2021年05月13日

武漢ウイルスの90%が変異株に置き換わった

 国立感染症研究所は、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の武漢ウイルスが、N501Yの英国株やアフリカ株に置き換わったとする分析結果を報告した。

 見方を変えれば武漢ウイルスを粗制覇したということだろう。変異株の感染力は強いが、重症化は徐々に減って行く。変異株は自然の摂理でもある。ウイルスは宿主を殺すことではない。宿主の中で殖え生き長らえることにことにある。

 つ~か、「武漢ウイルス」や「武漢肺炎」は差別表記としながら、「英国株」「南アフリカ株」「ブラジル株」「インド株」と呼ぶのは好いというのも嗤えるな。

 ウイルスを無くすことは無理なのに、それを無視して「感染者ゼロ」を目指すというのは、反原発派の非科学的な大騒動から始められた除染作業と似たり(苦笑)

 新型コロナワクチンが出回れば騒ぎも沈静化するだろう。だが、その前に「新型コロナに治療効果の見られるアビガンを承認する」の一言で多くの国民の不安が払拭されるのに、何故か承認しないアホ官僚どもとマヌケな政治家ども。

 菅総理が批判の矢面に立たされているが、安倍政権下では新型コロナが国内に蔓延しているのに与野党ともに政争を繰り返し党利党略を優先した。コロナ対策の不作為や不手際を猛省することなく国民の自粛頼みとは本末転倒と言う他はない。

 後手後手の感は否めず屋上屋を架す菅政権。「特措法改正」で自粛に応じない店に罰金だとか言う前に、新型コロナ発症元が武漢ということで中共政府に阿て対策を講じることなく、アビガンの認可すらして来なかった政治家を罰するべきだわな。

 新型コロナに罹患し、重篤な状況から生還した芸能人や著名人らが口を揃えてアビガンの有効性や特効性を訴えていたのは何だったのか。コロナに感染し入院した地元暴力団幹部も「死ぬかと思ったがアビガンが効いた」と言ってるぞ(笑)

 アビガンの有効成分「ファビピラビル」に関するライセンス契約を、富士フイルムと結んだ中共の製薬大手・浙江海正薬業が後発医薬品を増産し絶大な効果を発揮してるというのに、「日本人には有効性が無い」とはどういうことか。

 ワクチンとはウイルスの生体から作られ、弱毒化・無毒化された抗原のこと。抗原を体の中に入れることにより、ウイルスをやっつける抗体が出来る。その抗体によってウイルスから守られるのだが、アビガンはワクチンではなく有効な治療薬だ。

 ウイルスに勘違いを起こさせて、取り込ませることによって、ウイルスの増幅を止めてしまう化学物質であり、効果的な日本製ワクチンが開発されるまでの治療薬としてアビガンを認可し使用することに何に憚り躊躇する必要があるというのか。

 専門家らは「安全性」「副作用」という理由を吐けて反対してるが、アビガンを製造した会社が製薬会社じゃなく富士フィルムというのが理由だろう。アビガン承認を遅らせ、製薬会社からの論功行賞を狙いってるというのが正しい(苦笑)

 多くの国民がアビガンに抱くイメージは新型コロナウイルスへの不安解消や罹った際の安心感であり、承認の遅れは国民の期待に水を差すものでしかない。

 新型コロナ対策として現在の「二類感染症」指定から「五類」に指定すべきという声がある。確かに、新型コロナは年間数千人から1万人以上が死亡するインフルエンザと比べても死者数は変わらない。要は、単なる新型のインフルエンザだ。

 連日、新型コロナの感染者数と死者数を報じているが、この数値に意味があるとも思えない。どんなコロナも変異して行くもので大騒ぎする必要も無い。

 武漢発症の新型コロナが騒がれ出して約1年半が経つ。連日、感染者の数を仰々しく報道するが、我が国の感染者は66万人と諸外国に比べて正に「さざ波」程度。死者も1万1214人(5月12日現在)と癌死亡者の100分の1程度しかない。

 世界の死亡原因の第1位は微生物感染症で1500万人。続いて心疾患、癌、脳疾患と続く。だが、飢餓での死者は年間で8億2100万人(2017年の統計)で、毎日2万5000人が亡くなってるという。コロナより飢餓問題に危機感を持つべきだと思う。

 令和2年の自殺者数は21081人。人工妊娠中絶数は1年間で実に17万5000人と言われている。コロナで大騒ぎするより対策を講じるべき問題は少なくない。

 ワクチン接種も始まったし、罹患者急増で病院の収容人数がパンク寸前なことも考慮してアビガンを早期に承認して民間医療機関で対処出来る様にするべきだ。

「五類指定となったら医療費は全額自己負担となってしまう」との声も聞こえる。抗ウイルス薬「レムデシビル」は1回分(5日間、6本)で25万円。最高で2回投与で合計50万円。保険適用により3割負担になっても15万円だと煽る。

 アビガンを認可し「特例」を設けて無料にすれば済むことだろう。要は、政治家の決断力だ。アビガンとワクチン投与で沈静化すれば特例を解除すれば好いだけ。初動対応のミスが現在に降りかかってることを率直に受け止めて対処するべきだ。

 コロナ禍が落ち着いたら新たな冷戦時代として世界の枠組みが変わるのは必至だろう。我が国が今やるべきは、コロナの蔓延を防ぎ経済成長を成す台湾の対応や施策に学ぶことだが、そうした対策を講じることなく屋上屋を架すばかり。

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2021年05月11日

「ノモンハン事件」を始め捏造された歴史を鵜呑みにしている日本人

 昭和14年(1939年)5月11日、蒙古との国境ハルハ河を越えて蒙古兵が満州国側のノモンハン地区に侵入する。所謂「ノモンハン事件」である。日本軍はこれを撃退したが、蒙古軍は駐留ソ連軍と共に再三に亘り侵入を繰り返した。

「ソ連軍は大量の戦車を含む大兵力を動員してハルハ河を越えて侵入し、ここで大激戦が展開されることとなった。8月20日には、ソ連軍は10万近い軍を動員し、2万人弱の日本軍に対し総攻撃を仕掛け、日本軍は大打撃を被った」

 これが日本人の信じるノモンハン事件概要だ。歴史探偵を自任する半藤一利や司馬遼太郎もそうだし、五味川純平なんぞはその最たるもの。何しろソ連の公式発表した日本軍の損害は52000人、ソ連軍9284人との数字を真に受けている。

 昭和12年に始まった「日支事変(支那事変)」から2年後に、何故に満州と蒙古の国境で突如この様なソ連軍との激戦が発生したのだろうか。

 実はこの1年程前にソ連は、ソ満国境の張鼓峰で侵入事件を起こしていて、この時には日本軍はソ連側に5500人の大打撃を与えて撃退した。だが、この時、日本軍がソ連領に侵入して来ないことをスターリンは見逃さなかった。

 ソ連がナチスドイツに勝利出来たのは、このスターリンの判断に拠るところが大きい。歴史に「もし」は無いが、あの時、日本軍がソ連に更なる猛攻を仕掛けていれば、ドイツと共にソ連共産党を打ちのめしていただろう。

 希代の悪党で戦略家のスターリンはヒトラーのソ連攻撃を予測し、東側からの脅威を除く為に日本と中華民国とを戦争に引き込むことに残力を挙げそれに成功した。第二次世界大戦が共産主義による策謀だった証左の一つであろう。

 盧溝橋事件や上海事件では策謀に成功したが、予想外に日本軍が強い。そこで日本側がどう出るかを偵察したのが「鼓張峰事件」と「ノモンハン事件」だった。

 ノモンハン事件で日本との「停戦合意」が成立した翌日の9月17日、スターリンはポーランド侵攻を命じ、ソ連軍はポーランドに侵入を謀り、また「ノモンハン事件」は共産主義者によって悪宣伝に使われた。

「貧弱な装備で旧式戦法の日本軍が、ソ連の進んだ機会化部隊に完膚無きまで叩きのめされた」という日本軍を貶し自国の軍隊の勇ましさを喧伝するものだが、悲しい哉、日本人の多くは未だそうした捏造された歴史を鵜呑みにしている。

 ソ連が崩壊し情報公開されて判ったことは、ソ連の損害は26000人、日本軍18000人と、実はソ連の損害は日本側を大きく上回っており、然も日本軍は、ソ連の戦車・装甲車800両と航空機1673機を撃退しているという歴史的事実である。

 10万近い大兵力を動員した側は損害は少ないと教わったが、結果はその逆だった。ということは、如何に日本軍が強かったかということの証しでもある。

 抑々、歴史と言うものは為政者に都合の好い様に作られるもの。歴史は国の大事である。明治開国以来の様々な歴史を再検証し日本再建の一歩とせよ!

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2021年05月09日

旧宮家の再興は皇室の本分である祭祀を継承して戴くということにある

 ここのところ影を潜めていた「女性宮家」や「皇位継承」の記事が躍っている。英国などの王室には尊称付きで報道するマスコミは、皇族に関しては徹底して「さま」呼ばわり。こんなんで宮家論や皇位継承を語ることが不思議でならない。

 京都産業大学名誉教授で、靖國神社崇敬会総代の所功も「愛子さまが結婚されても皇室に留まり、御両親を支えられる様にする必要がある」と「さま付け」、両陛下を「御両親」と不敬千万な宮家論を垂れ流していることに驚く。

 自民党内には「安定的な皇位の継承に向けて、女系天皇についても選択肢の一つとして検討すべき」「今の時代に女性の天皇が即位出来ない方が可笑しい」という意見が横溢してるのは、所功ら営業保守に因るところが大きい。

 自民党の河野太郎や二階幹事長らは「わが国の皇室はずっと男系で継承されてきているので、男系による皇位継承が続くのが一番望ましいと考えている。ただ現状は秋篠宮殿下、次の世代は悠仁親王殿下しかいらっしゃらないのが現状」と語る。

 秋篠宮皇嗣殿下並びに悠仁親王までの皇位継承が決まっているのに、何故に今、女性宮家や女系天皇、更には「内親王家」の議論をしなければならないのか。

「現在の皇室で男系を維持して行くのはかなりのリスクがある」との声が上がる。だが、そのリスクとは何ぞや。況してや「女系天皇についても選択肢の一つとして検討を行うべき」と言うが、そのリスクの方が大きいとは思わないのか。

「男系が継承されていることを強く期待するものだが、やはり万が一という事態を想定しておかなければいけないと思う」との「万が一」とは何を指すのか。こうした考えは、女性宮家創出や女系天皇容認論者の皇統断絶を謀る戯言に過ぎない。

 河野太郎は「例えば、内親王殿下、女王殿下が女性宮家として皇室に残られ、そのお子様が皇位を継承するというやり方もあるでしょうし、或いはGHQによって皇籍を離脱することになった旧宮家の男子が宮家を復活させるのか、養子に入るのか。養子に入るのも皇室典範の改正が必要だ」とも述べている。

 これは皇室典範第12条並びに第15条の改正が必要との認識だろう。女性宮家推進派は、皇室典範第12条の「皇族女子は、天皇及び皇族以外の者と婚姻したときは、皇族の身分を離れる」との条項を見直し女性宮家の創設を謀ろうとしている。

 旧皇族の皇籍復帰や養子縁組を成立させるには、同第15条の「皇族以外の者及びその子孫は、女子が皇后となる場合及び皇族男子と婚姻する場合を除いては、皇族となることがない」の条項の見直しが必要となる。

「1428年に御即位された後花園天皇の弟君が伏見宮を継承されて、その血筋の方々なので600年前に男系が分かれたのが旧宮家。そういう家の男子を戻す、或いは復活させることに国民の合意、支持が得られるのかという議論も当然ある」と指摘してるが、旧宮家の方には現在の陛下よりも血筋としては正統な方もおられる。

「今の日本国憲法第1条では、天皇の地位は国民の総意に基づく、とあるので、やはり国民の広い議論、国民の支持が必要になるんだろうと思う」とは正論だが、天皇を否定する共産党らが存在する限り「総意」にはならない。

 抑々、天皇とはどの様な存在であるかを理解していないから「男系」や「女性宮家」「女系天皇」などという議論に終始してしまっているのだ。況してや反天皇勢力は憲法第2条の「世襲」を曲解し、愛子内親王の即位を謀る。

 天皇とは諸外国の様な「王室」や「国王」の存在だと思っている人も多いが、分かり易く言えば日本固有の信仰である神道を伝え導く神主(神官)の最高の地位者であり、ローマ法王と同じく祈りを重んずる「祭主」である。

「女性天皇」「女性宮家」では天皇の重んじる祭祀が叶わない、神に仕える神事を執り行うことが憚れるのだ。別に女性差別ではなく、これが伝統というものなのだ。女性宮家や女系天皇論者らは国事行為をする便利な存在としか思っていない。

 女性が天皇に就くというのは普通の生活は送れないということを意味する。過去8人の女性天皇は全員独身で即位し、譲位以後も独身を通した意味は重い。

 女性天皇論者は、神道そのものの無理解と天皇が祭主としての祭事の重要性を理解していないから安易に語れる訳で、これこそ天皇を軽んじてる証左でもある。

 過去10代8人全ては男系の「女性天皇」であり「女系天皇」ではない。敬宮愛子内親王が天皇に即位されてもそれは男系の9人目の女性天皇となる。だが、愛子天皇が御成婚遊ばされ第一子を生んだ場合それは男系ではなくなる。

「旧皇族と結婚すれば問題ない」という声もある。ならば、昭和天皇が最後まで反対なされた皇籍離脱させられた旧宮家の方々の皇籍復帰を先に行うべきだろう。

 若し、愛子内親王の御相手が元皇族でなかったらどうなるのか。過去8人の女性天皇が嫡子を産まなかった重い意味を知るべし。女性皇族が結婚することで皇籍を離れるのは、一般人としての生活を重んじよとの天皇の大御心でもある。

 そうしたことを理解せず「今の時代、女性宮家が無いのが可笑しい」だとか「女性が天皇に成れないのは女性差別」と安易に語る。女性皇族を天皇の国事行為を補佐させる便利な存在と思ってることこそ女性差別ではあるまいか。

 安っぽい風潮(ジェンダー平等)で皇位継承を語り、「結婚されても皇室に留まり、御両親を支える」とは何事か。こうした愚論を垂れ流す保守派が国を亡ぼす。

 祭祀を継承するには旧皇族の復帰を図ることが重要で、廃絶になった秩父宮・高松宮、女性皇族しかいない常陸宮と三笠宮の祭祀を旧宮家を再興し継承するべし。

 皇位継承で大事なのは神武天皇以来の「男系」の血筋であり、「今上陛下とは血筋が違う」というのは近年の反天皇勢力に拠って創られた現代の価値観に過ぎない。

 旧宮家とは「伏見(ふしみ)宮」「閑院(かんいん)宮」「山階(やましな)宮」「北白川宮」「梨本宮」「久邇(くに)宮」「賀陽(かや)宮」「東伏見(ひがしふしみ)宮」「竹田宮」「朝香(あさか)宮」「東久邇(ひがしくに)宮」。

 旧11宮家の方々は北朝第3代崇光天皇の皇子、栄仁親王から始まる伏見宮の系統に属し今上天皇との関係は、室町時代の伏見宮貞成親王を共通の祖先とされている。

 河野大臣が「1428年に御即位された後花園天皇の弟君が伏見宮を継承されて、その血筋の方々なので600年前に男系が分かれたのが旧宮家」と説明されいる通り。

 内「山階」「北白川」「梨本」「東伏見」の4宮家は断絶しているが、東久邇家の系統には、歴代天皇と男系で繋がる男子が7名おられ、悠仁親王殿下と又従兄弟になる男子が5名、更に4名が生誕とのことで実に喜ばしい。

 東久邇宮盛厚王(明治天皇の孫)の妻は昭和天皇の長女である茂子内親王であり、上皇后陛下が民間から嫁がれていることをしても男系男子の正統性を有する。

 秋篠宮皇太弟~悠仁親王殿下の継承は決めっているが、東久邇家以外にも男系男子がおられ、皇位継承は旧宮家の皇籍復帰を成すことで盤石となる。

「長く民間人だった人が皇族になることに違和感」というのは付けたりに過ぎない反対理由であり、宮家を再興するということは男系男子の皇位継承の安定を図るだけではなく、皇室の本分である祭祀を継承して戴くということにある。

 大体「宮家」とは男系だからこそ宮家なのである。憲法以前の御存在であらされる天皇が、今や憲法中心の国事行為をやらせるだけの傀儡となってしまっていることを憂慮せざるを得ない。日本国憲法第1条から8条までの「天皇」条項を議論せよ!

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2021年05月05日

五月五日は「男子の健やかな成長を願う」端午の節句

 今日は「こどもの日」。古くは「端午の節句」として、菖蒲や蓬を軒に挿して邪気を払う習わしがあったが、江戸時代以降は男子の節句とされ、武家で甲冑や幟を飾ったことに倣い、町人も武者人形や鯉幟を立て祝う様になった。

「男子の健やかな成長を願う」ということに、いつものジェンダーフリーを妄信する性的変質者の左翼オバハンらが「女の子への差別」だと反発し今日に至っている。

 五月五日は別名「あやめの節句」や「菖蒲の節句」とも言われ、五が重なる「重五(ちょうご)」「端陽(たんよう)」と、縁起の良い日とされている。

「こどもの日」の趣旨とは、「未来を担う子供の人格を重んじ、幸福を図ると共に、子供は自分を生み育ててくれた親に感謝する日」である。

 制定された当時は「親」ではなく「生んでくれた母に感謝する日」だったが、この「母」にも前出のオバハンらが騒ぎ立て「親」となった。「母の日」は、欧米に倣い今月の第二日曜日に設けられてるが、本来は5月5日でもあったのだ。

 昨今、主流の「男女共同参画社会」とはこうした言葉遊びで男女の差別を無くそうというマヌケな謀に過ぎない。「子供」も今では「子ども」表記が氾濫している。

 文科省は平成26年6月、国会での議論を経て、左翼やマスコミが使用する「子ども」表記を「子供」に統一する通達を出した。だが、今でも改められることなく、通達を出した与党の自民党議員までも「子ども」を使用しているマヌケさ(苦笑)

 日本共産党やマスコミらが「子供」や「こども」ではなく、敢えて「子ども」表記を使うのは「子供」の「供」という字が、「お供え物」「お供する」などを連想させ、「差別的な印象を与える」というのがその最たる理由である。

「お供する」というが、その場合「お伴する」が正解。ならば、態態「子ども」表記じゃはなく、平仮名の「こども」で好いではないかと思うが、何故か文科省通達を無視して漢字と平仮名の「子ども」表記に固執している。

 悪党や政治家らを悪意的に「悪党ども」とか「政治家ども」とか詰ったりするし、古い映画などでは「野郎ども」「若造ども」などと言ったりする。「ども」とは敬意が低く、目下の者や見下した意味合いに用いられる場合が殆どだ。

 この場合の「ども」は漢字だと「共」だが、子供の「供」を「子ども」と表記することは、逆に言葉遊びで子供を弄んでいると捉えられても致し方ない。

 こうしたマヌケなギャグの様なことを真顔で実行し、それを疑いもせずに真似て使用し続けてるる自民党や自称保守派というのもまた嗤うしかない。

「男女共同参画社会」というのは、こうした言葉遊びから始まった左翼陣営による共同謀議的大愚策の最たるものなのだが、これを改めることなく保守を標榜する自民党政権下で実行し、担当大臣が存在しているのだから呆れ甚し。

 こうしたキモ~イ屁理屈を並べ立てて騒いだのは、全共闘世代や共産党といったいつものキチガイ左翼やジェンダーフリーを叫ぶ性的変質者どもだが、そうしたクソどもらが総理府など政府中枢に入り込んでいたことに驚くしかない。

「子供」と同じ様に「婦人」という言葉も、こうしたキチガイ破壊活動家どもの企てによって公文書から消されてしまった漢字の一つである。

 これは漢字研究者の諸橋轍次が、後漢の時代の「説文解字」を紐解いて「婦人とは箒(ほうき)を持って掃除をする女のこと」と紹介したことに、前出のキチガイどもが飛び付いて「女性差別」だと叫んで「婦人」を抹殺したというのが事の始まり。

 その結果、「婦人警官」が「女性警察官」となり、「看護婦」が「看護師」、「女優」が男女に関係なく「俳優」と呼ばれる様になったのもこうした影響からだ。

 その後、諸橋の説は全くのウソだとバレた。甲骨文字、それに続く金文の研究から「婦人」の「婦」は、「宗廟に酒を捧げ清める高貴な女性の意味」だということが判明する。だが、彼奴らはその間違いを認めることなく使い続けている。

 因みに「看護師」の「師」というのは、師団、軍師、派遣、元帥、追撃などに含まれる「追」の旁(つくり)は、軍隊で肉(食料)を分けることが原義。

 普段声高に「反戦平和」と叫んでいるアホンダラ左翼どもがその漢字の意味も分からず、「看護婦」を「看護師」などと呼び換えて悦に入り、無意識のうちに軍隊に起因する漢字を使用していることはマヌケで滑稽と言う他はない。呵呵。

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2021年05月02日

「憲法改正」をいう右翼は逆賊だってよ(笑)

 作家・山平重樹著「最後の浪人」の主人公でもある阿部勉という右翼人がいた。その阿部さんだが、実は郡山市の某企業の東京支店長。僅かとはいえ給料を貰っていたのだから浪人とは言い難い。右翼浪人と言えばやはり故横山武彦か愚生か(笑)

 以前、その阿部さんの弟子がtwitterで「憲法改正をいう右翼。しかし今上天皇は現憲法を守ると言っている。すると憲法改正は今上天皇に背くことになり逆賊的行為となる。右翼は天皇に叛旗を翻し逆賊となるのか。それとも耳に栓をして適当に憲法改正を叫び続けるのか。現今の右翼が駄目なのはこの辺りにも現れている」

「現今の右翼が駄目」という意見には同ずるが、現憲法99条には「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負う」と明記されており、陛下が国権を重んじ、国法に従うのは当然のこと。別に、天皇が政治家が行う憲法改正に反対している訳でもあるまい。

 まぁ、現今の小粒になったアマチュア右翼やセミプロ右翼がダメなのは単に指導者不足に因るところが大きく、営業保守らの主張を真に受けているからだ。

「憲法改正をいう右翼」というのも何方付かず。憲法9条改正は究極の護憲運動というのが正しく、憲法改正とは現憲法を認めるということであって、第9条改正で現憲法が絶対的な存在となってしまうだろう。そういうことを理解して「憲法改正をいう右翼は駄目(無知)だ」というなら分かるが「逆賊」とはもう嗤うしかない。

 天皇は憲法以前の御存在であらされる。現憲法は、歴史的な国家としての継続された「祭祀」に関する天皇の役割を否定している。宮中祭祀で重要なものは「四方拝」と「新嘗祭」であり、天皇にとって最も大事なものはこうした「祭事」である。だが、現憲法は祭祀を否定し、天皇とは単なる国事行為を行う傀儡と化した。

 天皇の「国事行為」について、現憲法では、首相の任命、憲法改正や法律の公布、外国大使らの接受等を定めているが、天皇の「公的行為」は「私的行事」とされ現憲法に明文化されていない。天皇の祭祀こそ国事行為の最たるものであるべきだ。

 天皇は憲法上の制約から、国事行為として「国会の開会式」「首相や最高裁長官の親任式」「大臣の認証式」「親授式」など年間約60回。国賓・公賓への接遇や会見、会食などの御公務を約170回という激務を熟されている。国體や国柄を鑑みれば、天皇の「祭事」を憲法上最優先で認められる様にすることこそ大事である。

 上皇陛下が御高齢を理由に譲位遊ばされたが、負担軽減というなら国事行為や公的行事を当時の皇太子殿下や秋篠宮親王殿下が輔佐する環境こそ整えるべきであった。現憲法の改正如きでは国事行為の軽減すら不可能であり、やはり我が国の正統な国法である大日本帝国憲法(欽定憲法)の復元改正こそが我が国が採るべき道である。

 前出のツイートの論法に倣えば、現憲法で明記されてる勤労や納税の義務を怠り、憲法という国権を重んじることなく、国法(刑法など)に従わない右翼は言語道断だし、父母(親)に反抗し、兄弟や友人と仲違いし、夫婦相和しどころか離婚した様な右翼は、教育勅語を語る資格も右翼としての価値も無いということだろう(笑)

 別な同じ様な思想家?を気取る輩も、「最近、天皇陛下(現上皇陛下)と皇后陛下(上皇后陛下)が、ともに、安倍政権の改憲路線に逆らうかのように、しきりに「護憲発言」を行っている。これは、天皇とその周辺が、現在の政治状況に強い危機感を抱いているということだろう」と、我田引水的ツイートしていたのを思い出す。

 畏れ多くも、陛下(上皇陛下)の「憲法順守」との言明を改憲反対に利用する点では、靖國神社の所謂「A級分祀論」のそれと似ている。こうしたことでも、憲法改正に反対する護憲派どもの主張が巧妙化しているのが分かるというものだが、憲法改正派もまた第9条ばかりで尊皇無き議論の軽軽しさには目を覆うばかり。

 明日は憲法記念日。記念とは「後々の思い出として残しておくこと」を言うが、何故に米国製の憲法を記念する必要があるのだろう。憲法改正を訴える保守派は本当に現憲法の矛盾を理解し、その上で憲法改正を訴えているのだろうか。

 自民党の憲法改正草案には「天皇を元首と位置付ける」としているのは評価できるが、現憲法と同じく「その地位は主権の存する国民の総意に基づく」とある。つまり、反天皇勢力の共産党が存在している限り「総意」は得られない。抑々、自民党の党是は「憲法改正」ではなく「自主憲法制定(現在は新憲法制定)」である。

 自民党の目指している「憲法第九条改正」は、保守派の票目当てのパフォーマンス過ぎず、自国の防衛だけを案じて第96条改正を図り、その上で第9条の改正を実現するというのなら、それは主権恢復というより単なる米軍の国防費負担軽減の遂行であり、更なる米国への忠誠であり、究極の護憲運動であることを自覚すべきだ。

 主権回復後の欽定憲法復元は叶わず、自由党と民主党が合併し自由民主党が結党され自主憲法制定を掲げるも何ら実行出来ずに徒に時が過ぎた。悠長に憲法改正を発議して国民の過半数の同意を得てる間に尖閣列島は中共に併呑されてしまうぞ。真に国を憂うるなら、やるべきことは改憲ではなく現憲法の無効宣言である。

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2021年05月01日

県内の企業団体や自治体及び地元紙が風評被害を齎す要因となっている

 地元紙では連日、東京電力福島第一原発周辺に貯まり続ける処理水の海洋放出への反対の立場から論評を綴り、反対する企業団体や自治体を取り上げている。こうした感情論に基いた解説や論説をいつまで続けるつもりなのだろう。

 今日も一面には「海洋放出反対で共同声明」というタイトルが躍り、政府の対応に「説明不十分」「県民に十分な説明が無い儘の決定だ」と批判する。だが、「十分な説明」とは具体的にどうしたら十分な説明が成されたとなるのだろう。

 今や農本主義を忘却し営利主義に奔るJAやタカリ体質が身に憑いて離れない漁連や森林組合。そこに共産党系の生協連が入り込んで世論分断を謀る。マスコミが科学的データを以て報道すれば解決するのに偏向報道を垂れ流す悪循環にはうんざり。

「十分な説明が無い」というのは、付けたりに過ぎない反対の為の屁理屈でしかない。端から処理水への理解するつもりも無いだろう。こうした非科学的な感情論からの反対運動や声明が福島県への風評被害を齎してるという自覚も無い。

 政府が、処理水の海洋放出を決定したことを受けて、復興庁はALPS(他核種除去設備)で無害化されたトリチウムをキャラクター化して説明したチラシや動画を作成するも、反原発派らの抗議されて取り止めになったのは記憶に新しい。

 国が国民に分かり易く説明しようとしてるのに、「恐ろしい放射線トリチウムに可愛らしいキャラクターを使うのはケシカラン」とはそれこそ怪しからんことだ。こうしたことでも、反原発派らが海洋放出に賛同することは不可能だろう。

 トリチウムは自然界にも存在する放射線物質でもあり、人体に及ぼす影響はセシウムの700分の1とされている。原発事故に因る放射線セシウムの被害が無い中で、セシウムより低いトリチウムに怯えることは煽られた世論というのが正しい。

 4月28日付の地元紙の2面には、処理水問題に関して「トリチウム総量1930兆ベクレル」とのタイトルが躍っていた。トリチウムの何たるかも理解することの無い多くの新聞購読者は、1930兆との数値の大きさに驚いたに違いない。

 だが、2016年には福島原発周辺に貯められた処理水に含むトリチウム総量は760テラベクレルと報告されている。テラベクレルとは1ベクレルの1兆倍。とすると1930兆ベクレルという数値は揮発などもありかなり低くなっていると推測出来る。

 因みに、1979年のスリーマイル島原発事故では93000テラベクレル、1986年のチェルノブイリ原発事故では520万テラベクレルが放出されている。フランスのラ・アーグ再処理施設からは、桁違いの1京1600兆テラベクレルが排出されてる。

 カナダのブルース原発からは年間1280兆ベクレル排出。かなりの数値だが、これらの数値は国際基準値の範囲内で飲料水に使ったところで問題も無い。過日、細野豪志元環境相が放った「水道水のトリチウムは毎日飲んでる」との発言は正しい。

 そんなにトリチウム処理水が恐ろしいというなら、反原発派が「御用学者」と断じて止まない高田純先生に倣い処理水を飲んで自ら発癌性物質というのを証明してみりゃ好いだろう。飲んでも何ら影響はないから一笑に付されるだろうが(笑)

 韓国でも月城原子力発電所で4基のCANDU炉から、1999年以降の累積では6000テラベクレルを超える処理水が放出されている。760テラベクレルあった頃はでも韓国は8倍もの処理水を日本海へ放出してたが、今や3000倍以上となる。

 そうした状況を知ってか知らずか、韓国政府は「トリチウムは危険であり環境被害を及ぼす」「絶対に容認できない措置」と反発し「強い遺憾」を表明し、反日無罪の国柄から国民が反日デモを繰り返し、処理水の海洋放出の抗議する。

 今回、共同声明を出した連中も韓国政府と同じレベル。更に、読者への諂いと破壊活動の御先棒を担いでいるのか、反原発の風潮に与するマスコミの「トリチウムを含んだ処理水」という言葉が要らぬ風評を生んでいるのは確かだろう。

 大阪府知事と大阪市長は、処理水の問題に対し、「政治や科学が風評に負けることがあってはならない」と、処理水の大阪湾への放出を受け容れると発表したが、コロナ禍にあっても福島県民を救済しようという気持ちは変わっていない。

 内堀福島県知事にも大阪府知事や大阪市長の様な智慧と決断力を持って欲しいものだ。感情的議論が続くことは県民にとっても好ましいことではない。科学的根拠に基いて粛々と海洋放出を図ることこそ福島への風評を取っ払う最良の方法である。

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2021年04月29日

「昭和(ヒロヒト)天皇が戦争犯罪の最高責任者」と宣う国賊・志位和夫

 本日4月29日は、昭和天皇の御遺徳を偲ぶ「昭和の日」である。昨日の「主権回復記念日」に続き慶賀が続く。昭和恐慌と大東亜戦争を経て戦後復興を遂げた昭和時代を顧み、我が国の将来に思いを馳せる日である。

「昭和」という元号は「書経尭典」の「九族既睦平章百姓百姓昭明協和萬邦」に由来する。「九族(きゅうぞく)既(すで)に睦(むつ)まじくし て、百姓(ひゃくせい)を平章(へいせい)す。 百姓昭明(しょうめい)にして、 萬邦(ばんぽう)を協和す」と、国民の平和と世界の共存繁栄を願う意味が込められている。

 因みに「平成」は、史記「五帝本紀」の「内平外成(内平かに外成る)」や「書経」の「地平天成(地平かに天成る)」に由来し、「内外、天地とも平和が達成される」という意味は「昭和」の平和を願う想いに通じている。

 大東亜戦争後、昭和天皇が全国を行幸遊ばされ、敗戦で疲弊していた国民にとって大きな励みになったのは誰もが知るところであろう。常に「国民と共に在りたい」との昭和天皇の大御心は、上皇陛下や今上陛下の御姿とも重なり、皇国臣民として感謝せずにはいられない。だが、日本人らしからぬ輩が存在してるのも確か。

 日本共産党の志位が「戦争責任は前天皇にあり、現天皇には(現憲法上)謝罪権限がないので安倍総理が謝罪すべき」と宣ったのは記憶に新しい。

 韓国の文喜相議長の「戦争犯罪の主犯である天皇(日王)の謝罪」との妄言に追随するもので、志位もまた「昭和(ヒロヒト)天皇が戦争犯罪の最高責任者」との認識を示したことは正に国賊の戯言と嗤う他はない。

「天皇の戦争責任・退位論」は、昭和に始まった「天皇制廃止運動」の一環であり、これは1932年にソ連共産党から日本共産党へ指令された「コミュンテルンテーゼ(命令書)」の忠実な実行であり、それが息を吹き返したとも言える。

 保守陣営や右翼陣営の中にも歴史認識不足から「戦争責任論」を真に受けている輩がいるが、我が国は負けたから戦争犯罪や戦犯の汚名を着せられているだけで、先の大戦の大義は開戦の詔勅に記されてある通りである。

 欽定明治憲法下では国務は国務大臣、統帥は参謀総長及び軍令部長が陛下を輔弼しその責に任ずることになっており陛下には法的に責任は無い。

 しかし乍ら、道義的に最も責任を痛感されたのは昭和天皇であり、大東亜戦争終結に関する詔勅に於いて「五内為ニ裂ク」と仰せられた通り自ら身を苛まれたのだ。それを何が「戦争犯罪の主犯」だ。日本人なら恥を知れと言いたい。

 自らの国の歴史を知らない故に未だにこういう戦後民主主義教育侵された戯言が罷り通る。戦争犯罪や戦犯という呼称こそ日本人の幼稚さを示す一例であろう。

 敗戦は反省すべきところだが、戦争犯罪人は、昭和天皇でもなければ大日本帝国憲法や統帥権でもなく、況して軍部でもなければ当時の軍国主義でもない。

 真の戦争犯罪人は近衛文麿と尾崎秀美らそのブレーン達、即ち日本国内で蠢いていた共産主義者らであり、マルクス・レーニン主義思想が昭和の悲劇を生んだということは今や歴史的事実。共産主義者である志位も一蓮托生である。

 大東亜戦争とは、ソ連共産党と中国共産党、そして日本国内の共産主義者が仕組んだ共産革命の実現の為の争いであり、そのマルクス・レーニン主義者の策謀に当時の日本全体がまんまと嵌ってしまった愚かな戦争とも言えるのだ。

 未だに昭和天皇の戦争責任を問う声があるのも天皇廃止運動が継続されているという証左である。陛下の退位特例法案然り、女性宮家問題や女性天皇など共産主義者が謀る天皇廃止運動は、国民が気付かない儘に巧妙に実行されている。

 日本共産党始め、国内に巣食う共産主義者らを一掃しよう!

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2021年04月24日

米中が温室効果ガスの削減目標を掲げているが

 バイデン米大統領は、気候変動サミットで新しい温室効果ガスの削減目標を表明し、各国に積極的な対応を求め、我が国は同意し、何を勘違いしたかガソリン車の撤廃を掲げる始末。抑々、温暖化は温室効果ガスだけが原因ではないだろう。

 これに対し、米中は主導権を巡ってせめぎ合った。安全保障などで対立する中国共産党の習近平は表面的には協力姿勢を示しつつ、「緑の『一帯一路』の構築に向けた共同の取り組みを進める」と中共が中心の新たな世界の枠組み創りを示唆した。

 地球温暖化問題でも合意している米中はパリ協定を批准し、温室ガス排出に前向きに取り組む姿勢を見せてるが、中共が本格的にCO2の削減に取り組むのは2030年から。30年までの中期目標を掲げてはいるものの、60年までの長期目標は不明確。

 現在、世界で排出される温室効果ガス温室効果ガスは20.1%は中共。米国は17.9%で世界の排出量の38%を占める。中共では車の排気ガスやPM2.5の影響で年間200万人が亡くなっているというし、30年までの9年間は問題外らしい(笑)

 今後規制が実行される間にもCO2とPM2.5の排出量は増え続け、数千万人が犠牲となるという問題点を看過した「パリ協定」というのもマヌケ過ぎる。

 温室ガスを垂れ流す米中が温暖化防止に取り組めば環境も大きく変わるだろうというのは短絡過ぎ。2030年まで中共は自国の発展、利益追求の為にCO2は出したい放題ということを米国や諸外国が容認しているというのも笑える。

 見方を変えれば2030年までにCO2やPM2.5で数千万人が死ぬことに合意し容認したという見方も出来る訳で、自国民を犠牲にして利潤追求に狂奔し、世界に悪害を撒き散らすことを容認したこんなふざけた合意が何処にあろうか。

 中共は共産党一党独裁で共産主義を崇めているが、利潤追求の方法が共産主義の労働価値観に矛盾しているし、米中が合意し批准したのだから「過去の地球の温暖化なんぞ関係ない」という理屈は些か乱暴で怪しからん話しではないか。

 地球上の二酸化炭素排出の殆どは海からで、人類が出すCO2は僅か3%に過ぎない。温暖化は人間が進化の上で及ぼしたというより自然の摂理であり、地球という星の寿命とも考えられる。温暖化という天譴を防ぐのは人間の智慧と覚悟次第。  

 米国のスリーマイル島、チェルノブイリ、東海村の放射線事故が起き、原発の廃止や削減が相次いだが、2006年に米国はそれまでの反原発政策を転換して、国際原子力パートナーシップ(GNEP)を策定して、原発推進を決定した。

 GNEPは、第一次安倍内閣の時にオバマ大統領に提案したものの、オバマが余り積極的ではなかったが、その原発推進という方向性自体は間違ってはいない。

 中共は電気自動車に力を注ぐと同時に、2030年迄に原発を300基に増設する計画を立てている。「原発技術で世界を制することが世界を制することだ」と訴えた鄧小平の確信を継承しているのだが、我が国はマヌケなことにその逆を目指している。

 反原発派は東京電力福島第一原発事故を利用して原発の安全性に疑問を呈し、彼奴の非科学的感情論に煽られた国民の異常とも言える放射線への拒否反応で原発再稼働が停滞し、新規原発の増設は実質的に不可能となってしまった。

 原発行政見直しの大きな理由はCO2削減と地球温暖化対策であるのは言うまでもない。原発の安全性の向上は当然だが、原発は発電コストを考えても安価で済むし、使用済み燃料再利用技術を向上させることで更にコストは軽減される。

 東日本大震災が起きたことで我が国は「脱原発」の流れになっているが、地球規模で考えても、エネルギー資源に乏しい我が国の将来を考えた場合、やはり日本製の安全性を高めた原発を推進し、輸出して行くことこそ国益に適う。

 中共は南シナ海に建設した人工島に原発を設置する計画をしているのは周知の通り。だが、万が一にも御粗末なこの中国製の原発が人工島に設置され、それが事故でも起こすことになれば温室効果ガスどころの騒ぎではないだろう。

 温室効果ガス削減という怪しい世論に迎合したパフォーマンスは実に胡散臭げで、二大元凶ともいえる米中の合意は実に怪しげでもある。過去を振り返ってみてもアジア動乱の原因は、米国と共産主義だったことは歴史が証明するところだ。

 20世紀は正に「自由と平等」の名の下にプロレタリア独裁を標榜する共産主義が猛威を振るった。第二次世界大戦の混乱後、キリスト教徒の望んだ中国共産党が世界の脅威となっていることをしても理解出来るというものだろう。

 こうした過去を見るまでもなく、米中の二大元凶による政策合意はアジアに更なる不幸を齎すものであると断言して好かろう。況してや武漢ウイルスを撒き散らした中共が、世界の主導権を握ろうとは言語道断。米中共に警戒を疎かにしてならない。

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2021年04月23日

つれづれなるまゝにその日ぐらし 「素直な心は母心」

 どうも未だ人間が出来ていない。30年間右翼活動家としてそれなりに戦って来たからだろうか、還暦過ぎても相手に対する物言いが刺々しくてダメだ。自分でも分かってはいるのだが、どうも相手に優しく諭す様には言えない(笑)

「人に意見してその人の欠点を直す」ということは大切なことであり、それは慈悲の心とも言える。「意見の仕方には骨を折る必要がある」と「葉隠」では訓えている。

 大方の人は、人に好まれない言い難い事を言ってやるのが親切の様に思い、それが受け入れられなければ、自分の力が足りなかったと自責の念に駆られる。

 だが、こうしたやり方は何ら役に立たないという。「意見とは間違えば悪戯に人に恥をかかせ、悪口を言うだけの事と同じ結果になってしまう」と教えている。

「意見」というものは先ず、その相手がその意見を受け入れられるかどうかを見極めることが必要だという。その為には先ずは相手と親しくなり、何時でも此方を信用する様な状態で仕向けるところから始めなければならないという。

 意見するにも言い方なども工夫し、時節を考え、自分の失敗談等を話しながら、余計なことを言わなくても思い当たる様に仕向けるのが最良だというのだ。

 先ずは、相手の良い処を褒めて気分を引き立てる様に心を砕き、そうした上で欠点を直していくというのが本当の「意見」というものだという。

 歌舞伎の十四代目 守田勘弥の芸談に意見の仕方に関するこういう逸話がある。ある時、勘弥が「弥次喜多(やじきた)」の出番で、楽屋の揚幕の方へ行きかけたら、弟子の一人が、「師匠、草鞋の紐が緩んでいます」と注意したという。

 すると彼は、「ありがとう」と礼を言って、紐をしっかり結び直した。さて、揚幕の前に来ると、また紐を解いて、注意される前の様に緩く結び直したという。

 緩く結んだのは長旅の様子を出そうとする芸の細かさ。一流の役者というのはこうした仕草一つでも流石に違うと感心する。だが、それだけなら未だ普通の出来事。

 こうした弟子との遣り取りを見ていた人が、「どうしてあの楽屋を出た時に、貴方の弟子に『おまえらも未だ芝居を知らないな。これは長旅の様子を出す為にしているのだよ』と教えてやったら好いじゃありませんか」と言ったそうだ。

 そうした意見に勧弥は、「人の親切は、素直に受けとくもんだ。もし、わしがあの時、若い者を叱ったらどうなる。あの時はそうであっても、そうでない時だってある。背中に綻びのある羽織を着て舞台に出ようとした時、(あ、これも師匠の演出かも知れない。余計なことを言ってまた叱られる)と黙っていれば、わしは綻びのまま舞台に出てしまうことになる。芸事を教えることは幾らでも機会がある。この場合は、人の親切は受け取ってあげることが大事だからね」と答えたという。

 ん~、実に良い話ではないか。この世の中がどんなに捻くれていようと、相手の好かれと思った意見を受け容れる素直な心は人間として生きる上での根本だろう。

 悲しい映画やドラマを見て泣き、涙を流す。寄席で落語を聞きながらその話しっぷりに笑う。喜怒哀楽というこうした感情も一つの素直な心と言えるのだろう。

 他人の目を気にするばかりに身構えて自分を曝け出さず、隠し通すことが当たり前の今の世の中だが、それは見方を変えれば素直な心が失われている結果でもある。

 自然をもっと大切にし、初心に帰って生きる。悲しい時には泣き、嬉しければ笑い、怒るべき時には本気で怒る。但し、怒る時は深い慈愛を込めて行うべし。

 今どき、この怒るべき時に怒る、叱ってくれる大人が少なくなったのは、子供や若者にとっては不幸とも言えるのだ。そういや、実家でのオヤジの13回忌に、酔いに任せて意見という憤懣を実兄にぶつけてやったのを思い出す(笑)

 酔ってても言ったことに間違いはない。実兄への長幼の序が乏しいだけか。実兄も実兄で、兄としての意地があるのか愚生の意見を全否定してたのはいつものこと。まぁ、単なる兄弟喧嘩だが、母親が闘病中で同席してなかったのが幸いだった。

 実兄の長男は大学を出て上場企業に就職した。その甥が突然「整体師になる」と会社を辞めたという。別に一身上の都合で辞めるのは好い。だが、親なら「今の会社で働いて貯めたカネで夢を追え!」と叱るべきだった思っている。

 社会人になってから親に無心したり、そうした軽挙妄動を諌めることなく同意する親も親だと思ったからだ。福島県相馬市の大聖寺の住職、暁仙が昭和3年に書き残したとされる「親父の小言」の中に、「子のいうこと八九きくな」と在る。

 そんな甥だが、整体師の世界で一流を目指すなら国士舘大学の後輩で有名トレーナーがいるので、そこで修業させてやろうかと思っていたのだが、そんな親切心は無駄だった。修業どころか学校を卒業したと思ったら自分の店を持った(笑)

 マッサージ業界も今や乱立し、熾烈なダンピングが行われていて生き残るには大変だろう。「満つれば虧(か)く」というが、盛りに達すれば必ず衰え始めるのは常だ。物事には必ず盛衰があり、整体師の業界も淘汰されるのは必至だろう。

 甥っ子を見ても学生時代に世話になった人へ挨拶も何も無し。義理に欠けるのは男として決定的にダメだと思う。本当に大人としてやって行けるのか心配にもなるが、「意見」されるのが嫌なのだろうか、当然、愚生のとこには寄り付かない(笑)

 そういや「親父の小言」には「大酒は呑むな」ってのがあったのをすっかり忘れてたな。酒の呑み過ぎは日常茶飯事。酒での失敗は数知れず。酒で覚えることは多いというが、未だ失敗だらけ。つ~か、それってダメじゃん。呵呵。

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2021年04月21日

日米首脳会談の共同声明で「台湾」を明記した意義

 我が国は日中国交恢復以来、台湾(中華民国)を国家として認めていないが、日米首脳会談の共同声明で「台湾」を明記したことは評価に値する。米国も第二次大戦後の国共戦で勝利した中華人民共和国を戦勝国として常任理事国入りを承認。

 昭和47(1972)年9月29日、我が国は「日中共同声明」に調印。代表である田中角栄は中国共産党を唯一の政府であると認め、主権回復した昭和28(1953)年4月28日に締結した国際法規である「日華国交条約」を一方的に破棄した。

 これを受け、中華民国は直ちに我が国との国交を断絶。我が国が台湾を国家として認めていないのは我が国の国際条約の蹂躙が原因であり、主権国家として実に恥ずべきことで、道義国家として断じて赦されるものではない。

「日華国交条約」を破棄は、大東亜戦争終戦間際に「日ソ中立条約」を一方的に蹂躙したロシアの蛮行と同じであり、道義国家日本が失墜した象徴でもある。

「日華国交条約」の破棄は明らかな日本国憲法98条違反なのだが、首相に由る公然の憲法蹂躙に対して護憲派からもマスコミからも糾弾されたことは一度もない。

 田中は更に「先の大戦で中国国民に重大な損害を与えたことに、責任を痛感し、深く反省する」と詭弁を弄した。だが、我が国が先の大戦で戦ったのは「中華民国」であり、戦後4年も経って建国した「中華人民共和国」ではない。

 田中が幾ら詭弁を弄そうとも、先の大戦での賠償は「日華国交条約」締結を以て終わっているのだ。田中のこうした誤ちと歴史認識が容共派を生み、現在でも悪しき前例となり受け継がれ、中共への様々な優遇措置が講じられている。

「河野談話」や「村山談話」を糾弾する声はあるが、抑々、我が国の土下座外交と自虐的歴史認識は田中角栄の「日中共同宣言」が元凶と言っても過言ではない。

 多くの国民は親中派と同じく、日本と支那との関係を「一衣帯水」だとか、「古くからの隣人」などと心得違いをしているが、日中間に国交関係が樹立されたのは20世紀に入ってからで、未だ100年程しか経っていない関係である。

 況してや、共産党一党独裁の中華人民共和国との国交は50年も経っておらず、我が国と戦争もしていない中共が戦勝国として国連の常任理事国に就いていることが摩訶不思議なこと。本来、戦勝国は中華民国であり、つまり台湾であるのだ。

 親中派は日中友好を進める理由として「日中は同文同種、一衣帯水の関係」との認識を示す。だが、この認識は全くの誤りであり無知以外の何ものでもないが、こうした認識こそが中国共産党の策謀に嵌っている証左の一つでもある。

 607年、聖徳太子は小野妹子を隋に派遣し、隋との対等外交に踏み切った。後に、蘇我氏を滅ぼした中大兄皇子らが645年に「大化の改新」を実現する。

 天智2(663)年、唐・新羅連合軍に攻撃された百済は日本に救援を求めると、我が国はこれに応じ出兵。世にいう「白村江の戦い」である。日本軍はこの海戦で大敗を喫し、この敗戦を機に我が国は中華圏との正式な外交を絶つこととなった。

 白村江の海戦で大敗を喫し、生き残った者は捕虜となった。その中の一人、大伴部博麻は「唐が日本を攻める」という情報を得るも日本に知らせる術もなく、自らを奴隷に売って金を作り仲間を帰国させこの唐に因る侵略の危機を知らせた。

 これが持統4(689)年の事であり、その後、博麻が帰国したのは白村江の戦いから何と30年後のことだった。帰国後、持統天皇が博麻の功を顕彰する。

【朕 その朝を尊び国を愛ひて 己を売りて忠を顕すことを嘉ぶ】(日本書紀)

 これが「愛国」という言葉の由来であり、軽々しく日の丸を掲げて「反韓」だとか「反中」だとか、勇ましい行動を採ることが愛国というものではない。

 我が国が国書を携えて派遣したのは「倭国」としてであり、「日本」と名乗ってからは一度足りとも正式な国書を携えた外交はなく、親中派の「一衣帯水」「同文同種」という認識は実に軽々しいものと言わざるを得ない。

 明治4(1871)年に「日清修好条規」を結んだ相手は満州人の清朝であり、支那を支配していたが漢民族の国ではなかった為に、支那との正式な外交は、明治45(1915)年の「中華民国」誕生まで待たなければならなかったのだ。

 中華民国である台湾は中国の一部ではない。台湾は独立国である。国共戦争で敗れた国民党が台湾へ入植した訳だが、歴史を辿れば台湾は日清戦争の戦利品として我が国が割譲された領土である。そうしたことからも日台関係こそ一衣帯水であろう。

 日本の統治時代について日韓併合を論う韓国とは大違いで、台湾の歴史教育は実に公正に教えており、「台湾の近代化にかなり役に立った」という論調で書かれている。インフラのみならず、教育までも日本と全く同じレベルに徹底されている。

 台湾には「日本精神(リップンチェンシン)」という言葉がある。「勤勉である」「約束は破らない」「人を裏切らない」、こういう人を「あいつは、日本精神があるヤツだ」というらしいが、日本人として恥ずかしいやら申し訳ないやら。

 台湾には「信義誠実の原則」という、我々日本人が忘れてしまった日本的価値観の美徳が連綿と生きている。親日国である台湾との友好を深めることは我が国の国益にも適う。日華国交条約の蹂躙を詫び、日台国交の恢復を成し遂げよう。

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2021年04月20日

若者が行動しないのは政治がまともに機能しているということなのか(笑)

 拙ブログのタイトルの下に「我が民族の将来と国家の前途を思うは人間の最も真剣なる感情であり、君国に忠、親に孝なるは最も現実なる道徳である。之を離れては人類愛も世界的正義も空想に過ぎない」との、哲学者西晋一郎の言葉を載せている。

 ネットでは政治を憂いて結論の出ない争いをしている一方で、若者の政治離れが顕著になっている。過日行われた地元の市長選での投票率が低いのも若者が行動しない結果でもある。家族を愛し、故郷を愛し、祖国を愛することこそ政治の根本である。

 若者が選挙権を棄権することは権利の放棄であり、その結果の悪政が自分自身に降り懸かろうとも文句を言える立場ではない。だが、本来、政治というものがきちんと機能していれば、若者を始めとした大衆が政治に係わることなどないものだ。

「胃痛の時に初めて胃の存在が意識されると同様に、政治なんてものは、立派に動いていれば、存在を意識される筈のものではなく、況して食卓の話題なんかになるべきものではない。政治家がちゃんと政治をしていれば、鍛冶屋はちゃんと鍛冶屋の仕事に専念していられるのである」との三島由紀夫の言葉は実に正鵠を射てる。

 そういう意味では、若者が行動しないのは、政治がまともに機能しているということなのだろう。一方で、ネットでは自分が然も政治家になったつもりで時局に一喜一憂し、あ~だこ~だと嘆いてることは真逆の現象でもある(笑)

 我が民族の将来と国家の前途を思い、政治を糺すのは大いに結構な心掛けだが、政治や選挙の仕組み、マスコミの報道姿勢が旧態依然なのだから変わり様がない。

 抑々、公職選挙法自体が昭和時代の遺物という代物であり、インターネットでの選挙活動が解禁された情報化社会の現代に於いて、「何の誰兵衛でございます」と選挙カーのマイクで訴える選挙運動が政策実行の効果的な方法だとは思えない。

 その昔は、選挙に出馬となると選挙カー代やらポスター代、文書交通費、光熱費やその他諸諸のカネが必要だったが、今やそうした選挙の経費は殆どが自治体が支払う。今や、国民が納めた血税が選挙の度に垂れ流されているのが実情である。

 そろそろ、地区対抗戦的な選挙カーでの選挙合戦を止めて、候補者が各地区を一緒に回り、公民館や体育館、集会所などで立会演説会をすれば好いではないか。何故、そんなことが出来ないのか。原因は公職選挙法で禁止されているからだ。

 公職選挙法では、選挙カーでの移動中は名前の連呼しか叫べないと決められている。立会演説会には立候補届け出の時に頂く粗末な許可証と幟を立てなければならないと決められている。それを一般人ではなく動員された連中が聞き入るだけ。

 日本共産党は、選挙期間中に選挙カーで政権批判や消費税廃止などを訴えているがこうしたことは本来ならば公職選挙法違反に問われる事案だが、規制されたことはない。要は、公職選挙法は最早、有名無実化してしまっているのだ。

 明治22年「衆議院選挙法」が制定され、翌年、日本で初めて国会議員の選挙が行われた。選挙権は直接国税15円以上で満25歳以上の男性に与えられた。

 大正15年には納税額は関係なく25歳以上の男性に与えられることとなる。敗戦後、占領下だった昭和25年に「公職選挙法」が制定され、20歳以上の女性にも選挙権が与えられることとなった。平成27年には、満18歳以上の男女が選挙権を持つ。

 男女平等から戦後の公職選挙法は誕生したが、女性への選挙権付与で世の中が大きく変わって行く。男女同権は兎も角、納税額は必要なのではあるまいか。

 況してや高校生に選挙権は要らない、18歳以上の働いてる男女に与えるべきだ。愚生の場合、酒税は一般人より支払ってるが、所得税や市県民税は支払ってはいない。そんな無職の右翼風情に選挙権を与える必要も無いだろう(笑)

 今回の公職選挙法違反事件を教訓に選挙方法の在り方を論じ、血税が垂れ流され続ける古臭い今の選挙運動そのものを廃止するべきだ。選挙方法が変われば、政治も政策論争中心となり、有権者の選択肢も増えるというもの。

 つ~か、余談だが、選挙カーに乗る「ウグイス嬢」は「車上運動員」と言わなきゃならないらしい。「看護婦」を「看護師」、「婦人警官」は「女性警察官」、「子供」は「子ども」と、男女共同参画社会ってのは単なる言葉遊びでしかない。

 今や、男女共同参画社会は国中に悪害を齎し共産党用語が氾濫し、「外国人地方参政権付与」「住民基本法案」「夫婦別姓法案」「戸籍制度廃止法案」「人権救済法案」「女性天皇論」「女性宮家」などなど、カタチを変えた共産主義が次々と企画され行政権に入り込み、また連結され様としている。

 男女共同参画社会とは、国民の共同参画というより「共参社会」というのが正しく、カタチを変えた「共産社会」の実現が着々と実行されているのだが、こうした愚策に対して異を唱えるには公職選挙法の是正と改正が必要不可欠となる。

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2021年04月17日

「トリチウムを含んだ処理水」という言葉自体が要らぬ風評を生んでいる

 復興庁が、東京電力福島第一原発の処理水に含まれるトリチウムをキャラクター化して説明したチラシや動画に反原発派らが抗議し取り止めになった。

 ALPS(他核種除去設備)で無害化された処理水を「汚染水」とする反原発派どもらにとって、トリチウムはあくまでも危険な存在でなければならない。「こんな可愛らしいキャラクターはケシカラン」ということなのだろう(苦笑)

「放射線トリチウム」や「トリチウムを含んだ処理水」などと騒いでるが、トリチウムは自然界にも存在する恐れる必要も無い放射線物質でもある。

 細野豪志元環境相が「水道水のトリチウムは毎日飲んでる」と発言すると、反原発派から「失礼なことを言うな。水道局に謝れ」となったという。だが、水道局員は「トリチウム入ってない水ってどこで買えるの?」と相成った(笑)

 麻生太郎財務大臣が「処理水は飲んでも大丈夫らしい」と発言すると、反原発派は「麻生に飲ませろ!」と大騒ぎ。麻生に飲ませてどうするの?

 そんなにトリチウム処理水が恐ろしいというなら、反原発派が「御用学者」と断じて止まない高田純先生に倣い処理水を飲んで自ら発癌性物質というのを証明してみりゃ好いだろう。飲んでも何ら影響はないから一笑に付されるだろうが(笑)

 チェルノブイリや福島原発事故を受けて、高田純先生は自ら汚染水を飲んで放射線セシウムの半減期は100日という科学的根拠を示した。セシウムでの被害者はいないのにセシウムの700分の1程度の放射線トリチウムに怯える不思議。

 原発事故に因る放射線セシウムが人体に影響も及ぼしてない中で、トリチウムを含んだ処理水の処分に反対するのは単なる感情論でしかない。

 処理水の海洋放出を大騒ぐことで風評被害を招く結果となっている。要は、海洋放出反対運動とは原発事故を利用した国家破壊活動と言うのが正しい。

 福島第一原発周辺の処理水タンクがこのまま放置され、更に増設されれば環境破壊にも繋がり、それこそ福島への風評被害が止むことはないだろう。海洋放出反対派のやってることは福島に寄り添うフリをした党勢拡大と革命謀略である。

 原子力規制委員会では「地層注入」「水蒸気放出」「水素放出」「地下埋設」などの処分方法のうち、海洋放出が唯一の方法としている。政府小委員会は原子力規制委員会の提言に沿って海洋放出を現実的な選択肢としている。

 前述した通り、貯水タンクは満水状態で処理水の海洋放出が遅れればタンクを増設するしかない。だが、タンク増設より必要なのは、トリチウムの科学的なデータであり、海洋放出に由って及ぼす環境への影響の周知である。

 意見聴収会では「不安や不信を払拭して欲しい」「国と東電が責任を持って万全の風評対策に取り組んで欲しい」などの意見が出たが全てが他人事。その意見の多くは反原発派に与するものばかり。海洋放出に賛成してる愚生は稀らしい(笑)

 抑々、除染にしろ貯水タンクの増設にしろ民主党政権下での非科学的な愚策が原因。感情的目先の対策を優先し、住民の安心安全を目的に始まった除染は「福島は除染をしないと住めない土地」と、却って風評被害を招く結果となった。

 科学的データで対処してれば除染もする必要も無かったし、処理水も海洋放出してれば済んだこと。放射線への異常な恐怖心と無知が問題を複雑化した。福島への風評と差別は、国の対処も然ることながら福島県民が招いたことでもある。

 海洋放出を決断せず更なるタンク増設で解決しようとする方法は、次の世代へこの問題を丸投げするということだ。原発の出現に拠って豊かで便利な生活を享受した我々世代が、責任を持って解決に当たらなければならない。

 福島原発は関東へ電力を供給する為のものであり、日本の高度成長期にそれらに協力した福島県が風評被害や差別という仕打ちを受けるとはよもや思わなかったが、いつまでも被害者意識丸出しでは復興どころか前には進めない。

「流言」や「デマ」が、混乱に拍車を掛け「風評」という余計な混乱を生む。「トリチウムを含んだ処理水」という言葉自体が要らぬ風評を生んでいるとしか思えない。「流言は知者に止まる」というが福島県民に知者はいないのか。

「流言飛語」とは本来は「流言蜚語」と書く。「世の中で言い触らされる確証のない噂話。根拠のない煽動的な宣伝。デマ」という意味だが、「蜚」とは悪臭を放つ小さな虫の意味で忌み嫌われる語彙だ。因みにゴキブリは「蜚蠊」と書く。

 何の問題もない処理水の海洋放出を、恰も危険であるかの様な流言を撒き散らしたのは反原発派という蜚蠊どもだ。そうした愚論に与してどうするのだ。

 福島県議会の太田光秋議長は非科学的な感情論に与し「県民や国民の理解が十分に得られていない」と語り、国が決定した「海洋放出」に疑問を呈したことがあるが、県内には正論と雖も受け入れられない風潮が横溢しているのも確か。

 太田議長は丁寧な説明を求めるが、県民の代表である県会議員のトップの立場なら、そうした他力本願的な解決手段を求めるべきではなく、処理水問題が全国的な問題であるなら、政治や科学が風評に負けない努力をすべきだ。

 処理水の海洋放出は世界の常識であり福島原発が特別ではない。真剣に福島への風評を阻止したいなら「住民への理解」とかの感情論を止め、政府に依存するだけではなく、正しい科学的データを自ら内外に広めることが肝要である。

 朝日や毎日新聞を始め、反原発派らが「汚染水」という言葉を使うのを止めて、科学的根拠に基づく論評をすれば福島への風評被害が出ることはない。福島を利用して、逆に風評被害を拡散してる反原発派や反日マスコミは恥を知りなさい!

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2021年04月14日

韓国は福島原発処理水の8倍以上のトリチウムを日本海に放出している

 韓国政府は、東京電力福島第一原発周辺で殖え続けてる処理水タンクからの海洋放出に対して「トリチウムは危険であり環境被害を及ぼす」「絶対に容認できない措置」と反発し「強い遺憾」を表明した。反原発派や漁業関係者も同じく。

 韓国の国務調整室担当者は「(日本の決定が)周辺国家の安全と海洋環境に危険を齎すだけでなく、日本の最隣国である我が国との十分な協議や了解なしに行われた一方的な措置だ」と批判してるらしいが、いつもの駄々を捏ねるアレだ(苦笑) 

 トリチウム水(HTO)を含んだ処理水の海洋放出は、福島県漁連を始め、地元住民の反対を理由に中断されているが、政府は、処理水の科学的データを示して人体には全く影響のないことを周知徹底するとして2年後に実施する予定だという。

 原子力規制委員会では「地層注入」「水蒸気放出」「水素放出」「地下埋設」などの処分方法の中で「海洋放出が唯一の方法」としていたが、規制委員会の意見は無視され2020年東京オリンピックが控えていたこともあり先延ばしされていた。

 反対派も科学的データを承知しているのだろう、「科学的に安全というだけで処分方法は決められない」と意味不明の反論をしているが、汚染水問題を引き延ばせば引き延ばすだけ困難を強いられるし、風評問題が解決されることもない。

 福島第一原発周辺の処理水のタンクは約680基に及びその水量は92万トンに上る。2020年には137万トンになる。このまま放置し、またタンクが増設されればそれこそ環境破壊に繋がり、福島への風評被害は止むことはないだろう。

 処理水は、外国の再処理施設から放出される処理水に比べてもトリチウム含有量は100分の1程度で人体に影響を及ぼす数値ではない。菅政権は科学的データを国民に示し、粛々と海洋放出の実行を図ることこそ風評被害を食い止める最良である。

 福島第一原発事故の処理を巡ってIAEAに「海洋環境保護」を理由に処理水の海洋放出に難癖を吐けてた韓国だが、韓国は月城原子力発電所で4基のCANDU炉を運転している。重水炉は軽水炉に比べてトリチウム放出量が大きいという。

 月城原発が4基体制に入った1999年以降の累積では6000テラベクレルを超える。福島第一原発に貯留されているトリチウム総量は760テラベクレル(2016年3月時)。つまり韓国の累積トリチウム放出量は福島原発の約8倍に相当する。

 月城原発で福島原発の8倍のトリチウムを含んだ汚染水を日本海に放出している。そうした意見に「同じ処理水でも事故後のものと稼働中のものでは違う」という反論も聞こえて来るが、そういうのは意見ではなく単なるイチャモン難癖(笑)

 1テラベクレルとは1ベクレルの1兆倍。「兆」という単位は余りにも大きく危険な数値に感じるが、数値の大きさほど人体に及ぼす影響は少ないという。

 1979年のスリーマイル島原発事故では93000テラベクレル、1986年のチェルノブイリ原発事故では520万テラベクレルが放出されたと推定されている。

 フランスのラ・アーグ再処理施設からは年間1京1600兆テラベクレルが排出されている。「京」とは「兆」の更に上の桁。カナダのブルース原発からは年間1280兆Bq/L排出。かなりの数値だがこれらの数値は国際基準値の範囲内なのだ。

 トリチウムは放射線のエネルギーは弱く、人体の影響はセシウムの700分の1程度に過ぎない。原発事故に因る放射線セシウムが人体に影響も及ぼしてない中で、トリチウムを含んだ汚染水の処分に反対するのは単なる感情論でしかない。

 原発事故後、溜まってた雨水40兆Bq/L(ベクレル)が海に流出し「汚染水にストロンチウムやトリチウムが確認された」と大騒ぎになったのは記憶に新しい。その後、作為的に「ストロンチウム」「トリチウム」の言葉が独り歩きする。

 東電では、地下水バイパスやサブドレンの放出濃度運用目標を1500Bq/Lと定めている。これをトリチウム水の質量濃度に換算してみると、約2.8×10のマイナス14乗、つまり百兆分の2.8Bq/Lという極めて低い濃度となるという。

 ppm(百万分率を表す単位で100万分のいくらであるかという割合を示す数値)、ppb(10億分のいくらであるかという割合を示す数値)、ppt(1兆分のいくらであるかという割合を示す数値)にも至らない低レベルである。

 現在、海へ放出されているサブドレン/地下水ドレンのトリチウムは1000Bq/L以下、地下水バイパスでは100~150Bq/L程度、放出先である海水についても1F港湾内外のトリチウムは検出限界(約2.0Bq/L)以下とのデータが出ている。

 堰内に溜まった雨水(堰内の汚染も含む)も測定後に散水されているが、これも検出限界(約100Bq/L)以下。 これらを質量の濃度に換算すると千兆分の1~十京分の1のオーダーとなる。つまり海洋環境に何ら影響は及ぼさない。

 自分のことは差し置いて海洋放出に反対する韓国も怪しからんが、科学的データを無視し風評を煽り福島を貶めてる反原発派の感情論に与してはならない。

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2021年04月11日

「処理水の海洋放出反対」という感情的主張からは何も生まれない

 地元紙では、東京電力福島第一原発周辺に貯まり続ける処理水に関し、海洋放出に反対する声を取り上げて政府への不信感を煽る。立憲民主党代表の枝野は「政府は福島県民、漁民、漁師の皆さんをバカにしているのか」と怒りを露わにした。

「福島県民の声を無視して結論ありきで走っている。本質(海洋放出)自体が良い悪いではなくて、福島の原発事故による被災者の皆さんを、政府がバカにするような措置であって、許されるものではない」と如何にも福島県民を慮る。

 だが、枝野こそ福島県民をバカにした政治家の筆頭だろう。原発事故が起きると「(放射線は)直ちに人体に影響することは無い」と言い放った。県内入りした枝野は、周辺者が私服なのに本人は防護服を着こんで視察したことは忘れない。

 何を今更、福島県民に寄り添う様な発言をしてるのか。事故当時の民主党政権の愚策こそが福島県の復旧は愚か、復興を阻害した元凶である。原発事故や処理水問題を他人事の様に語って、政争に結び付けるなど言語道断である。

「東電や国が放射線物質トリチウムを含んだ処理水方法が、海洋放出ありきで決定しようとしている」と反対してるが、原発処理水の海洋放出は世界の常識であり、況してや貯蔵されている処理水のトリチウム数値も微量なものだ。

 トリチウムというのは放射線エネルギーは弱く、人体の影響はセシウムの700分の1程度。原発事故に因る放射線セシウムが人体に影響も及ぼしてない中で、トリチウムを含んだ処理水の処分に反対するのは単なる感情論でしかない。

 福島原発周辺に貯蔵されてる処理水のトリチウム総量は2016年3月時点で760テラベクレル。この数値は年々減少している。諸外国の海洋放出処理水に比べても100分の1程度で、専門家の「人体に影響を及ぼす数値ではない」は正しい。

 1979年のスリーマイル島原発事故では93000テラベクレル、1986年のチェルノブイリ原発事故では520万テラベクレルと推定されている。1テラベクレルとは1ベクレルの1兆倍。「兆」という単位は余りにも大きい数値に感じるだけ。

 カナダのブルース原発からは年間1280兆ベクレル排出。フランスのラ・アーグ再処理施設からは年間1京1600兆ベクレルが排出されている。「京」とは「兆」の更に上の桁。かなりの数値だがこれらの数値は国際基準値の範囲内である。

 因みに、福島の漁業関係者よりも強力に処理水の海洋放出に難癖を吐けてる韓国だが、韓国は月城原子力発電所で4基のCANDU炉を運転しているが、月城原発が4基体制に入った1999年以降の累積では6000テラベクレルを超える。

 真剣に福島への風評を阻止したいなら「住民への理解が深まっていない」とか非科学的な感情論ではなく、正しい科学的データを内外に広めることである。

 福島第一原発周辺の処理水タンクは約680基に及びその水量は92万トンに上る。2020年には137万トンになる。このまま放置しタンクが増設されれば環境破壊にも繋がり、それこそ福島への風評被害が止むことはないだろう。

 感情論で進められた「除染」で、福島県は住みやすくなったどころか、「除染しないと住めない土地」とのレッテルを貼られた。処理水も然り。このまま放置することが好いとは思えない。事故を起こした我々の世代が責任を負うべきだ。

 昨年7月に熊本県を襲った豪雨被害も感情論からダム建設が見送られた。蒲島知事は「民意が反対だった」と責任を感じるどころか有権者の所為にしていたが、枝野らの政府批判は似た様なもので、反原発派の破壊活動に騙されてはならない。

 政治が国民目線に(ポピュリズム)に立ち、大衆迎合に陥ったならば必ず国は滅ぶ。政治とは本来、国民目線と掛離れた決断が求められる世界なのだ。

 話が変わるが、食べログで知り合った某男性レビュアーのトップページには、「トリチウム汚染水を海洋投棄しても安全だというなら、全て東京湾に放出すれば良くないですか!? 」との見出しが出てる。これが普通の人の感覚なんだろうな。

 確かに東京電力福島原発は首都圏へ電力を送る為の施設だった。そういう意味では東京湾に放出するのも一つの案だろうが、東京湾に持って行くにしても運搬費用を含めて相当掛かるだろうし、ポピュリズムの小池都知事が容認するとも思えない。

 以前、松井一郎大阪市長が、反原発派らに煽られた感情論から見送られている処理水の問題に対し、「政治や科学が風評に負けることがあってはならない」と、処理水の大阪湾への放出を受け容れると発表したことは記憶に新しい。

「政治や科学が風評に負けることがあってはならない」とは正しく。内堀福島県知事にも大阪市長の様な智慧と決断力を持って欲しいものだ。感情論より科学的根拠に基いて粛々と海洋放出を図ることこそ早々に風評を取っ払う最良の方法である。

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2021年04月08日

福島第一原発周辺に貯まり続ける処理水の処分方法は海洋放出しかない

 福島第一原発周辺に貯まり続ける処理水の処分を巡り、菅総理は「専門家の提言を踏まえて決定したい」と述べた上で海洋放出とする方向性を示した。

 反原発派や海洋放出に反対する勢力は「国民への説明不足」と騒ぐが、何をするにしても全国民の同意を得ることは困難であり、政治家の決断こそ大事。

 処分方法さえ決定していないことは、核のゴミの処分地を決められないことと同じく政治の怠慢であり、処分方法の全国的議論は問題の先延ばしに過ぎない。

 処理方法は海洋放出しかない。福島第一原発周辺に貯まり続ける処理水の海洋放出は住民の反対を理由に中断されていたが、漸く海洋放出を決断した様だ。

 人体に何ら影響もしていないセシウムの700分の1程度に過ぎないトリチウムの放射線に怯えるというのは如何だろう。これこそ感情論の何ものでもない。

 感情論で行われた除染は、住民の安心より「フクシマは除染をしないと住めない町」との風評を生んだ。トリチウム水の海洋放出は世界の常識。我が県を含めて何処に放出するかであって、処理水の開票放出を受け容れる都道府県を探すべきだ。

 原子力規制委員会の進言通り、海洋放出を決定した上で海洋放出する候補地選定をどうするかだ。そういう意味からも感情論を排し、「福島県沖ありきではなく、人体に影響が無い処理水を全国の何処に放出したら好いか」を議論すべきだと思う。

 原発周辺に更なるタンクを増設で問題を先送りしても根本的な解決は図れない。処理水の海洋放出を決定した上で、処理水に含むトリチウムの科学的データを示し、海洋放出は人体には全く影響のないことを周知するべきだろう。

 福島県沖への放出は人体的影響は問題は無いが、風評被害が怖いというのは理解出来る。住民の安心から進められた除染は「福島は除染をしないと住めない町」とのレッテルを貼られた。福島県沖への放出も同じ流言蜚語が飛び交うだろう。

 処理水の海洋放出が決定されれば反原発派らが大騒ぎするのは必至。考えてみれば風評被害を招いているのは反原発派も然ることながら放射線に無理解な県民も同じ。トリチウムの何たるかを知らず「トリチウムを含んだ処理水」などと騒ぎ過ぎ。

 全国漁業協同組合連合会(全漁連)と福島県水産加工業連合会が「深刻な影響が出る」「漁業を守らなければならない」などとして海洋放出に反対したが、こういう連中こそが自ら風評被害を招いているという自覚さえ無い。

 国内のみならず原発が稼働している場所では処理水は放出されている。福島原発も事故前は海に放出しており、周辺は人気の釣り場にもなっていた。福島第一周辺に貯まり続ける処理水だけが問題にされているのは福島差別ではないのか。

 不安を煽るだけのマスコミと反原発派の感情論にはもううんざりだ。政府は科学的データを公表し、核のゴミ(高レベル放射性廃棄物)の最終処分場選定と同じく、補償や地方交付税の増額等を示して放出先を応募すべきだと思う。

 状況からして福島県沖がベストだろう。「更なる福島への風評被害を生ませない」というのなら、粛々と海洋放出してしまえば好い。「人の噂も七十五日」ではないが、放出後に日々のデータを公表すれば反原発派の罵声は日々薄まる(笑)

 原発設置県として最悪の事故が起きてしまった以上、最後まで責任を持つべきだが、「県民の声を大切にして欲しい」なんて言ってるから事が進まない。政治家は、大衆の意見とは違う決断が時には必要であるということを痛感する。

 処理水問題は、福島県以外の数県が名乗り出てくれれば容易に解決出来るのだが、そうした決断を出来る知事が果たしているかどうかといえばそれも疑問。

 以前、松井一郎大阪市長が大阪湾受け入れを示唆したが立ち消えになってしまった。福島原発が主に首都圏の電源だったことをすれば東京なども候補地に名乗りを上げるべきだろう。福島県一県だから福島だけが貧乏籤を引くことになる。

 2020年東京オリンピック委員会の総会に於いて、安倍前首相は「(処理水問題の状況は)完全にコントロール出来ている」と大見得を切ったことは記憶に新しい。処理水問題は、我が国の首相が公約した国際的な約束事でもあるのだ。

 処理水の海洋放出は一歩間違えば国際的な問題に成り兼ねず、オリンピック終了までは断念せざるを得ないだろう。ここに来て東京オリンピックが1年延期されたが、処理水の海洋放出を断念しタンクの増設で事を濁してはならない。

 以前、建屋屋上へ溜まってた雨水40兆Bq/Lが流出したと大騒ぎになった。4京ではなく40兆Bq/Lで年間にすれば20兆Bq/L。汚染水にはストロンチウムやトリチウムが確認されているが、数値の高さに驚くが人体に影響が出る数値ではない。

 世界基準では、地下水バイパスやサブドレンの放出濃度運用目標は1500Bq/Lと定められている。これをトリチウム水の質量濃度に換算してみると、約2.8×10のマイナス14乗、つまり百兆分の2.8Bq/Lという極めて低い濃度となる。

 ppm(百万分率を表す単位で100万分のいくらであるかという割合を示す数値)や、ppb(10億分のいくらであるかという割合を示す数値)、ppt(1兆分のいくらであるかという割合を示す数値)にも至らないレベルということ。

 現在、世界各国の原発施設から海へ放出されているサブドレン/地下水ドレンのトリチウムは1000Bq/L以下、地下水バイパスでは100~150Bq/L程度。1F港湾内外のトリチウムは検出限界(約2.0Bq/L)以下とのデータが出ている。

 堰内に溜まった雨水(堰内の汚染も含む)も、検出限界(約100Bq/L)以下で、 これらを質量の濃度に換算すると千兆分の1~十京分の1となる。

 仰々しい数値だが、原発周辺に貯まり続ける処理水の数値は気化されたものもあり数値は低い。セシウムの700分の1程度に過ぎないトリチウムの放射線に怯える必要は無い。風評という雑音は直ぐ消える。粛々と海洋放出を実行せよ。呵呵。

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2021年04月04日

我が母校でもある国士舘の「読書」「体験」「反省」「思索」の教え

 読書量を自慢し、本棚に並ぶ本の多さに悦に入ってる人がいる。斯くいう愚生も、若い時分にはそういうこともあった様にも思うが、その多くを処分してしまった。押し入れには処分してない段ボールに詰めた本が10個程ある(笑)

 読書量を誇ったところで意味はなく、本の中身の感ずる処を書き記し、自ら実践してみることが何より大事である。実践すれば失敗することが多いだろうが、その失敗を反省し、その失敗を次に繋げる糧とすることが貴重なのだ。

 我が母校の国士舘では「誠意」「勤労」「気魄」の他に、「読書」「体験」「反省」「思索」との四徳目の教育指針を示しているが、正しくこのことである。

 保守陣営などからは道徳教育の拡充や戦前の「修身」復活の声も聞こえる。だが、幾ら教えたところで、その教えを実践しなければ単なる画餅に帰すだけ。

「修身」や「教育勅語」に示された道徳教育とは体育の授業と同じで、理論を教えることは大事だが、学んだことを行動に移して実践しなければ意味はない。

 嘗て、明治開国を目指した我が国は「教育立国」として明冶の試練と昭和の国難を乗り越えた。極貧の中から多くの偉人が輩出したのは立派な教育の故であろう。 「坂の上の雲」で、父親が秋山兄弟に苦諌する場面がある。

「好きで貧乏しているのではない。敢えて君等の将来を考えてやっているのだ。昔の偉人や英雄は極貧の中から生まれた。金持ちから偉人や英雄は生まれん」

 教育の原点とは意外とこんな処に在るのではなかろうか。 現在はどうだろうか。国民の勤勉性、家族愛、愛国心、信義誠実の原則は失われ、心の中の高貴なものを失い、高邁さを忘れ、在るのは自己中心性の欲望だけだ。

 高邁な魂を喪失した日本国民に最も大事なものは教育の再生しかない。将来の祖国日本を担う子供達への教育を如何に充実させるかが肝要。保守派や愛国陣営が道徳教育や「修身」復活を願うなら、先ずは自らが実践して模範を示すことだ。

 修身には「おたけがめくらのてをひいて」との一節がある。少女が目の不自由な人の手を引いてやるシーンだ。だが、「めくら」は差別用語とされ、放送禁止用語。こうしたことを見ても「修身」復活は言うには容易いが導は無理だわな(笑)

 愚生は映画が好きで年間に少なくても200本以上は観てる。「座頭市」や「眠狂四郎」とか、古い映画ってのは放送禁止用語が飛び交ってて実に面白い。

 盲(めくら)、唖(おし)、吃(ども)り、跛(びっこ)、聾(つんぼ)なんてのは日常会話の様にしょっちゅう飛び交う。古い映画や古典落語には差別用語だけではなく、懐かしくも美しい日本語が溢れていて、実に実践した教育でもある。

「憚(はばか)り様でした」(ご苦労様です。恐れ入ります)
「傍杖(そばづえ)を食う」(思わぬ災難に遭う)
「荷が勝つ」(責任・負担が重過ぎる)
「武士は相身互(あいみたが)い」(同じ立場の者は助け合うべし)
「罪業(ざいごう)の深さ」(罪の原因となる行為)
「浮世(うきよ)に拗(すねる」(世の中に逆らう)
「卒爾(そつじながら」(人に声をかける時に言う語)
「阿漕(あこぎ)な奴」(しつこくずうずうしい)
「お為倒し(おためごかし)」(相手の為といいながら、自分の利益を図ること)
「朝未(あさま)だき」(夜の明けきらない頃)
「足元から鳥が立つ」(思いがけないことが起こる)

 こうした言葉を挙げれば限がないが、余り馴染みのない言葉や台詞が出て来るが、こうしたことを気にしながら、観たり聴いたりするのは実に楽しいものだ。

 こうした難解な言葉を四六時中考え、気にして見聞きしている訳ではない。因みに「四六時中」という言葉も、昔は「二六時中」と言ってたそうだ。

 一日を十二刻(昼六時、夜六時)に分けていた時代には「二六時中」だったという。現代の様に二十四時間になって「四六時中」に変わったというから面白い。

 言葉は移ろうものだが、古の日本人のどういう職業の人がどういう風に使っているのかを知れば、また違った世界を知ることが出来るというものだろう。

 道徳教育や歴史教育は大事であるのは言うまでもないが、その前に美しい日本語を教えることこそ肝要である。英語というのはバチカンでは「穢れた言葉」だった。そう考えれば、英語なんていう田舎言葉を教えてる場合じゃないぞ(笑)

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2021年04月03日

直きを友とし 真を友とし 多聞を友とするは益なり!

「朋あり遠方より来たる。また楽しからずや」。親しい友とはかけがえのないものであり、「人生は邂逅の一言に尽きる」というが、人生の中で得た多生の縁を意気に感じつつ気の置けない友人と一献しながらの語らいほど愉しいものはない。

 しかし、親しいからといって近づき過ぎると礼を失することになるし、かといって距離を取り過ぎれば余所余所しくなる。剣道などの武道でもそうだが、人間関係に於いても同じ様に程好い間合いというのが大事となる。

 支那南北朝時代末期の学者で、子孫に対して学問の重要性を説いた願之推(がんしすい)は、「優れた人物を友に持てば、長い間には自分もまた香気を放つ人物になるもので、友人との交際は慎重でありたい」と訓えている。

 自分より優れた人達との交際や交流が、自分自身を成長させる上で役に立つということ。要は、「己に如かざる者を友人とする勿れ」と言う様に、自らを向上させる為には自分より劣った者は友人として交わらない方が好いということ。

 そうした上で自らが香気を放てる立場になったなら、その能力を惜しみなく分け与えることが大事。孔子は「益者三友、損者三友」、つまり「直(なお)きを友とし、真(まこと)を友とし、多聞(たもん)を友とするは益なり」と訓える。

 益者とは「剛直な人」「誠実な人」「教養のある人」であり、損者とは「易きに付く人」「人当たりばかり良い人」「口先だけ巧い人」などをいう。

 見聞に長け教養のある人と交わることは有益であるが、その反対に、媚び諂い、易きに付く人、人当たりばかり良い人、口先だけの人を友とすることは有害なもの。だが、為にならない人も反面教師として見れば役に立つ場合もあるが(笑)

 確かに、自分に諂う様な人物を友としても何の役にも立たないことはよく知っていても、人というのは兎角、自分の短所や欠点を注意されることよりも、何やかんやと御世辞をいう、諂う友(人)を周りに置きたがるものだ。

 だから孔子は「良薬口に苦けれども病に利あり、忠言、耳に逆らえども、行に利あり」とも喩えている。こうした考え方は間違いではないが、如何せん、そういう立派な友などそうそうはいないのではなかろうか。皆、「朱に交われば赤くなる」の喩え通り、似た者同士が集まってしまうのも世の常というものだろう(笑)

 実社会の人間模様を見渡せば、善友、必ずしも善友ではなく、悪友、必ずしも悪友とは限らない。「毒を以て毒を制す」ではないが、悪友の方が、結果として善友以上の働きを示すことの方が多いのも確かだろう。

 分かり易く喩えれば、畳にこぼれた水を拭き取るには、乾いたタオルでは綺麗に拭き取れない。タオルを充分に水に浸し、これをキリリと絞り上げてから使うのがいい。タオルの水気が畳の水を綺麗に吸い上げるのだ。

 新しいタオルが水を吸わないのと一緒で、日頃からキレイゴトを言ってるヤツなどは、いざという時にはクソの役にも立たないものだ(笑)

 そんな上辺だけの者より、共に笑い、共に泣き、ある時は共に悪い遊びをした様な友達の方がいざという時は親身になって心配してもくれるし心強い。

 今どきのマスコミが垂れ流す安っぽい風潮に流され、請け売りの政治学を偉そうに語るヤツより、そんな政治のことは全く分からなくても、酒を愛し、趣味や惚れた女やスケベな話しを自慢顔で話してるヤツの方が信用出来るというもの(笑)

 相手の主体性を重んじることを「君子の交わり」というが、「君子の交わりは淡きこと水の如し、小人の交わりは甘きこと醴の如し」という言葉もある。

 物事をよく弁えた人の付き合いというものは水の様に自然なものなのであるが、つまらぬ小人物の交際というのは、まるで甘酒の様にベタべタした関係であり、一時的には濃密のように見えても、長続きせず、破綻を招き易いものでもある。

 facebookなどでの遣り取りを見ているとキレイゴトを並べ、ベタベタとした上辺だけのコメントが実に多い。互いに抑揚を抑え、大人の遣り取りをしているつもりなのだろうが、そんな付き合いなどに意味があるとは思えない。

「巧言令色鮮矣仁(こうげんれいしょくすくなしじん)」という訓えの通り、言葉巧みで、人から好かれようと愛想を振りまく者には、誠実な人間が少なく、人として最も大事な徳である「仁」の心が欠けているものだ。

 斯くいう愚生も、「巧言」というのは無きにしも非ずだが、「令色」に至っては、相手に気に入られようと機嫌を取ったり、笑顔を振りまく様なことはない。

 愚生の経験上、「女は愛嬌」というが、いつもニコニコと愛想を振りまいて笑顔を見せてる男にロクなヤツはおらず、根が性悪なのが少なくない。

 選挙の時だけニコニコと笑顔を見せて握手してる政治家もそうだが、「笑うと目が無くなる男には気を付けろ!」というのは強ち間違いではない(笑)

「巧言令色鮮矣仁」の言葉の対語は「剛毅木訥近仁(こうきぼくとつじんにちかし)」という。その意味は、意思が強く強固で、素朴で口数が少ない人物が、道徳の理想である「仁」に最も近い者であるということ。

 愚生は剛毅さはあると自負するが、右翼人というのは「よく読み・よく書き・よく喋る」という三拍子が必要不可欠で、そこに「よく呑む」が加われば最強。人から好かれ様とは思わないが、「巧言」というのは無きにしに非ず。呵々

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2021年04月01日

今日はエイプリルフールだが最大の嘘吐きは釈迦牟尼かキリストか(笑)

 卯月朔日。朝未だきから身を清め、神饌を替え、畏くも陛下の弥栄を念じ併せて心願成就を懸ける。今日は「四月馬鹿(エイプリルフール)」。今日だけは嘘を吐いても善い日だと言われている。でも、午前中限定らしいですので御注意を(笑)

「嘘も方便」とか「嘘は世情の宝」ともいうし、嘘というのは相手への思いやりが込められたものや、世間を和ませるシャレの利いたものが好い。

「講釈師見て来た様な嘘を吐き」なんてのもあるし、「商人は損と求めて蔵を建て」とかいう川柳もある。商売人というのは、口では「儲かりません」と言いながら、大きな蔵(家)を建てるなんてのはよくある話し。

「紺屋(こうや)の明後日(あさって)」という喩えもある。紺屋(染物屋)というのは天候に左右されるので、雨や悪天候には仕事にならず仕上がりが不安定で、約束した期日は当てにならないというもの。

 愚生の実家のラーメン屋でもそうだったが、出前の催促が来ると「今、出ました」なんてよく言ってたが、アレと同じ。出たとは言ってたが中々届かない(笑)

 花魁の世界には「手練手管(てれんてくだ)」なんてのもある。今でいうとキャバ嬢やホステスだろうか。「手練」とは人を思うままに操り騙す技巧だが、スナックなどでホステスの嘘を勘違いして、惚れてしまうってことも(笑)

 嘘には好い嘘と悪い嘘がある。自分の為に吐く嘘は感心しないが、周りを安心させる様な、また和ませる「嘘」は吐いても差し支えはない。

 気の利く嘘も吐けないというのはバカ正直。そんな輩は世間からは遠ざけられる傾向があるが、そんな馬鹿正直な人も最近はめっきり見かけなくなった。

 まぁ、何事も上っ面や一面な見方や考え方ではなく、何気の無い一言や小洒落た嘘に隠された真実や優しさを見抜くことが出来れば人生もっと面白い。

 御釈迦様(釈迦牟尼)は「地獄」「極楽」を創られ、民衆の心に安らぎを与えた。キリストもまた「天国」への夢を誘って多くの人々を救ってきたが、アレは嘘だろう。人間死んだら終わり。死んだら「無」だと思っている。

「人は小さな嘘には騙されないが大きな嘘には騙される」とはアドルフ・ヒトラー。死後に訪れるという「極楽浄土」や「天国」なんてのはその最たるもの。だが、こうした噓で、民衆に生きる希望を齎し、死への恐怖を祓った。

 仏教でもそうだが「五戒」「十戒」というのを訓えている。だが、こうした戒めを守ってる坊主や仏教徒なんぞおるまい。正しく、日本国憲法前文に明記されてる「平和を愛する諸国民の公正と信義」のキレイゴトと同列だわな(笑)

「不殺生戒(ふせっしょうかい)」。生き物を害してはならない。また他人に殺さしめてはならない。また他人が殺害するのを容認してはならない。

「不偸盗戒(ふちゅうとうかい)」。他人のものを盗んではいけない。また他人をして盗らせてはならない。また他人が盗るのを認めてはならない。

「不邪婬戒(ふじゃいんかい)」。不道徳な性行為を行ってはならない。これは、不倫や強姦を指すが、他にも性行為に溺れるなどの行為も含まれる。

「不妄語戒」。嘘をついてはいけない。また他人をして偽りを言わせてもならない。また他人が偽りを語るのを容認してはならない。

「不飲酒戒(ふおんじゅかい)」。酒を飲んではいけない。また他人をして飲ましめてもならない。また他人が酒を飲むのを容認してはならない。

 この項目に「不塗飾香鬘 (ふとしょくこうまん))」「不歌舞観聴」「不坐高広大牀 (ふざこうこうだいしょう)」「不非時食 (ふひじじき)「不蓄金銀宝」を加えたものが「十戒」。モーセの十誡も似た様なものだろう。

「五戒」や「十戒」とは、経験に基く自戒の意味を込めた箴言だと思ってるが、愚生的にはこの中でも「不飲酒戒」は守るのは絶対無理だわな(笑)

「嘘は泥棒の始まり」「嘘を吐くと閻魔様に舌を抜かれる」という様に、嘘というのは悪いものだと教わって来た。だが、噓が罷り通てるのが政治の世界。

 我が国の政治家の世界はホンネは出来るだけ出さない方が好いとされ、政治家の嘘には馴れっこになってしまっている。現代では「嘘つきは政治家の始まり」。閻魔様に舌を抜かれる様な政治家は地獄行き。つ~か、地獄の概念も噓だろうな(笑)

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2021年03月28日

原発事故の混乱を招いた菅直人の逮捕と民主党政権の総括を

 朝日新聞福島総局の小手川太朗記者の「かつて『原発事故で死亡者は出ていない』と発言した政治家がいたが、実際は全く違った。原発から4.5キロの双葉病院では、自衛隊や警察が放射性物質に阻まれて救出活動ができず、約50人が衰弱して亡くなった。当時の記憶を訪ね歩きました」との取材記事を読んでみた。

「原発事故で死亡者は出ていない」と発言した高市早苗のことを暗に批判してるが、高市は「原発事故の放射線で亡くなった人はいない」と言っただけ。高市が批判された当時もそうだが、感情剥き出しの世論の摩り替えでしかなかった。

 双葉病院の患者50人が衰弱死したのは「自衛隊や警察が放射性物質に阻まれて救出活動が出来なかった」のが原因だとしている。死亡人数は50人ではなく、双葉病院だけではなく介護施設「ドーヴィル双葉」の患者を含めて44名ではないのか。

 東京電力福島第一原発事故の刑事責任を巡り、業務上過失致死傷で強制起訴された東電旧経営陣3名に対し、東京地裁は無罪の判決を言い渡したのは記憶に新しい。反原発派らは「原発行政に忖度した不当判決」と喚いたが、無罪判決は当然だろう。

 東電幹部への強制起訴は「大津波を予見出来たのか?」ということが争点になっているが、双葉病院の患者ら44人を死亡させたとして業務上過失致死傷罪で強制したことに始まる。だが、この患者死亡の原因は民主党政権の避難指示に在る。

 起訴内容では、原発事故で避難を余儀なくされた双葉病院の患者や介護老人施設「ドーヴィル双葉」の入所者44名の死亡の責任を問われているが、死因は民主党政権下での「20キロ圏内」という科学的データを無視した愚策に因るもの。

 移動困難な、動かしてはいけない重篤な患者に移動を強いた責任者は、東電元幹部らではなく当時の首相であり災害対策本部長だった菅直人である。朝日新聞の偏向報道やデマはに事情茶飯事だが、この小手川記者も何かを況や。

 地震発生時、国会では菅直人の外国人からの不法献金が追及されていた。辞任已む無しの状況下で東日本大震災が起きた。菅は不法献金を有耶無耶にしようと、現場視察というパフォーマンスに出た。この軽挙妄動が禍根を遺すこととなる。

 東日本大震災当日から炉心溶融という「最悪のシナリオ」を予測していながら、菅直人自らが強く望んだ現地視察に因って、事故拡大防止の為に採るべき第二第三の矢を放つのが遅れてしまったことは決して見逃せない事実である。

 政府関係者は「首相を被曝させない」ことを優先する余り、1号機の炉圧を低下させる為の「ベント」と呼ばれる応急措置が遅れてしまった。この現場視察という菅の軽挙妄動こそが原発事故の現場の対応に要らぬ混乱を招き被害が拡大したのだ。

 菅直人こそ業務上過失致死傷罪で逮捕され刑務所に送り込まねばならない大悪党であり、菅が強制起訴されない裁判に意味は無い。 「自衛隊や警察が放射性物質に阻まれて救出活動が出来なかった」のであれば批判すべきは民主党政権だろう。

 東日本大震災時、民主党政権は「SPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)」の数値を隠蔽し、科学的根拠の無い「原発周辺20キロ圏内」という避難指示を下した。このSPEEDIの隠蔽が後々屋上屋を架すこととなる。

 双葉病院やドーヴィル双葉周辺は放射線量は低い地域だった。避難指示を解除し治療を優先すべきだったにも拘らず、発令した「原発周辺20キロ圏内」に拘泥して強制的に避難させてしまったことで重篤だった患者が死亡したというのが真相。

 東電旧経営陣らを庇うつもりは毛頭ないが、当時の最高責任者であり、混乱と更なる被害の拡大を生んだ菅直人が逮捕もされず、批判もされないことに正義が在るとも思えない。強制起訴までして旧経営陣のみを断罪してどうなるというのか。

 未曾有の原発事故は混乱を生んだのは致し方ないとして、事後法の如く「大津波を予見出来なかった責任は重い」だとか批判するよりも、過去の原発行政の功罪を検証し、事故当時の民主党政権下で謀られた多くの愚策の総括をするべきだろう。

 騒がれている処理水問題は何故に早くに海洋放出が出来なかったのか。何より「福島は除染をしなければ住めない土地」と風評を悪化させる原因は除染作業であり、何故に除染が強行されたのか予断なく検証するべきである。

 中間処理施設に運ばれるフレコンバッグは人体に影響を及ぼさない除染で出た単なるゴミ。これに20兆円以上の血税が垂れ流され、更には最終処分場建設という難題が残されている。反原発派の扇動に科学が負けたのはどうしてなのか。

 反原発から原発事故を殊更に論い、その責任論を然も当然であるかの様に振り翳すが、生き残った我々がいつまでも被害者意識丸出しで過去ばかりをふり返っている。だが、いつまでもその場に立ち止まっている訳には参らないのだ。

 今も凄惨な事故現場に於いて命懸けで収束しようと頑張っている方々が存在し、また、この教訓を活かそうと懸命に努力している方々が存在する。

 事故責任を問うのは法治国家では当然であろうが、それよりも大事なことは二度とこの様な「人災」と言われる過ちを繰り返さない為に我々はどうすべきなのか、また未曾有の原発事故の教訓をどう活かすかではあるまいか。

 福島原発事故に限らず、いつか起こるであろう韓国や中共、或いは世界に在る原発事故に対して、福島原発事故の収束技術と正確な科学的データが活かされることこそ、福島のこの地に住み続ける我々の願いでもある。

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2021年03月27日

プロ野球開幕。選手団の靖國神社参拝を熱望する!

 プロ野球が開幕した。その昔は、福島県内ではジャイアンツ戦しかテレビ中継しなかった。ジャイアンツファンというより熱烈的な長嶋茂雄ファンなので、どうしてもジャイアンツの結果が気になる。今年は日本一に返り咲いて欲しいものだ。

 野球が当たり前にやれなかった時代がある。支那事変が勃発し、国内では娯楽というのが消えて行った。プロ野球もその一つだが、野球選手が大好きな野球も出来ずに祖国の為に尊い命を投げ出されていることを国民は知っているだろうか。

 平和を謳歌し、愛する野球をやれるという当たり前のことを再認識する為にもプロ野球選手団は、開幕前に靖國神社に参拝し、犠牲となられ英霊となったプロ野球の先輩方に首を垂れ、顕彰することを熱望しているが未だ実現されることはない。

 参拝することで平和の尊さと、野球がやれる有難さを実感すれば選手としての思いもまた違ってくるだろうし、プロ野球人気も高まることだろう。

 読売ジャイアンツは宮崎キャンプインの際に恒例だった宮崎神宮への参拝を個人の信仰の自由(創価学会員の選手)を優先して取り止めたことは記憶に新しい。必勝祈願でさえ宗教行為と認識してる様では靖國神社への参拝は困難を極める。

 先の大戦で亡くなられたプロ野球選手は、我々が想像している以上に多く、試合の途中で出征した方や、幾度かの戦火を潜り抜けて帰還し、再び出征して終には戦場に斃れた方など、実に69名もおられる。この方々が靖國神社に祀られている。

 散華された英霊の中でも有名なのは、東京巨人軍(読売ジャイアンツ)の澤村榮治投手だろう。澤村投手がどんなに凄い選手かは説明するまでもないが、年間最優秀投手に与えられる「沢村賞」はプロ野球選手の最高の名誉である。

 澤村榮治は野球だけではなく、普段の何事に対しても真摯な態度で挑む人だったらしく、人間としても実に立派な方だったという。「巨人軍の選手たるもの紳士たれ」というのは澤村選手を見習ってのことだろうと思っている。

 背番号「14」は永久欠番となっているが、ベーブルースを三振にしたくらいで永久欠番になる訳はないだろう。プロ野球選手であるが愛国心捨て難く、異国の地で散華されたその崇高な精神を忘れない為のものであることは言うを俟たない。

 名古屋軍(現・中日ドラゴンズ)の石丸進一投手と朝日軍(現・横浜DeNA)の渡邉静内野手は特攻作戦に参加し、沖縄戦で散華されている。

 石丸投手は鹿児島県の海軍鹿屋基地から出撃の直前、最後のキャッチボールをして飛び立ったという。数時間後の死を前にどんな思いでキャッチボールをされたのだろうか、これこそが渾身の悩みであり、その心中を察するに余りある。

 渡邉静選手も同じく鹿屋基地から沖縄へ出撃している。夢見て憧れて入団したプロ野球人生での打席はたった二度しかない。戦争が悲しい現実を彼に与えてしまった。さぞ心残りだったろうが、未来を後輩に託して散華されたのだ。

 彼らは野球への情熱を「特攻」というカタチで尊い命を捧げ、沖縄を、そして祖国日本を死守すべく散華された。プロ野球選手団はそれに応える意味でも開幕前に靖國神社に参拝し、先人の御霊に感謝の誠を捧げるべきだと思う。

 現代の平和は英霊の犠牲の上で成り立っているのだ。自らの命を犠牲にすることで、祖国日本や家族、故郷や友人ら愛するものを守るという彼らの至高の精神を決して忘れてはならない。プロ野球選手団の靖國神社参拝を実現しよう。

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2021年03月26日

「聞くは一時の恥、聞かぬは末代の恥」というが

 愚生のブログのサブタイトルに哲学者・西晋一郎の「我が民族の将来と国家の前途を思うは人間の最も真剣なる感情であり、君国に忠、親に孝なるは最も現実なる道徳である。之を離れては人類愛も世界的正義も空想に過ぎない」と記している。

 西は「教えるとは実に教えられることである」とも教えている。本を読んだり、為になる話を聞いたり、感じた部分を書き留め、それを実際に他人に教えることで自分に足らないものに発見したりする。その気付きが学びに繋がる。

 子育てにしても子供に学び共に成長していくもの。また、教諭が生徒に教えられることもあるだろう。「教えるとは実に教えられることである」とは正しく。

 SNSなどでもアップした記事へ反論や批判に応じることで、新たな発見や理論の形成と自分自身の向上にも繋がるということも少なくなく、意見の対立しがちなSNSと雖も、持ちつ持たれつの関係が成り立っている。

「聞くは一時の恥、聞かぬは末代の恥」という。だが、分からないからと直ぐに「分かりません」とか「分からない」を連発するヤツというのは、説明してやるとその場では頷くが実際には全く理解出来ていない場合が多く時間の無駄となる。

 説明を聞く側も自分で調べた上で「分からない」ことを聞けば好いが、その基本的なことさえも備わっていないのに安易に聞いてくるのは余り感心しない。

 後輩や門下生にもいるが、こっちが話しているのに「分からない」と話の鼻を折るから先に進めない。その場で説明してやっても愛想よく返事するばかりで碌々理解していない。分からないならメモを取り、後で自分で調べれば好いこと。

「分からない」とは稚児だけに許された言葉であって、本来は大人が使う言葉ではないのだが、今では恥ずかしくもなく「ワカンナイ」を連発している。

「三つ心、六つしつけ、九つ言葉、十二文、十五理で末決まる」という金言がある。先達はこうした養育法を実践した。昔の寺子屋は三歳入学。それまでに親は愛情を注ぎつつ、心を自覚させることに重点を置いて育てることを意識した。

 六歳くらいになると善悪の判断を知る年齢になる。そこで「躾」というのが必要となって来る。躾とは「仕付け」とも書くが、着物を縫う時に仮縫いが大事な様に、幼少期の躾という仮縫いは親として最も大事な務めでもある。

 九歳までには言葉や挨拶の重要さを教え、十二歳になる頃には文章も書ける様にならなくてはならない。十五歳になれば昔の元服であり、立派な大人の仲間入り。

 そこで「理(ことわり)」を理解しなくてはならない。「理」とは道理であり、条理であり、つまりは当たり前な事であり、生きて行く上での常識である。

 我が国は性善説で成り立っているが、それは三歳頃までの親からの愛情や幼少期の躾、学校での学習と社会全体での「理」を教える環境が整っていなければならないのが大前提。そう考えれば現代の日本人に性善説など通用するとは思えない。

 将来を担う子供達を育むには「親」と「学校」と「社会(地域)」の三つのどれが欠けても好ましくはない。この三つのバランスが大事なのである。

 昨今は親が躾を放棄し、教諭が厳しくすれば「体罰だ」と大騒ぎ。会社の上司や同僚にも恵まれず、社長は社稷を重んじることなく金儲けに狂奔するばかり。

 そういう意味では親からも学校からも社会からも厳しく育てられて来なかった現代の若者というのは現代社会教育の犠牲者と言えなくもない。

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2021年03月24日

皇統断絶を謀る「女性宮家」「女性天皇」「女系天皇」論に騙されるな!

 皇統断絶を目指す勢力の「女性天皇」や「女系天皇」の啓蒙が功を奏し、共同通信社の世論調査では実に国民の70%が賛成しているという。だが、アンケートに答えた人が女系天皇の意味を知っているとは思えない。

 新聞では「女性天皇」や「女系」とのタイトルが躍り皇位継承の危機を煽る。今上陛下が即位し、秋篠宮皇嗣殿下と秋篠宮悠仁親王殿下の皇位継承が確実なのに何を急ぐ必要があるのか。要は、敬宮愛子内親王を即位させる為の姦策に過ぎない。

 日本国憲法第二条には「皇位は世襲のものである」と明記されている。皇統断絶を謀る勢力は護憲派であり、今後はこの条項を理由に「秋篠宮殿下への皇位継承は憲法違反である」と騒ぎ立てて来るのは明らか。

 安倍前首相やその周辺の営業保守派やインチキ右翼らが憲法九条改正に躍起だが、国防とは領土主権だけではない。三島由紀夫は「国防とは、それを失えば日本では無くなってしまうことを護ること」と訓えた。

 畢竟、国防の中でも皇統を死守することこそ肝要であり、ならば、憲法九条より、第一章「天皇」の条項、特に第二条こそ議論すべきである。

 女性が天皇に就くというのは普通の生活は送れないということを意味する。女性天皇論者は、天皇としての国事行為や祭事の重要性を理解していないから安易に語れる訳で、天皇を軽んじてる証左でもある。

 過去に八人の女性天皇が存在したがその全ては男系の「女性天皇」であり、愛子内親王が天皇に即位されてもそれは男系の女性天皇となる。愛子天皇が御成婚となり、第一子を生んだ場合それは男系ではなく「女系」となる。

「旧皇族と結婚すれば問題ない」という声もあるが、ならば皇籍復帰を先に行うべきであり、本末転倒とはこのこと。若し、愛子天皇の御相手が元皇族でなかったらどうなるのか。女性天皇が嫡子を産まなかった重い意味を知るべし。

 女性皇族が結婚することで皇籍を離れるのは、一般人としての生活を重んじよとの天皇の大御心でもある。そうしたことを理解せず、女性が天皇に成れないのは女性差別であるかの様に語ることこそ女性差別だろう。

 多くの国民は陛下の御負担を「女性宮家創設で軽減する」と思っている。だが、天皇が重んずべき「祭祀」の代行は名代として掌典長のみが許され、国事行為の代行は憲法第四条の第二項よる委任か摂政のみが可能である。

「摂政」を置くにしても皇室典範と憲法に基づかねばならず、若し女性宮家を創設し国事行為を担わせるのならば憲法第四条を改正しなければならない。

 だが、安倍の改憲論を始め、それらに与する営業保守派や自称・愛国者らの改憲論は第九条ばかりで「第一章・天皇」の条項が議論されることはない。

 新聞記事には「政府の対応に有識者からは怠慢との批判が出る」と書かれてるが、その有識者とは一体誰か。所詮は女性天皇を推す学匪ばかり。上皇陛下が退位させられたのも所謂「生前退位を考える有識者会議」だったではないか。

 皇統のことは皇族の意見を尊重するべきだが、昭和22年、GHQはこの皇室典範を改悪し、憲法や法律以前の御存在であらされる天皇を法律の配下に置いた。

 現在の「皇室会議」は、皇族2名と衆参両院正副議長、最高裁長官、宮内庁長官ら非皇族8名の10人で構成されている。皇室会議の予備議員には「天皇は逮捕されるべきだ」と断じて憚らない反天皇活動家でもある菅直人がいた。

 明治皇室典範下の「皇族会議」は、成年男子皇族20名によって組織された機関だった。非皇族は内大臣、枢密院議長、宮内大臣、司法大臣、大審院長の5名で、皇族の意見が重んじられたが、今は有識者なる連中の意見が優先される。

 現在の「皇室会議」や胡散臭げな有識者が諸悪の根源でもある。成年皇族が少ないのは戦後、GHQに強制的に11宮家が臣籍降下させられたことが原因であり、皇統を盤石の安きに置くなら旧皇族の復帰を成す以外には無い。

 旧11宮家の方々は北朝第3代崇光天皇の皇子、栄仁親王から始まる伏見宮の系統に属し今上天皇との関係は、室町時代の伏見宮貞成親王を共通の祖先とされている。旧宮家が皇籍復帰すれば男子成年皇族は15名になり安泰だ。

 旧皇族の皇籍復帰に難色を示す勢力と「女性宮家」「女性天皇」「女系天皇」を推進している連中は同じ穴の狢。如何にも皇室の将来を案じているかの様に装ってるが、こうした奸賊共の策謀に騙されてはならない。

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2021年03月22日

今の境遇に合わせて、家に閉篭り、寝て暮らそうと考えている(葉隠)

 座右の書ではないが「徒然草」と「葉隠」は折折目を通す。「徒然草」三十八段には「名利に使われて、閑かなる暇もなく、一生を苦しむこそ、愚かなれ」とある。

 世俗的な名声とか地位とか財産とかに身も心も使われて、心静かにゆったりと生活を楽しむ余裕もなく、一生あくせくと暮らすなど実に愚かなことだと訓える。

 また「葉隠」には「自分は寝ることが好きだ。だから、今の境遇に合わせて、家に閉篭り、寝て暮らそうと考えている」との一節がある。

 こうした教えを真似している訳ではないが、団体を辞して以来、家に閉篭って、只管果報を寝て待つが如く、日々成るが儘に身を委ねている(笑)

 蟄居というのはチョッとカッコ付け過ぎで、何のことはない、「出れば出銭」ともいうし、慢性的手元不如意という今の境遇では、やりたいことがあっても儘ならないというのが正直なところで、閑居して不善を成すと言ったところか(笑)

「葉隠」の正式名称は「葉隠聞書」「葉可久礼」とも言う。佐賀藩士・山本常朝が、同藩の田代陣基(つらもと)に語った口述記録。「葉隠」の冒頭に書かれた「武士道といふは死ぬ事と見付けたり」との一節は誰もが知る言葉だろう。

 一般に我が国の「武士道」を著した本というと「葉隠」よりも、新渡戸稲造の「武士道」を挙げる人は多いのではなかろうか。「武士道」とは違って、「葉隠」から思い浮かべるのは「右翼的」や「忠君愛国的」というイメージだろうか。

「葉隠」は、親鸞の「歎異抄(たんいしょう)」と共に、学徒出陣で戦地に赴いた学生達に最も読まれた本でもある。それは「歎異抄」が「死の平安」を語り、「葉隠」が「死の覚悟」を語ったものだったからだろうと推測する。

 多くの人は、冒頭に書かれた「武士道といふは死ぬ事と見付けたり」だけが独り歩きし、ロクに読みもせずに「危険な書」だと決め付けているのではないだろうか。

 三島由紀夫は「葉隠入門」で、葉隠とは「行動の知恵と決意が自ずと逆説を生んで行く、類の無い不思議な道徳書。如何にも精気に溢れ、如何にも明朗な人間的な書物」と語っているが、危険な書というより道徳を分かり易く教えている。

 例えば「意見の仕方」というのがある。「『人に意見してその人の欠点を直す』ということは大切なことであり、慈悲の心とも言える。ただ、意見の仕方には骨を折る必要がある。大方の人は、人に好まれない言い難い事を言ってやるのが親切の様に思い、それが受け入れられなければ、自分の力が足りなかったとしている様だ。こうしたやり方は何ら役に立たない。ただ悪戯に人に恥をかかせ、悪口を言うだけの事と同じ結果になってしまう」と教えてる様に、意見や苦言というのは意外に難しい。

「意見というものは先ず、その人がそれを受け入れられるかどうかを見極め、相手と親しくなり、何時も信用する様な状態で仕向ける処から始めなければならない。言い方なども工夫し、時節を考え、自分の失敗談等を話しながら、余計な事を言わなくても思い当たる様に仕向けるのが良い。先ずは良い処を褒めて気分を引き立てる様に心を砕き、そうした上で欠点を直していくというのが意見というものである」と説く。

 なんと細やかな心遣い、これ程の気遣いをする現代人はいないだろう。「葉隠」は「死に狂いの思想」と云われている様に、狂信的な箇所も少なくないが、一方で現代人にも通用する教えも多く、非常に役に立つ内容も少なくない。 「美しく死ぬか」と教えるが、同時に「何の為に生きるか」とも説いているのだ。

「人間の一生なんて真に短いものだ。だから、好きなことをして暮らすべきである。夢の間の間の中にあって、嫌なことばかりして苦しんで暮らすことは愚かなることである。だが、このことは悪く解釈されては害になるので、若い人などには最後まで話すことがなかった秘伝といったものである。自分は寝ることが好きだ。だから、今の境遇に合わせて、家に閉篭り、寝て暮らそうと考えている」と語っている。

 三島由紀夫はこれを「逆説である」と教えている。「葉隠」は、書かれている内容のその裏の真実を読み取る術が要求されるとも語っているが正しく。

 出来ることなら「家に閉篭って、只管果報を寝て待つが如く、成るが儘に身を委ねている」という、愚生の裏の真実を読み取って、行動右翼としての生き様を全うさせようと物心両面で応援してくれる強力な支援者が現れないだろうか(笑)

「封建道徳は悪である」といった概念で読む人には「葉隠」は全く理解されることはないだろうが、「葉隠」に接することで、武士道の世界というのは現代人よりも、もっと優しさと慈愛に満ち溢れた世界だったことが理解出来るのではなかろうか。

 常朝は世知に長けた人物であり、常朝の日常の言葉を連ねた「葉隠」とは、日本人の優れた道徳規範と処世術を教えてくれる日本人必読の名著である。まぁ、取り敢えず三島由紀夫の「葉隠入門」から読んでみるのが好いと思う。

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2021年03月20日

「春分の日」や「秋分の日」は春季皇霊祭・秋季皇霊祭が始まり

 仏教では「春分の日」や「秋分の日」は、彼岸の中日として墓参りに出向く。祝日法では「自然をたたえ、生物をいつくしむ」ことを趣旨としている。何故にこの日に自然を称え、自然を慈しむのか、意味が今一つ分からない。

「暑さ寒さも彼岸まで」などと、季節の変わり目の様に感じているが、彼岸会法要は天皇の詔(みことのり)として始められた行事だった。皇室行事である春季皇霊祭・秋季皇霊祭を、国民が祖先を供養する日として定着するに至った。

 こうした彼岸会法要からも天皇と国民の深い結び付きを窺い知る。正に我が国は天皇の国であり、天皇即日本である。皇室は常に国民と共に在り、この「君民一体」こそが、万邦無比の我が国體の精華なのである。

 今では「春分の日」「秋分の日」という名称が当たり前になっているが、別にこの日が冬と春の境の日でも夏と秋の分かれ目でもない。祝日法の「自然をたたえ、生物をいつくしむ」とは、皇室行事を葬る為のまやかしである。

 戦前は秋分(春分)の日ではなく「皇霊祭」と称した。明治11年(1878年)、それまでの歴代天皇や主たる皇族の忌日を春と秋に纏め奉祀したのが始まり。

 明治41年制定の「皇室祭祀令」では春季皇霊祭・秋季皇霊祭が大祭に指定された。統治下だった昭和22年5月2日、GHQは「皇室祭祀令」を廃止する。然し乍ら、宮中では従来通りの春季皇霊祭・秋季皇霊祭が続けられている。

 皇居内の宮中三殿の一つである「皇霊殿」には歴代天皇、皇族の霊が祀られており、この日は皇室の重要祭祀である「皇霊祭」が斎行される。また、全国の神々が祀られる「神殿」では、神恩に感謝する「神殿祭」も同日斎行される。

 つまり、春分の日を「春季皇霊祭」として、秋分の日を「秋季皇霊祭」として復活させることは、我が国の国體の精華を取り戻すことでもあるのだ。

「春分の日」「秋分の日」を「彼岸」と言うが、これは「節分」「八十八夜」「土用」「入梅」「半夏生」などの雑節の一つで二十四節気の「五節句」などの暦日の他に、四季折々の季節の移り変りを日本的に表した特別な暦日のことをいう。

 こうした歴日が、我が祖国日本の四季折々の麗しい情景を深める。「春分」と「秋分」は、太陽が真東から昇り、真西に沈むので、西方に沈む太陽を礼拝し、遙か彼方の極楽浄土に思いを馳せたのが彼岸の始まり。

 現在では彼岸の仏事は浄土思想に結びつけて説明される場合が多く、浄土思想での極楽浄土(天国)は西方の遙か彼方にあると考えられている。

 彼岸会とは7日間に行う仏事で、「彼岸」は「日願(ひがん)」に喩えられ、仏教語としての彼岸は後から結びついたものであるという説もある。

 俗に彼岸の中日には先祖に感謝し、前後の6日間は悟りの境地に達するのに必要な6つの徳目「六波羅蜜」を1日に1つずつ修める日とされている。つまり、仏教徒というのは日々修行なのだ。でも、そんな仏教徒に会ったことはないが(笑)

「六波羅蜜(ろくはらみつ)」とは紀元前後頃に起こった大乗仏教に於ける六種の修行で、菩薩が涅槃に至るための六つの徳目のことで「六度」ともいう。

 その六種の修行とは、施しという徳「布施波羅蜜」、戒律を守る徳「持戒波羅蜜」、忍耐という徳「忍辱波羅蜜」、努力という徳「精進波羅蜜」、精神統一という徳「禅定波羅蜜」、智慧という徳「般若波羅蜜」をいう。

 六つの徳目の中で「持戒」「忍辱」「精進」「禅定」「智慧」の五つというのは言葉では理解するが、これらを修めるのは容易なことではない。

「布施波羅蜜」という施しは目に見えて分かるので、仏教の世界、中でも昨今の葬式仏教や新興宗教の世界では「布施」ばかりが信心の裏返しであるかの様な我田引水的な都合の好い解釈が罷り通っているのは仏の教えとは程遠い気がする(笑)

「施し」というのは、愚生的には、自分より能力的に肉体的に劣る者や難渋している者、悩みや壁にぶち当たっている者に対し助言や金銭的なものを含めて支えて悩みを軽くしてあげることこそが真の施しというものだと思っている。

 波羅蜜とは「魔訶般若波羅密多(まかはんにゃはらみた~)心経」で始まる般若心経にも頻繁に出てくる言葉だから馴染みがある言葉だろう。般若波羅密多の「魔訶」とは「尊いもの」という意味だが、理解している仏教徒は少ない(笑)

 死んでも戒名さえ貰えば極楽浄土に往けると思ってる仏教徒ばっかだが、戒名を頂くということは「御釈迦様(釈迦牟尼)の弟子になるということ」。要は、仏教徒というのは生きている間も、死んでからも修行は続くのである。呵呵。

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2021年03月19日

釈迦牟尼は「地獄」「極楽」を創られたがあれもウソだろう(笑)

「ウソも方便」という。だがその「ウソ」は言い訳とかではなく、相手の立場に立って、相手への思いやりが込められたものでなければならない。

 彼岸なのになんだが、釈迦牟尼は「地獄」「極楽」を創られたがアレこそ「ウソも方便」の最たるものだろう。だがこうしたウソを吐いて、民衆の心に安らぎを与えた。キリストもまた「天国」への夢を誘って多くの人々を救ってきた。

「人は小さなウソには騙されないが大きなウソには騙される」とはアドルフ・ヒトラーだが、「地獄」「極楽」「天国」なんてのは大きなウソの典型だろう(笑)

 人間死んだら終わり。「無」、何も無い世界だ。だから「極楽浄土」なんてのは死後の世界には無く、現世にこそ存在してると思っている一人でもある。

 如何にして身近にいる自分よりも劣る者や弱い者を助けられるか、与えられるか、難渋している人に如何に施してあげられるか、現世の苦しみを多少でも救ってやることこそ「極楽浄土」なのではなかろうかと単純にそう考えている。

「不妄語戒(ふもうごかい)」という仏語がある。「ウソ偽りを言ってはいけない」という在家が護るべき「五戒」並びに「十戒」の戒めの一つである。

 コレこそウソの典型の様なもので、人というのはウソや偽りを騙る性分なので守るのは困難。そうした自戒を込めた箴言というのが正しいか(笑)

「五戒」とは「不殺生戒(ふせっしょうかい)」。生き物を害してはならない。また他人に殺さしめてはならない。また他人が殺害するのを容認してはならない。

「不偸盗戒(ふちゅうとうかい)」。他人のものを盗んではいけない。また他人をして盗らせてはならない。また他人が盗るのを認めてはならない。

「不邪婬戒(ふじゃいんかい)」。不道徳な性行為を行ってはならない。これは、不倫や強姦を指すが、他にも性行為に溺れるなどの行為も含まれる。

「不妄語戒」。嘘をついてはいけない。また他人をして偽りを言わせてもならない。また他人が偽りを語るのを容認してはならない。

「不飲酒戒(ふおんじゅかい)」。酒を飲んではいけない。また他人をして飲ましめてもならない。また他人が酒を飲むのを容認してはならない。

 愚生には耳の痛い戒めだが、中でも「不飲酒戒」は守るのは絶対無理だわな。ここまで自分を律して生きてる人というか坊主もおるまい(笑)

 政治家の世界、特に我が国の政治では例え正論でもホンネは出来るだけ出さない方が好いとされている。これは政治家の伝統でもあるし、国民も、これが好いのか悪いのか、政治家のウソには馴れっこになってしまっている。

「ウソは泥棒の始まり」「ウソを吐くと閻魔様に舌を抜かれる」など、嘘を吐くことは悪いものだと教わって来た。だが、現代は「ウソは政治家の始まり」とも揶揄される。こうした政治家しかいないのは国民にとっては不幸なことだ。

「ウソは世情の宝」ともいうし、ウソというのは悪意のない、ウソだとバレバレでも、どこかクスッと笑える世間を和ませるものが好い。

「講釈師見て来た様なウソを吐き」なんてのもあるし、「商人は損と求めて蔵を建て」とかいうのもある。商人というのは、口では「儲かりません、儲かりません」と言いながら大きな蔵(家)を建てるなんてのはよくある話し。

「紺屋(こうや)の明後日」なんてのも笑えるウソだ。実家のラーメン屋でも出前の催促が来ると「今、出ました」なんてよく言ってたが、アレと同じ(笑)

 花魁の世界には「手練手管(てれんてくだ)」なんてのもある。「手練」とは人を思うままに操り騙す技巧だが、皆さんも、飲み屋でホステスのウソを勘違いして、ついつい熱くなってなんて、そんな思い当たる節はありませんか(笑)

 ウソには好いウソと悪いウソがあるのは理解しているだろう。自分の為に吐くウソは感心しないが、周りを安心させる様な、また和ませる「ウソ」は吐いても差し支えはない。そんな「いいウソ」も吐けないのは正直というよりバカ正直。

 そんな輩は世間からは遠ざけられる傾向があるが、そんな馬鹿正直な人も最近はめっきり見かけなくなった。まぁ、何事も一面な見方や考え方ではなく、ホンネやウソに隠された真実や優しさなどを見抜ける能力を身に付けることが肝心。

 皆さんも、シャレの効いたウソをたまには吐きませんか(笑)

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2021年03月12日

東日本大震災後での政治の不作為と混乱を予断なく検証し総括せよ!

 東日本大震災から10年の昨日、政府による追悼式が行われ県内でも追悼復興祈念式などが催された。ネットなどでも犠牲となられた方々へ哀憐の言葉が手向けられた。政府主催の式典では天皇皇后両陛下が御臨席遊ばされ御言葉を述べられた。

 県追悼復興祈念式で、内堀雅雄知事と太田光秋議長は犠牲者を悼み、遺族の方々に哀悼の意を表し「巨大地震と大津波に加え、原子力発電所の事故という未曽有の大災害は4000人を超える尊い命を奪った」と昨年と同じ式辞に違和感を覚える。

 東日本大震災で亡くなられた方々は巨大地震に因る大津波が原因であって、「原発事故関連」の死者はいるが事故での放射線被害で直接亡くなった人はいない。原発事故で尊い命が犠牲となったかの様な「複合災害」との言葉は混乱を生む。

 原発事故の関連死はあるが、放射線で直接亡くなられた人はいない。民主党政権が行った強制避難命令に由り、重篤な患者や医療弱者が緊急に移動させられ亡くなったのは原発事故が原因というより、民主党政権の科学を無視した愚策に在る。

 地震発生時、国会では菅直人首相の外国人からの不法献金が追及されていた。辞任已む無しの状況下で東日本大震災が発生。菅は不法献金を有耶無耶にしようと現場視察というパフォーマンスに出た。この軽挙妄動が混乱に拍車を掛けることとなる。

 東日本大震災当日から炉心溶融という「最悪のシナリオ」を予測していながら、菅直人自らが強く望んだ第一原発視察に因って、事故拡大防止の為に採るべき第二第三の矢を放つのが遅れてしまったことは決して見逃すことは出来ない。

 政府関係者は「首相を被曝させない」ことを優先する余り、1号機の炉圧を低下させる為の「ベント」と呼ばれる応急措置が遅れてしまったのだ。

 この現場視察という菅の軽挙妄動こそが原発事故の現場の対応に要らぬ混乱を招き被害が拡大した要因である。今日の金曜ロードショーで「FUKUSHIMA50」が放映されるが、この映画が野党らに不評なのは、事実が曝されているからだろう。

 東電幹部なんぞより菅直人こそ「業務上過失致死傷罪」で逮捕され刑務所に送り込まねばならない大悪党であり、菅が強制起訴されない裁判に意味は無い。

 東日本大震災時、民主党政権は「SPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)」の数値を隠蔽し、科学的根拠の無い「原発周辺20キロ圏内」という避難指示を下した。このSPEEDI数値の隠蔽行為が後々禍根を残す。

 双葉病院やドーヴィル双葉の周辺は放射線量も低い地域だった。避難指示を解除し治療を優先すべきだったにも拘らず「原発周辺20キロ圏内」に拘泥して強制的に避難させてしまったことで患者が死亡したというのが事実である。

 双葉病院や介護老人施設に入所していた移動困難な動かしてはいけない重篤な患者に移動を強いた責任者は、当時の首相であり災害対策本部長だった菅直人であり、科学的データを無視した避難指示は正しく殺人行為でもあったのだ。

 東電旧経営陣らを庇うつもりは毛頭ないが、当時の最高責任者であり混乱と更なる被害の拡大を生んだ菅が逮捕されないことに正義が在るとも思えない。当時の政権の失政を総括し、政治家全体の責任として猛省しなければその意味は無い。

 騒がれている処理水問題にしても何故に早くに海洋放出が出来なかったのか。何より「福島は除染をしなければ住めない土地」と風評を悪化させる原因を作ったのは除染作業であり、何故に除染が強行されたのか予断なく検証するべきである。

 事故責任を問うのは法治国家では当然であろうが、それよりも大事なことは二度とこの様な「人災」と言われる過ちを繰り返さない為に我々はどうすべきなのか、また未曾有の福島第一原発事故の教訓を今後にどう活かすかだろう。

 福島原発事故に限らず、いつか起こるであろう韓国や中共、或いは世界の原発事故に対し、福島第一原発事故の収束技術と正確な科学的データが活かされることこそ福島のこの地に住み続ける我らの願いでもある。

 余談だが、内閣府は今月初め「3月11日の午後2時46分に1分間の黙とうを捧げ、御冥福をお祈りすることとしております。国民の皆様におかれましても、これに合わせて、それぞれの場所において黙とうを捧げるなど、犠牲者の御冥福をお祈りいただきますよう、お願いいたします」との談話を発表した。

 気になるのは「御冥福を祈る」との言葉だ。「御冥福」とは「死後の幸福」という意味。浄土真宗の教義は「死は穢れ」ではないから死後の幸福は考えない。

 故人を阿弥陀如来の智慧の光明によって極楽浄土へと導くという真理である。「御冥福」を使うことは阿弥陀如来の否定であり、浄土真宗への冒涜でもある。

 ネットなどでも犠牲者を悼み「御冥福」の言葉が氾濫してる。「御冥福」というとそれらしく聞こえるから使いたくなるのだろう。亡くなられた方の宗派が分からないなら「哀悼の意を表します」「お悔やみ申し上げます」と言い換えるべきだ。

 葬儀告別式でも地元選出議員らの選挙活動の一環として弔電披露が行われる。宗派に関係なく「訃報に接し心より御冥福を祈ります」などとやってるアホ議員が多いのには厭きれる。死者を悼むならその前に仏教や宗派の教えを学んだら如何か。

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2021年03月11日

本日は犠牲者を悼み心静かに一日を過ごしたいものです

 震災当日の午後3時頃、国会中継を見ていると「緊急地震速報」のテロップが流れた数秒後、ゴーという不気味な音と共に起きた大きな揺れに徒ならぬ不安を覚えた。約1分程の揺れが数十秒の間隔を置いて3回、凡そ5分間の激震が続いた。

 余震の続く中、部屋を見渡すとは色んな物が散乱し、天井は歪み、サッシ戸や窓は全て開き、風呂場の壁は剥がれ落ちてた。愚妻に連絡を取るも携帯は繋がらない。twitterやfacebookなどのSNSをやらせとけばと悔やんだが仕方ない。

 散乱した物を片付けながら帰りを待った。暫くすると倅夫婦と孫も一緒で全員の無事な様子に安堵した。 倅夫婦は孫のミルクもオムツなども持って来る余裕も無く、余震が続く中で近所のツルハドラッグに買い出しに行った。

 地震で散乱した店内。ミルクや紙オムツなど必要な物を探してレジに持って行くと、「こういう状況なので御代は落ち着いてからで結構です。困ってる時は御互い様です。また来店して下さい」との店員の言葉に甚く感動したのを覚えてる。

 翌日、イトーヨーカドー郡山店へ買い出しに行くも商品が少ない。水を購入しようと探すも2ℓサイズは既に売り切れで、普段は30円程で売ってる小さな300㎖のペットボトルの水が一人2本限定で1本100円で売っていたのには厭きれた。

 正に便乗商法。ツルハドラッグの店員とはエラい違いで、商魂逞しいと言えばそれ迄だが、営利主義の賤しさを目の当たりにし嫌な気分になったのを思い出す。

 兎に角、経験したことの無い長く強い地震だった。大津波で亡くなられた方々に比べれば無事だったことは不幸中の幸いとしか言い様がない。

 福島県の被災者は宮城や岩手県の被災者に比べて恵まれている方だ。だが、県内の被災者は生活の不満を口にし、何かと理由を吐けては帰還を拒み、「賠償」「賠償」のオンパレード。原発事故に託けて甘え過ぎてはいないか。

 原発事故の被害は原発周辺者に限らず県民なら誰もが同じことで、偶偶、原発周辺20㌔以内に住んでたからこそ補償の対象になっているだけのことだろう。

 民主党政権は「SPEDDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)」の数値を隠蔽して原発周辺20㌔圏内の住民の避難指示を決定した。自称原発被災者のホンネは、菅政権と東電サマサマというのがホンネ(苦笑)

 20㌔圏内だった川内村や楢葉町、双葉町、富岡町といった割かし放射線の低い地域にも避難命令が出された。川内村の住民は郡山市に避難することになったが、川内村の放射線量は当時の郡山市の放射線よりより低かった(笑)

 被災者らは口々に「帰りたくても帰れない」「昔の故郷に戻せ」「生業を補償せよ」というが、帰る気になれば帰れるし、昔の故郷とは原発設置以前の故郷か?農業だけで食えるのか?生業って原発好景気だった頃の生業か?

 原発周辺の住民は東電関連の仕事に従事していた方が多い。既に福島第二原発の廃炉が決まった現状では、故郷に帰っても仕事が無いというのが現実だ。福島第二原発の再稼働こそが復興の象徴になると考えていただけに残念でならない。

 感情的な反原発の流れから全廃炉を目指すというなら、地元から離れなくてはならなかった被災者に対して避難している土地での再起を促し、納得させるのも政治の責任である。同時に自称被災者の自主避難者への優遇措置は止めるべきだ。

 世界が福島原発事故の行方を注視する中で、ロクに休養も取らずに過酷な現場で従事している方々がいる。「FUKUSHIMA50」は、原発事故後構内に留まって業務対応に従事した勇者らを描いた映画だ。明日の金曜ロードショーで放映される。

 この50人の多くは地元の小高工業高校(現・小高産業技術高校)のOB。海外のメディアは、この従業員たちの勇気を讃え「Fukushima 50」と称えた。一方で、日本のマスコミといえば「東電社員が逃亡」などと噓八百の報道を垂れ流した。

 映画「FUKUSHIMA50」では当時の菅政権の対応がリアルに描かれているという。そんなこともあって中身を知られたくなかった元民主党の議員や反原発派らには至って評判が悪いらしいが、つまりは事実を描いた作品ということだろう(笑)

 原発構内で働いている彼らの勇気ある行動と人智が我が国の未曾有の国難を救い、その努力が必ずや報われる様に無事終息されることを願って止まない。

 マスコミは大震災を忘れまいと犠牲者を取り上げ、反原発派が原発事故を騒ぎ立てるが、本日は心静かに一日を過ごしたいものです。東日本大震災で発生した大津波で犠牲になられた方々に対し衷心より哀悼の意を表します。合掌再拝。

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2021年03月10日

3月10日は日露戦争奉天会戦勝利を祝う「陸軍記念日」

 明治38年(1905年)3月1日から、日露戦争最後の陸上戦である「奉天会戦」が大山巌陸軍大将指揮の下で干戈を交え、激戦の末に同月10日勝利を収めた。

 翌年政府は、奉天会戦の勝利の功績を遺そうと3月10日を「陸軍記念日」として制定。以後、国民挙って御祝いしていた記念日である。因みに「日本海海戦」で、バルッチック艦隊を撃破し劇的勝利を収めたた5月27日は「海軍記念日」である。

 昭和20年3月10日、戦果芳しくない大東亜戦争の起死回生の戦いと神風を信じ、国民が「陸軍記念日」を祝っている日に米国は日本本土一斉攻撃を断行する。

 この「東京大空襲」の爆撃に因って、非戦闘員である多くの無辜の人々の尊い命が失われた。米軍による大空襲はこの日が最初だった。米国は「日本の多くの家屋が木造だ」という理由から火炎の強い焼夷弾を投下したのは言うまでもない。

 米軍この大空襲に飽き足らず4月14日及び5月25日にも空襲を断行した。5月25日の空襲では、その戦災はあろうことか皇居にも及び明治宮殿が全焼した。更には陛下の執務室や御所、正殿などの儀式殿を失うこととなった。

 我が国の記念日への侮辱は東京裁判でも発揮され、所謂A級戦犯が「死刑」の判決日が、昭和天皇の「天長節」、処刑日は12月23日、当時の皇太子の誕生日であり後の「天長節」に合わせて執行され、贖罪意識の植え付けに狂奔した。

 遡ること明治37年12月10日、我が国は当時世界最大の軍事大国ロシアに対し敢然と宣戦布告した。開戦前、世界の軍事専門家の中で日本勝利を予想した者が一人もいなかったが、我が国は1年半に及ぶ大戦に奇跡とも言える勝利を収めた。

 国民が決死の覚悟を以て開戦に踏み切った日露戦争の勝利は、結果として白人主義の欧米列強に有色人種である我が国の地位を認めさせることとなった。

 この勝利に由って幕末以来の懸案事項であった不平等条約の改正に繋がって行く。 即ち、明治維新の真の目的であった「治外法権」と「関税自主権」という二つの不平等条約の改正が、この日露戦争の勝利によって実現されたのだった。

 この二つの不平等条約の内の「治外法権」は、既に日清戦争後の明治32年に克服したが、「関税自主権」は克服出来ず、日露戦争勝利に由り回復実現することで明治維新は成就し、我が国は真に独立を回復することが出来たのである。

 日露戦争の勝利は、世界の植民地政策で搾取や弾圧を受けている民族の独立心を駆り立て、後の大東亜戦争後の植民地の解放に繋がって行くこととなる。

 日露戦争の世界史に於ける歴史的意義は、有色人種の日本人が白人に勝利することに由って、当時、欧米列強に植民地にされていた世界中の被抑圧民族を感動させ、独立への夢を駆り立てた大きな意義を持つものだったのである。

 日露戦争が齎した歴史的課題である「人種平等」の本格的な実現は、大東亜戦争を待たなければならなかった。我が国の先人の努力と苦労に想いを馳せれば感謝と尊敬の念は益々深まり、日本人として生まれた事に感激せずにはいられない。

 陸軍記念日万歳!天皇陛下万歳!すめらぎいやさか!

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2021年03月09日

感情的な議論より日本の技術力をもっと信用しようじゃないか

 東日本大震災の3・11に合わせ、県内を中心に犠牲者を悼む行事が各地で行われる。マスコミの報道は、恰も大震災で亡くなったのは原発事故だったかの様な世論誘導に違和感を覚える。大震災で犠牲になった方々の殆どが大津波に因るものだ。

 マスコミが行った世論調査では「県発事故の風化を感じる」という人も多いという。こうした結果を見ると、あくまでも危険であらねばならないと、放射線の恐怖と不安を煽り続けている反原発派やマスコミの思惑とは裏腹に、徐々にではあるが放射線が及ぼす影響はないということが国民に理解されて来た証左と言えよう。

 一方で「原発事故を風化させてはならない」という。「風化させない」というのは聞こえは好いが、悲しみは風化させなくてはならないし、いつまでも被害者ぶって、被害者意識丸出しで悲しみや慟哭に囚われていても仕方ないではないか。

 マスコミは津波のことより原発事故を取り上げて、故郷に帰れない被災者を悲劇のヒロイン的に報道するが、被災者の多くは民主党政権下でSPEEDI数値を隠蔽し、第一原発から半径20キロという非科学的な施策によって生まれた犠牲者だ。

 ジャーナリズムの本質は社会の木鐸として公正公平に真実を追究する姿勢に在る。風評とデマの差別の元凶が何処に在るのかこそ追求すべきで東京電力のみを糺す姿は正義とは思えない。反原発派に与し、曖昧で根拠のない報道こそが差別を引き起こし、それを助長してるのがマスコミであることを自覚すべきではあるまいか。

 震災直後、陛下は「被災者のこれからの日々を私達皆が、様々な形で少しでも多く分かち合って行くことが大切であろうと思います。被災した人々が決して希望を捨てることなく、身体を大切に明日からの日々を生き抜いてくれるよう、また、国民一人びとりが、被災した各地域の上にこれからも長く心を寄せ、被災者と共に夫々の地域の復興の道のりを見守り続けて行くことを心より願っています」と語りかけた。

 未曾有の国難ともいえる事態に、陛下の大御心に応えようと国民一人一人が心を一にし被災者や被災地を労わりあったことは紛れもないことだろう。

 だが悲しい哉、福島県や県民への差別や風評被害は未だ存在するのも確かで、東京都を始め関東各地へ電力を供給していた福島第一原発事故に因って、供給元の福島県や福島県民がこうした仕打ちを受けるとはよもや思わなかった。

 流言蜚語やデマが余計な混乱を生む。その元凶が民主党政権下で実行され、安倍政権下でも引き継がれている科学的根拠のない除染作業であり、「福島は除染しなければ住めない地域」との風評は止むことがない。こうした愚策が中間処理施設という更なる愚策を生み、復旧は愚か復興をも遅らせ福島県や県民を貶め続けている。

 何故にこうした除染作業という愚策が実行されるに至ったのかと言えば、何のことはない人々の優しさや幼稚な正義感に漬け込んで、原発事故での放射線への無知と無理解から来る憎悪や感情を利用して党勢拡大に利用しているに過ぎない。

 既に福島原発事故の教訓から、全国の各原発では「防波堤の建設」「浸水防止ドアの設置」「高台への非常用電源の確保」などの対策が進められている。大事なのはこうした原発事故の科学的データに基いた具体的な効率ある対策である。

 マグネチュード9という巨大地震の震源地に最も近かった宮城県牡鹿郡女川町 と石巻市に跨る「女川原子力発電所」は地震直後、原子炉は安全に停止し、被災者の避難所にもなった。 世界はこの「女川原発」に注目し、原発の地震対策を講じている。

 女川原発同様に万全だった福島第二原発だが、その安全性は語られることはなく、被害者意識丸出しで「廃炉ありき」から感情的に論じられているに過ぎない。

 福島原発事故で、原発は「冷源」と「電源」が確り保たれてさえいれば「冷温停止」に持ち込むことが可能ということを学んだ。つまりは巨大地震や巨大津波であっても原子炉を安全に停止させることは可能となったのだ。感情的な議論に意味はない。我が国の技術力をもっと信用しようじゃないか。

 多くの尊い命と被災された方々の犠牲の上に於いて、危機管理と防災と国防が万全なものとなり、更により高度な危機管理と対策が構築されて行くことが、先の大震災での犠牲者の無念さに応える唯一無二のものとなることを願って止まない。

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2021年02月27日

ジェンダー平等(ジェンダーフリー)主義を嗤う

 脳科学者だかタレントだか分からない茂木健一郎という男がいる。以前は常識的な学者だと思っていたが徐々に無自覚左翼ぶりが露呈して来た。こうした無自覚ぶりが左翼マスコミにとっては非常に使い勝手が好い様でマスコミによく登場する。

 中日スポーツの記事に由ると、茂木は自身のブログで、俳優の松山ケンイチが、妻で女優の小雪を「嫁」と表現したことについて、「嫁という呼び方」と題して批判的な自説を垂れ流した。因みに記事の「女優」はアウトだろうな(笑)

 茂木は「嫁」という字が「女」が「家」というのが気に入らなかったのだろう。「嫁」がダメなら当然「家内」ってのもダメだわな。「奥さん」もヤバそうだし。相手に遜って「愚妻」とか言ったものなら激怒されるのは間違いない(苦笑)

 茂木らジェンダーフリーに与する連中にとって「かみさん」と呼ぶのがベストなのだろうか。「亭主」の立場である男よりも女性の方が上になってるし満足だろう。

 つ~か、「嫁」に違和感を覚えるなら「姑(しゅうと・しゅうとめ)」はどうなんだ? 要は、単なる言葉遊びと男女共同参画社会の曲解にしか感じない。

 昔から俗に、口喧しくなった愚妻を「山の神」とも揶揄するが、頭が上がらず、いつも感謝しているという意味では神様もかみさんも同じだろう。そう考えれば、男社会だが嫁や女性を尊重していた社会だっとことが分かるというものだろう。

 ジェンダーフリーを叫んでる性的変質者らにとって「婦人」「夫人」もダメ。「婦人とは箒(ほうき)を持って掃除をする女のこと」と「婦人」という言葉を抹殺し、「子供は親の供え物じゃない」と「子ども」表記を強要している。

 平成26年6月、文科省は国会での議論を経て、マスコミや左翼どもが常用してる「子ども」表記を、漢字表記の「子供」に統一する通達を出している。

 現代国語を書き表す場合の漢字使用の目安として用いられる「常用漢字表(内閣告示)」というのがある。これを基にした「新公用文用字用語例集(内閣総理大臣官房総務課監修)」には「子供」と表記する様に示されている。

 マスコミを中心に左翼勢力は確信的に「子ども」表記を続けているが、当時の下村博文文部科学大臣の下で通達を出していることなんぞ知らないのだろう、自民党議員までもが「子ども」表記を使ってることはマヌケとしか言い様がない。

「子ども」表記に固執している連中というのは、「子供」の「供」という字が「お供え物」「お供する」などを連想させ「差別的な印象を与える」というのが理由。共産党は「子供」とは「大人の付属物や人身御供を意味する」と主張している。

 何処のどいつが、子供を「お供え物」「人身御供」と連想するというのだろう。遜った「私ども」の様な接尾語の場合は「原則、仮名で書く」とされているが、「大人」に対する「子供」を意味する場合、漢字二字で表記するのが正しい。

「大人のお供(とも)」を表しているというが、その場合、「お供」ではなく「お伴」と書くことさえ理解してない。供物と同じく「子供とはお供え物」とは正にキチガイどもの言いがかりであり、即ち、子供への敬意が足らない証左でもある。

「子供」と同じく「婦人」も公文書から消されてしまった漢字の一つ。今では看護婦を「看護師」、婦人警官は「女性警察官」、女優も男優も「俳優」と呼ばなくてはならない。前出の中日スポーツの「女優」表記は恐らく勘違いだろうな(笑)

 この「婦人」はインチキ漢字研究者が後漢時代の「説文解字」を紐解いて、「婦人」とは「箒を持って掃除をする女のこと」と紹介したことに始まる。

 この自説に、前出の性的変質者どもとキチガイどもが飛び付いて「婦人は差別だ」と叫んで抹殺した。しかし、間もなくこの説は全く誤りだと判明する。

 甲骨文字、それに続く金文の研究から「婦人」の「婦」は、「宗廟に酒を捧げ清める高貴な女性の意味」だということが判明する。だが、悲しい哉、男女共同参画社会の風潮の中でこうした言葉遊びや造語が改められることなく常用されている。

 また、男女共同参画社会の今では「婦」ではなく「師」と呼ぶ様になった。この「師」という漢字には、師団、軍師、派遣、元帥、追撃などに含まれる「追」のツクリの部位は、軍隊を派遣する時に食料である肉を分けることが原義だという。

 普段、「平和」「平和」と叫んでいるアホンダラ左翼どもらは「師」の意味も分からずに「看護婦」を「看護師」と呼び換えて満足してるが、無意識のうちに軍隊に起因する漢字を使用しているとは夢にも思っていないだろうよ(苦笑)

「男女共同参画社会」というのは、こうした言葉遊びから始まった左翼に拠る共同謀議的愚策であり、「嫁」に異を唱え、「家内」や「奥さん」という言葉を抹殺しようと謀るジェンダーフリー論は我が国文化にとって百害あって一利なし。

「子ども」表記に違和感を覚えることなくそれらに与し、率先して実践しているマスコミや保守派というのは滑稽極まりない。未だに「子ども」表記を使ってるのは共産党どもや左翼どもや単なる無自覚左翼のアホどもと見て間違いない(苦笑)

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2021年02月26日

北京2022冬季オリンピックをボイコットせよ!

 天皇誕生日での記者会見で、欧米の王室問題に繋げて「ジェンダーフリー(ジェンダー平等)」の不敬且つ不躾な質問をした記者がいたが、今や男女平等を曲解したジェンダー論が蔓延し、怪しい世論の動きになっている。

 森喜朗前東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会会長へのバッシングは異常としか思えない光景だった。そんなジェンダーフリーを翳す連中は、何故か中共のウイグルへの人権蹂躙には口を噤み、ジェノサイドを否定する。

 ウイグルでのジェノサイドをナチスドイツのホロコーストに準える臨調もあるが、ヒトラーがベルリンオリンピックを開催しプロパガンダが成功裏に終わったことを忘れるな。そういう意味でも北京冬季オリンピックは中止に追い込むべきだ。

 政治的問題でオリンピック中止を余儀なくされたり、ボイコットした例は少なくない。1980(昭和55)年、旧ソ連のアフガニスタン侵攻に抗議して、米国や西側諸国がモスクワオリンピックのボイコットを決め、我が国も同調し参加を辞退した。

 ボイコットが決定したことで、当時、金メダル確実と言われた柔道の山下康裕(日本オリンピック委員会(JOC)会長)やレスリングの高田裕司、マラソンの瀬古利彦、水泳の長崎宏子、男子体操といった多くの選手達が涙を呑んだ。

 当時20歳だった愚生もこのボイコット騒動はよく覚えている。山下選手は涙を流し「個人ででも出場したい」とインタビューで答えたことで批判を招いた。

 山下選手の気持ちは理解するが、スポーツが政治に利用されることは往往にして在ることだ。有名なのが、1936年のドイツのベルリンオリンピックだろう。

「オリンピックはユダヤの祭典である」とオリンピックを批判し、オリンピック開催に難色を示していたヒトラーだが、オリンピックがプロパガンダに利用出来ることを知ったヒトラーはベルリンでのオリンピックを開催を実行する。

 米国や英国は、ヒトラーのナチスの人種差別などを批判し、ボイコットを示唆していたが、「政治とスポーツは別」だとして最終的には出場を決めた。

 結果、ベルリンオリンピックは大成功に終わり、ヒトラーの政治的パフォーマンスとプロパガンダも思惑通りに進んだ。「オリンピックを成功裏に終れば、ヒトラーも大人しやかになるだろう」との米英の思惑は脆くも崩れ去ってしまった。

 オリンピック後、ヒトラーはラインラントへ侵攻し、スペインへ大量の爆撃機を送り、その2年後にはオーストリアを併合し、ズデーデン地方へも侵攻。その翌年の1939年9月にはポーランドに侵攻し、終に第二次世界大戦が勃発するに至った。

 歴史家の間ではドイツのポーランド侵攻とされているが、歴史家で元駐日大使のライスシャワーは、このポーランド侵攻の2年前の1937年の上海での中国軍による日本海軍への全面攻撃こそが第二次世界大戦の始まりだと主張している。

 条約上の権利の下に上海に駐留していた2500人の日本海軍「上海特別陸戦隊」に対し、1936年8月13日、12万人以上の中国軍は全面攻撃を行なった。この1936年8月13日には、ベルリンオリンピックが開催されていた時期なのだ。

「政治とスポーツは別だ」との主張こそ「平和ボケ」の象徴と断じて好かろう。こうした世論誘導はオリンピック利権に肖ろうとする企業や関係者、放映権や放送権が欲しいマスコミらの詭弁である。スポーツが政治や企業に利用されてるのが現実。

 オリンピックは選手にとっては重要な大会だが、大会関係者にとっては単なるショービジネス。先日、島根県の丸山達也知事が「聖火リレーの中止を検討する」と語り反響を呼んだが、聖火リレーの経費に9000万円がかかると聞いて驚いた。

 大会組織前委員長の森発言ばかりが騒がれてるが、スポーツの祭典どころか商業化するオリンピックの在り方や大会スポンサーの経費増額負担や聖火リレー走者からの参加費徴収など、営利至上主義が蔓延るIOCに対するその闇は深い。

 因みに、ベルリンオリンピックの次の開催国は日本だった。支那事変(日中戦争)が拡大しオリンピックどころじゃなり開催を返上。第二次世界大戦終結後の1948年のロンドンでオリンピックでは敗戦国の日本とドイツは招待されなかった。

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2021年02月25日

「中国」と呼ぶことは「ハイル・ヒトラー!」と同じ忠誠である(笑)

china

 中国共産党(中共)との尖閣諸島領有権問題やガス田問題、韓国との竹島問題、北朝鮮との拉致問題、ロシアとの北方領土問題など未だ解決の兆しすら見えないのは、全て日本政府の国家主権に対する甘さが招いた結果である。

 未だ共産主義を最高原理として崇め、神や仏という共産主義を超える最高の存在を許さず、人民には信仰の自由は認めない。そういう歪な体制である中共との平和友好など所詮は茶番でしかない。我が国は日台関係の再構築を目指すべきだ。

 集会、結社、出版、言論等々基本的人権が無く、満州、内蒙古、チベット、新疆の異民族を虐殺し土地を奪い、共産主義と漢民族化を強制し、清朝時代の最大版図を「歴史的領土である」と主張する中共こそ最大の帝国主義国である。

 多くの日本人は日中とは「同文同種」とか「一衣帯水」という認識を持ち、「四書五経」のイメージで支那への憧れを膨らませ、「支那」や「中共」ではなく「中国」と呼称する。反共、反中を訴える右翼人の中にもいる。中国と呼ぶくらいならせめて「チャイナ」と呼ぶべきだが、反米を訴える右翼が英語ってのもなぁ(笑)

「中国」という言葉の一番古い意味は「首都」で「国民国家」を意味するものではない。中国と呼ぶことは北京が世界の中心だということを暗に認めていることだ。

 抑々「支那」という言葉は最初の統一王朝の「秦」に由来する。清朝の公的文書にも「支那」との言葉は出てくる。新井白石が「チーナ」を「支那」と翻訳した。「支那」いう呼称は差別でも何でもなく世界の共通語でもある。中共は我が国に対してだけ「中国」と呼ぶよう強要するのは、忠誠を示させ属国化を謀ってるだけ。

 英語圏では「チャイナ」。フランス「シーヌ」。ドイツ「ヒーナ」。イタリア語「チーナ」。ペルシャ語「チーン」。インド「シナスタレ」など、「China」をそのまま母国語で表現している国が殆ど。ロシアは「キタイ」と呼ぶ。

 キタイとは 支那大陸の北部を支配しただけの契丹のことだ。大統一帝国の秦どころか、契丹と呼称とするロシアに「差別だ」との抗議の声が上がったことがない。

 日本を属国と見做す中共は、日本にだけは自分達を世界の真ん中にある「中国」と呼ばせたい。「中国」と呼ぶことは「ハイル・ヒトラー!」と同じ忠誠である(笑)

「支那」が差別というならば「東シナ海」「南シナ海」「インドシナ半島」等ははどう説明するのか。また「中国放送」「中国新聞」「中国電力」「中国ガス」「中国銀行」などの名称でも分かるが、「中国」とは中心という意味でしかない。

「支那」禁止の理不尽な言い掛かりが始まったのは、戦後の混乱期の昭和21年6月に遡る。形式上、連合国の一員で戦勝国であった支那はその力関係を盾に我が国に「中国」という名を強要した。外務省はそれに何ら反論も出来ず従順に受け容れた。

 直ちに「外務省次官・局長通達」が出され、「理屈抜きにして先方の嫌がる文字を使わぬ様に」と言論機関などにこれを強制し、「中国」の呼称が国民に浸透し現在に至っている。一つの譲歩が更なる譲歩を生む典型であろう。

 我が国外交の柱というべき近隣諸国条項は「中国」呼称強要に屈した軟弱外交に起因する。この「隣国が嫌がるようなことはしない」との外務省「言論抑圧」通達は無効であり、「支那」という呼称こそが世界の共通語であることを認識すべし。

 親中派は日本と支那との関係を、「一衣帯水」だとか「同文同種」「古くからの隣人」などと言って国民を誑かしているが、日中間に国交関係が樹立されたのは20世紀に入ってからであり、未だその関係は100年ほどしか経っていない。

 遣唐使は約250年間、菅原道真の献策に由って廃止されるまで派遣され、唐の文化が奈良時代の平城京を中心とした天平文化に影響を与えた例はあるが、我が国が国書を携えて派遣したのは「倭国」であり「日本」と名乗ってからは交易は無い。

 我が国は正式な国交関係は持たずに「政経分離」の方針を貫き、独自の文化を形成して行った。孔孟の教えにしても日本人が好意的に伝え実践しているだけ。

 明治4(1871)年に日清修好条規を結んだ相手は満州人の清朝であり、満州人が支那を支配していたが漢民族の国ではなかった為に、支那との正式な外交は明治45年の中華民国誕生まで待たなければならなかったというのが歴史的事実である。

 日本国政府は、昭和49(1974)年の「日中共同宣言」を受け、昭和53(1978)年8月12日、「日中平和条約」を締結した。締結した「日中平和条約」には「両締結国は、善隣友好の精神に基きかつ平和及び互恵並びに内政に関する相互不干渉の原則に従い両国民の交流促進のため努力する」と踏襲されている。

 尖閣列島の国有化に反発する「反日デモ」は、どう見ても善隣友好の精神に基いての行動とは思えない。況してや日本側が「過去の我が国の侵略行為や植民地支配などで多くの人々に耐え難い苦しみと悲しみを齎した」と譲歩することでもない。

 共産主義一党独裁の中共と友好関係を続けていること自体、国益を大きく損なうもので、平和友好を推進するなら共産主義を崩壊させること以外にない。

 余談だが、世界では日本を「ジャパン」と呼ぶ。だが、本来は「ニッポン」と言うのが正しい呼び名だ。国際会議やオリンピックなどの国際大会などで「JAPAN」と表示されるが、そろそろ「NIPPON」と表記すべきだと思うが如何だろう。

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2021年02月23日

天皇誕生日を寿ぐ

 本日は天長節(天皇誕生日)、誠におめでとうございます。皇国臣民の一人として謹んで陛下の弥栄と長久を御祈念申し上げ奉ります。

 我が国は「神の国」であり、神武肇国の古より、歴史の中から数々の伝統及び制度が生み出されてきた国家である。そんな中で、永遠に無くなってはならぬものが天皇を戴く国家の在り方であることは言うを俟たない。

 皇紀2681年の永きに亙り、我が国は万世一系の天皇を戴き、常に国民や世界の平和を祈り続けておられる天皇を、善き至高の存在として暮らして来た。

 天皇を族長と仰ぐ君民一体の家族国家が日本国であり、「天皇即日本」「日本即天皇」の天皇国家こそが我が国の国柄であり、皇統の歴史こそが象徴である。

 天皇の御代が栄えることは、即国民の代が栄えることでもあり、この国體の精華は万邦類を見ないところであろう。正に、世界に冠絶した「君が代」の世界が厳然と存在する国こそが、我が祖国日本であるのだ。

 陛下は天皇誕生日を前に定例の記者会見に応じた。陛下の御言葉はその影響するところは大であり正に「綸言汗の如し」。政治家の様に口先で誤魔化すことはその御地位、御立場と崇高な御人格がそれを許さない。

 ところが、質問する記者団といえば海千山千の強か者ばかり。恰も皇室を理解している様に取り繕ってはいるが多くは皇室に批判的な輩ばかりである。

 少なくとも尊皇絶対の大義を弁えている記者はいない。ノスタルジアな左翼思想に被れ、反天皇、皇統断絶に与する記者らは、陛下との一問一答形式によって、御言葉を引き出し、言葉尻を捉えて政治問題し、世論誘導を企てる。

 今回も反天皇運動に与するが如く、敬称や敬語不使用で「皇后さまの様子」やら「愛子さまの結婚」だとか、秋篠宮家の「真子さまの結婚」など無礼な質問が並ぶ。極め付けは皇位継承について「欧州では長子優先の動き」などと質す。

 所謂「開かれた皇室論」に基く陛下や皇族への定例会見は一切拒絶するのが妥当であり、宮内庁は別な形での国民への御発露の方法を考えるべきである。

 抑々「敬称・敬語不使用運動」は共産主義者に因る反天皇運動の一環である。売国マスコミに拠る「敬称・敬語不使用」や「開かれた皇室論」の姿勢は、今や国内に蔓延し、天皇陛下や皇室に対する敬愛の念を薄れさせている。

 本来の日本人ならば正式な敬称で呼ぶべきで、「さま」などと呼ぶことに由って、日本の伝統文化や美徳が喪失して行くということを自覚すべきだろう。

「欧州では長子優先」という質問には、敬宮愛子内親王こそ皇位を継承すべきとの思惑が見え隠れする。正しく反天皇及び皇統断絶に与する質問であることは明らか。更には天皇が欧州の王室と同等の立場であるかの認識は誤りである。

 この記者を見るまでもなく、天皇とは「王室」や「国王」の存在だと思っている人も多いが、分かり易く言えば、天皇とは日本固有の信仰である神道を伝え導く神主(神官)の最高の地位者であり、祈りを重んずる「祭主」であるのだ。

「女性天皇」や「女性宮家」では天皇の重んじる祭祀が叶わない。神に仕える神事を執り行うことが憚れるのだ。別に女性差別ではなく伝統というもの。反天皇論者らは国事行為をする便利な存在としか思っていないから軽軽しく皇統を語る。 

 日本という奇跡の国に生を享けながら国の成り立ちも知らず、天皇とはどの様な存在であるかも分からず、反天皇の不遜不敬、不届至極の不逞の輩が存在しそれらに与するとは、戦後の日本人の精神的幼稚さの現れでもある。

「天皇制打倒」を目指す日本共産党や立憲民主党ら左翼陣営が「女性天皇」や「女性宮家」の創設や「女系天皇」容認に狂奔していることこそ何かを況や。

 これらの奸賊を排し、迫る来る祖国の危機に対処し、天皇国日本を盤石の安きに置く使命を有するのは民族派陣営である。正にその存在の意義を示す神機は近付きつつあると確信する。諸君、一旦緩急に備え遺憾無きを期そうではないか。

 すめらぎいやさか すめらみこといやさか すめらみくにいやさか

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2021年02月22日

2月22日は「竹島の日」であり山口二矢烈士生誕日でもある

 韓国人の「虚言癖」という病んだ民族性はどうやっても治ることはない。ウソの中でも最大級のウソが所謂従軍慰安婦の強制連行と竹島の主権主張だろう。 

 竹島を「独島(ドクト)」と称し、「古来から韓国固有の領土である」と主張するその根拠は「三国史記(さんごくしき)」という古代朝鮮の歴史書に帰着する。

 その「三国史記」には、鬱陵島の西隣に在る「干山島(うざんとう)が新羅(しんら)の領土」と書かれていることを論拠に「歴史的事実である」と主張する。

「三国史記」とは、三国(新羅・高句麗(こうくり)・百済(くだら))時代から統一新羅末期までを対象とする紀伝体の朝鮮半島に現存する最古の歴史書である。この史記を論拠に韓国側は「4~5世紀から韓国領だった」と言い張っている。

 古地図を見れば、干山島は鬱陵島の西に接近している島だと分かる。だが、悲しい哉、韓国のいう「独島(竹島)」は、鬱陵島の東南92キロに在る島なのだから「干山島が竹島である」と主張することには無理があるだろう。

 こんな誰でも判りきった事実が存在するのに、聞く耳を持たずそれらを否定し、竹島の領有権を主張し不法占拠を続けているのが現状である。

 歴史的に見れば鬱陵島周辺の小島の呼称が変遷し、「竹島」は「松島」とか「リャンコ島」とか呼ばれた時代もあり、こうしたことが紛らわしくしているのかも。

 だが、李氏朝鮮時代の地図には鬱陵島より90キロも先に在る島のことなど登場したことはない。鬱陵島とその近くの干山島などの小島以外は全く出て来ない。

 考えてみればそれは当然のことで、抑々、李氏朝鮮時代には鬱陵島すら「空島政策」に由って居住が禁止されており、その鬱陵島より遥か先の島の干山島ことなんぞ関心も認識すらもなかったというのが正直なところだろう。

 面白いもので、我が国では鬱陵島を「竹島」と呼んでいたことがあるという。こうした歴史的経緯を、韓国人の我田引水的論法を真似すれば、「鬱陵島も日本固有の領土である」と主張しても可笑しくはないかも知れない(笑)

 韓国初代大統領に就いた李承晩は昭和27年1月、国際法を無視し、軍事境界線「李承晩ライン」を勝手に設定すると、竹島を取り込んで「韓国領」と宣言した。

 我が国の主権がGHQの統治から解放され恢復するのは同年4月28日。その約3ヶ月前に、我が国固有の領土であった竹島を掠め取ったというのが真相であり、韓国側の領有権主張はそれらの不法行為を正当化する詭弁でしかない。

 戦後、この「李承晩ライン」を侵犯したとして拿捕または抑留された日本人漁民は、その後に「日韓漁業協定」が成立する昭和40年(1965年)の間に3929人にも及び、拿捕船舶328隻、死傷者は実に44名を数えたという。

 韓国政府はこの日本人漁民抑留者との引換えに、日本国内で犯罪を犯し収監されていた在日朝鮮人472名の放免と日本滞留特別許可を強要すると、驚くことに我が国政府はその恫喝にあっさり屈し要求に応じた。

 正しく「安易な譲歩が更なる譲歩を生む」という悪しき前例の最たるものであるが、この措置以降、在日が殖え続け、所謂「在日特権」が次々と与えられて行くこととなった。竹島問題は「在日特権」を考える上でも重要な問題でもあるのだ。

 話は変わるが、今日2月22日は2が揃う「にゃんにゃんにゃん」の「猫の日」らしいが、浅沼稲次郎を刺殺した山口二矢のことを思い出さずにはいられない。

 昭和18年2月22日、山口家の二男として東京で生まれる。二月二十二日生まれと「二」の字が続いたことから、父は「二矢(おとや)」と命名したという。

 昭和34年、16歳の時に大日本愛国党に入党。だが、赤尾の運動に懐疑的だった二矢は翌年5月、同党の吉村法俊、中堂利夫(後に防共挺身隊に身を寄せるも脱退、両名共作家に)と共に愛国党を脱党し、「全アジア反共青年連盟」を結成する。

 その後間もなく、日比谷公会堂で演説中だった日本社会党委員長浅沼稲次郎に天誅を加えることとなった。社会党、浅沼稲次郎を刺殺したのが10月12日。練馬鑑別所で自裁したのが11月2日。「二」という数字は烈士にとって運命だったのだろう。

 生きていれば未だ78歳。麻生や二階よりも若い。右翼民族派陣営の現況は先細りの感は拭えない。二矢烈士が生きていれば右翼をどう導いてくれただろう。

 今どきの右翼団体は先覚の生誕祭を祝いや命日を偲ぶのが好きだが、それも大事なこととは思うが先覚各各の生き様を見倣はなければならないと思う。斯くいう愚生も、右翼人を気取りながらも未だ私を捨てきれず忠を全う出来ずにいる。

「自己放棄に達しない思想は賤しい思想である」と訓えたのは三島由紀夫。営業右翼や自称・愛国者を批判する前に、今や二矢の嫌う「愛国屋」風情に流されてしまっている己の怠惰な生き方を猛省せねばならないと自覚する。合掌再拝。

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2021年02月19日

「氏(姓)を変えることにより自己喪失感を覚える」という変態的意見

 東京五輪・パラリンピック組織委員会会長に橋本聖子五輪相が就く。森前会長の女性への揶揄を「女性差別」や「女性蔑視」とバッシングして森を辞任に追い込んだ勢力は、これに味を占めて最終的には敬宮愛子内親王の即位を謀るだろう。

 その手始めに「夫婦別姓」問題について、男性側の姓を名乗ることに抵抗し別姓推進を声高に主張するだろう。「夫婦は同一の姓とする」との民法規定の違憲性が争われた訴訟の上告審で最高裁は「規定は合憲である」との判断を示している。

 民法第750条には「夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する」と明記されている。つまり夫となる人、または妻となる人の何れか一方の「氏」を夫婦の氏とするということであるが、男性の姓を名乗るのが恒例化している。

 この民法の規定を多くの国民は「片方が氏(姓)を変える」と理解しているが、「氏(名字)は個人の名前の一部」という誤解が混乱を招いているのも事実。

 抑々「氏」というものは個人を表す名称ではなく、明治維新以前には武士や大店の商人以外は「氏」は無かった。明治維新後、新政府は全ての国民に「氏」を与え、戸籍を整えた。何より家族の絆の重要性を重んじることとした。

 戸籍抄本や戸籍謄本を見れば分かるが、戸籍の筆頭者のみが「氏」と「名」で書かれており、その他の家族は「続柄」と「名」しか書かれていない。つまり、「氏」は家族を表す名称であり、個人名ではないことが理解出来よう。

 日本人の日本人らしさの根幹を成すのが「戸籍制度」であり、個人だけでなく、親兄弟や子や孫、連綿と続く歴史の縦軸の中に生きるという制度である。正に我が国の「戸籍制度」というのは世界に誇れる制度であると言えるのだ。

 欧米の教育は個人が生存権に勝つ為のものであり、辺り構わぬ闘争が行われ、働く目的は金と享楽の追求のみ。それ故、家族の絆は緩み道徳の深さは生活から離れ、結果、唯物主義の考え方が支配的となり、人々の心を孤独化している。

 我が国は欧米の価値観が蔓延してる中でも個人主義は極僅かで、世代に亘る家族の絆は固く互いに助け合うことで人間本来の善良な姿と優しい心が保たれている。

 夫婦別姓制は個人主義を優先する余り家族の一体感を損ない、子供に与える精神的影響も大きい。事実婚を増加させ離婚の増加や婚姻制度の崩壊を齎すだろう。

 抑々、婚姻に際し氏(名字)を変えることにより職業上不都合が生じる人にとって、通称名で旧姓を使用することが一般化している。婚姻に際し氏を変更したとしても、婚姻を関係者知人に告知することにより何の問題も生じない。

 また、「名字を変えることにより自己喪失感を覚える」という様な意見もある様だが、これは「氏(姓)は個人名ではない」ということを理解していない典型で、同姓が嫌なら、騒がずとも同棲という事実婚で好いだけのことだろう。 

 そうした変態的な意見より、結婚に際して夫婦が同じ姓となり、これから新たな家庭を築くという喜びを持つ夫婦の方が圧倒的多数であり極めて一般的な感覚だ。

 夫婦同姓は、普通の日本人にとって極めて自然な制度であり、現代社会で家族とその絆を支えているのが「戸籍」である。戸籍は、国民の出生・結婚・死亡などの身分の変動を「夫婦と未婚の子」を単位として登録するシステムである。

 戸籍制度は結婚や相続など家族生活を営む上で極めて重要な役割を担うと同時に、家族の一体感を維持する機能も有している。 ところが、別姓推進派には「別姓導入は戸籍制度改廃への一里塚」とする考え方が根強く存在するのは事実。

 別姓するくらいなら結婚などしなきゃ好いと思うのが普通だが、あくまでも夫婦別姓の目的が「戸籍法」の改正に在るのだとすれば合点が行くというものだろう。

 別姓推進派は、現在の戸籍制度が家族単位である点を戦前の「家父長制度」の残滓と捉え、戸籍を個人単位の「個籍」や、欧米諸国を模した「個人登録制」に改めることを求めているが、戸籍法改正を理由にした国體破壊こそが目的である。

 選択的夫婦別姓と雖も導入されれば我が国の戸籍制度や家族制度は瓦解し、祖先と家族・親と子を結ぶ連帯意識や地域の一体感、延いては日本人の倫理道徳観にまで悪影響を及ぼすのは必至。尤も、不倫や重婚には都合が好いだろうが(笑)

 夫婦別姓に限らず突き詰めた議論が無い儘にマスコミが創り上げる安っぽいムードだけで、やれこれが世界の流れだとか、実に曖昧な次元でもって賛同者が広がってるが、こうした怪しい動きに騙され便乗することがあってはならない。

 亀井静香がEテレの夫婦別姓問題特集の番組に出て「夫婦別姓はワガママ。国家の恩恵を受けたいなら国家のルールに従え。日本人はみんな天皇の子」と語ったことがネットで批判されている様だが、この認識は間違いではない。

 我が国は正しく天皇の国であり、臣民とは天皇の子。我が国が世界に誇る家族制度というのは皇室の在り方を理想とするものであり、正しく「父母に孝に兄弟に、夫婦相和し」。実に尊く、神の国に生まれた奇跡を感謝せずにはいられない。

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