2020年09月29日

対中外交を改め、台湾に謝罪し日台国交を恢復せよ!

 昭和47(1972)年9月29日、田中角栄は「日中共同声明」に調印。中国共産党を唯一の政府であると認め、主権回復した昭和28(1953)年4月28日に締結した国際法規である「日華国交条約」を一方的に破棄した。

 これを受け中華民国は直ちに我が国との国交を断絶。我が国が台湾を国家として認めていないのは我が国の国際条約の蹂躙が原因であり、主権国家として実に恥ずべきことで、道義国家として断じて赦されるものではない。

「日華国交条約」を破棄は終戦間際に「日ソ中立条約」を一方的に蹂躙したロシアの蛮行と同じであり、道義国家日本が失墜した象徴でもある。

「日華国交条約」の破棄は明らかな日本国憲法98条違反だが、公然の憲法蹂躙に対して護憲派からもマスコミからも糾弾されたことは一度もない。

 田中は更に「先の大戦で中国国民に重大な損害を与えたことに、責任を痛感し、深く反省する」と詭弁を弄した。だが、我が国が先の大戦で戦ったのは「中華民国」であり、戦後4年も経って建国した「中華人民共和国」ではない。

 田中が幾ら詭弁を弄そうとも、先の大戦での賠償は「日華国交条約」締結を以て終わっているのだ。田中のこうした誤ちと歴史認識が、今でも悪しき前例となり現在も受け継がれ、中共への優遇措置が講じられている。

「河野談話」や「村山談話」を糾弾する声はあるが、抑々、我が国の土下座外交と自虐的歴史認識は田中角栄の「日中共同宣言」が元凶なのである。

 多くの国民は「我が国と支那の関係を「一衣帯水」だとか「古くからの隣人」などと心得違いをしているが、日中間に国交関係が樹立されたのは20世紀に入ってからで、未だ100年程しか経っていない関係である。

 況してや、中華人民共和国(中共)との国交は50年も経っておらず、我が国と戦争もしていない中共が戦勝国として国連の常任理事国に就いていることが摩訶不思議なこと。本来、戦勝国は中華民国であり、台湾であるのだ。

 親中派は常々「日中は同文同種、一衣帯水の関係」との認識を示す。これは全くの誤りであり、無知以外の何ものでもないが、こうした認識こそ中国共産党の策謀に嵌っている証左の一つでもある。

 607年、聖徳太子は小野妹子を隋に派遣し対等外交に踏み切り、後に蘇我氏を滅ぼした中大兄皇子らが645年「大化の改新」を実現する。

 天智2(663)年、唐・新羅連合軍に攻撃された百済は日本に救援を求めると、我が国はこれに応じ出兵した。これが世にいう「白村江の戦い」である。

 応援に出た日本軍はこの海戦で大敗を喫し、この敗戦を機に我が国は中華圏との正式な外交を絶つこととなった。

 白村江の海戦で大敗を喫し、生き残った者は捕虜となった。その中の一人、大伴部博麻は「唐が日本を攻める」という情報を得るも日本に知らせる術もなく、自らを奴隷に売って金を作り仲間を帰国させこの危機を知らせた。

 これが持統4(689)年の事であり、その後、博麻が帰国したのは白村江の戦いから何と30年後のことだった。帰国後、持統天皇が博麻の功を顕彰する。

【朕 その朝を尊び国を愛ひて 己を売りて忠を顕すことを嘉ぶ】(日本書紀)

 これが「愛国」という言葉の由来であり、軽々しく日の丸を掲げて勇ましい行動を採ることが愛国というものではない。

 我が国が国書を携えて派遣したのは「倭国」としてであり、「日本」と名乗ってからは一度足りとも正式な国書を携えた外交はなく、親中派の「一衣帯水」「同文同種」という認識は実に軽々しいものと言わざるを得ない。

 明治4(1871)年に「日清修好条規」を結んだ相手は満州人の清朝であり、支那を支配していたが漢民族の国ではなかった為に、支那との正式な外交は、明治45(1915)年の「中華民国」誕生まで待たなければならなかったのだ。

 毎年9月29日は、右翼民族派陣営が中心となり「反中共デー」の運動が全国で行われている。だが、数十人、或いは数人の左翼集会を取り上げるマスコミはこの運動を一切無視し報道されることはない。

「反中共デー」運動の輪が広がることで日中の歴史的経緯が明らかになり、台湾との国交恢復が成されることを願って止まない。

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2020年09月24日

「勝てば官軍」と勝利に酔った西郷だったが最後は「逆賊」に堕ちた

 今日9月24日は西郷隆盛の命日。隆盛というのは実の父親の名前で本名は「隆永」だという。何故に「隆永」ではなく「隆盛」になってしまったのか。

 明治2年、戊辰戦争の奥羽戦線から帰京する西郷に、宮内省から御召状が出されることになった。この時、友人の吉井友実に西郷の諱を尋ねたところ「確か、隆盛じゃった」と答えことで、以後「隆盛」と称されることとなったという。

 帰京し、吉井に会った西郷は「あれは父の名でごわんか。わしの名は隆永じゃと、おはんも知っちょるじゃろう」というと、吉井も頭を掻きながら「ほんにそうじゃった」と詫び、二人は顔を合わせて大笑いしたという。

 その後、西郷は「隆盛」という名を否定も訂正もしなかったのは、吉井への気遣いと、西郷自身の大らかさだろう。こうした逸話にしろ、誰からも「西郷(せご)どん」と愛される人柄だったことを窺い知ることが出来る。

 戊辰の役の戦い虚しく会津藩が西軍に降伏したのは明治元年9月22日、その10年後の9月24日、西郷隆盛が西南戦争で敗れ城山で自刃する。明治維新の立役者が一転して「逆賊」の汚名を背負うこととなったのは一体何故なのか。

 西南戦争が起こる4年前、西郷らが主張した「征韓論」を大久保利通や長州閥に因って却下される。加えて士族の帯刀や俸禄を廃止する「金禄公債証書条例」が制定されると士族らから明治政府への不満が噴出して行く。

 政争に敗れた西郷は鹿児島に帰郷すると、政府に不満を持つ士族らは西郷を神輿として祭り上げる。「佐賀の乱」「神風連の乱」「秋月の乱」「萩の乱」など士族の反乱が続く中で終に西南戦争が勃発。奮闘虚しく敗れた西郷は城山で自刃した。

 西郷は決して政府軍との戦争を起こそうとは考えていなかったというが、主宰する私学校生徒を統制出来なかったのは自身の優柔不断さが大きい。結果的に若者らの不満を抑えきれなかったのは己の不徳の至りではなかろうか。

「南洲翁遺訓」は、指導者としての西郷の度量の深さと無上の高潔さを感じ取れる。だが、歴史的偉人の言葉というのはその多くが自戒であり、西郷が好んだ「敬天愛人」の思想も人生の失敗から学んだ生き様でもある。

 浪漫派を気取り、宣伝車などに「敬天愛人」を掲げる自己陶酔型の右翼団体や自称・愛国者らが大好きな言葉にこんなセリフがある。

「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は始末に困る者なり。この始末に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり」

 これは「西郷南洲翁遺訓」第三十条や山岡鉄舟語録からの引用である。自分が然も幕末の志士になったかの如くこの言葉に陶酔する。だが「国家の大業」や「天下の偉業」とは政治家がやることで、右翼風情がやることでもない(笑)

「命もいらず」とカッコ付けてはいるが生命保険や終身保険に入って積み立てしていたり、「名もいらず」とか言いながらも高目ばかりを夢見て、「有名になりたい」「カネを儲けたい」という右翼人の多いこと多いこと(笑)

 また右翼の有名な人と知り合いになっただけで然も自分も右翼になったと勘違いしてる輩が多いが、そういう輩は権威主義の最たるもので、艱難を共にする奇特な人物などいやしないし、艱難などに遭遇してもきっと避けるに違いない(笑)

 第三十条は、この台詞の後に「然れども斯くの如き人は、凡俗の眼には見るべからず」と続く。外見や肩書で判断してる凡俗の右翼人の眼にホンモノが映っているとは思えない。西郷南洲翁遺訓では第二十七ケ条が好い。

「過ちを改めるに自ら過ったとさへ思ひ付かば夫れにて善し。其事をば棄てて顧みず直に一歩踏出す可し。過を悔しく思い取繕はんと心配するは譬へば茶碗を割り其の欠けらを集め合せ見るも同じにて詮もなきこと也」

 愚生もその昔は西郷隆盛を傑物だと信じ、疑いもなく傾倒していた。だが、故郷・二本松が「賊軍」の汚名を着せられた二本松藩ということもあるし、根が捻くれ者なので最近はチョッと穿った見方をしている。

 慶喜公の恭順と江戸城の無血開城に満足せず、会津を攻め落とすことで徳川時代の終焉としたが、会津降伏後も満足することなく函館五稜郭へ侵攻する。西軍が北上する際に掠奪した金品は相当な額に及んでいる。正に官軍を装った盗賊の如し。

 勝海舟と西郷隆盛の江戸城での談判と無血開城は侍としての士風を損なったばかりか、会津の悲運を生みこととなった。そういう意味でも勝海舟にしろ西郷隆盛にしろ言われてる様な傑物では無かった様に思えてならないのだ。

 歴史というのは正義が常に正義ではなく、正義が敗れることもある。「勝てば官軍」と勝利に酔った西郷だったが、城山での無念の自裁は会津藩や東軍と同じく「逆賊」に堕ちた瞬間でもあった。歴史とは実に非情で気紛れでもある。

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2020年09月22日

「春分の日」や「秋分の日」は春季皇霊祭・秋季皇霊祭が始まり

 仏教では「春分の日」や「秋分の日」は、彼岸の中日として墓参りに出向く。祝日法では「自然をたたえ、生物をいつくしむ」ことを趣旨としている。何故にこの日に自然を称え、自然を慈しむのか、意味が今一つ分からない。

「暑さ寒さも彼岸まで」などと、季節の変わり目の様に感じているが、彼岸会法要は天皇の詔(みことのり)として始められた行事だった。皇室行事である春季皇霊祭・秋季皇霊祭を、国民が祖先を供養する日として定着するに至った。

 こうした彼岸会法要からも天皇と国民の深い結び付きを窺い知る。正に我が国は天皇の国であり、天皇即日本である。皇室は常に国民と共に在り、この「君民一体」こそが、万邦無比の我が国體の精華なのである。

 今では「春分の日」「秋分の日」という名称が当たり前になっているが、別にこの日が冬と春の境の日でも夏と秋の分かれ目でもない。祝日法の「自然をたたえ、生物をいつくしむ」とは、皇室行事を葬る為のまやかしである。

 戦前は秋分(春分)の日ではなく「皇霊祭」と称した。明治11年(1878年)、それまでの歴代天皇や主たる皇族の忌日を春と秋に纏め奉祀したのが始まり。

 明治41年制定の「皇室祭祀令」では春季皇霊祭・秋季皇霊祭が大祭に指定された。統治下だった昭和22年5月2日、GHQは「皇室祭祀令」を廃止する。然し乍ら、宮中では従来通りの春季皇霊祭・秋季皇霊祭が続けられている。

 皇居内の宮中三殿の一つである「皇霊殿」には歴代天皇、皇族の霊が祀られており、この日は皇室の重要祭祀である「皇霊祭」が斎行される。また、全国の神々が祀られる「神殿」では、神恩に感謝する「神殿祭」も同日斎行される。

 つまり、春分の日を「春季皇霊祭」として、秋分の日を「秋季皇霊祭」として復活させることは、我が国の国體の精華を取り戻すことでもあるのだ。

「春分の日」「秋分の日」を「彼岸」と言うが、これは「節分」「八十八夜」「土用」「入梅」「半夏生」などの雑節の一つで二十四節気の「五節句」などの暦日の他に、四季折々の季節の移り変りを日本的に表した特別な暦日のことをいう。

 こうした歴日が、我が祖国日本の四季折々の麗しい情景を深める。「春分」と「秋分」は、太陽が真東から昇り、真西に沈むので、西方に沈む太陽を礼拝し、遙か彼方の極楽浄土に思いを馳せたのが彼岸の始まり。

 現在では彼岸の仏事は浄土思想に結びつけて説明される場合が多く、浄土思想での極楽浄土(天国)は西方の遙か彼方にあると考えられている。

 彼岸会の「彼岸」は「日願(ひがん)」に喩えられ、仏教語としての彼岸は後から結びついたものであるという説もある。

 俗に中日には先祖に感謝し、前後の6日間は悟りの境地に達するのに必要な6つの徳目「六波羅蜜」を1日に1つずつ修める日とされている。つまり、仏教徒というのは日々修行なのだ。でも、そんな仏教徒に会ったことはないが(笑)

「六波羅蜜」とは大乗仏教における六種の修行で、菩薩が涅槃に至るための六つの徳目のことで「六度」ともいう。

 その六種の修行とは、施しという徳「布施波羅蜜」、戒律を守る徳「持戒波羅蜜」、忍耐という徳「忍辱波羅蜜」、努力という徳「精進波羅蜜」、精神統一という徳「禅定波羅蜜」、智慧という徳「般若波羅蜜」をいう。

 六つの徳目の中で「持戒」「忍辱」「精進」「禅定」「智慧」というのは言葉では理解すれど、これらを修めるのは容易なことではない。

「布施」という施しは目に見えて分かるので、仏教の世界もそうだが、中でも昨今の葬式仏教や新興宗教の世界では「布施」ばかりが信心の裏返しであるかの様な、我田引水的な都合の好い解釈が罷り通っている(笑)

「施し」というのは、愚生は「自分より能力的に肉体的に劣る者や難渋している者、悩みや壁にぶち当たっている者に対し金銭的なものを含めて支えて助けてあげること」。これこそが真の施しというものだと思っている。

 波羅蜜とは「魔訶般若波羅密多(まかはんにゃはらみた~)心経」で始まる般若心経にも頻繁に出てくる言葉だから馴染みがある言葉だろう。般若波羅密多の「魔訶」とは「尊いもの」という意味だが、理解している仏教徒は少ない(笑)

 死んでも戒名さえ貰えば極楽浄土に往けると思ってる仏教徒ばっかだが、戒名を頂くということは「御釈迦様(釈迦牟尼)の弟子になるということ」。要は、仏教徒というのは生きている間も、死んでからも修行は続くのである。呵呵。

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2020年09月20日

安倍が謀りインチキ保守が迎合する憲法九条改正は究極の護憲運動

 安倍晋三が靖國神社に参拝し「英霊に内閣総理大臣辞任の御報告を行った」を、保守派や安倍信者らは「李登輝元総統の告別式に合わせたかの様な参拝で感動した」などと讃える。ホント、保守派や自称・愛国者というのは単純で扱い易い(笑)

 営業保守や自称愛国者らが、頻りに中国共産党や北朝鮮の脅威を煽り、然も憲法九条改正は喫緊の課題だと騒いでいるが、「国防」とは領土主権の防衛だけではない。国柄や皇統を護ることこそ国防の大義であることを忘れている。

 九条を改正し、自衛隊を合憲の存在にするというより、九条改正に拠って現憲法の絶対化を謀っているとしか思えない。自衛隊は国軍であり、それは天皇の軍隊で在らねばならない。つまり自衛隊を「皇軍」とするには九条改正如きでは成り得ない。

 安倍が謀り、インチキ保守、アホ右翼らが迎合する憲法改正こそ究極の護憲運動であると断じて好かろう。「取り敢えず九条改正派」は形を変えた九条の会だ。憲法九条以外にも違憲な存在と知りながら放置され続けている項目は存在する。

 例えば、営業保守派や自称愛国者らが総理大臣や閣僚の靖國神社参拝を求めていることは心情的には分かるが、憲法上は認められてはいない。同時に、所謂「A級戦犯分祀論」も宗教法人・靖國神社への干渉であり憲法違反に問われる。

 中華人民共和国と「日中友好条約」を締結する際に、田中角栄は、国際条約である「日華国交条約」を破棄したが、これは明らかな憲法98条違反である。この事実に護憲派どもは沈黙を極め込んでるが、護憲とは正に我田引水的誤憲運動である。

 クソ憲法と言われる最たるものは第1条だろう。「天皇は国民統合の象徴である」が、それは「総意に基づく」ものでなくてはならないと明記されているのだ。

 天皇に反対する共産党らが存在する限り「国民の総意」ではなく、彼らが言う通り「天皇は違憲の存在」「天皇は要らない」との屁理屈は残念乍ら正しい。

 憲法第二条「皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する」に従えば、今上陛下の次の天皇は愛子内親王ということになる。反天皇勢力はこの第二条を論拠に女性天皇論を謀るだろう。

 秋篠宮殿下を「皇太弟」という称号ではなく、我が国の皇統の歴史にも存在しない「皇嗣(こうし)殿下」としたのも、女性天皇への布石である。

 大日本帝国憲法第二条では「皇位ハ皇室典範ノ定ムル所ニ依リ皇男子孫之ヲ繼承ス」と明記されているが、我が国體(皇統)を維持し続ける上でも、現憲法が実に御粗末な最高法規であるというのを理解出来るだろう。

 最高裁で、在日への生活保護に対して違憲判決が出ているが、この判決が出てからも生活保護の受給が改められずにバラ撒かれ続けている不思議。私学助成金制度然り、違憲の存在や違憲の状態というのは、別に自衛隊だけではないのだ。

 こんな国家の基本法として機能していないクソ憲法の第九条の改正をしたところで意味はない。憲法九条を改正を機に様々な条項が見直されるということはなく、九条改正によって現憲法が絶対的な存在となってしまうだろう。

 営業保守やインチキ保守派、似非右翼らが声高に叫ぶ「九条改正」こそ、左翼の誤憲運動を遙かに凌ぐ究極の護憲運動であることを知るべし。我が皇統と国體を護持するには現憲法を葬り、大日本帝国憲法を復元し改正するしかない。

 正統な国法である帝国憲法の復元・改正が出来ないなら、憲法が無くても議会制民主主義が成り立っている英国に倣って、日本国憲法なんぞ捨ててしまえ。呵呵。

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2020年09月18日

歴史というのは往往にして戦勝国の都合の好い内容に改竄される

 我が国は1933(昭和8)年、国際連盟を脱退する。これは「満州事変により、中国に侵略した」という理由で、国際連盟規約違反とこじつけられて制裁決議が下される訳だが、これを不服として我が国は国際連盟を離脱する。

 我が国の近代史は「昭和6(1931)年9月18日、柳条湖に於いて南満州鉄道の線路を関東軍が爆破し、これを張学良軍の仕業として戦闘を開始。満州全域を占領して傀儡国家・満州国を建国した」との歴史を多くの国民は疑いなく信じている。

 自民党総裁選に出馬した石破茂もそんな戦後の米国主導の歴史教育を疑いもなく信奉してる一人。大東亜戦争のみならず、第二次世界大戦をも「日本の侵略戦争」だと断じて憚らない石破の歴史認識は明らかな戦後教育に毒された自虐史観の持ち主だ。

 過去にも石破の主張に疑問を持った保守論壇界からも疑問が呈されているが、石破は全く聞く耳を持たない。そればかりか軽薄な歴史認識を確信的に披歴する。

 例えば、アパホテルの懸賞論文で入選し、石破防衛大臣から航空幕僚長を解任された田母神俊雄の、所謂「田母神論文」への反論が記憶に新しい。

「民族派の主張は歯切れがよくて威勢が好いものだから、閉塞感のある時代に於いてはブームになる危険性を持ち、それに迎合する政治家が現れるのが恐いところです。主張はそれなりに明快なのですが、それを実現させる為の具体的・現実的な論考が全く無いのも特徴」と語ってはいるが、石破こそ具体的・現実的な論考が全く無い。

「東京裁判は誤りだ。国際法でもそう認められている。確かに事後法で裁くことは誤りですが、では今から遣り直しが出来るのか。賠償も一から遣り直すのか。『日本は侵略国家ではない』それは違うでしょう。西欧列強も侵略国家ではありましたが、だからといって日本は違う、との論拠にはなりません。『遅れて来た侵略国家』というべきでしょう」と語り、論点を逸らして暗に日韓併合を批判する。
 
「戦うも亡国、戦わざるも亡国、戦わずして滅びるは日本人の魂まで滅ぼす真の亡国」などと言って開戦し、日本を滅亡の淵まで追いやった責任は一体どうなるのか。ここらが徹底的に検証されないまま、歴史教育を行ってきたツケは大きく、靖國問題の混乱も、根本はここにあるように思われます」との認識を垂れ流す。

 日清・日露戦争の大偉業をも侵略戦争と断じ、大東亜戦争の軍部の一部分を論って批判する。戦わず欧米列強の植民地になれば好かったと言いたげだ。

 日露戦争が齎した歴史的課題であった「人種平等の原則」の本格的実現は、大東亜戦争後に実現し、その歴史的大使命が果たされるのだった。こうした現実をみれば、我が国は先の大東亜戦争に敗れはしたが、その戦いは大義があったのだ。

 石破の歴史認識は「侵略戦争は怪しからんし、この侵略戦争の責任はA級戦犯に在り、その戦犯が祀られている靖國神社に参拝なんぞしない」という理屈に至る。

 石破こそ、それを実現させる為の具体的・現実的な論考が全く無い主張ばかりを繰り返しているが、要は「侵略国家として未来永劫、贖罪意識を共有して、相手国(中韓)が納得するまで謝罪していなさい」ということなのだろう。

 石破は戦後の歴史教育を疑いもなく信じ、それを政治信条の主体としている故に国家観が乏しから、国民に支持されても直ぐに厭きられるのはそういうことだ。

 どの国の歴史もそうだが、歴史というのは往往にして戦勝国の都合の好い様に改竄されるもので、アジア近代史の中でも「満州事変」はその最たるものだろう。

「柳条湖事件」の翌年、国際連盟は事件解明の為に「リットン調査団」を派遣する。その「リットン報告書」では各国の思惑通り、関東軍の行動を正当な自衛行動と認めなかったが、翻って「この事変の誘因を、満州と中華民国の混乱と内乱に在る」との認識を示したことでも、一方的に我が国が断じられる理由はない。

 その上で、調査団は「満州に於ける諸問題は極度に複雑だから、この事変は単に一方的に侵略したという簡単な事件ではない。何故なら満州は、世界の他の地域に類例を見ない様な多くの特殊事情が在るからだ」と結論付けている。

 こうした認識の背景には、日露戦争後の正当な権益である租借地と、満鉄経営に対する不当な鉄道妨害や抗日活動、或いは日本人迫害が長期に亙って続いていた事実を、リットン調査団が十分に把握していたからであろう。

 更に調査団は、日本の権益については「日本人にとって対露戦争とは、ロシアの侵略の脅威に対する自衛戦争、生死を賭けた戦いとして永久に記憶され、この一戦で10万人の将兵を失い、20億円の国費を費やしたという事実を決して無駄にしてはならないという決意をさせた」とも言及している。

 日本本土も含めた自存自衛と膨大な投資を行った満州国の権益保持、そして在留邦人の生命を守る為には、「満州を紛乱した中華民国から切り離して安定させるしかなかった」と、事変に至る日本の偽らざる動機の一端を正確に伝えている。

 米国の元中華民国公使・ジョン・マクマリーも、「日本の安全保障の為には朝鮮半島と満州の安定が必要不可欠であった」といった要旨の言説に見られる様に、欧米の識者の中には事変直後から、日本の立場を擁護する意見があったのも事実。

 歴史を検証する上で大切なのは世界に蔓延る覇権主義の克服を主張すべきであって、他国の覇権主義に目を瞑り、一方的に自虐の淵に止め処なく漬かり込むことではない。戦後、新たな資料によって史実の全貌が明らかになって来ている今、何故に新旧資料を精査して公正な歴史認識を検証しないのか不思議でならない。

 満州事変の起因となった柳条湖事変が勃発した9月18日に合わせ、中共では例年「反日デモ」が行われるが、そこに歴史的公正さや正義は無く、単に中共政府の言いなりで騒いでるだけ。悲しい哉、日本人もまた、未だに国連(戦勝国)や米国の創り上げた歴史を鵜呑みにして目覚めようともしない。

 国連にしても米国にしても未だ戦勝国の論理で歪な正義感を振り翳し、石破の様な戦後民主主義者らがそれに追随する。だが、過去を振り返ってみてもアジアの動乱の原因はいつも時代も米国と共産主義だった近代史を忘れてはならない。

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2020年09月17日

共産党と同じ憲法観を有する元自民党幹事長・小沢一郎

 衆参両院本会議の首相指名選挙で自民党総裁の菅義偉が第九十九代首相に選出された。日本共産党と国民民主党は首相指名を立憲民主党の枝野幸男に投票し、その立ち位置を鮮明にした。国民と立憲の分裂騒動は何だったのだろう。

 立憲民主党の小沢一郎が、Twitterで首相に指名されたばかりの菅義偉首相に対し「憲法を知らないからこそ平気で権力を私物化する」批判した。これは「己がやることは相手もやるに違いない」と仮託した同一化虚言の症状にも見える(笑)

 菅政権でも安倍政権と同じく憲法改正を掲げ、また公務員改革や行政の無駄を断行する考えだ。これに対し小沢は「『政府として憲法改正に挑戦する』と発言した新総理。公務員の憲法尊重擁護義務を知らない」と菅政権を腐している。

 これは憲法九十九条の「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」との条項を念頭にした発言。

 第九十六条には「国会議員の三分の二以上が発議し、国民の過半数の同意」で憲法改正出来るとあるが、これに基づき発議すれば九十九条違反に問われる。憲法改正が進まなかったのはこの九十九条と九十六条の不毛の議論がその理由。

 安倍前首相の改憲案に同意するものではないが、こうした論争に終止符を打ったのが安倍で、国民投票法案を成立させて憲法改正への道筋を建てた。

 小沢の憲法擁護尊重義務は現憲法の認識としては正しいのだろうが、これでは不毛な憲法論戦の繰り返しであり、国益を守ろうという意識の希薄の現われでもある。

 厭きれるのはこうした憲法観を披歴する小沢が、自主憲法制定を党是として発足している自民党の幹事長だったことだ。菅首相への「憲法を知らないからこそ平気で権力を私物化する」との妄言は自分自身への経験からのものなのだろう(苦笑)

 小沢は「自衛隊の立ち位置が憲法の中で否定されている」とも述べ、「憲法の基本を理解していない点では安倍総理と同じ」と続け、戦後の政府見解を全否定していることでも小沢というのは確信的護憲派だったということが分かる。

 安倍が謀る憲法改正は、憲法九条に自衛隊の存在を明らかにしようとしている「加憲」であり、その他の条項の矛盾を差し置いて九条三項を明記しようというのは現憲法を絶対的なものにする究極の護(誤)憲派であるというのが正しい。

 小沢は尤もらしく憲法を語っているが、師である田中角栄が日中友好条約を締結するに当たり国際法規である日華国交条約を蹂躙したことはどうなのか。

 第九十八条には「日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。」とあり、明らかな憲法違反ではないのか。

 憲法第一条には「日本国及び日本国民統合の象徴であって、その地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」としている。

 日本共産党や左翼陣営は「我々は天皇制に反対。因って、国民の『総意』ではなく、天皇の存在は違憲である」という屁理屈を垂れ流しているが、小沢も同じ認識なのだろう。第一条の「総意」の議論無き憲法改正を謀るべからず。

 憲法第一章「天皇」条項を語らない自民党や保守派の憲法改正にしろ、小沢ら誤憲派の現憲法絶対主義にしろ、我が皇統と国體の精華を毀損し続ける。

 我田引水的憲法観を露呈する小沢らは憲法第二条「皇位は、世襲のものであって、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する」との条項を以て、秋篠宮皇太弟ではなく「敬宮愛子内親王こそ皇位継承第一位」と謀るだろう。

 何処の国でも時代の流れに応じて憲法を変えている。環境問題、情報公開、プライバシー保護、国家の安全等々憲法を施行した時代からは想像もしなかった程社会は変化している中で、世界で唯一の「平和憲法」などと寝ぼけている場合ではない。

 現憲法は大日本帝国憲法73条に拠る改正であるなら、第九条加憲などという安易な憲法改正は逆効果。旧帝国憲法の復元・改正こそ執るべき道である。

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死刑執行数最多の上川陽子が法相に再登用!

 菅義偉総裁が地味なら、内閣の広報官である官房長官にもパッとしない加藤勝信が就いた。広域暴力団が70歳前後ばかりの幹部ばっかで嗤えない状況だが、自民党の新執行部もヤクザ社会と同じく高齢化社会の縮図に見えなくもない(笑)

 女性閣僚を多用するのかと思ったが橋本聖子五輪相と上川陽子法相の二人だけ。上川法相というと歴代最多の16名の死刑執行を命じたことが記憶に残る。

 30人を殺害(他に行方不明者多数)、負傷者数6000名という未曾有の犯罪行為を実行し、皇居などへ炭疽菌やボツリヌス菌を散布するなど国家転覆を謀ったオウム真理教の凶賊らの死刑執行に対し抗議の声が上がったのは記憶に新しい。

 何故かこの日本史上最悪のテロ集団を庇い、「麻原彰晃の供述が無いままに死刑執行したことは人権無視の暴挙だ」とか「狂っている」と騒ぎ立てた。中でもオウム真理教取材で一躍有名になった有田芳生の異常さが際立っていた。

 別に麻原が卑怯にも黙秘しようが、オウム真理教に因るサリン事件を始めとした凶悪事件の真相は裁判で解明されている。麻原の精神障害らしき症状は「詐病」とされており、麻原の三文芝居に付きやってやる必要も無い(苦笑)

 抑々、死刑執行も命じない法相と言うのは職務怠慢に他ならない。ここ10年で20人程の法務大臣が誕生してるが、死刑執行をしなかった大臣は半数以上に上る。

 刑事訴訟法では、死刑確定から6ヵ月以内の執行を定めており、何れも6ヶ月以内に検察庁が法務大臣に「死刑執行上申書」を提出し、規定通り押印し、「法相の命令から5日以内に執行されなければならない」と定められている。

 法務大臣の死刑制度への心情なんぞ関係なし、法務大臣の任を享けたのならば覚悟を以て大臣としての職務を遂行するべきでだ。それも出来ないのなら法務大臣の就任は拒否するべきで、大臣なら何でも頂いておこうとという気持ちがさもしい。

 我が国の死刑制度というのは、明治新政府が制定した「仇討ち禁止令」や「決闘禁止」に代わるものとして、明治6(1873)年2月、司法卿であった江藤新平が「復讐禁止令(仇討ち禁止令。太政官布告第37号)」を発令したことに始まる。

 幕末から維新期の派閥、政論の対立による暗殺とその報復という面があったことから、「この種の紛争を断ち切る」という目的だった。明治22年には「決闘罪ニ関スル法令」も発布され、敵討ちや復讐は全面的に禁じられた。

 主君や親兄弟などを殺した者を討ち取って恨みを晴らすことは、日本人の美意識の顕れともいえる。江戸時代には武士階級の慣習として公認され「敵討ち」と認められれば罪に問われなかったばかりか、それは美化され大衆の支持を得た。

 主君の仇討ちを成した「赤穂浪士」が、未だ日本人の美学とされているのもそういうことだ。現代でも「死刑制度」を容認する国民が80%以上もいるのは、国が遺族に代わって遺恨を晴らして欲しいという気持ちの顕れに他ならない。

 死刑廃止論者は、その理由を「国際人権基準」がどうのだとか、「非人道的」とか、「生きる権利の侵害」だとか「死刑囚の資料を精査する十分な時間があったとは思えない」と犯人側に立つ意見ばかりで、被害者側に寄り添う言葉は無い。

「死刑廃止は今や世界の大勢で日本もそうすべきだ」という意見は少なくない。果たしてそうだろうか。いつも思うことだが、この「世界では」とか「どこそこの国では」という都合の好い屁理屈というのは、実に胡散臭げなものばかり。

「世界ではこうだ」というが、世界で美的感受性や道徳の圧倒的高さを有する国家は我が国を措いて他はない。歴史の浅い諸外国の都合の好い部分だけを模倣しようなどというのは、それこそ外国人コンプレックスの裏返しでもある。

 世界中が嘘八百並べても日本だけは絶対にしない。絶対に世界の真似をしないという、そういうの貧人としての自信や誇りというものを失ってはならないのだ。そういう意味では孤高の日本で良いし、死刑制度も日本独自で維持するべきだ。

 死刑廃止の理由を列挙すれば「法により国が人を殺す事は罪悪で人道に反する」「死刑には期待する程犯罪防止効果は無い」「冤罪の場合に取り返しが付かない」「人間は善を行うべき道徳的本性を先天的に具有しているのだ」など様々。

「冤罪」というのは、袴田事件を見るまでもなく確かに有り得なくはないが、それは警察捜査の傲慢さと科学捜査の正確さが乏しい時代のものが殆どで、少しでも冤罪の疑いのある事件は前例に囚われず再審対象にすれば好いだけの話しだろう。

「人道に反する」とは「人を裁けるのは神のみ」というキリスト教的欧州思考に冒されている典型で、そんなものに八百万の神を信ずる日本人が与する方が間違い。

 左翼人士や自称・人権派弁護士などにこうした主張をする人を見かけるが、日頃、反米を唱えながら、また共産主義の無神論者でありながら、米国でもキリスト教でも我田引水的に利用してやろうという心根は見苦しいばかり。

 残虐な犯行をした者が、死刑廃止で国法により生命を保証されるというのも如何なものか。況してや麻原を始め再審請求を利用して執行停止を謀るなど笑止千万。「生」に拘るより「死」を以て償うべき。上川法相は粛々と死刑執行を命じよ!

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2020年09月16日

菅政権下でも森友学園&加計学園問題を追及するんだってよ(苦笑)

 立憲民主党は、菅総裁が掲げる「自助・共助・公助」に難癖を吐け、「共助」が「公助」が大事と訴えてる。先ずは自助ありきは当たり前のことで、日本人として大事な事は福沢諭吉の教えである「国を支えて国に頼らず」の精神の涵養である。

 更に、菅政権下でも森友&加計問題を追及するらしい。安倍前首相と加計学園理事長との仲の好さから「働きかけは絶対に在った」と信じて疑わない。情弱なのか、マスコミ報道を鵜呑みにしてる野党議員ってのはホント気楽な稼業だよなぁ。

 加計理事長とは安倍は国会議員になる前からの友人。ならばもっと早く獣医学部なんぞ出来たのではとも思ってしまうし、何故に四国に獣医学部なのかを考えれば様々な問題が見えてくると思うのだが、どうも野党には見え方が違う様だ(笑)

 この加計学園問題は、天下り出来なかったことに恨みを抱いた前川喜平前文科省事務次官の、公務員法違反とも取れる「極めて薄弱な根拠の下で規制緩和が行われた。認可は不適切だった」との妄言が発端ということを忘れてはならない。

 このでっち上げは、所謂従軍慰安婦問題をでっち上げた吉田清治の妄言とクリソツ。慰安婦問題は、元山口県労務報国会下関支部動員部長の吉田清治が、昭和58(1983)年に書き上げた「私の戦争犯罪」​という本が始まり。

 吉田はその本の中で「済州島で9名の兵隊と共に約200名の​朝鮮人女性を強制連行して慰安婦にした」と記述し、済州島での当時の様​子を回想し描写した。

 その後の調査で直ぐにこの本はフィクションだったことが判明したが、​この本だけが独り歩きし始める。そして韓国語に翻訳され出版されると韓国人は激昂。

 平成4(1992)年、朝日新聞がこの本を取り上げ、根拠もない儘に「日本軍や警察が『慰​安婦狩り』をやった」と書き立てて韓国人の反日感情と怒りを煽り、福島瑞穂ら名うての売国奴らがこの「強制連行説」を支持し、支援した。

 この本に疑問を持った「済州新聞」の記者・許栄善は、現地を取材し「慰安婦狩りの話を裏付ける証​言者はいない。島民の名前もデタラメ」と一蹴している。更には、韓国の郷土史家・金奉玉も現地調査を実施し、次の様に述べている。

「昭和58年に日本語版が出てから、何年かの間、​追跡調査をした結果、事実でないことを発見した。この本は日本の​悪徳ぶりを示す軽薄な商魂の産物と思われる」(「ほんとうは、『​日韓併合』が韓国を救った!」松木国俊著WAC社)

 吉田もこれらの調査結果を突き付けられると、あっさりと「創作だった」と事実を認めたが遅きに失した。吉田の嘘から始まり、韓国全土で「慰安婦​狩り」が独り歩きし、売文という私利私欲の所業が国家を​売ることになってしまった。

 加計学園の問題を見てると、騒ぎ立てているのは慰安婦問題と同じ朝日新聞や毎日新聞であり、野党を始めそこには公平や公正さは無く、妄想と「忖度があって欲しい」「働きかけがあって欲しい」という淡い期待にしか感じない(笑)

 事の問題は西日本、特に四国の公務員の獣医師不足は、鳥インフルエンザや国際的な環境変化の流れの中で改善しなければならない問題であり、そういう意味では手を挙げてくれた加計学園には感謝することがあっても批判されるのは筋違い。

 批判されるべきは頑なに批判し反対してきた獣医師会であり、旧態依然の行政に与した前川喜平であり、朝日新聞を始めとする取材力に乏しいマスコミだろう。

 更には、獣医師会の意向を忖度し「石破4条件」を作って獣医学部新設の妨害を謀った石破茂であり、獣医師会から100万円の献金を貰っていた玉木雄一郎や福山哲郎ら政治家共で、先ずはそれらの疑惑に答えるべきではないのか。

 一方の森友学園というと、詐欺事件の主犯である籠池泰典が始めた愛国ビジネス。児童に教育勅語を唱和させ、罰当たりなことに昭和天皇が学園を訪問したとの記述をホームページに載せて、学園が神道を重んじた学園であるかの様に偽装した。

 安倍明恵首相夫人や今回の平沼赳夫や鴻池祥肇などの政治家を利用して「瑞穂の國記念小学院」の設立し、補助金を詐取しようと目論んだのが事の始まり。

 教育勅語を子供達に唱和させ愛国者を気取る籠池を安倍糾弾の好材料とする辻元清美らは、恰も安倍が学園設立に熱心だったかの様に世論誘導し、安倍夫人に批判の矛先を向けた。だが、全てが籠池の一人芝居だったことが露呈する。

 籠池逮捕で一件落着かと思いきや、愛国教育を批判してた野党もマスコミも一転して籠池は被害者であるかの様な作為的な記事を垂れ流しては、籠池の発言が正しいと言わんばかりに「公文書改竄問題」として国民を誑かしている。

「改竄問題」は、詐欺師籠池の嘘八百に踊らされた財務省近畿財務局が、籠池に利用されたと思われる平沼や鴻池らの文言を原本から削除したことが大問題とされているが、別に決裁文書が根本から書き換えられてる訳ではない。

「本件の特殊性」や「特例的な内容」といった文言が削除され、廃棄文書が見つかったところで何ら問題はない。森友問題は、佐川前国税庁長官(当時)の答弁との整合性を図った、単なる財務省の文書管理の問題に過ぎない。

 慰安婦問題は国益を大きく損うこととなったが、加計学園問題も森友学園問題も朝日新聞を始めとした左翼マスコミと能天気なクソ野党が前川や籠池の嘘に便乗しているのを見ると、慰安婦問題の時と同じ轍を踏んでるとしか思えない。

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2020年09月15日

第二十六代自民党総裁に菅義偉が選出。議員票と地方票合わせて377票の圧勝。

 第二十六代自民党総裁に菅義偉が議員票と地方票合わせて377票の圧勝。熾烈な二位争いには岸田文雄が入り、議員票僅か26票の石破の惨敗は快哉だった。

「何が何でも石破を潰そう」という、麻生を始めとした自民党幹部の権力闘争を垣間見た瞬間だった。岸田の議員票には麻生や安倍らも投じたと推測される。

 この結果に石破は「選挙期間を長くして党員の全てに投票させるべきだった」と悔しさを覗かせていたが、全国44の県で党員投票が行われており、参加した党員への侮辱だろう。正に、言い訳は見苦しいばかりではなく同じ過ちを繰り返す。

 石破が「国民的人気」だという報道は、石破の左翼的思想に共鳴してる朝日や毎日新聞、共同通信社などのノスタルジックな左翼マスコミの一方的な歪曲報道であり、国民を誑かし国民世論を誘導しようというインチキ報道でしかない。

 石破が総裁選挙で勝ったのは安倍と戦った2012年の一回だけで、2018年の総裁選では安倍に負けている。そうした事実を忘れて「党員の全てに投票させるべきだった」との石破の認識もまた左翼マスコミ報道に侵された結果でもある。

 石破が人気だったのはタカ派で保守的なイメージがあったからだ。然しその実は、戦後民主主義にどっぷり浸かった無自覚左翼というのがバレた(笑)

 その昔、留まることのない政治家とカネの問題について「政治倫理の確立」を訴え、理路整然と憲法を語り、国防を論じる石破茂という若手政治家に衝撃を覚え、こうした国家観を持った政治家の出現を頼もしく思ったものだ。

 長期政権の傲りが出た自民党が国民から総スカンを食らうと、石破は早々と離党し「改革の会」に参加。この辺りから徐々に鍍金が剥がれ正体を露わにする。

 その後は「新党みらい」「自由党」「自由改革連合」を経て「新進党」結成に参画。元田中派の石破は田中派の先輩でもある小沢一郎を師として行動を共にするも、その後、小沢との確執が露呈し、自民党に復党した。

 自民党に復党すると、党内野党の如く政権批判を繰り返す。安倍政権への批判と揶揄は留まる処を知らず、そうしたことが反石破派の怒りと失笑を買うことに。単なる政権批判を続けていれば、クソ野党と同じく国民は離れて行くのは自明の理。

 石破は戦後の歴史教育を疑いもなく信じ、それを政治信条の主体としている故に国家観が決定的に乏しいのだ。こういう政治家が保守を自任すべき自民党に存在していることが、戦後政治の悪しき象徴でもあるのだ。

 偏狭な自己陶酔の世界から目覚めない限り、自民党員の支持は得られまい。石破は離党し、新党結成で捲土重来を期すべきだと思う。尤も、石破と同道する石破派議員がいるとも思えないが、今なら立憲民主党に替わる野党に成れるかもよ(笑)

 兎にも角にも菅総理誕生で、一気に総選挙に突入するだろう。安倍政治を継承し、コロナ対策や景気対策を優先するのも結構だが、「女性宮家」や「女系天皇」論を謀ることなく、旧宮家の皇籍復帰を実現し天皇を盤石の安きに置いて欲しいものだ。

 今日は官房長官と組閣人事が決まる。官房長官に誰が就くのか興味は尽きない。三原じゅん子や女性閣僚を増やすのは好いが、国家感溢れる保守議員の登用を望む。

 更に注文を吐ければ、自公連立はそろそろ解消すべきだ。公明党は戦後民主主義的であり、且つ反天皇や反靖國など反国家的な組織であることをしても、自民党が選挙協力を優先する余り、連立を維持していることは国益を毀損している。

 菅新総理は、国家観を逞しくし同じ志を共有する政党や政治家と連携し、「道義国家・日本の創造」を図って欲しいものだ。つ~か、元共産党隠じゃ無理か。呵呵。

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2020年09月13日

石破の「東京一極集中批判」は「首都機能移転構想」の模倣

 総裁選に立候補してる石破茂は「女系という選択肢は排除されるべきでない。男系の旧宮家の皇族復帰は男系だから好い訳ではない」と訴えてる。旧宮家の復帰は祭祀を継承して戴くという本分にあるということを理解していない。

 抑々「女系」の意味を知ってるとも思えないが、男女共同参画社会に与し「女系」を理解して語っているのだとしたら国賊と断じられても致し方ない。

 石破は、皇族を公的行事や外国要人との接遇や晩餐会などに華を添える程度のものとしか考えていないから「女性宮家が~」とか「女性天皇が」~と騒ぎ立てる。

 抑々、「女性天皇」「女性宮家」では天皇の重んじる祭祀が叶わない。神に仕える神事を執り行うことが憚れるのだ。多くの国民は陛下の御負担を女性宮家創設で軽減されると思っているが、「祭祀」を女性皇族が代行することは不可能。

 石破の政策に「東京一極集中批判」というのがある。「日本の在り方を根本から変える」らしいが、旧皇族の皇籍復帰に難色を示し、女系天皇誕生を謀る石破の目指すところは日本を変えるどころか国體の破壊ではなかろうか。

 この「東京一極集中を分散する」という考えの基となってるのは、過去に活発に語られたことのある「首都機能移転構想」であるのは間違いない。

「東京への一極集中は人為的に作られ、集積の限界点は超えた。東京の負荷を減らしていくことが重点だ。東京の人を地方に分散することが、東京の、地方の利益になり、日本全体の為になる」との自説を垂れ流している。

「首都機能移転構想」でも、推進派が「東京一極集中は好ましくない」とか「震災対策の為に必要」と主張していたのと同じ。この構想は実現されることは無かったが、石破が「東京一極集中批判」と言葉を替えて国民を誑かしている。

 抑々、この構想は故金丸信が仕掛けた公共事業誘発政策であり、金丸の政策を模倣して公共事業の独占を謀り、政治資金を肥やしたいが為の我田引水に他ならない。

 大手企業や工場、それらの会社で働く従業員が東京を離れることで地方が潤うという単純なものではない。これらの構想に欠けているのは、首都機能を移転した場合に天皇の国事恋や御公務に付いて語られることがないことだ。

 天皇の国事行為は、国会の開会式や大臣の親任式及び認証式などが年間約60回、加えて御公務を約170回程御勤め遊ばされる。東京一極集中を分散する場合、天皇の御公務や監督官庁はどうなるのか。「東京一極集中」とはアバウト過ぎる。

「首都機能移転構想」は、その胡散臭さに立ち消えになったが、又候こうした構想を持ち出す石破のは公共事業の誘発意外に別な思惑がありそうだ。

 石破の発言は、一見すると正論の様に聞こえるが巧妙な詭弁ばかり。東京一極集中を解消するには民間企業だけでは実現出来ない訳だから、「遷都」を議論しろとは言わないまでも、皇居移転や現憲法下の国事行為にも一石を投じるべき。

 況してや国事行為は現憲法に明記されてはいるが、共産党が「天皇の政治利用」との批判も一理ある訳で、国事行為の在り方を議論するのは当然でもある。

「天皇の政治利用」というのはどういうことか。陛下が若し靖國に詣でれば「政治利用だ」と騒ぐ輩も出て来るだろうし、国会の開会式への御臨席も「天皇の政治利用である」として欠席を続けている共産党の暴論も正論とも言える。

「天皇の政治利用」という安っぽい言い回しが実に不敬なものに感じてしまう。天皇の「国事行為」について、憲法は、首相の任命、憲法改正や法律の公布、外国大使らの接受等を定めているが「公的行為」は現憲法に明文化されていない。

 天皇にとって大事なものは前述した通り「祭事」である。悲しい哉、歴代天皇が古来より司って来た「祭事」は、現憲法に由って天皇家の「私事」になってしまい、現憲法にも現皇室典範にも「大嘗祭」の規定さえも存在してはない。

 現憲法は歴史的な国家としての継続された「祭祀」に関する天皇の役割を否定しており、未だ占領政策の「神道指令」の呪縛が解除されずにいるのである。

 天皇の国事行為への対処方法も議論もしない石破の「東京一極集中批判」に意味は無い。日頃から尊皇精神に乏しく、天皇を軽々しく思っているからこそこうした愚策を持ち出すのだ。女系天皇論然り、隠れ共産党の石破に騙されること勿れ。

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2020年09月12日

活動家が長生きすると惨めな生活しか待っていませんよ!

 現役右翼だった頃、物心両面で支援して頂いた大手警備会社の会長から「活動家が長生きすると惨めな生活しか待っていませんよ!」と言われたことを思い出す。

「戦争や昭和の混乱期を経験した先代社長らは国家の何たるかを分かっていたが、今の経営者というのは金儲けばかりで、国家とか国防なんて考えてませんよ。況してや右翼が懸命に天下国家を訴えても理解することは無い」としみじみと語ってた。

 その上で冒頭の言葉に繋がるのだが、支援者は年上ばかりで、その支援者は亡くなっていく。つまりは先細りは見えており、生活は困窮の一途を辿る。

 右翼団体構成員が生活保護を詐取して逮捕されたというニュースが報じられてた。こういうインチキ右翼が真面目な活動家の足を引っ張っているという自覚も無いだろう。利潤追求しか能の無い経営者より御粗末と断じる他はない。

 斯くいう愚生も正しく先細りで支援者は消えていくばかり。敬天新聞社の白倉先輩ではないが「今日勝つ」ことさえ儘ならなくなってきた。ブログ末尾に《会費及び御支援》の口座を記してるが過去に振り込んでくれたのは過去に二人だけ(笑)

 つい数日前にも、35年以上付合いをしてたJA福島さくらとの縁を絶った。その昔はJA福島五連会長で全中の会長を歴任した故佐藤喜春(現県会議員の佐藤憲保の父)も支援者だったが、亡くなると直ぐにJA福島五連から援助を打ち切られた。

 所詮は、政治思想や社稷を重んじるという考えなんぞ毛頭無く、何より人情に希薄で、帳簿上での無駄を省くという営利至上主義からのものでしかない。

 今やJAは農業を利用した営利企業に成り下がった。「農」という国家観を捨て去りながら何が「地域への貢献」か。組合員を利用しているだけではないか。

 種子法廃止法案に沈黙し、種苗法禁止法の裏に隠れてる真実を知ることも無く、単なる政府の意向を汲んでJAを廃統合し、新たな活路を模索している。

 JA全国中央会(全中)への政府介入は、全中の監査・指導権を無くすことにより、各地域の農協が独自の経営的感覚の上に立って、新たな農産物の開発や流通ルートの開拓によって互いに競争し、農業を活性化することが目的である。

 こうしたは方針は政府ではなく、種子法廃止法案を強行させ外国資本が我が国農業に参入しようと謀る米国の要望であり、「農業の活性化」とは組合員を騙す口実。農業に外国資本や大手企業が参入すればJAなんぞ米国資本の傘下となろう。

 現在の我が国はJAの無能著しく、農耕民族としての自覚を喪失し、豊葦原瑞穂の国の誇りも無く、新自由主義の営利至上主義でソロバン勘定し、農業を以て立国の基本とするという「農本主義」は国民の殆どが理解していない。

 指導するべきJAは営利至上主義の総合商社と見間違うばかりの卑しさ。我が国は戦後GHQの策謀によって農本主義的国家観は排除され、大輸出国の米国の戦略に嵌ったまま米国の価値観が我が国の価値感だと錯覚してしまった。

 その典型といえるものが「主要農産物種子法廃止法案(種子法廃止法案)」だった。「種子法」は米、麦、大豆など主要農産物の品種改良を国や都道府県の公的研究が行い、良質で安価な種子を農家に安定的に供給してきた法制度である。

 我が国は「食管法」の下、主食である米や麦などの主要農作物については、政府が市場をコントロールしてきた。その食管法が、平成7年に廃止され「主要食糧の需給及び価格の安定に関する法律(食糧法)」に引き継がれた。

 政府は種子法廃止の理由として、米の減反(生産調整)制度が今後無くなる見通しであることから、品種開発の分野についても民間開放するとしている。だが、その実は外資(外国)参入を目的とした謀である。

 種子法廃止は日本古来の種子の廃止である。つまり食の安全と食料安全保障を廃止すると同じであり、畢竟、豊葦原瑞穂国という国柄崩壊の序章といえるものだったが、JAはこれを容認し、保守派や自称愛国者らまでもが沈黙した。

 それにしても、JA福島五連から支援を打ち切られる際は顧問弁護士から連絡を貰ったが、JA福島さくらの場合、愚生からの伝言さえも無視し沈黙している。恐らくは担当課長や幹部の思想差別と職業差別からのものであるのは自明の理。

 担当が変ればこうも変わるものか。「今の経営者というのは金儲けばかりで、国家とか国防なんて考えてませんよ。況してや右翼が懸命に天下国家を訴えても理解することは無い」という大手警備会社会長の言葉が過る。呵呵。

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2020年09月11日

「戦犯が祀られている靖國神社なんぞに参拝しない」という石破茂

 自民党総裁選に立候補してる石破茂は東京電力福島第一原発事故で全町避難が続く福島県双葉町を訪問し、処理水の処分に「国民や世界に納得してもらうまで説明するのが政府の責任だ」と語った。一生説明会をやってろつ~の(苦笑)

 処理水の処分方法さえ決定していないことは確かに政府の怠慢と言えるが、評論家の如きに語る政治家の怠慢でもある。説明したところで感情的に反対している連中は納得することは無いし解決は見ないだろう。最後は政治家の決断が大事。

 石破というのは、森友問題や加計問題もそうだが、安倍政権への批判が出ていることを好いことに、説明責任の足りなさを指摘して「手が上がらなくなるまで誠意を以て対応するべき」などと批判するが具体的な対案などは示さない。

 加計問題で言うなら、獣医師会の意向を忖度し、獣医学部創設を困難にする目的で「石破四条件」を作った過程や、石破が加計問題に関わった経緯を知りたいが、そうした疑問には応えもしないのに政府批判だけは一人前(苦笑)

 回り諄い言い回しだから一見すると正論の様に聞こえるが、その実は中身は空っぽの大衆迎合主義に他ならない。政治家が世論に諂ってどうするのだ。

 政治が国民目線に立った時に必ず国が滅ぶというのは世の常だ。何故なら、国民の判断力は常に低く、その意見というのもその時代の風潮に流され、マスコミに感化され、大衆に流され、実に幼稚で気紛れなものだからだ。

 いつの世も大衆の多くは無知で愚かであり、実に操縦し易く、石破というのはそういう認識だからこそ世論に媚びた言い回しで国民を取り込もうとする。

 石破は、大衆を惹きつけ様というのは師である田中角栄を模倣してるが、似てるのは中共への忠誠心と歴史認識だけで、国民的人気は田中の足元にも及ばない。

 政治とは国家観を重んじながら、国民目線とかけ離れた歴史観、人間観、世界観、時には高度な権謀術数を必要とするものなのだが、ネット社会の今、石破の容共的政治姿勢と御花畑的無自覚左翼ぶりを胡散臭く感じている国民は実に多い。

 石破は、第二次世界大戦を侵略戦争だと断じ「西欧列強も侵略国家ではありましたが、日本も『遅れて来た侵略国家』である」という認識を持っている。

「先の侵略戦争の責任はA級戦犯に在り、その戦犯が祀られている靖國神社なんぞに参拝しない」という悍ましい歴史認識の持ち主で、「侵略国家として未来永劫、相手国(中朝韓)が納得するまで謝罪しろ」という政治スタンスを採っている。

 我が国が主権を恢復した昭和27年4月28日の講和条約が発効した翌年の第16国会の議決に拠り「戦傷病者戦没者遺族援護法」が改正され、それを以て法的に復権されている訳で、政治家が「戦犯」と呼ぶことは議決された法案の軽視である。

 連合国側が定めた、A、B、C級の区分に関係なく、刑死・獄中死された方は「法務死」と称され、靖國神社では「昭和殉難者」として祀っている。

 国会議員が公然と「戦犯」と呼称していること自体、国会決議を軽んじている証左であり、石破も中曽根康弘らと同じイカサマ保守というのが正しい。

 石破は「太平洋戦争史観」を疑いもなく信じ、更には中国共産党に籠絡された政治家と言うのが正しく、それ故に国家観が決定的に欠落している。

 以前、田母神俊雄幕僚長が「日本はいい国だ」といって解任されたのは記憶に新しいが、解任したのは石破だった。投稿したアパ論文に色を作して反論し、田母神の歴史認識や政治介入を「いつか来た道」に繋がるものだと断罪した。

「いつか来た道」というのは、石破が「侵略戦争」と断じて止まない先の戦争であるというのは言うまでもない。こうした売国的主張が左翼ではなく、保守を標榜する議員から発せられてることは実に悪質且つ危険なものと断じざるを得ない。

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2020年09月10日

トリチウムの放射線エネルギーは弱くセシウムの700分の1程度に過ぎない

 当初は、原発周辺周辺に貯まり続けるタンクは後一ヶ月程で満水となるという試算だったが、何やら2年後の夏頃まで延びたらしい。揮発などで減ったのか?

 トリチウム水(HTO)を含む処理水について、自民、公明両党の復興加速化本部は処分方法を早急に決定する様に要請するという。オイオイ、今更処分方法かよ。

 福島県町村会会長の小椋敏一(北塩原村長)も「福島ありきではなく、全国的な問題として処分方法を議論すべきだ」との考えを示している。

 トリチウムを含んだ処理水の海洋放出は住民の反対を理由に中断されている。トリチウムの何たるかも知らないのだから賛成することは不可能に近い。

 案の定、第六回意見交換会で隣の大井川茨城県知事も福島県沖の海洋への放出に「新たな風評が生じかねない」と反対した。更には「原発敷地からではなく、無人島から放出するなどの方法」などと御花畑的意見を垂れ流した。

「トリチウム水は人体に影響は無く、海洋放出は世界の常識。我が県を含めて海洋放出を受け容れる都道府県を国主導で進めるべき」と言える知事は出ないものか。

 処理水の処分方法は海洋放出しかなく、処分方法さえ決定していないことは政治の怠慢であり、処分方法の全国的議論は問題の先延ばしに過ぎない。尤も、貯水タンクも再来年夏まで大丈夫になったから意見交換会は単なるガス抜きか(笑)

 原子力規制委員会の進言通り、海洋放出を決定した上で、海洋放出する候補地選定をどうするかだ。そういう意味からも感情論を排し、「福島県沖ありきではなく、全国の何処に放出するか」を議論すべきだと思う。

 原発周辺に更なるタンクを増設で問題を先送りしても根本的な解決は図れない。処理水の海洋放出を決定した上で、処理水に含むトリチウムの科学的データを示し、海洋放出は人体には全く影響のないことを周知するべきだろう。

 福島県沖への放出は人体的影響は問題は無いが、風評被害が怖いというのは理解出来る。住民の安心から進められた除染は「福島は除染をしないと住めない町」とのレッテルを貼られた。福島県沖への放出も同じ流言蜚語が飛び交うだろう。

 処理水の海洋放出でも反原発派らが大騒ぎするのは必至。考えてみれば風評被害を招いているのは自称・被災者や放射線に無理解な県民でもある。トリチウムの何たるかを知らず「トリチウムを含んだ処理水」などと騒ぎ過ぎだ。

 不安を煽るだけのマスコミと反原発派の感情論にはもううんざりだ。政府は科学的データを公表し、核のゴミ(高レベル放射性廃棄物)の最終処分場選定と同じく、補償や地方交付税の増額等を示して放出先を応募すべきだと思う。

 状況からして福島県沖がベストだろう。「更なる福島への風評被害を生ませない」というのなら、粛々と海洋放出してしまえば好い。「人の噂も七十五日」ではないが、放出後に日々のデータを公表すれば反原発派の罵声は日々薄まる(笑)

 原発設置県として起きてしまった最悪の事故を最後まで責任を持って進めるべきだと思う。それが「県民の声を大切にして欲しい」なんて言ってるから事が進まないのだ。政治には大衆とは違う決断が求められるということを肝に銘じよ。

 処理水問題は、福島県以外の数県が名乗り出てくれれば容易に解決出来るのだが、そうした決断を出来る知事が果たしているかどうかといえばそれも疑問。

 以前、松井一郎大阪市長が大阪湾受け入れを示唆したが立ち消えになってしまった。福島原発が主に首都圏の電源だったことをすれば東京なども候補地に名乗りを上げるべきだろう。福島県一県だから福島だけが貧乏籤を引くことになる。

 2020年東京オリンピック委員会の総会に於いて、安倍首相は「(処理水問題の状況は)完全にコントロール出来ている」と大見得を切った。

「処理水問題」は、我が国の首相が公約したことであり、国際的な約束事でもある。処理水の海洋放出は慎重を期すのは分かるが、慎重過ぎても問題あり。

 処理水の海洋放出は一歩間違えば国際的な問題に成り兼ねず、オリンピック終了までは断念せざるを得ないだろう。ここに来て東京オリンピックが1年延期されたが、処理水の海洋放出を断念しタンクの増設で事を濁してはならない。

 国民に知らせるべきは科学的なデータであり、処理水が及ぼす影響である。トリチウムの放射線は弱く、人体への影響もセシウムの700分の1程度に過ぎない。

 セシウムに怯えて非科学的な除染が進められたが、セシウムが人体に影響も及ぼしてない中で、それより弱性のトリチウムに怯えるのは如何なものだろう。放射線の恐怖を煽り、福島県を貶め続ける反原発派のしたり顔が浮かぶ。

 以前、建屋屋上へ溜まってた雨水40兆Bq/Lが流出したと大騒ぎになった。4京ではなく40兆Bq/Lで年間にすれば20兆Bq/L。汚染水にはストロンチウムやトリチウムが確認されているが、数値に驚くが人体に影響が出る数値ではない。

 世界基準では、地下水バイパスやサブドレンの放出濃度運用目標は1500Bq/Lと定められている。これをトリチウム水の質量濃度に換算してみると、約2.8×10のマイナス14乗、つまり百兆分の2.8Bq/Lという極めて低い濃度となる。

 ppm(百万分率を表す単位で100万分のいくらであるかという割合を示す数値)や、ppb(10億分のいくらであるかという割合を示す数値)、ppt(1兆分のいくらであるかという割合を示す数値)にも至らないレベルということ。

 現在、世界各国の原発施設から海へ放出されているサブドレン/地下水ドレンのトリチウムは1000Bq/L以下、地下水バイパスでは100~150Bq/L程度。1F港湾内外のトリチウムは検出限界(約2.0Bq/L)以下とのデータが出ている。

 堰内に溜まった雨水(堰内の汚染も含む)も、検出限界(約100Bq/L)以下で、 これらを質量の濃度に換算すると千兆分の1~十京分の1となる。

 仰々しい数値だが、原発周辺に貯まり続ける処理水の数値は気化されてるものもあり数値は低い。セシウムの700分の1程度に過ぎないトリチウムの放射線に怯える必要は無い。風評という雑音は直ぐ消える、粛々と海洋放出を実行せよ。呵呵。

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2020年09月07日

「敬称・敬語不使用運動」は反天皇勢力に拠る反天皇運動の一環

 昨日は秋篠宮悠仁親王殿下の御生誕日。後に天長節になる日である。SNSでは、自称愛国者や保守派までもが「さま」付けで御祝いの言葉を捧げていた。

 天皇や皇族方への敬称略運動は反天皇勢力の反天皇運動の一つであり、そうしたことも理解していない保守派や自称愛国者らの無自覚ぶりと無能は絶望的だ。

 こんな認識だから、反天皇勢力に付入られ「女性宮家」や「女性天皇」論が席巻する原因を招いているのだ。況してや「女性宮家」や「女性天皇」は共産主義者らの策謀だということを自覚さえしていないことは、空恐ろしい。

 日本国憲法第一条には「天皇は日本国の象徴であり日本国民の統合の象徴であって、この地位は主権の存する日本国民の総意に基づく」と在る。

 共産党を反天皇勢力らは「我々は天皇制に反対しているのだから国民の総意ではなく、天皇は違憲の存在である」と叫んでいるが、この屁理屈は残念乍ら正しい。

 この事実だけ見ても 左翼勢力の「護憲」がまやかしであることが分かるだろう。左翼勢力が謀る護憲とは、正しく「誤憲」の存在であることが理解出来よう。

 また天皇の御地位に関する問題には沈黙し「違憲の存在である自衛隊を合憲に」などという改憲論を進める保守派も、第九条こそが大事と思っていること自体が「九条の会」と変わらない誤憲派だ。第一章「天皇」の条項こそ見直すべし。

 売国マスコミに拠る「敬称・敬語不使用」や「開かれた皇室論」の姿勢は、今や国内に蔓延し、天皇陛下や皇室に対する敬愛の念を薄れさせている。こうした風潮に釘を刺すべき保守派や愛国陣営までもが軽々しく皇室を語るマヌケさ。

 1932年、ソ連共産党からコミュンテルン日本支部である日本共産党へ「コミュンテルンテーゼ(命令書)」という指令が出されているのを知っているか。

 命令書には、天皇を制度として捉える「天皇制廃止運動」として、昭和天皇への「戦争責任・退位論」に始まり、「開かれた皇室論」「敬称・敬語不使用運動」、平成に入ると「女性宮家」「女性天皇論」として反天皇制運動は継続されている。

「悠仁さま」「愛子さま」「美智子さま」「雅子さま」「秋篠宮さま」「紀子さま」との呼称は、皇室への尊厳を薄れさせる為の「開かれた皇室論」に与するものであり、共産党への命令書を忠実に遂行していることでもあるのだ。

 本来の日本人ならば、「陛下」「皇后陛下」「秋篠宮皇太弟」「親王殿下」「内親王殿下」「女王殿下」と正式な敬称で呼ぶべきで、「さま」などと呼ぶことに由って、日本の伝統文化や美徳が喪失して行くということを自覚すべきだろう。

 我が国は天皇陛下を族長と仰ぐ家族国家である。戦前の様に「畏れ多くも畏くも」とは言わないまでも、節度ある敬意を表することは当然のこと。

 皇族方への敬称略に見られる国内に蔓延する日本語の乱れを直すことこそ急務であろう。日本人が日本語を正しく使わずして「国際化社会」などとは痴ましい。

 明治の先覚者は、外来語を全て新漢字に翻訳し、日本語のまま西洋文化を学ぶことが出来たことは偉大なことだ。現代人の様に外来語をそのまま羅列し、軽薄な舶来趣味と比べれば、明治人の気骨と気概、高い見識を伺い知ることが出来る。

 日本に生まれた誇りを胸に、日本語に自信を持ち、何処までも日本語で主張し、日本文化を貫いたからこそ発展が得られたのだ。英語という田舎言葉が世界語になったのは、武力で世界を支配し、富を独占したからに他ならない。

 世界で今、1000万人以上の人が日本語を学びその数は増える一方。日本語文化を世界に普及し、日本の和の心を伝え、世界平和の実現を図ることは大事で、その為にも先ずは現代日本人の乱れた日本語を正すことこそ肝要である。

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2020年09月04日

西軍に因る東軍への仕打ちと明治新政府に因る不条理を糺せ

 岐阜県郡上藩の「凌霜隊」を知っている人は少ない。錦の御旗を掲げる西軍から「賊軍」とされた会津藩と共に義に殉じた藩と言えば三重の桑名藩と越後の長岡藩が有名だが、岐阜の郡上藩の有志で結成された「凌霜隊」もその一つ。

 戊辰戦争が起きる1年程前、郡上藩主・青山幸宜は幕府から徳川慶喜の警護を命じられる。藩主は代わりに筆頭家老を江戸に差し向ける。その翌年、戊辰の役の前触れとなる「鳥羽・伏見の変(戦い)」が勃発する。

 この戦いで幕府軍が敗れると地元では西軍への恭順を示す。だが、江戸にいた不満を抱える藩士らは東軍支援に向けて藩士有志らで「凌霜隊」を結成する。

「凌霜(りょうそう)」とは「霜を凌ぎ、花を咲かせる野菊の様な不撓不屈の精神」という意味で、藩主の家紋である「葉菊紋」に由来する。

 隊長は朝比奈茂吉。江戸家老の長男で弱冠17歳。慶応4(1868)年4月、朝比奈らは江戸を出立し、千葉県行徳、栃木県宇都宮を経て会津藩の領地に入る。

 会津下郷での「大内宿の戦い」、会津美里の「関山の戦い」を経て会津城内西出丸の守備に就き、会津藩が上洛した9月21日翌日まで抗戦したという。

 会津武士道の昇華を白虎隊に例えるのなら、二本松少年隊も二本松武士道の昇華そのものだ。 凌霜隊も同じ。藩と己の名誉を守る為に堂々と戦い、そして潔く散った。純真無垢な殉国精神溢れる彼らの生き様に学ぶものは多い。

 この凌霜隊の武勲を顕彰した碑が会津若松市内の飯盛山に建つ。白虎隊の墓には線香の煙は絶えることはないが「郡上藩・凌霜隊之碑」碑に足を止める人は疎ら。そんなこともあり、飯盛山への参詣の際には碑の前で感謝の誠を捧げている。

 岐阜というと西軍の大垣藩しか知らなかったが、こうした東軍に加担し義を重んじ殉じた藩がいたことに感服。因みに、東京都港区青山という地名があるが、これは郡上藩主の江戸屋敷が在ったことから藩主の姓「青山」が付けられた。

 今から遡ること約150年前「鳥羽・伏見の変」に始まった戊辰の役(戊辰戦争)と呼ばれる国内戦争は、その後、徐々に激化を極めて行く。

 慶応4年8月21日(旧暦)、母成峠が戦場となり、東軍と西軍との間で烈しい攻防戦を繰り広げた。白河口の戦いを制し、二本松領を占領した新政府軍内では、次の攻撃目標に関して意見が分かれたという。

 大村益次郎は仙台・米沢の攻撃を主張し、板垣退助と伊地知正治は会津への攻撃を主張。板垣・伊地知の意見が通り会津を攻撃することとなった。

 本宮・玉ノ井村(現大玉村)に集結した兵を三分し、谷干城(土佐)率いる約1000名は勝岩(猿岩)口へ。板垣退助・伊地知正治率いる約1300名は石筵本道口へ。川村純義(薩摩)率いる約300名は山葵沢より達沢口へ一斉に進発した。

 これを迎え撃つ東軍の兵は僅か800名。勝岩口の勝岩上には大鳥圭介率いる伝習第二大隊及び二本松藩の約300名が守備に当り、勝岩下には新選組ら凡そ70名が配置し、土方歳三と山口次郎(斎藤一)がこれを指揮した。

 石筵本道口の第一台場(萩岡)、第二台場(中軍山)、第三台場(母成峠)には、会津藩主将の田中源之進と二本松藩家老の丹羽丹波と伝習第一大隊長の秋月登之助らの指揮する約400余りの兵が守備に当った。

 戦いは、萩岡の号砲を合図に、勝岩口と本道口に分かれ、午前9時頃からの始まった戦いは約7時間に及ぶ。だが、圧倒的な兵力と火力の差は如何ともし難く、東軍は北方高森方面や西方猪苗代方面に敗退する。

 西軍は十六橋を突破し、戸ノ口原を経て、怒涛の様に会津鶴ヶ城に殺到した。母成峠の戦いでの東軍戦死者88名、西軍戦死者25名。母成峠には、会津藩が構築した防塁、塹壕、砲台跡が今も整然と残っている。

 近くには東軍殉難者の慰霊碑が建っている。この地で東軍の夥しい死体が発見されたのは近年であり、如何に薩長中心の西軍共らが非情だったかが窺える。

 8月23日、母成峠から会津領内に攻め込んだ西軍は会津藩との熾烈な戦いに及ぶ。 西軍が会津城内に攻め入ると、上席家老・西郷頼母邸では篭城戦の足手まといとなるのを苦にした母や妻子など一族21人が自刃した。

 徳川幕府への恨みの象徴でもあった会津藩が9月21日に終に降伏。この敗戦により西郷頼母・田中玄清・神保内蔵助が切腹し責任を負うところ、当初から西軍への恭順を示していた西郷は行方知れず。長男らと共に敵前逃亡していた。

 神保と田中は城下での戦闘に於いて既に自刃していた為に、次席の萱野長修が戦争責任を一身に負って切腹している。それでも西軍は満足することなく、戦いは東北地方を北上し函館にまで及ぶこととなった。

 戦いは年を超えるも翌年3月、函館五稜郭で奮闘していた榎本武揚軍が終に降伏し、日本人同士で戦った戊辰の役が事実上終結し、明治維新の幕を閉じた。

 因みに、遁走した西郷頼母は長男と共に生き残り、維新後、西郷隆盛に「同姓の誼で」と長男の職などを嘆願してるが、上席家老としての誇りは無かったのか。死を以て武士の本分を示した白虎隊の行動と照らしてみても恥ずべきことだ。

 会津藩士の中で西郷頼母の生き様に倣うものは無い。只管「講和」を主張し官軍と一戦も交えず開城した勝海舟然り、 維新後、立身出世を目指した榎本武揚然り、両名共に侍として野に下ることこそ取るべき道だったのではなかろうか。

「負けは必定なれど三春に倣うべからず」と義に殉じた我が二本松藩士や、「侍の時代は終わる」と知りながらも家老としての宿命を諒とした河井継之助ら長岡藩士や桑名藩、そして凌霜隊の隊士らこそ日本武士道の鏡であろう。

 靖國神社と鎮霊社に見られる死者の選別に象徴されている様に、「賊軍」の汚名は150年経った今も雪がれることは無い。こうした不条理は、錦の御旗を掲げ「官軍」を騙り、尊皇攘夷とは名ばかりの長州閥中心の新政府の専制政治が元凶である。

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2020年09月02日

降伏文書調印という屈辱の日でもある9月2日を忘れるな!

 昭和20(1945)年8月14日、我が国はポツダム宣言を受諾。そして9月2日、降伏文書に調印した。米国を始めとした連合国ではこの翌日の9月3日を「対日戦争終結記念日」や「第二次世界大戦(太平洋戦争)終戦の日」として祝っている。

 9月2日、東京湾上に停泊してた戦艦ミズーリの甲板上での調印の為に、梅津美次郎参謀総長らと共に、右足が不自由な重光葵外相は義足を引き摺りながらステッキを頼りに細い階段を喘ぎ喘ぎ上る。

 重光外相の右足は「上海天長節爆弾事件」により失った。漸く甲板に辿り着いた重光外相は、調印を前に一杯の水を所望するも「卑怯者のジャップに飲ませてやる水などない」と冷たく拒否される。

「上海天長節爆弾事件」とは昭和7年4月29日に起きた爆弾テロ。重光は上海に於いて駐中華民国公使として天長節奉祝式典に参列。

 国歌を斉唱する正にその時、朝鮮独立運動家である尹奉吉が爆弾を投擲した。重光らはその場から逃げることなく、国歌「君が代」を歌い続け、結果として片足を失うこととなった。

 重光はこの時を振り返り「爆弾が投げられたのは分かっていたけれど、国歌斉唱中なので動かなかった。動くのは不敬であると考えた」と述べている。

 重光の隣で遭難し片目を失った海軍大将・野村吉三郎(後に駐米大使に就任)も「国歌斉唱中だったから逃げなかった」との理由を語っている。

 野村や重光はその後に外相や駐米大使となるが、現在の政治家でこの二人の様なこうした決死の覚悟と肝の据わった官僚や政治家がいるかといえば皆無。こうしたことが我が国政治の不幸とも言えよう。

「君が代」「日の丸」に反対する勢力は国旗国歌を重んじることなく、自称・保守派や右翼人にしても国旗国歌を軽々しく利用するが、重光や野村の様な決死の覚悟が伴っているかといえば疑問でもある。

 昭和20年9月2日、降伏文書の署名に因って我が国は「負け」を認めたが、先の戦争の大義は決して間違いではない。

 抑抑、何故に我が国が開戦を決意し真珠湾攻撃に至ったかが問題であり、少なくてもペリー来航時代のアジア近代史にまで遡らなければ到底理解は出来まい。

 我が国は西欧列強に倣い、強力な中央集権国家を形成する為に明治維新の大業を短期間で成し遂げた。15世紀の大航海時代以来、白人による世界制覇の波がアジアにも押し寄せ、アジアは次々と列強に蚕食され植民地となった。

 その間に勃発した「日清戦争」と「日露戦争」、そしてその後の「日韓併合」も避けては通れない宿命的な歴史だったのだ。

「日清・日露戦争」での日本大勝利の報は、固唾を呑んで見守っていた世界の人々を驚嘆させ、特に有色人種に与えた影響は強烈だった。一方で、欧米では日本人に対する脅威が横溢し「黄禍論」が巻き起こってくる。

 日露戦争勝利から15年後、パリ講和会議で日本は「人種平等の原則」を国際連盟規約に載せることを提案するも、議長を務める米国大統領ウイルソンは「有色人種に人権など必要無い」との差別や蔑視から否決される。

 その後、世界は第二次世界大戦に突入し、我が国はABCD包囲網に因って四面楚歌に陥り、最後通牒である「ハルノート」を突き付けられると「最早生き残る道は連合国との戦争しかない」との決断に至るのだ。

 今も糾弾して止まない「リメンバーパールハーバー」は、日本人への偏見と差別と歴史への冒涜であり、対日戦勝利を祝ってる場合ではなかろう。先の大戦の過ちを猛省すべきは米国自身である。

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2020年08月31日

女性宮家・女性天皇推進派の菅義偉が総裁選レースのトップに躍り出た

 菅義偉官房長官が自民党総裁選への出馬の意向を固めた。二階幹事長の支援表明で、菅が総裁選レースの第一位に躍り出た。対抗馬は岸田文雄政調会長だが、派閥の論理と長老支配で党内の世代交代は未だ未だ先に引き伸ばされた。

 菅官房長官は「将来の天皇が退位する際の先例に成り得る」と退位法案を強行させた逆賊の一人であり、皇族の減少への対応策について「早々に対応しなければならない」との認識を持つ、強烈な女性宮家・女系天皇推進派でもある。

 抑々、男子皇族の後継者不足の問題が出始めたのは、敬宮愛子内親王殿下が誕生されてからのこと。現憲法第二条を曲解し「長子優先」を謀ったのが、今や国力低下を謀り反原発運動で国民を誑かしてる売国奴・小泉純一郎だった。

「長子優先」は、現憲法第二条「皇位は世襲のものであつて国会の議決した皇室典範の定めるところによりこれを継承する」を念頭に置いた策謀というのが正しい。

「皇位継承を安定的なものにする」というのは詭弁であり、その実は女性天皇や女性宮家、更には女系天皇を可能にし皇統断絶を謀る為の一里塚であるのだ。

 現代人の驕りから、皇統の問題を天皇の御意向を一切無視し、現代の価値観や法令で語ることに違和感というか怒りを覚える国民は少なくない。

 旧宮家の皇籍復帰を望まない皇位継承の議論が始められたその翌年、秋篠宮家に長男である悠仁親王殿下が誕生する。小泉は悔しさを滲ませ「皇位継承順位を性別に関係なく長子優先とする」というとんでも法案の提出を断念した。

 その後、皇位継承問題は落ち着いたと思いきや、民主党政権下、野田佳彦が「安定的な皇室活動」として女性宮家問題を提起したことで今に引き継がれている。

「女性宮家」を創ったところで祭祀を継承するのは無理なこと。女性皇族として精精、国賓・公賓への接遇や会見、会食などの御公務のみ。要は、女性宮家創出に拠って「都合の好い皇室活動」をさせたいが為の政治利用に他ならない。

 悠仁親王が成人となられ、御成婚し、殿下が誕生するまで約20年はかかるだろうことを、何故に現代で法令を作って迄も変える必要があるとするのか。

 万世一系百二十六代の皇統が貴重である理由は、神武天皇から連綿として一度の例外も無く「男系」で繋がっているという厳然たる事実である。

 安定的な皇位継承を図るならば、占領下に臣籍降下させられた旧宮家の方々の皇籍復帰を成し、更には堂上公家を元に復せば解決する問題である。

 安倍政権下、反天皇勢力に与し退位法案を成立させ、更に「皇太子」を空位にした。「皇嗣殿下」とは共産主義者らの造語であるが、「皇太弟」ではなく共産党の造語で呼ぶ意味は後の秋篠宮悠仁親王殿下即位阻止が目的であるのは明らか。

 この裏には秋篠宮家の内親王殿下を女性宮家とする目的が透いて見える。二階幹事長も女性宮家及び女性天皇推進派であり、その目論見は菅と一致する。菅や二階は男女共同参画社会の名の下で皇統断絶の完遂を謀っているのは間違いない。

「国防」とは領土防衛だけではなく国體、つまり皇統の死守である。そう考えれば、靖國神社に参拝したことも無い親中派で自虐史観著しい石破茂は論外。

 皇統断絶の完遂を目指す菅に対抗するのは岸田文雄。安倍のやり残した憲法改正を引き継ぐと共に、「男系男子の継承」を重んじる姿勢は好感が持てるが、女性宮家や女系天皇を謀る勢力から糾弾されることになるだろう。

 次期自民党総裁選挙は女性宮家・女系天皇論など皇統断絶を謀るか否かの戦いになるが、尊皇なき自民党にそうした危機感は無く議員らは勝馬に乗るのに必死。

 正統保守を自任する自民党内のグループが菅内閣で謀る女性宮家創設と、それに伴う女性天皇論を諌め、皇統断絶を食い止めるには余りにも頼りない。菅総理誕生で女性宮家創設の動きが活発になるのを食い止めなければならない。

 占領下、旧宮家の皇籍離脱に最後まで反対した昭和天皇の意を汲み、旧皇族を皇籍復帰させることこそが皇統断絶を救う唯一の道である。全愛国者よ、団結せよ!

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2020年08月30日

歴代最長政権の記録を更新中だった安倍首相が突然の退陣表明

 安倍晋三首相が辞任を表明した。後出しジャンケンになってしまうが、安倍首相の後継の一人でもある岸田文雄政調会長が8月16日に靖國神社へ参拝し、唐突に男系男子の継承と憲法改正の継続と意気込みを語ったことに違和感を感じていた。

 野党やマスコミに拠る首相の病状に対する説明責任に対し、麻生太郎党副総理や小泉進次郎大臣が批判していたことでも病状の深刻さを感じていた様にも思える。

 何より安倍政権を批判して止まない石破茂が、政権記録を更新した際に「容易な事ではない」と賛辞を送ってたことは、既に安倍退陣を悟ってたのだと思う。

 難病である潰瘍性大腸炎再発で辞任せざるを得なかった心情は察するに余りある。毀誉褒貶相半ばする安倍政権ではあるが、外交は見張るものがあった。中でも。提唱した 「アジアの民主主義セキュリティダイアモンド」構想は括目に値する。http://cordial8317.livedoor.blog/archives/51867756.html?fbclid=IwAR1ITeptmT_6egjILHEHLFN-v66_cTXYOmJVv-MW4H3h-0yHdEhqGtvEGWw

 日米同盟の是非は兎も角、米国大統領に意見を出来る総理がいただろうか。また、民主党政権下でボロボロになった経済を立て直したことも成果だろう。

 ロシアとの外交に自信を持った安倍はプーチンに二島返還を示す。だが、強かなプーチンは実質的に北方領土をロシア領ということ内外に知らしめることとなった。外交に自信を持ってただけに、逆に外交で墓穴を掘った。

 安倍政権で不満だったのは「退位法案」を皇室典範に附帯し退位を強行し、行政への影響との理由で天皇の大権である元号制定権を簒奪したことは万死に値する。

 安倍の歴史認識も「河野談話」や「村山談話」と大して変わらなかった。戦没者追悼式に於いても「心ならずも戦場で斃れ」だとか、「多くの国々、とりわけアジアの諸国の人々に多大の損害と苦痛を与えて来た」と語ったことも記憶に新しい。

 安倍の掲げた「戦後レジームからの脱却」なんぞ自称・保守派を誑かす画餅に過ぎない。前々回の総選挙前、安倍は前政権下での靖國不参拝を問われ「断腸の思い」とその悔しさを滲ませ、そういう安倍の無念さに国民は共鳴し支持したのだ。

 なのに何故に「とりわけアジアの諸国の人々に」などという戯言を抜かすのか。安倍の言行は靖國など見向きもしない政治家より悪質で始末が悪い。

 拉致問題も安倍政権の最重要課題とし「我が政権で解決を図る」と公言していただけに、任期途中での退任は無念さが滲む。総理の座を辞しても拉致問題を見捨てることなく、元総理として単独で訪朝してでも解決して欲しいものだ。

 自民党が未だ野党だった平成24年12月、衆議院総選挙が告示され、安倍総裁は福島県で第一声を上げることとなった。場所は愚生の実家でもある二本松市(旧岩代町)小浜四つ角、司会進行は地元の自民党支部長でもある愚生の実兄が担った。

 政治で大事なことは「国防」と「教育」であり、その認識を共有する安倍は、中でも教育に対し「将来を担う子供達が自分の国に誇りの持てる教育を施す」と訴えた。愚生は安倍信者ではないが、この認識だけでも安倍を支持する理由になった。

 政権に返り咲き、教育大国を目指し教育改革を打ち出すのかと思いきや頓挫した。「戦後レジームからの脱却」は教育改革無くして語れない。況してや教育は国家百年の大計であり、政治家が行うべき最大のものだが語られることが少ない。

「国防」も然り、尖閣列島などの領土防衛は国防の一つではあるが、国防とは「それを亡くしてしまえば日本ではなくなってしまうもの」を死守することであり、つまり我が国の歴史・伝統・文化を守り、天皇を戴く日本という国柄を護り抜くことだ。

 然し乍ら、安倍首相を始めとした保守派や自称・愛国者らは天皇条項である憲法第一条~第八条の見直しではなく、憲法九条のみに拘る。憲法九条こそが大事と思っている点では保守派と言うのは、護憲派の「九条の会」とどっこいどっこい。

 愚生は安倍政権誕生後、ブログなどでも幾度となく、「新自由主義を盲信し、経済至上主義に奔る安倍を見ていると、吾、疑心暗鬼どころか、屋上屋を架す大馬鹿者だと断言せざるを得ない!」と安倍を評してきた。

 期待してただけに余計にう裏切られた思いが強いのか、元々見る目が無かったのか。抑々、安倍というのは、ベターなだけでベストな首相ではない。所詮は「安倍より他はいない」程度のものと知りながら、それ以上に期待していたのが間違い。

 7年8ヶ月の長期政権は、自民党内の人材不足というのが大きい。ポスト安倍を見れば小粒揃いで、国民が支持する次期総裁候補第一位は親中派の売国奴。安倍政権が終焉を迎え、米国大統領選挙でトランプが負けたらと考えると空恐ろしい。

 街頭演説前、安倍総裁御一行は実家の「相模屋食堂」で名代の「勝どん(カツ丼)」食べた。肉類は潰瘍性大腸炎では厳禁。そのカツ丼を食べたということで難病を克服したと思っていただけに、再発は本人にとって大きなショックだろう。

 麻生副総理や二階幹事長ら長老と比べても未だ65歳と若い。第一次安倍政権の失敗が第二次安倍政権の糧になった様に、今回の挫折を教訓に、先ずは体調を万全にし、来るべき第三次安倍政権待望論に備え捲土重来を期して欲しいものだ。

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2020年08月27日

旧宮家の再興は皇室の本分である祭祀を継承して戴くということにある

 ポスト安倍の一人でもある河野太郎防衛大臣は「安定的な皇位の継承に向けて、女系天皇についても選択肢の一つとして検討すべき」との認識を示した。

 二階幹事長を筆頭に、自民党内には「今の時代に女性の天皇が即位出来ない方が可笑しい」という意見が横溢しており、河野の認識も別段驚きもしない。

「わが国の皇室はずっと男系で継承されてきているので、男系による皇位継承が続くのが一番望ましいと考えている。ただ現状は秋篠宮殿下、次の世代は悠仁親王殿下しかいらっしゃらないのが現状」と語る。悠仁親王まで皇位継承が決まっているのに、何故に今、女性宮家や女系天皇の議論をしなければならないのか。

 その上で「現在の皇室で男系を維持して行くのはかなりのリスクがある」と述べてる。だが、そのリスクとは何ぞや。況してや「女系天皇についても選択肢の一つとして検討を行うべき」と言うが、そのリスクの方が大きいとは思わないのか。

「男系が継承されていることを強く期待するものだが、やはり万が一という事態を想定しておかなければいけないと思う」とは、女性宮家創出や女系天皇容認論者の単なる言い訳であり、皇統断絶を謀る戯言に過ぎない。

「例えば内親王殿下、女王殿下が女性宮家として皇室に残られ、そのお子様が皇位を継承するというやり方もあるでしょうし、あるいはGHQによって皇籍を離脱することになった旧宮家の男子が宮家を復活させるのか、養子に入るのか。養子に入るのも皇室典範の改正が必要だ」とも述べる。

 これは皇室典範第12条並びに第15条の改正が必要との認識。女性宮家推進派は、皇室典範第12条の「皇族女子は、天皇及び皇族以外の者と婚姻したときは、皇族の身分を離れる」との条項を見直し女性宮家の創設を謀ろうとしている。

 旧皇族の皇籍復帰や養子縁組を成立させるには、同第15条の「皇族以外の者及びその子孫は、女子が皇后となる場合及び皇族男子と婚姻する場合を除いては、皇族となることがない」の条項の見直しが必要となる。

「1428年に御即位された後花園天皇の弟君が伏見宮を継承されて、その血筋の方々なので600年前に男系が分かれたのが旧宮家。そういう家の男子を戻す、或いは復活させることに国民の合意、支持が得られるのかという議論も当然ある」と指摘してるが、旧宮家の方には現在の陛下よりも血筋としては正統な方もおられる。

「今の日本国憲法第1条では、天皇の地位は国民の総意に基づく、とあるので、やはり国民の広い議論、国民の支持が必要になるんだろうと思う」とは正論だが、天皇を否定する共産党らが存在する限り「総意」にはならない。

 抑々、天皇とはどの様な存在であるかを理解していないから「男系」や「女性宮家」「女系天皇」などという議論に終始してしまっているのだ。況してや反天皇勢力は憲法第2条の「世襲」を曲解し、愛子内親王の即位を謀る。

 天皇とは諸外国の様な「王室」や「国王」の存在だと思っている人も多いが、分かり易く言えば日本固有の信仰である神道を伝え導く神主(神官)の最高の地位者であり、ローマ法王と同じく祈りを重んずる「祭主」である。

「女性天皇」「女性宮家」では天皇の重んじる祭祀が叶わない。神に仕える神事を執り行うことが憚れるのだ。別に女性差別ではなく、これが伝統というものなのだ。女性宮家や女系天皇論者らは国事行為をする便利な存在としか思っていない。

 女性が天皇に就くというのは普通の生活は送れないということを意味する。過去8人の女性天皇は全員独身で即位し、譲位以後も独身を通した意味は重い。

 女性天皇論者は、神道そのものの無理解と天皇が祭主としての祭事の重要性を理解していないから安易に語れる訳で、これこそ天皇を軽んじてる証左でもある。

 過去10代8人全ては男系の「女性天皇」であり「女系天皇」ではない。敬宮愛子内親王が天皇に即位されてもそれは男系の9人目の女性天皇となる。だが、愛子天皇が御成婚遊ばされ第一子を生んだ場合それは男系ではなくなる。

「旧皇族と結婚すれば問題ない」という声もある。ならば、昭和天皇が最後まで反対なされた皇籍離脱させられた方々の皇籍復帰を先に行うべきだろう。

 若し、愛子内親王の御相手が元皇族でなかったらどうなるのか。過去8人の女性天皇が嫡子を産まなかった重い意味を知るべし。女性皇族が結婚することで皇籍を離れるのは、一般人としての生活を重んじよとの天皇の大御心でもある。

 そうしたことを理解せず、「今の時代、女性宮家が無いのが可笑しい」だとか、「女性が天皇に成れないのは女性差別」と安易に語ることこそ女性差別である。

 祭祀を継承するには旧皇族の復帰を図ることが重要で、廃絶になった秩父宮・高松宮、女性皇族しかいない常陸宮と三笠宮の祭祀を旧宮家を再興し継承するべし。

 皇位継承で大事なのは神武天皇以来の「男系」の血筋であり、「今上陛下とは血筋が違う」というのは近年の反天皇勢力に拠って創られた現代の価値観に過ぎない。

 旧宮家とは「伏見(ふしみ)宮」「閑院(かんいん)宮」「山階(やましな)宮」「北白川宮」「梨本宮」「久邇(くに)宮」「賀陽(かや)宮」「東伏見(ひがしふしみ)宮」「竹田宮」「朝香(あさか)宮」「東久邇(ひがしくに)宮」。

 旧11宮家の方々は北朝第3代崇光天皇の皇子、栄仁親王から始まる伏見宮の系統に属し今上天皇との関係は、室町時代の伏見宮貞成親王を共通の祖先とされている。

 河野大臣が「1428年に御即位された後花園天皇の弟君が伏見宮を継承されて、その血筋の方々なので600年前に男系が分かれたのが旧宮家」と説明されいる通り。

 内「山階」「北白川」「梨本」「東伏見」の4宮家は断絶しているが、東久邇家の系統には、歴代天皇と男系で繋がる男子が7名おられ、悠仁親王殿下と又従兄弟になる男子が5名、更に4名が生誕とのことで実に喜ばしい。

 東久邇宮盛厚王(明治天皇の孫)の妻は昭和天皇の長女である茂子内親王であり、上皇后陛下が民間から嫁がれていることをしても男系男子の正統性を有する。

 秋篠宮皇太弟~悠仁親王殿下の継承は決めっているが、東久邇家以外にも男系男子がおられ、皇位継承は旧宮家の皇籍復帰を成すことで盤石となる。

「長く民間人だった人が皇族になることに違和感」というのは付けたりに過ぎない反対理由であり、宮家を再興するということは男系男子の皇位継承の安定を図るだけではなく、皇室の本分である祭祀を継承して戴くということにある。

 大体「宮家」とは男系だからこそ宮家なのであって「女性宮家」とはなんぞや。憲法以前の御存在であらされる天皇が、今や憲法中心の国事行為をやらせるだけの傀儡となってしまっていることを憂慮せざるを得ない。

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2020年08月25日

「会津の黄門さま」と親しまれた渡部恒三が幽冥境を異に

「会津の黄門さま」と親しまれた渡部恒三が幽冥境を異にした。伊東正義元外務大臣に続き、会津の顔とも言える政治家がまた消えたのは寂しい限り。各界から惜しむ声が届きその偉業を称える。「天下の御意見番」として括目する発言は多い。

 当時、権力を握る小沢一郎に苦言を呈することの出来る人は少なく、恒三さんの存在は貴重で、発言には会津人の「ならぬものはならぬ」という会津魂を感じた。

 小沢一郎を「小沢くん」と見下した物言いで苦言を呈し、騒がれた政党交付金絡みの土地購入問題でも「金が無くて土地を売ったという政治家はいるが、土地を買ったという話は始めて聞いた」と会津弁丸出しで話していたことを思い出す。

 小沢は「新生党」と「自由党」の政党交付金23億円をネコババして不動産購入や蓄財に充てた。政治資金規正法違反に問われた小沢一郎の「政治とカネの問題」は、本を糺せば政党交付金の在り方を論じなければならない問題だった。

 小沢は政治資金の在り方に関し、自著「日本改造計画」で「政治資金の出入りを1円に至るまで全面的に公開し流れを完全に透明にすること」と提唱した。

「同時に罰則の強化も主張し、違反の言い逃れを封じる為に「連座制」を導入すべきとも訴えた。然し、現実には、こうした主張をしてる蔭で、既に西松建設のダミー会社から献金を受け取っていたのだからフザけた話だ。

 西松建設事件で問題になった3億円も、不動産疑惑で問題になった10億円以上の献金も、北朝鮮系の水谷建設からの1億円の闇献金も、新生党と自由党解党時の政党交付金23億円余りの金が、今以って小沢の手中に留まっている。

 恒三さんは、陛下と習近平副主席(当時)の会見を巡る問題でも、小沢幹事長の目に余る言動に対し「政治主導は天皇陛下の問題では全く関係ない。これは日本の国体に関する問題で慎まなければならない」と苦言を呈したが天晴れだった。

 陛下と習近平の謁見について小沢は、「宮内庁の長官が陛下がお疲れだとか、他の日程があるとか屁理屈を付けた」「陛下の御体調が優れないのであれば、他のどうでもいい様な日程を外せば良い」と言いたい放題。

 小沢らが強行させた拝謁は、世界各国が遵守してきた一ヶ月前迄の文書での正式申請の絶対前提を無視したばかりか、各国に対して平等の適用してきた立場を大きく失墜させ、皇室への尊崇の念や威厳を薄れさせる愚行だった。

 中共への忠誠と媚び諂いに畏れ多くも陛下が利用された事は、正に国賊の所業であり断じて看過出来るものではない。未だに権力にしがみ付き醜い権力闘争に与しているが、もうそろそろ政界から身を退くべきだと思う。

 民主党政権下での衆院本会議での法案強行採決に関しても、恒三さんは「国民に恥ずかしい。これをやらなければ明日の日本がないという様な意味がなければならないが、それ程の意味のある法案ではない」と指摘していたこともあった。

 ユーモアというか、独特の嫌味は単純明快で実に解り易く非常に愉快だった。環境大臣時代に「タバコが健康の秘訣だ」といって反響を呼んだことも記憶に新しい。あの世ではのんびりと煙草を燻らして我が国の行く末を案じて欲しいものだ。合掌。

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2020年08月24日

東軍で唯一靖國神社に祀られている二本松藩・三浦権太夫義彰

 地元紙に「尊皇の士」として知られ、戊辰戦争・供中口(ぐちゅうぐち)の戦いで亡くなった二本松藩士・三浦権太夫義彰を顕彰する為に、二本松市の安達ケ原顕彰会は「三浦権太夫義彰戦士の地」の案内板を新設したという記事が出てた。

 清廉潔白な義彰は、藩主の参勤交代に従って江戸詰となった折り、家老座上の丹羽丹波ら重臣らが藩政を縦(ほしいまま)にしていることに憤慨し藩政刷新の建白書を出すも、「藩政を乱す者」として二本松に送還され投獄処分となった。

 建白書の内容は、「人材を登用し、能吏に任じて兵制を改革し、軍備を充実すべし。また冗費を節約すべし。更にに費用が続かねば、三百石以上の重臣の俸給を半減すべし。」というもので、二本松藩の訓えである「戒石銘」の実践である。

 慶応4年、戊辰戦争の戦火は白河以北に達し、7月下旬には二本松藩領まで及んだことで赦免され、農兵司令士として出陣。鏃(やじり)を外した矢で応戦するも供中口で奮戦するも戦死した。享年32歳。近くの観世寺に懇ろに葬られた。

 二本松藩の家老・丹羽一学は「敗戦は必定なれど三春に倣うべからず。二本松は城が灰燼に帰し、一族屍を野に曝すとも武士道と信義に殉ずべきである」と徹底抗戦に纏め上げた。だが、奮闘空しく応戦その日に落城。戦死者は337名を数える。

 二本松藩へ罵詈を浴びせる歴史家もいるが事実はそんな簡単なものではない。圧倒的な武力を前に「東北列藩の信を以て滅びようではないか」と義を貫いたのだ。

 西軍隊長だった板垣退助も「一藩挙って身命を擲ち、斃れて後已むまで戦い抜く、武士道の精髄を尽くしたのは二本松を以て最上とする」と讃えている。

 幕末の薩摩藩士で陸軍元帥の野津道貫は「兵数不詳の敵兵は、砲列を布いて我軍を邀撃するのであった。我軍は早速之に応戦したが敵は地物を利用して、おまけに射撃はすこぶる正確で、一時我軍は全く前進を阻害された。我軍は正面攻撃では奏功せざる事を覚り、軍を迂回させて敵の両側面を脅威し、辛うじて撃退することを得たが怨恐らく戊辰戦中第一の激戦であったろう(近世国民史)」と回顧している。

 義彰が持っていた弓弦には、「あす散るも色は変わりじ山桜」との辞世の句が結び付けてあったという。明治維新の後、義彰は新政府から「尊皇の志が篤い」として東軍戦死者で唯一、靖國神社に合祀されている。

 靖國神社は、明治2年、明治天皇の思し召しにより創建された。その合祀対象は、尊王攘夷派公家の中心的存在であった三条実美が関わり、祭文には「皇軍に役立ちして賊徒等を討たん其の義に・・・命果てぬる輩」と明示している。

 この祭文の原則がある限り、会津藩や我が二本松藩、西郷軍関係者などが本殿に祀られることはなく、未来永劫 「賊軍」の汚名が灌がれることはない。

 靖國神社は営業保守派が言う様な「日本の為に戦って命を落とした人々が祀られている」という認識は根本的に間違っている。「天皇の為に」というのが正しく、京都守護職として奉公した会津藩が賊軍とされているのは不条理そのもの。

 抑々、三条実美は、会津・薩摩を中心とする公武合体派の改革に由り「七卿落ち」となった一人であり、維新後は明治新政府に重用されるが、靖國神社とは明治天皇の思し召しとは程遠い長州藩の遺恨から創られた社となっている。

 靖國神社が戦没者の顕彰を重んじる神社であるなら、賊軍とされた方々を「鎮霊社」という別なカタチで祀ることと本殿に祀ることとでは、どちらが時代に即して天皇(すめろぎ、すめらぎ)が顕現される道なのか。

「本殿と鎮霊社」という死者の選別を続けることは日本人の死生観にもそぐわないし、創建の趣旨でもある「顕彰」からも逸脱している。

 義彰が東軍戦死者で唯一、靖國神社に合祀された理由が「尊皇の志が篤い」ということなら、幕末の動乱期、京都守護職を任じられ孝明天皇を御守りし、幕府唯一の神道を重んじた会津藩が祀られないのは明治新政府の遺恨からのものだ。

 最近の靖國神社を見ると、幕末から明治維新という大業と開国に当たっての犠牲ということが忘れ去られ、大東亜戦争のみを正当化するミュージアムの様だ。

 8月15日の営業保守派やインチキ愛国者らの集団参拝に苦言を呈することなく受け容れてる姿は、陛下の御親拝が遠退くばかりか、神社庁との主導権争いから神社庁を離脱し「宗教法人」となった明治神宮と同じく営利主義にしか感じない。

 官軍である長州閥の下で創られた靖國神社の在り方を見直す時期に来ていると思う。先ずは本殿と鎮霊社という死者の選別を止め、与野党有志で「靖國法案」を提出し、宗教法人格を外しと共に「国民の神社」として国家護持を実現させよ。

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2020年08月22日

「世界で唯一の平和憲法」だとか「憲法九条は世界の宝」という無知

 地元紙に「平和の願い」を投稿したが採用される様子はない。愚生の言う「平和」と、共産党や無自覚左翼が考える「平和」とは異質なものらしい(笑)

 地元紙の読者の欄には「九条の会」のメンバーという人の投稿が載っている。殊更に放射線物質の危険を煽り「世界に誇れる平和憲法」の重要性を訴える。

 護憲派らのいう「世界で唯一の平和憲法」だとか「憲法九条は世界の宝」とは無知から来る現実逃亡であり、戦後民主主義教育の悪害そのもの。

 現憲法の基となったのは第二次大戦後の「不戦条約」である。この不戦条約には我が国を始め、米国、英国、仏国、伊国など多くの国が締結している。

 戦争放棄の国際条約を結んでから、世界は皮肉なことに条約の理想とは全く正反対の道を歩んで往った。こうしたことをしても理想と現実は違うのだ。

 戦争とは国際法上認められてる行為であり「悪」ではない。我が国は先の大戦で負けてしまったから、「戦争=悪」となってしまったのだ。

 米英は「戦争とは政治の継続である」と教え、ドイツでは「戦争とは別の調停手段を伴う政治的な取り引きの継続である」と教える。

 つまり、戦争とは政治の延長なのだ。幼稚な正義感や安っぽい平和主義で国民を賺(すか)し、党勢拡大と革命謀略を謀る左翼政治家と、それらに便乗する勢力と無自覚左翼の有権者こそが戦争を誘発する最大要因となる。

 共産党を始め、野党議員の多くが「平和」というスローガンを掲げて有権者に訴える。軽々しく「平和」を口にはするが、どうやってその平和を創造するかという具体策は言わない。正に、こうした政治家が無防備の害を実践している。

 共産党や左翼陣営や野党にとって、端から「平和」を創り出そうとは思ってはいない。「平和」という言葉は、アホな有権者を騙す最大の武器でしかない。

「戦争を誘発する大きな原因の一つは、アンディフェンデッド・ウェルス(無防備の害)だ」と訓えたのは三島由紀夫。「平和」を訴えている勢力こそが我が国の政治や外交を危ぶみ、戦争を誘発する最大要因となるのは歴史が証明している。

 憲法を守り、米軍に反対し、自衛隊が無くなれば当たり前に平和が存在するのだと疑って止まない。「自国の防衛を否定する現憲法には問題がある」と言った途端に反発を食らうが正に思考停止となるのは無防備の害そのものだろう。

 欧米諸国は安全保障に於いて日本のことを「オストリッチ・ファッション」と嗤うという。オストリッチ(ダチョウ)というのは自分に危機が迫ると穴に首を突っ込み、危機を見ない様にして危機から逃れたつもりになるという。

「自衛隊」「憲法改正」と言った途端に「戦争」をイメージし、思考停止に陥る日本人を揶揄した言葉だが、実に分かり易い喩えだ。抑々「平和憲法」って何なんだ?

 不戦条約に加盟したということもあり、憲法で「平和主義」を謳っている国は80ヶ国以上に上り、イタリア、スペイン、ハンガリー、エクアドル、フィリピンは日本と同じ規定が在るのを知らないから「世界の宝」などと言えるのだ。

 護憲派のいう「世界で唯一の平和憲法」という賛美は、これこそ安直な平和主義を盲信する日本人の奢りであり、無知以外の何ものでもない。

「護憲」とは正に「誤憲」であり【護憲=誤憲=無知=バカ】と訳すのが正しく、無知でバカな誤憲派らこそ戦争を誘発する無防備の害となる(苦笑)

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2020年08月20日

北の島々に眠る御霊と共に帰れ!北方領土!

 ポツダム宣言の受諾後も、ソ連軍による北方領土(南樺太・千島列島)での強奪、残虐非道、鬼畜の所業は収まる事はなく、昭和20年8月18日には千島列島の最北端の島、占守島守備隊の日本軍に対し奇襲上陸した。

 ポツダム宣言の無条件降伏の下、武装解除準備を始めていた守備隊は武装を整え直し自衛戦闘を開始。この戦闘は日本軍死傷者約600名、ソ連軍死傷者約3000名という日本軍の圧倒的勝利の中で21日に武装解除に応じ戦闘が終結した。

 ソ連軍は千島列島だけではなく、当然の如く樺太でも蛮行を繰り返した。外務省の外交文書「ポ宣言受諾関係・善後措置及び各地状況関係」には、昭和20年8月9日以降のソ連(ロシア)の蛮行が生々しく書かれている。その一部を摘記する。

 東部北鮮在留日本人の状況として、「ソ連兵ハ30年来ノ怨ミヲ晴ラスハ此時ナリトシ 邦人ノ所持品ハ一物ヲモ残サズ略奪シ 婦女子ニ対シテハ時所ヲ弁エズ暴行ヲ加フルノ暴挙ノ出テ・・・」

 鉄原(京城東北八十キロ)の状況として、「ソ連進駐ト共ニ市街ノ様相ハ一変シ ソ連兵市内ヲ横行シ略奪ヲ擅(ほしいまま)ニシ9月1日男24名ヲ本願寺ニ 女32名ヲ広島屋ニ監禁シ女ハ一室ニ一名宛閉ジ若キ娘ハ毎日14、5名 年配ノ婦人ハ毎日10名交代ニ暴行ヲ加ヘ其ノ結果6名ハ死亡シ、然ラザル者モ負傷ノ為歩行ノ自由ヲ失ウニ至ル・・・」

 捉えられた婦女子は「監禁され、ソ連兵に凌辱される」という恐怖から、自裁する道を選択せざるを得なかった女性も少なくなく、樺太真岡郵便局の女子郵便局員の方達もまた自裁する道を選んだ。

 伊藤千枝(23歳)、可香谷シゲ(23歳)、沢田キミ(19歳)、志賀晴代(22歳)、高石みき(24歳)、高城淑子(19歳)、松橋みどり(17歳)、吉田八重子(21歳)、渡辺照(17歳)の9名は8月20日の最後まで職務を全うし、最後は従容として青酸カリを服用し壮絶な最後を遂げた。

 彼女達の悲劇を伝えた「氷雪の門」という映画がある。

【(あらすじ)昭和20年夏、樺太の西海岸に位置する真岡町でも日ソ中立条約を一方的に破棄して参戦したソ連軍の侵攻に脅かされようとしていた。ソ連軍侵攻からの避難民は群をなして真岡町に向った。8月15日には玉音放送によって終戦が告げられ、樺太全土に婦女子の強制疎開命令が出されるも、20日のソ連軍の上陸で間に合わなかった。志願して職場に留まり、追い詰められた女性交換手達は、通信で寄せられるあちこちで次々と殺害される市民の状況から、自らも青酸カリによる自決を選ぶしかなかった。9人の乙女の像に刻まれている「みなさん、これが最後です。さようなら、さようなら」が通信最後の言葉だった・・・】

 今ではこの映画もレンタルビデオでも気軽に見れる様になったが、この映画の上映が決定された昭和49年、ソ連の御先棒を担ぐ日本社会党(社民党)や日本共産党らは上映阻止運動を展開し、終には上映禁止に追い込まれている。

 日頃、彼らは「平和」を口にして原爆投下の米国を執拗に糾弾するが、ソ連の蛮行には口を噤む。これだけでも彼らに「平和」を口にする資格は無い。

 共産党や社民党というのは所詮はこの程度の政党であり、彼らの言う「平和」という言葉は党勢拡大の為の武器でしかない。所謂「平和団体」や反基地活動も同じくソ連(ロシア)や中国共産党の御先棒を担ぐ第五列である。

 終戦間際に参戦したソ連の鬼畜の如き蛮行で亡くなった方は、広島・長崎への原爆で亡くなられた数を遥かに超える。千島列島の守備隊が武装解除するとみるや、ソ連軍は全ての軍人と軍属、民間人をシベリヤに強制連行した。

 極寒のシベリアへ抑留された日本人は、日本国内では約60万人と言われているが、この数字は軍属だけの数字で民間人を含めると更に多い。

 ロシアの資料でも約70万人、米国の資料では約90万人と言われているが、その中で寒さや餓えで亡くなられた方はどれ程に上るのか未だに正式な被害者数は出ていない。これつまり我が国政府の不作為と弱腰外交を如実に現わしている。

 歴史の検証をする際に我が国の罪を論うことは当然ではあるが、大事なのは古今東西、世界に蔓延る覇権主義の克服を主張する事であって、他国の覇権主義に目を瞑り、一方的に自虐の淵に止め処なく漬かり込むことではない。

 今こそ、戦後の歴史認識の基となった東京裁判の不当性と占領下で実行されたGHQに因る策謀と戦勝国を気取るロシアの過去に行った蛮行と不条理を徹底して検証し、戦後民主主義と自虐史観の払拭を図らねばならない。

 北の島々に眠る同胞の御霊に対し衷心より哀悼の意を表します。合掌再拝。

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2020年08月19日

爆発五郎的現代右翼行動学沈思(笑)

 国士舘大学時代、行動右翼のパイオニアを自任する防共挺身隊に所属しつつ、学内に於いては「日本論壇倶楽部」という愛好会を創った。

 これからの右翼には理論も大事だと思い、当時渋谷ハチ公前で活発な活動をしていた国際勝共連合ばりに理論武装の必要性を感じ、街宣も新右翼の様なジーパンではなく、スラックスに白のブレザーなどで揃えてやろうなどと夢を語った。

 勝共連合の責任者らとも意見を交換し、赤坂に在る本部にも顔を出したこともあった。当時、映画「氷雪の門」は勝共連合がその放映権を所有していた。同級生で兄弟分の瑞穂塾代表の伊藤満と観に行って涙したこともあったっけ(笑)

 勝共連合は、周知の通り悪名高い文鮮明が創立した「統一教会」の傘下団体であり、その運動理論は「勝共理論」による「反共」でしかない。

 下宿にも勝共連合幹部や統一教会らしき女性が足繁く通い、熱心に勧誘されもしたし、学費免除、生活費保障で米国への留学を進言されたこともあった。

 だが、「愚生は右翼としてやるべきことは反共も大事だが、反共よりもそれ以上に戦わなければならない相手がいる」と断り、愚連隊的右翼活動を愛した。

 今考えてみれば、当時、米国へ留学し、勝共連合の一員としてやっていれば、ソウルでの合同結婚式で桜田淳子と結婚していたかもしれないなぁ(笑)

「日本論壇倶楽部」を創って間もなく、野村秋介も自著「反共右翼からの脱却」で理論の必要性を訴えていることを知り、自分の方向性が間違ったものではないと確信した。でも、アレって鈴木邦男との対談での話なんだよな(笑)

 だが、理論を齧った右翼は違った方向へと進んで行く。理論や思想(思想を持ってる右翼人に会ったことはないが)を持ち合わせていない者は右翼に非ず、と言わんばかりの風潮が民族派陣営に横溢して行った。

 野村秋介の影響は大きく、感化された右翼の多くが何を勘違いしたのか、理論には程遠い浅学をひけらかし、その結果、頭でっかちな、中途半端な、保身ばかりを気にする、聞き分けのいい、画一化された右翼ばかりになってしまった。

「今、君に牙はあるか」と問えば、牙など無く塵中に人もいない。「友よ山河を滅ぼす勿れ」などと、都合の好いフレーズを利用して悦に入っている。

 32歳で本部の行動隊長となり、毎週木・金曜日と夕方からの新橋での街宣前に午前中から都内を巡り、若手と共に啓蒙運動に邁進していた。

 あの頃の趣味は「右翼」だった。右翼の活動も新たな時代に入り、活発だったのも確かで、他団体の活動家らは定期的に集まっては「勉強会」と称する集会を開いてた。その「勉強会」に運動の途中で一度だけ立ち寄ったことがあった。

 だが、齧った衒学を仲間内でひけらかしてるだけのものでしかなく、刮目して相対すこともなく、武士道の嗜みなんぞどこにも感じない光景だった。

 司会進行役の後輩から「先輩からも何かありませんか!」と振られたので、「若手は能書きよりは上から命令されたことだけを忠実にやることが大事だと思う」という様なことを述べたら、理論家を気取る連中の失笑を買った。

 理論や思想というのなら未だしも、その辺の売文屋や営業右翼が語ってる薀蓄や、まともに学んだ者ならば誰でも知り得る日本史や近代史を、自分のことの様にひけらかしてる様は滑稽に見えて、以来こうした会合には出たことはない。

 嫌われる様な言行は避ける風潮にあるから、異論があっても戦わすこともない。そんな「勉強会」という仲良しクラブだから間もなく消え失せた。

 学問とは本来、自分自身の向上の為にするもので、仲間内でやる勉強会に意味はなく、懸命に学んだ理論を徹底して戦わすことこそが大事だと思っている。

 右翼が牙を無くし、過激さを忘れ、仲良しクラブの様になってしまった現状は、果たして何処で道を間違えてしまったのか、誰の責任なのだろうか。

 嘗て、石原慎太郎は、中韓やマスコミから右翼と罵倒されてる状況を顧みて「蛮勇を以て右翼と称するのであれば僕は右翼で結構!」と宣った。

 石原を好きか嫌いかは別として刮目に値する。「蛮勇」とは周辺の配慮もなく乱暴な大胆さを言うが、後先ばかりを考える今の右翼には蛮勇など皆無だ。

 三島由紀夫の言葉を揶揄して言えば、個性の無い、無機的な、空っぽな、ニュートラルな、シノギばかりを考える、抜け目がない、高目ばかりを夢見てる自称・右翼ばかりなり。やはり右翼とは削げ者であらねばならないと思っている。

 削げ者とは、つまりは偏屈者。愚生に足りないものはやはりその偏屈ぶり。もっともっと修行し、真の偏屈者、真の削げ者とならなければと思う(笑)

 演説にしても聞き齧った耳学問的評論家の様な演説ばかり。右翼も左翼も本来演説とは大衆を煽るアジテーションでなくてはならず、右翼陣営をざっと見渡しても上手な演説家はいるがアジテーターは故横山武彦がピカイチだった。

 アジテーションとは「そそのかす」「煽動」という意味だが、演説によって大衆の不満を如何にしてその行動に繋げられるかが大事で、聞き齧った理論や意見を演説し、それらを聴衆に理解させるかではない、煽ることが大事。

 赤尾敏が、右翼陣営は当然ながら一般大衆に持て囃されたかは、簡単に言えばアジテーターだったことが大きい。アジテーター的にいえば、現在のこじんまりしてしまった右翼よりも在特会の方が煽動という意味に於いても上だろう。

 右翼の演説を聞いていると「前に話したから」と、同じ演説はしたがらないのが多い。ここぞとばかり話題豊富に語ってはいるが、結局は自己満足的演説に終始し、アジ演説には程遠い評論家にも劣る話っぷりや内容ばかり。

 その点、噺家(落語家)というのは大したもので、江戸時代から続く古典落語なんてのはその内容もオチ(サゲ)も知っていても思わず笑ってしまうのは話芸の極意であり、これこそがプロが成せる業でもある。

 右翼も周りの迷惑を顧みず街頭で演説をするのだから、ある程度は話が上手じゃないと聞いてる方には迷惑千万。本を読んで理論武装するのも好いが、先ずは寄席にでも行って話し方を学んだ方が勉強になると思うんだが(笑)

 街宣を「運動」と理解しているが、防挺の初代総隊長の福田進は「街宣なんてのは運動じゃねぇよ。右翼の運動ってのはパクられてナンボ。街宣は株主総会で発言する度胸を付ける為のもので大して意味はねぇんだよ」と言っていた(笑)

 新橋でやるのも単に官庁が近いというのもあるが、何のことはない一部上場企業が多いからで、日教組大会など運動でパクられれば新聞に団体名が載る訳で、新橋で街宣をすればするほど総会屋右翼としての評価が上がって行った。

 所属していた団体幹部がその昔、こうも言っていた。「右翼に理論なんぞ必要ないよ。あるのは行動のみ。パクられて起訴されりゃ、理論なんてのは弁護士の先生が考えてくれるよ(笑)」。正に正鵠を射た意見だと改めて思う(笑)

 全国の右翼は今こそテロを担保にした行動に回帰すべし。斯くいう愚生はどうかというと、ヤクザ傘下になった防挺の変わり様に追いて行けず脱落した。

「右翼絶望派」といえば聞こえは好いが、名刺は「政治評論家」。正に評論家風情というよりその評論家に成り下がったが、肝心な講演依頼も来ない(笑)

 人を批判するほど己は峻烈に生きているのかといえばそうでもない。敬天新聞の白倉先輩に倣い「今日勝つ」ことで精一杯。若い頃には明日のことなど考えもしなかったが、最近は色々と考えてしまう。やはり老いを痛感する。

 高齢化の弊害はヤクザや右翼陣営も例外ではなさそうだ。まぁそれでも「乞食に氏(うじ)無し」という様に、心掛けが悪いからそうなってるだけで、慢性的不如意を気にしなければ「乞食の朝謡(あさうたい)」宜しく気楽な境遇だ。

 まぁ、悪習は染まり易く改めるのは困難を極める。「乞食も三日すれば忘れられぬ」というが、昔の人は巧い喩え話を言ったものだと熟熟感心する。

 つ~か「乞食に貧乏無し」ってのもあるし、まぁ今より悪くなることはあるまい。序でに言わせて貰えれば「ハゲに癌無し乞食なし」ってのもあるらしい(笑)

 野村秋介の「自問自答の訓」というものがある。

「常に世俗にありてその一隅を照らし

 常に在野にありて権力悪と闘い

 常に人々を愛し共に涙を流し

 常に海を愛し空を愛して神々を敬い

 常に友情と信義を胸中にして熱く燃え

 常に名利を求めず正義を追い

 常に月を愛し酒を愛し女を愛し

 常に自由にして奔放であり

 常に一剣を懐中にして平天下を願う」

 これほどカッコいい生き方は出来ないが、酒を愛し女を愛し、常に自由にして奔放な無頼派右翼で在りたいと思う。

 宅見勝という伝説のヤクザが遺した言葉がある。

「生ある人生がいつかは必ず来るべき死を

 約束づけているならば

 俺は法律がどう変ろうが

 社会の常識がどう変ろうが

 財力に諂わず

 権力に屈することなく

 正しいものを 正しいものとして

 どこまでも俺の信念を

 押し進めて行きたい」

 どちらかというと、愚生は野村烈士の訓えよりも宅見親分の訓えの方が性に合う。草莽の浪人ではあるが、こんな生き方を全うしたいものだ。呵々。

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2020年08月18日

ポツダム宣言受諾後の昭和20年8月18日に起きた占守島の戦いを忘れるな!

 昭和20(1945)年8月14日、我が国はポツダム宣言を受諾。そして9月2日に降伏文書に調印した。マスコミは8月15日を「終戦記念日」として戦争の悲惨さを伝えるが、15日~9月2日迄に一体何が起きていたかは伝えない。

 昭和20年8月18日の早暁午前1時頃、千島列島最北端の占守島(しゅむしゅとう)に駐留していた日本軍に対し、ソ連軍が奇襲上陸。終戦により武装解除準備を始めていた守備隊は武装を整え直し、ソ連に対して自衛戦闘を開始した。

 占守島での戦闘で日本軍の死傷者は約600名、ソ連軍の死傷者は約3000名に及んだ。日本軍の圧倒的勝利ではあったが、3日後の21日に武装解除に応じ戦闘が終結。日本軍が武装解除を終えたのは24日だった。

 この千島列島での戦いによりソ連軍の千島列島の占領が遅滞された。その間に米軍の北海道進駐が完了したことで、ドイツや朝鮮半島の様な北海道の分割統治は避けられた。そういう意味でも「占守島の戦い」は大きな意義があったのだ。

 この後、占守島で自衛戦闘を戦った日本軍の兵士のみならず、中千島や南千島に駐留していた兵士全てと住民までもがシベリアに強制連行されることとなった。

 ソ連軍の理不尽な終戦後の攻撃に対し勇敢に戦った兵士達は、シベリア抑留という理不尽な仕打ちさえもポツダム宣言受諾の無条件降伏の無条件のうちだと信じて、飢えも寒さも、その結果としての知れ切った死すらも潔く受容した。

 ソ連は占守島や中千島、南千島以外の地域からも軍人や軍属だけでなく非戦闘員である住民までもシベリアへ強制連行し不当に抑留した。実にその数80万人、その半数以上の同胞が酷寒の地で凍死や餓死で亡くなられているという。

 シベリヤに抑留された日本人同胞は国内では一般には約60万人と言われているが、この数字は軍人・軍属だけの数字で、民間人を含めると更に多く、ロシアの資料では約70万人、米国の資料では約90万人とされている。

 シベリア抑留で亡くなられた日本人同胞の正式な被害者数を調査しなければならないのが、政府は何故か未だに拱手傍観を極め込んでいる。

 東京大空襲や広島・長崎への原爆投下を実行した米国もそうだが、非戦闘員の殺戮にしてもシベリアへの強制連行にしても全てが国際法違反であり、戦勝国と雖もこうした人道に悖る行為を正当化する権利が在るとは思えない。

 況してや終戦間際に我が国と締結していた日ソ不可侵条約を蹂躙し、一方的に宣戦布告し戦闘に加わったソ連の蛮行は断じて赦されるものではない。このソ連の参戦は「ヤルタ秘密協定」での米英との約束の忠実な実行である。

 1945年(昭和20年)2月、ルーズベルト、スターリン、チャーチルはクリミア諸島のヤルタで会談。ルーズベルトは千島列島をソ連に引き渡すことを条件に、日ソ中立条約の一方的破棄を進言、ソ連の対日参戦を促した。

 ヤルタ協定では「ソ連が日本との戦争に参戦すること」「南樺太をソ連に返還すること」「千島列島をソ連に引き渡すこと」などが決められた。ドイツが無条件降伏した約3ヵ月後の昭和20年8月9日、ソ連はヤルタ協定を忠実に実行し参戦した。

 公正な歴史を紐解く上でも、またソ連の北方領土への侵略と不当性を知る上でも、ソ連参戦を要求した米英主導の「ヤルタ秘密協定」の不当性と残虐性を暴き、戦後の不条理と不正義を再検証しなければならない。

 己の土地を他人に奪われて黙っている者はいないだろう。況してや、父祖伝来の国土が強奪されて泣き寝入りする民族が何処にあろうか。

「北方領土奪還」は正に日本民族の悲願であるが、北方領土問題は解決されるどころか、未だ解決の糸口すら見えて来ないのは一体何故なのか。

 思うに、平和ボケした国民の領土主権そのものの重要性に対する認識不足と、如何に不法に占拠されたかという真相把握が決定的に欠如しているのだ。

 占守島の戦いを始め、北方領土や南樺太での凌辱と虐殺などの筆舌に尽くし難い悲劇と不当なシベリア抑留は、現代を生きる我々が決して忘れてはならない歴史であり、如何に8月15日が断じて「終戦の日」ではない何よりの証である。

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2020年08月17日

Facebookでまたもや規約違反に問われ出入り禁止に(苦笑)

 昨日、facebookから「規約違反の通報を受けましたので審査しましたが記事の内容は『差別』に該当しますので30日間の利用停止となります」との通告を受けた。差別とされる記事は4年以上前に綴った外国人参政権の問題。以下参考。

 鳥越俊太郎ってのはホントにジャーナリストなのだろうか。愚生でも分かる様なネタを真顔で訴えて、それらを疑うことも恥じることもない。

 ジャーナリストとして現場主義を貫き「趣味はニュース」だというが、その現場にしろ、見聞きするニュースも偏ったものばかりで何がジャーナリストか。

 鳥越はジャーナリストというより左翼思想を生業にした営業左翼、否、左翼活動家というのが正しい。東京都知事選の公約に「永住外国人への参政権付与」を掲げている鳥越は、テレビでいけしゃあしゃあとこう述べた。  

「外国人参政権、アメリカでも一定年齢を過ぎて資格があれば市民権が得られます。それと同じように日本でも、例えば10年住んでいれば参政権が得られるというようなシステムを作る必要があると思いますね」

 アメリカでは「市民権」と「永住権」は別のもので、永住権取得から5年で市民権取得を申請する資格を得られるが、選挙権は「米国籍を有すること」が条件であり、居住が何年だろうが、納税さえすれば得られるというものではないのだ。

 こうしたことさえ分からない鳥越はジャーナリスト失格と言えるが、敢えてそれを知りながら国民や有権者を誑かしているのだとすれば、鳥越の公約である「外国人参政権付与」とは国家転覆を謀る手段の一つなのだろう。

 外国人参政権付与問題は、在日朝鮮人が大半を占める「特別永住者」だけではなく、一般の永住者も選挙権の対象とされている。

 そうなれば在日朝鮮人のみならず、支那人永住者にも付与されることとなるのだが、外国人参政権付与問題ではこの点は殆ど議論されてはいない。

 というのも、在日朝鮮人が大半をしめる「特別永住者」は年々減少し続け、減少傾向が止まらないのに対して「支那人一般永住者」はここ数年で急増している。

 在日韓国人が日本国民と結婚しその子供は総て日本国籍になっているのに比べ、支那人永住者の方は、留学生の増加などによって更に増加し、永住外国人の前提となる一般の在留外国人の登録者数は今や韓国・朝鮮人の数を上回っている状況だ。

 外国人参政権付与問題は、支那人の移民問題にも繋がるもので非常に深刻な問題を孕んでいるのだが、単に「強制連行された」だとか「差別を受けてる」という在日朝鮮人の問題にして、この問題点については語ろうとしない。

 要は、鳥越らは在日朝鮮人の擁護者というより、中国共産党の第五列(だいごれつ)というのが正しい。因みに「第五列」とは、内部にあって、外部の敵勢力に呼応して、その方針の下に活動してるグループをいう。

 世界の左翼は愛国者だが、我が国の左翼に愛国者がいないのは世界の珍現象。それは外部(中国共産党)の出張所的インチキ左翼ばかりだからだ(苦笑)

 以前、鳥越はテレビでの討論会で、尖閣諸島周辺での中共やミサイル発射で威圧する北朝鮮の動きを警戒する主張に、色を作(な)して「何処の国が日本を攻めて来るんですか!」と反論したことがあるが、こうしたことでも、中国共産党や金正恩への忠誠心とその働きぶりが分かるというものだろう(笑)

 そんな中で都知事選の世論調査が行われ、自民党に見切りを付けた小池百合子が一歩リードしてるとの報道が成されている。このまま小池が勝利し、旧態依然のボス政治を続ける自民党への警鐘になることを期待している。

 以上が「差別」とされた記事だ。どう読んでも「差別」に該当するとも思えないが、facebook側は規約違反だと一方的に断じる。然も、反論さえ出来ないのは如何なものか。それにしてもストーカーの様な閲覧者には厭きれるばかり。呵呵。

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2020年08月16日

神となられた英霊の死を悼み悲しむというのは如何なものか

「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に御臨席遊ばされた天皇陛下は、上皇陛下から受け継いでいる「深い反省」との文言を盛り込まれた。不戦の誓いを新たにすることは諒とするが、宮内庁幹部の意向を汲んだ「深い反省」は止めた方が好い。

「深い反省」とは、先の大戦での日本悪玉論を認めることに他ならず、「大東亜戦争終結ニ関スル詔勅」と照らし合わせても矛盾を感じるし軽々しく思う。

「深い反省」とは何を指すのか。昭和天皇の責任か。大東亜戦争は無謀な戦いだったのか。敗戦したことを深く反省するのか。余りにもアバウト過ぎる。

 欽定明治憲法下では国務は国務大臣、統帥は参謀総長及び軍令部長が陛下を輔弼しその責に任ずることになっており陛下には法的に責任は無い。しかし乍ら、先の大戦の結果を道義的に最も責任を痛感されたのは昭和天皇であった。

 渙発された「大東亜戦争終結ニ関スル詔勅」の中で、昭和天皇は「帝国臣民ニシテ戦陣ニ死シ職域ニ殉シ非命ニ斃レタル者及其ノ遺族ニ想ヲ致セハ五内為ニ裂ク 且戦傷ヲ負ヒ災禍ヲ蒙リ家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ 朕ノ深ク軫念スル所ナリ」と仰せられた通り、昭和天皇御自らが身を苛まれたのだ。

 一方の安倍総理の式辞は「深い反省」の言葉もなく無難なものだった。「積極的平和主義」という文言に有識者らは尤もらしい批判をしているが、我が国が目指すべきは防衛力の強化という積極的平和主義の確立であることに間違いはない。

 二度と敗戦という過ちを繰り返さない為にも万全な防衛体制を構築することこそ、先の大戦で犠牲となられた方々に報いるものだと信じている。

 我が国が「アジアの人々に謝罪し罪を償う必要がある」というなら、最大の過ちは敗戦に由って中国共産党の跋扈を許したことであり、その償いは共産主義を失くすこと以外にない。その為にも積極的平和主義を我が国外交の柱とすべきだ。

 昨日、小泉進次郎環境相や高市早苗総務相ら閣僚4人が靖國神社を参拝した。安倍首相は代理で玉串料を奉奠。保守票目当ての政治家を始め、営業保守や自称・愛国者、インチキ右翼らが靖國神社に参集し英霊に哀悼の意を表す。

 靖國神社は英霊の功績を顕彰する社であり、英霊は神である。神となられた英霊の死を悼み悲しむというのは如何なものか。靖國神社の創建の意味を知らないから、こうした「哀悼」だとか「慰霊」「追悼」という場違いが罷り通る。

 中韓や靖國神社に反対する勢力らもそうだが、靖國神社は追悼施設だと思っている国民は少なくない。慰霊や追悼というなら、遺骨が埋葬されている千鳥ヶ淵墓苑に御参りすれば好いし、千鳥ヶ淵墓苑を国立追悼施設にすれば好い。

 石原慎太郎が「天皇陛下に参拝していただきたい」と語ってたが、それを言うなら「御親拝」だろう。タカ派を気取ってはいるが相変わらず尊皇精神に乏しい。況してや8月15日の靖國参拝には意味が無いのに、何故に8月15日に拘るのか。

 明治天皇の思し召しで、明治維新と日清日露の犠牲者を祀る神社が、昭和に入ると殊更に護国の英霊に感謝し崇敬の誠を捧げる為の社となって行った。

 靖國神社が戦意高揚に利用されていたというのは否定出来ないし、最近の靖國神社を見ていると恰も大東亜戦争のミュージアムになったかの様だ(苦笑)

 8月15日に拘れば拘るほど靖國神社の創建の趣旨が曲解されて行くだろう。特筆すべきは、靖國神社の春秋の礼大祭に限り天皇陛下が御親拝せられたことだ。

 明治・大正・昭和と続いた大祭の御親拝が、平成の御代で途切れたのはA級戦犯の合祀が理由ではない。宮内庁幹部と8月15日の参拝こそが元凶である。

 天皇陛下の御親拝こそが英霊の御魂を鎮める唯一無二のものであり、聖恩無辺、英霊並びに遺族にとっての感激と光栄、之に優るものはなし。今上陛下に於かれましては雑音を排し、御親拝遊ばされることを冀(こいねが)う。

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2020年08月15日

8月15日「終戦記念日」ではなく「戦没者を追悼し平和を祈念する日」

 8月15日を一般には「終戦記念日」というが、正式には「戦没者を追悼し平和を祈念する日」。「大東亜戦争終結ニ関スル詔勅」が流された日に過ぎない。その玉音放送が流されたことを記念しているのであればそれは間違いと言わざるを得ない。

 昭和天皇の御聖断によりポツダム宣言受諾が決定され「大東亜戦争終結ニ関スル詔勅」が渙発されたのは13日、内閣が署名し公布したのは14日。降伏文書に調印した日は9月2日であり、連合国は翌3日を「対日戦勝記念日」としている。

「記念」とは「思い出」という意味であり、何故に戦争終結を記念しなきゃならないのか。国民の殆どが疑いもなく「終戦記念日」と信じて止まないが、これ正にGHQに因る洗脳であり、戦後民主主義教育の象徴とも言える呼称である。

 我が国が最終的に戦争状態を終結し主権回復したのは昭和27年4月28日であり、ならば「終戦記念日」はGHQの統治から解放された4月28日が相応しく、8月15日は敢えて言うのなら「平和祈念日」と呼ぶのが相応しい。

 保守票目当ての政治家や営業保守、右翼団体らが8月15日を終戦記念日と称し靖國神社に詣でるが、戦没者は何も散華された英霊だけではない。況してや「詔勅奉戴日」であるなら全国各地の夫夫の住んでる場所で平和を祈れば好いではないか。

 まやかしの平和を享受している我々は、改めて「大東亜戦争終結ニ関スル詔勅」を奉読し、先の大戦の大義と陛下の大御心をを再確認しようではないか。

 朕深ク世界ノ大勢ト帝国ノ現状トニ鑑ミ 非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾セムト欲シ 茲(ここ)ニ忠良ナル爾(なんじ)臣民(しんみん)ニ告ク(ぐ) 朕ハ帝国政府ヲシテ米英支蘇四国ニ対シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ 抑々(そもそも)帝国臣民ノ康寧(こうねい)ヲ図リ万邦共栄ノ楽ヲ偕(とも)ニスルハ皇祖皇宗ノ遺範ニシテ朕ノ拳々措カサ(ざ)ル所曩(さき)ニ米英二国ニ宣戦セル所以モ亦実ニ帝国ノ自存ト東亜ノ安定トヲ庶幾(しよき)スルニ出テ(で)他国ノ主権ヲ排シ領土ヲ侵スカ(が)如キハ固(もと)ヨリ朕カ(が)志ニアラス(ず)然(しか)ルニ交戰已ニ四歳(しさい)ヲ閲(けみ)シ朕カ陸海将兵ノ勇戦朕カ百僚有司ノ励精 朕カ一億衆庶ノ奉公各々最善ヲ尽セルニ拘(かかわ)ラス(ず)戦局必ス(ず)シモ好転セス(ず)世界ノ大勢亦我ニ利アラス(ず)加之(しかのみならず)敵ハ新ニ残虐ナル爆弾ヲ使用シテ頻(しきり)ニ無辜(むこ)ヲ殺傷シ惨害ノ及フ(ぶ)所(ところ)真(しん)ニ測ルヘカラサ(ざ)ルニ至ル而(しかも)モ尚(なお)交戦ヲ継続セムカ終(つい)ニ我カ(が)民族ノ滅亡ヲ招来スルノミナラス(ず)延(ひい)テ人類ノ文明ヲモ破却(はきやく)スヘ(べ)シ 斯クノ如クムハ(ごとくんば)朕何ヲ似テカ億兆ノ赤子ヲ保(ほ)シ皇祖皇宗ノ神霊ニ謝セムヤ是レ朕カ(が)帝国政府ヲシテ共同宣言ニ応セ(ぜ)シムルニ至レル所以ナリ 朕ハ帝国ト共ニ終始東亜ノ解放ニ協力セル諸盟邦ニ対し遺憾ノ意ヲ表セサ(ざ)ルヲ得ス(ず) 帝国臣民ニシテ戦陣ニ死シ職域ニ殉シ(じ)非命ニ斃(たお)レタル者及其ノ遺族ニ想ヲ致セハ(ば)五内為(ため)ニ裂ク且(かつ)戦傷ヲ負ヒ災禍ヲ蒙(こうむ)リ家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ 朕ノ深ク軫(しん)念(ねん)スル所ナリ 惟(おも)フニ今後帝国ノ受クヘキ苦難ハ固(もと)ヨリ尋常ニアラス爾臣民ノ衷情(ちゆうじよう)モ朕善ク之ヲ知ル 然レト(ど)モ朕ハ時運ノ趨(おもむ)ク所堪(た)ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ(び)難キヲ忍ヒ(び)以テ万世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス 朕ハ茲ニ国体ヲ護持シ得テ忠良ナル爾臣民ノ赤誠(せきせい)ニ信倚(しんい)シ常ニ爾臣民ト共ニ在リ若(も)シ夫(そ)レ情ノ激スル所濫(みだり)ニ事端(じたん)ヲ滋(しげ)クシ或ハ同胞排擠(はいせい)互ニ時局ヲ乱(みだ)リ為ニ大道(だいどう)ヲ誤リ信義ヲ世界ニ失フカ(が)如キハ朕最モ之ヲ戒ム宜(よろ)シク挙国一家子孫相伝へ確(かた)ク神州ノ不滅ヲ信シ(じ)任(にん)重クシテ道遠キヲ念(おも)ヒ総力ヲ将来ノ建設ニ傾ケ道義ヲ篤(あつ)クシ志操ヲ鞏(かた)クシ 誓テ国体ノ精華ヲ発揚シ世界ノ進運(しんうん)ニ後(おく)レサ(ざ)ラムコトヲ期スヘ(べ)シ 爾臣民其レ克ク朕カ意ヲ体(たい)セヨ 御名御璽 昭和二十年八月十四日

【現代語訳】

 朕深く世界の大勢と帝国の現状とに鑑み、非常の措置を以て時局を収拾しようと思い、ここに忠良なる汝ら帝国国民に告ぐ。朕は帝国政府をして米英支ソ四国に対し、その共同宣言(ポツダム宣言)を受諾することを通告させたのである。抑々帝国国民の健全を図り、万邦共栄の楽しみを共にするは、天照大神、神武天皇始め歴代天皇が遺された範であり朕は常々心掛けている。先に米英二国に宣戦した理由もまた、実に帝国の自存と東亜の安定とを切に願うことから出たもので他国の主権を否定して領土を侵す様なことはもとより朕の志にあらず。然るに交戦既に四年を経ており、朕が陸海将兵の勇戦、朕が官僚官吏の精勤、朕が一億国民の奉公、それぞれ最善を尽くすに拘わらず戦局は必ずしも好転せず、世界の大勢もまた我に有利ではない。こればかりか、敵は新たに残虐な爆弾を使用して多くの罪なき民を殺傷しており、惨害どこまで及ぶかは実に測り知れない事態となった。然もなお交戦を続けるというのか。それは我が民族の滅亡をきたすのみならず、延いては人類の文明をも破滅させるはずである。そうなってしまえば朕はどの様にして一億国民の子孫を保ち、皇祖・皇宗の神霊に詫びるのか。これが帝国政府をして共同宣言に応じさせるに至った所以である。 朕は帝国と共に終始東亜の解放に協力した同盟諸国に対し遺憾の意を表せざるを得ない。帝国国民には戦陣に散り、職場に殉じ、戦災に斃れた者及びその遺族に想いを致せば、それだけで五内(五臓)引き裂かれる。且つまた戦傷を負い、戦災を被り、家も仕事も失ってしまった者へどう手を差し伸べるかに至っては朕が深く心痛むところである。思慮するに、帝国が今後受けなくてなたない苦難は当然のこと尋常ではない。汝ら国民の衷心も朕はよく理解している。然しながら朕は時運がこうなったからには堪えがたきを堪え忍びがたきを忍び、子々孫々の為に太平を拓くことを願う。 朕は今、国としての日本を護持することができ、忠良な汝ら国民のひたすらなる誠意に信拠し、常に汝ら国民と共にいる。もし感情の激するままみだりに事を起こし、あるいは同胞を陥れて互いに時局を乱し、為に大道を踏み誤り、世界に対し信義を失うことは、朕が最も戒めるところである。宜しく国を挙げて一家となり皆で子孫を繋ぎ、固く神州日本の不滅を信じ、担う使命は重く進む道程の遠いことを覚悟し、総力を将来の建設に傾け、道義を大切に志操堅固にして、日本の光栄なる真髄を発揚し、世界の進歩発展に後れぬよう心に期すべし。汝ら国民よ、朕が真意をよく汲み全身全霊で受け止めよ。

 この「大東亜戦争終結ニ関スル詔勅」が発布されたことをして戦争が終結した訳ではない。形的に戦争状態を停止したということに過ぎない。

 5日前の9日未明、旧ソ連は「ヤルタ秘密協定」を忠実に実行に移し、「日ソ不可侵中立条約」を一方的に破棄し満州や南樺太に侵略を開始。日本人同胞の虐殺、強姦、略奪がこの日を以て開始され鬼畜の如き所業が各地で重ねられた。

 千島列島の最北端「占守島(しゅむしゅとう)」では、8月18日の早暁午前1時頃、占守島に駐屯中のの日本軍に対し、ソ連軍が奇襲上陸する。

 ポツダム宣言受諾により武装解除準備を始めていた日本軍守備隊は、この奇襲に対抗する為に武装を整え直し、ソ連に対して自衛戦闘を開始。

 3日間の戦闘で日本軍の死傷者約600名、ソ連軍の死傷者約3000名に及び、日本軍の圧倒的勝利の中で、8月21日に武装解除に応じ戦闘が終結した。

 日本軍が武装解除を終えたのは3日後の8月24日。「占守島の戦い」によりソ連軍の千島列島の占領は遅滞された。

 千島列島はソ連に強奪されるに至ったが、この間に米軍の北海道進駐が完了したことで、ドイツや朝鮮半島の様な北海道の分割統治は避けられた。そういう意味でも占守島での戦いには大きな意義があったのだ。

 これをしても8月15日を終戦記念日だと言い張るのか。この後、占守島で自衛戦闘を戦った日本軍の兵士のみならず、中千島や南千島に駐留していた兵士全てが酷寒の地であり不毛の土地であったシベリアに強制連行されることとなった。

 理不尽な終戦後の戦争を勇敢に戦った我が日本軍の兵士達は、こうしたソ連の理不尽な仕打ちさえも無条件降伏の無条件のうちだと信じて、飢えにも寒さにも耐え、その結果としての知れ切った死すらも潔く受容したのだ。

 8月20日には、樺太真岡郵便局の女子局員伊藤千枝(23歳)可香谷シゲ(23歳)沢田キミ(19歳)志賀晴代(22歳)高石みき(24歳)高城淑子(19歳)松橋みどり(17歳)吉田八重子(21歳)渡辺照(17歳)の9名が最後まで職務を全うし、最後は従容として青酸カリを服用し壮絶な最後を遂げた。

 外務省の外交文書「ポ宣言受諾関係・善後措置及び各地状況関係」には、ソ連の蛮行が生々しく書かれている。東部北鮮在留日本人の状況として「ソ連兵ハ30年来ノ怨ミヲ晴ラスハ此時ナリトシ邦人ノ所持品ハ一物ヲモ残サズ略奪シ婦女子ニ対シテハ時所ヲ弁エズ暴行ヲ加フルノ暴挙ノ出テ・・・」

 鉄原の状況として「ソ連進駐ト共ニ市街ノ様相ハ一変シ、ソ連兵市内ヲ横行シ略奪ヲ擅ニシ9月1日男24名ヲ本願寺ニ、女32名ヲ広島屋ニ監禁シ女ハ一室ニ一名宛閉ジ若キ娘ハ毎日14、5名、年配ノ婦人ハ毎日10名交代ニ暴行ヲ加ヘ其ノ結果6名ハ死亡シ、然ラザル者モ負傷ノ為歩行ノ自由ヲ失ウニ至ル・・・」

 捉えられた婦女子は「監禁され、ソ連兵に凌辱される」という恐怖から自裁する道を選択せざるを得なかった。樺太真岡郵便局の女子郵便局員も大和撫子として自裁する道を選んだのだ。酷寒のシベリアへ抑留された軍人や軍属、満州や樺太の地で亡くなられた方々にとって8月15日が終戦の日である筈がなかろう。

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2020年08月14日

高レベル放射性廃棄物の最終処分場選定に向け福島県も名乗りを上げよ!

 原発の再処理過程で出る核のゴミ(高レベル放射性廃棄物)の最終処分場選定に向けた文献調査に北海道寿都町(すっつちょう)が名乗りを上げるという。

 候補地に名乗りを上げただけで電源三法交付金が出る。最終処分地選定が決まれば莫大な補助金が交付される。処分場の建設に伴い道路、港湾整備などで雇用が増え人口も増える。住民が増えれば学校が造られ医療を施す病院も建つだろう。

 過疎化などで人口減少に伴う財政が減少して行く中で、最終処分場建設に関する交付金を町の活性化に繋げる考えだ。現在、最終処分場の候補地が決まらず頓挫しているが、専門家に拠れば処理技術には何ら問題はないという。

 新聞の解説では「自然災害が多い日本での最終処分は安全性への懸念も大きい」と批判的だが、反原発派が「御用学者」と批判して止まない物理学者の高田純教授に由れば、核のゴミの地下埋設で起こる危険性は無いと断言している。

 その科学的根拠は「ガラス固化体となった核のゴミから出される放射能は頑丈な金属製の鎧オーバーパックの中で水を通しにくい粘土で囲み300m以下の地層で眠り続ける。その間、物理法則に従い放射能は徐々に減衰し消滅する」という。

 候補地が決まらないのは政治の怠慢に他ならない。高レベル放射性廃棄物の処分地探しを公募したのは小泉政権下だった。今や脱原発の急先鋒である小泉は「放射性廃棄物の最処分場が確保されていない」と他人事の様に語るマヌケさ。

 使用済み燃料を再処理するとプルトニウムやウランなどの酸化物が精製されるが、この再処理の過程で出るのが高レベル放射性廃棄物という核のゴミだ。最終処分場に埋設されずに原発構内で保管してる方が危険だとは思わないのだろうか。

 余剰プルトニウムを持つことは国際的に許されない。再処理に拠って精製されたプルトニウムやウランを「プルサーマル」や、混合酸性物(MOX)燃料を利用した「フルMOX」として使わなければ国際公約違反に問われることとなる。

 そういう意味では、廃止が決まった高速増殖炉「もんじゅ」は、生成されたプルトニウムや燃え残りのウランをMOX燃料に加工し、高速炉サイクル技術に因って電力を確保しようという夢のエネルギー政策でもあったのだ。

「もんじゅ」は単にエネルギー確保だけでなく安全保障などの視点からも重要な問題だった。高速増殖炉に成功させ世界のエネルギーの平準化を達成出来れば、我が国は経済大国としても技術立国としても世界から尊敬されただろう。

 高速増殖炉を使用するサイクルが完成すれば、8千年間もの発電が可能になると推計されていたが、反原発に煽られた世論に屈し廃炉を決定した。

 高レベル放射性廃棄物処分について、政府はその重要性を認識しつつも反原発の流れから傍観を極め込んでいる。世界が注目する高レベル放射性廃棄物の深地層技術は、今後のエネルギー政策を左右するものとなろう。

 候補地として福島県が名乗りを上げれば好いものを、内堀政雄福島県知事は「高レベル放射性廃棄物の最終処分は国の責任で適切に行われるべきもので、本県が最終処分場になることはあり得ない」との認識を示している。

 経産省も福島県に気兼ねして「福島県は現在、政府として原発事故の収束と復興に全力で取り組んでおり、相応の配慮が必要。高レベル放射性廃棄物について、福島県に何か負担をお願いする考えはない」と強調し、その方向で進んでいる。

 原発事故に由る県民感情は重々理解するが、原発設置県の責任として原発事故の責任を東電や国に押し付けるのではなく、現実に起こってしまった事実を鑑みれば、福島第一原発周辺以外に最終処分場の候補地は無いのではあるまいか。

 高レベル放射性廃棄物の最終処分場建設が実現されるまでには文献調査で約2年、ボーリングなどの地下概要調査で約4年、更に精密調査に約14年を要する。

 最終処分場建設が実現するしないは別にして、候補地に名乗りを上げただけで出る電源三法交付金は財源に苦しむ自治体には魅力だろう。最終処分場の候補地が決まらずにいる状況を打破する為にも福島県も候補地に名乗りを上げよ!

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2020年08月13日

8月15日の左右入り乱れての喧騒が続く限り御親拝は遠退くばかり

 何故か、8月15日を「終戦記念日」という。記念とは思い出であり、終戦を記念してどうするのだ。15日が「戦没者を追悼し平和を祈念する日」であるなら、戦没者は何も英霊だけではないのだから「平和祈念日」と称するべきだろう。

「大東亜戦争終結に関する詔勅」の渙発は二日前の13日で、内閣が署名し公布したのが翌14日。15日は録音された「玉音放送」が流された日に過ぎない。15日以降も千島列島最北端の占守島の戦いや南樺太での悲劇があったことを忘れる勿れ。

 我が国が講和を受け容れ、政府がポツダム宣言による降伏文書に調印した日は9月2日、連合国はその翌日3日を対日戦勝記念日としている。我が国の「終戦の日」は、GHQの占領統治が終わり、主権回復した昭和27年4月28日である。

「終戦記念日」との呼称こそ、GHQによる戦後民主主義教育の影響であり、侵略戦争状態から解放してくれた米軍への感謝の意味と日本人に贖罪意識を植え付ける為のものであるが、平和ボケした国民はそれさえも気付くことはない。

 8月15日に靖國神社に初めて参拝したのは三木武夫。三木の後に首相に就いた田中角栄も大平正芳も福田赳夫8月15日ではなく例大祭に出席している。

 その後、タカ派と言われた中曽根康弘が首相に就任すると、8月15日に「公式参拝」。この8月15日の参拝は多くの国民の支持を得たのは否定しない。だが、この公式参拝で靖國神社が政治問題化されて行ったのも事実である。

 この中曽根の8月15日の靖國参拝以降、インチキ保守派や自称・愛国者らの靖國神社に対する贔屓の引き倒し的行為が目立って行く。

 公式参拝して間もなく中曽根は中共からの抗議を受けると、中共と申し合わせたかの様に公式参拝そのものを謝罪し撤回するに至った。その理由を、驚くことに当時の中国共産党書記長だった「胡耀邦の失脚を防ぐ為のものだ」と平然と答えた。

 この公式参拝自体が、中曽根と胡耀邦に因るマッチポンプだったというのが正しく、この謝罪により、歴代首相が続けていた春秋の例大祭への靖國神社への公式参拝が途絶えたばかりか、陛下の御親拝も憚れる様になってしまった。

 正に中曽根の参拝が、その後の内閣の悪しき前例となってしまった訳だが、これこそ中曽根の狙うところであり、中曽根が国賊と断じられる所以でもある。

 因みに、昭和60年8月15日の中曽根の公式参拝について、当時の松平宮司は中曽根を「人の家に泥靴で踏み込む様な人」と回想し、次の様に語っている。

「遺族を参道に並ばせ、非常に芝居がかった演出、驚いたのはその横に4人のボディガードを連れて行動したんですね。うちの神様方というのは皆手足四散して戦場で亡くなられた方が大部分です。そこへ参拝するのに自分のみ安全を謀るSPを伴うというのは無礼、非礼の極みという他ありません」

 然も中曽根は参拝するに当たり手水もせず、御祓いも受けず、玉串奉奠もせず、ニ礼ニ拍手一礼もせず黙祷だけの神道否定、神社冒涜の異様な光景だったという。

 中曽根の公式参拝謝罪撤回以降、我が国政府は支那人への優遇措置が講じられている。その契機になったのが公式参拝だったということを忘れてはならない。

 保守票目当ての政治家や営業保守、自称・愛国者や右翼団体らが8月15日に靖國神社に参拝するが、これ正に三木・中曽根から続く靖國神社冒涜運動の継承であり、8月15日の左右入り乱れての喧騒が続く限り、陛下の御親拝は遠退くばかり。

 今日13日は、旧盆の盆入り(迎え火)。先祖を迎え、また大東亜戦争を戦い、混乱の時代を生き抜いた先人の営為に思いを致してみては如何でしょう。

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2020年08月10日

我が国は何故に大東亜戦争を戦ったのか

 国民の多くは「戦争が終結した」「日本が負けた」というのは知ってるが、何故に我が国が第二次世界大戦に巻き込まれ、大東亜戦争に突入して行ったのか、その理由を知ることはない。否、知ろうとしないと言った方が好いだろうか。

「日本は満州事変以降、大陸への侵略を拡大し、無謀な戦争でアジアを中心とする諸国に多くの被害を与えた」というのが、我が国政府の先の戦争に対する基本認識である。だが、残念ながらそれは公正な歴史認識とは言い難い。

「侵略戦争」だとか「無謀な戦争」と断じるのは容易いが、我が国が何故に開戦を決意し、何故に真珠湾攻撃に至ったかということが重要なのだ。

 その理由を知るには大正末期~昭和ではなく1953年のペリー来航時代まで遡って、当時の世界の情勢とアジアの近代史を学ばねば到底理解は出来まい。

 15世紀の大航海時代以来、白人による世界制覇の波がアジアにも押し寄せアジアは次々と列強に蚕食され植民地となって行った。我が国は、西洋列強に追い着くべく、強力な中央集権国家を形成しようと明治維新の大業をたった数年で成し遂げた。

「日清戦争」や「日露戦争」も、また韓国が批判して止まない「日韓併合」もアジアや我が国にとっても避けては通れない宿命的な歴史だったのである。

 日清戦争に勝利した我が国は、続く日露戦争でも勝利を収めた。大国である清やロシアと戦った日本の名と「日本大勝利」の報は、固唾を呑んで見守っていた世界の人々を驚嘆させ、特に有色人種に与えた影響は強烈だった。

 日露戦争勝利から15年後、パリ講和会議で我が国は「人種平等の原則」を国際連盟規約に載せることを提案する。だが、議長を務める米国大統領・ウイルソンは「有色人種に人権など必要無い」と拒絶し否決した。

 これは米国人ら白人による人種差別が横溢していたのは明らかで、日露戦争が齎した歴史的課題の本格的実現は大東亜戦争を待たなければならないのである。

 その後世界は第二次世界大戦に突入し、米国America、英国Britain、支那China、和欄Dutchから我が国へ、所謂「ABCD包囲網」が敷かれる。そして、我が国に無理難題を強いる最後通牒「ハルノート」が突き付けられることとなる。

 降伏は即ち植民地の道しかなく、我が国の生き残る道は連合国との戦争しかないとの決断し、開戦の詔勅を賜り米国に宣戦布告。真珠湾攻撃に至ったのだ。

 米国内では毎年12月7日(現地時間)を「汚名の日・リメンバー・パールハーバー」として、我が国を卑怯な国として糾弾して止まず、日本人蔑視は未だ止むことはない。だが、我が国は断じて「騙し討ち」はしていない。

 こうした汚名を着せられ続ける理由は、駐米日本大使が宣戦布告の覚書を米国側へ渡し遅れたことが原因であり、外務省の職員の職務怠慢に他ならない。

 今も糾弾して止まない「リメンバー・パールハーバー」も、日本と日本人への偏見と差別からのものであり、先の大戦を猛省すべきは我が国に非ず米国である。

 歴史を語る上で大切なのは、古今東西、世界に蔓延る覇権主義の克服を主張すべきであって、他国の覇権主義に目を瞑りながら、占領政策の洗脳の儘に一方的に自虐の淵に止め処なく漬かり込むことではない。

 歴史は国家の一大事であり、歴史を忘却するということは国家の存在と先人の営為を冒涜してることと同じである。大東亜戦争の大義を学ばねばならない。

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2020年08月09日

悲憤慟哭「日本民族痛恨の日」である8月9日を決して忘れるな!

 米国は、6日の広島に続き9日にも原爆投下を実行する。投下予定地は九州小倉。だが、小倉の天気が悪く変更を余儀なくされる。実験データ収集の為には荒天では撮影も儘ならない為に小倉から急遽、長崎に変更した。

 天皇存続が明記されていないポツダム宣言受諾に難色を示す我が国に対して「戦争を終わらせる」のが目的ならば広島だけで十分だったろうが、米国はどうしても二発目の原爆を落とさなければならなかった理由があったのだ。

 広島と長崎に落とした原爆は種類が違うもので、広島はウラン型で、長崎はプルトニウム型。所謂「マンハッタン計画」で莫大な研究費を注ぎ込んだ米国は、議会でその原爆の成果を証明する必要と義務があった。

 原爆投下後、米軍が広島と長崎で執った「放射能治療方法交流禁止」や「被爆者カルテ没収」などの目に余る日本人への人権蹂躪行為は、正しく人体実験、否、動物実験としての原爆投下だったと言っても過言ではない。

 エノラゲイから投下されるその経緯の一部始終撮影し、実験データを収集していることでもその人体実験のデータ収集が目的だったのは明らか。

 日本を占領したGHQは、人体実験の為に原爆を投下した米国に対して、憎悪の感情を持たせない為に米国は日本人に戦後民主主義教育を徹底した。

 更に、ハリウッド・エンターテイメントを模倣して芸能に興じる空っぽな日本人を仕立てることに成功した。芸能王国ニッポンが正にそう。

 第二次世界大戦後、世界の帝国主義が崩壊し、敗戦した我が国は米国の51番目の州にならずに済んだ。米国が謀った日本人矯正は見事に成功を果たし、米国の価値観の下でまやかしの平和と繁栄を謳歌している。

 親米保守の安倍を始め保守派の尊皇精神は乏しく、尊皇無き保守が国體や皇統を棄損し続ける。左翼勢力もまた米国製の憲法を有難がり、戦後民主主義教育が「反米」の論拠となっているという御粗末さにも気付かない(苦笑)

 長崎に原爆が投下される8月9日未明、旧ソ連は日ソ不可侵中立条約を一方的に破棄しソ満国境を越え、南樺太に攻め入り鬼畜の如き所業を繰り返した。

 この旧ソ連の蛮行に対し、マスコミや自称・平和団体らは抗議の声を上げたことすらない。「原水爆禁止世界大会」を主宰する「原水協」や「原水禁」らは米国の原爆投下は執拗に糾弾するが、旧ソ連の蛮行には拱手傍観を極め込む。

 要は似非・平和団体であり「平和」を口にする資格もない。連中は、原爆を投下したのが米国だから、執拗にこの古傷を暴き、反米感情を煽って日米離間を謀り、党勢拡大に「平和」を利用し革命謀略に奔走しているに過ぎない。  

 旧ソ連の蛮行で亡くなった日本人同胞は、広島・長崎で亡くなった方々を遥かに超え、またシベリヤに抑留され極寒の地で亡くなった方も数え切れない。

 シベリアに抑留された日本人は約60万人と言われているが、これは軍属だけの数字であり、民間人を含めると更に多く、ロシアの資料に拠れば約70万人、米国の資料では約90万人とも言われている。

 悲しい哉、未だに我が国政府は、こうした旧ソ連=現ロシアの犯した問題を世界の国々に提起もせず、その真相を明らかにしようともしない。

 我が国固有の領土である北方領土はこうした経緯の下で強奪されたもので、旧ロシアの蛮行は国際法規違反であり人権蹂躙。現ロシアの北方領土の主権を「第二次大戦の結果」という言い分も国際法規のカイロ宣言違反である。

 ソ連の残虐非道、鬼畜の行為は8月15日後も収まることはなく、樺太では約5700名の軍人や民間人が犠牲となった。 20日には、樺太真岡郵便局員の9名が職務を全うし、従容として青酸カリを服用し壮絶な最後を遂げた。

 南樺太でのソ連兵による鬼畜の如き残虐行為の一部が、外務省の外交文書に生々しく書かれている。その一部を摘記する。

「ソ連兵は30年来の怨みを晴らすはこの時なりとし邦人の所持品は一物をも残さず略奪し婦女子に対しては時所を弁えず暴行を加えるの暴挙に出て・・・」

「ソ連進駐と共に市街の様は一変しソ連兵市内を横行し略奪を縦にして9月1日女32名を監禁し若き娘は毎日14,5名、年配の婦人は毎日10名交代に暴行を加えその結果6名は死亡し然らざる者も負傷の為歩行の自由を失うに至る・・・」

 千島列島最北端の「占守島」では、同月18日の早暁午前1時頃、占守島の日本軍に対しソ連軍が奇襲上陸。 終戦の詔勅が発布されたことにより武装解除準備を始めていた守備隊は武装を整え直し、ソ連に対して自衛戦闘を開始した。

 この戦いは日本軍の死傷者約600名、ソ連軍の死傷者約3000名に及び、日本軍の圧倒的勝利の中で、無条件降伏を受け入れ8月21日に戦闘が終結。

 日本軍が武装解除を終えたのは3日後の24日だった。だが、この武装解除が徒となり、占守島の兵士のみならず中千島や南千島に駐留していた兵士と民間人までもがシベリアに強制連行されることとなった。

 旧ソ連の蛮行と長崎への原爆投下、正に8月9日は悲憤慟哭民族痛恨の日であり、現代を生きる我々は決してこの日を忘れてはならない! 合掌。

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2020年08月06日

米軍は昭和20年8月6日午前8時15分、核兵器「リトルボーイ」を投下し14万人以上の無辜の民を虐殺

 昭和20年8月6日、午前8時15分、米爆撃機B29エノラ・ゲイが広島市に核兵器「リトルボーイ」を投下し、一瞬にして14万人以上の無辜の民を虐殺した。

 米国はそれでも厭き足らず3日後の9日午前11時02分、長崎に核兵器「ファットマン」を投下した。8月13日「大東亜戦争終結に関する詔勅」が渙発され、翌14日の公布したことで我が国は終にポツダム宣言の受諾を決定するに至った。

 広島、長崎への原爆投下を受け、日本政府は14日、終にポツダム宣言の受諾を決定した。この結果を以て「原爆投下が戦争の終結を早めた」「日本政府がポツダム宣言を黙殺したから原爆が投下された」という人がいるが事実は違う。

 天皇というの天皇であって天皇制という制度ではない。元駐日大使だったグルー国務長官代理が中心になって作成されたポツダム宣言の原案には、天皇制と認識した上で「天皇制存続の保障」が盛り込まれていたのは事前に確認されている。

 米国側は、日本政府が和平を模索していることを知っていたので、天皇制存続を保障する案なら講和を受け容れる可能性が極めて高いと考えていた。

 ところが、スチムソン陸軍長官やバーンズ国務長官ら反日派は、元国務長官ハルの助言によって「天皇制存続」の項目をポツダム会議の直前で削除した。

 即ち、我が国にとって「天皇制存続」の項目が明記されていないポツダム宣言は、極めて受け容れ難い内容になっていたのは察するに余りある。

 トルーマン大統領は、ポツダム宣言発表前日(7月25日)の日記に「この兵器(原爆)は今から8月10日迄の間に使用されることになる」と記した。

 このトルーマンの日記こそが「日本政府がポツダム宣言を黙殺したから原爆が投下された」という反論が真っ赤な嘘であることを明瞭に証明している。

 米国が原爆投下を決定したのは1943(昭和18)年5月のことで、原爆搭載機を対日戦用のB29爆撃機を選んだ。翌年9月、米英間の秘密覚書「ハイド・パーク協定」にも「原爆は日本に対して使用されるであろう」と明記されている。

 こんな不可思議な決定は人種偏見、日本人蔑視以外に合理的根拠は見つからない。つまり、原爆投下は日本人への根強い人種偏見が基となっている。「原爆投下が戦争の終結を早めた」というのは米国側の口実を鵜呑みにしてるだけ。

 原爆投下後の米軍が広島長崎で執った「放射能治療方法交流禁止」「被爆者カルテ没収」など、目に余る人権蹂躪行為を見ると、「人体実験」というより「動物実験」としての原爆投下だったのではとすら思えて来る。

 トルーマンの日記には「ジャップどもは野蛮人で、冷酷、無慈悲且つ狂信的な連中だ」とも綴られていた。当時の米国内には日本人蔑視が横溢してたのは明らか。

 被爆地である広島には、自虐史観の象徴の様な「安らかに眠って下さい。過ちは繰返しませぬから」という原爆死没者慰霊碑が建っている。この意味不明の碑こそ、GHQに拠る戦後民主主義教育の洗脳著しい現代日本人の姿であろう。

 原爆投下を実行して、一般人(非戦闘員)の大量殺戮という大きな過ちを犯したのは米国であり、断じられるべきは、我が国でもなければ大東亜戦争でもない。過ちを犯し、猛省せずに過ちを繰り返してるのは米国であり連合国である。

 真の「平和」を創造する為にも日米安保体制を再構築し、世界で唯一の原爆被爆国として米国の核の下ではなく、我が国独自で限定的核武装を急がなければならない。末尾に当たり、原爆投下で犠牲になられた方々に衷心より哀悼の誠を捧げます。

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2020年08月05日

「終戦記念日」という呼称こそが戦後民主主義教育の象徴である

 毎年、暑い時期になると6日の広島、9日の長崎と原爆が投下された日に焦点を合わせ、所謂「平和屋」と呼ばれる似非平和団体主催による「原水爆禁止世界大会」が開催される。この運動は純然たる市民の街頭での署名活動から始まった。

 その署名活動の輪が急速に全国に広がって行くのに目を付けた旧日本社会党と日本共産党が割り込みイデオロギーに汚染させ、終には主導権争いを演じて分裂させてしまう。それが旧社会党系の「原水禁」と、共産党系の「原水協」である。

 連中の目的は「平和」とは名ばかりで、原爆を投下したのが米国だから騒いでるだけの反米活動であり、彼らの最終目的とは言うまでもなく革命であり、国民を扇動し、我が国を混乱に巻き込み、皇統と国柄の破壊を目指すことに在る。

 その目的を達成する上で「平和」という言葉こそが最も効果的な武器であり、平和を望む国民の素直な心に訴えかけて党勢拡大に利用しているのだ。そうした策謀を見抜けずに、騙されているのは高齢な情報弱者や幼稚な平和論者ばかり。

 原爆投下による被害は確かに甚大ではあったが、原爆投下によって戦後民主主義を盲信する「反米」「反基地」の珍種が殖えてしまったのは皮肉な結果だ。

 戦後民主主義とは、自国の歴史を汚辱に塗れた過去と捉える自虐史観である。我が国はGHQのたった7年の統治で我が国の国柄が壊され、日本人の美徳が忘れ去られてしまい、米国の価値観一辺倒の全く別な国になってしまった。

 戦後民主主義教育の歪な教育で育った者は、国家から恩恵を享けながらも個人と国家を常に対立させ、恰も国家は人間を抑圧する組織と見做し、反国家反体制のポーズを採ることが進歩的で文化的だと錯覚し、幼稚な正義感を押し付ける。

 左翼陣営の原水禁大会と同様に、右翼陣営も8月15日の靖國神社参拝が恒例行事となった。近年は8月15日の靖國参拝が愛国者や保守派の踏み絵になっている。

 8月15日の参拝に意味はなく贔屓の引き倒しそのもの。況してやこの日を「終戦記念日」だと称して英霊のみに感謝の誠を捧げることに違和感を禁じ得ない。

 8月15日が「終戦記念日」と呼ばれているのは、戦後民主主義にどっぷり漬かったマスゴミの影響が大きい。正式には「戦没者を追悼し平和を祈念する日」であり、玉音放送により、日本の降伏が国民に公表された日である。

 終戦記念日とは「無謀な戦争が終わって好かった」という意味であり、この「終戦記念日」という呼称こそが戦後民主主義教育の象徴でもあるのだが、靖國神社に馳せ参じる右翼の面面はそれさえも気付いていない(苦笑)

 右翼陣営の多くが8月15日の内閣総理大臣の参拝を熱望し、閣僚のこの日の参拝を高く評価する。だが、総理大臣は春秋の例大祭に参拝するのが恒例だった。

 8月15日の参拝は容共・三木武夫が最初だった。その後に首相に就いた田中角栄も大平正芳も8月15日ではなく、春秋の例大祭に参拝している。だが、中曽根康弘が8月15日に公式参拝したことで靖國参拝が政治問題化して行く。

 その後、8月15日の靖國神社参拝を利用したのが小泉純一郎。党総裁選に立候補した小泉は「如何なる批判があろうとも8月15日に靖國神社へ参拝する」との言葉は多くの国民、中でも保守陣営を喜ばせたが結果は混乱を招いただけのものだった。

 右翼陣営や保守派らが8月15日に参集するのはこうした経緯を知らないからで、8月15日の参拝こそが、中曽根から続く靖國神社冒涜運動の継承と自覚すべし。

 8月15日は終戦記念日ではない。大事な事は国民一人一人が平和を祈念する上で、夫夫が住んでる場所で戦没者を偲び、心から黙祷を捧げることである。何も、靖國神社や護国神社に出向くことが立派なことでも愛国者としての行動でもない。

 先の戦争で犠牲となられたのは、祖国を守ろうと戦陣に散り、靖國神社に祀られている英霊の方々だけではない。米軍に因る広島・長崎への原爆投下や東京大空襲を始め、沖縄や北方領土などで多くの一般国民が犠牲となっている。

 8月15日に右翼陣営や保守派、自称・愛国者らが靖國神社のみに拘れば拘るほど、そうした風潮を好戦的と捉えて違和感を持つ国民が増えることになるだろう。

 8月15日は、靖國に於いては英霊の遺族の日であり、遺族の方々が心静かに詣でる環境を整え、陛下の御親拝を仰ぎ奉ることこそ肝要であろう。陛下の御親拝こそが聖恩無辺、英霊並びに遺族にとっての感激と光栄に優るものはないのだから。

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2020年08月02日

人生とは長く生きた年月ではなく如何に生きたかという中身が大事

 今日で還暦を迎えた。断っておきますが「誕生日おめでとう」というメッセージは要りません。貰っても嬉しい訳でも無し、返信するのも面倒臭いし(笑)

 孔子は「吾、十有五にして学に志す、三十にして立つ、四十にして惑わず、五十にして天命を知る、六十にして耳順う、七十にして心の欲する所に従えども矩を踰えず」と訓えた。過去の人生を振り返れば恥入ることばかり。

「六十にして耳順う」とは「他人の意見に反発を感じることも少なくなり、素直に耳を傾けられるようになる」らしいが、愚生の性格からして共産党や無自覚左翼の異なる意見や生理的に合わないヤツには死ぬまで反発してると思う(笑)

 今年行われる予定だった同級会での還暦祝いはコロナ禍で延期となった。還暦祝いでは、赤色の頭巾やちゃんちゃんこなどを贈る習慣があるが、これは昔は魔除けの意味で赤ちゃんの産着に赤色が使われていたことの名残り。

 還暦は「生誕時に還る」という意味で、還暦とは「干支(十干十二支)」が一巡して誕生した年の干支に還ること。本卦還り(ほんけがえり)とも言い、生まれた年の干支と同じ干支の年が来ることで「暦が還る」となる。

「十二支」は子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥の12種類。「十干」は、甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸の10種類。「干支」の組み合わせが60通りある。愚生が生まれた昭和35年は「子年庚子」となる。

 活動家時代、物心両面で支援して頂いた大手警備会社の会長から「活動家が長生きすると惨めな生活しか待ってませんよ」と言われた言葉を思い出す。右翼になった頃、まさか還暦を迎えるなどとは思いもしなかった(笑)

「社会は肉体の安全を保障するが、魂の安全は保証しない」と言ったのは三島由紀夫。大事にしなければならないものは肉体より魂や精神性であると思う。

 過日、石原慎太郎が難病のALS(筋萎縮性側索硬化症)を患った女性の尊厳死に関し、ALSを「業病」に準えて批判されている。業病とは前世の悪行の報いで罹るとされている治り難い病気のことだが、業病とはオカルトや宗教に行き着く。

 石原のツイートでの「業病」ばかりが問題にされて感情的に批判に曝されてるが、肝心な中身が伝わって来ない。ツイートの「業病」を消すとこんな感じだ。

「ALSに侵され自殺のための身動きも出来ぬ女性が尊厳死を願って相談した二人の医師が薬を与え手助けした事で『殺害』容疑で起訴された。武士道の切腹の際の苦しみを救うための介錯の美徳も知らぬ検察の愚かしさに腹が立つ・・・」

 別に石原は好きではないがこの言葉は決して批判されるものではない。死生観の違いだが、愚生も他人を煩わせてまで長生きはしたくない。安楽死というより「尊厳死」というのは生きる上での選択肢の一つとして有っても好いと思う。

 石原を右翼であり、真の保守だと勘違いしている人も多いが、石原は橋下徹などと同じ反天皇論者だ。石原という男は言葉の過激さ故に支持されて来た。一方で、批判されるのは過激な言葉と逆行する言葉の軽さが目立つ。

 国旗、国歌についても「日の丸は好きだけれど、君が代って歌は嫌いなんだ、個人的には。歌詞だってあれは一種の滅私奉公みたいな内容だ。新しい国歌を作ったらいいじゃないか。好きな方、歌いやいいんだよ」と、毎日新聞のインタビューに答えているが、これが石原の本音であり正体である。

「滅私奉公」だとして、それの何が悪いのか。今や「滅私奉公」という言葉は死語だ。自己犠牲を中心にした無理な生き方より自分本位の生き方が優先される時代に於いて、滅私奉公を想像させるのであれば結構なことではないか。

 三島由紀夫は石原慎太郎と「守るべきものの価値」との対談の中で、三島が「日本のアイデンティティーとして三種の神器、宮中三殿を守らなくてはならない」と発言すると、石原は「またそんなことを言うの」と三島を小馬鹿にし、国體や皇統を否定している。これを以てしても保守や右翼とは真逆の輩といえよう。

 石原はよく三島由紀夫と比べられることがあるが、石原には武士道が重んじる「礼節」や「尚武の精神」というものが全く備わってはいない。

 武士道に通じる三島との大きな違いはそこだが、ALSの女性への尊厳死を「武士道の切腹の際の苦しみを救うための介錯の美徳」との言葉に違和感を覚える。

 石原慎太郎も長生きし過ぎた。作家であり発する言葉は巧みではあるがその言葉に魂は入っていない。そろそろ楽隠居した方が好いと思う(笑)

 釈迦牟尼は「長生きは無間地獄」と言ってるが正しく。人生とは長く生きた年月ではなく、如何に生きたかが大事。右翼浪人として、残り少ない人生の中で一旦緩急が有ることを願い、義勇公に奉じて人生を閉じたいものだ。呵呵。

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