2024年03月19日
国際常識を身に付ける為には先ず自国の国歌・国旗に敬意持つべき
京都市立小学校の卒業式と同中学校の入学式で、国歌斉唱を拒否した少女がネットで話題になっていた。母子で参議院議員会館を訪れ文科省職員に「日の丸・君が代」の強制をしないよう要請した。仲介者は日本共産党の倉林明子参議院議員。
「天皇制を認めたくない」という。「天皇制」とは共産党造語。現憲法で天皇の国事行為が明記されているが、この条項は天皇の政治利用であり、それを制度というなら理解するが、天皇は天皇であって制度ではない。天皇は祭主で在らされる。
少女は純粋な正義感から行動したのだろうが、共産党や日教組の優秀な生徒が革命を夢見た結果、死刑囚となった永田洋子や坂口弘である。洗脳の罪は重い。
この親子に限らず、日本人であり乍ら「君が代は天皇賛美」などと騒いでいる勢力がある。共産党や社会党、日教組や全教などの左翼の懲りない面々である。
天皇を賛美して何が怪しからんのか。我が国は天皇を族長と仰ぐ君民一体の家族国家であり、天皇即日本、日本即天皇の天皇国家である。この国體の精華は万邦類を見ないところであり、陛下の御代が栄えることは即日本が栄えることでもある。
君が代は
千代に 八千代に
さざれ石の
巌(いわお)となりて
苔(こけ)のむすまで
「君が代」は、我が国體の精華を格調高く歌い上げたもので、曲と相俟って厳粛にして荘重、世界に冠たる国歌である。「古今和歌集」巻七「賀の部」の「わが君は千代に八千代にさざれ石の巖となりて苔のむすまで」の一首からの出典である。
この詠の解釈は色々あるが、本意は、臣民が大君(天皇)の御代が栄えることを願い、祈ったものである。またこの詠が「讀人知らず」という草莽の民が詠んだというところに、我が偉大なる民族性を認識し、無限の感激を禁じ得ないのである。
万世一系の天皇を我が国元首として仰ぎ奉り、陛下の御稜威を国民生活の隅々にまで行き亘らせることこそが神武肇国以来の大理想であり、日本人の願望である。
君が代に反対する連中というのは、国旗・日の丸に対しても「軍国主義の象徴だ」とか「侵略の旗だ」と断じて憚らない。左翼というのは物事の見方が実に薄っぺらで、こうした日本人らしからぬ認識は健全な世論に逆行する屁理屈ばかり。
「君が代は統治者天皇賛美」「日の丸は侵略のシンボル」とするその根拠は何か。まさか真顔で「太平洋戦争の頃の様な暗い時代に逆戻り」などと言うのではあるまい。時代が戻るなら、江戸時代の様な丁髷を結って刀を差して歩く様な時代にもなるということか。そんなバカげた発言をいつまで繰り返すつもりなのか(笑)
「君が代は先の大戦を思い出させる」というが、米国の国歌は平和を願う歌か?中華人民共和国(中国共産党)の国歌「義勇軍進行曲」を読んでどう感じる?
立ち上がれ!奴隷となることを望まぬ人びとよ!
我らが血肉で築こう新たな長城を!
中華民族に最大の危機がせまる、
一人ひとりが最後の雄叫びをあげる時だ。
立ち上がれ!立ち上がれ!立ち上がれ!
我々すべてが心を一つにして、
敵の砲火に向かって進め!
敵の砲火に向かって進め!
進め!進め!進め!
では聞くが、日の丸が侵略の旗なら米英中の旗は平和の旗か?抑々、カトリックとは、アフリカ、アジア、アメリカ大陸への殺戮と掠奪の先兵ではなかったか?
残虐の全てはキリスト教の教義の下、初めはスペイン・ポルトガル王(カトリック)、後にはイギリス・オランダ王(プロテスタント)の命令で行われたのではなかったのか。教義の下であれば、その殺戮と掠奪さえ赦されるというのか(笑)
侵略主義の米国やヨーロッパ諸国、共産党一党独裁の中共の国旗・国歌を批判しないで、日の丸・君が代だけを否定することは矛盾と詭弁に他ならない。
我が国は、ユーラシア大陸で最初に朝日を迎える国である。稲作民族として日の神である天照大御神を崇め奉り、太陽信仰を持つのは自然なことである。そうした国家のシンボルに、「日の丸」を執ったというのも極めて自然なことであろう。
国の成り立ちや理想が「日の丸」の旗ほど一致する国は悠久の歴史を誇る我が祖国日本を措いて他には無い。赤丸は、太陽を意味し熟誠、活気、博愛、誠心誠意を現し、白地は清浄無垢を示し神聖、正義、純潔、平和、鎮静を意味する。
また、韓国が「戦犯旗」と批判して止まない旭日旗は、日章の位置が日の丸と同じく中央に位置し、皇室の紋章である菊花16紋章と同じ16条の光線を放つ。煌々と照らされる紅白の日の光が国中に行渡り、実に喜ばしく、美しく荘厳な旗である。
敗戦コンプレックスから、そうした国の成り立ちさえも忘却し、自虐史観を妄信して疑わないが、日本人として祖国日本の素晴らしさを再認識しては如何か。
我が国はいつの世も、その時の陛下の御代であり、いつの世にもそこには「君が代」の世界が存在し、それは存在し続けなければならないものなのである。そうした我が国の国柄を「日の丸」「君が代」「旭日旗」は見事に表している。
以前、サッカーの三浦知良選手(カズ)が、胸に手を当てて国歌斉唱する姿に朝日新聞の記者が批判めいた質問を浴びせた。その質問にカズは「自分の国の国旗や国歌に敬意を表さない人が、他国に対して敬意を表する事が出来ますか?」と応えた。
「卒業式の国歌斉唱の際に起立しなかった事を理由に、退職後に嘱託教員として雇用されなかったのは憲法違反」としてアホ教師が訴えた裁判について、最高裁判事は「他国の国旗、国歌に対して敬意を以て接するという国際常識を身に付ける為にも、先ず自分の国の国旗、国歌に対する敬意が必要」との判決理由を述べている。
海外で選手として活躍したカズの経験から学んだ国歌・国旗への敬意と、裁判官の認識は一致している。それにしても、純真無垢な子供を洗脳して、我が国の歴史・伝統・文化否定の先兵の養成を謀る左翼陣営の遣り方には嫌悪感しかない。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円(月2500円)。法人120000円。協賛会員300000円~。
「天皇制を認めたくない」という。「天皇制」とは共産党造語。現憲法で天皇の国事行為が明記されているが、この条項は天皇の政治利用であり、それを制度というなら理解するが、天皇は天皇であって制度ではない。天皇は祭主で在らされる。
少女は純粋な正義感から行動したのだろうが、共産党や日教組の優秀な生徒が革命を夢見た結果、死刑囚となった永田洋子や坂口弘である。洗脳の罪は重い。
この親子に限らず、日本人であり乍ら「君が代は天皇賛美」などと騒いでいる勢力がある。共産党や社会党、日教組や全教などの左翼の懲りない面々である。
天皇を賛美して何が怪しからんのか。我が国は天皇を族長と仰ぐ君民一体の家族国家であり、天皇即日本、日本即天皇の天皇国家である。この国體の精華は万邦類を見ないところであり、陛下の御代が栄えることは即日本が栄えることでもある。
君が代は
千代に 八千代に
さざれ石の
巌(いわお)となりて
苔(こけ)のむすまで
「君が代」は、我が国體の精華を格調高く歌い上げたもので、曲と相俟って厳粛にして荘重、世界に冠たる国歌である。「古今和歌集」巻七「賀の部」の「わが君は千代に八千代にさざれ石の巖となりて苔のむすまで」の一首からの出典である。
この詠の解釈は色々あるが、本意は、臣民が大君(天皇)の御代が栄えることを願い、祈ったものである。またこの詠が「讀人知らず」という草莽の民が詠んだというところに、我が偉大なる民族性を認識し、無限の感激を禁じ得ないのである。
万世一系の天皇を我が国元首として仰ぎ奉り、陛下の御稜威を国民生活の隅々にまで行き亘らせることこそが神武肇国以来の大理想であり、日本人の願望である。
君が代に反対する連中というのは、国旗・日の丸に対しても「軍国主義の象徴だ」とか「侵略の旗だ」と断じて憚らない。左翼というのは物事の見方が実に薄っぺらで、こうした日本人らしからぬ認識は健全な世論に逆行する屁理屈ばかり。
「君が代は統治者天皇賛美」「日の丸は侵略のシンボル」とするその根拠は何か。まさか真顔で「太平洋戦争の頃の様な暗い時代に逆戻り」などと言うのではあるまい。時代が戻るなら、江戸時代の様な丁髷を結って刀を差して歩く様な時代にもなるということか。そんなバカげた発言をいつまで繰り返すつもりなのか(笑)
「君が代は先の大戦を思い出させる」というが、米国の国歌は平和を願う歌か?中華人民共和国(中国共産党)の国歌「義勇軍進行曲」を読んでどう感じる?
立ち上がれ!奴隷となることを望まぬ人びとよ!
我らが血肉で築こう新たな長城を!
中華民族に最大の危機がせまる、
一人ひとりが最後の雄叫びをあげる時だ。
立ち上がれ!立ち上がれ!立ち上がれ!
我々すべてが心を一つにして、
敵の砲火に向かって進め!
敵の砲火に向かって進め!
進め!進め!進め!
では聞くが、日の丸が侵略の旗なら米英中の旗は平和の旗か?抑々、カトリックとは、アフリカ、アジア、アメリカ大陸への殺戮と掠奪の先兵ではなかったか?
残虐の全てはキリスト教の教義の下、初めはスペイン・ポルトガル王(カトリック)、後にはイギリス・オランダ王(プロテスタント)の命令で行われたのではなかったのか。教義の下であれば、その殺戮と掠奪さえ赦されるというのか(笑)
侵略主義の米国やヨーロッパ諸国、共産党一党独裁の中共の国旗・国歌を批判しないで、日の丸・君が代だけを否定することは矛盾と詭弁に他ならない。
我が国は、ユーラシア大陸で最初に朝日を迎える国である。稲作民族として日の神である天照大御神を崇め奉り、太陽信仰を持つのは自然なことである。そうした国家のシンボルに、「日の丸」を執ったというのも極めて自然なことであろう。
国の成り立ちや理想が「日の丸」の旗ほど一致する国は悠久の歴史を誇る我が祖国日本を措いて他には無い。赤丸は、太陽を意味し熟誠、活気、博愛、誠心誠意を現し、白地は清浄無垢を示し神聖、正義、純潔、平和、鎮静を意味する。
また、韓国が「戦犯旗」と批判して止まない旭日旗は、日章の位置が日の丸と同じく中央に位置し、皇室の紋章である菊花16紋章と同じ16条の光線を放つ。煌々と照らされる紅白の日の光が国中に行渡り、実に喜ばしく、美しく荘厳な旗である。
敗戦コンプレックスから、そうした国の成り立ちさえも忘却し、自虐史観を妄信して疑わないが、日本人として祖国日本の素晴らしさを再認識しては如何か。
我が国はいつの世も、その時の陛下の御代であり、いつの世にもそこには「君が代」の世界が存在し、それは存在し続けなければならないものなのである。そうした我が国の国柄を「日の丸」「君が代」「旭日旗」は見事に表している。
以前、サッカーの三浦知良選手(カズ)が、胸に手を当てて国歌斉唱する姿に朝日新聞の記者が批判めいた質問を浴びせた。その質問にカズは「自分の国の国旗や国歌に敬意を表さない人が、他国に対して敬意を表する事が出来ますか?」と応えた。
「卒業式の国歌斉唱の際に起立しなかった事を理由に、退職後に嘱託教員として雇用されなかったのは憲法違反」としてアホ教師が訴えた裁判について、最高裁判事は「他国の国旗、国歌に対して敬意を以て接するという国際常識を身に付ける為にも、先ず自分の国の国旗、国歌に対する敬意が必要」との判決理由を述べている。
海外で選手として活躍したカズの経験から学んだ国歌・国旗への敬意と、裁判官の認識は一致している。それにしても、純真無垢な子供を洗脳して、我が国の歴史・伝統・文化否定の先兵の養成を謀る左翼陣営の遣り方には嫌悪感しかない。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円(月2500円)。法人120000円。協賛会員300000円~。
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2024年03月18日
X(旧twitter)及び暴露系ブログに関して検察庁から呼び出し(part2)
殺人予告から数年後、太田正吾のことなどすっかり忘れていたが、エリート観光の金田義晴会長(故人)との雑談で正吾が社員の指を詰め逮捕された事実を知った。
帰宅しネット検索すると出るわ出るわ、正吾の逮捕画像まで出てたのには嗤えた。何やら、社員がランボルギーニを売った数百万円を横領したらしい。社員は正吾に2000万円の借金があり、横領したカネを返済に充てたが借金の殆どが残ったという。
正吾は激怒し「マグロ漁船に乗るか、指を詰めるかどっちにする」と脅し、鑿で指を詰めさせた。脅迫され断指させられた社員こそが、ブログpart1に登場した奥平光紀。愚生を脅しに来た際に小指に巻いてた血染めの包帯は嘘だったとバレた(笑)
指を詰めたことで借金2000万円はチャラになったのかと思いきや、そのまま残ったというのだから嗤える。横領で逮捕された奥平を取調べてた警察が、奥平の小指が欠損してることを問い詰めると、正吾の行状がバレて逆に脅迫と強要で逮捕された。
指なんぞ詰めさせなかったら正吾は逮捕されなかっただろうに。正吾は実刑判決を受け、喜連川社会復帰促進センター(旧黒羽刑務所)に収監されたと知った。
「縁は異なもの味なもの」というか「腐れ縁」とでも言うか、地元情報誌の政経東北8月号(昨年)に「不当な立ち退き要求と闘う会津若松男性」という記事が載っていたのだが、そこにナント太田正吾が登場していたのには驚いたのなんの。
記事の内容は、会津若松市馬場町在住の高齢者男性を威嚇・脅迫して立ち退きを要求しているというもの。拙ブログ「汚れた顔の紳士達」でもこの問題について被害者の気持ちを慮り、世論喚起・破邪顕正の観点からシリーズ化しアップしている。
この問題に対する愚生のブログは、正吾やその関係者にすれば面白くないのは間違いない。その結果がブログに対する「人権侵害」や「名誉棄損」といった申し立て。要は、弁護士を介入させ、相手を怯ませてやろうという姑息な手段が見え見え。
問題の土地は230坪あり、評価額約2600万円となっている。前所有者とは「店名義で買う」「転売はしない」「借家人の長谷川雄二さんの意向を優先して頂きたい」との条件が申し合わせてある。郡山市の富蔵建設が仲介し、500万円という破格の値段で関正尚(山内酒店社長)が購入した。驚くことに関は富蔵建設社長でもある。
常識的に考えても違法な取引に思える。仲介手数料や実態の無い測量代まで引かれ、振り込み金額は450万円だったという。不動産取引に無知な前所有者を騙して入手したのは明らかだったが、関が詐欺や宅建業法に問われることはなかった。
関は駐車場代などを受領してるので、実質的には250万円程で2600万円の土地を入手。その数ヶ月後、関は郡山市のコクドホールディングス社長の斎藤新一を介して、太田正吾に転売(2200万円だったが1500万円に訂正)するに至った。
疑問なのは正吾は何者なのかということ。愚生の知る限り、郡山市の広域暴力団幹部と昵懇の様だし、明らかに堅気ではない。正職(自称・投資家、不動産仲介業)を持たない人物が、ポンと1500万円を支払えることに疑問を持った方が好い。
東京都東村山市には数寄屋造りの豪邸が在り、郡山市台新の自宅にはフェラーリなどの高級車が並ぶ。他の地域にも不動産や高級外車を保有しているという。この原資は何処から来るのか。税務申告はどうなってるのか。正吾への疑惑は尽きない。
正吾の金満ぶりは、愚生に自慢した都内でのバカラ賭博場で不正に儲けたカネであるとの疑いをもっているし、何よりマネーロンダリングの疑いが拭い切れない。
正吾のこうした疑問や不正行為をブログやXに投稿したら「人権侵害」や「名誉棄損」とは厭きれるばかり。警察や検察は正吾の不正行為を剔抉して逮捕するべきなのに、弁護士からの要請を鵜呑みにするとは何事か。法の正義は何処に在る。
正吾は不正行為であろうと弁護士を介入させるのが常套手段である。拙ブログやSNSへの不服申し立てがそうだし、会津若松市の「土地建物明渡事件」はスラップ訴訟の典型である。正吾の不正行為で泣き寝入りしている人は少なくあるまい。
何故に摘発されないのか。思うに、正吾の不法行為の範囲が関東地方の広域に及んでいるから捜査すら儘ならないのがその理由であろう。愚生の暴露系ブログはそうした事実や疑惑を告発しているから、正吾にとってはうざとくて仕方がない。
正吾にしても、不法立ち退き問題の黒幕である関正尚にしろ、誠意を以て対処していれば過去の行事うをバラされる事態には成らなかっただろう。要は、仕事上でのコンプライアンスや危機管理が欠落してるし、やること成すことが下衆の極み。
愚生は右翼と揶揄されるてはいるが、別に左翼に対抗している訳では無い。弱い者虐めや卑怯な連中が大嫌いで、破邪顕正・勧善懲悪の精神で悪事に相対している。検察庁からの呼び出しに一一怯んでいる暇はない。天網恢恢疎にして漏らさず。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
帰宅しネット検索すると出るわ出るわ、正吾の逮捕画像まで出てたのには嗤えた。何やら、社員がランボルギーニを売った数百万円を横領したらしい。社員は正吾に2000万円の借金があり、横領したカネを返済に充てたが借金の殆どが残ったという。
正吾は激怒し「マグロ漁船に乗るか、指を詰めるかどっちにする」と脅し、鑿で指を詰めさせた。脅迫され断指させられた社員こそが、ブログpart1に登場した奥平光紀。愚生を脅しに来た際に小指に巻いてた血染めの包帯は嘘だったとバレた(笑)
指を詰めたことで借金2000万円はチャラになったのかと思いきや、そのまま残ったというのだから嗤える。横領で逮捕された奥平を取調べてた警察が、奥平の小指が欠損してることを問い詰めると、正吾の行状がバレて逆に脅迫と強要で逮捕された。
指なんぞ詰めさせなかったら正吾は逮捕されなかっただろうに。正吾は実刑判決を受け、喜連川社会復帰促進センター(旧黒羽刑務所)に収監されたと知った。
「縁は異なもの味なもの」というか「腐れ縁」とでも言うか、地元情報誌の政経東北8月号(昨年)に「不当な立ち退き要求と闘う会津若松男性」という記事が載っていたのだが、そこにナント太田正吾が登場していたのには驚いたのなんの。
記事の内容は、会津若松市馬場町在住の高齢者男性を威嚇・脅迫して立ち退きを要求しているというもの。拙ブログ「汚れた顔の紳士達」でもこの問題について被害者の気持ちを慮り、世論喚起・破邪顕正の観点からシリーズ化しアップしている。
この問題に対する愚生のブログは、正吾やその関係者にすれば面白くないのは間違いない。その結果がブログに対する「人権侵害」や「名誉棄損」といった申し立て。要は、弁護士を介入させ、相手を怯ませてやろうという姑息な手段が見え見え。
問題の土地は230坪あり、評価額約2600万円となっている。前所有者とは「店名義で買う」「転売はしない」「借家人の長谷川雄二さんの意向を優先して頂きたい」との条件が申し合わせてある。郡山市の富蔵建設が仲介し、500万円という破格の値段で関正尚(山内酒店社長)が購入した。驚くことに関は富蔵建設社長でもある。
常識的に考えても違法な取引に思える。仲介手数料や実態の無い測量代まで引かれ、振り込み金額は450万円だったという。不動産取引に無知な前所有者を騙して入手したのは明らかだったが、関が詐欺や宅建業法に問われることはなかった。
関は駐車場代などを受領してるので、実質的には250万円程で2600万円の土地を入手。その数ヶ月後、関は郡山市のコクドホールディングス社長の斎藤新一を介して、太田正吾に転売(2200万円だったが1500万円に訂正)するに至った。
疑問なのは正吾は何者なのかということ。愚生の知る限り、郡山市の広域暴力団幹部と昵懇の様だし、明らかに堅気ではない。正職(自称・投資家、不動産仲介業)を持たない人物が、ポンと1500万円を支払えることに疑問を持った方が好い。
東京都東村山市には数寄屋造りの豪邸が在り、郡山市台新の自宅にはフェラーリなどの高級車が並ぶ。他の地域にも不動産や高級外車を保有しているという。この原資は何処から来るのか。税務申告はどうなってるのか。正吾への疑惑は尽きない。
正吾の金満ぶりは、愚生に自慢した都内でのバカラ賭博場で不正に儲けたカネであるとの疑いをもっているし、何よりマネーロンダリングの疑いが拭い切れない。
正吾のこうした疑問や不正行為をブログやXに投稿したら「人権侵害」や「名誉棄損」とは厭きれるばかり。警察や検察は正吾の不正行為を剔抉して逮捕するべきなのに、弁護士からの要請を鵜呑みにするとは何事か。法の正義は何処に在る。
正吾は不正行為であろうと弁護士を介入させるのが常套手段である。拙ブログやSNSへの不服申し立てがそうだし、会津若松市の「土地建物明渡事件」はスラップ訴訟の典型である。正吾の不正行為で泣き寝入りしている人は少なくあるまい。
何故に摘発されないのか。思うに、正吾の不法行為の範囲が関東地方の広域に及んでいるから捜査すら儘ならないのがその理由であろう。愚生の暴露系ブログはそうした事実や疑惑を告発しているから、正吾にとってはうざとくて仕方がない。
正吾にしても、不法立ち退き問題の黒幕である関正尚にしろ、誠意を以て対処していれば過去の行事うをバラされる事態には成らなかっただろう。要は、仕事上でのコンプライアンスや危機管理が欠落してるし、やること成すことが下衆の極み。
愚生は右翼と揶揄されるてはいるが、別に左翼に対抗している訳では無い。弱い者虐めや卑怯な連中が大嫌いで、破邪顕正・勧善懲悪の精神で悪事に相対している。検察庁からの呼び出しに一一怯んでいる暇はない。天網恢恢疎にして漏らさず。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
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2024年03月17日
X(旧twitter)及び暴露系ブログに関して検察庁から呼び出し(笑)
過日、知らない名前の差出人から茶封筒が届いた。開封したら検察庁郡山支部の検察官からの出頭要請。何やら、通知書には「X(旧twitter)及びブログ『汚れた顔の紳士達』に投稿した内容についてお尋ねしたいことがあります」と書いてあった。
「汚れた顔の紳士達」は暴露系だがノンフィクションブログで真実である。要は、真相というより投稿した画像や過去の前科を曝してる部分が「人権侵害」や「信用棄損」に当たるということらしい。恐らく告発人は、太田正吾という半グレだろう。
数年前にも申立人の正吾の弁護士から過去のブログの削除や訂正を求められたことがある。異議申し立てするのも面倒なのでライブドアからの要請通りに削除・訂正に応じた。そして今回は、ライブドアやXではなく検察庁への告発に至った。
正吾というのは、弁護士を介入させれば喩え不正行為であっても解決すると思っている。弁護士にしてもカネにさえなれば正吾の言いなりで何でもあり。今や「スラップ訴訟」は社会的問題でもあるが、正吾の様な悪党がそれを利用している。
正吾は元広域暴力団幹部の舎弟であり、不動産や高級外車購入の原資はバカラ賭博で儲けたカネ。要は、正吾の不動産投資にしてもマネーロンダリングの疑いが拭えない。そんな半グレの不正行為に与してる弁護士や検事は猛省した方が好い。
「民事弁護の手引き(司法研究所編)」の序文に「正義の具現者としての弁護士が道義の遵法者であり、厳しい職業倫理に支配されるも当然である。旺盛な正義感を持たない弁護士は、世人の信頼を失い、悪徳の商人に堕することになろう」との一節が在る。商人の如く原告の言うが儘に動いてる弁護士に正義感を求めるのは無理か。
10年程前、正吾の社員を名乗る奥平光紀という人物からブログに書かれてるメールアドレスにメッセージが届いた。何やら愚生が太田綜合病院の問題を綴ったブログを読んだらしく、「相談したいことがあります」とのことで会ったことがある。
ホテルで待ち合わせ。内容は「太田健三(当時は太田綜合病院理事長。現会長)とウチの会長(太田正吾)が墓問題で揉めてるので助けて欲しい」とのことだった。ブログは原稿料さえあれば幾らでも書くが、原稿料は無く手ぶらでの相談だった。
その後、間もなく市内の喫茶店で太田正吾本人と会うことになった。会うなり正吾は虚勢を張ってるのだろう「自分は投資家じゃなく、新宿でバカラ賭博場を経営してる」とカミングアウトして、新宿のヤクザとの交流や博打での武勇伝を語った。
相談内容は正吾からの一方的なものだったが、母親(元太田綜合病院理事長・太田緑子の姪)想いに感じ入り、その一助となればということでブログをアップした。
アップしたら、正吾は「仕事が早い」と上から目線で奥平に語ってたと聞いて厭きれたのを思い出す。正吾らはブログをダウンロードし、太田綜合病院関係者に配達証明郵便で送付している。この時点で正吾らの目的は果たしたということだ。
ブログをアップした数日後、太田健三理事長と昵懇の社長から「ブログを削除して欲しい」との連絡が来た。別に原稿料を貰った訳では無いので削除した。
愚生なりに調べてみると、正吾が太田綜合病院の役員(理事)に成りたがってたことを知る。要は、愚生のブログを利用して理事長らを威し、理事に就こうとしていたのだ。ブログを削除したは正吾に不信が生じたというのが正直なところ。
ブログを削除すると正吾が激怒。ブログアップの感謝なら分かるが激怒される理由は無い。数日後、前出の奥平とホテルのロビーで会うことになった。奥平の小指には包帯が巻かれて血が滲んでいる。隣りにはやんちゃそうな青年が同席。
徐に「手どうしたの?」と聞くと「佐久間さんがブログを削除したので会長からケジメ付けられました」と言い放った。「何それ、脅してんの?」と愚生。
過去にエンコ詰めした人を知ってるが、それと比べても元気そう。「チョッと見せてみ」というと拒否。恐らくは正吾の演技指導で脅しに来たんだろうが、この脅迫行為に、その場で警察を呼んでやろうと思ったが相手は堅気だし止めといた。
翌日には正吾から携帯に着電在り。出る気はなかったがしつこいので出たら、いきなりエライ剣幕で「この乞食ヤロー。オマエだけは赦さない。必ず殺してやるからな!」と殺人予告を受けるハメに。隣りで聴いてた愚妻は恐怖に慄いてた。
憤怒障害著しく尋常じゃない脅しに、何なんだろうなこの正吾という人物はと思い乍ら、「会話は録音してるから」と言って携帯を切るとそれっきり来なくなった。それにしても、小指に包帯を巻いて来た社員と正吾から2回も脅されるに至る(笑)
正吾は太田綜合病院の理事に就きたくて愚生のブログを利用し乍ら、自分の不正行為や行状をそのブログでアップされたら弁護士を介入させ「人権侵害」やら「名誉棄損」だと大騒ぎし、嫌がらせ行為に奔る精神はホントさもしい(part2へ続く)
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
「汚れた顔の紳士達」は暴露系だがノンフィクションブログで真実である。要は、真相というより投稿した画像や過去の前科を曝してる部分が「人権侵害」や「信用棄損」に当たるということらしい。恐らく告発人は、太田正吾という半グレだろう。
数年前にも申立人の正吾の弁護士から過去のブログの削除や訂正を求められたことがある。異議申し立てするのも面倒なのでライブドアからの要請通りに削除・訂正に応じた。そして今回は、ライブドアやXではなく検察庁への告発に至った。
正吾というのは、弁護士を介入させれば喩え不正行為であっても解決すると思っている。弁護士にしてもカネにさえなれば正吾の言いなりで何でもあり。今や「スラップ訴訟」は社会的問題でもあるが、正吾の様な悪党がそれを利用している。
正吾は元広域暴力団幹部の舎弟であり、不動産や高級外車購入の原資はバカラ賭博で儲けたカネ。要は、正吾の不動産投資にしてもマネーロンダリングの疑いが拭えない。そんな半グレの不正行為に与してる弁護士や検事は猛省した方が好い。
「民事弁護の手引き(司法研究所編)」の序文に「正義の具現者としての弁護士が道義の遵法者であり、厳しい職業倫理に支配されるも当然である。旺盛な正義感を持たない弁護士は、世人の信頼を失い、悪徳の商人に堕することになろう」との一節が在る。商人の如く原告の言うが儘に動いてる弁護士に正義感を求めるのは無理か。
10年程前、正吾の社員を名乗る奥平光紀という人物からブログに書かれてるメールアドレスにメッセージが届いた。何やら愚生が太田綜合病院の問題を綴ったブログを読んだらしく、「相談したいことがあります」とのことで会ったことがある。
ホテルで待ち合わせ。内容は「太田健三(当時は太田綜合病院理事長。現会長)とウチの会長(太田正吾)が墓問題で揉めてるので助けて欲しい」とのことだった。ブログは原稿料さえあれば幾らでも書くが、原稿料は無く手ぶらでの相談だった。
その後、間もなく市内の喫茶店で太田正吾本人と会うことになった。会うなり正吾は虚勢を張ってるのだろう「自分は投資家じゃなく、新宿でバカラ賭博場を経営してる」とカミングアウトして、新宿のヤクザとの交流や博打での武勇伝を語った。
相談内容は正吾からの一方的なものだったが、母親(元太田綜合病院理事長・太田緑子の姪)想いに感じ入り、その一助となればということでブログをアップした。
アップしたら、正吾は「仕事が早い」と上から目線で奥平に語ってたと聞いて厭きれたのを思い出す。正吾らはブログをダウンロードし、太田綜合病院関係者に配達証明郵便で送付している。この時点で正吾らの目的は果たしたということだ。
ブログをアップした数日後、太田健三理事長と昵懇の社長から「ブログを削除して欲しい」との連絡が来た。別に原稿料を貰った訳では無いので削除した。
愚生なりに調べてみると、正吾が太田綜合病院の役員(理事)に成りたがってたことを知る。要は、愚生のブログを利用して理事長らを威し、理事に就こうとしていたのだ。ブログを削除したは正吾に不信が生じたというのが正直なところ。
ブログを削除すると正吾が激怒。ブログアップの感謝なら分かるが激怒される理由は無い。数日後、前出の奥平とホテルのロビーで会うことになった。奥平の小指には包帯が巻かれて血が滲んでいる。隣りにはやんちゃそうな青年が同席。
徐に「手どうしたの?」と聞くと「佐久間さんがブログを削除したので会長からケジメ付けられました」と言い放った。「何それ、脅してんの?」と愚生。
過去にエンコ詰めした人を知ってるが、それと比べても元気そう。「チョッと見せてみ」というと拒否。恐らくは正吾の演技指導で脅しに来たんだろうが、この脅迫行為に、その場で警察を呼んでやろうと思ったが相手は堅気だし止めといた。
翌日には正吾から携帯に着電在り。出る気はなかったがしつこいので出たら、いきなりエライ剣幕で「この乞食ヤロー。オマエだけは赦さない。必ず殺してやるからな!」と殺人予告を受けるハメに。隣りで聴いてた愚妻は恐怖に慄いてた。
憤怒障害著しく尋常じゃない脅しに、何なんだろうなこの正吾という人物はと思い乍ら、「会話は録音してるから」と言って携帯を切るとそれっきり来なくなった。それにしても、小指に包帯を巻いて来た社員と正吾から2回も脅されるに至る(笑)
正吾は太田綜合病院の理事に就きたくて愚生のブログを利用し乍ら、自分の不正行為や行状をそのブログでアップされたら弁護士を介入させ「人権侵害」やら「名誉棄損」だと大騒ぎし、嫌がらせ行為に奔る精神はホントさもしい(part2へ続く)
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
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2024年03月15日
慢性的不如意だし酒の誘いを断ってたらめっきり誘われなくなった(笑)
酒席というのは失敗も多いが得るものの方が断然多い。最近は慢性的手元不如意だし、酒の誘いはなるべく断わることにしていたら、誘われなくなった(笑)
余程の仲じゃない限り、酒は身銭を切って飲むものと思っている。「あんたが(カネを)持っていても、俺が持ってなければ酒なんざ飲んでも旨くない。酒とはそういうもんぜよ」とは坂本龍馬。酒は奢って貰うより、奢ってやった方が気分が好い。
偉そうな相手に気を遣って飲むくらいなら一人でチビチビやってる方が気楽で好い。亡父にも「ただ酒は飲むな。卑しくなる」と口煩く言われたことも影響しているのだろうが、酒は身銭を切って飲むことに価値があるし、その方が断然旨い。
酒というのは「百薬の長」とも言われるが、本来は酔ってバカになる為に飲むもの。酒を飲むと肚を割って話せるし、酔った心地好さは酔った者じゃなきゃ分からないし、何よりバカになれる。世の中バカになれるほど愉しいものはない(笑)
「酒は飲むべし酒は飲むべし 人生唯酒ありて肝を開く 酔中の快楽人知るなし」との坂本龍馬の訓えは蓋し正論。正気ではとても出来ないことを、酒の力を借りれば「一時的バカ」になることが出来るし、一時的でもバカの幸福に浸れるのだ。
日本酒が別名「キチガイ水」といわれるのはこういうことだろう。バカと言っても酒乱は論外である。酒に飲まれて暴れている様じゃ酒飲みの資格はない。酒を呑むなら落語に出て来るチョッとマヌケで明るい酔っ払いが世の中を明るくする(笑)
江戸時代には「酒道」は武士の作法や嗜みの一つだった。酒を飲まない右翼人がいるが、武士の嗜みに乏しいばかりか人生を損していることさえも気付かない。
下戸というのは、贔屓にする様な店は無いから男としての魅力も半減する。酒を酌み交わし、互いの礼儀やケジメを正し、仲間とより一層の連帯感を高めるのが「酒道」の神髄というもの。つまり酒に溺れるというのは酒道では以ての外である。
酒に吞まれたり、酒で身を滅ぼすというのは愚の骨頂。酒を飲んでも乱れず、平常心を如何に保つということこそ大事。酒豪の武将と言えば上杉謙信だろう。
謙信は愛用の特大盃に並並と酒を注いでは、梅干しを肴に盃を飲み干したという。賑やかで明るい酒宴を好み、折々家臣らと談笑し酒を酌み交わしていたという。
謙信は酒を酌み交わし乍ら部下をよく観察していた。酒を飲んで大言壮語やら、酒を飲んで気が大きくなって我を忘れる様な部下は信用せず側近にはしなかった。
会社の飲み会などで、「今日は無礼講だ」というのを勘違いして、羽目を外していないだろうか。上司はそんな無様に酔っ払ってる貴方を観察してますよ(笑)
酒を飲めない人というのは「体質的に酒を受け付けない」とかいう人が多いが、愚生からすれば体質に合わないというより、酒を飲む訓練(練習)が足らないだけ。
「男というのは贔屓の店や、好きなジンの名前を覚えとけ」とは池波正太郎だったか。何より、酒を飲まない男というのはどうしても人間が小さく見えてしまう。
正気というのは世間体を気にしているということ。それではストレスが溜まるし、身体に悪い。下で仕える者より、上に立つ者おいうのは人一倍神経を使うもので、逆を言えば人一倍神経を使えない人間は上には立つ資格は無いということである。
下の者からすれば上の者は気楽に見えるかも知れないが、上は上なりに頭の中ではあれやこれやと神経を使い考えを廻らせているもの。打開策が浮かばないなら手っ取り早いのが酒だ。気の利いた料理やや贔屓の店で心地好く呑んで陽気に騒ぐ。
酒は愉快に飲むのが一番だ。暗い酒は身体を壊す。適度に愉快に飲む酒は正に「百薬の長」なのである。「酒は陽気に身銭を切って飲むべし」。酒飲みというのはこれに尽きるが、中には人に奢って貰って喜んでるのがいるから困ったものだ。
タダ酒を覚えたヤツというのどうもクセになるらしく、周りから嫌われているのだが本人は自覚していない。「タダほど高いものはない」という様に、タダで飲めたとか、タダでやれたと喜んでばかりいると後でとんだしっぺ返しが来ますよ(笑)
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余程の仲じゃない限り、酒は身銭を切って飲むものと思っている。「あんたが(カネを)持っていても、俺が持ってなければ酒なんざ飲んでも旨くない。酒とはそういうもんぜよ」とは坂本龍馬。酒は奢って貰うより、奢ってやった方が気分が好い。
偉そうな相手に気を遣って飲むくらいなら一人でチビチビやってる方が気楽で好い。亡父にも「ただ酒は飲むな。卑しくなる」と口煩く言われたことも影響しているのだろうが、酒は身銭を切って飲むことに価値があるし、その方が断然旨い。
酒というのは「百薬の長」とも言われるが、本来は酔ってバカになる為に飲むもの。酒を飲むと肚を割って話せるし、酔った心地好さは酔った者じゃなきゃ分からないし、何よりバカになれる。世の中バカになれるほど愉しいものはない(笑)
「酒は飲むべし酒は飲むべし 人生唯酒ありて肝を開く 酔中の快楽人知るなし」との坂本龍馬の訓えは蓋し正論。正気ではとても出来ないことを、酒の力を借りれば「一時的バカ」になることが出来るし、一時的でもバカの幸福に浸れるのだ。
日本酒が別名「キチガイ水」といわれるのはこういうことだろう。バカと言っても酒乱は論外である。酒に飲まれて暴れている様じゃ酒飲みの資格はない。酒を呑むなら落語に出て来るチョッとマヌケで明るい酔っ払いが世の中を明るくする(笑)
江戸時代には「酒道」は武士の作法や嗜みの一つだった。酒を飲まない右翼人がいるが、武士の嗜みに乏しいばかりか人生を損していることさえも気付かない。
下戸というのは、贔屓にする様な店は無いから男としての魅力も半減する。酒を酌み交わし、互いの礼儀やケジメを正し、仲間とより一層の連帯感を高めるのが「酒道」の神髄というもの。つまり酒に溺れるというのは酒道では以ての外である。
酒に吞まれたり、酒で身を滅ぼすというのは愚の骨頂。酒を飲んでも乱れず、平常心を如何に保つということこそ大事。酒豪の武将と言えば上杉謙信だろう。
謙信は愛用の特大盃に並並と酒を注いでは、梅干しを肴に盃を飲み干したという。賑やかで明るい酒宴を好み、折々家臣らと談笑し酒を酌み交わしていたという。
謙信は酒を酌み交わし乍ら部下をよく観察していた。酒を飲んで大言壮語やら、酒を飲んで気が大きくなって我を忘れる様な部下は信用せず側近にはしなかった。
会社の飲み会などで、「今日は無礼講だ」というのを勘違いして、羽目を外していないだろうか。上司はそんな無様に酔っ払ってる貴方を観察してますよ(笑)
酒を飲めない人というのは「体質的に酒を受け付けない」とかいう人が多いが、愚生からすれば体質に合わないというより、酒を飲む訓練(練習)が足らないだけ。
「男というのは贔屓の店や、好きなジンの名前を覚えとけ」とは池波正太郎だったか。何より、酒を飲まない男というのはどうしても人間が小さく見えてしまう。
正気というのは世間体を気にしているということ。それではストレスが溜まるし、身体に悪い。下で仕える者より、上に立つ者おいうのは人一倍神経を使うもので、逆を言えば人一倍神経を使えない人間は上には立つ資格は無いということである。
下の者からすれば上の者は気楽に見えるかも知れないが、上は上なりに頭の中ではあれやこれやと神経を使い考えを廻らせているもの。打開策が浮かばないなら手っ取り早いのが酒だ。気の利いた料理やや贔屓の店で心地好く呑んで陽気に騒ぐ。
酒は愉快に飲むのが一番だ。暗い酒は身体を壊す。適度に愉快に飲む酒は正に「百薬の長」なのである。「酒は陽気に身銭を切って飲むべし」。酒飲みというのはこれに尽きるが、中には人に奢って貰って喜んでるのがいるから困ったものだ。
タダ酒を覚えたヤツというのどうもクセになるらしく、周りから嫌われているのだが本人は自覚していない。「タダほど高いものはない」という様に、タダで飲めたとか、タダでやれたと喜んでばかりいると後でとんだしっぺ返しが来ますよ(笑)
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
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2024年03月13日
左翼陣営に比べて右翼陣営の資金不足は致命的である
潤沢な資金力があれば連日宣伝車を繰り出して政治を糺し、営利至上主義に奔る悪徳企業の糾弾やら世の中に蔓延る悪漢どもを剔抉粛正し、破邪顕正及び勧善懲悪の救国活動を展開するのだが、月5万円程の支援金じゃ借金が嵩むばかり(笑)
「働きながら運動をしている右翼こそがホンモノ」と誰かが言った。今や極左勢力が政府中枢に入り込み、男女共同参画社会やSDGs、LGBTなどを利用し、NGOやNPOへの寄付金などを血税から詐取しているのとは真逆。そのどこがホンモノか(苦笑)
右翼活動を本気でやればパクられるし、逮捕されたものなら会社はクビになるのは間違いない。右翼活動に理解のある経営者がそんなにいるとも思えない。
結局は右翼活動そのものが土日祝日の自分の暇を利用した、無難でこじんまりした自慰的な仲間向けの活動になってしまっているのではなかろうか。
そういや以前、愚生が「街宣なんて所詮はオナニーと一緒で自己満足」と言ったら、激怒してFBFから抜けた日本会議のメンバーで自称愛国者がいたっけ(笑)
「昔の右翼は企業から金を貰ったりして資金力も持ち生活も裕福だったかも知れないが、そういうのが今では負の遺産となって真面目な若手右翼の首を絞めているという事をわかっているのだろうか」などとtwitterでつぶやいていた国士もいたな。
「昔の右翼」とはいつの時代を言ってるのだろうか。愚生の場合、若い頃の勢いは無いが、会社を訪問しては口角泡を飛ばして煙に巻いてる。それも啓蒙運動。
インチキ宗教の教祖でさえ信者がいるのに、己の主義主張に賛同してくれる支援者がいないのは、中途半端なその思想と生き様の覚悟に乏しいからに尽きる。愚生の慢性的不如意にしても、強烈な努力が足りないからで、自業自得でもある。
「負の遺産となって若手右翼の首を絞めている」とは何を誰に言ってるのだろう。今の大先生にこそ苦言を呈すべきだ。価値観の違いといえばそれまでが、支援金だけで生きてくのは思ってる以上に楽ではない。働けば楽だし、カネがあれば便利だし。
今の時代、食べて行くならバイトでも何でも出来る。自分の夢を追えば困窮する。家族を養う為に夢を諦めて目先の「食える」職業を選択する。何の為に働くのかといえば自分の為。婚姻率の低下や少子化の根源はこんなところにある。
「好きなことをやり、それで食えるようになりたい」と思うのならば、それに向かい懸命に努力し、我慢し、試練に耐え乍ら必死に生きるべきだが、今の時代は夢を追うなんぞ二の次で、アルバイト程度でも食えてしまうから始末が悪い。
これではプロやホンモノは育たない。右翼だって同じだ。食えることを優先するというのは挫折と同じ。「働きながら運動してる右翼がホンモノ」というのは、所詮はプロになれないセミプロ。「ながら右翼」なら真面目に働いた方が好いわな。
昔の右翼団体は、左翼勢力や労働組合から企業を守るの役目も担った。確かに企業からの協賛金を貯めて引退した右翼人を多く知ってはいるが、少なくても所属していた防共挺身隊の初代総隊長の福田進にしろ昔は活動には資金を惜しまなかった。
隊員の面倒も見ずに働かせてしまっているのも資金力不足が原因だが、「働きながら運動してる右翼がホンモノ」というのは右翼幹部らの言い訳だろう。
資金が潤沢なのは任侠右翼団体くらいだったが、今ではそれさえ無くなった。カネがあっても如何せん使い方も知らないし、シノギばかりじゃ活動家は育たない。
何だかんだ言っても活動を維持するのは資金力である。入隊して間もなく「軍備を満たせ!」という貼り紙を見付けた。今考えれば深い教えだったと思う。
働いた給料は自分のことだけで精一杯。革命資金の捻出など到底無理。せめて維新回天の際には参画すれば好いが、逮捕されたら家族の生活は破綻するだろう。
愚生が、三上卓が立派だと思うのは、思想より革命資金を調達する為に密輸(海烈号事件)を計画したことだ。革命には資金確保が大難関で、主義主張で革命は出来ない。立派な思想や理想を実現するには、清濁併せ吞む器量というのが求められる。
そういう意味では働いてる右翼活動家なんてどうでも好いが、右翼の先生方の資金難は致命的といえるし、マイホーム主義じゃ革命なんぞ夢のまた夢だ。
以前、新右翼の木村三浩が、鳩山由紀夫とクリミア半島に行ったことが問題となり、右翼陣営から攻撃され三下り半を突き付けられたのは記憶に新しい。
木村というのは鈴木邦夫の所為で嫌われているが、ああいう削げ者というか個性的なキャラクターは嫌いじゃない。そんな木村が失脚したのは惜しいことだ。
この木村の軽挙妄動を、ブログで批判したら「自分と会うことで鳩山の思想や考えが変わるかも知れない」という様なことを本人が語ってたのは驚いたっけ。
「猪瀬から500万円(徳洲会からの選挙資金の仲介料)なら鳩山だと0が2つくらい多く貰わないと(笑)」と言ったら「カネじゃない」と言ってたが、木村の人脈を考えれば凋落著しい右翼陣営を立て直せるのは木村だと思ってたのも確かである。
横浜の大物右翼に「木村と友人なら木村を諫めるべきだし、間に入って事を収めたらどうか」と進言するも「なんでオレが、やらない」と簡単に断られた。
日頃、周辺に「君子の交わり」と言って乍ら、友人の拙い点を見て見ぬ振りをするとはと厭きれて、この一件を機に横浜の大物右翼とは縁を切らせて貰った。
愚生にしてみれば、木村との間に入ることで鳩山との繋がりも出来るし、鳩山の思想を変えるとかそうなことではなく、右翼陣営の立て直しに鳩山の潤沢な資金を利用して欲しいと思ったからだが、大物右翼をチョッと買い被りし過ぎてた様だ。
今でも「右翼陣営に鳩山の資金があればなぁ…」と思うこと頻り。呵々大笑。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
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「働きながら運動をしている右翼こそがホンモノ」と誰かが言った。今や極左勢力が政府中枢に入り込み、男女共同参画社会やSDGs、LGBTなどを利用し、NGOやNPOへの寄付金などを血税から詐取しているのとは真逆。そのどこがホンモノか(苦笑)
右翼活動を本気でやればパクられるし、逮捕されたものなら会社はクビになるのは間違いない。右翼活動に理解のある経営者がそんなにいるとも思えない。
結局は右翼活動そのものが土日祝日の自分の暇を利用した、無難でこじんまりした自慰的な仲間向けの活動になってしまっているのではなかろうか。
そういや以前、愚生が「街宣なんて所詮はオナニーと一緒で自己満足」と言ったら、激怒してFBFから抜けた日本会議のメンバーで自称愛国者がいたっけ(笑)
「昔の右翼は企業から金を貰ったりして資金力も持ち生活も裕福だったかも知れないが、そういうのが今では負の遺産となって真面目な若手右翼の首を絞めているという事をわかっているのだろうか」などとtwitterでつぶやいていた国士もいたな。
「昔の右翼」とはいつの時代を言ってるのだろうか。愚生の場合、若い頃の勢いは無いが、会社を訪問しては口角泡を飛ばして煙に巻いてる。それも啓蒙運動。
インチキ宗教の教祖でさえ信者がいるのに、己の主義主張に賛同してくれる支援者がいないのは、中途半端なその思想と生き様の覚悟に乏しいからに尽きる。愚生の慢性的不如意にしても、強烈な努力が足りないからで、自業自得でもある。
「負の遺産となって若手右翼の首を絞めている」とは何を誰に言ってるのだろう。今の大先生にこそ苦言を呈すべきだ。価値観の違いといえばそれまでが、支援金だけで生きてくのは思ってる以上に楽ではない。働けば楽だし、カネがあれば便利だし。
今の時代、食べて行くならバイトでも何でも出来る。自分の夢を追えば困窮する。家族を養う為に夢を諦めて目先の「食える」職業を選択する。何の為に働くのかといえば自分の為。婚姻率の低下や少子化の根源はこんなところにある。
「好きなことをやり、それで食えるようになりたい」と思うのならば、それに向かい懸命に努力し、我慢し、試練に耐え乍ら必死に生きるべきだが、今の時代は夢を追うなんぞ二の次で、アルバイト程度でも食えてしまうから始末が悪い。
これではプロやホンモノは育たない。右翼だって同じだ。食えることを優先するというのは挫折と同じ。「働きながら運動してる右翼がホンモノ」というのは、所詮はプロになれないセミプロ。「ながら右翼」なら真面目に働いた方が好いわな。
昔の右翼団体は、左翼勢力や労働組合から企業を守るの役目も担った。確かに企業からの協賛金を貯めて引退した右翼人を多く知ってはいるが、少なくても所属していた防共挺身隊の初代総隊長の福田進にしろ昔は活動には資金を惜しまなかった。
隊員の面倒も見ずに働かせてしまっているのも資金力不足が原因だが、「働きながら運動してる右翼がホンモノ」というのは右翼幹部らの言い訳だろう。
資金が潤沢なのは任侠右翼団体くらいだったが、今ではそれさえ無くなった。カネがあっても如何せん使い方も知らないし、シノギばかりじゃ活動家は育たない。
何だかんだ言っても活動を維持するのは資金力である。入隊して間もなく「軍備を満たせ!」という貼り紙を見付けた。今考えれば深い教えだったと思う。
働いた給料は自分のことだけで精一杯。革命資金の捻出など到底無理。せめて維新回天の際には参画すれば好いが、逮捕されたら家族の生活は破綻するだろう。
愚生が、三上卓が立派だと思うのは、思想より革命資金を調達する為に密輸(海烈号事件)を計画したことだ。革命には資金確保が大難関で、主義主張で革命は出来ない。立派な思想や理想を実現するには、清濁併せ吞む器量というのが求められる。
そういう意味では働いてる右翼活動家なんてどうでも好いが、右翼の先生方の資金難は致命的といえるし、マイホーム主義じゃ革命なんぞ夢のまた夢だ。
以前、新右翼の木村三浩が、鳩山由紀夫とクリミア半島に行ったことが問題となり、右翼陣営から攻撃され三下り半を突き付けられたのは記憶に新しい。
木村というのは鈴木邦夫の所為で嫌われているが、ああいう削げ者というか個性的なキャラクターは嫌いじゃない。そんな木村が失脚したのは惜しいことだ。
この木村の軽挙妄動を、ブログで批判したら「自分と会うことで鳩山の思想や考えが変わるかも知れない」という様なことを本人が語ってたのは驚いたっけ。
「猪瀬から500万円(徳洲会からの選挙資金の仲介料)なら鳩山だと0が2つくらい多く貰わないと(笑)」と言ったら「カネじゃない」と言ってたが、木村の人脈を考えれば凋落著しい右翼陣営を立て直せるのは木村だと思ってたのも確かである。
横浜の大物右翼に「木村と友人なら木村を諫めるべきだし、間に入って事を収めたらどうか」と進言するも「なんでオレが、やらない」と簡単に断られた。
日頃、周辺に「君子の交わり」と言って乍ら、友人の拙い点を見て見ぬ振りをするとはと厭きれて、この一件を機に横浜の大物右翼とは縁を切らせて貰った。
愚生にしてみれば、木村との間に入ることで鳩山との繋がりも出来るし、鳩山の思想を変えるとかそうなことではなく、右翼陣営の立て直しに鳩山の潤沢な資金を利用して欲しいと思ったからだが、大物右翼をチョッと買い被りし過ぎてた様だ。
今でも「右翼陣営に鳩山の資金があればなぁ…」と思うこと頻り。呵々大笑。
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2024年03月11日
本日は犠牲者を悼み心静かに一日を過ごしたいものです
平成23年14時45分頃、国会中継を見ていると「緊急地震速報」のテロップが流れた数秒後、ゴーという不気味な音と共に起きた大きな揺れに徒ならぬ不安を覚えた。約1分程の揺れが数十秒の間隔を置いて3回、凡そ5分間の激震が続いた。
余震の続く中、部屋を見渡すとは色んな物が散乱し、天井は歪み、サッシ戸や窓は全て開き、風呂場の壁は剥がれ落ちてた。愚妻に連絡を取るも携帯は繋がらない。twitterやfacebookなどのSNSをやらせとけばと悔やんだが仕方ない。
散乱した物を片付け乍ら帰りを待った。暫くすると愚妻が倅夫婦と孫を連れて帰宅。無事な様子に安堵した。 倅夫婦は孫のミルクもオムツなども持って来る余裕も無く着の身着の儘。余震が続く中で近所のツルハドラッグに買い出しに行った。
地震で散乱した店内。ミルクや紙オムツなど必要な物を探してレジに持って行くと、「こういう状況なので御代は落ち着いてからで結構です。困ってる時は御互い様です。また来店して下さい」との店員の言葉に甚く感動したのを覚えてる。
翌日、イトーヨーカドー郡山店へ買い出しに行くも商品が少ない。水を購入しようと探すも2ℓサイズは既に売り切れで、普段は30円程で売ってる小さな300㎖のペットボトルの水が一人2本限定で1本100円で売っていたのには厭きれたっけ。
正に便乗商法。ツルハドラッグの店員とはエラい違いで、商魂逞しいと言えばそれ迄だが、営利主義の賤しさを目の当たりにし嫌な気分になったのを思い出す。
兎に角、経験したことの無い長く強烈な地震だった。大津波で亡くなられた方々に比べれば無事だったことは不幸中の幸いとしか言い様がない。
福島県の被災者は宮城や岩手県の被災者に比べて恵まれている方だ。だが、県内の被災者は生活の不満を口にし、何かと理由を吐けては「賠償」「賠償」のオンパレード。処理水問題にしても原発事故に託けて甘え過ぎてはいないだろうか。
原発事故の被害は原発周辺者に限らず県民なら誰もが同じことで、偶偶、原発周辺20㌔以内に住んでたからこそ補償の対象になっているだけのことだろう。
民主党政権は「SPEDDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)」の数値を隠蔽して原発周辺20㌔圏内の住民の避難指示を決定した。自称原発被災者のホンネは、無能な菅直人と東電サマサマというのがホンネだろうな(苦笑)
20㌔圏内だった川内村や楢葉町、双葉町、富岡町といった割かし放射線の低い地域にも「避難命令」が出された。川内村の住民は郡山市に避難することになったが、川内村の放射線量は当時の郡山市の放射線よりより低かったし(笑)
被災者らは口々に「帰りたくても帰れない」「昔の故郷に戻せ」「生業を補償せよ」というが、帰る気になれば帰れるし、昔の故郷とは原発設置以前の故郷のことか?農業だけで食えるのか?生業って原発が設置され好景気だった頃の生業か?
原発周辺の住民は東電関連の仕事に従事していた方が多い。既に福島第二原発の廃炉が決まった現状では、故郷に帰っても仕事が無いというのが現実だ。福島第二原発の再稼働こそが復興の象徴になると考えていただけに残念でならない。
感情的な反原発の流れから全廃炉を目指すというなら、地元から離れなくてはならなかった被災者に対して避難している土地での再起を促し、納得させるのも政治の責任である。同時に自称被災者である自主避難者への優遇措置は止めるべきだ。
世界が福島原発事故の行方を注視する中で、ロクに休養も取らずに過酷な現場で従事している方々がいる。「FUKUSHIMA50」は、原発事故後構内に留まって業務対応に従事した勇者らを描いた映画だが、観れば感動するに違いない。
50人の多くは地元の小高工業高校(現・小高産業技術高校)のOB。海外のメディアは、この従業員たちの勇気を讃え「Fukushima 50」と称えた。一方で、日本のマスコミはデマを信じ「東電社員が逃亡」などと噓八百の報道を垂れ流した。
映画「FUKUSHIMA50」では当時の菅政権の対応がリアルに描かれているという。そんなこともあって中身を知られたくなかった元民主党の議員や反原発派らには至って評判が悪いらしいが、つまりは事実を描いた作品ということだろう(笑)
原発構内で働いている彼らの勇気ある行動と人智が我が国の未曾有の国難を救い、その努力が必ずや報われる様に無事終息されることを願って止まない。
マスコミは大震災を忘れまいと犠牲者を取り上げ、反原発派が原発事故を騒ぎ立てるが、本日は心静かに一日を過ごしたいものです。東日本大震災で発生した大津波で犠牲になられた方々に対し衷心より哀悼の意を表します。合掌再拝。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
余震の続く中、部屋を見渡すとは色んな物が散乱し、天井は歪み、サッシ戸や窓は全て開き、風呂場の壁は剥がれ落ちてた。愚妻に連絡を取るも携帯は繋がらない。twitterやfacebookなどのSNSをやらせとけばと悔やんだが仕方ない。
散乱した物を片付け乍ら帰りを待った。暫くすると愚妻が倅夫婦と孫を連れて帰宅。無事な様子に安堵した。 倅夫婦は孫のミルクもオムツなども持って来る余裕も無く着の身着の儘。余震が続く中で近所のツルハドラッグに買い出しに行った。
地震で散乱した店内。ミルクや紙オムツなど必要な物を探してレジに持って行くと、「こういう状況なので御代は落ち着いてからで結構です。困ってる時は御互い様です。また来店して下さい」との店員の言葉に甚く感動したのを覚えてる。
翌日、イトーヨーカドー郡山店へ買い出しに行くも商品が少ない。水を購入しようと探すも2ℓサイズは既に売り切れで、普段は30円程で売ってる小さな300㎖のペットボトルの水が一人2本限定で1本100円で売っていたのには厭きれたっけ。
正に便乗商法。ツルハドラッグの店員とはエラい違いで、商魂逞しいと言えばそれ迄だが、営利主義の賤しさを目の当たりにし嫌な気分になったのを思い出す。
兎に角、経験したことの無い長く強烈な地震だった。大津波で亡くなられた方々に比べれば無事だったことは不幸中の幸いとしか言い様がない。
福島県の被災者は宮城や岩手県の被災者に比べて恵まれている方だ。だが、県内の被災者は生活の不満を口にし、何かと理由を吐けては「賠償」「賠償」のオンパレード。処理水問題にしても原発事故に託けて甘え過ぎてはいないだろうか。
原発事故の被害は原発周辺者に限らず県民なら誰もが同じことで、偶偶、原発周辺20㌔以内に住んでたからこそ補償の対象になっているだけのことだろう。
民主党政権は「SPEDDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)」の数値を隠蔽して原発周辺20㌔圏内の住民の避難指示を決定した。自称原発被災者のホンネは、無能な菅直人と東電サマサマというのがホンネだろうな(苦笑)
20㌔圏内だった川内村や楢葉町、双葉町、富岡町といった割かし放射線の低い地域にも「避難命令」が出された。川内村の住民は郡山市に避難することになったが、川内村の放射線量は当時の郡山市の放射線よりより低かったし(笑)
被災者らは口々に「帰りたくても帰れない」「昔の故郷に戻せ」「生業を補償せよ」というが、帰る気になれば帰れるし、昔の故郷とは原発設置以前の故郷のことか?農業だけで食えるのか?生業って原発が設置され好景気だった頃の生業か?
原発周辺の住民は東電関連の仕事に従事していた方が多い。既に福島第二原発の廃炉が決まった現状では、故郷に帰っても仕事が無いというのが現実だ。福島第二原発の再稼働こそが復興の象徴になると考えていただけに残念でならない。
感情的な反原発の流れから全廃炉を目指すというなら、地元から離れなくてはならなかった被災者に対して避難している土地での再起を促し、納得させるのも政治の責任である。同時に自称被災者である自主避難者への優遇措置は止めるべきだ。
世界が福島原発事故の行方を注視する中で、ロクに休養も取らずに過酷な現場で従事している方々がいる。「FUKUSHIMA50」は、原発事故後構内に留まって業務対応に従事した勇者らを描いた映画だが、観れば感動するに違いない。
50人の多くは地元の小高工業高校(現・小高産業技術高校)のOB。海外のメディアは、この従業員たちの勇気を讃え「Fukushima 50」と称えた。一方で、日本のマスコミはデマを信じ「東電社員が逃亡」などと噓八百の報道を垂れ流した。
映画「FUKUSHIMA50」では当時の菅政権の対応がリアルに描かれているという。そんなこともあって中身を知られたくなかった元民主党の議員や反原発派らには至って評判が悪いらしいが、つまりは事実を描いた作品ということだろう(笑)
原発構内で働いている彼らの勇気ある行動と人智が我が国の未曾有の国難を救い、その努力が必ずや報われる様に無事終息されることを願って止まない。
マスコミは大震災を忘れまいと犠牲者を取り上げ、反原発派が原発事故を騒ぎ立てるが、本日は心静かに一日を過ごしたいものです。東日本大震災で発生した大津波で犠牲になられた方々に対し衷心より哀悼の意を表します。合掌再拝。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
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2024年03月10日
3月10日という日を忘れてはならない!
日露戦争開戦前、世界の軍事専門家の中で極東の小国に過ぎなかった我が国が当時世界最大の軍事大国ロシアに勝利すると予想した者は一人もいなかった。
明治37年2月10日、我が国はロシアに対し国交断絶を通告すると、敢然と宣戦布告。約1年半に及ぶその戦いで我が国は奇跡ともいえる勝利を収め、「日本」という国の存在がアジアの、そして世界の植民地支配の国にとって希望の星となった。
日露戦争の勝利は、結果として欧米列強に我が国の地位を認めさせることとなり、幕末以来の懸案事項であった不平等条約の改正に繋がって行くこととなる。我が国の目的であった「関税自主権」が、日露戦争の勝利に拠り実現されたのである。
明治維新の目的だった二つの不平等条約の「治外法権」は、日清戦争後の明治32年に克服していたが、「関税自主権」の回復は日露戦争の勝利に拠って実現されたことで明治維新は成就し、我が国は真に独立を恢復することが出来たのである。
日露戦争の勝利は、世界の植民地政策で搾取や弾圧を受けている民族の独立心を駆り立て、後の大東亜戦争後の植民地の解放に繋がって行く。我が国は大東亜戦争に敗れはしたが、戦後の植民地支配の解放が示す通り、大義があったのだ。
日露戦争の世界史に於ける歴史的意義は、有色人種の日本人が白人に勝利することに由って、当時、欧米列強に植民地にされていた世界中の被抑圧民族を感動させ、独立への夢を駆り立てた大きな意義を持つものだったのは言う迄も無い。
明治38年(1905年)3月1日、大山巌陸軍大将指揮下で日露戦争最後の陸上戦であった「奉天会戦」が行われ、同月10日ロシア軍を撃破した。日本陸軍の勝利を称え祝おうとの趣旨で、翌年、政府は3月10日を「陸軍記念日」として制定した。
昭和20年3月10日、米国は敢えて「陸軍記念日」を狙い本土攻撃を断行する。この大空襲に因って多くの無辜の人々の尊い命が失われたのは誰もが知るところ。
米軍は、最初の空襲を敢えて陸軍記念日を選んだ。然も、日本の多くの家屋が木造だという理由から、火炎の強い焼夷弾を投下したことでもその非情さが分かる。
米軍は3月10日の爆撃に飽き足らず、4月13日、同月15日、5月25日にも空襲を断行している。5月24日未明から翌日25日の空襲では、その戦災は皇居にも及んでいる。宮殿が全焼し、陛下の執務室や御所、正殿などの儀式殿を失なった。
宮殿が全焼という中で、昭和天皇は御文庫を仮の御所とされた。戦後の昭和36年になって吹上御所に御移りになられる迄の17年間を御文庫で御過ごしになられた。
3月10日の大空襲以降も昭和天皇は、戦争で疲弊した国民生活の向上が最優先であるとの思し召しから、「国民と共に苦楽を分け合う」と仰せになられ、皇居から御移りになられなかった。戦後も、新宮殿の再建を御許しにならなかったという。
東京大空襲での死者は8万3793人に上り、罹災者は100万人を超えた。東京大空襲は史上最大の虐殺であり、広島、長崎への原爆投下と同様に、一般人を犠牲にした蛮行は、通常の戦争犯罪や人道に対する罪からも断じて許されるものではない。
マッカーサー元帥の右腕の一人だった、ボナ・エラーズが、日本への空襲について「史上最も冷酷野蛮な殺戮」と証言していることでも分かる様に、東京大空襲や原爆投下、或いはドイツのドレスデン爆撃は「国際法違反」の代表的例である。
東京裁判で連合軍は、東京大空襲や都市部への爆撃の理由を、「東京への爆撃は重慶、南京の日本軍のよる爆撃への報復」と詭弁を弄している。戦後、GHQは日本人に対し、未来永劫、贖罪意識の植付けと日本弱体化の為にあらゆる施策が謀られた。
悲しい哉、日本人の中にも未だ、東京裁判史観や米国の謀ったプロバカンダを信じ、「日本が戦争さえしなければ空爆されなかった」といった自虐史観が散見されるが、いい加減、米国の謀った戦後民主主義という洗脳から目覚めなくてはならない。
米国製の日本国憲法然り、労働三法や教育委員会制度然り。米国に因る戦後占領政策の意図は予想以上に成果を上げ、悪害を齎し続けている。更に「日米同盟」とは名ばかりの、「米国のポチ」として忠誠・従属を誓い続けているのはどういうものか。
陸軍記念日であり、東京大空襲が始まった3月10日は、国民が「国防」という意味を理解し、真の主権恢復の為には何を成すべきなのかを考える一日でありたい。
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明治37年2月10日、我が国はロシアに対し国交断絶を通告すると、敢然と宣戦布告。約1年半に及ぶその戦いで我が国は奇跡ともいえる勝利を収め、「日本」という国の存在がアジアの、そして世界の植民地支配の国にとって希望の星となった。
日露戦争の勝利は、結果として欧米列強に我が国の地位を認めさせることとなり、幕末以来の懸案事項であった不平等条約の改正に繋がって行くこととなる。我が国の目的であった「関税自主権」が、日露戦争の勝利に拠り実現されたのである。
明治維新の目的だった二つの不平等条約の「治外法権」は、日清戦争後の明治32年に克服していたが、「関税自主権」の回復は日露戦争の勝利に拠って実現されたことで明治維新は成就し、我が国は真に独立を恢復することが出来たのである。
日露戦争の勝利は、世界の植民地政策で搾取や弾圧を受けている民族の独立心を駆り立て、後の大東亜戦争後の植民地の解放に繋がって行く。我が国は大東亜戦争に敗れはしたが、戦後の植民地支配の解放が示す通り、大義があったのだ。
日露戦争の世界史に於ける歴史的意義は、有色人種の日本人が白人に勝利することに由って、当時、欧米列強に植民地にされていた世界中の被抑圧民族を感動させ、独立への夢を駆り立てた大きな意義を持つものだったのは言う迄も無い。
明治38年(1905年)3月1日、大山巌陸軍大将指揮下で日露戦争最後の陸上戦であった「奉天会戦」が行われ、同月10日ロシア軍を撃破した。日本陸軍の勝利を称え祝おうとの趣旨で、翌年、政府は3月10日を「陸軍記念日」として制定した。
昭和20年3月10日、米国は敢えて「陸軍記念日」を狙い本土攻撃を断行する。この大空襲に因って多くの無辜の人々の尊い命が失われたのは誰もが知るところ。
米軍は、最初の空襲を敢えて陸軍記念日を選んだ。然も、日本の多くの家屋が木造だという理由から、火炎の強い焼夷弾を投下したことでもその非情さが分かる。
米軍は3月10日の爆撃に飽き足らず、4月13日、同月15日、5月25日にも空襲を断行している。5月24日未明から翌日25日の空襲では、その戦災は皇居にも及んでいる。宮殿が全焼し、陛下の執務室や御所、正殿などの儀式殿を失なった。
宮殿が全焼という中で、昭和天皇は御文庫を仮の御所とされた。戦後の昭和36年になって吹上御所に御移りになられる迄の17年間を御文庫で御過ごしになられた。
3月10日の大空襲以降も昭和天皇は、戦争で疲弊した国民生活の向上が最優先であるとの思し召しから、「国民と共に苦楽を分け合う」と仰せになられ、皇居から御移りになられなかった。戦後も、新宮殿の再建を御許しにならなかったという。
東京大空襲での死者は8万3793人に上り、罹災者は100万人を超えた。東京大空襲は史上最大の虐殺であり、広島、長崎への原爆投下と同様に、一般人を犠牲にした蛮行は、通常の戦争犯罪や人道に対する罪からも断じて許されるものではない。
マッカーサー元帥の右腕の一人だった、ボナ・エラーズが、日本への空襲について「史上最も冷酷野蛮な殺戮」と証言していることでも分かる様に、東京大空襲や原爆投下、或いはドイツのドレスデン爆撃は「国際法違反」の代表的例である。
東京裁判で連合軍は、東京大空襲や都市部への爆撃の理由を、「東京への爆撃は重慶、南京の日本軍のよる爆撃への報復」と詭弁を弄している。戦後、GHQは日本人に対し、未来永劫、贖罪意識の植付けと日本弱体化の為にあらゆる施策が謀られた。
悲しい哉、日本人の中にも未だ、東京裁判史観や米国の謀ったプロバカンダを信じ、「日本が戦争さえしなければ空爆されなかった」といった自虐史観が散見されるが、いい加減、米国の謀った戦後民主主義という洗脳から目覚めなくてはならない。
米国製の日本国憲法然り、労働三法や教育委員会制度然り。米国に因る戦後占領政策の意図は予想以上に成果を上げ、悪害を齎し続けている。更に「日米同盟」とは名ばかりの、「米国のポチ」として忠誠・従属を誓い続けているのはどういうものか。
陸軍記念日であり、東京大空襲が始まった3月10日は、国民が「国防」という意味を理解し、真の主権恢復の為には何を成すべきなのかを考える一日でありたい。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
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2024年03月08日
愚生の座右の書は「男の作法」と「嗚呼・花の應援團」だな(笑)
愚生の座右の書というと若い頃に読んだ池波正太郎の「男の作法」と「嗚呼・花の應援團」かもなぁ。この二つから色々学んだ。鬼平犯科帳はマンガやDVDで殆ど観ている。その中でも名作と言われる「一本眉」のシーンで、こんなシーンがある。
「お前さんとあっしじゃ縁もゆかりもない間柄、世話になる理由はねぇ」
「何を言ってやがる、オレとお前は朝まで呑んだ仲じゃねぇか」
男の付き合いというのは年月ではない。短期間で気心が分かることもあれば、たった一杯の酒でも通じ合うものがある。人生意気に感ずるとはこういうことだ。
酒を酌み交わし乍ら、意気に感じた一本眉が「俺は盗人なんだ」と自分の正体を明かす。その言葉に平蔵が「人が横道にそれるにはそれなりの理由がある」と応えた。誰でも人の道から外れることはあるもの。それを悔い改められるかどうかだ。
「礼金二百両」も好かったな。とある旗本の家で起こった騒動を解決する内容だが、勧善懲悪の時代劇なら「報酬などいらん!」で終わりだろう。平蔵は口止め料として二百両を受け取る。何故なら、同心や密偵を抱えるには相当なカネがかかる。
「このようなことを、あえてするオレを。おぬしはなんと思うな」。自嘲を込めながら清濁を併せ呑む姿は、逆に上に立つ者の苦労が窺えた。鬼平はいつ観ても最高だ。愚生の人生での作法は長谷川平蔵とから学んだと言っても好いだろう。
「男の作法」を読んで、食事の作法など本に書かれてることを真似して、池波正太郎が通ったという料理店には通ったものだ。銀座の寿司屋で隣り合わせた客と意気投合し、連れてって貰ったのが池波御用達の数寄屋通りの有名クラブだった(笑)
池波正太郎「男の作法」は、今の時代には合わない個所もあるが、三十代までには読んでおくべき日本人必読の名著だと思う。池波正太郎の書生だった佐藤隆介が、師である池波直伝の「男の心得」を著している。こちらの本も中々面白い。
何事も尊敬する人や好きな人の仕草、立ち居振る舞いを真似てみるというのも大事なことだと思う。「人真似上手は個性を育てる」というし、何をやるにしても上手くなる為の一番のコツは、尊敬する人や目標とする者のモノマネすることだ。
鬼平犯科帳では「五鉄」などの小料理屋や蕎麦屋などで飲むシーンが多い。吞み終えた平蔵は女将に心付けを渡す。高が心付けなのだが平蔵の何気ない渡し方が完璧で、アレは池波正太郎自身の普段の姿をダブらせたものだろう。
鬼平犯科帳の処世術は実に参考になる。例えば、礼金にしても「謝礼とは相手が恐縮する程の金を渡さなければ意味はない」というのには刮目した。小銭を貰っても有難みが無い。やはり、過分なカネを払ってこそ相手に感謝されるのだ。
愚生の周りには世話になりながら無報酬とかボランティアだと思っている人や、僅かな礼金で事を済ませ様とする輩が多いのはホント困ったものだ(笑)
愚生も長谷川平蔵や心の師である高花豊先生ほどの真似は出来ないが、慢性的不如意ではあるが財布にはいつもポチ袋を数個は入れて持ち歩く様にはしている。
別に何処の店でも渡す訳ではない。雰囲気が好い店や、接客などが丁寧な店では勘定した後にコソっと渡す様にはしている。高が心付けだが意外に渡すのは難しい。ポチ袋を何気に渡すことが出来ればもう男としても飲兵衛としても一丁前である。
「お釣りは要らないよ!」とか、これ見よがしにチップを渡している社長をよく見かけるが、アレは野暮とか不粋というもの。「男の作法」では、タクシー代にしても「お釣りは要らない」ではなく、一旦受け取って渡すのが好いと訓えている。
釣り銭は有難く貰った後で、別に準備しておいたポチ袋に入れた心付けを手渡すのが好い。喩え、千円、二千円の僅かな心付けだとしても相手は悪い気はしない。
心付けは相手に対しての感謝の記しと気遣いでもあるが、後々自分に戻ってくるものなのだ。一見で行った店でも、裏を返した(次に行った)際には自分のことを覚えていてくれるし、つまみの一品二品、気を遣ってくれたりもする。
「情けは人の為ならず」という格言を、「情けをかけることは、結局その人の為にならない」という意味だと思っている者が多い。だが「情けは人の為ならず」の後に、「巡り巡って己が為」と続く。ここまで教えれば間違えることはないのにな。
「借りたカネ(恩)は忘れるな!貸したカネは忘れろ!」とは田中角栄。角さんは、カネを借りに来た人にはその貸すカネにプラスして本人に渡したという。
角さんは「くれたと思ったらそれは死に金。余分に渡すことでそのカネが生きたカネとなる」という信念を持っていた。田中角栄の政治家としての毀誉褒貶はどうあれ、それだけの気遣いを出来る政治家というのは角さんくらいしか知らない。
料亭政治の先駆けともいうべき政治家だが、女将や料理人、仲居や下足番にまで心付けを渡し、その際には必ず「ありがとう」の言葉を添えたという。最近は料亭政治を知らない政治家が殆どとなり、それに比例して小者ばかりになった。呵呵。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
「お前さんとあっしじゃ縁もゆかりもない間柄、世話になる理由はねぇ」
「何を言ってやがる、オレとお前は朝まで呑んだ仲じゃねぇか」
男の付き合いというのは年月ではない。短期間で気心が分かることもあれば、たった一杯の酒でも通じ合うものがある。人生意気に感ずるとはこういうことだ。
酒を酌み交わし乍ら、意気に感じた一本眉が「俺は盗人なんだ」と自分の正体を明かす。その言葉に平蔵が「人が横道にそれるにはそれなりの理由がある」と応えた。誰でも人の道から外れることはあるもの。それを悔い改められるかどうかだ。
「礼金二百両」も好かったな。とある旗本の家で起こった騒動を解決する内容だが、勧善懲悪の時代劇なら「報酬などいらん!」で終わりだろう。平蔵は口止め料として二百両を受け取る。何故なら、同心や密偵を抱えるには相当なカネがかかる。
「このようなことを、あえてするオレを。おぬしはなんと思うな」。自嘲を込めながら清濁を併せ呑む姿は、逆に上に立つ者の苦労が窺えた。鬼平はいつ観ても最高だ。愚生の人生での作法は長谷川平蔵とから学んだと言っても好いだろう。
「男の作法」を読んで、食事の作法など本に書かれてることを真似して、池波正太郎が通ったという料理店には通ったものだ。銀座の寿司屋で隣り合わせた客と意気投合し、連れてって貰ったのが池波御用達の数寄屋通りの有名クラブだった(笑)
池波正太郎「男の作法」は、今の時代には合わない個所もあるが、三十代までには読んでおくべき日本人必読の名著だと思う。池波正太郎の書生だった佐藤隆介が、師である池波直伝の「男の心得」を著している。こちらの本も中々面白い。
何事も尊敬する人や好きな人の仕草、立ち居振る舞いを真似てみるというのも大事なことだと思う。「人真似上手は個性を育てる」というし、何をやるにしても上手くなる為の一番のコツは、尊敬する人や目標とする者のモノマネすることだ。
鬼平犯科帳では「五鉄」などの小料理屋や蕎麦屋などで飲むシーンが多い。吞み終えた平蔵は女将に心付けを渡す。高が心付けなのだが平蔵の何気ない渡し方が完璧で、アレは池波正太郎自身の普段の姿をダブらせたものだろう。
鬼平犯科帳の処世術は実に参考になる。例えば、礼金にしても「謝礼とは相手が恐縮する程の金を渡さなければ意味はない」というのには刮目した。小銭を貰っても有難みが無い。やはり、過分なカネを払ってこそ相手に感謝されるのだ。
愚生の周りには世話になりながら無報酬とかボランティアだと思っている人や、僅かな礼金で事を済ませ様とする輩が多いのはホント困ったものだ(笑)
愚生も長谷川平蔵や心の師である高花豊先生ほどの真似は出来ないが、慢性的不如意ではあるが財布にはいつもポチ袋を数個は入れて持ち歩く様にはしている。
別に何処の店でも渡す訳ではない。雰囲気が好い店や、接客などが丁寧な店では勘定した後にコソっと渡す様にはしている。高が心付けだが意外に渡すのは難しい。ポチ袋を何気に渡すことが出来ればもう男としても飲兵衛としても一丁前である。
「お釣りは要らないよ!」とか、これ見よがしにチップを渡している社長をよく見かけるが、アレは野暮とか不粋というもの。「男の作法」では、タクシー代にしても「お釣りは要らない」ではなく、一旦受け取って渡すのが好いと訓えている。
釣り銭は有難く貰った後で、別に準備しておいたポチ袋に入れた心付けを手渡すのが好い。喩え、千円、二千円の僅かな心付けだとしても相手は悪い気はしない。
心付けは相手に対しての感謝の記しと気遣いでもあるが、後々自分に戻ってくるものなのだ。一見で行った店でも、裏を返した(次に行った)際には自分のことを覚えていてくれるし、つまみの一品二品、気を遣ってくれたりもする。
「情けは人の為ならず」という格言を、「情けをかけることは、結局その人の為にならない」という意味だと思っている者が多い。だが「情けは人の為ならず」の後に、「巡り巡って己が為」と続く。ここまで教えれば間違えることはないのにな。
「借りたカネ(恩)は忘れるな!貸したカネは忘れろ!」とは田中角栄。角さんは、カネを借りに来た人にはその貸すカネにプラスして本人に渡したという。
角さんは「くれたと思ったらそれは死に金。余分に渡すことでそのカネが生きたカネとなる」という信念を持っていた。田中角栄の政治家としての毀誉褒貶はどうあれ、それだけの気遣いを出来る政治家というのは角さんくらいしか知らない。
料亭政治の先駆けともいうべき政治家だが、女将や料理人、仲居や下足番にまで心付けを渡し、その際には必ず「ありがとう」の言葉を添えたという。最近は料亭政治を知らない政治家が殆どとなり、それに比例して小者ばかりになった。呵呵。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
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2024年03月01日
会津若松市の「土地建物明渡事件」はスラップ訴訟の典型である
ライフワークブログの「汚れた顔の紳士達」で取り上げている会津若松市で起きている不法立ち退き問題は、何故か被害者が「土地建物明渡事件」として原告に訴えられている。この民事訴訟は流行りの「スラップ訴訟」の典型的なものである。
「スラップ訴訟」とは、金銭的余裕のある原告側が裁判費用や時間消費、肉体的精神的疲労等を相手(被告側)に負わせることを目的とした民事訴訟のこと。正式な裁判ではあるが、そこに公正さは無く、金銭的余裕のある原告が勝つ事例が殆ど。
司法研修所編「民事弁護の手引き」に、「正義の具現者としての弁護士が道義の遵法者であり、厳しい職業倫理に支配されるも当然である。旺盛な正義感を持たない弁護士は、世人の信頼を失い、悪徳の商人に堕することになろう」との一節が在る。
弁護士は依頼者を守るのは当然だが、商人の如く原告の言うが儘に動いてる弁護士に正義感を求めるのは無理というものなのか。倫理規定は単なるキレイゴト。スラップ訴訟はそうした金銭逞しい弁護士にとってはオイシイ仕事の一つでもある。
昨今は旺盛な正義感を持つ弁護士は消え失せ、弁護士とは名ばかりの悪徳商人以上のカネの亡者ばかりになってる気がしてならない。会津若松市で起きている不当立ち退き問題も、司法の劣化と正義感乏しい弁護士の登場で二次被害に及んでいる。
「土地建物明渡請求事件」は、原告である太田正吾(正職を持たない半グレ。愚生もこの人物から殺人予告を受けている)が被告が告発した脅迫及び器物損壊罪への報復である。こんな不正義な裁判に血税が支払われていると思うと腸が煮え繰り返る。法律は社会との約束であるのに、結果は資金力で決まるという不条理が罷り通る。
嘗て「世界一安全」と言われた我が国が、無能な自民党政権の「観光立国」や「移民政策」という愚策に拠って治安が乱され、安全が脅かされていることは余程のバカじゃない限り自覚している。そこに加えて警察と検察の対応の杜撰さは目に余る。
裁判を傍聴して痛感することは「法律は不完全」ということ。法律とは社会との約束であるなら、司法は勧善懲悪こそが採るべき道であるが、勧善懲悪どころか弱い者虐め。国際法違反である極東軍事裁判の勝者に因る敗者への嫌がらせに似たり。
検察では「人権に配慮して不起訴理由を出さない方向」と公言しているという。こうした法の平等の観点からも逸脱していると思われる通達は検事総長や政治家の意向なのか、政治家への忖度か。検察が犯罪者を処罰しない権利を「起訴便宜主義」という。検事の独断に因る「起訴の自由」を採ってる日本は世界でも稀である。
日本国内での犯罪では、検事が起訴した有罪率は99.9%なのは、御粗末な起訴便宜主義の下での起訴の自由を行使しているからに過ぎない。要するに、このくだらんメンツと有罪率99.9%を下げない為に面倒な案件は全て不起訴処分にしている。
犯罪は軽微なものを含めて検察は独断で判断することなく全て起訴し、裁判官に有罪無罪の判断を委ねることこそ大事。社会を不安に駆り立てる事件での不起訴処分は正義に逆行するものであり、国民の検察に対する疑心暗鬼は膨れ上がるばかり。
社員を恫喝して指を詰めさせたことで、脅迫罪及び強要で逮捕され実刑判決を受けたことのある人物を不起訴処分にした検察庁会津若松支部も同じく、犯罪者の人権を穿違えてはいないか。要は、今回の民事裁判は原告の目論見通りとなった。
「正義の具現者としての弁護士が道義の遵法者であり、厳しい職業倫理に支配されるも当然である。旺盛な正義感を持たない弁護士は、世人の信頼を失い、悪徳の商人に堕することになろう」との冒頭の「民事弁護の手引き」の言葉が虚しく響く。
司法の崩壊は国家解体に繋がる訳で、眼前の不正義や不条理を拱手傍観してる訳には参らない。会津若松市で起きている不法立ち退き問題や民事裁判は決して対岸の火事ではない。身近な問題として今回のスラップ訴訟を注視して欲しいものだ。
「土地建物明渡事件」の第三回公判が地裁会津若松支部1号法廷で今月6日午前10時から行われる。今回は原告である太田正吾が出廷するというから、どんな人物なのか見に来ては如何だろう。傍聴すれば司法の劣化と不正義を痛感するに違いない。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
「スラップ訴訟」とは、金銭的余裕のある原告側が裁判費用や時間消費、肉体的精神的疲労等を相手(被告側)に負わせることを目的とした民事訴訟のこと。正式な裁判ではあるが、そこに公正さは無く、金銭的余裕のある原告が勝つ事例が殆ど。
司法研修所編「民事弁護の手引き」に、「正義の具現者としての弁護士が道義の遵法者であり、厳しい職業倫理に支配されるも当然である。旺盛な正義感を持たない弁護士は、世人の信頼を失い、悪徳の商人に堕することになろう」との一節が在る。
弁護士は依頼者を守るのは当然だが、商人の如く原告の言うが儘に動いてる弁護士に正義感を求めるのは無理というものなのか。倫理規定は単なるキレイゴト。スラップ訴訟はそうした金銭逞しい弁護士にとってはオイシイ仕事の一つでもある。
昨今は旺盛な正義感を持つ弁護士は消え失せ、弁護士とは名ばかりの悪徳商人以上のカネの亡者ばかりになってる気がしてならない。会津若松市で起きている不当立ち退き問題も、司法の劣化と正義感乏しい弁護士の登場で二次被害に及んでいる。
「土地建物明渡請求事件」は、原告である太田正吾(正職を持たない半グレ。愚生もこの人物から殺人予告を受けている)が被告が告発した脅迫及び器物損壊罪への報復である。こんな不正義な裁判に血税が支払われていると思うと腸が煮え繰り返る。法律は社会との約束であるのに、結果は資金力で決まるという不条理が罷り通る。
嘗て「世界一安全」と言われた我が国が、無能な自民党政権の「観光立国」や「移民政策」という愚策に拠って治安が乱され、安全が脅かされていることは余程のバカじゃない限り自覚している。そこに加えて警察と検察の対応の杜撰さは目に余る。
裁判を傍聴して痛感することは「法律は不完全」ということ。法律とは社会との約束であるなら、司法は勧善懲悪こそが採るべき道であるが、勧善懲悪どころか弱い者虐め。国際法違反である極東軍事裁判の勝者に因る敗者への嫌がらせに似たり。
検察では「人権に配慮して不起訴理由を出さない方向」と公言しているという。こうした法の平等の観点からも逸脱していると思われる通達は検事総長や政治家の意向なのか、政治家への忖度か。検察が犯罪者を処罰しない権利を「起訴便宜主義」という。検事の独断に因る「起訴の自由」を採ってる日本は世界でも稀である。
日本国内での犯罪では、検事が起訴した有罪率は99.9%なのは、御粗末な起訴便宜主義の下での起訴の自由を行使しているからに過ぎない。要するに、このくだらんメンツと有罪率99.9%を下げない為に面倒な案件は全て不起訴処分にしている。
犯罪は軽微なものを含めて検察は独断で判断することなく全て起訴し、裁判官に有罪無罪の判断を委ねることこそ大事。社会を不安に駆り立てる事件での不起訴処分は正義に逆行するものであり、国民の検察に対する疑心暗鬼は膨れ上がるばかり。
社員を恫喝して指を詰めさせたことで、脅迫罪及び強要で逮捕され実刑判決を受けたことのある人物を不起訴処分にした検察庁会津若松支部も同じく、犯罪者の人権を穿違えてはいないか。要は、今回の民事裁判は原告の目論見通りとなった。
「正義の具現者としての弁護士が道義の遵法者であり、厳しい職業倫理に支配されるも当然である。旺盛な正義感を持たない弁護士は、世人の信頼を失い、悪徳の商人に堕することになろう」との冒頭の「民事弁護の手引き」の言葉が虚しく響く。
司法の崩壊は国家解体に繋がる訳で、眼前の不正義や不条理を拱手傍観してる訳には参らない。会津若松市で起きている不法立ち退き問題や民事裁判は決して対岸の火事ではない。身近な問題として今回のスラップ訴訟を注視して欲しいものだ。
「土地建物明渡事件」の第三回公判が地裁会津若松支部1号法廷で今月6日午前10時から行われる。今回は原告である太田正吾が出廷するというから、どんな人物なのか見に来ては如何だろう。傍聴すれば司法の劣化と不正義を痛感するに違いない。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
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2024年02月28日
財力に諂わず権力に屈することなく正しいものを正しいものとしてどこまでも信念を押し進めて行きたい(五代目山口組若頭・宅見勝)
最近は「保守ブーム」だという。確かに反日左翼に対抗はしているが、保守とは違う気がしてならない。新保守主義を掲げる学者や評論家が持て囃されてはいるが、その保守に尊皇はなく、「保守ブーム」に便乗した営業保守というのが正しい。
偉業保守や学者等が保守したいのは己らの今現在の体制でしかない。要は、生きる為の生業としての現状を維持することが彼らの本音だろう。政治家もまた然り。
「反中」「嫌韓」と煽っては、自称・愛国者らへ耳障りの好いことを言ってるだけで、これがホンネとも思えない。尊皇無き保守では、米国や英国の保守政党や保守主義と何等変りは無く、それは単なる新保守主義であり、グローバリズムである。
そんな中で、右翼民族派陣営の存在価値も年々薄れて来ているのは確かだろう。資金不足と指導者不足は顕著であり、生き方も右翼人なのかヤクザなのか分からない。
思想は乏しく、政治にも疎く、考えていることは己のシノギばかり。久しぶりに相対しても、政治思想よりも「どうよ、景気は?」といった具合でうんざりする。
教育勅語の教えである、恭倹己を持することなく、「オレが、オレが」が横行する。居の安きを求めて生活してりゃ、思想どころか学問さえ学ぶことは無い。
江戸時代の思想家で石門心学の開祖である石田梅岩は、「学問とは、人倫を明らかにし、身を敬み、義を以て君を尊び、仁愛を以て父母に事え、信を以て友に交わり、広く人を愛し、貧窮の人を憐み、功あれども伐(ほこ)らず、万事約を守り、家業に疎からず、入るを量って出すことを知り、法を守って家を治めること」と教える。
右翼思想とは別に愛国心の高揚だけではなく、恭倹己を持しと同じく、功あれど誇らず、尊皇精神を逞しくして、一旦緩急に備えて精神の高揚を学び備えるべきだ。
一日一生は名ばかりで、自分のことが精一杯で、信を以て友に交わらず、貧窮の人を憐れむことない右翼ばかりだが、悲観はしていない。必ずや、この世の混迷と停滞から脱却し、天皇国日本を磐石の安きに導いてくれる国士は出現するだろうから。
右翼・民族派諸氏は維新者としての原点に戻り、研鑽を積み、テロを担保しつつ行動し、啓蒙活動をして貰いたいものだ。まぁ、右翼から退いた右翼絶望派の愚生ではあるが、現今の右翼や自称愛国者よりは懸命に生きていると自任している。
団体を辞して今更乍ら思うことは、人というのはどれだけ生きたかではなく、どう生きたか、どう生きるかが大事だということ。こんなことをしみじみと考える。
野村秋介の遺した「自問自答の訓」というものがある。
常に世俗にありてその一隅を照らし
常に在野にありて権力悪と闘い
常に人々を愛し共に涙を流し
常に海を愛し空を愛して神々を敬い
常に友情と信義を胸中にして熱く燃え
常に名利を求めず正義を追い
常に月を愛し酒を愛し女を愛し
常に自由にして奔放であり
常に一剣を懐中にして平天下を願う
この訓を読めば、野村秋介というのは浪漫派だったのだと改めて思う。
愚生も、常に自由で奔放ではあるが、一隅も照らすものも無し、これほどまでにカッコイイ生き方は出来ないだろうが、右翼人生を歩んでる一人として、酒を愛し女を愛し、常に自由にして奔放な無頼派右翼で在りたいとは常々思っている。
宅見勝という伝説のヤクザが遺した言葉がある。
生ある人生が
いつかは必ず来るべき死を
約束づけているなれば
俺は法律が
どう変ろうが
社会の常識が
どう変ろうが
財力に諂わず
権力に屈することなく
正しいものを
正しいものとして
どこまでも俺の信念を
押し進めて行きたい
どちらかというと、削げ者右翼を自任する愚生は野村秋介の訓えよりも宅見勝の方が性に合う。草莽の右翼浪人ではあるが、こんな生き方を全うしたいものだ。
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偉業保守や学者等が保守したいのは己らの今現在の体制でしかない。要は、生きる為の生業としての現状を維持することが彼らの本音だろう。政治家もまた然り。
「反中」「嫌韓」と煽っては、自称・愛国者らへ耳障りの好いことを言ってるだけで、これがホンネとも思えない。尊皇無き保守では、米国や英国の保守政党や保守主義と何等変りは無く、それは単なる新保守主義であり、グローバリズムである。
そんな中で、右翼民族派陣営の存在価値も年々薄れて来ているのは確かだろう。資金不足と指導者不足は顕著であり、生き方も右翼人なのかヤクザなのか分からない。
思想は乏しく、政治にも疎く、考えていることは己のシノギばかり。久しぶりに相対しても、政治思想よりも「どうよ、景気は?」といった具合でうんざりする。
教育勅語の教えである、恭倹己を持することなく、「オレが、オレが」が横行する。居の安きを求めて生活してりゃ、思想どころか学問さえ学ぶことは無い。
江戸時代の思想家で石門心学の開祖である石田梅岩は、「学問とは、人倫を明らかにし、身を敬み、義を以て君を尊び、仁愛を以て父母に事え、信を以て友に交わり、広く人を愛し、貧窮の人を憐み、功あれども伐(ほこ)らず、万事約を守り、家業に疎からず、入るを量って出すことを知り、法を守って家を治めること」と教える。
右翼思想とは別に愛国心の高揚だけではなく、恭倹己を持しと同じく、功あれど誇らず、尊皇精神を逞しくして、一旦緩急に備えて精神の高揚を学び備えるべきだ。
一日一生は名ばかりで、自分のことが精一杯で、信を以て友に交わらず、貧窮の人を憐れむことない右翼ばかりだが、悲観はしていない。必ずや、この世の混迷と停滞から脱却し、天皇国日本を磐石の安きに導いてくれる国士は出現するだろうから。
右翼・民族派諸氏は維新者としての原点に戻り、研鑽を積み、テロを担保しつつ行動し、啓蒙活動をして貰いたいものだ。まぁ、右翼から退いた右翼絶望派の愚生ではあるが、現今の右翼や自称愛国者よりは懸命に生きていると自任している。
団体を辞して今更乍ら思うことは、人というのはどれだけ生きたかではなく、どう生きたか、どう生きるかが大事だということ。こんなことをしみじみと考える。
野村秋介の遺した「自問自答の訓」というものがある。
常に世俗にありてその一隅を照らし
常に在野にありて権力悪と闘い
常に人々を愛し共に涙を流し
常に海を愛し空を愛して神々を敬い
常に友情と信義を胸中にして熱く燃え
常に名利を求めず正義を追い
常に月を愛し酒を愛し女を愛し
常に自由にして奔放であり
常に一剣を懐中にして平天下を願う
この訓を読めば、野村秋介というのは浪漫派だったのだと改めて思う。
愚生も、常に自由で奔放ではあるが、一隅も照らすものも無し、これほどまでにカッコイイ生き方は出来ないだろうが、右翼人生を歩んでる一人として、酒を愛し女を愛し、常に自由にして奔放な無頼派右翼で在りたいとは常々思っている。
宅見勝という伝説のヤクザが遺した言葉がある。
生ある人生が
いつかは必ず来るべき死を
約束づけているなれば
俺は法律が
どう変ろうが
社会の常識が
どう変ろうが
財力に諂わず
権力に屈することなく
正しいものを
正しいものとして
どこまでも俺の信念を
押し進めて行きたい
どちらかというと、削げ者右翼を自任する愚生は野村秋介の訓えよりも宅見勝の方が性に合う。草莽の右翼浪人ではあるが、こんな生き方を全うしたいものだ。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
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2024年02月25日
二・二六事件の伏線になったと言われる「相沢事件」とは
昭和11年2月26日未明、安藤輝三、野中四郎、香田清貞、栗原安秀、中橋基明、丹生誠忠、磯部浅一、村中孝次ら青年将校は、第1師団歩兵第1連隊、歩兵第3連隊、近衛師団の歩兵第3連隊など総勢1483名を率いて維新を惹起した。
当時の情勢は、東北の農家は疲弊し、中央の官界や財閥の跋扈と政治の怠慢など多くの問題が山積していた。掲げられた「君側の奸」「昭和維新」「尊皇討奸」との幟の惹句を見れば、如何に憂国の至情から出でる行動だったかが窺い知れる。
「皇道派」といわれた彼らのその行動の柱となったのが、国家社会主義者・北一輝の「日本改造法案大綱」と言われている。大綱は八巻で構成され「言論の自由」「基本的人権尊重」「華族制廃止(貴族院廃止)」「国民の天皇への移行」「農地改革」「普通選挙」「財閥解体」「国際情勢と外交政策」などを求めた論文である。
日本改造法案大綱に加え、二・二六事件の伏線になったものが、事件前年8月に起きた「相沢事件」とも言われている。「相沢事件」とは、皇道派青年将校に共感する相沢三郎中佐が陸軍省内で統制派の軍務局長・永田鉄山を刺殺した事件である。
相沢は福島県白河町(現白河市)に生まれた。大正7年、歩兵第4連隊から台湾歩兵第1連隊付に移り大尉に進級。同年9月陸軍戸山学校教官に就任。その後、陸軍士官学校付歩兵第13連隊中隊長を経て、剣の達人であった相沢は、昭和2年少佐進級と共に歩兵第1連隊付として日本体育会体操学校(後の日本体育大学)に配属される。
出世街道を歩んだ相沢は昭和8年には陸軍中佐となる。昭和10年の永田軍務局長刺殺で翌軍法会議で死刑判決が下され代々木衛戍刑務所内で銃殺刑に処された。遺体は落合火葬場で荼毘に付され、後に仙台市新坂通の充国寺の墓所に葬られている。
陸軍内は当時、高度国防国家を目指す「統制派」と天皇親政を理想とする「皇道派」の対立が激化していた。皇道派だった相沢は、同派の教育総監・真崎甚三郎が更迭されたことに不満を持ち、統制派の中心人物だった永田刺殺に至る。
北一輝の「日本改造法案大綱」に加え、「相沢事件」の半年後に二・二六事件が決行されたことをしても相沢が大きな影響を与えたのは紛れもない事実だろう。
我が国の悠久の歴史を遡れば、聖徳太子の「大化の改新」に始まり、「建武の中興(新政)」「明治維新」と、陋習を打ち破らんと維新の大業が成し遂げられた。
「維新」とは、幕末の思想家であった藤田東湖が示した「大義を明にし、人心を正さば、皇道奚(いずく)んぞ興起せざるを憂えん」こそが神髄である。
二・二六事件を惹起した彼らは「反乱軍」と断じられ、陛下の命により処刑されはしたが、彼らの維新の大義と憂国の至情は決して消えることはない。
二・二六事件に唯一の民間人として加わり「群衆指揮等」として死刑に処せられた渋川善助という思想家がいる。渋川もまた相沢と同じ福島県人である。
渋川は福島県会津若松市七日町出身。会津中学校、仙台陸軍地方幼年学校を経て陸軍士官学校予科に進み、御前講演を行うほど成績優秀な人物であった。杉田省吾、西田税らと「維新同志会」を結成し、国家主義運動に参画した。
群衆指導罪で逮捕された善助は、公判調書で「私は会津藩に生まれた関係にて、祖父母も祖父も明治維新当時の汚名を冠せられたることを甚だ残念とし、幼時より蛤御門の討伐のことや白虎隊の武士らしき忠義ぶりなどを聞かされ武士的精神が自然に養われて居りました」と供述している。正に会津人の鑑である。
「茲に同憂同志機を一にして蹶起し奸賊を誅滅して大義を正し、国體の擁護開顕に肝脳を竭し、以つて神洲赤子の微衷を献ぜんとす」との大義を掲げて昭和維新を目指した皇道派青年将校のその崇高な志と命を賭した行動は尊敬に値する。
渋川が少年時代に過ごした部屋は、三島由紀夫が訪れた際に「憂国の間」と名付け、会津若松市の料亭「渋川問屋」内に現在でも保存されている。
渋川問屋は料理旅館としても有名なのだが、福島県に住んで乍ら不如意もあって未だ訪れたことは無い。いつの日か憂国ならぬ夕刻の士らと宿泊し、会津料理と地酒を呷り乍ら談論風発、杯盤狼籍、大破轟沈するのが細やかな夢でもある。呵々。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
当時の情勢は、東北の農家は疲弊し、中央の官界や財閥の跋扈と政治の怠慢など多くの問題が山積していた。掲げられた「君側の奸」「昭和維新」「尊皇討奸」との幟の惹句を見れば、如何に憂国の至情から出でる行動だったかが窺い知れる。
「皇道派」といわれた彼らのその行動の柱となったのが、国家社会主義者・北一輝の「日本改造法案大綱」と言われている。大綱は八巻で構成され「言論の自由」「基本的人権尊重」「華族制廃止(貴族院廃止)」「国民の天皇への移行」「農地改革」「普通選挙」「財閥解体」「国際情勢と外交政策」などを求めた論文である。
日本改造法案大綱に加え、二・二六事件の伏線になったものが、事件前年8月に起きた「相沢事件」とも言われている。「相沢事件」とは、皇道派青年将校に共感する相沢三郎中佐が陸軍省内で統制派の軍務局長・永田鉄山を刺殺した事件である。
相沢は福島県白河町(現白河市)に生まれた。大正7年、歩兵第4連隊から台湾歩兵第1連隊付に移り大尉に進級。同年9月陸軍戸山学校教官に就任。その後、陸軍士官学校付歩兵第13連隊中隊長を経て、剣の達人であった相沢は、昭和2年少佐進級と共に歩兵第1連隊付として日本体育会体操学校(後の日本体育大学)に配属される。
出世街道を歩んだ相沢は昭和8年には陸軍中佐となる。昭和10年の永田軍務局長刺殺で翌軍法会議で死刑判決が下され代々木衛戍刑務所内で銃殺刑に処された。遺体は落合火葬場で荼毘に付され、後に仙台市新坂通の充国寺の墓所に葬られている。
陸軍内は当時、高度国防国家を目指す「統制派」と天皇親政を理想とする「皇道派」の対立が激化していた。皇道派だった相沢は、同派の教育総監・真崎甚三郎が更迭されたことに不満を持ち、統制派の中心人物だった永田刺殺に至る。
北一輝の「日本改造法案大綱」に加え、「相沢事件」の半年後に二・二六事件が決行されたことをしても相沢が大きな影響を与えたのは紛れもない事実だろう。
我が国の悠久の歴史を遡れば、聖徳太子の「大化の改新」に始まり、「建武の中興(新政)」「明治維新」と、陋習を打ち破らんと維新の大業が成し遂げられた。
「維新」とは、幕末の思想家であった藤田東湖が示した「大義を明にし、人心を正さば、皇道奚(いずく)んぞ興起せざるを憂えん」こそが神髄である。
二・二六事件を惹起した彼らは「反乱軍」と断じられ、陛下の命により処刑されはしたが、彼らの維新の大義と憂国の至情は決して消えることはない。
二・二六事件に唯一の民間人として加わり「群衆指揮等」として死刑に処せられた渋川善助という思想家がいる。渋川もまた相沢と同じ福島県人である。
渋川は福島県会津若松市七日町出身。会津中学校、仙台陸軍地方幼年学校を経て陸軍士官学校予科に進み、御前講演を行うほど成績優秀な人物であった。杉田省吾、西田税らと「維新同志会」を結成し、国家主義運動に参画した。
群衆指導罪で逮捕された善助は、公判調書で「私は会津藩に生まれた関係にて、祖父母も祖父も明治維新当時の汚名を冠せられたることを甚だ残念とし、幼時より蛤御門の討伐のことや白虎隊の武士らしき忠義ぶりなどを聞かされ武士的精神が自然に養われて居りました」と供述している。正に会津人の鑑である。
「茲に同憂同志機を一にして蹶起し奸賊を誅滅して大義を正し、国體の擁護開顕に肝脳を竭し、以つて神洲赤子の微衷を献ぜんとす」との大義を掲げて昭和維新を目指した皇道派青年将校のその崇高な志と命を賭した行動は尊敬に値する。
渋川が少年時代に過ごした部屋は、三島由紀夫が訪れた際に「憂国の間」と名付け、会津若松市の料亭「渋川問屋」内に現在でも保存されている。
渋川問屋は料理旅館としても有名なのだが、福島県に住んで乍ら不如意もあって未だ訪れたことは無い。いつの日か憂国ならぬ夕刻の士らと宿泊し、会津料理と地酒を呷り乍ら談論風発、杯盤狼籍、大破轟沈するのが細やかな夢でもある。呵々。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
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2024年02月23日
皇国臣民の一人として天皇誕生日(天長節)を寿ぐ
本日は天皇誕生日、戦前は天長節として奉祝した日である。誠におめでたく、皇国臣民の一人として謹んで陛下の弥栄と長久を御祈念申し上げ奉ります。
我が国は万邦無比の「神の国」であり、神武肇国の古より、歴史の中から数々の伝統及び制度が生み出されてきた国家である。そんな中で、永遠に無くなってはならぬものが天皇を戴く国家の在り方であることは言うを俟たない。
皇紀2684年という永きに亙り、我が国は万世一系の天皇を戴き、常に国民や世界の平和を祈り続けておられる天皇を、善き至高の存在として暮らして来た。
天皇を族長と仰ぐ君民一体の家族国家が日本国であり、「天皇即日本」「日本即天皇」の天皇国家こそが我が国の国柄であり、皇統の歴史こそが象徴である。
万世一系であらされる天皇の御代が栄えることは、即ち国民の代が栄えることでもあり、この国體の精華は万邦類を見ないところであろう。正に、世界に冠絶した「君が代」の世界が厳然と存在する国こそが、我が祖国日本であるのだ。
陛下は天皇誕生日を前に、定例の記者会見に応じた。相変わらず皇后陛下や愛子内親王、更には男性皇族減少に伴う質問など余計な御世話的質問ばかり。陛下の御言葉はその影響するところは大であり正に「綸言(りんげん)汗の如し」である。
政治家の様に口先で誤魔化すことはその御地位と御立場、崇高な御人格がそれを許さない。ところが、質問する記者団といえば海千山千の強か者ばかり。恰も皇室を理解している様に取り繕ってはいるが多くは皇室に批判的な輩ばかりである。
少なくとも尊皇絶対の大義を弁えている記者などはいない。ノスタルジアな左翼思想に被れ、反天皇、皇統断絶に与する記者らは、陛下との一問一答形式に拠って、御言葉を引き出し、言葉尻を捉えて政治問題し、世論誘導を謀ろうとしている。
今回も反天皇運動に与するが如く、敬称や敬語不使用で「皇后さまの様子」やら「愛子さまの結婚」だとか、秋篠宮家に関する無礼な質問が目立った。
所謂「開かれた皇室論」に基く陛下や皇族への定例会見は一切拒絶するのが妥当であり、宮内庁は別な形での国民への御発露の方法を考えるべきである。
抑々「敬称・敬語不使用運動」は、共産主義者に因る反天皇運動の一環である。売国マスコミが誘導する「敬称・敬語不使用」や「開かれた皇室論」の姿勢は、今や国内に蔓延し、天皇陛下や皇室に対する敬愛の念を薄れさせている。
本来の日本人ならば正式な敬称で呼ぶべきで、「さま」などと呼ぶことに由って、日本の伝統文化や美徳が喪失して行くということを自覚すべきだろう。
過去には「欧州では長子優先」という質問があったが、敬宮愛子内親王こそ皇位を継承すべきとの思惑が見え隠れする。正しく反天皇及び皇統断絶に与する質問である。更には天皇が欧州の王室と同等の立場であるかの認識は誤りである。
この記者を見るまでもなく、天皇とは「王室」や「国王」の存在だと思っている人も多い。だが、分かり易く言えば、天皇とは日本固有の信仰である神道を伝え導く神主(神官)の最高の地位者であり、祈りを重んずる「祭主」であるのだ。
「女性天皇」や「女性宮家」では天皇の重んじる祭祀が叶わない。神に仕える神事を執り行うことが憚れるのだ。別に女性差別ではなく伝統というもの。反天皇論者らは国事行為をする便利な存在としか思っていないから軽軽しく皇統を語る。
日本という奇跡の国に生を享け乍ら、国の成り立ちも知らず、天皇とはどの様な存在であるかも分からず、反天皇の不遜不敬、不届至極の不逞の輩が存在しそれらに与するとは、戦後の日本人の精神的幼稚さの現れと断じて過言ではない。
「天皇制打倒」を目指す日本共産党や立憲民主党ら左翼陣営が、「女性天皇」や「女性宮家」の創設や「女系天皇」容認に狂奔していることこそ何かを況や。
国内に巣食うこれらの奸賊を排し、迫る来る祖国の危機に対処し、天皇国日本を盤石の安きに置く使命を有するのは民族派陣営である。正にその存在の意義を示す神機は近付きつつあると確信する。諸君、一旦緩急に備え遺憾無きを期そうではないか。
すめらぎいやさか すめらみこといやさか すめらみくにいやさか
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
我が国は万邦無比の「神の国」であり、神武肇国の古より、歴史の中から数々の伝統及び制度が生み出されてきた国家である。そんな中で、永遠に無くなってはならぬものが天皇を戴く国家の在り方であることは言うを俟たない。
皇紀2684年という永きに亙り、我が国は万世一系の天皇を戴き、常に国民や世界の平和を祈り続けておられる天皇を、善き至高の存在として暮らして来た。
天皇を族長と仰ぐ君民一体の家族国家が日本国であり、「天皇即日本」「日本即天皇」の天皇国家こそが我が国の国柄であり、皇統の歴史こそが象徴である。
万世一系であらされる天皇の御代が栄えることは、即ち国民の代が栄えることでもあり、この国體の精華は万邦類を見ないところであろう。正に、世界に冠絶した「君が代」の世界が厳然と存在する国こそが、我が祖国日本であるのだ。
陛下は天皇誕生日を前に、定例の記者会見に応じた。相変わらず皇后陛下や愛子内親王、更には男性皇族減少に伴う質問など余計な御世話的質問ばかり。陛下の御言葉はその影響するところは大であり正に「綸言(りんげん)汗の如し」である。
政治家の様に口先で誤魔化すことはその御地位と御立場、崇高な御人格がそれを許さない。ところが、質問する記者団といえば海千山千の強か者ばかり。恰も皇室を理解している様に取り繕ってはいるが多くは皇室に批判的な輩ばかりである。
少なくとも尊皇絶対の大義を弁えている記者などはいない。ノスタルジアな左翼思想に被れ、反天皇、皇統断絶に与する記者らは、陛下との一問一答形式に拠って、御言葉を引き出し、言葉尻を捉えて政治問題し、世論誘導を謀ろうとしている。
今回も反天皇運動に与するが如く、敬称や敬語不使用で「皇后さまの様子」やら「愛子さまの結婚」だとか、秋篠宮家に関する無礼な質問が目立った。
所謂「開かれた皇室論」に基く陛下や皇族への定例会見は一切拒絶するのが妥当であり、宮内庁は別な形での国民への御発露の方法を考えるべきである。
抑々「敬称・敬語不使用運動」は、共産主義者に因る反天皇運動の一環である。売国マスコミが誘導する「敬称・敬語不使用」や「開かれた皇室論」の姿勢は、今や国内に蔓延し、天皇陛下や皇室に対する敬愛の念を薄れさせている。
本来の日本人ならば正式な敬称で呼ぶべきで、「さま」などと呼ぶことに由って、日本の伝統文化や美徳が喪失して行くということを自覚すべきだろう。
過去には「欧州では長子優先」という質問があったが、敬宮愛子内親王こそ皇位を継承すべきとの思惑が見え隠れする。正しく反天皇及び皇統断絶に与する質問である。更には天皇が欧州の王室と同等の立場であるかの認識は誤りである。
この記者を見るまでもなく、天皇とは「王室」や「国王」の存在だと思っている人も多い。だが、分かり易く言えば、天皇とは日本固有の信仰である神道を伝え導く神主(神官)の最高の地位者であり、祈りを重んずる「祭主」であるのだ。
「女性天皇」や「女性宮家」では天皇の重んじる祭祀が叶わない。神に仕える神事を執り行うことが憚れるのだ。別に女性差別ではなく伝統というもの。反天皇論者らは国事行為をする便利な存在としか思っていないから軽軽しく皇統を語る。
日本という奇跡の国に生を享け乍ら、国の成り立ちも知らず、天皇とはどの様な存在であるかも分からず、反天皇の不遜不敬、不届至極の不逞の輩が存在しそれらに与するとは、戦後の日本人の精神的幼稚さの現れと断じて過言ではない。
「天皇制打倒」を目指す日本共産党や立憲民主党ら左翼陣営が、「女性天皇」や「女性宮家」の創設や「女系天皇」容認に狂奔していることこそ何かを況や。
国内に巣食うこれらの奸賊を排し、迫る来る祖国の危機に対処し、天皇国日本を盤石の安きに置く使命を有するのは民族派陣営である。正にその存在の意義を示す神機は近付きつつあると確信する。諸君、一旦緩急に備え遺憾無きを期そうではないか。
すめらぎいやさか すめらみこといやさか すめらみくにいやさか
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2024年02月21日
韓国側の「干山島が竹島である」との領土主権主張の御粗末さ
2月22日は「竹島の日」の日。GHQの統治下だった昭和26(1951)年、韓国は米国に対し、ポツダム宣言の解釈として「日本が放棄した領土には竹島(独島)が含まれるべきである」と要求する。だが、米国政府は次の様に回答している。
「独島、又は竹島ないしリアンクール岩として知られる島に関しては、この通常無人島である岩島は、我々の情報によれば朝鮮の一部として取り扱われたことは決してなく、1905年頃から日本の島根県隠岐支庁の管轄下にあります。この島はかつて朝鮮によって領土主張がなされたとは思いません」(米国務次官補から韓国大使宛)
我が国が未だに失地領土の恢復が実現出来ないのは、政府の弱腰外交も然ることながら領土主権の重要性や歴史的経緯を知らなさ過ぎるのが要因である。
韓国人の「虚言癖」という病んだ民族性はどうやってもというか、死んでも治ることはない。中でも最大級の嘘が所謂・従軍慰安婦問題と竹島の主権主張だろう。
韓国は竹島を「独島(ドクト)」と称し「古来から韓国固有の領土である」と主張するその根拠は、古代朝鮮の歴史書である「三国史記」に帰着する。
その「三国史記」には、鬱陵島(うつりょうとう)の西隣に在る「干山島(うざんとう)が新羅(しんら)の領土」と書かれていることを歴史的論拠にしている。
「三国史記」とは、三国(新羅・高句麗・百済)時代から、統一新羅末期迄を対象とする王朝の歴史記述である紀伝体の朝鮮半島に現存する最古の歴史書である。
韓国側はこの粗末な歴史書を持ち出して「4~5世紀から韓国領だった」と主張しているが、その古地図での干山島は鬱陵島の西に接近している島だと分かる。
「独島(竹島)」は鬱陵島の東南92キロに在る島なのだから、「干山島が竹島である」と主張することには無理がある。こんな判りきった事実が存在するのにそれを否定し、領有権を主張し竹島を不法占拠を続けているというのが現状である。
歴史的に見れば鬱陵島周辺の小島の呼称が変遷し、「竹島」は「松島」とか「リャンコ島」とか呼ばれた時代もあり、我が国では鬱陵島を「竹島」と呼んでもいたこともある。であるなら、韓国風に言えば「鬱陵島も我が国の領土」となるな(笑)
竹島の過去のこうした呼称も事を紛らわしくしているのも事実だが、李氏朝鮮時代の地図には鬱陵島より90キロも先に在る島のことなど唯の一度も登場したことはないし、鬱陵島とその近くの干山島などの小島以外は全く出て来ない。
考えてみればそれは当然のことで、抑々、李氏朝鮮時代には、鬱陵島すら「空島政策」に拠って居住が禁止されていたのだ。鬱陵島より遥か先の島の干山島(竹島)ことなんぞ、関心も認識すらもなかったというのが正直なところだろう。
米国の傀儡として「反日」と「反共」を国是とし、韓国初代大統領に就いた李承晩は昭和27年1月18日、国際法を無視し、勝手に軍事境界線(李承晩ライン)を設定すると、我が国の固有の領土である竹島を取り込んで「韓国領」と宣言した。
我が国の主権が快復する4月28日の直前の1月18日に、我が国の固有の領土であった竹島を掠め取ったというのが真相である。韓国側の竹島の領有権主張は、敗戦間際の旧ソ連と同じ国際法の蹂躙である不法行為を正当化する詭弁でしかない。
戦後、李承晩ラインを侵犯したとして拿捕、抑留された日本人漁民は、「日韓漁業協定」が成立する昭和40年(1965年)の間に3929人に及び、拿捕船舶328隻、死傷者は44名を数えた。韓国政府は日本人抑留者との引換えに、日本国内で犯罪を犯し収監されていた在日朝鮮人472名の放免と日本滞留特別許可を強要する。
驚くことに我が国政府は、韓国の恫喝にあっさり屈し、その要求に応じた。我が国の外交史上で、安易な譲歩が更なる譲歩を生んだ悪しき前例であるが、これ以降、在日朝鮮人が国内に居住続け、在日特権が次々と与えられて行くこととなった。
竹島問題は単に領土主権というだけではなく、在留不良外国人への犯罪及び「在日特権」を考える上でも重要な問題でもある。国民は、領土主権の重要性を再認識すると共に我が国政府の弱腰外交を糺し、失地領土の奪還に立ち上がろう。
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「独島、又は竹島ないしリアンクール岩として知られる島に関しては、この通常無人島である岩島は、我々の情報によれば朝鮮の一部として取り扱われたことは決してなく、1905年頃から日本の島根県隠岐支庁の管轄下にあります。この島はかつて朝鮮によって領土主張がなされたとは思いません」(米国務次官補から韓国大使宛)
我が国が未だに失地領土の恢復が実現出来ないのは、政府の弱腰外交も然ることながら領土主権の重要性や歴史的経緯を知らなさ過ぎるのが要因である。
韓国人の「虚言癖」という病んだ民族性はどうやってもというか、死んでも治ることはない。中でも最大級の嘘が所謂・従軍慰安婦問題と竹島の主権主張だろう。
韓国は竹島を「独島(ドクト)」と称し「古来から韓国固有の領土である」と主張するその根拠は、古代朝鮮の歴史書である「三国史記」に帰着する。
その「三国史記」には、鬱陵島(うつりょうとう)の西隣に在る「干山島(うざんとう)が新羅(しんら)の領土」と書かれていることを歴史的論拠にしている。
「三国史記」とは、三国(新羅・高句麗・百済)時代から、統一新羅末期迄を対象とする王朝の歴史記述である紀伝体の朝鮮半島に現存する最古の歴史書である。
韓国側はこの粗末な歴史書を持ち出して「4~5世紀から韓国領だった」と主張しているが、その古地図での干山島は鬱陵島の西に接近している島だと分かる。
「独島(竹島)」は鬱陵島の東南92キロに在る島なのだから、「干山島が竹島である」と主張することには無理がある。こんな判りきった事実が存在するのにそれを否定し、領有権を主張し竹島を不法占拠を続けているというのが現状である。
歴史的に見れば鬱陵島周辺の小島の呼称が変遷し、「竹島」は「松島」とか「リャンコ島」とか呼ばれた時代もあり、我が国では鬱陵島を「竹島」と呼んでもいたこともある。であるなら、韓国風に言えば「鬱陵島も我が国の領土」となるな(笑)
竹島の過去のこうした呼称も事を紛らわしくしているのも事実だが、李氏朝鮮時代の地図には鬱陵島より90キロも先に在る島のことなど唯の一度も登場したことはないし、鬱陵島とその近くの干山島などの小島以外は全く出て来ない。
考えてみればそれは当然のことで、抑々、李氏朝鮮時代には、鬱陵島すら「空島政策」に拠って居住が禁止されていたのだ。鬱陵島より遥か先の島の干山島(竹島)ことなんぞ、関心も認識すらもなかったというのが正直なところだろう。
米国の傀儡として「反日」と「反共」を国是とし、韓国初代大統領に就いた李承晩は昭和27年1月18日、国際法を無視し、勝手に軍事境界線(李承晩ライン)を設定すると、我が国の固有の領土である竹島を取り込んで「韓国領」と宣言した。
我が国の主権が快復する4月28日の直前の1月18日に、我が国の固有の領土であった竹島を掠め取ったというのが真相である。韓国側の竹島の領有権主張は、敗戦間際の旧ソ連と同じ国際法の蹂躙である不法行為を正当化する詭弁でしかない。
戦後、李承晩ラインを侵犯したとして拿捕、抑留された日本人漁民は、「日韓漁業協定」が成立する昭和40年(1965年)の間に3929人に及び、拿捕船舶328隻、死傷者は44名を数えた。韓国政府は日本人抑留者との引換えに、日本国内で犯罪を犯し収監されていた在日朝鮮人472名の放免と日本滞留特別許可を強要する。
驚くことに我が国政府は、韓国の恫喝にあっさり屈し、その要求に応じた。我が国の外交史上で、安易な譲歩が更なる譲歩を生んだ悪しき前例であるが、これ以降、在日朝鮮人が国内に居住続け、在日特権が次々と与えられて行くこととなった。
竹島問題は単に領土主権というだけではなく、在留不良外国人への犯罪及び「在日特権」を考える上でも重要な問題でもある。国民は、領土主権の重要性を再認識すると共に我が国政府の弱腰外交を糺し、失地領土の奪還に立ち上がろう。
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2024年02月19日
君子は独りを慎むというが愚生の場合「小人閑居して不善を成す」か(笑)
インチキ宗教や拝み屋でも信者がいるのに、正統右翼浪人を自任する愚生の支援者は年々減る一方。要は「強烈な努力」と、何より維新者としての「本気さ」が足らないのだろう。連絡が来たと思えばボランテイア的な困り事相談ばっか(苦笑)
愚生の性格上、困り事や相談事を聞くと報酬なんぞより、その相手側の卑怯さや狡さが我慢出来ず自分事の様に感じてしまうのが長所であるが悪い癖でもある。
相談相手も困ってるのは分かるが、タダでやってやると相談の際にはあったであろう感謝の気持ちが薄れるのは確か。本当に困ってるのは愚生の方なのになぁ。
ブログも4つやってるが最近はどうもヤル気が失せている。政治批評ブログを綴っているが、同じ様な内容だし、タダで読めるし、アップされるのが当たり前の様に感じてる節がある。因みに「当たり前」の反対語は「有り難い」である。
身近な者や身近に存在する人の意見というのは、いつも聞けるということもあって中々耳に入ることはない。「近くの坊さんえらくない」とか「遠きは花の香、近きは糞(クソ)の香」という喩えがあるが、それに近い気がするな(笑)
例えば、近所の神社仏閣というのは身近過ぎて、当たり前に存在してるから有難く感じないもの。それと同じで、身近な人からの意見や苦言は疎んじられたり軽んじられるが、その軽んじられてる意見が正論だったり事実だったりするものだ。
こうしたことを分かり易く喩えるなら、キリストは愛を説いて十字架に架けられた。日蓮は道を説いて流罪に遭った。政治家もまた偉いヤツほど殺されている。そう考えれば、凶弾に斃れた安倍晋三という政治家も偉かったということだ。
古来、真理を説き、道理を訴えた者は世の中に受け容れられることはなく、偉人といわれる多くはバカかキチガイ扱いされた上に、罰せられるか殺されている。
ガリレオ・ガリレイもそう。「天動説」が当り前だった時代に「地球が太陽の周りを廻ってる」などとはキチガイの戯言だった。結果、ガリレオは、世を誑かす者だとして宗教裁判にかけられた。これが当時の大勢であり正論だったのだ。
現代に於いても、当たり前だとか正論だと思っていることはマスコミに因って創られてるものばかり。正しいことというのは、いつの世も後になって気付くもの。現代の正論も後の世には、間違いや非常識とされ批難されることも無きにしも非ず。
目先の事しか考えないそんな時代に、SNSなどで必死に「これが正しい」と吠えたところで理解してくれないのは当然のこと。何しろ世の中にはバカの方が多いのだから、どうしてもそういう結果になってしまうのは自明の理でもある。
今のあやふやな世の中に於いて、「あの人は善い人だ」とか「あの考えは正しい」などというのは、古来に学べば大半は間違っていると思った方が好い(笑)
大勢というのはいつの世もマスコミや一部の扇動者に因って創られるもので、単に平均的意見に過ぎないのである。「オレは人が好い」とか「善人だ」と周りに吹聴してるヤツに限って、その裏では何をやってるか分かったものではない。
そんな紳士面した地元の名士の裏の顔を暴いてるのが、暴露系ブログの「汚れた顔の紳士達」。政治批評の数倍の閲覧者はいるが、支援者どころか会費さえも払わずタダ読みしてる連中ばっかで、コピーして配ってる輩もいるのには厭きれる。
愚生の経験上、笑顔を浮かべてるヤツ、愛想好く振る舞ってるヤツというのは意外と性格が悪いのが多く、単に調子がイイだけに過ぎない。「笑うと目が無くなるヤツは信用するな!」という訓えがあるが、強ち間違いではない。
作られた笑顔の裏の顔というのは実に不似合いで醜いもの。笑顔で自分を誤魔化そうとしているに過ぎず、逆にブスっと無表情のヤツの方が案外信頼出来るものだ。「剛毅朴訥は仁に近し」とは正しく。その逆が「巧言令色鮮し仁」である。
返事もそう。何でもかんでも「ハイ、分かりました」なんていうヤツは実は意外と聞いていない。此方が話をしてる最中に、此方の目をじっと目を見ているヤツもダメだ。そういうのは相手側に自分の気持ちを悟られまいとしてるだけ。
女房が「アナタ、私の目を見なさい」とか「オレの目を見て話せ」という刑事が使う手だな。話を聞き乍らも目を伏せ、要点をメモしたり、同意した内容があれば視線を上げ、此方の目を合わせ相槌を打つ様な人物なら使い物になるだろう。
何事も、信用し過ぎず、違う角度から穿った見方をすることも必要なことでもある。何故なら、現在の常識や多くの意見というのは、マスコミや或いは戦後に創られた米国の価値観だったり。大事なのは、常に人を見抜く眼力を養うことだ。
愚生にしても、同じ様な薀蓄や能書きを連日綴ってると、有難みも薄れて、軽んじられてしまうのも当たり前といえば当たり前。当たり前だから感謝されない。
右翼の本分とは、日本の純粋性を曇らすもの、それは「共産主義」であろうが「資本主義」「民主主義」であろうが、我が国の国柄や国體を損ねる主義思想に断固として対峙する覚悟であるが、愈々その覚悟も慢性的不如意で挫けそうにもなる。
四書の一つ「大学」に「君子必慎其独也 小人閑居為不善」という教えがある。君子は独りでいる時に必ず慎み深くするが、小人は他人の目がないと悪い事をするとの意味。小人の愚生は暇だと好からぬことを考えてしまうので、徒然なる儘に政治思想や由無し事をブログやSNS綴って余計なことは考えない様にしている。呵呵。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
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愚生の性格上、困り事や相談事を聞くと報酬なんぞより、その相手側の卑怯さや狡さが我慢出来ず自分事の様に感じてしまうのが長所であるが悪い癖でもある。
相談相手も困ってるのは分かるが、タダでやってやると相談の際にはあったであろう感謝の気持ちが薄れるのは確か。本当に困ってるのは愚生の方なのになぁ。
ブログも4つやってるが最近はどうもヤル気が失せている。政治批評ブログを綴っているが、同じ様な内容だし、タダで読めるし、アップされるのが当たり前の様に感じてる節がある。因みに「当たり前」の反対語は「有り難い」である。
身近な者や身近に存在する人の意見というのは、いつも聞けるということもあって中々耳に入ることはない。「近くの坊さんえらくない」とか「遠きは花の香、近きは糞(クソ)の香」という喩えがあるが、それに近い気がするな(笑)
例えば、近所の神社仏閣というのは身近過ぎて、当たり前に存在してるから有難く感じないもの。それと同じで、身近な人からの意見や苦言は疎んじられたり軽んじられるが、その軽んじられてる意見が正論だったり事実だったりするものだ。
こうしたことを分かり易く喩えるなら、キリストは愛を説いて十字架に架けられた。日蓮は道を説いて流罪に遭った。政治家もまた偉いヤツほど殺されている。そう考えれば、凶弾に斃れた安倍晋三という政治家も偉かったということだ。
古来、真理を説き、道理を訴えた者は世の中に受け容れられることはなく、偉人といわれる多くはバカかキチガイ扱いされた上に、罰せられるか殺されている。
ガリレオ・ガリレイもそう。「天動説」が当り前だった時代に「地球が太陽の周りを廻ってる」などとはキチガイの戯言だった。結果、ガリレオは、世を誑かす者だとして宗教裁判にかけられた。これが当時の大勢であり正論だったのだ。
現代に於いても、当たり前だとか正論だと思っていることはマスコミに因って創られてるものばかり。正しいことというのは、いつの世も後になって気付くもの。現代の正論も後の世には、間違いや非常識とされ批難されることも無きにしも非ず。
目先の事しか考えないそんな時代に、SNSなどで必死に「これが正しい」と吠えたところで理解してくれないのは当然のこと。何しろ世の中にはバカの方が多いのだから、どうしてもそういう結果になってしまうのは自明の理でもある。
今のあやふやな世の中に於いて、「あの人は善い人だ」とか「あの考えは正しい」などというのは、古来に学べば大半は間違っていると思った方が好い(笑)
大勢というのはいつの世もマスコミや一部の扇動者に因って創られるもので、単に平均的意見に過ぎないのである。「オレは人が好い」とか「善人だ」と周りに吹聴してるヤツに限って、その裏では何をやってるか分かったものではない。
そんな紳士面した地元の名士の裏の顔を暴いてるのが、暴露系ブログの「汚れた顔の紳士達」。政治批評の数倍の閲覧者はいるが、支援者どころか会費さえも払わずタダ読みしてる連中ばっかで、コピーして配ってる輩もいるのには厭きれる。
愚生の経験上、笑顔を浮かべてるヤツ、愛想好く振る舞ってるヤツというのは意外と性格が悪いのが多く、単に調子がイイだけに過ぎない。「笑うと目が無くなるヤツは信用するな!」という訓えがあるが、強ち間違いではない。
作られた笑顔の裏の顔というのは実に不似合いで醜いもの。笑顔で自分を誤魔化そうとしているに過ぎず、逆にブスっと無表情のヤツの方が案外信頼出来るものだ。「剛毅朴訥は仁に近し」とは正しく。その逆が「巧言令色鮮し仁」である。
返事もそう。何でもかんでも「ハイ、分かりました」なんていうヤツは実は意外と聞いていない。此方が話をしてる最中に、此方の目をじっと目を見ているヤツもダメだ。そういうのは相手側に自分の気持ちを悟られまいとしてるだけ。
女房が「アナタ、私の目を見なさい」とか「オレの目を見て話せ」という刑事が使う手だな。話を聞き乍らも目を伏せ、要点をメモしたり、同意した内容があれば視線を上げ、此方の目を合わせ相槌を打つ様な人物なら使い物になるだろう。
何事も、信用し過ぎず、違う角度から穿った見方をすることも必要なことでもある。何故なら、現在の常識や多くの意見というのは、マスコミや或いは戦後に創られた米国の価値観だったり。大事なのは、常に人を見抜く眼力を養うことだ。
愚生にしても、同じ様な薀蓄や能書きを連日綴ってると、有難みも薄れて、軽んじられてしまうのも当たり前といえば当たり前。当たり前だから感謝されない。
右翼の本分とは、日本の純粋性を曇らすもの、それは「共産主義」であろうが「資本主義」「民主主義」であろうが、我が国の国柄や国體を損ねる主義思想に断固として対峙する覚悟であるが、愈々その覚悟も慢性的不如意で挫けそうにもなる。
四書の一つ「大学」に「君子必慎其独也 小人閑居為不善」という教えがある。君子は独りでいる時に必ず慎み深くするが、小人は他人の目がないと悪い事をするとの意味。小人の愚生は暇だと好からぬことを考えてしまうので、徒然なる儘に政治思想や由無し事をブログやSNS綴って余計なことは考えない様にしている。呵呵。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
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2024年02月16日
男子たるもの厨房に入るべからずどころか進んで厨房に這入るべし!
「愚妻の弁当や料理は愚生の担当」などというとビックリされる。亭主関白に見えるらしいが、山の神には逆らえないというか逆らわない。やることもやってないし、小遣いも月に1万円しかやらないのに偉そうにしてたらブッ飛ばされるし(笑)
中学時代、「前略おふくろ様」に憧れて、和食料理人を目指そうと思ったこともあるし、料理は好きだから苦にはならない。ストレス解消にもなり、その日の気分で何でもあり。冷蔵庫の残りものとかの簡単料理ばかりだが、何より作ってて愉しい。
「門前の小僧習わぬ経を読む」ではないが、食堂の子倅として育ったので味覚は確りしてると思う。得意料理は中華で、下手な中華屋より美味しいと自負してる。
付き合っていく上で味覚というのは大事な価値観でもある。同じ料理を食べて互いに「うん、美味いなぁ」となればホンモノの関係だろう。何もこうした関係は夫婦に限らない。友人関係でも、同じ様に感じればそれは相性の好い印しと言える。
料理の他にも、風景にしろ、同じ感動があるならそれは最高の相性と言える。だが、そこに政治や思想や宗教とかが絡んで来るとややこしくなるが(笑)
閑話休題。昔は「男子厨房に入るべからず」だとか「男は台所へ首を突っ込むものではない」と聞いたものだが、誰がこんなことを言い始めたのだろう。やはり、男性社会日本の陋習とも言えなくもない。そりゃフェミニストらが騒ぐわな(笑)
「家庭料理は女性が作るもの」というのは単なる固定観念。男性が外で働き、女性が家を護る時代ならそんなこともあるのだろうが、「男子厨房に入るべからず」とは、家庭を預かる主婦の亭主への思いやりから出でた言葉ではなかろうか。
織田信長にしろ豊臣秀吉にしろ、加藤清正や伊達政宗でも、戦国時代の一流の男達はみんな台所へ首を突っ込んでいる。愚生の好きな「鬼平犯科帳」の長谷川平蔵や「剣客商売」の秋山小兵衛にしても料理を彼是と指南するシーンは多い。
自分で包丁を持たなくても、きっちり女房に指示するのが亭主の責任でもある。偉そうにしているのもそれはそれで好いが、それでいて「これが不味い」「あれじゃダメだ」というのは、つまりは自ら甲斐性が無いと言っている様なものだ。
「馳走」とは、来客に食事などを振る舞って心から持て成すことをいうが、食材を選りすぐり、調達して、心を込めて料理をして相手を楽しませること。そういう意味では、料理を女房任せにするというのは持て成す側の心構えが乏しいと言える。
寺院には「典座(てんぞ)」という僧がいる。多くの僧の床座や食事などの雑事を司る役僧で、今では食事係の僧のことを「典座」という様になったという。
日本曹洞宗の開祖である道元の教えの一つに、「喜心老心大心(きしんろうしんだいしん)」というのがある。「喜心」とは、その名の通り喜ぶ心のことであり、料理する喜びや、食べてくれる人の笑顔に喜びを感じる心などのことだ。
「老心」は、子供を想う親の心で接しなさいという戒めで、「大心」というのは偏りのない広い心を持ち、謙虚にして初心忘れるべからずという意。この「喜心老心大心」の教えは料理人ならば絶対不可欠なものだが、横柄な店も少なくない。
亭主というのは、ある意味で「典座」の僧の様であらねばならない。亭主関白ぶって自ら台所に立たずとも、客が来たなら「典座」の心で客を持て成し、また、毎日料理をしてくれる女房にも感謝することは忘れてはならないということだ。
日々こういう心構えでいれば「男女共同参画社会」なんてのは要らないし、SDGsや補助金目当ての無駄な予算を廃止して少子化対策や国防費の充実に充てよ。
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中学時代、「前略おふくろ様」に憧れて、和食料理人を目指そうと思ったこともあるし、料理は好きだから苦にはならない。ストレス解消にもなり、その日の気分で何でもあり。冷蔵庫の残りものとかの簡単料理ばかりだが、何より作ってて愉しい。
「門前の小僧習わぬ経を読む」ではないが、食堂の子倅として育ったので味覚は確りしてると思う。得意料理は中華で、下手な中華屋より美味しいと自負してる。
付き合っていく上で味覚というのは大事な価値観でもある。同じ料理を食べて互いに「うん、美味いなぁ」となればホンモノの関係だろう。何もこうした関係は夫婦に限らない。友人関係でも、同じ様に感じればそれは相性の好い印しと言える。
料理の他にも、風景にしろ、同じ感動があるならそれは最高の相性と言える。だが、そこに政治や思想や宗教とかが絡んで来るとややこしくなるが(笑)
閑話休題。昔は「男子厨房に入るべからず」だとか「男は台所へ首を突っ込むものではない」と聞いたものだが、誰がこんなことを言い始めたのだろう。やはり、男性社会日本の陋習とも言えなくもない。そりゃフェミニストらが騒ぐわな(笑)
「家庭料理は女性が作るもの」というのは単なる固定観念。男性が外で働き、女性が家を護る時代ならそんなこともあるのだろうが、「男子厨房に入るべからず」とは、家庭を預かる主婦の亭主への思いやりから出でた言葉ではなかろうか。
織田信長にしろ豊臣秀吉にしろ、加藤清正や伊達政宗でも、戦国時代の一流の男達はみんな台所へ首を突っ込んでいる。愚生の好きな「鬼平犯科帳」の長谷川平蔵や「剣客商売」の秋山小兵衛にしても料理を彼是と指南するシーンは多い。
自分で包丁を持たなくても、きっちり女房に指示するのが亭主の責任でもある。偉そうにしているのもそれはそれで好いが、それでいて「これが不味い」「あれじゃダメだ」というのは、つまりは自ら甲斐性が無いと言っている様なものだ。
「馳走」とは、来客に食事などを振る舞って心から持て成すことをいうが、食材を選りすぐり、調達して、心を込めて料理をして相手を楽しませること。そういう意味では、料理を女房任せにするというのは持て成す側の心構えが乏しいと言える。
寺院には「典座(てんぞ)」という僧がいる。多くの僧の床座や食事などの雑事を司る役僧で、今では食事係の僧のことを「典座」という様になったという。
日本曹洞宗の開祖である道元の教えの一つに、「喜心老心大心(きしんろうしんだいしん)」というのがある。「喜心」とは、その名の通り喜ぶ心のことであり、料理する喜びや、食べてくれる人の笑顔に喜びを感じる心などのことだ。
「老心」は、子供を想う親の心で接しなさいという戒めで、「大心」というのは偏りのない広い心を持ち、謙虚にして初心忘れるべからずという意。この「喜心老心大心」の教えは料理人ならば絶対不可欠なものだが、横柄な店も少なくない。
亭主というのは、ある意味で「典座」の僧の様であらねばならない。亭主関白ぶって自ら台所に立たずとも、客が来たなら「典座」の心で客を持て成し、また、毎日料理をしてくれる女房にも感謝することは忘れてはならないということだ。
日々こういう心構えでいれば「男女共同参画社会」なんてのは要らないし、SDGsや補助金目当ての無駄な予算を廃止して少子化対策や国防費の充実に充てよ。
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2024年02月14日
選択的夫婦別姓を推進する勢力の真の目的は「戸籍法」の廃止
経団連の十倉雅和(住友化学会長)は定例記者会見で、選択的夫婦別姓について「何故、こんなに長い時間、棚晒しになってるのか分からない」と批判し、「政府は一丁目一番地として、是非(選択的夫婦別姓)やっていただきたい」と述べた。
十倉は、選択的夫婦別姓の導入は「女性の就労をサポートする」としているが、女性の社会進出が婚姻率の低下と少子化に繋がってることも考慮するべきだ。
終身雇用制度が無くなり、男性が働き、女性が家庭を守ると言った価値観が崩壊したのは、経団連を始めとした営利至上主義の経済団体が元凶である。彼奴等は、夫婦別姓推進派であると同時に移民推進派でもあるが、正に国體破壊論者ばかり。
その昔、元楯の会の伊藤好雄と西尾俊一、元大東塾生の森田忠明と憂国同志会の野村秋介の4名が経団連襲撃事件を惹起した。現在の経団連の営利至上主義及び国體破壊の施策強要は目に余る。第二の経団連襲撃事件が起きる可能性は否めない。
「夫婦別姓が男女平等の理想」とか「別姓は仕事上の不都合を生む」との主張を不審に思う国民が多くなり「夫婦別姓」運動は衰退した。別姓導入に執着する別姓推進派は次の手段として「選択的夫婦別姓」という新たな戦略を展開している。
平成10年以来、「民法の一部を改正する法律案」が国会に10数回提出され、選択的夫婦別姓制度について議論が成されているが、「選択的」と誤魔化してはいるが、我が国には馴染まない制度ということもあって国民的合意には至っていない。
自民党議員らが10年以上に亘って騙されていた「夫婦別姓」運動と同じ騙され方をしているのが「選択的夫婦別姓」や「女性宮家」問題である。昭和時代のあからさまな左翼活動ではなく、カタチを替えた巧妙な左翼活動に騙されてはならない。
現在は住民票に旧姓を併記出来るし、免許証やパスポートなどの公的な身分証明証も旧姓併記は可能。つまり、法律を変える必要は全くなく、「旧制を通称ではなく、法律上の根拠を持って使える制度(婚姻前氏俗称制度)」の主張は支離滅裂。
住民票や免許証が旧姓併記になってるし、抑々、婚姻に際して氏を変える者で職業上不都合が生じる人にとって、通称名で旧姓を使用することが一般化しており、婚姻に際して氏を変更するも、関係者知人に告知することにより何の問題も生じない。
同姓が嫌なら、同棲など事実婚でイイだけのことだろう。だが、そうした変態的な意見より、結婚に際し同じ姓となり、これから新たな家庭を築くという喜びを持つ夫婦の方が圧倒的多数であり、それが極めて一般的な普通の感覚ではあるまいか。
夫婦同姓は、普通の日本人にとって極めて自然な制度であり、現代社会で家族とその絆を支えているのが「戸籍」であり、戸籍は、国民の出生・結婚・死亡などの身分の変動を「夫婦と未婚の子」を単位として登録するシステムである。
選択的と雖も夫婦別姓が導入されれば家族制度は瓦解し、祖先と家族・親と子を結ぶ連帯意識や倫理道徳観に悪影響を及ぼすのは必至。だが、推進派の目的が日本的家族制度の破壊と国體破壊に在るとすれば合点が行くというものだろう。
十倉を始めとした選択的夫婦別姓を導入派は、「選択的夫婦別姓を導入していないのは世界で日本だけ」と訴えて世論を引き込もうとしているが、世界に誇る戸籍法廃止への一里塚である選択的夫婦別姓を推進・導入させようとは国賊の所業である。
家族の一体感を維持しその絆を支えているのが「戸籍」である。国民の出生・結婚・死亡などの身分の変動を「夫婦と未婚の子」を単位として登録する戸籍制度は、結婚や相続など家族生活を営む上で極めて重要な役割を担っている。
夫婦別姓推進派は我が国が世界に誇る「戸籍制度の廃止」を実行させ、日本的家族制度を瓦解させることに成功させた後は、天皇及び皇室の廃止を目論む。
以前、杉田水脈議員の「別姓するくらいなら結婚などしなきゃイイ」との野次が批判されたが、至って普通の日本人の感覚だ。十倉や橋下徹らの執拗な別姓推進の究極の目的が「戸籍法廃止」に在るのだとすれば合点が行くというものだろう。
夫婦別姓推進派は、現在の戸籍制度が、家族単位である点を「戦前の家父長制度の残滓」と捉えており、戸籍を個人単位の「個籍」や「個人登録制」に改めることを求めている。こうした考えは家族制度の解体を意図していることは明らか。
現在は「民法」と「戸籍法」に拠って婚姻の際の氏(姓)を決める。 民法第750条には「夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する」と明記されており、夫婦何れかの「氏」を夫婦の氏とすることは理解出来るだろう。
この規定を大半の国民は「夫婦になるどちらかが氏を変える」と理解しているが、「氏は個人の名前の一部」という誤解と勘違いが混乱を招いているのも確かである。 戸籍でいう「氏」というものは個人を表す名称ではないことを知らないのか。
明治維新以前には武士や大店の商人以外の民には氏などない。明治維新以降、戸籍を整える為に全ての国民に「氏」を与え、国民は皇室の在り方を理想とした。
戸籍には筆頭者のみが氏と名で書かれており、その他の家族は続柄と名しか書かれていない。つまり、「氏」は個人の名前ではなく「家族」を表す名称であり、つまり日本人の日本人らしさの根幹を成すものが「戸籍制度」であるのだ。
戸籍制度は個人だけでなく、親兄弟や子供といった歴史の縦軸の中に生きるという制度であり、正に我が国の戸籍制度は世界に誇る制度であると言えるのだ。
十倉もそうだが、こうした問題が出ると、問題を突き詰めることなく「世界ではこうだ」とか「何処何処の国では」という実に怪しげな意見を散見する。だが、他所の国なんぞどうでもイイではないか。日本は日本だ。別に模倣なんぞしなくて好い。
「選択的夫婦別姓制度」を導入したイタリア、オーストリア、ドイツ、デンマーク、スウェーデン、ハンガリー、フランス、スペインなど欧州の国々では、婚姻率が4割以上も減り、離婚率が2倍となり、婚外子の割合が5割も増加してしまった。
北欧やフランスでも婚外子が5割を超え、従来の家族制度が崩壊している。その原因は「選択的夫婦別姓制度」の導入が最大の理由。婚姻率が下がり、少子化対策を急がねばならないのに、選択的夫婦別姓を導入しようとは狂気の沙汰である。
選択的と雖も、夫婦別姓が導入され、別姓世代が続けば家系は確実に混乱して、我が国の戸籍制度や家族制度は瓦解し、祖先と家族・親と子を結ぶ連帯意識や地域の一体感、延いては日本人の倫理道徳観にまで悪影響を及ぼすのは必至である。
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十倉は、選択的夫婦別姓の導入は「女性の就労をサポートする」としているが、女性の社会進出が婚姻率の低下と少子化に繋がってることも考慮するべきだ。
終身雇用制度が無くなり、男性が働き、女性が家庭を守ると言った価値観が崩壊したのは、経団連を始めとした営利至上主義の経済団体が元凶である。彼奴等は、夫婦別姓推進派であると同時に移民推進派でもあるが、正に国體破壊論者ばかり。
その昔、元楯の会の伊藤好雄と西尾俊一、元大東塾生の森田忠明と憂国同志会の野村秋介の4名が経団連襲撃事件を惹起した。現在の経団連の営利至上主義及び国體破壊の施策強要は目に余る。第二の経団連襲撃事件が起きる可能性は否めない。
「夫婦別姓が男女平等の理想」とか「別姓は仕事上の不都合を生む」との主張を不審に思う国民が多くなり「夫婦別姓」運動は衰退した。別姓導入に執着する別姓推進派は次の手段として「選択的夫婦別姓」という新たな戦略を展開している。
平成10年以来、「民法の一部を改正する法律案」が国会に10数回提出され、選択的夫婦別姓制度について議論が成されているが、「選択的」と誤魔化してはいるが、我が国には馴染まない制度ということもあって国民的合意には至っていない。
自民党議員らが10年以上に亘って騙されていた「夫婦別姓」運動と同じ騙され方をしているのが「選択的夫婦別姓」や「女性宮家」問題である。昭和時代のあからさまな左翼活動ではなく、カタチを替えた巧妙な左翼活動に騙されてはならない。
現在は住民票に旧姓を併記出来るし、免許証やパスポートなどの公的な身分証明証も旧姓併記は可能。つまり、法律を変える必要は全くなく、「旧制を通称ではなく、法律上の根拠を持って使える制度(婚姻前氏俗称制度)」の主張は支離滅裂。
住民票や免許証が旧姓併記になってるし、抑々、婚姻に際して氏を変える者で職業上不都合が生じる人にとって、通称名で旧姓を使用することが一般化しており、婚姻に際して氏を変更するも、関係者知人に告知することにより何の問題も生じない。
同姓が嫌なら、同棲など事実婚でイイだけのことだろう。だが、そうした変態的な意見より、結婚に際し同じ姓となり、これから新たな家庭を築くという喜びを持つ夫婦の方が圧倒的多数であり、それが極めて一般的な普通の感覚ではあるまいか。
夫婦同姓は、普通の日本人にとって極めて自然な制度であり、現代社会で家族とその絆を支えているのが「戸籍」であり、戸籍は、国民の出生・結婚・死亡などの身分の変動を「夫婦と未婚の子」を単位として登録するシステムである。
選択的と雖も夫婦別姓が導入されれば家族制度は瓦解し、祖先と家族・親と子を結ぶ連帯意識や倫理道徳観に悪影響を及ぼすのは必至。だが、推進派の目的が日本的家族制度の破壊と国體破壊に在るとすれば合点が行くというものだろう。
十倉を始めとした選択的夫婦別姓を導入派は、「選択的夫婦別姓を導入していないのは世界で日本だけ」と訴えて世論を引き込もうとしているが、世界に誇る戸籍法廃止への一里塚である選択的夫婦別姓を推進・導入させようとは国賊の所業である。
家族の一体感を維持しその絆を支えているのが「戸籍」である。国民の出生・結婚・死亡などの身分の変動を「夫婦と未婚の子」を単位として登録する戸籍制度は、結婚や相続など家族生活を営む上で極めて重要な役割を担っている。
夫婦別姓推進派は我が国が世界に誇る「戸籍制度の廃止」を実行させ、日本的家族制度を瓦解させることに成功させた後は、天皇及び皇室の廃止を目論む。
以前、杉田水脈議員の「別姓するくらいなら結婚などしなきゃイイ」との野次が批判されたが、至って普通の日本人の感覚だ。十倉や橋下徹らの執拗な別姓推進の究極の目的が「戸籍法廃止」に在るのだとすれば合点が行くというものだろう。
夫婦別姓推進派は、現在の戸籍制度が、家族単位である点を「戦前の家父長制度の残滓」と捉えており、戸籍を個人単位の「個籍」や「個人登録制」に改めることを求めている。こうした考えは家族制度の解体を意図していることは明らか。
現在は「民法」と「戸籍法」に拠って婚姻の際の氏(姓)を決める。 民法第750条には「夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する」と明記されており、夫婦何れかの「氏」を夫婦の氏とすることは理解出来るだろう。
この規定を大半の国民は「夫婦になるどちらかが氏を変える」と理解しているが、「氏は個人の名前の一部」という誤解と勘違いが混乱を招いているのも確かである。 戸籍でいう「氏」というものは個人を表す名称ではないことを知らないのか。
明治維新以前には武士や大店の商人以外の民には氏などない。明治維新以降、戸籍を整える為に全ての国民に「氏」を与え、国民は皇室の在り方を理想とした。
戸籍には筆頭者のみが氏と名で書かれており、その他の家族は続柄と名しか書かれていない。つまり、「氏」は個人の名前ではなく「家族」を表す名称であり、つまり日本人の日本人らしさの根幹を成すものが「戸籍制度」であるのだ。
戸籍制度は個人だけでなく、親兄弟や子供といった歴史の縦軸の中に生きるという制度であり、正に我が国の戸籍制度は世界に誇る制度であると言えるのだ。
十倉もそうだが、こうした問題が出ると、問題を突き詰めることなく「世界ではこうだ」とか「何処何処の国では」という実に怪しげな意見を散見する。だが、他所の国なんぞどうでもイイではないか。日本は日本だ。別に模倣なんぞしなくて好い。
「選択的夫婦別姓制度」を導入したイタリア、オーストリア、ドイツ、デンマーク、スウェーデン、ハンガリー、フランス、スペインなど欧州の国々では、婚姻率が4割以上も減り、離婚率が2倍となり、婚外子の割合が5割も増加してしまった。
北欧やフランスでも婚外子が5割を超え、従来の家族制度が崩壊している。その原因は「選択的夫婦別姓制度」の導入が最大の理由。婚姻率が下がり、少子化対策を急がねばならないのに、選択的夫婦別姓を導入しようとは狂気の沙汰である。
選択的と雖も、夫婦別姓が導入され、別姓世代が続けば家系は確実に混乱して、我が国の戸籍制度や家族制度は瓦解し、祖先と家族・親と子を結ぶ連帯意識や地域の一体感、延いては日本人の倫理道徳観にまで悪影響を及ぼすのは必至である。
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2024年02月11日
奉祝・紀元節。建国を偲び、国を愛する心を涵養する日に思う
本日は「建国記念日」であり、戦前は「紀元節」として国民挙って奉祝した日である。祝日法には「建国を偲び、国を愛する心を涵養する日」との趣旨がある。では、その「建国を偲び、国を愛する心を涵養する」とは如何なることなのか。
国を愛する心とは、今どきの保守ブームの安っぽい愛国心を昂揚することではなく、八紘を掩(おお)ひて宇(いえ)にせむこと。つまりは神武肇国の大理想である「八紘一宇」を掲げ、天皇國日本の真姿開顕へ奮闘前進することである。
日本人が失った徳目を呼び返す標語として「愛国心」は相応しいと思うが、ネット右翼や自称・愛国者の過熱ぶりを目の当たりにすると、国を愛する心を涵養するどころか、「愛国心」が軽薄なものになってしまっていることも無きにしも非ず。
国旗や旭日旗を仰々しく掲げ、勇ましい言葉が乱舞するが、そこには日本的気風を感じることはなく、折角の「愛国心」が贔屓の引き倒しになってしまってる。
三島由紀夫は嘗て「日本の様な国には、愛国心などという言葉はそぐはないのではないか。大和魂で十分ではないか」と語ったが、この言葉に激しく同意する。
我ら日本人が持つべきは、「大和の心(大和魂)」であり、つまりそれは花鳥風月、山川草木、春夏秋冬の恵まれた自然に逆らわず調和して暮す従順な心である。
国を愛する心の涵養とは、大和心を涵養であり、これ即ち、国学者・本居宣長の宣う、「敷島の大和心を人問わば、朝日に匂う山桜花」、これに極まれり。
明治22年2月11日、「大日本帝国憲法(欽定憲法)」が発布されると、全国各地の神社では紀元節祭を行うこととなる。青年団や在郷軍人会などを中心に建国祭の式典が全国各地で盛大に開催されることになった。だが、終戦で紀元節は廃止。
GHQ統治下の昭和22年、日本国憲法に相応しい祝日の法案に紀元節が「建国の日」として盛り込まれるもGHQが削除。要は、2月11日は大日本帝国憲法の発布記念日であり、日本国憲法を押し付けた側にすれば怪しからんということだ。
我が国がGHQの占領から解放された主権を回復した昭和27年4月28日、「紀元節復活運動」が起きる。昭和33年に国会へ紀元節に関する議案を提出する。
昭和41年に祝日法が改正されると、翌年2月11日に漸く「建国記念の日」として実施され、今日に至っている。「紀元節復活運動」から実に15年の歳月を要した。
本日も全国各地で「神武天皇陵遙拝式」や建国奉祝・紀元節パレードが行われるが、この国に生まれた者として建国を祝うことは至極当たり前の光景である。
一方で「紀元節復活は科学的根拠がない」「軍国主義復活反対」などとして、共産党を始めとした売国団体や護憲派どもが「奉祝反対」の催しをしている。正に、戦後民主主義教育の弊害である「平和ボケ」の日本人を象徴するものである。
「紀元節奉祝反対」を叫ぶ連中の真意は外でもない、国家の大理想が掲げられてる大日本帝国憲法の復活を危惧してのものだ。逆を言えば、明治人の知恵の結晶でもある旧帝国憲法の復元と改正こそが日本人としての正義でもあるということ。
建国を偲び、国を愛する心を涵養する日とするならば、次代を担う子供達や青少年に日本の神話を教え、建国の意義と大理想を伝えて行くべきであろう。
そういう意味でも「建国記念の日」というより、「紀元節」と呼称するのが望ましく、国法である大日本帝国憲法の意義を考える日にしなくてはならないのだ。
「何故に日本人としてこの国に生まれてきたのだろう」と考える。自分に誕生日がある様に国にも誕生日があり、それを祝うのはその国に生まれた者の務めである。
畏くも天皇を仰ぎ奉る大和民族の信念と道統を受け継ぎ、これを護持し、これを宣布し、そして子孫に伝える責任と使命を有するものは、我ら日本人である。
本日の紀元節に当たり、神武肇国の大理想である八紘一宇の精神を天高く掲げ、天皇國日本の真姿開顕へ奮闘前進しようではないか。すめらぎいやさか!
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
国を愛する心とは、今どきの保守ブームの安っぽい愛国心を昂揚することではなく、八紘を掩(おお)ひて宇(いえ)にせむこと。つまりは神武肇国の大理想である「八紘一宇」を掲げ、天皇國日本の真姿開顕へ奮闘前進することである。
日本人が失った徳目を呼び返す標語として「愛国心」は相応しいと思うが、ネット右翼や自称・愛国者の過熱ぶりを目の当たりにすると、国を愛する心を涵養するどころか、「愛国心」が軽薄なものになってしまっていることも無きにしも非ず。
国旗や旭日旗を仰々しく掲げ、勇ましい言葉が乱舞するが、そこには日本的気風を感じることはなく、折角の「愛国心」が贔屓の引き倒しになってしまってる。
三島由紀夫は嘗て「日本の様な国には、愛国心などという言葉はそぐはないのではないか。大和魂で十分ではないか」と語ったが、この言葉に激しく同意する。
我ら日本人が持つべきは、「大和の心(大和魂)」であり、つまりそれは花鳥風月、山川草木、春夏秋冬の恵まれた自然に逆らわず調和して暮す従順な心である。
国を愛する心の涵養とは、大和心を涵養であり、これ即ち、国学者・本居宣長の宣う、「敷島の大和心を人問わば、朝日に匂う山桜花」、これに極まれり。
明治22年2月11日、「大日本帝国憲法(欽定憲法)」が発布されると、全国各地の神社では紀元節祭を行うこととなる。青年団や在郷軍人会などを中心に建国祭の式典が全国各地で盛大に開催されることになった。だが、終戦で紀元節は廃止。
GHQ統治下の昭和22年、日本国憲法に相応しい祝日の法案に紀元節が「建国の日」として盛り込まれるもGHQが削除。要は、2月11日は大日本帝国憲法の発布記念日であり、日本国憲法を押し付けた側にすれば怪しからんということだ。
我が国がGHQの占領から解放された主権を回復した昭和27年4月28日、「紀元節復活運動」が起きる。昭和33年に国会へ紀元節に関する議案を提出する。
昭和41年に祝日法が改正されると、翌年2月11日に漸く「建国記念の日」として実施され、今日に至っている。「紀元節復活運動」から実に15年の歳月を要した。
本日も全国各地で「神武天皇陵遙拝式」や建国奉祝・紀元節パレードが行われるが、この国に生まれた者として建国を祝うことは至極当たり前の光景である。
一方で「紀元節復活は科学的根拠がない」「軍国主義復活反対」などとして、共産党を始めとした売国団体や護憲派どもが「奉祝反対」の催しをしている。正に、戦後民主主義教育の弊害である「平和ボケ」の日本人を象徴するものである。
「紀元節奉祝反対」を叫ぶ連中の真意は外でもない、国家の大理想が掲げられてる大日本帝国憲法の復活を危惧してのものだ。逆を言えば、明治人の知恵の結晶でもある旧帝国憲法の復元と改正こそが日本人としての正義でもあるということ。
建国を偲び、国を愛する心を涵養する日とするならば、次代を担う子供達や青少年に日本の神話を教え、建国の意義と大理想を伝えて行くべきであろう。
そういう意味でも「建国記念の日」というより、「紀元節」と呼称するのが望ましく、国法である大日本帝国憲法の意義を考える日にしなくてはならないのだ。
「何故に日本人としてこの国に生まれてきたのだろう」と考える。自分に誕生日がある様に国にも誕生日があり、それを祝うのはその国に生まれた者の務めである。
畏くも天皇を仰ぎ奉る大和民族の信念と道統を受け継ぎ、これを護持し、これを宣布し、そして子孫に伝える責任と使命を有するものは、我ら日本人である。
本日の紀元節に当たり、神武肇国の大理想である八紘一宇の精神を天高く掲げ、天皇國日本の真姿開顕へ奮闘前進しようではないか。すめらぎいやさか!
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
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2024年02月09日
日本民族の生死を賭けた日露戦争開戦記念日を忘れるな!
明治37(1904)年2月8日、旅順港に停泊中のロシア旅順艦隊に日本海軍駆逐艦が奇襲攻撃。日本陸軍先遣部隊が朝鮮仁川に上陸。翌9日、仁川港外に派遣されていたロシアの巡洋艦ヴァリャーグと砲艦コレーエツを攻撃し自沈に追い込んだ。
この「仁川沖海戦(じんせんおきかいせん)」を以て、日本民族の生死を賭けた日露戦争の火蓋が切られた。翌10日、我が国政府はロシアに宣戦布告する。
極東の小国に過ぎなかった我が国と、当時、世界最大の軍事大国と言われていたロシアとの戦いは実に一年半にも及び、我が国が奇跡的大勝利を成し遂げた。
固唾を呑んで見守っていた世界の人々の誰もがロシアの勝利を疑わず、そんな中で「日本大勝利」の報は極東小国日本の存在を世界に知らしめ、人々を驚嘆させた。
日露戦争前、ロシアに占領・弾圧されていたフィンランド、トルコ、ポーランドの国々や、有色人種として差別されていた民族にとって日露戦争での日本勝利という結果は、国家と民族の存在を決定的に変える程の影響を齎したのである。
15世紀の大航海時代以来、白人に因る世界制覇の滔々たる流れがアジアにも押し寄せ、次々と植民地となって行った。こうした世界の流れに江戸幕府も対応に苦慮する。そんな中で民衆は「国家」というカタチを意識する様になって行った。
そこで起きた明治維新である。我が国は中央集権国家を目指すこととなる。その後に起きた日清戦争、そして国家の存亡を賭けた日露戦争で我が国が勝利したことによって世界は大きく変化し、全世界の有色人種に強烈な影響を与えることなった。
インドのガンジー、ネール、ビルマのオッタマ・ミール、フィリピンのリカルテ、ベトナムのファン・ボイ・チャウ、エジプトのムスタファ・カミール、トルコのケマル・パシャ等等、小国日本の勝利が及ぼした影響は計り知れない。
世界の各地で「日本大勝利」に狂喜し、白人に抑圧されていた民衆は有色人種が白人に劣らないことに確信を持ち、各地で独立運動が湧き上がって行く。米国内でも黒人に人種平等の自信を与え、黒人解放運動の支えとなったのだった。
黒人誌の「インディアナポリス・フリーマン」は当時、次の様な社説を掲げた。
「東洋のリングで、黄色い男達のパンチが白人を打ちのめし続けている。事実、ロシアは繰り返し何度も日本人にこっぴどくやられて、セコンドは今にもタオルを投げ入れ様としている。有色人種がこの試合をものにするには、もう時間の問題だ。長く続いた白人優位の神話が、遂に今突き崩され様としている・・・」
日露戦争勝利から15年後、パリ講和会議に出席す我が国の全権使節団は、国際連盟規約に対し「人種平等の原則」を入れる提案を行う為にパリへ向かった。
途中、ニューヨークに立ち寄った折に、黒人指導者四人が「世界のあらゆる人種差別と偏見を無くす事に尽力して欲しい」という嘆願書を日本全権団に提出する。
だが、黒人指導者のその願い空しく、議長を務める米国大統領ウイルソンに、「採択は全会一致」との詭弁を弄され、この人種平等の要請は拒絶されてしまう。
結局、日露戦争が齎した歴史的課題であった「人種平等の原則」という本格的実現は、大東亜戦争後に実現し、その歴史的大使命が果たされるのだった。
こうした歴史の現実をみれば、我が国は先の大東亜戦争に敗れはしたが、その戦いは大義があり、我が国やアジアにとっても正に聖戦だったことが理解出来よう。
世界史にとっても、日本史にとっても重要な日清戦争や日露戦争の意義と大勝利という輝かしい出来事が、国内では何故か余りにも軽く扱われているのは、未だ我が国がGHQが謀った戦後教育から脱却出来ていない証左でもあろう。
故安倍首相は度度、総裁選や総選挙に於いて「誇りの持てる日本人を育てる」と訴えていたが、未だ自民党が我が国が誇る教育に着手しているとは思えない。
嘗てアジアの、また世界の有色人種国の希望の星であった我が国が、国家の大本と歴史を忘却し、いつまでも米国の配下に甘んじてて好い筈がなかろう。
日露戦争開戦記念日に当たり、先人が決然たる態度で一戦を決した日清・日露の大英断を、そして大東亜戦争の大義を「民族の魂の記憶」として誇り高く、永く後世に継承して往かねばならないと痛感して止まない。すめらぎいやさか。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
この「仁川沖海戦(じんせんおきかいせん)」を以て、日本民族の生死を賭けた日露戦争の火蓋が切られた。翌10日、我が国政府はロシアに宣戦布告する。
極東の小国に過ぎなかった我が国と、当時、世界最大の軍事大国と言われていたロシアとの戦いは実に一年半にも及び、我が国が奇跡的大勝利を成し遂げた。
固唾を呑んで見守っていた世界の人々の誰もがロシアの勝利を疑わず、そんな中で「日本大勝利」の報は極東小国日本の存在を世界に知らしめ、人々を驚嘆させた。
日露戦争前、ロシアに占領・弾圧されていたフィンランド、トルコ、ポーランドの国々や、有色人種として差別されていた民族にとって日露戦争での日本勝利という結果は、国家と民族の存在を決定的に変える程の影響を齎したのである。
15世紀の大航海時代以来、白人に因る世界制覇の滔々たる流れがアジアにも押し寄せ、次々と植民地となって行った。こうした世界の流れに江戸幕府も対応に苦慮する。そんな中で民衆は「国家」というカタチを意識する様になって行った。
そこで起きた明治維新である。我が国は中央集権国家を目指すこととなる。その後に起きた日清戦争、そして国家の存亡を賭けた日露戦争で我が国が勝利したことによって世界は大きく変化し、全世界の有色人種に強烈な影響を与えることなった。
インドのガンジー、ネール、ビルマのオッタマ・ミール、フィリピンのリカルテ、ベトナムのファン・ボイ・チャウ、エジプトのムスタファ・カミール、トルコのケマル・パシャ等等、小国日本の勝利が及ぼした影響は計り知れない。
世界の各地で「日本大勝利」に狂喜し、白人に抑圧されていた民衆は有色人種が白人に劣らないことに確信を持ち、各地で独立運動が湧き上がって行く。米国内でも黒人に人種平等の自信を与え、黒人解放運動の支えとなったのだった。
黒人誌の「インディアナポリス・フリーマン」は当時、次の様な社説を掲げた。
「東洋のリングで、黄色い男達のパンチが白人を打ちのめし続けている。事実、ロシアは繰り返し何度も日本人にこっぴどくやられて、セコンドは今にもタオルを投げ入れ様としている。有色人種がこの試合をものにするには、もう時間の問題だ。長く続いた白人優位の神話が、遂に今突き崩され様としている・・・」
日露戦争勝利から15年後、パリ講和会議に出席す我が国の全権使節団は、国際連盟規約に対し「人種平等の原則」を入れる提案を行う為にパリへ向かった。
途中、ニューヨークに立ち寄った折に、黒人指導者四人が「世界のあらゆる人種差別と偏見を無くす事に尽力して欲しい」という嘆願書を日本全権団に提出する。
だが、黒人指導者のその願い空しく、議長を務める米国大統領ウイルソンに、「採択は全会一致」との詭弁を弄され、この人種平等の要請は拒絶されてしまう。
結局、日露戦争が齎した歴史的課題であった「人種平等の原則」という本格的実現は、大東亜戦争後に実現し、その歴史的大使命が果たされるのだった。
こうした歴史の現実をみれば、我が国は先の大東亜戦争に敗れはしたが、その戦いは大義があり、我が国やアジアにとっても正に聖戦だったことが理解出来よう。
世界史にとっても、日本史にとっても重要な日清戦争や日露戦争の意義と大勝利という輝かしい出来事が、国内では何故か余りにも軽く扱われているのは、未だ我が国がGHQが謀った戦後教育から脱却出来ていない証左でもあろう。
故安倍首相は度度、総裁選や総選挙に於いて「誇りの持てる日本人を育てる」と訴えていたが、未だ自民党が我が国が誇る教育に着手しているとは思えない。
嘗てアジアの、また世界の有色人種国の希望の星であった我が国が、国家の大本と歴史を忘却し、いつまでも米国の配下に甘んじてて好い筈がなかろう。
日露戦争開戦記念日に当たり、先人が決然たる態度で一戦を決した日清・日露の大英断を、そして大東亜戦争の大義を「民族の魂の記憶」として誇り高く、永く後世に継承して往かねばならないと痛感して止まない。すめらぎいやさか。
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2024年02月06日
北方四島返還要求こそ事勿れ主義と軟弱土下座外交の象徴である
2月7日の「北方領土の日」に合わせ、総理府は「北方領土は日本固有の領土です!」などと、御丁寧にも歯舞、色丹、国後、択捉四島の新聞広告を出している。この四島返還運動こそが事勿れ主義の象徴であって、何より税金の無駄使い。
右翼民族派陣営は、国際条約である日ソ不可侵条約が蹂躪された8月9日を「民族痛恨の日・反ロシアデー」としてソヴィエト連邦(ロシア)を糾弾し、北方領土の奪還訴えているが、8月9日が無理ならば、2月7日ではなく、南樺太・全千島が日本に帰属した5月7日に訂正し、北方領土の歴史と事実を国民に啓蒙するべきである。
誰でも自分の土地を他人に奪われて黙っている者はいないだろう。況してや、父祖伝来の国土が他国に強奪されて泣き寝入りする民族が何処にあろうか。
「北方領土奪還」は、正に日本民族の悲願である。ところが、戦後70年も経った今日でも北方領土問題は未だ解決の糸口すら見えて来ないのは一体何故なのか。
思うに、北方領土を含めて領土主権そのものの重要性に対する認識不足と、如何にして不法に占拠されたかの真相把握が欠如していること、更には、ロシアへの認識の甘さと対ロ外交の甘さ等が綯い交ぜとなった結果が未解決の根源であろう。
北方領土は国際条約の「樺太・千島交換条約」並びに「日露講和条約」の締結に拠って、歯舞、色丹、国後、択捉の四島を含む、北は占守(シュムシュ)島から得撫(ウルップ)島の全千島列島と南樺太が、我が国の固有の領土となった。
領土問題では、共産党が「全千島、南樺太の主権」を訴えているが、この認識が正しく、共産党でも分かることが、自民党を始めとした保守を自任する政党や政治家が理解していないのは実に情けない。過去に国会に於いて「四島返還決議」を採択しているが、この四島返還要求こそ、事勿れ主義と軟弱土下座外交の象徴である。
明治の先人達の外交努力を無視し、我が国に全千島列島及び南樺太の主権が在るにも拘らず四島のみの主張を明記し、見す見す権利を放棄するとは理解に苦しむ。
ペリーが浦賀に来航した2年後の安政元年(1855)2月7日、江戸幕府は伊豆下田でロシアと交渉し、「日露和親条約」を締結。歯舞、色丹、国後、択捉の四島と千島列島の間に境界線が引かれ、樺太を混住の地と決めた。「北方領土の日」はこの歴史がその根拠となっているのだが、締結したのは江戸幕府であって日本国ではない。
歴史には続きがある。明治維新を成し遂げた日本政府は、榎本武揚を全権特命大使として派遣して外交交渉を重ねた結果、明治8年(1875)5月7日、ロシアとの間で「樺太・千島交換条約(サンクトペテルブルク条約)」が締結されるに至った。
その結果、ロシア人と日本人の混住の地であった樺太の北側と千島列島を交換したことで、南樺太と占守島までの全千島列島が我が国に帰属したのである。
その後、1945年(昭和20年)2月4日から11日にかけて、米国のルーズベルト、ソ連のスターリン、英国のチャーチルらがロシア領のクリミア諸島のヤルタに集い密談が交わされた。この会談に於いて、ルーズベルトは、千島列島をソ連に引き渡すことを条件に、日ソ中立条約の破棄を進言し、ソ連の対日参戦を促している。
ヤルタ協定では、「ソ連が日本との戦争に参戦すること」、「南樺太をソ連に返還すること」、「千島列島をソ連に引き渡すこと」などが決められた。この約束に従ってドイツが無条件降伏した約3ヶ月後の昭和20年8月9日未明、ソ連は「日ソ不可侵条約」を一方的に破棄し参戦。鬼畜の如き行為が繰り返えされたのである。
ソ連兵は日本人同胞の虐殺、強奪、婦女子の強姦、暴行、更には軍人、軍属、一般人を含め80万人以上をシベリアへ抑留し、そのうち半数以上を凍死、餓死させた。終戦間際のソ連軍の残酷無残な行為は正に悲憤断腸、鮮血の逆流するのを覚える。今を生きる我々はこうした歴史事実と日本人の悲劇を決して忘れてはならない。
因みにソ連は、1926年から1941年までの15年間に、「不侵略条約」「中立条約」、或いは「不侵略」や「中立」の名を冠した国際条約を東西15ヶ国と結んでいる。だが、驚くことにそのうち14ヶ国との条約をソ連が蹂躙している。
ロシアは「ヤルタ協定」を楯に北方領土の主権を主張しているが、ヤルタ協定は国際法的にも意味を成さない。我が国はヤルタ秘密協定の無効と、「樺太・千島交換条約」並びに「日露講和条約」という国際条約を論拠に、領土主権の正当性と即時返還、更には終戦間際のソ連蛮行とシベリア抑留への謝罪を強力に要求するべし。
韓国が竹島を不法占拠し、中共、台湾が尖閣諸島の主権を主張しているが、これもまた北方領土同様に戦後の歴代政府や国会が、領土主権を理解せず、事勿れ主義から主張を疎かにしてきた結果である。現在、世界の各地で民族争いの中で国境紛争が頻繁に起きているが、世界では寸土たりとも主権確立には戦いをしてまで死守しているのが世界の常識であり、「奪われたものは奪い返す」以外に解決する手段は無い。
世界の常識通り、奪われた領土は奪うことでしか解決出来ない。我が国の政治家にはそうした奪還しようという気概や覚悟が決定的に乏しい。国際環境が激変しつつある時に動くものが領土問題である。つまりそれは、北方領土や竹島を取り戻す機会が到来したと同時に、尖閣列島や対馬、或いは沖縄県を奪われる危機と自覚せよ!
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右翼民族派陣営は、国際条約である日ソ不可侵条約が蹂躪された8月9日を「民族痛恨の日・反ロシアデー」としてソヴィエト連邦(ロシア)を糾弾し、北方領土の奪還訴えているが、8月9日が無理ならば、2月7日ではなく、南樺太・全千島が日本に帰属した5月7日に訂正し、北方領土の歴史と事実を国民に啓蒙するべきである。
誰でも自分の土地を他人に奪われて黙っている者はいないだろう。況してや、父祖伝来の国土が他国に強奪されて泣き寝入りする民族が何処にあろうか。
「北方領土奪還」は、正に日本民族の悲願である。ところが、戦後70年も経った今日でも北方領土問題は未だ解決の糸口すら見えて来ないのは一体何故なのか。
思うに、北方領土を含めて領土主権そのものの重要性に対する認識不足と、如何にして不法に占拠されたかの真相把握が欠如していること、更には、ロシアへの認識の甘さと対ロ外交の甘さ等が綯い交ぜとなった結果が未解決の根源であろう。
北方領土は国際条約の「樺太・千島交換条約」並びに「日露講和条約」の締結に拠って、歯舞、色丹、国後、択捉の四島を含む、北は占守(シュムシュ)島から得撫(ウルップ)島の全千島列島と南樺太が、我が国の固有の領土となった。
領土問題では、共産党が「全千島、南樺太の主権」を訴えているが、この認識が正しく、共産党でも分かることが、自民党を始めとした保守を自任する政党や政治家が理解していないのは実に情けない。過去に国会に於いて「四島返還決議」を採択しているが、この四島返還要求こそ、事勿れ主義と軟弱土下座外交の象徴である。
明治の先人達の外交努力を無視し、我が国に全千島列島及び南樺太の主権が在るにも拘らず四島のみの主張を明記し、見す見す権利を放棄するとは理解に苦しむ。
ペリーが浦賀に来航した2年後の安政元年(1855)2月7日、江戸幕府は伊豆下田でロシアと交渉し、「日露和親条約」を締結。歯舞、色丹、国後、択捉の四島と千島列島の間に境界線が引かれ、樺太を混住の地と決めた。「北方領土の日」はこの歴史がその根拠となっているのだが、締結したのは江戸幕府であって日本国ではない。
歴史には続きがある。明治維新を成し遂げた日本政府は、榎本武揚を全権特命大使として派遣して外交交渉を重ねた結果、明治8年(1875)5月7日、ロシアとの間で「樺太・千島交換条約(サンクトペテルブルク条約)」が締結されるに至った。
その結果、ロシア人と日本人の混住の地であった樺太の北側と千島列島を交換したことで、南樺太と占守島までの全千島列島が我が国に帰属したのである。
その後、1945年(昭和20年)2月4日から11日にかけて、米国のルーズベルト、ソ連のスターリン、英国のチャーチルらがロシア領のクリミア諸島のヤルタに集い密談が交わされた。この会談に於いて、ルーズベルトは、千島列島をソ連に引き渡すことを条件に、日ソ中立条約の破棄を進言し、ソ連の対日参戦を促している。
ヤルタ協定では、「ソ連が日本との戦争に参戦すること」、「南樺太をソ連に返還すること」、「千島列島をソ連に引き渡すこと」などが決められた。この約束に従ってドイツが無条件降伏した約3ヶ月後の昭和20年8月9日未明、ソ連は「日ソ不可侵条約」を一方的に破棄し参戦。鬼畜の如き行為が繰り返えされたのである。
ソ連兵は日本人同胞の虐殺、強奪、婦女子の強姦、暴行、更には軍人、軍属、一般人を含め80万人以上をシベリアへ抑留し、そのうち半数以上を凍死、餓死させた。終戦間際のソ連軍の残酷無残な行為は正に悲憤断腸、鮮血の逆流するのを覚える。今を生きる我々はこうした歴史事実と日本人の悲劇を決して忘れてはならない。
因みにソ連は、1926年から1941年までの15年間に、「不侵略条約」「中立条約」、或いは「不侵略」や「中立」の名を冠した国際条約を東西15ヶ国と結んでいる。だが、驚くことにそのうち14ヶ国との条約をソ連が蹂躙している。
ロシアは「ヤルタ協定」を楯に北方領土の主権を主張しているが、ヤルタ協定は国際法的にも意味を成さない。我が国はヤルタ秘密協定の無効と、「樺太・千島交換条約」並びに「日露講和条約」という国際条約を論拠に、領土主権の正当性と即時返還、更には終戦間際のソ連蛮行とシベリア抑留への謝罪を強力に要求するべし。
韓国が竹島を不法占拠し、中共、台湾が尖閣諸島の主権を主張しているが、これもまた北方領土同様に戦後の歴代政府や国会が、領土主権を理解せず、事勿れ主義から主張を疎かにしてきた結果である。現在、世界の各地で民族争いの中で国境紛争が頻繁に起きているが、世界では寸土たりとも主権確立には戦いをしてまで死守しているのが世界の常識であり、「奪われたものは奪い返す」以外に解決する手段は無い。
世界の常識通り、奪われた領土は奪うことでしか解決出来ない。我が国の政治家にはそうした奪還しようという気概や覚悟が決定的に乏しい。国際環境が激変しつつある時に動くものが領土問題である。つまりそれは、北方領土や竹島を取り戻す機会が到来したと同時に、尖閣列島や対馬、或いは沖縄県を奪われる危機と自覚せよ!
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2024年02月04日
ロシアは「ヤルタ協定」を楯に北方領土の主権を主張しているがヤルタ協定は国際法的に意味を成さない
中国共産党海警局は尖閣諸島空域を飛行する自衛隊機に対し「退去警告」した。日本政府は「断じて受入れらえない」として反論してるが、尖閣諸島が強奪されてからでは北方領土や竹島の二の前となる。強硬な姿勢と実効支配を急ぐべきだ。
第二次世界大戦中の1945年2月4日から11日にかけて、米国のルーズベルト大統領、ソヴィエト連邦最高指導者のスターリン、英国のチャーチル首相らがクリミア諸島のヤルタに集い、密談が行われた。これが所謂「ヤルタ会談」である。
この会談でルーズベルトはスターリンに対し「南樺太のソ連に返還」と「千島列島のソ連への引き渡し」を条件に日ソ中立条約の破棄を進言し、対日参戦を促した。
ソ連は、この密約に従ってドイツが無条件降伏した約3ヵ月後の昭和20年8月9日、国際条約であった「日ソ不可侵条約」を一方的に破棄し参戦。ソ満国境を越えたソ連軍は鬼畜の如き蛮行を繰り返し、南樺太並びに全千島列島を強奪するに至った。
現ロシアは、北方領土の主権の正当性を「ヤルタ密約(ヤルタ協定のうち極東密約)」を論拠としているが、英国政府は、ヤルタ会談翌年の1946年2月、ヤルタ密約の有効性について疑義を呈していたことが明らかになっている。
英国立公文書館所蔵の英外交電報に由ると、「ソヴィエトの四島占拠根拠なし」として、米英ソがヤルタ密約を公表する2日前に、英外務省から全世界の在外英公館54ヶ所に対して、緊急且つ極秘の内容として電報が送付されている。
「ルーズベルト大統領が権限を越えて署名したことや、米上院の批准もない状況下での有効性について米国内で論議が起こるかもしれない」として、「(英国は)その議論に巻き込まれないよう注意すべきだ」との警告を発している。
密談が行われる約4年前の1941年8月、チャーチル首相はルーズベルト大統領と共に領土不拡大の原則を謳う「大西洋憲章」に署名している。つまり「ヤルタ密約はこの大西洋憲章に反する」との英政府の認識が示された形である。
1953年に米国大統領に就任した共和党のアイゼンハワーが、年頭教書演説で「あらゆる秘密協定を破棄する」と宣言し、1956年には「ヤルタ協定はルーズベルト個人の文書であり、米政府の公式文書でなく無効である」との声明を発表している。
ヤルタ協定に参加した米英が、ロシアの北方領土の主権に疑義を呈している中で、何故に当事国の我が国がロシアの主張をすんなりと認め、北方領土や南樺太での鬼畜の如き蛮行を赦すかの如く、二島先行返還に拘るのか理解に苦しむ。
ロシアは、第二次大戦の勝利と「ヤルタ秘密協定」を楯に北方領土の主権の正当性を主張しているが、ヤルタ秘密協定こそが国際法的にも意味を成さない協定であり、更にはサンフランシスコ平和条約の千島関連の条項も無効である。
ロシアの主張は、第二次世界大戦中の1943年に定められた「カイロ宣言」に明記されている「領土不拡大」の大原則を蹂躙する。ロシアはスターリンの主張を踏襲しているというが、このカイロ宣言にはスターリン自身が署名している。
我が国は、米英が「ソ連の北方領土の占有に法的根拠がない」との立場を鮮明にしていることや、「ロシア側は明らかなカイロ宣言違反」と主張すべきではないか。
対ロ外交では、ヤルタ会談の不当性とロシア側の主張の矛盾を糾した上で、我が国の領土主権の正当性を内外にアピールすることが大事である。だが、我が国は摩訶不思議なことに二島先行返還に固執し、ロシアに譲歩するばかり。
己の土地を他人に奪われて黙っている者はいないだろう。況してや、父祖伝来の国土が強奪されて、同胞が虐殺され乍ら泣き寝入りする民族が何処にあろうか。戦後に放棄させられた領土を取り戻すことは正に日本民族の悲願である。
北方領土然り、竹島然り、失地領土の恢復が未だ解決の糸口すら見えて来ないのは一体何故なのか。思うに、北方領土や竹島など領土の重要性に対する認識不足と、如何に敵国に不法に占拠されたのかという真相把握が欠如と、更には、ロシアや韓国への認識の甘さと対応の甘さ等が綯い交ぜとなった結果が未解決の根源であろう。
GHQの洗脳及び敗戦コンプレックスである弱腰軟弱土下座外交と事勿れ主義が、未だに領土問題が解決しない元凶であるのは言うまでもない。世界の常識通り、「奪われた領土は奪うことでしか解決出来ない」という強烈な覚悟を持つべし。
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第二次世界大戦中の1945年2月4日から11日にかけて、米国のルーズベルト大統領、ソヴィエト連邦最高指導者のスターリン、英国のチャーチル首相らがクリミア諸島のヤルタに集い、密談が行われた。これが所謂「ヤルタ会談」である。
この会談でルーズベルトはスターリンに対し「南樺太のソ連に返還」と「千島列島のソ連への引き渡し」を条件に日ソ中立条約の破棄を進言し、対日参戦を促した。
ソ連は、この密約に従ってドイツが無条件降伏した約3ヵ月後の昭和20年8月9日、国際条約であった「日ソ不可侵条約」を一方的に破棄し参戦。ソ満国境を越えたソ連軍は鬼畜の如き蛮行を繰り返し、南樺太並びに全千島列島を強奪するに至った。
現ロシアは、北方領土の主権の正当性を「ヤルタ密約(ヤルタ協定のうち極東密約)」を論拠としているが、英国政府は、ヤルタ会談翌年の1946年2月、ヤルタ密約の有効性について疑義を呈していたことが明らかになっている。
英国立公文書館所蔵の英外交電報に由ると、「ソヴィエトの四島占拠根拠なし」として、米英ソがヤルタ密約を公表する2日前に、英外務省から全世界の在外英公館54ヶ所に対して、緊急且つ極秘の内容として電報が送付されている。
「ルーズベルト大統領が権限を越えて署名したことや、米上院の批准もない状況下での有効性について米国内で論議が起こるかもしれない」として、「(英国は)その議論に巻き込まれないよう注意すべきだ」との警告を発している。
密談が行われる約4年前の1941年8月、チャーチル首相はルーズベルト大統領と共に領土不拡大の原則を謳う「大西洋憲章」に署名している。つまり「ヤルタ密約はこの大西洋憲章に反する」との英政府の認識が示された形である。
1953年に米国大統領に就任した共和党のアイゼンハワーが、年頭教書演説で「あらゆる秘密協定を破棄する」と宣言し、1956年には「ヤルタ協定はルーズベルト個人の文書であり、米政府の公式文書でなく無効である」との声明を発表している。
ヤルタ協定に参加した米英が、ロシアの北方領土の主権に疑義を呈している中で、何故に当事国の我が国がロシアの主張をすんなりと認め、北方領土や南樺太での鬼畜の如き蛮行を赦すかの如く、二島先行返還に拘るのか理解に苦しむ。
ロシアは、第二次大戦の勝利と「ヤルタ秘密協定」を楯に北方領土の主権の正当性を主張しているが、ヤルタ秘密協定こそが国際法的にも意味を成さない協定であり、更にはサンフランシスコ平和条約の千島関連の条項も無効である。
ロシアの主張は、第二次世界大戦中の1943年に定められた「カイロ宣言」に明記されている「領土不拡大」の大原則を蹂躙する。ロシアはスターリンの主張を踏襲しているというが、このカイロ宣言にはスターリン自身が署名している。
我が国は、米英が「ソ連の北方領土の占有に法的根拠がない」との立場を鮮明にしていることや、「ロシア側は明らかなカイロ宣言違反」と主張すべきではないか。
対ロ外交では、ヤルタ会談の不当性とロシア側の主張の矛盾を糾した上で、我が国の領土主権の正当性を内外にアピールすることが大事である。だが、我が国は摩訶不思議なことに二島先行返還に固執し、ロシアに譲歩するばかり。
己の土地を他人に奪われて黙っている者はいないだろう。況してや、父祖伝来の国土が強奪されて、同胞が虐殺され乍ら泣き寝入りする民族が何処にあろうか。戦後に放棄させられた領土を取り戻すことは正に日本民族の悲願である。
北方領土然り、竹島然り、失地領土の恢復が未だ解決の糸口すら見えて来ないのは一体何故なのか。思うに、北方領土や竹島など領土の重要性に対する認識不足と、如何に敵国に不法に占拠されたのかという真相把握が欠如と、更には、ロシアや韓国への認識の甘さと対応の甘さ等が綯い交ぜとなった結果が未解決の根源であろう。
GHQの洗脳及び敗戦コンプレックスである弱腰軟弱土下座外交と事勿れ主義が、未だに領土問題が解決しない元凶であるのは言うまでもない。世界の常識通り、「奪われた領土は奪うことでしか解決出来ない」という強烈な覚悟を持つべし。
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2024年01月31日
桐島聡にしろ永田洋子や坂口弘死刑囚も日教組の犠牲者である
鎌倉市の病院に末期癌で入院していた桐島聡容疑者が死亡した。「死ぬときくらいは本名で死にたかった」などと話してたというが、最後まで身勝手な男だな。
山岳ベース事件を指揮した、連合赤軍中央委員会委員長・森恒夫の遺書もそうだが、革命に向けて自ら行った虐殺の罪を悔い改めてはいるが、遺族への謝罪は全くない。全てが詭弁と我儘であり、左翼思想以前に人間的な幼稚さが露われている。
桐島は昭和50(1975)年4月18日、東京銀座に在った韓国産業経済研究所を爆発させた「中央区内連続企業爆破事件」で指名手配されていた人物である。
桐島が所属していた「東アジア反日武装戦線」は、「昭和49年8月14日を以て昭和時代を終わらせる作戦」として、荒川に架かる東北線(旧国鉄)の鉄橋にて昭和天皇が御乗車遊ばされていた御召し列車を爆破し殺害する計画を進めていた。
爆破計画は断念したが、鉄橋と車両を爆破する為の爆発物を転用してテロを行ったのが三菱重工本社ビル爆破事件。死者8名、負傷者376名が犠牲となった。
ターゲットの三菱重工の社員ですらない死者に対しても「無関係な一般市民」ではなく「植民地人民の血で肥え太る植民者だ」と断言した声明文を公表している。
東アジア反日武装戦線の前身組織は「興亜観音・殉国七士之碑爆破事件」を惹起。「鹿島建設爆破事件」「間組本社ビル及び大宮工場同時爆破事件」「間組江戸川作業所爆破事件」「間組京成江戸川橋工事現場爆破事件」に桐島が関与している。
昭和52年、ハイジャック事件が発生。日本政府は東アジア反日武装戦線のメンバー3人を含む11人の獄中テロリストを「人命は地球より重い」として釈放した。
左翼という生き方がそうさせるのか、人間的な幼稚さを垣間見る。桐島が左翼運動に傾倒して行ったのは時代背景もあるが、教師の教えが大きかったと思う。
定例の日教組教研集会が札幌市で行われたが、左翼教師どもは漫画「はだしのゲン」を教材に朝鮮人の「強制連行」に焦点を当て、子供達の洗脳を謀っている。
自分達は血税である報酬を頂戴し、悠々自適な生活を送り乍ら、子供達を革命戦士に育て上げようとは虫が好過ぎる。子供達へ人間的な教えを施すことなく、反自民や反与党を反体制運動と勘違いしてる。桐島にしても日教組の犠牲者と言える。
日教組倫理綱領第八項には「教師は学校を職場として働く労働者である。教師は労働が社会における一切の基礎であることを知るが故に、自己が労働者であることを誇りとする」「教師は労働者として自己の立場を自覚して、強く人類の歴史的進歩の理想に生き、一切の停滞と反動を敵とする」と厭きれる条文が列記されている。
日教組の教師らは自らを労働者と呼び、労働者として現体制の否定と革命謀略の推進を謀った。日教組の優秀な生徒が重信であり、中核、核マル、連合赤軍、日本赤軍などの極左暴力集団であり、最高の教え子が永田洋子や坂口弘死刑囚である。
あの時代の若者らは流行り病に罹ったかの様に共産主義を信じ、暴力革命に狂奔した。正否は兎も角として、彼らは若者の特権でもある純粋な正義感を貫いた。
公務員には統一ストは認められていない。「煽り」「唆し」「誑かし」は地方公務員法第三十七条違反に問われる犯罪行為である。だが、当局の対応は「触らぬ神に祟りなし」的な甘い対応に終始し、反国家・反民族の不逞行為を看過している。
若者らの昨今の政治参加ブームは、売国マスコミを始め、こうした確信的左翼集団に因る「煽り」「唆し」「誑かし」であろうことは想像するに余りある。
斯くいう愚生も、若い頃にありがちな幼い正義感から右翼こそが正義だと確信し、右翼の世界に入った。世間から見れば、右翼なんぞドロップアウトにしか見えないだろうが、昭和50年代の右翼活動というのは毎日が刺激的だったのも確か。
行動右翼のパイオニアと言われた防共挺身隊に入隊してみたものの理想と現実の違いに失望したのもまた事実。桐島や永田、坂口ら極左らも刺激的な時代を過ごしたであろうことは察するが、その後の失望は更に深いものがあったに違いない。
安保闘争以降、日本や世界を変えようという若者が熱く生きていた時代だった。だが、その裏で若者を扇動した教師や文部省は猛省したのだろうか。政府は、反国家・反民族の不逞行為を看過しているのが現状であり、政治の混乱はここに在る。
それにしても思うのは、桐島も若気の至りで活動家となったのは好いが、晩年は惨めな生活だった様だ。その昔、テイケイの高花豊先生に言われた「活動家が長生きすると惨めな生活が待ってませんよ!」との言葉がリフレインする。呵呵。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円(月2500円)。法人120000円。協賛会員は300000円~。
山岳ベース事件を指揮した、連合赤軍中央委員会委員長・森恒夫の遺書もそうだが、革命に向けて自ら行った虐殺の罪を悔い改めてはいるが、遺族への謝罪は全くない。全てが詭弁と我儘であり、左翼思想以前に人間的な幼稚さが露われている。
桐島は昭和50(1975)年4月18日、東京銀座に在った韓国産業経済研究所を爆発させた「中央区内連続企業爆破事件」で指名手配されていた人物である。
桐島が所属していた「東アジア反日武装戦線」は、「昭和49年8月14日を以て昭和時代を終わらせる作戦」として、荒川に架かる東北線(旧国鉄)の鉄橋にて昭和天皇が御乗車遊ばされていた御召し列車を爆破し殺害する計画を進めていた。
爆破計画は断念したが、鉄橋と車両を爆破する為の爆発物を転用してテロを行ったのが三菱重工本社ビル爆破事件。死者8名、負傷者376名が犠牲となった。
ターゲットの三菱重工の社員ですらない死者に対しても「無関係な一般市民」ではなく「植民地人民の血で肥え太る植民者だ」と断言した声明文を公表している。
東アジア反日武装戦線の前身組織は「興亜観音・殉国七士之碑爆破事件」を惹起。「鹿島建設爆破事件」「間組本社ビル及び大宮工場同時爆破事件」「間組江戸川作業所爆破事件」「間組京成江戸川橋工事現場爆破事件」に桐島が関与している。
昭和52年、ハイジャック事件が発生。日本政府は東アジア反日武装戦線のメンバー3人を含む11人の獄中テロリストを「人命は地球より重い」として釈放した。
左翼という生き方がそうさせるのか、人間的な幼稚さを垣間見る。桐島が左翼運動に傾倒して行ったのは時代背景もあるが、教師の教えが大きかったと思う。
定例の日教組教研集会が札幌市で行われたが、左翼教師どもは漫画「はだしのゲン」を教材に朝鮮人の「強制連行」に焦点を当て、子供達の洗脳を謀っている。
自分達は血税である報酬を頂戴し、悠々自適な生活を送り乍ら、子供達を革命戦士に育て上げようとは虫が好過ぎる。子供達へ人間的な教えを施すことなく、反自民や反与党を反体制運動と勘違いしてる。桐島にしても日教組の犠牲者と言える。
日教組倫理綱領第八項には「教師は学校を職場として働く労働者である。教師は労働が社会における一切の基礎であることを知るが故に、自己が労働者であることを誇りとする」「教師は労働者として自己の立場を自覚して、強く人類の歴史的進歩の理想に生き、一切の停滞と反動を敵とする」と厭きれる条文が列記されている。
日教組の教師らは自らを労働者と呼び、労働者として現体制の否定と革命謀略の推進を謀った。日教組の優秀な生徒が重信であり、中核、核マル、連合赤軍、日本赤軍などの極左暴力集団であり、最高の教え子が永田洋子や坂口弘死刑囚である。
あの時代の若者らは流行り病に罹ったかの様に共産主義を信じ、暴力革命に狂奔した。正否は兎も角として、彼らは若者の特権でもある純粋な正義感を貫いた。
公務員には統一ストは認められていない。「煽り」「唆し」「誑かし」は地方公務員法第三十七条違反に問われる犯罪行為である。だが、当局の対応は「触らぬ神に祟りなし」的な甘い対応に終始し、反国家・反民族の不逞行為を看過している。
若者らの昨今の政治参加ブームは、売国マスコミを始め、こうした確信的左翼集団に因る「煽り」「唆し」「誑かし」であろうことは想像するに余りある。
斯くいう愚生も、若い頃にありがちな幼い正義感から右翼こそが正義だと確信し、右翼の世界に入った。世間から見れば、右翼なんぞドロップアウトにしか見えないだろうが、昭和50年代の右翼活動というのは毎日が刺激的だったのも確か。
行動右翼のパイオニアと言われた防共挺身隊に入隊してみたものの理想と現実の違いに失望したのもまた事実。桐島や永田、坂口ら極左らも刺激的な時代を過ごしたであろうことは察するが、その後の失望は更に深いものがあったに違いない。
安保闘争以降、日本や世界を変えようという若者が熱く生きていた時代だった。だが、その裏で若者を扇動した教師や文部省は猛省したのだろうか。政府は、反国家・反民族の不逞行為を看過しているのが現状であり、政治の混乱はここに在る。
それにしても思うのは、桐島も若気の至りで活動家となったのは好いが、晩年は惨めな生活だった様だ。その昔、テイケイの高花豊先生に言われた「活動家が長生きすると惨めな生活が待ってませんよ!」との言葉がリフレインする。呵呵。
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2024年01月29日
皇統断絶が目的の「女性宮家」「女性天皇」「女系天皇」論に騙されるな!
皇統断絶を目指す反天皇勢力に因る「女性天皇」や「女系天皇」の啓蒙活動というか策謀が功を奏し、世論調査では実に国民の約70%が賛成しているという。だが、アンケートに答えた人が「女系天皇」の本当の意味を知っているとは思えない。
新聞では「女性天皇」や「女系」とのタイトルが躍り皇位継承の危機を煽る。今上陛下が即位し、秋篠宮皇嗣殿下と秋篠宮悠仁親王殿下の皇位継承が確実なのに何を急ぐ必要があるのか。要は、敬宮愛子内親王殿下を即位させる為の姦策に過ぎない。
日本国憲法第二条には「皇位は世襲のものである」と明記されている。皇統断絶を謀る勢力というのは護憲(誤憲)派であり、今後はこの憲法二条を理由に、「秋篠宮殿下への皇位継承は憲法違反である」と騒ぎ立てて来るのは明らかである。
故安倍首相を始め、その周辺のネトウヨや営業保守派らが憲法九条改正に躍起になっているが、「取り敢えず第九条改正」こそ究極の護憲運動である。九条を改正することに因って、GHQ製のクソ憲法が絶対的なものとなってしまう危険を孕む。
三島由紀夫は「国防とは、それを失えば日本では無くなってしまうことを護ること」と訓えた。国防とは領土主権だけではなく、畢竟、皇統の死守こそが肝要であり、憲法九条より、第一章「天皇」の条項と第二条の矛盾こそ議論すべきである。
女性(愛子内親王殿下)が天皇に就くというのは、普通の生活は送れないということを意味する。女性天皇論者は、天皇としての国事行為や祭事の重要性を理解していないから安易に語れる訳で、要は天皇という存在を軽んじてる証左でもある。
皇統の歴史に於いて、過去に八人の女性天皇が存在したがその全ては男系の「女性天皇」であり、愛子内親王が天皇に即位されてもそれは男系の女性天皇となる。愛子天皇が御成婚となり、第一子を生んだ場合それは男系ではなく「女系」となる。
「旧皇族と結婚すれば問題ない」という声もあるが、ならば皇籍復帰を先に行うべきであり、本末転倒とはこのことだ。若し、愛子天皇の御相手が元皇族でなかったらどうなるのか。過去八人の女性天皇が嫡子を産まなかった重い意味を知るべし。
女性皇族が結婚することで皇籍を離れるのは、「今後は、一般人としての生活を重んじよ」との天皇の大御心でもある。そうしたことを理解せず、現代の価値観で「女性が天皇に成れないのは女性差別」であるかの様に語ることこそ女性差別だ。
多くの国民は、天皇陛下の国事行為や御負担を「女性宮家創設で軽減する」と思っている。だが、天皇が重んずべき「祭祀」の代行は名代として掌典長のみが許され、国事行為の代行は憲法第四条の第二項よる委任か摂政のみが可能である。
「摂政」を置くにしても皇室典範と憲法に基づかねばならず、若し女性宮家を創設し、国事行為を担わせるのならば憲法第四条を改正しなければならないのだ。
中共の脅威を理由にした営業保守派や自称・愛国者らの改憲論は第九条ばかりで、国事行為の条項や「第一章・天皇」の条項が議論されることはない。
皇位継承に関する有識者を見ても尊皇精神乏しき学匪ばかり。上皇陛下が退位させられたのも所謂「生前退位を考える有識者会議」だったではないか。
皇統のことは皇族の意見を尊重するべきであるが、昭和22年、GHQはこの皇室典範を改悪し、憲法や法律以前の御存在であらされる天皇を法律の配下に置いた。
現在の「皇室会議」は、皇族2名と衆参両院正副議長、最高裁長官、宮内庁長官ら非皇族8名の10人で構成されている。驚くことに皇室会議の予備議員には、「天皇は逮捕されるべきだ」と断じて憚らない反天皇活動家の菅直人が名を連ねたことも。
明治皇室典範下の「皇族会議」は、成年男子皇族20名に拠って組織された機関だった。非皇族は内大臣、枢密院議長、宮内大臣、司法大臣、大審院長の5名で、皇族の意見が重んじられたが、現在では有識者なる胡散臭げな連中の意見が優先される。
成年皇族が少ないのは戦後、GHQに強制的に11宮家が臣籍降下させられたことが原因であり、皇統を盤石の安きに置くなら旧皇族の復帰を成す以外には無い。
旧宮家とは「伏見(ふしみ)宮」「閑院(かんいん)宮」「山階(やましな)宮」「北白川宮」「梨本宮」「久邇(くに)宮」「賀陽(かや)宮」「東伏見(ひがしふしみ)宮」「竹田宮」「朝香(あさか)宮」「東久邇(ひがしくに)宮」。
旧11宮家の方々は北朝第3代崇光天皇の皇子、栄仁親王から始まる伏見宮の系統に属し今上天皇との関係は、室町時代の伏見宮貞成親王を共通の祖先とされている。
内「山階」「北白川」「梨本」「東伏見」の4宮家は断絶しているが、東久邇家の系統には、歴代天皇と男系で繋がる男子が7名、悠仁親王殿下と又従兄弟になる男子が9名、他の旧宮家にも男系男子がおり、皇籍復帰で皇統は盤石となる。
東久邇宮盛厚王(明治天皇の孫)の妻は、昭和天皇の長女である茂子内親王であり、上皇后陛下が民間から嫁がれていることをしても男系男子の正統性を有する。
旧皇族の皇籍復帰にイチャモンを吐けて難色を示す勢力と、「女性宮家」「女性天皇」「女系天皇」を推進している連中は同じ穴の狢である。如何にも皇室の将来を案じているかの様に装ってるが、こうした奸賊共の策謀に騙されてはならない。
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新聞では「女性天皇」や「女系」とのタイトルが躍り皇位継承の危機を煽る。今上陛下が即位し、秋篠宮皇嗣殿下と秋篠宮悠仁親王殿下の皇位継承が確実なのに何を急ぐ必要があるのか。要は、敬宮愛子内親王殿下を即位させる為の姦策に過ぎない。
日本国憲法第二条には「皇位は世襲のものである」と明記されている。皇統断絶を謀る勢力というのは護憲(誤憲)派であり、今後はこの憲法二条を理由に、「秋篠宮殿下への皇位継承は憲法違反である」と騒ぎ立てて来るのは明らかである。
故安倍首相を始め、その周辺のネトウヨや営業保守派らが憲法九条改正に躍起になっているが、「取り敢えず第九条改正」こそ究極の護憲運動である。九条を改正することに因って、GHQ製のクソ憲法が絶対的なものとなってしまう危険を孕む。
三島由紀夫は「国防とは、それを失えば日本では無くなってしまうことを護ること」と訓えた。国防とは領土主権だけではなく、畢竟、皇統の死守こそが肝要であり、憲法九条より、第一章「天皇」の条項と第二条の矛盾こそ議論すべきである。
女性(愛子内親王殿下)が天皇に就くというのは、普通の生活は送れないということを意味する。女性天皇論者は、天皇としての国事行為や祭事の重要性を理解していないから安易に語れる訳で、要は天皇という存在を軽んじてる証左でもある。
皇統の歴史に於いて、過去に八人の女性天皇が存在したがその全ては男系の「女性天皇」であり、愛子内親王が天皇に即位されてもそれは男系の女性天皇となる。愛子天皇が御成婚となり、第一子を生んだ場合それは男系ではなく「女系」となる。
「旧皇族と結婚すれば問題ない」という声もあるが、ならば皇籍復帰を先に行うべきであり、本末転倒とはこのことだ。若し、愛子天皇の御相手が元皇族でなかったらどうなるのか。過去八人の女性天皇が嫡子を産まなかった重い意味を知るべし。
女性皇族が結婚することで皇籍を離れるのは、「今後は、一般人としての生活を重んじよ」との天皇の大御心でもある。そうしたことを理解せず、現代の価値観で「女性が天皇に成れないのは女性差別」であるかの様に語ることこそ女性差別だ。
多くの国民は、天皇陛下の国事行為や御負担を「女性宮家創設で軽減する」と思っている。だが、天皇が重んずべき「祭祀」の代行は名代として掌典長のみが許され、国事行為の代行は憲法第四条の第二項よる委任か摂政のみが可能である。
「摂政」を置くにしても皇室典範と憲法に基づかねばならず、若し女性宮家を創設し、国事行為を担わせるのならば憲法第四条を改正しなければならないのだ。
中共の脅威を理由にした営業保守派や自称・愛国者らの改憲論は第九条ばかりで、国事行為の条項や「第一章・天皇」の条項が議論されることはない。
皇位継承に関する有識者を見ても尊皇精神乏しき学匪ばかり。上皇陛下が退位させられたのも所謂「生前退位を考える有識者会議」だったではないか。
皇統のことは皇族の意見を尊重するべきであるが、昭和22年、GHQはこの皇室典範を改悪し、憲法や法律以前の御存在であらされる天皇を法律の配下に置いた。
現在の「皇室会議」は、皇族2名と衆参両院正副議長、最高裁長官、宮内庁長官ら非皇族8名の10人で構成されている。驚くことに皇室会議の予備議員には、「天皇は逮捕されるべきだ」と断じて憚らない反天皇活動家の菅直人が名を連ねたことも。
明治皇室典範下の「皇族会議」は、成年男子皇族20名に拠って組織された機関だった。非皇族は内大臣、枢密院議長、宮内大臣、司法大臣、大審院長の5名で、皇族の意見が重んじられたが、現在では有識者なる胡散臭げな連中の意見が優先される。
成年皇族が少ないのは戦後、GHQに強制的に11宮家が臣籍降下させられたことが原因であり、皇統を盤石の安きに置くなら旧皇族の復帰を成す以外には無い。
旧宮家とは「伏見(ふしみ)宮」「閑院(かんいん)宮」「山階(やましな)宮」「北白川宮」「梨本宮」「久邇(くに)宮」「賀陽(かや)宮」「東伏見(ひがしふしみ)宮」「竹田宮」「朝香(あさか)宮」「東久邇(ひがしくに)宮」。
旧11宮家の方々は北朝第3代崇光天皇の皇子、栄仁親王から始まる伏見宮の系統に属し今上天皇との関係は、室町時代の伏見宮貞成親王を共通の祖先とされている。
内「山階」「北白川」「梨本」「東伏見」の4宮家は断絶しているが、東久邇家の系統には、歴代天皇と男系で繋がる男子が7名、悠仁親王殿下と又従兄弟になる男子が9名、他の旧宮家にも男系男子がおり、皇籍復帰で皇統は盤石となる。
東久邇宮盛厚王(明治天皇の孫)の妻は、昭和天皇の長女である茂子内親王であり、上皇后陛下が民間から嫁がれていることをしても男系男子の正統性を有する。
旧皇族の皇籍復帰にイチャモンを吐けて難色を示す勢力と、「女性宮家」「女性天皇」「女系天皇」を推進している連中は同じ穴の狢である。如何にも皇室の将来を案じているかの様に装ってるが、こうした奸賊共の策謀に騙されてはならない。
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2024年01月27日
旧宮家の再興は皇室の本分である祭祀を継承して戴くということにある
反天皇運動に与するマスコミは、敬宮愛子内親王殿下の動向を好意的に報道している。英国などの王室には尊称付きで報道するマスコミは、皇族に関しては徹底して「さま」呼ばわり。こんなんで宮家論や皇位継承を語ることが不思議でならない。
以前、保守論客の重鎮でもあった京都産業大学名誉教授の所功も「愛子さまが結婚されても皇室に留まり、御両親を支えられる様にする必要がある」と「さま付け」、両陛下を「御両親」と不敬千万な宮家論を垂れ流していることに驚いたっけ。
自民党内には「安定的な皇位の継承に向けて、女系天皇についても選択肢の一つとして検討すべき」とか「今の時代に女性の天皇が即位出来ない方が可笑しい」という意見が横溢してるのは、所功を始めとした営業保守に因るところが大きい。
自民党の二階俊博や河野太郎らは「わが国の皇室はずっと男系で継承されてきているので、男系による皇位継承が続くのが一番望ましいと考えている。ただ現状は秋篠宮殿下、次の世代は悠仁親王殿下しかいらっしゃらないのが現状」と語っている。
秋篠宮皇嗣殿下並びに悠仁親王までの皇位継承が決まっているのに、何故に今、女性宮家や女系天皇、更には「内親王家」の議論をしなければならないのか。
「現在の皇室で男系を維持して行くのはかなりのリスクがある」との声が上がる。だが、そのリスクとは何ぞや。況してや「女系天皇についても選択肢の一つとして検討を行うべき」と言うが、そのリスクの方が大きいとは思わないのか。
「男系が継承されていることを強く期待するものだが、やはり万が一という事態を想定しておかなければいけないと思う」との「万が一」とは何を指すのか。こうした考えは、女性宮家創出や女系天皇容認論者の皇統断絶を謀る戯言に過ぎない。
河野太郎は「例えば、内親王殿下、女王殿下が女性宮家として皇室に残られ、そのお子様が皇位を継承するというやり方もあるでしょうし、或いはGHQによって皇籍を離脱することになった旧宮家の男子が宮家を復活させるのか、養子に入るのか。養子に入るのも皇室典範の改正が必要だ」と述べているが、詭弁そのものである。
これは皇室典範第12条並びに第15条の改正が必要との認識だろう。女性宮家推進派は、皇室典範第12条の「皇族女子は、天皇及び皇族以外の者と婚姻したときは、皇族の身分を離れる」との条項を見直し女性宮家の創設を謀ろうとしている。
旧皇族の皇籍復帰にしろ、養子縁組を成立させるにしろ、同第15条の「皇族以外の者及びその子孫は、女子が皇后となる場合及び皇族男子と婚姻する場合を除いては、皇族となることがない」の条項の見直しが必要となるのは何故に言わない。
「1428年に御即位された後花園天皇の弟君が伏見宮を継承されて、その血筋の方々なので600年前に男系が分かれたのが旧宮家。そういう家の男子を戻す、或いは復活させることに国民の合意、支持が得られるのかという議論も当然ある」と指摘してるが、旧宮家の方には現在の陛下よりも血筋としては正統な方もおられる。
「今の日本国憲法第1条では、天皇の地位は国民の総意に基づく、とあるので、やはり国民の広い議論、国民の支持が必要になるんだろうと思う」とは正論だが、天皇を否定する共産党や左翼勢力らが存在する限り「総意」にはならない。
抑々、天皇とはどの様な存在であるかを理解していないから、「男系」や「女性宮家」「女系天皇」などという末の議論に終始してしまっているのだ。況してや、反天皇勢力は憲法第2条の「世襲」を曲解し、愛子内親王殿下の即位を謀る。
天皇とは、諸外国の様な「王室」や「国王」の存在だと思っている国民が殆どだが、分かり易く言えば、日本固有の信仰である神道を伝え導く神主(神官)の最高の地位者であり、つまりはローマ法王と同じく祈りを重んずる「祭主」である。
「女性天皇」「女性宮家」では天皇の重んじる祭祀が叶わない、神に仕える神事を執り行うことが憚れるのだ。別に女性差別ではなく、これが伝統というものである。女性宮家や女系天皇論者らは国事行為をさせる便利な存在としか思っていない。
女性が天皇に就くというのは、普通の生活は送れないということを意味する。過去8人の女性天皇は全員独身で即位し、譲位以後も独身を通した意味は重い。
女性天皇論者は、神道そのものの無理解と天皇が祭主としての祭事の重要性を理解していないから安易に語れる訳で、これこそ天皇を軽んじてる証左でもある。
過去10代8人全ては男系の「女性天皇」であり「女系天皇」ではない。若し、敬宮愛子内親王が天皇に即位されてもそれは男系の9人目の女性天皇となる。だが、愛子天皇が御成婚遊ばされ第一子を生んだ場合それは男系ではなく「女系」となる。
「旧皇族と結婚すれば問題ない」という声もある。ならば、昭和天皇が最後まで反対なされた皇籍離脱させられた旧宮家の方々の皇籍復帰を先に行うべきだろう。
若し、愛子内親王の御相手が元皇族でなかったらどうなるのか。過去8人の女性天皇が嫡子を産まなかった重い意味を知るべきだ。女性皇族が結婚することで皇籍を離れるのは、「一般人としての生活を重んじよ」との天皇の大御心でもある。
そうしたことを理解することなく、「今の時代、女性宮家が無いのが可笑しい」だとか「女性が天皇に成れないのは女性差別」と安易に語る。女性皇族を天皇の国事行為を補佐させる便利な存在と思ってることこそ女性差別ではあるまいか。
安っぽい風潮(ジェンダー平等)で皇位継承を語り、「結婚されても皇室に留まり、御両親を支える」とは何事か。こうした愚論を垂れ流す保守派が国を亡ぼす。
祭祀を継承するには旧皇族の復帰を図ることが重要で、廃絶になった秩父宮・高松宮、女性皇族しかいない常陸宮と三笠宮の祭祀を旧宮家を再興し継承するべし。
皇位継承で大事なのは神武天皇以来の「男系」の血筋であり、「今上陛下とは血筋が違う」というのは近年の反天皇勢力に拠って創られた現代の価値観に過ぎない。
「長く民間人だった人が皇族になることに違和感」というのは付けたりに過ぎない反対理由であり、宮家を再興するということは、男系男子の皇位継承の安定を図るだけではなく、皇室の本分である祭祀を継承して戴くということにある。
大体「宮家」とは男系だからこそ宮家なのである。憲法以前の御存在であらされる天皇が、今や憲法中心の国事行為をやらせるだけの傀儡となってしまっていることを憂慮せざるを得ない。日本国憲法第1条から8条までの「天皇」条項を議論せよ!
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円(月2500円)。法人120000円。協賛会員300000円~。
以前、保守論客の重鎮でもあった京都産業大学名誉教授の所功も「愛子さまが結婚されても皇室に留まり、御両親を支えられる様にする必要がある」と「さま付け」、両陛下を「御両親」と不敬千万な宮家論を垂れ流していることに驚いたっけ。
自民党内には「安定的な皇位の継承に向けて、女系天皇についても選択肢の一つとして検討すべき」とか「今の時代に女性の天皇が即位出来ない方が可笑しい」という意見が横溢してるのは、所功を始めとした営業保守に因るところが大きい。
自民党の二階俊博や河野太郎らは「わが国の皇室はずっと男系で継承されてきているので、男系による皇位継承が続くのが一番望ましいと考えている。ただ現状は秋篠宮殿下、次の世代は悠仁親王殿下しかいらっしゃらないのが現状」と語っている。
秋篠宮皇嗣殿下並びに悠仁親王までの皇位継承が決まっているのに、何故に今、女性宮家や女系天皇、更には「内親王家」の議論をしなければならないのか。
「現在の皇室で男系を維持して行くのはかなりのリスクがある」との声が上がる。だが、そのリスクとは何ぞや。況してや「女系天皇についても選択肢の一つとして検討を行うべき」と言うが、そのリスクの方が大きいとは思わないのか。
「男系が継承されていることを強く期待するものだが、やはり万が一という事態を想定しておかなければいけないと思う」との「万が一」とは何を指すのか。こうした考えは、女性宮家創出や女系天皇容認論者の皇統断絶を謀る戯言に過ぎない。
河野太郎は「例えば、内親王殿下、女王殿下が女性宮家として皇室に残られ、そのお子様が皇位を継承するというやり方もあるでしょうし、或いはGHQによって皇籍を離脱することになった旧宮家の男子が宮家を復活させるのか、養子に入るのか。養子に入るのも皇室典範の改正が必要だ」と述べているが、詭弁そのものである。
これは皇室典範第12条並びに第15条の改正が必要との認識だろう。女性宮家推進派は、皇室典範第12条の「皇族女子は、天皇及び皇族以外の者と婚姻したときは、皇族の身分を離れる」との条項を見直し女性宮家の創設を謀ろうとしている。
旧皇族の皇籍復帰にしろ、養子縁組を成立させるにしろ、同第15条の「皇族以外の者及びその子孫は、女子が皇后となる場合及び皇族男子と婚姻する場合を除いては、皇族となることがない」の条項の見直しが必要となるのは何故に言わない。
「1428年に御即位された後花園天皇の弟君が伏見宮を継承されて、その血筋の方々なので600年前に男系が分かれたのが旧宮家。そういう家の男子を戻す、或いは復活させることに国民の合意、支持が得られるのかという議論も当然ある」と指摘してるが、旧宮家の方には現在の陛下よりも血筋としては正統な方もおられる。
「今の日本国憲法第1条では、天皇の地位は国民の総意に基づく、とあるので、やはり国民の広い議論、国民の支持が必要になるんだろうと思う」とは正論だが、天皇を否定する共産党や左翼勢力らが存在する限り「総意」にはならない。
抑々、天皇とはどの様な存在であるかを理解していないから、「男系」や「女性宮家」「女系天皇」などという末の議論に終始してしまっているのだ。況してや、反天皇勢力は憲法第2条の「世襲」を曲解し、愛子内親王殿下の即位を謀る。
天皇とは、諸外国の様な「王室」や「国王」の存在だと思っている国民が殆どだが、分かり易く言えば、日本固有の信仰である神道を伝え導く神主(神官)の最高の地位者であり、つまりはローマ法王と同じく祈りを重んずる「祭主」である。
「女性天皇」「女性宮家」では天皇の重んじる祭祀が叶わない、神に仕える神事を執り行うことが憚れるのだ。別に女性差別ではなく、これが伝統というものである。女性宮家や女系天皇論者らは国事行為をさせる便利な存在としか思っていない。
女性が天皇に就くというのは、普通の生活は送れないということを意味する。過去8人の女性天皇は全員独身で即位し、譲位以後も独身を通した意味は重い。
女性天皇論者は、神道そのものの無理解と天皇が祭主としての祭事の重要性を理解していないから安易に語れる訳で、これこそ天皇を軽んじてる証左でもある。
過去10代8人全ては男系の「女性天皇」であり「女系天皇」ではない。若し、敬宮愛子内親王が天皇に即位されてもそれは男系の9人目の女性天皇となる。だが、愛子天皇が御成婚遊ばされ第一子を生んだ場合それは男系ではなく「女系」となる。
「旧皇族と結婚すれば問題ない」という声もある。ならば、昭和天皇が最後まで反対なされた皇籍離脱させられた旧宮家の方々の皇籍復帰を先に行うべきだろう。
若し、愛子内親王の御相手が元皇族でなかったらどうなるのか。過去8人の女性天皇が嫡子を産まなかった重い意味を知るべきだ。女性皇族が結婚することで皇籍を離れるのは、「一般人としての生活を重んじよ」との天皇の大御心でもある。
そうしたことを理解することなく、「今の時代、女性宮家が無いのが可笑しい」だとか「女性が天皇に成れないのは女性差別」と安易に語る。女性皇族を天皇の国事行為を補佐させる便利な存在と思ってることこそ女性差別ではあるまいか。
安っぽい風潮(ジェンダー平等)で皇位継承を語り、「結婚されても皇室に留まり、御両親を支える」とは何事か。こうした愚論を垂れ流す保守派が国を亡ぼす。
祭祀を継承するには旧皇族の復帰を図ることが重要で、廃絶になった秩父宮・高松宮、女性皇族しかいない常陸宮と三笠宮の祭祀を旧宮家を再興し継承するべし。
皇位継承で大事なのは神武天皇以来の「男系」の血筋であり、「今上陛下とは血筋が違う」というのは近年の反天皇勢力に拠って創られた現代の価値観に過ぎない。
「長く民間人だった人が皇族になることに違和感」というのは付けたりに過ぎない反対理由であり、宮家を再興するということは、男系男子の皇位継承の安定を図るだけではなく、皇室の本分である祭祀を継承して戴くということにある。
大体「宮家」とは男系だからこそ宮家なのである。憲法以前の御存在であらされる天皇が、今や憲法中心の国事行為をやらせるだけの傀儡となってしまっていることを憂慮せざるを得ない。日本国憲法第1条から8条までの「天皇」条項を議論せよ!
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2024年01月25日
近い将来、子供が就きたい職業の凡そ49%をAIやロボットが担う様になる
公益社団法人「ACジャパン」のラジオCMは衝撃的だ。女の子の「わたしの将来の夢は・・・」の声に続き、子供達が「スポーツ選手」「ユーチューバー」「保育士」「医師」「ゲームクリエイター」「パティシエ」「作家」「芸能人」「プログラマー」など、将来なりたい職業を語る。そして、次のナレーションが流れる。
「今ある様々な仕事。近い将来、その凡そ49%をAIやロボットが担える様になるという予測がある。未だ見ぬ仕事や働き方が生まれて行く白紙の未来。子供達が自分らしい道を一歩ずつ切り拓いて行ける様に。子供達と向き合い共に歩んで行く社会へ」と提言が続き、女の子が「わたしの将来の夢は・・・」と語り、CMは終わる。
「働き方改革」というが、将来の日本を担う子供達の仕事はどんなになっているのだろう。ACジャパンは「不安もありますが未知は可能性とも捉えられます。必要なのは新しい価値観、日々変化する世界と正面から向き合っていく寛容さ」だと説明しているが、「新しい価値観」とは国連が薦めるグローバル化なら不安しかない。
子供達の仕事が無くなるというのに、目先のカネ儲けや営利至上主義から移民を受け入れて労働力不足を解消しようというのは正に売国奴の所業である。何が「必要なのは新しい価値観、日々変化する世界と正面から向き合っていく寛容さ」だ。
「子供達と向き合い共に歩んで行く社会へ」と言うのなら、先ずは大人が我慢すべきだろうし、今の時代さえ好ければという現代に蔓延してる価値観を見直すべきだ。現在の職業の半数が消え様としているのに、何故に外国人労働者を受け入れるのか。
報道に由れば、我が国の2023年の総生産(GDP)はドル換算でドイツに抜かれ第4位に転落したという。ドイツの人口は約8400万人と日本より少ないのに、GDPが伸びてる理由は何なのか。日本は労働力不足というより経営者の無能の方が大きい。
政治家が経団連を始めとした経済団体の要請に無条件で応える姿は、国益や国體を護ろうなどという意思は無く、政治を単なる生業にしているとしか感じない。
嘗ては「世界一安全」と言われた日本だが、不良外国人の急増に因って安全を脅かされている。そこに外国人労働者や自称難民を受け入れるとは狂気の沙汰だ。国民の生命の保証と財産の安全こそ日本人の願望であり、これに優る国益はない。
「警察白書」では、令和2年(2020年)の来日外国人に因る刑法犯の検挙件数に占める共犯事件の割合は35.5%と日本人(12.5%)の約2.8倍に上っている。国別ではベトナム人がトップで、シナ人は第二位と依然国内犯罪の多くを占めている。
今や日本の永住者の数は「在日」を抜き「シナ人」がトップに膨れ上がった。日本国籍取得者や不法滞在者を加えると100万人を遥かに超えるのではなかろうか。最近ではベトナム人や難民を自称するクルド人の犯罪が顕著になっている。
令和5年1月での不法滞在外国人の数は実に7万491人に及ぶ。不法滞在者の国籍は第1位がベトナム、第2位が韓国、第3位タイ、第4位中国、第5位フィリピン、以下、インドネシア、台湾、スリランカ、マレーシア、カンボジアと続く。
以前は、特別在留者である在日朝鮮人やシナ人、フィリピン人、ブラジル人などが暗躍していたが、今では不良ベトナム人やクルド人の勢力が拡大している。
「国を持たない最大の民族」と言われるトルコ系クルド人。 強制送還に抵抗する理由に「戻れば命の危険が」という。そんなことを言ってないで、命懸けで祖国を建設しろよ。珍左翼と連携して政治活動してるクルド人の強制送還は当たり前だ。
不法移民者らを支援する団体は、「人道的配慮に欠ける。特別に在留を許可するべきだ」と批判の声を上げて、「日本で長期間、家族と共に地域に根差して暮らす非正規滞在者に在留特別許可を出すべきだ」と指摘するが、本末転倒とはこのこと。
「地域に根差している」と本気で思っているとしたら実にノー天気なことだ。要は、不法に入国したり、或いは、ビザが切れても違法行為さえ見つからずに長く滞在していれば、「犯罪を犯そうが何をしようが御構い無し」ということなのか。
外国人犯罪者の強制送還に因る家族分断について、法務省入国管理局は「外国人を自国内に受け入れるか否か、受け入れる場合に如何なる条件を付すかは国際慣習上、国家が自由に決められるのが原則」と回答しているが、至極御尤な意見である。
岸田首相の「(シナ人留学生は)国の宝」発言には開いた口が塞がらない。更には欧米の多くの国が失敗した移民や難民を受け入れるというのだから厭きれるばかり。いっそのこと、政治の世界もAIにした方が、今よりマシになるかもな。呵呵。
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「今ある様々な仕事。近い将来、その凡そ49%をAIやロボットが担える様になるという予測がある。未だ見ぬ仕事や働き方が生まれて行く白紙の未来。子供達が自分らしい道を一歩ずつ切り拓いて行ける様に。子供達と向き合い共に歩んで行く社会へ」と提言が続き、女の子が「わたしの将来の夢は・・・」と語り、CMは終わる。
「働き方改革」というが、将来の日本を担う子供達の仕事はどんなになっているのだろう。ACジャパンは「不安もありますが未知は可能性とも捉えられます。必要なのは新しい価値観、日々変化する世界と正面から向き合っていく寛容さ」だと説明しているが、「新しい価値観」とは国連が薦めるグローバル化なら不安しかない。
子供達の仕事が無くなるというのに、目先のカネ儲けや営利至上主義から移民を受け入れて労働力不足を解消しようというのは正に売国奴の所業である。何が「必要なのは新しい価値観、日々変化する世界と正面から向き合っていく寛容さ」だ。
「子供達と向き合い共に歩んで行く社会へ」と言うのなら、先ずは大人が我慢すべきだろうし、今の時代さえ好ければという現代に蔓延してる価値観を見直すべきだ。現在の職業の半数が消え様としているのに、何故に外国人労働者を受け入れるのか。
報道に由れば、我が国の2023年の総生産(GDP)はドル換算でドイツに抜かれ第4位に転落したという。ドイツの人口は約8400万人と日本より少ないのに、GDPが伸びてる理由は何なのか。日本は労働力不足というより経営者の無能の方が大きい。
政治家が経団連を始めとした経済団体の要請に無条件で応える姿は、国益や国體を護ろうなどという意思は無く、政治を単なる生業にしているとしか感じない。
嘗ては「世界一安全」と言われた日本だが、不良外国人の急増に因って安全を脅かされている。そこに外国人労働者や自称難民を受け入れるとは狂気の沙汰だ。国民の生命の保証と財産の安全こそ日本人の願望であり、これに優る国益はない。
「警察白書」では、令和2年(2020年)の来日外国人に因る刑法犯の検挙件数に占める共犯事件の割合は35.5%と日本人(12.5%)の約2.8倍に上っている。国別ではベトナム人がトップで、シナ人は第二位と依然国内犯罪の多くを占めている。
今や日本の永住者の数は「在日」を抜き「シナ人」がトップに膨れ上がった。日本国籍取得者や不法滞在者を加えると100万人を遥かに超えるのではなかろうか。最近ではベトナム人や難民を自称するクルド人の犯罪が顕著になっている。
令和5年1月での不法滞在外国人の数は実に7万491人に及ぶ。不法滞在者の国籍は第1位がベトナム、第2位が韓国、第3位タイ、第4位中国、第5位フィリピン、以下、インドネシア、台湾、スリランカ、マレーシア、カンボジアと続く。
以前は、特別在留者である在日朝鮮人やシナ人、フィリピン人、ブラジル人などが暗躍していたが、今では不良ベトナム人やクルド人の勢力が拡大している。
「国を持たない最大の民族」と言われるトルコ系クルド人。 強制送還に抵抗する理由に「戻れば命の危険が」という。そんなことを言ってないで、命懸けで祖国を建設しろよ。珍左翼と連携して政治活動してるクルド人の強制送還は当たり前だ。
不法移民者らを支援する団体は、「人道的配慮に欠ける。特別に在留を許可するべきだ」と批判の声を上げて、「日本で長期間、家族と共に地域に根差して暮らす非正規滞在者に在留特別許可を出すべきだ」と指摘するが、本末転倒とはこのこと。
「地域に根差している」と本気で思っているとしたら実にノー天気なことだ。要は、不法に入国したり、或いは、ビザが切れても違法行為さえ見つからずに長く滞在していれば、「犯罪を犯そうが何をしようが御構い無し」ということなのか。
外国人犯罪者の強制送還に因る家族分断について、法務省入国管理局は「外国人を自国内に受け入れるか否か、受け入れる場合に如何なる条件を付すかは国際慣習上、国家が自由に決められるのが原則」と回答しているが、至極御尤な意見である。
岸田首相の「(シナ人留学生は)国の宝」発言には開いた口が塞がらない。更には欧米の多くの国が失敗した移民や難民を受け入れるというのだから厭きれるばかり。いっそのこと、政治の世界もAIにした方が、今よりマシになるかもな。呵呵。
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2024年01月23日
外国人の政経パーティーチケット購入は我が国への主権侵害である
マスコミは恣意的に清和政策研究会を「安倍派」と報じて元首相を貶める。だが、やってることは岸田派の方が悪質。抑々、安倍元首相は裏金作りの陋習を改めようとしていたのは周知の事実。安倍元首相が亡くなり復活した経緯は実に胡散臭い。
岸田文雄首相は、政治資金パーティーでの裏金問題が騒がれ出すと、逸早く清和政策研究会の松野博一官房長官、西村康稔経済産業相、鈴木淳司総務相、宮下一郎農林水産相を更迭した。更に羽生田光一政調会長も党の要職を解かれた。
だが、何れの議員も東京地検の結論は問題無し。岸田派(宏池会)は会計責任者が立件される。なのに岸田首相が、首相に居座り続けることに違和感を覚える。
政治資金パーティー事件を受け、清和会と宏池会、志帥会(二階派)が派閥を解消するらしいが論点ずらしだ。どんな組織でも気の合う奴と馬が合わないのはいるもので、咽元過ぎて元の鞘に納まる。政策グループに名を変えて仲間が集う(笑)
政治資金パーティーの問題は政治家のカネへの執着とさもしさから出た錆であり、所詮は政治資金規正法の不記載でしかない。裏金問題より悪質なのは外国人の政治資金パーティーへの参加であり、宏池会代表の岸田首相は自ら身を退くべきだ。
画像は、宏池会(岸田派)の政治資金パーティー。岸田首相の左隣りのカツラの御仁が地元郡山市を地盤とする宏池会副会長で事務総長の根本匠。事務総長が責任を問われず、会計責任者が逮捕されるという事実に検察への絶望を感じてしまう。
政治家はよく「政治をやるにはカネがかかる」という。暴力団と化した現代ヤクザがいう「ヤクザをやるのはカネがかかる」のと同義語だろうな。ヤクザがカネを追って任侠道を無くした様に、政治より資金集めに狂奔した政治家は恥を知りなさい。
国会議員には政党助成金が拠出されてる訳で、政党助成法の趣旨から鑑みても政治資金パーティー及び政治献金の廃止は当然のこと。だが、日本共産党は政党助成金を受け取っておらず、法の下の平等から政党助成金の在り方も見直すべきだ。
現在の政党助成法は、有権者が支持していない政党へもバラ撒かれる。一票を投じる際、その候補者に助成金が入るなどの法整備は出来ないものだろうか。
今回の裏金問題で許せないのは、法を作る側の国会議員が、政治資金規正法の裏を掻い潜り、政治資金パーティーを公然と行い、裏金を作っていたことだ。況してや、政治資金パーティーの参加は外国人でも問題が無いというのはどういうことか。
民主党政権下、前原誠司や菅直人が外国人から政治資金を貰っていたことが問題となった。前原については、自民党・西田昌司の執拗な追求し、前原は「故意ではない」と詭弁を弄するも、在日朝鮮人の婆さんからの献金の事実を認め外相を辞した。
西田議員は在日からの献金問題と在日の政治活動に対して、「これは日本人の主権が侵害されている大問題なんだよ」と喝破していたが、正にその通りである。菅直人に至っては不法献金を誤魔化す為に原発事故を利用したことは万死に値する。
現在、国内にはシナ人などの一般永住者が約80万人、韓国人などの特別永住者が約30万人、技能実習者約38万人、留学者約28万人、定住者約20万人と家族約20万人など、実に約289万人の外国人が住み、不法滞在者を加えると恐ろしい数だ。
外国人の中でもシナ人や在日朝鮮人らは「外国人地方参政権付与」に躍起になり、国内の珍左翼や左翼メディアを利用して「地域主権」などという妄言で国民を騙し、外国人への権利付与が当然であるかの如く騒ぎ立て、アホな政治家が賛同する。
「岸田派(宏池会)」の政治資金パーティーでは、シナ人が大量にチケットを購入している。他の派閥や野党も同じだろう。外国人からの政治献金は違法なのに、外国人の政治資金パーティーチケット購入が問題ではないというのはどういうことか。
「政治資金規正法」は議会制民主主義の根幹を成す法律である。政治資金の実態を偽ることは国民を欺いて政治判断を歪めることに他ならない。況してやパーティー券購入は政治資金規正法には問われないとしてやっているとしたら実に悪質である。
今回の政治資金パーティー裏金問題は自民党の陋習が生んだ破廉恥行為であり、国民への裏切りであるが、外国人のパーティー券購入が政治献金の替りだとしたら断じて赦されることではない。 外国人の派閥パーティー参加は氷山の一角だろう。
自民党岸田派を筆頭に売国議員どもが中国共産党関係者からの不法献金を受け、忠誠を誓うが如く活動し、売国法案成立に躍起になっていることは疑い様のない事実である。これ以上の我が国への主権侵害を拱手傍観している訳には参らない。
岸田派の事務総長は根本匠だが、こんなことでも根本の劣化を垣間見る。根本も引退した方が好い。政治資金パーティー裏金問題で自民党政権への批判は留まることを知らないが、野党の為体というかオウンゴールで自公連立政権が生き延びる(笑)
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
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2024年01月21日
政治資金規正法に罰則規定は無く空文化状態で穴だらけ
派閥の解散を示唆した岸田首相だが、別に派閥が悪い訳ではなく、政治資金パーティーを利用して裏金を捻出したという問題が国民の怒りと不信を招いたのだ。政治資金パーティーは、自民党だけじゃなく、ポンコツ野党の立憲共産党も同じだろう。
笑えるのは、立憲民主党代表の泉健太が、裏金を「ウラキン」と呼んでたな。そういや手当を「テトウ」と読んだ田島麻衣子ってのも居たし。ああいうのが「良識の府」と言われる参院議員だというのだから、自民党が負ける訳はないわな(笑)
岸田文雄首相や閣僚11人は1000万円以上集める「特定パーティー」を開催している。閣僚の政治資金パーティーは政治資金規正法には抵触しないが大臣規範に抵触する。大臣規範は常識的申し合わせであり、罰則規定は無く、空文化状態で穴だらけ。
政治資金規正法では政治資金パーティーを認めている。パーティー券の購入額が20万円以下なら名前の記載は不要。自民党5派閥の政治資金パーティーの不記載は報告書の訂正で問題は無いが、政治資金規正法と政党助成法との矛盾は明らか。
政党助成法に拠る「政党交付金」は政治献金禁止の代償であるが、未だに企業献金や政治資金パーティーを続けてるのは如何なものか。国民への約束を反故し、未だに企業や団体からの献金を続けていることは国民への詐欺行為そのものである。
政党交付金の目的は「企業・労働組合・団体から政党・政治団体への政治献金を制限する代償」だが、「禁止」ではなく「制限」としているところがミソか。
何れにしても、政党交付金を受け取るなら企業・団体からの政治献金は止めるべきだし、政治献金を受け続けるというのなら政党交付金制度は止めるべきだ。
政党交付金は、細川護煕首相が「ドイツでは国民がカネを出し合って政党を援助している。政治家がカネ集めに奔走しなくて済むし、何よりクリーンな政治を実現出来る」と国民に説明し、政治とカネの問題解決として政党助成法を成立させた。
政党助成法の成立で企業献金や政治資金パーティーは無くなり、政治家は国家国民の為に汗してくれるものと国民の誰もがそう信じた。だが、クリーンな政治どころか、国政そっちのけで企業・団体献金や個人献金とカネ集めに狂奔している。
政党交付金は、国民一人当たり約250円。国民総額約320億円。国会議員一人当たり約5000万円が配られる計算で、導入から9兆円以上が政治家に渡っている。
議員には歳費として年間2300万円、文書交通費1200万円、公設秘書の給料や議員会館、議員宿舎など年間合わせて1億円以上の国費が支払われる。政治活動には十分な金額だろうが、政治家どもの金銭欲は凄まじく留まるところを知らない。
政党交付金制度が企業、労働組合、団体からの政治献金禁止の代償であるのに、政治献金パーティーが無くならない現状は国民への裏切りであり、降り込め詐欺と同じ政党交付金詐欺である。物価高騰で喘いでいる国民をどれだけ蔑ろにするのか。
政党交付金は「政治活動の自由」との観点から使途には制限も無ければ、立法事務費の報告義務や党解散時の返納義務もない。法律を作る側に立つ国会議員が、「合法的なら」とか「法律の範囲内なら」と法を巧妙に抜けて遣りたい放題し放題。
政党交付金をネコババしたといえば小沢一郎。小沢は「新生党」と「自由党」解党時の交付金23億円を着服し不動産を購入。小沢が立憲民主党と国民民主党の合併に躍起になっていたのも、約80億円と言われる政党交付金目当てだった。
正に「政党助成法」は国民をバカにした法律であり、小沢一郎の政治とカネの問題は、本を糺せばこの政党交付金の在り方を論じなければならない問題だった。
旧民主党の議員が沈黙する中で、「井戸塀政治家は知ってるが、政治資金で不動産を買ったのは小沢君くらいだ(笑)」と小沢を揶揄した故渡部恒三を思い出す。
相変わらず国会議員らは企業献金やら個人献金、政経パーティーと、国政そっちのけで金策に狂奔している。これ即ち「クリーンな政治を実現する」という趣旨からも逸脱しており、国民への裏切りである政党交付金は即時廃止するべきだ。
日本共産党は、政党助成法に反対する立場から政党交付金は受け取らない。敵乍ら大したものだ。交付金を受取る政党と受取らない政党が存在している現状は「法の下の平等」とは程遠いものだ。受取らない日本共産党が何故か立派に見える(笑)
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円(月2500円)。法人120000円。協賛会員300000円~。
笑えるのは、立憲民主党代表の泉健太が、裏金を「ウラキン」と呼んでたな。そういや手当を「テトウ」と読んだ田島麻衣子ってのも居たし。ああいうのが「良識の府」と言われる参院議員だというのだから、自民党が負ける訳はないわな(笑)
岸田文雄首相や閣僚11人は1000万円以上集める「特定パーティー」を開催している。閣僚の政治資金パーティーは政治資金規正法には抵触しないが大臣規範に抵触する。大臣規範は常識的申し合わせであり、罰則規定は無く、空文化状態で穴だらけ。
政治資金規正法では政治資金パーティーを認めている。パーティー券の購入額が20万円以下なら名前の記載は不要。自民党5派閥の政治資金パーティーの不記載は報告書の訂正で問題は無いが、政治資金規正法と政党助成法との矛盾は明らか。
政党助成法に拠る「政党交付金」は政治献金禁止の代償であるが、未だに企業献金や政治資金パーティーを続けてるのは如何なものか。国民への約束を反故し、未だに企業や団体からの献金を続けていることは国民への詐欺行為そのものである。
政党交付金の目的は「企業・労働組合・団体から政党・政治団体への政治献金を制限する代償」だが、「禁止」ではなく「制限」としているところがミソか。
何れにしても、政党交付金を受け取るなら企業・団体からの政治献金は止めるべきだし、政治献金を受け続けるというのなら政党交付金制度は止めるべきだ。
政党交付金は、細川護煕首相が「ドイツでは国民がカネを出し合って政党を援助している。政治家がカネ集めに奔走しなくて済むし、何よりクリーンな政治を実現出来る」と国民に説明し、政治とカネの問題解決として政党助成法を成立させた。
政党助成法の成立で企業献金や政治資金パーティーは無くなり、政治家は国家国民の為に汗してくれるものと国民の誰もがそう信じた。だが、クリーンな政治どころか、国政そっちのけで企業・団体献金や個人献金とカネ集めに狂奔している。
政党交付金は、国民一人当たり約250円。国民総額約320億円。国会議員一人当たり約5000万円が配られる計算で、導入から9兆円以上が政治家に渡っている。
議員には歳費として年間2300万円、文書交通費1200万円、公設秘書の給料や議員会館、議員宿舎など年間合わせて1億円以上の国費が支払われる。政治活動には十分な金額だろうが、政治家どもの金銭欲は凄まじく留まるところを知らない。
政党交付金制度が企業、労働組合、団体からの政治献金禁止の代償であるのに、政治献金パーティーが無くならない現状は国民への裏切りであり、降り込め詐欺と同じ政党交付金詐欺である。物価高騰で喘いでいる国民をどれだけ蔑ろにするのか。
政党交付金は「政治活動の自由」との観点から使途には制限も無ければ、立法事務費の報告義務や党解散時の返納義務もない。法律を作る側に立つ国会議員が、「合法的なら」とか「法律の範囲内なら」と法を巧妙に抜けて遣りたい放題し放題。
政党交付金をネコババしたといえば小沢一郎。小沢は「新生党」と「自由党」解党時の交付金23億円を着服し不動産を購入。小沢が立憲民主党と国民民主党の合併に躍起になっていたのも、約80億円と言われる政党交付金目当てだった。
正に「政党助成法」は国民をバカにした法律であり、小沢一郎の政治とカネの問題は、本を糺せばこの政党交付金の在り方を論じなければならない問題だった。
旧民主党の議員が沈黙する中で、「井戸塀政治家は知ってるが、政治資金で不動産を買ったのは小沢君くらいだ(笑)」と小沢を揶揄した故渡部恒三を思い出す。
相変わらず国会議員らは企業献金やら個人献金、政経パーティーと、国政そっちのけで金策に狂奔している。これ即ち「クリーンな政治を実現する」という趣旨からも逸脱しており、国民への裏切りである政党交付金は即時廃止するべきだ。
日本共産党は、政党助成法に反対する立場から政党交付金は受け取らない。敵乍ら大したものだ。交付金を受取る政党と受取らない政党が存在している現状は「法の下の平等」とは程遠いものだ。受取らない日本共産党が何故か立派に見える(笑)
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2024年01月17日
防災と国防が万全なものにすることが犠牲者に応える唯一無二のものである
能登半島地震での政府の対応を見てると隔靴掻痒の感は否めない。平成7(1995)年1月17日に起きた阪神淡路大震災(阪神大震災)の後に起こった東日本大震災を始めとした災害を見る限り、政府が万全な体制を執って来たとは思えない。
そうした原因は、敗戦の汚辱を払拭せずに、戦後の経済的繁栄だけに現を抜かし、国家の大本を忘れ国民精神を失ひ、本を正さずして末に奔り、国家百年の大計は米国に依存し続けて来たことに起因するといっても過言ではないだろう。
大東亜戦争の敗戦の教訓を活かすことは当然乍ら、震災や災害等で被災された多くの方々の犠牲を無駄にすることなく、今後の我が国の危機管理と防災と国防が万全なものとなる様に、更なる高度な対策が構築されて行くことを望むばかり。
阪神大震災が起こった際の首相は最低・最悪の村山富市だった。こうした無能な左翼議員を持ち上げ連立を組み、首班指名した自民党にも責任があろう。
村山が首相指名を受ける前年、羽田内閣が少数与党内閣となり総辞職。政権復帰を目指した自民党は、日本社会党(村山富市委員長)・新党さきがけ(武村正義代表)と連立政権を組むことに合意した。自民党総裁はあの河野洋平とは何か況や。
「自衛隊違憲合法論」を標榜する社会党の党首でもあった村山は、自衛隊の出動に難色を示した。その対応の拙さから数千人もの助かる命が失われたのだった。
日本社会党の施策である「自衛隊違憲合法論」を優先する余り、自衛隊への出動命令を出せなかった。対応の拙さを批判された村山は、驚くことに「なんせ初めてのことじゃけ~」と他人事の様に語ったことを国民は決して忘れはしない。
「言い訳は見苦しいばかりではなく同じ過ちを繰り返す」とは徳富蘇峰。村山はその後、日韓併合の植民地支配と大東亜戦争を「侵略」と断じ「談話」を発表した。
震災対応の過ちに続き、慰安婦問題や歴史問題で火に油を注いだ村山はその後も我が国を貶め続け、老醜を曝け出した。東日本大震災時の首相であった菅直人も同じく、現場視察強行やSPEDDIの数値隠蔽で要らぬ被曝を招いたこと然り。
社会党の村山や民主党の菅といった、最低・最悪の政権の時に何故に史上最悪といえる天災が起こるのだろう。これはやはり天譴、天罰であったのだろうか。そう考えると、能登半島地震もまた岸田文雄や自民党の無能が重なって見える。
三上卓作詞・作曲の「青年日本の歌(昭和維新の歌)」に一節に、「天の怒りか地の声か、そもただならぬ響きあり、民永劫の眠りより、醒めよ日本の朝ぼらけ」とある様に、今こそ我々は戦後のあらゆる不条理から覚醒せねばならない。
占領下だった昭和25(1950)年の警察予備隊発足以来、阪神淡路大震災や東日本大震災を始めとした災害派遣や平和と独立、国民の生命財産を守る為に行われている訓練などで、実に2054名(陸自1102柱、海自485柱、空自436柱、機関31柱)の自衛官が殉職されていることを、我々国民はどう思っているのだろうか。
国家の防衛と国民の生命・財産を守るべき自衛体が、災害救助などの都合の好い便利屋的な任務で殉職していることも知らされないというのはどうしたものか。
殉職自衛官に対し、如何に慰霊・顕彰すべきなのか。財政再建よりも優先されるべき喫緊の課題であろう。自衛隊殉職者追悼式は市ヶ谷駐屯地内の慰霊碑の前で、政府や自衛隊関係者のみで行われており、国民が慰霊・顕彰することはない。
殉職された自衛官は靖國神社に祀り、国民が感謝の誠を捧げるべきだと思う。だが、如何せん、自衛隊の存在があやふや故に儘ならないのが現実である。
小林弘樹陸上幕僚副長(陸将)ら陸自幹部が、靖國神社に参拝したことが何故か問題となっている。国家に殉じた英霊を祀る神社に現職自衛官が感謝の誠を捧げることは当然であり、こうした問題が出ていることこそ戦後の不条理の現れである。
三島由紀夫は、携行した檄文の中で「自衛隊は国軍たりえず、建軍の本義を与えられず、警察の物理的に巨大なものとしての地位しか与えられず」と喝破した。だが、三島の声は届くことはなく、未だに自衛隊は違憲の儘に放置され続けている。
現憲法の第9条・第2項に「陸海空軍の戦力は保持しない」と明記されている。素直に読めば、悲しい哉、自衛隊は明らかな憲法違反の存在である。然し乍ら、阪神大震災や東日本大震災などに於ける災害救援活動や民生支援など正に命を賭して活動し、日夜訓練に励む自衛隊を、まともな日本人ならば感謝こそすれ否定はしまい。
取り敢えず9条改正論ではなく、何故に堂々と現憲法の矛盾点と不条理を指摘し、国軍であるべき自衛隊を名誉ある軍隊にしようとしないのだ。現憲法の矛盾を解消することに、誰に何を慮るというのか。これ以上の政治の怠慢は赦されない。
我が国の危機管理と防災と国防が万全なものとなり、より高度な対策が構築されて行くことが、震災での犠牲になられた方々の無念さに応える唯一無二のものであると信じて止まない。震災で犠牲となられた方々に哀悼の意を表します。合掌。
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そうした原因は、敗戦の汚辱を払拭せずに、戦後の経済的繁栄だけに現を抜かし、国家の大本を忘れ国民精神を失ひ、本を正さずして末に奔り、国家百年の大計は米国に依存し続けて来たことに起因するといっても過言ではないだろう。
大東亜戦争の敗戦の教訓を活かすことは当然乍ら、震災や災害等で被災された多くの方々の犠牲を無駄にすることなく、今後の我が国の危機管理と防災と国防が万全なものとなる様に、更なる高度な対策が構築されて行くことを望むばかり。
阪神大震災が起こった際の首相は最低・最悪の村山富市だった。こうした無能な左翼議員を持ち上げ連立を組み、首班指名した自民党にも責任があろう。
村山が首相指名を受ける前年、羽田内閣が少数与党内閣となり総辞職。政権復帰を目指した自民党は、日本社会党(村山富市委員長)・新党さきがけ(武村正義代表)と連立政権を組むことに合意した。自民党総裁はあの河野洋平とは何か況や。
「自衛隊違憲合法論」を標榜する社会党の党首でもあった村山は、自衛隊の出動に難色を示した。その対応の拙さから数千人もの助かる命が失われたのだった。
日本社会党の施策である「自衛隊違憲合法論」を優先する余り、自衛隊への出動命令を出せなかった。対応の拙さを批判された村山は、驚くことに「なんせ初めてのことじゃけ~」と他人事の様に語ったことを国民は決して忘れはしない。
「言い訳は見苦しいばかりではなく同じ過ちを繰り返す」とは徳富蘇峰。村山はその後、日韓併合の植民地支配と大東亜戦争を「侵略」と断じ「談話」を発表した。
震災対応の過ちに続き、慰安婦問題や歴史問題で火に油を注いだ村山はその後も我が国を貶め続け、老醜を曝け出した。東日本大震災時の首相であった菅直人も同じく、現場視察強行やSPEDDIの数値隠蔽で要らぬ被曝を招いたこと然り。
社会党の村山や民主党の菅といった、最低・最悪の政権の時に何故に史上最悪といえる天災が起こるのだろう。これはやはり天譴、天罰であったのだろうか。そう考えると、能登半島地震もまた岸田文雄や自民党の無能が重なって見える。
三上卓作詞・作曲の「青年日本の歌(昭和維新の歌)」に一節に、「天の怒りか地の声か、そもただならぬ響きあり、民永劫の眠りより、醒めよ日本の朝ぼらけ」とある様に、今こそ我々は戦後のあらゆる不条理から覚醒せねばならない。
占領下だった昭和25(1950)年の警察予備隊発足以来、阪神淡路大震災や東日本大震災を始めとした災害派遣や平和と独立、国民の生命財産を守る為に行われている訓練などで、実に2054名(陸自1102柱、海自485柱、空自436柱、機関31柱)の自衛官が殉職されていることを、我々国民はどう思っているのだろうか。
国家の防衛と国民の生命・財産を守るべき自衛体が、災害救助などの都合の好い便利屋的な任務で殉職していることも知らされないというのはどうしたものか。
殉職自衛官に対し、如何に慰霊・顕彰すべきなのか。財政再建よりも優先されるべき喫緊の課題であろう。自衛隊殉職者追悼式は市ヶ谷駐屯地内の慰霊碑の前で、政府や自衛隊関係者のみで行われており、国民が慰霊・顕彰することはない。
殉職された自衛官は靖國神社に祀り、国民が感謝の誠を捧げるべきだと思う。だが、如何せん、自衛隊の存在があやふや故に儘ならないのが現実である。
小林弘樹陸上幕僚副長(陸将)ら陸自幹部が、靖國神社に参拝したことが何故か問題となっている。国家に殉じた英霊を祀る神社に現職自衛官が感謝の誠を捧げることは当然であり、こうした問題が出ていることこそ戦後の不条理の現れである。
三島由紀夫は、携行した檄文の中で「自衛隊は国軍たりえず、建軍の本義を与えられず、警察の物理的に巨大なものとしての地位しか与えられず」と喝破した。だが、三島の声は届くことはなく、未だに自衛隊は違憲の儘に放置され続けている。
現憲法の第9条・第2項に「陸海空軍の戦力は保持しない」と明記されている。素直に読めば、悲しい哉、自衛隊は明らかな憲法違反の存在である。然し乍ら、阪神大震災や東日本大震災などに於ける災害救援活動や民生支援など正に命を賭して活動し、日夜訓練に励む自衛隊を、まともな日本人ならば感謝こそすれ否定はしまい。
取り敢えず9条改正論ではなく、何故に堂々と現憲法の矛盾点と不条理を指摘し、国軍であるべき自衛隊を名誉ある軍隊にしようとしないのだ。現憲法の矛盾を解消することに、誰に何を慮るというのか。これ以上の政治の怠慢は赦されない。
我が国の危機管理と防災と国防が万全なものとなり、より高度な対策が構築されて行くことが、震災での犠牲になられた方々の無念さに応える唯一無二のものであると信じて止まない。震災で犠牲となられた方々に哀悼の意を表します。合掌。
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2024年01月16日
自衛隊幹部の靖國神社参拝批判に見る戦後の歪んだ陋習を払拭しよう!
陸上自衛隊の小林弘樹陸上幕僚副長(陸将)ら陸自幹部が、靖國神社に参拝したことが何故か問題となっている。国家に殉じた英霊を祀る神社に現職自衛官が感謝の誠を捧げ、自衛隊の活動への御加護を懸けることに何の問題があるというのか。
自衛隊員を庇うべき木原実防衛相は、情けないことに「誤解を招く行動は避けなければならない」と述べたが、大臣の発言に違和感を覚えた国民は少なくない。
更に「宗教上の礼拝所を部隊で参拝することを禁じる防衛次官通達に違反するか調査し、厳正に対処する」と自衛隊員の処分を示唆しているが、靖國神社を礼拝所と認識してることは実に御粗末だし、通達より憲法上の信仰の自由を重んじるべき。
木原大臣の対応は、共産党機関紙「赤旗」の取材に屈した結果だが、反自衛隊勢力のあからさまな反日行為と自衛隊批判であり、陋習というべき通達を自衛隊批判の道具にされたことを重く受け止め、早急に防衛次官通達こそ破棄しなさいな。
現憲法20条第3項は「国及びその機関は宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」と明記されている。つまり、総理大臣や閣僚の靖國参拝も条項に抵触してるのは明らかであるが、靖國神社の宗教法人格を取り消せば問題は解決する。
最高裁が示した憲法の禁止する「宗教的活動」の定義は、当該行為の目的が宗教的意義を持ち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進または圧迫等も含まれているる。つまり、所謂「A級分祀論」なども第20条違反に問われる行為でもある。
本来ならば、昭和27年4月28日に我が国の主権が恢復した折に、靖國神社と全国の護国神社は「宗教法人」ではなく国家で管理するべきだった。だが、政治の怠慢に加え、政府自民党の無作為で国家護持が成されずに現在に至っている。
今回の騒動の根底には反靖國神社勢力が蠢く。我が国には所謂「A級戦犯」「B・C級戦犯」「戦争犯罪人」はいない。未だに東京裁判史観の「日本悪玉論」が罷り通り、日本は未来永劫「悪い国」でなければならない勢力がそれを利用する。
昭和27年4月28日、我が国は主権を回復した。翌年の第16国会の議決に拠り「戦傷病者戦没者遺族援護法」が改正されたことを以て法的に復権されている。未だに「戦犯」と呼称する政治家が後を絶たないが国会軽視との自覚は無いのか。
連合国側が定めたA・B・C級の区分に関係なく、刑死・獄中死された方は「法務死」と称され、靖國神社では「昭和殉難者」として、不当に処刑された所謂B・C級戦犯1068名を始め、リンチ等で亡くなった方が約100名が御祭神となっている。
世界のどんな国でも国民でも、国家に殉じた「英霊」には最大の名誉が与えられている。それに比べて経済大国である我が国の精神的貧困さには呆れるばかり。
故中曽根康弘や小沢一郎、前原誠司、石破茂などの曲学阿世の大馬鹿者が韓国や中共に阿り、昭和殉難者である英霊の方々を「A級戦犯」や「戦争犯罪人」と断じ、「分祀論」を提言し、国民世論を煽り分断を謀ってることは万死に値する。
容共派からは「靖國参拝は中韓を刺激するから、外交的にマイナスだ」という声が聞こえるが、中共については軍事力を増強し続け、海洋調査船が日本の排他的経済水域に於いて不当な活動を繰り返し、加えて尖閣諸島の領有権を主張している。
韓国にしても同じく、我が国の固有の領土である島根県竹島を未だに不法占拠した儘で、北方領土海域に於ける漁業権確保をロシアとの間で契約している。つまり、今日只今を以てしても中韓は日本への敵対行為を採っている国家なのである。
そうした我が国への敵対行為や侮蔑には目を瞑り、相手国を刺激する事のみを心配する論理は、正に東京裁判史観に毒された自虐思想以外の何ものでもない。
凡そ国家が存在するならば、他国を刺激しないなどということがあるだろうか。国家は自存の為に国益を主張し、国益は往々にして対立することを免れない。然らば、他国を刺激しないという理由は、自国の国益を放棄することに他ならない。
「近隣諸国を刺激しない」という、戦後日本の国是は誤りなのだ。皮肉なことに、過去に於いて被害者であったと声高に主張する国こそが、現代では我が国の主権を侵し続けている。この事実をしても連中に被害などを口にする資格はない。
百歩も千歩も譲って、我が国が、過去のある時代に悪逆非道の犯罪者だったらどうだというのか。それでも我等は歩みを止めず生きて行かねばならないのだ。
北朝鮮に日本人同胞を拉致され乍ら、他人事の様に涼しい顔をし、先祖の領土を略奪され主権を侵害されてるのに、拱手傍観している訳には参らないのだ。
大切なのは古今東西、世界に蔓延る覇権主義の克服を主張すべきであって、他国の覇権主義に目を瞑り、一方的に自虐の淵に止め処なく漬かり込むことではない。今回の自衛隊幹部の靖國神社参拝騒動は、正に戦後日本の御花畑の象徴でもある。
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自衛隊員を庇うべき木原実防衛相は、情けないことに「誤解を招く行動は避けなければならない」と述べたが、大臣の発言に違和感を覚えた国民は少なくない。
更に「宗教上の礼拝所を部隊で参拝することを禁じる防衛次官通達に違反するか調査し、厳正に対処する」と自衛隊員の処分を示唆しているが、靖國神社を礼拝所と認識してることは実に御粗末だし、通達より憲法上の信仰の自由を重んじるべき。
木原大臣の対応は、共産党機関紙「赤旗」の取材に屈した結果だが、反自衛隊勢力のあからさまな反日行為と自衛隊批判であり、陋習というべき通達を自衛隊批判の道具にされたことを重く受け止め、早急に防衛次官通達こそ破棄しなさいな。
現憲法20条第3項は「国及びその機関は宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」と明記されている。つまり、総理大臣や閣僚の靖國参拝も条項に抵触してるのは明らかであるが、靖國神社の宗教法人格を取り消せば問題は解決する。
最高裁が示した憲法の禁止する「宗教的活動」の定義は、当該行為の目的が宗教的意義を持ち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進または圧迫等も含まれているる。つまり、所謂「A級分祀論」なども第20条違反に問われる行為でもある。
本来ならば、昭和27年4月28日に我が国の主権が恢復した折に、靖國神社と全国の護国神社は「宗教法人」ではなく国家で管理するべきだった。だが、政治の怠慢に加え、政府自民党の無作為で国家護持が成されずに現在に至っている。
今回の騒動の根底には反靖國神社勢力が蠢く。我が国には所謂「A級戦犯」「B・C級戦犯」「戦争犯罪人」はいない。未だに東京裁判史観の「日本悪玉論」が罷り通り、日本は未来永劫「悪い国」でなければならない勢力がそれを利用する。
昭和27年4月28日、我が国は主権を回復した。翌年の第16国会の議決に拠り「戦傷病者戦没者遺族援護法」が改正されたことを以て法的に復権されている。未だに「戦犯」と呼称する政治家が後を絶たないが国会軽視との自覚は無いのか。
連合国側が定めたA・B・C級の区分に関係なく、刑死・獄中死された方は「法務死」と称され、靖國神社では「昭和殉難者」として、不当に処刑された所謂B・C級戦犯1068名を始め、リンチ等で亡くなった方が約100名が御祭神となっている。
世界のどんな国でも国民でも、国家に殉じた「英霊」には最大の名誉が与えられている。それに比べて経済大国である我が国の精神的貧困さには呆れるばかり。
故中曽根康弘や小沢一郎、前原誠司、石破茂などの曲学阿世の大馬鹿者が韓国や中共に阿り、昭和殉難者である英霊の方々を「A級戦犯」や「戦争犯罪人」と断じ、「分祀論」を提言し、国民世論を煽り分断を謀ってることは万死に値する。
容共派からは「靖國参拝は中韓を刺激するから、外交的にマイナスだ」という声が聞こえるが、中共については軍事力を増強し続け、海洋調査船が日本の排他的経済水域に於いて不当な活動を繰り返し、加えて尖閣諸島の領有権を主張している。
韓国にしても同じく、我が国の固有の領土である島根県竹島を未だに不法占拠した儘で、北方領土海域に於ける漁業権確保をロシアとの間で契約している。つまり、今日只今を以てしても中韓は日本への敵対行為を採っている国家なのである。
そうした我が国への敵対行為や侮蔑には目を瞑り、相手国を刺激する事のみを心配する論理は、正に東京裁判史観に毒された自虐思想以外の何ものでもない。
凡そ国家が存在するならば、他国を刺激しないなどということがあるだろうか。国家は自存の為に国益を主張し、国益は往々にして対立することを免れない。然らば、他国を刺激しないという理由は、自国の国益を放棄することに他ならない。
「近隣諸国を刺激しない」という、戦後日本の国是は誤りなのだ。皮肉なことに、過去に於いて被害者であったと声高に主張する国こそが、現代では我が国の主権を侵し続けている。この事実をしても連中に被害などを口にする資格はない。
百歩も千歩も譲って、我が国が、過去のある時代に悪逆非道の犯罪者だったらどうだというのか。それでも我等は歩みを止めず生きて行かねばならないのだ。
北朝鮮に日本人同胞を拉致され乍ら、他人事の様に涼しい顔をし、先祖の領土を略奪され主権を侵害されてるのに、拱手傍観している訳には参らないのだ。
大切なのは古今東西、世界に蔓延る覇権主義の克服を主張すべきであって、他国の覇権主義に目を瞑り、一方的に自虐の淵に止め処なく漬かり込むことではない。今回の自衛隊幹部の靖國神社参拝騒動は、正に戦後日本の御花畑の象徴でもある。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円(月2500円)。法人120000円。協賛会員300000円~。
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2024年01月15日
靖國神社を参拝した自衛隊幹部を庇わない木原実防衛大臣にはガッカリ
陸上自衛隊ナンバー2の小林弘樹陸上幕僚副長(陸将)ら陸自幹部が、先週の9日に靖國神社に参拝したことが何故か問題となっている。日本国憲法原理主義と未だにGHQの神道指令を忠実に守ろうとしてることに、戦後日本の問題点を垣間見る。
小林陸将は、共産党機関紙「赤旗」の取材に「自衛隊幹部の参拝は毎年のこと」と応えた。共産党は、公用車を使っての参拝を「憲法20条が定める政教分離に抵触する可能性がある」と糾弾し、NHKや共同通信など左翼メディアや珍左翼が便乗。
能登半島地震が発生し、突発的な対応を迫られる場合もあり、幹部が官用車を使用するのは当然だと思うが、木原実防衛相は、恒例行事とはいえ、自衛隊幹部の行動を軽挙と言わんばかりに「誤解を招く行動は避けなければならない」と述べた。
小林陸将は、去年4月に沖縄県の宮古島沖で起きたヘリコプターの事故の調査委員会委員長を務めている。陸将は「航空機の安全を祈願する為の参拝」と応えているが、「殉職した自衛隊員の顕彰と慰霊である」と堂堂と語れば好かったと思う。
防衛省の通達では、集団で神社などに参拝することを禁止しているという。国家国民の安全と領土を守る自衛隊が、天佑神助を祈願する神社への参拝を禁止してどうするのか。GHQの神道指令の名残であるこんな通達は早々に取っ払うべきである。
「航空機の安全祈願」という欺瞞は止めた方が好い。我が国周辺の緊張感が高まってる中で、近い将来、平和・安定の為に自衛官の「戦死」が生じる場合があるだろう。殉職自衛官を慰霊し、顕彰するのは、やはり「靖國神社」を於いて他にない。
平成10年、防衛省の六本木から市ヶ谷への移転に伴い、敷地内に自衛隊殉職者慰霊碑が建立され、毎年、御遺族、内閣総理大臣、防衛大臣以下高級幹部などが参列し追悼式が行われている。防衛省は一般国民が足を踏み入れることは出来ない。
国家国民を護る為に、また災害時の復興で殉職された自衛隊員に感謝の誠を捧げ、如何にして慰霊と顕彰を行うべきか、我々は考えたことがあるだろうか。
昭和25年8月9日の自衛隊の前身である警察予備隊発足以来、阪神淡路大震災や東日本大震災を始めとした災害派遣や平和と独立、国民の生命財産を守る為に行われている訓練などで、実に2054名(陸自1102柱、海自485柱、空自436柱、機関31柱)の自衛官が殉職されていることを、国民は知っているのだろうか。
然し乍ら、靖國神社を否定する勢力が、自衛隊員の靖國合祀に賛成することは有得ず、自衛隊殉職者慰霊碑を市谷から千鳥ヶ淵墓苑に移すことで千鳥ヶ淵墓苑が戦没者追悼施設にされる可能性もあるが、大事なことは慰霊ではなく顕彰である。
「顕彰」とは、生前の功績や善行などを称えて広く世間に知らせることである。靖國神社は追悼施設ではなく、英霊の顕彰を重んじていることを理解していない。「哀悼」とか「追悼」とは、死者の生前を偲び、その死を悼み悲しむことである。
木原防衛相は「宗教上の礼拝所を部隊で参拝することを禁じる防衛次官通達に違反するか調査し厳正に対処する」としているが、靖國神社を礼拝所と認識してることは実に御粗末だ。チョッとは気骨ある保守政治家だと思ってたからガッカリ。
部隊での靖國神社参拝がダメなら、防大生有志の恒例行事である横須賀~九段迄の東京行進も特攻観音や戦没者慰霊碑の清掃作業も防衛次官通達違反ということか。
木原大臣は政治の混乱を避ける為に自衛隊幹部の処分を公言したのだろうが、反靖國勢力への譲歩は更なる譲歩を生むということを何故に理解出来ないのか。
自衛隊や自衛官へ敬意を払うことは日本人としての当然の義務であるが、我が国は未だに平和ボケの真っ只中。国防への常識が欠落し、自衛隊に敬意を払うどころか、自衛権をも否定しているクソ憲法を国民不在の政争の道具に利用し続ける。
今回の自衛隊幹部の参拝が批判されるのは、靖國神社が「宗教法人」だからだ。靖國問題を解決するには分祀論や憲法解釈ではなく、靖國神社の「宗教法人格」を見直せば済むことなのに、政治家どもが手を拱いていることは不思議でならない。
靖國神社というのは戦後、GHQの統治下で行われた「神道指令」に因って、解体や焼き打ちされそうになったのは有名な話し。当時の関係者がGHQの目を逸らす為に一時的に英霊ではなく別な御祭神を祀り「一宗教法人」として存続を図った。
本来ならば、昭和27年4月28日に我が国の主権が恢復した折に、靖國神社と全国の護国神社は「宗教法人」ではな国家で管理するべきだったのだが、政治の怠慢に加え、政府自民党の無作為で国家護持が成されずに現在に至っている。
自衛隊幹部の靖國神社参拝が問題というのなら、保守議員が団結して「靖國神社法案」を提出可決し、宗教法人格を取っ払い、不毛な靖國論議に終止符を打て!
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
小林陸将は、共産党機関紙「赤旗」の取材に「自衛隊幹部の参拝は毎年のこと」と応えた。共産党は、公用車を使っての参拝を「憲法20条が定める政教分離に抵触する可能性がある」と糾弾し、NHKや共同通信など左翼メディアや珍左翼が便乗。
能登半島地震が発生し、突発的な対応を迫られる場合もあり、幹部が官用車を使用するのは当然だと思うが、木原実防衛相は、恒例行事とはいえ、自衛隊幹部の行動を軽挙と言わんばかりに「誤解を招く行動は避けなければならない」と述べた。
小林陸将は、去年4月に沖縄県の宮古島沖で起きたヘリコプターの事故の調査委員会委員長を務めている。陸将は「航空機の安全を祈願する為の参拝」と応えているが、「殉職した自衛隊員の顕彰と慰霊である」と堂堂と語れば好かったと思う。
防衛省の通達では、集団で神社などに参拝することを禁止しているという。国家国民の安全と領土を守る自衛隊が、天佑神助を祈願する神社への参拝を禁止してどうするのか。GHQの神道指令の名残であるこんな通達は早々に取っ払うべきである。
「航空機の安全祈願」という欺瞞は止めた方が好い。我が国周辺の緊張感が高まってる中で、近い将来、平和・安定の為に自衛官の「戦死」が生じる場合があるだろう。殉職自衛官を慰霊し、顕彰するのは、やはり「靖國神社」を於いて他にない。
平成10年、防衛省の六本木から市ヶ谷への移転に伴い、敷地内に自衛隊殉職者慰霊碑が建立され、毎年、御遺族、内閣総理大臣、防衛大臣以下高級幹部などが参列し追悼式が行われている。防衛省は一般国民が足を踏み入れることは出来ない。
国家国民を護る為に、また災害時の復興で殉職された自衛隊員に感謝の誠を捧げ、如何にして慰霊と顕彰を行うべきか、我々は考えたことがあるだろうか。
昭和25年8月9日の自衛隊の前身である警察予備隊発足以来、阪神淡路大震災や東日本大震災を始めとした災害派遣や平和と独立、国民の生命財産を守る為に行われている訓練などで、実に2054名(陸自1102柱、海自485柱、空自436柱、機関31柱)の自衛官が殉職されていることを、国民は知っているのだろうか。
然し乍ら、靖國神社を否定する勢力が、自衛隊員の靖國合祀に賛成することは有得ず、自衛隊殉職者慰霊碑を市谷から千鳥ヶ淵墓苑に移すことで千鳥ヶ淵墓苑が戦没者追悼施設にされる可能性もあるが、大事なことは慰霊ではなく顕彰である。
「顕彰」とは、生前の功績や善行などを称えて広く世間に知らせることである。靖國神社は追悼施設ではなく、英霊の顕彰を重んじていることを理解していない。「哀悼」とか「追悼」とは、死者の生前を偲び、その死を悼み悲しむことである。
木原防衛相は「宗教上の礼拝所を部隊で参拝することを禁じる防衛次官通達に違反するか調査し厳正に対処する」としているが、靖國神社を礼拝所と認識してることは実に御粗末だ。チョッとは気骨ある保守政治家だと思ってたからガッカリ。
部隊での靖國神社参拝がダメなら、防大生有志の恒例行事である横須賀~九段迄の東京行進も特攻観音や戦没者慰霊碑の清掃作業も防衛次官通達違反ということか。
木原大臣は政治の混乱を避ける為に自衛隊幹部の処分を公言したのだろうが、反靖國勢力への譲歩は更なる譲歩を生むということを何故に理解出来ないのか。
自衛隊や自衛官へ敬意を払うことは日本人としての当然の義務であるが、我が国は未だに平和ボケの真っ只中。国防への常識が欠落し、自衛隊に敬意を払うどころか、自衛権をも否定しているクソ憲法を国民不在の政争の道具に利用し続ける。
今回の自衛隊幹部の参拝が批判されるのは、靖國神社が「宗教法人」だからだ。靖國問題を解決するには分祀論や憲法解釈ではなく、靖國神社の「宗教法人格」を見直せば済むことなのに、政治家どもが手を拱いていることは不思議でならない。
靖國神社というのは戦後、GHQの統治下で行われた「神道指令」に因って、解体や焼き打ちされそうになったのは有名な話し。当時の関係者がGHQの目を逸らす為に一時的に英霊ではなく別な御祭神を祀り「一宗教法人」として存続を図った。
本来ならば、昭和27年4月28日に我が国の主権が恢復した折に、靖國神社と全国の護国神社は「宗教法人」ではな国家で管理するべきだったのだが、政治の怠慢に加え、政府自民党の無作為で国家護持が成されずに現在に至っている。
自衛隊幹部の靖國神社参拝が問題というのなら、保守議員が団結して「靖國神社法案」を提出可決し、宗教法人格を取っ払い、不毛な靖國論議に終止符を打て!
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2024年01月12日
今は「反共右翼からの脱却」ではなく反共右翼への回帰を目指すべし!
行動右翼の防共挺身隊(防挺)に所属しつつ、国士舘大学時代に右翼理論を学ぼうと「日本論壇倶楽部」という同好会を創った。新右翼のカリスマ・野村秋介が「反共右翼からの脱却」や「理論武装」を訴えていることも知らずにいた頃だった。
「友よ山河を亡ぼすなかれ(反共右翼からの脱却)」の復刻版を読み直している。改めて、野村の峻烈な生き様と強力な理論に裏付けられた言霊に敬服する。
反共右翼からの脱却(われわれは現体制の手先ではない)が論じられたのは、安保改定から20年も経っていなかった昭和51年のこと。当時は「反共」から安保支持に回った戦後右翼を批判することが、新しい右翼の選択だったのだろう。
愚生は「安保支持に回った戦後右翼」の選択は間違っていなかったと思う。安保反対の当時の学生の多くは共産主義に傾倒したというより、先の大戦で米国に負けたという悔しさからの行動であり、野村は彼らの行動に共鳴したのだと思う。
戦前の右翼と戦後の右翼は全く違う存在である。戦前の右翼は「国粋主義」的要素が強く、外国思想は全て悪と捉えるという考えであり、それは共産主義であろうが、資本主義であろうが、民主主義であろうが批判されるべき対象だった。
GHQは占領下に於いて、戦争を引き起こしたのは日本国内の右翼勢力だとして、右翼団体や危険人物を潰そうとする。だが、第二次世界大戦が終結すると日独の防共の砦が崩壊するとアジアを始め世界各地で共産党に因る革命や暴動が起こった。
GHQに処刑された東条英機も遺書の中で、ドイツと日本の防共の防波堤が崩壊したことで世界が混乱してることを憂いている。日本国内で共産主義が席巻すると、それを危惧したGHQは右翼解体の方向を転換し、右翼団体を「反共」に利用する。
A級戦犯だった児玉誉志夫と笹川良一が反共運動に参画し、反共右翼が登場する。児玉も笹川も、GHQの意の儘に「共産主義」のみを悪とし、忠実に実行した。
児玉や笹川らが「米国のスパイ」と言われるのはその所為でもある。児玉は「児玉機関」で貯め込んだ潤沢な資金を基に、全国の博徒(ヤクザ)や香具師(テキヤ)を纏め上げ、愚連隊的右翼団体を次々と立ち上げ、「反共運動」に乗り出した。
右翼団体の「反共」運動は間違ってはいないが、右翼団体の多くが「憲法改正」や「靖國神社国家護持」「北方領土奪還」などの自民党のスローガンを忠実に遂行し、自民党の「院外団」的行動をしていたことは児玉や笹川の影響が大きい。
院外団的右翼は代わりに経済的恩恵を享けた。防共挺身隊総隊長の福田進もその一人。例えば、福田総隊長は神奈川県葉山地区の二束三文の土地を取得している。取得後、間もなく有料道路が建設されることとなり莫大な資金を得ている。
福田総隊長は、日本に帰属される前の沖縄で、那覇空港内に「福田商店」という免税店を開業していたが、児玉のそうした裏の人脈と政治力の賜物だろう。
悲しい哉、極貧を経験した人というのはカネの使い方が分からない。資産数百億円と言われた福田総隊長は後進を育てることなく幽冥境を異にしてしまった。
「反共右翼」に反省を求めるのなら、院外団として恩恵を享け、居の安きに甘んじたことを猛省するべきだろう。そんな右翼だったから権力に使い捨てされたのだ。
ヤクザが「仁侠道」を忘却し、カネ儲け至上主義から暴力団化したのと同じく、右翼も維新者としての「大義」を忘れて、資本主義に溺れ、目先のカネ儲けなどに興じていれば、必要価値のないものに成り下がって行くのは必然だろう。
反共右翼こそが現在の右翼に求められる行動であると考える。野村ー鈴木の対談から47年経つが、その後の共産主義はどうなったのか。実に巧妙となり、国内のあらゆる処に蔓延し、我が国體を棄損し続けている。嘗て三島由紀夫はこう語った。
「我々はあらゆる革命に反対するものではない。暴力的手段たると非暴力的手段たるとを問わず、共産主義を行政権と連結せしめようとするあらゆる企画、あらゆる行動に反対するものである。この連結の企画とは、所謂民主連合政権(容共政権)の成立及びその企画を含むことを言うまでもない。名目的たると実質的たるとを問わず、共産主義が行政権と連結するあらゆる態様に我々は反対するものである」
今や「男女共同参画社会」「ジェンダーフリー」「SDGs」「LGBT法案」「人権擁護法案」「協働・共生社会」「外国人参政権」「外国人住民基本法案」「アイヌ新法」「女性天皇・女性宮家創設」など、次から次へと策謀が重ねられている。
野村と左翼の太田竜との対談は読み応えがある。太田の理論は現代左翼のバイブルの様なもので、中でもアイヌを日帝に因る圧迫民族であるとの主張は、法制化された「アイヌ法案」に通ずる。太田も草葉の陰でほくそ笑んでるに違いない。
こうした左翼の策謀と政府の愚策に因って国體や国柄が破壊され続けている。つまりは、三島が悲観した予言より酷い状況に陥っているが現在の日本であるのだ。
これらの姦策に対峙するべき愛国陣営や右翼を見れば、共産主義の行政への浸食への危機感が乏し過ぎる。野村の「理論武装」や「反共右翼からの脱却」を穿違えてはいないだろうか。右翼人を自任する愚生としては隔靴掻痒の感は否めない。
行動右翼のパイオニアを標榜する防挺が一世を風靡した時代、求められたのは理論より激しく派手な行動力だった。その昔、幹部が放った「右翼は理論より行動。パクられたら弁護士先生が巧い理屈を考えてくれるよ」との言葉を思い出す(笑)
右翼・民族派は維新者として日々研鑽を積み、理論を武装し、テロリストの如く身体を鍛え、反共右翼に回帰して、強烈な反共・救国運動を展開するべし。呵呵。
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「友よ山河を亡ぼすなかれ(反共右翼からの脱却)」の復刻版を読み直している。改めて、野村の峻烈な生き様と強力な理論に裏付けられた言霊に敬服する。
反共右翼からの脱却(われわれは現体制の手先ではない)が論じられたのは、安保改定から20年も経っていなかった昭和51年のこと。当時は「反共」から安保支持に回った戦後右翼を批判することが、新しい右翼の選択だったのだろう。
愚生は「安保支持に回った戦後右翼」の選択は間違っていなかったと思う。安保反対の当時の学生の多くは共産主義に傾倒したというより、先の大戦で米国に負けたという悔しさからの行動であり、野村は彼らの行動に共鳴したのだと思う。
戦前の右翼と戦後の右翼は全く違う存在である。戦前の右翼は「国粋主義」的要素が強く、外国思想は全て悪と捉えるという考えであり、それは共産主義であろうが、資本主義であろうが、民主主義であろうが批判されるべき対象だった。
GHQは占領下に於いて、戦争を引き起こしたのは日本国内の右翼勢力だとして、右翼団体や危険人物を潰そうとする。だが、第二次世界大戦が終結すると日独の防共の砦が崩壊するとアジアを始め世界各地で共産党に因る革命や暴動が起こった。
GHQに処刑された東条英機も遺書の中で、ドイツと日本の防共の防波堤が崩壊したことで世界が混乱してることを憂いている。日本国内で共産主義が席巻すると、それを危惧したGHQは右翼解体の方向を転換し、右翼団体を「反共」に利用する。
A級戦犯だった児玉誉志夫と笹川良一が反共運動に参画し、反共右翼が登場する。児玉も笹川も、GHQの意の儘に「共産主義」のみを悪とし、忠実に実行した。
児玉や笹川らが「米国のスパイ」と言われるのはその所為でもある。児玉は「児玉機関」で貯め込んだ潤沢な資金を基に、全国の博徒(ヤクザ)や香具師(テキヤ)を纏め上げ、愚連隊的右翼団体を次々と立ち上げ、「反共運動」に乗り出した。
右翼団体の「反共」運動は間違ってはいないが、右翼団体の多くが「憲法改正」や「靖國神社国家護持」「北方領土奪還」などの自民党のスローガンを忠実に遂行し、自民党の「院外団」的行動をしていたことは児玉や笹川の影響が大きい。
院外団的右翼は代わりに経済的恩恵を享けた。防共挺身隊総隊長の福田進もその一人。例えば、福田総隊長は神奈川県葉山地区の二束三文の土地を取得している。取得後、間もなく有料道路が建設されることとなり莫大な資金を得ている。
福田総隊長は、日本に帰属される前の沖縄で、那覇空港内に「福田商店」という免税店を開業していたが、児玉のそうした裏の人脈と政治力の賜物だろう。
悲しい哉、極貧を経験した人というのはカネの使い方が分からない。資産数百億円と言われた福田総隊長は後進を育てることなく幽冥境を異にしてしまった。
「反共右翼」に反省を求めるのなら、院外団として恩恵を享け、居の安きに甘んじたことを猛省するべきだろう。そんな右翼だったから権力に使い捨てされたのだ。
ヤクザが「仁侠道」を忘却し、カネ儲け至上主義から暴力団化したのと同じく、右翼も維新者としての「大義」を忘れて、資本主義に溺れ、目先のカネ儲けなどに興じていれば、必要価値のないものに成り下がって行くのは必然だろう。
反共右翼こそが現在の右翼に求められる行動であると考える。野村ー鈴木の対談から47年経つが、その後の共産主義はどうなったのか。実に巧妙となり、国内のあらゆる処に蔓延し、我が国體を棄損し続けている。嘗て三島由紀夫はこう語った。
「我々はあらゆる革命に反対するものではない。暴力的手段たると非暴力的手段たるとを問わず、共産主義を行政権と連結せしめようとするあらゆる企画、あらゆる行動に反対するものである。この連結の企画とは、所謂民主連合政権(容共政権)の成立及びその企画を含むことを言うまでもない。名目的たると実質的たるとを問わず、共産主義が行政権と連結するあらゆる態様に我々は反対するものである」
今や「男女共同参画社会」「ジェンダーフリー」「SDGs」「LGBT法案」「人権擁護法案」「協働・共生社会」「外国人参政権」「外国人住民基本法案」「アイヌ新法」「女性天皇・女性宮家創設」など、次から次へと策謀が重ねられている。
野村と左翼の太田竜との対談は読み応えがある。太田の理論は現代左翼のバイブルの様なもので、中でもアイヌを日帝に因る圧迫民族であるとの主張は、法制化された「アイヌ法案」に通ずる。太田も草葉の陰でほくそ笑んでるに違いない。
こうした左翼の策謀と政府の愚策に因って国體や国柄が破壊され続けている。つまりは、三島が悲観した予言より酷い状況に陥っているが現在の日本であるのだ。
これらの姦策に対峙するべき愛国陣営や右翼を見れば、共産主義の行政への浸食への危機感が乏し過ぎる。野村の「理論武装」や「反共右翼からの脱却」を穿違えてはいないだろうか。右翼人を自任する愚生としては隔靴掻痒の感は否めない。
行動右翼のパイオニアを標榜する防挺が一世を風靡した時代、求められたのは理論より激しく派手な行動力だった。その昔、幹部が放った「右翼は理論より行動。パクられたら弁護士先生が巧い理屈を考えてくれるよ」との言葉を思い出す(笑)
右翼・民族派は維新者として日々研鑽を積み、理論を武装し、テロリストの如く身体を鍛え、反共右翼に回帰して、強烈な反共・救国運動を展開するべし。呵呵。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円(月2500円)。法人120000円。協賛会員300000円~。
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2024年01月10日
弱者を気取りさえすれば救済される今の風潮に違和感を覚える
正月も終わったが、浪人暮らしの愚生は毎日が休みの様なもの。他人から似れば気楽な稼業に見えるだろうが、先々の事を考えると不安が無い訳ではない。
若い頃は宵越しのカネも持たず、僅かなカネを得てはパーッと使って気にも留めなかったが、歳をとった所為か明日の事を考える様になってしまった(笑)
防共挺身隊本部の総隊長代行に就いた30代から約20年間、物心両面で支援して頂いていた帝友会の高花豊先生に幾度となく言われた、「佐久間さん、活動家が長生きすると惨めな生活しか待ってませんよ!」という言葉が脳裏に焼き付いている。
カネというのは「持ってれば何かと便利」「無いよりは有った方が好い」という代物でしかないし、使わなきゃ意味は無い。カネがあれば生活するには困らないし、低迷する右翼活動の立て直しも出来るし、頑張ってる右翼後進らへの支援も出来る。
右翼の先生方を見ると、企業献金などもあり資金が潤沢だった頃に蓄財に励み、その貯め込んだ金で自宅を購入し、居の安きに甘んじ、右翼を志した純粋な気持ちなんぞ疾うの昔に忘れ去り、終身保険に入ってるのに「一日一生」とはコレ如何に。
野村秋介が師と仰いだ、昭和維新を夢見た三上卓は、台湾からの密輸事件(海烈号事件)で逮捕されているが、これも革命(昭和維新)資金の調達が目的だった。活動資金獲得に合法も違法も無い。右翼陣営の立て直しは資金確保の成否にある。
弱者を気取りさえすれば救済される今の風潮に違和感を覚える。己の努力不足を自覚せず、「困ってる」「助けて欲しい」などと他人に溢してどうするの。
「乞食に氏無し」という言葉があるが、何事も、その者の心がけの悪さからなるものである。弱音を吐いたり、ボヤくと、笑われて「わが好ぎだ」と亡き母に言われたことを思い出す。要は、自分で蒔いた種であり、自業自得、因果応報である。
他人の痛みを分かれというがそんな人間はいない。泣き言は言わない方が好い。悩みや不安、痛みなんぞ他人には分からないものだし、己の恥を曝すだけだ。
ワーキングプア(働く貧困層)という連中に小遣いを与え、住居を提供し、生活保護の大盤振る舞いしている。働く気もない連中を国の政策の被害者扱いし、またそれを「可哀想」といって支援するボランティアなんぞ偽善以外の何物でもない。
安易な生活支援が愚民を生む原因である。弱者を標榜する人々を嘗て曽野綾子は「老人業」や「難民業」と揶揄したが正論だろう。弱者を標榜する連中は「私達は優遇されるのが当然だ」という態度で権利ばかりを主張するが、実に甘えた話だ。
買って欲しくて駄々を捏ねる子供と同じで、何でも無暗に貰いたがることを「乞食根性」と言う。右翼浪人ではあるがここまで賤しい人間にはなりたくないものだ。
「乞食の朝謡(あさうたい)」という諺もある。サラリーマンなら忙しい朝の時間にも暢気に謡ってられる様に、難民業や老人業も右翼浪人も気楽な境遇でもある。
「乞食も三日すれば忘れられぬ」とも言うし、不如意と雖も気楽なもので、三日もすればそれが忘れられなくなる。実に悪習は染まり易く、これを改めるのは困難であり、働く意欲の無い連中への生活支援なんぞ根本的な解決にはならない。
その昔、横山武彦という破天荒な右翼浪人がいた。歳は二回り程違うが、妙に馬が合った。その横山曰く「乞食でもホンモノは信用出来る」と語っていたのを思い出す。右翼の中にもホンモノは極僅かで、インチキ右翼が幅を利かせている。
福沢諭吉の「心訓」というものが在る。
一 世の中で一番楽しく立派なことは一生涯を貫く仕事を持つ事です
一 世の中で一番みじめな事は人間として教養のない事です
一 世の中で一番さびしい事はする仕事のない事です
一 世の中で一番みにくい事は他人の生活をうらやむ事です
一 世の中で一番尊い事は人の為に奉仕して決して恩にきせない事です
一 世の中で一番美しいことはすべてのものに愛情をもつ事です
一 世の中で一番悲しい事はうそをつく事です
右翼人という一生涯を貫く生き方を持ったことは立派なことなのだろうが、福沢翁に言わせれば、勤労の義務を果たさないのは寂しい人生だということだ。
吉田兼好の様に職を捨て、自由気儘に生きて行くのは至難の業。カネが無いのは実に不安なもので、これは経験した者でなければ分かるまい。くだらない意地を捨てて、仕事をすれば好いのだが、それが出来ないから始末に負えない(笑)
実家の家訓というか亡き父の教えに「他人の生活を羨んでいると自分の幸せに気が付かない」と教えられてたので、他人の生活を羨むことはない。だが「働く凡人は気の多い秀才より役に立つ」というもう一つの家訓は守れずにいる。呵呵
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
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防共挺身隊本部の総隊長代行に就いた30代から約20年間、物心両面で支援して頂いていた帝友会の高花豊先生に幾度となく言われた、「佐久間さん、活動家が長生きすると惨めな生活しか待ってませんよ!」という言葉が脳裏に焼き付いている。
カネというのは「持ってれば何かと便利」「無いよりは有った方が好い」という代物でしかないし、使わなきゃ意味は無い。カネがあれば生活するには困らないし、低迷する右翼活動の立て直しも出来るし、頑張ってる右翼後進らへの支援も出来る。
右翼の先生方を見ると、企業献金などもあり資金が潤沢だった頃に蓄財に励み、その貯め込んだ金で自宅を購入し、居の安きに甘んじ、右翼を志した純粋な気持ちなんぞ疾うの昔に忘れ去り、終身保険に入ってるのに「一日一生」とはコレ如何に。
野村秋介が師と仰いだ、昭和維新を夢見た三上卓は、台湾からの密輸事件(海烈号事件)で逮捕されているが、これも革命(昭和維新)資金の調達が目的だった。活動資金獲得に合法も違法も無い。右翼陣営の立て直しは資金確保の成否にある。
弱者を気取りさえすれば救済される今の風潮に違和感を覚える。己の努力不足を自覚せず、「困ってる」「助けて欲しい」などと他人に溢してどうするの。
「乞食に氏無し」という言葉があるが、何事も、その者の心がけの悪さからなるものである。弱音を吐いたり、ボヤくと、笑われて「わが好ぎだ」と亡き母に言われたことを思い出す。要は、自分で蒔いた種であり、自業自得、因果応報である。
他人の痛みを分かれというがそんな人間はいない。泣き言は言わない方が好い。悩みや不安、痛みなんぞ他人には分からないものだし、己の恥を曝すだけだ。
ワーキングプア(働く貧困層)という連中に小遣いを与え、住居を提供し、生活保護の大盤振る舞いしている。働く気もない連中を国の政策の被害者扱いし、またそれを「可哀想」といって支援するボランティアなんぞ偽善以外の何物でもない。
安易な生活支援が愚民を生む原因である。弱者を標榜する人々を嘗て曽野綾子は「老人業」や「難民業」と揶揄したが正論だろう。弱者を標榜する連中は「私達は優遇されるのが当然だ」という態度で権利ばかりを主張するが、実に甘えた話だ。
買って欲しくて駄々を捏ねる子供と同じで、何でも無暗に貰いたがることを「乞食根性」と言う。右翼浪人ではあるがここまで賤しい人間にはなりたくないものだ。
「乞食の朝謡(あさうたい)」という諺もある。サラリーマンなら忙しい朝の時間にも暢気に謡ってられる様に、難民業や老人業も右翼浪人も気楽な境遇でもある。
「乞食も三日すれば忘れられぬ」とも言うし、不如意と雖も気楽なもので、三日もすればそれが忘れられなくなる。実に悪習は染まり易く、これを改めるのは困難であり、働く意欲の無い連中への生活支援なんぞ根本的な解決にはならない。
その昔、横山武彦という破天荒な右翼浪人がいた。歳は二回り程違うが、妙に馬が合った。その横山曰く「乞食でもホンモノは信用出来る」と語っていたのを思い出す。右翼の中にもホンモノは極僅かで、インチキ右翼が幅を利かせている。
福沢諭吉の「心訓」というものが在る。
一 世の中で一番楽しく立派なことは一生涯を貫く仕事を持つ事です
一 世の中で一番みじめな事は人間として教養のない事です
一 世の中で一番さびしい事はする仕事のない事です
一 世の中で一番みにくい事は他人の生活をうらやむ事です
一 世の中で一番尊い事は人の為に奉仕して決して恩にきせない事です
一 世の中で一番美しいことはすべてのものに愛情をもつ事です
一 世の中で一番悲しい事はうそをつく事です
右翼人という一生涯を貫く生き方を持ったことは立派なことなのだろうが、福沢翁に言わせれば、勤労の義務を果たさないのは寂しい人生だということだ。
吉田兼好の様に職を捨て、自由気儘に生きて行くのは至難の業。カネが無いのは実に不安なもので、これは経験した者でなければ分かるまい。くだらない意地を捨てて、仕事をすれば好いのだが、それが出来ないから始末に負えない(笑)
実家の家訓というか亡き父の教えに「他人の生活を羨んでいると自分の幸せに気が付かない」と教えられてたので、他人の生活を羨むことはない。だが「働く凡人は気の多い秀才より役に立つ」というもう一つの家訓は守れずにいる。呵呵
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
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2024年01月08日
国體破壊が目的であるハッピーマンデーを粉砕しよう!
今日は成人の日。国民の祝日に関する法律(祝日法)第2条には「おとなになったことを自覚し、みずから生き抜こうとする青年を祝いはげます」との趣旨が明記されている。本来、成人式は「小正月」の1月15日に行われていた。
昭和23年に公布・施行された「祝日法」では、成人式は1月15日と決められた。元旦を大正月と呼ぶのに対して15日を小正月と呼ぶ。その年の初めての満月の日に、一家の行く末を託す男子の「元服」を行ったのが成人式の由来である。
皇居では、神道の儀式の一つである男子皇族の「元服の儀」が小正月の15日に行われていた。「男子の元服」というのが、性差別を叫ぶジェンダーフリーを叫ぶキチガイどもの怒りを買って、所謂「ハッピーマンデー」が誕生することとなった。
平成10年の「国民の祝日に関する法律の一部を改正する法律」及び、平成13年の「国民の祝日に関する法律及び老人福祉法の一部を改正する法律」である、所謂「ハッピーマンデー」の施行に伴い、夫夫の月の第二月曜日に行うこととなった。
抑々「ハッピーマンデー」なる愚策こそ、共産主義者に因る国體破壊が目的であり、左翼陣営というのはこうした既成事実を積み重ねることに拠って、我が国の歴史や伝統、文化、更には皇統を否定する論拠とするのが常套手段でもある。
況してや、成人式を前倒しして日曜日にやる自治体も多い。「ハッピーマンデー」なんぞ無意味どころか百害有って一利無し、早々に改定を図るべきだ。旧暦を復活させて、新暦と併用すれば祝日の意味も国民には分かり易くなるだろう。
皇統断絶と国體破壊を目論む左翼陣営の究極の目的は「女系天皇」と「宮中祭祀」の妨害であるのは明らか。宮中祭祀で特に重要なものは正月、元旦に執り行われる「四方拝」と、11月の2回目の「卯の月」に行われる「新嘗祭」である。
祭祀は女性天皇では適わない。また祭祀こそ、決められた日の決められた時間にすべきものであり、国民が共に祝う日であって、祝日は単なる休日ではないのだ。諸外国に比べ、日本の祝祭日ほど「国柄」の分かる素晴らしい伝統、文化はない。
戦前の祝祭日の殆どが神道の祭日だった。現在は半数近くになってしまったが、多くの日本人が、神道に由来する祝祭日を単なる休み(休日)としか考えていないのは悲しいことだ。今こそ祝祭日の意義を教えて行かねばならないと痛感する。
「成人の日」を1月15日、「海の日」を7月20日に戻し、建国記念の日を「紀元節」、春分・秋分の日を「春季・秋季皇霊祭」、勤労感謝の日を「新嘗祭」との名称に改め、4月3日の「神武天皇祭」及び10月17日の「神嘗祭」を復活させることは国體の精華を取り戻すことでもある。「憲法記念日」や「山の日」は必要なし。
「こどもの日」の本来の趣旨は、「未来を担う子供の人格を重んじ、幸福を図ると共に、子供は自分を生み育ててくれた母に感謝する日」であった。だが、この「母」にいつもの性的変質者のオバハンらが騒ぎ立て「親」と偏向されることとなった。
昭和6年、昭和天皇の皇后である香淳皇后の御生誕日である3月6日が「母の日」に定められた。現在の母の日は3月6日ではなく、米国と同じ5月の第二日曜日。
我が国の母の日は皇后陛下の御誕生日である「地久節」の日にするべきである。母の日然り、クリスマス然り、米国の価値観の押付けは数多に及んでいる。
「日本はフジヤマ、ゲイシャガール、ハラキリの低開発国だ」とする米国は、占領下に於いて戦後民主主義教育を始め、日本弱体化政策実行し日本人の矯正を謀った。
日本国憲法が米国製というのは余程のバカでない限り知ってるが、「労働三法」と呼ばれる法律にしろ、教育委員会制度にしても日本を実験台にしたものだ。
現憲法を始めとして、悉く失敗した米国の策謀を有難く思い、それを当たり前だと錯覚し、それを変えることすら躊躇している日本というのは滑稽という他はない。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想などは mr.cordial@live.jp へ御気軽にメールを。
《会費&御支援》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円(月2500円)。法人120000円。協賛会員300000円~。
昭和23年に公布・施行された「祝日法」では、成人式は1月15日と決められた。元旦を大正月と呼ぶのに対して15日を小正月と呼ぶ。その年の初めての満月の日に、一家の行く末を託す男子の「元服」を行ったのが成人式の由来である。
皇居では、神道の儀式の一つである男子皇族の「元服の儀」が小正月の15日に行われていた。「男子の元服」というのが、性差別を叫ぶジェンダーフリーを叫ぶキチガイどもの怒りを買って、所謂「ハッピーマンデー」が誕生することとなった。
平成10年の「国民の祝日に関する法律の一部を改正する法律」及び、平成13年の「国民の祝日に関する法律及び老人福祉法の一部を改正する法律」である、所謂「ハッピーマンデー」の施行に伴い、夫夫の月の第二月曜日に行うこととなった。
抑々「ハッピーマンデー」なる愚策こそ、共産主義者に因る国體破壊が目的であり、左翼陣営というのはこうした既成事実を積み重ねることに拠って、我が国の歴史や伝統、文化、更には皇統を否定する論拠とするのが常套手段でもある。
況してや、成人式を前倒しして日曜日にやる自治体も多い。「ハッピーマンデー」なんぞ無意味どころか百害有って一利無し、早々に改定を図るべきだ。旧暦を復活させて、新暦と併用すれば祝日の意味も国民には分かり易くなるだろう。
皇統断絶と国體破壊を目論む左翼陣営の究極の目的は「女系天皇」と「宮中祭祀」の妨害であるのは明らか。宮中祭祀で特に重要なものは正月、元旦に執り行われる「四方拝」と、11月の2回目の「卯の月」に行われる「新嘗祭」である。
祭祀は女性天皇では適わない。また祭祀こそ、決められた日の決められた時間にすべきものであり、国民が共に祝う日であって、祝日は単なる休日ではないのだ。諸外国に比べ、日本の祝祭日ほど「国柄」の分かる素晴らしい伝統、文化はない。
戦前の祝祭日の殆どが神道の祭日だった。現在は半数近くになってしまったが、多くの日本人が、神道に由来する祝祭日を単なる休み(休日)としか考えていないのは悲しいことだ。今こそ祝祭日の意義を教えて行かねばならないと痛感する。
「成人の日」を1月15日、「海の日」を7月20日に戻し、建国記念の日を「紀元節」、春分・秋分の日を「春季・秋季皇霊祭」、勤労感謝の日を「新嘗祭」との名称に改め、4月3日の「神武天皇祭」及び10月17日の「神嘗祭」を復活させることは国體の精華を取り戻すことでもある。「憲法記念日」や「山の日」は必要なし。
「こどもの日」の本来の趣旨は、「未来を担う子供の人格を重んじ、幸福を図ると共に、子供は自分を生み育ててくれた母に感謝する日」であった。だが、この「母」にいつもの性的変質者のオバハンらが騒ぎ立て「親」と偏向されることとなった。
昭和6年、昭和天皇の皇后である香淳皇后の御生誕日である3月6日が「母の日」に定められた。現在の母の日は3月6日ではなく、米国と同じ5月の第二日曜日。
我が国の母の日は皇后陛下の御誕生日である「地久節」の日にするべきである。母の日然り、クリスマス然り、米国の価値観の押付けは数多に及んでいる。
「日本はフジヤマ、ゲイシャガール、ハラキリの低開発国だ」とする米国は、占領下に於いて戦後民主主義教育を始め、日本弱体化政策実行し日本人の矯正を謀った。
日本国憲法が米国製というのは余程のバカでない限り知ってるが、「労働三法」と呼ばれる法律にしろ、教育委員会制度にしても日本を実験台にしたものだ。
現憲法を始めとして、悉く失敗した米国の策謀を有難く思い、それを当たり前だと錯覚し、それを変えることすら躊躇している日本というのは滑稽という他はない。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想などは mr.cordial@live.jp へ御気軽にメールを。
《会費&御支援》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円(月2500円)。法人120000円。協賛会員300000円~。
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2024年01月04日
最低・最悪の政権の際に最悪といえる天災が起こるのは何故!?
1日午後4時10分頃、石川県を震源地とする能登半島地震は北海道から九州という広範囲に及び、73人(3日現在)が死亡した他、近県でも怪我人が出た。翌日には羽田空港で日航機と海上保安庁の航空機が衝突し、海保職員5名が犠牲となった。
能登半島地震で犠牲となられた方々にお悔やみを申し上げると共に、被災地への救援物資の輸送に対応していた海上保安上職員の殉職に対し哀悼の意を表したい。
立憲民主党の原口一博はX(旧twitter)で、能登半島地震への岸田文雄首相の初動対応の遅れを指摘し、「岸田首相に危機管理を任せられない」と批判していた。
このツイートに「発生は、2024年1月1日16時10分頃であり、全国的な祝休日であることを考慮する必要があります。発生5分後には総理指示が発出され、首相によるポストで18時15分に発生直後の官邸対策室立ち上げ、その後特定災害対策本部を設置しています」とのコミュニティノートが付き、原口のデマを指摘していた。
原口は東日本大震災での民主党の対応を持ち上げてたが、これにも「東日本大震災の発生は、2011年3月11日14時46分であり、国会開催中です。また緊急災害対策本部設置は15時14分であり、当時の首相菅による総理指示は、15時27分です。全閣僚出席の会議は16時12分です」とのコミュニティノートが付けられてた(笑)
民主党時代はどうだったのか。引退会見で原発事故後の対応を問われた菅直人は、「対応を誤れば関東地方全部が住めなくなる。ぎりぎりの状況という危機感を覚えて対応に当たった」と宣ってたが、菅の現場視察が事故後の混乱を招いた。
「現場訪問で事故対応が遅れた」「対策本部の乱立で指揮命令系統が混乱した」などの国民の不満について、「当時色んな見方があったが、最終的に私が率先してやったことで、被害があれ以上拡大せずに済んだ」との自賛には思わず仰け反った。
東電は、東日本大震災当日から炉心溶融という「最悪のシナリオ」を予測していたが、菅自らが強く望んだ福島第一原発への現地視察に因って、事故拡大防止の為に採るべき第二第三の矢を放つのが遅れてしまったことは見逃せない事実である。
政府関係者は「首相を被曝させない」ことを優先する余り、1号機の炉圧を低下させる為の「ベント」と呼ばれる応急措置が遅れた事実こそ括目すべきだろう。
現場視察という軽挙妄動こそが、原発事故の現場の対応に要らぬ混乱を招き、被害が拡大したことは明らかである。菅直人こそ業務上過失致死傷で起訴され、刑務所に送り込まねばならない大悪党である。逮捕し、余生を刑務所で送らせろ。
阪神大震災が起こった際の首相は、国政史上最低・最悪の村山富市だった。「自衛隊違憲合法論」を標榜する社会党の党首でもあった村山は、自衛隊の出動に難色を示した。その結果として、対応の拙さから数千人もの助かる命が失われた。
自衛隊への出動命令の遅れを批判された村山は、「なんせ初めてのことじゃけえ」と他人事の様に語ったことは決して忘れはしない。「言い訳は見苦しいばかりではなく同じ過ちを繰り返す」とはよく言ったもので、その後、村山は日韓併合の植民地支配と大東亜戦争を「侵略」と断じ、どさくさに「村山談話」を発表した。
現場視察強行やSPEDDIの数値隠蔽で要らぬ被曝を招いた菅直人然り。何故に、最低・最悪の政権の際に最悪といえる天災が起こるのだろう。やはり天譴であり、天罰なのだろうか。そう考えれると、自公政権や岸田文雄首相は悪害なのかもな。
余談だが、相変わらずネット上では、「ご冥福」という言葉が氾濫している。犠牲になられた方や故人への純粋なお悔やみを否定する訳ではないが、「冥福」というのは「死後の幸福をお祈りします」意味であり、現世が地獄という訳ではない。
例えば、浄土真宗では「死というのは穢れではない」と教えているから、「死後の幸せ」を意味する「冥福」は忌み嫌われる言葉でもある。キリスト教も同じ。
浄土真宗は、「故人を阿弥陀如来の智慧の光明によって極楽浄土へと導く」という真理であり、死後の幸せより、阿弥陀如来への信心を重視している宗派である。「ご冥福」というとそれらしく聞こえるからつい使いたがるが間違っている。
浄土真宗やキリスト教など宗派に拠っては故人への冒涜となることもあるから易易と使ってはいけません。故人の宗派が分からない場合は、「お悔やみ申し上げます」「ご愁傷様です」「哀悼の意を表します」などと言い換えた方が好い。
政治家の選挙活動の一環である弔電も、浄土真宗とか関係なく「ご冥福」のオンパレード。恐らくは宗教の訓えなんぞ知らないバカな秘書がやってるのだろうが、こういう一票欲しさの選挙運動である弔電披露なんてのは故人への冒涜でしかない。
末尾に当たり、危機管理と防災と国防が万全なものとなり、より高度な対策が構築されて行くことが犠牲になられた方々の無念さに応える唯一無二のものであると信じて止まない。今回犠牲となられた方々に改めて哀悼の意を表します。合掌再拝。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
能登半島地震で犠牲となられた方々にお悔やみを申し上げると共に、被災地への救援物資の輸送に対応していた海上保安上職員の殉職に対し哀悼の意を表したい。
立憲民主党の原口一博はX(旧twitter)で、能登半島地震への岸田文雄首相の初動対応の遅れを指摘し、「岸田首相に危機管理を任せられない」と批判していた。
このツイートに「発生は、2024年1月1日16時10分頃であり、全国的な祝休日であることを考慮する必要があります。発生5分後には総理指示が発出され、首相によるポストで18時15分に発生直後の官邸対策室立ち上げ、その後特定災害対策本部を設置しています」とのコミュニティノートが付き、原口のデマを指摘していた。
原口は東日本大震災での民主党の対応を持ち上げてたが、これにも「東日本大震災の発生は、2011年3月11日14時46分であり、国会開催中です。また緊急災害対策本部設置は15時14分であり、当時の首相菅による総理指示は、15時27分です。全閣僚出席の会議は16時12分です」とのコミュニティノートが付けられてた(笑)
民主党時代はどうだったのか。引退会見で原発事故後の対応を問われた菅直人は、「対応を誤れば関東地方全部が住めなくなる。ぎりぎりの状況という危機感を覚えて対応に当たった」と宣ってたが、菅の現場視察が事故後の混乱を招いた。
「現場訪問で事故対応が遅れた」「対策本部の乱立で指揮命令系統が混乱した」などの国民の不満について、「当時色んな見方があったが、最終的に私が率先してやったことで、被害があれ以上拡大せずに済んだ」との自賛には思わず仰け反った。
東電は、東日本大震災当日から炉心溶融という「最悪のシナリオ」を予測していたが、菅自らが強く望んだ福島第一原発への現地視察に因って、事故拡大防止の為に採るべき第二第三の矢を放つのが遅れてしまったことは見逃せない事実である。
政府関係者は「首相を被曝させない」ことを優先する余り、1号機の炉圧を低下させる為の「ベント」と呼ばれる応急措置が遅れた事実こそ括目すべきだろう。
現場視察という軽挙妄動こそが、原発事故の現場の対応に要らぬ混乱を招き、被害が拡大したことは明らかである。菅直人こそ業務上過失致死傷で起訴され、刑務所に送り込まねばならない大悪党である。逮捕し、余生を刑務所で送らせろ。
阪神大震災が起こった際の首相は、国政史上最低・最悪の村山富市だった。「自衛隊違憲合法論」を標榜する社会党の党首でもあった村山は、自衛隊の出動に難色を示した。その結果として、対応の拙さから数千人もの助かる命が失われた。
自衛隊への出動命令の遅れを批判された村山は、「なんせ初めてのことじゃけえ」と他人事の様に語ったことは決して忘れはしない。「言い訳は見苦しいばかりではなく同じ過ちを繰り返す」とはよく言ったもので、その後、村山は日韓併合の植民地支配と大東亜戦争を「侵略」と断じ、どさくさに「村山談話」を発表した。
現場視察強行やSPEDDIの数値隠蔽で要らぬ被曝を招いた菅直人然り。何故に、最低・最悪の政権の際に最悪といえる天災が起こるのだろう。やはり天譴であり、天罰なのだろうか。そう考えれると、自公政権や岸田文雄首相は悪害なのかもな。
余談だが、相変わらずネット上では、「ご冥福」という言葉が氾濫している。犠牲になられた方や故人への純粋なお悔やみを否定する訳ではないが、「冥福」というのは「死後の幸福をお祈りします」意味であり、現世が地獄という訳ではない。
例えば、浄土真宗では「死というのは穢れではない」と教えているから、「死後の幸せ」を意味する「冥福」は忌み嫌われる言葉でもある。キリスト教も同じ。
浄土真宗は、「故人を阿弥陀如来の智慧の光明によって極楽浄土へと導く」という真理であり、死後の幸せより、阿弥陀如来への信心を重視している宗派である。「ご冥福」というとそれらしく聞こえるからつい使いたがるが間違っている。
浄土真宗やキリスト教など宗派に拠っては故人への冒涜となることもあるから易易と使ってはいけません。故人の宗派が分からない場合は、「お悔やみ申し上げます」「ご愁傷様です」「哀悼の意を表します」などと言い換えた方が好い。
政治家の選挙活動の一環である弔電も、浄土真宗とか関係なく「ご冥福」のオンパレード。恐らくは宗教の訓えなんぞ知らないバカな秘書がやってるのだろうが、こういう一票欲しさの選挙運動である弔電披露なんてのは故人への冒涜でしかない。
末尾に当たり、危機管理と防災と国防が万全なものとなり、より高度な対策が構築されて行くことが犠牲になられた方々の無念さに応える唯一無二のものであると信じて止まない。今回犠牲となられた方々に改めて哀悼の意を表します。合掌再拝。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
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2024年01月03日
父上様、母上様、三日とろろ美味しゆうございました(円谷幸吉)
愚生の住む福島県内を始めとする東北地方や北関東の一部の地域では、正月の3日にはとろろメシ(汁)を食べる風習がある。ということで、朝は三日とろろ。
「三日とろろ」を食べるとその年は風邪をひかないと言われている。まぁ、風邪をひかない様にというより「七草粥」の様に、年末年始で飲み過ぎて疲れた胃腸を労わり滋養を付けるという意味からとろろを食べる様になったのだと思う。
「三日とろろ」でいつも思い出すのは、福島県須賀川市出身で東京五輪マラソン銅メダリストの円谷幸吉選手を思い出す。遺書の最初に「父上様、母上様、三日とろろ美味しゆうございました」と認められ、家族皆への感謝が綴られている。
遺書の最後には「幸吉は父母上様の側で暮らしとうございました」で結ばれ、中でも「幸吉は、もうすっかり疲れ切ってしまって走れません。何卒お許し下さい」の言葉は、マラソントップ選手故の苦悩の現れであり、衝撃的でもある。
円谷選手が遺書は、世話になった方々から頂いた美味しい食べ物への感謝の言葉で綴られ、彼の人となりが十分伝わってくる内容だ。(以下、遺書の全文)
父上様、母上様、三日とろろ美味しうございました。
干し柿、もちも美味しうございました。
敏雄兄姉上様、おすし美味しうございました。
勝美兄姉上様、ブドウ酒 リンゴ美味しうございました。
巌兄姉上様、しそめし南ばんづけ美味しうございました。
喜久造兄姉上様 ブドウ液養命酒美味しうございました。
又いつも洗濯ありがとうございました。
幸造兄姉上様、往復車に便乗さして戴き有難とうございました。
モンゴいか美味しうございました。
正男兄姉上様、お気を煩わして大変申し訳ありませんでした。
幸雄君、秀雄君、幹雄君、敏子ちゃん、ひで子ちゃん、良介君、敬久君、みよ子ちゃん、ゆき江ちゃん、光江ちゃん、彰君、芳幸君、恵子ちゃん、幸栄君、裕ちゃん、キーちゃん、正嗣君、立派な人になってください。
父上様母上様、幸吉は、もうすっかり疲れ切ってしまって走れません。
何卒お許し下さい。
気が休まる事なく御苦労、御心配をお掛け致し申し訳ありません。
幸吉は父母上様の側で暮しとうございました。
アジアで初であり、有色人種国として初めて開催された東京オリンピックで銅メダル獲得という快挙を成し遂げた幸吉は、レース後の会見でこう語った。
「私一人が走っているのではなく、日本国民全部の人が後ろから私を押していてくれるという感じを受けました」。この言葉は正しく幸吉が国士だった証しだろう。
遺書というのはその人の人物像が現れる。中でも、特攻隊員や靖國に眠る英霊の遺書は正しく「神」そのものの渾身の叫びであり、その言葉には言霊が宿り、その精神は日本人の心の奥に響き、時空を超えて明らかに現代に感応している。
右翼人の愚生には左翼という生き方はどんなものかは知らないが、二十八歳で自裁した連合赤軍中央委員会委員長・森恒夫の遺書には「自己の責任の重さに絶望し、自らに死刑を下す」と綴られている。その内容は次の様なものだった。
御遺族のみなさん、
十二名の同志はぼくのブルジョア的反マルクス的専制と戦い、
階級性、革命性を守ろうとした革命的同志であった。
責任はひとえにぼくにある。
同志のみなさん、常に心から励まして下さってありがとう。
お元気で。父上、ぼくはあなたの強い意志を学びとるべきだった。
強い意志のない正義感は薄っぺらなものとなり、変質したのである。
お元気で。愛する人へ、希望をもって生きて下さい。
さようなら。荷物は坂東君に。
森は逮捕されてからはキリスト教に関心を示していたという。革命に向けて自ら行った虐殺の罪を悔い改めてはいるが、それはその手法であって遺族への謝罪は全くないことをしても左翼思想云々以前に人間的な幼稚さが露われている。
一方で、浅沼稲次郎社会党委員長を刺殺した山口二矢は供述調書を取り終えると移送された練馬鑑別所で自裁。その調書の中で遺族に対して心境を吐露している。
浅沼委員長を倒すことは日本の為と堅く信じ殺害したのですから、
行為については法に触れることではありますが今何も悔いる処はありません。
しかし、浅沼委員長は最早故人となった人ですから、
生前の罪悪を追及する考えは毛頭なく唯故人の冥福を祈る気持ちであります。
又浅沼委員長の家族に対しては、如何なる父、夫であっても情愛に変わりなく、
殺害されたことによって悲しい想いで生活をし迷惑を掛けたことは事実ですので、
心から家族の方に申し訳ないと思っています。
二矢は練馬鑑別所に於いて、「國のため 神洲男児晴れやかに ほほえみ行かん 死出の旅へ」「大君に 仕えまつれる 若人は 今も昔も 心かわらじ」の辞世を遺し、「天皇陛下万歳」と従容として死に就いた。享年十七歳。
二矢は、「私には日本人の血が流れており唯物論では到底割り切れない。持って生まれた日本精神という唯心論的なものが滾っており、天性からこういう人生観、思想などが形成されたと思っています。尚、本当の日本人であれば、私の様な人生観、思想というものが心の奥底には必ず在ると思います」と述べている。
十七歳の二矢と二十八歳の森恒夫との人生観の違いは歴然だろう。二矢と円谷幸吉の遺書に日本人としての惻隠の情を犇々と感じ、人というのはどれだけ長く生きたかではなく、どう生きたか、どう生きるかが大事だと痛感する。合掌再拝。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
「三日とろろ」を食べるとその年は風邪をひかないと言われている。まぁ、風邪をひかない様にというより「七草粥」の様に、年末年始で飲み過ぎて疲れた胃腸を労わり滋養を付けるという意味からとろろを食べる様になったのだと思う。
「三日とろろ」でいつも思い出すのは、福島県須賀川市出身で東京五輪マラソン銅メダリストの円谷幸吉選手を思い出す。遺書の最初に「父上様、母上様、三日とろろ美味しゆうございました」と認められ、家族皆への感謝が綴られている。
遺書の最後には「幸吉は父母上様の側で暮らしとうございました」で結ばれ、中でも「幸吉は、もうすっかり疲れ切ってしまって走れません。何卒お許し下さい」の言葉は、マラソントップ選手故の苦悩の現れであり、衝撃的でもある。
円谷選手が遺書は、世話になった方々から頂いた美味しい食べ物への感謝の言葉で綴られ、彼の人となりが十分伝わってくる内容だ。(以下、遺書の全文)
父上様、母上様、三日とろろ美味しうございました。
干し柿、もちも美味しうございました。
敏雄兄姉上様、おすし美味しうございました。
勝美兄姉上様、ブドウ酒 リンゴ美味しうございました。
巌兄姉上様、しそめし南ばんづけ美味しうございました。
喜久造兄姉上様 ブドウ液養命酒美味しうございました。
又いつも洗濯ありがとうございました。
幸造兄姉上様、往復車に便乗さして戴き有難とうございました。
モンゴいか美味しうございました。
正男兄姉上様、お気を煩わして大変申し訳ありませんでした。
幸雄君、秀雄君、幹雄君、敏子ちゃん、ひで子ちゃん、良介君、敬久君、みよ子ちゃん、ゆき江ちゃん、光江ちゃん、彰君、芳幸君、恵子ちゃん、幸栄君、裕ちゃん、キーちゃん、正嗣君、立派な人になってください。
父上様母上様、幸吉は、もうすっかり疲れ切ってしまって走れません。
何卒お許し下さい。
気が休まる事なく御苦労、御心配をお掛け致し申し訳ありません。
幸吉は父母上様の側で暮しとうございました。
アジアで初であり、有色人種国として初めて開催された東京オリンピックで銅メダル獲得という快挙を成し遂げた幸吉は、レース後の会見でこう語った。
「私一人が走っているのではなく、日本国民全部の人が後ろから私を押していてくれるという感じを受けました」。この言葉は正しく幸吉が国士だった証しだろう。
遺書というのはその人の人物像が現れる。中でも、特攻隊員や靖國に眠る英霊の遺書は正しく「神」そのものの渾身の叫びであり、その言葉には言霊が宿り、その精神は日本人の心の奥に響き、時空を超えて明らかに現代に感応している。
右翼人の愚生には左翼という生き方はどんなものかは知らないが、二十八歳で自裁した連合赤軍中央委員会委員長・森恒夫の遺書には「自己の責任の重さに絶望し、自らに死刑を下す」と綴られている。その内容は次の様なものだった。
御遺族のみなさん、
十二名の同志はぼくのブルジョア的反マルクス的専制と戦い、
階級性、革命性を守ろうとした革命的同志であった。
責任はひとえにぼくにある。
同志のみなさん、常に心から励まして下さってありがとう。
お元気で。父上、ぼくはあなたの強い意志を学びとるべきだった。
強い意志のない正義感は薄っぺらなものとなり、変質したのである。
お元気で。愛する人へ、希望をもって生きて下さい。
さようなら。荷物は坂東君に。
森は逮捕されてからはキリスト教に関心を示していたという。革命に向けて自ら行った虐殺の罪を悔い改めてはいるが、それはその手法であって遺族への謝罪は全くないことをしても左翼思想云々以前に人間的な幼稚さが露われている。
一方で、浅沼稲次郎社会党委員長を刺殺した山口二矢は供述調書を取り終えると移送された練馬鑑別所で自裁。その調書の中で遺族に対して心境を吐露している。
浅沼委員長を倒すことは日本の為と堅く信じ殺害したのですから、
行為については法に触れることではありますが今何も悔いる処はありません。
しかし、浅沼委員長は最早故人となった人ですから、
生前の罪悪を追及する考えは毛頭なく唯故人の冥福を祈る気持ちであります。
又浅沼委員長の家族に対しては、如何なる父、夫であっても情愛に変わりなく、
殺害されたことによって悲しい想いで生活をし迷惑を掛けたことは事実ですので、
心から家族の方に申し訳ないと思っています。
二矢は練馬鑑別所に於いて、「國のため 神洲男児晴れやかに ほほえみ行かん 死出の旅へ」「大君に 仕えまつれる 若人は 今も昔も 心かわらじ」の辞世を遺し、「天皇陛下万歳」と従容として死に就いた。享年十七歳。
二矢は、「私には日本人の血が流れており唯物論では到底割り切れない。持って生まれた日本精神という唯心論的なものが滾っており、天性からこういう人生観、思想などが形成されたと思っています。尚、本当の日本人であれば、私の様な人生観、思想というものが心の奥底には必ず在ると思います」と述べている。
十七歳の二矢と二十八歳の森恒夫との人生観の違いは歴然だろう。二矢と円谷幸吉の遺書に日本人としての惻隠の情を犇々と感じ、人というのはどれだけ長く生きたかではなく、どう生きたか、どう生きるかが大事だと痛感する。合掌再拝。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
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2024年01月01日
皇紀2684年(令和6年)を迎え、恭しく聖寿の万歳を寿ぎ奉りまする
皇紀2684年、令和6年を迎えるに当たり、恭しく聖寿の万歳を寿ぎ奉り、愈々肇国の精神を顕揚し、本年が光輝ある年たらしめんことを堅く誓い、併而、御支援御厚情を賜ります皆々様方の益々の御隆昌と御健康を祈念申し上げます。
我が国の政治の混迷の一端は、戦後政治の総括を怠り、自己保身と偽善に狂奔して来た政治の陋習と国家観無き政治家の怠慢に在ると言っても過言ではない。
今日の祖国日本を覆う重苦しい閉塞感と惨憺たる現況を救う為に要用なものは、「我らは日本人である」という自覚と誇りを取戻すこと以外に無いと感じる。
今、我が国が直面している全ての問題は先人の努力を無視し、「日本人が日本人であることを見失った」ことに起因していると言っても好いのではなかろうか。
これはつまり、どの国で生まれ、何処の国で生き、何の為に働き、何を尊び、何を信じるのか、子供達に何を語り、友人や朋輩と何を分かつのか、そうした生き方を見失ってしまったことから、現在の混乱と精神的貧困は起きていると考える。
現代を生きる我々は「祖国日本とは何か」「日本人であるとはどういうことなのか」ということを自問自答し乍ら、世界と向い合うべきではないだろうか。
欧米主導の西欧時代の終焉が叫ばれている今、我々は悠久の歴史を有する祖国日本について考え、「日本人である」という証を示さなければならない時なのである。
本来の日本人ならば、心の中に「日本人の魂」というものを持っているだろう。それはつまり、この国の歴史伝統や先人達に対する尊敬や愛着の想いである。
例えば、先の戦争に負けたという事実を限りなく口惜しいと思い、占領で失われたものがあるならば、それを何としても取り戻したいと思う「心」である。
だがどうだろう、右翼陣営を始め自称愛国者や政治家から、魂から発する「思い」を感じることはなく、右顧左眄型の偽善者ばかりが目立つ気がしてならない。
我が国は世界の中で、最も優れた精神文化と独自の価値を有する国家であり、我々は日本民族として随神の道である神道、宗教、言語、悠久の歴史や価値観、習慣や制度といった精神文化を死守し、未来に継承して行かなくてはならないのだ。
その為には何をするべきか。先ずは国家の基本法として機能していない矛盾だらけの現憲法を破棄することが最善である。現憲法の無効を宣言し、先人の智慧の結晶でもある大日本帝国憲法を復元し、現代に合わせて改正することが求められる。
更には、靖國神社の宗教法人格を取っ払い国家で護持した上で、日本国民の「義務」として、靖國神社に眠る英霊に感謝の誠を捧げることこそ大事である。
我が国の長い歴史の中でこれ程迄に堕落し、自己犠牲の精神を忘却し、まやかしの平和と繁栄に現を抜かし、自己本位の享楽にばかりに狂った時代は無いだろう。
そんな中でも、真保守主義に覚醒し、山積する諸問題を如何に打破し、日本再生の転換点と成すべきかと行動する日本人が多く出て来たことは喜ばしい限り。
愚生は右翼浪人ではあるが、天皇国日本を盤石の安きに置く為に微力乍ら迫り来る祖国日本の危機に対処し、粉骨砕身、奮励邁進することこそ使命だと確信しておりますれば、本年も何卒、叱咤激励、御支援の程を宜しく御願い申し上げます。
皇紀2684年 歳旦 佐久間五郎拝
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
我が国の政治の混迷の一端は、戦後政治の総括を怠り、自己保身と偽善に狂奔して来た政治の陋習と国家観無き政治家の怠慢に在ると言っても過言ではない。
今日の祖国日本を覆う重苦しい閉塞感と惨憺たる現況を救う為に要用なものは、「我らは日本人である」という自覚と誇りを取戻すこと以外に無いと感じる。
今、我が国が直面している全ての問題は先人の努力を無視し、「日本人が日本人であることを見失った」ことに起因していると言っても好いのではなかろうか。
これはつまり、どの国で生まれ、何処の国で生き、何の為に働き、何を尊び、何を信じるのか、子供達に何を語り、友人や朋輩と何を分かつのか、そうした生き方を見失ってしまったことから、現在の混乱と精神的貧困は起きていると考える。
現代を生きる我々は「祖国日本とは何か」「日本人であるとはどういうことなのか」ということを自問自答し乍ら、世界と向い合うべきではないだろうか。
欧米主導の西欧時代の終焉が叫ばれている今、我々は悠久の歴史を有する祖国日本について考え、「日本人である」という証を示さなければならない時なのである。
本来の日本人ならば、心の中に「日本人の魂」というものを持っているだろう。それはつまり、この国の歴史伝統や先人達に対する尊敬や愛着の想いである。
例えば、先の戦争に負けたという事実を限りなく口惜しいと思い、占領で失われたものがあるならば、それを何としても取り戻したいと思う「心」である。
だがどうだろう、右翼陣営を始め自称愛国者や政治家から、魂から発する「思い」を感じることはなく、右顧左眄型の偽善者ばかりが目立つ気がしてならない。
我が国は世界の中で、最も優れた精神文化と独自の価値を有する国家であり、我々は日本民族として随神の道である神道、宗教、言語、悠久の歴史や価値観、習慣や制度といった精神文化を死守し、未来に継承して行かなくてはならないのだ。
その為には何をするべきか。先ずは国家の基本法として機能していない矛盾だらけの現憲法を破棄することが最善である。現憲法の無効を宣言し、先人の智慧の結晶でもある大日本帝国憲法を復元し、現代に合わせて改正することが求められる。
更には、靖國神社の宗教法人格を取っ払い国家で護持した上で、日本国民の「義務」として、靖國神社に眠る英霊に感謝の誠を捧げることこそ大事である。
我が国の長い歴史の中でこれ程迄に堕落し、自己犠牲の精神を忘却し、まやかしの平和と繁栄に現を抜かし、自己本位の享楽にばかりに狂った時代は無いだろう。
そんな中でも、真保守主義に覚醒し、山積する諸問題を如何に打破し、日本再生の転換点と成すべきかと行動する日本人が多く出て来たことは喜ばしい限り。
愚生は右翼浪人ではあるが、天皇国日本を盤石の安きに置く為に微力乍ら迫り来る祖国日本の危機に対処し、粉骨砕身、奮励邁進することこそ使命だと確信しておりますれば、本年も何卒、叱咤激励、御支援の程を宜しく御願い申し上げます。
皇紀2684年 歳旦 佐久間五郎拝
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
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cordial8317 at 07:18|Permalink│Comments(1)