2018年11月18日

歯舞群島と色丹島の二島返還は更なる譲歩を生むだろう

 ロシアとの平和条約交渉が水面下で進んでいる。歯舞群島と色丹島の二島返還を先行し国後島と択捉島は条約締結で決着を図るという。

「戻るなら二島返還でも」という声は多いが、北方領土問題は我が国の軟弱外交の象徴であり、二島先行返還論はロシア外交に屈した結果でもある。

 北方領土は「日露和親条約」並び「樺太・千島交換条約」締結により、歯舞、色丹、国後、択捉の四島を含む、北は占守(シュムシュ)島から得撫(ウルップ)島の全千島列島と南樺太が我が国固有の領土となった。

 先人達の外交努力を無視し、全千島と南樺太の主権が在るにも拘らず四島のみ、然も二島返還とは何事か。二島先行返還後、国後島と択捉島は確実に戻るとも思えない。安易な譲歩は未来に禍根を残し、更なる譲歩を生むだろう。

 安政元年(1855年)2月7日、江戸幕府は下田で「日露和親条約」が締結され、四島と千島の間に境界線が引かれ、樺太を混住の地と決めた。

 その後、明治新政府は、明治8年(1875年)5月7日にロシアと「樺太・千島交換条約」を交わし、南樺太と全千島が日本に帰属した。

 プーチン大統領は「米軍基地を置かないという約束」を要求したという。これが事実ならば北方領土問題はかなり進んでいると見ていいだろう。

 だが、抑々、平和条約というのは如何だろう。中華人民共和国や韓国と平和条約や基本条約を締結しているが両国とは戦争はしていない。

 安倍首相は「我々の世代で解決を図る」という意思は認めるが、平和条約締結には領土問題を含め終戦間際の蛮行と国際条約の蹂躙を謝罪させなくてはならない。

 ロシアが引き継いだ旧ソ連は、終戦間近に中立条約を破棄して一方的に侵略行為や蛮行を繰り返し、その蛮行は筆舌に尽くし難い。

 昭和20年8月15日、終戦の詔勅が発せられ武装解除が進められた。だが、18日の早暁午前1時頃、千島列島最北端の占守島の日本軍に対しソ連軍が奇襲上陸。

 武装解除準備を始めていた守備隊は武装を整え直し、ソ連に対して自衛戦闘を開始した。占守島での戦闘は日本軍の死傷者約600名、ソ連軍の死傷者約3000名に及んだ。日本軍の圧倒的勝利の中で、8月21日に武装解除に応じ戦闘が終結。

 日本軍が武装解除を終えたのは3日後の24日だった。 この戦いによりソ連軍の千島列島の占領は遅滞され、その間に米軍の北海道進駐が完了した。

 米軍の北海道駐留に拠り、ドイツや朝鮮半島の様な北海道の分割統治は避けられた。そういう意味でも「占守島の戦い」は大きな意義があったのだ。

 この後、占守島で自衛戦闘を戦った日本軍の兵士のみならず、中千島や南千島に駐留していた兵士全てがシベリアに強制連行されることとなった。

 理不尽な終戦後の戦争を勇敢に戦った兵士達は、こうした理不尽な仕打ちさえも我が国が受諾した無条件降伏の無条件の内だと信じて、飢えも寒さも、その結果としての知れ切った死すらも潔く受容した。

 ソ連は、その他の地域からも軍人、軍属、そして一般人を含む80万人以上をシベリアへ強制連行し不当に抑留し、実にこの半数以上の同胞が酷寒の地で凍死や餓死で亡くなられている。

 シベリヤに抑留された日本人同胞は、国内では一般には約60万人と言われているが、この数字は軍属だけの数字で、民間人を含めると更に多く、ロシアの資料では約70万人、米国の資料では約90万人とされている。

 シベリア抑留で亡くなられた日本人同胞は実際にどれ程に上るのか、平和条約の締結を図るなら正式な被害者数を調査し発表するべきだ。

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2018年11月15日

11月15日は坂本龍馬の命日。「わしゃ脳をやられちゅうきダメじゃ」という演出(笑)

11月15日、坂本 龍馬が京都の醤油商・近江屋で暗殺された。龍馬は天保6年11月15日生まれ。暗殺された日は慶応3年11月15日。11月15日は、坂本龍馬にとっても龍馬ファンにとっても思い出深い日でもある。

 龍馬暗殺の謎について「北辰一刀流免許皆伝の龍馬を一刀両断するとは」とか「龍馬はピストルを持っていたのに一発も発砲されていないのは何故か」「中岡の暗殺に、龍馬が巻き込まれたのではないか」など謎は多い。

 こうした暗殺の謎が謎を生み、そして歪曲され、また想像され、龍馬のカリスマ性と偶像が誇張されていったのではなかろうか。

 坂本龍馬は、幕末にはそれほど有名な人物ではなかった。維新後、数十年が経ち、四国の新聞に「坂本龍馬特集」が連載されてから、その生き様が日本人の嗜好に合致し、人気に火を点け全国に拡がったというのが真相だ。

 坂本龍馬暗殺の実行犯説というのも歴史家によって意見も様々だが、大凡「京都見廻組」と「新撰組」説に分かれている。

「京都見廻組説」では、明治時代に入り、元隊士だった今井信郎と渡辺篤が、佐々木只三郎らと実行したとの証言を理由に挙げる。

「新撰組説」では刺客が「こなくそ」と伊予弁を話していたとされ、伊予出身の原田左之助刀の鞘や隊士の下駄が近江屋に残されていたとの説を挙げる。この「こなくそ」説は、西軍の谷干城の独り言に過ぎない。

 龍馬は近江屋に脱出することが出来る隠れ家を土蔵に造っていた。暗殺された日は、風邪で龍馬は土蔵ではなく、来訪した中岡慎太郎と近江屋のニ階で、好物の鳥彌三の鶏の水炊きを食らいながら歓談していた。

 部屋には二人の他に、龍馬の護衛をしていた元・力士の山田藤吉。するとその時に、南大和の「十津川郷土」と名乗る男らが訪ねて来る。

 山田がその客人らを疑わずに通した。部屋へ向かう途中に山田は後ろから斬られ、続いて龍馬と中岡が襲撃され、龍馬は即死に近く、中岡はこの襲撃からニ日後に亡くなった。

 竜馬のドラマなどで仄聞されている様な「わしゃ脳をやられちゅうきダメじゃ」という台詞を吐く間もなかっただろう。

 龍馬は北辰一刀流の免許皆伝というのが歴史的に語られているが、事実は北辰一刀流の「長刀」の使い手、つまりは「薙刀」の名手で剣術ではない。

 西洋流砲術も学びはしたが、実際には剣の腕前はそれほどではなかったというのが真実だろうと愚生は思っている。

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 画像の龍馬の拳銃を懐に仕舞って立つ姿は、刀がだらしなく下げられて如何にも弱そうで、どうみても剣の達人には見えない。

「寺田屋事件」でも龍馬は短銃で応戦はしたが、弾丸が切れたにも拘らず刀で応戦せず、不様に短銃を振り回して、両手に数か所の深手を負った。こうしたことをしても北辰一刀流剣術免許皆伝の応対とは思えはない。

 寺田屋事件での傷を癒す為に妻のお龍さんと共に薩摩の温泉に行くのだが、歴史的にはこれが新婚旅行の最初とされている。

 だが、これもまた根拠の無いもので、薩摩の家老・小松帯刀がそれより十年早く、霧島へ新婚旅行へ行ってるそうだ。

 歴史が物語として語られる時、必ずしもその人物の真実を伝えているとは限らない。書き手や読み方一つでその生き様も変わってしまうものだ。坂本龍馬が歴史教科書から消えるというが何となく分かる気がする。

 暗殺の謎が謎を生み、て薩長連合の立役者と持て囃され、そして歪曲され、また想像されて龍馬のカリスマ性と偶像が誇張されていった。そんな龍馬とは何者なのかといえば単に武器商人に他ならない。

 龍馬から学ぶものがあるとすれば、幕閣とも勤王の志士とも通じ、薩長連合の仕掛け人足り得たのは説得の技術、つまりは言葉がずば抜けていたことだ。

 大衆の心を引き付けるのは「言葉」を以て他に無い。龍馬は正に「言葉の達人」だった。更にもう一つは、彼が「歩く人」だったことだ。交通の不便だった時代に、龍馬は実に驚くほどの距離を行き来している。

 多くの人と顔を突き合わせ話し合う。こうした出会いと邂逅こそが自己確立に繋がり、延いては混濁した時代をも変える原動力ともなる。

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2018年11月14日

一回しか行かないで味の良し悪しや一回しかやらないで女性との相性を判断するべきではない(笑)

 昨日、食べ歩きの件で「一回しか行かないで味の良し悪しを判断するべきではない」ということを書いた。これは女性との付き合い方でも言えることで、一回しかやらないで相手との相性なんて分かる訳がない(笑)

 格式のある茶屋とか銀座の高級クラブというのは「一見(いちげん)さんお断り」。つまり、初めての客は常連と一緒か紹介がないと入れない。馴染みの芸者や担当のホステスを持つというのは一流を目指すなら必要不可欠なことでもある。

 その昔は吉原で花魁と一席を持つとなれば「初回」は飲んで遊ぶだけ。二度目の「裏返し」も同じく、気風良く飲んで楽しむだけ。そして三度目からは「馴染み」となり「今夜は泊って行ってくんなまし」となる(笑)

 芸者には「自前」といって「看板」(営業権)を持って独立している妓と「抱っ子」と呼ばれる使用人の妓がいる。東京では「芸者」、関西では「芸子(げいこ)」。「芸妓(げいぎ)」は明治以降の法令文書等に使われていた言葉だ。

「半玉(はんぎょく)」とは芸子(芸妓)の見習いで修行段階の者を指し、東京や関東地域での年少芸妓の呼称。京都では「舞妓(まいこ)」と呼ぶ。

「お座つき(おざつき)」「お座敷をつける」とは宴席に入っている芸者衆が、お座敷の途中で披露する季節の踊りや小唄振りなどの踊りのこと。で、演目の予約を受けて特別に見せる出し物は「余興」と言われる。

 芸者が寝泊まりしている家を「芸者屋」といい、芸者が寝泊まりしないで籍だけを置いて通って来る店を「置屋(おきや)」と呼ぶ。

 京都などの確りした土地には「見番(けんばん)」という組合事務所が在り、芸者も出先きも、その進退や「玉代」の精算などはこの見番を通す仕組みになっていて、芸者が出先きでトラブルがあると「籍止め」される。

「玉代(ぎょくだい)」とは芸者を呼ぶのにかかる料金で「花代(はなだい)」ともいう。 江戸時代に「線香何本分」と、線香の燃える時間を目安にした名残から今でも「線香代」と言うこともある様だ。

「出」の着物というのは芸者の正装で、裾を引いてるものがそうだ。その裾を広げて上に載せての性行為が「孔雀の舞い」といい、帯を締めたまま行為に及ぶのが「コブ巻き」というらしく、茶屋遊びには色々な隠語がある。

 座敷で直ぐに転ぶ(寝る)芸者は「不見転(みずてん)芸者」といって、良い玉ではないと言われている。銀座でも「特攻隊」などと呼ばれているホステスがいるが、まぁ愚生的にはそういうホステスは嫌いじゃない(笑)

「お茶っ挽(ぴ)き」とはよく飲み屋で聞くが、暇な時には芸者がよくお茶の葉を臼で挽かされたことが語源で「暇な事」を意味する。

「幇間(ほうかん)」とは宴席で主や客の機嫌を取り、自ら芸を見せ、更に芸者(半玉、舞妓)を助けて場を盛り上げる専門職。所謂、太鼓持ちのこと。まあ、政治の世界で言うと取分け安倍晋三はトランプ大統領の太鼓持ちだわな(笑)

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2018年11月09日

自分の子供も他人の子供もどんな子もみんな日本の大事な子

 愚生の場合、この政治批評を始めブログを4つ綴ってるが、その中の食べ歩きブログに人格を否定する様な腐したコメントが寄せられた。

 日本語の解釈が出来ない馬鹿なのか、ブログを炎上させたいのか。メールアドレスを記してるのだからメールをくれりゃ好いのにそんな肝魂はない。

 要は、匿名だからやってるだけでそんな便所の落書きに一喜一憂してる暇もない。ってか、実名だとバレるから知ってるヤツだったりして(笑)

 人への批判というのは、往往にして嫉妬から出てることが多く、身近な者が出世したり、優れていればヤキモチを焼くのは人間の性というものだろう。見方を変えれば、批判や嫉妬というものは実力を認めてる裏返しでもある(笑)

 閑話休題。タレントの熊田曜子が子供3人を連れて墨田区の児童館を訪れた際に、施設の係員から「大人1人につき子供は2人まで」として断られたという経緯をブログに綴ったところ賛否両論渦巻きブログが炎上してるという。

 反対の意見を見ると「安全面を考えると一理ある」と施設の対応に理解を示すのが多いが、タレントの坂上忍に至っては「施設の名前を出す必要はない」と熊田の対応を批判している。本末転倒とはこのことで、こんなのが常識派ぶって偉そうに司会なんぞしてることに嫌悪感を覚えるのは愚生だけではあるまい。

「安全面を考慮しているから」というが、就学前の子供がその「すくすくルーム」で遊んでいたとしてそれほどの危険のある遊び場だとは思えないのだが。

 監視員もいるし、熊田本人は4ヶ月の乳幼児が施設で遊びまわる訳でもなし、本人も「抱っこする」と申し出ている訳だし、長男が下の子の面倒を見れる年だし、杓子定規に「ダメ」「規則だから」というのは如何にも御役所仕事らしい。

 大体、怪我を心配するのは役人の責任を問われた場合のことを考えてのことだろうが、子供というのは遊びにしても何にしても失敗して学ぶことの方が多く、親も周りも過保護過ぎては情操教育の上でもマイナス面が大きい。

 昭和時代、子供というのは親が忙しいということもあって子供同士で遊び、時にはケンカをし、走って転んでは膝を擦り剥き、ぶつけて頭から血を流そうとも別にそれはそれで楽しかったし、親も別に怪我をしようが御構い無しだった。かといって放任主義や親の責任を放棄していた訳でもない。

 小学校2年の時、近所の友達と遊んでたら、いきなり「チャンバラごっこ」だといって振り向き様に丸太ん棒で顔面を殴られた。友達は恐らく丸太を持って振りかぶったが重くて止められなかったのだろう。瞼の上が割れて大出血。家に帰ると親は相手を責める訳でもなし、赤チン塗って終わり(笑)

 翌日、その血だらけの膨れ上がった顔で学校に行ったら友達よりも先生が驚いてたっけ。今でも左瞼の上にはその時の傷がある。

 今は何やかんやと責任論ばかりが強過ぎて行動するのも何をするのでも大人の顔色を窺って委縮してしまってる。未だ起こりもしない危険な行動を気にし過ぎていては子供が大らかに育つことはないだろう。

 3人だろうが5人だろうが10人だろうが、子供らが一緒に遊ぶ光景を施設の係員だけじゃなく一緒にいる大人が皆で見守ってあげれば好いことだ。

 子供達は日本の宝だ。自分の子供も他人の子供も、大人達が優しい目で、そして時には厳しく、慈愛を持って育んでいかねばなりません。

 その昔、右翼現役時代「日教組撲滅」のビラを都内中や大会会場周辺に貼った。そのビラの一つに「どんな子も みんな日本の 大事な子!」というものがあった。今見ても中々センスが好いビラだと思う。呵々大笑。

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2018年11月05日

「女性宮家」創設を謀る反天皇派とそれに与するインチキ保守

 女性皇族が御成婚後も皇籍を保持したまま公的行事に参加させる為の「女性宮家」創設について、衆院本会議で野田佳彦前首相が、女性宮家の創設を急ぐ様に求めたのに対し、政府は結論を急がない方針を固めた。

 こうした判断に野党からは批判が続出している。日頃、天皇を軽々しく扱っている野党が女性宮家創設に躍起になっていることでも、如何に女性宮家論が胡散臭げで危険なものか分かるというものだろう。

 野田は、昨年6月に成立した「退位特例法」の付帯決議を念頭に質問していることでも、先の付帯決議が我が国體と皇統の歴史に汚点を遺すことになった。

 女性宮家創設に躍起な連中は「皇位を安定的に継承する為に」と如何にも皇統の危機的状況を慮っているが、皇位を安定的に継承させるなら、戦後、GHQにより強制的に臣籍硬化させられた旧皇族の皇籍復帰こそ検討すべきだろう。

 野田の女性宮家論というのは、その国家観は共産党が「皇室を守る」といってるソレと同じであり、こういうインチキ保守が国民を惑わす。

 こんなのが保守を自任してるのだから厭きれてしまうが、要は「皇位を安定的に」などというキレイゴトは、根底にある左翼思想を捨て切れない無自覚左翼であり、野党が共産党と共闘出来るのもその売国性が共通しているからである。

 抑々「女性宮家」論は「天皇制廃止運動」の枢要な柱として、昭和40年(1970年)代半ば頃に、共産主義者らが発案したもので、1932年に出されたソ連共産党から日本共産党への「命令書(コミュンテルンテーゼ)」の命令遂行である。

「男子皇族の数が少ないから」「皇位を安定的にする」との理由は付けたりに過ぎず、保守を自任するなら断固として反対せなばならない愚論である。

 男系男子に限定する皇位継承や宮家を「女性が天皇になれないのは可笑しい」だとか、「女性宮家がないのは女性差別」だと絶叫しているのは、天下の愚策でもある「男女共同参画社会」を成立させた名うてのキチガイ共だ。

「男女共同参画社会」は、その名の通り「共産(共参)社会」の実現であるが、「女性宮家」や「女系天皇」論は、その性的的変態共らが煽動している所謂「天皇制廃止運動」の一環であり、畢竟、それこそが日本解体工作である。

「女系天皇問題」が活発に論議されていた平成17年、女系天皇容認論に対して、故三笠宮寛仁親王殿下は、自らが会長を勤める福祉団体「柏朋会」の会報「ざ・とど」で「公なものではない私的な見解」と前置きした上で、女系天皇に明確に反対し旧皇族の皇籍復帰などを求めている。

 故寛仁親王殿下は「世界に類の見ない我が国固有の歴史と伝統を平成の御世でいとも簡単に変更して良いのか」と当時の女系天皇論を批判し、「万世一系、125代の天子様の皇統が貴重な理由は、神話の時代の初代神武天皇から連綿として一度の例外も無く、『男系』で続いて来ているという厳然たる事実」と主張した。

 その上で、男系継承を維持する為の方法として、皇室典範を改正して、歴史上の幾つかの方法論を提起している

1.臣下降下された皇籍離脱した旧皇族の皇籍復帰。

2.現在の女性皇族(内親王)に旧皇族(男系)から養子を取れる様にし、その方に皇位継承権を与える。(差当たり内廷皇族と直宮のみに留める)

3.元皇族に廃絶になった宮家(秩父宮・高松宮)の祭祀を継承して戴き、宮家を再興する。(将来の常陸宮家・三笠宮家もこの範疇に入る)

4・嘗ての様に「側室」を置くという手も有りますが、国内外共に今の世相からは少々難しいかと思うと述べられている。

 最後に殿下は、「陛下や皇太子様は、御自分達の家系の事ですから御自身で、発言される事はお出来になりませんから、民主主義の世であるならば、国民一人一人が、我が国を形成する『民草』の一員として、2665年(当時)歴史と伝統に対しきちんと意見を持ち発言をして戴かなければ、いつの日か、『天皇』はいらないという議論にまで発展するでしょう」と結んでいる。

 正に殿下の意見は隻眼を有するもので、国民はこれに倣うべきであろう。

 多くの国民は陛下の御公務の御負担を「女性宮家創設で軽減する」と思っているが、天皇が重んずべき「祭祀」の代行は名代として掌典長のみが許され、「国事行為」の代行は憲法第4条の第2項よる委任か摂政のみ可能であり、つまりは「公務」の代行は皇太子殿下しか成し得ない。

 要は、女性皇族は国事行為も公務も代行出来ることはなく、公務の御負担を「女性宮家創設で軽減する」という理屈は国民を誑かす詭弁であり、女性宮家論は皇統断絶を謀り祖国日本の解体を目論む反天皇運動並びに左翼革命運動である。

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2018年11月03日

「文化の日」は現憲法を絶対不可侵なものとする休日でしかない。

 本日11月3日は「文化の日」。「自由と平和を愛し、文化をすすめる」ことを趣旨として制定された記念日である。だがその実は、昭和21年同日、日本国憲法が公布された日であり、第二の「憲法記念日」と言うのが正しい。

 現在の日本国憲法は、表面上は新憲法(日本国憲法)の制定とはなってはいるが、建前上は大日本帝国憲法(欽定憲法)第七十三条の改正で日本人自身が制定したことになっている。第七十三条。」の条文は次の通り。」

「将来此ノ憲法ノ条項ヲ改正スル必要アルトキハ勅命ヲ以テ議案ヲ帝国議会ノ議ニ付スヘシ此ノ場合ニ於テ両議院ハ各々其ノ総員三分ノ二以上出席スルニ非サレハ議事ヲ開クコトヲ得ス出席議員三分ノ二以上ノ多数ヲ得ルニ非サレハ改正ノ議決ヲ為スコトヲ得ス」

 昭和21年11月3日の帝国議会に於いて昭和天皇は次の様に下賜された。 

「朕は、日本国民の総意に基いて、新日本建設の礎が、定まるに至つたことを、深くよろこび、枢密顧問の諮詢及び帝国憲法第七十三条による帝国議会の議決を経た帝国憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる。御名御璽」

 これが示す通りであるが、当時、我が国は連合国の占領下に在り、当時の政府にしてみれば不本意ではあるが、米国の様々な条件を呑まざるを得なかったというのが真相であり、現憲法が米国からの押し付け憲法と言うのはこういうことだ。

 11月3日は、戦前には明治天皇の御生誕を祝い、明治大帝の御遺徳を偲び「明治節」であり、国民挙って奉祝した日である。敢えてこの11月3日に現憲法を公布させたということに米国の如何わしい意図が窺える。

 占領統治時代には多くの策謀が実行されている。例えば「東京裁判」でも、所謂「A級戦犯」28名が起訴されたのは同年4月29日の「天長節」で、当時の皇太子殿下の誕生日である12月23日に東条英機閣下以下7名の絞首刑が執行された。

 現憲法の発布を、明治天皇の誕生日という記念日を選んだという事実は、日本人に対し、贖罪意識を植え付ける為のものであることは言うを俟たない。

 こうした事実を知るだけでも、米英を始めとした連合国が如何に非情で無慈悲な、日本人矯正を実行したかが理解出来よう。

 教育勅語を下賜され、教育・文化を重んじた明治天皇の御遺徳を偲び、我が国の文化を奨めることが目的の「文化の日」ならいざ知らず、「自由と平和を愛し、文化をすすめる日」とは現憲法を絶対不可侵なものとしての強要である。

 現憲法前文には「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼し・・・」という記述があるが、「平和を愛する」という感情と、現実的に平和を守るというのは違う次元だ。今こそ戦後のあらゆる不条理を検証せねばならない。

 また、保守派や愛国団体の中には本日を「明治節」として、明治神宮を参拝し、明治天皇の御遺徳を啓蒙するという行動も見受けられる。

「明治節復活」は異論はないが、果して明治神宮がそれに相応しいかといえばそれもまた疑問である。明治神宮は周知の通り、国民の総意により、明治天皇と憲昭皇太后の御遺徳を偲び創建された神社である。

 平成16年、明治神宮は突如として神社本庁から離脱し一宗教法人となった。神社庁からの離脱の理由として、平成16年4月の陛下御親拝の案内状に「陛下」を「殿下」と誤記してしまった責任を取って離脱したとしている。

 然し乍ら、それは詭弁であり、見苦しい言い訳に過ぎず、その実は神社庁での主導権争いや確執の末の離脱というのが真相である。

 これ即ち、明治天皇と憲昭皇太后の御遺徳を偲ぶという本分を忘れ、神社を私物化し、営利至上主義に奔っている証左であり、こうした現状は正に憂慮すべき事態である。保守派並びに愛国団体は明治神宮のこうした姿勢も糺さねばならない。

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2018年11月02日

大君に 仕えまつれる 若人は 今も昔も 心変わらじ(山口二矢)

 11月2日は、日本社会党党首・浅沼稲次郎を刺殺した山口二矢の命日である。生きていれば75歳、麻生太郎財務相より3歳も若い。現在の右翼陣営の低迷を鑑みれば、山口烈士の様な指導者がいないことが悔やまれる。

 天皇国日本を盤石の安きに導く使命を有するのは右翼陣営であり、活動家らを導くカリスマ右翼指導者の出現を待望して止まない。

 二矢は、昭和十八年二月二十二日東京生まれ。二男で、二月二十二日生まれと「二」の字が続いたことから、父は「二矢(おとや)」と命名した。崇拝している人物はアドルフ・ヒットラー、児島高徳、西郷隆盛、山鹿素行、吉田松陰。

 昭和34年、二矢は憂国の念捨て難く、大日本愛国党に入党。だが赤尾総裁のパフォーマンス的愛国運動方針に疑義を感じ、翌年5月に同党先輩だった吉村法俊、中堂利夫らと愛国党を脱党。防共挺身隊総隊長の福田進を頼り、身を寄せる。

 福田は以前、防共挺身隊を率いながら大日本愛国党の城南支部長も兼任していたが、やはり「赤尾は完全な資本主義者だ」として袂を分かった活動家。

 後に、銀座の鳩居堂の2階に吉村、中堂らと「結成した全アジア反共青年連盟」の事務所を構える。団体の後見人として福田進が資金面などを支援した。

 因みに、浅沼稲次郎刺殺事件後は、吉村・中堂の二人は右翼を退き著述業に転身し、後に共に人気作家となり2時間ドラマの原作なども多数残した。

 同年10月12日、ニ矢は日比谷公会堂で演説中の浅沼稲次郎を刺殺、現行犯逮捕された。二矢が携行した檄文にはこう認めてあった。

「汝、浅沼稲次郎は日本赤化を謀っている。自分は、汝個人に恨みはないが、社会党の指導的立場にいる者としての責任と、訪中に際しての暴言と、国会乱入の直接の煽動者としての責任からして、汝を許しておくことは出来ない。此処に於て我、汝に対し天誅を下す。皇紀二千六百二十年十月十二日 山口二矢」

 逮捕された二矢は供述録取書にも素直に応じた。

「私の人生観は大義に生きることです。人間必ずや死というものが訪れるものであります。その時、富や権力を信義に恥ずるような方法で得たよりも、たとえ富や権力を得なくても、自己の信念に基づいて生きてきた人生である方が、より有意義であると信じています」

「浅沼委員長を倒すことは日本の為と堅く信じ殺害したのですから、行為については法に触れることではありますが今何も悔いる処はありません。しかし、浅沼委員長は最早故人となった人ですから生前の罪悪を追及する考えは毛頭なく、唯故人の冥福を祈る気持ちであります。又浅沼委員長の家族に対しては、如何なる父、夫であっても情愛に変わりなく、殺害されたことによって悲しい想いで生活をし迷惑を掛けたことは事実ですので、心から家族の方に申し訳ないと思っています」 

 供述調書を取り終えた11月2日未明、東京少年鑑別所の個室で、支給された歯磨き粉で壁に「七生報国 天皇陛下万才」と記し、従容として死に就いた。

《辞世》

【国の為 神州男子晴れやかに ほほえみ行かん 死出の旅路】
【大君に 仕えまつれる 若人は 今も昔も 心変わらじ】
【千早ぶる 神の御世代とこしえに 仕えまつらん 大和男子は】
【国の為 たふれし人ぞあるこそを 今の若人 育ち来らん】
【しきしまの 大和男子と生まれなば 進まん道ぞ 一ツなりける】

 テロ行為を否定するが、若し、二矢が警鐘を鳴らさねば日本社会党の勢いは止むことなく、多くの国民が浅沼らの美辞麗句に騙され、社会主義の犠牲者になってただろう。今や日本社会党は消え去り、残党である社民党も風前の灯火。

 この現実こそが、二矢の憂国の至情が間違いで無かったことの証でもある。

 旧来の思想や社会構造を打破しようとする時には常軌を逸した行動が生まれる。この行動こそが正に正気の狂気である。すめらみこといやさか。

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2018年11月01日

「韓国徴用工訴訟」で韓国最高裁が新日鉄住金に賠償命令

 韓国最高裁は植民地時代に元徴用工が強制労働させられたとして、新日鉄住金(旧日本製鉄)に対し4億ウオンの支払いを命じる判決を下した。

「日本軍に連れ去られ従軍慰安婦にされた朝鮮人女性」に続いて「強制連された朝鮮人徴用工」が新たなタカリのキーワードとして使われだろう。

 以前、元朝鮮女子勤労挺身隊に訴えられた不二越は和解金を支払った。更には三菱重工業でも厚生年金の脱退手当金を支払った。要は、こういう事勿れ主義的温情措置が仇となったといえる訳で、今後は更に同様の判決が下されるだろう。

 既に73年以上が過ぎ、1965年には日韓請求権協定を締結し解決済みの問題を蒸し返す国が文明国家だと言えるのだろうか。尤も、国際的に忌み嫌われる事後法が当たり前の韓国に国際的常識を求めるのは犬に言葉を喋らせる様なものだ。

 日本に因る統治時代を「悪逆非道の日帝36年」と決め付ける韓国の主張の根源は、日本統治時代、海外に逃亡し反日運動をしていた活動家であり、米国の傀儡で初代韓国大統領に就いた李承晩の「反日」政策が大きく影響している。

 李承晩は、韓国国民を纏めようと「反共」「反日」政策を徹底し、これを「国是」とした。こうした一部の少数派が創り上げた歴史を未だに信じているのだが、韓国も我が国の珍左翼と同じく米国の術中に嵌っているだけ。

 韓国を併合するに至る歴史はペリーの来航に始まる近隣アジア情勢などアジアの近代史を知る必要があろう。我が国の先人達は世界の流暢を敏感に感じ取り、明治維新を成し遂げ、欧米に対抗すべく近代国家を目指すこととなった。

 その後に起こった日清戦争。我が国が勝利すると空き地となった清の領土が蚕食されていく。ロシアが南下政策を採ると朝鮮半島の併呑を企む。だが、韓国は目覚めることはなく、我が国が立ち上が他なく、ロシアとの一戦にも勝利した。

 当時、韓国独自での巨大軍事国家であるロシアを近隣から排除するなど到底不可能で、況してや近代国家建設の道は日本の助力なしでは在り得ず、寧ろ、日本による韓国保護の必要性を認め、日本と一体となった上で民族の自立発展の道を模索しようとした「日韓合邦派」の主張こそが現実的だった。

 無論、その合邦派も最後は韓国併合の現実に一切沈黙せざるを得なかったのだ。この悲劇の現実こそが、日韓関係の日韓関係たる所以なのである。にも拘らず、韓国は「過去史整理基本法」や「親日分子取締法」なる事後法を成立させ、日韓合法派などの親日派を糾弾し、財産を没収、国賊として汚名を着せ続けている。

 事後法は文明の原則である、法の「不遡及の原則」に反しており、まともな国際社会では許されるものではない。「親日派・反民族分子」と断罪されている方々こそ韓国の将来を憂いて戦った真の愛国者だったのだ。

 韓国人は、事大思想から物事を冷静に判断出来ない。「韓国併合」もまた西洋列強の植民地支配とは違うとホザく。要するに西洋の植民地支配は先進国が後進国を支配したのであって「韓国併合」は後進国の日本が、先進国の韓国を支配したのであって、ナチスドイツのフランス侵略と同じだという発想なのだ(苦笑)

「徴用」も強制連行ではない。「国民徴用令」は昭和13年の「国家総動員法」に拠るもので、翌年7月に実施された。朝鮮への適用は差し控え、戦中、日本本土では中高年、婦人、学生に至るまで工場他に動員され生産に従事した。

 朝鮮人徴用労務者が対象になったのは昭和19年9月で、奉仕期間は翌年3月の下関~釜山間の運航が止るまでの僅か7ヶ月間しかない。今回の当事者も当時は20歳そこそこの若者で、被害者ぶってるが単なる勤労奉仕者に過ぎない。

「徴用例」は、日本人、朝鮮人、台湾人が一律に負っていた労務提供の国民的な義務であり、韓国併合に因って多大な恩恵を受けていた朝鮮人も当時は日本国民であった以上、国の法律に協力する義務があったことは言う迄もない。 

 今回の判決を受け、安倍首相は「あり得ない判決だ」と憤然と批判し、河野外相も「極めて遺憾。断じて受け入れられない」と韓国駐日大使に抗議したが、韓国人の事大思想と妄想と被害者意識にはホトホト呆れるばかり。

 戦ってもいない中共や韓国と平和条約や善隣友好条約を結んでいるというのは嗤うしかないが、その締結した平和条約には、「両締結国は善隣友好の精神に基づき且つ平和及び互恵並びに内政に対する相互不干渉の原則に従い両国民の交流促進のため努力する」と踏襲されている。

 また「近隣諸国条項」は国際法でも正式な法令でもない。優先すべきは「近隣諸国条項」よりも「平和条約」であり、韓国や中共には平和条約に違反しているということを認識させるべきだが不可能。ならば、相手国の国際条約の不履行を理由に国交を断絶すればやっと気付くかもよ。呵々大笑。

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2018年10月30日

「教育勅語」を奉読し日本人としての自覚を再確認しよう!

 明治23(1890)年10月30日、畏くも明治天皇は我が国の教育の指針とするべく、山縣有朋内閣総理大臣並びに芳川顕正文部大臣に対し「教育ニ関スル勅語」下賜し、我が国教育の指導原理となる教育勅語が渙発された。

 然し、大東亜戦争で敗戦後、占領下だった1948年(昭和23年)6月19日に国会の決議により教育勅語は廃止され、GHQに因り内務省所轄だった教育の在り方が抜本的に改革され「教育委員会」制度が導入された。

 教育委員会制度は、抑々、米国がその占領政策の一環として導入したものであり、現今の教育の荒廃、教育制度の在り方を見れば戦後の教育が間違っていたのは明らかで、教育委員会は即時廃止するのが日本教育再生の道である。

 米国は「戦前の日本の軍国主義が日本の中央集権的教育制度を齎し、それが結果戦争に繋がった」と結論付けているが、詭弁以外の何ものでもない。

 こうした愚にも付かない理由から、我が国の学校教育を内務省の中央集権的統制から解き放ち、その管理を地域住民の代表により構成される合議制の「教育委員会」の下に置こうと画策し、それらの実行を謀った。

「教育委員会」のモデルとなったものが、米国の教育委員会制度である。これは米国の開拓時代の占領統治の思惑から生まれたもので、日本の統治も同様に、占領によって米国の意のままに置こうというのが狙いであったのだ。

 我が国の歴史・伝統・文化を否定し、国旗・国歌反対を叫び、皇室と国體破壊を目指す日教組や全教は国内最大の癌であるが、戦後の教育荒廃の元凶こそが米国の意のままに民主教育行政を司った教育委員会であり文科省である。

 米国が実行した「戦後民主主義教育」は米国側の思惑以上に大きな成果を齎し続けている。戦後教育の誤りを見直さない限り教育の正常化はない。

 安倍は前政権時代「教育基本法」の改正を行い、米国時代の悪しき教育制度からの脱却を目指した。このこと自体は間違ってはいないが、ならばその教育改革の総仕上げとして教育委員会制度の廃止を急ぐべきであろう。

 旧態依然の我が国の教育制度を文科省に一任しところで仲間同士を庇い合って頓挫するのは目に見えている。文科省も教育委員会も日教組も全教も言うなれば一蓮托生であり、教育荒廃の腐った肥溜めなのだ。

 占領時代の陋習である教育委員会制度の廃止なくして教育改革はあり得ず、占領下に廃止された「教育勅語」を復活し教育の指針と成し教育の再生を図ることは、我が国の教育を正し日本民族の精神を取り戻す上でも重要なことだ。

 教育勅語には次の12の徳目が記されている。

 1.親に孝養を尽くしましょう(孝行)
 2.兄弟・姉妹は仲良くしましょう(友愛)
 3.夫婦はいつも仲睦まじくしましょう(夫婦の和)
 4.友だちはお互いに信じ合って付き合いましょう(朋友の信)
 5.自分の言動を慎みましょう(謙遜)
 6.広く全ての人に愛の手を差し伸べましょう(博愛)
 7.勉学に励み職業を身に付けましょう(修業習学)
 8.知識を養い才能を伸ばしましょう(知能啓発)
 9.人格の向上に努めましょう(徳器成就)
 10.広く世の人々や社会の為になる仕事に励みましょう(公益世務)
 11.法律や規則を守り社会の秩序に従いましょう(遵法)
 12.正しい勇気をもって国の為に真心を尽くしましょう(義勇)

 教育勅語を諳んじられたところで意味は無い。道徳教育で大事なものは幼年期の「躾」であり、道徳というものを概念的や論理的に捉えようとするのではなく、学んだことを如何に実践するか、如何に行動で表せるかが大事である。

 信仰や宗教でもそうだが「道」というものは日常の実践であり、特別に意識するのではなく、日常を過ごしながら身に付き、行動に現れてくるものなのだ。

 道徳教育の根本は、明治天皇の恩徳により渙発された「教育勅語」に示されている通り、日本人としての「忠孝の道」を確立することに在る。

 拙ブログの冒頭には、昭和天皇に論語の漢籍の進講をされたこともある戦前の日本を代表する倫理哲学者・哲学者・西晋一郎の次の言葉を記している。

「我が民族の将来と国家の前途を思うは人間の最も真剣なる感情であり、君国に忠、親に孝なるは最も現実なる道徳である。之を離れては人類愛も世界的正義も空想に過ぎない」

 要するに「君国に忠、親に孝」これを離れては、人類愛も平和主義も憲法論議も空理空論どころか、空想に過ぎないということだ。

 我が国は、2778年以上の歴史が続く君主国家であり、そして神武肇国の理念は「八紘を掩(おおいて)一宇と成す」という家族国家の形成に在る。

 日本を再生するということは日本が欧米の様な国になることではない。日本再生とはその原点である日本の背骨を取り戻すということである。

 その背骨とは何かといえば、日本人として生きて行く上で大切なものは国への忠誠心と親への孝養であり「君国に忠、親に孝」ということに尽きる。

 つまり、我が国は天皇を戴き(君)、全ての日本人が、陛下の下に一つの家族となって(忠)、先祖代々続く日本人としての血統を重んじ(親)、父祖に恥じない生き方を実現する(孝)、ということである。

 本日10月30日の教育勅語渙発の日に当たり、教育勅語を声高らかに奉読し、日本人としての自覚を再確認しようではないか。

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2018年10月29日

ZOZOTOWN前沢友作社長の御気楽なツイートを嗤う

 ZOZOTOWN前沢友作社長が、インチキジャーナリストの安田純平を庇い、過激派組織からの身代金要求に応じなかった日本政府の対応に疑問を呈したことで、ネット上では賛否両論というか、政治家まで巻き込んだ論争になっている。

 ZOZOTOWN前沢といえばタレントの剛力彩芽との交際が発覚し話題となったが、批判や悪口というのは大方ジェラシーからのものが多く、剛力との交際への嫉妬も含んでいるのではあるまいか(笑)

 前沢は「2015年1月の後藤さんと湯川さん、2004年10月の香田さん、三人共助からなかった。何れも身代金要求に日本政府は応じなかった。人命より、テロとは交渉しないという姿勢を優先した。人命<姿勢???」と疑問を投げかけた。

 湯川遥菜が殺害された際、多くはテロリストらの殺害行為を批判していたが、小沢一郎に至っては「彼らの敵を援助するなら、日本が敵だと思われても仕方ない」と、米国に追随する日本政府を批判していたのは記憶に新しい。

 小沢は「安倍、お前が殺したのだ」とのテロリストからのメッセージを鵜呑みにして、政府批判とは実に軽々しく、そういう意味では前沢も同列。

 公開処刑に「可哀想だ」とか「気の毒だ」という様な声も聞いたが、出国前「何があっても私の責任」とその覚悟を示していたジャーナリスト。冷たい言い方かもしれないが、愚生は可哀想とも気の毒とも思わない。

 これは、ジャーナリストとしての自分の夢を果そうとした結果であり、可哀想などと言うのはそれこそ可哀想だ。正に「男子の本懐」、これに尽きる。

 怠惰な生活に溺れ、まやかしの平和の中で「自己責任」「自業自得」などとか断じてる輩よりも立派だ。そうした必死の行動をネット上で騒ぎ立てるのは、ジャーナリストとしての命懸けの行為を冒涜している様にも感じる。

 だが、今回の安田純平の場合はどうなのか。前沢は過激派組織からの身代金要求に応じなかった日本政府の対応に疑問を投げかけているが、当のヌスラ戦線(HTS)は「ジャーナリストの解放は報道で知った」と関与を否定している。

 3年以上も拘束され厳しい環境に晒されていたというが、帰国の機内でビールを飲み、自宅では普通に食事を取った。検査入院でも異常は無く、髭を蓄えてはいるが肌艶は好く、歯もよく磨いていた様だし、ホント嗤うしかない(苦笑)

 前沢は政治家との論争に「もう一度伺います。テロを無くすにはどうしたらいいですか?」と投げかけているが、こういうことを真顔で聞くこと自体が己の幼稚な正義感の顕れであって、意見が隔絶していることさえ気付いていない。

 イスラム過激派は「聖戦」などと大義を掲げるが、一般人を犠牲にする無差別テロに神聖な目的も神を語る資格も無い。八百万の神を信じ仏を尊ぶ日本人には理解し難いものだが、一神教を信じる国々の不幸はこれが元凶でもある。

 米国やイスラム過激派と対峙する国々がテロの恐怖に曝されている。米国が「世界の警察」を気取り、勝手な正義を押付け、我が物顔で世界を伸し歩く傲慢不遜な態度を改めない限りテロは治まることはない。米国に追随する国も然り。

 今や米国の自己中心的不正非道に苦しむ非西洋諸国の多くが唯一最大の外敵、脅威と考えている。米国自身が「無法者の超大国」だと気付く事は無く、テロ根絶の名の下に更なる弾圧が続けば、テロの連鎖は果てしなく続くだろう。

 テロで片付けるのは容易い。戦争は国際法で認められてるが国家を持たない組織はテロでしか戦う術はない。つまりテロとは「現代戦争」でもあるのだ。

 テロの根絶を実現するには圧政に呻吟する民族の解放と独立させる以外にない。畢竟、それは政治体制の崩壊を意味し、米国然り、中共やロシア然り、中近東然り、それはテロの根絶以上に不可能であり、つまりテロが無くなることはない。

 我が国もテロ根絶を願うのなら米国依存の体制からの脱却を図らねばならないがそれもまた困難を極める。政治体制、宗教、領土紛争や利権などが複雑に絡み、目まぐるしく変化する国際情勢の中で、テロは無くなることは絶対にない。

 我が国がやるべきは情報収集を的確に行い、テロが何時でも何処でも起こり得るということを想定し、万全の対策を講じることこそ大事だ。

 要は、前沢のいう「テロを無くすにはどうしたらいいですか?」という言い掛かりは、前沢が剛力彩芽と別れるよりも難しい。呵々大笑。

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2018年10月27日

「福島知事選挙」の候補者掲示板には内堀と共産党員の二人のポスターだけ

 福島知事選挙は明日投票日を迎える。選挙戦で忙しそうなのは内堀候補を支持して論功行賞を狙う自民党議員や関係者と共産党員候補を応援してる人くらいなもので、県民の多くは興覚め、今回も投票率が上がることはないだろう。

 投票率を上げたいなら選管も少し考えたら如何か。例えば画像の候補者のポスター掲示板だが、県内の何処に行っても貼ってあるのは内堀と共産党の候補者だけのポスターだけで、出馬してる他の二人のポスターを見ることは無い。

 県内全域の選挙掲示板に内堀と共産党の二人しか貼られてないのは組織力というより、選挙の公平さが失われている様にも感じる。

 よくよく見れば、共産党の候補者は「無所属」となっており、一見すると共産党員には見えない。「情熱の40代」なんてのを見て騙される山村に住んでる年寄りなんて騙されるかもな。共産党というのはホント狡い(苦笑)

 その昔は、ポスター代も選挙カーも出馬する候補者が自費で作ってたが、今は供託金さえ積めば選挙カーのレンタル代やらポスター代、文書交通費、光熱費やその他諸諸の経費は役所が賄う。つまり税金が投入されているのだ。

 ポスター代に税金を投入するなら、候補者の公平を期す為にポスターを貼る作業も掲示板を設置した業者に依頼しても好い様なものだろう。

 占領下だった昭和25年に「公職選挙法」が制定され、それまでの25歳以上の男性のみの投票資格から20歳以上の女性にも選挙権が与えられることとなった。平成27年の公職選挙法改正で18歳以上の男女が投票出来る様になった。

 GHQの男女平等主義から戦後の公職選挙法は誕生したが、男女同権は兎も角としても、明治時代には規定されてた納税額は必要なことだと思う。況してや高校生に選挙権は要らない、18歳以上の働いてる男女に与えるべきだと思う。

 愚生の場合、酒税は一般人より支払ってるが所得税や市県民税は支払ってはいない。そんな無職の右翼風情に選挙権を与える必要も無し(笑)

 公職選挙法が改正されてはいるが、政党交付金にしても有権者である国民の為ではなく議員や候補者が優遇されて行くというのは如何なものか。

 インターネットでの選挙活動が解禁され、ビラ配布も容認された。だが、何故か電子メール送信禁止事項があるなど、選挙での規制は御役所仕事そのもの。

 いい加減、昭和25年制定の公職選挙法に則った地区対抗戦の様な意味の無い選挙カーでの選挙を見直して、候補者が一緒に行動し各地区の公民館や体育館などで立会演説会をすれば好いと思うが、何故か昔のスタイルに拘る。

 選挙というのはカネがかかるというが、それは選挙事務所を作り各地の後援会や選挙対策に伴う組織作りにカネと時間がかかるだけで、そういう昔の選挙運動が結果、論功行賞やら選挙後の利権の温床となって行くのだ。

 佐藤栄佐久時代が好い例だろう。事務所では実弟の佑二や自民党幹部が幅を利かせ裏では栄佐久の盟友で大日本愛国党福島県本部相談役の肩書を持つ辻正雄がゼネコンや業者を呼び付け、結果、福島県知事汚職が発覚することとなった。

 祐二やクラブタクシーの高橋良和や西部開発の丹治徹らは、選挙の手伝いに来た女性を誑かし愛人に。高橋は自然消滅するも祐二と丹治徹は愛人を孕ませ、祐二は糟糠の妻と別れるも徹はそのままズルズルと逢瀬を重ねた。

 福島県知事汚職事件で祐二が水谷建設に無心したのも、建前上は従業員の退職金などと語ってたが実際は妻への慰謝料の捻出。徹は妻と離婚せずにいたが妻が亡くなり、愈々愛人と一緒になるのかと思いきやボケが進みそれどころではない。

 因みに栄佐久も痴呆だというが、最高裁で有罪が確定しながら血税である退職金もネコババしたまま。これもボケの成せる業か(苦笑)

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2018年10月26日

インチキジャーナリスト・安田純平の5回目の解放と安倍の所信表明演説

 地元紙の一面には第九十七臨時国会での安倍首相の所信表明演説よりインチキジャーナリストの安田純平の記事が写真入りで躍っている。

 安田が初めて拘束されたのは2003年のイラク軍、同年にはイラク警察にも拘束されている。翌年にはバクダットで武装勢力に拘束され、2009年にはMYUに拘束される。そして2015年にヌスラ戦線に拘束されること実に5回目となる。要は、じゃーねリストというよりプロの拉致られ屋というべきか(笑)

 今回、ヌスラ戦線に3年以上も拘束されたとされているが、当のヌスラ戦線はこれを否定。今回の帰国のニュースで知り、安田の顔も見たことが無いという。

 政府は「身代金を払った事実はない」と否定するが、別な形で間接的に支払っているのは疑いのないことだが、どんな組織に払ったのか疑問だらけ。まあ、懲りない安田は体の好い身代金詐欺の共同正犯と言っても過言ではない。

 安倍の所信表明をみれば無難な内容。立憲民主党代表の枝野は「苦しんでる国民を見てない内容」と腐し、消費税増税を目論む安倍政権を批判しているが、こういう御粗末な政党が野党第一党というのだから情けない。

 安倍は安倍で、「強い日本。それを創るのは他の誰でもない、私達自身だ」と胸を張るが、その内容をみればエアコン設置やら幼児教育の無償かなどカネのバラ撒きばかりで、子供達への教育内容を語ることは無い。

 強い日本を創るに当り、大正時代の政治家である原敬の名を挙げ「常に民意の存する所を考察すべし」との文言を語り悦に入ってるが、そんなものは五箇条の御誓文に在る「万機公論に決すべし」と示されている通り。

 まあ、明治天皇が天地神明に誓約する形式で、公卿や諸侯などに示した御誓文を持ち出せば、それこそ教育勅語同様批判されるに違いない(笑)

「常に民意の存する所を考察すべし」というが、これは国民目線に立つことではないし大衆に媚びることでもない。民主主義の根本は多数決だが、数の多い意見が正しいとも限らないし、考察はすれど迎合する必要もない。

 いつの世も大衆の多くは無知で愚かであり、大衆というのは実に操縦し易く、そういう認識故にマスコミに因って世論操作が行われる。そういう意味では現在の民意とは国民の意見ではなく、マスコミに誘導された意見に過ぎない。

 マスコミは国民の安直な正義感に迎合し、上から目線で「自分達の主張こそが正義である」と居丈高に振り翳して国民を煽動し続けているが、そこに社会の木鐸としての正義や公正さはない。単なる株式会社の営利主義とサラリーマン思考。

 反権力を勘違いして何でもかんでも腐すマスコミとそれに便乗して騒ぎ立てる民衆。安倍もまたモリカケでの負い目か、マスコミに煽られた国民の視線を気にして「常に民意の存する所を考察すべし」とは正しく大衆迎合主義そのもの。

 政治が国民目線に立った時、必ず国は滅ぶというのは世の常だ。何故なら、国民の判断力は古今東西常に低く、その意見も時代に流され、大衆に流され、実に幼稚で軽々しく、そして気紛れなものだからだ。

 政治とは、国家観を重んじながら、国民目線とかけ離れた歴史観、人間観、世界観、時には高度な権謀術数を必要とするものである。

 安倍も長期政権の締め括りと戦後政治の総括を目指すなら、民意の存する所は考察すれど国家のリーダーとして強固な意思と決断力こそ持つべきである。

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2018年10月24日

教育勅語こそが我が国教育の指導原理である

 地元紙の読者投稿欄では、共産党員や無自覚左翼の投稿が鳴りを潜めてたと思いきやまた蠢き出した。昨日も共産党員の消費税反対10%への反対意見と、柴山文科相の発言に絡んだ教育勅語への反対意見が登場した。

 消費税10%は多くの国民は仕方ないと思っているが、要はその使い道が問題で、また国民に負担を強いるなら、先ずは政治家自らが政党助成金や報酬の見直しや、衆議院のカーボンペーパーと言われて久しい参院の廃止を検討すべきだ。

 教育勅語は、戦時中の教育現場でのやり過ぎは森友学園のアレと同じで確かに問題だと思うが、教育勅語が戦後GHQ主導の教育基本法によって否定されたことと、教育勅語の徳目の教えは別物だろう。

 親への孝養や国に対する忠義の否定は、正に戦後民主主義教育の負の遺産でもある。また「一旦緩急アレバ義勇公二奉シ」を、天皇に服従し命を惜しまず忠節を尽くすものと解釈するのは実に浅はか。

 明治天皇自らが「斯ノ道󠄁ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺󠄁訓ニシテ子孫臣民ノ俱ニ遵󠄁守スヘキ所󠄁」として「爾臣民ト共二拳拳服膺シテ咸其德ヲ一ニセンコトヲ庶󠄂幾󠄁フ」と言われている通り強制的なものではない。

 教育勅語が渙発されたのは明治23年のこと。その後、日清戦争と日露戦争の国難を乗り越えた。教育勅語を先の大戦のみに結び付けるのは敗戦コンプレックスと米国主導の教育基本法に因る洗脳でしかない。

 左翼や無自覚左翼に因るこうした読者の声の元凶は正しく新聞報道の影響が大きい。過日、日本共産党の小池晃が「新聞を読んでれば自民支持にならない」と皮肉ったが、これからも作為的な記事が垂れ流されるのかと思うと厭になる。

 ってか、愚生の投稿は全く採用されなくなった。意見の対立する問題は公平に、つまり是と非を交えて読者に判断を委ねるべくだが公平さは無い。

 新聞情報で間違いないのはスポーツの結果と訃報欄。番組欄は今どきテレビで分かるし、訃報欄さえ知ることが出来れば新聞なんぞ購読しないのにな(笑)

 新聞社とはいえ所詮は株式会社であり営利最優先。右翼を敵に回しても、共産党や無自覚左翼の読者の反感を買う様なことはしないわな(苦笑)

 政治を行う上で最も大事なものは「教育」と「国防」である。「国防」とは単に領土の防衛だけではなく、三島由紀夫が訓えた通り「それを失えば日本では無くなってしまうものを守る」ことであり、畢竟「皇統」を死守することでもある。

 つまり「国防」と「教育」は一対のものであり、どちらかが欠落しても国家として体を為さないとい。教育勅語を否定する勢力というのは国防を否定し、領土主権の防衛すらも批判する。これこそが何を況やだろう。

 我が国の教育の荒廃が叫ばれて久しい。教育の荒廃は日教組や全教の責任は小さくはないが、教育改革の足を引っ張ってるのが実は文科省と教育委員会であり、地方に於いては教育委員会こそが教育荒廃の元凶といっても過言ではない。

 我が国の教育委員会制度は、米国がその占領政策の一環として導入したものだ。米国は「戦前の日本の軍国主義が日本の中央集権的教育制度を齎し、それが結果戦争に繋がった」と結論付けている。教育勅語の否定もこの認識からである。

 その日本の学校教育を内務省の中央集権的統制から解き放ち、その管理を地域住民の代表により構成される合議制の教育委員会の下に置こうと画策しそれを実行した。教育委員会のモデルとなったものが、米国の教育委員会制度である。

 これは米国の開拓時代の占領統治の思惑から生まれたもので、日本の統治も同じ様に占領によって米国の意のままに置こうというのが狙いであり、米国の戦後民主主義教育は米国の思惑以上に大きな成果を齎し続けている。

 安倍は前政権時代「教育基本法」の改正を行い、米国時代の悪しき教育制度からの脱却を目指した。このこと自体は間違ってはいない。ならばその教育改革の総仕上げとして教育委員会の廃止を急ぐべきであるが、未だ手を拱いた儘だ。

 文科省も教育委員会も日教組も全教も言うなれば一蓮托生、教育荒廃の腐った肥溜めなのだ。そういう組織が蠢いてる中で教育改革なんぞ出来る訳がない。今も昔も我が国の教育の指導原理と成すものは教育勅語を於いて他には無い。

 教育は国家の大本である。「誇りの持てる教育」や「志の高い日本人を創造」する為にも、戦後の米国による我が国弱体化のあらゆる策謀を明らかにし、それを改め、真の主権国家としての恢復と道義国家・日本の復活を急がなければならない。

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2018年10月21日

朝河貫一博士没後70年記念シンポジウムを嗤う

 二本松出身の歴史学者・朝河貫一博士の没後70年のシンポジウムが東京六本木の国際文化会館で行われた。列席者からは「戦争と対峙し平和を希求した憂国の士」と、その生涯と功績を讃える。

 原発事故調査委員会委員長で政策研究大学大学院名誉教授という長ったらしい肩書を持つ黒川清は「原発事故後の日本が何も変わっていない」と偏差値教育を批判し「海外での実体験が健全な愛国心を育む」と述べているが、朝河の愛国心は健全というより米国の国益を優先した米国への愛国心だ。

 同郷の学聖を貶す訳ではないが、朝河博士が唱えた平和主義は米国の国益を優先した平和主義であり、敗戦後の戦後民主主義と同じ価値観である。

 大学教授や代議士、三保や品川市長などが出席し各々博士を持ち上げているが、戦前には「朝河は敵国のスパイ」と断じられていたのはお忘れか(笑)

 米国の意の下に行動する朝河に対して、当時の愛国マスコミの急先鋒だった「大阪朝日新聞」は、次の様に批判した。

「朝河貫一と呼べる人なり、此の人イェール大学を卒業し、目下、米国某学校に於いて東洋政治部の講師として聘せられ居るものなり。名刺にはドクトル及び教諭と記し、日本人に語るにも日本語を用いず、必ず英語を以てす。此の人、ポーツマスに来たり、日々ホテル・ウェントウォースに在りて、多くの白人に接し、頻りに平和條約の條件に就て説明をなしつつあり。英文にて記せる朝河貫一なる文字とその肩書きの立派なるよりほかは知らざる白人は・・・(明治38(1905)年10月30日)」との書き出しで、「学校の講師で安月給のくせに、1日に5ドルのホテル代を払って、ここにいるのは甚だ疑わしい、誰の回し者だ」

 幼少の頃から勉学に励み早稲田大学を経て米国の大学に学んだ向学心は認めるが、幼稚な正義感は多感な時期に教わった米国人英語教師の存在が大きい。

 朝河博士の歴史認識、取り分け明治維新後の近代史に着目すれば、日露戦争から大東亜戦争に至るまで当時の日本の外交や軍国主義の台頭を批判している。

 これをしても、朝河博士の平和主義は日本人としての思いというより、米国の国益に適った米国の戦いを正当化するものでしかない。

 米国内では日本人を好戦的人種であるとして「黄禍論」を煽り、軍閥の独断専行であると批判しているが、朝河博士の主張もこれと同類である。

「日米開戦回避に奔走した」というが、朝河博士の主張は我が民族の精神と恒久的平和主義を根底から否定することから始まっており、要は、戦争回避が不可能というのを見越した上での在米日本人の言い訳でしかない。

 天皇陛下への親書が戦争回避に繋がると思っていたとしたら実に御粗末な話だ。欽定明治憲法下に於いては、国務は国務大臣、統帥は参謀総長及び軍令部長が陛下を輔弼し、その責に任ずることになっている。

 陛下には、法的な責任も戦争回避を決断する御立場にはあらせられない。だが、逆の見方をすれば、戦争を実行したのは昭和天皇という考えているのだろう。戦後の共産主義者らが謀った「昭和天皇戦争責任論」と同じである。

 戦争回避を実現したかったというのが朝河博士の真意ならば、昭和天皇ではなく、当時のルーズベルト大統領を筆頭に米国名に横溢していた「黄禍論」という日本と日本人への偏見を糺すべきだったのではあるまいか。

 大東亜戦争前、国会に於いて戦争回避の演説を行い、対米戦争は間違いであると批判したのは大日本愛国党総裁の赤尾敏唯一人だった。

 右翼は好戦家だと言われるが、その実は共産主義者こそが好戦家なのである。先の大戦も戦争犯罪人は大日本帝国憲法でもなく、統帥権でもなく、況して軍部でもなければ日本の軍国主義でもない。

 先の大戦に於ける真の戦争犯罪人は近衛文麿と尾崎秀美らそのブレーン達、即ち日本国内で蠢いていた共産主義者らであり、マルクス・レーニン主義という悪魔の思想が昭和の悲劇を生んだということは今や歴史的事実である。

 多くの戦死者や戦災者を出し、日本の資産の大部分を失った大東亜戦争とは、ソ連コミンテルンと中国共産党、そして国内の共産主義者が仕組んだ共産革命の実現の為の争いだった。支那事変や満州事変を断じた朝河も同列である。

 朝河博士が平和主義者なら、批判すべきだったのは十五世紀の大航海時代以来の、白人による世界制覇と人種差別と植民地支配であり、開戦の決断に至る「ハル・ノート」であり、敗戦後の米国が行った様々な不正義と不条理であった。

 朝河博士の理念は我が国の歴史の否定あり、戦後の米国が押し付けた戦後民主主義教育と同列である。ここに来て朝河博士が持て囃されるのも、未だ我が国が米国の価値観とまやかしの平和主義から目醒めていない証左でもある。

 米国の平和主義は傲岸不遜な不正義でもあるが、そうした米国の国益を重んじた朝河博士が平和主義者や憂国の士だったというのは仰々しいが、考えてみれば歴史や人物像というのはこうして捏造されて行くのかも知れない。 呵々大笑。

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2018年10月20日

三条実美の祭文の原則がある限り「賊軍」の汚名が消えることはない

 靖國神社では秋季例大祭が斎行されている。終身会員などが順次招致され、愚生も第二日祭の招待状に「出席」と応えていたが、諸般の事情で欠席した。

 靖國神社の例大祭は、他の神社の様な華美さはないが厳かな中で行われる。宮司以下本殿の座に著き、国学院吹奏楽部による伴奏に合わせ参列者全員で国歌斉唱。様々な式典で国歌斉唱を聴くが、この例大祭での斉唱より敵うものなし。

 本殿にて權宮司以下により神事が斎行されているが拝殿からは様子は窺えない。聞こえるのは小鳥の囀りと宮司の祝詞と社頭で参拝する方々の柏手の音。

 その後、国学院大学混声合唱団と共に「鎮魂歌」並びに「靖國神社の歌」を合唱。宮司玉串奉奠に続き、参列者が本殿に進み拝礼、英霊に感謝の誠を捧げ、そして退出。式典は約1時間で終了となる。

 靖國神社の合祀対象はあくまでも「官軍」に限られており、右大臣・三条実美が明治2年7月1日に参拝し奉読した祝詞に明示されている通り。

「八十日々はあれども、今日の活く日の足る日を祭日と定めて、祭らしめ賜ふ去年今年、皇軍に死れる輩の靈の前に白さく、汝等は靈ちはふ神の御代より樛の木の彌繼々に天下知し食しぬる我が天皇の大御代と共に久しく言繼ぎて、臣たる人の鑑となす押日命の言立ての、海行かば水漬く屍、山行かば草むす屍、大王の上にこそ死なめの其の事業を今の現に取り行ひて、所は變れども心は一に、皇軍に役立して賊徒等を討たむる其の戰に痛手負ひて命果てぬる輩なれば、上も下も憐の靈よ尊の靈と言ひ思ひ哀しみ畏み祭る、此の祭を受け辱み、千世萬つ世、天翔りて動かず、變れず、大御代の御爲と爲らむ靈とそ思ひ慕ふになむ、吾が身其の時しも監察使の勅を奉りて、此の吾妻に來たりて、東北の軍事をも親しく聞、其軍人の難苦し趣をも知りにし事なれは、今其の事共を思ひ出て、殊更に哀しく、殊更に慕しく思ひて、今此の祭の場に詣り來て拜み齋く事になむ、輔相從一位右大臣藤原朝臣實美、明治二年已巳七月朔日」

 この三条右大臣の読んだ祭文の原則がある限り、西軍は「皇軍」であり、東軍に対する「賊軍」という汚名が雪がれることはない。

 会津藩士や白虎隊、我が故郷の二本松藩士や二本松少年隊、西南戦争で自決した西郷隆盛ら所謂「賊軍」の御霊は本殿左の「鎮霊社」に祀られてはいる。だが、悲しい哉、例大祭の期間は閉門されている。

「鎮霊社」は、幕末の嘉永6年以降、戦争や事変に係わり散華するも、本殿に祀られていない日本人の御霊と、同時期以降の世界の戦争・事変に係わって戦没した全世界各国全ての戦没者の御霊を祀る社である。

 こうしたことでも、長州閥の謀で創られた靖國本殿より「鎮霊社」こそが、宗教的な敬虔さと神道の教えを顕している様に思う。

 最近の靖國神社を見ると、大東亜戦争で散華された英霊を殊更に讃えることで、反対派から好戦的な神社であると思われているのも確かだろう。

 靖國神社は英霊を追悼する施設ではなく英霊の功績を顕彰する神社である。「顕彰」とは隠れた功績、善行などを称えて広く世間に知らせることである。

 だが、保守票欲しさに靖國に参拝する政治家や営業保守、自称愛国者や右翼人までもが「英霊に哀悼の誠を捧げて来た」と言って悦に入る。

「哀悼」とか「追悼」とは、死者の生前を偲びその死を悼み悲しむことであるが、靖國神社は追悼の施設ではなく英霊の顕彰を重んじている社であるということを理解していないからこんな間違った認識が罷り通る。

 追悼施設というのなら、海外で亡くなられた方々の遺骨が埋葬される千鳥ヶ淵の戦没者墓苑を整備して、国立の戦没者追悼施設を建立すれば好い。

 靖國神社に於ける本殿と鎮霊社の並立状態は「死者の選別」であり、こうした死者に対する差別的処置は日本人の宗教観や死生観からも違和感を覚える。

「朝敵」とされ未だ本殿とは別にしてその死を包括し得ない現状は、真に「靖國」の意味が在るのかという疑問を拭い去ることが出来ない。

 会津藩に至っては幕閣で唯一の神道であり、どの藩よりも朝廷に忠節を尽くした藩にも拘らず、遺恨を持つ薩長の策謀により「朝敵」とされただけだ。孝明天皇から容保公に下賜された御宸翰が何よりの証だろう。

 朝敵を別なカタチで祀ることと、朝敵を本殿に祀ることと、どちらが現代に即して、天皇(すめろぎ、すめらぎ)が顕現される道なのであろうか。このまま未来永劫「死者の選別」をしたままで好いとは思えない。

「国靖かれ」と願って亡くなられた方々は別に西軍の戦没者だけではない。賊軍と蔑まされ続けてる東軍の戦没者も同じ想いだ。明治天皇の思し召しにより創建された靖國神社の在り方を真剣に考えなくてはならないと思う。

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2018年10月18日

戊辰の役から150年、明治維新や明治新政府を称える歴史が徐々に暴かれつつある

 歴史というのは往々にして時の権力の都合の好い歴史に書き換えられる。戊辰の役から150年、明治維新や明治新政府を称える歴史が徐々に暴かれつつある。

 歴史に「もし」は無いが、勝海舟が西郷隆盛と江戸城で会談し無血開城を以て実質的な維新が成立した訳で、もし、あの時に全てを諒としてする訳には参らなかったのか。その後の東軍征伐に何の意味があったのだろう。

 幕府で唯一の神道を重んじ、孝明天皇を御守した会津藩が何故に朝敵として責められなければなかったのか。単に蛤御門の変(禁門の変)での敗戦の遺恨であり、とても尊王攘夷という大義ある維新だったとは思えない。

 そんな明治維新の裏側を垣間見る史料が公開された。史料には、戊辰の役で二本松城が落城した直後、西軍は二本松藩の名主・菊池家から同家相伝の名刀や三百両を奪った状況が克明に記されているという。

 三百両は現在の価値で3900万円相当になる。東北の片田舎の名家でそれほどなのだから、ここに来るまでどれほどの強奪を謀ったのか。その後も西軍に因る各地での凶行は留まることを知らず。

「尊皇攘夷」を訴え、錦の御旗を掲げているが、要は尊皇を振り翳した盗賊・凶賊の類で、長州や薩摩、土佐、肥後などの各地から集まった連中が、攻め入った藩や大店などに押し入り、強奪などを働いたことは想像するに余りある。

 武士道とは程遠い輩が一時の「尊皇」という流行に便乗し私服を肥やし、上司もまたそれらの上前を撥ね贅沢三昧。明治維新後の政治家共が別荘を建て贅沢な暮らしが出来たのも、戊辰の役で奪ったこうした金が使われたのだろう。

 明治新政府の歴歴方は高給だったとすれば、明治維新とは「尊皇攘夷」を騙った一部特権階級の為の利権独占が目的だったのではあるまいか。

 キリスト教思想家の内村鑑三は自著「代表的日本人」の中で西郷隆盛についてこう述べている箇所がある。

「西郷ほど生活上の欲望が無かった人は他にいなかったように思えます。月収が数百万円であった頃、必要とする分は15円で足り、残りは困っている友人に分け与えられました。普段着は薩摩絣で木綿帯、履き物は下駄で過ごした」

 質素な生活ぶりは窺い知れるが、あの当時の月収が「数百万円」あったというのとは驚く他はない。新政権樹立後、参議とはいえ何の役にも就かなかった者に月々数百万円とは如何に。その手当の出所は一体何処なのか。

 前述した様に東軍征伐の過程で各藩に対し恭順させる証しとして上納させ蓄えてた金や、地元の名主や大店から強奪した金ではなかったのか。
 
 執拗に徳川や会津を責めた西郷だったが、その後、自らの信念であった「征韓論」で大久保利通らと対立し、薩摩へ帰郷することとなった。

「佐賀の乱」「神風連の乱」「秋月の乱」「萩の乱」など、士族の反乱が続く中で、明治10年(1877年)には西郷が主宰する私学校生徒の暴動から「西南戦争」が勃発。西郷はその指導者となるも敗れて城山で自刃した。

 会津藩を見るまでもなく歴史というのは正義が常に正義ではなく、正義が敗れることもあるという一例だろう。「勝てば官軍・負ければ賊軍」と騙り、勝利に酔った西郷が賊軍に落ちた瞬間である。歴史とは実に異なものである。

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2018年10月17日

国民に税負担を強要するなら政治家こそ政党交付金を返納すべし

 消費税増税で安倍が槍玉に挙げられている。立憲民主党の枝野なんぞ「理解出来ない」と批判する。「消費税10%」は平成24年8月、民主党の野田政権下で自公と結んだ「社会保障と税の一体改革」に基づくもの。

 当初の予定では平成26年4月に8%に、翌27年10月に10%にする予定だったが、安倍政権下で延期され、昨年の4月には再延期された。

 流石に3度目の再延期はあり得ない。野党も反対するなら消費税増税凍結の法案を出すべきで、一方的な批判こそ無責任の極みと断じる他は無い。

 国民に消費税増税を押し付けながら、国会議員や政党には「政党交付金(政党助成金)」が垂れ流されている。

「政党交付金」は、企業・労働組合・団体から政党・政治団体への政治献金を制限する代償として、平成6年の細川政権時に導入されたものだ。

 細川はドイツの事例を挙げて、「ドイツでは国民がカネを出し合って政党を援助している。政治家がカネ集めに奔走しなくて済むし、何よりクリーンな政治を実現出来る」と説明し、政党交付金制度を導入した。

「政党助成法」の成立で、企業献金や政治資金パーティーは無くなり、政治家は国家国民の為に汗してくれるものと国民の誰もが思った。だが現実は、政治資金パーティーは無くなるどころか、カネに賤しい政治家が殖えた。

 政党交付金として、国会議員一人当たり約5000万円が支払われている。国民一人当たり換算で約250円、総額約320億円に上り、今迄支払われた総額は実に6兆円を超える。消費税率2%アップどころの話ではない。

 政党交付金は政党に配られ、政党職員の給与に充てられる。その結果、公務員の様な政党職員が殖え、政策秘書という職員らが作った役人の作った政策と違わないクソの様な政策を、無能な政治家が実行している。

 抑々、議員には歳費として年間2300万円、文書交通費1200万円、他にも公設秘書の給料や議員会館、議員宿舎など年間合わせて1億円以上の国費が計上されている。十分な金額だと思うが、我が国のさもしい政治家共の無心は留まらない。

 相変わらず国会議員らは企業献金やら個人献金、政経パーティーと、国政そっちのけで金策に狂奔しているが、これ即ち、クリーンな政治を実現するという趣旨からも逸脱しており、明らかな国民に対する「政党交付金詐欺」である。

 政党交付金は、政治活動の自由という観点から使い道には制限が無ければ立法事務費も使途報告の必要もなく、政党解散時にも返納する義務もない。

 正に「政党助成法」は国民をバカにした、都合のいい法律であり、あの小沢一郎の政治とカネの問題も、本を糺せばこの政党交付金の在り方を論じなければならない問題だったのだが、誰もが己に降り懸かることから拱手傍観を決め込んだ。

 共産党は政党助成金を受け取らず、政党助成金制度の廃止を主張しているが、至極真っ当な認識だ。嘘で成立した「政党交付金」を受け取ることは国民への背信行為であり、詐欺行為だとの認識はないのだろうか。

 民主党政権下では、消費税10%への目晦ましとして税の一体改革で「トリガー条項」というものを盛り込んだ。

「トリガー条項」とは、総務省の小売物価統計調査でのガソリン平均価格が3か月連続で1ℓ160円を超えた場合には、揮発油税の上乗せ税率分である25.1円の課税を停止するというもの。

 尚、平均価格が130円以下になれば課税停止が解除される。だが、東日本大震災後、政権交代した安倍政権下では1ℓ170円になっても発動しなかった。その理由は「税収が約1.8兆円減れば復興に影響を及ぼす」という理由からだった。

 イランの制裁でサウジアラビアとロシアが原油価格を吊り上げてる中で、1ℓ170円に跳ね上がるのも時間の問題。消費税増税はするはトリガー条項は発動しないはでは余りにも納税者を馬鹿にしてないか。

 安倍政権では「観光立国」を国策に掲げ、ハッピーマンデーを見直すことなく観光での景気浮上を目論んでるが、観光地へ行くにも道路維持財源を一般財源化した為に道路はボロボロ、ガソリン高騰の対策も講じないというのも如何なものか。

 国民の多くは納税の義務を果たし消費税10%にも理解を示しているが、納得出来ないのは納めた税金の使い道だ。消費税10%已む無しというならば、血税である政党交付金を返納するなど、政治家自らが塊より始めるべきだろう。

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2018年10月16日

仁徳天皇陵(大山古墳)の共同発掘という不敬を赦すな

 宮内庁は仁徳天皇陵(大山古墳)の共同発掘を堺市と共同で実施すると発表した。これに対し研究者からは「画期的な試みだ」との声が上がっているが、御陵や墳墓発掘の真の狙いは、天皇の歴史の否定と皇室の解体が狙いだ。

 学匪らは天皇陵を「史跡」だとして、歴史や考古学、文化調査という言葉を持ち出して発掘調査の正当性を訴え、研究者として当然の権利の如く主張してはいるが、発掘調査に拠って天皇の歴史を如何に批判し誹謗するかが真の目的である。

 宮内庁は全国で約900の陵墓を非公開で管理しているが、平成19年に内規を改め、畏れ多いことに研究者側からの要望に応じて陵墓の立ち入りを認めるに至り、既に計14件が許可されている。今回の仁徳天皇陵の発掘調査もその一環である。

 宮内庁は「周濠の浸食が激しく、補修工事に向けた事前調査」との詭弁を弄してるが補修工事に発掘調査は必要あるまい。

 宮内庁が我が国の国柄と不可分の天皇陵の尊厳ということを全く理解しない故にこうしたことが行われる。況してや陵墓への立ち入りは、刑法で定められている「礼拝所及び墳墓に関する罪 」に明らかに抵触する犯罪行為でもある。

 ピラミッドや兵馬俑などの王の墓と同様に天皇陵も発掘の対象にすべきだというが、天皇陵とは皇室の先祖の墓である。

 御陵や墳丘の発掘までもが許され常習化する事態となれば、皇室の尊厳は完全に損ねられることは必至であり、断じて許してはならない。

 エジプトや支那の王朝の墓は既に滅んでしまった過去の史跡だが、天皇陵は現存する皇室のものであり、況してや祭祀の場でもある。史跡調査というが、その背景はピラミッドや兵馬俑などとは全く異なるものだ。

 学匪らは「御陵の周辺部が史跡に指定されてない為に、宅地造成で埋め立てられたり、破壊されたり危機的状況であり、国が直接保護するべきだ」と、如何にも御陵の荒廃を嘆くかの様な意見を振り翳してはいるが彼奴らの狙いは外に在る。

 そのトリックが「史跡」という言葉にあり、「史跡」になれば発掘は可能になるのを承知しての確信犯であり、学匪らのあれやこれやの尤もらしい屁理屈も単なる奸智奸策に過ぎないのだが、あろうことか宮内庁がその御先棒を担いでいる。

 彼奴らの目的は、立ち入り調査という「権利」を確保し、発掘という「権利」の実行を目論むことは火を見るより明らかで、そしてその結果を「科学的証拠」として巧みに利用し、我が皇室の歴史を批判、誹謗するかが究極の目的なのだ。

 御陵や墳墓などの発掘の真の狙いは、歴史と皇室の否定と解体そのものに在り、左翼が目指す所謂「天皇制廃止運動」の一環と断じても過言ではない。

 朝鮮や支那では、墓を掘り起し死者に恥辱を与えるというのは珍しくもないが、「墓を発く」「死屍に鞭打つ」という発想は、我が国では死者への最大の非礼であり、日本人の死生観からも最も忌み嫌う蛮行でもある。

 御陵は断じて文化財や史跡として考えるべきものではなく、民間調査や発掘などという対象になるべきものでもない。御陵は国民挙って崇拝し、伏し拝むべき、日本国民として神聖にして侵すべからざる聖域である。

 世界文化遺産登録という戯言を抜かし、調査発掘に拠って皇室解体を謀る学匪共と、それに与する宮内庁に巣食う奸賊共を一掃しなければならない。

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2018年10月15日

「平和」や「民主主義」というスローガンは左翼や野党の票取り込みの道具である

 来年夏の参院選に向け、共産党の志位が野党共闘を呼び掛けた。来夏は「改憲阻止」「平和」「民主主義」のスローガンが巷に飛び交うだろう。

「平和」というスローガンも左翼や野党の票取り込みの道具であり、有権者、特に情報弱者の高齢者がこういう単純な言葉に騙される。

「民主主義」というのは今では当たり前だと思ってるが、「主権在民」などというと聞こえが好いだけで1億2000万分の1の主権ではそんなものは無いのと同じ。民主主義や主権在民が当たり前だと錯覚しているだけのこと。

 今のネットでの声もまた錯覚したブタやネズミやニワトリが犇めき合ってギャーギャーと鳴き声を張り上げているに過ぎず、結局は数の多いブタの世界になるより他は無い時代なのだ。それが民主主義というものなのだ。

 国内を見渡せば、一番多いのが勤労の義務を全うしてる労働者。政治に興味のない労働者を労働組合幹部が扇動しオルグする。

 労働組合なんぞブタの集団だ。その労働者の支持を得ないことには政治家にはなれないのだから、まともなヤツが政治家を志すとも当選するとも思えない。

 創価学会なんぞ養鶏場のニワトリ。その池田養鶏場の激安ブロイラーを食べたがってるのだから安倍ちゃんも体調を崩すのも近いだろうよ(笑)

 自分に言う訳でもないが、政治を糺すのは大いに結構だが、政治の仕組み、選挙の仕組みがそうなっているのだから変わり様がない。

 来夏の参院選も、マスコミに煽られた有権者の気まぐれで選ばれるのは間違いない。所詮、自民党にせよ野党にせよ「でもしか政党」というのは変わりはなく、選択肢の無い有権者の不幸はここに極まれり。

 民主主義の誤った人間平等主義や基本的人権の乱用には腹が立つが、こういう誑かしを得意としてるのが共産党や立憲民主党。有権者を煽り、如何に安倍政権が弱者(国民)を虐め、搾取してるかの様に装う。

 民主主義では何事も民主的な手法で解決しようとするが、多数決で決めたことでも「少数派にも配慮しろ」と騒ぎ立てる。こうした御都合主義的民主主義こそ我が国を崩壊に導いてる元凶と言っても過言ではない。

 人というのは平等ではないし、平均的意見とはマスコミが創り上げた価値観に過ぎない。言い方を変えれば、民主主義とは皆が平等にバカになること。

 己らの違う意見は抹殺し、自分達と同じ価値観になれということであるなら共産主義と大して変わらない。志位も枝野も同じ穴の狢だ。

 そのくせ、口を開けばキレイゴトを並べ「人材育成」などを訴える。民主主義的平等のバカを創り上げるのに人材育成とはもう嗤うしかない。

 昔から、こういう諺がある。

「一年で育てようと思うなら花を育てるべし。十年で育てようと思うなら木を育てるべし。百年かけて育てようと思うなら人を育てるべし」

「人材育成」というのはインスタントに出来るものではない。普段から学校は勿論、家庭でも地域でも若者を育もうという意識がなければダメだ。

 花や木を育てるにしても、自然の風雪に耐えてこそ味に深みが出るというものだろう。温室で育った花や野菜や果物というのは見かけだけで深みはない。

 人間だって同じ。甘やかすだけでは立派には育たない。たまには鉄拳も厳しく突き放すことも必要で、個性を磨くというのは本来そういうものなのだ。

 人間平等観というのは画一的な人間育成を進めてる様で隔靴掻痒の感は否めない。こうした誤った民主主義の下での誤った人材育成が続けば、同じ無気力な個性の無いハウス栽培の打たれ弱い日本人ばかりになってしまうだろう。

 教育は国家の大本である。景気対策や社会保障の充実なんぞより百年後を見据えて人材育成に取り組むべし。

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2018年10月12日

「陛下が一生懸命、慰霊の旅をすればするほど靖國神社は遠ざかって行く」

 来週は靖國神社の秋季例大祭。第二日祭に出席と通知はしたが不確定要素が付き纏う。一昨日、靖國神社の小堀邦夫宮司が退任した。

 週刊ポストに、神社内の会議で「陛下が一生懸命、慰霊の旅をすればするほど靖國神社は遠ざかって行く。はっきり言えば、今上陛下は靖國神社を潰そうとしてるんだよ」などとの発言内容がすっぱ抜かれ悪意的に報じられている。

 週刊誌は「靖國神社トップが皇室批判」と仰々しいが、「靖國神社を潰そうとしてる」というのは何だが、「陛下が一生懸命、慰霊の旅をすればするほど靖國神社は遠ざかって行く」という苦言は強ち間違ってるとも言い切れない。

 それにしても日頃、軽々しい皇室記事を垂れ流し靖國神社にも見向きもしない連中が、ここぞとばかりに批判の声を上げてるのは実に呆れ甚し。

 神社側は「極めて不穏当な言葉遣いの録音内容が漏れた」と、宮司が宮内庁に出向き説明し陳謝すると共に退任の意向を伝えたという。

 神社側に週刊誌側のスパイに因るリークというのも嗤えるが、こうしたことでも神社内部の権力闘争の現われであり、今や靖國神社が明治神宮と同じく一宗教法人に成り下がってしまっている感は否めない。

 陛下は慰霊の旅は熱心ではあるが、見方に拠れば靖國への参拝は褪めている様にも見える。宮司はそうしたことを憂い、戦地の慰霊の旅より靖國神社への御親拝を望む気持ちを言葉は過激だが素直に発しただけのこと。

 前任者の徳川康久元宮司が「幕府軍や会津軍も日本のことを考えていた。唯、価値観が違って戦争になってしまった。向こう(政府軍)が錦の御旗を掲げたことで、こちら(幕府軍)が賊軍になった」との発言もまた記憶に新しい。

 徳川家15代将軍・徳川慶喜の曾孫という「賊軍トップの末裔」が「官軍を祀る神社のトップ」に立ったことを奇異に感じた関係者もいただろうし、「こちらが賊軍になった」との徳川宮司の発言を訝しく思ったに違いない。

 明治天皇の思し召しに拠り創建された「東京招魂社」が「靖國神社」となったが、「國靖かれ」との想いは官軍も賊軍も同じだろう。

 新政府の三条実美が「皇軍に役立ちして、賊徒等を討たん其の義に・・・命果てぬる輩」と祭文に明示したことで合祀に影響を及ぼした。この祭文の原則がある限り「賊軍」は未来永劫賊軍の儘なのだ。

 薩長や長州閥の謀に因り「明治維新を偉業として後世に伝え、近代国家建設の為に命を捧げた官軍側犠牲者のみを顕彰する社」となった。だが、明治9年、明治天皇は、東北地方へ約50日間に及ぶ巡幸に臨まれている。

 この巡幸の目的が戊辰戦争に敗れて以降、艱難辛苦の日々を送っていた会津藩を始めとした人々を、明治天皇が慰撫し激励する為に他ならない。

 戊辰戦争で「朝敵」や「賊軍」とされ、辛苦を極めた東北の人々との間に親しく絆を結ぼうと努める明治天皇の大御心とその面影が偲ばれる。

 この東北・北海道の巡幸を以て、逆賊も朝敵もなく、一切の蟠りも無くなったのだが、明治新政府は東軍の戦死者を靖國神社に祀ることなく、幕末から明治新政府樹立後の不正義と不条理をも糺すことはしなかった。

 靖國神社が顕彰を重んじる神社であるなら、賊軍とされた方々を鎮霊社という別なカタチで祀ることと、本殿に祀ることと、そのどちらが時代に即して天皇(すめろぎ、すめらぎ)が顕現される道なのか理解出来るのではなかろうか。

 死者の選別を続けることは日本人の死生観にもそぐわない。官軍である長州閥の下で創られた靖國神社の在り方を見直さねばならない。

 明治天皇の思し召しにより創建された神社が、陛下が「靖國神社を潰そうとしてる」のであればそれはそれで一考に値する。

 靖國神社側は「創建の由緒から鑑みて『幕府側に対する表現や認識を修正すること』を神社として行なう考えはなく、今後も同様の考えが変わることはないと理解しております」と回答していることは如何なものか。

 何れにしても最近の靖國神社は大東亜戦争の戦意高揚を称えるばかりで、顕彰という趣旨からは程遠いものとなり、明治天皇の創建の大義を重んじる宮司が次々と退任させられてる状況は、靖國神社奉賛会会員として憂いるばかり。

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2018年10月10日

「終戦の詔勅奉戴日こそが御親拝に最も相応しい日である」だとさ(苦笑)

 今日10月10日は、昭和39年にアジアで初、有色人種の国家で初めてオリンピックが開催された日。本来であれば「体育の日」だが、そうした祝日の意義を忘れ左翼の策謀に嵌りハッピーマンデーに組み込まれてしまった。

 扨て、靖國神社の会報10月号は終戦の日特集。記事には8月15日を「大東亜戦争終結より73年目を迎えた」とし、当日の様子を詳しく報じている。

 最近の靖國神社は、神社庁との主導権争いから宗教法人となった明治神宮と同じく営利主義も目立ち、一宗教法人に甘んじてる気がしてならない。

 会報には、保守派の論客でもある小堀佳一郎が、「終戦の詔勅奉戴日に寄せて」というタイトルで陛下の御親拝を切望し、「終戦の詔勅奉戴日こそが御親拝に最も相応しい日である」との論文を寄稿している。

 氏のいう「終戦の詔勅奉戴日」とは8月15日。然もこの日を「平和祈念日」なら未だしも、「終戦記念日」と称していることに驚きを隠せない。

 大東亜戦争終結に関する詔勅の渙発は二日前の13日であり、内閣が署名し公布したのが翌14日。そして15日は録音による「玉音放送」が流された日だ。

 国民の多くはこの玉音放送があった日を「終戦記念日」と称し、保守派や右翼、軍事マニアらが靖國に参集しパフォーマンスを繰り広げる。

 靖國神社御親拝に相応しい日が大東亜戦争終結を決断遊ばされた日ではなく「終戦記念日」というのには些か違和感を覚える。

 なんちゃって愛国者らにはこうした勇ましい論文はウケが好いかも知れないが、近年の8月15日の動向に眉を顰めてる国民は少なくない。

 軍事オタクらがラッパを鳴らし行軍し右翼も同道。営業保守は靖國で儲け政治家は保守票欲しさにパフォーマンス。外ではキチガイ集団の反天連がデモを繰り広げ右翼と揉み合いに。こんな状況下で陛下の御親拝など叶う筈があるまい。

 御親拝への実現の為に、日本国民が有する「請願権」を行使することが肝要だと訴えるが、請願権を行使したところで解決されることはない。

 政治問題化した靖國神社を政治的請願権に基いて御親拝を強行することになれば、それこそ目先の改憲同様、禍根を残すことになるだろう。

 総理や閣僚が参拝することで靖國が騒がしくなるなら、政治家なんぞ靖國にかかずらって欲しくはないというのが正直なところ。

 いっそのこと千鳥ヶ淵墓苑を米国のアーリントン墓地の様に造り直し、国立戦没者墓苑を創れば好いし、政治家はそっちに行けば好い。

 陛下が御親拝遊ばされる環境創りとはそういうことでもあるし、多くの国民は千鳥ヶ淵ではなく靖國神社に詣で英霊に感謝の誠を捧げるだろう。

 首相や閣僚の参拝を合法化するならば靖國神社の「宗教法人格」を外し、国で管理すれば好いだけの話しなのだが、自民党は「靖國法案」の提出を出すこともなく、請願権の行使という国民への丸投げ、国民への他力本願に同調する気か。

 小堀は「日本会議」に参画し思想的な拠所となった人物だが昨今の保守ブームの火付け役といって好いだろう。だが、営業保守的傾向が拭え切れず、こうした論説はなんやって保守を喜ばせるが、一方で世論を撹乱するだけだ。

 陛下の譲位にしても、結局、阻止出来なかったのは保守派の抵抗が甘かったからで、中途半端な認識と論説が反天皇勢力に付け入られることとなった。

 陛下の御親拝を望むのは日本国民なら当然だが、8月15日は全国戦没者追悼式の帰りに靖國に立ち寄るというのは序でに参拝という感じが拭えない。

 それこそA級分祀論で国民を誑かし、公式参拝というパフォーマンスを行うも結果的に靖國を貶めることとなった中曾根康弘と同じではないか。

 先の大戦で散華された英霊を含め246万6千余の全御祭神の御霊を鎮めるのに相応しい日は、春秋の例大祭や桜満開の季節が好い。

 今年は戊辰の役150年に当たる。明治2年、靖國神社が明治天皇の思し召しにより創建された。その合祀対象は、「皇軍に役立ちして、賊徒等を討たん其の義に・・・命果てぬる輩」と、三条実美の祭文に明示されている。

 この祭文の原則がある限り、会津藩や我が二本松藩、或いは西南の役での西郷軍関係者などが祀られることはなく、未来永劫 「賊軍」の儘なのだ。

 靖國神社が戦没者の顕彰を重んじる神社であるなら、鎮霊社という別なカタチで祀ることと、本殿に祀ることと、そのどちらが時代に即して天皇(すめろぎ、すめらぎ)が顕現される道なのか言わずとも分かるだろう。

 明治天皇の思し召しにより創建された神社がいつまでも死者の選別を続けることは日本人の死生観にもそぐわない。

 官軍である長州閥の下で創られた靖國神社の在り方を見直す時期に来ている。先ずは鎮霊社という死者の選別を止めよ。さすれば靖國の在り方が世界に知れ渡り、陛下の御親拝の道も近付くことだろう。

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2018年10月08日

教育勅語の否定は敗戦コンプレックスと戦後民主主義教育の踏襲

 最近の地元紙は赤旗と間違えんばかりの左翼の論評のオンパレード。読者投稿欄には「オール沖縄」を称え、知事選の結果を尊重しろといい沖縄の経済疲弊は政府に在るという。そして極めつけは「日曜論壇」というトンデモコラム。

 福島民報新聞のコラム「日曜論壇」は左翼人士が己の妄想を垂れ流し読者を誑かす。今回は国立歴史民俗博物館名誉教授の左翼活動家のばあさん。

 柴山文科大臣は左翼記者からの質問に答えただけで、自ら率先して教育勅語を教育現場に持ち込もうと述べたものではない。そうした趣旨を曲解し、記者との都合の好い部分を切り貼りして我田引水的に論っている。

「私たちは小学校で教育勅語を暗記させられ、君(天皇)や国の為に喜んで命を捧げる様に教育された経験を持つ」という。教育勅語は正に国民をマインド・コントロールした最大の道具だったと語る。

 このばあさん、教育勅語を暗記させられたという。だが、教育勅語が渙発されてのは明治23年10月30日。大東亜戦争前に創り上げたものではない。

 明治維新で「日本国」が出来た。日本の成り立ちを思い致し、これからの日本人はこういう生き方をしていこうという決意でもある。「朕爾臣民ト共二拳拳服膺シ」と在る様に、天皇自ら率先垂範したことでもある。

 何故に「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ」ばかりが強調され「戦争に繋がった危険思想」と否定され、先の大戦を罵るのか。

 日清戦争は教育勅語渙発後の明治27年、日露戦争も明治37年と教育勅語の渙発後に起こったことだ。つまり、教育勅語が戦争を引き起こし、国民を巻き込んで惨禍を齎した元凶であるとの認識は矛盾する。

「父母二孝二兄弟二友二夫婦相和シ朋友相信シ」を否定し、「一旦緩急アレバ義勇公二奉ジ」の部分ばかりを論っているが、要は敗戦コンプレックスからの妄想であり、未だに米国が謀った戦後民主教育の洗脳状態に在る。

 左翼や共産党シンパというのは、口では反米や反基地を唱えながら憲法や民主主義教育など都合の好い部分は米国を利用する。正に珍左翼(笑)

「私たちは小学校で教育勅語を暗記させられ、君(天皇)や国の為に喜んで命を捧げる様に教育された」というが、ならば天皇や国の為に命を捧げたという英霊に対して感謝の言葉を捧げたことはあるのか。

 国家の危機の要請に応じ、敢然と戦場に赴いて戦い散って逝った英霊に対し感謝の誠を捧げることは思想信条抜きに何処の国でも国民でも当然のことだ。

 教育勅語も靖國神社も同列に準え、己らだけが先の大戦の犠牲者の如く振る舞い「軍国主義の復活」などと訴えているが、そんな米国価値観に応えた偏狭な妄想の押し付けを日本人として恥ずかしいと思わないか。

 世界のどんな国も「英霊」には最大の名誉が与えられている。例えば、米国歴代大統領は、アーリントン国立墓地に於いて、「負けた戦争」であるベトナム戦争をも取り上げてその英雄的な精神を賞賛する。

 ところが皮肉なことに、我が国は先の大戦を負の遺産と考え、国の礎となった英霊の方々は国家から顧みられることが少ない。このことがどれだけ国民精神の頽廃を招いているのか、政治指導者やマスコミは考えたことがあるだろうか。

 愛国心の欠落、その結果としての国防意識の低下、日本人としての誇りや自信の喪失、子殺しや親殺し、等々、日本の社会に蔓延する問題の全てはそうした英霊への軽々しい扱いに起因していると言っても過言ではない。

 九段の靖國の社に眠る神々は、我々が忘れがちな公の精神の体現者である。自分の欲望を追求するだけの身勝手が蔓延りがちな社会で、その対極にあって国家そして我々の為に命を捧げた方々が神となって鎮まり給うのである。

 教育勅語を信じるのも否定するのも思想信条の自由だが、左翼人士らの被害妄想的主張にはうんざりする。先の大戦にしても功罪や成否はあるだろうが、何時までも被害者ヅラして負の部分だけを論っていては国民から支持は得られまい。

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2018年10月05日

「一旦緩急アレバ義勇公二奉ジ」を論う左翼らの敗戦コンプレックス

 第四次安倍改造内閣で文科大臣に就いた柴山昌彦が、悪意ある記者から教育勅語の認識を問われ、「現代風に解釈され、或いはアレンジした形で、道徳などに使うことができる分野というのは十分にある。普遍性を持っている部分が見て取れる」と述べたことが、悪意的に報じられ批判されている。

 昨年、森友学園問題が騒がれ出した時も、野党らは籠池理事長らの教育勅語教育を否定していた。幼児に教育勅語を唱和させてる光景には愚生も違和感を覚えた。しかし、嗤えることに野党らは反安倍で籠池とタッグを組んだ。

 道徳教育で大事なものは幼年期の「躾」であり、道徳を論理的に捉えるのではなく、学んだことを如何に実践するか、如何に行動で表せるかが大事だ。そういう意味でも教育勅語の理念を現代風に分かり易く教えることは間違いではない。

 教育勅語を否定する連中の多くが「勅語とは天皇が臣下に対して発する言葉で憲法違反である」「教育勅語は、軍人勅諭、戊申詔書、青少年学徒勅語、その他の諸詔勅と共に既に廃止せられその効力を失っている」という。

 ならば、日本国憲法も昭和天皇の御詔勅により臣下(国民)に渙発されているのだから、無効ということで宜しいか(苦笑)

 教育勅語は明治23年10月30日に明治天皇より渙発さられた教育理念であり、何故に「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ」ばかりが強調され「戦争に繋がった危険思想」と否定されるのか。こうしたことも米国主導の戦後教育を妄信してる故の結果だ。

 日清戦争は明治27年、日露戦争も明治37年と教育勅語の渙発後に起こったことだが、教育勅語が戦争を引き起こし、国民を巻き込んで惨禍を齎した元凶であるとの認識とは矛盾する。教育勅語の否定は反天皇運動と同列である。

 別に天皇の為に死ねと言ってる訳でもなし、国の為に犠牲を覚悟で戦うことが何故にダメなのか。自分達の国や郷土、愛する者の為に戦うのは当たり前のことだろう。それとも未来永劫、米国に助けを求めろとでもいうのか。

 教育勅語を否定する野党や左翼勢力は教育勅語の徳育でも中心的な「父母二孝二兄弟二友二夫婦相和シ朋友相信シ」を否定し、「一旦緩急アレバ義勇公二奉ジ」の部分ばかりを論う。要は、敗戦コンプレックスからの妄想でしかない(笑)

 親への孝養や兄弟愛、夫婦相という家族を大事にし、友人との信頼関係を深め、博愛精神や学ぶことの大切さ、自分の特技を生かし世に貢献し、法律を守ることは正しく普遍的な教えであり、日本人としての高邁な精神こそ道徳の根幹だろう。

「博󠄁愛衆ニ及󠄁ホシ學ヲ修メ業ヲ習󠄁ヒ以テ智能ヲ啓󠄁發シ德器󠄁ヲ成就シ進󠄁テ公󠄁益󠄁ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵󠄁ヒ」という日本人として当たり前の努めの文言を「一旦緩󠄁急󠄁アレハ義勇󠄁公󠄁ニ奉シ以テ天壤無窮󠄁ノ皇運󠄁ヲ扶翼󠄂スヘシ」と、一身を捧げて皇室国家の為に尽くせというのは我田引水的解釈も甚だしい。

 柴山文科相が述べた「現代風に解釈され、或いはアレンジした形で、道徳などに使うことができる分野というのは十分にある。普遍性を持っている部分が見て取れる」という解釈の何処が間違ってるのか。悪意的に取り過ぎだろう。

 我が国は、天皇を族長と仰ぐ君民一体の家族国家であり天皇即日本、日本即天皇の天皇国家である。この国體の精華は万邦類を見ないところである。

 従って陛下の御代が栄えることは即日本が栄えることを意味する。国柄を守るということは皇統を護ることであり、それの何処が不都合なのか。

「義勇公二奉シ」を批判する一方で、国家の大本である防衛を担っている駐留米軍を批判する野党やアホ左翼らには厭きれるしかない。

 国家、つまり日本とは天皇の国であり、国民の多くは一旦緩急になれば身を挺して天皇や国家という大それたことではなくても愛する者を護るだろう。

 政府が教育勅語を使用することを否定しないのは、明治天皇の詔勅である教育勅語を信じるのも思想信条の自由であると認識しているからだ。

 教育勅語を否定する勢力はアホな護憲派ばかりだが、自ら憲法20条第3項に違反していることさえ気付かない。護憲派とは誤憲派というのが正しい(苦笑)

 教育勅語を普及している明治神宮への参拝者数は毎年日本一。教育勅語を否定してる連中は明治神宮に行ったことも無いのか。多くの国民は教育勅語を自然に受け容れており、違和感を唱える連中にこそ違和感と嫌悪感を覚える。

 来年の参院選挙では改憲の是非が問われる。ならば教育勅語に関してもその賛否を問うてみたら如何か。アホ野党の売国ぶりが露わになるだろう。

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2018年10月03日

第四次安倍改造「全員野球内閣」発足

 第四次安倍内閣は陛下からの認証を経て発足した。大臣の認証式は天皇の国事行為だが、コロコロと政権が代わって時代に比べれば、安定政権が続くというのは陛下の御公務も減り、何より諸外国からの信頼も深まる。

 会見で安倍首相は「直面する最大の課題は国難とも言うべき少子高齢化だ」と強調し、全世代型社会保障制度改革の実施を強調した。

 少子高齢化というと子供の出生率が低く、このままでは経済が破綻するかの言い様だが、高齢化の皺寄せを次世代に丸投げすることは赦されない。

「人口が減れば労働力が減り国力も低下する」などとは営利主義の経済団体の口実に過ぎず、喩え1億人を切ろうが、7000万人ほどになろうが、多民族を殖やして国柄が破壊されることだけは阻止しなければならない。

 世界中が嘘八百並べても日本だけは絶対にしない。そういう意味では孤高の日本で好いし、労働力不足を口実に不法移民を殖やすべきではない。

 少子化というがそういうことになるのは既に分かり切ってたことだ。少子化が原因で経済成長が鈍るならそれはそれで諒とするべきだし、営利至上主義の新自由主義の限界を悟り、代わりに国家や日本人としての自信や誇りを取り戻すべきだ。

 安倍は新内閣を「全員野球内閣」と命名。女性閣僚が片山さつきの一人だけで、女性の社会進出からもギャッくしてるなどと批判されてるが「ソフトボール内閣」なら未だしも野球となれば女性が少ないのは当然か(笑)

 総裁選挙後に言われていた石破派の冷遇はせず、石破派の山下貴司を法務大臣として起用したが、流石に長期政権ともなると狡猾さも見え隠れする。

 山下は岡山県岡山市出身。東大在学中に司法試験に合格。東京地検特捜部勤務の経験もあり、外交官として慰安婦訴訟や戦時捕虜訴訟を担当し勝訴。憲法改正での国民投票の実施に前向きで、死刑制度も容認している様だ。

 総裁選では安倍と石破の憲法論、特に第9条の認識には隔たりがあった。山下は石破の憲法解釈を重んずるなら内閣不一致の謗りは免れない。

 安倍の石破派潰しか、強かな戦略か。石破派ではこういう人材が埋もれてしまうが、安倍の起用で若手政治家の活躍の場が広がることは我が国の政治にとっても明るい兆しだと思う。

 安倍首相は憲法改正や社会保障制度ばかりで、党綱領に在る教育基本法の改正を如何に行うか、生まれた国に誇りの持てる国際感覚豊かな志高い日本人を育む教育を如何に施すかは、カネの分配ばかりで中身が語られないのは残念なことだ。

 憲法改正は国民の過半数の同意を得て成り立つ訳で、安倍の改憲論の是非は兎も角として憲法議論も活発化させるのは当たり前のこと。

 また、世界情勢が変化する中で新たな日米同盟の構築や中共を始めとする我が国と敵対する近隣諸国との外交戦略も見直すべきだろう。その為にはやはり自主憲法を整備し、海洋国家としての防衛網の充実を図ることは当たり前のことだ。

 安倍政権での消費税10%は避けられない様相だが、財政難を理由に国民負担を強いるなら、その前に政治家自らが身を削るべきだろう。

 その為にも国民から詐取している政党交付金(政党助成金)を返納し、政党助成法を廃止すべし。「政治家は塊より始めよ」とは正しく今だ。

 早々に臨時国会が召集される。安倍内閣の残り3年での総仕上げがどうなるかは定かではないが、国会では与野党の活発な議論を期待したい。

 然し乍ら、学習能力に乏しい野党はいつもの様に森友・加計、官僚の不祥事に託けて国民不在の論争が繰り返されるのかと思うと気が重い。我が国の政治が三流から脱し、真の主権国家になるのは何時のことやら。

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2018年09月29日

本日は「反中共デー」。対中外交を改め、台湾との国交を恢復せよ!

 昭和47(1972)年9月29日、田中角栄は「日中共同声明」に調印。中国共産党を唯一の政府であると認め、主権回復した昭和28(1953)年4月28日に締結した国際法規である「日華国交条約」を一方的に破棄した。

 これを受け中華民国は直ちに我が国との国交を断絶。我が国が台湾を国家として認めていないのは我が国の国際条約の蹂躙が原因であり、主権国家として実に恥ずべきことで、断じて赦されるものではない。

「日華国交条約」を破棄は終戦間際に「日ソ中立条約」を一方的に蹂躙したロシアの蛮行と同じであり、道義国家日本が失墜した象徴でもある。

「日華国交条約」の破棄は明らかな日本国憲法98条違反だが、公然の憲法蹂躙に対して護憲派からもマスコミからも糾弾されたことは一度もない。

 田中は更に「先の大戦で中国国民に重大な損害を与えたことに、責任を痛感し、深く反省する」と詭弁を弄した。だが、我が国が先の大戦で戦ったのは「中華民国」であり、戦後4年も経って建国した「中華人民共和国」ではない。

 田中が幾ら詭弁を弄そうとも、先の大戦での賠償は「日華国交条約」締結を以て終わっているのだ。田中のこうした誤ちと歴史認識が、今でも悪しき前例となり現在も受け継がれ、中共への優遇措置が講じられている。

「河野談話」や「村山談話」を糾弾する声はあるが、抑々、我が国の土下座外交と自虐的歴史認識は田中角栄の「日中共同宣言」が元凶なのである。

 多くの国民は「我が国と支那の関係を「一衣帯水」だとか「古くからの隣人」などと心得違いをしている人が多いが、日中間に国交関係が樹立されたのは20世紀に入ってからで未だ100年も経っていない関係である。

 況してや、中華人民共和国(中共)との国交は44年しかなく、我が国と戦争もしていない中共が戦勝国として国連の常任理事国に就いていることが摩訶不思議なことで、本来、戦勝国は中華民国であり台湾だろう。

 親中派は常々「日中は同文同種、一衣帯水の関係」との認識を示すが、これは全くの誤りであり、無知以外の何ものでもないが、こうした認識こそ中国共産党の策謀に嵌っている証左の一つでもある。

 607年、聖徳太子は小野妹子を隋に派遣し対等外交に踏み切り、後に蘇我氏を滅ぼした中大兄皇子らが645年「大化の改新」を実現する。

 天智2(663)年、唐・新羅連合軍に攻撃された百済は日本に救援を求めると、我が国はこれに応じ出兵した。これが世にいう「白村江の戦い」である。

 応援に出た日本軍はこの海戦で大敗を喫し、この敗戦を機に我が国は中華圏との正式な外交を絶つこととなった。

 白村江の海戦で大敗を喫し、生き残った者は捕虜となった。その中の一人、大伴部博麻は「唐が日本を攻める」という情報を得るも日本に知らせる術もなく、自らを奴隷に売って金を作り仲間を帰国させこの危機を知らせた。

 これが持統4(689)年の事であり、その後、博麻が帰国したのは白村江の戦いから何と30年後のことだった。帰国後、持統天皇が博麻の功を顕彰する。

【朕 その朝を尊び国を愛ひて 己を売りて忠を顕すことを嘉ぶ】(日本書紀)

 これが「愛国」という言葉の由来であり、軽々しく日の丸を掲げて勇ましい行動を採ることが愛国というものではない。

 我が国が国書を携えて派遣したのは「倭国」としてであり、「日本」と名乗ってからは一度足りとも正式な国書を携えた外交はなく、親中派の「一衣帯水」「同文同種」という認識は実に軽々しいものと言わざるを得ない。

 明治4(1871)年に「日清修好条規」を結んだ相手は満州人の清朝であり、支那を支配していたが漢民族の国ではなかった為に、支那との正式な外交は、明治45(1915)年の「中華民国」誕生まで待たなければならなかったのだ。

 毎年9月29日は、右翼民族派陣営が中心となり「反中共デー」の運動が全国で行われている。だが、数十人、或いは数人の左翼集会を取り上げるマスコミはこの運動を一切無視し報道されることはない。

「反中共デー」運動の輪が広がることで日中の歴史的経緯が明らかになり、台湾との国交恢復が成されることを願って止まない。

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2018年09月26日

「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は始末に困る者なり」と言うが

 一昨日は会津に墓参りに行ったので白虎隊士が眠る飯盛山に詣で様かとして向かうも、白虎隊の慰霊祭と重なり激混みで断念。

 会津藩が降伏したのは明治元年9月22日、その10年後の9月24日、西郷隆盛が西南戦争で敗れ城山で自刃する。歴史とは実に異なものだ。

 会津戦争は西軍が若松城内に侵入してから降伏するまで約1ヶ月を要した。これを思えば無血開城せず江戸城で徹底抗戦していれば、その後の日本の歴史も大きく変わっていたのではないだろうかと思ったりもする。

 勝海舟と西郷隆盛の江戸城での談判と無血開城は侍としての士風を損なったばかりか、会津の悲運を生みこととなった。そういう意味でも勝海舟にしろ西郷隆盛にしろ言われてる様な傑物では無かった様に思えてならない。

 ロマン派を気取り、西郷隆盛を愛し「敬天愛人」を掲げ自己陶酔型の右翼や自称・愛国者らが好きな言葉にこんなセリフがある。

「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は始末に困る者なり。この始末に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり」

「金もいらぬ、名誉もいらぬ、命もいらぬ人は始末に困るが、そのような人でなければ天下の偉業は成し遂げられない」

「西郷南洲翁遺訓」第三十条や山岡鉄舟語録からの引用。自分が然も幕末の志士になったかの如くこの言葉に陶酔する。だが「国家の大業」や「天下の偉業」は政治家がやることで右翼がやることでもない(笑)

「命もいらず」というが終身保険に入って積み立てていたり、高目ばかりを夢見て「有名になりたい」「カネを儲けたい」という右翼人ばかりなのに(笑)

 また右翼でもないのに右翼の有名な人と知り合いになっただけで然も自分も右翼になったと勘違いしてる輩が多く、とても「艱難を共にする」奇特な人物などいやしないし、艱難などに遭遇してもきっと避けるに違いない(笑)

 第三十条は、この台詞の後に「然れども斯くの如き人は、凡俗の眼には見るべからず」と続く。凡俗の右翼人の眼にホンモノが映るとは思えない(笑)

「西郷南洲翁遺訓」では、第二十七ケ条が好い。

「過ちを改めるに自ら過ったとさへ思ひ付かば夫れにて善し。其事をば棄てて顧みず直に一歩踏出す可し。過を悔しく思い取繕はんと心配するは譬へば茶碗を割り其の欠けらを集め合せ見るも同じにて詮もなきこと也」

 まぁ、斯くいう愚生と言えばその昔は西郷隆盛に疑いもなく傾倒していたのも事実。でも、根が捻くれ者なので最近はチョッと穿った見方をしている。

 西郷隆盛の正式な名前は「西郷隆永」で「隆盛」というのは実は父親の諱(名前)。何故に「隆永」ではなく「隆盛」になってしまったのか。

 明治2年、戊辰戦争の奥羽戦線から帰京する西郷に宮内庁から御召状が出されることになった。この時、知人の吉井友実に西郷の諱を尋ねたところ「確か、隆盛じゃった」と答えことで、以後「隆盛」と称されることとなったという。

 帰京し、吉井に会った西郷は「あれは父の名でごわんか。わしの名は隆永じゃと、おはんも知っちょるじゃろう」というと、吉井も頭を掻きながら「ほんにそうじゃった」と詫び、二人は顔を合わせて大笑いしたという。

 その後、西郷は「隆盛」という名を否定も訂正もしなかったのは、吉井への気遣いと、西郷自身の大らかさだろう。こうしたことこそ「西郷(せご)どん」と誰からも愛される人柄だったことを偲ばせる逸話だろう。

 金言や格言の多くは経験から学んだものであり、自戒を込めた言葉故に相手に響く。西郷の言葉というのは余りにも綺麗過ぎて、桜田門外の変に参画した水戸藩士らを落胆させ女性遍歴多き西郷を美談にし過ぎている気がしてならない。

 まぁ、西郷隆盛の命日の一昨日夜、ほろ酔い気分の中で中秋の名月が輝く夜空を見上げながらそんなことを徒然と考えてみた。呵呵。

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2018年09月23日

彼岸会法要は日本独自のもので、天皇の詔して始められた行事だった

 本日は「彼岸の中日」、墓参りに行く人も多いだろう。「彼岸」とは雑節(ざっせつ)の一つで、雑節とは二十四節気、五節句などの暦日の他に四季折々の季節の移り変りを日本的に表した特別な暦日のこと。

 雑節には「節分」「八十八夜」「土用」「入梅」「半夏生」などがある。こうした歴日が日本の四季折々の麗しい情景を深める。

「春分」と「秋分」は、太陽が真東から昇り、真西に沈むので、西方に沈む太陽を礼拝し、遙か彼方の極楽浄土に思いを馳せたのが彼岸の始まり。

 現在では彼岸の仏事は浄土思想に結びつけて説明される場合が多く、浄土思想での極楽浄土(天国)は西方の遙か彼方にあると考えられている。

 春分・秋分の日を中日とし、前後各3日を合わせた各7日間(1年で計14日間)で、最初の日を「彼岸の入り」、最後の日を「彼岸明け」と呼び、この期間に行う仏事を彼岸会(ひがんえ)と呼ぶ。

 俗に、中日に先祖に感謝し、残る6日は、悟りの境地に達するのに必要な6つの徳目「六波羅蜜」を1日に1つずつ修める日とされている。

「六波羅蜜(ろくはらみつ、ろっぱらみつ)」とは大乗仏教における六種の修行で、菩薩が涅槃に至るための六つの徳目のこと。

 六つの徳目とは、施しという完全な徳「布施波羅蜜」、戒律を守るという完全な徳「持戒波羅蜜」、忍耐という完全な徳「忍辱波羅蜜」、努力を行うという完全な徳「精進波羅蜜」、精神統一という完全な徳「禅定波羅蜜」、そして仏教の究極目的である悟りの智慧という完全な徳「般若波羅蜜」。六度ともいう。

 それにしても、六つの徳目の中で持戒、忍辱、精進、禅定、智慧というのは言葉では理解すれど、これらを修めるとなれば容易ではない。

 その点、布施という施しは目に見えて分かるので、仏教の世界、特に昨今の葬式仏教や新興宗教の世界では「布施」ばかりが信心の裏返しであるかの様な、我田引水的な都合の好い解釈が罷り通っているのではあるまいか。

 施しという完全な徳とは、別に戒名を貰うのに坊主にやる御布施のことではない。自分より能力的に肉体的に劣る者、難渋している者、壁にぶち当たっている者に対し金銭的なものを含めて支えてあげることこそが施しというものだろう。

 波羅蜜とは「魔訶般若波羅密多(まかはんにゃはらみた~)心経」で始まる般若心経にも頻繁に出てくる言葉だから馴染みがあるだろう。

 般若波羅密多は「魔訶」、つまり尊いものであると、釈迦が弟子の舎利弗(シャーリーシ)に語った悟りであり、それを三蔵法師が訳した。

 文字数は題字を含め276文字しかない。内「空」が7回、「無」が21回、「不」が9回で、般若心経の教えとは「空」であり、その「空」「無」「不」を知り「空」に生きることに在る。因みに教育勅語は315文字。

 愚生的には、般若心経の「羯諦(ギャーテー)羯諦(ギャーテー)波羅羯諦(ハラギャーテー)波羅僧羯諦(ハラソーギャーテー)菩提薩婆訶(ボージーソワカ)般若心経」という、最後のどことなくラップ調のあの心地好い響きが好きだ(笑)

 意味は「さぁ皆一緒に、真の幸せの世界に行こうではないか!」という呼びかけだが、仏教徒というのは戒名さえ貰えば極楽浄土に往けると思ってる人ばっか。戒名とは御釈迦様の弟子になるということで、死んでからも修行なのだ(笑)

 彼岸会法要は日本独自のもので、天皇の詔(みことのり)として始められた行事であったが、祖先を供養する行事として定着するに至った。

 こうしたことも天皇と国民の繋がりを示す一つであるが、正に我が国は天皇の国であるということが窺い知れる。皇室は常に国民と共に在り、この「君民一体」こそが我が国體の精華なのである。

 因みに、彼岸会の「彼岸」は「日願(ひがん)」に喩えられ、仏教語としての彼岸は後から結びついたものであるという説もある。

 まあ、極楽浄土とは現世に在る。難渋する人に施し、持戒、忍辱、精進、禅定を積み、智慧を修めることこそ極楽浄土であり、死後の世界の極楽浄土や天国というのは釈迦やキリストが人の悩みや恐れを和らげる為に創った嘘だろうな(笑)

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2018年09月21日

相変わらずマスコミは安倍3選より「石破善戦」でアゲアゲだな(苦笑)

 安倍がダブルスコアで3選を果たした。石破が善戦したという論調で「地方票4割強」「参院選控え存在感」「劣勢予想覆す」などアゲアゲな論調が目立ち、一方の安倍はというと「完勝逃し揺らぐ求心力」と恰も惨敗したかの様だ(笑)

 地元紙の社説では馬鹿の一つ覚え宜しく「森友、加計学園問題など国民が知りたい件に関して説明責任を果たしたとは言い難い」と論じ、改憲でも「賛否が分かれ、議論が生煮えのまま国民投票になれば国論分裂の禍根を残す」と妄想する。

 それにしても驚くのは自民党員の4割強が石破支持とは驚く。投じた多くが安倍批判ということであれば、見方に拠ってはバランス感覚の好さとも思えなくもないが、こうした結果に旧態依然の自民党の姿を垣間見る(笑)

 石破は大東亜戦争のみならず第二次世界大戦をも「日本の侵略戦争」だと断じて憚らない。石破の歴史認識は戦後教育に毒された自虐史観の持ち主であり、こういう国家観御粗末な人物を支持する自民党員というのは歴史の大事を知らない。

「侵略戦争は怪しからんし侵略戦争の責任はA級戦犯に在り、その戦犯が祀られている靖國神社に参拝なんぞしない」「侵略国家として未来永劫、相手国が納得するまで謝罪しなければならない」という石破を支援出来る意味を知りたい。

 優柔不断な有権者の顔色ばかりを窺っている小泉新次郎は石破へ一票を投じた。「違う声を抑え付けるのではなく、党内の様々な声を強みに変えて欲しい」とその行動理由を語る。安倍への牽制とその詭弁は天性のものだろう(笑)

 また改憲推進本部長代理の船田元は白票を投じている。「改憲にギアを上げる首相に同調出来ない」との説明は全く以て意味不明と言う他はない。

 改憲は国民投票に拠って国民が判断を下せば好いだけで、改憲の世論が醸成されていなければ否決されるだけのことで。「国論分裂の禍根を残す」という地元紙の仰々しい論説もそうだが、国民の良識をそんなに信用出来ないのか。

 反対する勢力というのは改憲に限らず今回の総裁選挙でも明らかの様に一定数は存在する。改憲推進本部の本部長代理がこうした認識では、自民党というのは端から改憲や況してや新憲法の制定なんぞヤル気ないと謗られても致し方ない。

 自民党綱領には先ず「新憲法の制定」を謳い、そして「高い志をもった日本人を」として次の様に明記されている。

【私たちは、国民一人ひとりが、人間としての普遍的規範を身につけ、社会の基本となる家族の絆を大切に、国を愛し地域を愛し、共に支え合うという強い自覚が共有できるよう努めます。そのために教育基本法を改正するとともに、教育に対して惜しみなく資源を配分し、日本人に生まれたことに誇りがもてる、国際感覚豊かな志高い日本人を育む教育をめざします】

 本来であれば改憲ではなく新憲法の制定が道理。安倍の改憲論然り、それに難色を示す石破もまた自民党綱領の趣旨から逸脱してるとしか思えない。

 総裁選挙では互いに経済や社会保障に重点を置き政策を論じていたが、綱領に在る様な国際感覚豊かな日本人を育む教育論を語ることはなかった。

 自民党総裁としてやるべきものは「日本人に生まれたことに誇りがもてる、国際感覚豊かな志高い日本人を育む教育を目指す」ことであり、「世界一安心・安全な社会を創る」という綱領の実行である。

「積極的平和主義」を唱え「軍事力」の充実を図る為の改憲も大事だが、軍事力より歴史・伝統・文化、そして国柄と皇統を如何に護り抜くかが大事。

 領土主権を守ることは大事だが、軍事力イコール国防ではない。「国防」とは三島由紀夫が訓えた様に、領土主権の防衛だけではなく「それを亡くしてしまったら日本ではなくなってしまうものを守り抜くこと」に在る。

「国防」、つまり、国を護るということは国柄である民族、宗教、言語、​歴史、価値観、習慣、制度を護り、世界の中で最も優れた精神文化​や未来の子供達、そして何より「皇統」を死守し、未来に継承することである。

 つまり改憲し、自衛隊の存在を明記するということも大事だが、領土の防衛と同じ様に、否、それ以上に大事なことは将来を担う子供達への教育であり、教育論を無償化などの経済論で論じるとは本末転倒と断じる他はない。

 新自由主義を盲信し経済至上主義に奔る自民党を見ていると、所詮は「でもしか政党」の域から脱し切れておらず、「野党よりはマシ」程度で支持されているに過ぎない。陋習を排し、自民党粛正を急がねばならない。

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2018年09月19日

自民党総裁候補者・石破茂の大衆迎合主義と歴史認識を嗤う

 その昔は、政治倫理の確立や憲法論や防衛問題を理路整然と語る新進気鋭の政治家だった石破茂を買っていた。それだけに自民党を離党して各党を渡り歩き自民党に復党した石破を「可愛さ余って憎さ百倍」ではないが、言うこと成すこと、その立ち居振る舞い、人となり、人相まで嫌いになってきた(笑)

 そんな石破が祭日で混む銀座で街頭演説した。相変わらず諄く尤もらしい言いっぷりに思わず「そうなのか」と頷いてしまうが、具体的には何も語らない。如何にも今の安倍政権ではダメだという言い回しで大衆を誑かす。

「今、年収が180万円に満たない世帯が930万ある」と、ここまでは好い。だが『年収930万でどうして結婚ができる?どうして子どもが作れる?』」と畳み掛ける。自己満足してる故に自分の言い間違いにも気付いていない。こをネットで「そんなにあったら十分可能」だろと突っ込まれる。

 更に、先日亡くなった女優の樹木希林を利用しようと、低所得者を映画「万引き家族」に準えて「万引きしないと暮らしていけない。その人たちが働ける環境を作っていかないといけない」とアピールし、悦に入る。

 万引きで暮らしてるのは窃盗の常習犯くらいなもので、そんな家族は刑務所に行けばわんさといる。「働きたくても働けない」というのは単なる言い訳であり、そんな世帯を保護してくれるなら愚生も適用対象だろう(爆笑)

 働けるのに働かず万引で暮らそうという考え方が悪い。「万引しないと暮らせない家族」とはどういうことか。暮らせないのは自業自得、因果応報だが、そんな生活も「乞食の朝謡」とも言う様に気楽な生き方とも言えなくもない。

 被害者は万引き家族ではなく、窃盗に遭った被害者であり、正に石破の演説は、死んだ女優の映画さえをも政治に利用しようという大衆迎合主義そのもの。

 政治が国民目線に立った時というの、必ず国が滅ぶというのは世の常である。何故なら、国民の判断力は古今東西常に低く、その意見というのもその時代の風潮に流され、大衆に流され、実に幼稚で気紛れなものだからだ。

 政治とは国家観を重んじながら、国民目線とかけ離れた歴史観、人間観、世界観、時には高度な権謀術数を必要とするものなのだ。然し乍ら、石破には国家観や歴史観に乏しく、在るのは小沢に倣った権謀術数くらいなもの。

 いつの世も大衆の多くは無知で愚かであり、実に操縦し易く、そういう認識故に世論に媚びた言い回しで国民を取り込もうとする石破というのは旧態依然の政治家であり、その政治姿勢と戦後民主主義を多くの国民が胡散臭く感じている。

 77年前の昭和6(1931)年9月18日、柳条湖事変が勃発。「これが引き金となり日本は大陸への侵略を拡大させ、無謀な戦争に因ってアジアを中心とする諸国に多くの被害と損害を与えた」というのが我が国の歴史的認識である。

 だが、柳条湖事変に至るまでの中村大尉殺害、万宝山事件と呼ばれる朝鮮人農民と支那人農民の衝突事件の他、日本人に対する無数のテロ事件があったことを無視してはならない。正に第二次世界大戦前の我が国はテロとの戦いだった。

 昭和12(1937)年7月7日、盧溝橋事件から始まった「支那事変」も、盧溝橋で日本軍を攻撃してきたのは中国共産党の方だったというのは今や歴史的事実であり、我が国は「北京議定書」に基き在留邦人保護の為に軍隊を支那本土に駐屯させていただけであって、こうしたことは「侵略」とは言わない。

 盧溝橋での一発の発砲が、何故に大事件に繋がったのか。それには、それまでの無数のテロ事件と通州事件、大山中尉殺害事件を知らずしては語れまい。

 中でも、盧溝橋事件の約3週間後の7月29日未明に起こった通州事件では日本人が極めて残虐な方法で殺されており、日本が憤激するのは当然のことだった。

 石破は、第二次世界大戦を侵略戦争だと断じ「西欧列強も侵略国家ではありましたが、日本も『遅れて来た侵略国家』である」という認識を持っている。

 第二次世界大戦について、歴史家の多くは1939年9月1日のドイツのポーランド侵攻が始まりだとしている。また、1939年8月13日の上海での中国軍の因る日本海軍への全面戦争こそが第二次世界大戦の始まりだとする歴史家もいる。

 この中国軍と日本海軍との戦争と「満州事変」や「支那事変(日中戦争)」は明確に別な戦争であり、所謂「十五年戦争」と一線を画して論ずるべきであるが、何故か石破にしろ日本の歴史家共は上海での戦争を語らない。

 1936年以来、中国側は「抗日全面戦争」への意思が明確だった。他方、日本側は一貫して「不拡大方針」を堅持していたのはよく知られている。

 国際条約上の権利の下に上海に駐留していた僅か2500人の日本軍の海軍特別陸戦隊に対し、約10万人(12万人という説もある)以上の中国軍に因る攻撃に因って戦争が開始された日が「第二次世界大戦の始まり」とする主張の方が、歴史的に見ても正鵠を射ている様に思う。

 石破は中国軍の策謀には目を瞑り「侵略戦争は怪しからんけし、この侵略戦争の責任はA級戦犯に在り、その戦犯が祀られている靖國神社に参拝なんぞしない」という悍ましい歴史認識の持ち主で在り、侵略国家として未来永劫、相手国(中朝韓)が納得するまで謝罪していろという政治スタンスを採っている。

 石破は戦後の歴史教育を疑いもなく信じ、それを政治信条の主体としている故に国家観が乏しいのだ。こういう政治家が保守を自任すべき自民党に存在していることが戦後政治の象徴でもあるのだ。

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2018年09月18日

歴史というのは往往にして国家や時の政府の都合の好い様に改竄される

 我が国は1933(昭和8)年、国際連盟を脱退する。これは「満州事変により、中国に侵略した」という理由で、国際連盟規約違反とこじつけられて制裁決議が下される訳だが、これを不服として我が国は国際連盟を離脱する。

 戦後の歴史教育では「昭和6(1931)年9月18日、柳条湖に於いて南満州鉄道の線路を関東軍が爆破し、これを張学良軍の仕業として戦闘を開始、満州全域を占領して傀儡国家・満州国を建国した」と教わった。自民党総裁選挙に出馬してる石破茂もそんな戦後の米国主導の歴史教育を疑いもなく信奉してる一人。

 大東亜戦争のみならず、第二次世界大戦をも「日本の侵略戦争」だと断じて憚らない石破の歴史認識は明らかな戦後教育に毒された自虐史観の持ち主であり、こういう国家観御粗末な人物が自民党総裁候補とは自民党の人材不足の現れ。

 過去にも石破の主張に疑問を持った保守論壇界からも疑問が呈されているが、石破は全く聞く耳を持たないばかりか軽薄な歴史認識を披歴する。

 例えば、大手ホテルチェーン・アパホテルの懸賞論文で入選し航空幕僚長を解任された、所謂「田母神論文」への反論でも次の様に述べている。

「民族派の主張は歯切れがよくて威勢が好いものだから、閉塞感のある時代に於いてはブームになる危険性を持ち、それに迎合する政治家が現れるのが恐いところです。加えて、主張はそれなりに明快なのですが、それを実現させる為の具体的・現実的な論考が全く無いのも特徴です」

「東京裁判は誤りだ。国際法でもそう認められている。確かに事後法で裁くことは誤りですが、では今から遣り直しが出来るのか。賠償も一から遣り直すのか。『日本は侵略国家ではない』それは違うでしょう。西欧列強も侵略国家ではありましたが、だからといって日本は違う、との論拠にはなりません。『遅れて来た侵略国家』というべきでしょう」
 
「戦うも亡国、戦わざるも亡国、戦わずして滅びるは日本人の魂まで滅ぼす真の亡国」などと言って開戦し、日本を滅亡の淵まで追いやった責任は一体どうなるのか。ここらが徹底的に検証されないまま、歴史教育を行ってきたツケは大きく、靖國問題の混乱も、根本はここにあるように思われます」

 要は、石破の歴史認識は「侵略戦争は怪しからんし、この侵略戦争の責任はA級戦犯に在り、その戦犯が祀られている靖國神社に参拝なんぞしない」ということだが、それこそ石破の主張にこそ「それを実現させる為の具体的・現実的な論考が全く無い」ばかりか、侵略国家として未来永劫、相手国が納得するまで謝罪していろということなのだろう。

 石破は戦後の歴史教育を疑いもなく信じ、それを政治信条の主体としている故に国家観が乏しいのだ。だが、歴史というのは往往にして国家や時の政府の都合の好い様に改竄されるもので、中でも「満州事変」はその最たるものだろう。

「柳条湖事件」の翌年、国際連盟は事件解明の為に「リットン調査団」を派遣する。その「リットン報告書」では各国の思惑通り、関東軍の行動を正当な自衛行動と認めなかったが、翻って「この事変の誘因を、満州と中華民国の混乱と内乱に在る」との認識を示したことでも、一方的に我が国が断じられる理由はない。

 その上で、調査団は「満州に於ける諸問題は極度に複雑だから、この事変は単に一方的に侵略したという簡単な事件ではない。何故なら満州は、世界の他の地域に類例を見ない様な多くの特殊事情が在るからだ」と結論付けている。

 こうした認識の背景には、日露戦争後の正当な権益である租借地と、満鉄経営に対する不当な鉄道妨害や抗日活動、或いは日本人迫害が長期に亙って続いていた事実を、リットン調査団が十分に把握していたからであろう。

 更に調査団は、日本の権益については「日本人にとって対露戦争とは、ロシアの侵略の脅威に対する自衛戦争、生死を賭けた戦いとして永久に記憶され、この一戦で10万人の将兵を失い、20億円の国費を費やしたという事実を決して無駄にしてはならないという決意をさせた」とも言及している。

 日本本土も含めた自存自衛と膨大な投資を行った満州国の権益保持、そして在留邦人の生命を守る為には、「満州を紛乱した中華民国から切り離して安定させるしかなかった」と、事変に至る日本の偽らざる動機の一端を正確に伝えている。

 米国の元中華民国公使・ジョン・マクマリーも、「日本の安全保障の為には朝鮮半島と満州の安定が必要不可欠であった」といった要旨の言説に見られる様に、欧米の識者の中には事変直後から、日本の立場を擁護する意見があったのも事実。

 歴史を検証する上で大切なのは世界に蔓延る覇権主義の克服を主張すべきであって、他国の覇権主義に目を瞑り、一方的に自虐の淵に止め処なく漬かり込むことではない。戦後、新たな資料によって史実の全貌が明らかになって来ている今、何故に新旧資料を精査して公正な歴史認識を検証しないのか不思議でならない。

 満州事変の起因となった柳条湖事変が勃発した9月18日に合わせ、支那本土での「反日デモ」が行われるが、そこに歴史的公正さや正義は無く、単に中共政府の言いなりで騒いでるだけ。悲しい哉、日本人もまた、未だに国連(戦勝国)や米国の創り上げた歴史を鵜呑みにして目覚めようともしない。

 国連にしても米国にしても未だ戦勝国の論理で歪な正義感を振り翳し、石破の様な戦後民主主義者らがそれに追随する。だが、過去を振り返ってみてもアジアの動乱の原因はいつも時代も米国と共産主義だったことは歴史が証明するところ。

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2018年09月16日

それにしても石破茂の顔の劣化は酷いな

 自民党総裁選の論戦が本格派してきた。昨日、直接対決に臨んだ三選確実の安倍は「戦後71年、憲法改正に挑戦し新しい時代を切り拓く」と強調し「自衛隊違憲論に終止符を打つ」と、その意欲を語った。

 一方の石破は「国民に理解して貰うことが必要」「国民に誠実な説明なくして憲法を改正してはならない」と実質的な憲法改正棚上げを主張した。

 自衛隊の憲法明記も結構だが、第1条~8条の天皇の条項の見直し無くしての憲法改正は実質的な日本国憲法の固定化を意味する。

 そういう意味では安倍の安易な改憲論には疑問を感じており、やはり現憲法の無効を宣言し帝国憲法を復元改正することこそ好ましい。

 だが、石破の如何にも国民の合意が得られていないかの様な言い分は話の他。改憲に難色を示す公明党への秋波だろうが、国会は憲法改正の発議をするだけであって、実際に改正するか否かは国民投票を以て判断を下すのだ。

 国民が改憲の重要性を理解せず、必要性を感じなければ改憲が出来ないだけのこと。「国民に理解して貰うことが必要」というが、国民投票前の意思行動を「改憲」で統一するという意味であればそれは現憲法の否定だろう。

 初代の地方創生担当大臣であり、総裁選でも地方創生を訴え、国民に寄り添ってるかの様に振る舞うが、国民の良識を否定してるのは石破自身だ。また「誠実な説明」とは具体的にどの様にすれば好いのか理解し難い。

 石破というのは抽象的な言葉を羅列して如何にも正論の様に語ってはいるが中身が空っぽ。そんなところに苛立った安倍は「問題点を指摘するよりも具体的に政策を進めることが大事」と皮肉ったのには笑えた。

 安倍との違いを頻りに訴えてはいるが、自民党そのものを批判しているとしか思えない。選挙後は石破派の仲間と共に自民党を離党し、その立派な政策実現の為に反安倍勢力との連立を模索した方が有権者も分かり易い。

 どう見ても安倍圧勝にしか思えないが、新聞の自民党員や党友の支持動向調査では石破の支持が34.9%もあるのには驚くというより呆れてしまう。

 自民党の「立党宣言」には【社会的欠陥を是正することに勇敢であらねばならない。われらは暴力と破壊、革命と独裁を政治手段とするすべての勢力又は思想をあくまで排撃し祖国再建の大業に邁進せんとするものである】と記されている。

 自民党が立党精神に照らし合わせてみても、共産主義を行政権と連結せしめようとするあらゆる企画、あらゆる行動とすべからく対峙してきたとは思えない。

 男女共同参画社会、ジェンダーフリー、人権擁護法案、協働・共生社会、外国人参政権、外国人住民基本法案、極め付けは天皇退位法案、女性天皇容認論と女性宮家の創設など次から次へと策謀を重ねている。

 こうした行政側への共産主義の介入を奨めたのは悲しい哉、保守を自任する自民党だったというのは実に御粗末という他はない。 所詮、自民党とは野党の低支持率に肖った「でもしか政党」に過ぎない。 

 それにしても石破の人相の劣化が酷い。若手の頃はロンパリ(斜視しゃし)も野武士の様に見えたし、理路整然と語る姿を頼もしく感じたものだが、最近は歳のせいだけではなく、嫌みな厳しい怒りを含んだ顔になってしまった。

 あの顔で満面の笑みを浮かべられるとキモイ。小沢一郎や共産党の連中が有権者に振り撒くあの作った笑顔と同じで、何とも不気味としか言い様がない。人間の顔というのはある年齢以上になると不思議と心が顔に現れるものだ。

 石破茂は周知の通り小沢一郎を師として自民党を離党~改革の会に参加~新党みらい~自由党~自由改革連合を経て新進党に参画するも、その後に小沢との確執が露呈して自民党に復党した負の経歴を持つ。

 A級戦犯分祀論者で「靖國神社には何も知らなかった頃に参拝しただけで、靖國神社の事実を知って以降は参拝したこともないしこれからも参拝するつもりはない」と公言していることでも分かる様に保守を騙る戦後民主主義者。

 防衛大臣や拉致議連会長を歴任した石破だが、訪朝の際に喜び組を宛がわれ盗撮されたという。こういう醜男が日本の顔になることは有り得ない。

 米国16代大統領のリンカーンは「男は40歳になったら自分の顔に責任を持たなくてはならない」と訓えた。評論家の故大宅荘一は「男の顔は履歴書・女の顔は請求書」という言い得て妙な名言を遺した。

 自民党が下野し苦難した時代に党再建を牽引した安倍と比べるのも何だが、石破の顔には自民党を裏切り各党を渡り歩いた卑しさが滲み出ている。

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2018年09月15日

我が国もノルウェーやアイスランドに倣いIWCから脱退し商業捕鯨を再開すべき

 新聞に「商業捕鯨再開困難に」というタイトルが躍っている。読めばブラジルで開かれてる国際捕鯨委員会(IWC)総会で、日本が求めてる商業捕鯨が反対国の理解が得られず再開は困難になったというだけのこと。

 捕鯨に関してはIWCで、我が国の地道な調査と科学的データを明らかにしたことで孤立無援だった我が国への賛同国も徐々に増えていた。捕鯨問題は我が国外交史上、貴重な勝利事例になる可能性が見えていた。

 だが2年前、オランダ・ハーグの国際司法裁判所が「日本の現在の調査捕鯨は商業捕鯨であり条約に違反する」として調査捕鯨すら認められず、捕鯨停止を命令したことで調査捕鯨による科学データの開示という地道な活動が水泡に帰した。

 感情的に反捕鯨を叫び、己らの倫理観と偏狭な正義感を強要する反捕鯨国家と妥協点を見出すことは不可能なことで、調査捕鯨すら容認されないならばIWCから脱退し、ノルウェーやアイスランドを見倣って捕鯨を再開すべきだ。

 仮にIWCを脱退した場合「国際ルールを軽視したとの批判が避けられない」というが、日本が脱退すればIWCの存在価値も無くなるだろうし、南極海域での調査捕鯨が出来なくなるというが沿岸での捕鯨再開で調査捕鯨をする意味もなくなる。

「クジラは絶滅危惧種」というが実際にはクジラは品種にも拠るが、絶滅どころか殖えており、調査捕鯨でのデータをも無視して「クジラやイルカは人間に近く可哀そう」などと安っぽい感情論に訴える。

 映画「ザ・コーブ」では、和歌山県太地町でのイルカ漁を如何にも残虐な行為として描いた。デンマークの首都コペンハーゲンから北へ飛行機で2時間程のバイキングの末裔達が住む島フェロー諸島では鯨やイルカを追い込み漁で捕獲する。

 大半はゴンドウ鯨で、イルカは1~2割程度。年間850頭程捕獲されるが、捕鯨のシーズンは仕事を中断し、住民総出で行われる。獲れた鯨やイルカはその場で処理され、海は血で真っ赤に染まる。

 入り江の海が真っ赤に染まるシーンはショッキングではあるが、牛や豚の屠殺シーンを見たらショックのあまり卒倒するのではあるまいか。

「ザ・コーブ」が話題になった後、日本人女性監督が「ビハインド・ザ・コーヴ」を製作し、日本にとっての捕鯨やイルカ漁への重要さを訴えた。

 調査捕鯨によってクジラが殖え、資源回復が明らかになっているにも拘らず、こうした逆行する判決をすることこそが大きく環境を損ねることとなろう。

 地球上の鯨類が年間に捕食する魚類の総量は2億5000万トン~4億トンと言われる一方、世界の漁師の漁獲量はその半分以下の約1億トンに及ばない。

「鯨飲馬食」と言われるほどに食欲旺盛な鯨類が増え過ぎれば、人間が食料にしている水産資源も脅かされることとなるのは明らかで、食料自給率の乏しい我が国にとって捕鯨こそ推進すべき国策でもある。

 我が国が商業捕鯨を停止して四半世紀になるがそれほど昔のことではない。何よりクジラは我が国の文化でもあるのだ。

 日本で商業捕鯨が本格的に始まったのは江戸時代初期の1606年に遡る。紀州(和歌山)の太地で開始された商業捕鯨はやがて全国に広まり、それと共に鯨を食する習慣も全国に広まった。

 松尾芭蕉の句にも「水無月や鯛はあれども塩鯨」と詠まれている。塩付けされた鯨の肉は江戸庶民の大切なタンパク源で、大衆食として愛された。

 19世紀初頭には「鯨肉調理方」という本が出版されているが、鯨食というのはそれだけ普及していた食文化だったのだ。

 北海道や東北では正月に「鯨汁」を食し「ハリハリ鍋」にしている地域もあるし、大阪のおでんにはコロ、サエズリ、オノミといった具が入る。

 反捕鯨の連中は鯨食を「ゲテモノ」扱いしたり「戦中戦後の食糧難時代に止むを得ず広まったもの」だとか、遠洋漁業は「鯨油を採る目的だ」などと愚にも付かない反論をしている者までいる。

 だが、それは欧米の捕鯨は皮だけ剥いで鯨油のみを採るやり方だから、それと錯覚し勘違いしているものばかり。

 日本人はクジラを食するだけではなく髭は文楽の人形に使い、骨は櫛などの工芸品となり、漁師達は鯨塚を立て供養する、正に日本文化そのものなのだ。

 捕鯨問題の背景にはこういった日本の伝統的鯨文化の問題もある訳で「反捕鯨」や「反イルカ漁」は日本文化の否定でもあり、日本人への憎悪剥き出しの国が蠢くIWCで合意を得るのは不可能。商業捕鯨を強行すべし!

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2018年09月13日

サンデー毎日の記事「戦後の右翼はこう変わった」を読んでの雑感

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 サンデー毎日(9.23.2018号)に所属していた防共挺身隊(防挺)のことなどが載っているというコメントが寄せられたので暇潰しに読んでみた。

 安田浩一というジャーナリストが書いたもので、タイトルは「戦後の右翼はこう変わった」。どうってことない内容で、山口なんちゃらというシバキ隊と活動を共にする右翼がヘイト発言(ヘイトかどうかは定かではないが)を支持する某右翼から暴力を振るわれたとして愛宕署に被害届を提出。この行為を取っ掛かりに戦前戦後の右翼と現在の右翼の違いや右翼の在り方を問う内容となっている。

 基本的に右翼そのものを好意的な存在だという意識が働いてる様で直接的な批判は控えている。現在の右翼団体の活動を見れば、愛国(保守)ブーム便乗したポピュリズムが主と言えなくもないが、最近の右翼の活動に対する混迷や不作為、為体は右翼団体幹部や指導者の無能と比例する。記事ではそうした指摘は無い。

 況してやこの山口なんちゃら、苗字から山口二矢の親族を騙っていたことがあるという。疑問を持った山口二矢の親族の女性から問い合わせがあった。というのも山口なんちゃらにネット右翼と断定され、執拗に恫喝・暴言を繰り返され女性は怖さからSNSを止めた。この時、女性は被害届は出さなかったが、自分が突き飛ばされて早々に被害届を出すとは姑息過ぎる(笑)

 昨今は「街宣右翼は朝鮮右翼」などと批判される。批判してるのは記事にも出ている所謂ネット右翼や自称・愛国者だ。愚生が所属していた防挺は街宣右翼のパイオニア的存在で、設立当初は半分以上が在日朝鮮人が占めていたのは確か。幹部だった石川某や西原某の国籍は北朝鮮だ(笑)

 当時は「反共」が運動の主体であり、反共ならば朝鮮人だろうが関係なかった。抑々「街宣右翼」自体にそれほどの歴史はなく、日本を貶めてると言われるほど影響力も無いし、そんな右翼に貶められたとしても滅びる様な日本でもない。

 昭和30年代から50年代の左翼全盛時代、日本を貶めようとしていたのは左翼団体であり、それらを殲滅せんと対峙していた右翼陣営を、また高度成長期に企業防衛を果たしていた右翼を、現在の風潮や価値観で「朝鮮右翼」などと揶揄するのは簡単だが、街宣右翼の行動全てを断じられる謂れもない。

 戦前の右翼と戦後の右翼は全く違う存在だ。戦前の右翼というのは「国粋主義」的要素が強く、外国思想は全て悪と捉えるという考えであり、それは共産主義であろうが、資本主義であろうが、民主主義であろうが批判されるべき対象だった。

 戦後の右翼が国粋主義から「反共」のみに奔り、愚連隊の様な組織になってしまったのは右翼の巨頭と称された児玉誉志夫の影響が大きい。

「政財界の黒幕」と言われた児玉誉志夫だが、出身は福島県本宮町(現本宮市)。戦前は海軍航空部門の物資調達を任された「児玉機関」の親玉でもあり、戦後は「A級戦犯」としてGHQに逮捕された経歴もある大物右翼である。

 GHQは占領下に於いて、戦争を引き起こしたのは日本国内の右翼勢力だとして、右翼団体や危険人物を公職追放し潰そうとするが、大東亜戦争が終結するとアジアや世界各地で共産党による革命や暴動が起こった。

 日本国内でも同様で、共産主義に被れた連中が大手を振って延し歩く様になる。これを危惧したGHQは右翼解体の方針を転換し、右翼を「反共」に利用することにする。児玉と同じくA級戦犯だった笹川良一もこれに与した。

 児玉も笹川も、米国の意のままに戦前の右翼で在りながら戦後の「民主主義」や「資本主義」に与し、「共産主義」を悪として反共運動を忠実に実行した。児玉や笹川が米国のスパイと言われるのはその所為でもある。

 児玉は「児玉機関」で貯め込んだ潤沢な資金を基に全国の博徒や香具師を纏め上げ、右翼団体を次々と立ち上げ「日教組撲滅」などの反共運動を展開する。

 右翼の掲げる「憲法改正」や「北方領土奪還」「靖國神社国家護持」「自衛軍備強化」などのスローガンにしても、自民党を始めとする保守派のものと同一なのは戦後の右翼が自民党の「院外団」的存在として設立された名残でもある。

「戦後の右翼はこう変わった」の記事で気になったのは、防挺を設立したのは福田素顕となってたが、防挺に30年所属してて初めて聞いた。

 福田素顕(本名・福田狂二)は、元社会主義者で弾圧を受け支那に亡命し、国共戦で敗れると蒋介石と共に台湾へ。後に日本へ戻り、国家社会主義者へ転向し「日本労農党」「進め社」などを設立した人物。初代防共新聞社社主。

 素顕が防共新聞の宣伝部隊として行動部隊の設立に関わったことは間違いないが、防挺は大日本愛国党の城南支部も兼任しており、素顕が設立したというより長男の福田進が設立し初代総隊長に就いた。因みに福田進は赤尾敏と袂を分かつ。その際の理由は「赤尾は完全な資本主義者だ」と断じている。

 記事には街宣で音楽を鳴らしたのは防挺が「ちゃんちきおけさ」を流したのが最初と書かれている。詳しく言えば、福田総隊長が都知事選に出た際に目立つ方法はないかと蓄音機を宣伝車に載せて流したのが始まり。

 今の様にカセットやCDなんて無いから走ると針が好く飛んだという。でも、この話を知ってるのは当時一緒に行動してた元幹部から直接聞いた愚生くらいなもので、あの記事のあの「ちゃんちきおけさ」の件は愚生のブログ(http://cordial8317.livedoor.blog/archives/51904013.html)などからのパクリだろう(笑)

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2018年09月07日

「北海道胆振東部地震」で火力発電のもろさが露呈した!

 北海道胆振地方を中心とする地震での被害は時間を増すごとに拡大の一途を辿っている。一人でも多くの命が助かることを祈らずにはいられない。

 今回の地震を受けて一面や社会面では、泊原発の1~3号機の使用済み核燃料などを貯蔵中のプールの冷却に必要な外部電源が喪失したと報じている。

 反原発のマスコミは「原発の思わぬもろさが露呈した」と問題視し、また人災といわれる福島原発事故の張本人である菅直人も「福島原発事故の教訓を生かし切れていない」と批判していが、菅に原発云々を語る資格はない。

 テレビ朝日は「泊原発が再稼働していたら非常用発電機で原子炉の冷却をしなければならなかった」と、然も再稼働をしていなかったことが幸いの如くに報じているが、原発が再稼働していれば今回の様な停電は防げただろう。

 今回の地震では震源地から100キロ離れた火力発電が停止した。この火力発電の停止によって道内全域の停電が起きた訳だが、それこそ「火力発電のもろさが露呈した」というのが正しく、火力発電はあくまでも原発再稼働までの繋ぎなのだ。

 我が国は正に電力によって生活や経済が成り立っており、電力の喪失イコール混乱を意味する。基幹エネルギーとなるべき原発が、くだらん感情論で停止していることは危機管理上からも大問題と断じる他はない。

 反原発派の坂本龍一が「高が電気の為に命を危険に晒してはいけない」と叫んだのは記憶に新しいが、命を危険に曝すのは停電に因るところが方が大きい。

 枝野幸男は過去に、衆議院予算委員会で「ホルムズ海峡が封鎖され石油が入らなくなっても快適な生活が送れない程度」と語り、国民の失笑を買った。

 更に「油が8割止まると今と同じ様な快適な生活が出来ないけど、武力攻撃を受けた場合と同様ではない。直接人命が失われる様な事態ではない」とも語っているが、地震に因る電力喪失で命の危険に直面していることをどう思ってるのか。

 原発事故後、国内の原発が停止し再生エネルギーの名の下に森林が破壊され太陽光パネルが乱立するも基幹エネルギーには成り得ない。

 原発に代わり火力発電を中心とする化石燃料による電力に移行したが、経済の低迷は明らかに原発停止による影響は大きく、原発停止による弊害は大きい。

 原油輸入に言及するならば、ホルムズ海峡の封鎖は我が国の死活問題であり、火力発電に依存せず原発再稼働を検討するべき時期に来てるのではあるまいか。

 枝野は「我が国には備蓄があるではないか」と指摘していたが、万が一、シーレーンを封鎖された場合、我が国の電力供給は数か月程度しか持たない。

 シーレーンの封鎖どころか原発再稼働が躊躇される中で、火力発電所がテロの標的になれば福島原発事故以上のパニックが起きるのは必至で、これ即ち「間接的に人命が失われる」危機でもあるのだ。

 所詮、反原発派や極左等の狙いは革命にある。福島原発事故を論い、放射線の恐怖を煽り、社会の不安と混乱、秩序の破壊、そして大衆を洗脳し暴徒化させるのが目的である。革命分子を鎮静化させる為にも原発再稼働を急ぐべし。

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2018年09月04日

西軍に因る東軍への仕打ちと不条理は150年経った今も遺恨として癒えることはない

 地元紙では「戊辰150年」特集が組まれている。第三章~信義を貫いて~では、岐阜県郡上藩の「凌霜隊」に関する特集記事が載っていた。

 会津藩と共に義に殉じた藩というと三重の桑名藩や越後の長岡藩は知ってるが、岐阜の郡上藩のことは知らなかった。

 戊辰戦争が起きる1年前、郡上藩主・青山幸宜は幕府から徳川慶喜の警護を命じられる。藩主は代わり筆頭家老を差し向ける。

 将軍の警護を命じられた翌年、戊辰の役の前触れとなる「鳥羽・伏見の変(戦い)」で幕府軍が敗れると、地元では西軍への恭順を示す。だが、江戸にいた藩士らは東軍支援に向けて藩士有志らで「凌霜隊」を結成する。

「凌霜(りょうそう)」とは「霜を凌ぎ、花を咲かせる野菊の様な不撓不屈の精神」という意味で、藩主の家紋「葉菊紋」に由来する。

 隊長は朝比奈茂吉。江戸家老の長男で弱冠17歳。慶応4(1868)年4月、朝比奈らは江戸を出立し、千葉県行徳、栃木県宇都宮を経て会津藩の領地に入る。

 会津下郷での「大内宿の戦い」、会津美里の「関山の戦い」を経て会津城内西出丸の守備に就き、会津藩が上洛した9月21日翌日まで抗戦したという。

 凌霜隊の武勲を顕彰した碑が会津若松市内の飯盛山に建っている。白虎隊の墓には今も線香の煙は絶えることはないが、ほど近くに在る「郡上藩・凌霜隊之碑」碑に足を止める人はまばらだという。

 岐阜というと西軍の大垣藩しか知らなかったが、こうした義を重んじ殉じた藩がいたことに感服。近々飯盛山に参じ感謝の誠を捧げたい。

 因みに、東京都港区青山という地名があるが、これは郡上藩主の江戸屋敷が在ったことから付けられたという。

 150年前「鳥羽・伏見の変」に始まった戊辰の役(戊辰戦争)と呼ばれる国内戦争はその後、激化を極める。慶応4年8月21日(旧暦)、母成峠が戦場となり、東軍と西軍との間で烈しい攻防戦を繰り広げた。

 白河口の戦いを制し、二本松領を占領した新政府軍内では、次の攻撃目標に関して意見が分かれたという。

 大村益次郎は仙台・米沢の攻撃を主張し、板垣退助と伊地知正治は会津への攻撃を主張。板垣・伊地知の意見が通り会津を攻撃することとなった。

 本宮・玉ノ井村(現大玉村)に集結した兵を三分し、谷干城(土佐)率いる約1000名は勝岩(猿岩)口へ。板垣退助・伊地知正治率いる約1300名は石筵本道口へ。川村純義(薩摩)率いる約300名は山葵沢より達沢口へ一斉に進発した。

 これを迎え撃つ東軍の兵は僅か800名。勝岩口の勝岩上には大鳥圭介率いる伝習第二大隊及び二本松藩の約300名が守備に当り、勝岩下には新選組ら凡そ70名が配置し、土方歳三と山口次郎(斎藤一)がこれを指揮した。

 石筵本道口の第一台場(萩岡)、第二台場(中軍山)、第三台場(母成峠)には、会津藩主将の田中源之進と二本松藩家老の丹羽丹波と伝習第一大隊長の秋月登之助らの指揮する約400余りの兵が守備に当った。

 戦いは、萩岡の号砲を合図に、勝岩口と本道口に分かれ、午前9時頃からの始まった戦いは約7時間に及ぶも、圧倒的な兵力と火力の差は如何ともし難く、東軍は北方高森方面や西方猪苗代方面に敗退。

 西軍は十六橋を突破し、戸ノ口原を経て、怒涛の様に会津鶴ヶ城に殺到した。母成峠の戦いでの東軍戦死者88名、西軍戦死者25名。母成峠には、会津藩が構築した防塁、塹壕、砲台跡が今も整然と残っている。

 近くには東軍殉難者の慰霊碑があるが、この地で東軍の夥しい死体が発見されたのは近年であり、如何に薩長の西軍が非情だったかが伺える。

 8月23日、母成峠から会津領内に攻め込んだ西軍は会津藩との熾烈な戦いに及ぶ。 西軍が会津城内に攻め入ると、上席家老・西郷頼母邸では篭城戦の足手まといとなるのを苦にした母や妻子など一族21人が自刃した。

 徳川幕府への恨みの象徴でもあった会津藩が9月21日に降伏。この敗戦により西郷頼母・田中玄清・神保内蔵助が切腹し責任を負うところするところ、当初から恭順を示していた西郷は行方知れず。長男らと共に敵前逃亡した。

 神保と田中は城下での戦闘に於いて既に自刃していた為に、次席の萱野長修が戦争責任を一身に負って切腹している。それでも西軍は満足することなく、戦いは東北地方を北上し函館にまで及ぶこととなった。

 戦いは年を超えるも翌年3月、函館五稜郭で奮闘した榎本武揚軍が降伏し、日本人同士で戦った戊辰の役が事実上終結した。

 因みに西郷は長男と共に生き残り、維新後「同姓の誼で」と西郷隆盛に長男の職などを嘆願してるが、義に殉ずるべき上席家老としての誇りは無かったのか。死を以て武士の本分を示した白虎隊の行動と照らしてみても恥ずべきことだ。

 会津藩士の中で西郷頼母の生き様に倣うものは無い。 維新後、野に下らず立身出世を目指した榎本武揚然り、武士というより政治家というべきか。

「負けは必定なれど三春に倣うべからず」と義に殉じた二本松藩士や、「侍の時代は終わる」と知りながらも家老としての宿命を諒として藩命を重んじた河井継之助ら長岡藩士らこそ侍の鏡であろう。

 西軍に因る東軍への仕打ちと不条理は150年経った今も遺恨として癒えることはなく、我が国の戦後体制の諸矛盾や不条理は、尊皇攘夷とは程遠い明治維新を謀った長州閥中心の専制政治が元凶でもある。

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