2022年01月21日

「酒」は食卓の左に「醤(酒肴)」は右手に置くべし

「酒を飲まない人は人生の3分の2を損してる」といったのは山口瞳だったか誰だったか忘れたが、まぁ、人生の3分の2を損してるかどうかは知らないが、酒を飲まない人と飲む人じゃ懐具合は3分の2は失ってるのは確かだわな(笑)

 坂本龍馬が「酒は飲むべし酒は飲むべし 人生唯酒ありて肝を開く 酔中の快楽人知るなし」と訓えたが、酒というのは飲む人じゃないとその愉しさは分からない。腹を割って忌憚無く喋れるには酒は貴重な存在で、本音を曝け出してくれる。

 吉田松陰は「花柳詩酒に陥る如きは真の道に志す者の必ず暇あらざる所なり」と、道を志したのなら、飲食街で遊んだり、詩や酒に狂うというような暇は絶対にないと訓えてるてるのだが、松陰先生というのはチョッと堅物過ぎるな(笑)

 水戸光圀の教えの一つに「欲と色と酒を敵と知るべし」というのがある。これは吉田松陰の訓えとはチョッと違う。酒を飲まない人や欲の無い人が、態態、こういうことは記さない。若い時分に女と酒に溺れ、失敗した戒めだろう

「数々の過失は酒と共にあり その酒抱きて今日も堕ちなん」とは、最後の浪人と言われた阿部勉の詩だが、愚生には松陰や光圀よりこの詩が一番合っている。

 どうせ飲むなら上等の酒が好い。愚生は日本酒なら純米酒が好きだが、その中でも酒蔵自慢の純米対吟醸や純米吟醸が好い。酒肴には拘らないが酒器は錫の御猪口とちろりでやる。そこに気の置けない酒敵や酒友がいれば言うことはない。 

 酒好きのことを「左党(さとう)」といい「ひだりきき」ともいう。「左」が付く言葉で「左団扇」とか「左党」とか好ましい意味もあるが、知能が足りない者などを「左巻き」というし、正しい道に反することを「左様」という。

「左」という言葉は悪い意味で捉えられることが多い。正しい道に反する「左様」という「さようでござるか」を「左翼でござるか」と当て嵌めると分かり易いだろう。要は、左党というのも酒飲みを揶揄してる言葉にも思えるな(笑)

 その点、「右」はというと「右肩上がり」とか「右腕」だとか「右」という字は好ましい意味で捉えられる。「右倣え」とは言うが「左倣え」とは言わない。

 左に倣うとロクなことにはならない。日本では何故か愛国者は右翼勢力と断じられるが愛国者でない左翼は日本だけの珍現象。やっぱ「左」はイケません(笑)

「正しい」を英語で言うと「right」。「オーライ(all right)」は「よろしい」とか「差し支えはない」とか「任せなさい」という意味になる。要は、全ての日本人が右に倣え(all right)ば、正しくて好ましい国になるということだろう(笑)

 儒教の経典である「経書」の一つである「三礼(さんらい)」に「周礼(しゅらい)」「儀礼(ぎらい)」「礼記(らいき」と称される礼儀に関する書物がある。

 その中の「礼記(らいき」に、「酒在東 醤在西 所謂左酒右醤是也」という下りがある。つまりは、「酒は食卓の左に、醤(酒肴)は右手に置くべし」ということから、専ら左手を利かせる人を酒好きな「左党」となったという。

 左手で呑んでる人を見ると、どことなく酒を極めている様に思えるのは確かだ。酒飲みを哲学的に教えたところでどうでも好いが、まぁ、愚生に言わせりゃ、本当の酒好きってのは右手や左手よりも口から先に行っている様にも思う(笑)

 酒飲みとは単に酔っ払えばイイというものでもないし、酒道となると存外難しく奥が深い。まぁ、酒は明るく楽しく呑むのが一番だが、安酒やタダ酒飲んで酔っ払えばイイというものでもなく、毎日飲む酒なのだから少しは拘った方が好い。

 山口瞳の小説「居酒屋兆治」だったか、呑み屋の極意は「一・人」「二・酒」「三・肴」と訓えたが、居合わせた隣りの客にしろ、一緒に飲む友人にしろ、これがイマイチだと酒が不味い。この三拍子と酒敵が揃うというのは幾度もない。

 酒敵や酒友と飲む酒は大いに盛り上がる。酒での過失は数え切れず、それでもそのバカな数(失敗)は場数(経験数)となって、その人間味も益して行く。

 大らかに誘いを受け無心に酒を飲み、飲む程に、酔う程に、周りの人までも愉しくさせる。左党とは実に厄介ではあるが、酒道とは奥が深いのである。呵呵。

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2022年01月19日

高齢化社会の弊害は貯めに貯め込んだカネを使わないことに尽きる(笑)

「朋あり遠方より来たる。また楽しからずや」。親しい友とはかけがえのないものであり、「人生は邂逅の一言に尽きる」というが、人生の中で得た多生の縁を意気に感じつつ、気の置けない友人と一献しながらの語らいほど愉しいものはない。

 昨日は、某友人と駅前の「天ちゃん」で待ち合わせ。開店4時に飲み始めたが焼鳥はデカいしモツ煮やコブクロ刺しで腹がパンパン。友人が来たのは5時には既に酔っ払い状態。それでも、時局やら他愛もない話で盛り上がる。

 この店は一人2時間が原則。他の店に移動しようと思ったら、故郷の小浜から同級生と後輩二人が到着。座敷に移動し、2時間の原則もなんのその、何を話したのかも忘れたが大いに盛り上がった。その後、カラオケをしにスナックへ。

 店はコロナなんぞ関係なしに大入り満員。ママも頑張ってるよなぁ。店を開いて40年だとか。その後はカレー南蛮を食べに「辰美」へ。郡山市で飲んだ〆はやっぱりここ。カレー南蛮を食べる前にレバニラでサッポロラガーを飲むのが愚生流。

 次回は「爆ちゃんの車座会議兼森伊蔵を飲む会」を小浜でやることを約束し別れた。その後は一人で「バー八百甚」へ。マスターも元気そうだ。ジンリッキーとマスターおススメの笹の川酒造の「YAMAZAKURA安積」をロックを呷って帰宅した。

 閑話休題。己の努力の無さもあるが、支援者がめっきり減って慢性的不如意からの脱却も儘成らない。一献の誘いも不如意を理由に断ってたら誘ってくれる人もとんと少なくなってしまったが、声掛けに応じてくれる友人がいるのは有難い。

 寒いし、家でチョッと呑んで、早めに寝るのが好いが、こういうことを皆がやってると景気にも影響する。歳を取ると「足るを知り」別に今あるもので足りてしまう。また戦後を知る人は極貧の日本を知ってるのでいざという時の為に蓄えたがる。

 歳を重ねるほど物欲や食欲が減退していくが、こうしたことが積み重なると経済の波及効果も乏しくなる。日本の高齢化社会の弊害はこうした構造にも一因が。

 例えば、外食しようにも「勿体ないから家で済まそう」とか「クルマを買い替えようと思ったが今回は車検で好いか」とか、洋服にしろ何にしろ「別に今買わなくても」となる。こうしたことこそが高齢化社会の弊害でもある。

 年寄りというか、歳を重ねた人やカネを持ってる人が率先して景気対策に貢献しようとと散財すれ好いのだが、如何せん、歳を取ると先のことが心配になって貯蓄に回してしまう。況してや「コロナだから外出するな」じゃ景気は好くならない。

 歳を重ねた者こそが大いに遊び、大いに散財することで景気対策にも繋がって来るのだが、ケチな老人が多く、貯めに貯めたカネを「還付金があります」などと言われて詐欺師にまんまと取られたり、ホント間抜けとしか言い様がない。詐欺師らを庇う訳ではないが、騙し取ったカネで豪遊してるなら景気にも一役買っている(笑)

 財を成したところで使わなければ単なる「モノ持ち」。人間死んだら終わり。残した遺産の相続で揉めるだけ。愚生の座右の書「徒然草」にはこう書かれてる。

「財多ければ、身を守るにまどし。害を買い、累を招く媒なり。身の後には、金をして北斗をささふとも、人のためにぞわづらはさるべき」(第三十八段)

 子供の為にと苦労して遺したカネがとんだ災いとなることも多く、だったら、生きている内に稼いだカネはパーっと使った方が自分の為にも、残された子供達にも、況してや日本経済にとっても好い事尽くめなのである(笑)

 第三十八段の意味は、「財産が多いとそれだけ身を守らねばならず、面倒な煩いを招く元となる。例え死んだ後でも残された遺族たちは財産分与で揉めるだけだ」

「三年間、酒を飲んでみよ。恐らく金がなくなるだろう。では、三年間、酒を飲まずにいてみよ。それでも金はなくなる」という諺がある。カネなんてのはそんなもの。

 酒でも煙草でも博打でも欲しい物があったら買えば好い。酒や博打を止めたから、買うのを我慢したからといってその分貯蓄が増えるかというとそうでもない。

 結局のところ、酒飲みにしろ、競輪、競馬、競艇などの公営ギャンブルにしろ、パーッと飲んで、パーっと遊んだ方が本人も国も活気が出るし、波及効果によって自分自身にも巡って来るというものなのだ。コロナ蔓延防止なんぞ天下の愚策。

 カネはモノじゃないから使うことで価値が上がるし経済も回る。昨今の成金というのは「カネ持ち」というより「モノ持ち」というのが正しく、カネのある奴はパーっと使ってナンボ。何なら愚生がその使い方を教えてあげましょうか(笑)

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2022年01月18日

「死後の幸せ」を意味する「冥福」は宗派によっては使用してはならない

 地元紙に実兄が出てた。先日死去した漫画家・水島新司の追悼記事。大学時代、草野球で水島新司とバッテリーを組んだこと。また、漫画「ドカベン」の甲子園決勝で明訓高校の対戦相手の「いわき東高」の2番打者で「佐久間」選手のモデルになったことなどを語ってる。愚生もこの自慢話をよく聞かされてたっけ(笑)

 ただ、記事の中での「ご冥福を祈る」との表現はチョッと違和感を覚えるなぁ。純粋なお悔やみを否定する訳ではないが、「冥福」というのは「死後の幸福をお祈りします」意味。浄土真宗では「死というのは穢れではない」と教えているから、「死後の幸せ」を意味する「冥福」は使ってはならない言葉でもある。

 浄土真宗は、「故人を阿弥陀如来の智慧の光明によって極楽浄土へと導く」という真理であり、死後の幸せより、阿弥陀如来への信心を重視している宗派である。「ご冥福」というとそれらしく聞こえるからつい使いたがるが間違っている。

 浄土真宗やキリスト教など宗派に拠っては故人への冒涜となることもあるから易易と使ってはいけません。故人の宗派が分からない場合は、「お悔やみ申し上げます」「ご愁傷様です」「哀悼の意を表します」などと言い換えた方が好い。

 政治家の選挙活動の一環である弔電も、故人の宗派に関係なく「ご冥福」のオンパレード。恐らくは宗教の訓えなんぞ知らないバカな秘書がやってるのだろうが、こういう一票欲しさの選挙運動である弔電披露なら送らないない方が好い。

 人間というのは、誰しも健康であれば明日があると思って生きている。自分だけは「直ぐには死ぬことはない」と思って生きている人が殆どだろう。「死」というものは貧乏だろうが金持ちだろうが、誰にでも平等に与えられた道でもある。

 人間というのは死に向かっているのに必死に生きる。「死と生」というこの二つは矛盾してる。生き続けるというのは、死に近付いているということでもある。

 日本人の多くは仏教徒だろうが、その宗派も分からない人が多い。死んだ時だけ坊主のお経を有り難がり、死後に戒名を頂く意味すらも分かっていない(苦笑)

 抑々、自分の家や先祖の宗派を知ってる人は少ない。宗派や仏教の教えを理解していないから「ご冥福を」などという言葉が簡単に口から出てしまうのだ。

 そういう人に限って、墓参りにしても宗派関係なく「南無阿弥陀仏」や「南無妙法蓮華経」で済ませていないか。まぁ、墓参りしてるだけ好い方か(笑)

 愚生の実家は真言宗だから「南無大師遍照金剛」と唱える。愚妻の実家は曹洞宗だから「南無釈迦牟尼仏」。然し乍ら、身内でもきちんと唱えている人は少ない。

 大半の人は、墓参りや先祖供養は仏教の習慣であり、お釈迦様の教えであると信じているが、先祖供養や墓参りは天皇の詔(みことのり)として始められた行事だった。春と秋に行われる皇霊祭が、国民が祖先を供養する行事として定着した。

 仏教とは、釈迦牟尼の悟りから出発した釈迦牟尼の教えであり、その仏教は「輪廻思想」を大前提としている。釈迦牟尼は「生・老・病・死」という“四苦は人間の宿命であり、この世に生まれて生きること自体を苦しみとしました。

 釈迦牟尼は現世を苦しみの世界と捉えた。仏教の目的は、悟りを得て輪廻から抜け出す。輪廻とは、衆生が三界六道の中で死と再生を繰り返し続けることである。この輪廻から抜け出たとき、本当の幸せが訪れると考えている。

 仏教での修行は、輪廻から抜け出すことを目的としたものである。俗に彼岸の中日には先祖に感謝し、前後の6日間は悟りの境地に達するのに必要な6つの徳目である「六波羅蜜(ろくはらみ)」を1日に1つずつ修める日とされている。

 六波羅蜜の修行とは、施しという徳の「布施波羅蜜」、戒律を守る徳の「持戒波羅蜜」、忍耐という徳の「忍辱波羅蜜」、努力という徳の「精進波羅蜜」、精神統一という徳の「禅定波羅蜜」、智慧という徳の「般若波羅蜜」をいう。

 六つの徳目の中で「持戒」「忍辱」「精進」「禅定」「智慧」という教えは言葉では理解出来るが、これらを修め身にするのは容易なことではない。

 死んでも「戒名さえ貰えば極楽浄土に往ける」と思ってる仏教徒ばっかだが、戒名を頂くということは「お釈迦様の弟子になる」ということであり、要は、仏教徒というのは生きている間も修行、死後もその修行は延々と続くのである。

 訃報に接すると軽々しく「ご冥福を」などと書き込んで悲しんでるそこの貴方、これを機に親や先祖の宗派や「死」について考えてみては如何でしょう。呵呵。

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2022年01月17日

天の怒りか地の声か そもただならぬ響きあり 民永劫の眠りより 醒めよ日本の朝ぼらけ(青年日本の歌・昭和維新の歌)

 一昨日、南太平洋トンガ沖の海底火山で大規模噴火が発生し、太平洋沿岸や奄美群島などに津波が押し寄せた。幸い我が国の被害は小規模だったが、トンガでの被害状況が不明なのが気になる。我が国も世界に先駆けて支援を表明するべきだ。

 平成7年1月17日午前5時46分、淡路島北部沖の明石海峡を震源として、マグニチュード7.3の兵庫県南部地震(後に阪神淡路大震災)が発生した。自衛隊に批判的な日本社会党の村山富市政権だったこともあり、多くの犠牲者を出してしまった。

 大都市の直下型地震は我が国では初めてのことで、村山政権の対応など多くの教訓を残した。だが、残念ながらその後に起こった東日本大震災を始めとした災害を見る限り、危機管理や災害対策で万全な体制を執って来たとは思えない。

 何故に我が国は眼前の危機に対して、三島由紀夫が指摘した通り、敗戦の汚辱を払拭せずに戦後の経済的繁栄だけに現を抜かし、国の大本を忘れ国民精神を失ひ、本を正さずして末に奔り、国家百年の大計を米国に依存することが当然と考えている。

 大東亜戦争の大義も知ることなく、敗戦という教訓を活かすことなく、唯々「反省と謝罪」を繰り返してきたことで、国家としての大義を忘却してしまったことこそが抑々の間違いであり、我が国が未だ主権国家として体を成さない元凶である。

 阪神淡路大震災、そして東日本大震災等で被災された多くの方々の犠牲を無駄にすることなく、今後の我が国に押し寄せるであろう災害や危機に対し、万全なものとなる様に更なる高度な対策を構築しなければならないのは言うまでもない。

 阪神淡路大震災が起こった際の首相は、史上最低・最悪の村山富市だった。党利党略を優先する余り、国防や国益を死守しようなどとは毛頭にも無い、こうした無能な左翼のアホを持ち上げ連立を組み、首班指名した自民党にも責任が在る。

 村山が首相指名を受ける前年、羽田内閣が少数与党内閣となり総辞職。政権復帰を目指した自由民主党は、日本社会党(村山富市)・新党さきがけ(武村正義)と連立政権を組むことに合意するが、その自民党総裁も最低・最悪の河野洋平だった。

「自衛隊違憲合法論」を標榜する社会党の委員長だった村山は、被害が拡大していく中で、自衛隊違憲合法論に拘る余り自衛隊の出動に難色を示し、結果、その対応の遅れと拙さから数千人もの助かる命が失われたことは断じて赦されるものではない。

 自衛隊への出動命令の遅れを批判された村山は、驚くことに「なんせ、初めてのことじゃけ~」と他人事の様に語った。こんなのが総理大臣だったのが恥ずかしい。

「言い訳は見苦しいばかりではなく同じ過ちを繰り返す」とは徳富蘇峰。その後、村山は、日韓併合の植民地支配と大東亜戦争を「侵略」と断じて「村山談話」を発表し、慰安婦問題で火に油を注いだ。国民を救えず歴史を改竄し国益も害した。

 東日本大震災時の首相であった菅直人も、現場視察強行やSPEDDIによる数値隠蔽で、要らぬ被曝を招いたこともまた然り。最低・最悪の政権の時に何故に史上最悪といえる天災が起こるのだろうか。これはやはり、天譴だったのではなかろうか。

 青年日本の歌(昭和維新の歌)に「天の怒りか地の声か、そもただならぬ響きあり、民永劫の眠りより、醒めよ日本の朝ぼらけ」との一節がある。我々は歴代政府の不作為を剔抉粛清し、国内に蔓延るあらゆる不条理を糺さなくてはならない。

 不条理の代表的な存在といえるのが自衛隊だろう。昭和25年8月9日の警察予備隊発足以来、昨年末までで実に2019名の自衛官が殉職されており、昨年も18柱が合祀された。詳細は、陸自1086柱、海自470柱、空自432柱、機関31柱に上る。

 阪神淡路大震災や東日本大震災を始め、災害派遣や我が国の平和と独立、国民の生命財産を守る為の活動や日夜行われている厳しく危険な訓練などで、2019名以上の自衛官が殉職されていることを果たして国民の何人が知っているのだろうか。

 国家の防衛と国民の生命・財産を守るべき自衛隊が、災害派遣という都合の好い便利屋的な任務で殉職していることも知らされないというのはどうしたものか。

 こうした殉職自衛官に対し、国家や国民が感謝するのは当然だが、悲しい哉、日本共産党や日本社会党を始めとしたクソ左翼どもは自衛隊を否定し、訓練さえも批判する。況してや殉職された隊員に対し感謝する気持ちさえ持ち合わせていない。

 殉職された隊員に対しては如何に慰霊・顕彰すべきなのか。殉職自衛隊員の慰霊と顕彰の処し方や現役自衛官の処遇は、財政再建や社会保障よりも優先されるべき喫緊の課題であると考えるが、未だ自衛隊は違憲の存在の儘に放置され続けている。

 自衛隊殉職者追悼式は市ヶ谷駐屯地内の慰霊碑の前で政府関係者と自衛隊関係者のみで行われる。殉職された自衛官は、靖國神社に祀り、国民が感謝の誠を捧げるべき存在であるとだと思う。然し、如何せん自衛隊の存在があやふや故に儘ならない。

 三島由紀夫は嘗て檄文の中で、「自衛隊は国軍たりえず、建軍の本義を与えられず、警察の物理的に巨大なものとしての地位しか与えられず・・・」こう喝破した。自衛隊は三島が憂いた様に、未だ違憲状態の儘、放置され続けている。

 日本国憲法第九条第一項で「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と宣言している。

 第二項では「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」と明記されていることでも分かる通り。悲しい哉、好き嫌いは別にして自衛隊は明らかな憲法違反の存在なのだ。

 こんな不条理がいつまでも赦されて好いとは思えない。阪神大震災や東日本大震災など毎年起こる災害で救援活動や民生支援など正に命を賭して活動し、日夜訓練に励む自衛隊員と自衛隊の存在を、まともな日本人ならば誰も否定はしまい。

 安倍元首相は「集団的自衛権」に対し、憲法解釈などという姑息な手段でその場を凌ぎ、安保関連法案の際にも同じ轍を踏んだ。何故に堂々と現憲法の矛盾点を指摘し、自衛隊を名誉ある軍にしようとしないのだ。現憲法の矛盾や不条理を解消することに、誰に何を慮るというのか。これ以上の政治の怠慢は断じて赦されない。

 我が国の危機管理と防災と国防が万全盤石なものとなり、より高度な対策が構築されて行くことが、阪神淡路大震災や東日本大震災等の災害で犠牲になられた方々の無念さに応える唯一無二のものであると信じて止まない。合掌。

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2022年01月16日

第七十六代内閣総理大臣の海部俊樹の死去に思う

 第七十六代内閣総理大臣の海部俊樹が死去した。享年91歳。「海部の前に海部なし。海部の後に海部なし」と早稲田大学雄弁会で語られたという逸話は記憶してる。確かに舌鋒鋭く演説は上手だが如何せん人相同様イマイチ迫力が乏しかった。

 首相に就任出来たのも、リクルート事件や女性スキャンダルに縁遠く、クリーンなイメージだけで無難なところが買われたのだろう。当時最大派閥の竹下派が支援したことで総理総裁となるも、自民党幹事長に就いた小沢の傀儡政権だった。

 自民党幹事長に就いた小沢は「海部首相の無能」との評判に関し「海部首相の無能」との評判に関し、「シャッポ(帽子)は軽い方が好い」と発言。更に「担ぐ神輿は有能でない方が使い易い」との発言が新聞紙上を通じ一気に有名になった。

 この発言は小沢一郎の性格を良く現した話として小沢がカリスマ性を浴び党内実力者として持ち上げられて行くが、後に小沢側近で秘書の平野貞夫(後に参院議員)の発言だったと判明する。平野が記者の前で、オフレコで話した言葉だった。

 記者らはそうした経緯を知っていながら「平野秘書」と書かずに「小沢幹事長が」という主語で記載した。秘書の発言よりも小沢の発言とした方が、よりニュース性が高いと判断したからだ。マスコミはこうして印象操作し国民を誘導する。

 マスコミは「周辺のエピソード」を、全て小沢の功績であるかの様に報道し、このマスコミに因る印象操作に因って、何でもない事や日常茶飯事でさえも、全て国民の持つイメージを増幅する形でデフォルメ(誇張された表現)されてしまった。

 小沢一郎について国民はどんなイメージを持っているかと言えば「剛腕」「壊し屋」というイメージが一般的であり、もう少し政策などを見ている人は、政治家の中でも熱烈な「親中派」であり、逞しい「親韓」というイメージだろう。

「真実の小沢一郎」とはどのような人物なのだろうか。実際に小沢に会った殆どの人が同じ様な感想を話す。そこには政界を牛耳る「剛腕政治家」の姿は何処にも見えない。どちらかというと「普通のおじさん」というイメージしかないという。

 逆に「何処から見ても弱弱しい、気の小さい、そして、酒好き・女好きな何処にでもいる初老の男でしかない(宇田川敬介)」という。(※初老とは四十歳をいうが勘違いだろう) 。その「普通のおじさん」が「剛腕政治家」に化けるのは何故か。

 決定的になったのは前出の「シャッポは軽い方が良い」という発言に関するエピソードだ。その後の日本新党ブームに肖った細川護熙内閣成立、自民党の下野の立役者として活躍した小沢一郎の、正に代名詞になったかの如き発言である。

 海部の話に戻るが、自衛隊派遣など当時では難しい外交政策を乗り切ったと評価されてるが、要は追米に加え、憲法議論議論さえも出来なかったことは無能故のことだ。そういや、在日韓国人の指紋押捺の廃止を実行したのは海部だったな。

「内閣の命運を賭けた」という小選挙区制度導入が頓挫すると退陣する。その後、小沢一郎も派閥抗争に敗れて自民党を脱党し、何故か海部も小沢に付いていった。小沢は海部を新進党の初代党首に持ち上げるも蜜月はそうは続かなかった。

「政治改革」の名の下に謀られた小選挙区制度は派閥抗争で敗れ自民党から脱党した小沢らが自民党派閥解体が目的だった。今や国会議員の8割以上が官僚上がりと世襲議員しかいなくなったのも海部のマヌケな政治改革の置き土産でしかない。

 斯くして小沢らの策謀に嵌り我が国は二大政党の道を選択した。然し、小選挙区では「赤か白」的に一人しか選べない、小選挙区制度は中庸を旨とする日本人にはそぐわない。自民党か共産党かではなく選択肢が多い制度にするべきだ。

「10増10減」にするというが、投票を義務化し「該当者なし」の項目を創れば好いし、例えば、福島県は以前は中選挙区(5区)に分けられていたが、これを「浜通り」「中通り」「会津地方」の三つに分け、夫夫当選者を4人~5人とすることで、巨大政党に所属しなくても当選出来る制度に替えるべきだと思う。

 現在の選挙制度では、幹事長を始めとした党幹部に気に入られ、主張も政党の意向を優先させられる。つまり、憲法改正にしても「自民党がやろうとしている憲法改正は現憲法を護持することになるから反対」と主張したら党公認は無理だろう。元官僚や世襲ばかりでは国会がつまらなくなる一方だしに新しい風が吹くことは無い。

 死んだ人を批判するのは本意ではないが、自民党政治の劣化が顕われ出したのも海部の無能も少なからずある。今や小選挙区制度比例並立制が政治が生業となってる元凶である。更には細川護熙が謀った政党助成法が政治劣化に拍車を掛けている。

 いけしゃあしゃあと自民党に復党した海部だが、過去の愚策と己の無能を猛省することはなかった。小選挙区比例並立制にしろ、国民への詐欺行為である政党交付金制度にしろ、海部らが遺した悪しき政治システムを終わらせるべきだと痛感する。

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2022年01月15日

売春を「悪」とか「不潔なもの」と考えているのならどっちもどっち

 団体も辞し上京する機会も減り好きな寄席にも行けなくなった。落語というのは話術も勉強になるが、日本人として学ぶべき歴史や蘊蓄などが沢山詰まってて参考になる。街頭宣伝をする活動家は本より寄席で人間模様を学んだ方が好い。

 ほろりと来る人情噺も好いがやはり笑える滑稽なネタが好きだ。落語には吉原に纏わる一席は多い。愚生の好きなネタの一つに吉原を舞台にした「錦の袈裟(にしきのけさ)」というのがある。上方落語では「袈裟茶屋」と呼ばれる古典落語である。

 昔は、江戸っ子が遊びに行くといえば吉原と相場が決まってて、そんな男衆が何人か集まると必ずこの吉原での遊びの話になったという前説から始まる。

 扨て、祭りも終わり、打ち上げを吉原でということになるも、何やら「隣町の連中が吉原で緋縮緬(ひぢりめん)の揃いの長襦袢で遊んで盛り上がったらしい」という話を耳にし、「ならばこっちはもっと派手に」と、全員で錦の褌(ふんどし)を着けて総踊りという案を出す。だが、褌がどうしても一人分足らない。

 そこで与太がかみさんに相談。かみさんは、褌を作るにしても緋縮緬布など無いし、そこでかみさんが一考。「あそこの住職の袈裟を借りてこい。それで褌をこさえてやるから」と相成り、どうにか男衆全員で吉原へ繰り出すこととなった。

 吉原に着くなり男衆らは座敷でどんちゃん騒ぎ。仲間が芸者に相手にされない中で、錦の褌をした与太が茶屋ナンバーワンの花魁に惚れられるというオチ。

 住職の派手な袈裟を褌にしてしまうとは色んな意味で快哉なネタだ。で、与太とかみさんの遣り取りが面白い。しゃあしゃあとかみさんに「吉原に行くから」と相談する方もする与太も与太だが、それを聞いたかみさんの台詞がまた好い。

「必ずそういった話になるから、祭りってのは嫌いなんだよ。でも、行かせないってのも、後後、色々言われるし。あんた、帰って来る時は塩でしっかり洗って来るんだよ!」と、おかみさんは与太に袈裟の褌を着けさせ送り出した(笑)

 昔の吉原遊郭というのは、男が遊ぶ場所で社交場でもあった。女房にしても商売女(芸者)との遊びは遊びとして気に留めず、大らかさがあったのは確かだろう。

 昭和31年、売春防止法が施行されて以降、売春という行為そのものが「如何わしい行為」「不潔なもの」とされてしまったことで性への認識が変わって行く。

 売春が人としての尊厳を害し、性道徳に反し、社会の善良の風俗を乱すものであると施行されたが、所謂従軍慰安婦問題などの根底にはこうした売春婦への嫌悪感や差別があるのは確かだろう。だが、売春防止法は戦後11年後に施行されている。

 つまり、それまでは売春は合法だったのだ。売春婦に成らざるを得なかったことは憐憫の情は隠せない。未だに韓国では、慰安婦という名の売春婦だった婆さんが被害者ぶって大騒ぎしてるが、いつまで経っても強欲さは消えることは無い。

 大正から昭和初期の日本は利益は財閥が独占し、政治の不作為甚だしく、多くの国民が貧困に喘いでいた。中でも、冷害に襲われた東北の農家の貧しさは酷いものだった。口減らしや、家族や幼い妹や弟を救おうと姉が身を売らざるを得なかった。

 韓国人慰安婦より東北や九州の農家の女性が多かった。昭和維新を惹起した五一五事件や二二六事件の背景にはこうした不条理があったことを忘れてはならない。

 金儲けとしか考えない現在の違法な売春行為と、昔の吉原の遊びを一緒くたにするのは無理があるが、ある一時代には、悲しい哉、職業として娼婦に成らざるを得なかったことを、現代の安っぽい倫理観や道徳観で語るのは如何なものか。

 政治の不作為から極貧に喘ぎ、故に吉原に売られた幼い子らも自分の意志ではないにしても、身体を張って家族を守り、そして貢献したことは立派なことだと思う。

「慰安婦は職業としての売春婦」と発言し、騒ぎになると直ぐに発言を撤回したアホな国会議員がいたが、この発言を鬼の首を獲ったかの様に断じている連中は売春そのものを「悪」であり「不潔なもの」と考えているのならどっちもどっちだ。

 売春行為が絶対悪ならば売春婦を摘発し、彼女らが身体を売らないで生きられる具体的な施策を打ち出すべきだがそれも到底無理なこと。性は自然の摂理であり、特に男性の生理現象は愛情が無くても十分。ソープランドは必要なのだ(笑)

 いっそのこと、売春防止法を廃止し、遊郭や赤線を復活し、世の男性に夢を与えた方が好い。非合法だから料金もそれなりに高くなってるだけで、赤線復活となれば売春相場も激減し、売春しようという女性も少なくなるのではなかろうか。

 街の彼方此方に立ってる外国人女性の売春や非合法の売春は否定するが、ソープランド嬢は菩薩であり、慰安婦というのは立派な職業だったのです。浅草演芸場の寄席も好いが、菩薩に会いに錦の褌を締めて吉原へ繰り出したい気分だ。呵呵。

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2022年01月14日

本日1月14日は尖閣諸島の主権の正当性を認めた「尖閣諸島開拓の日」



 今日1月14日は、尖閣諸島の主権の正当性を定めた「尖閣諸島開拓の日」。明治28年1月14日の閣議決定を受けて、沖縄県石垣市が条例により定めた記念日で、「尖閣諸島の日」や「尖閣の日」とも呼ばれるが、こうした歴史を知る国民は少ない。

 領土は国の主権というが、こうした認識ではロシアに不法占拠されている北方領土や、韓国に実効支配されている竹島を奪還することなど夢のまた夢。それどころかこの儘では尖閣列島も中共の支配下になる危険性を孕んでいる。 

 魚釣島などの五つの島(魚釣島、南小島、北小島、久場島、大正島)と岩礁からなる尖閣諸島は、国際法上の「無主地先占」(持ち主のいない土地を占有した国に、その領有権を与えるという考え方)に基いて、10年に及ぶ現地調査の結果を経て、明治28年1月14日の閣議決定に拠って沖縄県に編入された。

 世界各地の地図の上でも、中共や台湾の教科書でも日本の領土として公式に認められている。那覇地方法務局石垣支局の土地登記簿に拠ると、魚釣島、南小島、北小島、久場島、大正島の五島は石垣市登野城となっている。

 夫々の地番を有し、魚釣島、南小島、北小島は古賀善次氏の所有を経て現在は、埼玉県の栗原国起氏が所有し、九場島は那覇市の古賀花子氏、大正島は財務省の所有となっている。 南小島は現在、国が年間190万円で借り上げている。

 問題の多い尖閣列島を国が管理し上陸を規制する事で中共との関係悪化を防いでいるのだろうが、こうした弱腰、事勿れ、全方位外交で国土や国民の安全を護る事は出来まい。抑抑、憲法論議もせずに国家の安全保障を語っている事が空空しい。

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 画像は中華民国が石垣村に贈った感謝状。〈感謝状〉「中華民国八年冬福建省恵安縣漁民郭合順等三十一人遭風遇難飄泊至日本帝国沖縄県八重山郡尖閣列島内和洋島承 日本帝国八重山郡石垣島雇玉代勢孫伴君熱心救護使得生還故国洵矚救災恤鄰當仁不譲深堪佩特贈斯状以表謝忱 中華民国駐長崎領事馮冕 中華民国九年五月二十日」

〈解説〉「中華民国八年の冬に、福建省・恵安県の漁民郭合順ら三十一人が、海上で暴風の難に遭って漂流し、日本帝国沖縄県八重山郡尖閣列島内の和洋島(魚釣島の別称)に漂着した。その際、八重山郡石垣村役所の玉代勢孫伴君らが、熱心に救護に当ってくれて、遭難漁民らを故国に生還せしめるまで世話をしてくれた事に深く感謝し、ここにこの感謝状を贈る。中華民国長崎領事馮冕 中華民国九年五月二十日」

 明確に尖閣諸島が中華民国附属の島では無く、日本領の沖縄県八重山郡の行政区域の中に位置付けている。沖縄県領域の日本領であることを当時の中華民国政府が認識していたことの証拠資料の一つだ。中華民国が中共に替わろうが同じこと。

 1960年(昭和35年)に中華人民共和国で出版された「世界地図集」(北京市地図出版社)の中でも沖縄周辺の地図には「魚釣島」と記され、国境線も国連海洋法に従って与那国島と台湾本島の中間に引かれていることに括目したい。

 1960年といえば中華人民共和国が建国された後だ。共産党一党独裁の中共で、一出版会社が中共の許可も無く自らの解釈で国境を定めることは有り得ない。つまり、この地図(世界地図集)からも尖閣諸島が日本の領土であることが読み取れる。

 台湾も同様で、1965年(昭和40年)に国防研究院と中国地学研究所が共同で出版した「世界地図集・第一冊・東亜諸国」の国境線は、与那国島と台湾本島の中間よりも台湾側に寄り、「魚釣島」「尖閣(群島)」と記されている。

 そんな中で、昭和43(1968)年6月、国連アジア極東委員会が尖閣諸島周辺の東シナ海大陸棚に石油・天然ガスが埋没している可能性を報告する。この国連の報告以降、中共と台湾は唐突に尖閣諸島の領有権を主張し始めたのが真相である。

「反中国」を叫ぶ営業保守らの効果もあって尖閣諸島問題への危機感を共有してはいるが、悲しい哉、国民の領土主権の防衛意識は乏しく、北方領土がロシア(旧ソ連)に強奪され、韓国に竹島を乗っ取られた歴史的経緯を知る国民は少ない。

 寸土たりとも雖も、主権確立には戦いをしてまで死守しているのが世界の常識であり、歴史的にも「強奪された領土は奪い返すこと」でしか解決しない。領土問題が未解決なのは国家主権の甘さと弱腰外交が招いた悪因悪果である。

 領土は国の主権であり、尖閣諸島が中共に軍事占領される前に自衛隊の駐留や住民への上陸を許可し、実効支配は勿論のこと安全保障の確立を急がねばならない。

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2022年01月13日

「まだ分からないことが多いオミクロン株ですが」としながら12歳未満にもワクチン接種するという異常さ

 そういや4年前、東京から帰ってきたら体調が悪く、体温が39℃を超え「インフルエンザに罹ったな」と休日当番医に行った。隔離部屋に入ると他の患者がゲホゲホと咳込んでた。治療の結果「インフルエンザA型」となりタミフルを処方された。

 過去に何回かインフルエンザには罹ってるから慣れたもの。高熱に魘され、食欲も低下するもタミフルを飲めば数日で快方に向かう。だが、5日分のタミフルを飲んでも一向に治らない。ということで、かかりつけのクリニックに行くことに。

 検査をすると「五郎ちゃん、インフルエンザのB型だよ」。「インフルエンザAに罹ったばっかなのに」。何やら隔離された部屋で別の患者からうつったらしい。「AとBじゃウイルスが違うからねぇ」と笑われた。約10日で5キロ程痩せたっけ。

 コロナウイルスの中で、重症化傾向のある中東呼吸器症候群(MERS)と重症急性呼吸器症候群(SARS)に新型コロナウイルス感染症(COVID-19)が加わった。MARSもSARSも有効なワクチンも根治療法は未だ確立されていないが鎮静化した。

 COVID-19も同じく変異しながら鎮静化に向かっていると見るべきだろう。手洗いや嗽などの一般的な感染予防策は必要だと思うが、感染症対策分科会の尾身茂が「ワクチン接種こそ急ぐべきだ」との相変わらずの強要には違和感しかない。「狂気の沙汰も金次第」とかいうし、やっぱりワクチン利権絡みなんだろうな(苦笑)

 弱毒化しつつある流行性感冒に、緊急事態宣言まで出したって感染自体は防げない。ウイルスは変異して人間との共存を図ってるのだから感染力は高いが威力は無くなっている。感染者数の高さに比べ死者が少ないのがオミクロン株の特徴。何やら世界でこれだけ蔓延してるのに死者は35人程(1月10日現在)だという。

 COVID-19やSARS-CoV-2がヒトに感染することによって発症する気道感染症(ウイルス性の広義の感冒の一種)を防ぐ為にワクチンが作られたが、既に気道感染症でもSARSでもない感冒症程度の症状に既存のワクチンを接種しようとは狂気の沙汰だし、怪しげなワクチンより治療を優先しないのが不思議でならない。

 大橋眞徳島大学名誉教授(免疫生物学)は、「病原体も遺伝子も証明されていないのにワクチンは作れない。接種されてるのはワクチンではない」「PCR検査も、遺伝子や病原体が証明されていないのにやってるが、現在のPCR検査は中国のグループが発表した想像の遺伝子で、それが正しいものとは証明されていない」と、ワクチンへの正当性やPCR検査に疑問を投げかけていることは全くマスコミ報道されない。

 12月8日現在でワクチン接種後に1387人が亡くなっている。オミクロン株が話題になってからは、オミクロン株での死者よりワクチン接種に因る死者の方が多い。年末に厚労省の新型コロナ対策の担当だった職員が「実際には10倍~100倍の死者がいる」と告発した後に自殺している。ワクチン利権の闇はかなり深い。

 毎年、風邪や通常のインフルエンザで死ぬ人はかなりの数に上る。新型コロナも早期に治療薬を投与することで重症化はしないし死者は防げる。なのに「3回目のワクチン接種」とか「オミクロン株が~」と感染者の多さだけを騒ぎ立てる。

 マスコミは感染者数だけを流すのは国民の不安を煽るだけ。感染者数より、重症者の数や死者数を知らせるべきだ。オミクロン株での死者より、他の病気や事故などでの死者が多いのに死者数の少ないオミクロン株だけを何故だか特別扱い。

 感染力の一番強いのは通常の風邪(流行性感冒)。風邪に行動制限したって意味は無い。そんなことより治療薬やワクチンの「国内生産体制」を確立し、国内で生産している他の病気の治療薬の中で、新型コロナウイルスの治療に有効であると製薬会社から承認申請されている薬については承認手続きを急ぐべきだ。

 左翼マスコミや尾身らが謀るコロナウイルスで恐怖の植え付けは、原発事故での放射線の恐怖を煽った反原発派と似たり。やってることは全てが破壊活動である。ワクチン接種も原発事故後に科学的根拠も無しに進められた除染作業と同じ。そんな煽りに便乗してマヌケな対策をしてる岸田首相の無能が顕わになる。

 感染症第二類指定を第五類に改め、自己責任にした方が国民の意識は高まるだろう。「まだ分からないことが多いオミクロン株ですが」としながら12歳未満にもワクチン接種するという。子供に怪しげなワクチンは接種してはならない。

 変異して気道感染症でもSARSでも無くなりつつある感冒症に既存のコロナワクチンが効くとも思えないし、接種後の死者数は尋常な数値ではないのに何故に3回目の接種を急ぐのか理解不能。新型コロナワクチン在庫一掃セールに因って、数年後、最大の薬害になる可能性は大きい。そうなったら誰が責任を負うのだろう。

 新型コロナウイルス感染症(COVID-19)は中国武漢発症のウイルス。ジェノサイドを理由に北京オリンピック反対の声を上げてるが、ウイルスを発症させた中共の不誠実な対応を見ればオリンピックを開催する資格は無い。岸田首相は「オミクロン株蔓延」を理由にオリンピック不参加を表明したら株が上がるのにな。呵呵。

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2022年01月12日

北朝鮮の弾道ミサイル発射に「遺憾砲」で対抗する日本政府(苦笑)

 北朝鮮が凝りもせずにミサイル発射実験を行った。今回発射されたミサイルは、迎撃を防ぐ為に目標に向けて変則的に飛行をする極超音速ミサイルだという。

 北朝鮮のミサイル性能は日増しに向上し、「単なる脅しだ」と笑ってられない状況だが、我が国政府は国連安全保障理事会の名を出し「極めて遺憾」とか抜かしてる、取って付けた様ないつものコメントといつもの対応には溜息しか出ない。

 米韓はマッハ6の速度で飛行したと分析しているが、マッハ10との報道もある。そんな状況にいつもの「遺憾砲」でしか対抗出来ない我が国政府は情けない(苦笑)

 極超音速ミサイルの特徴である上下左右への変則的な動きについては、「技術レベルが到達していない」と判断しているというが、レベル向上は時間の問題だろう。

 北朝鮮のミサイル技術が日々進歩しているのは間違いないが、それに対し我が国の対応や防衛体制は相変わらず進歩が見られない。我が国上空を通りながらそれに拱手傍観し、右往左往の大騒ぎは我が国の安全保障の未熟さと醜態を曝すばかり。

 北朝鮮のミサイルなどの軍事技術には「日本の技術が盗用されている」という指摘されている。また、軍事予算にはパチンコ業界など在日行からの不正な送金も考えられる。スパイ防止法などの法整備や対策を急がなければならない。

 北朝鮮の恫喝は止むことは無い。衛星などに拠る情報収集と敵基地攻撃用爆撃機などと共に、発射自体を無効にする電磁パルス技術などの構築を急がなくてはならないが、防衛費はGNP1%だとかGDP2%とか言ってる様じゃ先が思い遣られる。

 国家の防衛は、他の国がどうあれ一喜一憂することなく淡々と万全の対策を講じるべきものである。敵基地攻撃が可能とする法整備を急がなくてはならないが、「敵基地攻撃能力は古めかしい議論」とする公明党が賛成することはないだろう。

 こうした防衛問題を考えても自公連立は百害あって一利なし。一刻も早く解消すべし。北朝鮮が弾道ミサイルを我が国に向けて発射するなら「毅然と対処する」との声明を出し、ミサイルが我が国の領域を通ったならば毅然と迎撃すれば好いだけ。

 数年前、北朝鮮が発射したミサイルの軌道は日本上空の高度550キロに達していたと報道された。現在の軍事技術では地上からの迎撃は不可能だが、海上自衛隊が保有するイージス艦からの迎撃は技術的にもそれほど難しいものではないという。

「破壊措置命令」は常時発令中であり、北朝鮮のミサイルの軌道如何では粛々と命令を遂行するべきである。北朝鮮に因るミサイル発射という眼前の危機に対処することで、我が国の防衛力の高さと自衛隊の優秀さを世界に示すことになろう。
 
「ミサイルを迎撃することで北朝鮮と戦争になる」という大馬鹿者がいるが、迎撃に因り戦争になったら金一族の独裁体制を崩壊させる絶好の機会でもある。

 北朝鮮が「異常且つ極めて危険な国である」と言うことは誰もが認めるところだろう。正式名称は「朝鮮民主主義人民共和国」と称しているが、民主主義でも人民の国でもなく、「金一族」の個人独裁の世襲全体主義国家というのが正しい。

 日本人を拉致し、ニセ紙幣を偽造し、覚醒剤を密売し、ミサイルを製造し輸出し、旧社会主義に内在した悪の本質が体制化したチンピラ国家である。何百万の餓死者が出ても歯牙にもかけず弾道ミサイルを開発し、核開発に狂奔している。

 現体制を崩壊させれば拉致問題の解決を図れるだろうし、朝鮮半島の民主化に大きく貢献することにもなるだろう。金正恩体制を崩壊させれば、中共も尖閣問題で沈黙せざるを得ないだろうし我が国の国益を考える上でも一石三鳥とも言える。

 我が国は拉致問題もあり、ミサイル発射や核実験などに対抗する措置として対北朝鮮への経済制裁を実行しているが「経済制裁」とは「宣戦布告」と同じある。

 つまり、北朝鮮と我が国は戦争状態でもあるのだが、そんな状態なのに拉致問題を話し合いで解決出来ると考えているなら御花畑そのものだ。拉致問題が解決しないのは「日本人同胞を奪還する」との気概が政治家に足らないということに尽きる。

 我が国が国家の命運を賭けた大東亜戦争直前、我が国は米国、英国、中華民国、オランダから所謂「ABCD包囲網」によって経済封鎖に追い込まれ、これが我が国が自存自衛の為に大東亜戦争に突入する大きな要因になったのを知っているか。

 北朝鮮への経済制裁は米国への忠誠からのものであるが、先の大戦直前の我が国への包囲網を敷いた状況と同じことを北朝鮮に対してもやっているのだ。

「政治とは血を流さない戦争であり、戦争とは血を流す政治である」とは毛沢東。アジア情勢や国内の現況は「血を流さない戦争」は始まっている。政治家が国益を死守するという気概を持たなければ山積する外交上の諸問題の解決は図れまい。

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2022年01月10日

主権恢復への道は祝祭日を本来の在るべき姿に戻すことから始めよう!

 本日は「成人式」。平成11年、「男子の元服」というのが性差だとして、ジェンダーフリーを叫ぶキチガイや左翼らの策謀である、所謂「ハッピーマンデー」に因って第二月曜日に移動させられ摩訶不思議な祝日が誕生するに至った。

 その年の初めての満月を祝う小正月(15日)に、一家の行く末を託す男子の「元服」を行っていたというのが成人式の由来。我が国の祝祭日の約半分が神道の祭日である。戦前は殆どが神道の祭日。如何に我が国が天皇国日本というのが理解出来る。

 平成30(2018)年、民法改正案が可決成立し、今年4月1日より成人は20歳ではなく18歳となる。来年の成人式は、18~20歳が合同開催となる。

 国民の祝日に関する法律(祝日法)第2条には「おとなになったことを自覚し、みずから生き抜こうとする青年を祝いはげます」との趣旨が明記されている。

 成人のモラルの低下は「七五三現象」とも呼ばれ、成人式での乱痴気騒ぎが恒例行事となっているが、こうしたニュースを見ると「大人になったことを自覚し自ら生き抜こう」という覚悟や自覚に乏しい成人を励ます理由もないと感じる。

 愚生の成人の日は、実家から送って貰った紋付き羽織袴を下宿の三畳一間の部屋で着替えて靖國神社に詣でたのを昨日のことの様に思い出す。玄関を出る際に下宿屋の婆さんが驚いてたっけ。あれからもう40年かぁ。人生とは正に光陰矢の如し。

「成人の日」や「体育の日」「敬老の日」「海の日」を「ハッピーマンデー」としたのは、国體破壊を謀る左翼陣営の悪知恵だが、保守を標榜する自民党や似非保守政治家らがこれに同調し施行されたことは御粗末の極みである断じる他はない。

 戊辰戦争に敗れて以降、異国の地で艱難辛苦の日々を送っていた会津藩を始めとした人々を明治天皇が慰撫し、激励する為に明治天皇が東北各地を巡行し、その旅を終え帰港した7月20日が「海の日」であり、歴史的意味があることを忘れるな。

「海の日」は単なる休日ではない。ハッピーマンデーから簡択しなくてはならない。「体育の日」は、アジアで且つ有色人種国で初のオリンピックを開催したという歴史的偉業である。10月10日というこの日以外に何の意味があるというのか。

「ハッピーマンデー」とは、天皇と繋がる祝祭日の意味を薄れさせ国柄を見失わせることで国體破壊を目指していることは明らか。最終的には11月23日の「勤労感謝の日」と、2月11日の「建国記念日」をハッピーマンデーにすることが狙いである。

 祝祭日が単なる休日となってることをして何が「ハッピー」なのかさっぱり分からんが、左翼陣営の狙いは、伝統と文化の否定であり、「宮中祭祀」の妨害にあることは明らかある。正に「ハッピーマンデー」なんぞ百害有って一利無し。

 宮中祭祀で特に重要なものは元旦に執り行われる「四方拝」と、11月の2回目の「卯の月」に行われる「新嘗祭」である。何故か「勤労感謝の日」に摩り替えられ、歴代天皇にとって最も大事なものは代々受け継がれてきた祭事が軽んじられる。

 祭主としての天皇が重んじる祭祀こそ、決められた日の、決められた時間に斎行するべきものであり、国民が共に祝うべき祝日は単なる休日ではないのだ。

 諸外国に比べ、我が国は統一国家としての歴史は長く、祝祭日ほど「国柄」の分かる素晴らしい伝統、文化はない。だが、悲しい哉、多くの日本人が、祝祭日を単なる休みとしか考えていないのは昨今の日本人の精神的貧困を顕している。

 祝祭日を本来の在るべき姿に見直すことは喫緊の課題である。建国記念の日を「紀元節」とし、春分の日を「春季皇霊祭」、秋分の日を「秋季皇霊祭」に名称を替え、勤労感謝の日を「新嘗祭」とするなど本来の名称に戻さねばならない。

 同時に屈辱の日である「憲法記念日」や「山の日」など意味の無い祝日を廃止し、4月3日を「神武天皇祭」。10月17日を「神嘗祭」として復活させることは、戦後体制(ヤルタポツダム体制)からの脱却と主権恢復の意味からも重要である。

 末尾に当たり、本日「成人の日」を迎える若者よ、大人になった証しとして、両親に感謝を込めて花束に「ありがとう」の一言を添えて贈ってみては如何だろう。

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2022年01月08日

昭和天皇の大喪の礼には193ヶ国が参列し服喪国は34ヵ国に及んだ

 昭和63年9月19日、「天皇陛下御不例」という衝撃的なニュースが飛び込んで来た。この日以来、禁酒し御快癒を祈るも翌年1月7日、崩御遊ばされた。大喪の礼は2月24日。小雨交じりの寒い日だった。寂然として見送ったのを思い出す。

 悲しい哉、未だ国内には先帝陛下に対して、「戦争責任」などとの戯言を抜かす日本人らしからぬ輩が存在する。こうした動きは、GHQの「神道指令」や「戦後民主主義教育」「日本弱体化政策」というより、1932年にソ連共産党から日本共産党へ通達された「コミュンテルンテーゼ(命令書)」の指令による影響が大きい。

 命令書には、先ず「天皇制廃止運動」として天皇を制度と捉え、昭和時代の「戦争責任・退位論」に始まり、次いで「開かれた皇室論」と「敬称・敬語不使用運動」が記されてある。天皇戦争責任論はそれを忠実に実行しているに過ぎない。

 事在る毎に昭和天皇に対して「陛下は、所謂戦争責任についてどの様なお考えであるか」などと質問するのは日常茶飯事のことだった。こうしたことは記者の立場を利用した「吊し上げ」であり、記者の傲岸不遜ここに極まれりというものだった。

 欽定明治憲法下に於いて、国務は国務大臣が、統帥は参謀総長及び軍令部長が陛下を輔弼しその責に任ずることになっており、つまり陛下には法的に責任はない。

 然し、道義的に最も責任を痛感されたのは昭和天皇御自身であり、終戦の勅諭で「五内為ニ裂ク」と仰せられた通り、自ら身を苛まれたのは陛下御自身なのである。

 戦後、マスコミは、週刊誌などで陛下や皇族方を登場させ、不敬なスキャンダラスな記事で尊崇の念を薄れさせることに成功した。そして平成~令和に入り、「女性宮家」や「女系天皇」など反天皇制運動は更に巧妙になり今尚継続されている。

 大東亜の開放を掲げて戦われた先の大戦を、世界の国々は自存自衛の戦いと理解し評価しているのにも関わらず、国内で「侵略戦争」と断じることは如何なものか。では、世界では先の大戦をどの様に受け止め、如何に評価しているのか。

 一例を挙げてみる。イギリスの歴史学者であるアーノルド・J・トインビー「第二次世界大戦で、日本人は日本の為というよりも、寧ろ戦争によって利益を得た国々の為に偉大な歴史を残したと云わねばならない」と評価している。

「日本の敗戦、それは勿論東南アジア全域の独立運動には決定的な意味を持っていた」(ジョイス・C・レブラ(歴史学者)著書、東南アジアの開放と日本の遺産)

 歴史学者に止まらず政治学博士のジョージ・S・カナヘレは、「日本占領軍が、インドネシア民族主義の為に行った種々の仕事の中で最も重要なものの一つは、正規軍や軍事組織を創設してそれに訓練を与えたことである」と語っている。

「本当に悪いのは侵略して権力を振るっていた西欧人で、日本は敗戦はしたがその東亜の開放は実現した。日本の功績は偉大である」(アムステルダム市長)

 タイ元首相・ククリットプラモードの「日本のお蔭でアジア諸国は全て独立した。日本というお母さんは難産して母体を損なったが、生まれた子供はすくすくと育っている。今日、東南アジア諸国民が米英と対等に話せるのは誰のお蔭か。それは身を殺して仁を成した日本というお母さんがあった為である」と訓えている。

 マレーシア上院議員のラジャー・ダト・ノンチックやインドのラダ・クリシュナン大統領、スリランカのジャヤワンルデ大統領、ビルマのバー・モウ首相、シンガポールのゴーチョクトン首相。キューバのカストロ首相やチェ・ゲバラなど、結果的には我が国は敗れはしたが大国との戦いの大義と意義を理解し評価している。

 我が国を讃えた外国人も数多く、「大日本」「日本精神」の著者モラエスや、本当の日本の姿を世界に伝えた小泉八雲(アフカディオ・ハーン)もその一人である。

 アーノルド・J・トインビーは伊勢神宮を参拝した際に「この聖なる地域で、私は全ての宗教の根源的な統一を感じた」と喫驚したことを語り、 熱心な平和主義者であったアインシュタイン博士は、日本への思いを次の様に述べたという。

「世界の将来は進むだけ進み、その間幾度か争いは繰り返され、最後には戦いに疲れて必ず真の平和を求めて世界的盟主を挙げねばならぬ時が来る。(略)世界の文化はアジアに始まりアジアに帰り、それはアジアの高峰『日本』に立ち戻らねばならぬ。我々は神に感謝する。天が我等の為に日本という尊い国を創ってくれたことを」

 東京裁判で「侵略戦争」と断じたウエップ裁判長も後に「天皇は神だ。あれだけの試練を受けても帝位を維持しているのは神でなければ出来ない」と驚嘆している。やはり我が国は神の国であり、昭和天皇は国民にとって現人神であらせられたのだ。

 昭和天皇崩御での服喪国は34ヵ国に及んだ。大喪の礼には193ヶ国国の元首や代表が集まったことは歴史上空前の出来事だった。正に、昭和天皇はアジア及び世界の救世主であらされたのである。すめらみこといやさか。すめらぎいやさか。

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2022年01月07日

神社参拝で最後の一礼の際に手を合わせて祈るのは間違い

 右翼現役時代には正月や紀元節などは靖國神社に参拝し、団体を辞してからは地元の開成山大神宮に参拝し、年始には恭しく聖寿の万歳を寿ぎ奉り、紀元節には神武肇国の精神を偲ぶと共に畏くも陛下の弥栄、併而心願成就を祈念している。 

 開成山大神宮の御祭神は「天照大御神(あまてらすおおみかみ)」「豊受大神(とようけのおおかみ)」「神倭伊波禮彦命(かむやまといわれひこのみこと:神武天皇)」。伊勢神宮や橿原神宮と同じ神々を祀る実に有難い社である。

 安積開拓民の精神的な拠り所にと、福島県の典事・中條政恒が伊勢神宮の分霊の奉遷を神宮司庁へ働きかけた創建された神社である。本来は、福島県が「岩代の国」と呼ばれていたということもあり「岩代大神宮」を希望したが「伊勢神宮」と同じく、旧国名を冠することに明治新政府が難色を示し「開成山大神宮」となった。

 こうした経緯があることは余り知られてはいないが、若しも開成山という名称ではなく「岩代大神宮」だったらと思うと旧岩代町出身者の愚生としては惜しい哉。

 不毛の地であった安積(郡山)の大地というのは、明治以降、地元の二本松藩を始め、会津藩や棚倉藩。近県からは米沢藩。四国からは土佐藩と松山藩。山陰からは岡山藩と鳥取藩。九州から久留米藩の方々が入植して開拓した地でもある。

 一番多かったのは九州久留米藩で、郡山弁には「んだばい」とか言葉尻に「ばい」が使われるのはそうした名残だ。今の様に交通の便が無い時代、九州や中国・四国地方から徒歩で数百、千数百キロを歩いて来たことを思うと実に感慨深い。

 正月には国民の多くが神社に詣でる。テレビ番組などでも神社からの中継も増えた。昔は「二礼二拍手一礼」という神社の作法がGHQが謀った「神道指令」の報道規制に引っ掛かるのか冒頭の礼で終わり映像が別のシーン替えられたりしていたと記憶する。そういう意味では参拝のシーンが映されるのは結構なことだ。

 だが、多くの参拝の作法が二礼二拍手までは好いのだが、最後の一礼の際に何故か手を合わせて祈っている人が殆ど。寺じゃないのだから手を合わせるのではなく頭を下げるのが正しい。拍手も神を呼ぶもので大きな音を出すのが好い。

 神様を拝むには先ず心身を清めることが大事で、仏教にしろ宗教も同じ。神道では清浄という「禊(みそぎ)」を尊ぶ。伊勢神宮に未だ橋が無かった時代には本殿に参拝するには五十鈴川を渡らねばならず、自然に禊が出来る様になっていた。

 神社には参道や本殿近くにに「手水舎(てみずや)」が置かれているので、ここで身を清める。手水舎は「禊」の場所であり、神社では重要な場所なのである。手や口も清めずに本殿に参じることはイケません。 手水を取る作法は次と通り。

1 先ず、右手で柄杓を取り、清水を汲み左手に掛け清める。
2 次に柄杓を持ち替え、同じ様に右手を清める
3 再び柄杓を右手に戻し、左手に清水を注ぎ口を漱ぐ
4 最後に柄杓を立てながら残った清水で柄杓を清め、伏せて置く

 そうして参道を通り神前へ向かうのだが、参道の中央は神様の通る道なので、真ん中を避けて歩くことが礼儀。堂々と真ん中を歩いている人が多いが間違いだ。

 神前に立ち、賽銭を入れ、鈴(ある場合)を鳴らし、「二礼二拍手一礼」で参拝する。礼が終わったら頭を垂れ、「祓え給え、清め給え、守り給え、幸え給え」と唱え、感謝の言葉や願懸けをする。最後の一礼の際に両手を合わせ祈っている人がいるが、寺院ではないので頭を垂れるのが社頭での正しい参拝の作法である。

 全国に神社は沢山在るが「神様とは何か」「神道とは何か」を知る人は少ない。当り前に存在しているものとだけしか受け止めてはいない。その神道の祭祀を斎行する天皇という存在も同じで、「現神(あきつかみ)としての天皇とは何か」「祭祀とは何故に重要か」ということを教わることも、知ろうともしない。

 神社というのは近所に当り前に在って、祭りがあるから愉しもうというだけで、神への感謝の気持ちは持ち合わせてはいない。当たり前の様に存在している神社に何が祀られて、どんな歴史があるということを理解してる住民は少なく、また教えるべき者もいない。神道を学べとは言わないまでもせめて参拝の作法を覚えて欲しい。

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2022年01月06日

坂本龍馬の行動の源である「遊魚動緑荷(ゆうぎょりょっかを動かす)」とは

 今シーズンは未だワカサギ釣りに行ってない。ワカサギ釣りというのはやった人じゃないとその楽しさは分からないだろうな。単純な釣りなのだが実に奥が深く、入れ食いなら楽しいだけだが、釣れないとなると修行の様な時間が延々と続く。

 そういや5年程前のこと、檜原湖のいつもの定宿のドーム船でワカサギ釣りを楽しんでたら、高価な電動リール(わかさぎの蔵)と穂先が檜原湖の底に沈んだ。そのショックは大きく、その日の夢にまでリールが落ちるシーンが出てきたっけ(笑)

 左右のリールにワカサギがヒットし、先ずは左のリールを引き上げる。ワカサギを外すと餌が無くなってたので交換していると、右のリールに釣られたワカサギが暴れたとたんにリールが横になったかと思ったらあっという間に湖面へドボン。

 テーブル席だったので手が届かず、スローモーションの様に沈んで行った。釣り上げられたワカサギも何が起こったのか分からないままリールと共に水中へ。

 小さなワカサギをナメて、落下防止対策を怠った愚生の凡ミス。まあ、35000円ほどの損害だったが、ワカサギの抵抗力には驚いたと共に敬意を表した(笑)

「遊魚動緑荷」という言葉がある。「遊魚(ゆうぎょ)緑荷(りょっか)を動かす」と読む。「池で遊んでいる小さな魚でさえ、蓮の葉を自由に動かしているではないか。況して人間が、天下国家を動かそうとして何が悪い」という意味である。

 この言葉を京都「寺田屋」の主人から聞かさた坂本龍馬が痛く感動し、その後の龍馬の行動の支えとなったことは有名である。人としてやれることは極々限られてはいるが、夫夫が今立つ処で懸命にもがいて行くことも大事なことだ。小さなワカサギに釣り具を強奪されたのを思い出し、龍馬の金言「遊魚動緑荷」と重ね合わせた。

 電動リールを落としたショックが癒えない翌日、新聞を見たらミニロトが当たってた。5個の数字のうち4個が当たってたので二等かと思ったが、ボーナス数字が違ってたので三等。損害を多少は取り戻した運の好さには我ながら驚いたっけ(笑)

「人間最後の最後まで諦めちゃイケない」という様な教訓だった。釣られたワカサギの様に追い込められると必死に抵抗して危機を脱することが出来る。人間も同じく、壁にぶち当たったり、逆境を経験しないと潜在能力が発揮されることはない。斯くいう愚生と言えば、強烈な努力が乏しく潜在能力は発揮されず終いか(笑)

 どうにもならない運命などない。「どうにもならない」と自分で思ってる自己暗示。逆境を避け、危険を回避しようとして悪果を招いたりすることの方が多い。

「一休さん」で有名な一休宗純は、死ぬ間際、弟子達に「自分が死んだ後、どうにもならないことがあったら、これを開けなさい」と遺言状を託したという。

 やがて、彼の死後、弟子の中で大変困ったことが起こった。弟子達は師に救いを求めようとその遺言状を開けてみることにしたという。その遺言状には一言、「大丈夫 心配するな 何とかなる」と認(したた)めてあっただけだった。

 本人は悩みや苦難と思っているが、実はそれほど大した悩みではなく何とかなるものなのだ。「案ずるより産むが易し」。昔の人は上手いことを言ったと思う。

 現世の悩みなんぞ生きてるからこそのもの。余人の想像を絶する悲しみや苦しみを抱えて散華した特攻隊員や英霊の渾身の悩みに比べればちっぽけなものだ。

 苦難とは危険を教える慈悲の鞭でもある。幸福と苦難は表裏一体であり、苦難の本質を弁えれば、人生の苦難や悩みとはやはり天の与えた試練と考えるべきである。

 未だ起きてもいないことに一喜一憂したり、将来のことを気に病んでいるよりも、今日という一日を本気で真剣に生きる。「一日一生」とはそういうことだ。

「憂きことの なほこの上に積もれかし 限りある身の力為さん」とは豪傑・山中鹿之助。斯くいう愚生といえば、右翼浪人を気取ってはいるが単なる無職のオッサン。

 人生というのはなるようにしかならないものだが、その結果がどうであれそれまでの努力は決して無駄なことではない。「人事を尽くして天命を待つ」という。天命が好い結末を生むとも限らない。だが、その結果が悪くても諒とすべし。

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2022年01月05日

右翼浪人とカッコつけてるが乞食の様なものだわな(笑)

 所属していた防共挺身隊(防挺)は、三菱重工でのべ平連との乱闘や日露漁業での糞闘事件等活躍は凄まじく「総会屋右翼」としても業界では有名だった。学生時代には株主総会に借り出されては「議事進行!」の掛け声を叫んでた。日当1万円。

 右翼活動の運動費は企業からの寄付金(購読料)などで賄えると踏んで、国士舘大学在学中も就職活動もせず右翼運動に専念していた。だが、大学4年の秋、思いもよらぬ「商法改正」で右翼活動そのものが岐路に立たされることとなった。

 防挺の福田進総隊長(初代)より「各支部は独立し独立採算でやること」の通達があり、防共挺身隊の各支部は「防共グループ」として単独団体になり、愚生の所属していた羽田支部も「報国社」に名称変更し、間もなく支部長らが引退した。

 隊員らは就職したり働き出したが、土木工学科を卒業しながら「何で今更土方」との忸怩たる思いもあり、一念発起し24歳で帰省し右翼団体を設立。爾来、働きもせず、呻吟しながらも微々たる活動を続けているが未だ明るい兆しすらない。

 30歳過ぎ、早坂光夫二代目総隊長体制下で行動隊長を任せられ、毎週上京しては新橋駅頭や都内などでの活動を活発に展開した。その後、三代目総隊長の對馬則政が引退し四代目総隊長に就くも何故か除籍に。その後は正統右翼浪人を自任する。

 カネというのは「持ってれば何かと便利」「無いよりは有った方が好い」という代物でしかないし、使わなきゃ意味は無い。カネがあれば生活するには困らないし、低迷する右翼活動の立て直しも出来るし、頑張ってる右翼後進らへの支援も出来る。

 右翼の先生方を見れば、企業献金などもあり資金が潤沢だった頃に活動費ではなく蓄財。そんな金で自宅を購入し、居の安きに甘んじて右翼を志した純粋な気持ちなんぞ疾うの昔に忘れ去り、「武士は相見互い」なんてのは死語となってしまった。

 野村秋介の師であり、昭和維新を夢見た三上卓は、台湾からの密輸事件(海烈号事件)で逮捕されているが、これも革命(昭和維新)資金の調達が目的だった。活動資金獲得に合法も違法も無い。右翼陣営の立て直しは資金確保の成否にある。

 愚生が、右翼活動に興味を持ち右翼団体入隊に至る要因は、中学時代の担任の高橋寅彦と副担任の遠藤四郎が当時バリバリの日教組の活動家で、その影響が大きく、副担任の遠藤は退職後に共産党の市会議員になったことでも理解出来るだろう。

 それを今になって、「右翼難民を生んだのは学校時代の教育の責任であり、国の教育政策が悪かったから」と責任転嫁し、自分の境遇や生活費の少なさを嘆き、国や行政に生活支援を求めるようなことは恥ずかしくて出来るものではない。

 弱者を気取りさえすれば救済される今の風潮に違和感を覚える。「乞食に氏無し」という言葉があるが、何事も、その者の心がけの悪さからなるものである。

 ワーキングプア(働く貧困層)という連中に小遣いを与え、住居を提供し、生活保護の大盤振る舞いしている。働く気もない連中を国の政策の被害者扱いし、またそれを「可哀想」といって支援するボランティアなんぞ偽善以外の何物でもない。

 安易な生活支援が愚民を生む原因である。弱者を標榜する人々を嘗て曽野綾子は「老人業」や「難民業」と揶揄したが正論だろう。弱者を標榜する連中は「私達は優遇されるのが当然だ」という態度で権利ばかりを主張するが、実に甘えた話だ。

 買って欲しくて駄々を捏ねる子供と同じで、何でも無暗に貰いたがることを「乞食根性」と言う。右翼浪人ではあるがここまで賤しい人間にはなりたくないものだ。

「乞食の朝謡(あさうたい)」という諺もある。サラリーマンなら忙しい朝の時間にも暢気に謡ってられる様に、難民業や老人業も右翼浪人も気楽な境遇でもある。

「乞食も三日すれば忘れられぬ」とも言うし、不如意と雖も気楽なもので、三日もすればそれが忘れられなくなる。実に悪習は染まり易く、これを改めるのは困難であり、働く意欲の無い連中への生活支援なんぞ根本的な解決にはならない。

 その昔、横山武彦という破天荒な右翼浪人がいた。歳は二回り程違うが、妙に馬が合った。その横山曰く「乞食でも本物は信用出来る」と語っていたのを思い出す。インチキばかりが幅を利かす昨今、ホンモノの右翼浪人で在りたいものだ。呵呵。

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2022年01月03日

「ワクチン接種だ」とか「オミクロン株が~」と騒ぎ過ぎだわな(苦笑)

 正月早々連絡をくれた友人が「コロナもあるしホント何処にも行けない」と嘆いてた。マスコミに煽られて、交通事故より低い死亡原因に怯えてどうするの(笑)

 連日の新型コロナ感染者数に意味なんぞ無い。ウイルスは変異して人間との共存を図ってるのだから威力は無くなっている。感染者数の高さに比べ死者は激減してるのに、感染者を過去の月日と比べて不安を煽ってどうしたいというのか。

 新型コロナに対するワクチン接種やPCR検査、マスクの強制などに対して徳島大学の大橋眞名誉教授(免疫生物学)が「病原体も遺伝子も証明されていないのにワクチンは作れない。由ってワクチンではない」と述べていることに刮目したい。

「PCR検査も、遺伝子や病原体が証明されていないのにやってるが、現在のPCR検査は中国のグループが発表した想像の遺伝子で、それが正しいものとは証明されていない」として、「本当にワクチンなのか?」と接種に疑問を投げかけている。

 オミクロン株が急速に蔓延してるが死者は至って少ない。つまり、例年起こる流行性感冒(風邪症候群)になってるということでもある。コロナワクチンが一般クリニックで接種出来るのに、治療が出来ないという矛盾こそ是正すべきだ。

 毎年、風邪や通常のインフルエンザで死ぬ。新型コロナも早期に抗体カクテルや治療薬を投与することで重症化はしない。なのに未だに「ワクチン接種だ」とか、「オミクロン株だ」と騒ぎ過ぎだわな。マスコミは一体何をしたいのか。

 オミクロンの感染が急速に広がってると注意喚起してるが、限りなく死者数が少なくなった感染症に国民全員にワクチン接種を奨励していることは馬鹿げているし、ワクチン接種証明書で経済波及効果を期待してるのならマヌケ過ぎる。

 例年のインフルエンザでは約1万人程が亡くなる。風邪で死ぬ人もいる。新型コロナウイルス感染症対策分科会の尾身茂らナンチャッテ専門家らが、頻りに「医療逼迫」を理由に、ワクチン接種の必要性を訴えているのは実に胡散臭い。

 ワクチン担当大臣だった河野太郎は、「アメリカで2億回ほどワクチンを打って死者はゼロだった」と発言したのは記憶に新しい。だが、現実には死者は出ていた。

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 12月8日現在で1387人が亡くなっている。オミクロン株が話題になってからは、オミクロン株での死者よりワクチン接種に因る死者の方が多い。ワクチンより、治療薬の投与を進めるべきだが、何故か頑なにワクチン接種に拘っている。

「急速に感染拡大は明らか」と煽ってるが、オミクロン株が蔓延することでコロナは弱毒化して人類との共生を図ってるということ。尾身クロンに恐れる必要はない。

 感染拡大の危機を煽るより保健所介入を止めさせ、一般クリニックでの治療を可能にした方が国民は安心すると思うがなぁ。流行性感冒なのだから、現在の「二類感染症」を「五類」指定するなどの措置を講じれば医療逼迫は起こらない。

 第二類指定の為に保健所が介入し、助かる命が失われたという現実を重く受け止めるべきだ。第五類にすると医療費がかかるという。無条件の無料ワクチン接種は期限を決めるべきで、無料接種という血税の垂れ流しをいつまで続けるつもりか。

 分科会も、感染症指定第二類よりも強硬な行動制限を抑制するよりも、「今後(第六波以降)は、五類指定にしたい。医療費は3割負担になる可能性もあるので責任ある行動をお願いしたい」と注意喚起した方が蔓延防止効果が上がるだろう。

「感染することを恐れて国民全員にワクチンを接種するより、感染者に対して特効薬を投与する方が遥かに効率的である」という医療専門家の意見の方が理に適っているが、分科会を批判し、国民の命を優先する医師の声が軽んじられている不思議。

「風邪うつすなよ」と同じで緊急事態宣言まで出したって防げない。それより「これからは五類指定となるので自己責任が伴います。ワクチンも治療も無料ではなく三割負担となります」と注意喚起を促した方が防止効果は上がると思うがなぁ(笑)

 因みに、抗ウイルス薬「レムデシビル」は1回分(5日間、6本)で25万円。最高で2回投与で合計50万円。保険適用で3割負担になっても15万円。今回のワクチン接種も入院費も無料だが、有料となれば行動制限するし率先して自粛するだろうよ。

 医療逼迫と言いながらアビガンを未だに承認しない不思議。承認しないことで尾身ら医療機関や医師会にメリットでもあるのか。効果的な日本製ワクチンが開発されるまでの治療薬としてアビガンを認可することを誰に憚り、何を躊躇しているのか。

 新型コロナに罹患し、重篤な状況から生還した芸能人や著名人らが口を揃えてアビガンの有効性や特効性を訴えていたのは何だったのか。コロナに感染し入院した地元暴力団幹部も「死ぬかと思ったがアビガンが効いた」と言ってるし(笑)

 アビガンの有効成分「ファビピラビル」に関するライセンス契約を、富士フイルムと結んだ中共の製薬大手・浙江海正薬業が後発医薬品を増産し絶大な効果を発揮してるというのに、「日本人には有効性が無い」とはどういうことか。

 ワクチンとはウイルスの生体から作られ、弱毒化・無毒化された抗原のこと。抗原を体の中に入れることにより、ウイルスをやっつける抗体が出来る。その抗体によってウイルスから守られるのだが、アビガンはワクチンではなく有効な治療薬。

 専門家らは「安全性」「副作用」という理由を吐けて反対してるが、アビガンを製造した会社が製薬会社じゃなく富士フィルムというのが理由だろう。アビガン承認を遅らせ、製薬会社からの論功行賞を狙いってるというのが正しい(苦笑)

 行動制限に意味は無い、治療薬やワクチンの「国内生産体制」を確立し、国内で生産している他の病気の治療薬の中で、新型コロナウイルスの治療に有効であると製薬会社から承認申請されている薬については承認に向けた手続きを急ぐべきだ。

 それにしても「オミクロンだ」「デルタだ」と騒いでるが、本を糺せば中国武漢発症のウイルス。ジェノサイドを理由に北京オリンピックに異を唱えてるが、ウイルスを発症させた中共の不誠実な対応を見ればオリンピックを開催する資格は無い。

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2022年01月02日

天皇にとって最も大事な祭事の簡略化が謀られている

 畏くも陛下の一年は「四方拝」で始まる。年初の未明から、陛下は潔斎し、古式に則った黄櫨染御袍の装束を身に纏い、伊勢神宮や陵墓、四方の神々に拝し、国の安寧や豊作を祈る。これこそが歴代天皇が行ってきた秘儀である。

 平成の御代の後半から、陛下の負担軽減を理由に黄櫨染御袍正装ではなく、元旦の新年祝賀の儀を優先してモーニングを着ての拝礼で済まし、年始の祭典である「歳旦祭」もまた同じ負担軽減という理由から掌典職が代拝している。

 こうしたことは、天皇にとって最も重んじるべき祭祀や祭事は現憲法下で「天皇の私事」とされてしまい、元旦に行われる「新年祝賀の儀」が憲法で規定されている「国事行為」である為にそれらを最優先しているからに他ならない。

「陛下の負担軽減」とは単なる屁理屈に過ぎないのだが、あろうことか、陛下の高齢を理由にして祭事の簡素化が謀られ不敬極まる退位法案までもが可決されてしまった。令和の御代になっても祭事の簡素化が続いていることに違和感を禁じ得ない。

 正月三日は、国と国民の繁栄を祈る「元始祭」。四日は「奏事始め」。七日は「昭和天皇祭」など、宮中祭祀は年に二十件前後斎行されるが、現在は国事行為や公的行事が優先され掌典職に拠る代拝や短縮など更なる簡略化が謀られている。

 皇極元年(六百四十二年)より受継いできた重要祭祀の「暁の儀」が取り止めとなっている。今後何らかの影響を齎すのは避けられない。天皇にとって大事なものは国事行為に非ず「祭事」であり、国事行為より優先されなければならない。

 天皇の祭事の必要性を訴えず、祭事の簡素化を実行した宮内庁は正に獅子身中の虫であり、皇統断絶を謀る国賊と断じて好かろう。天皇が現憲法下の傀儡と化す。

 天皇は国王ではないし、皇族は王室ではない。天皇とは祭主であり祈る存在である。国民の多くが天皇とはどの様な存在であるかを知らず、開かれた皇室論からタレントの如く扱われていることは日本国民の精神的未熟さを露呈している。

 歴代天皇が司ってきた祭事を最優先し、国事行為や公的行為こそ軽減すべきである。また、女性皇族では天皇が重んじる神事を執り行うことが憚れるのだ。

 こうしたことは別に女性差別ではなく、これが伝統というもの。女性皇族が行えるのは国賓・公賓への接遇や会食とイベントに華を添えることくらいなもの。

「女性宮家」の創設議論あ「女性天皇論」に見られる様に、宮内庁や共産主義者、無自覚左翼に因って皇統断絶が謀られていることに危機感を抱いている保守派や愛国者というのは限りなく少ない。そんなんだから左翼の策謀に嵌るのだ。

 以前、高松宮寛仁親王殿下が会長を務める福祉団体「柏朋会」の会報「ざ・とど」で、「国民一人一人が、我が国を形成する『民草』の一員として、二千六百六十五年(当時)歴史と伝統に対しきちんと意見を持ち発言をして戴かなければ、いつの日か『天皇』はいらないという議論にまで発展するでしょう」との言葉を思い出す。

 殿下が「ともさんのひとり言」として提言したの論点は二つ。一つは「二千六百六十五年(当時)年間の世界に類の見ない我が国固有の歴史と伝統を平成の御世でいとも簡単に変更して良いのか」と疑問。二つ目は、男系継承を維持する為の方法として、皇室典範を改正して、歴史上の幾つかの方法論を提起している。 

1.臣下降下された皇籍離脱した旧皇族の皇籍復帰。

2.現在の女性皇族(内親王)に旧皇族(男系)から養子を取れる様にし、その方に皇位継承権を与える。(差当たり内廷皇族と直宮のみに留める)

3.元皇族に廃絶になった宮家(秩父宮・高松宮)の祭祀を継承して戴き、宮家を再興する。(将来の常陸宮家・三笠宮家もこの範疇に入る)

4・として、嘗ての様に「側室」を置くという手も有りますが、国内外共に今の世相からは少々難しいかと思うと述べられ、余談として明治・大正両天皇共に側室との間に出来た子供であることも記している。

 殿下は「万世一系、百二十五代の天子様の皇統が貴重な理由は、神話の時代の初代神武天皇から連綿として一度の例外も無く『男系』で続いて来ているという厳然たる事実です」とし「歴史と伝統に対しきちんと意見を持ち発言をして戴かなければ、いつの日か『天皇』はいらないという議論にまで発展するでしょう」と結んでいる。

 年末、安定的な皇位継承策を検討する政府の有識者会議(清家篤座長)は、国会が求めた女性・女系天皇の是非など皇位継承に関する方策に関し「将来議論を深めていくべきである」として結論を先延ばしする報告書を岸田首相に提出した。

 この報告書には「臣下降下された皇籍離脱した旧皇族の皇籍復帰」は記されていないばかりか、「養子縁組を可能にする」としながら「皇位継承権を持たない」としている摩訶不思議な内容を、マヌケな保守派が苦言を呈さずに迎合する始末。

 賢くも天皇は憲法以前の御存在であらされる。現憲法は歴史的な国家としての継続された「祭祀」に関する天皇の役割を否定し、天皇を憲法下での都合の好い傀儡として利用しているのだ。こうした逆臣どもらに因る不敬をいつまで赦すのか。

 神武肇国から続く万世一系の皇統が、平成と令和の御代を境に崩れて行くのを拱手傍観してる訳には参らない。皇統断絶を謀ってる元凶は獅子身中の虫である宮内庁か、それとも皇統を軽んじる政治家どもなのか。剔抉粛正せねばならない。

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2022年01月01日

昭和天皇戦争責任論は日本人としての精神的幼稚さを示す典型的な戯言

 皇紀2682年、令和4年を迎へ、恭しく聖寿の万歳を寿ぎ奉り、愈々肇国の精神を顕揚し、本年が光輝ある年宰たらしめんことを堅く誓い、併而、御厚情を賜る皆様方の御隆昌を祈念申し上げます。今年も拙ブログに御付き合い頂ければ幸甚の極み。

 年末、昭和天皇の侍従長だった百武三郎の日記が公開された。側近の内大臣木戸幸一の言葉として、天皇の開戦への決意(海戦の詔勅)が「行き過ぎの如く見ゆ」と記された言葉をして、開戦か非戦か時勢の中で揺れ動いた昭和天皇の姿を思索する。

 百武侍従長は元海軍大将。二・二六事件で襲撃され重傷を負った鈴木貫太郎の後任として終戦の一年前まで侍従長を務めた。百武日記の一部を読むと、開戦への苦悩を感じるが、「米大統領は妥結を熱望している」との文言に疑問を感じる。

 昭和天皇の侍従の日記を基に、昭和天皇85歳の時に「戦争責任言われ辛い」という心情を吐露したという記事が載った。こうした昭和天皇の言葉や発言を取り上げて「反戦」と「戦争責任」に繋げるのはマスコミの恒例となった。

 申す迄もなく、天皇陛下の御言葉というものはその影響するところは極めて大であり、正に「綸言汗の如し」。政治家とは違い一度発せられた言葉は取り消し難い。

 侍従長らの日記を引用し、過去の昭和天皇の言葉を論って政治問題化しようという魂胆が見え隠れする。陛下と侍従の関係に於いて互いの信頼に於いて心情を吐露することもあるだろう。それを今になって公表することに違和感を覚える。

 陛下の御立場上、反論することは不可能であり、一方的に発せられる言葉が陛下の心情の吐露とされるのは如何なものだろう。昭和天皇が非戦論者で、開戦を決めた東条英機らを批判したいのだろうが、肝心なのは開戦を決断した大義である。

 過去にも、歴史探偵を自任するインチキ歴史家であり歴史作家の半藤一利が「昭和天皇の心の中には、最後まで戦争責任があったのだと伺わせる」と頓珍漢なコメントを発表しているが、今後、この侍従の日記が政治利用されて行くだろう。

 未だ国内では、昭和天皇に対して「戦争責任」などとの戯言を垂れ流す日本人らしからぬ輩が存在するのは確かだが、之は大東亜戦争の歴史を知らない故のこと。

 昭和50年、当時の宇佐美宮内庁長官は内外の記者団と陛下の公式記者会見を取り計らった。案の定、記者から所謂戦争責任についての質問が発せられた。

 陛下は戦没者追悼式に於いて「私は胸が痛むのを覚える」と述べられているが、何故に戦争責任をこういう記者会見の席で問うとは不敬も甚だしい。更に、海千山千の記者らは広島・長崎への原爆投下に対する御認識を問う質問を続けた。

 陛下は「(広島・長崎への原爆投下は)遺憾だが、戦争中でもあり已む得なかった」と御答えになったが、極めて適切妥当な御判断と考えられる。当時、日米は国家の命運を賭けて戦ってた。新しい武器の使用は止むを得ない行為だった。

 前代未聞のこうした記者会見はテレビを前にした吊し上げであり、言葉尻を捉えて戦争責任を取らせようという魂胆が見え見えであり、こうした会見が未だ継続されているが宮内庁長官らこそ天皇廃止運動に与する獅子身中の虫である。

 欽定明治憲法下では国務は国務大臣、統帥は参謀総長及び軍令部長が陛下を輔弼し、その責に任ずることになっており、陛下(昭和天皇)に法的に責任は無い。

 然し乍ら、道義的に最も責任を痛感されたのは昭和天皇御自身であり、昭和天皇は天皇陛下という御地位、御立場と崇高な御人格がそれを許すことはなかった。

 大東亜戦争終結に関する詔勅に於いて、昭和天皇は「帝国臣民ニシテ戦陣ニ死シ職域ニ殉シ非命ニ斃レタル者及其ノ遺族ニ想ヲ致セハ五内為ニ裂ク且戦傷ヲ負ヒ災禍ヲ蒙リ家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ朕ノ深ク軫念スル所ナリ」と仰せられた言葉の通り、自ら身を苛まれたのは陛下御自身なのである。

「天皇戦争責任論」は、1932年にソ連共産党から日本共産党へ通達された「コミュンテルンテーゼ(命令書)」の指令による影響が大きい。命令書は、所謂「天皇制廃止運動」として昭和時代の「戦争責任・退位論」に始まっている。

 国内では未だ昭和天皇の戦争責任を問う声があるというのは反天皇勢力に因る天皇廃止運動が継続されているという証左であるが、自らの国の歴史を知らない故にこういう戯言が罷り通る。日本人の精神的幼稚さを示す一例であろう。

 戦争犯罪人は昭和天皇でもなければ大日本帝国憲法や統帥権でもなく、況して軍部でもなければ当時の軍国主義でもない。真の戦争犯罪人は近衛文麿と尾崎秀美らそのブレーン達、即ち日本国内で蠢いていた共産主義者らであり、マルクス・レーニン主義思想が昭和の悲劇を生んだということは今や歴史的事実である。

 大東亜戦争とは、ソ連コミンテルンと中国共産党、そして日本国内の共産主義者が仕組んだ共産革命の実現の為の争いであり、そのマルクス・レーニン主義者の策謀に当時の日本全体がまんまと嵌ってしまった愚かな戦争とも言えるのだ。

 天皇陛下の退位特例法案を成立させたのを皮切りに、女性宮家問題や女性天皇など共産主義者が謀る天皇廃止運動は国民が気付かない儘に巧妙に実行されている。マスコミに因る我田引水的天皇利用は断じて赦されることではない。

 昭和天皇の御言葉を重んじるなら、最後まで反対なされた旧皇族の皇籍離脱には何故に沈黙するのか。戦前を現代の道徳観や価値観で論うことに意味は無い。大事なのは敗戦後、GHQが謀り実行した多くの策謀と不条理を如何に糺すかである。

 本年も右翼人として、また一維新者として一旦緩急に備え、遺憾無きを期し、貧すと雖も志士の覚悟を忘れることなく、草莽の道を歩んで往こうと思っておりますれば、何卒御付き合いのほど宜しく御願い申し上げます。

 往く道は精進して 忍びて終わり悔いなし(高倉健)。扨て、今年もどうなるものぞ。すめらぎいやさか、すめらみこといやさか。天皇陛下万歳、万歳、万々歳!

 平成4年 皇紀2682年 歳旦 佐久間五郎拝

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2021年12月31日

今年も拙ブログに御付き合い頂き有難うございました。感謝・合掌。

「徒然草」の書き出しは「つれづれなるままに 日ぐらしすずりにむかひて 心にうつりゆくよしなしごとを そこはかとなく書きつくれば あやしうこそものぐるほしけれ」と綴られている。ブログやSNSも似た様なもので、毎日起こる意味もない由無し事を綴っては、もの狂おしく一喜一憂しているというのも空しいものだ。

 吉田兼好の様に、職を辞し精神の自由を求めれば生活は困窮するし、暮らしを楽にしようとすれば心が拘束される。愚生も右翼浪人という生き方に限界を感じつつも、この身在る限りせめてその精神だけは一維新者として自由で強く在りたいと思う。

 右翼の世界も御多分に漏れず玉石混交。数ある団体の中には街宣車に日の丸を立てて、軍歌を流すだけだったり、街宣車を強請り、集りの道具として使用してる自称右翼もいたが、今や資金難でそれさえ無くなった。まぁ、宣伝車を所有してるだけ立派だが、宝の持ち腐れ。況してやオナニー的街頭演説だけでは啓蒙とは程遠い。

 最近の右翼は、教育勅語の徳目である「恭倹己を持し」の精神に乏しく、安っぽい愛国心からの反中と反韓運動と時代が止まったかの様なノスタルジーな反米活動。そんな中で、世間の嘲笑や侮蔑に耐えつつも御皇室の弥栄を祈り、国の行く末を憂う右翼人が極僅かではあるがいるのは救いだが、右翼陣営の指導者不足は顕著である。

 元防共挺身隊の最高幹部だった者として言わせて貰えれば、右翼・民族派の指導者は過去の栄華を振り返るばかりではなく、先ずは活動資金を確保し、右翼革新を指揮し、また右翼活動家を自任する者は右翼活動の原点に戻り、研鑽を積み、テロを担保しつつ、新たな活動を模索し、天皇国日本を盤石の安きに導いて欲しいものだ。

 斯くいう愚生はどうかというと、ヤクザ傘下になった三代目防挺の変わり様に追いて行けず四代目総隊長に就いて間もなく脱落した。現在は田舎で蟄居し、「一日一生」などと気取ってはいるが、財政的に厳しい日々は変わりなく、そんな生き方に限界を感じ、心が折れそうになる今日この頃。これも老化だろうか(笑)

 愚生の近況は「右翼絶望派」といえば聞こえは好いが、日々の暮らしは浪人の如く、慢性的不如意が続く。人を批判するほど己は峻烈に生きているのかといえばそうでもない。敬天新聞の白倉先輩に倣い「今日勝つ」ことで精一杯(笑)

 還暦となり老いを痛感する今日この頃。高齢化の弊害はヤクザや右翼陣営も例外ではなさそうだ。まぁ、それでも「乞食に氏(うじ)無し」という様に日頃の心掛けが悪いからそうなってるだけで、慢性的不如意を気にしなければ「乞食の朝謡(あさうたい)」宜しく気楽な境遇だ。まぁ、悪習は染まり易く改めるのは困難を極める。

「乞食も三日すれば忘れられぬ」という言葉があるが、昔の人は巧く喩えたものだと熟熟感心する。つ~か、「乞食に貧乏無し」ってのもあるし、まぁ今より悪くなることはあるまい。「乞食」序でに言わせて貰えれば、「ハゲに癌無し乞食なし」ってのもあるらしいから、物事というのは考え様でどうにでもなるものだろう(笑)

 野村秋介の「自問自答の訓」というものがある。

 常に世俗にありてその一隅を照らし
 常に在野にありて権力悪と闘い
 常に人々を愛し共に涙を流し
 常に海を愛し空を愛して神々を敬い
 常に友情と信義を胸中にして熱く燃え
 常に名利を求めず正義を追い
 常に月を愛し酒を愛し女を愛し
 常に自由にして奔放であり
 常に一剣を懐中にして平天下を願う

 これほどカッコいい生き方は出来ないまでも、酒を愛し女を愛し、常に自由にして奔放な無頼派右翼で在りたいとは思う。伝説のヤクザが遺した言葉がある。

 生ある人生がいつかは必ず来るべき死を
 約束づけているならば
 俺は法律がどう変ろうが
 社会の常識がどう変ろうが
 財力に諂わず
 権力に屈することなく
 正しいものを 正しいものとして
 どこまでも俺の信念を
 押し進めて行きたい

 愚生は野村烈士の訓えよりも伝説のヤクザの台詞の方が性に合う。草莽の右翼浪人として残り少ない人生ではあるが、こんな生き方を全う出来れば悔いはない。

 顧みれば今年も怠惰な一年があっという間に過ぎようとしている。右翼活動が岐路を迎えているが、今後も組織に与せず、新たな運動形態を模索しながら、微力ながらも天皇国日本を盤石の安きに置くべく獅子吼して行く覚悟であります。

 今年一年、拙ブログを閲覧して頂いた方々と御支援を賜った皆様方に心より感謝を申し上げると共に、謹んで陛下と皇室の弥栄を寿ぎ奉り、併而、来る年が皆様にとって実りある一年と成ります様に御祈念申し上げます。すめらぎいやさか。

 令和三年 皇紀二千六百八十一年 師走臘日 佐久間五郎拝

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2021年12月30日

韓国人の「反日」からの妄想癖や虚言症にはホトホト厭になる

 世界文化遺産の登録を目指す「佐渡島さどの金山」が、文化庁の審議会で今年度の国内推薦候補に選ばれた。こうした動きに韓国反日政府は佐渡金山のユネスコ世界遺産登録推進を「非常に嘆かわしい」として直ちに撤回するよう求めた。

 佐渡金山は17世紀には世界最大の金生産地。世界の鉱山で機械化が進む中で伝統的手工業による独自の生産システムを深化させたことが評価され、文化庁は「全体として顕著な普遍的価値が認められ得る。今年度推薦することが適当」と答申した。

 韓国側はこの決定を不服として「朝鮮人約1200人が強制動員したと推定される。朝鮮人463人の名簿も発見され強制性が明らか」だとしてユネスコ世界遺産登録に難色を示す。歴史歪曲だとして「第2の軍艦島」になる可能性を危惧している。

 歴史に正面から向き合わず、いつも乍らの「反日と侮日」一辺倒の韓国にはうんざり。歴史に基かない反日行為は無視するに限るが、こうした嘘が世界に垂れ流されるのもまた迷惑。日本政府はちんとした反論を発信しなくてはならない。

 佐渡鉱山の労働者の給与水準も高く周辺の町は大変栄えたという。江戸時代後期には江戸から約1,800人の無宿人(浮浪者)や罪人が強制連行され過酷な労働を強いられた。この罪人の多くが朝鮮人だったとでも言うのだろうか(笑)

 2015年、国際記念物遺跡会議で、軍艦島を構成遺産に含む「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」がユネスコの世界文化遺産に登録された。

 軍艦島の正式名称は「端島」。長崎県長崎市(旧高島町)にある島で、石炭産業が盛んな時代に炭鉱夫の家族らが移住した。韓国では軍艦島を、朝鮮人が強制労働を強いられた収容所列島に準えてるが、全てが給与を求めて集まった労働者ばかり。

 昭和35(1960)年代には東京以上の人口密度を有し、日本初の鉄筋コンクリート造の高層集合住宅が建てられた。朝鮮人も当然、労働者として日本人と同じ待遇を受けていたが、軍艦島との名称が弾圧された象徴に見えてしまうのだろう。

 韓国で上映され話題になった「軍艦島」という映画があった。予告しか観てないが、ナレーションでは「ここの出来事を記憶する朝鮮人は一人たりとも残してはいけない」とのセリフも流れ、全てが妄想と反日から出でる被害妄想甚だしい駄作。

「これはフィクションです」との但し書きはなく、「植民地時代、多くの朝鮮人たちが強制徴用された軍艦島の隠された歴史をモチーフ」であるとのテロップが流れ、この映画が史実に基くものであるとして完結している民族的虚言映画である。

 こうした噓が世界中に垂れ流されることは日本人を貶めるばかりか日本の国益を毀損する。若し、強制連行や従軍慰安婦が事実であったというなら、朝鮮民族というのは目の前で同胞が連行されて行く中で何も抵抗せずに傍観していたのか。

 韓国人にすれば日本人というのは極悪非道でなくてはならないのだろうが、逆に朝鮮人とは同胞を助けもしない情けないヘタレ民族だったということを認めている様なものではないか。「恨(ハン)」からの反日に依存し過ぎてはいないだろうか。

 韓国人ら信じて止まない「強制労働」とは、昭和13年の国家総動員法に基く「徴用例」を指している。この法律に基いて、戦中、日本本土では年齢性別を問わず中高年、婦人、学生に至るまで工場他などに動員され軍事などの生産に従事した。

 日本人、朝鮮人、台湾人が一律に負っていた労務提供の国民的な義務であり、朝鮮が日本の統治によって多大な恩恵を受けていた朝鮮人も当時は日本国民であった以上、こうした法令に協力する義務があったことは言う迄もない。

 戦前(昭和14年)に日本内地に住んでいた朝鮮人は約100万人で、終戦直前(昭和20年)には約200万人となった。増加した100万人のうち、70万人は自分から進んで内地に職を求めてきた個別渡航者と、その間の出生によるものである。

 残りの30万人は大部分、工鉱業、土木事業の募集に応じて来た労働者で、戦時中の国民徴用令による徴用労務者は極極少数。歴史資料を見れば分かることだ。

 国民徴用令は日本内地では昭和14年7月に実施されたが、朝鮮への適用は差し控え、昭和19年9月に初めて実施された。朝鮮人徴用労務者が奉仕した期間は、翌年3月の下関~釜山間の運航が止るまでの僅か7ヶ月間でしかない。

 日本人も台湾人も朝鮮人も等しく戦時徴用されていたのであり、韓国人らの主張する「強制連行」とは「徴用令」への無理解と、それこそ歴史の捏造でしかない。

 軍艦島の僅か200メートル四方の居住エリアに5千人が暮らしており、当然、朝鮮人家族も同じ様な生活を営んでいたことは、当時この地で働いていた方の証言や写真などで証明されている。軍艦島という名称とは違いユートピアの地だったのだ。

 映画「軍艦島」は1945年の出来事。つまり終戦を迎える年の設定だが、朝鮮人への徴用は昭和19年9月から翌年3月の下関~釜山間の運航が止るまでの僅か7ヶ月間しかないのに、どれだけの朝鮮人がこの島に強制連行され弾圧を受けたというのか。

 軍艦島では戦後も石炭の採掘が続けられるも、昭和49(1974)年に閉山する。住民は島を離れることを余儀なくされるが、戦後も長らく朝鮮半島出身者が家族で韓国人が言うこの「地獄島」で日本人と共に働いていた事をどう説明するのか。

 映画では「ここの出来事を記憶する朝鮮人は一人たりとも残してはいけない」と、然も軍艦島がナチスのアウシュビッツの如くに準えている。こうした映画を観て留飲を下げ、反日で盛り上がる韓国人というのはある意味で幸せだわな(苦笑)

「この島で働いていた朝鮮人は全員殺された」とでも言いたげな内容だが、軍艦島(端島)での生活は、映画の内容とは全く違って、戦前も戦中も戦後も半島出身者は日本人と仲良くこの島で働き続けていたということが歴史的な事実である。

 映画というのは娯楽であるべきで、歴史を自分達の都合好く歪曲し、娯楽どころか怒りや悲しみしか生まないオナニー的フィクション映画を創って一体何になるというのだろう。韓国人の「反日」からの妄想癖や虚言症にはホトホト厭になる。

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2021年12月29日

猪苗代中田浜プレジャーボート殺人事件で佐藤剛被告が過失責任を否認

 令和2年9月6日午前11時頃、猪苗代湖中田浜で遊泳中の千葉県野田市の家族がプレジャーボートに巻き込まれ豊田瑛大君が死亡し、母親は命を取り留めたものの両足の膝から下を切断するという瀕死の重傷を負い、祖母も大ケガを負った。

 臨場した警察官が湖面に浮いている瑛大君の上半身の一部を発見。その2日後に湖底から下半身の一部と右腕、右脚を発見した。事故の悲惨さを物語る光景だ。冒頭陳述でも分かる通り、衝突に加えスクリューでバラバラにされたことが理解出来る。これだけの衝撃なのにその場に停まらずに遊びを優先させた神経は理解不能である。

 瑛大君の兄は「弟があの青い船に轢かれました」と助けを求めたという。目撃者からも「事故を起こしたプレジャーボートには約10名が乗っていた」という証言が出ていたが犯人特定に至らなかった。事故から約1年後の9月14日、福島県警はいわき市泉ヶ丘が本社の(株)佐藤剛建社長の佐藤剛を業務上過失致死傷容疑で逮捕した。

 福島地裁で行われた初公判で、逮捕後には容疑を否認していた佐藤だったが、事故を認めて謝罪した。一方で「前方左右を注意深く見ていたが被害者が浮いてるのは全く見えなかった。同乗者も誰も事故に気付かなかった」と過失責任を否認した。

「同乗者の誰も事故には気付かなかった」というのはどうなのだろう。事故を起こしていないのなら何故に今年の夏には中田浜に来なかったのか。事故を起こしたことを承知していたのは想像するに難い。同乗者と口裏を合わせていたのは明らかだろう。

 航行中に撮影された動画が警察に提出されている。異変に気付いた同乗者の「やばい」という声が記録され、救助に向かわずに去っていく様子が移ってるという。この同乗者からの動画が逮捕に繋がった。佐藤は同乗者に「何も無かったよな」と口止めしたことも判明している。どこまでも姑息で卑怯なヤツとしか言い様がない。

 検察側は冒頭陳述で「佐藤被告らは三隻で中田浜マリーナを出港し、佐藤被告の船の近くで複数の船舶が航行していた」と事故の状況を説明。佐藤の船と同じ方向に進んでいたモーターボートを運転していた知人が「百メートル以上の先のブイ付近に被害者がいたので舵を切った。数秒後に佐藤の船が追い越した」と証言している。 

 知人は「被害者らを轢いたのではと不安に思った」と言ってることでも、佐藤の「前方左右を注意深く見ていたが、被害者が浮いてるのは全く見えなかった。同乗者も誰も事故に気付かなかった」という陳述は知人を巻き込んだ見苦しい言い訳でしかなく、「前方左右を注意深く見ていた」という発言は罪を逃れる為の詭弁である。

 別の水上バイクで遊んでた人が事故当時の状況を「佐藤被告の船が湖面に浮く被害者の方向へ向かって行くのを見て『人』と叫んだが、船の通過後に湖面から何かが飛ぶのを見た」と証言している。見えなかったのは佐藤だけで、遊びに熱中する余りに注意義務を怠ったのは明らかだし、事故後に救助もせずに逃げたことは悪質である。

 交通事故での轢逃げ死亡事故は重罪。佐藤は「事故を認識してない」と言い訳してるが、事故後の対応を見れば事故を認識していたのは明らかで業務上の過失ではない。知人のボートを猛スピードで追い越して事故を起こし、逃亡を謀ったたことは、殺人逃亡事件であり、あらゆる法令を適用し厳罰に処するべきである。

 弁護側は衝突事故の事実は争わないとした上で「被告は当時事故を起こしたという認識はなかった」と反論。事故への注意義務は怠ってはいないというが、事故直後の同乗者の「やばい」という動画の音声や、同乗者へ向けた佐藤の「何も無かったよな」との口止めは、所詮は録音だから証拠にはならないとの考えなのだろうか。

「前方左右の見張り」に効果はないと争うらしい。こういうクソを庇う弁護士というのも哀れというか、まぁそれが弁護士の仕事なんだろうが因果な商売だわな(苦笑)

 将来を担う少年の命を軽々しく奪った罪は大きい。況してや口裏合わせとはどこまでも卑怯な男が、業務上過失致死で有罪になったところで反省はしないだろう。被害者遺族は民事訴訟で佐藤容疑者が震え上がるくらいの賠償請求をしてやりゃ好い。

 若くして会社社長となり、いわき市と東京都に会社を構えるなど事業者としては成功者だろう。だが、そこに驕りは無かったか。経営者としての人格はどうだったのか。社稷を重んじることなく営利主義から経営道徳も欠落していたと思われる。

 亡くなった瑛大君の両親は被害者参加制度を利用して初公判に臨んだ。閉廷後、報道陣の取材に応じ「初公判を迎えて一瞬の安堵はある」と応えたが、これは犯人が見つからないのではと思っていた不安を抱えていた故の正直な気持ちだろう。

 母親は公判に遺骨に一部を握って入廷した。母親自身も事故で両足の膝から下を失った。こうした現実を佐藤はどう感じてるのか。事故を認めての謝罪は被害者へのものではなく、裁判での情状酌量を求めるだけのものでしかない。心から謝罪したのなら、検察官側に控える両親に頭を下げるべきだが、目を合わせもしなかったという。

「事故から1年以上経っても瑛大がいないのが信じられない。戻って来ないという事実を突きつけられた」と未だに癒えることのない心境を語った。不条理にも突然に奪われてしまった幼い命の魂を救って欲しいと願わずにはいられない。合掌。

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2021年12月26日

「女性皇族の皇籍維持」や「皇女制度」はカタチを変えた「女性宮家論」である

 安定的な皇位継承策を検討する政府の有識者会議(清家篤座長)は、国会が求めた女性・女系天皇の是非など皇位継承に関する方策に関し「将来議論を深めていくべきである」として結論を先延ばしする報告書を岸田首相に提出した。

 この報告を受けてへっぽこ保守派が評価するコメントやツイートを目にしたが、報告書では「皇族数が喫緊の課題」として①女性皇族が婚姻後も皇族の身分を保持する②養子縁組を可能にするとし、皇統に属する男系男子を皇族とするとの皇族数確保策二案を提出したが、婚姻後の女性皇族を皇族身分の保証は皇女制度と同じ。

 皇女制度の創設に拠って国賓・公賓への接遇や会食などの御公務を皇籍離脱後にも関わらせようという都合の好い政治利用に他ならない。女性皇族の皇籍を維持させてまで、婚姻後も皇籍を維持させ皇室活動をやらせようとは本末転倒である。

 女性皇族の皇籍維持や「皇女制度創設」はカタチを変えた「女性宮家論」であり、皇籍離脱させられた旧宮家の方々の皇籍復帰論を絶つ為の姦策というのが正しい。宮家の本分とは皇室活動ではなく祭祀を継承して戴くということにある。

 婚姻後の女性皇族の皇籍維持は、皇族数の確保ではなく、現憲法下での御公務や皇室活動などの公的行事をやらせる為の政府の傀儡としての強要でしかない。

 天皇とは英国やスペインの様な「王室」や「国王」の存在だと思っている人も多いが、分かり易く言えば日本固有の信仰である神道を伝え導く神主(神官)の最高の地位者であり、ローマ法王などと同じく祈りを重んずる「祭主」である。

「女性宮家」では天皇の重んじる祭祀が叶わない。神に仕える神事を執り行うことが憚れるのだ。別に女性差別ではなく、これが伝統というものなのだ。女性皇族が行えるのは国賓・公賓への接遇や会食とイベントに華を添えることくらいなもの。

「女性宮家論」や「皇女制度」は、天皇の在り方や宮家の本分を理解することなく、皇族を単なる国事行為をする便利な存在としか思っていないから語れるのだ。

 皇女制度は都合の好い皇室利用である。皇族の本分でもある祭祀を継承するには旧皇族の復帰を成すことが重要であり、廃絶になった秩父宮・高松宮、女性皇族しかいない常陸宮と三笠宮の祭祀を旧宮家を再興し継承することこそ肝要である。

 旧宮家の方々が皇籍復帰して頂くことで国賓・公賓への接遇や晩餐会での会食などの皇室活動はクリア出来るのに、何故に女性皇族の皇籍維持が優先されるのか。

 養子縁組を可能としながら「旧宮家の子孫は皇位継承権を持たない」と明記されている。皇位継承で大事なのは神武天皇以来の「男系」の血筋である。「今上陛下とは血筋が違う」とは反天皇勢力に拠って創られた現代の価値観に過ぎない。

 旧宮家とは「伏見(ふしみ)宮」「閑院(かんいん)宮」「山階(やましな)宮」「北白川宮」「梨本宮」「久邇(くに)宮」「賀陽(かや)宮」「東伏見(ひがしふしみ)宮」「竹田宮」「朝香(あさか)宮」「東久邇(ひがしくに)宮」である。

 旧11宮家の内「山階」「北白川」「梨本」「東伏見」の4宮家は断絶しているが、旧宮家の方々は北朝第3代崇光天皇の皇子、栄仁親王から始まる伏見宮の系統に属し今上天皇との関係は、室町時代の伏見宮貞成親王を共通の祖先とされている。

 東久邇宮盛厚王(明治天皇の孫)の妻は昭和天皇の長女・茂子内親王であり、上皇后陛下が民間から嫁がれていることをしても男系男子の正統性を有する。こうした男系男子の旧宮家に対し「皇位継承権を持たない」とは摩訶不思議な提言だ。

 安定的な皇位継承策を議論するべき有識者会議が旧宮家の皇籍復帰に難色を示していることからも、反天皇及び皇統断絶への道は巧妙化していると感じる。

 皇統断絶を謀る反天皇勢力にマヌケな保守派がコレらに迎合する。国士舘大学特任教授である百地章のコメントは、「皇女制度は天皇陛下の公務負担の軽減が目的であり、皇族数減少に対する有効な選択肢だ」と応えている。こうした考えは正に「陛下の負担軽減の一環」として退位法案が可決されたのと同じではないか。

「女性宮家論」や「皇女制度」を創設に由り、天皇の国事行為や公的行事の御負担が軽減され皇族数が確保されるなどという意見は国民を誑かすまやかしである。

 悲しい哉、多くの国民は陛下の御公務の御負担を女性宮家や皇女創設で軽減されると思っているが、天皇が重んずべき「祭祀」の代行は、名代として掌典長のみが許され、国事行為の代行は憲法第四条の第二項よる委任か摂政のみが可能である。

「摂政」を置くにしても皇室典範と憲法に基づかねばならず、女性宮家を創設し国事行為を担わせるのならば憲法第四条を改正しなければならない。保守派は九条改正には積極的だが、第一章「天皇」条項を見直すべきとの声は全く上がらない。

 皇女制度を創設するにしても第一章の「天皇」条項を議論するべきだが、百地は憲法学者らしく都合の悪い部分には沈黙を極め込む。所詮は他の憲法学専門の学匪どもと同じく護憲派の類である。昔なら国士舘に行って抗議するのだがなぁ(笑)

 現憲法は、歴史的な国家としての継続された祭祀に関する天皇の役割を否定し国事行為のみとなり、祭祀は公的行為ではなく「私的行為」とされてしまった。

 こうした天皇傀儡制度にこそ保守派は意見や苦言を呈するべきなのに、何故か憲法の範囲内で語る不思議。尤も、保守派の改憲論は第九条のみの究極の護憲派だから然もありなん。現憲法の矛盾や不条理をそろそろ断ち切らねばならないと痛感する。

 哀しい哉、憲法以前の御存在であらされる天皇は、今や日本国憲法に呪縛され政府の傀儡として国事行為を行うだけの都合の好い存在となってしまっている。現憲法は天皇を頂く我が国の正統にとっても実に不適格な国法と断じる他はない。

 天皇とは、我が国の古来の教えである神道の祭事を司る祭司であり、祭主であらされる。天皇にとって最も重んじるべき祭事は、元旦未明から斎行される「四方拝」から始まり「歳旦祭」「元始祭」や毎月の旬祭など年数十回程に上る。

 日本国家としての重要な祭事が「天皇家の私事」となってしまっているのは我が国體を大きく毀損しているのだが、こうした祭祀のことには拱手傍観し、女性皇族の皇籍維持でこうした祭祀が維持出来るかの如き報道は実に怪しからんことだ。

 憲法を優先する余り、国事行為が優先され、本来の御勤めであるべき祭事が軽んじられている現状は見るに堪えない。臣下である国民が皇室を語る不敬を赦してはならない。女性宮家論や女系天皇に続く女性皇族皇籍維持に断固反対するものである。

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2021年12月25日

ハロウィンやクリスマスで浮かれている日本人に「古事記」を読んで欲しいなぁ

 日本人というのはカトリック教徒でもないのにキリスト生誕を祝い、大晦日には寺で除夜の鐘に感じ入り、元旦には神社に初詣に行き、年賀状には元号を記す。実に大らかなのは日本古来の神道の教えが身に付いてるからなのだろう。

 ハロウィンにしても日本人として何の収穫を祝い、何の悪霊を追い払うのか理解不能。単なるイベント好きなんだろうが、キリスト生誕より、我が国には八百万という日本の神々が存在することをもう少しは理解した方が好いと思う。

 つ~か、1年というのはホント早いよなぁ。曽野綾子だったか、1歳は1㌔、40歳は40㌔、80歳は80㌔と、年齢と同じスピードで1年は過ぎるということらしい。

 ということは、愚生の場合は61㌔か。子供の頃には1年がホント長く感じて、学校へ行くのも億劫だったが、今思うと子供の頃や学生時代が幸せだったのかもなぁ。

 当り前の様に使っている西暦はキリスト教に基くものとは誰でも知っている。暦というのは宗教と歴史が関連し、国が変われば暦も様々なものが使われている。

 イスラムでは「太陰暦」を使いマホメットのメディナ遷宮を元年とする。ユダヤ教では天地創造を起源とする「ユダヤ暦」。タイでは御釈迦様の没年から数える「仏暦」。因みに、北朝鮮では金日成の生誕から数える「主体(チュチュ)」である。

 我が国は、西暦と併用して神武天皇御即位からの「皇紀」を用いるべきで、実に2681年の輝かしい歴史を誇る。暦とは別に我が国には「元号」制度が在る。

 元号は節季の習俗を時代の流れに応用する先人の智慧であり、元号こそが日本文化を象徴するものでもある。「西暦が世界で一般化している」として元号が古臭いとして反対を唱える大馬鹿者がいるが、そんなのに限って反米主義だったり(笑)

 明治維新後、西暦を採用したが、明治の混乱期でも元号を捨て去れなかったのは、大化の改新の昔より国民生活に深く定着していたからであり、こうした慣例も我が国が君民一体「天皇即日本」の国柄であったことを証明している一つであろう。

 元号制度を捨て去ることはと。我が国の国柄をも喪失するということ。大化の改新より歴代の天皇は、数年から十年を目途に改元して巧みに時代転換をして来た。

 孝明天皇は御在位21年で「嘉永」「安政」「万延」「文久」「「元治」「慶応」と6回も改元されたが、混乱の時代を如何に転換させるかの苦衷の表れである。

 日本人の多くは仏教徒。教えは神道の随神の道でもあるのだが、GHQの統治下で戦後民主主義教育が徹底され、日本古来の神話や神の教えが抹殺されてしまった。

 日本人必読の書「古事記」の書き出しでは「天地創めて發けしとき高天原(たかまのはら)に成りし神の名は天御中主神(アメノミナカヌシノカミ)、次に高御産巣日神(タカミムスビノカミ)、次に神産巣日神(カミムスビノカミ)、この三柱の神はみな獨神(ひとりがみ)と成りまして身を隠したまいき」と書かれてある。

 この「造化三神」と「神代七代(かみのよななよ)」。「伊邪那岐(イザナギ)」と「伊邪那美(イザナミ)」が生んだとされる神は三十五柱に及ぶが、キリストやマホメット、孔子より日本偉人ならこういう神々を知っておくべきだろう。

 古事記を筆録した人物は太安麻呂(おおのやすまろ)と言われている。古事記は我が国で最初に書かれたとされる書籍であり、語り部の稗田阿礼(ひえだのあれ)が暗誦していた「帝紀」「旧辞」を基に編纂されたものとされている。

「古事記」は読む人によって感じ方も違うし、古代人が何を言わんとしたのかは捉え方も夫夫で、読めば愉しい古典だと思う。今ではマンガの古事記や現代語訳の本も多く出ているので、クリスマスケーキを買う気分で購入して欲しいものだ。

 キリストを代表とする西洋の神が「天地創造の神で唯一絶対の不変の存在」と描かれているが、我が国の神々は宇宙の後に生まれたと古事記では描かれいる。

「高天原」とは「三次元世界」を表しており、「高」は高低の差を示す縦軸で、「天」は空間であり時間である。「原」は無限に水平に広がり行く横軸のこと。

 何気ないことだなのだが、我々の祖先は唯一絶対の神が世界を意の儘に創造したのではなく、「無」の時間、つまり「ビックバン」以前の世界を想定していたという教えは驚くほど科学的でもあるし、一神ではなく八百万というのが日本らしい。

「古事記」には我々日本人の先祖の歩んできた歴史が比喩を駆使して生き生きと描かれ、日本語本来の美しさも感じられる。一見難しそう漢字が使われてはいるが、日本語が未だ完成していない時代に作られたものなので漢字自体には意味はない。

「音」を頼りに読み解いていくことが大切で、日本語の「言葉」とは「言ハ」であり、「コト」を表現する言語。これは他国の言語には見られない特徴でもある。親中派は「日本と支那は同文同種」というが、それは間違いと言わざるを得ない。

 一つの言葉に多くの事柄を含めて伝え合う日本独特の文化であり、古事記の文章の中に在る「こと」を探って読み解くことが大事である。人夫夫、読み手に因ってその感じ方が違ってもそれはそれで好いと思うし、それが間違いでもない。

 日本神話の特徴は、神様と雖も失敗や過ちを起こすということではないだろうか。一神教では神様が失敗や過ちを起こすことなど考えられないことだが、これだけでも愉しいことだと思う。だが、この教えは「二度の失敗はしない」ということ。

 年末を控え悩みも尽きないでしょうが、我が国の神様でも失敗してると思っったら気が楽。人生気楽に行こうじゃありませんか。「失敗は成功の基」とも言うし、己の失敗を反省し、克服することで成長するものだと思うが如何でしょう。呵呵

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2021年12月24日

科学的データに基いた処理水の海洋放出に反対する漁業関係者って何なんだ?

 羽生田光一経済産業相と県漁連会長の野崎哲が、東京電力福島第一原発周辺に貯まり続ける処理水の海洋放出問題を議論するも並行戦で終わった。先のいわき市長選では共産党候補を応援した野崎会長だもの処理水問題で政府に歩み寄ることは無い。

「地域の声を聞け」というのは付けたりに過ぎない反対の為の反対の屁理屈でしかない。端から処理水への理解するつもりも無い。県関係団体のこうした非科学的な感情論からの反対運動や声明が福島県への風評被害を齎してるという自覚も無い。

 漁業関係者は「これまでの努力の積み重ねが無駄になる」と語るが、処理水問題に対し科学的根拠を否定し、抗議ばかりしてきた県漁連が何に努力したというのか。努力して来たのは福島県産の海産物を購入して応援してきた全国の人達だろう。

 福島への風評は、反原発派らの執拗な福島差別と放射線や放射能への無理解から生まれたもので、野崎ら地元漁業関係者は反原発派に与していた活動家と同列。

 原発事故後、漁師が漁にも出られなかったのは気の毒に思うが、原発事故に因って漁業関係者に支払われた賠償金は莫大だった。漁師の中には働くよりも、経費丸ごと補償してくれる賠償金を貰った方が得だと思っていた人は少なくない。

 民主党政権下、年間被曝の科学的根拠を示さず、原子力規制委員会からの「放射線防護対策の年間被曝線量は20ミリシーベルト以下」との提言を無視し、住民の不安を払拭する目的で始められたのが「除染」というマヌケな作業だった。

 未だに続けられる総額約25兆円とも言われる除染関連事業で儲かったのは、請け負った大手ゼネコンと一部の業者だけ。下請けや孫請けなら未だしも、それより下の業者の儲けは少なく、親会社に裏切られた下請け業者は相当数に上る。

 県内各地の空き地や田畑には除染土入りのフレコンバッグが山積みにされたが、田畑一反に付き15万円の利用料が支払われている。例年の農業収入は一反に付き約5万円程度。つまり、汗して農業をしてるより儲かるのだ。漁師も似た様なもの。

 漁業関係者の多くが、海洋放出以外の全ての処分方法にも反対してることでも分かる様に、反原発派と同じく福島を貶めている勢力に成り下がり、単なる感情論で科学的根拠さえも信じない姿勢こそが風評被害を拡大させる要因になっている。

 福島第一原発周辺の処理水タンクは、約680基以上に及びその水量は137万トンと増え続けている。処理水の処分を後回しにしたり、タンクを増設し続けれれば劣化による環境破壊にも繋がり、それこそ福島への風評被害が止むことはないだろう。

 抑々、トリチウムは放射線エネルギーは弱く、人体の影響はセシウムの700分の1程度だという。原発事故に因る放射線セシウムが人体に影響も及ぼしてない中で、それより弱いトリチウムを含んだ処理水の処分に反対するのは感情論でしかない。

 福島原発周辺に貯蔵されてる処理水のトリチウム総量は2016年3月時点で760テラベクレル。諸外国の再処理施設から海洋へ放出されている処理水に比べても100分の1程度で、専門家は「人体に影響を及ぼす数値ではない」と語る。

 1979年のスリーマイル島原発事故では93000テラベクレル、1986年のチェルノブイリ原発事故では520万テラベクレルと推定されている。1テラベクレルとは1ベクレルの1兆倍。「兆」という単位は余りにも大きい数値に感じるだけ。

 カナダのブルース原発からは年間1280兆ベクレル排出。フランスのラ・アーグ再処理施設からは年間1京1600兆ベクレルが排出されている。「京」とは「兆」の更に上の桁。かなりの数値だがこれらの数値は国際基準値の範囲内である。

 因みに、福島の漁業関係者よりも強力に処理水の海洋放出に難癖を吐けてる韓国だが、韓国は月城原子力発電所で4基のCANDU炉を運転しているが、月城原発が4基体制に入った1999年以降の累積では6000テラベクレルを超える。

 韓国の抗議は、科学的データを無視し風評を煽る山本太郎ら反原発派と同じで、地元漁師が福島への風評を阻止したいなら率先して科学的データを内外に広めることであり、地元漁師が立ち上がることで福島への風評が鎮まるだろう。

 今年4月28日付の地元紙には、処理水問題に関して「トリチウム総量1930兆ベクレル」とのタイトルが仰々しく躍っていたのを記憶する。トリチウムの何たるかも理解することの無い多くの新聞購読者は、1930兆との数値の大きさに驚いた。

 前述したが、2016年には処理水のトリチウム総量は760テラベクレルあった。「1テラベクレル」とは「1ベクレル」の1兆倍。とすると、現在の1930兆ベクレルという数値は揮発などもあってかなり低くなっているし、数値は更に下がってる。

 科学的根拠も示さず、低放射線への無理解から始められた除染作業は、住民の不安を払拭するどころか、「福島県は除染をしないと住めない土地」という風評被害を齎した。海洋放出は世界の常識である。除染作業と同じ轍を踏んではならない。

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2021年12月22日

第三次世界大戦においては極東がその戦場となる(東条英機の遺書より)

 昭和23年12月22日夜、死刑執行の数時間前に東京巣鴨に於いて、教誨師の花山信勝師の前で東条英機が遺言書を朗読した。以下転載。(現代語に校正してます)

 開戦の時のことを思い起こすと実に断腸の思いがある。
 今回の処刑は個人的には慰められるところがあるけれども、
国内的の自分の責任は、死をもって償えるものではない。
 しかし国際的な犯罪としては、どこまでも無罪を主張する。
 力の前に屈した。
 自分としては、国内的な責任を負うて、満足して刑場に行く。
 ただ同僚に責任を及ぼしたこと、下級者にまで刑の及びたることは、
実に残念である。
 天皇陛下および国民に対しては、深くおわびする。
 元来、日本の軍隊は、陛下の仁慈の御志により行動すべきものであったが、
一部あやまちを生じ、世界の誤解を受けたるは遺憾である。
 日本の軍に従事し、倒れた人および遺家族に対しては、
実に相済まぬと思っている。
 今回の判決の是非に関しては、もとより歴史の批判に待つ、
もしこれが永久の平和のためということであったら、
もう少し大きな態度で事に臨まなければならぬのではないか。
 この裁判は、結局は政治裁判に終わった。
 勝者の裁判たる性質を脱却せね。
 天皇陛下の御地位および陛下の御存在は、動かすべからざるものである。
 天皇陛下の形式については、あえて言わぬ。
 存在そのものが必要なのである。
 それにつきかれこれ言葉をさしはさむ者があるが、
これらは空気や地面のありがたさを知らねと同様のものである。
 東亜の諸民族は、今回のことを忘れて将来相協力すべきものである。
 東亜民族もまた他の民族と同様の権利をもつべきであって、
その有色人種たることをむしろ誇りとすべきである。
 インドの判事には、尊敬の念を禁じ得ない。
 これをもって東亜民族の誇りと感じた。
 今回の戦争にて、東亜民族の生存の権利が了解せられはじめたのであったら、
しあわせである。
 列国も排他的な考えを廃して、共栄の心持ちをもって進むべきである。
 現在の日本を事実上統治する米国人に一言するが、
どうか日本の米国に対する心持ちを離れしめざるように願いたい。
 また、日本人が赤化しないように頼む。
 東亜民族の誠意を認識して、これと協力して行くようにしなければならぬ。
 実は、東亜の多民族の協力を得ることができなかったことが、
今回の敗戦の原因であると考えている。
 今後日本は米国の保護の下に生活していくのであるが、
極東の大勢はどうであろうか。
 終戦後わずかに三年にして、アジア大陸赤化の形勢はかくのごとくである。
 今後のことを考えれば、実に憂なきを得ぬ。
 もし日本が赤化の温床ともならば、危険この上ないではないか。
 日本は米国よりの食糧その他の援助を感謝している。
 しかし、もしも一般人が自己の生活の困難や、インフレや、
食糧の不足などを米軍の日本にあるがためなりというような
感想をもつようになったならば、それは危険である。
 実際にかかる宣伝をなしつつある者もあるのである。
 よって、米軍は日本人の心を失わぬように注意すべきことを希望する。
 米国の指導者は、大きな失敗を犯した。
 日本という赤化の防壁を破壊し去ったことである。
 いまや満州は赤化の根拠地である。
 朝鮮を二分したことは東亜の禍根である。
 米英はこれを救済する責任を負っている。
 従って、
その意味においてトルーマン大統領が再任せられたことはよかったと思う。
 日本は米国の指導にもとづき武力を全面的に放棄した。
 それは一応は賢明であるというべきである。
 しかし、世界が全面的に武装を排除していないのに、
一方的に武装をやめることは、
泥棒がまだいるのに警察をやめるようなものである。
 私は、戦争を根絶するには、欲心を取り払わねばならぬと思う。
 現に世界各国はいずれも自国の存立や、自衛権の確保を説いている。
 これはお互いに欲心を放棄していない証拠である。
 国家から欲心を除くということは、不可能のことである。
 されば世界より戦争を除くということは不可能である。
 結局、自滅に陥るのであるかもわからぬが、事実はこの通りである。
 それゆえ、第三次世界大戦は避けることができない。
 第三次世界大戦において、おもなる立場に立つものは米国およびソ連である。
 第二次の世界大戦において、日本とドイツが取り去られてしまった。
 それゆえ、米国とソ連が直接に接触することになった。
 米ソ二国の思想上の相違はやむを得ぬ。
 この見地からいうも、第三次世界大戦は避けることはできぬ。
 第三次世界大戦においては、極東がその戦場となる。
 この時にあたって、米国は武力なき日本をいかにするのであろうか。
 米国はこの武力なき日本を守るの策をたてなければ、また何をかいわんや。
 そうでなしとすれば、米国に何らかの考えがなければならぬ。
 米国は、日本八千万国民の生きてゆける道を考えてくれねばならない。
 およそ生物としては、生きんことを欲するのは当然である。
 産児制限のごときは神意に反するもので、行うべきではない。
 なお言いたきことは、最近に至るまで戦犯容疑者の逮捕をなしつつある。
 今や戦後三年を経ておるのではないか。
 新たに戦犯を逮捕するというごときは、即時にやめるべきである。
 米国としては、日本国民が正業につくことを願い、
その気持ちでやって行かなければならぬ。
 戦犯の逮捕は、我々の処刑をもって、一段落として放棄すべきである。
 戦死傷者、抑留者、戦災者の霊は、遺族の申し出があらば、
これを靖国神社に合祀せられたし。
 出征地にある戦死者の墓には、保護を与えられたし。
 従って遺族の申し出あらば、これを内地に返還せられたし。
 戦犯者の家族には、保護を十分に与えられたし。
 青少年の保護ということは、大事なことである。
 近時いかがわしき風潮は、占領軍の影響からきているものが少なくない。
 この点については、わが国古来の美風をも十分考慮にいれられたし。
 今回の処刑を機として敵、味方、中立国の罹災者の一大追悼会を発起せられたし。
 もちろん、日本軍人の間に間違いを犯した者はあろう。
 これらについては衷心、謝罪する。
 これと同時に、無差別爆撃や原子爆弾の投下をなしたことについて、
米国側も大いに考えなければならぬ。
 従って、さようなことをしたことについては、米国側も大いに悔悟すべきである。
 最後に軍事的問題について一言するが、
我が国従来の統帥権独立の思想は確かに間違っている。
 あれでは陸海軍一本の行動はとれない。
 兵役については、徴兵制によるか、傭兵制によるか考えなければならぬ。
 我が国民性を考えて、再建の際に考慮すべし。
 教育は精神教育を大いにとらなければならぬ。
 忠君愛国を基礎としなければならぬが、責任感をゆるがせにしてはならぬ。
 この点については、大いに米国に学ぶべきである。
 学校教育は、人としての完成を図る教育である。
 従前の醇朴剛健のみでは足らぬ。
 宗教の観念を教えなければならぬ。
 欧米の風俗を知らせる必要もある。
 俘虜のことについても研究して、国際間の俘虜の観念を徹底せしめる必要がある。

 以上が、死刑執行の前日に朗読した遺言書の摘要である。

 非情にも連合軍は当時の皇太子殿下の生誕日に東条英機閣下ら七名の処刑を断行した。日本国民に未来永劫、贖罪意識を植え付けつ為である。今を生きる我々は、先人が国家の命運を賭けて戦った大東亜戦争の真実と意義を考えねばならない。合掌。

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死刑の是非を多数決で無理やり決議するのは個人の思想弾圧だ(南出喜久治)

 平成16年に兵庫県加古川市で親族など7人を殺害した藤城康孝死刑囚と、群馬県内のパチンコ店従業員2人を殺害し現金を奪った強盗殺人と窃盗などの罪で死刑が確定していた高根沢智明死刑囚、小野川光紀死刑囚ら3人の死刑が執行された。

 3人の死刑が執行されたことを受けて、死刑制度に反対するいつもの人権団体「アムネスティ・インターナショナル日本」や日弁連などが抗議の声を上げた。アムネスティ・インターナショナルは単なる左翼組織というのが正しく、日弁連も同列。

「死刑制度の廃止を目指す」とした日本弁護士連合会(日弁連)の宣言が会の目的を逸脱しているとして、以前、京都弁護士会の南出喜久治弁護士が、日弁連などを相手に宣言の無効確認を求め、京都地裁に提訴したことが記憶に新しい。

 南出弁護士は「日弁連は政治や思想に関して中立であるべきで、目的外の行為だ」と訴えているのに対して、日弁連は「死刑制度は政治的な問題ではなく、国家による最大の人権侵害。決議や宣言は、基本的人権の擁護などを掲げる会の目的から逸脱していない」という認識を示しているが、詭弁以外の何ものでもない。

「人権侵害」を掲げる団体の胡散臭さは日弁連を筆頭に左翼団体の専売特許。日本学術会議が奇しくも日本共産党機関紙「赤旗」でその正体がバレることとなったが、共産党の第五列でもある日弁連の実態と売国性を国民に曝すべきだろう。

 刑事訴訟法では「死刑確定から6ヵ月以内の執行」を定めており、何れも場合も6ヶ月以内に検察庁が法務大臣に「死刑執行上申書」を提出し規定通り押印し、「法相の命令から5日以内に執行されなければならない」と定められている。だが、規定通りに執行されず、死刑囚もまた再審請求などで姑息に生き永らえている。

 我が国の死刑制度は「仇討ち禁止令」や「決闘禁止」に代わるものとして成立したものでもある。国民の間で死刑に対する理解が多いのは「国が被害者に替わって恨みを晴らしてくれる」という期待感からで、殺された側の気持ちを汲めば死刑は当然の結露だろう。殺された者より、殺した側の人権とは本末転倒である。

 明治6年2月、司法卿であった江藤新平が「復讐禁止令(仇討ち禁止令。太政官布告第37号)」を発令した。幕末から維新期の派閥、政論の対立による暗殺とその報復という面があったところから、この種の紛争を断ち切る為のが目的だった。明治22年には「決闘罪ニ関スル法令」も発布され、敵討ちや復讐は禁じられた。

 主君や親兄弟などを殺した者を討ち取って恨みを晴らすことは、日本人の美意識の顕れともいえる。江戸時代には武士階級の慣習として公認され「敵討ち」と認められれば罪に問われなかったばかりか、それは美化され大衆の支持を得た。

 死刑廃止論者は、「国際人権基準」がどうのだとか「非人道的」だとか「生きる権利の侵害」「死刑囚の資料を精査する十分な時間があったとは思えない」とか愚にも付かない意見ばかりで、被害者側に立った意見は殆ど聞くことはない。

 死刑廃止の理由として挙げられる理由は「冤罪の疑い」や「法により国が人を殺す事は罪悪で人道に反する」「死刑には期待する程犯罪防止効果は無い」「人間は善を行うべき道徳的本性を先天的に具有しているのだ」など様々だ。

「冤罪」というのは、袴田事件などを見るまでもなく確かに有り得なくはないが、それは警察捜査の傲慢さと科学捜査の正確さが乏しい時代のものが殆どで、そういう疑いのある事件は再審対象にすれば好いだけの話しだろう。

「人道に反する」とは、「人を裁けるのは神のみだ」というキリスト教的欧州思考に冒されているもので、そんなものに与する方が大きな間違い。「死刑廃止は今や世界の大勢で日本もそうすべき」という意見は単なる外人コンプレックスに過ぎない。

 左翼人士や日弁連を仕切る人権派弁護士などにこうした主張をする人を見かけるが、日頃、反米を唱えながら、また共産主義者であり無神論者でありながら、都合の好い部分は米国でもキリスト教でも利用しようというのはホント逞しい(苦笑)

 残虐な犯行をした者が、死刑廃止で国法により生命を保証されるというのも如何なものか。況してや今どきの再審請求を利用して執行停止を謀るなど姑息過ぎる。「生」に拘るより、「死」を以て償うべきだと思うのは愚生だけではあるまい。

 抑抑、前述した通り、我が国の死刑制度は被害者遺族に代わり国が仇討ちする意味合いがある。仇討ちを合法化するなら愚生も納得もするが、死刑を廃止し終身刑を導入したところで被害者の感情は薄れることは無いし犯罪が減るとも思えない。

「社会は肉体の安全を保障するが魂の安全は保証しない」と言ったのは三島由紀夫。正しく人として大事にしなければならないものは肉体より魂や精神性である。

 死生観の違いといえばそれまでだが、残虐な犯行をした者が、死刑廃止で生命を保証され、のうのうと生きてるという事実こそ不正義と不条理の最たるものだ。

「死刑」は、日弁連幹部が言う様な「国家による最大の人権侵害」ではない。他人を犠牲にした犯罪への相当の審判であり、無駄に生き長らえて来た人生にピリオドを打つ為の優しさでもあり、正しく死刑制度とは鬼畜の死刑囚への大慈悲なのである。

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2021年12月21日

日清・日露戦争と大東亜戦争の大義であった人種平等の原則を忘れること勿れ

「対中非難決議」は今国会でも見送りとなった。茂木敏充自民党幹事長は人民軍のジェノサイドを否定し「今はタイミングではない」とその理由を語っているが、親中派の二階俊博と変わらぬ媚中ぶりに自民党の保守政党としての限界を見る。

 今年7月、結党100周年を迎えた中国共産党に対し二階幹事長は祝意を示し、公明党の山口那津男や立憲民主党の枝野幸男や小沢一郎らが忠誠を誓う。小沢は「国際社会が中国に嘗てない大きな期待を寄せている」などとマヌケな祝意を表した。

 山口に至っては「一つの政党で100年を迎えるということ自体中々ない」と讃え、「尚一層、世界の平和と発展、安定の為に力を尽くして頂きたい」と語った。「尚一層」と言うが、中共が過去に世界平和に貢献した事実なんぞ無いだろう。

 日華国交条約という国際条約躙という憲法違反を謀り、中国共産党を唯一の政府と認めたのは田中角栄。当時の外相が宏池会(現岸田派)の先輩である大平正芳。岸田や田中派の系統である茂木派の代表が中共に阿るのは然もありなん。

 日中国交回復の段取りをしたのがSGI(創価学会インターナショナル)会長の池田太作と言われており、その前衛に立って動いたのが公明党である。創価学会=公明党は極めて戦後民主主義的集団であり、容共的且反国家的団体である。

 天皇陛下を族長と仰ぐ我が国の正統にとって悉く異質な存在である公明党との連立の成果を、田中や周恩来や毛沢東らが草葉の陰でほくそ笑んでるに違いない。

 我が国の自虐的歴史認識は田中が元凶であり、後の細川護熙の謝罪決議や村山談話なんぞ田中の歴史認識の継承に過ぎない。更には鳩山政権下に謀られた「東アジア新時代」という愚策が、中共を更に傲岸不遜にさせているという自覚すら無い。 

 親中派は「日本と中国は同文同種、一衣帯水の関係だ」という。だが、この認識は全くの誤りであり、こうした歴史を軽んじる姿勢が中共の策謀に嵌​る要因を招いている。単に「四書五経」のイメージで中共へ​の憧れを膨らませ媚び諂ってるだけ。

 外交での譲歩は更なる譲歩を生む。安易な諂いは忠誠と同じである。黒龍会主幹で大日本生産党総裁であった内田良平は​「彼らに好意は通じることはなく、冷徹で高圧的な列強の対支政策に​倣うべきだ」と忠告したが蓋し達見である。

 明治37年(1904)2月8日、「仁川沖海戦」を以て日露戦争の火蓋が切られ、極東の小国であった日本と、当時、世界最大の軍事大国であったロシアとの民族の生死を賭けた戦いは実に一年半にも及ぶこととなり、我が国が劇的勝利を収めた。

 日露戦争での「大国ロシアの敗戦」と「日本大勝利」の報は、極東の小国に過ぎなかった日本の存在を世界に知らしめ、固唾を呑んで見守っていた世界の人々を驚嘆させた。中でも、全世界の有色人種に強烈な影響を与えることなった。

 インドのガンジー、ネール、ビルマのオッタマ・ミール、フィリピンのリカルテ、ベトナムのファン・ボイ・チャウ、エジプトのムスタファ・カミール、トルコのケマル・パシャ等等。ベトナム英雄ファンは、「爽快足らしめる事件が起きた。日露戦役は我々の頭脳に一新世界を開かしめた」と、その衝撃を記している。

 戦前、ロシアに占領・弾圧されていたフィンランド、トルコ、ポーランドの国々や、有色人種として差別されていた民族に、有色人種である日本の日露戦争の勝利は国家と民族の存在を決定的に変える影響を齎したのである。

 日露戦争終結から15年後、パリ講和会議に於いて我が国政府は国際連盟規約に「人種平等の原則」を入れる提案を行うこととなる。だが、議長を務める米国大統領ウイルソンに「全会一致が原則」との詭弁を弄され拒絶されてしまう。

 結局、日露戦争が齎した歴史的課題である「人種平等の原則」の本格的実現は、大東亜戦争後に漸く実現し、その歴史的大使命が果たされることとなるのである。

 世界史にとっても日本史にとっても重要な「人種平等の原則」という一大事が、何故か我が国では余りにも軽く扱われている。未だにGHQの謀った戦後民主主義の洗脳であるが、何より酷いのは我が国の政治家どもの歴史認識と気概である。

 チベットやウイグル虐殺を始めとしたジェノサイドは決して対岸の火事ではない。習近平に忠誠を誓うが如く「対中非難決議」さえ採決出来ない状況を、人種平等の原則を提言し、その実現を成し遂げた我が先人達はどう感じていることだろう。

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2021年12月18日

「対中非難決議」の見送りは弱腰軟弱外交の極みである

 1949(昭和24)年10月1日に天安門広場で建国を祝う式典が行われ、毛沢東が「中華人民共和国の建国」を宣言した。日頃「中国4000年の歴史」などと宣って憚らない中共だが、その実はたった70年程の歴史しかない新興国というのが正しい。

 逆説すれば、共産主義一党独裁政権が半世紀以上も続いているのだから驚く他ない。共産主義国が続いた一因には、我が国の政府開発援助(ODA)や「日本軍遺棄化学兵器の処分費用」などの朝貢外交が影響してることは否定出来ない。

 共産主義の撲滅は世界の悲願であり、支那大陸の民主化が世界平和を齎すと言っても過言ではない。我が国こそが共産主義撲滅の先頭に立つべきであるし、周辺諸国への弾圧やジェノサイドに対し抗議する義務があるのは当然のこと。

「対中非難決議」は今国会でも見送りとなった。茂木敏充自民党幹事長は「今はタイミングではない」というがならばいつやるのか。茂木の言い分は中共に阿るものであり、岸田政権が非難決議もせずに弱腰軟弱外交を続けるなら退陣させるべきだ。

 ウイグルでのジェノサイドをナチスドイツのホロコーストに準える論調もあるが、ヒトラーがベルリンオリンピックを開催し、プロパガンダが成功裏に終わったことを忘れてはならない。だからこそ中国共産党への非難決議は必要且つ重要なのだ。

 政治的問題でオリンピック中止を余儀なくされたり、ボイコットした例は少なくない。1980(昭和55)年、旧ソ連のアフガニスタン侵攻に抗議して、米国や西側諸国がモスクワオリンピックのボイコットを決め、我が国も同調し参加を辞退した。

 ボイコットが決定したことで、当時、金メダル確実と言われた柔道の山下康裕(日本オリンピック委員会(JOC)会長)やレスリングの高田裕司、マラソンの瀬古利彦、水泳の長崎宏子、男子体操といった多くの選手達が涙を呑んだ。

 当時20歳だった愚生もこのボイコット騒動はよく覚えている。山下選手は涙を流し「個人ででも出場したい」とインタビューで答えたことで批判を招いた。

 山下選手の気持ちは理解するが、スポーツが政治に利用されることは往往にして在ることだ。有名なのが、1936年のドイツのベルリンオリンピックだろう。

「オリンピックはユダヤの祭典である」とオリンピックを批判し、オリンピック開催に難色を示していたヒトラーだが、オリンピックがプロパガンダに利用出来ることを知ったヒトラーはベルリンでのオリンピックを開催を実行する。

 米国や英国は、ヒトラーのナチスの人種差別などを批判し、ボイコットを示唆していたが、「政治とスポーツは別」だとして最終的には出場を決めた。

 結果、ベルリンオリンピックは大成功に終わり、ヒトラーの政治的パフォーマンスとプロパガンダも思惑通りに進んだ。「オリンピックを成功裏に終れば、ヒトラーも大人しやかになるだろう」との米英の思惑は脆くも崩れ去ってしまった。

 オリンピック後、ヒトラーはラインラントへ侵攻し、スペインへ大量の爆撃機を送り、その2年後にはオーストリアを併合し、ズデーデン地方へも侵攻。その翌年の1939年9月にはポーランドに侵攻し、終に第二次世界大戦が勃発するに至った。

 歴史家の間ではドイツのポーランド侵攻とされているが、歴史家で元駐日大使のライスシャワーは、このポーランド侵攻の2年前の1937年の上海での中国軍による日本海軍への全面攻撃こそが第二次世界大戦の始まりだと主張している。

 条約上の権利の下に上海に駐留していた2500人の日本海軍「上海特別陸戦隊」に対し、1936年8月13日、12万人以上の中国軍は全面攻撃を行なった。この1936年8月13日には、ベルリンオリンピックが開催されていた時期なのだ。

「政治とスポーツは別だ」との主張こそ「平和ボケ」の象徴と断じて好かろう。こうした世論誘導はオリンピック利権に肖ろうとする企業や関係者、放映権や放送権が欲しいマスコミらの詭弁である。スポーツが政治や企業に利用されてるのが現実。

 大会組織前委員長の森発言ばかりが騒がれてるが、スポーツの祭典どころか商業化するオリンピックの在り方や大会スポンサーの経費増額負担や聖火リレー走者からの参加費徴収など、営利至上主義が蔓延るIOCに対するその闇は深い。

 因みに、ベルリンオリンピックの次の開催国は日本だった。支那事変(日中戦争)が拡大しオリンピックどころじゃなり開催を返上。第二次世界大戦終結後の1948年のロンドンでオリンピックでは敗戦国の日本とドイツは招待されなかった。

 茂木や林芳正外相ら親中派は習近平に忠誠を誓うが如く、中国人民軍に因るウイグルや周辺諸国への人権蹂躙や威圧行為には口を噤み、ジェノサイドを否定し続ける。

「政治とスポーツは別」だとして非難決議を見送り、北京2022冬季オリンピックを成功させることで、中国共産党のプロパガンダも思惑通りに進むだろう。ベルリンオリンピックに参加しナチスを喜ばせた米英の失敗を何故に学ばないのか。

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2021年12月17日

週刊誌化するマスコミに踊らされる国民と政治の劣化

 森友学園に関する決済文書改竄を苦にして自殺したという近畿財務局職員の妻が国に損害賠償を求めた訴訟は、急転直下、国が全的に受け入れる「認諾」をして終結した。だが、納得しない妻は鈴木俊一財務相に抗議文を提出するという。

 真相究明というが自殺の真相は分かるまい。「森友問題」は、稀代の詐欺師である籠池泰典に利用された政治家や安倍明恵首相夫人の名前を削除し、佐川国税庁長官(当時)の国会答弁との整合性を図った単なる財務省の文書管理問題に過ぎない。

 籠池の嘘八百に踊らされた財務省近畿財務局が、籠池に利用されたと思われる人物らの文言を原本から削除したが、「本件の特殊性」や「特例的な内容」との文言が削除されているとしても決裁文書が根本から書き換えられてる訳ではない。

 財務職近畿財務局の文書管理問題で終わらせたくない朝日新聞や毎日新聞ら反自民左翼勢力が煽り、アホな国民がそれに追随してるだけ。抑々、自殺した原因が文書改竄の罪の重さからと断定してるが、当時の野党の吊し上げは度を越している。

 財務局職員は、改竄した贖罪意識より、こうした野党議員の吊し上げが自殺の原因になった可能性もあるだろう。本人しか分からない悩みの解明は不可能だ。

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 画像はネットで拡散されている自殺したとされる職員が詰問されてる様子。腕組みし睨む小西洋之と杉尾秀哉の姿は話を聞く態度には見えない。この二人、東京都内のウェブ関連会社に損害賠償などを求める訴訟を東京地裁に起こしている。

 訴状によると、匿名のツイッターアカウント「Dappi」は、2020年10月、学校法人森友学園への国有地売却を巡り、財務省の決裁文書改ざんを苦に自殺した近畿財務局職員について「近財職員は杉尾秀哉や小西洋之が1時間つるしあげた翌日に自殺」などと投稿した。両議員が職員に説明を求めた事実はないと否定している。

 日頃「言論の自由」を掲げながら、いざ自分への批判や苦言となると逆ギレして裁判に持ち込もうというのは卑怯と言う他はない。こうした訴訟は、裁判での結審を仰ぐ前に言論の自由が怯んでしまうだろう。言論には言論で相対すべきだ。

「森友問題」は、籠池夫婦が詐欺罪で逮捕されて普通なら終わりだろう。説明責任を求めてるが、真相究明というより単なる反自民党の倒閣運動でしかない。こうした政争に遺族の妻まで登場して訴訟を起こし、国が認諾したらしたで「納得出来ない」とか、「自民党が逃げた」というのはもう言いがかりとしか思えない。

 抑々、森友問題は、大阪市の私立の学校法人森友学園が国有地を安価に取得した問題がスクープされ、野党や左翼マスコミは自民党議員からの口利きなどの不正があったと断定して、安倍政権糾弾の好機と捉え追及し始めたのが始まり。

 国有地の払い下げなんぞ森友学園だけではないし、優遇を受けてるのは他にもある。朝日新聞の国有地払い下げや朝鮮学校や医療法人の優遇など枚挙に暇なし。

 森友学園は昭和25年設立され、昭和41年に日本初の学校法人となった。平成23年には、社会福祉法人・肇國舎(ちょうこくしゃ)高等森友学園保育園設立。日本初の神道の学校法人・瑞穂の國記念小學院を設立する予定だった。

 当時の民進党議員は、日本会議が発行する「憲法改正署名用紙」や、野党を批判したプリントを保護者に配布されていた点を指摘し、「憲法改正を求める署名用紙を配布したり、『中共の手先』などと書かれた文書を配布することは政治活動に当たるのではないか?」と質し、恰もタカ派の安倍が関わったと信じ込んだ。

「森友学園」は詐欺師・籠池泰典が始めた私学助成金や補助金目当ての愛国ビジネスである。児童に教育勅語を唱和させ、学園が神道を重んじた学園であるかの様に装い、畏れ多いことに昭和天皇が森友学園を訪問遊ばされたと偽装していた。

 更に籠池は、安倍明恵首相夫人を最大限に利用して「100万円は安倍からの御祝です」と騙り、件の削除文書に登場した平沼赳夫や鴻池祥肇などの政治家を利用して「安倍晋三記念小学校(後に瑞穂の國記念小学院)」の設立を目論んだ。

 籠池が詐欺罪で逮捕されると一転して籠池が安倍政権の被害者であるかの様に騒ぎ出す。「廃棄した」とされる森友学園の国有地売却の経緯を記載した記録が見つかると、「組織的な隠蔽だ」として安倍首相の責任問題を追及し続けた。

 だが、全てが籠池の一人芝居だったことが露呈する。諦め切れない野党や朝日新聞は籠池を利用し、決算文書を改竄したと大問題であるかの様に騒ぎ立て、終いには自殺した職員の妻を登場させて「真相究明」という感情論に訴えた。

 相変わらず、マスゴミが垂れ流す胡散臭げな情報に野党が便乗して恰も問題があるかの様に騒いでいる。週刊誌化するマスコミに踊らされ、国民不在の政争を繰り返している国会こそ政治の劣化の現れであり、民主主義の否定である。

 反安倍や反自民党に凝り固まってる野党やマスゴミの頭の中の構造は、普通の日本人とはチョッと違う様で、「安倍が関わっているに違いない」「明恵夫人の関与はあった」「安倍こそが黒幕」などと隣国の民族と同じく疑うことを止めない。

 今や週刊誌化するマスコミと「文春砲」などと週刊誌の記事をネタに国会審議とは厭きれるばかり。政治の劣化はこうしたマスコミの責任は重く、国益を鑑みることのない歪なジャーナリズムを正すことが政治を正すことに繋がる。

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2021年12月16日

自民党のシンクタンク「日本会議」に見る保守派の認識不足と軽佻浮華

 以前、実家に立ち寄った際に、保守団体で自民党の支援団体でもある日本会議が出版してる冊子「日本の息吹」に目を通してみた。閣僚の靖國参拝や憲法改正や「自衛隊を国防軍に」など主張しており、自民党のシンクタンク的な存在でもある。

 我が国の歴史認識に苦言を呈し、教育改革を訴え、行政に入り込んだ男女共同参画社会などの愚策への疑問など共鳴する部分はあるが、保守派の本丸ともいえる憲法改正や皇室問題への主張や取り組みは根本的に間違っていると感じる部分が多い。

「女性宮家」創設に反対までは別に問題はないが、女性皇族(内親王)が婚姻する場合、旧皇族の男系男子からの婿入り(養子)を容認しているのには厭きれた。

 論文は流石に格式高く書かれていて一見問題は無さそうに見える。だが、要するに女性宮家を間接的に容認している様なもので、GHQに臣籍降下させられた旧皇族の皇籍復帰もせずに男系皇族の婿入りを容認しようなどとは本末転倒である。

 保守派を代表する櫻井よし子や八木秀次などの評論家や学者らの多くが、同じ婿入りを主張しているが、男系男子が拒否した場合、或いは一般人が皇室に入る様なことになる可能性もあり、こうした認識不足が反天皇勢力に付け入られるのだ。

 皇統の危機を解決するのなら、女性皇族への(実質には敬宮愛子内親王殿下)婿入りという手段ではなく、GHQに強制的に臣下降下された皇籍離脱した旧皇族の皇籍復帰の実現を図ることこそが皇統を盤石の安きに置く最善最良の策である。

 何より「女性宮家」では祭祀が叶わないということを理解していない。旧皇族の復帰を図り、廃絶になった宮家(秩父宮・高松宮、女性皇族しかいない常陸宮と三笠宮)の祭祀を継承するには、女性宮家ではなく旧宮家を再興する以外にない。大体「宮家」とは男系だからこそ宮家なのであって、「女性宮家」とはなんぞや。

「女性宮家」とは全く以て意味不明な言葉である。この女性宮家や近年の反天皇運動に見られた「生前退位」、皇太子即位後に創設された「皇嗣殿下」という皇統の歴史にも存在しない意味不明の言葉など、共産党造語の乱立に危機感が募る。

「天皇制」や「生前退位」などもそうだが、共産主義者の造語を愛国者を気取る保守系団体が軽々しく使っていることに、我が国の保守派の無知と限界を感じる。

 天皇とは天皇であって制度ではない。憲法以前の御存在で在らされる天皇が、現憲法下で国事行為を優先する御立場となり、政府の都合の好い傀儡と化していることが「天皇制」ならば、そんなクソ憲法は早々に破棄しなければならない。

 平成の御代の天皇(上皇陛下)が、「高齢もあり、憲法で明記されている国事行為が思う様に出来なくなった」と吐露したことで、陛下の譲位は避けられないという世論を形成して行った。この譲位(退位)を謀った言葉が「生前退位」であった。

 陛下の御発露を受けて、安倍首相は「国事行為を軽減する有識者会議」を招集するも、反天皇勢力であるマスコミは「生前退位を実現する有識者会議」などと作為的に報道し、退位は既定路線であると国民を扇動し同意を得ることに成功した。

 日本会議などの保守派も「高齢であるし致し方ない」と譲位(退位)に与したが、天皇の存在は個人的な意思や政治が介入するべきではなく、国事行為の軽減を図るなら皇太子殿下や秋篠宮殿下が補佐出来る環境を整えれば好かっただけのこと。

 皇統の危機を訴えるのなら女性皇族への姑息な婿入りではなく、占領下に於いて昭和天皇が最後まで反対なされた旧皇族の臣籍降下を撤回し、皇籍復帰を成すこと以外にはない。皇統を盤石の安きに置くことこそが保守派としての務めである。

 総理大臣や閣僚の靖國神社への参拝について「中韓に文句を言われる筋合いはない」と、八月十五日の所謂「終戦記念日」の参拝に拘っているが、八月十五日の参拝は正しく贔屓の引き倒しであり、安っぽい愛国保守派の取り込みでしかない。

 首相や閣僚の宗教法人への参拝は憲法二十条違反に問われる。ならば第九条だけでなく二十条の議論もするべきだし、靖國神社の宗教法人格を見直す為にも自民党を中心に超党派の保守派に「靖國神社法案」の再提出と可決を訴えるべきだろう。

 祖国日本を崩壊に導くのは左翼勢力ではない。安易な憲法改正を叫び、皇室典範に附帯し退位を強行し、瑞穂の國の崩壊を齎す種子法廃止法案を成立させ、新自由主義を盲信する安倍晋三を筆頭に日本会議に見られる似非保守ら獅子身中の虫である。

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2021年12月15日

「喪中につき年末年始の挨拶はご辞退させて頂きます」という便利な習慣

 年末になると「喪中につき年末年始の挨拶はご辞退させて頂きます」という葉書が届き、年末年始には「喪中なので初詣には行かない」いう様な声を聞く。

 要するに故人に対する思いや信心深いさを訴えたいのだろうが、こうした挨拶に大した意味はない。 まあ、日本人というのは大らかだし、亡くなった人を思うのは結構だが、喪中を理由に普段の付き合いまで控える必要があるとは思えない。

 近親者が亡くなった場合、一定の期間はその死を悼み、身を慎むことを「忌服」、或いは「服喪」という。 古くは、門戸を閉じ、酒肉を断ち、弔せず、賀せず、音曲をなさず、嫁取りをせず、財を分かたずという仕来りがあった。

 今日では、それらの一部分が慣例として受け継がれているだけ。 ここまで喪に服することはないし、そこまでした人を見たことも聞いたこともない。一週間も仕事を休んだものなら「もう、君は会社に来なくてイイよ」と誹られるだろう(笑)

 喪中の規定に関する法律は、奈良時代の「養老律令」には既に見られる。江戸時代になると「服忌令」という法律が作られ喪中の規定が記されている。

 明治7年に出された太政官布告では、「父母、夫、50日、13ヶ月。妻、兄弟姉妹、20日、90日」などと「忌(忌中)」と「服(喪中)」の期間をこと細かく定めていたが、太政官布告はGHQの統治下だった昭和22年に廃止された。

「忌中」とは、神道の「穢れである死を忌む期間」という考え方からのものだ。忌中時(50日間)は「出仕(仕事)を控え、殺生をせず、髭や髪を剃らず、神社に参拝しない」としているが、そこまで喪に服している人など見たこともない。

 現在ではこうした法令は全て撤廃され、仏事の慣例としては江戸時代の忌服令が一つの目安にされていて、父母の死亡に際しては七七忌(49日)までが忌中、一周忌(1年間)までが「喪中」とされるている。父母の死なら理解もするが、兄弟姉妹に止まらず叔父や叔母の死まで「喪中」というのは遣り過ぎだろう(笑)

 明治6年に「葉書郵便配達」が始まったのを機に、遠方以外の人にも挨拶状を送る習慣が全国に広まって行った。「年賀郵便」は明治39年に始まり、昭和24年には「お年玉付き年賀はがき」が発売されると、年賀状が次第に普及し慣例となった。

 最近は年賀状離れが顕著となっているというが当然だろう。通信手段が無い時代に遠くの友人に年頭に挨拶する為に生まれたのが年賀状であり、ネットや通信網が普及された現代に於いては実に面倒な習慣でもあり、やはり時代の流れでもある。

「喪中につき年末年始の挨拶はご辞退させて頂きます」という、遺族としての故人への思いはそれはそれで好い。喪中の相手に年賀状を送るのは思慮不足なのかも知れないが、悪気があって送る訳でもなし、そんなことで一喜一憂する必要もない。

「喪中なので初詣には行かない」というのも同じで、初詣は神道では死後50日を過ぎていれば問題はない。亡くなった人まで巻き込んで意味もない言い伝えを信じて、そうしたことが喪に服することだと勘違いしてはいないだろうか。

 尤も「喪中だから」と門戸を閉じ、酒肉を断ち、弔せず、賀せず、音曲を成さず、嫁取りをせず、財を分かたず、出仕(仕事)を控え、殺生をせず、髭や髪を剃らず、自らを厳しく律している方なら別だがそんな人なんぞこの世にはいない。呵呵。

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2021年12月14日

武士とは即刻「やられたらやり返す」というのが本道である

 赤穂浪士が吉良邸に討ち入りしたのは元禄15年12月14日。赤穂浪士の精神的支柱となったのが、陸奥国会津若松城下生まれの山鹿素行(やまがそこう)である。

 山鹿素行というと「山鹿流軍学の祖」として知られているが、実は、江戸時代に於ける武士道の理論を確立した人であり、山鹿の門人達が素行の談話を筆記した「山鹿語類」や「中朝事実(ちゅうちょうじじつ)」は日本人必読の著である。

「中朝事実」は、尊皇愛国の書として有名で、山鹿は、世の学者の外国(主として漢土)崇拝を批判し、皇統の一貫を根拠に、「日本こそ万国に卓越した『中華・中国』と呼ぶに相応しい国である」との日本主義を主張した人物でもある。

 王朝の度々変わった漢土に対し、我が国は天子(天皇)の地位を侵すような不義不道の者がいなかった為に皇統が一貫していると、日本の卓越性を強調している。

 江戸時代の267年の歴史の中で、理不尽な御家断絶や御家騒動は他にもあったが、唯一、赤穂藩の四十七士だけが「義士」と呼ばれ「武士道の華」と評価された。

 こうした事実は、山鹿素行の「正義の遂行」の本義に基づく教えが在ったからだと言っても好いだろう。 だが、一方で、忠臣蔵の討ち入りに「大義などではなく、単なる『打算』である」と断じる歴史家や批評家もいるのも確か。

 例えば「大石内蔵助は忠義心に由って討ち入りをやれなければ大石家は山科で帰農し、そのまま埋もれただろうが、吉良上野介を討ち取った結果、大石の子孫は本家の浅野家に千五百石の高録で召し抱えられた」との理由はその一つである。

「忠義ばかりでなく、子孫の将来まで考えて討ち入った」と断じるが、こういう批評というのは武士の美学というものを理解していない軽々しい戯言でしかない。

「葉隠」でも「赤穂浪士の仇討ちも、泉岳寺で腹を切らなかったのが落度と言うべきだ。それに主君が死んで、敵を討つまでの間が長過ぎる。もしもその間に、吉良殿が病死でもなされた時にはどうにもならないではないか」との行がある。

「仇討ちというのは緻密な計画でやるものではなく、武士とは即刻、やられたらやり返すというのが本道で、事の成否は問題ではなく行為自体に意味が在る」という。

 その上で赤穂の武士を「上方の人間は小利口だから世間から褒められる様にするのは上手である」と嘲笑しているが、確かに葉隠の指摘は的を射てると思う。

 まぁ、赤穂浪士の討ち入りを打算的と見るか否かは夫々だろうが、「仮名手本忠臣蔵」が日本人の美学を現し、多くの国民から愛されているのは確かだ。

 明治以降、仇討ちや報復を否定された結果、加害者は仕返しどころか泣き寝入りしたり、逆に被害者側が自殺してしまったり。学校でのいじめがその最たるもの。

 自殺するくらいなら加害者に報復し、刺し違えて遺恨を晴らすべきだと思うが、そんな被害者の遺恨を晴らしてくれるものが刑法であり「死刑制度」なのである。

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2021年12月11日

「女性天皇」と「女系天皇」の違いも解らないから騙される

 高市早苗自民党政調会長が文芸春秋のインタビューで、女性天皇を容認する考えを示した。女系天皇には反対しているが、女性天皇容認をするようなこうした不用意な発言は保守派の反発を招くだけでなく、女性天皇推進派に都合好く利用される。

 以前、facebookで友達になってた女性が「女性が天皇になっても良いと思います。差別化して欲しくない」というコメントを貰ったことがあったのを思い出す。

 このFBFもそうだが、「女性天皇」と「女系天皇」の違いが解らない国民が殆どで、天皇が最も重んじるべき祭祀の重要性を知ることもなく、憲法下での国事行為を理解していない故に、流行りのジェンダー平等論と天皇を同列に扱っている。

 反天皇・天皇廃止運動を実行してる勢力は、マスコミに因る「開かれた皇室論」から国民の皇室への尊厳を薄れさせることに成功させた。男系優先主義に疑問を呈し「女性は天皇になれない」と世論誘導するなど如何にも巧妙で悪質である。

 女性は天皇になれるが、女性が天皇に就くというのは普通の生活は送れないということを理解していない。天皇としての祭事の重要性を理解していないから女性天皇論を安易に語れる訳で、こうした風潮は逆に天皇を軽んじてる証左と言えよう。

 女性皇族が結婚することで皇籍を離れるのは、「今後は一般国民としての生活を重んじよ」との天皇や宮家当代の思し召しであり優しさの顕れ。そういう大御心も理解せず安易に女性差別であるかの様に女性天皇論を語ることは不敬極まりない。

 過去には「国連女子差別撤廃委員会」が、男系男子に限られている皇位継承に関して女性差別を理由に皇室典範の改正を強要したが、こうしたことこそ女性差別という名を利用した日本差別であり、こうしたものに与してはならない。

 過去には八人十代の女性天皇が存在した。その八人とは、第三十三代推古天皇、第三十五代皇極天皇、第三十七代斉明天皇(皇極天皇と同一人物)、第四十一代持統天皇、第四十三代元明天皇、第四十四代元正天皇、第四十六代孝謙天皇、第四十八代称徳天皇(孝謙天皇と同一人物)、第百九代明正天皇、第百十七代後桜町天皇。

 八人十代の女性天皇の全ては男系である。敬宮愛子内親王殿下が天皇に即位された場合、それは男系の女性天皇となるが、男系女性天皇のうち、配偶者に恵まれたのは推古天皇、皇極(斉明)天皇、持統天皇、元明天皇の四人だけである。元正天皇、孝謙(称徳)天皇、明正天皇、後桜町天皇は配偶者を持つことはなかった。

 悠仁親王殿下が即位しない限り皇統は潰える。皇位継承順位第一位が秋篠宮殿下、第二位は悠仁親王殿下となるが成年男系男子は悠仁親王殿下唯一人であらされる。

 こうした皇統の危機的現状は、臣籍降下させられた旧皇族を復帰させれば盤石なものとなるが、「女性天皇」と「女系天皇」を謀る勢力はそれを許すことはない。

 不逞の輩らは、「皇籍復帰は現代にはそぐわない」とか、「男系男子を増やす目的だけで」だとか、彼是と理由を吐けては反対しているが、皇籍復帰を実現させ、若年皇族や幼年皇族には皇族としての帝王学を学ばせれば好いだけのこと。

 喩え、女性天皇が誕生したとして、その女性天皇と結婚出来る資格のある人がいるとも思えない。若し、いるとすれば元皇族なのだろうが、ならば、早々に旧皇族の皇籍を復活させ、天皇を盤石の安きに置くべきであろう。

 皇籍離脱させられた旧十一宮家の方々は北朝第三代崇光天皇の皇子、栄仁親王から始まる伏見宮の系統に属し今上天皇との関係は、室町時代の伏見宮貞成親王を共通の祖先とされている。旧宮家が皇籍復帰すれば男子成年皇族は十五名以上になる。

 皇位継承は神武天皇以来の「男系」の血筋が絶対であり、「今上陛下とは血筋が違う」というのは近年の反天皇勢力に拠って創られた現代の価値観に過ぎない。

 旧宮家とは、「伏見(ふしみ)宮」「閑院(かんいん)宮」「山階(やましな)宮」「北白川宮」「梨本宮」「久邇(くに)宮」「賀陽(かや)宮」「東伏見(ひがしふしみ)宮」「竹田宮」「朝香(あさか)宮」「東久邇(ひがしくに)宮」。

 内「山階」「北白川」「梨本」「東伏見」の四宮家は断絶しているが、東久邇家の系統には、歴代天皇と男系で繋がる男子が七名おられ、悠仁親王殿下と又従兄弟になる男子が五名、更に四名が生誕とのことで実に喜ばしいことではないか。

 東久邇宮盛厚王(明治天皇の孫)の妻は昭和天皇の長女である茂子内親王であり、上皇后陛下が民間から嫁がれていることをしても男系男子の正統性を有する。

 秋篠宮皇太弟~悠仁親王殿下の継承は決まっているが、東久邇家以外にも男系男子がおられ、それこそ「皇統の危機」は旧宮家の皇籍復帰を成すことで盤石となる。

「長く民間人だった人が皇族になることに違和感がある」というのは付けたりに過ぎない反対理由である。宮家を再興するということは男系男子の皇位継承の安定を図るだけではなく、何より、皇室の本分である祭祀を継承して戴くということにある。

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2021年12月10日

「地球市民」と同じ臭いを放つ「持続可能な開発目標(SDGs)」

 今や誰もが使う「協働」という言葉だが、この「協働」は抑々共産党系のスーパーでもある生協(COOP)が使用してた言葉で共産党の造語である。その意味は「同じ目的の為に、対等の立場で協力し て共に働くこと」だと説明する。

「協働とはコラボレーション(collaboration)である」というならば「共同」で十分だろうに、何故か「協働」という言葉を有り難がって使用する不思議。

「共同」と「協働」の意味は同じだと言うが、その目的は全く違うものだ。「共同」とは、一つの目標の為に複数の人が力を合わせて働くことである。一方の「協働」のその主体は「国民」ではなく、あくまでも「市民」が主役なのである。

 共産主義者や戦後民主主義教育に侵されてる無自覚左翼らは「国民」という言葉を毛嫌いして「市民」という言葉を使いたがる。「国民ではなく市民が中心」というマヌケな反国家反体制のポーズを採ることが進歩的で文化的だと錯覚している。

 反天皇の左翼勢力にしろ、GHQが謀った戦後民主主義教育という洗脳から覚めない無自覚左翼というのは、国家から恩恵を享けなが、個人と国家を常に対立させ、恰も国家は人間を抑圧する組織と見做し、その共通の標語が「市民」なのだ。

「協働」の目的とは、国家と国民を切り離すことにあるといって好いだろう。国家と地方を切り離して、共同体(commune)を創り上げることを目的とする。

 地方自治体や町集落の住民が協力して地元の連帯と絆を深めるのは大いに結構なことだとは思うが、「協働」や「男女共同参画社会」の究極の目的は、同じ共同体でも共産主義インターナショナル(Communist International)、つまりコミュンテルン(国際共産主義運動)の創造であり、世界革命の実現を目指す組織に似たり。

 共産主義とは、生産から分配までの経済行為のすべてを共同的(共産的)に実行しようとする考えで、生産機関の共有や生産物の分配も個人主義的自由を認めず、全て共産的に行おうとするもので「協働」とはその目的達成の為の一つである。

「協働」と同じく「男女共同参画社会」の究極の目的は「共産(共参)社会の実現」が目的である。これら亡国的企画は、総理府や国立婦人教育会館に巣食っていた元全共闘系と共産党系の女革命家ら革新的左翼が共同謀議的に考案したものだ。

 こうした愚策を、戦後民主主義教育で育った無自覚左翼が犇く自民党政権下で疑いも無く導入し、今では担当大臣までいるという御粗末さは厭きれるばかり。

「協働のまちづくり」推進派は、「市民とは必ずしも地域住民に限定されるものではなく、NPOを始め、企業などの企業市民も含まれ、また、地域の一員という意味では行政もまた行政市民という名の市民である」と尤もらしく説明する。

 今や「天皇制」を始めとした共産党造語があらゆる場面で飛び交い、保守を標榜する政治家までもが何の疑いも無く使っている始末。最近では女性宮家が受け容れられないと見るや「皇女制度」に切り替えて国民世論を誑かし皇統断絶を謀る。

 流行りの「持続可能な開発目標(SDGs)」もその一つで、世界規模で共通の目標に向かおうというものだが、世界を股にかけて金儲けを企む「地球市民」と同じ臭いを放つ。SDGsは、世界の共産主義者に因る新手の左翼運動ではあるまいか。

 SDGsとは「全ての人々にとってよりよいより持続可能な未来を築く為の青写真です。貧困や不平等、気候変動、環境劣化、繁栄、平和と公正など、私たちが直面するグローバルな諸課題の解決を目指します」ということらしいが、実に胡散臭い。

 いつの間にやら我が国はカタチを変えた共産主義が蔓延り、その「カタチ」は実に陰湿になった。こうした行政側への共産主義の介入を奨めたのは共産党ではなく、保守を標榜する自民党だったというのはM1グランプリでも優勝出来そうだ。

 昨今の共産主義者は、昔の様に赤旗を振り翳したりというあからさまな破壊活動は行わない。例えば、反天皇運動でも如何にも陛下の高齢や体調を慮り、世論誘導を謀った。その結果、易易と退位法案を成立させ天皇の退位の実行させてしまった。

 そうして巧妙にカタチを変えた左翼勢力は、男女共同参画社会、夫婦別姓、ジェンダーフリー、人権擁護法案、共生社会、外国人参政権、極め付けは女性宮家論、女性天皇~女系天皇と次から次へと国體破壊の策謀を積み重ねている。

「協働」や「天皇制」を始め、左翼の造語と左翼に因る企画や愚策が氾濫し、それを国民が疑いも無く使用し、賛同している実態は、我々が想像している以上に左翼勢力が権力側に入り込み、行政権と連結せしめてしまっているという証左でもある。

 嘗て三島由紀夫は「文化防衛論」の中で「我々はあらゆる革命に反対するものではない。暴力的手段たると非暴力的手段たるとを問わず、共産主義を行政権と連結せしめようとするあらゆる企画、あらゆる行動に反対するものである」と語っている。だが、今や 我が国の現状は三島が悲観した当時よりも酷い状況に陥っている。

 これら左翼勢力の謀った愚策に対峙するべき保守陣営や愛国陣営を見渡せば「反中共」や「反韓」を叫んでいるばかり。敵は外患ではなく、正に内憂に在り。

 自民党の「立党宣言」にも「社会的欠陥を是正することに勇敢であらねばならない。われらは暴力と破壊、革命と独裁を政治手段とするすべての勢力又は思想をあくまで排撃する」と在るが、情けないことに単なる画餅と化してしまっている。

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2021年12月09日

本日は「地久節」であり日本国民本来の「母の日」でもある

 本日12月9日は皇后陛下の御生誕日。謹んで御祝詞申し上げます。

 戦前は「地久節」として御祝い申し上げた日であります。地久(ちきゅう)とは、老子の「天長地久(天は長く地は久し)」からの典拠である。「天地の存在は永遠であること。天地が永久である様に物事がいつまでも続く」との喩え。

 昭和6年、昭和天皇の皇后である香淳皇后(こうじゅんこうごう)の御生誕日である3月6日が「母の日」に定められた。現在の母の日は3月6日ではなく、米国と同じ5月の第二日曜日となっている。こうした米国の価値観の押付けは数多に在る。

 戦後、GHQが謀った日本弱体化工作に因り「天長節」が「天皇誕生日」に変更され、地久節は消されたが、本来ならば今日が日本国民の「母の日」でもある。

 テレビでは「皇后まさ子さまの誕生日」という報道が流され、新聞には皇后陛下の感想文が掲載されている。その脇には医師団の見解要旨が記載され、「依然として快復の途上にあり、体調には波がある」との意見が添えられている。

 それにしても思うのはマスコミの報道だ。如何にも皇后陛下への親しみ易さを演出しているが、陛下や皇室のことというのは、喩え褒めることであってもそれを軽々に口にすることは不敬である。親しみ易さは、一方では尊厳を薄れさせる。

「皇后陛下」と呼称せずに「皇后さま」とか「雅子さま」との呼ぶことは、「開かれた皇室論」という反天皇運動の実践であり、国民が殆ど知らぬまに、ソ連共産党から日本共産党へ送られた命令書の忠実な遂行を謀ってると言っても過言ではない。

 日本人であるならば「皇后陛下」「敬宮愛子内親殿下」「秋篠宮妃殿下(内親王殿下)」「悠仁親王殿下」と称するべきで、こうした敬称略・敬語不使用運動も反天皇運動の一環であり、我が国の伝統文化や美徳が喪失して行くことを自覚すべきだ。

 戦前の様に「畏れ多くも畏くも」とは言わないまでも正式な敬称で呼ぶべきで、日本国民として節度ある敬意を表するのは当然のことだ。皇室の御存在は決して開かれるべきものでもなければ、親近感を抱く様な軽々しいものでもない。

 我が国は天皇陛下を族長と仰ぐ家族国家であり、この国體は正しく万邦無比である。陛下や皇室のことというのは、喩え、褒めることであってもそれを口にすることは不敬だと思っているし、軍隊経験のあった父親からもそう教わって来た。

 右翼の世界に入り、右翼に対して違和感を持ったのは、口では「尊皇」を唱えながら、皇室を軽々しく扱っているのではと思うことが少なくなかった。

 例えば「天長節」や正月に行われる一般参賀に、国民服や背広ではなく私服や平服、或いは右翼スタイルの隊服で皇居に赴く右翼人が目立つ。尊び敬うべき陛下に拝謁するのに、ノーネクタイというのは右翼人以前の問題で常識を疑ってしまう。

 正月だからか、笑点に出る落語家かと見間違える様な派手な着流し姿で参賀する右翼幹部も見かけるが、着物を着るなら袴を着用するのが日本人としての常識。

 SNSでも御真影を軽々しくアップしてるが、皇室に係わる問題は避け、画像のアップも控える様にしている。前科持ちの右翼如きが皇室を語ることは贔屓の引き倒しであり、陛下への尊厳をも穢すことにもなり兼ねないと思っているからだ。

 保守や愛国者を自任するのであるならば、天皇とは「神聖にして侵すべからず」に尽きる。親しみを以て画像をアップしたりしているのだろうが、それは「開かれた皇室論」を容認するものであり、歪な愛国心のひけらかしとしか思えない。

 右翼陣営や自称・愛国者や保守派が、ネットと雖も気安く御真影や動向などを貼り付けるのは、1932年、ソ連共産党から日本共産党へ出された「コミュンテルンテーゼ(命令書)」である、所謂「天皇制廃止運動」に与するものと自覚せよ。

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2021年12月08日

「真珠湾攻撃」と「盟友の死」やはり12月8日は忘れられない

 祖国日本の存在と存亡を賭けて戦った大東亜戦争は、アジア諸民族の独立と復権を齎した。結果的に敗れはしたが「アジアの希望の星」の役割は見事に果たした。

 歴史の検証をする際、罪を論うことは大事なことだが、その国に生を享けた者として歴史と真実と意義という是を知ることは国民としての義務でもある。

 大切なのは、古今東西世界に蔓延る覇権主義の克服を主張すべきであって、他国の覇権主義には目を瞑り、一方的に自虐の淵に止め処なく漬かり込むことではない。

「日本のお蔭でアジア諸国は全て独立した。日本というお母さんは難産して母体を害なったが、生まれた子供はスクスク育っている。今日、東南アジアの諸国民が、米・英と対等に話が出来るのは一体誰のお蔭であるのか。それは身を殺して仁を為した日本というお母さんが在った為である。12月8日は、一身を賭して重大な決心をされた日であり、我々は決して忘れてはならない(ククリットプラモード元首相)」

 米国は「嘗ての敵国が同盟国になった」と日米関係の重要性を訴えてはいるが、12月7日(現地時間)を「リメンバーパールハーバー(追憶の日)」として、日本を卑怯な国として糾弾して止まない。開戦から80年経っても、依然として我が国は「騙まし討ち」の汚名を着せられ続けているのは歴史の歪曲でもある。

 汚名を着せられた原因は、駐米日本大使が宣戦布告の覚書を渡し遅れた職務怠慢に他ならないが、抑抑、何故、我が国が開戦を決意し真珠湾攻撃に至ったかが問題で、それには1853(嘉永6年)年のペリー来航時代迄遡らなければ理解出来まい。

 幕末の日本は強力な中央集権国家を形成しようと明治維新の大業を成し遂げる。15世紀の大航海時代以来、白人による世界制覇の波がアジアにも押し寄せる。

 アジアは次々と列強に蚕食され日本とシャム王国(タイ)を除き植民地となった。維新後に起こる日清、日露戦争も避けては通れない宿命的な歴史だったのだ。

 日清、日露戦争での日本大勝利の報は、固唾を呑んで見守っていた世界の人々を驚嘆させ、特に有色人種に与えた影響は強烈だった。日露戦争勝利から15年後、パリ講和会議で日本は「人種平等の原則」を国際連盟規約に載せることを提案する。

 然し、議長を務める米国大統領ウイルソンがこの提案を拒絶し否決されてしまう。「有色人種に人権など必要無い」との差別が横溢していたのは明らかだった。

 その後、世界は第二次世界大戦に突入し、日本もABCD包囲網や最後通牒を突き付けられ、最早、我が国が生き残る道は連合国との戦争しかないとの決断に至る。

 昭和26年(1951年)にマッカーサーが、上院軍事外交委員会で言明した様に「日本が戦争に飛び込んで行った動機は、安全保障の必要に迫られた為である」と告白している。この証言をしても我が国は決して騙まし討ちも侵略もしていない。

 結果として我が国は敗戦したが、大東亜戦争後アジアは独立し「人種平等の原則」は成立した。その事実をして如何に大東亜戦争が聖戦だったかが理解出来よう。

 我が国が断行したのは「太平洋戦争」ではなく「大東亜戦争」である。「反米」を叫ぶの左翼陣営までもがGHQが謀った戦後民主主義教育を盲信し、米国の呼称である「太平洋戦争」を使ってることに違和感を覚えないのが不思議でならない。

 戦争というのは国際法上認められている行為で「戦争=悪」ではない。我が国は、負けてしまったから「先の大戦=悪」とされて思考が停止してしまったのだ。

 米英は「戦争とは政治の継続である」と教え、ドイツでは「政治的な取り引きの継続である」と教える。戦争とは政治の不作為から生まれる悲しい現実なのだ。

 我が国は「講和」という政治に失敗した結果が敗戦だった。つまり、政治という外交や情報収集の重要さを知らされた戦いであったし、「一旦始めた戦争は決して敗れることがあってはならない」という極めて重要な教訓を残したと言えよう。

 昭和20年9月2日、戦艦ミズーリの甲板上で重光葵外相と梅津参謀総長が降伏文書に調印する。上海爆弾事件で右足を失った重光全権は、ステッキを頼りに義足を引き摺りながら喘ぎ喘ぎ上る。調印を前に一杯の水を所望するが冷たく拒否された。

「卑怯者の『ジャップ』にやる水などない」という憎悪が目に見える。今も糾弾して止まない「リメンバーパールハーバー」も日本人への偏見と差別そのものである。先の大戦の間違いを反省すべきは我が日本ではなく白人至上主義の米国である。

 パル判事は「時が熱狂と偏見を和らげた暁には、また理性が虚偽からその仮面を剥ぎ取った暁には、そのときこそ正義の女神はその秤を平衡に保ちながら、過去の賞罰の多くに、そのところを変えることを要求するであろう」と語られた。

 祖国を護る為に散華された先人の命は断じて軽いものではない。そうした犠牲の上で時代を謳歌してる我々は、大東亜戦争の意義と東京裁判史観を検証し、戦後の多くの不条理を払拭すると共に、先人の汚名を雪ぐことにこそ生きる理由がある。

 国士舘大学の先輩であり、防共挺身隊時代の兄貴分であり、三代目総隊長で盟友だった對馬則政が平成21年の12月8日に幽冥界を異にし今年で13回忌を迎えた。やはり、愚生にとって12月8日という日は忘れられない。 南無大師遍照金剛 。合掌。

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