2020年08月02日

人生とは長く生きた年月ではなく如何に生きたかという中身が大事

 今日で還暦を迎えた。断っておきますが「誕生日おめでとう」というメッセージは要りません。貰っても嬉しい訳でも無し、返信するのも面倒臭いし(笑)

 孔子は「吾、十有五にして学に志す、三十にして立つ、四十にして惑わず、五十にして天命を知る、六十にして耳順う、七十にして心の欲する所に従えども矩を踰えず」と訓えた。過去の人生を振り返れば恥入ることばかり。

「六十にして耳順う」とは「他人の意見に反発を感じることも少なくなり、素直に耳を傾けられるようになる」らしいが、愚生の性格からして共産党や無自覚左翼の異なる意見や生理的に合わないヤツには死ぬまで反発してると思う(笑)

 今年行われる予定だった同級会での還暦祝いはコロナ禍で延期となった。還暦祝いでは、赤色の頭巾やちゃんちゃんこなどを贈る習慣があるが、これは昔は魔除けの意味で赤ちゃんの産着に赤色が使われていたことの名残り。

 還暦は「生誕時に還る」という意味で、還暦とは「干支(十干十二支)」が一巡して誕生した年の干支に還ること。本卦還り(ほんけがえり)とも言い、生まれた年の干支と同じ干支の年が来ることで「暦が還る」となる。

「十二支」は子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥の12種類。「十干」は、甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸の10種類。「干支」の組み合わせが60通りある。愚生が生まれた昭和35年は「子年庚子」となる。

 活動家時代、物心両面で支援して頂いた大手警備会社の会長から「活動家が長生きすると惨めな生活しか待ってませんよ」と言われた言葉を思い出す。右翼になった頃、まさか還暦を迎えるなどとは思いもしなかった(笑)

「社会は肉体の安全を保障するが、魂の安全は保証しない」と言ったのは三島由紀夫。大事にしなければならないものは肉体より魂や精神性であると思う。

 過日、石原慎太郎が難病のALS(筋萎縮性側索硬化症)を患った女性の尊厳死に関し、ALSを「業病」に準えて批判されている。業病とは前世の悪行の報いで罹るとされている治り難い病気のことだが、業病とはオカルトや宗教に行き着く。

 石原のツイートでの「業病」ばかりが問題にされて感情的に批判に曝されてるが、肝心な中身が伝わって来ない。ツイートの「業病」を消すとこんな感じだ。

「ALSに侵され自殺のための身動きも出来ぬ女性が尊厳死を願って相談した二人の医師が薬を与え手助けした事で『殺害』容疑で起訴された。武士道の切腹の際の苦しみを救うための介錯の美徳も知らぬ検察の愚かしさに腹が立つ・・・」

 別に石原は好きではないがこの言葉は決して批判されるものではない。死生観の違いだが、愚生も他人を煩わせてまで長生きはしたくない。安楽死というより「尊厳死」というのは生きる上での選択肢の一つとして有っても好いと思う。

 石原を右翼であり、真の保守だと勘違いしている人も多いが、石原は橋下徹などと同じ反天皇論者だ。石原という男は言葉の過激さ故に支持されて来た。一方で、批判されるのは過激な言葉と逆行する言葉の軽さが目立つ。

 国旗、国歌についても「日の丸は好きだけれど、君が代って歌は嫌いなんだ、個人的には。歌詞だってあれは一種の滅私奉公みたいな内容だ。新しい国歌を作ったらいいじゃないか。好きな方、歌いやいいんだよ」と、毎日新聞のインタビューに答えているが、これが石原の本音であり正体である。

「滅私奉公」だとして、それの何が悪いのか。今や「滅私奉公」という言葉は死語だ。自己犠牲を中心にした無理な生き方より自分本位の生き方が優先される時代に於いて、滅私奉公を想像させるのであれば結構なことではないか。

 三島由紀夫は石原慎太郎と「守るべきものの価値」との対談の中で、三島が「日本のアイデンティティーとして三種の神器、宮中三殿を守らなくてはならない」と発言すると、石原は「またそんなことを言うの」と三島を小馬鹿にし、国體や皇統を否定している。これを以てしても保守や右翼とは真逆の輩といえよう。

 石原はよく三島由紀夫と比べられることがあるが、石原には武士道が重んじる「礼節」や「尚武の精神」というものが全く備わってはいない。

 武士道に通じる三島との大きな違いはそこだが、ALSの女性への尊厳死を「武士道の切腹の際の苦しみを救うための介錯の美徳」との言葉に違和感を覚える。

 石原慎太郎も長生きし過ぎた。作家であり発する言葉は巧みではあるがその言葉に魂は入っていない。そろそろ楽隠居した方が好いと思う(笑)

 釈迦牟尼は「長生きは無間地獄」と言ってるが正しく。人生とは長く生きた年月ではなく、如何に生きたかが大事。右翼浪人として、残り少ない人生の中で一旦緩急が有ることを願い、義勇公に奉じて人生を閉じたいものだ。呵呵。

※コメントは会員のみにさせて頂いておりますが、コメント入力希望の方はパスワードを教えますのでmr.cordial@live.jpへ御気軽にメールを寄せられたい。

《会費&御支援》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ

cordial8317 at 07:42|PermalinkComments(0)

2020年08月01日

今や8月15日の靖國神社参拝が保守派の踏み絵になっているが

 葉月朔日ということで身を清め、神饌を替え、陛下の弥栄と心願成就を懸ける。今月は個人的には還暦を迎える。実に感慨深くもあり、羞かしくもある。

 今月は所謂「終戦記念日」がある。今年もまた右翼団体や営業保守、ネット右翼らが靖國に参集しパフォーマンスを繰り広げると思うと鬱陶しくもある。

 8月15日は終戦記念日ではない。8月15日は「戦没者を追悼し平和を祈念する日」であり、戦没者は何も靖國神社に祀られている英霊だけではない。保守派や右翼団体らが靖國神社に拘れば拘るほど靖國神社が国民から遠退いていく。

 8月15日は「終戦記念日」ではなく、平和を祈念する「平和祈念日」と称するべきだろう。「記念」とは「思い出」という意味であり、平和を「祈念」するなら未だしも、何故に戦争終結を記念しなきゃならないのか。

 国民の殆どが疑いもなく「終戦記念日」という呼称を使い続けてるが、これ正にGHQに因る洗脳であり、戦後民主主義教育の象徴でもあり、要は「(米軍のお陰で)戦争が終わってめでたしめでたし」ということなのだろう(苦笑)

 ポツダム宣言による降伏文書に調印した日は昭和20年9月2日。連合国はその翌日3日を「対日戦勝記念日」としている。15日は「玉音放送」が流された日というだけで、我が国の「終戦の日」は主権が回復した昭和27年4月28日である。

 保守派の論客である小堀佳一郎が「終戦の詔勅奉戴日こそが御親拝に最も相応しい日である」との持論を垂れ流し、それを営業保守派が追随する。戦没者は別に靖國の英霊だけではないのに、正しく靖國を利用した売文である。

 小堀のいう「終戦の詔勅奉戴日」とは8月15日であり、あろうことかこの日を「終戦記念日」と称する御粗末さ。「大東亜戦争終結に関する詔勅」の渙発は二日前の13日。公布したのが翌14日。15日は「玉音放送」が流されたが終戦ではない。

「大東亜戦争終結ニ関スル詔勅」に由り、形的に戦争状態を停止したということに過ぎない。だが、「日ソ不可侵中立条約」を一方的に破棄した旧ソ連は満州や南樺太に侵略を開始した。ソ連軍との戦闘は8月15日以降も続けられいている。

 樺太真岡郵便局の女子局員9名が青酸カリを服用し壮絶な最後を遂げたのはソ連軍が侵攻して来た8月20日だ。こうした事実をしても、8月15日を「終戦記念日」とか「終戦の詔勅奉戴日」として靖國神社に詣でる意味が分からない。

 今では8月15日に靖國神社に参拝するのが保守派や右翼の踏み絵になってるが、この8月15日に初めて参拝したのは三木武夫で、公式参拝したのは中曽根康弘。

 中曽根以降、公式参拝をした総理大臣はいないが、その公式参拝は中共からの抗議で直ぐに撤回して謝罪した。8月15日を自民党総裁選で利用したのが小泉純一郎であり、安倍晋三も靖國を利用した一人。こう見ると国賊ばかり。

 三木総理以前の総理大臣は春秋の例大祭に詣でるのが恒例だったが、中曽根の公式参拝で靖國が政治問題化して以来参拝出来なくなってしまった。つまり、8月15日の靖國神社への参拝は、三木・中曽根から続く靖國神社冒涜運動の継承である。

 8月15日は遺族の方々が心静かに詣でられる静謐な環境を整えるのが先決であり、あの左右入り乱れての喧騒は頂けない。営業保守派らが「8月15日こそが御親拝に最も相応しい日である」と言うのなら、この日は静かにしてたら如何か(苦笑)

※コメントは会員のみにさせて頂いておりますが、コメント入力希望の方はパスワードを教えますのでmr.cordial@live.jpへ御気軽にメールを寄せられたい。

《会費&御支援》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ

cordial8317 at 07:16|PermalinkComments(0)

2020年07月31日

台湾の新国家建設に貢献した李登輝元総統が幽冥境を異に

「台湾民主化の父」であり、台湾の新国家建設に貢献した李登輝元総統が幽冥境を異に。正に「巨星墜つ」。衷心より哀悼の意を表します。

 李登輝元総統の日本名は「岩里政男」。京都大学農学部在学中に日本人学徒兵として召集され出征。名古屋で終戦を迎えた。最終階級は陸軍少尉。

 実兄は「岩里武則」。昭和18年に志願兵として出征し、海軍陸戦隊員としてフィリピン沖で戦死し靖國神社に祀られている。先の大戦では、台湾人は軍人・軍属併せて20数万人が日本帝国軍と共に出征し、戦死者・不明者は53391人に及ぶ。

 日本人として戦い散華した兄弟や同胞が祀られる靖國神社への参拝を何故に許されなかったのか。要は、日中国交条約締結に拠って台湾を見捨てたからだ。

 昭和47(1972)年9月29日、田中角栄首相は「日中共同声明」に調印。「中国共産党を唯一の政府」と認め、我が国が主権回復した昭和28(1953)年4月28日に締結した国際法規である「日華国交条約」を一方的に破棄するに至る。

 日華国交条約を破棄された中華民国は直ちに我が国との国交を断絶する。我が国が台湾を国家として認めていないのは田中の国際条約の蹂躙が原因。主権国家として実に恥ずべきことであり、道義国家として断じて赦されるものではない。

「日華国交条約」の破棄は、正しく終戦間際に「日ソ中立条約」を一方的に蹂躙したロシアの蛮行と同じであり、道義国家日本が失墜した象徴でもある。

 国際法規である「日華国交条約」破棄は明らかな日本国憲法98条違反。だが、公然の憲法蹂躙に対し護憲派からもマスコミからも糾弾されることはない。

 田中は共同声明で「先の大戦で中国国民に重大な損害を与えたことに責任を痛感し深く反省する」と詭弁を弄した。我が国の土下座外交と自虐的歴史認識は、この田中の謝罪が元凶であり、所謂「河野談話」や「村山談話」より悪質だ。

 先の大戦で我が国が戦ったのは「中華民国」であり、戦後4年も経って建国した「中華人民共和国(中共)」ではない。先の大戦の謝罪も賠償も済んでるにも拘らず田中が中共へ謝罪したことで様々な優遇措置が講じられることとなった。

 悲しい哉、我が国はその台湾を未だに国家として認めることはない。日本人として情けないやら、恥ずかしいやら、申し訳ない気持ちだ。この状態は我が国が主権国家として体を成していない証左であり、こうした不条理を糺さねばならない。

 何故にこうした不条理が罷り通っているのかと言えば、日華国交条約という国際法規の蹂躙と親中派らの中共への媚び諂いが元凶となっているのは言うまでもない。

 李登輝元総統が訪日する度に「ビザ発給」が問題にされたが、日本人として大東亜戦争を戦った元総統のビザ発給などとは言語道断、議論の余地など無い筈だが、親中派の抵抗に因り靖國参拝が実現出来なかったことは断腸の思いだった。

 李登輝元総統が実兄の眠る靖國神社に参拝出来たのは平成19年6月7日のことだった。以前から「李登輝総統の靖國神社参拝を熱望する」というビラを都内に貼っていたこともあり、元総統の靖國参拝が叶った時は感慨深いものがあった。

 親中派は常々「日中は同文同種であり一衣帯水の関係」との認識を示しているが、これは全くの誤りであり、無知以外の何ものでもない。こうした日本人と漢民族は同胞であるという認識こそ中国共産党の策謀に嵌っている証左でもある。

 台湾は中国の一部ではない、台湾は台湾という独立国である。台湾は、国共戦争で敗れた国民党が入植した訳だが、歴史を辿れば日清戦争の戦利品として我が国が割譲された領土である。そうしたことからも日台関係こそ一衣帯水であろう。

 日本の統治時代について日韓併合を論う韓国とは大違いで、台湾の歴史教育は実に公正に教えており、「台湾の近代化にかなり役に立った」という論調で書かれている。インフラのみならず、教育までも日本と全く同じレベルに徹底されている。

 台湾には「日本精神(リップンチェンシン)」という言葉がある。「勤勉である」「約束は破らない」「人を裏切らない」、こういう人を「あいつは、日本精神があるヤツだ」というらしいが、日本人として恥ずかしいやら申し訳ないやら。

 台湾には「信義誠実の原則」という、我々日本人が忘れてしまった日本的価値観の美徳が連綿と生きている。親日国である台湾との友好を深めることは我が国の国益にも適う。日華国交条約の蹂躙を詫び、日台国交の恢復を急ぐべし。

※コメントは会員のみにさせて頂いておりますが、コメント入力希望の方はパスワードを教えますのでmr.cordial@live.jpへ御気軽にメールを寄せられたい。

《会費&御支援》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ

cordial8317 at 05:35|PermalinkComments(0)

2020年07月30日

破天荒な生き様に憧れるが真似しようにも真似出来ない(笑)

 囲碁の第七期会津中央病院・女流立葵杯は藤沢里菜(21)が四連覇を達成した。祖父は故・藤沢秀行名誉棋聖。豪快、華麗な棋風と酒と女と博打、麻雀を愛し、破天荒な生き方で囲碁ファンを始め多くの国民を魅了した伝説の人物である。

 藤沢名誉棋聖は博打と女好きが高じ、ヤクザの高利な金に手を出したお蔭で莫大な借金を抱え、タイトル戦の賞金で支払うしかなく、負ければお終い、首を括らねばならない情況の中での勝負は、正に鬼気迫るものがあった。

 藤沢さんとは、物心両面で世話になった大手警備会社で拝顔の栄に欲したことがある。眼光鋭く、浮世離れした観は独特で、「あの人が藤沢秀行さんだよ」と教えられた時には妙に納得し、感激した覚えがある。

 何でも藤沢さん、若い頃に愛人を何人か囲い、夫夫に子供を儲けてて、その生活費の工面を晩年なってもずっと続けていたそうだ。カネの工面をする方も大変だが、それを支援してやる方も大したものだ。

 右翼浪人として、藤沢名誉棋聖の様な破天荒な生き様をされた方には憧れや尊敬の念を抱くが、真似をしようと思ってもそうは簡単には真似出来ない。

 若手の棋士の育成に力を注ぎ、趙治勲25世本因坊や林海峰・名誉天元らも藤沢秀行に教えを請うた。中共や台湾の棋士の実力向上に大きく貢献し、そうしたこともあって来日した鄧小平副主席の表敬訪問を受けたこともある。

 酒癖は悪い方ではないらしいが、酔うと「お〇〇こ」を連呼するらしく、鄧小平に会った時も酔っ払い、同じ様に「お〇〇このことを中国語では何というのだ」という話しに終始したらしく、面会は途中で中止になったという。

 このエピソードを聞いた時は爆笑したが、どうせ慇懃無礼な支那人のこと、上っ面のことしか言わないだろうから、敢えて業とやったんだろう。

 シラフで同じことを言えば角が立つが、酔っていれば笑って許されることも承知の上という藤沢名誉棋聖らしい行動だったのではないだろうか。

 愚生の場合、鼻に付く先輩などには酒席で意見をする場合がある。喧喧諤諤となるが言ったことは本音だ。だが、翌日には「昨日は酔っぱらってついつい言い過ぎました」と謝ることにしている。酒の所為にすれば大概赦される(笑)

 吉田松陰は「常に直諫なくば」と訓えているが、先輩や上司への諫言とは本来は酒席ではなくシラフの時に言った方が好い。ただ、そうした意見を赦してくれる様な度量の大きな先輩や上司は少なく、根に持たれるので御注意を(笑)

「酒は飲むべし 酒は飲むべし 人生唯酒ありて肝を開く 酔中の快楽人知るなし」とは坂本龍馬。酒に飲まれるようじゃダメだが、酒ってのは失敗も多いが失敗で得る方が断然多い。酒での失敗も大事な経験であり、酒は男を磨く道具でもある。

「酒が人間をダメにするんじゃなく、酒は如何に人間がダメなものかを教えてくれる」とは立川談志だが蓋し正論。酒飲みの気持ちは酒飲みにしか分からない。

「今日は無礼講だから遠慮しないでどんどん呑め!」とか言われ、調子に乗って飲み過ぎて杯盤狼籍。翌日には記憶が無いなんてのはよくあるだろう。先輩や上司から「無礼講だ」と言われても、やはり酒席での礼節は失ってはいけません。

 大体、会社や先輩での酒席は愉しみは少なく修行の一環。気を遣って飲む酒なんぞ旨くもない。やはり酒は身銭を切って飲むのが旨いし何より愉しい。

115991228_2822420397863029_6831957723974305738_o
 藤沢秀行は書も愛し、独特な書体で個性が光る。大手警備会社の会長から頂いた扇子はコレが最後の一つになってしまった。「一期一会」の字の勢いが違う。

「大丈夫心配ない 死ぬまで生きる」という言葉が好きで見る度に元気を頂いている。その意味は「死んだように生きてはいかん、死ぬまで生き生きと、死ぬまでは生きるのだ」ということらしいが、単純そうだが実に奥が深い。

「強烈な努力」との言葉を知ったのも藤沢さんからだった。「努力」では足りずに「強烈な努力」。勝負師故にその努力は並大抵のものでは無かっただろう。

 勝負師の如く逆境を跳ね除ける精神力と豪快さは是非とも見習いたいものであるが、愚生に足らないものは「強烈な努力」以外にはない。斯くありたいと思いながらも「果報は寝て待て」的他力本願な性格はどうも治らない(笑)

 藤沢秀行の著書は100冊を超え、中でも破天荒な人生を綴ったエッセイは面白いものが多い。読んだ本の中では「野垂れ死に」が記憶に残る。

 郡山市に縁が在り、藤沢名誉棋聖の薫陶を受けた孫娘が活躍しているのは嬉しいものだ。正しく「栴檀は双葉より芳し」。「大成する人物というのは幼い頃から人並み外れて優れたところがある」との喩えだが、この天才にして天才あり。

※コメントは会員のみにさせて頂いておりますが、コメント入力希望の方はパスワードを教えますのでmr.cordial@live.jpへ御気軽にメールを寄せられたい。

《会費&御支援》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ

cordial8317 at 08:02|PermalinkComments(0)

2020年07月29日

慰安婦少女像の前で土下座する安倍首相の像が彼方此方に建てられるだろうな(笑)

y8fKlhpT
 慰安婦少女像の前で土下座する安倍晋三首相の像(画像)が話題となっている。菅官房長官も談話を出したが、常識が通用せず国際法を無視し反日行為を繰り返してる韓国人だもの、コレに続く安倍土下座像が彼方此方で展示されそう(苦笑)

 韓国人というのはこうした駄作を芸術だと思っている。反日作品なら尚更で、「あいちトリエンナーレ2019」で展示されたヘイト作品と同じ。つ~か、この「安倍首相謝罪像」、アノ津田大介様が欲しがってるだろうな(笑)

「あいちトリエンナーレ2019」のテーマは「情の時代」というものだった。「人々を揺り動かす感情や情報、差別や暴力を巡る社会的な作品なども展示した」と説明してたが、多くは韓国目線の日本人ヘイト作品ばかり。

 作品の中にはハイヒールを口に突っ込まれている安倍首相と菅官房長官のオブジェなどもあった。そう考えると「あいちトリエンナーレ2019」で出品された作品と、今回の安倍首相土下座像も作者や出所は同じだろう。

 慰安婦少女像の製作者は、キム・ウンソンと妻のキム・ソギョン。親北朝鮮団体に所属し、親北朝鮮団体「民族美術家協会」の事務長などを務め、反米運動を行っていた名うての活動家。今では反米より反日で金儲けしてる守銭奴。

 この安倍土下座像の設置に韓国では賛否両論だという。日本も同じで「従軍慰安婦は存在し、日本軍が関わったのは歴史的事実」とする意見が後を絶たない。

 抑々、慰安婦問題は朝日新聞の捏造ということは明らかになっている。事の発端は吉田清治が昭和58(1983)年に書いた「私の戦争犯罪」​という本だった。

 吉田は「済州島で9名の兵隊と共に約200名の​朝鮮人女性を強制連行して慰安婦にした」と記述し、済州島での様​子を描写した。後の調査で直ぐに創作だったことが判明したが、​本だけが独り歩きし始める。

 平成元(1988)年、この本が韓国語に翻訳されると韓国の人々は激昂。そして平成4(1992)年、朝日新聞がこのトンデモ本を取り上げ、根拠もない儘に日本軍や警察が「慰​安婦狩り」をやったと書き立てて韓国人の怒りを煽った。

 福島瑞穂ら名うての売国奴らがこの朝日新聞の捏造記事を支持し支援した。だが、この本に疑問を持った「済州新聞」記者の許栄善氏は、現地を取材し「慰安婦狩りの話を裏付ける証​言者はいない。島民の名前もデタラメ」と一蹴している。

 吉田も調査結果を突き付けられ「創作だった」と事実を認めたが遅きに失した。日本発の嘘から始まり、韓国全土で「慰安婦​狩り」が独り歩きしてしまった。本を売る為という私利私欲の所業が国家を​売ることになったのだ。

 戦前は日本も朝鮮も、他国と同様「売春」そのものが合法だった。​今、この是非善悪を裁いても意味はない。悲しいことであるが、貧​しい女性達が生きる為に、また親兄弟を養う為に仕方なく身​を売ったこともあった。

 戦争になれば兵士の息抜きの為に駐屯地の近くに「慰安所」が設けられた。危険に見合う多額の収入を​求めて、多くの「売春宿」経営者が売春婦と共に戦地に赴き、商売を始めるのは当時は何処でもある光景だった。

 当​時、工場で働く女性の平均月給は約30円で、戦地で働く慰安婦は約​300円だったという。この金額は知事や軍の大佐と同じくらいの高給だったという。これだけの高給故に悪徳業者が蔓延り、問題を起こしたこともあった様だ。

「戦争」とは相手を征服することであり、「征服」とは掠奪であるという。7世紀に興ったイスラムでは「略奪」は正しいと教え、最高の戦利品は「女」だった。

 女を奪い犯すことは、その国家、民族の純粋性を奪い、征服者の血を入れることで征服が完結する。征服の定義とは、正に「掠奪」と「強姦」の歴史なのだ。

 斯くて世界中の民族、国家は万古不偏、この定義に従って戦争して来た。例えばロシア人は第二次世界大戦末にベルリンに侵攻し、僅か半年の間に13万人のドイツ女性を強姦し、うち1万人を孕ませた。

 8千人は堕児出来たが、2千人は「目が寄った額の狭いロシア人顔」の混血児を生んだ。13世紀、欧州迄攻め込んだ蒙古人はイランやロシアに混血児を残し、生まれた子供に蒙古系の血が出るとその子は社会から排斥された。

 米国人もロシア人と同じで、第二次世界大戦に参戦すると英国で400件の強姦を働き、欧州戦線では1万4千件の強姦を記録している。韓国もまたベトナム戦争に於いて「反共」の下、ベトナム人女性を凌辱し、ライダイハンという悲劇を生んだ。

 現在も、チベットやウイグル、内蒙古で漢民族であり中共人民解放軍が異民族に対し「民族浄化」という陵辱の限りを尽しているのは周知の事実。

 無条件降伏した日本国内でも、米国人もロシア人ももっと残酷に振舞い、民家に押し入り妻や娘を強姦し、抵抗すれば殺した。調達庁の記録では実に2600人を超える人が殺されている。だが、こうした世界とは違った国が存在した。

 それが日本である。我が国だけは日清戦争の昔から「掠奪」と「強姦」を軍律で厳しく規定し、規定を破った者は厳しく処罰された。

 しかし、生きるか死ぬかの戦場で、若い兵士に生理的なものにまで我慢を強いるのは逆に統率を失うと「遊郭」で息抜きをさせた。その遊郭で働いていたのが慰安婦であって、売春婦が戦場迄出張ることは当り前のことだったのだ。

 戦場に遊郭を建て兵士に息抜きをさせるのは肝心で、これはまた当地での性犯罪を防ぎ、相手民族の尊厳を最低限保つことでもあった。

 ジェームスディーンの代表的映画「エデンの東」には、開拓時代にワゴンで女性達が街を巡回する情景が出るが、あの女性達は売春婦として生き抜いたのだ。

 男にとって売春婦は菩薩であり、慰安婦もまた立派な職業だった。売春を汚らわしいものだという思い込みの激しい連中ほど「従軍慰安婦」だと騒ぎ立てる。

 昭和31年、「売春防止法」が施行されて以降、売春という行為そのものが、如何わしい行為、不潔なものとされてしまったのが大きな要因で、「従軍慰安婦問題」の根底には女性の人権とは違った売春婦に対する差別認識がある様に思う。

 売春行為が悪ならば、国内外にいる売春婦を摘発し、彼女らが身体を売らないで生きる具体的な施策を打ち出すべきだが、それも到底無理なこと。

 いっそのこと「売春防止法」を廃止し、赤線を復活し、世の男性に夢を与えた方が好い。非合法だから料金もそれなりに高くなってるだけで、赤線復活となれば売春相場も激減し、売春しようという女性も少なくなるのではなかろうか(笑)

※コメントは会員のみにさせて頂いておりますが、コメント入力希望の方はパスワードを教えますのでmr.cordial@live.jpへ御気軽にメールを寄せられたい。

《会費&御支援》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ

cordial8317 at 07:37|PermalinkComments(0)

2020年07月28日

武漢肺炎より中国共産党の覇権主義と漢民族優先主義の方が大問題

2020-03-18-11.58.56-1th_
 武漢肺炎(新型コロナ)で亡くなった方は、昨日(7月27日)現在で1012名。インフルエンザや交通事故よりも恐れるに足らない風邪程度の疾患だわな。

 世界の死亡原因の第1位は、微生物感染症で1500万人。続いて心疾患、癌、脳疾患と続く。だが、飢餓での死者は年間で8億2100万人(2017年の統計)で、今でも毎日2万5000人が亡くなってるという。コロナより飢餓問題を考えた方が好い。

 コロナ対策でここまで規制するなら、年間にその三倍の犠牲者が出てるクルマも減らさないとダメだし、正月は餅の販売は中止した方が好いぞ(笑)

 米国の感染者423万4000人、死者14万6000人は異常だが、日頃から手洗いを励行し、マスクを常用する日本では爆発的な流行は無いのではあるまいか。

 発生地である中共は、発生源を公表して謝罪する訳でもなく、コロナによる混乱に乗じ、世界の混乱を奇貨として自国の利益を露骨に優先させている。

 習近平体制下での覇権主義と漢民族優先主義は留まる処を知らない。やはり、コロナ騒動というのは中共の政治的作為があったと思えてならない。

 このコロナ禍の中、インドとの国境では両軍に死傷者が出る大規模衝突が発生している。更にはブータンの東部を「自国領」と領有権を主張し始め、南シナ海では、中国公船がベトナム漁船に体当たりして沈没させる事件が発生した。

 スプラトリー諸島(中国名・南沙諸島)などに新行政区も設置し、ベトナムやフィリピンなど領有権を争う東南アジア諸国は警戒感を高めている。

 数年前にスプラトリー諸島で人民解放軍の軍艦がベトナム漁船に発砲し負傷者が出た。べトナムは即応し、トンキン湾に入り込んだ中共漁船団を襲撃し、きっちりと仕返しし中共政府にその意思を明らかにしたことは記憶に新しい。

 ベトナムと我が国は、南シナ海やインド洋での中共の横暴ぶりに対峙しようと連携を深め、日越に米国も参加し「日米越」の包囲網を構築している。

 我が国とベトナムの交流は古い。その昔、ベトナムは清国の朝貢国で、「清仏戦争」に負けた清国は賠償の一部としてベトナムをフランスに差し出した。

 後に、ベトナムの英雄となるファン・ボウ・チャウは、新しい宗主国を探しに日本を訪れる。当時の日本は、フランスよりも強い世界最強と言われたロシアと戦争の真っ只中で、そして我が国が勝利を収めて世界の度肝を抜いた。

 ファンはその衝撃を、「この時に当って東風一陣、人をして爽快足らしめる事件が起きた。日露戦役は我々の頭脳に一新世界を開かしめた」と記している。

 時の宰相だった犬養毅に拝喝したファンは、犬養に「朝貢もするから、軍を出してフランス人どもを追い出して欲しい」と懇願する。

 だが、その言葉に犬養は、「自分の国は自分で守るものだ。日本はその為には協力を惜しまないが、自分は何もしないで他人に血を流して貰おうというのは料簡が違う」とファンに諭し、ファンも己の言葉に恥じ入った。

 ファンは祖国ベトナムから若者を呼んで日本で学ばせる。当時、日本に来ることは世界を知ることだった。ベトナムの若者らは世界を知り、そして戦い方を知った。

 ベトナムの悲運とも言える抵抗運動は当時の日本に学んだところが大きい。ベトナムは先ずフランスと戦った。そして勝利すると次に米国と戦いこれも追い出した。

 米国が撤退するや、今度は背後から攻め入る中共の傀儡政権だったポルポト派を倒した。これに怒った中共は人民解放軍を送り込む。

 それでもベトナムは人民解放軍をこてんぱんにやっつけた。鄧小平はこの「中越紛争」での惨敗から人民解放軍の近代化を謀り、軍拡路線を定着させるに至った。

 現在の中共の軍事大国路線もこれを継承するもので、つまりは、ベトナムに戦い方を教えた我が国にも中共の増長を招いた責任があるというものだろう(笑)

 意外と思うだろうがベトナム人の国防意識は世界でも屈指で、植民地となった歴史はあるが、戦争にも負けたことはない。ベトナムはフランス、米国、中共という強敵を全て破った唯一の国で、国を想う心と国民の意気の高さは世界でも指折り。

「中越戦争」敗戦の報復か、習近平はベトナムを挑発しているが、ベトナムを侮ると鄧小平の二の舞になる可能性が高く、南シナ海で紛争となり負ければ習近平体制は崩壊するだろう。その時、日米がどう対処するのか。日本の覚悟が試される。

 中共は、尖閣諸島海域には中国海洋調査船が100日を超える領海侵犯を繰り返し、小笠原諸島に属する沖ノ鳥島を「単なる岩礁」として、我が国の排他的経済水域内で国際法を無視して海洋調査を活発化させている。

 この海洋調査は海底地形や潮流調査の調査が目的としてるが、中共の潜水艦を運航する上で重要となるからだ。沖ノ鳥島は我が国の安全保障上からも重要な要衝であり、沖ノ鳥島の海洋調査は中共が太平洋進出を狙っていることを裏付けている。

 南シナ海での軍事的緊張の高まりと世界情勢が緊迫する中で、ベトナム「国防の父」と言うべき我が国はというと、危機感を抱くことも無く相変わらず拱手傍観を極め込み、日米安保条約の下でまやかしの平和を貪り続けている。

「自分の国は自分で守るものだ。自分は何もしないで他人に血を流して貰おうというのは料簡違いだ」とファンに語った犬養首相の台詞が空しく響く。

※コメントは会員のみにさせて頂いておりますが、コメント入力希望の方はパスワードを教えますのでmr.cordial@live.jpへ御気軽にメールを寄せられたい。

《会費&御支援》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ

cordial8317 at 08:48|PermalinkComments(0)

2020年07月27日

「ここの出来事を記憶する朝鮮人は一人たりとも残してはいけない」

 暇なこともあるが映画は好きでジャンルには拘らず年間500本以上は観るだろうか。韓国映画も当然観るし、特に殺人絡みの事件物が好い。あの薄暗くておどろおどろしい演出は、日本映画では真似出来ない韓国映画の真骨頂とも言える。

「軍艦島」という強制連行を題材にした映画がある。別にフィクション映画を観てストレス発散になれば結構な話だが、朝鮮人が日本人に強制連行され弾圧され続けた悲運の民族だったという噓が「反日」に利用されるのは如何なものか。

 軍艦島の正式名称は「端島」。長崎県長崎市(旧高島町)にある島で、石炭が基幹エネルギーであった時代に海底炭鉱を採取する工員家族らが移住した。

 炭鉱夫として悪辣な労働条件を是正しようと労働争議が起こったのは否定しないが、これは別に端島(軍艦島)だけのことではなく全国の炭鉱も同じこと。

 昭和35(1960)年代には東京以上の人口密度を有し、日本初の鉄筋コンクリート造の高層集合住宅が建てられた。朝鮮人も当然、労働者として日本人と同じ待遇を受けていたが、軍艦島との名称が弾圧された象徴に見えてしまうのだろう。

 本編は未だ観ていないが、YouTubeで予告編を観た。ナレーションから「ここの全ての費用を朝鮮人の給料から差し引く」との日本語が流れ、「ここの出来事を記憶する朝鮮人は一人たりとも残してはいけない」とのセリフも流れる。

 日本軍による強制連行と必死に脱出を試みる朝鮮人労働者らを描いた感動作だが、全てが妄想と反日から出でる被害妄想甚だしい駄作で、こうした噓が喩え映画と雖も世界中に垂れ流されることは日本人を貶めるばかりか日本の国益を毀損する。

「これはフィクションです」との但し書きはなく、「植民地時代、多くの朝鮮人たちが強制徴用された軍艦島の隠された歴史をモチーフ」であるとのテロップが流れ、この映画が史実に基くものであるとして完結している。

 今迄にも南京事件を扱ったフィクション映画や、アンジェリーナジョリー制作の「アンブロークン」やニコラスケイジ主演の「ウインドトーカーズ」など、ナンチャッテ映画が上映されてるが、この映画も稀に見る妄想著しい超駄作。

 万が一も無いが、強制連行や従軍慰安婦などが事実であったとして、朝鮮民族というのは目の前で同胞が連行されて行く中で何も抵抗せずに傍観していたのか。

 韓国人にすれば日本人というのは極悪非道でなくてはならないのだろうが、それこそ情けないヘタレ民族だったということを認めている様なものではないか。

 韓国人らがいう「強制労働」とは、昭和13年の国家総動員法に基く「徴用例」を指している。この法律に基いて、戦中、日本本土では年齢性別を問わず中高年、婦人、学生に至るまで工場他などに動員され軍事などの生産に従事した。

 日本人、朝鮮人、台湾人が一律に負っていた労務提供の国民的な義務であり、日本の統治によって多大な恩恵を受けていた朝鮮人も当時は日本国民であった以上、これに協力する義務があったことは言う迄もない。

 戦前(昭和14年)に日本内地に住んでいた朝鮮人は約100万人で、終戦直前(昭和20年)には約200万人となった。増加した100万人のうち、70万人は自分から進んで内地に職を求めてきた個別渡航者と、その間の出生によるものである。

 残りの30万人は大部分、工鉱業、土木事業の募集に応じて来た労働者で、戦時中の国民徴用令による徴用労務者は極極少数。歴史資料を見れば分かることだ。

 国民徴用令は日本内地では昭和14年7月に実施されたが、朝鮮への適用は差し控え、昭和19年9月に初めて実施された。朝鮮人徴用労務者が奉仕した期間は、翌年3月の下関~釜山間の運航が止るまでの僅か7ヶ月間でしかない。

 日本人も台湾人も朝鮮人も等しく戦時徴用されていたのであり、韓国人らの主張する「強制連行」とは「徴用令」への無理解と歴史の捏造でしかない。

 軍艦島の僅か200メートル四方の居住エリアに5千人が暮らしており、当然、朝鮮人家族も同じ様な生活を営んでいたことは、当時この地で働いていた方の証言や写真などで証明されている。軍艦島という名称とは違いユートピアの地だったのだ。

 この映画は1945年の出来事。つまり終戦を迎える年の設定だが、朝鮮人への徴用は昭和19年9月から翌年3月の下関~釜山間の運航が止るまでの僅か7ヶ月間しかないのに、どれだけの朝鮮人がここに強制連行され弾圧を受けたというのか。

 軍艦島では戦後も採掘が続けられるも、昭和49(1974)年に閉山する。住民は島を離れることを余儀なくされるが、戦後も長らく朝鮮半島出身者が家族で韓国人が言うこの「地獄島」で日本人と共に働いていた事をどう説明するのか。

 映画では「ここの出来事を記憶する朝鮮人は一人たりとも残してはいけない」と、然も軍艦島がナチスのアウシュビッツの如くに準えている。

「この島で働いていた朝鮮人は全員殺された」とでも言いたげだが、軍艦島での生活は、映画の内容とは全く違って、戦前も戦中も戦後も、半島出身者は日本人と仲良くこの島で働き続けていたということが歴史的な事実である。

 映画は娯楽であるべきで、歴史を自分達の都合好く歪曲し、娯楽どころか怒りや悲しみしか生まないオナニー的フィクション映画を創って一体何になるというのだろう。韓国人の「反日」からの妄想癖や虚言症にはホトホト厭になる。

※コメントは会員のみにさせて頂いておりますが、コメント入力希望の方はパスワードを教えますのでmr.cordial@live.jpへ御気軽にメールを寄せられたい。

《会費&御支援》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ

cordial8317 at 05:30|PermalinkComments(0)

2020年07月26日

教育再生には先ず「正しい精神論」を創り上げることが肝要

「体育」は「知育」「徳育」と並ぶ重要な教育でもあるということを昨日のブログに綴った。「知育」「徳育」「体育」は我が国教育の根幹を成すものであり、中でも「体育」は運動の実践を通して健全な精神を育むことを目的とする。

「体育」は、運動能力に伴う出来不出来は目的ではない。況してや一流アスリートや競技者を創り上げることが目的ではない。「健全なる精神は健全なる肉体に宿る」と言う様に、成長期に在りがちな肉体と精神のバランスを正すことこそ大事。

「知育」「徳育」「体育」という我が国教育の基本指針の中でも重要なのは徳育。「徳育」というと「忠君愛国」や「軍国主義」「教育勅語」などを挙げて批判されるが、徳育とは「人間性」であり日本人らしさを育み確立することである。

 日本の教育が抱えている問題を解決するには、現代の詰込み型の「知育」より、小学校の段階で正し​い人間性の基礎を創ることが大事と考える。

「国語・数学」での暗記力や記憶力という授業から、「どうしてこうなるのか?」という考える力を重視し、合宿などの課外授​業を活用するのも一つの手段だろう。

 賛否両論あるが、多くの登校拒否児や家庭内暴力などの問題児を更生させた実績を持つ戸塚宏は、現代の教育問題について「科学的精神論による教育の実践こそ現在学校で起こってい​る学級崩壊を始めとした諸問題を克服する」と訴えている。

 愚生は、戸塚校長の教育論には大いに共鳴している一人で、​将来は不良少年や登校拒否児を更正させる私塾を創りたいという夢は未だ潰えてはいない。

 戸塚校長は自著「教育再生」の中で、教育は「科学的精神論に基づ​く、正しく・強く・安定した理性を創ることが大事だ」と教えてい​る。

「校内暴力や家庭内暴力を起こす様な、間違った・弱い・不安定な​理性を持った子供達が大量に登場した原因を考えれば、戦後、我が国​が採用した欧米型の精神論が間違っていたからだ」と指摘しているが、蓋し正論だろう。

 戦後の利己心剥き出しの価値観は欧米を模倣したことに起因する。我が国を経済大国にしたのは戦前に教育を受けた人々であり、それを潰してしまったのは戦後教育を受けた世代だ。つまり、戦前の教育や価値観を「悪」と考えるのは間違い。

「欧米流」の理性に抜け落ちているのは「本能論」で、仏教や儒教でも「本能」が「理性」を創るのに重要な役目を果​たしていると説いているのに、人間と​動物の優劣性を強調する余り、動物にもある「本能」を下等なも​のとして否定しまった。

 教育行政で失敗に失敗を重ねた文科省には最早学校を変える能力は​無い。民主党政権が誕生し、日教組支配が強まり学級崩壊は​増えて酷いものになった。自民党が政権復帰しても、何故か民主党時代の悪害を是正しようともしない。

 教育の荒廃の元凶は日教組や全教というだけではない。文科省や教育委員会の不作為と政治家の教育改革への無関心、そして戦後の幼稚な人権主義や暴力否定の安っぽい平和主義という風潮が少なからず影響を齎したのは否定出来まい。

「教育委員会」とは、戦後の日本の教育制度を米国の意のままに置こうというのがGHQの狙いだった。その戦後民主主義教育は米国の思惑以上に大きな成果を齎し続けているが、そんな教育委員会に問題解決を頼ったところで混乱を招くだけ。

 文科省も教育委員会も日教組も全教も教育荒廃の腐った肥溜めだ。中でも占領下に謀られた教育委員会は早々に廃止すべき組織である。教育委員会制度を廃止することで教育改革に繋がり、延いてはいじめ問題解決にも繋がるだろう。

 自民党が下野し、安倍総裁(当時)は政権奪還を狙う総選挙で「将来を担う子供達に如何にして誇りの持てる教育をするか」「志の高い日本人を如何にして創るかが大事だ」と訴えた。だが、政権に復帰すると教育改革の志は尻すぼみに。

 嘗ての我が国は「教育立国」として、明冶の試練と昭和の国難を乗り越えた。悲しい哉、今じゃ我が国の国策は発展途上国並みの「観光立国」とは嗤えない。

 明治の混乱期、極貧の中から多くの偉人が輩出したのは立派な教育の故であろう。だが現在はどうだろう、国民の勤勉性、家族愛、愛国心、信義誠実の原則は失われ、心の中の高貴なものを失い、高邁さを忘れてしまった。

 有識者やマスコミが取り上げる胡散臭い問題に一喜一憂し、問題が出れば、その萌芽は日本にあると自国を貶め、それを煽るマスコミ御用達の言論人が大騒ぎ。

 政治家は平身低頭し謝罪を続け、頭の中は保身と次の選挙のことだけで、頽廃したマスコミは国益を擁護する気配など皆無で、国民の愛国心を蝕み続ける。

 高邁な魂を喪失した我が国が喫緊にやらねばならないことは、将来を担う子供達への教育を充実させ実践させて行くかの具体的な教育指針を定めることだ。

「どんも子もみんな日本の大事な子」。純真無垢な子供達こそ日本の宝であり、教育こそ国家の大本である。「知育」「徳育」「体育」の充実を図るべし。

※コメントは会員のみにさせて頂いておりますが、コメント入力希望の方はパスワードを教えますのでmr.cordial@live.jpへ御気軽にメールを寄せられたい。

《会費&御支援》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ

cordial8317 at 07:11|PermalinkComments(0)

2020年07月25日

「知育」「徳育」「体育」は我が国教育の根幹を成すものである

「スポーツの日」とは何たることか。1964年アジアで初めて行われた東京オリンピックに由来する「体育の日」という名称を易々と消してしまった。東京2020オリンピック・パラリンピックは来年に繰り越しされるが実現は未だ不透明。

「体育の日」を消し去り「スポーツの日」との名称変更は安倍政権らしい軽軽しさだ。昭和36年から40年までの一時期、スポーツ振興から「スポーツの日」との名称を付けたがその誤りに気付いた政府は「体育の日」に名称を変更した。

 国際社会を勘違いし、何でもかんでも横文字にすれば好いというものではない。こうした風潮は正しく我が国政治の無能と精神的幼稚さを示すものだ。

 明治の先覚者は、外来語をそのまま使用することなく咀嚼して全て新漢字に翻訳した。日本語で西洋文化を学ぶことが出来たことは実に偉大なことだ。

「スポーツの日」という現代の軽佻浮華な舶来趣向と比べれば、明治人の気骨と気概や高い見識を伺い知ることが出来る。祖国の言葉である日本語に自信を持ち、何処までも日本語で主張し、日本文化を貫いたからこそ発展が得られたのだ。

 戦後の利己心剥き出しの価値観は欧米を模倣したことに起因する。我が国を経済大国にしたのは戦前に教育を受けた人々であり、それを潰してしまったのは戦後教育を受けた世代である。それをしても戦前の教育や価値観が全て悪ではない。

「体育」と「スポーツ」ではその意味と趣旨はビミョーに違う。スポーツは競技であり、「娯楽」を意味し、そこに営利主義も絡む。体育とは健康の保持や増進と体力の向上を図る為のもの。「体育」は「知育」「徳育」と並ぶ重要な教育でもある。

 体育の日の名称変更を「教育的意味合いの強い『体育』という言葉がそぐわない」とか「スポーツに自己実現や国際社会との窓口を開く役割がある」という理由を挙げるが、祝日法改正の本質はそこじゃないだろう(苦笑)

 左翼陣営の所謂「ハッピーマンデー」なる愚策の目的は、我が国の歴史・伝統・文化の否定であり国體破壊にある。そうした左翼陣営の策謀に与し、景気対策を優先し言葉遊びの如くに「スポーツ」などと改称するとは何事か。

 諸外国に比べ、我が国の祝祭日ほど「国柄」の分かる素晴らしい伝統、文化はない。だが、多くの日本人が祝祭日をただの休みとしか考えなくなったのは、政治家の無能や不作為も然ることながら日本人の精神的貧困の顕れでもある。

 外国人が日本人と交流して感じるものは気品であり、洗練された礼儀正しさであり、寛大さである。世界の何処を探しても、日本人の様な洗練された美を追求する高い創造性や質素な上品さに比肩するものは他にはいない。

 この様な我が国の生活文化を支えているものが日本語である。安易な横文字の使用は先人達が長い歳月に亘り言葉に宿らせて来た重い意味を失わせる。

「知育」「徳育」「体育」は我が国教育の根幹を成すものであり、中でも「体育」とは運動の実践を通して健全な精神を育むことを目的とし、運動能力に伴う出来不出来は目的ではない。娯楽や競技を意味する「スポーツ」とは違うのだ。

 東京オリンピックに由来する「体育の日」を消すことは我が国文化の否定でもある。何も10月10日を「東京五輪の日」とし残すことは出来なかったものか。

 欧米流の理性や教育に抜け落ちているのは「本能論」であり、人間と動物の優劣性を強調する余り「本能」を下等なものとして否定しまった。

 仏教でも儒教でも「本能」が「理性」を創るのに重要な役目を果たしていると説いている。これらを考えるに、教育で一番大事なのは「徳育」である。徳育は忠君愛国ばかりではなく「人間性」を確立することに在る。

 そこで我が国の教育を再生するには「正しい精神論」を創ることが必要となる。正しい精神論は正しい肉体を創るのが大事であり、その「体育」が重要となる。

「健全なる精神は健全なる肉体に宿る」という。一流アスリートや競技者は兎も角、スポーツという娯楽から健全なる肉体と精神は生まれない。

「スポーツに自己実現や国際社会との窓口を開く役割がある」という詭弁に騙されてはならない。「体育」とは日本文化であり教育の要である。

※コメントは会員のみにさせて頂いておりますが、コメント入力希望の方はパスワードを教えますのでmr.cordial@live.jpへ御気軽にメールを寄せられたい。

《会費&御支援》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ

cordial8317 at 05:09|PermalinkComments(0)

2020年07月23日

海の日は7月20日でなくてはならない理由がある

 今日は「海の日」だが東京オリンピックの都合で移動させられた。本来は7月20日。祝日法では「国民が海の恩恵に感謝し、海洋国家の繁栄を祝う日」とされている。だが、本来の意味は「海の恩恵に感謝する」という趣旨とは全く違うものだ。

 明治維新後の明治9年6月2日、明治天皇は東北・北海道へ約50日に及ぶ巡幸に臨まれる。東北の各地を巡り、函館に寄港し、そして「明治丸」で横浜に帰港された日が7月20日であり、この日に因んだ記念日が「海の日」である。

 明治天皇巡幸の目的は「賊軍」の汚名を着せられ、戊辰戦争に敗れて以降、艱難辛苦の日々を送っていた人々を明治天皇が慰撫し激励する為に他ならない。

 明治丸で福島県いわき市に寄港。一路馬車で郡山へ向かう。福島から仙台、岩手、青森と北上。次いで明治丸で津軽海峡を渡り函館を経て、三陸沖を海路を戻るというコースを辿っている。 この間、東北の人々は巡幸の先々で奉迎した。

 明治天皇は各地で開墾や産業の振興に尽くした功労者を労らわれている。愚生の住む郡山(安積)では、荒野を拓いて出来たばかりの桑野村まで分け入り、開拓者の苦労話に耳を傾けられ、金5万円を下賜されたという。

 弘前に在る「東奥義塾」では外国人教師による英語教育が行われていて、生徒10名が英語を披露した。明治天皇はその進取の気象に感心され「ウェブスター辞書を買う代金に」と一人一人に金5円を与えられたという。

 別の地では、小学生が献上してくれた蛍一籠を嘉納され、岩手では太布半纏(ふとのばんてん)と呼ばれる農民の仕事着まで買い上げられたという。東北の人々との間に親しく絆を結ぼうと努める明治天皇の面影が偲ばれる逸話であろう。

 東日本大震災と原発事故に疲弊する我々東北人にとって、被災地に思いを寄せる上皇陛下の大御心と通じるものがある。この様な由緒を持つ記念日が「ハッピーマンデー」などの都合で、その意味を薄れさせ単なる休日にされてしまった。

「ハッピーマンデー」の目的は国體破壊であり、左翼陣営はこうした既成事実を積み重ねることで、我が国の歴史や伝統、文化を否定する論拠とする。この愚策に自民党や保守を標榜する政治家が同調して来たのは実に御粗末なことだ。

 国體破壊を目指す左翼陣営の最終目的は「勤労感謝の日(新嘗祭)」と「建国記念日(紀元節)」を「ハッピーマンデー」に組み入れることである。国民も「連休は嬉しい」などと安易な気持ちで同調することがあってはならない。

 我が国の祝日には夫夫意味が在り、これほど国柄の分かるものはない。GHQが我が国の歴史伝統文化を否定することから始まった現在の「祝日法」を、本来の在るべき姿に見直すことは戦後体制からの脱却と日本再生に繋がるのだ。

 明日は「体育の日」ではなく「スポーツの日」。本来なら東京オリンピック2020の開会式が行われる予定だったが来年に繰り越し。然も未だ先行き不透明。

 それより「スポーツの日」とは何なんだ。「体育」と「スポーツ」の意味は違う。「知育」「徳育」「体育」は教育の根幹を成すものであり、単なる娯楽や競技を意味する「スポーツ」に一括りすることは政治の未熟さの現われである。

※コメントは会員のみにさせて頂いておりますが、コメント入力希望の方はパスワードを教えますのでmr.cordial@live.jpへ御気軽にメールを寄せられたい。

《会費&御支援》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ

cordial8317 at 18:25|PermalinkComments(0)

2020年07月21日

中国共産党習近平体制下の覇権主義を糾弾せよ!

 中国共産党習近平体制の覇権主義と、武力を背景にした恫喝は留まるところを知らない。我が国の固有の領土である尖閣諸島に関し領有権を主張し、周辺海域での日本漁船の操業を違法として取り締まる考えらしい。

 国際環境が激変する際に動くものが領土問題であり、つまりそれは北方領土や竹島を取り戻す好機であると同時に、尖閣列島や対馬、或いは沖縄本土をも奪われる危機も孕んでいるということでもある。

 尖閣諸島問題を始め、北方領土や竹島などの領土問題が解決の兆しすら見えないのは、過去の自民党政権の国家主権の甘さと事勿れ主義が招いた結果であるが、領土主権への重要さと正当性が啓蒙されていないことも要因に挙げられる。

 現在も、世界の各地で民族争いの中で国境紛争が頻繁に起きているが、世界では寸土たりとも主権確立には戦いをしてまで死守しているのが世界の常識。「奪われた領土は奪い返す」ことでしか解決を見ない。我が国はそうした気概が足らない。

 尖閣諸島とは「魚釣島」「南小島」「北小島」「久場島」「大正島」と岩礁からなる領土である。国際法上「無主地先占」に基いて、10年に及ぶ現地調査の結果、明治28年1月14日の閣議決定に拠って沖縄県に編入された。

 尖閣諸島は世界各地の地図上も中共や台湾の教科書にも日本の領土として公式に認められている。だが、昭和43(1968)年6月、国連アジア極東委員会が尖閣諸島周辺の東シナ海大陸棚に石油・天然ガスが埋没している可能性を報告した。

 石油・天然ガスの資源が埋没してると分かるや否や、中共や台湾は唐突に尖閣諸島の領有権を主張し始め、国際法上の手続きも無しに地図を書き換えて、1992年に勝手に自国領に組み入れたというのが真相である。

 そんな中で、昭和47(1972)年に日中正常化交渉が行われ、当時の首相だった田中角栄が、こともあろうに尖閣諸島の領有権に関して「棚上げ合意」した。

 明治政府の努力と閣議決定を無視した、田中のこうした容共姿勢と腰抜け外交が、我が国の国益を大きく損なう結果となって今も尚受け継がれている。 

 我が国を取り巻く環境は決して好ましいものではなく、南シナ海の西沙諸島(英語名パラセル)を中共は1974年以降、実効支配すると共に人工島を建設、フィリピンやベトナムとの間でも緊張が高まっているのは周知の通り。

 我が国では尖閣諸島の問題はそれ相応に報道し、国民の認識も広がってはいるが、南シナ海の紛争となるとマスコミは沈黙し国民は対岸の火事だ。

 過日、中共は国連総会に於いて「敗戦国(日本)が戦勝国の領土(沖縄・尖閣列島)を占領しようとしている」と発言したのは記憶に新しい。これは、国連憲章第53条並びに第107条の「旧敵国条項」を念頭に発言であるのは間違いない。

 国連憲章の敵国条項とは「連合国の敵国であった日本などが再び侵略行為を行った場合、他の国は安保理の承認なしに武力行使出来る」と規定されている。

 つまりは国連憲章に基付けば、中共は戦勝国として我が国を監視し、我が国の如何なる理由による防衛も侵略行為と断定すれば武力行使は可能ということ。

 日本漁船の操業を「領海侵犯」と断じるのは、武力行使への警告であり、連日の中国海警船の領海侵犯と停船は実効支配への既成事実の積み上げである。

 我が国が中共に屈することになれば、南シナ海は更に要塞化され、周辺諸国に脅威となるばかりか、我が国へ運ぶ石油ルートも中共の手の内となる。石油ルートが閉鎖となれば我が国の無血侵略が成立すると言っても過言ではない。

 東シナ海の浙江省に在る南麂列島(南キ列島)は、尖閣諸島奪還を狙って着々と軍事基地が整えられいる。マスコミがこうした事実を報じることは無いが、習近平はこの島を「宝島」と評する。この「宝」とは何を意味するのか。

 この南キ列島から尖閣諸島までは約300キロ。「釣魚島(尖閣諸島)奪還」を狙う人民軍にとって格好の立地であり、習近平にとっては正しく「宝島」なのだ。

 因みに、この南キ列島は先の大戦では日本軍が上陸した島であり、戦後の国共戦争に於いては、劣勢になった国民党軍が「反共」の拠点を構えた島でもある。

 南キ列島は碧く澄んだ海に囲まれ、海の幸のも恵まれた島々だ。この島はユネスコのエコパーク(生物圏保存地域)に登録されている。皮肉なことに、南キ列島を観光開発を奨める様に指示したのは当時は未だ党幹部だった習近平である。

 その後、主席に上り詰めた習は、新たな覇権主義と領土拡大という野望を果すべく、この南キ列島を領土防衛の最前線として要塞化を進めた。ユネスコ・エコパークさえも利用する精神性の異常さは共産主義者ならではのものだろう。

 領土は国の主権であり、我が国の主張の正しさを国際社会に訴え、島々が奪われる前に自衛隊の駐留や住民への上陸を許可し、実効支配は勿論のことオスプレイなどの島嶼防衛設備を充実させ、想定される様々な安全保障上の対策を講じるべし。

※コメントは会員のみにさせて頂いておりますが、コメント入力希望の方はパスワードを教えますのでmr.cordial@live.jpへ御気軽にメールを寄せられたい。

《会費&御支援》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ

cordial8317 at 05:25|PermalinkComments(0)

2020年07月19日

「トリチウムを含んだ処理水」という言葉自体が要らぬ風評を生んでいる

 福島市で東京電力福島第一原発周辺に増え続ける放射線物質トリチウムを含んだ処理水方法について一般県民から意見聴収した。一般県民と言っても太田光秋は県会議長であり、他のメンバーも水産や青果組合の関係者らだ。

 太田議長は「県民や国民の理解が十分に得られていない」と語り、国が決定した「海洋放出」に疑問を呈し「決定に至る過程の公開と市議会や意見公募が反映されたかを説明すべき」としてるが一般県民というより議長の意見だろう(笑)

 相変わらず「トリチウム」「トリチウムを含んだ処理水」と騒いでるが、トリチウムは自然界にも存在する放射性物質で恐れる必要も無い。

 トリチウムというのは放射線エネルギーは弱く、人体の影響はセシウムの700分の1程度。原発事故に因る放射線セシウムが人体に影響も及ぼしてない中で、トリチウムを含んだ処理水の処分に反対するのは単なる感情論でしかない。

 反原発派の扇動と放射線への無理解から人体に影響もない低線量セシウムで大騒ぎされたのに、セシウムより影響のないトリチウムに怯えるというのも可笑しなことだ。海洋放出を大騒ぎしていること自体が風評被害を招く結果となっている。

 福島第一原発周辺の処理水タンクは約680基に及びその水量は今年10月には限度量の137万トンに達する。このまま放置しタンクが増設されれば環境破壊にも繋がり、それこそ福島への風評被害が止むことはないだろう。

 原子力規制委員会では「地層注入」「水蒸気放出」「水素放出」「地下埋設」などの処分方法のうち、海洋放出が唯一の方法としている。政府小委員会は原子力規制委員会の提言に沿って海洋放出を現実的な選択肢としている。

 2020年の東京オリンピック委員会の総会に於いて、安倍首相は「(汚染水問題)の状況は完全にコントロール出来ている」と大見得を切った。これは国際的な場で、我が国の首相が公約したことであり国際的な約束事でもある。

 2020東京オリンピックが来年に延期されたが、原発処理水の海洋放出が世界の常識だとはいえ、オリンピック前の海洋放出は国際的な問題に成り兼ねず、来年のオリンピック終了まではタンク増設で事を濁すのではなかろうか。

 前述した通り貯水タンクは満水状態で処理水の海洋放出が遅れればタンクを増設するしかない。だが、タンク増設より必要なのは、トリチウムの科学的なデータであり、海洋放出に由って及ぼす環境への影響の周知である。

 意見聴収会では「不安や不信を払拭して欲しい」「国と東電が責任を持って万全の風評対策に取り組んで欲しい」などの意見が出たが全てが他人事。その意見の多くは反原発派に与するものばかり。海洋放出に賛成してる愚生は稀らしい(笑)

 抑々、除染にしろ貯水タンクの増設にしろ民主党政権下での非科学的な愚策が原因。感情的目先の対策を優先し、住民の安心安全を目的に始まった除染は「福島は除染をしないと住めない土地」と、却って風評被害を招く結果となった。

 科学的データで対処してれば除染もする必要も無かったし、処理水も海洋放出してれば済んだこと。放射線への異常な恐怖心と無知が問題を複雑化した。福島への風評と差別は、国の対処も然ることながら福島県民が招いたことでもある。

 海洋放出を決断せず更なるタンク増設で解決しようとする方法は、次の世代へこの問題を丸投げするということだ。だが、原発の出現に拠って豊かで便利な生活を享受した我々世代が責任を持って解決に当たらなければならない。

 福島原発は関東へ電力を供給する為のものであり、日本の高度成長期にそれらに協力した福島県が風評被害や差別という仕打ちを受けるとはよもや思わなかったが、いつまでも被害者意識丸出しでは復興どころか前には進めない。

「流言」や「デマ」が、混乱に拍車を掛け「風評」という余計な混乱を生む。「トリチウムを含んだ処理水」という言葉自体が要らぬ風評を生んでいるとしか思えない。「流言は知者に止まる」というが県民に知者はいないのか。

「流言飛語」とは本来は「流言蜚語」と書く。「世の中で言い触らされる確証のない噂話。根拠のない煽動的な宣伝。デマ」という意味だが、「蜚」とは悪臭を放つ小さな虫の意味で忌み嫌われる語彙だ。因みにゴキブリは「蜚蠊」と書く。

 何の問題もない処理水の海洋放出を、恰も危険であるかの様な流言を撒き散らしたのは反原発派という蜚蠊どもだ。そうした愚論に与してどうするのだ。

 太田議長は丁寧な説明を求めるが、県民の代表である県会議員のトップの立場なら、そうした他力本願的な解決手段を求めるべきではなく、処理水問題が全国的な問題であるなら、政治や科学が風評に負けない努力をすべきだ。

 処理水の海洋放出は世界の常識であり福島原発が特別ではない。真剣に福島への風評を阻止したいなら「住民への理解」とかの感情論を止め、政府に依存するだけではなく、正しい科学的データを自ら内外に広めることが肝要である。

※コメントは会員のみにさせて頂いておりますが、コメント入力希望の方はパスワードを教えますのでmr.cordial@live.jpへ御気軽にメールを寄せられたい。

《会費&御支援》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ

cordial8317 at 05:18|PermalinkComments(0)

2020年07月14日

「処理水の海洋放出反対」という感情的主張からは何も生まれない

 地元紙には、東京電力福島第一原発周辺に貯まり続ける処理水に関し、海洋放出に反対する若者らの団体「DAPPE」が郡山駅前で行ったのデモを取り上げている。福島県民としてはこんなところで「だっぺ」を使って欲しくないなぁ(苦笑)

「東電や国が放射線物質トリチウムを含んだ処理水方法が、海洋放出ありきで決定しようとしている」と反対してるが、原発処理水の海洋放出は世界の常識であり、況してや貯蔵されている処理水のトリチウム数値も微量なものだ。

 トリチウムというのは放射線エネルギーは弱く、人体の影響はセシウムの700分の1程度。原発事故に因る放射線セシウムが人体に影響も及ぼしてない中で、トリチウムを含んだ処理水の処分に反対するのは単なる感情論でしかない。

 福島原発周辺に貯蔵されてる処理水のトリチウム総量は2016年3月時点で760テラベクレル。この数値は年々減少している。諸外国の海洋放出処理水に比べても100分の1程度で、専門家の「人体に影響を及ぼす数値ではない」は正しい。

 1979年のスリーマイル島原発事故では93000テラベクレル、1986年のチェルノブイリ原発事故では520万テラベクレルと推定されている。1テラベクレルとは1ベクレルの1兆倍。「兆」という単位は余りにも大きい数値に感じるだけ。

 カナダのブルース原発からは年間1280兆ベクレル排出。フランスのラ・アーグ再処理施設からは年間1京1600兆ベクレルが排出されている。「京」とは「兆」の更に上の桁。かなりの数値だがこれらの数値は国際基準値の範囲内である。

 因みに、福島の漁業関係者よりも強力に処理水の海洋放出に難癖を吐けてる韓国だが、韓国は月城原子力発電所で4基のCANDU炉を運転しているが、月城原発が4基体制に入った1999年以降の累積では6000テラベクレルを超える。

 真剣に福島への風評を阻止したいなら「住民への理解が深まっていない」とか非科学的な感情論ではなく、正しい科学的データを内外に広めることである。

 福島第一原発周辺の処理水タンクは約680基に及びその水量は92万トンに上る。2020年には137万トンになる。このまま放置しタンクが増設されれば環境破壊にも繋がり、それこそ福島への風評被害が止むことはないだろう。

 感情論で進められた「除染」で、福島県は住みやすくなったどころか、「除染しないと住めない土地」とのレッテルを貼られた。処理水も然り。このまま放置することが好いとは思えない。事故を起こした我々の世代が責任を負うべきだ。

 熊本県を襲った豪雨被害も感情論からダム建設が見送られた。蒲島知事は「民意が反対だった」と責任を感じるどころか有権者の所為にしている。

 政治が国民目線に立った時に必ず国は滅ぶ。豪雨被害も起こるべくして起きたと言っても過言ではない。国民(市民)目線というポピュリズムは百害あって一利なし。政治とは本来、国民目線と掛離れた決断が求められる世界なのだ。

 話が変わるが、食べログで知り合った某男性レビュアーのトップページには、「トリチウム汚染水を海洋投棄しても安全だというなら、全て東京湾に放出すれば良くないですか!? 」との見出しが出てる。これが普通の人の感覚なんだろう。

 確かに東京電力福島原発は首都圏へ電力を送る為の施設だった。そういう意味では東京湾に放出するのも一つの案だろうが、東京湾に持って行くにしても運搬費用を含めて相当掛かるだろうし、ポピュリズムの小池が容認するとも思えない。

 以前、松井大阪市長が反原発派に煽られた感情論から見送られている処理水の問題に対し、「政治や科学が風評に負けることがあってはならない」と、処理水の大阪湾への放出を受け容れると発表したことがある。

「政治や科学が風評に負けることがあってはならない」とは正しく。内堀福島県知事にも大阪市長の様な智慧と決断力を持って欲しいものだ。感情論より科学的根拠に基いて粛々と海洋放出を図ることこそ風評を取っ払う最良の方法である。

※コメントは会員のみにさせて頂いておりますが、コメント入力希望の方はパスワードを教えますのでmr.cordial@live.jpへ御気軽にメールを寄せられたい。

《会費&御支援》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ

cordial8317 at 07:56|PermalinkComments(0)

2020年07月13日

自然は人智の及ばない大いなる存在である

 九州に甚大な被害を齎した豪雨被害には只々驚くばかり。正しく自然は人智の及ばない大いなる存在であることを再認識する。地震や津波、豪雨や日照りなどを人間は完全に制御することは不可能であるが、最小限度に防ぐことは可能だ。

 東日本大震災での津波防止にしろ、今回の豪雨に因る球磨川の増水と氾濫などは人智で防げたと思うと、自然と共生していく大きな課題を残したと言えよう。

 民主党政権下、「コンクリートから人へ」というスローガンを掲げ、マスコミもまた仕分け事業というパフォーマンスを連日好意的に報じた。

「公共事業の無駄遣いの見直し」「新たな治水対策を考える」という理由から、群馬県の八ッ場ダムをその象徴として大々的に取り上げた。今回、氾濫した熊本県の球磨川の造る予定だった川辺川ダムも中止に追い込まれた。

 自民党が政権に復帰すると防災の意味から八ッ場ダムの再工事を決定し、結果、先の台風でも下流域は災害から逃れた。八ッ場ダム再開は英断とも言える。球磨川の川辺川ダムも工事を再開させることは出来なかったものか。

 川辺川ダム建設予算は約1200億円。蒲島郁夫熊本県知事は川辺川ダム建設に反対し、ダムに拠らない治水対策を行うことを公約に掲げた。

 その方法とは「遊水池」「放水路」「引提」「堤防の嵩上げ」だろうが、遊水地には約1兆2000億円、放水路約8200億円、引堤約8100億円、堤防嵩上約2800億円のコストが掛かる。結論としてダムが予算的にも安価だった。

 蒲島知事は「民意が(ダム工事は)反対だった」と他人事の様に語ったが、治水対策を講じて来なかったことで多くの人命が失われたことを猛省すべきだが、政治家としての責任を放棄して恥じない姿には厭きれてしまった。

「民意」や「国民目線」とは有権者の平均値のことだろうが、平均値で政治を行うことは余りにも危険だ。何故なら国民の判断力は古今東西常に低く、その意見も気紛れだからだ。政治が、国民目線に立った時、必ず国は滅ぶのは世の常である。

 政治には国民目線と掛離れた歴史観、人間観、世界観、時には高度な権謀術数を必要とする。蒲島県知事の様に猛省することなく「民意だから致し方ない」というのは、政治家としての無能を自ら認めているとも言える。

 正しく、大衆迎合というか大衆を誑かす「仕分け事業」や政治家の無能から、こうした天譴とも言うべき最悪の結果を齎したと断じても過言ではない。

 人々は自然を征服すべく挑み続けるか、それとも自然と共に生きて行くかだ。賢明なことに先人や多くの日本人は自然と共生することを選んで来た。

 自然は一瞬のうちに暴れ回り甚大な被害を出したりもするが、一方で自然は無限の恵みを我々に齎してくれる。だからこそ自然と共生して行かねばならないのだ。

 古の人々は自然の織り成す様々な新羅万象を「神」と感じ取った。豊穣を齎してくれた「神」を称え、災害などに対しても天譴と捉え、自然の荒ぶる「神」と畏れた。それらを鎮め、人々はあらゆる神々と共に生きて来た。

 自然界に起こる新羅万象の全てが「神」の姿で、山の神、海の神、森、川、水、岩・・・そして人間さえもその神の在る景色の一部に過ぎなかった。

 人間がそうしたことを忘れ、人間こそが地球の主であると驕り、唯物主義や拝金主義から神(自然)をも懼れぬ様になったのはそんな遠い昔ではない。

 日本固有の信仰である「神道」は、自然と共に生きて来た古の人々の精神から生まれた。神と共にあるから「カンナガラ(惟神)」。神の命を与えられているから人は「神の子」とされ、生命は神の「ワケミタマ(分霊)」と考えられた。

 人は彼等の暮らす土地の神「ウブスナガミ(産土神)」の御陰を被って誕生し、その他諸々の神々と正しく付き合っていくことで四季の恵みを享受し、そして最後には産土神に導かれて祖霊の世界に帰って往くという教えである。

 民衆レベルの神々の世界というのは、この様な確かな意味付けを必要としないまでも、自然と共に暮らしている中で「神」の存在を体現していたのだ。

 こうした神々の世界に、天上界の別格の神々の世界(高天原)が重ねられたのは、天皇による国家統一以降のことである。

「高天原」とは、自然信仰の観念に重ねられた神々の天上世界である。天に固有の住居を持つ神々は、高天原で育てた稲(ユニワノイナホ)をその苗裔に授けるという神話によって、この国の神々の世界に革新を齎した。

「高天原」の登場によって、「神道」は原始宗教の一形態(シャーマニズム)から、固有の神々の世界と信仰が生まれていったのである。

 ということで、自然を懼れ、神を敬いましょう!

※コメントは会員のみにさせて頂いておりますが、コメント入力希望の方はパスワードを教えますのでmr.cordial@live.jpへ御気軽にメールを寄せられたい。

《会費&御支援》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ

cordial8317 at 05:10|PermalinkComments(0)

2020年07月08日

我が国の最大の過ちは敗戦に由って共産主義の跋扈を許したことだ

 言論の自由や集会の自由を奪い「香港国家安全維持法」を制定し、実質的な「一国二制度」を廃止した中国共産党。尖閣列島への領海侵犯も然ることながら、この期に及んでも習近平を国賓で招待しようなどとは狂気の沙汰だ。

 自民党の外交調査会で協議された習近平の国賓中止と対中非難決議に対し、中共の走狗である二階派は難色を示して徹底抗戦、文言を弱めて採択した。

 二階は「日中問題に関わった先人の苦労を思えば、慎重の上にも慎重に対応すべきだ」と偉そうに語ってるが、対中共への弱腰外交が中共の傲慢を生んだという猛省すべきだし、国賓とは総理ではなく天皇の客であるということを自覚せよ。

 菅官房長官も「首脳会談の機会を活用し、一つ一つ解決していくのが基本的な考え方」と見解を述べてるが、日中の首脳会談の機会を得るのに何故に国賓招待なのか。陛下との拝謁が中共に利用されるから反対してるのだ。
 
 国際法規である「日中友好条約」を締結した以上、条項を守るのは当然だが度重なる尖閣諸島への領海侵犯は中共側の条約蹂躙ではないのか。

 友好親善というなら間違いは糺すべきで、二階派がやってることは友好ではなく媚び諂い。日中友好条約の「相互不干渉の原則」を曲解してるに過ぎない。

「君子の交わりは淡きこと水の如し、小人の交わりは甘きこと醴の如し」という。「君子の交わり」と言うなら相手の主体性を重んじることも大事だが、相手の不味い点を見ても沈黙している様では友人としての資格も無い。

 物事をよく弁えた人の交流というものは水の様に自然なものなのだが、小人物の交流は、まるで甘酒の様にベタべタした関係であり、一時的には濃密のように見えても長続きせず破綻を招き易いというが、二階派は正に小人の交わり。

 中共は「中国4000年の歴史」などと宣って憚らないが実は70年程の歴史しかない新興国。この一党独裁の中国共産党政権が半世紀以上も続いているのは、悲しい哉、我が国の朝貢外交、強いては自民党内の媚中派の影響が大きい。

 共産主義を最高原理として崇め、神や仏という共産主義を超える最高の存在を許さず、人民には信仰の自由、集会、結社、出版、言論等々基本的人権が無い。

「満州」「内蒙古」「チベット」「新疆」を侵略し異民族を虐殺。共産主義と漢民族化を強制し、清朝時代の最大版図を「歴史的領土」とするばかりか、尖閣諸島や東シナ海、南シナ海をも併呑しようする中共の野望は尽きることはない。

 そして領土拡大主義を採る習近平体制は「一国二制度」の崩壊を招く国家安全法を強行可決し、更には台湾の併呑を目論み、沖縄県をも睨む。

  中共は国連総会に於いて「敗戦国(日本)が戦勝国の領土(沖縄・尖閣列島)を占領しようとしている」と発言したのは記憶に新しい。これは、国連憲章第53条並びに第107条の「旧敵国条項」を念頭に発言であるのは間違いない。

 国連憲章の敵国条項とは「連合国の敵国であった日本などが再び侵略行為を行った場合、他の国は安保理の承認なしに武力行使出来る」と規定されている。

 つまりは国連憲章に基付けば、中共は戦勝国として我が国を監視し、我が国の如何なる理由による防衛も侵略行為と断定すれば武力行使は可能ということだ。

  よくよく考えてみれば、中共が戦勝国というのも無理がある。先の大戦で我が国が戦ったのは連合国だった「中華民国」であり、戦後4年も経ってから建国された「中華人民共和国」ではない。何故にこうしたことが成されたのか。

 我が国は主権が恢復した昭和27(1952)年4月28日、米国との「日米平和条約」が発効された。そして同日、中華民国(台湾)との「日華国交条約」を締結した。報恩感謝として国際条約を締結したことは道義国家として当然だろう。

 だが然し、昭和47(1972)年9月29日、田中角栄首相が「日中共同声明」に調印する。田中は「中国共産党を唯一の政府である」と認め、一方的に国際法規である「日華国交条約」を破棄し「日中平和条約」を締結するに至った。

 別に中華民国を主権国家として認めれば好かったものを、中国共産党に譲歩し諂って中華民国を見捨てた。道義国家日本が崩壊した瞬間でもあった。

 国際法規を破棄した田中の行為は憲法違反であり、終戦間際に「日ソ中立条約」を一方的に蹂躙したロシアの蛮行と同じ。断じて赦されるものではない。

 日中友好条約には「両締結国は、善隣友好の精神に基きかつ平和及び互恵並びに内政に関する相互不干渉の原則に従い両国民の交流促進のため努力する」と踏襲されている。だが、交流促進に努力してるのは日本側だけだ。

 どう見ても中共の行動や言動は、条約に明記されている「善隣友好の精神」に基いての行動とは程遠く、言行の全てが恫喝であり、また我が国の政治家どもは中共に媚び諂うことこそ「善隣友好」だと勘違いしてしまっている。

 香港の民主化デモは国家安全維持法成立で中止に追い込まれ、活動家らは次々と検挙されつつある。「一国二制度」とは詭弁であったことが証明されたが、他国のことと雖も、香港の民主主義が崩壊して行くのを拱手傍観して好いのだろうか。

 日本の戦争責任を問うが、我が国がアジアの人々に謝罪し、その罪を償う必要があるというなら最大の過ちは敗戦に由って中国共産党を始めとする共産主義の跋扈を許したことであり、その償いは共産主義を失くすこと以外にない。

 共産主義の撲滅は世界の悲願であり、中共の民主化が世界平和を齎すと言っても過言ではない。日本国内で蠢いている日本共産党や始め中国共産党の御先棒を担ぐ共産主義勢力を駆逐し、アジアに真の償いをしよう。呵呵大笑。

※コメントは会員のみにさせて頂いておりますが、コメント入力希望の方はパスワードを教えますのでmr.cordial@live.jpへ御気軽にメールを寄せられたい。

《会費&御支援》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ

cordial8317 at 05:01|PermalinkComments(0)

2020年07月06日

東京都知事選挙は予想通り小池百合子の秒殺だったな(笑)

 東京都知事選挙は予想通り小池百合子の秒殺。野党候補と左翼陣営の宇都宮健児と山本太郎の票を足してもダブルスコアの大勝利。山本太郎を同じアホタレ議員の須藤元気が必死に応援してたが、小池とのこの大差には嗤うしかない。

 須藤は「勝つ選挙というのは分かるんです」と、聴衆を前に山本の勝利を疑わず悦に入っていたが、山本が当選すると思っていたなら限りなくアホ過ぎる。良識の府の参院議員を辞職し、山本と共に革命を目指しなさいな。

 原発事故以来、風評を垂れ流し福島を咎め続けてる山本太郎だが、都知事になった暁にはトリチウムを含んだ処理水は是非とも東京湾に放出し福島を救って欲しいと思っていただけに、お話にならない得票数には愚生も茫然自失(笑)

 山本の不安や怒りをぶつけて世論を煽るのは天性のものがあるが、今回訴えた政策を見てもコロナとオリンピックが無かったら使い物にならない愚策ばかり。

「新型コロナウイルスという災害で生活困窮者が増えている」として、都民全員に10万円の給付と東京五輪・パラリンピックの中止なども訴えたが効果なし。

「都知事になって餓死寸前の人を救いたいと思った」と説明したが、この「飢餓寸前の人」というのは、原発事故で「弱者に寄り添う」とした手法と同じ。

 原発事故の弱者とは、原発事故を利用して自主避難し福島を貶めてる自称・被災者らだったが、飢餓寸前の人というのも一部の働きたくない自称困窮者らだろう。

 山本の演説に聞き入る聴衆は動員された左翼と権威主義のアホばかりで、演説の中身を考えることなく周りの雰囲気に呑まれて山本支持者となる。

 山本の目的と役目は中核派の傀儡として、共産主義を行政権と連結せしめること。そういう意味でも今回の都知事選挙の結果は都民の良識が表れたとも言える。

 前回の都知事選挙では、自民党都連は自民党員だった小池出馬に難色を示し自民党員ではない増田寛也を推薦した。小池は、こうした旧態依然の自民党東京都連を都政改革の元凶(抵抗勢力)と捉え、都政改革を訴え当選した。

 女の恨みというものは強烈なもので、「都議会の冒頭解散」を打ち出し、都政最大のガンえある既得権益を仕切るボス(内田茂)政治を糾弾し、「都政を(都民に)取り戻す」をスローガンに小池の一大旋風を巻き起こした。

 都知事選の結果を受け都議会のドン内田は引退を表明。豊洲市場移転問題も宇都宮健児と連帯して政局に持ち込んだ。この共産党らとの申し合わせが後々事をややこしくしたが、対自民党の選挙戦では分かり易い構図だった。

 今回の結果は実質的に自民党の小池への信任投票。山本太郎は敗戦を受けて「小池知事との討論会が出来たら結果は違った」と悔しさを滲ませていたが、討論しても結果は同じだったろう。要は、身内や周りで盛り上がってただけのこと(笑)

 相変わらずマスコミは、小池百合子都知事、宇都宮健児、前熊本県副知事の小野泰輔、立花孝志らだけを有力出馬候補としていたが、前回の都知事選挙で約11万票獲得した日本第一党代表の桜井誠を泡沫候補として無視し続けた。

 今回、桜井が前回より7万票近く伸ばして約18万票を獲得。N国の立花孝志の4倍以上の票だが、立花を取り上げ桜井を泡沫候補としてマスコミ報道姿勢は公正・公平さに欠ける。左翼票が伸び悩む中で18万票を獲得した意味は大きい。

 桜井は、左翼が如何に日本を咎めているか、在日外国人への生活保護問題やパチンコ問題など、一部の者にしか知らない現実を白日の下に曝した功績は大きい。

 今回の出馬で、桜井が訴える内容は朝鮮人への蔑視や差別という「ヘイトスピーチ」なるものではなく、実は日本人の心の奥底に在る獅子吼でもあった。

 今後はくだらんシバキ隊なんぞ相手にせず、日本人への逆差別的陋習の撤廃や国益を重んじるという大義ある政策を更に広めていくことこそ使命であろう。

 桜井代表を嫌う右翼関係者は少なくないが、愚生は嫌いじゃない。彼の言葉は乱暴ではあるが、日本人の心の琴線に響くものがあるのは確かだろう。

 見てくれはイマイチだが、ああいう蛮勇のある人物が国政で議席を獲り、国益無視・国民不在の党利党略に狂奔する旧態依然の政治に喝を入れて欲しいものだ。

※コメントは会員のみにさせて頂いておりますが、コメント入力希望の方はパスワードを教えますのでmr.cordial@live.jpへ御気軽にメールを寄せられたい。

《会費&御支援》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ

cordial8317 at 07:49|PermalinkComments(0)

2020年07月05日

球磨川の氾濫は川辺川ダムの工事差し止めが影響したのか?

 九州地方を猛烈な雨が襲い、熊本県の球磨川が氾濫し多くの犠牲者が出ている。水が引いて状況が分かれば被害規模は増えるだろう。新聞の画像を見ると、昨年台風19号に襲われ氾濫した阿武隈川と同じで他人事とは思えない。

 ここで思うのは「90年に一度の大雨」という警告がありながら、こうした氾濫被害を食い止めることは出来なかったのかという疑問だ。

 球磨川は聳え立つ山山の狭い中を下って流れる為に「あばれ川」と呼ばれる河川で、最上川・富士川と並んで「日本三大急流」とも称される。

 歴史を見ても下流域では度度氾濫に襲われた。そうしたこともあり、昭和40年代に治水と防災を目的でダム計画が成された。

 民主党政権下、予算の見直しが進められ「公共事業の無駄遣いの見直し」「新たな治水対策を考える」という理由を掲げ群馬県の八ッ場ダムをその象徴として大々的に取り上げた。熊本県の川辺川ダムも中止に追い込まれた。

 ダムが造られる村では移転も完了し、工事計画が進んでる中での中止こそ無駄遣いそのものだが、仕分けというパフォーマンスに翻弄された。

 八ッ場ダムや川辺川ダムを「税金の無駄」と断じながら、小沢一郎の地元の「胆沢ダム」は中止をしなかった。中止にしなかった理由は「既に本体工事に入っているから」と説明していたが、余りにも説得力がない。

 民主党の目玉であり、一丁目一番地とも言うべき八ッ場ダムの中止にしろ、川辺川ダム、諫早湾干拓の中止も、小沢へ献金した西松建設が関与していない、つまり小沢に献金しなかった企業の工事ばかりだった。

 民主党は「政治資金の透明化」「政治資金規制の強化」の政策を掲げてはいたが、何故か「政治資金による個人蓄財の禁止」は明記していない。

「収支報告書の開示や領収書の保存」などを挙げながら、小沢が行った政治献金の大きな抜け穴に関しては全く手を打たない。はっきり言えば手を打てないというのが本音で、民主党が如何に小沢の影響下に在るかが垣間見れた。

 小沢の不正献金問題は、胆沢ダム工事を請け負った関係企業ばかりで、そこを避けて政策を立てる辺りが、民主党の恣意的な政治姿勢を如実に表している。

 八ッ場ダムは自民党が防災の意味からダム計画を進めた結果、先の台風でも下流域は災害から逃れた。八ッ場ダム再開は英断とも言える。一方で、球磨川に計画された川辺川ダムは「壮大な税金の無駄遣い」として頓挫した儘だ。

 反対派は今回の被害を受けてどんな気持ちでいるのだろう。阿武隈川の氾濫では、嵩上げに反対してた住民が、テレビに出て「対策は講じなかったのか」と被害者を装っていたが川辺川ダム反対派も似た様なものか。

 それにしてもアノ仕分けとは何だったのだろう。無駄遣いのチェックは分かるが、数兆円を捻出したいのに数百万円を削減させて国民に成果をアピールし、「二番目じゃダメなんですか?」と大見えを切った。

 予算を理由に廃止することは正にポピュリズムであり、国家百年を見据えた事業なら国民が反対しようとも粛々と実行すべきだ。我が国が目指すべきは観光立国ではなく技術立国である。その為の予算を出し惜しみしてはならない。

 例えば、高速増殖炉「もんじゅ」も予算を理由に撤退を余儀なくされたのは記憶に新しいが、もんじゅは核燃料サイクルの施設であり、言い換えれば、原子力の平和利用の為のものでもあるということを知る国民は限りなく少ない。

 高速増殖炉に成功させることで、世界のエネルギーの平準化を達成出来れば、我が国が世界から尊敬されるだろうに、「予算的に」という理由で廃炉される様なことになれば経済大国としても技術立国としても実に情けないことだ。

 もんじゅに限らず国家百年の大計がくだらん理由で廃止されることに違和感を覚える。今回の氾濫を教訓に川辺川ダムの工事再開を決断せよ。

※コメントは会員のみにさせて頂いておりますが、コメント入力希望の方や御意見は mr.cordial@live.jp へ御気軽にどうぞ。

〈会費&御支援〉みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ

cordial8317 at 07:18|PermalinkComments(0)

2020年07月03日

日本共産党委員長の志位和夫の認識は正しい(笑)

 ロシア・プーチン大統領の長期続投を可能とする憲法改正案成立が確実になったことに関し、日本共産党の志位が「プーチン政権の覇権主義がむき出しの形で表れたものであり、今回の憲法改定に強く抗議したい」と批判した。

 憲法改正案に、北方四島を含む領土の割譲禁止が明記されたことを踏まえ「安倍晋三政権の対露外交の大破綻を示すものだ。これまでの対露交渉、領土交渉のあり方の根本的な見直しが必要だ」と語ったが、悲しい哉、正論過ぎる(笑)

 本来なら領土返還を目指す安倍首相が批判すべきことだが、北方四島ではなく二島返還論を訴えた安倍の弱腰返還要求がこうした事態を生んだとも言える。

 昨年1月、モスクワで行われた日ロ首脳会談で安倍は「1956年の日ソ共同宣言を基に、歯舞群島と色丹島2島の返還が成されれば平和条約締結を行う方向だ」との認識を示し、四島一括返還論を放棄したのは記憶に新しい。

「北方領土奪還」は正に日本民族の悲願である。戦後70年以上も経った今日、北方領土問題は未だ解決の糸口すら見えて来ないのは一体何故なのか。

 思うに、領土そのものの重要性に対する認識不足と、如何に不法に占拠されたかの真相把握が欠如していること、更には、ロシアへの認識の甘さと対応の甘さ等が綯い交ぜとなった結果が未だに解決の兆しすらない根源である。

 北方領土は、我が国がポツダム宣言を受諾し武装解除を受け入れたことに乗じ、ソ連(現ロシア)がカイロ宣言の領土不拡大の大原則を破って強奪した。

 北方領土問題に対しては自民党内でも意見が分かれる(二島返還か四島返還か)が、本来は4島を含む全千島列島及び南樺太が日本固有の領土である。安倍の北方領土への認識不足は顕著で、そこをロシアに見透かされる。

 明治維新を成し遂げた日本政府は、全権特命大使であった榎本武揚がロシアとの外交交渉を重ねた結果、明治8(1875)年5月7日、ロシアとの間で「樺太・千島交換条約(サンクトペテルブルク条約)」が締結される。

 その結果、混住の地だった樺太の北側と千島列島を交換し、南樺太と占守島までの全千島列島が我が国に帰属した。その後、日露戦争で勝利した我が国は米国の仲介で「ポーツマス条約」を締結し、南樺太を日本領とした。

 ロシアは第二次大戦の勝利、つまりは「ヤルタ秘密協定」を楯に北方領土の主権を主張しているが、ヤルタ秘密協定こそが国際法的にも意味を成さない協定であり、サンフランシスコ平和条約の千島関連の条項もまた然り。

 因みにソ連は、1926年から1941年までの15年間に「不侵略条約」「中立条約」「不侵略」「中立」の名を冠した国際条約を東西15ヶ国と結んでいるが、そのうち14ヶ国との条約を蹂躙。国際条約を利用して侵略を実行した。

 その点、日本共産党は一貫して4島を含む全千島列島が日本領と主張している。志位は平成16(2005)年2月7日の北方領土の日に次の様に語っている。 

「スターリン時代の旧ソ連は、第二次世界大戦の時期に、バルト三国の併合、中国東北部の権益確保、千島列島の併合をおこないました。これは『領土不拡大』という連合国の戦後処理の大原則を乱暴にふみにじるものでした。このなかで、いまだにこの無法が正されていないのは、千島列島だけになっています。ヤルタ協定の『千島引き渡し条項』やサンフランシスコ条約の『千島放棄条項』を不動の前提にせず、スターリンの領土拡張主義を正すという正義の旗を正面から掲げて交渉にのぞむことが、何より大切であることを強調したいのであります」

「日露領土問題の根源は、第2次世界大戦終結時におけるスターリンの覇権主義的な領土拡張政策にある。スターリンは、ヤルタ会談(1945年2月)でソ連の対日参戦の条件として千島列島の『引き渡し』を要求し、米英もそれを認め、この秘密の取り決めを根拠に、日本の歴史的領土である千島列島(国後、択捉から、占守までの全千島列島)を併合した。これは『カイロ宣言』(1943年11月)などに明記され、自らも認めた『領土不拡大』という戦後処理の大原則を蹂躙するものだった。しかもソ連は、千島列島には含まれない北海道の一部である歯舞群島と色丹島まで占領した。第2次世界大戦終結時に強行された、『領土不拡大』という大原則を破った戦後処理の不公正を正すことこそ、日ロ領土問題解決の根本にすえられなければならない」(平成23(2010)年11月9日)

 現在、世界の各地での民族争いの中で国境紛争が頻繁に起きている。世界では寸土たりとも主権確立には戦いをしてまで死守しているのが世界の常識であり、「奪われたものは奪い返す」以外に解決手段は無いという認識を共有している。

 世界の常識通り、奪われた領土は奪うことでしか解決出来ない。悲しい哉、我が国の政治家どもにはそうした気概が欠落している。拉致問題も同じく「奪い返す」ことでしか解決方法は無いが、安倍にはその命懸けの気概も気魄も全く無い。

※コメントは会員のみにさせて頂いておりますが、コメント入力希望の方や御意見は mr.cordial@live.jp へ御気軽にどうぞ。

〈会費&御支援〉みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ

cordial8317 at 07:12|PermalinkComments(0)

2020年07月02日

「友よ山河を滅ぼす勿れ」というスローガンを掲げ反原発を訴えてるが

106248919_2748407565264313_4313783554845727739_o
 山形県から福島市を流れる一級河川「荒川」が、調査対象162河川の中で、10年連続で「水質が最も良好な河川日本一」に認定れた。昨年10年連続で選ばれた北海道の尻別川は今年は外れた。熊本県の川辺川が14年連続。

 水の汚れを示す指標の一つである生物化学的酸素要求量(BOD)の年間平均値を用いて水質を評価しているが、荒川のBODは1ℓ0.5㎎。荒川は景観が素晴らしく、山形へ続くルートは釣り場としても人気の河川だ。

 原発事故以来、山本太郎を筆頭に「被曝する場所で生活なんてありえない」「福島の人達は命に怯えながら生きている」「美しい福島の自然は破壊された」などと、福島の現実も見てもいないのに恰も見て来た様な嘘を垂れ流す。

 福島第一原発事故周辺だけを見て福島県を貶め続けてるが、福島は彼らが思うほど自然は破壊されてはいない。「10年連続日本一」というのでも分かるが10年前は原発事故の起きる前年。反原発派こそ復興に水を差す現実逃避の盲だ。

 今や福島県内に限らず全国で太陽光パネルを敷き詰めた施設が乱立している。バブル崩壊で倒産したゴルフ場の有効利用ならまだ分からないでもないが、新たに森林を伐採してまで設置する再生可能エネルギーって何なんだろう。

83157064_2526100407704244_1300750682933034956_o
 愚生の故郷にはバブル時代に出来た小浜城ゴルフ倶楽部が在ったが、今やメガソーラーの施設となっている。その近くに「二本松太陽光発電合同会社(本社・東京都銀座)」が森林を伐採しメガソーラー施設を進めている。

 その広さは東京ドームの4倍の広さで、施工は何故か石川県の池田建設工業。故郷の麗しき山河が金儲けで伐採されて行くのは悲しいことだ。

 県内をドライブすると大規模な太陽光パネルや巨大な風力発電の風車を目にする。郡山市内では布引山、会津の背炙山の巨大風車は正に圧巻。だが自然の風景と最先端技術の融合は見る者にとっては異様な光景である。

 原発稼働停止で、国内の大資本から民間企業、外国資本までもが太陽光発電事業に参入した。結果は地上げ屋が跋扈し山林が売買され森が伐採されて行った。

 緑豊かな森が人工的なパネルで敷き詰められ、広場も埋め尽くされ自然の景観を損なっている。バブルで浮かれてゴルフ場が開発された時代と同じ構図だ。

 エネルギー資源の乏しい我が国が、原発の再稼働無しで繁栄を維持出来るとは到底思えない。何より「便利」という価値観に溺れた日本人が、太陽光や風力、再生可能エネルギーだけで足りるとも思えない。 

 反原発派は「電力は足りている」というが、産業振興に伴う電力不足の不安は大きく、原発事故以来、化石燃料に頼ったツケが我が国経済に大きく圧し掛かっているではないか。原発再稼働をしないことで余計な経費が加算された。

 原発停止に伴う火力発電に使われる液化天然ガスや、太陽光パネルに使われる半導体等電子部品、石油製品の輸入増加で貿易収支は赤字続き。

「脱原発」の理想は分からないでもない。だが、それよりも原発の安全対策を施すことが喫緊の課題であり、福島第一原発の事故も防波堤などの整備を万全にしてさえいたら大事には至らなかった。「人災」の原因こそ改めるべき。

「想定外」の巨大地震が起き、東日本大震災を上回る大津波が発​生したとなれば、日本の原発より、中共や韓国の原発が危​機に瀕するのは明らか。

 そうした事態に備え、我が国は原発事故の原因と対策、更には収束技術や環境に与える影響などあらゆる研究を怠らず、万が一事故が起きたなら、その研究や技術を提供することこそ原発事故を起こしてしまった我が国の務めであろう。

 故野村秋介が叫んだ「友よ山河を滅ぼす勿れ」というスローガンを掲げ反原発を訴えてる右翼こそ、こうした風潮に異を唱えるべきだが何故か沈黙。反原発なら赦す行為は、反米なら反天皇で在ろうが連帯するソレと同じ(苦笑)

 太陽光エネルギーという名のバブル崩壊は時間の問題。営利至上主義から伐採された森林も、バブル崩壊で荒れたゴルフ場と同じ様にほったらかしにされるだろう。緑豊かな森が伐採されたら元の麗しき姿に戻ることはない。

※コメントは会員のみにさせて頂いておりますが、コメント入力希望の方や御意見は mr.cordial@live.jp へ御気軽にどうぞ。

〈会費&御支援〉みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ

cordial8317 at 08:17|PermalinkComments(0)

2020年06月30日

県内の自治体で「トリチウム処理水海洋放出に反対する意見書」が次から次と可決

 東京電力福島第一原発周辺に貯まり続けるトリチウム処理水海洋放出に反対する意見書が県内各地の自治体で次から次と可決されている。どこの自治体も全会一致らしいが、怪しい風潮に疑義を呈す議員がいないというのも情けない。

 反対の理由は更なる風評被害を危惧してのことだが、「風評被害対策の拡充と強化、情報の公開、風評被害に苦しむ県民への丁寧な意見徴収と合意の要件を満たす」ことを海洋放出の絶対条件としてるが、つまりは放出は永久に無理。

 田中和徳復興相は、この処理水の処分について「地元の意見を大切にしながら結論を出すべきだ」との私見を述べているが、処理水の海洋放出は世界の常識であり、いつまで非科学的な住民感情を優先するのか。

「風評被害対策の拡充と強化」というが、「福島県内の農家は汚染物を作りバラ撒き続けている」と騒ぎ立てた山本太郎を始め、未だに福島県を咎め続ける非科学的風評に対し抗議や発言の撤回を求めたなどとは聞いていない。

 反原発派は「被曝する場所で生活なんてありえない」「大人の無理心中に子どもを付き合わせる」と福島県に対する差別を猛省することもない。

 反原発派どもは「福島の人達は命に怯えながら生きている」「福島の人とは結婚するな」などという批判を垂れ流し続けたことは断じて赦さない。

 民間有志で立ち上げた「ファクトチェック福島」というウェブサイトがある。このサイトはメディアや評論家による「デマ」「誤報」「印象操作」「福島への差別の助長」などをチェックし、データを示して反論を試みてる団体である。

 彼らの活動は「福島関連のデマや報道被害などの情報収集」「科学的知見による基礎知識の共有」「科学的知見に対する専門家による記事の寄稿」に拠り、福島に関連するデマや差別などを撲滅することが目的。

 本来なら「風評被害対策の拡充と強化」を図るべき自治体や議会が率先してやるべきことだが、反原発派に与して、処理水海洋放出反対に奔る。風評被害を阻止出来ないなら、こうした民間団体の行動を県民に啓蒙すべきだろう。

「情報の公開」と言うが、貯まり続ける処理水の処分をこのまま次世代へ丸投げすることが正しいのか。諸外国の原発処理水が海洋放出してる現実を知ってる県民がいないのは、情報の公開が成されていないことを裏付けている。

「風評被害に苦しむ県民」というが、風評被害で苦しんでる人というのは誰か。一部の自称被災者や業界の利権が絡んでいるとしか思えない。こういう勢力に丁寧に説明したところで合意することは絶対に無いだろう。 

 原発事故当時、民主党政権は年間被曝の科学的根拠を示さず、原子力規制委員会の「放射線防護対策の年間被曝線量は20ミリシーベルト以下」との提言を無視し、始められたのが「除染」というマヌケな作業だった。

 未だに続けられる約25兆円とも言われる除染関連事業で儲かったのは、請け負った大手ゼネコンと一部の業者だけ。下請けや孫請けなら未だしも、それより下の業者の儲けは少なく、親会社に裏切られた下請け業者は相当数に上る。

 県内各地の空き地や田畑には除染土入りのフレコンバッグが山積みにされたが、田畑一反に付き15万円の利用料が支払われる。例年の農業収入は一反に付き約5万円。つまり、汗して農業をしてるより儲かるシステムが確立された。

 漁業関係者も同じ様なもので、「漁師が漁に出られない苦しみを理解出来るのか」というキレイゴトで莫大な賠償金や補償金を得た。「これまでの努力が無駄になる」と処理水の海洋放出に反対してるが本音は補償金の二番煎じ。

 漁業関係者は海洋放出以外の全ての処分方法にも反対してるが、要は漁業関係者らは福島を貶めている勢力である反原発派と同列であり、私欲や感情論から科学的根拠も信じない姿勢が福島への風評被害を拡大させる要因になっている。

 福島第一原発周辺の処理水タンクは約680基に及びその水量は92万トンに上る。2020年には137万トンになる。このまま放置し、またタンクが増設されれば環境破壊にも繋がり、それこそ福島への風評被害が止むことはないだろう。

 新聞や報道では「放射性トリチウムを含んだ処理水」ということを大きく報じる。これを見た国民の多くが「放射性物質」「トリチウム」の言葉に怯える。

 トリチウムというのは放射線エネルギーは弱く、人体の影響はセシウムの700分の1程度。原発事故に因る放射線セシウムが人体に影響も及ぼしてない中で、トリチウムを含んだ処理水の処分に反対するのは単なる感情論でしかない。

 福島原発周辺に貯蔵されてる処理水のトリチウム総量は2016年3月時点で760テラベクレル。諸外国の再処理施設から海洋へ放出されている処理水に比べても100分の1程度で、専門家の「人体に影響を及ぼす数値ではない」は正しい。

 1979年のスリーマイル島原発事故では93000テラベクレル、1986年のチェルノブイリ原発事故では520万テラベクレルと推定されている。1テラベクレルとは1ベクレルの1兆倍。「兆」という単位は余りにも大きい数値に感じるだけ。

 カナダのブルース原発からは年間1280兆ベクレル排出。フランスのラ・アーグ再処理施設からは年間1京1600兆ベクレルが排出されている。「京」とは「兆」の更に上の桁。かなりの数値だがこれらの数値は国際基準値の範囲内である。

 因みに、福島の漁業関係者よりも強力に処理水の海洋放出に難癖を吐けてる韓国だが、韓国は月城原子力発電所で4基のCANDU炉を運転しているが、月城原発が4基体制に入った1999年以降の累積では6000テラベクレルを超える。

 真剣に福島への風評を阻止したいなら「住民への理解が深まっていない」というのではなく、自ら率先して科学的データを内外に広めることであり、県民や市民の代表者が、被害者意識丸出しの他力本願をいつまで続けるつもりか。

 民主党政権下で科学的根拠も示さず低放射線への無理解から始められた除染作業は、住民の不安を払拭するどころか、県外の人からは「福島県は除染をしないと住めない土地」という風評被害を齎したことを忘れてはならない。

 人体に全く影響のないトリチウム汚染水に怯え、処理水の処理を先送りしたり海洋放出に反対していること自体が復興を阻害していることに気付くべきだ。

※コメントは会員のみにさせて頂いておりますが、コメント入力希望の方や御意見は mr.cordial@live.jp へ御気軽にどうぞ。

〈会費&御支援〉みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ

cordial8317 at 06:10|PermalinkComments(0)

2020年06月24日

感情論優先の安倍批判を繰り返す小沢一郎の劣化が止まらない

 Twitterでの小沢一郎(事務所)のツイートが目に留まった。小沢本人がピコピコやってる訳ではないだろうが、ツイートの内容は安倍批判と左翼思想。国家観はまるで無く、憲法観を見ても改憲政党である自民党元幹事長とは思えない。

 自民党歴代の幹事長には野中広務や古賀誠などの売国奴がいるが、小沢の売国性は留まるところを知らず、感情論優先の安倍批判もここまで来るとキモイ(笑)

 河井夫婦の公職選挙法違反を受けて「こんな無法者を法務大臣にしたのは誰だろう。酷すぎる」「数千万円を地元の有力者にばらまいた、その原資と見られる1億5千万円もの大金を出したのは誰だろう」とツイート。

 暗に安倍首相の任命責任を問うてるが、原資は血税である政党交付金であり、政党交付金の在り方に疑問を呈すべきだが、論点を摩り替えて安倍批判。

 そういやその昔、「新生党」と「自由党」の政党交付金23億円をネコババして不動産購入や蓄財をした議員がいたなぁ。小沢一郎って言ったかな(笑)

 政治資金規正法違反に問われた小沢一郎の「政治とカネの問題」は、本を糺せば政党交付金の在り方を論じなければならない問題だった。

 政党交付金は、リクルート事件やゼネコン汚職事件が相次いだことから、企業・組合・団体からの政治献金を禁止する代償として政党助成法を成立させた。

 政治活動の自由という観点から、政党交付金の使い道には制限も無ければ、立法事務費も使途報告の必要も、解散時の返納する義務もない。

 小沢が解党時のカネを返還しなかったことも、河井案里も使途報告の義務もない。だが、立法府である国会議員が、「法律の範囲内なら」と法を巧妙に抜けて不動産購入や蓄財するということは断じて赦されることではない。

 小沢は政治資金の在り方に関し、自著「日本改造計画」で「政治資金の出入りを1円に至るまで全面的に公開し流れを完全に透明にすること」と提唱した。

「同時に罰則の強化も主張し、違反の言い逃れを封じる為に「連座制」を導入すべきとも訴えた。然し、現実には、こうした主張をしてる蔭で、既に西松建設のダミー会社から献金を受け取っていたのだからフザけた話だ。

 自著「語る」では、「僕は、天下国家の為にお使い下さいという資金の提供は、百円でも千円でも有難く頂戴するけれども、何かの対価として見返りを求める様なカネは貰う気はないし、そういう心構えの人と今迄付き合ったことはない。だから僕自身には何もワーワー言われる問題は無いんです」と述べている。

 だが、西松建設事件で問題になった3億円も、不動産疑惑で問題になった10億円以上の献金も、北朝鮮系の水谷建設からの1億円の闇献金も、新生党と自由党解党時の政党交付金23億円余りの金が、今以って小沢の手中に留まっている。

 これらの疑惑に小沢は「私は陸山会所有の全ての不動産について如何なる権利も持っていない」と詭弁を弄している。今は誰の名義になっていることやら。

 河井夫婦の公職選挙法違反なんぞ小沢の蛮行に比べりゃ取るに足らない事件であり、原資が政党交付金であり政党助成法を廃止すべきだろう。

 昨日の沖縄戦終結の日にも記者会見で「総理の態度そのものが沖縄に対する冒涜」と安倍政権を批判。その中でトランプ大統領が求めた年間約80億ドルの分担金にも言及してたが、アレは安倍がトランプに説明して取り消させたことだ。

 都合の悪いことは語らない。というより、小沢は根っからの口下手で、気が小さく、当然に人前で話すのが苦手。政治家としては致命傷となることが、マスコミと国民が誇張した「剛腕」というイメージから国民が小沢に期待する

 口下手が「恐らく裏があるのではないか」「話せない事情があるに違いない」と、小沢のイメージを増幅するカタチになってしまうが、「小沢一郎ならやってくれるに違いない」との期待は、マスコミの作った幻想でしかない(苦笑)

 小沢が国家国民の為に何をやってくれたことは全く無い。政治とは最高の倫理であり、最高の道徳でなければならない。その日本人としての倫理も道徳も国家観も欠落している小沢は、政治家としての資格も安倍を批判する資格も無い。

 元幹事長としての苦言なら好いが、単なる批判は見苦しい。中国共産党の走狗である小沢が自民党幹事長だったということは自民党の暗黒史だろう。晩節を汚すのもこれくらいにして、己の不徳を恥じ政界から引退しなさいな。呵呵。

※コメントは会員のみにさせて頂いております。コメント入力希望の方はパスワードを教えますので mr.cordial@live.jpへ御気軽に!

《会費&御支援》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ

cordial8317 at 08:03|PermalinkComments(0)

2020年06月20日

原発から出る処理水の海洋放出は世界の常識である

 田中和徳復興相は、東京電力福島第一原発周辺に貯まり続ける処理水の処分について「地元の意見を大切にしながら結論を出すべきだ」との私見を述べた。処理水の海洋放出は世界の常識であり、いつまで住民感情を優先するのか。

 処理水の海洋放出を「現実的な選択肢」とした政府小委員会の提言に対し、地元紙が行った県内の首長へのアンケートでは、飯館村を除いて「理解が深まっていない」と回答。要は、地元の意見優先なら処理水の処分は先送りするしかない。

 処理水の具体的な場所を「県内」としたのは鮫川村と飯館村。「県外」や「福島県を含む全国」と答えた首長がいるが、意味不明なのは「その他」。設問がそうなってるからそう答えたのだろうが、本気で解決したいという意思を感じない。

 取り敢えず、首長の椅子に座っていたいから反原発派に誑かされている住民感情に逆らわない、無難な意見にしておこうという邪な考えを垣間見る。

 マヌケなのは「望ましい処分方法」として、現在の状況を理解しているのか、「タンクによる長期保管」と応えてる首長らだ。こういう連中は現実の危機感を共有することのない、安っぽい感情から出でる単なるセンチメンタリズム。

 長期保管継続と答えた首長の中に本宮市の高松市長がいるが、もう少しまともだと思っていただけにガッカリ。所詮は市長の前に坊主であり、宗教の杓子定規でしか物事を見ていない偏狭な考えを市民に垂れ流す弊害は少なくない。

 原発事故当時、民主党政権は年間被曝の科学的根拠を示さず、原子力規制委員会の「放射線防護対策の年間被曝線量は20ミリシーベルト以下」との提言を無視し、始められたのが「除染」というマヌケな作業だった。

 未だに続けられる約25兆円とも言われる除染関連事業で儲かったのは、請け負った大手ゼネコンと一部の業者だけ。下請けや孫請けなら未だしも、それより下の業者の儲けは少なく、親会社に裏切られた下請け業者は相当数に上る。

 県内各地の空き地や田畑には除染土入りのフレコンバッグが山積みにされたが、田畑一反に付き15万円の利用料が支払われる。例年の農業収入は一反に付き約5万円。つまり、汗して農業をしてるより儲かるシステムが確立された。

 漁業関係者も同じ様なもので、「漁師が漁に出られない苦しみを理解出来るのか」というキレイゴトで莫大な賠償金や補償金を得た。「これまでの努力が無駄になる」と処理水の海洋放出に反対してるが本音は補償金の二番煎じ。

 漁業関係者は海洋放出以外の全ての処分方法にも反対してるが、要は漁業関係者らは福島を貶めている勢力である反原発派と同列であり、私欲や感情論から科学的根拠も信じない姿勢が福島への風評被害を拡大させる要因になっている。

 福島第一原発周辺の処理水タンクは約680基に及びその水量は92万トンに上る。2020年には137万トンになる。このまま放置し、またタンクが増設されれば環境破壊にも繋がり、それこそ福島への風評被害が止むことはないだろう。

 新聞や報道では「放射性トリチウムを含んだ処理水」ということを大きく報じる。これを見た国民の多くが「放射性物質」「トリチウム」の言葉に怯える。

 トリチウムというのは放射線エネルギーは弱く、人体の影響はセシウムの700分の1程度。原発事故に因る放射線セシウムが人体に影響も及ぼしてない中で、トリチウムを含んだ処理水の処分に反対するのは単なる感情論でしかない。

 福島原発周辺に貯蔵されてる処理水のトリチウム総量は2016年3月時点で760テラベクレル。諸外国の再処理施設から海洋へ放出されている処理水に比べても100分の1程度で、専門家の「人体に影響を及ぼす数値ではない」は正しい。

 1979年のスリーマイル島原発事故では93000テラベクレル、1986年のチェルノブイリ原発事故では520万テラベクレルと推定されている。1テラベクレルとは1ベクレルの1兆倍。「兆」という単位は余りにも大きい数値に感じるだけ。

 カナダのブルース原発からは年間1280兆ベクレル排出。フランスのラ・アーグ再処理施設からは年間1京1600兆ベクレルが排出されている。「京」とは「兆」の更に上の桁。かなりの数値だがこれらの数値は国際基準値の範囲内である。

 因みに、福島の漁業関係者よりも強力に処理水の海洋放出に難癖を吐けてる韓国だが、韓国は月城原子力発電所で4基のCANDU炉を運転しているが、月城原発が4基体制に入った1999年以降の累積では6000テラベクレルを超える。

 県内の首長らが真剣に福島への風評を阻止したいなら「住民への理解が深まっていない」というのではなく、自ら率先して科学的データを内外に広めることであり、県内の首長が立ち上がることで福島への風評が鎮まるだろう。

 科学的根拠も示さず、低放射線への無理解から始められた除染作業は、住民の不安を払拭するどころか「福島県は除染をしないと住めない土地」という風評被害を齎した。処理水の海洋放出は世界の常識、除染と同じ轍を踏んではならない。

※コメントは会員のみにさせて頂いておりますが、コメント入力希望の方や御意見は mr.cordial@live.jp へ御気軽にどうぞ。

〈会費&御支援〉みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ

cordial8317 at 06:09|PermalinkComments(0)

2020年06月16日

「福島県産を買うくらいなら中国産を買う」と口外して憚らない山本太郎が都知事候補(苦笑)

 反原発運動家として福島県や福島の農家を咎め続け、「福島県内の農家は汚染物を作りバラ撒き続けている」「福島県産を買うくらいなら中国産を買う」と口外して憚らない山本太郎が、東京都自自選挙に立候補する。

 福島原発事故後、民主党政権下で科学的根拠もなく「原発周辺20キロ圏内」に避難指示を出した。山本らは避難地域ではない地域にも言及し、住民が避難しないことを「大人の無理心中に子どもを付き合わせる」などと批判した。

「駅伝やって被曝する場所で生活なんてありえない。その狂気をそこに暮らす人々に押し付けているのが国であり(略)そこで暮らす人々を本気で憂うのなら、避難の権利を勝ち取る運動に参加するのが筋」と訳の解らん自説を垂れ流した。

 山本を始め、原発事故に託けて「被曝する場所で生活なんてありえない」「福島の人達は命に怯えながら生きている」「福島の人とは結婚するな」などという批判が垂れ流されたが、結果は福島への差別を助長しただけ。

 福島の地に生まれ福島で育った愚生にしてみれば、大好きな福島の地で死にたいと願う。原発事故に由る低放射線の影響は無いが、被曝したとして癌で死ぬことがそんなに恐ろしいことか。党勢拡大や革命謀略に福島県を利用するクソども。

 山本の不安や怒りをぶつけて世論を煽るのは天性のものがある。今回の政策を見てもコロナとオリンピックが無かったら使い物にならない愚策ばかり。

「新型コロナウイルスという災害で生活困窮者が増えている」として、都民全員に10万円の給付と東京五輪・パラリンピックの中止なども訴え「都知事になって餓死寸前の人を救いたいと思った」と説明する。

「飢餓寸前の人」というのは、原発事故で「弱者に寄り添う」とした手法と同じで、原発事故の弱者とは原発事故を利用して自主避難し福島を貶めてる自称・被災者らだったが、飢餓寸前の人というのも一部の自称困窮者だろう。

 聴衆はポピュリズムや権威主義のアホばかりで、支離滅裂な演説の中身を考えることなく雰囲気に呑まれて熱狂的な山本支持者となる。山本太郎の目的と役目は共産主義を行政権と連結せしめること。騙されてはならない。

 タレントであり俳優である山本は政治家という役に成りきり演ずる。そうしたことがアジテーター(扇動者)としての優れた部分であり、それがインチキジャーナリズムから「ヒトラーの再来」などと持ち上げられる所以でもある。

 安倍総理をヒトラーに準え「独裁」などと批判していたマスコミは、何故か山本を「ヒトラーの再来」と持ち上げる。コレってダブルスタンダードでしょ(笑)

 山本太郎ファンは多く、自称・愛国者や右翼関係者の中にも「(山本の)話を聞くと民族派的な感じを受ける」と好意的に捉えてるマヌケもいる。

 山本の攻撃的なアジテーターぶりに加え、反体制や反権力の志向が民族派らしく見えるのだろうが、尊皇精神が決定的に欠落してることを赦すのか。物事の見方が薄っぺらいのは左翼陣営だけの専売特許ではなくなった様だ(苦笑)

 右翼の大物と言われてる先生方はよく「人との付き合いは政治的な考えや思想ではなくその人の人間性だ」と尤もらしいことをホザく。天皇を否定し、反権力とは程遠く、祖国日本を咎めてる輩の人間性とは何ぞや。

 共産党や極左らに人間味溢れる人士が居るとも思えない。山本を人間味溢れる人物と見えてしまうのは、己の中に在る権威主義という有名人好きなだけだろう。愚生は福島差別を助長し、未だ猛省もしない山本は断じて赦さない。

 以前、中核派機関誌「前進」では「山本太郎氏の主張は労働者階級人民の率直な叫びである(略)新たな時代の選挙闘争として、都政を革新する会を先頭に山本太郎氏とともに参院選闘争に総決起する決意だ」と、山本の記事で溢れた。

 嘗て三島由紀夫は自著で、「我々はあらゆる革命に反対するものではない。暴力的手段たると非暴力的手段たるとを問わず共産主義を行政権と連結せしめようとするあらゆる企画あらゆる行動に反対するものである」と訴えた。

 国民が想像してる以上に共産主義は政府中枢や行政に入り込み様々な企画が謀られている。それら極左の神輿が山本であり、御先棒を担いでいるのは極左を始めとしたマスコミだが、保守派や右翼陣営にその危機感は乏しい。

 目的達成の為には原発事故や被災者をも利用し支持拡大を謀るのが常套手段。前回の参院選では、山本は重度身体障碍者を利用し目的を達成した。そして今回は新型コロナウイルスを利用して党勢拡大と革命謀略を謀る。

 相変わらずマスコミは、小池百合子都知事、宇都宮健児、前熊本県副知事の小野泰輔、立花孝志らだけを有力出馬候補としているが、前回の都知事選挙で約11万票獲得した国民第一党代表の桜井誠を泡沫候補とは公正さに欠ける。

 別に桜井ファンではないが、彼の訴えは日本人の心に響くものがあるのは確かだろう。こうした候補者が消されてしまう報道姿勢と選挙制度に問題あり。

※コメントは会員のみにさせて頂いておりますが、コメント入力希望の方はパスワードを教えますのでmr.cordial@live.jpへ御気軽にメールを寄せられたい。

《会費&御支援》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ

cordial8317 at 09:01|PermalinkComments(0)

2020年06月07日

ネットでの誹謗中傷で投稿者の氏名の他に電話番号を開示するらしい

 プロレス団体・スターダムに所属する人気女子プロレスラー・木村花がSNSで浴びせられた誹謗中傷を苦にして自殺したのはつい先日のこと。この自殺を機に、総務省はSNS上での誹謗中傷に対処する為の法整備を整えるという。

 こうした問題が沸き上がると出るのが「表現の自由」や「言論の自由」。確かに憲法では表現の自由や言論の自由は認められているが、その自由には公共の秩序を守るなどの最低限の常識や良心がなくてはならない。

「表現の自由」や「言論の自由」が、無闇矢鱈に保護されている訳ではない。自由や保障を振り翳す前に、日本人としての常識や良心を自問自答したら如何か。

 インターネットやSNSでは誹謗中傷や悪口、罵詈雑言というのは当たり前というか、批判する側が本名ではなくハンドルネームならやりたい放題し放題。「そんなの気にするな」と言ったところで気になるのが正直なところ。

 愚生も「2ちゃんねる」や「爆サイ」なんかでは、匿名の正体不明な連中にあれやこれやと悪口を言い触らされている。「無職の右翼がパートに出てる奥さんを愚妻呼ばわり」と罵られたりしてるが、遜った「愚妻」が面白くないらしい。

 それを態態「書き込まれてますよ」と教えてく御節介な奴もいるが、自分で書いておきながら親切ぶって知らせているフシも無きにしも非ず(笑)

 書き込んでるのはいつものメンバーで、中には元警察官らしきものと思われるネタや一部しか知らない情報も書き込まれていたり。前はよく目を通していたが、悪口なんて気にならないと言ってもやはり気になるので閲覧を止めた(笑)

 往々にして悪口や陰口というのは嫉妬の裏返し。羨ましいとかヤキモチが悔しさとなり、誹謗中傷に奔る。逆を言えば実力を認めているということであり、正体不明の便所の落書きと同じネットの書き込み如きに一喜一憂する必要も無い。

 大勢の意見とは正論というより、単に平均的意見に過ぎない。そうした平均的意見に異を唱えたら酷い目に遭うのがネットの世界というもの。多くの世論とはチト違う意見が正論なら余計に面白くないのが大衆でもある。

 人というのは理論よりも単純に「好きか嫌いか」のどちらかで相手を判断するもの。だから正論だろうが関係なく、言葉尻や人格などを攻撃しては悦に入る。

 反抗的且つ偏狭で歪んだ先入観に囚われる者に、滔々と説得を試みたところで受け容れられることはないし、相手側が矯正されることは殆どない。

「2ちゃんねる」や「爆サイ」での罵詈雑言に対する情報開示は面倒なので放置しているが、何やら被害者からの情報開示に氏名の他に電話番号を加えるという。7月には改正の方向性を取り纏め、年内には改正案を決める方針らしい。

 情報開示は請求手続きが面倒で、必ず本人に繋がる訳ではない。結局は泣き寝入りすることが多かったが、電話番号が分かれば犯人特定に至る。請求費用や裁判手続きも簡略化されるというし、正に天網恢恢疎にして漏らさずか。

 ストーカーの様に拙ブログやネットを検閲し、粗を探してはネット上で誹謗中傷してる犯人特定が容易になるなら情報開示請求してみようと思っている。

 書き込んでると思われる人物の中で数人は特定出来ている。品川市長の支持者やSNSで知り合った人、愚生のよく知る人物も関わっていると睨んでいる。社会に於いて多くは「まさかあの人が」というのが実に多いからなぁ(笑) 

 これからはネットの書き込みを詳しく目を通してIDや発信履歴やその内容などをチェックしとこう。そして犯人が特定された暁にはInstagramに画像を曝してみたいもの。いや~楽しみが増えた。呵呵大笑。

※コメントは会員のみにさせて頂いておりますが、コメント入力希望の方はパスワードを教えますのでmr.cordial@live.jpへ御気軽にメールを寄せられたい。

《会費&御支援》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ

cordial8317 at 07:18|PermalinkComments(0)

2020年06月06日

「民度のレベルが違うんだ」という至極当然の認識にイチャモン(笑)

 麻生太郎財務大臣は、参議院財政金融委員会での新型コロナ関連の質疑応答のい冒頭に、自民党の中西健治議員から「自由という価値を守り続けていることは、高い評価を受けるべきものだ」と発言し、麻生がその見解を述べた。

「どうでしょうねぇ。自由っていうけど、憲法上(規制が)できなかったから結果としてなっただけで、そういった見識をもって臨んだのかね。それでも、効果があったところがミソですかね」と疑念を示し、更に死亡者数の例を挙げる。

「フランスの場合、(100万人あたりの死亡者は)228人(実際には445人)、アメリカが824人(同330人)、イギリスで309人(同585人)、日本は7人」と、数字を間違えてはいるが、他国に比べて日本の死者率の低さをアピール。

 外国人の記者らから日本の新型コロナの対応に驚かれた経緯を語った。新型コロナウイルスでの死者が欧米と比べて少ないことに驚かれ、「おまえらだけ(効く)薬を持ってるのか?」と聞いてくるという。

 そこで麻生が「おたくとうちの国とは民度のレベルが違うんだと言うと、みんな絶句して黙るんです」と答えたという、御得意の麻生ジョークだ(笑)

 日本を知る外国人も日本の民度の高さは認める処だろう。況してや、強制もされない自粛で被害を抑えてる事実は誇れることだろう。

 麻生大臣は「(日本は)島国で連帯的なものも強かったし、いろんな意味で国民が政府の要請に対して、きわめて協調してもらった。暴動が起きたわけでもなし。いろんな意味で国民性」と応えてるが蓋し正論だろう。

「海外から見れば(自粛要請というのは)ゆるいお願いレベルの話であっても、これだけ効果があがったというのは、我々としても誇りに思わにゃいかん大事なところだと思っております」と付け加えている。

 この麻生の答弁に日本共産党の小池晃は「世界中が絶句する暴言」だと批判し、立憲民主党の村田蓮舫は「国籍を問わずコロナ感染症で亡くなった方、そのご家族のお気持ちに寄り添わない」とまたまたキレイゴトを垂れ流す。

 小沢一郎に至っては「これぞまさしくナチスの発想」と唐突にナチスに喩え、「そもそもこんなレベルの人物が副総理で」と批判した。「こんなレベル」というなら麻生より小沢が格段上だし、小沢で国益を損した方が大きい。

「五輪開催国なのに世界中に報道されてしまって、国益を損なわないのか」とは、老害政治家の言いがかり。日本はあくまでも民度が低くあって欲しいのか。

 諸外国の様に罰則規定のある強制的なものではなく、自粛で流行を抑えてるのは正に「民度」の違いであり、日本人の国民性であり、誇っても好いではないか。

 アメリカでは黒人男性が白人警察官に殺されたことをきっかけに暴動が激化してるが、その暴動の最中に民衆らは略奪行為に奔る。日本人がこういう略奪行為をすることがないのは「火事場泥棒は恥」だと知ってるからだ。

 偽札事件で犯人でもない男性を有無を言わさず取り押さえるという行為は、人種差別とは別に警察官の小心さ、ビビリ故の結果でもある(苦笑)

 日本の警察なら未確定の事件を解決手段として考えられないが、人種差別の横溢する米国は犯人と確定される前に射殺も厭わないとは正に民度の差。

 東日本大震災でも暴動などは起きず、諸外国から日本人の規律の好さが称賛されたが、今回も正に民度のレベルの高さが世界に知れ渡った。

 記者会見で「民度」発言を問われた麻生は、「みんな我慢したんじゃないのか。罰金もないのに。違反でもないのに。それはもっと誇ってしかるべきだと思う」と答えていたが、民度の低さを露呈してるのは野党とマスコミくらいなもの。

 外国人や世界の人々が日本や日本人に感じるものは「気品」であり、洗練された礼儀正しさであり、寛大さである。世界の何処を探しても、日本人の洗練された美を追求する高い創造性や、質素な上品さに比肩するものは他にはない。

 新型コロナの成果もまた日本人の民度の高さ故の結果である。「民度のレベルが違うんだ」という至極当然の認識にイチャモン吐けてどうするの(苦笑)

※コメントは会員のみにさせて頂いております。コメント入力希望の方はパスワードを教えますのでmr.cordial@live.jpへ。

<御支援の御願い>みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ

cordial8317 at 05:35|PermalinkComments(0)

2020年05月31日

未だに「子ども」表記を続けているナンチャッテ保守ども(笑)

 Twitterで自民党に鞍替えした細野豪志のツイートでの「子ども」表記が目に留まったので苦言してみるも効果なし。フォローするのを止めた。細野に限らず、無自覚左翼から抜けきれないナンチャッテ保守どもが余りにも多過ぎる。

 平成26年6月、文科省は国会での議論を経て、マスコミや左翼どもが常用してる「子ども」表記を、漢字表記の「子供」に統一する通達を出している。

 現代国語を書き表す場合の漢字使用の目安として用いられる「常用漢字表(内閣告示)」というのがある。これを基にした「新公用文用字用語例集(内閣総理大臣官房総務課監修)」には「子供」と表記する様に示されている。

 マスコミを中心に左翼勢力は確信的に「子ども」表記を続けているが、当時の下村博文文部科学大臣の下で通達を出しているにも拘らず、自民党議員までもが「子ども」表記を使ってることはマヌケとしか言い様がない。

「子ども」表記というのは「子供」の「供」という字が「お供え物」「お供する」などを連想させ「差別的な印象を与える」というのが理由。共産党は「子供」とは「大人の付属物や人身御供を意味する」と主張している。

 誰が子供を「お供え物」「人身御供」と連想するというのだろう。遜った「私ども」の様な接尾語の場合は「原則、仮名で書く」とされているが、「大人」に対する「子供」を意味する場合、漢字二字で表記するのが正しい。

「大人のお供(とも)」を表しているというが、その場合の漢字は「お供」ではなく「お伴」。仏壇の供物と同じく「子供とはお供え物」とは正にキチガイの不当な言いがかりであり、即ち子供への敬意が足らない証左でもある。

 悪党や政治家らを悪意的に「悪党ども」とか「政治家ども」とか詰ったりするし、「野郎ども」「若造ども」などと言ったりするが、「ども」とは敬意が低く、目下の者や見下した意味合いに用いられる場合が殆どだ。

 この場合の「ども」は漢字だと「共」だが、子供の「供」を「子ども」と表記することは、逆に言葉遊びで子供を弄んでいると捉えられても致し方ない。「子供」を使いたくないなら、平仮名で「こども」と書けば好いだけのこと(苦笑)

「子供」と同じく「婦人」というのも、アホンダラ左翼どもやジェンダーフリーの性的変質者どもらの企てによって公文書から消されてしまった漢字の一つ。

 これは、インチキ漢字研究者が、後漢時代の「説文解字」を紐解いて、「婦人」とは「箒を持って掃除をする女のこと」と紹介したことに始まる。

 この自説に、前出の性的変質者どもとキチガイどもが飛び付いて「婦人は差別だ」と叫んで抹殺した。しかし、間もなくこの説は全く誤りだと判明する。

 甲骨文字、それに続く金文の研究から「婦人」の「婦」は、「宗廟に酒を捧げ清める高貴な女性の意味」だということが判明する。だが、男女共同参画社会でのこうした言葉遊びや造語が改められることなく常用されている。

 また、男女共同参画社会の今では「看護婦」ではなく「看護師」と呼ぶ様になった。この「師」というのは、師団、軍師、派遣、元帥、追撃などに含まれる「追」のツクリは、軍隊を派遣する時に食料である肉を分けることが原義だ。

 普段、「平和」「平和」と叫んでいるアホンダラ左翼どもらは「師」の意味も分からずに「看護婦」を「看護師」と呼び換えて満足してるが、無意識のうちに軍隊に起因する漢字を使用しているとは夢にも思っていないだろうよ(苦笑)

「男女共同参画社会」というのは、こうした言葉遊びから始まった左翼に拠る共同謀議的愚策であり、保守派であるべき自民党議員どもらが「子ども」に違和感を覚えることなくそれらに与し、率先して実践していることは滑稽極まりない。

「子ども」表記を使ってるのは共産党どもや左翼ども、単なる無自覚左翼のアホどもと見て間違いない。「子ども」表記を続けてるマスコミはつまり左翼勢力であり、疑うことなく使ってる野郎どもは余程のバカと見て好い(苦笑)

「子供」でも「子ども」でもどっちでも好いだろうと思う勿れ。こうした小さなミスにも気が付かないようでは議員になったところで碌な仕事は出来ないだろう。

※コメントは会員のみにさせて頂いております。コメント入力希望の方はパスワードを教えますのでmr.cordial@live.jpへ。

<御支援の御願い>みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ

cordial8317 at 05:28|PermalinkComments(0)

2020年05月26日

誹謗中傷や悪口・陰口というのは嫉妬の裏返し

 プロレス団体・スターダムに所属する人気女子プロレスラー・木村花が自殺した。SNSで浴びせられた誹謗中傷が理由だという。

 その誹謗中傷の内容はどういうものなのか知らないが、誹謗中傷や罵詈雑言なんてのはネットやSNSでは当たり前で、批判する側が本名ではなくハンドルネームならやりたい放題。気にするなと言ったところで気になるのが正直なところ。

 愚生も、2ちゃんねるや爆サイなんかでは、匿名の正体不明な連中にあれやこれやと悪口を言い触らされている。態態「書き込まれてますよ」と教える匿名の方もいるが、自分で書いておきながら親切ぶって知らせている節もある。

 書き込んでるのはいつものメンバー。中には元警察官らしきものと思われるネタや、一部しか知らない情報も書き込まれていたり。前はよく目を通していたが、悪口なんて気にならないと言ってもやはり気になるので閲覧を止めた(笑)

 往々にして悪口や陰口というのは嫉妬の裏返し。羨ましいとかヤキモチが悔しさとなり、誹謗中傷に奔る。逆を言えば実力を認めているということであり、だから正体不明の便所の落書きと同じ書き込みに一喜一憂する必要も無い。

 大勢の意見とは正論というより、単に平均的意見に過ぎない。そうした平均的意見に異を唱えたら酷い目に遭うのがネットの世界というものでもある。

 人というのは単純に「好きか嫌いか」のどちらかで判断するもの。反抗的且つ先入観に囚われる者に、滔々と説得を試みたところで受け容れられることはないし、相手側が矯正されることは殆どない。

 愚生の様な浅学な右翼浪人如きが、正論を訴えれば訴えるほど相手側は癪に障る。だから、理論とかではなく、人格などを攻撃しては悦に入る。

「預言者郷里(世)に容れられず」という言葉が、新約聖書・ルカ福音書四章に書かれている。「優れた人物というのは往々にして、故郷や世の中では受け容れられないことが多い」という喩え。評価するのは後世の人というのが常。

「受け容れられない」というよりも、「受け容れたくない」というのがホンネだろうか。身近な者が出世したり、自分よりも優れていればヤキモチを焼くのは人間の性というものでもある。「隣の家に蔵が建つと腹が立つ」とも言うし(笑)

 批判されたり、軽んじられてる意見こそが正論だったり事実だったりするもので、喩えるならキリストは愛を説いて十字架に架けられた。日蓮は道を説いて流罪に遭った。また政治家も偉いヤツほどテロで殺されている。

 古来、真理を説き、道理を訴えた者は世の中に受け容れられることはなく、その多くはバカかキチガイ扱いされた上に罰せられるか殺されている。逆をいえば、バカとかキチガイだとか変人だとか言われる様になればホンモノ。

「天動説」が当り前だった時代に、ガリレオ・ガリレイの「地球が太陽の周りを廻ってる」などとは考えられなかったのは当然といえば当然のこと。結果「地動説」を唱えたガリレオは、世を誑かす者だとして宗教裁判で弾劾された。

 当時は、天動説が大勢であり正論だった訳で、地球が回転しながら周回してるなどと誰も思うまい。世間からは気が狂ったと思われたに違いない。

 今も当たり前だとか、正論だとか、常識だと思っていることも、後の世には間違いや非常識だったとされる場合も無きにしも非ずということだ。

 正しいことというのは、いつの世も後になって気付くもので、そんな時代に懸命に正論を吠えたところで理解してくれないのは当然のことでもある。

 分かり易くいえば、何しろ世の中にはバカの方が多いのだから、どうしてもそういう結果になってしまうのは自明の理とも言えなくもない。

「万機公論に決すべし」というが、公論が正しい訳ではない。何故なら、国民の判断力は古今東西常に低く、実に幼稚で気紛れなものだからだ。

 特に政治とは、世論に迎合することなく国家観を重んじながら、時には国民目線とかけ離れた歴史観、人間観、世界観、高度な権謀術数を必要となる。

 今の世の中というのは「あの人は良い人だ」とか「アレは正しい」などというのも、古来に学べば大半は間違っていると思った方が好い。

 ネットと雖も、悪口を浴びせられたり、誹謗中傷の対象となったのは見方を変えれば実力が備わってきた証し。気に病む必要なし。堂々と我が道を行け!

※コメントは会員のみにさせて頂いておりますが、コメント入力希望の方はパスワードを教えますのでmr.cordial@live.jpへ御気軽にメールを寄せられたい。

《会費&御支援》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ

cordial8317 at 05:26|PermalinkComments(0)

2020年05月24日

「イチゴが~」「日本の種苗が~」と騒いでる自称愛国者からバカ呼ばわり(笑)

「種苗法改正」に疑問を呈し、反対した連中をバカ呼ばわりし「イチゴが~」「日本の種苗が~」と騒いでる。愚生もそのバカの一人らしい(笑)

 何やら、自称愛国者の賛成派は「イチゴの苗をまた韓国に持ち去られてもいいのか」という意見が多くを占める。賛成することが愛国者だというのだ。

 確かに種苗法改正では「種苗の知的財産権」が強化され罰則規定を設ける。知的財産権が強化されると同時に、何故か農家の「自家増殖の権利」が制限される。

「自家増殖」とは農業者が、次期作付け用に収穫物の一部を種苗として生育させて使用する「自家採種」のことだが、自家採種してる農家は少ない。自家採種する農家を増やす施策を図るなら好いが、その権利をも制限するとはどういうことだ。

 海外への種苗の持ち出しを制限するらしいが、一方で、農水省は、農家の自家増殖の権利を制限するばかりか、自家採種を規制する為に「自家増殖禁止の品目」を増やしており、現在では387種まで急拡大しているという意味は何なのか。

「外国への種苗の持ち出し禁止」を強化するということをして「韓国へのイチゴが~」と騒いでるのだろうが、だとしたら安っぽい「反韓」だろう。外国人や外国資本の農業参入を許していながら「日本の種苗を守る」とは嗤うしかない。

 外資の農業参入を規制していない「農業競争力強化支援法」を成立させた我が国の農業は、イチゴ農家に限らず、サクランボやメロン、米や野菜など、日本の美味しい農作物が、外資に荒らされ丸ごと乗っ取られることだろう。

 種苗法改正法案見送りで、自称愛国者らは種苗法に異を唱えた連中をバカ呼ばわりしてる。「種苗法改正」を実現させるのは別に好いとしても、「種子法廃止」「農業競争力強化支援法」「残留農薬基準の大幅緩和」には反対したのか。

「種子法廃止法案」は「種苗法改正」どころの話ではない。種子法廃止法案は、別名「モンサント法案」とも言われていた。種子法廃止により、我が国は米国モンサント社に食料を依存することになってしまったと言っても過言ではない。

 現在の日米関係は良好だが、政治的な問題などが発覚した場合には「種子の売り控え」ということも考えられる。更には我が国が培った研究資料やデータが盗用され、特許取得となれば種子を容易に使用出来なくなることも考えられる。

「残留農薬基準の大幅緩和」は「農薬の残留基準」の改正案で、安倍が妄信する環太平洋連携協定(TPP)や自由貿易協定(FTA)の流れからの既定路線で、我が国の食品も外国の基準に合わせて残留農薬基準を大幅に緩和を謀った。

 安倍というのは保守ではない。単なる新自由主義経済の信奉者であり、そうした似非保守が発覚する気配になると、保守票を欲しさに「改憲を我が政権の内に」だとか「靖國神社参拝」を匂わせて、アホな保守層を煙に巻いてきた。

「種苗法改正」も同様で、いつもの保守派が安倍の目晦ましに踊らされてるのだろう。海外の企業や外資が「農業競争力強化支援法」成立で、外資が日本に参入出来るのだから危険を冒してイチゴの苗を持ち出すバカもおるまいに(苦笑)

「種苗法改正」では、日本からの種苗の持ち出しを禁止し罰則規定を設けてはいるが、インチキ種苗法なんぞより、外資の日本農業への参入を謀った「農業競争力強化支援法」を見直し、外資の日本農業への参入こそ規制することが先決だ。

「種子法廃止」が世界の種子市場を巨大種子企業に拠る寡占化が目的である。安倍の謀る農業改革はグローバリズムの一環であり、自称愛国者ら種苗法改正賛成派は、農業潰しを謀った安倍政権のガス抜きに利用されてるに過ぎない。

「農」とは、愛郷心や祖国愛に繋がるもので、それは正に国造りでもある。「農」をグローバリズムという営利主義で考えることがあってはならない。農業の危機とは、豊葦原の瑞穂の国という我が国柄の崩壊でもあるのだから。

 そう考えるとき、グローバリズムで農業政策を行っている安倍政権は国賊と断じる他は無い。農耕民族としての誇りを捨て去った安倍故に、天皇退位法案を実行し、元号制定権という天皇の大権を奪うことも厭わなかったのだろう。

「#検察庁改正法案に反対します」に続いて「#種苗法改正見送りに抗議します」がトレンド入り。保守派の評論家であり思想家でもある故西部邁が、世のブームを揶揄して「世論の反対が正論である」と訓えたが、蓋し正論である。

「日本の農業が~」「日本の種苗が~」「イチゴが~」と、「種苗法改正」に疑問を呈した連中をバカ呼ばわりしてるが、「種子法廃止法案」「農業競争力強化支援法」「残留農薬基準の大幅緩和」を看過しながら何を今さら(苦笑)

※コメントは会員のみにさせて頂いておりますが、コメント入力希望の方はパスワードを教えますのでmr.cordial@live.jpへ御気軽にメールを寄せられたい。

《会費&御支援》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ

cordial8317 at 06:15|PermalinkComments(0)

2020年05月23日

雀士・黒川検事長の命運も尽きる(笑)

 東京高検の黒川弘務検事長が賭け麻雀で辞表提出。賭け麻雀なんぞ何処の世界でもやってるととだろう。以前、外務省の機密費問題が浮上した際、高級官僚へ麻雀で勝たせて小遣い稼ぎをさせていたということが発覚している。

 一人当たりの掛け金は数千円~二万円程との取り繕った金額は嗤うしかないが、愚生が知りたいと思うのは賭け麻雀をリークした出所で、噂されてる様な名古屋高検の林真琴検事長の周辺者なら、それはそれで問題の様な気もする。

 黒川本人は辞表提出で済むが、問題はこの後に閣議で了承され、陛下の裁可を頂く。こうしたくだらん問題に陛下の手を煩わせることに憤りを禁じ得ない。

 それにしても検事庁法改正問題で時に人となった黒川検事長も命運も尽きた。「月満つれば即ち虧(か)く」というが、盛衰の無常を思い知らされる。

 麻雀で思い出すのは色川武大こと阿佐田哲也。阿佐田の代表作は「麻雀放浪記」。色川から阿佐田に名前が替わったのは、徹夜で麻雀し朝を迎えたというのが謂れだという。「麻雀放浪記」は、黒川検事長も読んだに違いない。

 阿佐田はギャンブルから学んだ人生観を相撲の勝敗に喩え「9勝6敗を狙え。8勝7敗では寂しい。10勝を狙うと無理が出る」と教えた。「幸運が続き過ぎると危ない」「ツキの流れを読んでそれに従う」という考えを持っていた。

 黒川は阿佐田の「ツキの流れを読んでそれに従う」との人生観は学ばなかった様だ。勝負事の経験のある人は分かると思うが「ツキ」というのがある。このツキが勝負事では勝敗を左右する。ツキ出すと自分でも驚くくらい当たり出す。

 ツキとはそんなもので、別にツキというのは博打や勝負事だけのものではなく、人生に於いても当て嵌まる。黒川検事長はそのツキに見放された。大好きな麻雀で辞任するというのは、ギャンブラーの宿命とも言える(笑)

 ツイてる時には、そのツキを味方に付けて勝負することだ。逆にツイてない時は軽挙妄動を戒めて、じっと「その時」が来るまで待つことが大事である。「時が解決する」というのは別に失恋だけのことでもないのだ(笑)

 だが、そのツキの判断は難しい。折角ツキ始めたのにそのツキを逃してしまったり、ツイてもいないのに無理に事を構えて痛手を深くしてしまったり。

「時はカネなり」とか言ってるが、それはツイてる人の言葉であって、ツイてもいないのに焦って行動してはダメだ。人間誰でも好調、不調はある訳で、その処し方で成功、不成功が決まると言っても過言ではあるまい。

「得意冷然、失意泰然」とか「失意泰然、得意淡然」というが、こうした言葉はそういう大事な心構えを訓えている。「失意の時には泰然と構え焦らず、上手くいっている時は淡々と構え驕らないこと」という意味だ。

「時」という時間を味方に付け、じっくり考えて決断する。尤も、その決断するタイミングというのは己の経験からしか分からない。つまりは日々の修行や成否はどうあれ経験を積むことが大事であるということだ。

 人間というのは往往にして成功から学ぶことは無い。失敗を経験し、そこから学んだ者の知恵が傾聴に値するのは、失敗することで「反省」し、そこから「思索」し、生きた学問を学んでいるからこそ面白くて参考にもなる。

 失敗を経験した数が「場数」であり、愚生は「バカ数」と言っている。つまりは「失敗」というバカな経験を積み重ねることによって、男の重みが変わって来るのものだと思っている。だから、失敗や苦い経験こそが貴重なのだ。

 我が母校・国士舘の徳目である「読書」「体験」「反省」「思索」とは、創立者・柴田徳次郎先生の自らの経験や失敗が活かされた教えであり、それは国士舘の大理想でもあるが、人間としての根本原理でもある。

 黒川検事長の辞任から話が逸れたが、男たるものこじんまりすること勿れ。決して都合の好い、当たり障りのない無難な男になるべからず。呵呵大笑。

※コメントは会員のみにさせて頂いておりますが、コメント入力希望の方はパスワードを教えますのでmr.cordial@live.jpへ御気軽にメールを寄せられたい。

《会費&御支援》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ

cordial8317 at 05:43|PermalinkComments(0)

2020年05月21日

「種苗法改正」は売国法案の「種子法廃止」と「農業競争力強化支援法」とは違うらしいが

「検察庁法改正法案」に反対する声は聞こえるが、それより「種苗法改正法案」が興味深い。二年前、我が国の「食糧管理制度(食管法)」を支えている法律の一つであった「種子法(主要農作物種子法)」が廃止されたのは記憶に新しい。

 種子法は、農家に優良な種子を提供する為に制定された法律で、品種改良や種子の提供に関して、政府や都道府県が責任を持つことを定めている。

 米、麦、大豆など主要農産物の品種改良を国や都道府県の公的研究が行い、良質で安価な種子を農家に安定的に供給してきた法制度である。

 戦後、我が国は食管法の下、主食である米や麦などの主要農作物については、政府が市場をコントロールしてきた。その食管法が平成7年に廃止され「主要食糧の需給及び価格の安定に関する法律(食糧法)」に引き継がれた。

 だが、政府はグローバリズムという経済至上主義から農業の要でもある種子法廃止を謀った。廃止する理由として、米の減反(生産調整)制度が今後無くなる見通しであることから、品種開発の分野についても民間開放するとしている。

 この「民間開放」というのは詭弁そのものであり、その実は「外資(外国)」参入を目的としたもので、国家の柱でもある農業を経済論で語るとは新自由主義を妄信し、食糧安保という意識に欠落している安倍の為せる業でもある。

 更に政府は、種子法廃止法案の追加措置として「農業競争力強化支援法」「残留農薬基準の大幅緩和」というトンデモ法案を通したことも忘れてはならない。

 種子法廃止に続くこれらの売国法案は、驚くことに外資等の規制はしておらず、外国の企業が我が国の農業に容易に参画することが可能となった。

 つまり、公的研究機関や各県や自治体に在るハイテクプラザなどで培った研究資料やデータが外国資本に無償で提供され、それを盗用され、一部を変更することで特許取得となれば今迄の様には使用出来なくなるという危険を伴う。

 種子法廃止法案は、別名「モンサント法案」とも言われていた。モンサント社は、ベトナム戦争で悪名高い枯葉剤「エージェント・オレンジ」を開発し、ダイオキシンを撒き散らした世界最大のバイオ化学会社である。

 種子法廃止により、我が国は米国モンサントに食料を依存することになると言っても過言ではない。つまり、政治的な問題などで、種子の売り控えということになれば我が国の農業そのものが崩壊するという危険を孕んでいる。

「残留農薬基準の大幅緩和」は「農薬の残留基準」の改正案で、安倍が妄信する環太平洋連携協定(TPP)や自由貿易協定(FTA)の流れからの既定路線で、我が国の食品も外国の基準に合わせて残留農薬基準を大幅に緩和を謀った。

 安全安心と言われた我が国の農作物が「種子法」の廃止と「農業競争力強化支援法」の成立で危機に瀕し、「残留農薬基準の大幅緩和」に因って外国産と変わらない怪しげで危険な農産物が氾濫するだろうこと火を見るよりも明らか。

 そして「種苗法」にも手を付ける。種苗法の前身は「農産種苗法」で、品種の育成の振興と種苗の流通の適正化し、農業の発展を目指す為のものだった。

 我が国が「植物の新品種の保護に関する国際条約(UPOV)」に加入することとなり、農産種苗法を全面改正して「種苗法」が作られた。

 種苗法も「国際的流れ」というカタチで改正される。「種子法廃止」が世界の種子市場を巨大種子企業に拠る寡占化が目的であったのと同じく、安倍の謀るグローバリズムの一環である。抑々「国際基準」「国際的流れ」とは何なのだ。

 安全安心と言われた我が国の農作物が、「種子法廃止」「農業競争力強化支援法」「残留農薬基準の大幅緩和」で日本の農業は単なる営利主義の残骸となる。農業の危機とは、豊葦原の瑞穂の国という我が国柄の崩壊でもあるのだ。

 農耕民族としての自覚を喪失している保守派や自称・愛国者らは、尖閣諸島を脅かす中共軍の違法行為は声高に叫ぶが、農業崩壊=日本の危機という認識はなく、「農業を以て立国の基本とする」という考えは持ち合わせてはいない。

 野党を見れば「検察庁法改正法案反対」で国民を誑かし扇動を謀り、アホな国民が連なる。きゃりーぱみゅぱみゅらアホタレってのは、流行に流され易い日本人らしいが、本来「流行」とは「病気」の意味だということを思い知る(苦笑)

 こんな問題より、種苗法改正に警鐘を鳴らした女優の柴咲コウは一目に値する。賛成派は、種苗法が改正されないと「国産イチゴが韓国に無断で持ち出されても規制できない」と説明するが、果たしてそうなのだろうか。

 種苗法改正で「種苗の知的財産権」が強化されるが農民の「自家増殖の権利」が制限される。「自家増殖」とは、農業者が次期作付け用に収穫物の一部を種苗として生育させ使用する「自家採種」のこと。だが、自家採種してる農家は少ない。

 農水省が定める「自家増殖禁止の品目」は現在387種まで急拡大している。更に登録品種が全くない野菜や果樹など対象品種は殖える一方。イチゴは韓国の盗用が問題となり登録対象に含まれてないが解除されるのは時間の問題だろう。

 改正概要には「当該種苗等を育成者の意図しない国へ輸出する行為や意図しない地域で栽培する行為について育成者権を及ぼせるよう特例を設ける」として「育成者権の侵害罪」を設けて罰則を強化する。だが所詮は「特例」に過ぎない。

「種苗の知的財産権」を強化し罰則規定を設けたところで、海外に自家採種した種苗を持ち出すリスクを考えれば、日本国内で農業に参入すれば済むことだ。

 農林水産省は「自家増殖原則禁止が国際標準であり日本は他国に比べて取り組みが遅れており、今後は品目リストを増やし、これまでの対象であった栄養繁殖の植物だけでなく種子繁殖の植物も対象にしていく」と答えている。

 政府は種苗法改正の理由を「農業者の皆様に優良な品種を持続的に利用して貰う」という。つまり、優良な品種であれば外国産でもOKということだ。イチゴにしても種苗等を育成者が同意すれば韓国へ輸出することも可能と解釈出来る。

 種子法廃止を実行し「農業競争力強化支援法」で外資の参入を謀りながら、イチゴの保護という一例を出して正当化してることに違和感を覚える。

 政府は国家公務員法改正に続き種苗法改正を見送った。改正を陳情した農協青年部らが抗議の声を挙げている様だが、彼らが種子法廃止や外資の農業参入に反対の声を挙げたことがあったのだろうか。種苗法改正法案も実に胡散臭い。

※コメントは会員のみにさせて頂いておりますが、コメント入力希望の方はパスワードを教えますのでmr.cordial@live.jpへ御気軽にメールを寄せられたい。

《会費&御支援》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ

cordial8317 at 12:11|PermalinkComments(0)

「アビガンは日本人には有効性が無い」と言わんばかりの専門家の意見

「アビガン有効性示せず」との記事が地元紙一面に躍る。アビガンを新型コロナウイルス治療薬として否定してる自称専門家らは「催奇形性の問題」の理由を挙げて「安全性に問題あり」との見解を示しているが、違和感を覚える。

 アビガンの認証に否定的なのは、開発者の富士フィルムが「製薬会社ではないから」との理由が厚労省内に横溢しているとも聞く。そこに胡散臭げな自称専門家が登場して世論を誑かす。ここに来てまで既得権益を失いたくない。

 新型コロナウイルスに罹患し、重篤な状況から生還した芸能人や著名人らが口を揃えてアビガンの有効性や特効性を訴えていたのは何だったのか。

 アビガンの有効成分「ファビピラビル」に関するライセンス契約を富士フイルムと2016年に結んだ中共の製薬大手・浙江海正薬業が後発医薬品を増産し効果を発揮してるというのに、日本人には「有効性が無い」とはどういうことか。

 ワクチンとは、ウイルスの生体から作られ、弱毒化・無毒化された抗原のこと。抗原を体の中に入れることにより、ウイルスをやっつける抗体が出来る。その抗体によってウイルスから守られるのだが、アビガンはワクチンではなく治療薬。

 ウイルスに勘違いを起こさせて、取り込ませることによって、ウイルスの増幅を止めてしまう化学物質であり、効果的なワクチンが開発されるまでの治療薬としてアビガンを喫緊に使用することに何を躊躇する必要があるというのか。

 専門家らは「安全性」「副作用」という尤もらしい理由を吐けて反対してるが、多くの国民がアビガンに抱くイメージは新型コロナウイルスへの不安解消や罹った際の安心感であり、批判的意見は国民の期待に水を差すものでしかない。

 マスコミも国家的危機意識に乏しい専門家や有識者に迎合し、胡散臭げなコメンテーターを出演させてはそれらしい意見を述べさせる。一見、正論らしく公正に見せかけてはいるが私感に満ちた偏向報道というのが正しい。

 要は、アビガンの副作用が多く見られた場合の責任問題を考えて反対してるとも言えるが、若し、厚生省と製薬会社の加担だとしたら怪しからんことだ。

 アビガンで急場を凌ぎ、新型コロナウイルスに効くワクチンの開発に成功すれば国益にも繋がる。それは畢竟、日本経済及び人類を救うものとなるだろう。

 新型コロナウイルス感染者数は世界で473万4000人を超え、死者は31万7000人。ワクチンが開発されない限り惨禍の終息は見込めない。

 何故にこれ程までに感染が世界中に広がってしまったのか。やはりこうした要因は発生源でもある中華人民共和国の共産主義に由る隠蔽体質と習近平の歪な権力志向。それに追随したWHOの対応の拙さに尽きる。

 先日行われたWHOの新型コロナウイルスの総会での台湾の参加拒否に見るまでもなく、WHOは公正中立な機関ではなく中共の下部組織に成り下がった。

 日本はWHOに台湾への参加を促したというが、取り繕った日台関係ではなく、昭和47(1972)年に田中角栄が行った日中国交条約締結の際の日華国交条約破棄を台湾に詫び、台湾を正式に国家と認めることが先決だろう。

 昭和47(1972)年9月29日、田中角栄は「日中共同声明」の調印の際に「中国共産党を唯一の政府」と認め、国際法規である「日華国交条約」を一方的に破棄するに至った。中華民国は直ちに我が国との国交を断絶する。

 我が国が台湾を国家として認めていないのは田中の国際条約の蹂躙が原因である。主権国家として実に恥ずべきことであり、道義国家として断じて赦されるものではない。況してや国際条約の蹂躙は日本国憲法98条違反でもある。

 国連にしても、何故か第二次世界大戦の参加国でもない中華人民共和国が戦勝国を気取り、常任理事国として大手を振っているが、これは田中角栄の認識と同じで国共戦に勝利した中国共産党の戦略にまんまと嵌ったからだ。

 トランプ大統領はチャイナウイルスの発症原因とその責任を中共に求めている。更にはWHOの改革を訴え脱退をも示唆しているが、国連に於いても台湾を正式な国家として自由主義国の一員として迎え入れるべきだろう。

 コロナ禍が落ち着いたら、米中の対立と新たな冷戦時代として世界の枠組みが変わるのは必至。然し乍ら、思い起こせば、アジアの動乱の原因はいつも時代も米国と共産主義だったことは歴史が証明するところ。日本外交の岐路でもある。

※コメントは会員のみにさせて頂いておりますが、コメント入力希望の方や御意見は mr.cordial@live.jp へ御気軽にどうぞ。

〈会費&御支援〉みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ

cordial8317 at 06:34|PermalinkComments(0)

2020年05月17日

「三権分立(立法・行政・司法)が侵される」という声

「#検察庁法改正法案に抗議します」がトレンド入り。「我こそは正義のツイート」とばかりにアホタレどもを筆頭にこの話題を垂れ流し国民が追随。

 コロナ禍もあり、この世論の雰囲気の中で強行するのは拙いとばかりに審議延長を決めた。この政府の決断は反対派にとってはしてやったりだろう(苦笑)

「特措法を含め新型コロナウィルスに関する質疑を優先すべきではないか」というのは理解出来る。ならば「種苗法改正」はどうなのだ。「国家公務員法改正案」の名称を摩り替え、この法案のみに固執するのは党利党略でしかない。

 反対派の理由に「三権分立(立法・行政・司法)が侵される」という声が多く聞こえてくる。だが、三権分立の何が脅かされるというのだろう。

 恐らくは「検事というのは司法組織の存在だから、検事の定年延長を行政組織である内閣で決めるのは怪しからん」と考えているのだろう。

 だが、検察は裁判所の様な司法機関ではない。検察庁は行政府に属し、検察権は行政権の一つであり、検事は国家公務員である。

 人生100年時代を見据え、民間企業が定年延長を進める中で、国家公務員の定年も延長すべきというのがこの法案の趣旨。ただ、定年延長が民間企業とは違い、定年前の給与額の儘で成されるということが赦されるのか。

 森まさ子法務大臣の答弁などが混乱を生んだことは否めないが、国家公務員の定年延長を安倍政権打倒に利用する野党も野党だ。こんな定年問題より、行政権の一つに過ぎない検察の巨大な権限こそ議論すべきではなかろうか。

 我が国の刑事裁判は、99.9%の有罪率を誇るものとして「精密司法」とも呼ばれる。起訴されれば極端な話、冤罪だと否認しても刑罰が処せられる。裁判では時間と費用が嵩む為に上訴してまで争うのを諦めてしまう人は少なくない。

 国家公務員の定年延長という末の話よりも、こうした検事に与えられている巨大で歪な刑事訴追をする権限に疑義を呈し是正するべきではあるまいか。

「検察庁法改正法案」ってのは正式には「国家公務員法改正案」。左翼というのは安倍政権が提出する法案を都合好く名称変更し糾弾するのは常套手段。

 例えばテロ等準備罪を新設に当たって「組織犯罪処罰法改正案」が議論されると、左翼勢力は法案の名称を「共謀罪」などとして反対した。「安保関連法案」の時も「戦争法案」だとして国民を扇動したっけなぁ(苦笑)

「#検察庁法改正法案に抗議します」がトレンド入りしたのは、左翼陣営の組織的なツイートに、きゃりーぱみゅぱみゅなどのタレントが便乗したのが要因。

 芸能界には保守的な芸能人も多くいるが、逆に共産党シンパや無自覚左翼も少なくない。というか、左翼に感化されてるアホタレが目立つ。

 タレントとは「一芸に優れている人」という意味だが、やはり天は二物を与えないらしく、安っぽい幼稚な正義感からの政治的言動は嗤うしかない。

「芸能人(タレント)だからと批判するのは差別だ」と言うが、芸能人の「言葉」は社会的影響が大きいだけに、安易な政治的発言は慎んで欲しいものだ。

※コメントは会員のみにさせて頂いておりますが、コメント入力希望の方や御意見は mr.cordial@live.jp へ御気軽にどうぞ。

〈会費&御支援〉みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ

cordial8317 at 05:52|PermalinkComments(0)

2020年05月16日

「平和」の反対が「戦争」ではない。「平和」の反対は「混乱」である。

 5月15日は「沖縄本土復帰記念日」。沖縄では未だに「日本は沖縄を見捨てた」「日本は沖縄を捨石にした」などとの声を耳にする。だが、沖縄と祖国日本を救う為に、尊い命を捧げてくれた若者がいたことを決して忘れてはならない。

 先の大戦での「沖縄戦」に於いては特攻隊を始め、特殊潜航艇、回天魚雷、空挺特攻、対戦車特攻、震洋特攻艇、陸軍海上特攻など、劣勢を覆す為の特攻攻撃が行われた。特攻戦死者の実に76%が沖縄戦で亡くなっている。

 鹿屋基地(海軍航空)から沖縄へ飛び立った特攻に因り1981名、知覧基地(陸軍航空)からの特攻で1036名が散華している。

 沖縄本土復帰を喜ぶのはいい。だが、反米・反基地ばかりが問題視され、散華された英霊に対する感謝の声が全く聞こえて来ないのは悲しいことだ。

 沖縄では「米軍基地反対」さえ叫んでいれば平和が訪れると思っている県民も少なくないが、米軍の撤退はイコール中共からの併呑を意味する。

 米軍を否定するなら自衛隊による自主防衛を訴えるべきだが、沖縄左翼は、摩訶不思議なことに自主防衛を語ることもない。これこそが何を況や。

 政治家も「平和を守る」というスローガンを掲げて有権者に訴える。だが、軽々しく「平和」を口にはするが、どうやって我が国の平和を創造するかという具体策は言わない。正に政治家こそが無防備の害となっている。

 三島由紀夫は「戦争を誘発する大きな原因の一つは、アンディフェンデッド・ウェルス(無防備の害)だ」と訓えたが、軽々しく「平和」を訴えている政治家こそが政治や外交を危ぶみ、戦争を誘発する最大要因となる。

 憲法を守り、米軍に反対し、自衛隊が無くなれば当たり前に平和が存在するのだと疑って止まないが、平和を守るには自衛隊の存在なくして語れない。

 我が国では「自国の防衛を否定する現憲法には問題がある」と言った途端に反発を食らうが、正に思考停止、無防備の害そのもの。

「オストリッチ・ファッション」という言葉を知ってるだろうか。欧米諸国は日本を「オストリッチ・ファッション」と嘲う。オストリッチとはダチョウのこと。

 ダチョウというのは自分に危機が迫ると穴に首を突っ込み、危機を見ないことにして危機から逃れたつもりになるのだという。

「軍事」「戦争」「憲法改正」と言った途端に思考停止に陥る日本人を揶揄した言葉だが、正しく「オストリッチ・ファッション」とは言い得て妙(笑)

「平和」とは創り出すものだが、アホ野党にとって「平和」とは、党勢拡大の為に使う便利な言葉であり、左翼勢力にとって「平和」とは、無知で幼稚な平和主義を信じて疑わない人々を騙す革命謀略の為の最大の武器でもある。

「平和」の反対が「戦争」ではない。戦争は政治や外交の延長線上にあるもので、国際法上認められた正当な行為である。

「平和」の反対は「混乱」である。「平和は当たり前」にあるものだと思っているが、「当たり前」の反対は「有り難い」であり、平和は当たり前に存在していることではなく、稀に存在する「有り難い」ことなのだ。

「平和」という偶然に「有り難い」ことと感謝することは当たり前のことだが、沖縄左翼に足りないのは、沖縄の平和に貢献してる米軍を「当たり前」の存在として敵視している。

「平和」を口にしてる連中というのは、この「平和で有ることが難い」ことであるいう自覚が無く、平和は「当たり前」に存在することなのだと勘違いしている故に米軍や自衛隊に感謝することもない。

 我が国の「平和」というものは、単に日米安保条約や米国の核の傘の下でのまやかしの平和であり、戦後、戦争に因る混乱が無かったのも冷戦時代の米ソやNATOとワルシャワ条約機構のパワーオブバランスに因る単なる偶然に過ぎない。

 我が国の平和が米国の庇護の下での存在であることに気付きながら、米軍に感謝するどころか批判し否定する。そんな薄っぺらな平和主義が沖縄左翼の平和運動であり、反米闘争というのはつまり中共に与する革命運動である。

※コメントは会員のみにさせて頂いております。コメント入力希望の方はパスワードを教えますので mr.cordial@live.jpへ御気軽にメールを!

〈会費&御支援〉みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ

cordial8317 at 05:44|PermalinkComments(0)

2020年05月14日

食べ物を大事にしないということは命を大事にしていないこと同じ

「食べ物を大事にしないということは、命を大事にしていないこと同じだ」との某ベテラン女性料理家の言葉を思い出す。「食を軽んじるということは、命を軽んじることに繋がる」というのは、蓋し正論だろう。

 安倍総理を筆頭に箸をまともに握れないのも、鯔のつまり食というものを軽んじ、腹に押し込めば好いくらいにしか考えていないからだろう。「食」を軽んじてるが故に「種子法廃止」や「残留農薬基準の大幅緩和」などに奔る。

 愚生は食べるのも料理も好きで、和洋中ジャンルは問わず色々作る。自己流だが料理を作ってるとストレス解消にもなるし、コンビニやファミリーレストランとかの化学調味料だらけの食べ物よりは美味しいし健康的だと思っている。

 レトルト食品やインスタントラーメンでも、チョッとでも美味しく食べようと工夫してみることは脳の活性化にも好いし何より美味しい。失敗することも多いが、その失敗が次に繋がる、要は料理は人生と同じで失敗から学ぶ。

「美味しい」と感じる味覚は、やはり美味しい料理を知らなけりゃ分かることもない。それには食べ歩きをしなきゃ味覚のセンスは磨かれまい。

 毎日、安い外食をするなら、自宅でおにぎりや弁当を作れば昼飯代は浮く。それが500円なら5日で3000円、20日で10000円になる。それだあれば寿司にしろステーキにしろそこそこ贅沢な昼飯を食べられるだろう。

 そうやって節約しながら自分に投資して、自分を高めに置こうとする努力は若い頃には必要で、若い頃の投資が、後々の人生に生かされるのだ。

 貯金なんぞ30~40歳から考えれば好い。つ~か、愚生の場合、長生きするとも思ってもいなかったし、貯蓄するという考えが無かったのが失敗(笑)

 始めて会う人の嗜好というのは、その人が行く馴染みの料理屋で分かるし、食事の作法でその人が育った環境や人となりが窺い知ることが出来る。

 別に安くても美味しい焼鳥屋や酒場とかは在るもので、それを初対面でいきなり大手居酒屋チェーンなんかに連れてかれたら興醒めだし、そんな大人と付き合っても意味はない。男子たるもの贔屓の店の2.3軒は無くてはならない。

 行きつけの寿司屋とまでは言わないが、行きつけのバーや好きなジンの銘柄くらい知ってて損はない。因みに愚生の好きなジンは「ゴードン(Gordon's)」。

 一見の店に行ったところで、上っ面だけでその人の人となりなんぞ分かるまい。女性がその男性を知りたいなら、馴染みの店に連れてって貰うのが好い。

 常連さんであるその男性に対する店側の対応や、その男性の嗜好や振舞いを観察すれば大概のことは知ることが出来るだろう。男女の仲は価値観が似ているというのが好いが、食の好みが合うというのが一番。

「性の不一致」というが、性の相性なんぞより食べ物の嗜好や物事に対する価値観が大事で、SEXしてるうちは本物の夫婦愛ではない。「仕事とSEXは家庭に持ち込むな」が愚生の信条でもある(笑)

「これが最後の食事だと思って食べろ」とは池波正太郎。やはり「食」は人の出会いと同じ一期一会であり、真剣勝負であらねばならないと思っている。

 今年で還暦になる。愚生の人生も終盤に差しかかった。これからの残りの人生でどれだけの「食」と「人」に出会うか知らないが、何事も「これが最後かも」との人生観を以て清々しく生きて行きたいものである。

※コメントは会員のみにさせて頂いておりますが、コメント入力希望の方はパスワードを教えますのでmr.cordial@live.jpへ御気軽にメールを寄せられたい。

《会費&御支援》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ

cordial8317 at 05:18|PermalinkComments(0)

2020年05月09日

百田尚樹の靖國神社の会報への投稿を読んでの雑感

 今月の靖國神社の会報「靖國」に百田尚樹が投稿してたので読んでみた。「靖國神社は国民の神社である」というタイトルで、流石に作家らしく読み易い文章だが、中身は今どきの保守派や自称・愛国者が喜びそうな内容。

 百田は、中曽根康弘の靖國神社への参拝を批判した朝日新聞の責任を問うてるが、それよりも問題は中曽根の昭和60年8日15日の参拝だろう。歴代続いた例大祭への参拝ではなく、中曽根は敢えて8月15日に公式参拝した。

 百田は「終戦記念日」との名称を使ってるが、8月15日は「戦没者を追悼し平和を祈念する日」であり終戦記念日ではない。終戦記念日とはGHQの洗脳である。

 当時の松平宮司は、中曽根のこの日の参拝を「手水もせず、御祓いも受けず、玉串奉奠もせず、ニ礼ニ拍手一礼もしない、黙祷だけという、神道否定、神社冒涜の異様な光景だった」と断じ「人の家に泥靴で踏み込む様な人」回想している。

「遺族を参道に並ばせ、非常に芝居がかった演出、驚いたのはその横に4人のボディガードを連れて行動したんですね。うちの神様方というのは皆手足四散して戦場で亡くなられた方が大部分です。そこへ参拝するのに自分のみ安全を謀るSPを伴うというのは無礼、非礼の極みという他ありません」とも語っている。

 8月15日に靖國神社に初めて参拝したのは三木武夫であり、その後、中曽根康弘が続いた。8月15日の靖國参拝を利用したのが小泉純一郎。安倍晋三も終戦記念日に参拝出来なかったことを後悔してるが、何れも国賊ばかり。

 一昨年の靖國会報に、保守派の重鎮でもある小堀佳一郎が「終戦の詔勅奉戴日に寄せて」というタイトルで陛下の御親拝を切望し、「終戦の詔勅奉戴日こそが御親拝に最も相応しい日である」との論文を寄稿したのは記憶に新しい。

 大東亜戦争終結に関する詔勅の渙発は二日前の13日であり、内閣が署名し公布したのが翌14日。そして15日は録音による「玉音放送」が流された日だ。

 国民の多くは玉音放送があった8月15日を「終戦記念日」と称し、保守派や右翼、軍事マニアらが靖國に参集しパフォーマンスを繰り広げる。そうした風潮に便乗するかの様な「終戦記念日に御親拝を」というのには違和感しかない。

 小堀や百田らは、昨今の保守ブームの火付け役といって好いだろう。自称・愛国者らにはこうした勇ましい論文はウケが好いのだろうが、近年の8月15日の動向に眉を顰めてる国民は少なくなく、正しく靖國の贔屓の引き倒し。

 こうした論説は、なんちゃって保守や自称・愛国者を喜ばせるが、一方で世論を撹乱させる。「生前退位」が実行され様とした際も、結局退位阻止出来なかったのは、保守派の中途半端な認識と論説が反天皇勢力に付け入られた。

 靖國神社は、明治2年、明治天皇の思し召しにより創建された。その合祀対象は、尊王攘夷派公家の中心的存在であった三条実美が関わり、祭文には「皇軍に役立ちして賊徒等を討たん其の義に・・・命果てぬる輩」と明示している。

 この祭文の原則がある限り、会津藩や我が二本松藩、西郷軍関係者などが本殿に祀られることはなく、未来永劫 「賊軍」の汚名が灌がれることはない。

 靖國神社は百田が言う様な「日本の為に戦って命を落とした人々が祀られている」という認識は根本的に間違っている。「天皇の為に」というのが正しく、京都守護職として奉公した会津藩が賊軍というのは不条理そのもの。

 抑々、三条実美は、会津・薩摩を中心とする公武合体派の改革に由り「七卿落ち」となった一人であり、維新後は明治新政府に重用されるが、靖國神社とは明治天皇の思し召しとは程遠い、長州の遺恨で創られた社でもある。

 靖國神社が戦没者の顕彰を重んじる神社であるなら、賊軍とされた方々を「鎮霊社」という別なカタチで祀ることと本殿に祀ることとでは、どちらが時代に即して天皇(すめろぎ、すめらぎ)が顕現される道なのか。

 死者の選別を続けることは日本人の死生観にもそぐわないし、創建の趣旨でもある「顕彰」からも逸脱している。所謂「A級分祀論」も然り。

 百田は大東亜戦争での逸話を語って靖國神社の正統性を語っているが、最近の靖國神社は幕末から明治維新という大業と開国に当たっての犠牲ということが忘れ去られ、大東亜戦争を殊更に正当化する主張が目立つ。

 靖國神社側が、8月15日の保守派やインチキ愛国者らの集団参拝に苦言を呈することなく受け容れてる姿は、陛下の御親拝が遠退くばかりか、神社庁との主導権争いから宗教法人となった明治神宮と同じく営利主義にしか感じない。

 官軍である長州閥の下で創られた靖國神社の在り方を見直す時期に来ていると思う。先ずは鎮霊社という死者の選別を止め、与野党有志で「靖國法案」を提出し宗教法人格を外し、「国民の神社」として国家護持を実現させよ。

※コメントは会員のみにさせて頂いておりますが、コメント入力希望の方や御意見は mr.cordial@live.jp へ御気軽にどうぞ。

〈会費&御支援〉みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ

cordial8317 at 07:10|PermalinkComments(0)