2018年09月18日

歴史というのは往往にして国家や時の政府の都合の好い様に改竄される

 我が国は1933(昭和8)年、国際連盟を脱退する。これは「満州事変により、中国に侵略した」という理由で、国際連盟規約違反とこじつけられて制裁決議が下される訳だが、これを不服として我が国は国際連盟を離脱する。

 戦後の歴史教育では「昭和6(1931)年9月18日、柳条湖に於いて南満州鉄道の線路を関東軍が爆破し、これを張学良軍の仕業として戦闘を開始、満州全域を占領して傀儡国家・満州国を建国した」と教わった。自民党総裁選挙に出馬してる石破茂もそんな戦後の米国主導の歴史教育を疑いもなく信奉してる一人。

 大東亜戦争のみならず、第二次世界大戦をも「日本の侵略戦争」だと断じて憚らない石破の歴史認識は明らかな戦後教育に毒された自虐史観の持ち主であり、こういう国家観御粗末な人物が自民党総裁候補とは自民党の人材不足の現れ。

 過去にも石破の主張に疑問を持った保守論壇界からも疑問が呈されているが、石破は全く聞く耳を持たないばかりか軽薄な歴史認識を披歴する。

 例えば、大手ホテルチェーン・アパホテルの懸賞論文で入選し航空幕僚長を解任された、所謂「田母神論文」への反論でも次の様に述べている。

「民族派の主張は歯切れがよくて威勢が好いものだから、閉塞感のある時代に於いてはブームになる危険性を持ち、それに迎合する政治家が現れるのが恐いところです。加えて、主張はそれなりに明快なのですが、それを実現させる為の具体的・現実的な論考が全く無いのも特徴です」

「東京裁判は誤りだ。国際法でもそう認められている。確かに事後法で裁くことは誤りですが、では今から遣り直しが出来るのか。賠償も一から遣り直すのか。『日本は侵略国家ではない』それは違うでしょう。西欧列強も侵略国家ではありましたが、だからといって日本は違う、との論拠にはなりません。『遅れて来た侵略国家』というべきでしょう」
 
「戦うも亡国、戦わざるも亡国、戦わずして滅びるは日本人の魂まで滅ぼす真の亡国」などと言って開戦し、日本を滅亡の淵まで追いやった責任は一体どうなるのか。ここらが徹底的に検証されないまま、歴史教育を行ってきたツケは大きく、靖國問題の混乱も、根本はここにあるように思われます」

 要は、石破の歴史認識は「侵略戦争は怪しからんし、この侵略戦争の責任はA級戦犯に在り、その戦犯が祀られている靖國神社に参拝なんぞしない」ということだが、それこそ石破の主張にこそ「それを実現させる為の具体的・現実的な論考が全く無い」ばかりか、侵略国家として未来永劫、相手国が納得するまで謝罪していろということなのだろう。

 石破は戦後の歴史教育を疑いもなく信じ、それを政治信条の主体としている故に国家観が乏しいのだ。だが、歴史というのは往往にして国家や時の政府の都合の好い様に改竄されるもので、中でも「満州事変」はその最たるものだろう。

「柳条湖事件」の翌年、国際連盟は事件解明の為に「リットン調査団」を派遣する。その「リットン報告書」では各国の思惑通り、関東軍の行動を正当な自衛行動と認めなかったが、翻って「この事変の誘因を、満州と中華民国の混乱と内乱に在る」との認識を示したことでも、一方的に我が国が断じられる理由はない。

 その上で、調査団は「満州に於ける諸問題は極度に複雑だから、この事変は単に一方的に侵略したという簡単な事件ではない。何故なら満州は、世界の他の地域に類例を見ない様な多くの特殊事情が在るからだ」と結論付けている。

 こうした認識の背景には、日露戦争後の正当な権益である租借地と、満鉄経営に対する不当な鉄道妨害や抗日活動、或いは日本人迫害が長期に亙って続いていた事実を、リットン調査団が十分に把握していたからであろう。

 更に調査団は、日本の権益については「日本人にとって対露戦争とは、ロシアの侵略の脅威に対する自衛戦争、生死を賭けた戦いとして永久に記憶され、この一戦で10万人の将兵を失い、20億円の国費を費やしたという事実を決して無駄にしてはならないという決意をさせた」とも言及している。

 日本本土も含めた自存自衛と膨大な投資を行った満州国の権益保持、そして在留邦人の生命を守る為には、「満州を紛乱した中華民国から切り離して安定させるしかなかった」と、事変に至る日本の偽らざる動機の一端を正確に伝えている。

 米国の元中華民国公使・ジョン・マクマリーも、「日本の安全保障の為には朝鮮半島と満州の安定が必要不可欠であった」といった要旨の言説に見られる様に、欧米の識者の中には事変直後から、日本の立場を擁護する意見があったのも事実。

 歴史を検証する上で大切なのは世界に蔓延る覇権主義の克服を主張すべきであって、他国の覇権主義に目を瞑り、一方的に自虐の淵に止め処なく漬かり込むことではない。戦後、新たな資料によって史実の全貌が明らかになって来ている今、何故に新旧資料を精査して公正な歴史認識を検証しないのか不思議でならない。

 満州事変の起因となった柳条湖事変が勃発した9月18日に合わせ、支那本土での「反日デモ」が行われるが、そこに歴史的公正さや正義は無く、単に中共政府の言いなりで騒いでるだけ。悲しい哉、日本人もまた、未だに国連(戦勝国)や米国の創り上げた歴史を鵜呑みにして目覚めようともしない。

 国連にしても米国にしても未だ戦勝国の論理で歪な正義感を振り翳し、石破の様な戦後民主主義者らがそれに追随する。だが、過去を振り返ってみてもアジアの動乱の原因はいつも時代も米国と共産主義だったことは歴史が証明するところ。

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2018年09月16日

それにしても石破茂の顔の劣化は酷いな

 自民党総裁選の論戦が本格派してきた。昨日、直接対決に臨んだ三選確実の安倍は「戦後71年、憲法改正に挑戦し新しい時代を切り拓く」と強調し「自衛隊違憲論に終止符を打つ」と、その意欲を語った。

 一方の石破は「国民に理解して貰うことが必要」「国民に誠実な説明なくして憲法を改正してはならない」と実質的な憲法改正棚上げを主張した。

 自衛隊の憲法明記も結構だが、第1条~8条の天皇の条項の見直し無くしての憲法改正は実質的な日本国憲法の固定化を意味する。

 そういう意味では安倍の安易な改憲論には疑問を感じており、やはり現憲法の無効を宣言し帝国憲法を復元改正することこそ好ましい。

 だが、石破の如何にも国民の合意が得られていないかの様な言い分は話の他。改憲に難色を示す公明党への秋波だろうが、国会は憲法改正の発議をするだけであって、実際に改正するか否かは国民投票を以て判断を下すのだ。

 国民が改憲の重要性を理解せず、必要性を感じなければ改憲が出来ないだけのこと。「国民に理解して貰うことが必要」というが、国民投票前の意思行動を「改憲」で統一するという意味であればそれは現憲法の否定だろう。

 初代の地方創生担当大臣であり、総裁選でも地方創生を訴え、国民に寄り添ってるかの様に振る舞うが、国民の良識を否定してるのは石破自身だ。また「誠実な説明」とは具体的にどの様にすれば好いのか理解し難い。

 石破というのは抽象的な言葉を羅列して如何にも正論の様に語ってはいるが中身が空っぽ。そんなところに苛立った安倍は「問題点を指摘するよりも具体的に政策を進めることが大事」と皮肉ったのには笑えた。

 安倍との違いを頻りに訴えてはいるが、自民党そのものを批判しているとしか思えない。選挙後は石破派の仲間と共に自民党を離党し、その立派な政策実現の為に反安倍勢力との連立を模索した方が有権者も分かり易い。

 どう見ても安倍圧勝にしか思えないが、新聞の自民党員や党友の支持動向調査では石破の支持が34.9%もあるのには驚くというより呆れてしまう。

 自民党の「立党宣言」には【社会的欠陥を是正することに勇敢であらねばならない。われらは暴力と破壊、革命と独裁を政治手段とするすべての勢力又は思想をあくまで排撃し祖国再建の大業に邁進せんとするものである】と記されている。

 自民党が立党精神に照らし合わせてみても、共産主義を行政権と連結せしめようとするあらゆる企画、あらゆる行動とすべからく対峙してきたとは思えない。

 男女共同参画社会、ジェンダーフリー、人権擁護法案、協働・共生社会、外国人参政権、外国人住民基本法案、極め付けは天皇退位法案、女性天皇容認論と女性宮家の創設など次から次へと策謀を重ねている。

 こうした行政側への共産主義の介入を奨めたのは悲しい哉、保守を自任する自民党だったというのは実に御粗末という他はない。 所詮、自民党とは野党の低支持率に肖った「でもしか政党」に過ぎない。 

 それにしても石破の人相の劣化が酷い。若手の頃はロンパリ(斜視しゃし)も野武士の様に見えたし、理路整然と語る姿を頼もしく感じたものだが、最近は歳のせいだけではなく、嫌みな厳しい怒りを含んだ顔になってしまった。

 あの顔で満面の笑みを浮かべられるとキモイ。小沢一郎や共産党の連中が有権者に振り撒くあの作った笑顔と同じで、何とも不気味としか言い様がない。人間の顔というのはある年齢以上になると不思議と心が顔に現れるものだ。

 石破茂は周知の通り小沢一郎を師として自民党を離党~改革の会に参加~新党みらい~自由党~自由改革連合を経て新進党に参画するも、その後に小沢との確執が露呈して自民党に復党した負の経歴を持つ。

 A級戦犯分祀論者で「靖國神社には何も知らなかった頃に参拝しただけで、靖國神社の事実を知って以降は参拝したこともないしこれからも参拝するつもりはない」と公言していることでも分かる様に保守を騙る戦後民主主義者。

 防衛大臣や拉致議連会長を歴任した石破だが、訪朝の際に喜び組を宛がわれ盗撮されたという。こういう醜男が日本の顔になることは有り得ない。

 米国16代大統領のリンカーンは「男は40歳になったら自分の顔に責任を持たなくてはならない」と訓えた。評論家の故大宅荘一は「男の顔は履歴書・女の顔は請求書」という言い得て妙な名言を遺した。

 自民党が下野し苦難した時代に党再建を牽引した安倍と比べるのも何だが、石破の顔には自民党を裏切り各党を渡り歩いた卑しさが滲み出ている。

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2018年09月15日

我が国もノルウェーやアイスランドに倣いIWCから脱退し商業捕鯨を再開すべき

 新聞に「商業捕鯨再開困難に」というタイトルが躍っている。読めばブラジルで開かれてる国際捕鯨委員会(IWC)総会で、日本が求めてる商業捕鯨が反対国の理解が得られず再開は困難になったというだけのこと。

 捕鯨に関してはIWCで、我が国の地道な調査と科学的データを明らかにしたことで孤立無援だった我が国への賛同国も徐々に増えていた。捕鯨問題は我が国外交史上、貴重な勝利事例になる可能性が見えていた。

 だが2年前、オランダ・ハーグの国際司法裁判所が「日本の現在の調査捕鯨は商業捕鯨であり条約に違反する」として調査捕鯨すら認められず、捕鯨停止を命令したことで調査捕鯨による科学データの開示という地道な活動が水泡に帰した。

 感情的に反捕鯨を叫び、己らの倫理観と偏狭な正義感を強要する反捕鯨国家と妥協点を見出すことは不可能なことで、調査捕鯨すら容認されないならばIWCから脱退し、ノルウェーやアイスランドを見倣って捕鯨を再開すべきだ。

 仮にIWCを脱退した場合「国際ルールを軽視したとの批判が避けられない」というが、日本が脱退すればIWCの存在価値も無くなるだろうし、南極海域での調査捕鯨が出来なくなるというが沿岸での捕鯨再開で調査捕鯨をする意味もなくなる。

「クジラは絶滅危惧種」というが実際にはクジラは品種にも拠るが、絶滅どころか殖えており、調査捕鯨でのデータをも無視して「クジラやイルカは人間に近く可哀そう」などと安っぽい感情論に訴える。

 映画「ザ・コーブ」では、和歌山県太地町でのイルカ漁を如何にも残虐な行為として描いた。デンマークの首都コペンハーゲンから北へ飛行機で2時間程のバイキングの末裔達が住む島フェロー諸島では鯨やイルカを追い込み漁で捕獲する。

 大半はゴンドウ鯨で、イルカは1~2割程度。年間850頭程捕獲されるが、捕鯨のシーズンは仕事を中断し、住民総出で行われる。獲れた鯨やイルカはその場で処理され、海は血で真っ赤に染まる。

 入り江の海が真っ赤に染まるシーンはショッキングではあるが、牛や豚の屠殺シーンを見たらショックのあまり卒倒するのではあるまいか。

「ザ・コーブ」が話題になった後、日本人女性監督が「ビハインド・ザ・コーヴ」を製作し、日本にとっての捕鯨やイルカ漁への重要さを訴えた。

 調査捕鯨によってクジラが殖え、資源回復が明らかになっているにも拘らず、こうした逆行する判決をすることこそが大きく環境を損ねることとなろう。

 地球上の鯨類が年間に捕食する魚類の総量は2億5000万トン~4億トンと言われる一方、世界の漁師の漁獲量はその半分以下の約1億トンに及ばない。

「鯨飲馬食」と言われるほどに食欲旺盛な鯨類が増え過ぎれば、人間が食料にしている水産資源も脅かされることとなるのは明らかで、食料自給率の乏しい我が国にとって捕鯨こそ推進すべき国策でもある。

 我が国が商業捕鯨を停止して四半世紀になるがそれほど昔のことではない。何よりクジラは我が国の文化でもあるのだ。

 日本で商業捕鯨が本格的に始まったのは江戸時代初期の1606年に遡る。紀州(和歌山)の太地で開始された商業捕鯨はやがて全国に広まり、それと共に鯨を食する習慣も全国に広まった。

 松尾芭蕉の句にも「水無月や鯛はあれども塩鯨」と詠まれている。塩付けされた鯨の肉は江戸庶民の大切なタンパク源で、大衆食として愛された。

 19世紀初頭には「鯨肉調理方」という本が出版されているが、鯨食というのはそれだけ普及していた食文化だったのだ。

 北海道や東北では正月に「鯨汁」を食し「ハリハリ鍋」にしている地域もあるし、大阪のおでんにはコロ、サエズリ、オノミといった具が入る。

 反捕鯨の連中は鯨食を「ゲテモノ」扱いしたり「戦中戦後の食糧難時代に止むを得ず広まったもの」だとか、遠洋漁業は「鯨油を採る目的だ」などと愚にも付かない反論をしている者までいる。

 だが、それは欧米の捕鯨は皮だけ剥いで鯨油のみを採るやり方だから、それと錯覚し勘違いしているものばかり。

 日本人はクジラを食するだけではなく髭は文楽の人形に使い、骨は櫛などの工芸品となり、漁師達は鯨塚を立て供養する、正に日本文化そのものなのだ。

 捕鯨問題の背景にはこういった日本の伝統的鯨文化の問題もある訳で「反捕鯨」や「反イルカ漁」は日本文化の否定でもあり、日本人への憎悪剥き出しの国が蠢くIWCで合意を得るのは不可能。商業捕鯨を強行すべし!

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2018年09月13日

サンデー毎日の記事「戦後の右翼はこう変わった」を読んでの雑感

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 サンデー毎日(9.23.2018号)に所属していた防共挺身隊(防挺)のことなどが載っているというコメントが寄せられたので暇潰しに読んでみた。

 安田浩一というジャーナリストが書いたもので、タイトルは「戦後の右翼はこう変わった」。どうってことない内容で、山口なんちゃらというシバキ隊と活動を共にする右翼がヘイト発言(ヘイトかどうかは定かではないが)を支持する某右翼から暴力を振るわれたとして愛宕署に被害届を提出。この行為を取っ掛かりに戦前戦後の右翼と現在の右翼の違いや右翼の在り方を問う内容となっている。

 基本的に右翼そのものを好意的な存在だという意識が働いてる様で直接的な批判は控えている。現在の右翼団体の活動を見れば、愛国(保守)ブーム便乗したポピュリズムが主と言えなくもないが、最近の右翼の活動に対する混迷や不作為、為体は右翼団体幹部や指導者の無能と比例する。記事ではそうした指摘は無い。

 況してやこの山口なんちゃら、苗字から山口二矢の親族を騙っていたことがあるという。疑問を持った山口二矢の親族の女性から問い合わせがあった。というのも山口なんちゃらにネット右翼と断定され、執拗に恫喝・暴言を繰り返され女性は怖さからSNSを止めた。この時、女性は被害届は出さなかったが、自分が突き飛ばされて早々に被害届を出すとは姑息過ぎる(笑)

 昨今は「街宣右翼は朝鮮右翼」などと批判される。批判してるのは記事にも出ている所謂ネット右翼や自称・愛国者だ。愚生が所属していた防挺は街宣右翼のパイオニア的存在で、設立当初は半分以上が在日朝鮮人が占めていたのは確か。幹部だった石川某や西原某の国籍は北朝鮮だ(笑)

 当時は「反共」が運動の主体であり、反共ならば朝鮮人だろうが関係なかった。抑々「街宣右翼」自体にそれほどの歴史はなく、日本を貶めてると言われるほど影響力も無いし、そんな右翼に貶められたとしても滅びる様な日本でもない。

 昭和30年代から50年代の左翼全盛時代、日本を貶めようとしていたのは左翼団体であり、それらを殲滅せんと対峙していた右翼陣営を、また高度成長期に企業防衛を果たしていた右翼を、現在の風潮や価値観で「朝鮮右翼」などと揶揄するのは簡単だが、街宣右翼の行動全てを断じられる謂れもない。

 戦前の右翼と戦後の右翼は全く違う存在だ。戦前の右翼というのは「国粋主義」的要素が強く、外国思想は全て悪と捉えるという考えであり、それは共産主義であろうが、資本主義であろうが、民主主義であろうが批判されるべき対象だった。

 戦後の右翼が国粋主義から「反共」のみに奔り、愚連隊の様な組織になってしまったのは右翼の巨頭と称された児玉誉志夫の影響が大きい。

「政財界の黒幕」と言われた児玉誉志夫だが、出身は福島県本宮町(現本宮市)。戦前は海軍航空部門の物資調達を任された「児玉機関」の親玉でもあり、戦後は「A級戦犯」としてGHQに逮捕された経歴もある大物右翼である。

 GHQは占領下に於いて、戦争を引き起こしたのは日本国内の右翼勢力だとして、右翼団体や危険人物を公職追放し潰そうとするが、大東亜戦争が終結するとアジアや世界各地で共産党による革命や暴動が起こった。

 日本国内でも同様で、共産主義に被れた連中が大手を振って延し歩く様になる。これを危惧したGHQは右翼解体の方針を転換し、右翼を「反共」に利用することにする。児玉と同じくA級戦犯だった笹川良一もこれに与した。

 児玉も笹川も、米国の意のままに戦前の右翼で在りながら戦後の「民主主義」や「資本主義」に与し、「共産主義」を悪として反共運動を忠実に実行した。児玉や笹川が米国のスパイと言われるのはその所為でもある。

 児玉は「児玉機関」で貯め込んだ潤沢な資金を基に全国の博徒や香具師を纏め上げ、右翼団体を次々と立ち上げ「日教組撲滅」などの反共運動を展開する。

 右翼の掲げる「憲法改正」や「北方領土奪還」「靖國神社国家護持」「自衛軍備強化」などのスローガンにしても、自民党を始めとする保守派のものと同一なのは戦後の右翼が自民党の「院外団」的存在として設立された名残でもある。

「戦後の右翼はこう変わった」の記事で気になったのは、防挺を設立したのは福田素顕となってたが、防挺に30年所属してて初めて聞いた。

 福田素顕(本名・福田狂二)は、元社会主義者で弾圧を受け支那に亡命し、国共戦で敗れると蒋介石と共に台湾へ。後に日本へ戻り、国家社会主義者へ転向し「日本労農党」「進め社」などを設立した人物。初代防共新聞社社主。

 素顕が防共新聞の宣伝部隊として行動部隊の設立に関わったことは間違いないが、防挺は大日本愛国党の城南支部も兼任しており、素顕が設立したというより長男の福田進が設立し初代総隊長に就いた。因みに福田進は赤尾敏と袂を分かつ。その際の理由は「赤尾は完全な資本主義者だ」と断じている。

 記事には街宣で音楽を鳴らしたのは防挺が「ちゃんちきおけさ」を流したのが最初と書かれている。詳しく言えば、福田総隊長が都知事選に出た際に目立つ方法はないかと蓄音機を宣伝車に載せて流したのが始まり。

 今の様にカセットやCDなんて無いから走ると針が好く飛んだという。でも、この話を知ってるのは当時一緒に行動してた元幹部から直接聞いた愚生くらいなもので、あの記事のあの「ちゃんちきおけさ」の件は愚生のブログ(http://cordial8317.livedoor.blog/archives/51904013.html)などからのパクリだろう(笑)

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2018年09月07日

「北海道胆振東部地震」で火力発電のもろさが露呈した!

 北海道胆振地方を中心とする地震での被害は時間を増すごとに拡大の一途を辿っている。一人でも多くの命が助かることを祈らずにはいられない。

 今回の地震を受けて一面や社会面では、泊原発の1~3号機の使用済み核燃料などを貯蔵中のプールの冷却に必要な外部電源が喪失したと報じている。

 反原発のマスコミは「原発の思わぬもろさが露呈した」と問題視し、また人災といわれる福島原発事故の張本人である菅直人も「福島原発事故の教訓を生かし切れていない」と批判していが、菅に原発云々を語る資格はない。

 テレビ朝日は「泊原発が再稼働していたら非常用発電機で原子炉の冷却をしなければならなかった」と、然も再稼働をしていなかったことが幸いの如くに報じているが、原発が再稼働していれば今回の様な停電は防げただろう。

 今回の地震では震源地から100キロ離れた火力発電が停止した。この火力発電の停止によって道内全域の停電が起きた訳だが、それこそ「火力発電のもろさが露呈した」というのが正しく、火力発電はあくまでも原発再稼働までの繋ぎなのだ。

 我が国は正に電力によって生活や経済が成り立っており、電力の喪失イコール混乱を意味する。基幹エネルギーとなるべき原発が、くだらん感情論で停止していることは危機管理上からも大問題と断じる他はない。

 反原発派の坂本龍一が「高が電気の為に命を危険に晒してはいけない」と叫んだのは記憶に新しいが、命を危険に曝すのは停電に因るところが方が大きい。

 枝野幸男は過去に、衆議院予算委員会で「ホルムズ海峡が封鎖され石油が入らなくなっても快適な生活が送れない程度」と語り、国民の失笑を買った。

 更に「油が8割止まると今と同じ様な快適な生活が出来ないけど、武力攻撃を受けた場合と同様ではない。直接人命が失われる様な事態ではない」とも語っているが、地震に因る電力喪失で命の危険に直面していることをどう思ってるのか。

 原発事故後、国内の原発が停止し再生エネルギーの名の下に森林が破壊され太陽光パネルが乱立するも基幹エネルギーには成り得ない。

 原発に代わり火力発電を中心とする化石燃料による電力に移行したが、経済の低迷は明らかに原発停止による影響は大きく、原発停止による弊害は大きい。

 原油輸入に言及するならば、ホルムズ海峡の封鎖は我が国の死活問題であり、火力発電に依存せず原発再稼働を検討するべき時期に来てるのではあるまいか。

 枝野は「我が国には備蓄があるではないか」と指摘していたが、万が一、シーレーンを封鎖された場合、我が国の電力供給は数か月程度しか持たない。

 シーレーンの封鎖どころか原発再稼働が躊躇される中で、火力発電所がテロの標的になれば福島原発事故以上のパニックが起きるのは必至で、これ即ち「間接的に人命が失われる」危機でもあるのだ。

 所詮、反原発派や極左等の狙いは革命にある。福島原発事故を論い、放射線の恐怖を煽り、社会の不安と混乱、秩序の破壊、そして大衆を洗脳し暴徒化させるのが目的である。革命分子を鎮静化させる為にも原発再稼働を急ぐべし。

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2018年09月04日

西軍に因る東軍への仕打ちと不条理は150年経った今も遺恨として癒えることはない

 地元紙では「戊辰150年」特集が組まれている。第三章~信義を貫いて~では、岐阜県郡上藩の「凌霜隊」に関する特集記事が載っていた。

 会津藩と共に義に殉じた藩というと三重の桑名藩や越後の長岡藩は知ってるが、岐阜の郡上藩のことは知らなかった。

 戊辰戦争が起きる1年前、郡上藩主・青山幸宜は幕府から徳川慶喜の警護を命じられる。藩主は代わり筆頭家老を差し向ける。

 将軍の警護を命じられた翌年、戊辰の役の前触れとなる「鳥羽・伏見の変(戦い)」で幕府軍が敗れると、地元では西軍への恭順を示す。だが、江戸にいた藩士らは東軍支援に向けて藩士有志らで「凌霜隊」を結成する。

「凌霜(りょうそう)」とは「霜を凌ぎ、花を咲かせる野菊の様な不撓不屈の精神」という意味で、藩主の家紋「葉菊紋」に由来する。

 隊長は朝比奈茂吉。江戸家老の長男で弱冠17歳。慶応4(1868)年4月、朝比奈らは江戸を出立し、千葉県行徳、栃木県宇都宮を経て会津藩の領地に入る。

 会津下郷での「大内宿の戦い」、会津美里の「関山の戦い」を経て会津城内西出丸の守備に就き、会津藩が上洛した9月21日翌日まで抗戦したという。

 凌霜隊の武勲を顕彰した碑が会津若松市内の飯盛山に建っている。白虎隊の墓には今も線香の煙は絶えることはないが、ほど近くに在る「郡上藩・凌霜隊之碑」碑に足を止める人はまばらだという。

 岐阜というと西軍の大垣藩しか知らなかったが、こうした義を重んじ殉じた藩がいたことに感服。近々飯盛山に参じ感謝の誠を捧げたい。

 因みに、東京都港区青山という地名があるが、これは郡上藩主の江戸屋敷が在ったことから付けられたという。

 150年前「鳥羽・伏見の変」に始まった戊辰の役(戊辰戦争)と呼ばれる国内戦争はその後、激化を極める。慶応4年8月21日(旧暦)、母成峠が戦場となり、東軍と西軍との間で烈しい攻防戦を繰り広げた。

 白河口の戦いを制し、二本松領を占領した新政府軍内では、次の攻撃目標に関して意見が分かれたという。

 大村益次郎は仙台・米沢の攻撃を主張し、板垣退助と伊地知正治は会津への攻撃を主張。板垣・伊地知の意見が通り会津を攻撃することとなった。

 本宮・玉ノ井村(現大玉村)に集結した兵を三分し、谷干城(土佐)率いる約1000名は勝岩(猿岩)口へ。板垣退助・伊地知正治率いる約1300名は石筵本道口へ。川村純義(薩摩)率いる約300名は山葵沢より達沢口へ一斉に進発した。

 これを迎え撃つ東軍の兵は僅か800名。勝岩口の勝岩上には大鳥圭介率いる伝習第二大隊及び二本松藩の約300名が守備に当り、勝岩下には新選組ら凡そ70名が配置し、土方歳三と山口次郎(斎藤一)がこれを指揮した。

 石筵本道口の第一台場(萩岡)、第二台場(中軍山)、第三台場(母成峠)には、会津藩主将の田中源之進と二本松藩家老の丹羽丹波と伝習第一大隊長の秋月登之助らの指揮する約400余りの兵が守備に当った。

 戦いは、萩岡の号砲を合図に、勝岩口と本道口に分かれ、午前9時頃からの始まった戦いは約7時間に及ぶも、圧倒的な兵力と火力の差は如何ともし難く、東軍は北方高森方面や西方猪苗代方面に敗退。

 西軍は十六橋を突破し、戸ノ口原を経て、怒涛の様に会津鶴ヶ城に殺到した。母成峠の戦いでの東軍戦死者88名、西軍戦死者25名。母成峠には、会津藩が構築した防塁、塹壕、砲台跡が今も整然と残っている。

 近くには東軍殉難者の慰霊碑があるが、この地で東軍の夥しい死体が発見されたのは近年であり、如何に薩長の西軍が非情だったかが伺える。

 8月23日、母成峠から会津領内に攻め込んだ西軍は会津藩との熾烈な戦いに及ぶ。 西軍が会津城内に攻め入ると、上席家老・西郷頼母邸では篭城戦の足手まといとなるのを苦にした母や妻子など一族21人が自刃した。

 徳川幕府への恨みの象徴でもあった会津藩が9月21日に降伏。この敗戦により西郷頼母・田中玄清・神保内蔵助が切腹し責任を負うところするところ、当初から恭順を示していた西郷は行方知れず。長男らと共に敵前逃亡した。

 神保と田中は城下での戦闘に於いて既に自刃していた為に、次席の萱野長修が戦争責任を一身に負って切腹している。それでも西軍は満足することなく、戦いは東北地方を北上し函館にまで及ぶこととなった。

 戦いは年を超えるも翌年3月、函館五稜郭で奮闘した榎本武揚軍が降伏し、日本人同士で戦った戊辰の役が事実上終結した。

 因みに西郷は長男と共に生き残り、維新後「同姓の誼で」と西郷隆盛に長男の職などを嘆願してるが、義に殉ずるべき上席家老としての誇りは無かったのか。死を以て武士の本分を示した白虎隊の行動と照らしてみても恥ずべきことだ。

 会津藩士の中で西郷頼母の生き様に倣うものは無い。 維新後、野に下らず立身出世を目指した榎本武揚然り、武士というより政治家というべきか。

「負けは必定なれど三春に倣うべからず」と義に殉じた二本松藩士や、「侍の時代は終わる」と知りながらも家老としての宿命を諒として藩命を重んじた河井継之助ら長岡藩士らこそ侍の鏡であろう。

 西軍に因る東軍への仕打ちと不条理は150年経った今も遺恨として癒えることはなく、我が国の戦後体制の諸矛盾や不条理は、尊皇攘夷とは程遠い明治維新を謀った長州閥中心の専制政治が元凶でもある。

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2018年09月02日

昭和20年9月2日、戦艦ミズーリの甲板上で降伏文書に調印

 昭和20(1945)年8月14日、我が国はポツダム宣言を受諾。そして9月2日、降伏文書に調印した。米国を始めとした連合国ではこの翌日を「対日戦争終結記念日」や「第二次世界大戦(太平洋戦争)終戦の日」としている。

 9月2日、東京湾上に停泊してた戦艦ミズーリの甲板上での調印の為に、梅津美次郎参謀総長らと共に、右足が不自由な重光葵外相は義足を引き摺りながら、ステッキを頼りに細い階段を喘ぎ喘ぎ上る。

 重光外相の右足は「上海天長節爆弾事件」により失った。漸く甲板に辿り着いた重光外相は、調印を前に一杯の水を所望するも卑怯者の「ジャップ」にやる水などないと冷たく拒否される。日本人への憎悪と蔑視がここにも顕れている。

「上海天長節爆弾事件」とは、昭和7年4月29日に起きた爆弾テロ。重光は上海に於いて、駐中華民国公使として天長節奉祝式典に参列し、国歌を斉唱する正にその時、朝鮮独立運動家・尹奉吉が爆弾を投擲した。

 重光はその場から逃げることなく「君が代」を歌い続け、結果、片足を失うこととなった。重光はこの時を振り返りこう述べた。

「爆弾が投げられたのは分かっていたけれど、国歌斉唱中なので動かなかった。動くのは不敬であると考えた」

 重光の隣で遭難し、片目を失った海軍大将・野村吉三郎も「国歌斉唱中だったから逃げなかった」との理由を語っている。

 その後に外相や駐米大使となる野村や重光の様な、こうした決死の覚悟と肝の据わった官僚や政治家がいないのは我が国の不幸とも言えよう。

「君が代」「日の丸」に反対する勢力も自称・保守派や右翼人にしても、重光や野村の様な決死の覚悟が伴っているかといえば疑問でもある。

 昭和20年9月2日、降伏文書の署名に因って我が国は「負け」を認めたが、先の戦争の大義は決して間違いではない。

 抑抑、何故に我が国が開戦を決意し真珠湾攻撃に至ったかが問題であり、それにはペリー来航時代にまで遡らなければ到底理解は出来まい。

 我が国は西欧列強に倣い、強力な中央集権国家を形成しようと明治維新という大業を短期間で成し遂げた。

 15世紀の大航海時代以来、白人による世界制覇の波がアジアにも押し寄せ、アジアは次々と列強に蚕食され植民地となった。その間に勃発した「日清・日露戦争」や「日韓併合」なども避けては通れない宿命的な歴史だったのだ。

「日清・日露戦争」での日本大勝利の報は、固唾を呑んで見守っていた世界の人々を驚嘆させ、特に有色人種に与えた影響は強烈だった。

 日露戦争勝利から15年後、パリ講和会議で日本は「人種平等の原則」を国際連盟規約に載せることを提案するも、議長を務める米国大統領ウイルソンは「有色人種に人権など必要無い」との差別や蔑視から否決される。

 その後、世界は第二次世界大戦に突入し、我が国はABCD包囲網に因って四面楚歌に陥り、最後通牒である「ハルノート」を突き付けられると「最早生き残る道は連合国との戦争しかない」との決断に至るのだ。

 今も尚、糾弾して止まない「リメンバーパールハーバー」は、日本人への偏見と差別と歴史への冒涜であり、先の大戦の過ちを猛省すべきは米国である。

 歴史は国家の大本である。歴史を語る上で大切なのは、古今東西、世界に蔓延る覇権主義の克服を主張すべきであって、他国の覇権主義に目を瞑り、一方的に自虐の淵に止め処なく漬かり込むことではない。

 日本に生まれ育った者として、大東亜戦争の真の歴史と意義を知ることは国民としての義務でもある。9月2日は日本人として決して忘れてはならない屈辱の日でもある。先人の偉業に感謝の誠と敬意を表したい。

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2018年08月31日

科学的根拠もない除染と同じく汚染水処理でも無駄な血税が垂れ流されるのか

 福島第一原発事故によって敷地内のタンクに貯蔵され続けている汚染水の処分に関する公聴会が始まり、公募で選ばれた意見表明者の大半が「汚染水の海洋放出は風評被害を懸念する」などとして反対の意思を示した。

「トリチウム以外の放射性物質が残っている」という。ということはトリチウムは無害という認識はある様だが、トリチウム以外の核種とは何なのか。

 原子力規制委員会では「地層注入」「水蒸気放出」「水素放出」「地下埋設」などの処分方法のうち、海洋放出が唯一の方法としている。

 民主党政権下、年間被曝の科学的根拠を示さず、原子力規制委員会からの「放射線防護対策の年間被曝線量は20ミリシーベルト以下」との提言を無視し、住民の不安を払拭する目的で始められたのが「除染」だった。

 科学的根拠も示さず、説明の無い儘に始められた除染は住民の不安を払拭するどころか「福島県は除染をしないと住めない土地」という風評被害を齎した。

 除染作業費は東電がその経費を負担することとなっていたが、東電は電気料金に上乗せし利用者に負担させるも支払い出来ず、結局は公共工事として莫大な血税が垂れ流され、中間処理施設という新たな血税を投入するに至った。

 無駄な除染で出たゴミを最終処分するとなるとどれ程の血税が垂れ流されるのだろう。「1ミリシーベルト以下」という数値が国民の放射線への間違った認識と、それに伴う風評被害を齎し、復興は愚か復旧をも阻んで来た元凶でもある。

 今や25兆円とも言われる除染関連事業で儲かっているのは除染に関わった大手ゼネコンと一部の業者だけ。下請けや孫請けなら未だしも、それより下の業者の儲けは少なく、親会社に裏切られた下請け業者は数知れず。

 県内各地の空き地や田畑には、汚染土砂の詰まったフレコンバッグが山積みにされているが、これはタダで置かれている訳ではない。

 田畑一反に付き15万円の利用料が支払われているという。県内の農業での収入は一反に付き約5万円。つまり汗して農業をしてるより儲かるのだ。

 今回の公聴会には県漁連会長が意見表明者に選ばれ「(トリチウム水の海洋放出は)本県漁業に壊滅的な打撃を与える」と反対意見を述べているが、原発事故に因って漁業関係者に支払われた賠償金も莫大な金額だった。

「これまでの努力と再興意欲を完全に奪う」というが、漁師の中には働くより経費丸ごと補償してくれる賠償金を貰った方が得だと思っている人は少なくない。

 出席者の多くが、海洋放出以外の全ての処分方法にも反対してることでも分かる様に、放射線被害を煽る反原発派と同じく単なる感情論であり、科学的根拠さえも信じない姿勢こそが風評被害を拡大させる要因になっている。

 東京都から参加したメンバーの一人は「汚染水は電力消費地である都内の経産省前と東電本社前で放出、保管すべきだ」と述べているが、汚染水のタンクは約680基に及び、92万トンに上る。2020年には137万トンになる。

 2020年には東京オリンピックが開催される訳で、それを承知で都内に運び放出させろというのは感情論を通り越して愉快犯としか思えない。

 トリチウムは放射線のエネルギー、つまり放射能の範囲は弱く、人体の影響はセシウムの700分の1程度だという。県内の放射線セシウムは人体に影響も及ぼしてない中でトリチウム水の処分に反対とはどういうことか。

 御粗末なのは、トリチウム以外の核種除去に至るまでどのくらい必要なのかという具体的な経緯を示すべきなのに、多核種除去設備(ALSP)の浄化後の水にトリチウム以外の放射性物質が残留させたまま公表に至ったことだ。

 新聞記事ではそのトリチウム以外の放射線物質が何で、どのくらいの数値を示していたのかも分からない。こうした危険を煽るだけの報道姿勢が県民の放射線への不安を拡大させ、風評被害に影響を齎しているのではあるまいか。

 放射線の不安を煽り始められた科学的根拠もない除染作業と同様に汚染水の処理方法でも、原子力規制委員会の「海洋放出が唯一の方法」との提言も空しく、無駄な日時が費やされ血税が投入されて行くのだろうか。

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2018年08月28日

「不法滞在者」ではなく「非正規滞在者」とは何事ぞ!

「強制送還で家族分断」という記事が社会面に載っている。今年2月8日、不法に滞在していたベトナム人47人が送還されたうちの12家族が妻や夫、子供を日本に残したまま強制的に送還されて「可哀そうだ」という内容だ。

 47人の年齢は8歳~49歳。不法滞在日数は最長で21年5ヵ月。15年以上居着いていた者が4人。この間、犯罪を繰り返していたと考えられる。

 平成16年より外国人犯罪は減少しており、支那人犯罪者はピーク時の6分の1に減る一方で、国籍別では、ベトナム人犯罪者が支那人犯罪者や在日朝鮮人を抜きここ数年で3倍以上に膨れ上がっていることは看過出来るものではない。

 人権派団体は「その数もベトナム人全体から見れば極僅か」というのだろうか。外国人犯罪の特徴というのは民族の団結が強く、団地などでコミュニテイを形成し、仲間同士で犯罪を繰り返すのが特徴でもある。

 以前は、特別在留者である在日朝鮮人や支那人、フィリピン人、ブラジル人などが暗躍していたが、今では不良ベトナム人の勢力が拡大している。

 ベトナムと我が国の歴史的な付き合いは深い。昨年は両陛下がベトナムに行幸遊ばされ日越関係の更なる友好と絆を深められたたことは記憶に新しい。

 ベトナム人もベトナムと日本との歴史や関係を知っていれば安易に犯罪を起こすこともないのだろうが、こうした犯罪は営利至上主義に奔る日本企業の外国人労働者の受け入れや「観光立国」という愚策の弊害であるのは言うまでもない。

 記事では「日本に残された家族が難民で、祖国では迫害を受ける恐れがあったり、子供が日本語しか話せなかったりすると帰国して一緒に暮らすのは困難」との理由を示した上で唐突に米国トランプ大統領の移民対策を批判する。

 日本政府もトランプ政権と同種の措置を採っていると批判したかと思えば「目の前で引き離された息子の鳴き声が忘れられない」「妻が送還され生活が一変。息子は『ママに会いたい』と泣く」と御涙頂戴の話まで。

 不法移民者らを支援する団体は「人道的配慮に欠ける。特別に在留を許可するべきだ」と批判の声を上げ「日本で長期間、家族と共に地域に根差して暮らす非正規滞在者に在留特別許可を出すべきだ」と指摘する。

「地域に根差している」と本気で思っているとしたら実にノー天気なことだが、要は、不法に入国し、或いはビザが切れても見つからずに長く滞在していれば犯罪を犯そうが何をしようが御構い無しということか。

 強制送還に因る家族分断について法務省入国管理局は「外国人を自国内に受け入れるか否か、受け入れる場合に如何なる条件を付すかは国際慣習上、国家が自由に決められるのが原則」と回答しているが至極御尤も。

 新聞記事では作為的に「不法移民」ではなく「非正規滞在者」となってるが、要は不法に入国して滞在してる入管難民法違反の不法移民だ。

 不法に入国し、不法に滞在し、不法に働いて納税もせず、それでも我が国の対応は人道的立場から子供らを学校で学ばせた。それ以上に、残された家族には手厚い保護がされる。それ以上、何を望むのか。

 人権派団体が付けたりの理由で入国管理局の強制送還への対応を批判しているが、批判するべきは法を犯した当事者であり、政府は外国人労働者の受け入れを拒否している訳でもなく、日本で就労したいなら正規な手続きを踏めば宜しい。

 それにしても「不法滞在者」ではなく「非正規滞在者」と敢えて表記していることには驚くというより呆れるばかり。

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2018年08月27日

地方議員の成り手不足を「議員報酬の低さ」を理由にする痴呆議会議長

 政治への関心が薄れてる中、県内59市町村議会議長へのアンケート調査が載っていた。59人中62%に当たる37人が「議員の成り手不足」を感じてるという。

 成り手不足の対策として「議員報酬の引き上げ」を有効とした理由を「生活出来る報酬が必要」だとか「若者にとって魅力のある職種にする」という。

 だが、現在の議員で生活に困窮してる者はいないし、議員を一般の職業と同じくカネの問題と考えるのは如何だろう。

 先日も同じく議長に対し、議員年金の復活に対するアンケート調査が出ていたが、成り手不足や議員生活の不安理由を議員年金や議員報酬の低さを上げるのは議員そのものの質の低下を如実に現している一例だろう。

 議員の役割は行政のチェックと提案機能。だが、地方の議会運営は議員の固定化が進み新しい時代を読み解く考えが弱く、現行の地方自治法の中で十分にその役目を果たされているのかといえば疑問だらけ。

 議会では同じ顔の連中が集まり、なあなあな議会に終始してしまっている。議会が平日の夜間や土日ならば様々な職場で資格を持つ人が参画出来るし、専門知識を議会で議論しあえれば実りある議会となるだろう。

 だが、悲しい哉、先進国である我が国は未だに日中の議会に拘り、議員らは当選すれば偉くなったと勘違いし、高給を頂き乍ら地方自治の何たるかも学ぶこともなく、旧態依然の議会運営が繰り返されているのが現状だ。

 総務省の有識者研究会では小規模な町村議会などを対象に、議員の兼業・兼職制限を条件付きで緩和するなどの地方議会刷新を提言している。

 愚生としては「小規模な町村議会や条件付き」ではなく各自治体の議会議員全てに当て嵌めるべきで、「多数参画型」や「集中専門型」の導入によって地方議会の活性化を促すことは大いに結構なことだ。

 特に「多数参画型」は、議会は平日の夜間や土日に行い議員報酬を抑制する。諸外国では地方議会というのは夜間や休日に開かれることが多く、幅広い住民自治が行われている。報酬もボランティア的要素が強く薄給である。

「集中専門型」は、議員数を減らす代わりに兼業・兼職制限は維持し、報酬も相応にするというもの。議会と住民が議論する場を設け、議員削減による弊害を無くして民意を反映出来る様にするという。

 議員の成り手不足を議員報酬の低さや報酬や年金で議員の生業を維持しようというのは「集中専門型」の部類だが、議会と住民が議論する場は少なく、議員の報告会などといった議員からの一方的な報告というものばかり。

 選挙というのは民意の結果だが、更に住民との議論で民意を反映されるというのは専門型とは言いながら矛盾している様にも思える。

 地方自治法や公職選挙法を改正し、兼業・兼職制限を撤廃し議員報酬を引き下げ、議員数も減らして平日の夜間や土日に議会を開催するとなれば、報酬目当てや肩書が欲しいだけの上昇志向著しいさもしい輩らが消えて行くだろう。

 何より選挙カーでの意味のない選挙を取り止め、投票もインターネット投票やコンビニなどでも投票出来るシステムを構築し、「該当者なし」の項目を設け、投票も余程の理由がない限り義務化すべきだと思っている。

 自治体の財政事情を考えれば、安定収入のある人が最低限の報酬でボランティア的に議員活動するのが望ましいのは言うまでもない。

 政治家に求められるのは「滅私奉公」唯一つ。政治家必携の本に「南洲翁遺訓」があるが、読んだこともない議員が殆どだろう。

「万民の上に位置するものは己を慎み、品行を正しくし贅沢を戒め、倹約に努め、職務に努力して人民の見本とならねばならない。そして民衆がその働きぶりを見て『気の毒だなぁ』と思うようでなければならない」(第四条)

「道義心や恥を知る心を失っては、国を維持する方法は有り得ない。上に立つ物が下の者に対して利益だけを求めて正しい道義を忘れてしまうと、下の者も見倣って、人の心は皆金儲けの方ばかりに向いてしまう。上に立つ者は常に下の見本で有らねばならない」(第十六条)

 今、議員を見て「気の毒だ」と感じてる人は皆無。多くは議員のなり手不足の理由を議員報酬にしたり、議員年金を無心する姿を目にして「育ちが悪い」「さもしい連中だ」と感じてる有権者が殆どだろう(苦笑)

 議員定数は地方自治法で決められてる議員数を上限とし、議員とは奉仕の心を以て行う究極のボランティア活動であるという認識を共有すべき。

 議会の改革は地方議員だけのことではない。国会議員自ら身を削る意味でも国民から詐取してる政党交付金を返納廃止し、国民不在の党利党略の議論を改めることこそ肝要である。「政治家は隗より始めよ」とはそういうことだ。

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2018年08月24日

平成の大嘗祭の先例化を懸念(小林忍元侍従)

 今日も地元紙の社会面には昨日に引き続き、昭和天皇の元侍従だった小林忍の日記の記載内容の記事が載っている。

 昭和天皇が崩御遊ばされた年の11月12日に斎行された大嘗祭の「即位礼正殿の儀」を巡り、「新憲法下で初めてのことだけに今後の先例になることを恐れる」と当時の政府対応を批判する見解を記している。

 現憲法は、GHQの国體破壊の目論見が反映され、歴史的な国家としての継続された「祭祀」に関する天皇の役割を否定している。

 当時の政府は現憲法下で如何に宗教色を無くすか苦心したのだろうが、天皇は憲法以前の御存在であり、現憲法に瑕疵があることが明白な中で皇位継承という祭祀を憲法に準じた形にしたことは悪しき先例となった。

 現皇室典範も同様に法体系上も法律上も重大な瑕疵がある。にも拘らず安倍はその皇室典範の下で譲位論を語り、「譲位は一代限り」「一部分の改正に留める」との詭弁を弄し事実上の皇室典範の再改悪を謀った。

 天皇にとって最も大事なものは「祭事」であるが、歴代天皇が古来より司って来た祭事は、現憲法によって天皇家の「私事」になってしまい、現皇室典範には「大嘗祭」の規定は存在しない。

 現憲法下で天皇の祭祀は否定され、皇室典範に規定されていない大嘗祭を挙行する上で、平成の「即位礼正殿の儀」を模倣するのだろう。

 安倍が正統な保守であったなら、やるべきことは譲位の附帯などではなく、皇室典範を陛下に奉還し、天皇の祭祀復活を目指すべきだったのだ。

 更には第九条ではなく、第一条から第八条までの天皇や皇室に関わる「第一章」の条項の矛盾と問題点を明らかにして、如何に現憲法が我が国皇統の歴史に相応しくないかを国民に示し、憲法の在り方を論ずるべきだったのだ。

 改めて日本国憲法第一章「天皇」の条項を記してみよう。

【第一章 天皇】

 第一条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。

 第二条 皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。

 第三条 天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ。

 第四条 天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。2 天皇は、法律の定めるところにより、その国事に関する行為を委任することができる。

 第五条 皇室典範の定めるところにより、摂政を置くときは、摂政は、天皇の名でその国事に関する行為を行ふ。この場合には、前条第一項の規定を準用する。

 第六条 天皇は、国会の指名に基いて、内閣総理大臣を任命する。2 天皇は、内閣の指名に基いて、最高裁判所の長たる裁判官を任命する。

 第七条 天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。

一 憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。
二 国会を召集すること。
三 衆議院を解散すること。
四 国会議員の総選挙の施行を公示すること。
五 国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること。
六 大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を認証すること。
七 栄典を授与すること。
八 批准書及び法律の定めるその他の外交文書を認証すること。
九 外国の大使及び公使を接受すること。
十 儀式を行ふこと。

 第八条 皇室に財産を譲り渡し、又は皇室が、財産を譲り受け、若しくは賜与することは、国会の議決に基かなければならない。

「(天皇の)地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」とは何ぞや。反天皇を叫ぶ共産党などが存在する限り「総意」ではなく、天皇は違憲の存在なのか。

 また「皇位は世襲」とは何ぞや。皇太子殿下が即位した後は、世襲なら愛子内親王が天皇になるということか。

 GHQにより改悪された皇室典範に価値はない。第一章は国事行為ばかりで天皇の祭祀が明記されていないことに違和感を覚えないのか。更には、国事行為を軽減せずに退位法案を皇室典範に附帯するとは万死に値する。

「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ」とは正に都合の好い天皇の政治利用であり、こうした無礼千万な憲法が国の基本法とは笑止千万。

 未だ占領政策の「神道指令」の呪縛から抜け出せずにいながら何が憲法改正か、何が第九条か。安倍政権下、平成の先例を踏襲するどころか大嘗祭の簡素化を図り、更なる憲法の従順化を謀ろうとしている。

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2018年08月23日

昭和天皇への戦争責任云々は日本人としての幼稚さを示す典型的な戯言

 地元紙の一面に、昭和天皇の侍従の日記を基に、昭和天皇85歳の時に「戦争責任言われ辛い」という心情を吐露したという記事が載っている。

 申す迄もなく、天皇陛下の御言葉というものはその影響するところは極めて大であり、正に「綸言汗の如し」。一度発せられた言葉は取り消し難い。過去の陛下の言葉を論って政治問題化しようという魂胆が見え隠れする。

 陛下と侍従の関係に於いて互いの信頼に於いて心情を吐露することもあるだろう。それを今になって公表することに違和感を覚える。

 陛下の御立場上、反論することは不可能であり、一方的に発せられる言葉が陛下の心情の吐露とされるのは如何なものだろう。

 案の定、歴史探偵を自任するインチキ歴史家であり歴史作家の半藤一利が「昭和天皇の心の中には、最後まで戦争責任があったのだと伺わせる」と頓珍漢なコメントを発表しているが、今後、この侍従の日記が政治利用されて行くだろう。

 未だ国内では先帝陛下に対して「戦争責任」などとの戯言を垂れ流す日本人らしからぬ輩が存在するのは大東亜戦争の歴史を知らない故のこと。

 昭和50年、当時の宇佐美宮内庁長官は内外の記者団と陛下の公式記者会見を取り計らった。案の定、記者から所謂戦争責任についての質問が発せられた。

 陛下は戦没者追悼式に於いて「私は胸が痛むのを覚える」と述べられているが、何故に戦争責任をこういう席で問うのか。更に海千山千の記者らは広島・長崎への原爆投下に対する御認識を問う質問を続けた。

 陛下は「遺憾だが、戦争中でもあり已む得なかった」と御答えになったが、極めて適切妥当な御判断と考えられる。

 前代未聞の記者会見はテレビを前にした吊し上げであり、言葉尻を捉えて戦争責任を取らせようという魂胆が見え見えであり、こうした会見が未だ継続されているが宮内庁長官らこそ天皇廃止運動に与する獅子身中の虫である。

 欽定明治憲法下では国務は国務大臣、統帥は参謀総長及び軍令部長が陛下を輔弼しその責に任ずることになっており陛下には法的に責任は無い。

 しかし乍ら、道義的に最も責任を痛感されたのは昭和天皇であり、先帝陛下は陛下という御地位、御立場と崇高な御人格がそれを許すことはない。

 大東亜戦争終結に関する詔勅に於いて「帝国臣民ニシテ戦陣ニ死シ職域ニ殉シ非命ニ斃レタル者及其ノ遺族ニ想ヲ致セハ五内為ニ裂ク 且戦傷ヲ負ヒ災禍ヲ蒙リ家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ 朕ノ深ク軫念スル所ナリ」と仰せられた通り、自ら身を苛まれたのは陛下御自身なのである。

「天皇戦争責任論」は、1932年にソ連共産党から日本共産党へ通達された「コミュンテルンテーゼ(命令書)」の指令による影響が大きい。

「命令書」には、所謂「天皇制廃止運動」として昭和時代の「戦争責任・退位論」に始まり、次いで「開かれた皇室論」と「敬称・敬語不使用運動」が記されてあり、それを忠実に実行しているに過ぎない。

 この新聞記事を見ても分かる様に、未だ昭和天皇の戦争責任を問う声があるというのは天皇廃止運動が継続されているという証左であるが、自らの国の歴史を知らない故にこういう戯言が罷り通る。日本人の幼稚さを示す一例であろう。

 戦争犯罪人は昭和天皇でもなければ大日本帝国憲法や統帥権でもなく、況して軍部でもなければ当時の軍国主義でもない。

 真の戦争犯罪人は近衛文麿と尾崎秀美らそのブレーン達、即ち日本国内で蠢いていた共産主義者らであり、マルクス・レーニン主義思想が昭和の悲劇を生んだということは今や歴史的事実である。

 大東亜戦争とは、ソ連コミンテルンと中国共産党、そして日本国内の共産主義者が仕組んだ共産革命の実現の為の争いであり、そのマルクス・レーニン主義者の策謀に当時の日本全体がまんまと嵌ってしまった愚かな戦争とも言えるのだ。

 天皇陛下の退位特例法案然り、「女性宮家問題」や女性天皇など共産主義者が謀る天皇廃止運動は国民が気付かない儘に巧妙に実行されている。

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2018年08月20日

「みなさん、これが最後です。さようなら、さようなら(氷雪の門)」

 ポツダム宣言の受諾後もソ連軍による北方領土(南樺太・千島列島)での強奪、残虐非道、鬼畜の行為は収まる事はなく、昭和20年8月18日には千島列島の最北端の島、占守島守備隊の日本軍に対し、ソ連軍が奇襲上陸した。

 ポツダム宣言の無条件降伏の下、武装解除準備を始めていた守備隊は武装を整え直し、ソ連軍に対して自衛戦闘を開始した。

 占守島での戦闘は日本軍死傷者約600名、ソ連軍死傷者約3000名に及び、日本軍の圧倒的勝利の中で8月21日に武装解除に応じ戦闘が終結した。

 ソ連軍は千島列島だけではなく、当然の如く樺太でも蛮行を繰り返した。外務省の外交文書「ポ宣言受諾関係・善後措置及び各地状況関係」には、昭和20年8月9日以降のソ連(ロシア)の蛮行が生々しく書かれている。その一部を摘記する。

 東部北鮮在留日本人の状況として、「ソ連兵ハ30年来ノ怨ミヲ晴ラスハ此時ナリトシ邦人ノ所持品ハ一物ヲモ残サズ略奪シ婦女子ニ対シテハ時所ヲ弁エズ暴行ヲ加フルノ暴挙ノ出テ・・・」

 鉄原(京城東北八十キロ)の状況として、「ソ連進駐ト共ニ市街ノ様相ハ一変シ、ソ連兵市内ヲ横行シ略奪ヲ擅(ほしいまま)ニシ9月1日男24名ヲ本願寺ニ、女32名ヲ広島屋ニ監禁シ女ハ一室ニ一名宛閉ジ若キ娘ハ毎日14、5名、年配ノ婦人ハ毎日10名交代ニ暴行ヲ加ヘ其ノ結果6名ハ死亡シ、然ラザル者モ負傷ノ為歩行ノ自由ヲ失ウニ至ル・・・」

 捉えられた婦女子は「監禁され、ソ連兵に凌辱される」という恐怖から、自裁する道を選択せざるを得なかった女性も少なくなく、樺太真岡郵便局の女子郵便局員もまた自裁する道を選んだ。

 伊藤千枝(23歳)、可香谷シゲ(23歳)、沢田キミ(19歳)、志賀晴代(22歳)、高石みき(24歳)、高城淑子(19歳)、松橋みどり(17歳)、吉田八重子(21歳)、渡辺照(17歳)の9名は8月20日の最後まで職務を全うし、最後は従容として青酸カリを服用し壮絶な最後を遂げた。

 彼女達の悲劇を伝えた映画「氷雪の門」という映画がある。

【(あらすじ)昭和20年夏、樺太の西海岸に位置する真岡町でも日ソ中立条約を一方的に破棄して参戦したソ連軍の侵攻に脅かされようとしていた。ソ連軍侵攻からの避難民は群をなして真岡町に向った。8月15日には玉音放送によって終戦が告げられ、樺太全土に婦女子の強制疎開命令が出されるも、20日のソ連軍の上陸で間に合わなかった。志願して職場に留まり、追い詰められた女性交換手達は、通信で寄せられるあちこちで次々と殺害される市民の状況から、自らも青酸カリによる自決を選ぶしかなかった。9人の乙女の像に刻まれている「みなさん、これが最後です。さようなら、さようなら」が通信最後の言葉だった・・・】

 今ではこの映画もレンタルビデオでも気軽に見れる様になったが、この映画の上映が決定された昭和49年、ソ連の御先棒を担ぐ日本社会党(社民党)や日本共産党らは上映阻止運動を展開し、終には上映禁止に追い込まれた。

 日頃彼らは「平和」を口にして原爆投下の米国を糾弾するが、ソ連の蛮行には口を噤む。これだけでも彼らに「平和」を口にする資格は無い。

 共産党や社民党というのは所詮はこの程度の政党であり、「平和」という言葉は党勢拡大の為の武器であり、所謂「平和団体」や反基地活動も同じくソ連(ロシア)や中国共産党の御先棒を担ぐ第五列である。

 終戦間際に参戦したソ連の鬼畜の如き蛮行で亡くなった方は、広島・長崎への原爆で亡くなられた数を遥かに超える。千島列島の守備隊が武装解除するとソ連軍は全ての軍人と軍属、民間人をシベリヤに強制連行した。

 極寒のシベリアへ抑留された日本人は、日本国内では約60万人と言われているが、この数字は軍属だけの数字で民間人を含めると更に多い。

 ロシアの資料でも約70万人、米国の資料では約90万人と言われているが、その中で寒さや餓えで亡くなられた方はどれ程に上るのか未だに正式な被害者数は出ていない。これつまり我が国政府の不作為と弱腰外交を如実に現わしている。

 歴史の検証をする際に我が国の罪を論うことは当然ではあるが、大事なのは古今東西、世界に蔓延る覇権主義の克服を主張する事であって、他国の覇権主義に目を瞑り、一方的に自虐の淵に止め処なく漬かり込むことではない。

 今こそ、戦後の歴史認識の基となった東京裁判の不当性と占領下で実行されたGHQに因る策謀と戦勝国を気取るロシアの過去に行った蛮行と不条理を徹底して検証し、戦後民主主義と自虐史観の払拭を図らねばならない。

 北の島々に眠る同胞の御霊に対し衷心より哀悼の意を表します。合掌再拝。

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2018年08月19日

国連人権理事会が「除染作業員の健康被害を懸念する」との声明を発表

 名うての反日組織でもあり左翼の巣窟でもある国連人権理事会で特別報告者らが福島原発事故に伴って謀られた除染作業の作業員数万人が被曝の危険に曝され、健康被害を懸念するとの声明を発表した。

 国連人権理事会での特別報告者というと「クマラスワミ報告」を思い出す。クマラスワミ報告とは「女性に対する暴力とその原因及び結果に関する報告書」のことで、所謂従軍慰安婦を重大な女性への人権侵害だと結論付けた。

 この時も日本人でありながら日本を卑下し貶めようと左翼活動家らがロビー活動を行っていたが、今回も反原発派や左翼活動家らが蠢いていることは明らか。

 クマラスワミ報告は事実誤認や歪曲が指摘されている通り、実に御粗末な報告書でしかなかったが、今回の除染作業員の健康被害の報告書も科学的根拠に乏しい、反原発派に与した御粗末な感情論。福島県民としてホント腹立たしい。

 除染作業は民主党菅政権下で共同謀議的に決められた亡国的愚策の最たるもので、当時の健康オタクでもある小宮山洋子厚生労働大臣が「年間1ミリシーベルト以下」という科学的根拠もない曖昧な数値を示し始められたものだ。

 この除染作業が「福島は除染をしないと住めない土地」という印象を与え、風評被害を齎し、未だに復興を妨げてる元凶といって好いだろう。

 大手が受注する除染は「福島県民は仕事に従事出来ない」という意味不明な申し合わせがある為に作業員の約6割は県外からの労働者だ。その多くが定職を持たない中途半端な輩ばかりで、借金の形に送られた者も少なくない。

 除染に因って福島への風評被害を齎し、同時に県内では犯罪も殖えた。窃盗が最も多く、傷害、覚醒剤取締法と続く。窃盗犯に至っては、除染しながら盗みに入れそうな家を物色していたというから呆れるしかない。

 中でも最悪な事件だったのが、いわき市に遊びに来た県中地区のカップルを襲い、男性をナイフで脅し暴行し現金を奪い、4人で執拗に女性を強姦した鬼畜の如き犯罪「いわき市永崎海岸強盗強姦事件」だろう。

 放射線で亡くなった人はいないが、民主党政権下での愚策である除染作業に従事する作業員の犯行で殺された人もいる。

 除染作業には警察の申し合わせでヤクザは介入出来ないことになってるが、どっこい実際にはヤクザの大きなシノギ(収入源)になっている。

 例えば愚生の地元郡山市に陰山組という建設会社が在るが、ここは大手ゼネコンとのJVでかなりの除染作業を受注している。大手ゼネコン側を仕切ってるのは川崎市に本部の在る広域暴力団の関係者だという。

 形的は暴力団から絶縁され堅気ということになってはいるが、実際には今でも現役。利権絡みで既に4人が死んでいる。除染で儲けたカネから政治家へ献金され、東京地検や国税庁が陰山組に査察に入ったことも。福島復興利権疑惑は多い。

 国連人権理事会で除染作業員の健康問題が報告されれば、福島への風評に悪影響を及ぼすのは必至。また作業員らも韓国の慰安婦のソレと同じく、後々、作業員の中からゼネコンや東京電力、国などを訴える輩も出てくるだろう。

 反原発派による過剰な放射線へのヒステリーによって生み出された除染というのは、福島に百害を齎したのは紛れまない事実。責任を取るべき菅直人はいけしゃあしゃあと反原発を唱えて反省の色も見えない。この国の正義は何処に在るのか。

 放射線被害の不安を煽るのも左翼革命運動の一環であり、終局の目的は日本国家の解体にある。国連人権理事会も偉そうにしているがその実は左翼革命運動と足並みを揃えて日本解体を目指している反日組織でしかない。

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2018年08月18日

ポツダム宣言受諾後に起きた占守島の戦いを忘れるな!

 昭和20年8月18日の早暁午前1時頃、占守島(しゅむしゅとう)の日本軍に対し、ソ連軍が奇襲上陸。終戦により武装解除準備を始めていた守備隊は武装を整え直し、ソ連に対して自衛戦闘を開始した。

 占守島での戦闘は日本軍の死傷者約600名、ソ連軍の死傷者約3000名に及んだ。日本軍の圧倒的勝利の中で、8月21日に武装解除に応じ戦闘が終結。日本軍が武装解除を終えたのは3日後の24日だった。

 この戦いによりソ連軍の千島列島の占領は遅滞され、その間に米軍の北海道進駐が完了したことで、ドイツや朝鮮半島の様な北海道の分割統治は避けられた。そういう意味でも「占守島の戦い」は大きな意義があった。

 この後、占守島で自衛戦闘を戦った日本軍の兵士のみならず、中千島や南千島に駐留していた兵士全てがシベリアに強制連行される。

 理不尽な終戦後の戦争を勇敢に戦った兵士達は、こうした理不尽な仕打ちさえもポツダム宣言受諾の無条件降伏の無条件のうちだと信じて、飢えも寒さも、その結果としての知れ切った死すらも潔く受容した。

 ソ連は占守島や中千島、南千島以外の地域からも軍人や軍属だけでなく一般人までもシベリアへ強制連行し不当に抑留した。実にその数80万人、その半数以上の同胞が酷寒の地で凍死や餓死で亡くなられている。

 シベリヤに抑留された日本人同胞は国内では一般には約60万人と言われているが、この数字は軍属だけの数字で、民間人を含めると更に多く、ロシアの資料では約70万人、米国の資料では約90万人とされている。

 シベリア抑留で亡くなられた日本人同胞の正式な被害者数を調査しなければならないが、政府は未だに拱手傍観を極め込んでいる。

 東京大空襲や広島・長崎への原爆投下を実行したアメリカもそうだが、非戦闘員の殺戮も、シベリアへの強制連行も全て国際法違反であり、戦勝国と雖もこうした人道に悖る行為を正当化する権利が在るとは思えない。

 況してや終戦間際に日ソ不可侵条約を蹂躙し、一方的に宣戦布告し戦闘に加わったソ連の蛮行は断じて赦されるものではないが、このソ連の参戦は「ヤルタ秘密協定」での米英との約束の忠実な実行である。

 1945年(昭和20年)2月、ルーズベルト、スターリン、チャーチルはクリミア諸島のヤルタで会談。ルーズベルトは千島列島をソ連に引き渡すことを条件に、日ソ中立条約の一方的破棄を進言、ソ連の対日参戦を促した。

 ヤルタ協定では、「ソ連が日本との戦争に参戦すること」「南樺太をソ連に返還すること」「千島列島をソ連に引き渡すこと」などが決められた。

 これに従ってドイツが無条件降伏した約3ヵ月後の昭和20年8月9日、ソ連はヤルタ協定を忠実に実行し「日ソ不可侵条約」を一方的に破棄し参戦した。

 歴史を紐解く上でも、またソ連の北方領土への侵略と不当性を知る上でも、ソ連参戦を要求した米英主導の「ヤルタ秘密協定」の不当性と残虐性を暴き、戦後の不条理と不正義を再検証しなければならない。

 己の土地を他人に奪われて黙っている者はいないだろう。況してや、父祖伝来の国土が強奪されて泣き寝入りする民族が何処にあろうか。

「北方領土奪還」は正に日本民族の悲願であるが、北方領土問題は未だ解決の糸口すら見えて来ないのは一体何故なのか。

 思うに、領土そのものの重要性に対する認識不足と、如何に不法に占拠されたかの真相把握の欠如。つまり、北方領土は第二次大戦終了後に起きた占守島の戦いの後に強奪されたという認識が決定的に欠如しているのだ。

 占守島の戦いを始めとする北方領土での戦いや不当なシベリア抑留と悲劇は我々日本人が決して忘れてはならない歴史である。

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2018年08月15日

それでも8月15日を「終戦記念日」だと言い続けますか?

 8月15日を、多くの国民は疑いもなく「終戦記念日」と言っているが、昭和天皇の「米英両国ニ対スル宣戦ノ詔書」が渙発されたことを記念しているのであればそれは間違いと言わざるを得ない。8月15日は「戦没者を追悼し、平和を祈念する日」であり、敢えて言うなら「平和祈念日(平和を祈念する日)」だろう。

 昭和20年8月9日(8日未明)、ソ連は「ヤルタ秘密協定」を忠実に実行に移し「日ソ不可侵中立条約」を一方的に破棄し、満州や南樺太に侵略を開始した。

 日本人同胞の虐殺、強姦、略奪がこの日を以て開始され、ソ連兵による鬼畜の如き所業が各地で重ねられた。千島列島の最北端「占守島(しゅむしゅとう)では、8月18日の早暁午前1時頃、占守島の日本軍に対し、ソ連軍が奇襲上陸する。

 ポツダム宣言を受諾により武装解除準備を始めていた守備隊は、この奇襲に対抗する為に武装を整え直し、ソ連に対して自衛戦闘を開始した。

 三日間の戦闘で日本軍の死傷者約600名、ソ連軍の死傷者約3000名に及び、日本軍の圧倒的勝利の中で、8月21日に武装解除に応じ戦闘が終結した。

 日本軍が武装解除を終えたのは3日後の8月24日。だが、その後、占守島の兵士のみならず、中千島や南千島に駐留していた兵士全てがシベリアに強制連行されることとなった。これをしても8月15日を終戦記念日だと言い張るのか。

「占守島の戦い」によりソ連軍の千島列島の占領は遅滞され、その間に米軍の北海道進駐が完了したことで、ドイツや朝鮮半島の様な北海道の分割統治は避けられた。そういう意味でも占守島での戦いには大きな意義があったのだ。

 この後、占守島で自衛戦闘を戦った日本軍の兵士のみならず、中千島や南千島に駐留していた兵士全てがシベリアに強制連行されることとなった。

 理不尽な終戦後の戦争を勇敢に戦った兵士達は、こうした理不尽な仕打ちさえも無条件降伏の無条件のうちだと信じて、飢えにも寒さも耐え、その結果としての知れ切った死すらも潔く受容した。

 8月20日には、樺太真岡郵便局の女子局員伊藤千枝(23歳)可香谷シゲ(23歳)沢田キミ(19歳)志賀晴代(22歳)高石みき(24歳)高城淑子(19歳)松橋みどり(17歳)吉田八重子(21歳)渡辺照(17歳)の9名が最後まで職務を全うし、最後は従容として青酸カリを服用し壮絶な最後を遂げた。

 外務省の外交文書「ポ宣言受諾関係・善後措置及び各地状況関係」には、ソ連(ロシア)の蛮行が生々しく書かれている。一部摘記する。

 東部北鮮在留日本人の状況として、「ソ連兵ハ30年来ノ怨ミヲ晴ラスハ此時ナリトシ邦人ノ所持品ハ一物ヲモ残サズ略奪シ婦女子ニ対シテハ時所ヲ弁エズ暴行ヲ加フルノ暴挙ノ出テ・・・」

 鉄原(京城東北八十キロ)の状況として、「ソ連進駐ト共ニ市街ノ様相ハ一変シ、ソ連兵市内ヲ横行シ略奪ヲ擅(ほしいまま)ニシ9月1日男24名ヲ本願寺ニ、女32名ヲ広島屋ニ監禁シ女ハ一室ニ一名宛閉ジ若キ娘ハ毎日14、5名、年配ノ婦人ハ毎日10名交代ニ暴行ヲ加ヘ其ノ結果6名ハ死亡シ、然ラザル者モ負傷ノ為歩行ノ自由ヲ失ウニ至ル・・・」

 捉えられた婦女子は「監禁され、ソ連兵に凌辱される」という恐怖から、自裁する道を選択せざるを得なかった女性も少なくない。樺太真岡郵便局の女子郵便局員も大和撫子として自裁する道を選んだ。この様な悲劇が8月15日以降も続いていたことをしてしても8月15日が「終戦記念日」である筈もない。

 現在もロシアは「ヤルタ密約(極東密約)」を楯に参戦の正当性と北方領土の主権を主張している。ヤルタ会談とは、1945(昭和20)年2月4日から11日にかけて、米国のルーズベルト、ソ連スターリン、英国のチャーチルらがクリミア諸島のヤルタに集い行われた密談である。

 この時、ルーズベルトは「南樺太のソ連に返還」と「千島列島のソ連への引き渡し」を条件に日ソ中立条約の破棄を進言し対日参戦を促す。ソ連はこの密約に従ってドイツが無条件降伏した後に国際法を蹂躙し参戦した。

 ヤルタ密約の有効性について英国政府は、ヤルタ会談翌年の1946年2月に疑義を呈していたことが明らかになっている。

 英国立公文書館所蔵の英外交電報では「露の四島占拠根拠なし」として、米英ソがヤルタ密約を公表する2日前に、英外務省から全世界の在外英公館54ヶ所に「緊急且つ極秘」に一斉に送られている。

「ルーズベルト大統領が権限を越えて署名したことや、米上院の批准もない状況下での有効性について米国内で論議が起こるかもしれない」として、「(英国は)その議論に巻き込まれないよう注意すべきだ」と警告している。

 チャーチル首相が1941年8月、ルーズベルト大統領と領土不拡大の原則を謳う「大西洋憲章」に署名しており、ヤルタ密約がこの大西洋憲章に反するとの英政府の認識が示された形だ。

 一方、米国では1953年に就任した共和党のアイゼンハワー大統領が年頭教書演説で「あらゆる秘密協定を破棄する」と宣言している。

 1956年には、アイゼンハワー政権が「ヤルタ協定はルーズベルト個人の文書であり、米政府の公式文書でなく無効である」との国務省声明を発表し、ソ連の北方領土の占有に法的根拠がないとの立場を鮮明にしている。

 つまり、ロシアの主張は明らかな矛盾であり、旧ソ連時代に断行した日ソ不可侵中立条約という国際法の蹂躙も満州や北方領土での蛮行も不法占領も、ヤルタ密約を論拠にしているが正当性は全く無い。

「平和」を考える上で大事なのは戦争の悲惨さを殊更煽るのではなく、ソ連参戦を促した米英主導の「ヤルタ秘密協定」の不当性と残虐性を暴き、戦後の不条理と不正義を再検証することこそ肝要であり、米英ソの不当性が明らかになれば、我が国に対する「悪玉論」も根底から覆ることだろう。

「全国の戦没者を追悼し、平和を祈念する日」に当たり、先の大戦に於いて海外の地で、また戦禍を被り全国で亡くなられた方々、並びに北の島々に眠る同胞の御霊に対し衷心より哀悼の意を表します。合掌再拝。

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2018年08月14日

国民精神の頽廃を招いているのは範となる政治家の不作為が元凶

 毎年、マスコミは8月15日向けて戦争特集を組み、安っぽい「平和主義」を振り翳し、国民に如何に戦争は愚かであるかの様な主張を垂れ流す。マスコミや左翼陣営は、先の大戦が愚かな戦争であり、当時の軍部と政府を批判して止まない。

 だが、戦争とは国際法で認められる政治と外交の延長であり、況してや先の大戦の戦争犯罪人は天皇陛下でもなければ大日本帝国憲法でも統帥権でもなく、況して軍部でもなければ軍国主義でもない。

 真の戦争犯罪人は近衛文麿と尾崎秀美らそのブレーン達、即ち日本国内で蠢いていた共産主義者らであり、マルクス・レーニン主義思想という感冒が昭和の悲劇を生んだということは今や歴史的事実である。

 多くの戦死者、戦災者を出し、日本の資産の大部分を失った大東亜戦争とは、ソ連コミンテルンと中国共産党、そして日本に巣食っていた共産主義者が仕組んだ共産革命の実現の為の争いであったのだ。

 当時、我が国が進むべき道を誤ったのは、マルクス・レーニン主義者の策謀にまんまと嵌ってしまったからだが、今も正に、中共の御先棒を担いでいる左翼らこそが戦争を引き起こす要因となる。

 大東亜戦争自体、決して恥ずべきものでもない。我が国は戦いに敗れはしたがアジアの希望の星だったのは紛れもない歴史的事実である。 

 先の大戦を、現代の安っぽい価値観や倫理観で批判することに意味は無く、自虐史観に陥ることでもない。これ正に、米国が統治下に行った日本国民へ贖罪意識を植え付ける為の戦後民主教育の遺物の最たるものであろう。
 
「愚かな戦争」と断じることは容易だが、戦勝国が敗戦国を裁く東京裁判という茶番劇で戦犯として処刑させられた方々や、或いは外国の地で正当な裁判を受けることなくそれを諒としてその罪を償ってくれた方々の命は決して軽いものではない。

 未だ先の大戦を「侵略戦争」と宣い、「アジアの人々に多大の迷惑を掛けた」と罵り続けるが、我が国はアジアを侵略したのではなく、アジア諸国を侵略し搾取していた連合国と戦いに臨んだのだ。

 それでも我が国が、アジアの人々に謝罪をする必要があるというならそれは、その最大の過ちは戦後、中国共産党を始めとして共産主義の跳梁跋扈を許したことであり、償いはその共産主義を失くす以外にはない。

 歴史に「もし」はないが、日米が戦わず、蒋介石との和平が実現していれば満州国は保全され、中華民国は中国共産党を圧倒していただろう。

 そうなっていれば、中国共産党の大躍進や文化大革命、天安門事件も起きなかったし、北朝鮮の独裁政治も拉致事件も起きなかっただろう。

 世界の何処の国でも、国家の危機の要請に応じ、敢然と戦場に赴いて戦い散って逝った英霊に対し感謝の誠を捧げるのは当然のことだ。

 だが、我が国の政治家というのは国家に殉じた英霊に敬意を示すことは少ない。国民の範となるべき政治家のこうした先人を軽んずる姿が、どれだけ国民精神の頽廃を招いていることか政治家どもは省みたこともあるまい。

 愛国心の欠落、その結果としての国防意識の低下、日本人としての誇りや自信の喪失、子殺しや親殺し、自己中心の行為等々、我が国社会に蔓延する問題の全てはそうした政治家の不作為に起因していると言っても過言ではない。

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2018年08月13日

靖國神社は追悼の施設ではなく英霊の顕彰を重んじている社である

 今年もまた右翼団体を筆頭に靖國神社での自称愛国者やインチキ保守派らのパフォーマンスを目にするのかと思うと憂鬱でもある。

 8月15日の参拝が右翼や保守派、自称・愛国者らの踏絵の様になってるが、正に贔屓の引き倒しであり、靖國神社と英霊への冒涜でもある。

 況してや靖國神社は英霊を追悼する施設ではなく、英霊の功績を顕彰する神社である。にも拘らず、自称愛国者や右翼人までもが恥しいことに「英霊に哀悼の誠を捧げて来た」と言って憚らない。

「哀悼」とか「追悼」とは、死者の生前を偲び、その死を悼み悲しむことであるが、靖國神社は追悼の施設ではなく英霊の顕彰を重んじている社であるということを理解していないからこんなことが罷り通る。

「顕彰」とは、隠れた功績、善行などを称えて広く世間に知らせることである。顕彰ということを重んじるなら、8月15日に靖國に赴くことが重要ではなく、あの左右入り乱れての喧騒は逆効果の方が大きい。

「終戦記念日」というが、正式には「戦没者を追悼し平和を祈念する日」。右翼団体までもが未だ東京裁判史観に冒されて「終戦」の意味を穿違えて靖國神社に詣でるなど笑止千万。右翼の指導者不足は顕著である。

 こうしたことでも、我が国は「終戦」とは名ばかりの未だ主権快復も出来ていない幼冲国家だと痛感する。米国依存からの脱却なんぞ夢のまた夢。

 昭和天皇の御聖断によりポツダム宣言受諾が決定されたのが8月14日。15日は終戦の詔勅(玉音放送)が発布された日というだけのこと。

 8月15日を「終戦記念日」と称し、この日に初めて参拝したのは容共の三木武夫であり、中曽根康弘と続く。またその後、8月15日をの靖國参拝を利用したのが小泉純一郎。安倍も似た様な者だが何れも国賊ばかりなり。

 過去には、総理大臣は春秋の例大祭に参拝するのが恒例だった。三木の後に首相に就いた田中角栄も大平正芳も8月15日ではなく春秋の例大祭に参拝している。

 昭和60年の中曽根康弘が公式参拝のパフォーマンスを謀るも直ぐに撤回。未だに続く「公人か私人か」の論争は、三木の8月15日の参拝がきっかけで始まった。三木の後にアホな福田赳夫が「私的参拝だ」と真似た。

 三木、中曽根の参拝以降、靖國神社が政治利用される様になって行く。小泉純一郎は「如何なる批判があろうとも8月15日に靖國神社へ参拝する」と保守陣営を喜ばせるも、靖國の政治利用は混乱を招いただけのものだった。

 8月15日の参拝に違和感を覚えず「我こそは愛国者なるぞ!」と靖國に集まって来る連中を見るとホント情けなく滑稽にしか見えない。

 我が国がポツダム宣言による降伏文書に調印した日は9月2日であり、連合国はその翌日3日を「対日戦勝記念日」としている。戦争状態が終結したのは昭和27年4月28日であるなら、真の終戦記念日は主権快復した4月28日だろう。

 右翼にしろ、なんちゃって保守派にしろ「終戦記念日」という呼称こそがGHQによる戦後民主主義教育による洗脳であることに気付くべきだ。

 8月15日は戦陣に斃れた英霊の遺族の日であり、遺族が心静かに詣でる環境を整え、そして陛下の御親拝を仰ぎ奉ることこそ願うべきである。

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2018年08月11日

日露戦争も大東亜戦争も目指した大義は「人種平等の原則」である

 夏になると戦争に纏わる番組が多くなる。多くは「戦争が終結した」「日本が負けた」というのは知ってるが、何故に我が国が大東亜戦争に突入して行ったのかという理由を知ることはない。否、知ろうとしない。

「日本は満州事変以降、大陸への侵略を拡大し無謀な戦争でアジアを中心とする諸国に多くの被害を与えた」というのが我が国政府の基本認識である。だが、今やこれが間違いだと分かりながら修正しようともしない。

 何故に我が国が大東亜戦争を決意し、何故に真珠湾攻撃に至ったかが重要であって、それには1953年のペリー来航時代まで遡って当時の世界の情勢とアジアの近代史を学ばなければ到底その大義は理解は出来まい。

 我が国は西洋列強に追い着くべく、強力な中央集権国家を形成しようと明治維新の大業をたった数年で成し遂げ、富国強兵の道を辿って行く。

 15世紀の大航海時代以来、白人による世界制覇の波がアジアにも押し寄せアジアは次々と列強に蚕食され植民地となって行った。

 その間に勃発した、日清、日露戦争も、また日韓併合もアジアや我が国にとっても避けては通れない宿命的な歴史だったのである。

 極東の小国である我が国が日清戦争に勝利し、更には日露戦争でも我が国が起死回生の勝利を収めた。「日本大勝利」の報は、固唾を呑んで見守っていた世界の人々を驚嘆させ、特に有色人種に与えた影響は強烈だった。

 日露戦争勝利から15年後、パリ講和会議で我が国は「人種平等の原則」を国際連盟規約に載せることを提案する。だが、議長を務める米国大統領・ウイルソンは「有色人種に人権など必要無い」と拒絶し否決した。

 米国人ら白人による人種差別、日本人蔑視が横溢していたのは明らかだった。そして日本人を目の敵にする「黄禍論」が広がりを見せる。

「黄禍論」とは黄色人種の進出によって白色人種に災禍が加えられるであろうという人種主義的感情論であり、また昨今持て囃されている歴史学者である朝河貫一も「日本の禍期」を出して日露戦争後の日本を批判し始めた。

 日露戦争が齎した歴史的課題であった「人種平等の原則」の本格的実現は、大東亜戦争を待たなければならないのである。

 その後、世界は第二次世界大戦に突入し、米国(America)英国(Britain)支那(China)和欄(Dutch)から所謂「ABCD包囲網」が敷かれ、そして最後通牒「ハルノート」が突き付けられることとなる。

 戦わずしての降伏は即ち植民地になることを意味する。最早、我が国の生き残る道は連合国との戦争しかないとの決断し、畏れ多くも陛下から開戦の詔勅を賜り、宣戦布告、真珠湾攻撃に至ったのだ。

 我が国は敗れはしたが、大東亜戦争終結後、アジアの国々は独立し、アジア諸民族の復権を齎し、日露戦争の念願であった「人種平等の原則」は成立した。その事実をしても、アジアの希望の星としての役割を見事に果たしたと言えよう。

 米国内では毎年12月7日(現地時間)を「汚名の日・リメンバー・パールハーバー」として、我が国を卑怯な国として糾弾して止まず、日本人蔑視は未だ止むことはないが、我が国は断じて「騙し討ち」はしていない。

「日本のお蔭でアジア諸国は全て独立した。日本というお母さんは難産して母体を害なったが、生まれた子供はスクスク育っている。今日、東南アジアの諸国民が、米・英と対等に話が出来るのは一体誰のお蔭であるのか。それは身を殺して仁を為した日本というお母さんが在った為である。12月8日は、一身を賭して重大な決心をされた日であり、我々は決して忘れてはならない」

 このタイ国のククリットプラモード元首相の言葉は余りにも有名だ。アジアでは中朝韓三国は例外として、我が国を植民地から解放させた救世主であり、希望の星であると称え、12月8日の開戦記念日を忘れることは無い。

 今も糾弾して止まない「リメンバー・パールハーバー」も、我が国と日本人への偏見と差別であり、先の大戦を猛省すべきは我が国に非ず米国である。

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2018年08月10日

広島はウラン型。長崎はプルトニウム型。米国が2つの原爆を投下した理由。

 6日のブログで「原爆投下は人種偏見や日本人蔑視以外に合理的根拠は見つからない」と論じた。http://cordial8317.livedoor.blog/archives/52083479.html

 6日の広島への原爆投下に続き、米国は9日にも原爆投下を実行する。目的地は小倉。だが天気が悪く小倉から長崎に場所を変更する。

「天気が悪い」との理由から投下場所を変更したのは、雨天では放射線のデータが正確に測れないとの理由から、急遽、天候の良い長崎を選んだ。

 ポツダム宣言受諾に難色を示す我が国に対して、戦争を終わらせるだけなら広島だけで十分だったが、米国は二発目の原爆をどうしても実行しなければならない理由があったのだ。

 何故なら広島と長崎に落とした原爆の種類が違う為だ。広島はウラン型。長崎はプルトニウム型。「マンハッタン計画」で莫大な研究費を注ぎ込んだ米国は、議会でその成果を証明する義務があった。

 原爆投下後の米軍の広島・長崎で執った「放射能治療方法交流禁止」や「被爆者カルテ没収」など、目に余る人権蹂躪行為を見ると「人体実験」否「動物実験」としての原爆投下だったということだ。

 実験データ収集の為には荒天では撮影も儘ならず、天気の好かった近郊の長崎に変更した。原爆投下からその後の経緯を一部始終撮影し、実験データを収集していることでもその真意は明らかだろう。

 人体実験の為に原爆を投下した米国に対して憎悪の感情を持たせない為に米国は日本人に贖罪意識を植え付け、戦後民主主義教育とハリウッド・エンターテイメントを模倣して芸能に興じる様に日本人を洗脳し、愚民を生むことに成功した。

 米国の押し付けというと現憲法ばかりが論われるが「教育委員会制度」も「労働三法(労働組合法、労働基準法、労働調整法)」も米国製である。

 米国は「戦前の日本の軍国主義が日本の中央集権的教育制度を齎し、それが結果戦争に繋がった」と結論付け、教育改革を実行する。

 それまでの我が国の学校教育を内務省の中央集権的統制から解き放ち、その管理を地域住民の代表により構成される合議制の委員会の下に置こうと画策し、それを実行したのが「教育委員会制度」である。

「労働三法」は、憲法28条の労働基本権の理念に基き制定されたもので、企業などの労使関係を規定し、対等的労使関係の基礎となっているが、これも米国の学者らが日本を実験台に謀られたものだ。

 米国は「日本国憲法」で国民を骨抜きにし、「労働三法」で労働者を優遇し、「教育委員会」制度の導入によって教育を荒廃させたという事実を冷静に見れば、憲法を見直し、占領下に謀られた愚策を検証し改革を図るのは当然だろう。

 米国製のクソ憲法を護り、米国製の労働三法に守られ、米国製の教育委員会を信奉しているのは「反米」を叫んでいる珍左翼に止まらず、保守を標榜する自民党内にも多く存在しているのは嗤うしかない。

 第二次世界大戦後、世界の帝国主義が崩壊した御蔭で敗戦した我が国は米国の51番目の州にならずに済んだ。米国が謀った日本人の矯正は見事に成功を果たし、国民は米国の価値観の下でまやかしの平和と繁栄を謳歌している。

 親米保守の安倍を始め、自称保守派に尊皇精神は無い。尊皇無き保守では欧米の保守と何ら変わらない。左翼もまた米国製の憲法を有難がり、「反米」を叫べども米国の実行した戦後民主主義教育がその論拠となっている(苦笑)

 因みに原発事故に見舞われた東京電力福島第一原発の1号機と2号機はウラン型、3号機と4号機はプルトニウム型。然も1号機と2号機は米国製。これらの悉く失敗した米国の策謀を見直そうとしないのは正に政治の怠慢である。

 政治の混乱と矛盾、経済の停滞と低迷、社会の沈滞と退廃、戦後体制の諸矛盾は戦後占領政策が元凶である。戦後ヤルタポツダム体制の検証を急げ。

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2018年08月09日

米国の原爆投下と旧ソ連の蛮行こそ「平和に対する罪」及び「人道に対する罪」で裁かれるべき

 昭和31(1956)年、日本共産党中央委員会宣伝教育調査部編集の「日本共産党の政策」の中で次の様な一文が掲げられている。

「ソヴエトは終戦間際に参戦して火事ドロ式にうまいことをやったという人がいますが、ソヴエトが参戦したため、平和が回復され、日本が焦土とならずにすんだのです・・・」

 この思想的次元、この発想が日本共産党の本質を露呈しているが、国際条約を蹂躙して参戦したことこそ大問題ではないか。

 平和団体というのは米国の原爆投下を執拗に糾弾する。原爆投下を直ちに是認出来るものではないが、米国と我が国とは国の威信と生死を賭けて戦っていたのであり、新しい兵器の開発と使用に三分の理を認めざるを得ない。

 然るにソ連はどうか。我が国との間には厳然とした「日ソ中立条約」があり、領土の保全と不可侵、そして中立が固く約束されていたにも拘らず、長崎に原爆投下された昭和20年8月9日(8日未明)、ソ連はヤルタ秘密協定を忠実に守り、日ソ中立条約を一方的に破棄し満州や南樺太に侵略を開始したのだ。

 日本人同胞の虐殺、強姦、略奪がこの日を以て開始され、我が国固有の領土である南樺太、全千島列島、北方四島が強奪された。

 こうしたソ連の蛮行に対し、政府もマスコミも平和屋も未だ旧ソ連の蛮行を責めたことはない。彼奴らに「平和」を口にする資格はない。

 6日の広島、9日の長崎の原爆投下に合わせ「原水爆禁止世界大会」という仰々しい名前の大会を主宰する「原水協」や「原水禁」ら似非「平和屋」は、原爆投下は執拗に糾弾すれども、ソ連の蛮行には沈黙を続ける。

 連中は、原爆を投下したのが米国だから、執拗にこの古傷を暴き、反米感情を煽り日米離間を謀り、党勢拡大に利用しているだけに過ぎない。

 それでも彼らが厚顔にも「平和団体」を自任し「核放棄」を訴えるのならば、米国や日本国内だけではなく、ロシアや中国共産党に対しても、或いは北朝鮮を始めとする世界の核保有国にも物申すべきではないのか。  

 鬼畜の如き蛮行で亡くなった同胞は、広島・長崎の原爆投下で亡くなった方々を遥かに超える。ソ連軍の残虐非道、鬼畜の行為は終戦後も収まることはなく、樺太では約5700名の軍人や民間人が犠牲となり、生存者はシベリアへ抑留された。

 シベリアに抑留された日本人は約60万人と言われているが、これは軍属だけの数字であって、民間人を含めると更に多く、ロシアの資料に拠れば約70万人、米国の資料では約90万人とも言われている。

 だが、未だ我が国政府は情けないことに、こうした歴史的事実を世界の国々に訴え、問題提起し、その真相を明らかにしようともしない。

 大東亜戦争を戦った英霊は東京裁判を始め、外国の地に於いては弁護する機会も与えられず、一審即結審という復讐という名の茶番劇で不当に処刑された。だが、米国に因る原爆投下と無差別爆撃、ソ連の卑劣極まる蛮行こそ「平和に対する罪」であり「人道に対する罪」ではないのか。

 正に8月9日とは、平和な今を生きる我々にとって決して忘れてはならない悲憤慟哭民族痛恨の日なのである。本日ここに、長崎の原爆投下とソ連の蛮行の犠牲になられた方々へ衷心より哀悼の意を表します。合掌再拝。

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2018年08月08日

「沖縄の非武装地域化こそ東アジアの平和のために必要です」という宮崎駿の妄想

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 画像は映画監督・宮崎駿の言葉。「沖縄の非武装地域化こそ、東アジアの平和のために必要です」とは一見正論に感じるが、宮崎は米軍を撤退させ中国共産党に併呑されることが東アジアの平和だと思っている。

 沖縄を「非武装地域化」することは理想論に過ぎず、我が国が米国依存体制から脱却を図り自らの手で沖縄を死守することこそ東アジアに平和を齎す。非武装化は単なる画餅であって、正に宮崎の描く漫画の空想の世界と同じ。

 支那大陸から日本を見ればよく分かるが、我が国が支那や朝鮮の防波堤の様に横に延びているのが分かる。中国共産党が尖閣列島や東・南シナ海に固執しまたロシアが樺太や千島列島を侵略しているのかが理解出来よう。

 横に連なる日本列島の横っ腹に朝鮮半島が匕首の様に存在している。これが「朝鮮半島匕首(あいくち)論」というもので、朝鮮半島は古来より、我が国の脇腹に突きつけられた匕首の様なもので、過去にも多くの禍が起っている。

 百済の白村江の敗戦で唐の侵攻に怯えた古代。二度に亘る蒙古襲来に見舞われた中世。日清・日露の宿命的な戦争を戦った近代。北朝鮮の暴発と中共の横暴を恐れる現代と、古来より朝鮮半島は地政学的に我が国の弱点だった。

 我が国の地理的状況と安全保障を考えたとき、様々な脅威に対抗しうる万全の防衛システムと法整備を急がなければならないのは言うまでもない。その要衝となっているのが沖縄であり、沖縄は我が国防衛の要でもあるのだ。

 沖縄が非武装地帯になることは願ってもないことだが、近隣に我が国を敵国と見做し反日国家が存在する限りそれは夢物語であり不可能なことなのだ。

 江戸時代末期、我が国にも欧米列強の植民地の波が侵略の意図を持って押し寄せて来た。当時、有色人種としての完全な主権国家は日本、トルコ、タイ、エチオピアの4ヵ国だけしか存在していなかった。

 世界は軍事力や経済力で他国や異文明を捩じ伏せ、有色人種を弾圧し、土地を強奪し搾取し、植民地することが当り前の帝国主義の時代だったのだ。

 260年の鎖国から半ば無理矢理開国させられた我が国が行く道は、欧米の白人の植民地となるか、有色人種初の帝国主義国家に生まれ変わるかのどちらの道しかなく、我が国が選択したのは後者であった。

 欧米列強に付け入る隙を与えることなく数年の短い間に維新を成し遂げ、開国した明治政府は「富国強兵策」を展開し、「封建的農業国家」を一気に「帝国主義的近代工業国家」に改造したのである。

 不平等ながら欧米列強と開国条約を締結し、国際法的整備を終えた我が国が直面したのが「朝鮮半島匕首論」だった。

 極東から遠い欧米列強よりも、朝鮮半島に地続きの支那かロシアが半島を征すれば、我が国の安全保障が危うくなる。だが、悲しい哉、半島の主人公たる朝鮮の実情は支那の属国であり、朝鮮半島の安定を託す相手ではなかった。

 鎖国時代でも支那と朝鮮は交易を通じて分かっていたが、新しい帝国であったロシアの強引な拡張主義は、江戸時代を通じて我が国の恐怖の的であり、その象徴的な事件は1861(文久元年)年の「ロシア軍艦対馬占領事件」である。

 不凍港を求めて南下したロシアが、対馬をロシア領土にしようとした日本侵略であった。半年に亘る我が国の抗議は聞き入れられず、最後はイギリス艦隊が圧力を掛けてこのロシア軍艦を排除した。

 この事件で「力こそ正義」であることを思い知った我が国は、以後、自らの安全保障の為に、宿命的な日清・日露戦争に向かって直(ひた)走ることになるのは歴史の必然でもあったのだ。

 過去の問題を現代の価値感や道徳観で論うことに意味はない。況してや宮崎駿の様な幼稚な正義感や妄想で我が国の平和や国民の安全は守れない。

 我々は、先人の苦難と歴史の必然の上で成り立っていることを忘れてはならないし、国防を怠ってはならない。反米や反基地も勝手だが、それよりも自分の国さえも護れない、国家の主権を米国に依存する歪な体制こそ恥じ入るべきだ。

 芸能界には津川雅彦や伊東四朗、藤岡弘、つのだひろなど保守的な芸能人も多くいるが、宮崎駿や吉永小百合、沢田研二、渡辺謙、石田純一らなど共産党シンパや戦後民主主義に冒された無自覚左翼も少なくない。

 芸能人やタレントなどのテレビに露出する機会の多い有名人の「言葉」というのは社会的影響が大きいだけに、政治活動をしたり、政治的発言をするのは慎重であらねばならないが、我の意見こそが正論であると信じてるから始末に負えない。

 俳優やタレントなどの芸能人というのは本来は政治的には不偏不党、中立の立場を守るべきだが、閉ざされた世界で育つ故にどうしても関わりの持った先輩芸能人や周辺者に感化されてる場合が多く、共産党シンパにそういう輩が多い。

 彼らは米国の実行した日本人矯正の為の戦後民主主義教育の自虐史観にどっぷりと漬かりながら、それらを疑うこともせず、「戦後民主主義」に拘泥する余り自分の考えこそ絶対として全く聞く耳を持とうとはしない。

 革新的左翼にしろ誤憲派や人権派、平和団体などに与する無自覚左翼に共通するものは、物事の見方が薄っぺらで幼稚な正義感の押し付けばかり。

 こうした無自覚左翼の芸能人を、共産党を始めとして「九条の会」や反原発派、売国マスコミが利用して情報弱者を誑かし党勢拡大を謀る。

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2018年08月07日

保守を自任する自民党内に於いて保守票目当てに行動する保守系議員

 古屋圭司ら保守系を自任する自民党議員が菅官房長官と会談し、新元号の制定と発表は来年5月1日の皇太子殿下の即位後とするように要請した。

 自民党内でもタカ派だという彼らは、皇室典範への譲位附帯に反対し、大嘗祭についても、現憲法に明記していないことを理由に国事行為ではなく公的な皇室行事とするとの閣議口頭了解に異を唱えたとは聞いてはいない。

 男子皇族減少との理由から女性宮家論に反対もせず、GHQに強制的に臣籍降下させられた旧皇族方の皇籍復帰を進言したということもない。皇統断絶の謀(はかりごと)に対峙せずして何が保守か、何が愛国者か。

 自民党内で彼らは保守派を気取ってはいるが、保守を自任する自民党内に於いて保守票目当てにそのバランスを保つ行動をしてるだけに過ぎない。

 古屋らも保守派を自任するならば施行日時云々より、元号の必要性と我が国の歴史に果たした重要性を啓蒙すべきである。

 陛下や皇室に対する尊崇の念が薄れつつある現在、悲しい哉、西暦こそが「国際暦」であり世界で一般化しているとして元号を否定し、国民は「皇紀」という我が国の年号さえも忘れてしまっている。

 元号が「古臭く時代遅れ」であるかの様な認識は、田舎言葉の「英語」が国際語だから日本語を廃止して英語だけにしろという暴論と同じ様なものだろう。

 我が国は645年、第36代孝徳天皇時代に「大化の改新」を果たして。この御代に建てた「大化」が元号の始まりである。孝徳天皇の崩御後には新たな元号は定められなかったが、後に「白雉」「朱鳥」が建てられた。

 斉明、天智、弘文天皇の御代には定かでないとされているが、文武天皇の御代に「大宝」という号が建てられ、今日の「平成」に至るまで約1300年もの間途切れることなく続いている正に我が国文化の象徴である。

 元号の数は、所謂「南北朝時代」に並行した元号を合わせると実に248に及ぶ。これもまた、我が国の歴史が天皇を中心に織りなされて来たという厳然たる事実の証明でもあり、正しく我が国は天皇の国であると痛感する。

 元号の改定は、徳川時代でも朝廷の大権だった。江戸時代中期の学者・新井白石も「折焚く柴の記」で、「元号だけは朝廷の御定めになることである。武家の関することではない」と綴っていることでも明らか。

「一世一元」となったのは、明治21年の紀元節(2月11日)に制定された旧皇室典範第12条の「践祚ノ後元号ヲ建テ一世ノ間ニ再ヒ改メサルコト明治元年ノ定制ニ従フ」が基となっている。現皇室典範には元号に関する規定はない。

 昭和54年に要約「元号法」が成立する。この時、左翼陣営は「元号は天皇主権の旧憲法への逆戻り」「元号は天皇元首化の動きと直結」「元号によって天皇の権威を国民の隅々にまで行き亘らせる狙い」だと騒ぎ立てた。

 正に「元号」は共産党らが指摘した通りである。明治欽定憲法を復元し、万世一系の天皇を我が国元首として仰ぎ奉り、陛下の御稜威を国民生活の隅々にまで行き亘らせることにあるのは当然で、それは日本国民として当然の願望である。

 歴代天皇は数年から10年を目途に、節季の習俗を時代の流れとして「改元」し、巧みに時代転換をして来た。だが、明治の皇室典範制定で「一世一元」となり、その後も暗黙にこの一世一元が守られてきた。

 幕末の混乱期に御即位した孝明天皇は、御在位21年の間に「嘉永」「安政」「万延」「文久」「元治」「慶応」と実に6回も改元為された。これ即ち幕末という混乱の時代を如何に転換させるかの苦衷の表れであろう。

 であるならば、今上陛下に於かせられては平成の激動の時代に区切りを付ける為に改元することが望ましいものであると思ったが、不敬にも「生前退位」なるものが実行され平成の御代の終焉を謀られてしまった。

 我が国はいつの世も時の陛下の御代である。そこには「君が代」の世界が厳然と存在する。その御代を端的に表現するものが「元号」である。これこそが我が国の国體の精華であり、世界に誇る我が国の美風でもある。

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2018年08月06日

原爆投下は人種偏見や日本人蔑視以外に合理的根拠は見つからない

 8月6日、午前8時15分、米軍は広島市に核兵器「リトルボーイ」を投下し、一瞬にして14万人以上の無辜の民を虐殺した。米国はそれでも厭き足らず、3日後の9日午前11時02分、長崎に「ファットマン」を投下した。

「原爆投下が大東亜戦争の終結を早めた」という人がいるが事実はそうではない。 我が国は終戦の機を窺っていたのは間違いない。

 ポツダム宣言の原案には「天皇」存続の保証が盛り込まれていた。米国は日本政府が「日ソ中立条約」を拠り所に和平を模索していることを知っており「天皇存続」を保障する案なら受け入れる可能性が極めて高いと考えていた。

 ところが反日的なスチムソン陸軍長官やハル元国務長官から助言されたバーンズ国務長官はこの項目をポツダム会議直前で削除してしまう。

 即ちポツダム宣言は、天皇存続の当初の原案とは違い、我が国が極めて受け容れ難い内容に変更されていたのである。

 そうした事情をよく認識していたトルーマン大統領は、ポツダム宣言発表前日(7月25日)に自らの日記に「この兵器(原爆)は、今から8月10日迄の間に使用されることになる」と綴っている。つまり、ポツダム宣言を日本側が受け入れることを知りながら敢えて懲らしめ的に原爆を投下したということだ。

 未だ国内に蔓延する「日本政府がポツダム宣言を黙殺したから原爆が投下された」との理由が真っ赤な嘘であることはこの日記が明瞭に証明している。

 抑々、原爆を日本に投下することになった背景には黄禍論に見られる様に日本人への偏見と差別が根強く在ったからに他ならない。

 米国が原爆投下を決定したのは1943(昭和18)年5月のことで、原爆搭載機を対日戦用のB-29を選んだ。翌年9月の米英間の秘密覚書「ハイド・パーク協定」にも「原爆は日本に対して使用されるであろう」と明記されている。

 こんな不可思議な決定は人種偏見や日本人蔑視以外に合理的根拠は見つからない。更には、原爆投下後の米軍の広島・長崎で執った「放射能治療方法交流禁止」や「被爆者カルテ没収」など、目に余る人権蹂躪行為を見ると「人体実験」否「動物実験」としての原爆投下だったのではとすら思えてくる。

 トルーマンの日記には「ジャップどもは野蛮人で、冷酷、無慈悲且つ狂信的な連中だ」との差別表記も羅列されている。だが、野蛮で冷酷非道なのは米国であり、未だに米国の歪な正義感を世界にバラ撒き続けている。

 昭和34(1959)年、来日中だったキューバのエルネスト・チェ・ゲバラは広島視察を強行し、原爆資料館で「君たち日本人は、アメリカにこれほど残虐な目に遭わされて、腹が立たないのか!?」と述べている。これが素直な感情だろう。

 悲しい哉、自虐史観から覚醒しない日本人は、GHQの統治下に押し付けられた米国製の憲法を有り難がり、憲法九条が平和を齎したと勘違いし、或いは米国が実験的に謀った様々な弱体化政策に疑問を抱くことなく、未だ日本人蔑視が蔓延る米国に領土防衛という国家の大本を委ねてまやかしの平和を謳歌している。

 そんな日本人が「真の平和は、自らが創り出さなくてはならない」という主権国家として当たり前の事に気付くのはいつのことだろう。本日ここに、原爆投下で犠牲になられた全ての方々に対し衷心より哀悼の意を表します。合掌。

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2018年08月05日

地元紙・福島民報新聞のコラム「日曜論壇」に登場するのは左翼人士ばかりなり(嗤)

 地元紙の日曜日のコラム「日曜論壇」、毎週、左翼人士らに私見を垂れ流させて世論誘導を謀る。今日は国立歴史民俗博物館名誉教授という仰々しい肩書の小島美子。何のことはない左翼活動家のおばあちゃんである。

 全学連時代に育った輩というのは、学生運動や安保闘争の憧れを捨て切れず、反国家・反体制を採ることが進歩的であると今でも思っている。

 記事では相変わらず森友学園に拘り、麻生大臣も誰も責任を取らなかったと詰り、更には加計学園の問題まで持ち出して「道徳的な問題」であると意味不明な言辞で読者を誑かすが、抑々森友も加計の責任は政府には無い。

「安倍内閣は多くの国民が気が付かないうちに独裁体制を創り上げている」と妄想し、「特定秘密保護法など私たちの行動を縛る法律も出来ている。愈々、憲法改正(悪)に向かって行くだろう」と述べている。

 特定秘密保護法が国民を縛る法律であると本気で思っているとしたら救い様がないが、こうした内容は確信的な世論誘導であり、憲法改正に態々「悪」と入れてることをしても末期的左翼的痴呆が現れている(苦笑)

 極め付けは「沖縄を軍事基地にする為に米国へ巨費を投じ、必要とは思えないミサイルシステム『イージス・ショア』を米国から買う」との批判。

 沖縄の米軍基地が嫌なら自衛隊が代わらなければならないが、左翼というのはそうした対案を示すことはない。

 イージス艦を米国から購入するのがダメなら日本製イージス艦や空母を造るべきだ。米軍もダメなら自衛隊もダメ、要は無防備で「日本なんぞ侵略されて無くなってしまえ」という中国共産党の第五列に過ぎない。

 嗤えるのは「野党が弱体化したのは、実は小池百合子東京都知事が野党を解体させたから」と断じ、その結果、「安倍一強体制創りに決定的に大きい影響を与えた」と述べていることだ。

 当時、自民党党員ながら自民党公認を受けられず都知事選に立候補し、自民党の陋習を批判して世論を味方に付けて圧倒的勝利を捥ぎ取った。

 東京都知事は石原慎太郎が禅譲した猪瀬直樹、そして後任の舛添要一と二人続けて任期途中で辞任するに至った。

 都議会と自民党東京都連は、猪瀬のスキャンダルを取り上げて辞任に追い込みながらも、その後に就任した舛添知事の公私混同疑惑問題に対しては何ら追求することなく他人事を極め込んだ。

 小池は、こうした自浄能力皆無の都議会と旧態依然の自民党東京都連を都政改革の元凶(抵抗勢力)と捉え、都政改革を訴えると共に、世論を味方に「都政を(都民に)取り戻す」をスローガンに選挙戦を戦い、結果、自民党候補に圧勝した。

 都政最大のガンは既得権益を仕切るボス(内田茂)政治だった。小池が自民党政治を「忖度政治」と揶揄したが、内田茂自民党都連幹事長は、既得権益の権化として都議会に10数年君臨してきた正しく都議会のドンである。

 都知事選の結果を受け内田は引退を表明。自民党もこれを機に小池との和解を図れば好いものを、驕れる自民党はくだらんメンツを優先し小池批判を滔滔と繰り返した。都民や国民にも小池批判は醜く映った。

 小池は新党「希望の党」を立ち上げ、自民党政権の受け皿になる政党結成を模索する。そこに新進党代表の前原誠司らが勝ち馬に乗ろうと軽挙に奔った。

 自民党の石破も小池に秋波を送るも小池の候補者選別発言で元の木阿弥に。安倍一強体制を決定的にしたのは、そうした一時期の盛り上がりに便乗した野党第一党代表だった前原らの大衆迎合主義であり、これこそ批判されるべきだろう。

 そんな石破といえば、未だに自民党に所属していながら安倍批判を繰り返している。理屈っぽい話しぶりは一見正論に見えるが、どれもこれも大衆迎合主義から来る御得意の思い付きの改革論ばかり。

「防災省を創る」という発想がその最たるもの。災害派遣する自衛隊、中でも陸上自衛隊の一部を防衛省から切り離して防災省に組み入れるのか。

 現場で汗する消防士や警察官の所属はどうするのか。万が一に備え災害が起こらない様にインフラ整備や安全確保を講じるのが政治家の務めであり、災害が起こることを想定している防災省新設という発想は実に軽々しく感じる。

 流石は過去に自民党を離党し「改革の会」に参加し、「新党みらい」「自由党」「自由改革連合」を渡り歩き「新進党」結成に参画。結局は古巣の自民党に復党した人物で、小沢一郎との確執も囁かれているが小沢の子分には変わりない。

 石破は「国防」が得意分野ということで「タカ派」のイメージが強い、その実は戦後民主主義にどっぷり浸かった無自覚左翼というのが正しく、中国共産党に阿ることに於いては小沢を凌ぐのではなかろうか。

 そんな石破を自民党竹下派は自民党総裁選で石破を支持するという。竹下派というと旧田中派であり、旧田中派だった石破を支持するのも然もありなん。

 だが、突然、石破支持になったのは政界引退後も竹下派に影響力を持つ青木幹雄の影響だというのは時代錯誤も甚だしい。

 老害著しい青木や竹下亘にしろ、吉田博美党参院幹事長にしろ、参議院選挙で島根と鳥取が合区となり、鳥取では絶大な支持を得る石破を選挙目当てに支持しようということであれば、これほど有権者や国民を愚弄した話はない。

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2018年08月03日

イベント化しつつある平和運動と右翼陣営の靖国参拝

 毎年8月になると戦争に纏わる話も多くなり、6日の広島、9日の長崎と原爆投下に合わせて平和屋が蠢き出し、原爆投下に抗議する反米愛国を叫ぶ新右翼や旧ソ連の蛮行に抗議する右翼団体の活動も活発化してくる。

 何故にこうした戦争が起こってしまったのかという検証が成されることは少ない。昨今の平和運動にしろ、反天連の活動にしろ、右翼陣営や保守派の8月15日靖國参拝にしろ、先の大戦を利用した単なるイベントでしかない。

 明らかな国際法違反である広島・長崎への原爆投下、日本の各都市への無差別絨毯爆撃の罪を糾弾することを忘れてはならないし、また、中立条約を一方的に破棄して参戦し、鬼畜の如く振舞った旧ソ連の蛮行もまた然り。

 ロシアは火事場泥棒的蛮行を猛省することなく「対日戦勝記念日」として祝勝しているが、悲しい哉、我が国政府が抗議し謝罪を要求したことはない。

 中共は軍事力を増強し続け、我が国の排他的経済水域に於いて不当な活動を繰り返し、加えて尖閣諸島の領有権を主張しているが、武力を以て国土の拡張を実行しているのは今世紀地球上で中華人民共和国一国である。

 韓国も竹島を不法占拠し続け、北方領土海域に於ける漁業権確保をロシアとの間で契約し、慰安婦問題を始め悉く我が国を侮辱し続けている。

 つまり、中韓両国は我が国に敵対行為を採っているのであって、そうしたことに目を瞑り、相手を刺激する事のみを心配する論理は正に弱腰軟弱外交そのものであり、東京裁判史観に毒された自虐の思想である。

 他国を刺激しないなどという外交戦略があるだろうか。国家は自存の為に国益を主張し、国益は往々にして対立することを免れない。

 然らば、他国を刺激しないという理由は、自国の国益を放棄することに他ならない。近隣諸国を刺激しないという戦後日本の国是は誤りである。

 皮肉なことに、過去に於いて被害者であったと声高に主張する国が、現代では日本の主権を侵し続けている。連中に被害を口にする資格はない。

 百歩も千歩も譲って、東京裁判がでっち上げた様に、我が国が過去のある時代に悪逆非道の犯罪者であったらどうだというのか。

 それでも我等は生きて行かねばならぬ。同胞を拉致されて涼しい顔をしている訳にはいかないのだ。固有の領土を略奪され、主権を侵害され、先人の名誉を傷付けられて黙っている訳には参らないのだ。

 歴史の検証をする際に我が国の罪を論うことは当然だが、大事なのは古今東西、世界に蔓延る覇権主義の克服を主張する事であって、他国の覇権主義に目を瞑り、一方的に自虐の淵に止め処なく漬かり込むことではない。

 今こそ、戦後の歴史認識の基となった東京裁判の不当性と占領下で実行されたGHQに因る策謀と不条理を徹底して検証しなければならない。

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2018年08月01日

「日中戦争」ではなく「支那事変」「日華事変(日支事変)」。「太平洋戦争」ではなく「大東亜戦争」

 今日は葉月朔日。身を清め、神饌を替え、畏れ多くも陛下の安穏と皇室の弥栄を祈念する。今月は生誕月でもあり、果報を期待している(笑)

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 昨日、二本松の銘菓「玉嶋屋の玉羊羹」を頂戴した。愚生は左党だが甘いものにも目がない。箱には玉羊羹の歴史が書かれた栞が同封してあった。読めば「日中戦争」とか「太平洋戦争」との表記に違和感を覚える。

 やはり日本人なら「日中戦争」ではなく「支那事変」とか「日華事変(日支事変)」、「太平洋戦争」ではなく「大東亜戦争」と呼称すべきで、老舗ならば尚更。こうした何気ないことでもGHQの言論統制の名残を感じる。

 閑話休題。毎年、暑い時期になると6日の広島、9日の長崎と原爆が投下された日に焦点を合わせ、所謂「平和屋」、似非平和団体の主催の「原水爆禁止世界大会」が開催され、原発事後、フクシマも利用されている。

 世界から核兵器が無くなることに越したことはないが、現実的には不可能なことであって、況してや核兵器も保持していない日本国内で「核兵器反対!」なんぞ訴えても何の意味もない。

 この原水爆禁止運動は「世界から核兵器を無くそう」という思う純然たる市民の街頭での署名活動から始まったものだった。

 その署名活動の輪が急速に全国に広がって行くのに目を付けた旧日本社会党と日本共産党がその活動に割り込みを図り、イデオロギーに汚染させ、終には主導権争いを演じて分裂させてしまう。

 それが旧社会党系の「原水禁」と、共産党系の「原水協」である。こうした分裂は教職員組合が「日教組」と「全教」に分断した構図と同じで、こうしたことだけでも連中に「平和」など口にする資格はない。

 連中の目的は「平和」とは名ばかりで、原爆を投下したのが米国だから騒いでるだけの「反米活動」であり、彼らは平和主義によって平和という現実や効果を求めているのではなく、その目的は別に在る。

 彼らのその目的とは言うまでもなく革命であり、我が国柄の破壊である。その目的を達成する上で「平和」という言葉こそが最も効果的な武器なのだ。

 左翼や平和団体の「反米」とは、米軍の実行した戦後民主主義(自虐史観)による洗脳であるが、未だその洗脳から目覚めようともせず、いけしゃあしゃあと「反米」を口にするとは滑稽極まりない。

 原爆投下による被害は甚大ではあったが、原爆投下によって戦後こういう「反米」「反基地」の珍種が殖えてしまったのは皮肉な結果でもある。

 戦後民主主義とは、自国の歴史を汚辱に塗れた過去と捉える自虐史観であるが、たった7年の統治で日本は全く別な国になってしまった。

 その教育で育った者は、国家から恩恵を享けながら、個人と国家を常に対立させ、恰も国家は、人間を抑圧する組織と見做し、反国家反体制のポーズを採ることが進歩的で文化的だと錯覚し、幼稚な正義感を押し付けている。

 戦後GHQの統治下で実行された戦後民主主義教育に因って、日本人の中に別なニホンジンを創り上げた。我が国を実験台にした様々な弱体化政策は米国が予想した以上の成果(悪害)を齎し、我が国を蝕み続けている。

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2018年07月31日

池田太作の地元紙への投稿記事に反創価学会の愚生でさえ感心したのだから信者は感涙に咽び泣いたに違いない(笑)

 地元紙の教養欄に「特別寄稿」として創価学会インターナショナル(SGI)会長で創価学会名誉会長でもある池田太作の投稿が出ている。

「うつくしまルネサンス 福幸を未来へ」と題された記事は、県内の伝統工芸品や福島県民の人柄、戊辰戦争での会津藩の苦労や詩人の草野心平が母親の死で書き留めた「美」の意味など幅広く論じている。

「福島には如何なる艱難にも、共に励まし合って乗り越え、勝ち越え、偉大な創造を成し遂げ往く人間の絆がある」と会津藩を例に、敢えて原発事故という表現を使わずに喩えているが、こそばゆい感じもするが中々好い表現だ。

 所所に宗教家らしい語彙を使い分かり易くも重厚な文章となっている。反創価学会の愚生でさえ感心したのだから信者は感涙に咽び泣いたに違いない(笑)

 投稿の半ばには日本刀の出来上がる様子を表し、人もまた厳しい試練や圧迫に耐え抜いてこそ、刀剣の如く光彩を放つのだと、「美」と「鍛錬(強さ)」の重要性を説いてるが、これは愚生も常々訴えていることだ。

 人を育てるというのは日本刀が出来上がる過程と似ている。日本刀は先ず卸し鉄を「積み重ねる」ことから始まる。そして「鍛錬」し、更に「下鍛え」し、何回も何回も鍛え上げ、「芯鉄」を鍛え、造り込んで行く。叩いて叩いて叩いて鍛え上げることで強靭で且つ美しい立派な刀が出来上がるのだ。

 国士舘の創設者・柴田徳次郎先生もこう訓示している。

「刀というのはトンテンカン、トンテンカンと叩いて叩いて鍛え上げなければ五郎入道政宗とか村正といった立派な刀は出来ません。国士舘の生徒も先生だけの指導だけではダメであります。学校も親も一緒になって、預かったお子さん方を鍛え上げて行かなければ立派な日本人に育てることは出来ません」

 この「トンテンカン」というのは、刀を鍛え上げる刀匠と「向こう槌(つじ)」と言われる相方との遣り取り。刀匠と向こう槌との呼吸が大事で、「相槌を打つ」というのはこの刀を鍛え上げる工程に由来する言葉でもある。

 日本刀を作る上で最も大事なのが「焼き入れ」。鍛錬した刀に焼き入れを行うことで刀に命を吹き込むのだが、鍛錬が少ないと不純物が混じり、また焼き入れが甘いと美しい刀にはならず、出来映えも価値も変わってしまう。

「反りが合わない」という言葉がある。これも刀剣に関する言葉で、「鞘(さや)は一本一本その刀に合わせて作られているオーダーメイドで、違う刀を入れようとしても「反り方が合わない」ので納められない。

 刀身に彫られた溝のことを「樋(ひ)」というが、その役目は「刀の重量を軽くする」「曲がり難くする」「衝撃を緩和する」などの働きがある。単なる溝かも知れないが、溝にはそれなりに意味が在るのだ。

 反りが合わない人や、溝が出来てしまった人間関係は修復することは出来ないかも知れないが、反りや溝になった要因を考えることも大事なことでもある。

 話を戻すが、池田太作は東京大森海岸出身。子供の頃は、日本語の下手糞な無口な少年だったという。父親の名前は「田太作」、母親の姓は「池」。日本への帰化の際に、親の名前の「池田大(太)作」となったという。

 池田太作は、日本を「池田王国」にして国主になることを夢見る。政治、経済、文化、教育、司法等に至るまで自分の力が及び、国民に「池田先生マンセー」を叫ばせるのが夢見。正に国内最大の国賊でもある。

「創価学会」は宗教団体というより、学会員の現世利益を追求する社会運動体であり「公明党」は、それを政治的に実現する為の出先機関である。

 学会の支援を受けて当選した議員は「学会員の為に政治をやれ」と指導を受ける。つまりその学会員の頂点に君臨する「池田太作の為」に行動する。

 創価学会も公明党も極めて戦後民主主義であり、反国家的な団体であり、天皇陛下を族長と仰ぐ日本国家の正統にとっても悉く異質な存在である。

「外参権付与」「自虐史観」「反天皇」「反靖國」と挙げれば限が無いが、今や政治、経済、文化、教育と創価学会は巷に蔓延し我が国を蝕んでいるが、その学会票を当てにして連立を組む自民党というのは正しく似非保守である。

 そんな学会の頂点に君臨する池田だが「福島の天地に脈々と受け継がれ、鍛え上げられてきた『美の心』には幾多の難題に挑む人類に生きる希望と勇気を贈る光が宿っている」と未曽有の困難と闘う福島にエールを送っている。敵ながら天晴!

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2018年07月30日

放射線は100mSvを超えないとホルミシス効果は無い

 原発事故以来、「放射線から子ども守ろう!」といった活動を始め、放射線への恐怖だけが蔓延し、「鼻血が止まらない」とか「奇形が生まれた」などといった荒唐無稽な妄言や流言蜚語が飛び交った。

 放射線は100mSvを超えないとホルミシス効果が無いと言われており、低放射線は生命体が生きて行く上で必要不可欠な要素でもある。

 ホルミシスとは、何らかの有害性を持つ要因について、有害となる量に達しない量を用いることで有益な刺激が齎されることをいう。例えば、毒蛇の血清が毒蛇から作られている様なものだ。

 放射線は多少の損傷を修復したり、異常を起こした細胞を死滅させたりする効果がある。放射線治療が正にそう。

 人類は放射線を利用しながら進歩して来たと言っても過言ではなく、逆を言えばホルミシスにも役に立たない程度の放射線は科学者にとって研究対象にもならない。科学や工学は、役に立って初めて意味あるものとなる。

 放射線以外で例えば「塩分」も生きる上では必要な栄養素。摂り過ぎると高血圧や脳卒中の原因になると言われているが、摂取しなけりゃ死に至る。

 我が国の基準値は本来、最高血圧が160~最低血圧が95mmHgだったのだが、20平成12(2000)年に、最高血圧140~最低血圧90に引き下げた。

 昨日まで血圧が150~92という正常値だった健康な人が、いきなり高血圧患者されることとなり、病人にされてしまった。

 この基準値を下げたことで新たに2100万人の高血圧の患者が増え、これまでと合わせ3700万人が高血圧となり、これに比例して癌患者が殖えた。

 面白い統計がある。80歳の人の5年生存率を最高血圧から調査した研究によれば、最高血圧が180以上の人達の生存率が最も高くなり、最高血圧が120~140のグループの生存率が一番低いという。

 抑々、高齢になると血圧が高くなるのは正常な生理作用でもある。それを薬で無理無理下げてしまうことでリスクが発生するのは当然といえば当然のことだ。だが、何故か是正されることはなく薬が処方されている。

 放射線も同じで浴び過ぎると「癌」になり易くなるという単純な理屈だけだ。福島の放射線はホルミシスにもならない微量な線量を怖がって避難指示が出され、科学的根拠もない除染に莫大な血税が費やされている。

 人は必ず死ぬし、日本では今や国民の三分の一が癌で亡くなると言われている。癌は別に放射線だけによるものでもないし、怖いものでもない。

「患者よ、がんと闘うな」を上梓し「癌は切るな」「癌検診、百害あって一利なし」という独自の理論を展開する慶応大学の近藤誠はこう語る。

「癌治療が苦しいのは、手術や抗癌剤治療を受けるからで、これらをなるべく避けて治療すれば、治るものは治るし、治らない場合にも、そう苦しまないで済む対処法も進んでいるから末期癌でも最後まで意識清明でいられる」

 放射線や受動喫煙の発癌性をとやかく言うが、降圧剤は発癌性も然ることながら感染症のリスクも増すことも報告されている。福島原発事故に因る放射線やタバコより降圧剤に因る弊害の方が遥かに高いが、何故か騒がれることはない。

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2018年07月29日

朝河貫一博士は米国にとって都合の好い日本人だった

 地元紙に朝河貫一博士の第3回目の特集記事が出てた。これを読むと、尋常中学(現安積高)や学生時代の多感な時期に英語教師とキリスト教との出会いが、その後の朝河の人生を決定付けた様に思う。

 東京専門学校(現早稲田大)に入学して間もなく、中学時代の英語教師の月々の給料120円(現在で240万円)が高過ぎるとの理由で解任されるに当たって福島県議会に建白書を送っているが、月々240万円は幾ら何でも高いだろう(苦笑)

 こういう疑問より議会に抗議するというのも、若い頃の特権と言えばそれまでだが、何か若い時分から正義を履き違えている様にも見える。

 この英語教師だが、通信技師として来日する前は、インドや米国、支那などへの渡航歴があり、そうした海外の現状を朝河に話したであろうことが想像出来る。朝河の思想形成はこの英語教師に拠るところが大きい。

「上京翌年にはキリスト教の洗礼を受けてキリスト教徒になった」とある。やはり朝河の正義感や行動の裏にはキリスト教徒の教えがあることが窺える。

 アジアの動乱の原因は昔から米国と共産主義だった。大東亜戦争にしても米国とソ連コミンテルン、中国共産党、そして日本の共産主義者が仕組んだ共産革命実現の為の愚かな戦争であったというのは歴史的に明らか。

 19世紀末から20世紀前半にかけアジアの動乱に米国人宣教師の果たした役割は大きく、日露戦争後の動乱全てにキリスト教徒と天道教徒が係っている。

 日露戦争後の朝河の行動も正にこれと同じで、キリスト教徒としての策謀が見え隠れする。日露戦争勝利後、国内では「ロシアから賠償金を貰え」とか「朝鮮半島の権益を分捕るべきだ」という強硬な世論が席巻していた。

 日露戦争そのものを批判していた朝河は、まさかの日本勝利に驚くも「日本は金や領土の為ではなく、アジア解放という大義の為に戦ったのだから、そんなものを要求してはならない」と説いて回った。

 ロシアとの講和では満州に於ける権益を得るも、朝河の目論見通りロシアから賠償金を取れず、財政も窮地に立たされる。国民世論は激高し、日比谷焼打事件など各地で暴動が起こった。朝河のしてやったりの顔が浮かぶ。

 だが、日露戦争で我が国が勝利したことで、15世紀の大航海時代以来、白人による世界制覇の滔々たる流れが大きく変化し、全世界の有色人種に強烈な影響を与えることなった。こうしたことも米国の怒りを買った。

 日露戦争勝利から15年後、パリ講和会議に於いて我が国は、国際連盟規約に「人種平等の原則」を入れる提案を行うも、米国大統領ウイルソン議長に「全会一致が原則」との詭弁を弄され拒絶されてしまう。

 米国の人種差別、日本人蔑視は已むことなく、結局、日露戦争が齎した歴史的課題である「人種平等の原則」の本格的実現は、我が国は敗れはしたが大東亜戦争後に漸く実現し、その歴史的大使命が果たされることとなるのである。

 大東亜戦争を戦わなければ米国の人種差別、日本人蔑視は留まるところを知らず、傲岸不遜な世界支配、アジア支配が続いていただろう。

 朝河が、戦争回避の為に陛下へ親書を認めたというのも詭弁であり、米国内の日本人蔑視である「黄禍論」には傍観を極め込んで何が戦争回避か。

 朝河は平和主義者などではなく、米国の意の下に行動していたスパイであり、米国にとって利用価値のある都合の好い日本人だっただけだ。

 キリスト教徒の工作は枚挙に遑なし。ハーグの国際会議後の動乱は、安重根に代表される様にキリスト教徒が主体で、明治43年(1910年)8月に発覚した「寺内総督暗殺未遂事件」で122人が逮捕されているが、その殆どがキリスト教徒だ。

 米国に本部が在る朝鮮独立の為の秘密結社「新民会」が「五賊」「七賊」所謂「親日派」の大臣暗殺計画を行っているが、これも米国とキリスト教が暗躍している。3.1独立運動。支那での5.4運動然り。

 反日テロを繰り返し、支那事変から大東亜戦争へ進んで行くのも、キリスト教徒と共産主義の巧妙な活動が最大の原因だったのは今や歴史的事実である。

 20世紀とは、自由と平等の名の下にプロレタリア独裁を標榜する共産主義が猛威を振るった時代であり、今正に、キリスト教徒の望んだ中国共産党が世界の脅威となっているのは米国の悪因悪果、因果応報でもある。

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2018年07月27日

「敗戦は必定なれど三春に倣うべからず」(二本松藩家老・丹羽一学)

 戊辰戦争から今年で150年を迎える。会津武士道の昇華を白虎隊に例えるのなら、二本松少年隊は正しく二本松武士道の昇華そのものだろう。

 慶応4(1868)年、西軍の会津征伐に於いて二本松藩の家老・丹羽一学は「敗戦は必定なれど三春に倣うべからず。二本松は城が灰燼に帰し、一族屍を野に曝すとも武士道と信義に殉ずべきである」と、藩論を徹底抗戦に纏め上げた。

 同年7月27日、木村銃太郎隊長(22)に率いられた少年隊士23名が蹶起する。会津白虎隊士の構成年齢が16~17歳だったことに対し、二本松少年隊の最年少隊士の年齢は僅か12歳だった。少年隊は、城下西口の要衝である大壇口に布陣。

 7月29日午前9時頃、少年隊は隊伍を組んで進軍してくる西軍に向かい、銃太郎の号令一下、轟然と火を吹いた少年隊の大砲によって、終に戦史に残る激戦が開始される。だが、奮闘空しくその日のうちに落城してしまう。

 これを以て、「二本松藩との戦いは易易だった」と罵詈を浴びせる歴史家もいるが、事実はそんな簡単なものではない。

 幕末の薩摩藩士で、後に陸軍元帥となった野津道貫は、戊辰戦争の回顧談(近世国民史)で「兵数不詳の敵兵は、砲列を布いて我軍を邀撃するのであった。我軍は早速之に応戦したが、敵は地物を利用して、おまけに射撃は頗(すこぶ)る正確で、一時我軍は全く前進を阻害された。我軍は正面攻撃では奏功せざる事を覚り、軍を迂回させて敵の両側面を脅威し、辛うじて撃退することを得たが、怨恐らく戊辰戦中第一の激戦であったろう」と語っている。

「射撃は頗る正確で」というのは、スペンサー(元締め)銃を手に奮闘した二本松少年隊の小澤幾弥のことだろう。幾弥この時、弱冠17歳。戊辰戦争前まで江戸で育った幾弥は、新式のスペンサー銃を二本松藩に持ち込んだ。

 二本松の戦いでは、阿武隈川を超え霞ヶ城(二本松城)に殺到する西軍を丘の上から次々と撃ち倒した。だが「最早これまで」と師・朝河八太夫と討ち死にする。砲術師範の八太夫は昨今持て囃されている朝河貫一博士の祖父である。

 二本松藩には、代々「必殺を期すには、斬らずに突くべし」という刀法が伝わっている。これは、浅野内匠頭が江戸城内での一件を聞いた二本松藩初代藩主・丹羽光重が、「何故、浅野公は斬り付けたのか。斬り付けずに突けば好かったものを」と、酷く悔しがったという由来から「斬らずに突け」が伝統となった。

 少年隊士・成田才次郎が、出陣の際に父から訓されたのも、この「斬らずに突け」だった。大壇口から敗走中の混乱で隊士はバラバラになってしまい、才次郎は単独で二本松城下の郭内まで戻るも戦意は尚も旺盛だった。

 才次郎は「必ず敵将を斃してやる」と一の丁の物陰に潜んでいたところ、馬上豊かな武士が一隊を率いてやってくるのが見えた。長州藩士・白井小四郎が率いる長州藩の部隊だった。才次郎、隊列が目前に来るまで充分に引き付る。

「此処ぞ」と大刀を真っ直ぐに構えるや、一気に先頭の白井に向って突進した。しかし、歴戦の長州兵はこの遮二無二突進する小さな刺客に即座に反応し隊長を護るべく馬前に出る。白井は「子供じゃ、手を出すでない」と声を掛ける。

 白井は、突っ込んで来るのが子供だと瞬時に見抜き、兵を制した。だが、それが徒となり、才次郎の剣は狙い違わずこの敵将の脇の下から胸部を突き刺した。

 白井、どうっと落馬する。驚愕した長州兵らは慌てて才次郎を捕えようとするが、刀を振り回す才次郎に近寄ることも出来ない。已む無く鉄砲を使い、漸くこの小さな勇士を倒すことが出来た。このとき才次郎、14歳。

 現在、長州藩士・白井小四郎の墓が市内の真行寺に残っている。維新後の明治3年には、長州藩から香華料として金二両が納められた。少年への一瞬の憐憫が自らの死を招いたこの将の墓前には、今でも多くの参詣者からの香華が絶えない。

 西軍が城に迫ると、大城代・内藤四郎兵衛は「我は城の主将たり、虚しく内に在って死すべきにあらず」と城門を開いて討って出る。敵軍との奮戦激闘の中、見事な最期を遂げた。四郎兵衛の最期、潔さは、二本松藩士の鑑と称されている。

 丹羽和左衛門は床机に腰掛けて割腹し、膝上に広げた軍扇の上に自らの内臓を引き出して立亡していたという。正に鬼神となりし。

 徹底抗戦を唱えた家老・丹羽一学は、城の土蔵奉行宅で郡代見習・丹羽新十郎、城代・服部久左衛門と共に壮絶な割腹自刃を遂げた。一学の辞世は「風に散る 露の我が身はいとはねど 心にかかる 君が行末」である。

 少年隊を始め、多くの二本松藩士や先人らは藩と己の名誉を守る為に堂々と戦い、そして潔く散った。こうした純真無垢な殉国精神は、大東亜戦争で散って行った特攻隊の英霊の精神とと通ずるものが在るだろう。

 祖国を守る為に尊い命を捧げた特攻精神は祖国愛の極致であり、「神風精神」こそ大東亜戦争が自存の為の祖国防衛戦争であったことの証である。

 二本松少年隊然り。人というのはどれだけ生きたかではなく、どう生きたかが大事であり、特攻隊員や二本松少年隊の覇気に学ぶものは多い。

 二本松に生まれ育った者として、また二本松剣友会の末席を汚した者として、二本松少年隊や先人らの生き様に感謝せずにはいられない。合掌。

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2018年07月24日

朝河貫一博士が持て囃されているが

 二本松出身の朝河貫一博士が持て囃されている。別に同郷の学聖を貶す訳ではないが、朝河博士が唱えた平和主義は米国の国益を優先した平和主義であり、敗戦後の日本における蔓延してる戦後民主主義と同じ価値観である。

 県立図書館では「海を渡ったサムライ‐朝河貫一没後70年記念展」が開かれており、昨日も郡山市で「朝河貫一博士からのメッセージ」が催された。

 幼少期から勉学に励み、早稲田大学を経て米国の大学に学んだ向学心は認めるが、その正義感は多感な時期に形成される幼稚な正義感でもある。

 朝河博士の歴史認識、取り分け明治維新後の近代史に着目すれば、日露戦争から大東亜戦争に至るまで当時の日本の外交や軍国主義の台頭を批判している。

 これをしても、朝河博士の平和主義は日本人としての思いというより、米国の国益に適った米国の戦いを正当化するものでしかない。

 米国内では日本人を好戦的人種であるとして「黄禍論」を煽り、軍閥の独断専行であると批判しているが、朝河博士の主張もこれと同類である。

「日米開戦回避に奔走した」というが、朝河博士の主張は我が民族の精神と恒久的平和主義を根底から否定することから始まっており、要は、戦争回避が不可能というのを見越した上での在米日本人の言い訳でしかない。

 天皇陛下への親書が戦争回避に繋がると思っていたとしたら実に御粗末な話だ。欽定明治憲法下に於いては、国務は国務大臣、統帥は参謀総長及び軍令部長が陛下を輔弼し、その責に任ずることになっている。

 陛下には、法的な責任も戦争回避を決断する御立場にはあらせられない。だが、逆の見方をすれば、戦争を実行したのは昭和天皇という考えているのだろう。戦後の共産主義者らが謀った「昭和天皇戦争責任論」と同じである。

 戦争回避を実現したかったというのが朝河博士の真意ならば、昭和天皇ではなく、当時のルーズベルト大統領を筆頭に米国名に横溢していた日本と日本人への偏見を糺すことこそすべきだったのではあるまいか。

 大東亜戦争前、国会に於いて戦争回避の演説を行い、対米戦争は間違いであると批判したのは大日本愛国党総裁の赤尾敏唯一人だった。

 右翼は好戦家だと言われるが、その実は共産主義者こそが好戦家なのである。先の大戦も戦争犯罪人は大日本帝国憲法でもなく、統帥権でもなく、況して軍部でもなければ日本の軍国主義でもない。

 先の大戦に於ける真の戦争犯罪人は近衛文麿と尾崎秀美らそのブレーン達、即ち日本国内で蠢いていた共産主義者らであり、マルクス・レーニン主義という悪魔の思想が昭和の悲劇を生んだということは今や歴史的事実である。

 多くの戦死者、戦災者を出し、日本の資産の大部分を失った大東亜戦争とは、ソ連コミンテルンと中国共産党、そして日本国内の共産主義者が仕組んだ共産革命の実現の為の争いであったが、支那事変や満州事変を断じた朝河博士も同列である。

 朝河博士が平和主義者なら、批判すべきだったのは十五世紀の大航海時代以来の、白人による世界制覇と人種差別と植民地支配であり、開戦の決断に至る「ハル・ノート」であり、敗戦後の米国が行った様々な不正義と不条理であった。

 朝河博士の理念は我が国の歴史の否定あり、戦後の米国が押し付けた戦後民主主義教育と同じである。ここに来て朝河博士が持て囃されるのも、未だ我が国が米国の価値観とまやかしの平和主義から目醒めていない証左でもある。

 米国の平和主義は傲岸不遜な不正義でもある。そうした米国の国益を重んじた朝河博士が、平和主義者というのはチト持ち上げ過ぎだろう。朝河博士も余りの持ち上げぶりに草葉の陰で赤面してるのではあるまいか。呵呵大笑。

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2018年07月23日

「大聖寺盆施餓鬼並びに新盆供養会のご案内」という胡散臭げな新聞広告

 今日の新聞には共同通信社の定例の世論調査が出ている。この数字に意味はないが、要は、世論調査での質問はマスコミが誘導したい作り上げたい世論であり、反対意見の多くはマスコミやの新聞記事を鵜吞みにしてる情報弱者に拠るものだ。

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 閑話休題。新聞の社会面に「大聖寺盆施餓鬼並びに新盆供養会のご案内」という広告が出ていた。説明文を読むと何か胡散臭さがプンプン。考えた本人はさぞや御満悦な様子がイタイほど伝わってくる(苦笑)

「毎年八月恒例のお盆の法要は、現在本堂修復工事中であり、猪やアライグマ等の『森の友だち』跋扈する境内では安全保障されないと判断し、大聖寺本堂では再稼働が出来ない為、友情と思いやり溢れるノンフィクション学園ドラマ「(仮称)いい土地&いいね!アッキー登場熱望と妄言忘却の実践活用編」の放送を待ち焦がれる大聖寺住職から、美しい国の外遊過多で蚊帳の外化と賭博化を危惧しつつ、真夏日猛暑日(再来年如何に)をお過ごしの檀信徒様にご参会下さるよう『憲法二十一条』言論表現の自由と丁寧な説明を以て案内申し上げます」

 非常に意味有りげな言葉で、原発と森友学園問題への揶揄、安倍の外交を「外遊過多」腐し、「蚊帳の外」と拉致問題は他人事、IR法案を暗に批判する。ここまで来れば最早ビョーキ。檀信徒が可哀想にも感じる。

 最近の坊主というのは世襲というか家業の様なもので、ロクに修行もせずとも後継者になれる。収入は檀信徒からの御布施と葬式。開祖の坊さんらよりも立派で煌びやかな衣装を身に付けて御経を唱え、それを遺族らが有り難がる。

 修行不足も然ることながら、世間とは隔たった環境に居る為に考えも軽軽しく、幼稚な正義感をひけらかし、偏狭な倫理観を押し付けてる坊主も少なくない。

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 大聖寺といえば「親父の小言」が有名で、考えされる文言が多いが、それと比べると同じ寺の住職とは思えない軽佻浮華ぶり。

「親父の小言」とは、相馬藩大聖寺暁仙僧上が昭和3年に書き残したとされるもので、中々含蓄のある言葉が多く、県内では額に入れ飾っている家庭も多い。「親父の小言」がラベルになった日本酒もあり贈答に喜ばれている。

 【親父の小言】

 火は粗末にするな
 朝きげんよくしろ
 神仏をよく拝ませ
 不浄を見るな
 人には腹を立てるな
 身の出世を願へ
 人に馬鹿にされていよ
 年寄りをいたわれ
 恩は遠くから隠せ
 万事油断するな
 女房のいうこと半分
 子のいうこと八九はきくな
 家業は精を出せ
 何事もかまわずしろ
 たんと儲けてつかへ
 借りては使うな
 人には貸してやれ
 女郎を買うな
 女房を早く持て
 難渋な人にほどこせ
 生き物を殺すな
 年忌法事をしろ
 義理は必ず欠くな
 ばくちは決して打つな
 大酒は呑むな
 大めしを喰うな
 判事はきつく断れ
 世話焼になるな
 貧乏を苦にするな
 火事の覚悟をしておけ
 風吹きに遠出するな
 水はたやさぬようにしろ
 塩もたやすな
 戸締まりに気をつけろ
 怪我と災は恥と思へ
 物を拾わば身につけるな
 小商ものを値切るな
 何事も身分相応にしろ
 産前産後を大切に
 小便は小便所へしろ
 泣きごとは必ず云うな
 病気は仰山にしろ
 人の苦労を助けてやれ
 不吉は云うべからず
 家内は笑ふて暮らせ

(福島県相馬市 大聖寺 暁仙 昭和三年)

 確かに小言には「ばくちは決して打つな」とある。IR法成立が賭博化と言いたいのだろうが、一回6000円も入場料を取られる博打に一般人が行けるとは思えない。賭博化云々ならば毎日やれるパチンコを危惧し批判するべきだろう。

「火事は覚悟しておけ」とある。先の大震災は火事ではないが、災難はいつあるか分からないから用心し、また起きてしまった事は災いと思って受け入れるべしという戒めだろうが、いつまで原発事故を利用するのか。

 況してや「泣き言はいうな」「怪我と災は恥と思え」とか「自らに過信するな」とあるが、この案内状はそうした訓えと逆行してはいないか。

 何より「小便は小便所でしろ」と言ってる様に、何事も決められた場所で行えということ。仏門にいる者が何を勘違いしているのか。大聖寺というと真言宗だが、まるで共産党に牛耳られた浄土真宗大谷派と似たり。

 詩文にも秀でた開祖の空海(弘法大師)と比べるのも痴がましいが、こんな仏の道の訓えとは程遠い御粗末な文面を書いて悦に入ってるようじゃホント情けない。相馬藩主とも縁のある由緒正しき寺にしてはその浅識甚だしい。

 浪江の被災者として、もう十分な補償は戴いたのだろうし、その過分な金の一部を使って修行し直しなさいな。南無大師遍照金剛。Ω\ζ゜)チーン 合掌。

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2018年07月21日

福島を貶め続けてる山本太郎が「カジノより被災者を助けて」だってよ(苦笑)

 統合型リゾート施設(IR)整備法が成立した。野党は「災害よりギャンブル」だと、被災者を利用してまで政権批判とは飽きれるばかり。

 立憲民主党の枝野は「被災者よりギャンブル」と言いながら、被災者対策の法案を阻止するかの如く、内閣不信任案を提出し、その趣旨説明を延々と話し続け、実に2時間43分の国会演説最長記録を樹立した(苦笑)

 山本太郎が垂れ幕を掲げて「カジノより被災者を助けて」と己のパフォーマンスを自画自賛しているが、何かの間違いではないのか。

 福島原発事故後、山本は「福島県内の農家は汚染物を作りバラ撒き続けている」「福島県産を買うくらいなら中国産を買う」などと福島県を貶め、福島県人への差別を助長したことは絶対に忘れない。

 山本を筆頭に反原発派というのはフクシマを利用し、原発事故にもめげずに福島に留まり頑張ってる県民に対しても「福島から一刻も早く避難したいと思っている多くの人の邪魔をしているだけだ」と口外して憚らない。

 そんな輩らが「良識の府」と呼ばれる参議院で、ああした被災者に寄り添ってるかの様なパフォーマンスに興じていることに嫌悪感を覚える。

 抑々、参議院とは「良識の府」。その良識とは「政治的良識」であり、更にはその行動や言論にも政治的良心が備わっていなければならない。

 党利党略、パフォーマンスを優先し憲政史上例がない国会本会議で、ああいう御粗末な垂れ幕を掲げて悦に入る彼奴らに、政治的良識どころか一般的な日本人的良心も備わっているとはとても思えない。

 IR法案(カジノ法案)に反対する勢力は、ギャンブル依存症を論い、「賭博で負けた人の金を巻き上げて経済成長しようというのか」と批判する。

 それを言うなら、何故に競馬や競輪、競艇やオートレースなどの公営ギャンブルを廃止するなどの対策は講じたのか。何より「健全な娯楽」とは程遠いパチンコの規制や廃止は何故に声を上げないというのは整合性に欠けてはいないか。

 恥ずべきことに日本の基幹産業となってしまった感のあるパチンコ産業だが、パチンコを「健全な娯楽」などと思ってる人などいないだろう。

 パチンコの営業形態は「風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律(風適法)の第二条第一項第七号」に基づいて運営される。

 風俗営業として、客が遊技の結果得た鋼球をパチンコ店が指定する特殊景品と交換し、景品買取業者(古物商)が運営する景品交換所がそれを買い取る形で現金と交換するシステムだが、これが射幸心を煽りギャンブル性を高めている。

 風適法により形的には一見合法となってはいるが、実態は完全な賭博。然し、何故か規制されずに許可され続け、その結果、犯罪の元凶となり、自殺や家族離散、自己破産などなど不幸を量産している。

 諸悪の根源でもあるパチンコが何故に規制されないのかといえば、規制すべき警察の天下り先となり、今やパチンコ産業はテレビ新聞の大スポンサー。

 マスコミは、ギャンブル性の強いパチンコやパチスロの違法性や警察官僚や県警幹部の天下りを糾弾すべき立場にいながら、スポンサーの御機嫌を伺い、拱手傍観を極め込んでいるというのが実態なのだ。

 カジノ利権もパチンコの利権や原発事故を利用した再生可能エネルギー同様、誰かが美味しい汁を啜るのだろうが、パチンコや再生可能エネルギーと同じく、意外と自民党より野党を支持してる勢力だったりして(笑)

 愚生の場合カジノというのは行ったことは無いが、競馬や競輪の様に誰でもサンダル履き、ステテコ姿で入場出来るのか?

 カジノへの入場料が6000円、然も日本人は多くて週に3回、月に10回までと決められており、ドレスコードなどもあるだろうし、毎日行けるパチンコと違ってギャンブル依存症になる人が出るとも思えない。

 大手製紙会社のボンボンがバカラ賭博で大損したり、地元郡山市でもヨークベニマルの故大高善兵衛が破産したり、湖南交通のバカ息子が大負けして親にケツを拭いて貰ったりした例があるが、そんなのは稀だ。

「ギャンブルはダメ」「タバコもダメ」といった規制ばかりを強化することで、融通の利かない堅苦しい社会に変質して行くのと比例して、無秩序を溜め込んで精神を病む人が殖えるだろう。何事も程好い「遊び」というのは大事なことだ。

 競馬や競輪もパチンコも息抜きだが、パチンコは公営ギャンブルではなく民間企業が経営しており、それ故に経済の波及効果は無く、ハマればハマるほど不幸が量産されて行く。IR法案に続いてパチンコを規制すべし。

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2018年07月20日

福島県内で中日新聞主催の講演会が行われる不思議

 地元紙に先月28日、三春町で政治学者の姜尚中と三春町在住の玄侑宗久が「こころの好縁(こうえん)」と題した講演内容が載っている。

 主催は何故か朝日新聞よりも悪質な中日新聞。この2人に中日新聞の主筆小出宣昭が加わり「東日本大震災と東京電力福島第一原発事故からの真の復興と日本の行方について考える」との内容から、その胡散臭さが分かるというもの。

 姜尚中は本名は「長野鉄男」。熊本県出身だが、朝鮮名の方が何かと便利なので朝鮮名を名乗っている。東大名誉教授の肩書と物静かな物言いが尤もらしく聞こえるが、その内容は実に薄っぺらなオナニー的主張ばかり。

 姜は、東日本大震災での犠牲者を数字の大小で表した「定量化」に強い違和感があったという。暗に、原発事故での避難者に限らず、数字で表せない放射線被害者はそれ以上にいると言いたいのだろう。

「死者は第二次世界大戦より少ない」という戦争経験者もいたという。そんなことを言った戦争経験者がいたとは思えないが、こういう如何にもといった例を出して聴衆を誑かすのは姜の得意とするところ。

 エネルギー政策を考えるのは好い。だが「軍艦島からエネルギーの明治150年を追い掛けてきた」と腐し、「日本列島のどこで震災が起きてもおかしくない。南海トラフ巨大地震が発生したら犠牲者は天文学的数値になる」と危険を煽る。

 要は、南海トラフ上に在る静岡県の浜岡原発と四国愛媛県の伊方原発のことを示唆してるのだろう。その上で熊本地震の例を挙げて「被害状況をお金に換算した」ことを批判する。これも被害額と実際の犠牲者数は違うと言いたいのだろう。

「情を持ち、筋道を立てる理(ことわり)を尽くすのが政治」というのに異論は無い。だが、姜はこう続ける。「情もなく理もない現在の政治に大きな疑問を感じる」と暗に安倍政権を批判する。要はコレを言いたいのだろうな(笑)

 玄侑宗久は三春町の臨済宗福聚寺住職で「中陰の花」で芥川賞を受賞した人物。地元紙のコラム「日曜論壇」にも登場する無自覚左翼。否、左翼活動家といっても好いくらいその考えは偏狭的且つ左翼的だ。

「知識の分断を懸念する」とは何のこっちゃと思えば、空間(室内)放射線線量「毎時0.23μ㏜(マイクロシーベルト)」について、国の放射線審議会が「市民が混乱するから基準の数値は変えない」という方針に苦言を呈す。

 愚生も毎時0.23μ㏜には違和感を覚えている。この数値は年間被曝線量を1m㏜(ミリシーベルト)とした場合の数値だが、国際基準は年間被曝線量は20m㏜であり、除染作業にしろ復旧復興の遅れもこの数値が元凶でもある。

 年間被曝線量1m㏜は原発事故が起きた際の民主党政権下で、大の嫌煙家で健康オタクの小桧山洋子を中心に国民議論もなく実行されたものに過ぎない。

 玄侑はこの数値を更に厳しくするべきだとの認識から批判する。その上で「再び原発事故が起きたら知識の分断が起こるだろう」と妄想を逞しくする。

「知識の分断」とは哲学的ではあるが全く以て意味不明。そういうことを聴衆が聞いて理解したとは思えない。分かったフリをしているだけだろう(笑)

 原発事故は民主党政権下で菅直人が引き起こした「人災」である。大事なのは二度と人災を繰り返さない為にはどうすべきかであり、またこの事故での教訓を将来どう活かすかだ。「再び原発事故が起きたら」とは他人事にしか聞こえない。

 国内原発に限らずいつか起こるであろう韓国や中共、或いは世界に在る原発事故に対して、福島原発事故の収束技術と正確な科学的データが活かされることこそ大事であって、被曝線量を見直して基準を高くすることではない。

 玄侑は「市町村の自治体がしっかりしていれば災害にも素早く対応できる」と述べている。ならば、西日本での豪雨災害も同じだろう。自治体の問題点は沈黙し、「赤坂自民亭」と揶揄し安倍政権のみを断じるのは整合性に欠ける。

 この二人に共通するものは安っぽい正義感と偏狭な主義主張の押売り。抑揚を抑えて如何にも正論ぶるが中身は全く無い薄っぺらい倫理観でしかない。

 鼎談の目的は「フクシマ」を利用した反原発運動と安倍政権批判であり、鼎談の中身も上っ面のキレイゴトを滔々と語っているに過ぎない。

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