を図ることこそ福島への風評を取っ払う最良の方法である。

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2021年04月29日

「昭和(ヒロヒト)天皇が戦争犯罪の最高責任者」と宣う国賊・志位和夫

 本日4月29日は、昭和天皇の御遺徳を偲ぶ「昭和の日」である。昨日の「主権回復記念日」に続き慶賀が続く。昭和恐慌と大東亜戦争を経て戦後復興を遂げた昭和時代を顧み、我が国の将来に思いを馳せる日である。

「昭和」という元号は「書経尭典」の「九族既睦平章百姓百姓昭明協和萬邦」に由来する。「九族(きゅうぞく)既(すで)に睦(むつ)まじくし て、百姓(ひゃくせい)を平章(へいせい)す。 百姓昭明(しょうめい)にして、 萬邦(ばんぽう)を協和す」と、国民の平和と世界の共存繁栄を願う意味が込められている。

 因みに「平成」は、史記「五帝本紀」の「内平外成(内平かに外成る)」や「書経」の「地平天成(地平かに天成る)」に由来し、「内外、天地とも平和が達成される」という意味は「昭和」の平和を願う想いに通じている。

 大東亜戦争後、昭和天皇が全国を行幸遊ばされ、敗戦で疲弊していた国民にとって大きな励みになったのは誰もが知るところであろう。常に「国民と共に在りたい」との昭和天皇の大御心は、上皇陛下や今上陛下の御姿とも重なり、皇国臣民として感謝せずにはいられない。だが、日本人らしからぬ輩が存在してるのも確か。

 日本共産党の志位が「戦争責任は前天皇にあり、現天皇には(現憲法上)謝罪権限がないので安倍総理が謝罪すべき」と宣ったのは記憶に新しい。

 韓国の文喜相議長の「戦争犯罪の主犯である天皇(日王)の謝罪」との妄言に追随するもので、志位もまた「昭和(ヒロヒト)天皇が戦争犯罪の最高責任者」との認識を示したことは正に国賊の戯言と嗤う他はない。

「天皇の戦争責任・退位論」は、昭和に始まった「天皇制廃止運動」の一環であり、これは1932年にソ連共産党から日本共産党へ指令された「コミュンテルンテーゼ(命令書)」の忠実な実行であり、それが息を吹き返したとも言える。

 保守陣営や右翼陣営の中にも歴史認識不足から「戦争責任論」を真に受けている輩がいるが、我が国は負けたから戦争犯罪や戦犯の汚名を着せられているだけで、先の大戦の大義は開戦の詔勅に記されてある通りである。

 欽定明治憲法下では国務は国務大臣、統帥は参謀総長及び軍令部長が陛下を輔弼しその責に任ずることになっており陛下には法的に責任は無い。

 しかし乍ら、道義的に最も責任を痛感されたのは昭和天皇であり、大東亜戦争終結に関する詔勅に於いて「五内為ニ裂ク」と仰せられた通り自ら身を苛まれたのだ。それを何が「戦争犯罪の主犯」だ。日本人なら恥を知れと言いたい。

 自らの国の歴史を知らない故に未だにこういう戦後民主主義教育侵された戯言が罷り通る。戦争犯罪や戦犯という呼称こそ日本人の幼稚さを示す一例であろう。

 敗戦は反省すべきところだが、戦争犯罪人は、昭和天皇でもなければ大日本帝国憲法や統帥権でもなく、況して軍部でもなければ当時の軍国主義でもない。

 真の戦争犯罪人は近衛文麿と尾崎秀美らそのブレーン達、即ち日本国内で蠢いていた共産主義者らであり、マルクス・レーニン主義思想が昭和の悲劇を生んだということは今や歴史的事実。共産主義者である志位も一蓮托生である。

 大東亜戦争とは、ソ連共産党と中国共産党、そして日本国内の共産主義者が仕組んだ共産革命の実現の為の争いであり、そのマルクス・レーニン主義者の策謀に当時の日本全体がまんまと嵌ってしまった愚かな戦争とも言えるのだ。

 未だに昭和天皇の戦争責任を問う声があるのも天皇廃止運動が継続されているという証左である。陛下の退位特例法案然り、女性宮家問題や女性天皇など共産主義者が謀る天皇廃止運動は、国民が気付かない儘に巧妙に実行されている。

 日本共産党始め、国内に巣食う共産主義者らを一掃しよう!

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2021年04月24日

米中が温室効果ガスの削減目標を掲げているが

 バイデン米大統領は、気候変動サミットで新しい温室効果ガスの削減目標を表明し、各国に積極的な対応を求め、我が国は同意し、何を勘違いしたかガソリン車の撤廃を掲げる始末。抑々、温暖化は温室効果ガスだけが原因ではないだろう。

 これに対し、米中は主導権を巡ってせめぎ合った。安全保障などで対立する中国共産党の習近平は表面的には協力姿勢を示しつつ、「緑の『一帯一路』の構築に向けた共同の取り組みを進める」と中共が中心の新たな世界の枠組み創りを示唆した。

 地球温暖化問題でも合意している米中はパリ協定を批准し、温室ガス排出に前向きに取り組む姿勢を見せてるが、中共が本格的にCO2の削減に取り組むのは2030年から。30年までの中期目標を掲げてはいるものの、60年までの長期目標は不明確。

 現在、世界で排出される温室効果ガス温室効果ガスは20.1%は中共。米国は17.9%で世界の排出量の38%を占める。中共では車の排気ガスやPM2.5の影響で年間200万人が亡くなっているというし、30年までの9年間は問題外らしい(笑)

 今後規制が実行される間にもCO2とPM2.5の排出量は増え続け、数千万人が犠牲となるという問題点を看過した「パリ協定」というのもマヌケ過ぎる。

 温室ガスを垂れ流す米中が温暖化防止に取り組めば環境も大きく変わるだろうというのは短絡過ぎ。2030年まで中共は自国の発展、利益追求の為にCO2は出したい放題ということを米国や諸外国が容認しているというのも笑える。

 見方を変えれば2030年までにCO2やPM2.5で数千万人が死ぬことに合意し容認したという見方も出来る訳で、自国民を犠牲にして利潤追求に狂奔し、世界に悪害を撒き散らすことを容認したこんなふざけた合意が何処にあろうか。

 中共は共産党一党独裁で共産主義を崇めているが、利潤追求の方法が共産主義の労働価値観に矛盾しているし、米中が合意し批准したのだから「過去の地球の温暖化なんぞ関係ない」という理屈は些か乱暴で怪しからん話しではないか。

 地球上の二酸化炭素排出の殆どは海からで、人類が出すCO2は僅か3%に過ぎない。温暖化は人間が進化の上で及ぼしたというより自然の摂理であり、地球という星の寿命とも考えられる。温暖化という天譴を防ぐのは人間の智慧と覚悟次第。  

 米国のスリーマイル島、チェルノブイリ、東海村の放射線事故が起き、原発の廃止や削減が相次いだが、2006年に米国はそれまでの反原発政策を転換して、国際原子力パートナーシップ(GNEP)を策定して、原発推進を決定した。

 GNEPは、第一次安倍内閣の時にオバマ大統領に提案したものの、オバマが余り積極的ではなかったが、その原発推進という方向性自体は間違ってはいない。

 中共は電気自動車に力を注ぐと同時に、2030年迄に原発を300基に増設する計画を立てている。「原発技術で世界を制することが世界を制することだ」と訴えた鄧小平の確信を継承しているのだが、我が国はマヌケなことにその逆を目指している。

 反原発派は東京電力福島第一原発事故を利用して原発の安全性に疑問を呈し、彼奴の非科学的感情論に煽られた国民の異常とも言える放射線への拒否反応で原発再稼働が停滞し、新規原発の増設は実質的に不可能となってしまった。

 原発行政見直しの大きな理由はCO2削減と地球温暖化対策であるのは言うまでもない。原発の安全性の向上は当然だが、原発は発電コストを考えても安価で済むし、使用済み燃料再利用技術を向上させることで更にコストは軽減される。

 東日本大震災が起きたことで我が国は「脱原発」の流れになっているが、地球規模で考えても、エネルギー資源に乏しい我が国の将来を考えた場合、やはり日本製の安全性を高めた原発を推進し、輸出して行くことこそ国益に適う。

 中共は南シナ海に建設した人工島に原発を設置する計画をしているのは周知の通り。だが、万が一にも御粗末なこの中国製の原発が人工島に設置され、それが事故でも起こすことになれば温室効果ガスどころの騒ぎではないだろう。

 温室効果ガス削減という怪しい世論に迎合したパフォーマンスは実に胡散臭げで、二大元凶ともいえる米中の合意は実に怪しげでもある。過去を振り返ってみてもアジア動乱の原因は、米国と共産主義だったことは歴史が証明するところだ。

 20世紀は正に「自由と平等」の名の下にプロレタリア独裁を標榜する共産主義が猛威を振るった。第二次世界大戦の混乱後、キリスト教徒の望んだ中国共産党が世界の脅威となっていることをしても理解出来るというものだろう。

 こうした過去を見るまでもなく、米中の二大元凶による政策合意はアジアに更なる不幸を齎すものであると断言して好かろう。況してや武漢ウイルスを撒き散らした中共が、世界の主導権を握ろうとは言語道断。米中共に警戒を疎かにしてならない。

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2021年04月23日

つれづれなるまゝにその日ぐらし 「素直な心は母心」

 どうも未だ人間が出来ていない。30年間右翼活動家としてそれなりに戦って来たからだろうか、還暦過ぎても相手に対する物言いが刺々しくてダメだ。自分でも分かってはいるのだが、どうも相手に優しく諭す様には言えない(笑)

「人に意見してその人の欠点を直す」ということは大切なことであり、それは慈悲の心とも言える。「意見の仕方には骨を折る必要がある」と「葉隠」では訓えている。

 大方の人は、人に好まれない言い難い事を言ってやるのが親切の様に思い、それが受け入れられなければ、自分の力が足りなかったと自責の念に駆られる。

 だが、こうしたやり方は何ら役に立たないという。「意見とは間違えば悪戯に人に恥をかかせ、悪口を言うだけの事と同じ結果になってしまう」と教えている。

「意見」というものは先ず、その相手がその意見を受け入れられるかどうかを見極めることが必要だという。その為には先ずは相手と親しくなり、何時でも此方を信用する様な状態で仕向けるところから始めなければならないという。

 意見するにも言い方なども工夫し、時節を考え、自分の失敗談等を話しながら、余計なことを言わなくても思い当たる様に仕向けるのが最良だというのだ。

 先ずは、相手の良い処を褒めて気分を引き立てる様に心を砕き、そうした上で欠点を直していくというのが本当の「意見」というものだという。

 歌舞伎の十四代目 守田勘弥の芸談に意見の仕方に関するこういう逸話がある。ある時、勘弥が「弥次喜多(やじきた)」の出番で、楽屋の揚幕の方へ行きかけたら、弟子の一人が、「師匠、草鞋の紐が緩んでいます」と注意したという。

 すると彼は、「ありがとう」と礼を言って、紐をしっかり結び直した。さて、揚幕の前に来ると、また紐を解いて、注意される前の様に緩く結び直したという。

 緩く結んだのは長旅の様子を出そうとする芸の細かさ。一流の役者というのはこうした仕草一つでも流石に違うと感心する。だが、それだけなら未だ普通の出来事。

 こうした弟子との遣り取りを見ていた人が、「どうしてあの楽屋を出た時に、貴方の弟子に『おまえらも未だ芝居を知らないな。これは長旅の様子を出す為にしているのだよ』と教えてやったら好いじゃありませんか」と言ったそうだ。

 そうした意見に勧弥は、「人の親切は、素直に受けとくもんだ。もし、わしがあの時、若い者を叱ったらどうなる。あの時はそうであっても、そうでない時だってある。背中に綻びのある羽織を着て舞台に出ようとした時、(あ、これも師匠の演出かも知れない。余計なことを言ってまた叱られる)と黙っていれば、わしは綻びのまま舞台に出てしまうことになる。芸事を教えることは幾らでも機会がある。この場合は、人の親切は受け取ってあげることが大事だからね」と答えたという。

 ん~、実に良い話ではないか。この世の中がどんなに捻くれていようと、相手の好かれと思った意見を受け容れる素直な心は人間として生きる上での根本だろう。

 悲しい映画やドラマを見て泣き、涙を流す。寄席で落語を聞きながらその話しっぷりに笑う。喜怒哀楽というこうした感情も一つの素直な心と言えるのだろう。

 他人の目を気にするばかりに身構えて自分を曝け出さず、隠し通すことが当たり前の今の世の中だが、それは見方を変えれば素直な心が失われている結果でもある。

 自然をもっと大切にし、初心に帰って生きる。悲しい時には泣き、嬉しければ笑い、怒るべき時には本気で怒る。但し、怒る時は深い慈愛を込めて行うべし。

 今どき、この怒るべき時に怒る、叱ってくれる大人が少なくなったのは、子供や若者にとっては不幸とも言えるのだ。そういや、実家でのオヤジの13回忌に、酔いに任せて意見という憤懣を実兄にぶつけてやったのを思い出す(笑)

 酔ってても言ったことに間違いはない。実兄への長幼の序が乏しいだけか。実兄も実兄で、兄としての意地があるのか愚生の意見を全否定してたのはいつものこと。まぁ、単なる兄弟喧嘩だが、母親が闘病中で同席してなかったのが幸いだった。

 実兄の長男は大学を出て上場企業に就職した。その甥が突然「整体師になる」と会社を辞めたという。別に一身上の都合で辞めるのは好い。だが、親なら「今の会社で働いて貯めたカネで夢を追え!」と叱るべきだった思っている。

 社会人になってから親に無心したり、そうした軽挙妄動を諌めることなく同意する親も親だと思ったからだ。福島県相馬市の大聖寺の住職、暁仙が昭和3年に書き残したとされる「親父の小言」の中に、「子のいうこと八九きくな」と在る。

 そんな甥だが、整体師の世界で一流を目指すなら国士舘大学の後輩で有名トレーナーがいるので、そこで修業させてやろうかと思っていたのだが、そんな親切心は無駄だった。修業どころか学校を卒業したと思ったら自分の店を持った(笑)

 マッサージ業界も今や乱立し、熾烈なダンピングが行われていて生き残るには大変だろう。「満つれば虧(か)く」というが、盛りに達すれば必ず衰え始めるのは常だ。物事には必ず盛衰があり、整体師の業界も淘汰されるのは必至だろう。

 甥っ子を見ても学生時代に世話になった人へ挨拶も何も無し。義理に欠けるのは男として決定的にダメだと思う。本当に大人としてやって行けるのか心配にもなるが、「意見」されるのが嫌なのだろうか、当然、愚生のとこには寄り付かない(笑)

 そういや「親父の小言」には「大酒は呑むな」ってのがあったのをすっかり忘れてたな。酒の呑み過ぎは日常茶飯事。酒での失敗は数知れず。酒で覚えることは多いというが、未だ失敗だらけ。つ~か、それってダメじゃん。呵呵。

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2021年04月21日

日米首脳会談の共同声明で「台湾」を明記した意義

 我が国は日中国交恢復以来、台湾(中華民国)を国家として認めていないが、日米首脳会談の共同声明で「台湾」を明記したことは評価に値する。米国も第二次大戦後の国共戦で勝利した中華人民共和国を戦勝国として常任理事国入りを承認。

 昭和47(1972)年9月29日、我が国は「日中共同声明」に調印。代表である田中角栄は中国共産党を唯一の政府であると認め、主権回復した昭和28(1953)年4月28日に締結した国際法規である「日華国交条約」を一方的に破棄した。

 これを受け、中華民国は直ちに我が国との国交を断絶。我が国が台湾を国家として認めていないのは我が国の国際条約の蹂躙が原因であり、主権国家として実に恥ずべきことで、道義国家として断じて赦されるものではない。

「日華国交条約」を破棄は、大東亜戦争終戦間際に「日ソ中立条約」を一方的に蹂躙したロシアの蛮行と同じであり、道義国家日本が失墜した象徴でもある。

「日華国交条約」の破棄は明らかな日本国憲法98条違反なのだが、首相に由る公然の憲法蹂躙に対して護憲派からもマスコミからも糾弾されたことは一度もない。

 田中は更に「先の大戦で中国国民に重大な損害を与えたことに、責任を痛感し、深く反省する」と詭弁を弄した。だが、我が国が先の大戦で戦ったのは「中華民国」であり、戦後4年も経って建国した「中華人民共和国」ではない。

 田中が幾ら詭弁を弄そうとも、先の大戦での賠償は「日華国交条約」締結を以て終わっているのだ。田中のこうした誤ちと歴史認識が容共派を生み、現在でも悪しき前例となり受け継がれ、中共への様々な優遇措置が講じられている。

「河野談話」や「村山談話」を糾弾する声はあるが、抑々、我が国の土下座外交と自虐的歴史認識は田中角栄の「日中共同宣言」が元凶と言っても過言ではない。

 多くの国民は親中派と同じく、日本と支那との関係を「一衣帯水」だとか、「古くからの隣人」などと心得違いをしているが、日中間に国交関係が樹立されたのは20世紀に入ってからで、未だ100年程しか経っていない関係である。

 況してや、共産党一党独裁の中華人民共和国との国交は50年も経っておらず、我が国と戦争もしていない中共が戦勝国として国連の常任理事国に就いていることが摩訶不思議なこと。本来、戦勝国は中華民国であり、つまり台湾であるのだ。

 親中派は日中友好を進める理由として「日中は同文同種、一衣帯水の関係」との認識を示す。だが、この認識は全くの誤りであり無知以外の何ものでもないが、こうした認識こそが中国共産党の策謀に嵌っている証左の一つでもある。

 607年、聖徳太子は小野妹子を隋に派遣し、隋との対等外交に踏み切った。後に、蘇我氏を滅ぼした中大兄皇子らが645年に「大化の改新」を実現する。

 天智2(663)年、唐・新羅連合軍に攻撃された百済は日本に救援を求めると、我が国はこれに応じ出兵。世にいう「白村江の戦い」である。日本軍はこの海戦で大敗を喫し、この敗戦を機に我が国は中華圏との正式な外交を絶つこととなった。

 白村江の海戦で大敗を喫し、生き残った者は捕虜となった。その中の一人、大伴部博麻は「唐が日本を攻める」という情報を得るも日本に知らせる術もなく、自らを奴隷に売って金を作り仲間を帰国させこの唐に因る侵略の危機を知らせた。

 これが持統4(689)年の事であり、その後、博麻が帰国したのは白村江の戦いから何と30年後のことだった。帰国後、持統天皇が博麻の功を顕彰する。

【朕 その朝を尊び国を愛ひて 己を売りて忠を顕すことを嘉ぶ】(日本書紀)

 これが「愛国」という言葉の由来であり、軽々しく日の丸を掲げて「反韓」だとか「反中」だとか、勇ましい行動を採ることが愛国というものではない。

 我が国が国書を携えて派遣したのは「倭国」としてであり、「日本」と名乗ってからは一度足りとも正式な国書を携えた外交はなく、親中派の「一衣帯水」「同文同種」という認識は実に軽々しいものと言わざるを得ない。

 明治4(1871)年に「日清修好条規」を結んだ相手は満州人の清朝であり、支那を支配していたが漢民族の国ではなかった為に、支那との正式な外交は、明治45(1915)年の「中華民国」誕生まで待たなければならなかったのだ。

 中華民国である台湾は中国の一部ではない。台湾は独立国である。国共戦争で敗れた国民党が台湾へ入植した訳だが、歴史を辿れば台湾は日清戦争の戦利品として我が国が割譲された領土である。そうしたことからも日台関係こそ一衣帯水であろう。

 日本の統治時代について日韓併合を論う韓国とは大違いで、台湾の歴史教育は実に公正に教えており、「台湾の近代化にかなり役に立った」という論調で書かれている。インフラのみならず、教育までも日本と全く同じレベルに徹底されている。

 台湾には「日本精神(リップンチェンシン)」という言葉がある。「勤勉である」「約束は破らない」「人を裏切らない」、こういう人を「あいつは、日本精神があるヤツだ」というらしいが、日本人として恥ずかしいやら申し訳ないやら。

 台湾には「信義誠実の原則」という、我々日本人が忘れてしまった日本的価値観の美徳が連綿と生きている。親日国である台湾との友好を深めることは我が国の国益にも適う。日華国交条約の蹂躙を詫び、日台国交の恢復を成し遂げよう。

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2021年04月20日

若者が行動しないのは政治がまともに機能しているということなのか(笑)

 拙ブログのタイトルの下に「我が民族の将来と国家の前途を思うは人間の最も真剣なる感情であり、君国に忠、親に孝なるは最も現実なる道徳である。之を離れては人類愛も世界的正義も空想に過ぎない」との、哲学者西晋一郎の言葉を載せている。

 ネットでは政治を憂いて結論の出ない争いをしている一方で、若者の政治離れが顕著になっている。過日行われた地元の市長選での投票率が低いのも若者が行動しない結果でもある。家族を愛し、故郷を愛し、祖国を愛することこそ政治の根本である。

 若者が選挙権を棄権することは権利の放棄であり、その結果の悪政が自分自身に降り懸かろうとも文句を言える立場ではない。だが、本来、政治というものがきちんと機能していれば、若者を始めとした大衆が政治に係わることなどないものだ。

「胃痛の時に初めて胃の存在が意識されると同様に、政治なんてものは、立派に動いていれば、存在を意識される筈のものではなく、況して食卓の話題なんかになるべきものではない。政治家がちゃんと政治をしていれば、鍛冶屋はちゃんと鍛冶屋の仕事に専念していられるのである」との三島由紀夫の言葉は実に正鵠を射てる。

 そういう意味では、若者が行動しないのは、政治がまともに機能しているということなのだろう。一方で、ネットでは自分が然も政治家になったつもりで時局に一喜一憂し、あ~だこ~だと嘆いてることは真逆の現象でもある(笑)

 我が民族の将来と国家の前途を思い、政治を糺すのは大いに結構な心掛けだが、政治や選挙の仕組み、マスコミの報道姿勢が旧態依然なのだから変わり様がない。

 抑々、公職選挙法自体が昭和時代の遺物という代物であり、インターネットでの選挙活動が解禁された情報化社会の現代に於いて、「何の誰兵衛でございます」と選挙カーのマイクで訴える選挙運動が政策実行の効果的な方法だとは思えない。

 その昔は、選挙に出馬となると選挙カー代やらポスター代、文書交通費、光熱費やその他諸諸のカネが必要だったが、今やそうした選挙の経費は殆どが自治体が支払う。今や、国民が納めた血税が選挙の度に垂れ流されているのが実情である。

 そろそろ、地区対抗戦的な選挙カーでの選挙合戦を止めて、候補者が各地区を一緒に回り、公民館や体育館、集会所などで立会演説会をすれば好いではないか。何故、そんなことが出来ないのか。原因は公職選挙法で禁止されているからだ。

 公職選挙法では、選挙カーでの移動中は名前の連呼しか叫べないと決められている。立会演説会には立候補届け出の時に頂く粗末な許可証と幟を立てなければならないと決められている。それを一般人ではなく動員された連中が聞き入るだけ。

 日本共産党は、選挙期間中に選挙カーで政権批判や消費税廃止などを訴えているがこうしたことは本来ならば公職選挙法違反に問われる事案だが、規制されたことはない。要は、公職選挙法は最早、有名無実化してしまっているのだ。

 明治22年「衆議院選挙法」が制定され、翌年、日本で初めて国会議員の選挙が行われた。選挙権は直接国税15円以上で満25歳以上の男性に与えられた。

 大正15年には納税額は関係なく25歳以上の男性に与えられることとなる。敗戦後、占領下だった昭和25年に「公職選挙法」が制定され、20歳以上の女性にも選挙権が与えられることとなった。平成27年には、満18歳以上の男女が選挙権を持つ。

 男女平等から戦後の公職選挙法は誕生したが、女性への選挙権付与で世の中が大きく変わって行く。男女同権は兎も角、納税額は必要なのではあるまいか。

 況してや高校生に選挙権は要らない、18歳以上の働いてる男女に与えるべきだ。愚生の場合、酒税は一般人より支払ってるが、所得税や市県民税は支払ってはいない。そんな無職の右翼風情に選挙権を与える必要も無いだろう(笑)

 今回の公職選挙法違反事件を教訓に選挙方法の在り方を論じ、血税が垂れ流され続ける古臭い今の選挙運動そのものを廃止するべきだ。選挙方法が変われば、政治も政策論争中心となり、有権者の選択肢も増えるというもの。

 つ~か、余談だが、選挙カーに乗る「ウグイス嬢」は「車上運動員」と言わなきゃならないらしい。「看護婦」を「看護師」、「婦人警官」は「女性警察官」、「子供」は「子ども」と、男女共同参画社会ってのは単なる言葉遊びでしかない。

 今や、男女共同参画社会は国中に悪害を齎し共産党用語が氾濫し、「外国人地方参政権付与」「住民基本法案」「夫婦別姓法案」「戸籍制度廃止法案」「人権救済法案」「女性天皇論」「女性宮家」などなど、カタチを変えた共産主義が次々と企画され行政権に入り込み、また連結され様としている。

 男女共同参画社会とは、国民の共同参画というより「共参社会」というのが正しく、カタチを変えた「共産社会」の実現が着々と実行されているのだが、こうした愚策に対して異を唱えるには公職選挙法の是正と改正が必要不可欠となる。

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2021年04月17日

「トリチウムを含んだ処理水」という言葉自体が要らぬ風評を生んでいる

 復興庁が、東京電力福島第一原発の処理水に含まれるトリチウムをキャラクター化して説明したチラシや動画に反原発派らが抗議し取り止めになった。

 ALPS(他核種除去設備)で無害化された処理水を「汚染水」とする反原発派どもらにとって、トリチウムはあくまでも危険な存在でなければならない。「こんな可愛らしいキャラクターはケシカラン」ということなのだろう(苦笑)

「放射線トリチウム」や「トリチウムを含んだ処理水」などと騒いでるが、トリチウムは自然界にも存在する恐れる必要も無い放射線物質でもある。

 細野豪志元環境相が「水道水のトリチウムは毎日飲んでる」と発言すると、反原発派から「失礼なことを言うな。水道局に謝れ」となったという。だが、水道局員は「トリチウム入ってない水ってどこで買えるの?」と相成った(笑)

 麻生太郎財務大臣が「処理水は飲んでも大丈夫らしい」と発言すると、反原発派は「麻生に飲ませろ!」と大騒ぎ。麻生に飲ませてどうするの?

 そんなにトリチウム処理水が恐ろしいというなら、反原発派が「御用学者」と断じて止まない高田純先生に倣い処理水を飲んで自ら発癌性物質というのを証明してみりゃ好いだろう。飲んでも何ら影響はないから一笑に付されるだろうが(笑)

 チェルノブイリや福島原発事故を受けて、高田純先生は自ら汚染水を飲んで放射線セシウムの半減期は100日という科学的根拠を示した。セシウムでの被害者はいないのにセシウムの700分の1程度の放射線トリチウムに怯える不思議。

 原発事故に因る放射線セシウムが人体に影響も及ぼしてない中で、トリチウムを含んだ処理水の処分に反対するのは単なる感情論でしかない。

 処理水の海洋放出を大騒ぐことで風評被害を招く結果となっている。要は、海洋放出反対運動とは原発事故を利用した国家破壊活動と言うのが正しい。

 福島第一原発周辺の処理水タンクがこのまま放置され、更に増設されれば環境破壊にも繋がり、それこそ福島への風評被害が止むことはないだろう。海洋放出反対派のやってることは福島に寄り添うフリをした党勢拡大と革命謀略である。

 原子力規制委員会では「地層注入」「水蒸気放出」「水素放出」「地下埋設」などの処分方法のうち、海洋放出が唯一の方法としている。政府小委員会は原子力規制委員会の提言に沿って海洋放出を現実的な選択肢としている。

 前述した通り、貯水タンクは満水状態で処理水の海洋放出が遅れればタンクを増設するしかない。だが、タンク増設より必要なのは、トリチウムの科学的なデータであり、海洋放出に由って及ぼす環境への影響の周知である。

 意見聴収会では「不安や不信を払拭して欲しい」「国と東電が責任を持って万全の風評対策に取り組んで欲しい」などの意見が出たが全てが他人事。その意見の多くは反原発派に与するものばかり。海洋放出に賛成してる愚生は稀らしい(笑)

 抑々、除染にしろ貯水タンクの増設にしろ民主党政権下での非科学的な愚策が原因。感情的目先の対策を優先し、住民の安心安全を目的に始まった除染は「福島は除染をしないと住めない土地」と、却って風評被害を招く結果となった。

 科学的データで対処してれば除染もする必要も無かったし、処理水も海洋放出してれば済んだこと。放射線への異常な恐怖心と無知が問題を複雑化した。福島への風評と差別は、国の対処も然ることながら福島県民が招いたことでもある。

 海洋放出を決断せず更なるタンク増設で解決しようとする方法は、次の世代へこの問題を丸投げするということだ。原発の出現に拠って豊かで便利な生活を享受した我々世代が、責任を持って解決に当たらなければならない。

 福島原発は関東へ電力を供給する為のものであり、日本の高度成長期にそれらに協力した福島県が風評被害や差別という仕打ちを受けるとはよもや思わなかったが、いつまでも被害者意識丸出しでは復興どころか前には進めない。

「流言」や「デマ」が、混乱に拍車を掛け「風評」という余計な混乱を生む。「トリチウムを含んだ処理水」という言葉自体が要らぬ風評を生んでいるとしか思えない。「流言は知者に止まる」というが福島県民に知者はいないのか。

「流言飛語」とは本来は「流言蜚語」と書く。「世の中で言い触らされる確証のない噂話。根拠のない煽動的な宣伝。デマ」という意味だが、「蜚」とは悪臭を放つ小さな虫の意味で忌み嫌われる語彙だ。因みにゴキブリは「蜚蠊」と書く。

 何の問題もない処理水の海洋放出を、恰も危険であるかの様な流言を撒き散らしたのは反原発派という蜚蠊どもだ。そうした愚論に与してどうするのだ。

 福島県議会の太田光秋議長は非科学的な感情論に与し「県民や国民の理解が十分に得られていない」と語り、国が決定した「海洋放出」に疑問を呈したことがあるが、県内には正論と雖も受け入れられない風潮が横溢しているのも確か。

 太田議長は丁寧な説明を求めるが、県民の代表である県会議員のトップの立場なら、そうした他力本願的な解決手段を求めるべきではなく、処理水問題が全国的な問題であるなら、政治や科学が風評に負けない努力をすべきだ。

 処理水の海洋放出は世界の常識であり福島原発が特別ではない。真剣に福島への風評を阻止したいなら「住民への理解」とかの感情論を止め、政府に依存するだけではなく、正しい科学的データを自ら内外に広めることが肝要である。

 朝日や毎日新聞を始め、反原発派らが「汚染水」という言葉を使うのを止めて、科学的根拠に基づく論評をすれば福島への風評被害が出ることはない。福島を利用して、逆に風評被害を拡散してる反原発派や反日マスコミは恥を知りなさい!

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2021年04月14日

韓国は福島原発処理水の8倍以上のトリチウムを日本海に放出している

 韓国政府は、東京電力福島第一原発周辺で殖え続けてる処理水タンクからの海洋放出に対して「トリチウムは危険であり環境被害を及ぼす」「絶対に容認できない措置」と反発し「強い遺憾」を表明した。反原発派や漁業関係者も同じく。

 韓国の国務調整室担当者は「(日本の決定が)周辺国家の安全と海洋環境に危険を齎すだけでなく、日本の最隣国である我が国との十分な協議や了解なしに行われた一方的な措置だ」と批判してるらしいが、いつもの駄々を捏ねるアレだ(苦笑) 

 トリチウム水(HTO)を含んだ処理水の海洋放出は、福島県漁連を始め、地元住民の反対を理由に中断されているが、政府は、処理水の科学的データを示して人体には全く影響のないことを周知徹底するとして2年後に実施する予定だという。

 原子力規制委員会では「地層注入」「水蒸気放出」「水素放出」「地下埋設」などの処分方法の中で「海洋放出が唯一の方法」としていたが、規制委員会の意見は無視され2020年東京オリンピックが控えていたこともあり先延ばしされていた。

 反対派も科学的データを承知しているのだろう、「科学的に安全というだけで処分方法は決められない」と意味不明の反論をしているが、汚染水問題を引き延ばせば引き延ばすだけ困難を強いられるし、風評問題が解決されることもない。

 福島第一原発周辺の処理水のタンクは約680基に及びその水量は92万トンに上る。2020年には137万トンになる。このまま放置し、またタンクが増設されればそれこそ環境破壊に繋がり、福島への風評被害は止むことはないだろう。

 処理水は、外国の再処理施設から放出される処理水に比べてもトリチウム含有量は100分の1程度で人体に影響を及ぼす数値ではない。菅政権は科学的データを国民に示し、粛々と海洋放出の実行を図ることこそ風評被害を食い止める最良である。

 福島第一原発事故の処理を巡ってIAEAに「海洋環境保護」を理由に処理水の海洋放出に難癖を吐けてた韓国だが、韓国は月城原子力発電所で4基のCANDU炉を運転している。重水炉は軽水炉に比べてトリチウム放出量が大きいという。

 月城原発が4基体制に入った1999年以降の累積では6000テラベクレルを超える。福島第一原発に貯留されているトリチウム総量は760テラベクレル(2016年3月時)。つまり韓国の累積トリチウム放出量は福島原発の約8倍に相当する。

 月城原発で福島原発の8倍のトリチウムを含んだ汚染水を日本海に放出している。そうした意見に「同じ処理水でも事故後のものと稼働中のものでは違う」という反論も聞こえて来るが、そういうのは意見ではなく単なるイチャモン難癖(笑)

 1テラベクレルとは1ベクレルの1兆倍。「兆」という単位は余りにも大きく危険な数値に感じるが、数値の大きさほど人体に及ぼす影響は少ないという。

 1979年のスリーマイル島原発事故では93000テラベクレル、1986年のチェルノブイリ原発事故では520万テラベクレルが放出されたと推定されている。

 フランスのラ・アーグ再処理施設からは年間1京1600兆テラベクレルが排出されている。「京」とは「兆」の更に上の桁。カナダのブルース原発からは年間1280兆Bq/L排出。かなりの数値だがこれらの数値は国際基準値の範囲内なのだ。

 トリチウムは放射線のエネルギーは弱く、人体の影響はセシウムの700分の1程度に過ぎない。原発事故に因る放射線セシウムが人体に影響も及ぼしてない中で、トリチウムを含んだ汚染水の処分に反対するのは単なる感情論でしかない。

 原発事故後、溜まってた雨水40兆Bq/L(ベクレル)が海に流出し「汚染水にストロンチウムやトリチウムが確認された」と大騒ぎになったのは記憶に新しい。その後、作為的に「ストロンチウム」「トリチウム」の言葉が独り歩きする。

 東電では、地下水バイパスやサブドレンの放出濃度運用目標を1500Bq/Lと定めている。これをトリチウム水の質量濃度に換算してみると、約2.8×10のマイナス14乗、つまり百兆分の2.8Bq/Lという極めて低い濃度となるという。

 ppm(百万分率を表す単位で100万分のいくらであるかという割合を示す数値)、ppb(10億分のいくらであるかという割合を示す数値)、ppt(1兆分のいくらであるかという割合を示す数値)にも至らない低レベルである。

 現在、海へ放出されているサブドレン/地下水ドレンのトリチウムは1000Bq/L以下、地下水バイパスでは100~150Bq/L程度、放出先である海水についても1F港湾内外のトリチウムは検出限界(約2.0Bq/L)以下とのデータが出ている。

 堰内に溜まった雨水(堰内の汚染も含む)も測定後に散水されているが、これも検出限界(約100Bq/L)以下。 これらを質量の濃度に換算すると千兆分の1~十京分の1のオーダーとなる。つまり海洋環境に何ら影響は及ぼさない。

 自分のことは差し置いて海洋放出に反対する韓国も怪しからんが、科学的データを無視し風評を煽り福島を貶めてる反原発派の感情論に与してはならない。

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2021年04月11日

「処理水の海洋放出反対」という感情的主張からは何も生まれない

 地元紙では、東京電力福島第一原発周辺に貯まり続ける処理水に関し、海洋放出に反対する声を取り上げて政府への不信感を煽る。立憲民主党代表の枝野は「政府は福島県民、漁民、漁師の皆さんをバカにしているのか」と怒りを露わにした。

「福島県民の声を無視して結論ありきで走っている。本質(海洋放出)自体が良い悪いではなくて、福島の原発事故による被災者の皆さんを、政府がバカにするような措置であって、許されるものではない」と如何にも福島県民を慮る。

 だが、枝野こそ福島県民をバカにした政治家の筆頭だろう。原発事故が起きると「(放射線は)直ちに人体に影響することは無い」と言い放った。県内入りした枝野は、周辺者が私服なのに本人は防護服を着こんで視察したことは忘れない。

 何を今更、福島県民に寄り添う様な発言をしてるのか。事故当時の民主党政権の愚策こそが福島県の復旧は愚か、復興を阻害した元凶である。原発事故や処理水問題を他人事の様に語って、政争に結び付けるなど言語道断である。

「東電や国が放射線物質トリチウムを含んだ処理水方法が、海洋放出ありきで決定しようとしている」と反対してるが、原発処理水の海洋放出は世界の常識であり、況してや貯蔵されている処理水のトリチウム数値も微量なものだ。

 トリチウムというのは放射線エネルギーは弱く、人体の影響はセシウムの700分の1程度。原発事故に因る放射線セシウムが人体に影響も及ぼしてない中で、トリチウムを含んだ処理水の処分に反対するのは単なる感情論でしかない。

 福島原発周辺に貯蔵されてる処理水のトリチウム総量は2016年3月時点で760テラベクレル。この数値は年々減少している。諸外国の海洋放出処理水に比べても100分の1程度で、専門家の「人体に影響を及ぼす数値ではない」は正しい。

 1979年のスリーマイル島原発事故では93000テラベクレル、1986年のチェルノブイリ原発事故では520万テラベクレルと推定されている。1テラベクレルとは1ベクレルの1兆倍。「兆」という単位は余りにも大きい数値に感じるだけ。

 カナダのブルース原発からは年間1280兆ベクレル排出。フランスのラ・アーグ再処理施設からは年間1京1600兆ベクレルが排出されている。「京」とは「兆」の更に上の桁。かなりの数値だがこれらの数値は国際基準値の範囲内である。

 因みに、福島の漁業関係者よりも強力に処理水の海洋放出に難癖を吐けてる韓国だが、韓国は月城原子力発電所で4基のCANDU炉を運転しているが、月城原発が4基体制に入った1999年以降の累積では6000テラベクレルを超える。

 真剣に福島への風評を阻止したいなら「住民への理解が深まっていない」とか非科学的な感情論ではなく、正しい科学的データを内外に広めることである。

 福島第一原発周辺の処理水タンクは約680基に及びその水量は92万トンに上る。2020年には137万トンになる。このまま放置しタンクが増設されれば環境破壊にも繋がり、それこそ福島への風評被害が止むことはないだろう。

 感情論で進められた「除染」で、福島県は住みやすくなったどころか、「除染しないと住めない土地」とのレッテルを貼られた。処理水も然り。このまま放置することが好いとは思えない。事故を起こした我々の世代が責任を負うべきだ。

 昨年7月に熊本県を襲った豪雨被害も感情論からダム建設が見送られた。蒲島知事は「民意が反対だった」と責任を感じるどころか有権者の所為にしていたが、枝野らの政府批判は似た様なもので、反原発派の破壊活動に騙されてはならない。

 政治が国民目線に(ポピュリズム)に立ち、大衆迎合に陥ったならば必ず国は滅ぶ。政治とは本来、国民目線と掛離れた決断が求められる世界なのだ。

 話が変わるが、食べログで知り合った某男性レビュアーのトップページには、「トリチウム汚染水を海洋投棄しても安全だというなら、全て東京湾に放出すれば良くないですか!? 」との見出しが出てる。これが普通の人の感覚なんだろうな。

 確かに東京電力福島原発は首都圏へ電力を送る為の施設だった。そういう意味では東京湾に放出するのも一つの案だろうが、東京湾に持って行くにしても運搬費用を含めて相当掛かるだろうし、ポピュリズムの小池都知事が容認するとも思えない。

 以前、松井一郎大阪市長が、反原発派らに煽られた感情論から見送られている処理水の問題に対し、「政治や科学が風評に負けることがあってはならない」と、処理水の大阪湾への放出を受け容れると発表したことは記憶に新しい。

「政治や科学が風評に負けることがあってはならない」とは正しく。内堀福島県知事にも大阪市長の様な智慧と決断力を持って欲しいものだ。感情論より科学的根拠に基いて粛々と海洋放出を図ることこそ早々に風評を取っ払う最良の方法である。

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2021年04月08日

福島第一原発周辺に貯まり続ける処理水の処分方法は海洋放出しかない

 福島第一原発周辺に貯まり続ける処理水の処分を巡り、菅総理は「専門家の提言を踏まえて決定したい」と述べた上で海洋放出とする方向性を示した。

 反原発派や海洋放出に反対する勢力は「国民への説明不足」と騒ぐが、何をするにしても全国民の同意を得ることは困難であり、政治家の決断こそ大事。

 処分方法さえ決定していないことは、核のゴミの処分地を決められないことと同じく政治の怠慢であり、処分方法の全国的議論は問題の先延ばしに過ぎない。

 処理方法は海洋放出しかない。福島第一原発周辺に貯まり続ける処理水の海洋放出は住民の反対を理由に中断されていたが、漸く海洋放出を決断した様だ。

 人体に何ら影響もしていないセシウムの700分の1程度に過ぎないトリチウムの放射線に怯えるというのは如何だろう。これこそ感情論の何ものでもない。

 感情論で行われた除染は、住民の安心より「フクシマは除染をしないと住めない町」との風評を生んだ。トリチウム水の海洋放出は世界の常識。我が県を含めて何処に放出するかであって、処理水の開票放出を受け容れる都道府県を探すべきだ。

 原子力規制委員会の進言通り、海洋放出を決定した上で海洋放出する候補地選定をどうするかだ。そういう意味からも感情論を排し、「福島県沖ありきではなく、人体に影響が無い処理水を全国の何処に放出したら好いか」を議論すべきだと思う。

 原発周辺に更なるタンクを増設で問題を先送りしても根本的な解決は図れない。処理水の海洋放出を決定した上で、処理水に含むトリチウムの科学的データを示し、海洋放出は人体には全く影響のないことを周知するべきだろう。

 福島県沖への放出は人体的影響は問題は無いが、風評被害が怖いというのは理解出来る。住民の安心から進められた除染は「福島は除染をしないと住めない町」とのレッテルを貼られた。福島県沖への放出も同じ流言蜚語が飛び交うだろう。

 処理水の海洋放出が決定されれば反原発派らが大騒ぎするのは必至。考えてみれば風評被害を招いているのは反原発派も然ることながら放射線に無理解な県民も同じ。トリチウムの何たるかを知らず「トリチウムを含んだ処理水」などと騒ぎ過ぎ。

 全国漁業協同組合連合会(全漁連)と福島県水産加工業連合会が「深刻な影響が出る」「漁業を守らなければならない」などとして海洋放出に反対したが、こういう連中こそが自ら風評被害を招いているという自覚さえ無い。

 国内のみならず原発が稼働している場所では処理水は放出されている。福島原発も事故前は海に放出しており、周辺は人気の釣り場にもなっていた。福島第一周辺に貯まり続ける処理水だけが問題にされているのは福島差別ではないのか。

 不安を煽るだけのマスコミと反原発派の感情論にはもううんざりだ。政府は科学的データを公表し、核のゴミ(高レベル放射性廃棄物)の最終処分場選定と同じく、補償や地方交付税の増額等を示して放出先を応募すべきだと思う。

 状況からして福島県沖がベストだろう。「更なる福島への風評被害を生ませない」というのなら、粛々と海洋放出してしまえば好い。「人の噂も七十五日」ではないが、放出後に日々のデータを公表すれば反原発派の罵声は日々薄まる(笑)

 原発設置県として最悪の事故が起きてしまった以上、最後まで責任を持つべきだが、「県民の声を大切にして欲しい」なんて言ってるから事が進まない。政治家は、大衆の意見とは違う決断が時には必要であるということを痛感する。

 処理水問題は、福島県以外の数県が名乗り出てくれれば容易に解決出来るのだが、そうした決断を出来る知事が果たしているかどうかといえばそれも疑問。

 以前、松井一郎大阪市長が大阪湾受け入れを示唆したが立ち消えになってしまった。福島原発が主に首都圏の電源だったことをすれば東京なども候補地に名乗りを上げるべきだろう。福島県一県だから福島だけが貧乏籤を引くことになる。

 2020年東京オリンピック委員会の総会に於いて、安倍前首相は「(処理水問題の状況は)完全にコントロール出来ている」と大見得を切ったことは記憶に新しい。処理水問題は、我が国の首相が公約した国際的な約束事でもあるのだ。

 処理水の海洋放出は一歩間違えば国際的な問題に成り兼ねず、オリンピック終了までは断念せざるを得ないだろう。ここに来て東京オリンピックが1年延期されたが、処理水の海洋放出を断念しタンクの増設で事を濁してはならない。

 以前、建屋屋上へ溜まってた雨水40兆Bq/Lが流出したと大騒ぎになった。4京ではなく40兆Bq/Lで年間にすれば20兆Bq/L。汚染水にはストロンチウムやトリチウムが確認されているが、数値の高さに驚くが人体に影響が出る数値ではない。

 世界基準では、地下水バイパスやサブドレンの放出濃度運用目標は1500Bq/Lと定められている。これをトリチウム水の質量濃度に換算してみると、約2.8×10のマイナス14乗、つまり百兆分の2.8Bq/Lという極めて低い濃度となる。

 ppm(百万分率を表す単位で100万分のいくらであるかという割合を示す数値)や、ppb(10億分のいくらであるかという割合を示す数値)、ppt(1兆分のいくらであるかという割合を示す数値)にも至らないレベルということ。

 現在、世界各国の原発施設から海へ放出されているサブドレン/地下水ドレンのトリチウムは1000Bq/L以下、地下水バイパスでは100~150Bq/L程度。1F港湾内外のトリチウムは検出限界(約2.0Bq/L)以下とのデータが出ている。

 堰内に溜まった雨水(堰内の汚染も含む)も、検出限界(約100Bq/L)以下で、 これらを質量の濃度に換算すると千兆分の1~十京分の1となる。

 仰々しい数値だが、原発周辺に貯まり続ける処理水の数値は気化されたものもあり数値は低い。セシウムの700分の1程度に過ぎないトリチウムの放射線に怯える必要は無い。風評という雑音は直ぐ消える。粛々と海洋放出を実行せよ。呵呵。

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2021年04月04日

我が母校でもある国士舘の「読書」「体験」「反省」「思索」の教え

 読書量を自慢し、本棚に並ぶ本の多さに悦に入ってる人がいる。斯くいう愚生も、若い時分にはそういうこともあった様にも思うが、その多くを処分してしまった。押し入れには処分してない段ボールに詰めた本が10個程ある(笑)

 読書量を誇ったところで意味はなく、本の中身の感ずる処を書き記し、自ら実践してみることが何より大事である。実践すれば失敗することが多いだろうが、その失敗を反省し、その失敗を次に繋げる糧とすることが貴重なのだ。

 我が母校の国士舘では「誠意」「勤労」「気魄」の他に、「読書」「体験」「反省」「思索」との四徳目の教育指針を示しているが、正しくこのことである。

 保守陣営などからは道徳教育の拡充や戦前の「修身」復活の声も聞こえる。だが、幾ら教えたところで、その教えを実践しなければ単なる画餅に帰すだけ。

「修身」や「教育勅語」に示された道徳教育とは体育の授業と同じで、理論を教えることは大事だが、学んだことを行動に移して実践しなければ意味はない。

 嘗て、明治開国を目指した我が国は「教育立国」として明冶の試練と昭和の国難を乗り越えた。極貧の中から多くの偉人が輩出したのは立派な教育の故であろう。 「坂の上の雲」で、父親が秋山兄弟に苦諌する場面がある。

「好きで貧乏しているのではない。敢えて君等の将来を考えてやっているのだ。昔の偉人や英雄は極貧の中から生まれた。金持ちから偉人や英雄は生まれん」

 教育の原点とは意外とこんな処に在るのではなかろうか。 現在はどうだろうか。国民の勤勉性、家族愛、愛国心、信義誠実の原則は失われ、心の中の高貴なものを失い、高邁さを忘れ、在るのは自己中心性の欲望だけだ。

 高邁な魂を喪失した日本国民に最も大事なものは教育の再生しかない。将来の祖国日本を担う子供達への教育を如何に充実させるかが肝要。保守派や愛国陣営が道徳教育や「修身」復活を願うなら、先ずは自らが実践して模範を示すことだ。

 修身には「おたけがめくらのてをひいて」との一節がある。少女が目の不自由な人の手を引いてやるシーンだ。だが、「めくら」は差別用語とされ、放送禁止用語。こうしたことを見ても「修身」復活は言うには容易いが導は無理だわな(笑)

 愚生は映画が好きで年間に少なくても200本以上は観てる。「座頭市」や「眠狂四郎」とか、古い映画ってのは放送禁止用語が飛び交ってて実に面白い。

 盲(めくら)、唖(おし)、吃(ども)り、跛(びっこ)、聾(つんぼ)なんてのは日常会話の様にしょっちゅう飛び交う。古い映画や古典落語には差別用語だけではなく、懐かしくも美しい日本語が溢れていて、実に実践した教育でもある。

「憚(はばか)り様でした」(ご苦労様です。恐れ入ります)
「傍杖(そばづえ)を食う」(思わぬ災難に遭う)
「荷が勝つ」(責任・負担が重過ぎる)
「武士は相身互(あいみたが)い」(同じ立場の者は助け合うべし)
「罪業(ざいごう)の深さ」(罪の原因となる行為)
「浮世(うきよ)に拗(すねる」(世の中に逆らう)
「卒爾(そつじながら」(人に声をかける時に言う語)
「阿漕(あこぎ)な奴」(しつこくずうずうしい)
「お為倒し(おためごかし)」(相手の為といいながら、自分の利益を図ること)
「朝未(あさま)だき」(夜の明けきらない頃)
「足元から鳥が立つ」(思いがけないことが起こる)

 こうした言葉を挙げれば限がないが、余り馴染みのない言葉や台詞が出て来るが、こうしたことを気にしながら、観たり聴いたりするのは実に楽しいものだ。

 こうした難解な言葉を四六時中考え、気にして見聞きしている訳ではない。因みに「四六時中」という言葉も、昔は「二六時中」と言ってたそうだ。

 一日を十二刻(昼六時、夜六時)に分けていた時代には「二六時中」だったという。現代の様に二十四時間になって「四六時中」に変わったというから面白い。

 言葉は移ろうものだが、古の日本人のどういう職業の人がどういう風に使っているのかを知れば、また違った世界を知ることが出来るというものだろう。

 道徳教育や歴史教育は大事であるのは言うまでもないが、その前に美しい日本語を教えることこそ肝要である。英語というのはバチカンでは「穢れた言葉」だった。そう考えれば、英語なんていう田舎言葉を教えてる場合じゃないぞ(笑)

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2021年04月03日

直きを友とし 真を友とし 多聞を友とするは益なり!

「朋あり遠方より来たる。また楽しからずや」。親しい友とはかけがえのないものであり、「人生は邂逅の一言に尽きる」というが、人生の中で得た多生の縁を意気に感じつつ気の置けない友人と一献しながらの語らいほど愉しいものはない。

 しかし、親しいからといって近づき過ぎると礼を失することになるし、かといって距離を取り過ぎれば余所余所しくなる。剣道などの武道でもそうだが、人間関係に於いても同じ様に程好い間合いというのが大事となる。

 支那南北朝時代末期の学者で、子孫に対して学問の重要性を説いた願之推(がんしすい)は、「優れた人物を友に持てば、長い間には自分もまた香気を放つ人物になるもので、友人との交際は慎重でありたい」と訓えている。

 自分より優れた人達との交際や交流が、自分自身を成長させる上で役に立つということ。要は、「己に如かざる者を友人とする勿れ」と言う様に、自らを向上させる為には自分より劣った者は友人として交わらない方が好いということ。

 そうした上で自らが香気を放てる立場になったなら、その能力を惜しみなく分け与えることが大事。孔子は「益者三友、損者三友」、つまり「直(なお)きを友とし、真(まこと)を友とし、多聞(たもん)を友とするは益なり」と訓える。

 益者とは「剛直な人」「誠実な人」「教養のある人」であり、損者とは「易きに付く人」「人当たりばかり良い人」「口先だけ巧い人」などをいう。

 見聞に長け教養のある人と交わることは有益であるが、その反対に、媚び諂い、易きに付く人、人当たりばかり良い人、口先だけの人を友とすることは有害なもの。だが、為にならない人も反面教師として見れば役に立つ場合もあるが(笑)

 確かに、自分に諂う様な人物を友としても何の役にも立たないことはよく知っていても、人というのは兎角、自分の短所や欠点を注意されることよりも、何やかんやと御世辞をいう、諂う友(人)を周りに置きたがるものだ。

 だから孔子は「良薬口に苦けれども病に利あり、忠言、耳に逆らえども、行に利あり」とも喩えている。こうした考え方は間違いではないが、如何せん、そういう立派な友などそうそうはいないのではなかろうか。皆、「朱に交われば赤くなる」の喩え通り、似た者同士が集まってしまうのも世の常というものだろう(笑)

 実社会の人間模様を見渡せば、善友、必ずしも善友ではなく、悪友、必ずしも悪友とは限らない。「毒を以て毒を制す」ではないが、悪友の方が、結果として善友以上の働きを示すことの方が多いのも確かだろう。

 分かり易く喩えれば、畳にこぼれた水を拭き取るには、乾いたタオルでは綺麗に拭き取れない。タオルを充分に水に浸し、これをキリリと絞り上げてから使うのがいい。タオルの水気が畳の水を綺麗に吸い上げるのだ。

 新しいタオルが水を吸わないのと一緒で、日頃からキレイゴトを言ってるヤツなどは、いざという時にはクソの役にも立たないものだ(笑)

 そんな上辺だけの者より、共に笑い、共に泣き、ある時は共に悪い遊びをした様な友達の方がいざという時は親身になって心配してもくれるし心強い。

 今どきのマスコミが垂れ流す安っぽい風潮に流され、請け売りの政治学を偉そうに語るヤツより、そんな政治のことは全く分からなくても、酒を愛し、趣味や惚れた女やスケベな話しを自慢顔で話してるヤツの方が信用出来るというもの(笑)

 相手の主体性を重んじることを「君子の交わり」というが、「君子の交わりは淡きこと水の如し、小人の交わりは甘きこと醴の如し」という言葉もある。

 物事をよく弁えた人の付き合いというものは水の様に自然なものなのであるが、つまらぬ小人物の交際というのは、まるで甘酒の様にベタべタした関係であり、一時的には濃密のように見えても、長続きせず、破綻を招き易いものでもある。

 facebookなどでの遣り取りを見ているとキレイゴトを並べ、ベタベタとした上辺だけのコメントが実に多い。互いに抑揚を抑え、大人の遣り取りをしているつもりなのだろうが、そんな付き合いなどに意味があるとは思えない。

「巧言令色鮮矣仁(こうげんれいしょくすくなしじん)」という訓えの通り、言葉巧みで、人から好かれようと愛想を振りまく者には、誠実な人間が少なく、人として最も大事な徳である「仁」の心が欠けているものだ。

 斯くいう愚生も、「巧言」というのは無きにしも非ずだが、「令色」に至っては、相手に気に入られようと機嫌を取ったり、笑顔を振りまく様なことはない。

 愚生の経験上、「女は愛嬌」というが、いつもニコニコと愛想を振りまいて笑顔を見せてる男にロクなヤツはおらず、根が性悪なのが少なくない。

 選挙の時だけニコニコと笑顔を見せて握手してる政治家もそうだが、「笑うと目が無くなる男には気を付けろ!」というのは強ち間違いではない(笑)

「巧言令色鮮矣仁」の言葉の対語は「剛毅木訥近仁(こうきぼくとつじんにちかし)」という。その意味は、意思が強く強固で、素朴で口数が少ない人物が、道徳の理想である「仁」に最も近い者であるということ。

 愚生は剛毅さはあると自負するが、右翼人というのは「よく読み・よく書き・よく喋る」という三拍子が必要不可欠で、そこに「よく呑む」が加われば最強。人から好かれ様とは思わないが、「巧言」というのは無きにしに非ず。呵々

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2021年04月01日

今日はエイプリルフールだが最大の嘘吐きは釈迦牟尼かキリストか(笑)

 卯月朔日。朝未だきから身を清め、神饌を替え、畏くも陛下の弥栄を念じ併せて心願成就を懸ける。今日は「四月馬鹿(エイプリルフール)」。今日だけは嘘を吐いても善い日だと言われている。でも、午前中限定らしいですので御注意を(笑)

「嘘も方便」とか「嘘は世情の宝」ともいうし、嘘というのは相手への思いやりが込められたものや、世間を和ませるシャレの利いたものが好い。

「講釈師見て来た様な嘘を吐き」なんてのもあるし、「商人は損と求めて蔵を建て」とかいう川柳もある。商売人というのは、口では「儲かりません」と言いながら、大きな蔵(家)を建てるなんてのはよくある話し。

「紺屋(こうや)の明後日(あさって)」という喩えもある。紺屋(染物屋)というのは天候に左右されるので、雨や悪天候には仕事にならず仕上がりが不安定で、約束した期日は当てにならないというもの。

 愚生の実家のラーメン屋でもそうだったが、出前の催促が来ると「今、出ました」なんてよく言ってたが、アレと同じ。出たとは言ってたが中々届かない(笑)

 花魁の世界には「手練手管(てれんてくだ)」なんてのもある。今でいうとキャバ嬢やホステスだろうか。「手練」とは人を思うままに操り騙す技巧だが、スナックなどでホステスの嘘を勘違いして、惚れてしまうってことも(笑)

 嘘には好い嘘と悪い嘘がある。自分の為に吐く嘘は感心しないが、周りを安心させる様な、また和ませる「嘘」は吐いても差し支えはない。

 気の利く嘘も吐けないというのはバカ正直。そんな輩は世間からは遠ざけられる傾向があるが、そんな馬鹿正直な人も最近はめっきり見かけなくなった。

 まぁ、何事も上っ面や一面な見方や考え方ではなく、何気の無い一言や小洒落た嘘に隠された真実や優しさを見抜くことが出来れば人生もっと面白い。

 御釈迦様(釈迦牟尼)は「地獄」「極楽」を創られ、民衆の心に安らぎを与えた。キリストもまた「天国」への夢を誘って多くの人々を救ってきたが、アレは嘘だろう。人間死んだら終わり。死んだら「無」だと思っている。

「人は小さな嘘には騙されないが大きな嘘には騙される」とはアドルフ・ヒトラー。死後に訪れるという「極楽浄土」や「天国」なんてのはその最たるもの。だが、こうした噓で、民衆に生きる希望を齎し、死への恐怖を祓った。

 仏教でもそうだが「五戒」「十戒」というのを訓えている。だが、こうした戒めを守ってる坊主や仏教徒なんぞおるまい。正しく、日本国憲法前文に明記されてる「平和を愛する諸国民の公正と信義」のキレイゴトと同列だわな(笑)

「不殺生戒(ふせっしょうかい)」。生き物を害してはならない。また他人に殺さしめてはならない。また他人が殺害するのを容認してはならない。

「不偸盗戒(ふちゅうとうかい)」。他人のものを盗んではいけない。また他人をして盗らせてはならない。また他人が盗るのを認めてはならない。

「不邪婬戒(ふじゃいんかい)」。不道徳な性行為を行ってはならない。これは、不倫や強姦を指すが、他にも性行為に溺れるなどの行為も含まれる。

「不妄語戒」。嘘をついてはいけない。また他人をして偽りを言わせてもならない。また他人が偽りを語るのを容認してはならない。

「不飲酒戒(ふおんじゅかい)」。酒を飲んではいけない。また他人をして飲ましめてもならない。また他人が酒を飲むのを容認してはならない。

 この項目に「不塗飾香鬘 (ふとしょくこうまん))」「不歌舞観聴」「不坐高広大牀 (ふざこうこうだいしょう)」「不非時食 (ふひじじき)「不蓄金銀宝」を加えたものが「十戒」。モーセの十誡も似た様なものだろう。

「五戒」や「十戒」とは、経験に基く自戒の意味を込めた箴言だと思ってるが、愚生的にはこの中でも「不飲酒戒」は守るのは絶対無理だわな(笑)

「嘘は泥棒の始まり」「嘘を吐くと閻魔様に舌を抜かれる」という様に、嘘というのは悪いものだと教わって来た。だが、噓が罷り通てるのが政治の世界。

 我が国の政治家の世界はホンネは出来るだけ出さない方が好いとされ、政治家の嘘には馴れっこになってしまっている。現代では「嘘つきは政治家の始まり」。閻魔様に舌を抜かれる様な政治家は地獄行き。つ~か、地獄の概念も噓だろうな(笑)

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