2020年10月22日

迷故三界城 悟故十方空 本来無東西 何処有南北(無着道忠禅師)

「苦しいこともあるだろう。言い度いこともあるだろう。不満なこともあるだろう。腹の立つこともあるだろう。泣き度いこともあるだろう。これらをじっとこらえてゆくのが男の修行である」とは山本五十六元帥の金言である。

 修行の仕方には色々あるのだろうが、愚生の場合、手っ取り早いのは歩くことだと思っている。兎に角歩く。30分とか1時間ではなく半日くらい歩いてみる。

 初めこそ歩きながら頭に過った由無し事をあれやこれやと考えたり、演説の練習がてらペラペラと喋ってみたりするが、そのうち考えることも忘れて無心になる一瞬がある。これも座禅でいうところの無の境地というものなのではあるまいか。

 四国巡礼の御遍路にはいつか行ってみたいと思っている。歩くことで過去の自分と向き合い、あれやこれやと想いを巡らせているうちに歩くことに集中しそれが修行となる。四国巡礼の御遍路で被る笠には次の言葉が書かれてある。

 迷故三界城 (迷うが故に三界は城なり)
 悟故十方空 (悟るが故に十方は空なり)
 本来無東西 (本来東西は無く)
 何処有南北 (何処んぞ南北有らんや)無着道忠禅師 同行二人

 その意味は「迷いがあるから、まるで城に閉じ込められているかの如く愚劣な考えに縛られて自らを苦しめている。悟りを得ると大宇宙の如く自由自在な境地を得ることが出来る。この世には本来、東も西もない。拘りを捨て、ゆったりと世の中を渡って行こう」。「同行二人」とは、いつも弘法大師と共にあるということ。

 読書の秋ではあるが、最近は専ら映画ばかりで本を読む機会がめっきり減ってしまった。座右の書を一冊挙げろと言われれば吉田兼好の「徒然草」だろうか。

 三十八段に「名利に使われて、閑かなる暇もなく、一生を苦しむこそ、愚かなれ。財多ければ、身を守るにまどし。害を買い、累を招く媒なり。身の後には、金をして北斗をささふとも、人のためにぞわづらはさるべき。愚かなる人の目をよろこばしむる楽しみ、またあぢきなし。利に惑ふは、すぐれて愚かなる人なり」とある。

「世俗的な名声とか地位とか財産とかに身も心も使われて、心静かにゆったりと生活を楽しむ余裕もなく、一生あくせくと暮らすなど実に愚かなことだ。財産が多いとそれだけ身を守らねばならず、面倒な煩いを招くもととなる。例え死んだ後でも残された遺族たちは財産分与で揉めるだけだ。そんな愚かな人々の為に自慢したところで、それもまたつまらないことだ。利欲に惑うことは最も愚かな人である」と訓える。

 徒然草と同じく「葉隠」も好きな一冊だ。葉隠の正式名称は「葉隠聞書」といい、佐賀藩士・山本常朝が、同藩の田代陣基に語った口述記録である。

 三島由紀夫は「葉隠入門」で「行動の知恵と決意が自ずと逆説を生んで行く、類の無い不思議な道徳書。如何にも精気に溢れ、如何にも明朗な人間的な書物」と語っている様に、現代人にも通用するものも多く非常に役に立つ金言に溢れている。

 例えば「意見の仕方」のというのがある。「人に意見してその人の欠点を直すということは大切なことであり、慈悲の心とも言える。ただ、意見の仕方には骨を折る必要がある。大方の人は、人に好まれない言い難い事を言ってやるのが親切の様に思い、それが受け入れられなければ、自分の力が足りなかったとしている様だ。こうしたやり方は何ら役に立たない。ただ悪戯に人に恥をかかせ、悪口を言うだけのことと同じ結果になってしまう」と語っている。

 そう教えた上で、「意見というものは先ず、その人がそれを受け入れられるかどうかを見極め、相手と親しくなり、何時も信用する様な状態で仕向けるところから始めなければならない。言い方なども工夫し、時節を考え、自分の失敗談等を話しながら、余計な事を言わなくても思い当たる様に仕向けるのが良い。先ずは良いところを褒めて気分を引き立てる様に心を砕き、そうした上で欠点を直していくというのが意見というものである」と、意見に対する極意を説いている。

 意見一つに、これほどの細やかな気遣いをする現代人はいないだろう。三島由紀夫が「葉隠は道徳規範の書」であると教えるのはそういうことでもある。

 冒頭での「武士道といふは死ぬ事と見付けたり」が独り歩きし、読みもせずに「危険な書」だと思っているのではないだろうか。葉隠は日本人必読の書である。

 葉隠では「美しく死ぬか」と教え、同時に「何の為に生きるか」と説く。「人間の一生なんて真に短いものだ。だから、好きなことをして暮らすべきである。(中略)。自分は寝ることが好きだ。だから、今の境遇に合わせて、家に閉篭り、寝て暮らそうと考えている」との一節がある。「寝て暮らそう」とはどういうことか。

 三島由紀夫はこうした喩えを「逆説」と教えているが、道徳規範の書と言われる葉隠は「その裏の真実を読み取る術が要求される」とも語っている。

 常朝の教えを真似している訳ではないが、団体を辞してからというもの家に引き籠っていることが多い。碌に働きもせずに浪人として生きて行くことは他人が考えるより過酷な精神修養で、小人故に暇を持て余して不善を成す危険と相対す(笑)

 最近は山歩きも御無沙汰だが、山を歩いてると苦しい中にも何かを感じることがある。一人で野営し、当たり前ではない日常をたった一日過ごしただけでも日々の見え方が違うし、例えば布団で寝れるという当たり前なことが有り難くも感じる。

 渓流釣りでもそうだが愉しい中にも崖を攀じ登ったり、それをまた下りたり、激流を超えたり泳いだりと、苦しさがあるからこそ実に清々しい気持ちになる。

 自然の偉大さを感じながらも自然と対峙することで「無の境地」に近付くからではあるまいかと勝手に思っている。来月からはワカサギ釣りが解禁されるが、座ったままで単純な動作を半日ほど繰り返すあの釣りもまた修行に近い。呵呵。

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2020年10月21日

facebookの検閲が止まらない。同じ記事で再々々のアカウント停止処分ってどうなのよ?

 昨日、facebookから「規約違反の通報を受け審査したところ記事の内容は『差別』に該当しますので本日より30日間の利用停止となります」との通告を受けた。コミュニティ規定違反だという当該記事は以前も30日間停止になった内容。

 同じ記事で、然も「公開」されていない記事でアカウント停止処分になるというのは納得いかない。「差別」とは付けたりに過ぎない理由で、やってることは思想差別であり、言論の自由は特定(左翼)の勢力だけに赦されるものらしい(苦笑)

 今回、再々々のアカウント停止になった原因は前回同様、山口敬之と伊藤詩織の「ゲロを吐きまくった女とやっちまった山口敬之が悪い(笑)」との記事の様だ。どう読んでも、この文章のどこが差別や不適切な表現なのかさっぱり分からない。

「ホテルに連れて行くなら、自分の部屋に連れ込むのではなく別な部屋を取ってやるべきだったわな。目が覚めた伊藤は、昨夜の自分の醜態に恥じ入ったのは想像するに難い。そんな申し訳なさからセックスに及んだのだろう」

「ホテルのトイレでゲロをそこいらじゅうに撒き散らし、それを健気に掃除する山口。愚生も経験はあるが、よく貰いゲロをしなかったものだ。まぁ、山口の下心なのか、優しさなのか。愚生ならそのまま放置プレイ必至(笑)」

 こうした愚生の経験から基く表現を不適切だということが不適切ではないか。まぁこうした措置でも経験の一つとして受け容れたら、またしても山口敬之と伊藤詩織の記事で3日間だった停止期間が更に延長されていた(笑)

「『据え膳食わぬは男の恥』とばかりにやっちゃった、たった一発の中田氏で330万円の賠償命令。外国人記者クラブで会見に応じ、裁判への不満と自分の正当性を訴えた。驚くのはその場に伊藤詩織が参加していたことだ」

「伊藤ってのはレイプされてその怖さからPTSD(心的外傷後ストレス障害)になったんじゃなかったっけ。そんな精神的に滅入ってる女が乱入してくるというのも何だかなぁ。PTSDの患者が、加害者と同じ空気を吸っている不思議(笑)」

 過去には、橋下徹関連の記事で「穢多・非人」のことを書いたら、何処の何方かに「差別的表現」として通報されたことがある。「穢多(えた)」や「非人(ひにん)」というのは広辞苑にも出ている様に別に歴史的な事実だ。

「穢多(えた)」「非人(ひにん)」とは、江戸時代の幕藩体制で「士農工商」の更に下の最下位層に位置付けられた人々で、明治以降は「新平民」と呼ばれている所謂「同和」や「部落解放同盟」などの「自称・差別されてる」連中のこと。

 江戸時代、同心を手伝った岡っ引きや十手持ち、罪人の世話や処刑、牛馬処理などを担ったという。明治以降には屠殺に関わり、精肉店や革製品製造などに従事してる人に多いと言われ、芸人も非人の起源と言われている。

「差別はいけない」と批判するが、そうした存在を黙(もだ)し、現代の幼稚な価値観を優先する余り、歴史から消してしまうことが好いことだとは思わない。

 我が国の歴史にそういう負の時代が存在していたのであれば、その成否はどうあれその事実を教えなければ「差別」の意味さえも理解することは出来ない。

 前回は鳥越俊太郎関連の4年前に書いた外国人参政権付与問題の記事で「差別」と警告を受けている。参政権問題は、在日朝鮮人が大半を占める「特別永住者」だけではなく、一般の永住者も選挙権の対象とされているということを書いた。

 参政権付与となれば在日朝鮮人のみならず、支那人永住者にも付与されることとなるのだが、外国人参政権付与問題ではこの点は殆ど議論されてはいない。

 外国人参政権付与問題は、支那人の移民問題にも繋がるもので非常に深刻な問題を孕んでいるのだが、単に「強制連行された」だとか「差別を受けてる」という在日朝鮮人の問題にして、この問題点については語ろうとしないという内容。

 この「朝鮮人」や「支那人」というのが「差別」だという。韓国人は朝鮮人じゃ無いということか?支那人にしても漢民族なら好いと言うことか?

「シナ(支那)は差別用語だから使用するのはダメだ」という。「支那(China)」とは、最初の統一王朝「秦」に由来している名称で、新井白石が「支那」と翻訳したのが始まりだという。岡倉天心の説では「新」に由来しているという。

 シナがダメならば「インドシナ半島」や「東シナ海」も使ってはダメな言葉だわな。「支那そば」も差別の食べ物か。ラーメンというより美味しそうだが(笑)

 中華人民共和国(中共)は日清戦争での敗戦もあって、日本にだけは自分達を世界の真ん中にある「中国」と呼ばせることで「北京が世界の中心だ」ということを暗に認めさせて、朝貢国に仕立て上げ外務省がそれに屈したというのが真相だ。

「中国」という言葉の一番古い意味は「首都」という意味で、「国民国家」を意味するものではない。日本でいう「中国」とは鳥取・岡山・島根・広島・山口県の中国地方のことで、別に「世界の中心」という意味でもない。

 尊皇愛国の書として有名な山鹿素行の「中朝事実」では、世の学者の外国(主として漢土)崇拝を批判し、皇統の一貫を根拠に「日本こそ万国に卓越した中華・中国と呼ぶに相応しい国である」との日本主義を主張している。

 英語圏では中共を「チャイナ」。フランスは「シーヌ」。イタリアは「チーナ」。ペルシャでは「チーン」。インドでは「シナスタレ」などと呼ぶ。ロシア語では「キタイ」。支那大陸の北部を支配しただけの契丹のことだ。

 大統一帝国の秦どころか、契丹と呼称とするロシアに「差別だ」との抗議の声が上がったことがない。要は、「中国」との呼称の強要は日本への逆差別である。

 愚生は常々「中国」と呼ぶのは国際的にも間違いで「支那」と呼ぶことが正しいと考えていたが、考えてみれば「支那」とは二千年の歴史のある言葉でもある。

 易姓革命で政権や王朝が代わっても、その基底にある自然・民族・文化を意味する名称として使われてきた国名であり、共産党一党独裁の近代国家如きを浪漫溢れる「支那」と呼ぶのは分不相応だと感じている。「チャイナ」で好いか。呵呵。

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 画像は、愚生的県内ラーメンナンバーワンの福島市の「支那そば佐川」の支那そば&半ライス&糠漬け。食べたいが、閉店してしまったのは残念至極(泣)

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2020年10月20日

昭和19(1944)年10月20日、「神風特別攻撃隊」が編成される。

 本日は上皇后陛下の御生誕日。謹んで御祝詞申し上げます。マスコミは「さま」付けで報じられているが、天皇や皇族方への敬称略運動は反天皇勢力の反天皇運動の一つであり、日本人であるなら正式な敬称と節度ある敬意を表するべきだろう。

 10月20日は、歴史的にも現代を生きる我々が決して忘れてはならない日でもある。米連合軍部隊は圧倒的勢力でフィリピンのレイテ島に上陸を図ろうとする。大日本帝国海軍は徹底抗戦に応じるも戦況は芳しいものではなかった。

 昭和19(1944)年10月20日、戦況不利な状況から起死回生の反撃を決行し、連合軍の沖縄への上陸と本土決戦を阻止する為に、大西瀧次郎中将の指令下「神風特別攻撃隊(しんぷうとくべつこうげきたい)」が編成された。

 祖国日本を守る為に、愛する家族や故郷を守らんと死を決意して志願した特攻精神は祖国愛の極致というべきものであり、正しく「神風精神」こそは大東亜戦争が自存の為の「祖国防衛戦争」だったことの何よりの証である。

 沖縄への上陸を何が何でも阻止しようと特別攻撃隊が果敢に応戦するも連合軍の圧倒的軍事力には敵わず、翌年4月1日、米軍は終に沖縄に上陸した。

 迎え撃つ牛島満中将指揮下の師団と旅団、及び大田実海軍少将指揮下の海軍部隊、棚町整海軍大佐が指揮する約7千人の航空関係員が対峙する。

「鉄血勤皇隊」や「ひめゆり学徒隊」に代表される少年少女など、軍官民は決死の防衛戦を展開。本土からは、戦艦大和に代表される第二艦隊の出撃「菊水一号作戦」や、桜花隊や敷島隊等の航空特攻「菊水二号作戦」を発動する。

 更には、航空特攻だけではなく、海軍特殊潜航艇「回天」等の特攻作戦を展開する。こうした決死の戦闘空しく、同年6月23日に組織的沖縄戦は終結した。

 沖縄戦では特攻部隊が重要な役割を果たし、特攻戦死者の実に76%が沖縄戦で亡くなられている。鹿屋基地(海軍航空)からの特攻では1981名、知覧基地(陸軍航空)からの特攻で1036名が散華されている。

 特攻作戦は航空部隊や特殊潜航艇だけに止まらず「魚雷特攻」「空挺特攻」「対戦車特攻」「震洋特攻艇」「陸軍海上特攻」など、日本軍の劣勢を覆す為のこうした作戦で実に3972名の若者が祖国日本の為に尊い命を捧げられた。

 沖縄戦に出撃した戦艦大和は沖縄沖で砲撃戦を行う予定であったのだが、出撃後の4月7日、惜しくも鹿児島沖の海に沈んだ。大和の船内には歯磨き粉や歯ブラシ50万人分、月経帯15万人分などの民生品を大量に積み込んでいたという。

 こうした事実はつまり、大和は連合軍の沖縄上陸阻止という戦いだけではなく、沖縄と沖縄の人々を必死に護ろうとした何よりの証明と云えよう。

 特攻作戦を「無駄死」という声を散見する。現在の道徳観や倫理観で生死を語るなど笑止千万。我が国の現在の平和や繁栄は、純真無垢な彼らの尊い犠牲の上に成り立ってるということを現代に生きる我々は決して忘れてはならない。

 沖縄を始め国内では未だに「日本は沖縄を見捨てた」だとか「日本は沖縄を捨石にした」などという左翼勢力に拠るプロパガンダが蔓延っているが、いい加減、被害者意識を捨てて歴史の事実に目を向けたらどうだろう。

 被害者ぶったところでそこからは何も生まれない。純粋に沖縄を護る為に、我が国の未来の為に尊い命を捧げてくれた若き英霊に対し、今を生きる我々が被害者意識丸出しでは一体どんな顔向けが出来るというのか。

 沖縄戦で散華した大田少将は自決前「沖縄県民斯ク戦ヘリ県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」と打電した。この一文から沖縄を死守すべく先人達は戦い、力及ばず敗戦の憂き目を見るが、決して沖縄を見捨てた訳ではない。

 戦後、米軍の統治下に置かれた沖縄県民の負った犠牲は気の毒だが、旧ソ連の残虐非道、鬼畜の如き蛮行を受け、故郷を追われた北の島々の方々の想いに比べれば、占領したのが米国で未だマシだったとは思えないか。

 戦争に負けるとはそういうものであり、先の大戦は「一旦始めた戦争は決して負けてはならない」という重要な教訓を遺したと言えよう。

 10月20日で思い出すのは、新右翼のカリスマ的指導者だった野村秋介が平成5年に朝日新聞社で壮絶な死を遂げたことだ。何故にこの日を選んだのか?

「地久節(当時)の日に・・・」との声も無い訳ではないが、この日が「特攻作戦と若者の命」という深い意味が込められていたからである。

 理論家であり、行動派であり、権力に媚びず、ヤクザにも顔が利き、幅広い人脈を持つ野村秋介の死は、新右翼に限らず右翼陣営全体にとっても大きな痛手だった。野村の死後、右翼陣営には指導者不足という課題が大きく伸しかかっている。

 10月20日というこの日の思いが吾が脳裏に去来する。すめらみこといやさか。

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2020年10月17日

我が国は神の末なり 神まつる 昔の手振り忘るなよゆめ(明治天皇御製)

 本日は「神嘗祭(かんなめさい)」。誠におめでとうございます。先日、支援者から頂いた新米を神棚に供し、畏くも陛下の弥栄を祈念する。

 神嘗祭は五穀豊穣の感謝祭であり、宮中及び伊勢神宮(神宮)では祭祀が行われる。旧暦の9月17日に行われて来たが、明治以降は10月17日に行われている。

 本日は、天皇陛下がその年の新穀を皇祖の天照大御神を祀る伊勢の皇大神宮に奉られ神恩に感謝される、宮中祭祀の中でも重要な大祭である。

 その新穀を天神地祇に供え陛下御自身も召し上がる日が新嘗祭(にいなめさい)であり、神の加護による農作物を始めとした天の恵に感謝する日であるが、何故か「勤労感謝の日」として、日本人にとって重要な祭日の趣旨が失われている。

 最近は、新嘗祭に関係なく誰もが真っ先に口にすることが出来る様になってはいるが、本来は陛下が新穀(初穂)を召し上がられてから頂くのが習わし。

 稲作の起源は、天照大神が瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)が葦原の中つ国(日本の国土)への天孫降臨に際して稲を授けて発した「斎庭(ゆにわ)の稲穂の神勅」であり、稲づくりは天つ神の命令であり、委任を受けた業である。

「収穫は神のものである」ということから先ず新穀を神々に献じ、神勅の精神に則った祭祀である。神宮では神嘗祭が最も重要な祭祀とされ、神嘗祭に御装束・祭器具を一新する。神嘗祭が「神宮の正月」とも言われる所以でもある。

 20年毎に社殿を新しく造営し祭神を遷座する式年遷宮は、大規模な神嘗祭とも言われる。神宮では、式年遷宮後最初の神嘗祭を「大神嘗祭」とも呼ばれる。

 伊勢の民衆は、この祭りを「おおまつり」と呼び、奉祝の行事を行う。神宮の神職や伊勢の神領民はこの祭りが終わるまで新穀を口にしないとされる。

 マスコミ報道やSNSでは何故かヨーロッパを発祥とするハロウィンは話題になるが、我が国の収穫祭である神嘗祭のことは殆ど報じられることはない。

「年中祭日祝日ノ休暇日ヲ定ム」および「休日ニ関スル件」により、明治7年(1874)から昭和22年(1947)まで祝祭日だったがGHQに拠り平日とされた。

 新嘗祭は名称を意味不明な「勤労感謝の日」として現在まで祝日として継続しているが、神嘗祭は戦後は平日の儘だ。10月17日の「神嘗祭」を祝日として復活させることは、我が国の国體の精華を取り戻すことでもある。

 GHQが、我が国の歴史や伝統、文化の否定から始まった「祝日法」を再改正し、春分の日を「春季皇霊祭」、秋分の日を「秋季皇霊祭」とし、同時に建国記念の日を「紀元節」、勤労感謝の日を「新嘗祭」と本来の名称に戻さねばならない。

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2020年10月16日

日本学術会議も日教組もGHQ指導の下で設立されているという事実

 日本学術会議の問題が騒がれているが、学術会議は学術研究会議を前身とし、占領下だった昭和24(1949)年にGHQの監視下で発足した団体である。「科学が戦争に利用された」という反省の上に立って設立された左翼団体というのが正しい。

 GHQは、学校教育の「民主化の一環」として、終戦直後の昭和20年12月に教員組合の結成を指令し、「日本教職員組合(日教組)」が結成されている。

 日教組の「教え子を再び戦場に送るな、青年よ再び銃を取るな」というスローガンと、日本学術会議の「科学が戦争に利用された」という認識は、敗戦国の日本と日本人に対し贖罪意識と自虐史観を植え付けたいGHQの思惑を見事に顕している。

 政治の混乱と矛盾、経済の停滞と低迷、社会の沈滞と退廃、戦後体制の諸矛盾は、大日本帝国憲法の改悪を始めとした米国の断行した占領政策が元凶であり、学術協会の問題を機に米国が謀った様々な占領時の政策を徹底検証しなくてはならない。

 占領下、米国は様々な弱体化政策を断行した。その基本となってるのが占領憲法であり、そして教育に手を出し「戦前の日本の軍国主義が日本の中央集権的教育制度を齎した結果、戦争に繋がった」と結論付け、教育改革を謀っている。

 教育改革では教職員組合を組織し、更にそれまでの我が国の学校教育を内務省の中央集権的統制から解き放ち、その管理を地域住民の代表により構成される合議制の委員会の下に置こうと画策し「教育委員会制度」を導入させた。

 教育委員会のモデルとなったのは米国の教育委員会制度。この制度は米国の開拓時代の占領統治の思惑から生まれたもので、日本の統治もこれと同様に教育を改革させることで米国の価値観を植え付け意の儘に置こうというのが狙いだった。

 我が国の教育の荒廃の元凶は文科省だけではなく、教育委員会と日教組の影響は大きく、米国の実行した「戦後民主主義教育」と「日本国憲法」を始めとした様々な法律や制度の押し付けは、米国の思惑以上に大きな成果を齎し続けている。

 米国の押し付けというと現憲法ばかりが論われるが、教育委員会制度も「労働三法(労働組合法、労働基準法、労働調整法)」も米国製ということを知らない。況してや日本の癌とも言える日教組も左翼の巣窟でもある学術会議も米国製である。

 占領下で強制されたこれらの悉く失敗した米国の策謀を当たり前だと錯覚し、それを変えることすら躊躇しているとは政治の怠慢である。今回発覚した学術協会の売国性は正しく悪因悪果であり、こんな売国団体は解散させてしまえば好い。

 因みに「労働三法」は、憲法28条の労働基本権の理念に基き制定されたことになっている。企業などの労使関係を規定し、対等的労使関係の基礎となっているが、結果は労働組合が乱立し労働人を蔓延らせることとなった。

 労働三法は「理想的な労働関係の法律を作る」とか「労働者の保護」という目的で制定されたのだが、真意は労働者の因るストライキによって日本人の勤労意欲を削ぐことを目的とし、日本企業の生産力低下を狙ったものだった。

 結果は米国の大失策に終わる。全国に労働組合が乱立し、組合員が跋扈し、嗤えることに米国製の法律で守られた労働者が反米闘士となって「反米」や「反基地」を唱える始末で、正に「飼い犬に手を咬まれる」とはこのことだろう(笑)

 我が国は相も変わらず労働者天国というか労働貴族が、労働者らから掠めた組合費でこの世の春を謳歌し、労働組合の傀儡である野党が国益を害し続ける。

 この労働貴族らと同じ勢力が学術会議の面々で、恥も外聞もなく米国の謀った組織に胡坐を掻いて学術なんぞそっちのけで偏狭な思想を垂れ流している。

 労働者にとって中共や北朝鮮の様な社会主義国や共産主義国が理想の国とされたりもするが、どっこい、資本主義であり、民主主義である我が国ほど「労働貴族」といわれるプロ組合員や左翼学者どもが優遇されてる国は無いだろう。

 米国は「日本国憲法」で国民を骨抜きにし、「労働三法」で労働者を優遇し、「教育委員会」制度の導入によって教育を荒廃させたという事実を冷静に見れば、占領下押し付けられた悪法を撤廃し、改革を図るのは当然だと考える。

 米国製の憲法を護り、米国製の労働三法に守られ、米国製の教育委員会を信奉する不思議。米国の意向で設立された「学術協会」も今や左翼の巣窟と化している。戦後の不条理の元凶は戦後ヤルタポツダム体制であり、検証と改革は待ったなし。

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2020年10月15日

「男系男子が絶えることなく続いて来た重みを踏まえる」との認識を確認したというが

 自民党の保守グループ「日本の尊厳と国益を護る会(代表・青山繁晴参院議員)」のメンバーが菅義偉首相と面会し、皇位継承に関し菅首相が「男系男子が絶えることなく続いて来た重みを踏まえる」との認識を確認したという。

 男系男子の継承を重んじ、GHQに拠り皇籍離脱させられた旧宮家の皇籍復帰を実現させれば歴史に名を残す名宰相となるだろうが、俄かには信じ難い。

 菅首相は官房長官時代に安倍と共に退位法案を成立させ、「将来の天皇が退位する際の先例に成り得る」と退位法案を強行させた逆賊の一人でもある。

 皇族の減少への対応策について「早々に対応しなければならない」との認識を持つ、強烈な女性宮家・女系天皇推進派でもある菅が「男系男子が絶えることなく続いて来た重み」とは、首相の座に就いて翻意したということなのか?

 抑々、男子皇族の後継者不足の問題が出始めたのは、敬宮愛子内親王殿下が誕生されてからのこと。現憲法第二条を曲解し「長子優先」を謀ったのが、今や国力低下を謀り反原発運動で国民を誑かしてる売国奴・小泉純一郎だった。

「長子優先」は、現憲法第二条「皇位は世襲のものであつて国会の議決した皇室典範の定めるところによりこれを継承する」を念頭に置いた策謀というのが正しい。

「皇位継承を安定的なものにする」というのは詭弁であり、その実は女性天皇や女性宮家、更には女系天皇を可能にし皇統断絶を謀る為の一里塚である。

 現代人の驕りから、皇統の問題を天皇の御意向を一切無視し、現代の価値観や法令で語ることに違和感というか、怒りを覚える国民は少なくない。

 女性天皇ありきの皇位継承の議論が始められたその翌年、秋篠宮家に長男である悠仁親王殿下が誕生する。小泉は悔しさを滲ませ「皇位継承順位を性別に関係なく長子優先とする」というとんでも法案の提出を断念したのは記憶に新しい。

 その後、皇位継承問題は落ち着いたと思いきや、民主党政権下、野田佳彦が「安定的な皇室活動」として女性宮家問題を提起したことで今に引き継がれている。

 悠仁親王が成人となられ、御成婚し、殿下が誕生するまで約20年はかかるだろうことを、何故に現代で法令を作って迄も変える必要があるとするのか。

 万世一系百二十六代の皇統が貴重である理由は、神武天皇から連綿として一度の例外も無く「男系」で繋がっているという厳然たる事実である。

 安定的な皇位継承を図るならば、占領下に臣籍降下させられた旧宮家の方々の皇籍復帰を成し、更には堂上公家を元に復せば解決する問題である。

 来月8日には「立皇嗣の礼」が行われる。「皇太弟」ではなく共産党の造語でる「立皇嗣」と呼ぶ意味は、後の悠仁親王殿下即位阻止が目的である。

 この裏には秋篠宮家の内親王殿下を女性宮家とする目的が透いて見える。二階幹事長も女性宮家及び女性天皇推進派であり、その目論見は菅と一致する。

 皇位継承で大事なのは神武天皇以来の「男系」の血筋であり、「今上陛下とは血筋が違う」というのは反天皇勢力に拠って創られた現代の価値観に過ぎない。

 旧宮家とは「伏見(ふしみ)宮」「閑院(かんいん)宮」「山階(やましな)宮」「北白川宮」「梨本宮」「久邇(くに)宮」「賀陽(かや)宮」「東伏見(ひがしふしみ)宮」「竹田宮」「朝香(あさか)宮」「東久邇(ひがしくに)宮」。

 旧11宮家の方々は北朝第3代崇光天皇の皇子、栄仁親王から始まる伏見宮の系統に属し今上天皇との関係は、室町時代の伏見宮貞成親王を共通の祖先とされている。

 東久邇宮盛厚王(明治天皇の孫)の妻は昭和天皇の長女である茂子内親王であり、上皇后陛下が民間から嫁がれていることをしても男系男子の正統性を有する。

 秋篠宮皇太弟~悠仁親王殿下の継承は決めっているが、東久邇家以外にも男系男子がおられ、皇位継承は旧宮家の皇籍復帰を成すことで盤石となる。

 占領下、旧宮家の皇籍離脱に最後まで反対した昭和天皇の意を汲み、旧皇族を皇籍復帰させることこそが皇統断絶を救う唯一の道である。全愛国者よ、団結せよ!

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2020年10月13日

選択的夫婦別姓を「何が問題なのかさっぱり分からない」というが(苦笑)

 橋下徹元大阪府知事が、フジテレビ系のニュース番組賛否両論の選択的夫婦別姓について持論を述べた。「夫婦別姓」は橋下のライフワークの様なもの(苦笑)

「別姓にみんなしなさいよ、別姓に強制しますよってことじゃないんでね。同姓でいきたい人は同姓でいいし、別姓でいきたい人は別姓でいいし。選ばしましょうって、何が問題なのかさっぱり僕、分からない」と視聴者を誑かす。

「うちの父親は再婚なので、父親と僕は名字違うままでずーっと来た」と自らの家庭事情を明かし、「名字違うからって家族の一体性がないなんて、ふざけんなコノヤローって言いたいですね。それは関係ないじゃないですか」とは理論の摩り替え。

 橋下というのは一見、保守を装っているが訴えてる中身は「反天皇」「外国人参政権付与」「沖縄独立」「国立戦没者追悼施設建立」等等売国的なものばかり。

 その一つに戸籍法廃止がある。橋下は「日本の戸籍は差別助長のツール」「夫婦別姓の実現には戸籍廃止しかない」と、戸籍法廃止の必要性を訴える。

 その理由は「現戸籍における本籍地や出生地の記載は被差別地域を確認すること以外に使い道がありません。本人の本籍地は簡単に変えることができますが、本人の出生地や先祖の本籍地・出生地は延々と付いてきます」という。

「現代社会において不用な、本人の出生地、先祖の本籍地・出生地情報を戸籍に記載することはもう止めようよという政治的な動きは全くありません。この不要な戸籍記載こそが、悲惨な差別問題を引き起こしている」という。

 部落差別は大阪や京都などの特異な地域での問題であって、また「差別」というが、その差別されてるという意識が被害妄想そのもの。「差別」を利用して戸籍法廃止を目論むこと自体が、同和などと同じ差別利用ではあるまいか。

 家族の一体感を維持しその絆を支えているのが「戸籍」である。国民の出生・結婚・死亡などの身分の変動を「夫婦と未婚の子」を単位として登録する戸籍制度は、結婚や相続など家族生活を営む上で極めて重要な役割を担っている。

 橋下の様な夫婦別姓推進派の目的は、夫婦別姓自体は付けたりに過ぎない理由で、真の目的は我が国が世界に誇る戸籍制度の崩壊と廃止である。

「別姓するくらいなら結婚などしなきゃいい」と思うのが普通だが、その目的が「戸籍法廃止」に在るのだとすれば合点が行くというものだろう。

 別姓推進派は、現在の戸籍制度が家族単位である点を「戦前の家父長制度の残滓」と捉え、戸籍を個人単位の「個籍」や「個人登録制」に改めることを求めている。こうした考えは家族制度の解体を意図していることは明らか。

 現在は民法と戸籍法によって婚姻のときの氏(姓)の決め方が定められている。 民法第750条には「夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する」と明記されており、夫婦何れかの「氏」を夫婦の氏とする。

 この規定を大半の人は「片方が氏を変える」と理解しているが、「氏は個人の名前の一部」という誤解が混乱を招いているのも確かだろう。

 戸籍でいう「氏」というものは個人を表す名称ではなく、明治維新以前には武士や大店の商人以外は氏などない。明治維新に拠り、戸籍を整える為に全ての国民に「氏」を与え、国民は皇室の家族の在り方を理想とした。

 戸籍には筆頭者のみが氏と名で書かれており、その他の家族は続柄と名しか書かれていない。つまり、氏は個人の名前ではなく家族を表す名称なのだ。

 日本人の日本人らしさの根幹を成す制度というのが「戸籍制度」であり、個人だけでなく、親兄弟や子といった歴史の縦軸の中に生きるという制度であり、正に我が国の「戸籍制度」は世界に誇る制度であると言えるのだ。

 先祖が「穢多(えた)」や「非人(ひにん)」と言われる橋下が反対するのはこういうことで、本音は「差別」を利用して先祖の正体を消し去りたいだけ。

 穢多・非人というのは広辞苑にも出ている言葉で差別用語でもない。江戸時代の幕藩体制で「士農工商」の更に下の最下位層に位置付けられた人々をいう。

 明治以降は「新平民」と呼ばれている、所謂「同和」や「部落解放同盟」などの「自称・差別されてる人々」のこと。日本の歴史的な事実でもある。

 江戸時代、同心を手伝った岡っ引きや十手持ち、罪人の世話や処刑、牛馬処理などを担ったという。明治以降には屠殺に関わり、精肉店や革製品製造などに従事してる人に多いと言われ、芸人も非人の起源と言われている。

 橋下にしろ、問題が出ると必ず「世界ではこうだ」とか「何処何処の国では・・・」という意見を散見する。何か日本が世界に比べて遅れているかの様な言い分に聞こえるが、日本は日本であって他所の国なんぞどうでもいいではないか。

「選択的夫婦別姓制度」を導入したイタリア、オーストリア、ドイツ、デンマーク、スウェーデン、ハンガリー、フランス、スペインなど欧州の国々では婚姻率が4割以上も減り、離婚率が2倍となり、婚外子の割合が5割も増加した。

 北欧、フランスでは婚外子が5割を超え、従来の家族制度が崩壊している。何故にこうなったのかは「選択的夫婦別姓制度」の導入が最大の理由だ。

 抑々、婚姻に際し氏を変える者で職業上不都合が生じる人にとって、通称名で旧姓を使用することが一般化しており、婚姻に際し氏を変更するのも、関係者知人に告知することにより何の問題も生じない。現在はそれが当たり前になっている。

 また「氏を変えることにより自己喪失感を覚える」という様な意見もある。だが、結婚に際し夫婦が同じ姓となり、これから新たな家庭を築くという喜びを持つ方が圧倒的多数であり、それが極めて一般的な日本人の感覚だろう。

 別姓が導入され、別姓世代が続けば家系は確実に混乱して、我が国の戸籍制度や家族制度は瓦解し、祖先と家族・親と子を結ぶ連帯意識や地域の一体感、延いては日本人の倫理道徳観にまで悪影響を及ぼすのは必至である。

 我が国は天皇を族長と仰ぐ家族国家でありこの国體の精華は万邦無比である。反天皇主義者であり、穢多や非人ではないかと囁かれる橋下にしてみれば、日本的家族制度が我慢ならないし、その元凶が戸籍制度だと信じて止まない。

 橋下は、選択的夫婦別姓を「同姓でいきたい人は同姓でいいし、別姓でいきたい人は別姓でいい」とか、戸籍法も「マイナンバーで事足りる」などと世論を誑かしているが、その裏には国體破壊という目論見があることは疑う余地がない。

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2020年10月09日

福島第一原発周辺に貯まり続ける処理水の処分方法は海洋放出しかない

 福島第一原発周辺に貯まり続ける処理水の海洋放出は住民の反対を理由に中断されている。当初は、貯水タンクは秋には満水となるという試算だったが、何やら2年後の夏頃まで延びたからか未だに処理方法すら決まっていない。

 政府は近く処分方法をを判断するというが、処理方法は海洋放出しかない。人体に何ら影響もしていないセシウムの700分の1程度に過ぎないトリチウムの放射線に怯えるというのは如何だろう。これこそ感情論の何ものでもない。

 感情論で行われた除染は、住民の安心より「フクシマは除染をしないと住めない町」との風評を生んだ。トリチウム水の海洋放出は世界の常識。我が県を含めて何処に放出するかであって、処理水の開票放出を受け容れる都道府県を探すべきだ。

 処分方法さえ決定していないことは、核のゴミの処分地を決められないことと同じく政治の怠慢であり、処分方法の全国的議論は問題の先延ばしに過ぎない。

 原子力規制委員会の進言通り、海洋放出を決定した上で海洋放出する候補地選定をどうするかだ。そういう意味からも感情論を排し、「福島県沖ありきではなく、人体に影響が無い処理水を全国の何処に放出したら好いか」を議論すべきだと思う。

 原発周辺に更なるタンクを増設で問題を先送りしても根本的な解決は図れない。処理水の海洋放出を決定した上で、処理水に含むトリチウムの科学的データを示し、海洋放出は人体には全く影響のないことを周知するべきだろう。

 福島県沖への放出は人体的影響は問題は無いが、風評被害が怖いというのは理解出来る。住民の安心から進められた除染は「福島は除染をしないと住めない町」とのレッテルを貼られた。福島県沖への放出も同じ流言蜚語が飛び交うだろう。

 処理水の海洋放出が決定されれば反原発派らが大騒ぎするのは必至。考えてみれば風評被害を招いているのは反原発派も然ることながら放射線に無理解な県民も同じ。トリチウムの何たるかを知らず「トリチウムを含んだ処理水」などと騒ぎ過ぎ。

 昨日都内で行われた第七回意見聴取会で、全国漁業協同組合連合会(全漁連)と福島県水産加工業連合会が「深刻な影響が出る」として海洋放出に反対したが、こういう連中こそが自ら風評被害を招いているという自覚さえ無い。

 国内のみならず原発が稼働している場所では処理水は放出されている。福島原発も事故前は海に放出しており、周辺は人気の釣り場にもなっていた。福島第一周辺に貯まり続ける処理水だけが問題にされているのは福島差別ではないのか。

 不安を煽るだけのマスコミと反原発派の感情論にはもううんざりだ。政府は科学的データを公表し、核のゴミ(高レベル放射性廃棄物)の最終処分場選定と同じく、補償や地方交付税の増額等を示して放出先を応募すべきだと思う。

 状況からして福島県沖がベストだろう。「更なる福島への風評被害を生ませない」というのなら、粛々と海洋放出してしまえば好い。「人の噂も七十五日」ではないが、放出後に日々のデータを公表すれば反原発派の罵声は日々薄まる(笑)

 原発設置県として最悪の事故が起きてしまった以上、最後まで責任を持つべきだが、「県民の声を大切にして欲しい」なんて言ってるから事が進まない。政治家は、大衆の意見とは違う決断が時には必要であるということを痛感する。

 処理水問題は、福島県以外の数県が名乗り出てくれれば容易に解決出来るのだが、そうした決断を出来る知事が果たしているかどうかといえばそれも疑問。

 以前、松井一郎大阪市長が大阪湾受け入れを示唆したが立ち消えになってしまった。福島原発が主に首都圏の電源だったことをすれば東京なども候補地に名乗りを上げるべきだろう。福島県一県だから福島だけが貧乏籤を引くことになる。

 2020年東京オリンピック委員会の総会に於いて、安倍前首相は「(処理水問題の状況は)完全にコントロール出来ている」と大見得を切った。

「処理水問題」は、我が国の首相が公約したことであり、国際的な約束事でもある。処理水の海洋放出は慎重を期すのは分かるが、慎重過ぎても問題あり。

 処理水の海洋放出は一歩間違えば国際的な問題に成り兼ねず、オリンピック終了までは断念せざるを得ないだろう。ここに来て東京オリンピックが1年延期されたが、処理水の海洋放出を断念しタンクの増設で事を濁してはならない。

 以前、建屋屋上へ溜まってた雨水40兆Bq/Lが流出したと大騒ぎになった。4京ではなく40兆Bq/Lで年間にすれば20兆Bq/L。汚染水にはストロンチウムやトリチウムが確認されているが、数値の高さに驚くが人体に影響が出る数値ではない。

 世界基準では、地下水バイパスやサブドレンの放出濃度運用目標は1500Bq/Lと定められている。これをトリチウム水の質量濃度に換算してみると、約2.8×10のマイナス14乗、つまり百兆分の2.8Bq/Lという極めて低い濃度となる。

 ppm(百万分率を表す単位で100万分のいくらであるかという割合を示す数値)や、ppb(10億分のいくらであるかという割合を示す数値)、ppt(1兆分のいくらであるかという割合を示す数値)にも至らないレベルということ。

 現在、世界各国の原発施設から海へ放出されているサブドレン/地下水ドレンのトリチウムは1000Bq/L以下、地下水バイパスでは100~150Bq/L程度。1F港湾内外のトリチウムは検出限界(約2.0Bq/L)以下とのデータが出ている。

 堰内に溜まった雨水(堰内の汚染も含む)も、検出限界(約100Bq/L)以下で、 これらを質量の濃度に換算すると千兆分の1~十京分の1となる。

 仰々しい数値だが、原発周辺に貯まり続ける処理水の数値は気化されたものもあり数値は低い。セシウムの700分の1程度に過ぎないトリチウムの放射線に怯える必要は無い。風評という雑音は直ぐ消える。粛々と海洋放出を実行せよ。呵呵。

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2020年10月05日

「戦争回避を唱えていた近衛文麿首相」というが近衛こそが真の戦争犯罪人

 地元紙の読者の欄の福島市在住の92歳になる女性の投稿が目に留まった。朝ドラの古関裕而の「暁に祈る」の発表会のシーンに感動し、「女子生徒が『暁に祈る』を舞う姿が二度と来ない世の中になる様に祈っています」と反戦を訴える。

 まぁこういう気持ちは分からなくはないが、戦争の認識を穿違えている。というのも投稿には「当時、戦争回避を唱えていた近衛文麿首相が辞すると、次の東条英機首相になると真珠湾攻撃が決行され祖国の歴史に汚点を残しました」と綴る。

 そうした認識の上で「近衛首相が辞めないでいれば、と今でも悔やまれます」と語っている。これが普通の歴史認識なのだろうが、別に大東亜戦争は東条英機が惹起したものではない。東条英機ら所謂A級戦犯は、敗戦の責任を負ったに過ぎない。

 この高齢の女性だけではなく、多くの国民が戦後民主主義教育の洗脳から、先の大戦の意義を理解することなく、「実に愚かで無謀な戦争であった」と断じ、戦争を決断した当時の首相だった東条英機や軍部と政府を批判して止まない。

 先の大戦を、現代の価値観や倫理観で批判することに意味は無い。これもまた日本人へ贖罪意識を植え付ける為の米国に因る戦後民主教育の遺物であろう。

 所謂「A級戦犯」として処刑された方は東条英機元首相を始め、土肥原賢二、板垣征四郎、木村兵太郎、松井石根、武藤章、広田弘毅の7名。所謂「B・C級戦犯」は1068名。凄惨なリンチに等しいもので亡くなった方など約100名に及ぶ。

「無謀で愚かな戦争」と断じることは容易だが、東京裁判の茶番劇で7名の戦争殉難者を始め、外国の地で不当な裁判に処せられ、言い訳もせずにその罪を償ってくれた1068名とリンチ等で亡くなられた方々の命は決して軽いものではない。

 今に生きる我々は、未だに「戦犯」との汚名を着せられながらも、その不当な判決でさえも諒として受け容れ、「我が身が犠牲になることで救われるなら」と一身にその罪を償ってくれたという事実を忘れてしまっているのではなかろうか。

 大東亜戦争を「侵略戦争」であるとか「アジアの人々に多大の迷惑を掛けた」と罵り、戦争の原因を天皇や軍部、そしてA級戦犯である東条英機らであるなどと喧伝しているのは無知に加え、大戦の原因を隠し続けたいからに他ならない。

 戦争犯罪人は「大日本帝国憲法」でもなく「天皇」や「統帥権」でもなく、況して「軍部」でもなければ「軍国主義」でもないし、東条英機元首相でもない。

 真の戦争犯罪人はそれこそ、この高齢の女性が「戦争回避を唱えていた」という近衛文麿であり、ソ連のスパイ・尾崎秀美やそのブレーン達であり、即ち日本国内で蠢いていた共産主義者らであるということは今や歴史的事実である。

 大東亜戦争とは、ソ連コミンテルンと中国共産党、そして我が国に巣食っていた近衛や尾崎ら共産主義者が仕組んだ共産革命の実現の為の争いであり、そのマルクス・レーニン主義者らの策謀にまんまと嵌ってしまった戦争だったと言えるのだ。

 大東亜戦争自体は決して恥ずべきものでもない。我が国はアジアの星だったのは紛れもない事実。その視点に立った時に果たして我々は何を成すべきなのか。

 先の大戦を「侵略戦争」と罵るのは勝手だが、我が国はアジアを侵略したのではなく、アジアを侵略していた米英を始めとした連合国と戦いに臨んだのだ。

 それでも我が国が「アジアの人々に謝罪し償う必要がある」というなら、その最大の過ちは、戦後、アジア全域に共産主義の跳梁跋扈を許したことであり、償いは覇権主義著しい中国共産党を始め国體破壊を謀る共産主義を失くす以外にはない。

 歴史を検証するとは、古今東西、世界に蔓延る覇権主義の克服を主張すべきであって、幼稚な正義感や倫理観から他国の覇権主義には目を瞑り、一方的に我が国だけが「無謀で愚かな戦争」などと自虐の淵に止め処なく漬かり込むことではない。

 今こそ、東京裁判史観を検証し連合国の不条理と公正な歴史を学ぶと共に、大東亜戦争の意義を知ることは平和を謳歌する現代日本人としての義務でもある。

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2020年10月04日

愛知県のリコール運動に右翼団体は関わるなっての(笑)

 高須クリニックの高須克弥院長と名古屋市の河村たかし市長が中心に行われている愛知県の大村秀章知事の解職請求(リコール)署名運動。血税が差別と偏見に満ちた嘲り満載の反日侮日展に使われることは断じて赦されない。

 現憲法では確かに「言論の自由」「表現の自由」が保障されているが、憲法での自由や保障云々の前にそこには公共の秩序を守るなどの最低限の常識や良心がなくてはならないのだ。是非ともリコールが成立して欲しいと願う。

 気になるのは、こうした愛知県民の常識が問われ運動に保守系団体や自称愛国者らが参集して応援するのは未だ分かるが、右翼団体らが応援に駈け付けてる光景に違和感を覚える。何故なら右翼というのは未だ社会からは受け入れ難い存在。

 右翼団体は純粋に大村秀章知事や反日侮日行為を監修した津田大介は絶対に赦さないという思いなのだろうが、端から見れば贔屓の引き倒しにしか見えない。

 その昔、参院選・山梨選挙区で、輿石東に無名の元高校教師・宮川典子が挑み、僅かの差で惜敗したことがあった。負けた原因は正しく「贔屓の引き倒し」。

 輿石は周知の通り「日教組のボス」と称され民主党内(当時)の左派を束ねる参院のドンである。その輿石が「参院選挙で落選するのでは」という予想が、各報道機関の世論調査で明らかにされた。宮川の勝利が眼前にあったが脆くも崩れた。

 宮川の票が伸びなかった大きな要因は、対抗馬が日教組の輿石ということで保守政党のたちあがれ日本(当時)が輿石批判を訴え、更には右翼団体が押しかけ輿石糾弾をした。結果、眼前にあった当選が徐々に遠退いて行った。

 正しく右翼団体の応援が贔屓の引き倒しになってしまったのだ。輿石74歳、宮川31歳、宮川陣営は世代交代を訴えたかった。選挙選後半は世代交代を訴える。有権者も宮川を好意的に捉えつつあったが、右翼団体の登場で情勢に変化が起きた。

 宮川の選対幹部は「右翼団体が街宣車で押しかけて来て盛んに輿石糾弾をしました。彼らにすれば当然の糾弾でしょう。輿石のやっていることも糾弾に値します。だけどそれが宮川に優位に働くかというと必ずしもそうではない」とは正しく。

 愚生も元行動右翼人に所属していたので、恕から出でる右翼団体の行動を責める立場には無いが、過去の行動を振り返れば反省すべき点は多い。自分では好かれと思った行動が贔屓の引き倒しになっている場合もあるということを自覚すべき。

 その贔屓の引き倒しの最たるものが、所謂「終戦記念日」の靖國神社参拝だろう。「反天連」等の蛆虫左翼の反日活動に対峙するのは結構だが、多くの右翼団体や営業保守や軍事オタクらが大挙して集合してパフォーマンスを繰り広げる。

 8月15日という日は遺族にとって大事な日であるのに、右翼や営業保守派らが遺族を押し退けてまでパフォーマンス的参拝をしている光景は異様としか感じない。

 所属していた団体の初代・福田進総隊長は、その昔「8月15日は遺族の日であるから貴様らは決して行くな」と訓示した。以来、8月15日に靖國神社へ詣でたことはない。そう思えば、現在の右翼幹部は恭倹己を持することのないアホばかり。

 今では8月15日に靖國神社に参拝するのが保守派や右翼の踏み絵になってるが、この8月15日に初めて参拝したのは三木武夫で、公式参拝したのは中曽根康弘。

 中曽根以降、公式参拝をした総理大臣はいないが、その公式参拝は中共からの抗議で直ぐに撤回して謝罪した。8月15日を自民党総裁選で利用したのが小泉純一郎であり、安倍晋三も靖國を利用した一人。こう見ると国賊ばかり。

 歴代の総理大臣は春秋の例大祭に詣でるのが恒例だったが、中曽根の公式参拝で靖國が政治問題化して以来参拝出来なくなってしまった。つまり、8月15日の靖國神社への参拝は、三木・中曽根から続く靖國神社冒涜運動の継承であるのだ。

 8月15日は終戦記念日ではなく「戦没者を追悼し平和を祈念する日」であり、戦没者は何も靖國神社に祀られている英霊だけではない。保守派や右翼団体らが8月15日の靖國神社に拘れば拘るほど、陛下の靖國神社への御親拝が遠退いて行く。

 高須院長や河村市長が中心となり行われているリコール運動も、右翼団体が表立って応援することで血税問題が右翼と左翼の左右対決に歪曲されてしまう可能性は否定出来ない。世間から忌み嫌われてる右翼は、引っ込んでなさい。呵呵。

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2020年10月03日

ウソに隠された真実や真意を見抜ける能力を身に付けることが大事

 自民党の杉田水脈議員が発した「女性はいくらでもウソを吐ける」との発言は褒められないが、言わんとする趣旨は理解出来る。「性被害者を装った場合、女性の証言は男性よりも信用され易い」と喩えたら好かったのではあるまいか。

 杉田が言う「女性はいくらでもウソを吐ける」とは、悪意のある嘘を吐く女性がいるという喩えであって曲解する方がヘン。悪意ある嘘は論外だが、「嘘も方便」という様に嘘とは相手への思いやりや優しさが込められたものでなければならない。

 例えば、釈迦牟尼は「地獄」「極楽」を創られたと言ってるが、アレも噓だろう。だがこうした噓を吐いて、人々が抱く死の恐怖を軽くすることで民衆の心に安らぎを与えた。キリストもまた「天国」への夢を誘って多くの人々を救ってきた。

「人は小さな嘘には騙されないが大きな嘘には騙される」とはアドルフ・ヒトラー。「地獄」「極楽」「天国」なんてのは大きな嘘の典型だろう。葬式仏教のインチキ坊主やインチキ宗教家らが色々と言ってるが、人間死んだら終わり(笑)

「極楽浄土」なんてのは自分よりも劣る者や弱い者を助け、そして与えられるか。難渋している人に施しをしてあげられるか。現世の苦しみや悩みを自分なりに努力して救ってやることこそが極楽浄土であると、愚生は単純にそう考えている。

「不妄語戒(ふもうごかい)」という仏語がある。「嘘偽りを言ってはいけない」という戒めの一つだが、これもまた嘘の典型の様なもの。人というのは見栄を張り、嘘や偽りを騙る性分なので、そうした自戒を込めた箴言だろうか。

「五戒」とは「不殺生戒(ふせっしょうかい)」。生き物を害してはならない。また他人に殺さしめてはならない。また他人が殺害するのを容認してはならない。

「不偸盗戒(ふちゅうとうかい)」。他人のものを盗んではいけない。また他人をして盗らせてはならない。また他人が盗るのを認めてはならない。

「不邪婬戒(ふじゃいんかい)」。不道徳な性行為を行ってはならない。これは、不倫や強姦を指すが、他にも性行為に溺れるなどの行為も含まれる。

「不妄語戒」。嘘をついてはいけない。また他人をして偽りを言わせてもならない。また他人が偽りを語るのを容認してはならない。

「不飲酒戒(ふおんじゅかい)」。酒を飲んではいけない。また他人をして飲ましめてもならない。また他人が酒を飲むのを容認してはならない。

 愚生的に「不飲酒戒」や「不邪婬戒」を守るのは絶対無理。ホント、仏教徒じゃなくて好かったと思うが、仏教徒でこの五戒を守ってる人なんているか(笑)

 政治家の世界というのはホンネは出来るだけ出さない方が好いとされている。善し悪しは別に、日本の政治家にとって腹の中を見せないのは伝統でもある。

「嘘は泥棒の始まり」「嘘を吐くと閻魔様に舌を抜かれる」など、嘘というのは悪いものだと教わって来た。だが、現代は「嘘は政治家の始まり」というのが当たり前となり、そうした嘘吐き政治家を戴くことは国民の不幸でもある。

 嘘を吐くにもやはり洒落が欲しい。「嘘は世情の宝」ともいうし、噓というのは世間や周りの人達を和ませるものが好い。「講釈師見て来た様な嘘を吐き」なんてのもあるし、嘘だと分かっていても、ついついニヤッとして笑えるのが好い。

 花魁の世界には「手練手管(てれんてくだ)」なんていうのがある。今でいうとキャバ嬢やホステスだろうか。「手練」とは人を思うままに操り騙す技巧のこと。

 酒飲みの男性なら、スナックやクラブで隣りに座ったホステスの嘘や笑顔を勘違いして、ついつい熱くなって店に通い続けたという経験があるだろう(笑)

「商人は損と求めて蔵を建て」というのもある。商人の「儲かりません」というのも多くは嘘だ。口では「儲かりません、儲かりません」と言いながら、大きな蔵を建てるなんてのはよくある話し。今なら豪邸や高価な自家用車だろうか。

「紺屋(こうや)の明後日」なんてのも笑える嘘だ。愚生の実家のラーメン屋で出前の催促が来ると「今、出ました」なんてよく言ってたが、アレと同じ(笑)

 嘘には好い嘘と悪い嘘があるのは理解しているだろう。自分の為や言い訳がましい嘘は感心しないが、周りを安心させる様な、また和ませる様な嘘ならば吐いても差し支えはない。そんな「好い嘘」も吐けないのは正直というよりバカ正直。

 真面目を通り越してバカ正直なそんな輩は世間からは遠ざけられる傾向があるが、そんなバカ正直な人も最近はめっきり見かけなくなってしまった。

 まぁ、杉田の発言を論うのではなく、何事も一面な見方や考え方ではなく、噓に隠された真実や真意を見抜ける能力を身に付けることが大事だと思う。皆さんも、シャレの効いた嘘をたまには吐いてみませんか。呵呵大笑。

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2020年10月02日

つ~か「女性はいくらでもウソを吐ける」でしょ(笑)

 自民党の杉田水脈が党内の会議で「女性はいくらでもウソを吐ける」と発言したとされる問題は、マスコミの作為的報道もあって前後の脈絡を無視し「女性はいくらでもウソを吐ける」との一部の言葉だけが独り歩きしてしまっている。

 杉田は自身のブログで「報じられている慰安婦関係の民間団体の女性代表者の資金流用問題の例をあげて、何事も聖域視することなく議論すべきだと述べる中で、ご指摘の発言があったことを確認しました」と、発言に至る経緯を説明し謝罪した。

 マスコミは杉田が問題発言に至る中で、日韓問題の元凶とも言える慰安婦問題が絡んでいることは一切報じることなく、恰も例の元TBS社員の男性ジャーナリストを訴えた女性ジャーナリストが「嘘吐き」であると発言したかの様に装った。

 この山口敬之と伊藤詩織の下半身問題は、当事者同士の問題だから詳しいことは分からないが、報道を見る限り実に胡散臭げというのが本音。この問題をFacebookで面白可笑しく論評したら規約違反に問われてアカウント停止になった(笑)

 原因は「ゲロを吐きまくった女とやっちまった山口敬之が悪い(笑)」との記事だった。以下の文章のどこが不適切な表現なのかさっぱり分からない。

「ホテルに連れて行くなら、自分の部屋に連れ込むのではなく別な部屋を取ってやるべきだったわな。目が覚めた伊藤は、昨夜の自分の醜態に恥じ入ったのは想像するに難い。そんな申し訳なさからセックスに及んだのだろう」

「ホテルのトイレでゲロをそこいらじゅうに撒き散らし、それを健気に掃除する山口。愚生も経験はあるが、よく貰いゲロをしなかったものだ。まぁ、山口の下心なのか、優しさなのか。愚生ならそのまま放置プレイ必至(笑)」

 こうした愚生の経験に基く表現を不適切だということが不適切ではないか。まぁ、こうした規約違反の措置でも経験の一つとして受け容れたら、別な(以下参照)山口敬之と伊藤詩織の記事が通報され、3日間だった停止期間が更に延長された(笑)

「『据え膳食わぬは男の恥』とばかりにやっちゃった、たった一発の中田氏で330万円の賠償命令。山口は外国人記者クラブで会見に応じ、裁判への不満と自分の正当性を訴えた。驚くのはその会見の場に伊藤詩織が参加していたことだ」

「伊藤ってのはレイプされてその怖さからPTSD(心的外傷後ストレス障害)になったんじゃなかったっけ。そんな精神的に滅入ってる女が乱入してくるというのも何だかなぁ。PTSDの患者が加害者と同じ空気を吸っている不思議」と綴った。

 Facebookでは「議政府米軍装甲車女子中学生轢死事件」「従軍慰安婦」などの韓国関連の記事もヘイトや不適切な内容として通報されてるが、検閲してる連中は、日頃「言論の自由」や「表現の自由」を振り翳している連中に違いない(笑)

 過去にも、橋下徹関連の記事で「同和」や「穢多・非人」のことを書いたら、「差別的表現」として通報されたことがある。「穢多(えた)」や「非人(ひにん)」というのは差別表現ではなく、広辞苑にも出ている日本の歴史的な事実である。

「差別はいけない」と批判するが、そうした存在を黙(もだ)し、現代の幼稚な価値観を優先する余り、歴史から消してしまうことが好いことだとは思わない。

 我が国の歴史にそういう負の時代が存在していたのであれば、その成否はどうあれその事実を教えなければ「差別」の意味さえも理解することは出来ない。

 現代の思想家であり、評論家の新崎智こと呉智英は「差別は正しい、差別と闘うのが正しいのと同じぐらい正しい。人類が目指すべきは『差別もある明るい社会』である」と逆説的に訴えているが、蓋し正論である。

 話を戻すが、電車内での痴漢行為で逮捕された冤罪被害者は少なくない、その多くが女性の嘘が原因だ。杉田が言いたかったのは日本軍の被害者を装った自称・慰安婦の嘘であり、性暴力という名の下で増え続ける冤罪事件への警鐘だろう。

 こうしたことには一切触れずに「セカンドレイプ」などと騒いでる方が可笑しい。況してや「女性はいくらでも嘘を吐ける」というのは一理あるだろう。斯くいう愚生も、女性の見え透いた手練手管、否、優しい嘘に何回騙されたことか(笑)

 山口某はライダイハン問題を取り上げたことで左翼陣営の怒りを買った。杉田も慰安婦問題への批判も然ることながら、自民党内でも保守派として活躍している議員でもある。要は、今回の杉田発言騒動は左翼勢力に拠る保守議員潰しである。

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2020年10月01日

10月1日の「日本酒の日」は神嘗祭に供える「御酒殿祭」に因んだもの

 10月1日は「御酒殿祭(みさかどのさい)」。最近では「日本酒条例」なるものを制定している自治体もあり、この日を「日本酒の日」として、「全国一斉に日本酒で乾杯!」といった行事も行われる。こうしたことも御酒殿祭に因んだものだ。

 御酒殿祭は、宮中祭祀の大祭であり五穀豊穣祝う「神嘗祭」で供える、白酒(しろき)・黒酒(くろき)・醴酒(れいしゅ)・清酒の御料酒が、麗しく醸造出来ることを祈願し、酒造業の繁栄を祈る祭りである。12月1日にも「御酒殿祭」がある。

 御酒殿神(みさかどののかみ)は、古代では火無浄酒(ほなしきよさけ)と呼ばれる粢(しとぎ)に上御井神社の御井から汲んだ水を加えただけの酒と、火向御酒(ほむけのかんみき)と呼ばれる甘酒の2種類を醸造したという。

 日本酒というとおっさんが自宅や場末の呑み屋で呑んでる酒と思われがちだが、今では女性などの日本酒ファンも多く日本酒に対するイメージも大分変わった。

「最初の一杯を日本酒で」と日本酒乾杯条例など自治体で制定されたり、会津では「酒は二合が適量」ということから毎月25日を「会津清酒の日」としている。

 日本酒というのは「純米酒」「本醸造酒」「特別純米酒」「純米吟醸酒」「吟醸酒」「大吟醸酒」「純米大吟醸酒」などに分類され、色や香り酸味や日本酒度で呼び方が違うし、日本酒を知れば知るほどその奥深さに感動する。

 飲み方も常温から冷酒や燗酒、原酒ロックなど色々と愉しめる。冷酒には「涼冷え(15℃前後)」「花冷え(10℃前後)」「雪冷え(5℃前後)」と呼び方も様々で、冷し方で味も香りも違って来るし、銘柄によっても味わいが変る。

 燗酒も同様で「飛び切り燗(55℃前後)」「熱燗(50℃前後)」「上燗(45℃前後)」「ぬる燗(40℃前後)」「人肌燗(37℃前後)」「日向燗(33℃前後)」と、これほどまで繊細さを求められる酒は世界広しと雖も日本だけだ。

 日本酒といえば「清酒」であるが、清酒の歴史は新しく、神宮で清酒が供えられる様になったのは明治以降のこと。神宮(伊勢神宮)では日本酒を醸造出来ないことから、灘(兵庫県)の「白鷹本舗」で謹醸されている。

 神宮で造られるのは白酒(=どぶろく)、黒酒(=どぶろくに灰を混ぜ黒くしたもの)、醴酒(=一夜酒、米が粒上で箸で盛る酒)の三種類である。

「御酒殿祭(みさかどのさい)」は、6月、10月、12月の各1日に行われており、神宮の由緒ある「三節際(さんせつさい)」に合わせて斎行される。

 三節祭とは、神宮で年間諸祭祀のうちで特に重視されている「神嘗祭(かんなめさい)」と 6月、12月の月次祭(つきなみさい)のこと。

 神嘗祭は、その年に神田で収穫された新穀を初めて内宮(皇大神宮)と外宮(豊受大神宮)の神々に奉る年間で最も重要な祭りで、「祈年祭」と「新嘗祭(にいなめさい、しんじょうさい)」を加えて「五大祭」と言われることもある。

 新嘗祭は、神嘗祭で奉られた新穀を天神神祇に供え陛下御自身も召し上がる神事である。即位後初めて執り行われる新嘗祭を「大嘗祭」という。

 古くは「酒作物忌(さかとこのものいみ)」と言われる清純無垢な少女が主となり酒造りに従事したというが、流石に現代はそういう役は存在しない。

「酒は飲むべし酒は飲むべし 人生唯酒ありて肝を開く 酔中の快楽人知るなし」との坂本龍馬の言葉は酒飲みの極意とも言える。その酒とはやはり日本酒が好い。

 ウイスキーやワインだと、相手と腹を割っての一献とは成り難い。日本酒は二合程度が好いのは分かっちゃいるが、ついつい呑み過ぎてしまう。

 大らかに一献の誘いを受け、無心に酒を飲み、呑む程に、酔う程に、一緒にいる人や周りの人まで愉しくさせる、酒飲みとは斯く在りたいものだが、愚生は未だ未だ修業が足らない。「酒道」とは実に奥が深い。もっと修行せねばと痛感する(笑)

 今日は中秋の名月だという。中秋の名月を盃に浮かべての独酌も悪くは無いが、改めて浪漫溢れる先人の営為に思いを馳せ、古の祖国日本の奥深さや素晴らしさを想い浮かべて、御気に入りの日本酒を愉しんでみては如何でしょうか。

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2020年09月29日

対中外交を改め、台湾に謝罪し日台国交を恢復せよ!

 昭和47(1972)年9月29日、田中角栄は「日中共同声明」に調印。中国共産党を唯一の政府であると認め、主権回復した昭和28(1953)年4月28日に締結した国際法規である「日華国交条約」を一方的に破棄した。

 これを受け中華民国は直ちに我が国との国交を断絶。我が国が台湾を国家として認めていないのは我が国の国際条約の蹂躙が原因であり、主権国家として実に恥ずべきことで、道義国家として断じて赦されるものではない。

「日華国交条約」を破棄は終戦間際に「日ソ中立条約」を一方的に蹂躙したロシアの蛮行と同じであり、道義国家日本が失墜した象徴でもある。

「日華国交条約」の破棄は明らかな日本国憲法98条違反だが、公然の憲法蹂躙に対して護憲派からもマスコミからも糾弾されたことは一度もない。

 田中は更に「先の大戦で中国国民に重大な損害を与えたことに、責任を痛感し、深く反省する」と詭弁を弄した。だが、我が国が先の大戦で戦ったのは「中華民国」であり、戦後4年も経って建国した「中華人民共和国」ではない。

 田中が幾ら詭弁を弄そうとも、先の大戦での賠償は「日華国交条約」締結を以て終わっているのだ。田中のこうした誤ちと歴史認識が、今でも悪しき前例となり現在も受け継がれ、中共への優遇措置が講じられている。

「河野談話」や「村山談話」を糾弾する声はあるが、抑々、我が国の土下座外交と自虐的歴史認識は田中角栄の「日中共同宣言」が元凶なのである。

 多くの国民は「我が国と支那の関係を「一衣帯水」だとか「古くからの隣人」などと心得違いをしているが、日中間に国交関係が樹立されたのは20世紀に入ってからで、未だ100年程しか経っていない関係である。

 況してや、中華人民共和国(中共)との国交は50年も経っておらず、我が国と戦争もしていない中共が戦勝国として国連の常任理事国に就いていることが摩訶不思議なこと。本来、戦勝国は中華民国であり、台湾であるのだ。

 親中派は常々「日中は同文同種、一衣帯水の関係」との認識を示す。これは全くの誤りであり、無知以外の何ものでもないが、こうした認識こそ中国共産党の策謀に嵌っている証左の一つでもある。

 607年、聖徳太子は小野妹子を隋に派遣し対等外交に踏み切り、後に蘇我氏を滅ぼした中大兄皇子らが645年「大化の改新」を実現する。

 天智2(663)年、唐・新羅連合軍に攻撃された百済は日本に救援を求めると、我が国はこれに応じ出兵した。これが世にいう「白村江の戦い」である。

 応援に出た日本軍はこの海戦で大敗を喫し、この敗戦を機に我が国は中華圏との正式な外交を絶つこととなった。

 白村江の海戦で大敗を喫し、生き残った者は捕虜となった。その中の一人、大伴部博麻は「唐が日本を攻める」という情報を得るも日本に知らせる術もなく、自らを奴隷に売って金を作り仲間を帰国させこの危機を知らせた。

 これが持統4(689)年の事であり、その後、博麻が帰国したのは白村江の戦いから何と30年後のことだった。帰国後、持統天皇が博麻の功を顕彰する。

【朕 その朝を尊び国を愛ひて 己を売りて忠を顕すことを嘉ぶ】(日本書紀)

 これが「愛国」という言葉の由来であり、軽々しく日の丸を掲げて勇ましい行動を採ることが愛国というものではない。

 我が国が国書を携えて派遣したのは「倭国」としてであり、「日本」と名乗ってからは一度足りとも正式な国書を携えた外交はなく、親中派の「一衣帯水」「同文同種」という認識は実に軽々しいものと言わざるを得ない。

 明治4(1871)年に「日清修好条規」を結んだ相手は満州人の清朝であり、支那を支配していたが漢民族の国ではなかった為に、支那との正式な外交は、明治45(1915)年の「中華民国」誕生まで待たなければならなかったのだ。

 毎年9月29日は、右翼民族派陣営が中心となり「反中共デー」の運動が全国で行われている。だが、数十人、或いは数人の左翼集会を取り上げるマスコミはこの運動を一切無視し報道されることはない。

「反中共デー」運動の輪が広がることで日中の歴史的経緯が明らかになり、台湾との国交恢復が成されることを願って止まない。

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2020年09月24日

「勝てば官軍」と勝利に酔った西郷だったが最後は「逆賊」に堕ちた

 今日9月24日は西郷隆盛の命日。隆盛というのは実の父親の名前で本名は「隆永」だという。何故に「隆永」ではなく「隆盛」になってしまったのか。

 明治2年、戊辰戦争の奥羽戦線から帰京する西郷に、宮内省から御召状が出されることになった。この時、友人の吉井友実に西郷の諱を尋ねたところ「確か、隆盛じゃった」と答えことで、以後「隆盛」と称されることとなったという。

 帰京し、吉井に会った西郷は「あれは父の名でごわんか。わしの名は隆永じゃと、おはんも知っちょるじゃろう」というと、吉井も頭を掻きながら「ほんにそうじゃった」と詫び、二人は顔を合わせて大笑いしたという。

 その後、西郷は「隆盛」という名を否定も訂正もしなかったのは、吉井への気遣いと、西郷自身の大らかさだろう。こうした逸話にしろ、誰からも「西郷(せご)どん」と愛される人柄だったことを窺い知ることが出来る。

 戊辰の役の戦い虚しく会津藩が西軍に降伏したのは明治元年9月22日、その10年後の9月24日、西郷隆盛が西南戦争で敗れ城山で自刃する。明治維新の立役者が一転して「逆賊」の汚名を背負うこととなったのは一体何故なのか。

 西南戦争が起こる4年前、西郷らが主張した「征韓論」を大久保利通や長州閥に因って却下される。加えて士族の帯刀や俸禄を廃止する「金禄公債証書条例」が制定されると士族らから明治政府への不満が噴出して行く。

 政争に敗れた西郷は鹿児島に帰郷すると、政府に不満を持つ士族らは西郷を神輿として祭り上げる。「佐賀の乱」「神風連の乱」「秋月の乱」「萩の乱」など士族の反乱が続く中で終に西南戦争が勃発。奮闘虚しく敗れた西郷は城山で自刃した。

 西郷は決して政府軍との戦争を起こそうとは考えていなかったというが、主宰する私学校生徒を統制出来なかったのは自身の優柔不断さが大きい。結果的に若者らの不満を抑えきれなかったのは己の不徳の至りではなかろうか。

「南洲翁遺訓」は、指導者としての西郷の度量の深さと無上の高潔さを感じ取れる。だが、歴史的偉人の言葉というのはその多くが自戒であり、西郷が好んだ「敬天愛人」の思想も人生の失敗から学んだ生き様でもある。

 浪漫派を気取り、宣伝車などに「敬天愛人」を掲げる自己陶酔型の右翼団体や自称・愛国者らが大好きな言葉にこんなセリフがある。

「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は始末に困る者なり。この始末に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり」

 これは「西郷南洲翁遺訓」第三十条や山岡鉄舟語録からの引用である。自分が然も幕末の志士になったかの如くこの言葉に陶酔する。だが「国家の大業」や「天下の偉業」とは政治家がやることで、右翼風情がやることでもない(笑)

「命もいらず」とカッコ付けてはいるが生命保険や終身保険に入って積み立てしていたり、「名もいらず」とか言いながらも高目ばかりを夢見て、「有名になりたい」「カネを儲けたい」という右翼人の多いこと多いこと(笑)

 また右翼の有名な人と知り合いになっただけで然も自分も右翼になったと勘違いしてる輩が多いが、そういう輩は権威主義の最たるもので、艱難を共にする奇特な人物などいやしないし、艱難などに遭遇してもきっと避けるに違いない(笑)

 第三十条は、この台詞の後に「然れども斯くの如き人は、凡俗の眼には見るべからず」と続く。外見や肩書で判断してる凡俗の右翼人の眼にホンモノが映っているとは思えない。西郷南洲翁遺訓では第二十七ケ条が好い。

「過ちを改めるに自ら過ったとさへ思ひ付かば夫れにて善し。其事をば棄てて顧みず直に一歩踏出す可し。過を悔しく思い取繕はんと心配するは譬へば茶碗を割り其の欠けらを集め合せ見るも同じにて詮もなきこと也」

 愚生もその昔は西郷隆盛を傑物だと信じ、疑いもなく傾倒していた。だが、故郷・二本松が「賊軍」の汚名を着せられた二本松藩ということもあるし、根が捻くれ者なので最近はチョッと穿った見方をしている。

 慶喜公の恭順と江戸城の無血開城に満足せず、会津を攻め落とすことで徳川時代の終焉としたが、会津降伏後も満足することなく函館五稜郭へ侵攻する。西軍が北上する際に掠奪した金品は相当な額に及んでいる。正に官軍を装った盗賊の如し。

 勝海舟と西郷隆盛の江戸城での談判と無血開城は侍としての士風を損なったばかりか、会津の悲運を生みこととなった。そういう意味でも勝海舟にしろ西郷隆盛にしろ言われてる様な傑物では無かった様に思えてならないのだ。

 歴史というのは正義が常に正義ではなく、正義が敗れることもある。「勝てば官軍」と勝利に酔った西郷だったが、城山での無念の自裁は会津藩や東軍と同じく「逆賊」に堕ちた瞬間でもあった。歴史とは実に非情で気紛れでもある。

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2020年09月22日

「春分の日」や「秋分の日」は春季皇霊祭・秋季皇霊祭が始まり

 仏教では「春分の日」や「秋分の日」は、彼岸の中日として墓参りに出向く。祝日法では「自然をたたえ、生物をいつくしむ」ことを趣旨としている。何故にこの日に自然を称え、自然を慈しむのか、意味が今一つ分からない。

「暑さ寒さも彼岸まで」などと、季節の変わり目の様に感じているが、彼岸会法要は天皇の詔(みことのり)として始められた行事だった。皇室行事である春季皇霊祭・秋季皇霊祭を、国民が祖先を供養する日として定着するに至った。

 こうした彼岸会法要からも天皇と国民の深い結び付きを窺い知る。正に我が国は天皇の国であり、天皇即日本である。皇室は常に国民と共に在り、この「君民一体」こそが、万邦無比の我が国體の精華なのである。

 今では「春分の日」「秋分の日」という名称が当たり前になっているが、別にこの日が冬と春の境の日でも夏と秋の分かれ目でもない。祝日法の「自然をたたえ、生物をいつくしむ」とは、皇室行事を葬る為のまやかしである。

 戦前は秋分(春分)の日ではなく「皇霊祭」と称した。明治11年(1878年)、それまでの歴代天皇や主たる皇族の忌日を春と秋に纏め奉祀したのが始まり。

 明治41年制定の「皇室祭祀令」では春季皇霊祭・秋季皇霊祭が大祭に指定された。統治下だった昭和22年5月2日、GHQは「皇室祭祀令」を廃止する。然し乍ら、宮中では従来通りの春季皇霊祭・秋季皇霊祭が続けられている。

 皇居内の宮中三殿の一つである「皇霊殿」には歴代天皇、皇族の霊が祀られており、この日は皇室の重要祭祀である「皇霊祭」が斎行される。また、全国の神々が祀られる「神殿」では、神恩に感謝する「神殿祭」も同日斎行される。

 つまり、春分の日を「春季皇霊祭」として、秋分の日を「秋季皇霊祭」として復活させることは、我が国の国體の精華を取り戻すことでもあるのだ。

「春分の日」「秋分の日」を「彼岸」と言うが、これは「節分」「八十八夜」「土用」「入梅」「半夏生」などの雑節の一つで二十四節気の「五節句」などの暦日の他に、四季折々の季節の移り変りを日本的に表した特別な暦日のことをいう。

 こうした歴日が、我が祖国日本の四季折々の麗しい情景を深める。「春分」と「秋分」は、太陽が真東から昇り、真西に沈むので、西方に沈む太陽を礼拝し、遙か彼方の極楽浄土に思いを馳せたのが彼岸の始まり。

 現在では彼岸の仏事は浄土思想に結びつけて説明される場合が多く、浄土思想での極楽浄土(天国)は西方の遙か彼方にあると考えられている。

 彼岸会の「彼岸」は「日願(ひがん)」に喩えられ、仏教語としての彼岸は後から結びついたものであるという説もある。

 俗に中日には先祖に感謝し、前後の6日間は悟りの境地に達するのに必要な6つの徳目「六波羅蜜」を1日に1つずつ修める日とされている。つまり、仏教徒というのは日々修行なのだ。でも、そんな仏教徒に会ったことはないが(笑)

「六波羅蜜」とは大乗仏教における六種の修行で、菩薩が涅槃に至るための六つの徳目のことで「六度」ともいう。

 その六種の修行とは、施しという徳「布施波羅蜜」、戒律を守る徳「持戒波羅蜜」、忍耐という徳「忍辱波羅蜜」、努力という徳「精進波羅蜜」、精神統一という徳「禅定波羅蜜」、智慧という徳「般若波羅蜜」をいう。

 六つの徳目の中で「持戒」「忍辱」「精進」「禅定」「智慧」というのは言葉では理解すれど、これらを修めるのは容易なことではない。

「布施」という施しは目に見えて分かるので、仏教の世界もそうだが、中でも昨今の葬式仏教や新興宗教の世界では「布施」ばかりが信心の裏返しであるかの様な、我田引水的な都合の好い解釈が罷り通っている(笑)

「施し」というのは、愚生は「自分より能力的に肉体的に劣る者や難渋している者、悩みや壁にぶち当たっている者に対し金銭的なものを含めて支えて助けてあげること」。これこそが真の施しというものだと思っている。

 波羅蜜とは「魔訶般若波羅密多(まかはんにゃはらみた~)心経」で始まる般若心経にも頻繁に出てくる言葉だから馴染みがある言葉だろう。般若波羅密多の「魔訶」とは「尊いもの」という意味だが、理解している仏教徒は少ない(笑)

 死んでも戒名さえ貰えば極楽浄土に往けると思ってる仏教徒ばっかだが、戒名を頂くということは「御釈迦様(釈迦牟尼)の弟子になるということ」。要は、仏教徒というのは生きている間も、死んでからも修行は続くのである。呵呵。

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2020年09月20日

安倍が謀りインチキ保守が迎合する憲法九条改正は究極の護憲運動

 安倍晋三が靖國神社に参拝し「英霊に内閣総理大臣辞任の御報告を行った」を、保守派や安倍信者らは「李登輝元総統の告別式に合わせたかの様な参拝で感動した」などと讃える。ホント、保守派や自称・愛国者というのは単純で扱い易い(笑)

 営業保守や自称愛国者らが、頻りに中国共産党や北朝鮮の脅威を煽り、然も憲法九条改正は喫緊の課題だと騒いでいるが、「国防」とは領土主権の防衛だけではない。国柄や皇統を護ることこそ国防の大義であることを忘れている。

 九条を改正し、自衛隊を合憲の存在にするというより、九条改正に拠って現憲法の絶対化を謀っているとしか思えない。自衛隊は国軍であり、それは天皇の軍隊で在らねばならない。つまり自衛隊を「皇軍」とするには九条改正如きでは成り得ない。

 安倍が謀り、インチキ保守、アホ右翼らが迎合する憲法改正こそ究極の護憲運動であると断じて好かろう。「取り敢えず九条改正派」は形を変えた九条の会だ。憲法九条以外にも違憲な存在と知りながら放置され続けている項目は存在する。

 例えば、営業保守派や自称愛国者らが総理大臣や閣僚の靖國神社参拝を求めていることは心情的には分かるが、憲法上は認められてはいない。同時に、所謂「A級戦犯分祀論」も宗教法人・靖國神社への干渉であり憲法違反に問われる。

 中華人民共和国と「日中友好条約」を締結する際に、田中角栄は、国際条約である「日華国交条約」を破棄したが、これは明らかな憲法98条違反である。この事実に護憲派どもは沈黙を極め込んでるが、護憲とは正に我田引水的誤憲運動である。

 クソ憲法と言われる最たるものは第1条だろう。「天皇は国民統合の象徴である」が、それは「総意に基づく」ものでなくてはならないと明記されているのだ。

 天皇に反対する共産党らが存在する限り「国民の総意」ではなく、彼らが言う通り「天皇は違憲の存在」「天皇は要らない」との屁理屈は残念乍ら正しい。

 憲法第二条「皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する」に従えば、今上陛下の次の天皇は愛子内親王ということになる。反天皇勢力はこの第二条を論拠に女性天皇論を謀るだろう。

 秋篠宮殿下を「皇太弟」という称号ではなく、我が国の皇統の歴史にも存在しない「皇嗣(こうし)殿下」としたのも、女性天皇への布石である。

 大日本帝国憲法第二条では「皇位ハ皇室典範ノ定ムル所ニ依リ皇男子孫之ヲ繼承ス」と明記されているが、我が国體(皇統)を維持し続ける上でも、現憲法が実に御粗末な最高法規であるというのを理解出来るだろう。

 最高裁で、在日への生活保護に対して違憲判決が出ているが、この判決が出てからも生活保護の受給が改められずにバラ撒かれ続けている不思議。私学助成金制度然り、違憲の存在や違憲の状態というのは、別に自衛隊だけではないのだ。

 こんな国家の基本法として機能していないクソ憲法の第九条の改正をしたところで意味はない。憲法九条を改正を機に様々な条項が見直されるということはなく、九条改正によって現憲法が絶対的な存在となってしまうだろう。

 営業保守やインチキ保守派、似非右翼らが声高に叫ぶ「九条改正」こそ、左翼の誤憲運動を遙かに凌ぐ究極の護憲運動であることを知るべし。我が皇統と国體を護持するには現憲法を葬り、大日本帝国憲法を復元し改正するしかない。

 正統な国法である帝国憲法の復元・改正が出来ないなら、憲法が無くても議会制民主主義が成り立っている英国に倣って、日本国憲法なんぞ捨ててしまえ。呵呵。

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2020年09月18日

歴史というのは往往にして戦勝国の都合の好い内容に改竄される

 我が国は1933(昭和8)年、国際連盟を脱退する。これは「満州事変により、中国に侵略した」という理由で、国際連盟規約違反とこじつけられて制裁決議が下される訳だが、これを不服として我が国は国際連盟を離脱する。

 我が国の近代史は「昭和6(1931)年9月18日、柳条湖に於いて南満州鉄道の線路を関東軍が爆破し、これを張学良軍の仕業として戦闘を開始。満州全域を占領して傀儡国家・満州国を建国した」との歴史を多くの国民は疑いなく信じている。

 自民党総裁選に出馬した石破茂もそんな戦後の米国主導の歴史教育を疑いもなく信奉してる一人。大東亜戦争のみならず、第二次世界大戦をも「日本の侵略戦争」だと断じて憚らない石破の歴史認識は明らかな戦後教育に毒された自虐史観の持ち主だ。

 過去にも石破の主張に疑問を持った保守論壇界からも疑問が呈されているが、石破は全く聞く耳を持たない。そればかりか軽薄な歴史認識を確信的に披歴する。

 例えば、アパホテルの懸賞論文で入選し、石破防衛大臣から航空幕僚長を解任された田母神俊雄の、所謂「田母神論文」への反論が記憶に新しい。

「民族派の主張は歯切れがよくて威勢が好いものだから、閉塞感のある時代に於いてはブームになる危険性を持ち、それに迎合する政治家が現れるのが恐いところです。主張はそれなりに明快なのですが、それを実現させる為の具体的・現実的な論考が全く無いのも特徴」と語ってはいるが、石破こそ具体的・現実的な論考が全く無い。

「東京裁判は誤りだ。国際法でもそう認められている。確かに事後法で裁くことは誤りですが、では今から遣り直しが出来るのか。賠償も一から遣り直すのか。『日本は侵略国家ではない』それは違うでしょう。西欧列強も侵略国家ではありましたが、だからといって日本は違う、との論拠にはなりません。『遅れて来た侵略国家』というべきでしょう」と語り、論点を逸らして暗に日韓併合を批判する。
 
「戦うも亡国、戦わざるも亡国、戦わずして滅びるは日本人の魂まで滅ぼす真の亡国」などと言って開戦し、日本を滅亡の淵まで追いやった責任は一体どうなるのか。ここらが徹底的に検証されないまま、歴史教育を行ってきたツケは大きく、靖國問題の混乱も、根本はここにあるように思われます」との認識を垂れ流す。

 日清・日露戦争の大偉業をも侵略戦争と断じ、大東亜戦争の軍部の一部分を論って批判する。戦わず欧米列強の植民地になれば好かったと言いたげだ。

 日露戦争が齎した歴史的課題であった「人種平等の原則」の本格的実現は、大東亜戦争後に実現し、その歴史的大使命が果たされるのだった。こうした現実をみれば、我が国は先の大東亜戦争に敗れはしたが、その戦いは大義があったのだ。

 石破の歴史認識は「侵略戦争は怪しからんし、この侵略戦争の責任はA級戦犯に在り、その戦犯が祀られている靖國神社に参拝なんぞしない」という理屈に至る。

 石破こそ、それを実現させる為の具体的・現実的な論考が全く無い主張ばかりを繰り返しているが、要は「侵略国家として未来永劫、贖罪意識を共有して、相手国(中韓)が納得するまで謝罪していなさい」ということなのだろう。

 石破は戦後の歴史教育を疑いもなく信じ、それを政治信条の主体としている故に国家観が乏しから、国民に支持されても直ぐに厭きられるのはそういうことだ。

 どの国の歴史もそうだが、歴史というのは往往にして戦勝国の都合の好い様に改竄されるもので、アジア近代史の中でも「満州事変」はその最たるものだろう。

「柳条湖事件」の翌年、国際連盟は事件解明の為に「リットン調査団」を派遣する。その「リットン報告書」では各国の思惑通り、関東軍の行動を正当な自衛行動と認めなかったが、翻って「この事変の誘因を、満州と中華民国の混乱と内乱に在る」との認識を示したことでも、一方的に我が国が断じられる理由はない。

 その上で、調査団は「満州に於ける諸問題は極度に複雑だから、この事変は単に一方的に侵略したという簡単な事件ではない。何故なら満州は、世界の他の地域に類例を見ない様な多くの特殊事情が在るからだ」と結論付けている。

 こうした認識の背景には、日露戦争後の正当な権益である租借地と、満鉄経営に対する不当な鉄道妨害や抗日活動、或いは日本人迫害が長期に亙って続いていた事実を、リットン調査団が十分に把握していたからであろう。

 更に調査団は、日本の権益については「日本人にとって対露戦争とは、ロシアの侵略の脅威に対する自衛戦争、生死を賭けた戦いとして永久に記憶され、この一戦で10万人の将兵を失い、20億円の国費を費やしたという事実を決して無駄にしてはならないという決意をさせた」とも言及している。

 日本本土も含めた自存自衛と膨大な投資を行った満州国の権益保持、そして在留邦人の生命を守る為には、「満州を紛乱した中華民国から切り離して安定させるしかなかった」と、事変に至る日本の偽らざる動機の一端を正確に伝えている。

 米国の元中華民国公使・ジョン・マクマリーも、「日本の安全保障の為には朝鮮半島と満州の安定が必要不可欠であった」といった要旨の言説に見られる様に、欧米の識者の中には事変直後から、日本の立場を擁護する意見があったのも事実。

 歴史を検証する上で大切なのは世界に蔓延る覇権主義の克服を主張すべきであって、他国の覇権主義に目を瞑り、一方的に自虐の淵に止め処なく漬かり込むことではない。戦後、新たな資料によって史実の全貌が明らかになって来ている今、何故に新旧資料を精査して公正な歴史認識を検証しないのか不思議でならない。

 満州事変の起因となった柳条湖事変が勃発した9月18日に合わせ、中共では例年「反日デモ」が行われるが、そこに歴史的公正さや正義は無く、単に中共政府の言いなりで騒いでるだけ。悲しい哉、日本人もまた、未だに国連(戦勝国)や米国の創り上げた歴史を鵜呑みにして目覚めようともしない。

 国連にしても米国にしても未だ戦勝国の論理で歪な正義感を振り翳し、石破の様な戦後民主主義者らがそれに追随する。だが、過去を振り返ってみてもアジアの動乱の原因はいつも時代も米国と共産主義だった近代史を忘れてはならない。

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2020年09月17日

共産党と同じ憲法観を有する元自民党幹事長・小沢一郎

 衆参両院本会議の首相指名選挙で自民党総裁の菅義偉が第九十九代首相に選出された。日本共産党と国民民主党は首相指名を立憲民主党の枝野幸男に投票し、その立ち位置を鮮明にした。国民と立憲の分裂騒動は何だったのだろう。

 立憲民主党の小沢一郎が、Twitterで首相に指名されたばかりの菅義偉首相に対し「憲法を知らないからこそ平気で権力を私物化する」批判した。これは「己がやることは相手もやるに違いない」と仮託した同一化虚言の症状にも見える(笑)

 菅政権でも安倍政権と同じく憲法改正を掲げ、また公務員改革や行政の無駄を断行する考えだ。これに対し小沢は「『政府として憲法改正に挑戦する』と発言した新総理。公務員の憲法尊重擁護義務を知らない」と菅政権を腐している。

 これは憲法九十九条の「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」との条項を念頭にした発言。

 第九十六条には「国会議員の三分の二以上が発議し、国民の過半数の同意」で憲法改正出来るとあるが、これに基づき発議すれば九十九条違反に問われる。憲法改正が進まなかったのはこの九十九条と九十六条の不毛の議論がその理由。

 安倍前首相の改憲案に同意するものではないが、こうした論争に終止符を打ったのが安倍で、国民投票法案を成立させて憲法改正への道筋を建てた。

 小沢の憲法擁護尊重義務は現憲法の認識としては正しいのだろうが、これでは不毛な憲法論戦の繰り返しであり、国益を守ろうという意識の希薄の現われでもある。

 厭きれるのはこうした憲法観を披歴する小沢が、自主憲法制定を党是として発足している自民党の幹事長だったことだ。菅首相への「憲法を知らないからこそ平気で権力を私物化する」との妄言は自分自身への経験からのものなのだろう(苦笑)

 小沢は「自衛隊の立ち位置が憲法の中で否定されている」とも述べ、「憲法の基本を理解していない点では安倍総理と同じ」と続け、戦後の政府見解を全否定していることでも小沢というのは確信的護憲派だったということが分かる。

 安倍が謀る憲法改正は、憲法九条に自衛隊の存在を明らかにしようとしている「加憲」であり、その他の条項の矛盾を差し置いて九条三項を明記しようというのは現憲法を絶対的なものにする究極の護(誤)憲派であるというのが正しい。

 小沢は尤もらしく憲法を語っているが、師である田中角栄が日中友好条約を締結するに当たり国際法規である日華国交条約を蹂躙したことはどうなのか。

 第九十八条には「日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。」とあり、明らかな憲法違反ではないのか。

 憲法第一条には「日本国及び日本国民統合の象徴であって、その地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」としている。

 日本共産党や左翼陣営は「我々は天皇制に反対。因って、国民の『総意』ではなく、天皇の存在は違憲である」という屁理屈を垂れ流しているが、小沢も同じ認識なのだろう。第一条の「総意」の議論無き憲法改正を謀るべからず。

 憲法第一章「天皇」条項を語らない自民党や保守派の憲法改正にしろ、小沢ら誤憲派の現憲法絶対主義にしろ、我が皇統と国體の精華を毀損し続ける。

 我田引水的憲法観を露呈する小沢らは憲法第二条「皇位は、世襲のものであって、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する」との条項を以て、秋篠宮皇太弟ではなく「敬宮愛子内親王こそ皇位継承第一位」と謀るだろう。

 何処の国でも時代の流れに応じて憲法を変えている。環境問題、情報公開、プライバシー保護、国家の安全等々憲法を施行した時代からは想像もしなかった程社会は変化している中で、世界で唯一の「平和憲法」などと寝ぼけている場合ではない。

 現憲法は大日本帝国憲法73条に拠る改正であるなら、第九条加憲などという安易な憲法改正は逆効果。旧帝国憲法の復元・改正こそ執るべき道である。

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死刑執行数最多の上川陽子が法相に再登用!

 菅義偉総裁が地味なら、内閣の広報官である官房長官にもパッとしない加藤勝信が就いた。広域暴力団が70歳前後ばかりの幹部ばっかで嗤えない状況だが、自民党の新執行部もヤクザ社会と同じく高齢化社会の縮図に見えなくもない(笑)

 女性閣僚を多用するのかと思ったが橋本聖子五輪相と上川陽子法相の二人だけ。上川法相というと歴代最多の16名の死刑執行を命じたことが記憶に残る。

 30人を殺害(他に行方不明者多数)、負傷者数6000名という未曾有の犯罪行為を実行し、皇居などへ炭疽菌やボツリヌス菌を散布するなど国家転覆を謀ったオウム真理教の凶賊らの死刑執行に対し抗議の声が上がったのは記憶に新しい。

 何故かこの日本史上最悪のテロ集団を庇い、「麻原彰晃の供述が無いままに死刑執行したことは人権無視の暴挙だ」とか「狂っている」と騒ぎ立てた。中でもオウム真理教取材で一躍有名になった有田芳生の異常さが際立っていた。

 別に麻原が卑怯にも黙秘しようが、オウム真理教に因るサリン事件を始めとした凶悪事件の真相は裁判で解明されている。麻原の精神障害らしき症状は「詐病」とされており、麻原の三文芝居に付きやってやる必要も無い(苦笑)

 抑々、死刑執行も命じない法相と言うのは職務怠慢に他ならない。ここ10年で20人程の法務大臣が誕生してるが、死刑執行をしなかった大臣は半数以上に上る。

 刑事訴訟法では、死刑確定から6ヵ月以内の執行を定めており、何れも6ヶ月以内に検察庁が法務大臣に「死刑執行上申書」を提出し、規定通り押印し、「法相の命令から5日以内に執行されなければならない」と定められている。

 法務大臣の死刑制度への心情なんぞ関係なし、法務大臣の任を享けたのならば覚悟を以て大臣としての職務を遂行するべきでだ。それも出来ないのなら法務大臣の就任は拒否するべきで、大臣なら何でも頂いておこうとという気持ちがさもしい。

 我が国の死刑制度というのは、明治新政府が制定した「仇討ち禁止令」や「決闘禁止」に代わるものとして、明治6(1873)年2月、司法卿であった江藤新平が「復讐禁止令(仇討ち禁止令。太政官布告第37号)」を発令したことに始まる。

 幕末から維新期の派閥、政論の対立による暗殺とその報復という面があったことから、「この種の紛争を断ち切る」という目的だった。明治22年には「決闘罪ニ関スル法令」も発布され、敵討ちや復讐は全面的に禁じられた。

 主君や親兄弟などを殺した者を討ち取って恨みを晴らすことは、日本人の美意識の顕れともいえる。江戸時代には武士階級の慣習として公認され「敵討ち」と認められれば罪に問われなかったばかりか、それは美化され大衆の支持を得た。

 主君の仇討ちを成した「赤穂浪士」が、未だ日本人の美学とされているのもそういうことだ。現代でも「死刑制度」を容認する国民が80%以上もいるのは、国が遺族に代わって遺恨を晴らして欲しいという気持ちの顕れに他ならない。

 死刑廃止論者は、その理由を「国際人権基準」がどうのだとか、「非人道的」とか、「生きる権利の侵害」だとか「死刑囚の資料を精査する十分な時間があったとは思えない」と犯人側に立つ意見ばかりで、被害者側に寄り添う言葉は無い。

「死刑廃止は今や世界の大勢で日本もそうすべきだ」という意見は少なくない。果たしてそうだろうか。いつも思うことだが、この「世界では」とか「どこそこの国では」という都合の好い屁理屈というのは、実に胡散臭げなものばかり。

「世界ではこうだ」というが、世界で美的感受性や道徳の圧倒的高さを有する国家は我が国を措いて他はない。歴史の浅い諸外国の都合の好い部分だけを模倣しようなどというのは、それこそ外国人コンプレックスの裏返しでもある。

 世界中が嘘八百並べても日本だけは絶対にしない。絶対に世界の真似をしないという、そういうの貧人としての自信や誇りというものを失ってはならないのだ。そういう意味では孤高の日本で良いし、死刑制度も日本独自で維持するべきだ。

 死刑廃止の理由を列挙すれば「法により国が人を殺す事は罪悪で人道に反する」「死刑には期待する程犯罪防止効果は無い」「冤罪の場合に取り返しが付かない」「人間は善を行うべき道徳的本性を先天的に具有しているのだ」など様々。

「冤罪」というのは、袴田事件を見るまでもなく確かに有り得なくはないが、それは警察捜査の傲慢さと科学捜査の正確さが乏しい時代のものが殆どで、少しでも冤罪の疑いのある事件は前例に囚われず再審対象にすれば好いだけの話しだろう。

「人道に反する」とは「人を裁けるのは神のみ」というキリスト教的欧州思考に冒されている典型で、そんなものに八百万の神を信ずる日本人が与する方が間違い。

 左翼人士や自称・人権派弁護士などにこうした主張をする人を見かけるが、日頃、反米を唱えながら、また共産主義の無神論者でありながら、米国でもキリスト教でも我田引水的に利用してやろうという心根は見苦しいばかり。

 残虐な犯行をした者が、死刑廃止で国法により生命を保証されるというのも如何なものか。況してや麻原を始め再審請求を利用して執行停止を謀るなど笑止千万。「生」に拘るより「死」を以て償うべき。上川法相は粛々と死刑執行を命じよ!

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2020年09月16日

菅政権下でも森友学園&加計学園問題を追及するんだってよ(苦笑)

 立憲民主党は、菅総裁が掲げる「自助・共助・公助」に難癖を吐け、「共助」が「公助」が大事と訴えてる。先ずは自助ありきは当たり前のことで、日本人として大事な事は福沢諭吉の教えである「国を支えて国に頼らず」の精神の涵養である。

 更に、菅政権下でも森友&加計問題を追及するらしい。安倍前首相と加計学園理事長との仲の好さから「働きかけは絶対に在った」と信じて疑わない。情弱なのか、マスコミ報道を鵜呑みにしてる野党議員ってのはホント気楽な稼業だよなぁ。

 加計理事長とは安倍は国会議員になる前からの友人。ならばもっと早く獣医学部なんぞ出来たのではとも思ってしまうし、何故に四国に獣医学部なのかを考えれば様々な問題が見えてくると思うのだが、どうも野党には見え方が違う様だ(笑)

 この加計学園問題は、天下り出来なかったことに恨みを抱いた前川喜平前文科省事務次官の、公務員法違反とも取れる「極めて薄弱な根拠の下で規制緩和が行われた。認可は不適切だった」との妄言が発端ということを忘れてはならない。

 このでっち上げは、所謂従軍慰安婦問題をでっち上げた吉田清治の妄言とクリソツ。慰安婦問題は、元山口県労務報国会下関支部動員部長の吉田清治が、昭和58(1983)年に書き上げた「私の戦争犯罪」​という本が始まり。

 吉田はその本の中で「済州島で9名の兵隊と共に約200名の​朝鮮人女性を強制連行して慰安婦にした」と記述し、済州島での当時の様​子を回想し描写した。

 その後の調査で直ぐにこの本はフィクションだったことが判明したが、​この本だけが独り歩きし始める。そして韓国語に翻訳され出版されると韓国人は激昂。

 平成4(1992)年、朝日新聞がこの本を取り上げ、根拠もない儘に「日本軍や警察が『慰​安婦狩り』をやった」と書き立てて韓国人の反日感情と怒りを煽り、福島瑞穂ら名うての売国奴らがこの「強制連行説」を支持し、支援した。

 この本に疑問を持った「済州新聞」の記者・許栄善は、現地を取材し「慰安婦狩りの話を裏付ける証​言者はいない。島民の名前もデタラメ」と一蹴している。更には、韓国の郷土史家・金奉玉も現地調査を実施し、次の様に述べている。

「昭和58年に日本語版が出てから、何年かの間、​追跡調査をした結果、事実でないことを発見した。この本は日本の​悪徳ぶりを示す軽薄な商魂の産物と思われる」(「ほんとうは、『​日韓併合』が韓国を救った!」松木国俊著WAC社)

 吉田もこれらの調査結果を突き付けられると、あっさりと「創作だった」と事実を認めたが遅きに失した。吉田の嘘から始まり、韓国全土で「慰安婦​狩り」が独り歩きし、売文という私利私欲の所業が国家を​売ることになってしまった。

 加計学園の問題を見てると、騒ぎ立てているのは慰安婦問題と同じ朝日新聞や毎日新聞であり、野党を始めそこには公平や公正さは無く、妄想と「忖度があって欲しい」「働きかけがあって欲しい」という淡い期待にしか感じない(笑)

 事の問題は西日本、特に四国の公務員の獣医師不足は、鳥インフルエンザや国際的な環境変化の流れの中で改善しなければならない問題であり、そういう意味では手を挙げてくれた加計学園には感謝することがあっても批判されるのは筋違い。

 批判されるべきは頑なに批判し反対してきた獣医師会であり、旧態依然の行政に与した前川喜平であり、朝日新聞を始めとする取材力に乏しいマスコミだろう。

 更には、獣医師会の意向を忖度し「石破4条件」を作って獣医学部新設の妨害を謀った石破茂であり、獣医師会から100万円の献金を貰っていた玉木雄一郎や福山哲郎ら政治家共で、先ずはそれらの疑惑に答えるべきではないのか。

 一方の森友学園というと、詐欺事件の主犯である籠池泰典が始めた愛国ビジネス。児童に教育勅語を唱和させ、罰当たりなことに昭和天皇が学園を訪問したとの記述をホームページに載せて、学園が神道を重んじた学園であるかの様に偽装した。

 安倍明恵首相夫人や今回の平沼赳夫や鴻池祥肇などの政治家を利用して「瑞穂の國記念小学院」の設立し、補助金を詐取しようと目論んだのが事の始まり。

 教育勅語を子供達に唱和させ愛国者を気取る籠池を安倍糾弾の好材料とする辻元清美らは、恰も安倍が学園設立に熱心だったかの様に世論誘導し、安倍夫人に批判の矛先を向けた。だが、全てが籠池の一人芝居だったことが露呈する。

 籠池逮捕で一件落着かと思いきや、愛国教育を批判してた野党もマスコミも一転して籠池は被害者であるかの様な作為的な記事を垂れ流しては、籠池の発言が正しいと言わんばかりに「公文書改竄問題」として国民を誑かしている。

「改竄問題」は、詐欺師籠池の嘘八百に踊らされた財務省近畿財務局が、籠池に利用されたと思われる平沼や鴻池らの文言を原本から削除したことが大問題とされているが、別に決裁文書が根本から書き換えられてる訳ではない。

「本件の特殊性」や「特例的な内容」といった文言が削除され、廃棄文書が見つかったところで何ら問題はない。森友問題は、佐川前国税庁長官(当時)の答弁との整合性を図った、単なる財務省の文書管理の問題に過ぎない。

 慰安婦問題は国益を大きく損うこととなったが、加計学園問題も森友学園問題も朝日新聞を始めとした左翼マスコミと能天気なクソ野党が前川や籠池の嘘に便乗しているのを見ると、慰安婦問題の時と同じ轍を踏んでるとしか思えない。

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2020年09月15日

第二十六代自民党総裁に菅義偉が選出。議員票と地方票合わせて377票の圧勝。

 第二十六代自民党総裁に菅義偉が議員票と地方票合わせて377票の圧勝。熾烈な二位争いには岸田文雄が入り、議員票僅か26票の石破の惨敗は快哉だった。

「何が何でも石破を潰そう」という、麻生を始めとした自民党幹部の権力闘争を垣間見た瞬間だった。岸田の議員票には麻生や安倍らも投じたと推測される。

 この結果に石破は「選挙期間を長くして党員の全てに投票させるべきだった」と悔しさを覗かせていたが、全国44の県で党員投票が行われており、参加した党員への侮辱だろう。正に、言い訳は見苦しいばかりではなく同じ過ちを繰り返す。

 石破が「国民的人気」だという報道は、石破の左翼的思想に共鳴してる朝日や毎日新聞、共同通信社などのノスタルジックな左翼マスコミの一方的な歪曲報道であり、国民を誑かし国民世論を誘導しようというインチキ報道でしかない。

 石破が総裁選挙で勝ったのは安倍と戦った2012年の一回だけで、2018年の総裁選では安倍に負けている。そうした事実を忘れて「党員の全てに投票させるべきだった」との石破の認識もまた左翼マスコミ報道に侵された結果でもある。

 石破が人気だったのはタカ派で保守的なイメージがあったからだ。然しその実は、戦後民主主義にどっぷり浸かった無自覚左翼というのがバレた(笑)

 その昔、留まることのない政治家とカネの問題について「政治倫理の確立」を訴え、理路整然と憲法を語り、国防を論じる石破茂という若手政治家に衝撃を覚え、こうした国家観を持った政治家の出現を頼もしく思ったものだ。

 長期政権の傲りが出た自民党が国民から総スカンを食らうと、石破は早々と離党し「改革の会」に参加。この辺りから徐々に鍍金が剥がれ正体を露わにする。

 その後は「新党みらい」「自由党」「自由改革連合」を経て「新進党」結成に参画。元田中派の石破は田中派の先輩でもある小沢一郎を師として行動を共にするも、その後、小沢との確執が露呈し、自民党に復党した。

 自民党に復党すると、党内野党の如く政権批判を繰り返す。安倍政権への批判と揶揄は留まる処を知らず、そうしたことが反石破派の怒りと失笑を買うことに。単なる政権批判を続けていれば、クソ野党と同じく国民は離れて行くのは自明の理。

 石破は戦後の歴史教育を疑いもなく信じ、それを政治信条の主体としている故に国家観が決定的に乏しいのだ。こういう政治家が保守を自任すべき自民党に存在していることが、戦後政治の悪しき象徴でもあるのだ。

 偏狭な自己陶酔の世界から目覚めない限り、自民党員の支持は得られまい。石破は離党し、新党結成で捲土重来を期すべきだと思う。尤も、石破と同道する石破派議員がいるとも思えないが、今なら立憲民主党に替わる野党に成れるかもよ(笑)

 兎にも角にも菅総理誕生で、一気に総選挙に突入するだろう。安倍政治を継承し、コロナ対策や景気対策を優先するのも結構だが、「女性宮家」や「女系天皇」論を謀ることなく、旧宮家の皇籍復帰を実現し天皇を盤石の安きに置いて欲しいものだ。

 今日は官房長官と組閣人事が決まる。官房長官に誰が就くのか興味は尽きない。三原じゅん子や女性閣僚を増やすのは好いが、国家感溢れる保守議員の登用を望む。

 更に注文を吐ければ、自公連立はそろそろ解消すべきだ。公明党は戦後民主主義的であり、且つ反天皇や反靖國など反国家的な組織であることをしても、自民党が選挙協力を優先する余り、連立を維持していることは国益を毀損している。

 菅新総理は、国家観を逞しくし同じ志を共有する政党や政治家と連携し、「道義国家・日本の創造」を図って欲しいものだ。つ~か、元共産党隠じゃ無理か。呵呵。

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2020年09月13日

石破の「東京一極集中批判」は「首都機能移転構想」の模倣

 総裁選に立候補してる石破茂は「女系という選択肢は排除されるべきでない。男系の旧宮家の皇族復帰は男系だから好い訳ではない」と訴えてる。旧宮家の復帰は祭祀を継承して戴くという本分にあるということを理解していない。

 抑々「女系」の意味を知ってるとも思えないが、男女共同参画社会に与し「女系」を理解して語っているのだとしたら国賊と断じられても致し方ない。

 石破は、皇族を公的行事や外国要人との接遇や晩餐会などに華を添える程度のものとしか考えていないから「女性宮家が~」とか「女性天皇が」~と騒ぎ立てる。

 抑々、「女性天皇」「女性宮家」では天皇の重んじる祭祀が叶わない。神に仕える神事を執り行うことが憚れるのだ。多くの国民は陛下の御負担を女性宮家創設で軽減されると思っているが、「祭祀」を女性皇族が代行することは不可能。

 石破の政策に「東京一極集中批判」というのがある。「日本の在り方を根本から変える」らしいが、旧皇族の皇籍復帰に難色を示し、女系天皇誕生を謀る石破の目指すところは日本を変えるどころか国體の破壊ではなかろうか。

 この「東京一極集中を分散する」という考えの基となってるのは、過去に活発に語られたことのある「首都機能移転構想」であるのは間違いない。

「東京への一極集中は人為的に作られ、集積の限界点は超えた。東京の負荷を減らしていくことが重点だ。東京の人を地方に分散することが、東京の、地方の利益になり、日本全体の為になる」との自説を垂れ流している。

「首都機能移転構想」でも、推進派が「東京一極集中は好ましくない」とか「震災対策の為に必要」と主張していたのと同じ。この構想は実現されることは無かったが、石破が「東京一極集中批判」と言葉を替えて国民を誑かしている。

 抑々、この構想は故金丸信が仕掛けた公共事業誘発政策であり、金丸の政策を模倣して公共事業の独占を謀り、政治資金を肥やしたいが為の我田引水に他ならない。

 大手企業や工場、それらの会社で働く従業員が東京を離れることで地方が潤うという単純なものではない。これらの構想に欠けているのは、首都機能を移転した場合に天皇の国事恋や御公務に付いて語られることがないことだ。

 天皇の国事行為は、国会の開会式や大臣の親任式及び認証式などが年間約60回、加えて御公務を約170回程御勤め遊ばされる。東京一極集中を分散する場合、天皇の御公務や監督官庁はどうなるのか。「東京一極集中」とはアバウト過ぎる。

「首都機能移転構想」は、その胡散臭さに立ち消えになったが、又候こうした構想を持ち出す石破のは公共事業の誘発意外に別な思惑がありそうだ。

 石破の発言は、一見すると正論の様に聞こえるが巧妙な詭弁ばかり。東京一極集中を解消するには民間企業だけでは実現出来ない訳だから、「遷都」を議論しろとは言わないまでも、皇居移転や現憲法下の国事行為にも一石を投じるべき。

 況してや国事行為は現憲法に明記されてはいるが、共産党が「天皇の政治利用」との批判も一理ある訳で、国事行為の在り方を議論するのは当然でもある。

「天皇の政治利用」というのはどういうことか。陛下が若し靖國に詣でれば「政治利用だ」と騒ぐ輩も出て来るだろうし、国会の開会式への御臨席も「天皇の政治利用である」として欠席を続けている共産党の暴論も正論とも言える。

「天皇の政治利用」という安っぽい言い回しが実に不敬なものに感じてしまう。天皇の「国事行為」について、憲法は、首相の任命、憲法改正や法律の公布、外国大使らの接受等を定めているが「公的行為」は現憲法に明文化されていない。

 天皇にとって大事なものは前述した通り「祭事」である。悲しい哉、歴代天皇が古来より司って来た「祭事」は、現憲法に由って天皇家の「私事」になってしまい、現憲法にも現皇室典範にも「大嘗祭」の規定さえも存在してはない。

 現憲法は歴史的な国家としての継続された「祭祀」に関する天皇の役割を否定しており、未だ占領政策の「神道指令」の呪縛が解除されずにいるのである。

 天皇の国事行為への対処方法も議論もしない石破の「東京一極集中批判」に意味は無い。日頃から尊皇精神に乏しく、天皇を軽々しく思っているからこそこうした愚策を持ち出すのだ。女系天皇論然り、隠れ共産党の石破に騙されること勿れ。

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2020年09月12日

活動家が長生きすると惨めな生活しか待っていませんよ!

 現役右翼だった頃、物心両面で支援して頂いた大手警備会社の会長から「活動家が長生きすると惨めな生活しか待っていませんよ!」と言われたことを思い出す。

「戦争や昭和の混乱期を経験した先代社長らは国家の何たるかを分かっていたが、今の経営者というのは金儲けばかりで、国家とか国防なんて考えてませんよ。況してや右翼が懸命に天下国家を訴えても理解することは無い」としみじみと語ってた。

 その上で冒頭の言葉に繋がるのだが、支援者は年上ばかりで、その支援者は亡くなっていく。つまりは先細りは見えており、生活は困窮の一途を辿る。

 右翼団体構成員が生活保護を詐取して逮捕されたというニュースが報じられてた。こういうインチキ右翼が真面目な活動家の足を引っ張っているという自覚も無いだろう。利潤追求しか能の無い経営者より御粗末と断じる他はない。

 斯くいう愚生も正しく先細りで支援者は消えていくばかり。敬天新聞社の白倉先輩ではないが「今日勝つ」ことさえ儘ならなくなってきた。ブログ末尾に《会費及び御支援》の口座を記してるが過去に振り込んでくれたのは過去に二人だけ(笑)

 つい数日前にも、35年以上付合いをしてたJA福島さくらとの縁を絶った。その昔はJA福島五連会長で全中の会長を歴任した故佐藤喜春(現県会議員の佐藤憲保の父)も支援者だったが、亡くなると直ぐにJA福島五連から援助を打ち切られた。

 所詮は、政治思想や社稷を重んじるという考えなんぞ毛頭無く、何より人情に希薄で、帳簿上での無駄を省くという営利至上主義からのものでしかない。

 今やJAは農業を利用した営利企業に成り下がった。「農」という国家観を捨て去りながら何が「地域への貢献」か。組合員を利用しているだけではないか。

 種子法廃止法案に沈黙し、種苗法禁止法の裏に隠れてる真実を知ることも無く、単なる政府の意向を汲んでJAを廃統合し、新たな活路を模索している。

 JA全国中央会(全中)への政府介入は、全中の監査・指導権を無くすことにより、各地域の農協が独自の経営的感覚の上に立って、新たな農産物の開発や流通ルートの開拓によって互いに競争し、農業を活性化することが目的である。

 こうしたは方針は政府ではなく、種子法廃止法案を強行させ外国資本が我が国農業に参入しようと謀る米国の要望であり、「農業の活性化」とは組合員を騙す口実。農業に外国資本や大手企業が参入すればJAなんぞ米国資本の傘下となろう。

 現在の我が国はJAの無能著しく、農耕民族としての自覚を喪失し、豊葦原瑞穂の国の誇りも無く、新自由主義の営利至上主義でソロバン勘定し、農業を以て立国の基本とするという「農本主義」は国民の殆どが理解していない。

 指導するべきJAは営利至上主義の総合商社と見間違うばかりの卑しさ。我が国は戦後GHQの策謀によって農本主義的国家観は排除され、大輸出国の米国の戦略に嵌ったまま米国の価値観が我が国の価値感だと錯覚してしまった。

 その典型といえるものが「主要農産物種子法廃止法案(種子法廃止法案)」だった。「種子法」は米、麦、大豆など主要農産物の品種改良を国や都道府県の公的研究が行い、良質で安価な種子を農家に安定的に供給してきた法制度である。

 我が国は「食管法」の下、主食である米や麦などの主要農作物については、政府が市場をコントロールしてきた。その食管法が、平成7年に廃止され「主要食糧の需給及び価格の安定に関する法律(食糧法)」に引き継がれた。

 政府は種子法廃止の理由として、米の減反(生産調整)制度が今後無くなる見通しであることから、品種開発の分野についても民間開放するとしている。だが、その実は外資(外国)参入を目的とした謀である。

 種子法廃止は日本古来の種子の廃止である。つまり食の安全と食料安全保障を廃止すると同じであり、畢竟、豊葦原瑞穂国という国柄崩壊の序章といえるものだったが、JAはこれを容認し、保守派や自称愛国者らまでもが沈黙した。

 それにしても、JA福島五連から支援を打ち切られる際は顧問弁護士から連絡を貰ったが、JA福島さくらの場合、愚生からの伝言さえも無視し沈黙している。恐らくは担当課長や幹部の思想差別と職業差別からのものであるのは自明の理。

 担当が変ればこうも変わるものか。「今の経営者というのは金儲けばかりで、国家とか国防なんて考えてませんよ。況してや右翼が懸命に天下国家を訴えても理解することは無い」という大手警備会社会長の言葉が過る。呵呵。

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2020年09月11日

「戦犯が祀られている靖國神社なんぞに参拝しない」という石破茂

 自民党総裁選に立候補してる石破茂は東京電力福島第一原発事故で全町避難が続く福島県双葉町を訪問し、処理水の処分に「国民や世界に納得してもらうまで説明するのが政府の責任だ」と語った。一生説明会をやってろつ~の(苦笑)

 処理水の処分方法さえ決定していないことは確かに政府の怠慢と言えるが、評論家の如きに語る政治家の怠慢でもある。説明したところで感情的に反対している連中は納得することは無いし解決は見ないだろう。最後は政治家の決断が大事。

 石破というのは、森友問題や加計問題もそうだが、安倍政権への批判が出ていることを好いことに、説明責任の足りなさを指摘して「手が上がらなくなるまで誠意を以て対応するべき」などと批判するが具体的な対案などは示さない。

 加計問題で言うなら、獣医師会の意向を忖度し、獣医学部創設を困難にする目的で「石破四条件」を作った過程や、石破が加計問題に関わった経緯を知りたいが、そうした疑問には応えもしないのに政府批判だけは一人前(苦笑)

 回り諄い言い回しだから一見すると正論の様に聞こえるが、その実は中身は空っぽの大衆迎合主義に他ならない。政治家が世論に諂ってどうするのだ。

 政治が国民目線に立った時に必ず国が滅ぶというのは世の常だ。何故なら、国民の判断力は常に低く、その意見というのもその時代の風潮に流され、マスコミに感化され、大衆に流され、実に幼稚で気紛れなものだからだ。

 いつの世も大衆の多くは無知で愚かであり、実に操縦し易く、石破というのはそういう認識だからこそ世論に媚びた言い回しで国民を取り込もうとする。

 石破は、大衆を惹きつけ様というのは師である田中角栄を模倣してるが、似てるのは中共への忠誠心と歴史認識だけで、国民的人気は田中の足元にも及ばない。

 政治とは国家観を重んじながら、国民目線とかけ離れた歴史観、人間観、世界観、時には高度な権謀術数を必要とするものなのだが、ネット社会の今、石破の容共的政治姿勢と御花畑的無自覚左翼ぶりを胡散臭く感じている国民は実に多い。

 石破は、第二次世界大戦を侵略戦争だと断じ「西欧列強も侵略国家ではありましたが、日本も『遅れて来た侵略国家』である」という認識を持っている。

「先の侵略戦争の責任はA級戦犯に在り、その戦犯が祀られている靖國神社なんぞに参拝しない」という悍ましい歴史認識の持ち主で、「侵略国家として未来永劫、相手国(中朝韓)が納得するまで謝罪しろ」という政治スタンスを採っている。

 我が国が主権を恢復した昭和27年4月28日の講和条約が発効した翌年の第16国会の議決に拠り「戦傷病者戦没者遺族援護法」が改正され、それを以て法的に復権されている訳で、政治家が「戦犯」と呼ぶことは議決された法案の軽視である。

 連合国側が定めた、A、B、C級の区分に関係なく、刑死・獄中死された方は「法務死」と称され、靖國神社では「昭和殉難者」として祀っている。

 国会議員が公然と「戦犯」と呼称していること自体、国会決議を軽んじている証左であり、石破も中曽根康弘らと同じイカサマ保守というのが正しい。

 石破は「太平洋戦争史観」を疑いもなく信じ、更には中国共産党に籠絡された政治家と言うのが正しく、それ故に国家観が決定的に欠落している。

 以前、田母神俊雄幕僚長が「日本はいい国だ」といって解任されたのは記憶に新しいが、解任したのは石破だった。投稿したアパ論文に色を作して反論し、田母神の歴史認識や政治介入を「いつか来た道」に繋がるものだと断罪した。

「いつか来た道」というのは、石破が「侵略戦争」と断じて止まない先の戦争であるというのは言うまでもない。こうした売国的主張が左翼ではなく、保守を標榜する議員から発せられてることは実に悪質且つ危険なものと断じざるを得ない。

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2020年09月10日

トリチウムの放射線エネルギーは弱くセシウムの700分の1程度に過ぎない

 当初は、原発周辺周辺に貯まり続けるタンクは後一ヶ月程で満水となるという試算だったが、何やら2年後の夏頃まで延びたらしい。揮発などで減ったのか?

 トリチウム水(HTO)を含む処理水について、自民、公明両党の復興加速化本部は処分方法を早急に決定する様に要請するという。オイオイ、今更処分方法かよ。

 福島県町村会会長の小椋敏一(北塩原村長)も「福島ありきではなく、全国的な問題として処分方法を議論すべきだ」との考えを示している。

 トリチウムを含んだ処理水の海洋放出は住民の反対を理由に中断されている。トリチウムの何たるかも知らないのだから賛成することは不可能に近い。

 案の定、第六回意見交換会で隣の大井川茨城県知事も福島県沖の海洋への放出に「新たな風評が生じかねない」と反対した。更には「原発敷地からではなく、無人島から放出するなどの方法」などと御花畑的意見を垂れ流した。

「トリチウム水は人体に影響は無く、海洋放出は世界の常識。我が県を含めて海洋放出を受け容れる都道府県を国主導で進めるべき」と言える知事は出ないものか。

 処理水の処分方法は海洋放出しかなく、処分方法さえ決定していないことは政治の怠慢であり、処分方法の全国的議論は問題の先延ばしに過ぎない。尤も、貯水タンクも再来年夏まで大丈夫になったから意見交換会は単なるガス抜きか(笑)

 原子力規制委員会の進言通り、海洋放出を決定した上で、海洋放出する候補地選定をどうするかだ。そういう意味からも感情論を排し、「福島県沖ありきではなく、全国の何処に放出するか」を議論すべきだと思う。

 原発周辺に更なるタンクを増設で問題を先送りしても根本的な解決は図れない。処理水の海洋放出を決定した上で、処理水に含むトリチウムの科学的データを示し、海洋放出は人体には全く影響のないことを周知するべきだろう。

 福島県沖への放出は人体的影響は問題は無いが、風評被害が怖いというのは理解出来る。住民の安心から進められた除染は「福島は除染をしないと住めない町」とのレッテルを貼られた。福島県沖への放出も同じ流言蜚語が飛び交うだろう。

 処理水の海洋放出でも反原発派らが大騒ぎするのは必至。考えてみれば風評被害を招いているのは自称・被災者や放射線に無理解な県民でもある。トリチウムの何たるかを知らず「トリチウムを含んだ処理水」などと騒ぎ過ぎだ。

 不安を煽るだけのマスコミと反原発派の感情論にはもううんざりだ。政府は科学的データを公表し、核のゴミ(高レベル放射性廃棄物)の最終処分場選定と同じく、補償や地方交付税の増額等を示して放出先を応募すべきだと思う。

 状況からして福島県沖がベストだろう。「更なる福島への風評被害を生ませない」というのなら、粛々と海洋放出してしまえば好い。「人の噂も七十五日」ではないが、放出後に日々のデータを公表すれば反原発派の罵声は日々薄まる(笑)

 原発設置県として起きてしまった最悪の事故を最後まで責任を持って進めるべきだと思う。それが「県民の声を大切にして欲しい」なんて言ってるから事が進まないのだ。政治には大衆とは違う決断が求められるということを肝に銘じよ。

 処理水問題は、福島県以外の数県が名乗り出てくれれば容易に解決出来るのだが、そうした決断を出来る知事が果たしているかどうかといえばそれも疑問。

 以前、松井一郎大阪市長が大阪湾受け入れを示唆したが立ち消えになってしまった。福島原発が主に首都圏の電源だったことをすれば東京なども候補地に名乗りを上げるべきだろう。福島県一県だから福島だけが貧乏籤を引くことになる。

 2020年東京オリンピック委員会の総会に於いて、安倍首相は「(処理水問題の状況は)完全にコントロール出来ている」と大見得を切った。

「処理水問題」は、我が国の首相が公約したことであり、国際的な約束事でもある。処理水の海洋放出は慎重を期すのは分かるが、慎重過ぎても問題あり。

 処理水の海洋放出は一歩間違えば国際的な問題に成り兼ねず、オリンピック終了までは断念せざるを得ないだろう。ここに来て東京オリンピックが1年延期されたが、処理水の海洋放出を断念しタンクの増設で事を濁してはならない。

 国民に知らせるべきは科学的なデータであり、処理水が及ぼす影響である。トリチウムの放射線は弱く、人体への影響もセシウムの700分の1程度に過ぎない。

 セシウムに怯えて非科学的な除染が進められたが、セシウムが人体に影響も及ぼしてない中で、それより弱性のトリチウムに怯えるのは如何なものだろう。放射線の恐怖を煽り、福島県を貶め続ける反原発派のしたり顔が浮かぶ。

 以前、建屋屋上へ溜まってた雨水40兆Bq/Lが流出したと大騒ぎになった。4京ではなく40兆Bq/Lで年間にすれば20兆Bq/L。汚染水にはストロンチウムやトリチウムが確認されているが、数値に驚くが人体に影響が出る数値ではない。

 世界基準では、地下水バイパスやサブドレンの放出濃度運用目標は1500Bq/Lと定められている。これをトリチウム水の質量濃度に換算してみると、約2.8×10のマイナス14乗、つまり百兆分の2.8Bq/Lという極めて低い濃度となる。

 ppm(百万分率を表す単位で100万分のいくらであるかという割合を示す数値)や、ppb(10億分のいくらであるかという割合を示す数値)、ppt(1兆分のいくらであるかという割合を示す数値)にも至らないレベルということ。

 現在、世界各国の原発施設から海へ放出されているサブドレン/地下水ドレンのトリチウムは1000Bq/L以下、地下水バイパスでは100~150Bq/L程度。1F港湾内外のトリチウムは検出限界(約2.0Bq/L)以下とのデータが出ている。

 堰内に溜まった雨水(堰内の汚染も含む)も、検出限界(約100Bq/L)以下で、 これらを質量の濃度に換算すると千兆分の1~十京分の1となる。

 仰々しい数値だが、原発周辺に貯まり続ける処理水の数値は気化されてるものもあり数値は低い。セシウムの700分の1程度に過ぎないトリチウムの放射線に怯える必要は無い。風評という雑音は直ぐ消える、粛々と海洋放出を実行せよ。呵呵。

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2020年09月07日

「敬称・敬語不使用運動」は反天皇勢力に拠る反天皇運動の一環

 昨日は秋篠宮悠仁親王殿下の御生誕日。後に天長節になる日である。SNSでは、自称愛国者や保守派までもが「さま」付けで御祝いの言葉を捧げていた。

 天皇や皇族方への敬称略運動は反天皇勢力の反天皇運動の一つであり、そうしたことも理解していない保守派や自称愛国者らの無自覚ぶりと無能は絶望的だ。

 こんな認識だから、反天皇勢力に付入られ「女性宮家」や「女性天皇」論が席巻する原因を招いているのだ。況してや「女性宮家」や「女性天皇」は共産主義者らの策謀だということを自覚さえしていないことは、空恐ろしい。

 日本国憲法第一条には「天皇は日本国の象徴であり日本国民の統合の象徴であって、この地位は主権の存する日本国民の総意に基づく」と在る。

 共産党を反天皇勢力らは「我々は天皇制に反対しているのだから国民の総意ではなく、天皇は違憲の存在である」と叫んでいるが、この屁理屈は残念乍ら正しい。

 この事実だけ見ても 左翼勢力の「護憲」がまやかしであることが分かるだろう。左翼勢力が謀る護憲とは、正しく「誤憲」の存在であることが理解出来よう。

 また天皇の御地位に関する問題には沈黙し「違憲の存在である自衛隊を合憲に」などという改憲論を進める保守派も、第九条こそが大事と思っていること自体が「九条の会」と変わらない誤憲派だ。第一章「天皇」の条項こそ見直すべし。

 売国マスコミに拠る「敬称・敬語不使用」や「開かれた皇室論」の姿勢は、今や国内に蔓延し、天皇陛下や皇室に対する敬愛の念を薄れさせている。こうした風潮に釘を刺すべき保守派や愛国陣営までもが軽々しく皇室を語るマヌケさ。

 1932年、ソ連共産党からコミュンテルン日本支部である日本共産党へ「コミュンテルンテーゼ(命令書)」という指令が出されているのを知っているか。

 命令書には、天皇を制度として捉える「天皇制廃止運動」として、昭和天皇への「戦争責任・退位論」に始まり、「開かれた皇室論」「敬称・敬語不使用運動」、平成に入ると「女性宮家」「女性天皇論」として反天皇制運動は継続されている。

「悠仁さま」「愛子さま」「美智子さま」「雅子さま」「秋篠宮さま」「紀子さま」との呼称は、皇室への尊厳を薄れさせる為の「開かれた皇室論」に与するものであり、共産党への命令書を忠実に遂行していることでもあるのだ。

 本来の日本人ならば、「陛下」「皇后陛下」「秋篠宮皇太弟」「親王殿下」「内親王殿下」「女王殿下」と正式な敬称で呼ぶべきで、「さま」などと呼ぶことに由って、日本の伝統文化や美徳が喪失して行くということを自覚すべきだろう。

 我が国は天皇陛下を族長と仰ぐ家族国家である。戦前の様に「畏れ多くも畏くも」とは言わないまでも、節度ある敬意を表することは当然のこと。

 皇族方への敬称略に見られる国内に蔓延する日本語の乱れを直すことこそ急務であろう。日本人が日本語を正しく使わずして「国際化社会」などとは痴ましい。

 明治の先覚者は、外来語を全て新漢字に翻訳し、日本語のまま西洋文化を学ぶことが出来たことは偉大なことだ。現代人の様に外来語をそのまま羅列し、軽薄な舶来趣味と比べれば、明治人の気骨と気概、高い見識を伺い知ることが出来る。

 日本に生まれた誇りを胸に、日本語に自信を持ち、何処までも日本語で主張し、日本文化を貫いたからこそ発展が得られたのだ。英語という田舎言葉が世界語になったのは、武力で世界を支配し、富を独占したからに他ならない。

 世界で今、1000万人以上の人が日本語を学びその数は増える一方。日本語文化を世界に普及し、日本の和の心を伝え、世界平和の実現を図ることは大事で、その為にも先ずは現代日本人の乱れた日本語を正すことこそ肝要である。

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2020年09月04日

西軍に因る東軍への仕打ちと明治新政府に因る不条理を糺せ

 岐阜県郡上藩の「凌霜隊」を知っている人は少ない。錦の御旗を掲げる西軍から「賊軍」とされた会津藩と共に義に殉じた藩と言えば三重の桑名藩と越後の長岡藩が有名だが、岐阜の郡上藩の有志で結成された「凌霜隊」もその一つ。

 戊辰戦争が起きる1年程前、郡上藩主・青山幸宜は幕府から徳川慶喜の警護を命じられる。藩主は代わりに筆頭家老を江戸に差し向ける。その翌年、戊辰の役の前触れとなる「鳥羽・伏見の変(戦い)」が勃発する。

 この戦いで幕府軍が敗れると地元では西軍への恭順を示す。だが、江戸にいた不満を抱える藩士らは東軍支援に向けて藩士有志らで「凌霜隊」を結成する。

「凌霜(りょうそう)」とは「霜を凌ぎ、花を咲かせる野菊の様な不撓不屈の精神」という意味で、藩主の家紋である「葉菊紋」に由来する。

 隊長は朝比奈茂吉。江戸家老の長男で弱冠17歳。慶応4(1868)年4月、朝比奈らは江戸を出立し、千葉県行徳、栃木県宇都宮を経て会津藩の領地に入る。

 会津下郷での「大内宿の戦い」、会津美里の「関山の戦い」を経て会津城内西出丸の守備に就き、会津藩が上洛した9月21日翌日まで抗戦したという。

 会津武士道の昇華を白虎隊に例えるのなら、二本松少年隊も二本松武士道の昇華そのものだ。 凌霜隊も同じ。藩と己の名誉を守る為に堂々と戦い、そして潔く散った。純真無垢な殉国精神溢れる彼らの生き様に学ぶものは多い。

 この凌霜隊の武勲を顕彰した碑が会津若松市内の飯盛山に建つ。白虎隊の墓には線香の煙は絶えることはないが「郡上藩・凌霜隊之碑」碑に足を止める人は疎ら。そんなこともあり、飯盛山への参詣の際には碑の前で感謝の誠を捧げている。

 岐阜というと西軍の大垣藩しか知らなかったが、こうした東軍に加担し義を重んじ殉じた藩がいたことに感服。因みに、東京都港区青山という地名があるが、これは郡上藩主の江戸屋敷が在ったことから藩主の姓「青山」が付けられた。

 今から遡ること約150年前「鳥羽・伏見の変」に始まった戊辰の役(戊辰戦争)と呼ばれる国内戦争は、その後、徐々に激化を極めて行く。

 慶応4年8月21日(旧暦)、母成峠が戦場となり、東軍と西軍との間で烈しい攻防戦を繰り広げた。白河口の戦いを制し、二本松領を占領した新政府軍内では、次の攻撃目標に関して意見が分かれたという。

 大村益次郎は仙台・米沢の攻撃を主張し、板垣退助と伊地知正治は会津への攻撃を主張。板垣・伊地知の意見が通り会津を攻撃することとなった。

 本宮・玉ノ井村(現大玉村)に集結した兵を三分し、谷干城(土佐)率いる約1000名は勝岩(猿岩)口へ。板垣退助・伊地知正治率いる約1300名は石筵本道口へ。川村純義(薩摩)率いる約300名は山葵沢より達沢口へ一斉に進発した。

 これを迎え撃つ東軍の兵は僅か800名。勝岩口の勝岩上には大鳥圭介率いる伝習第二大隊及び二本松藩の約300名が守備に当り、勝岩下には新選組ら凡そ70名が配置し、土方歳三と山口次郎(斎藤一)がこれを指揮した。

 石筵本道口の第一台場(萩岡)、第二台場(中軍山)、第三台場(母成峠)には、会津藩主将の田中源之進と二本松藩家老の丹羽丹波と伝習第一大隊長の秋月登之助らの指揮する約400余りの兵が守備に当った。

 戦いは、萩岡の号砲を合図に、勝岩口と本道口に分かれ、午前9時頃からの始まった戦いは約7時間に及ぶ。だが、圧倒的な兵力と火力の差は如何ともし難く、東軍は北方高森方面や西方猪苗代方面に敗退する。

 西軍は十六橋を突破し、戸ノ口原を経て、怒涛の様に会津鶴ヶ城に殺到した。母成峠の戦いでの東軍戦死者88名、西軍戦死者25名。母成峠には、会津藩が構築した防塁、塹壕、砲台跡が今も整然と残っている。

 近くには東軍殉難者の慰霊碑が建っている。この地で東軍の夥しい死体が発見されたのは近年であり、如何に薩長中心の西軍共らが非情だったかが窺える。

 8月23日、母成峠から会津領内に攻め込んだ西軍は会津藩との熾烈な戦いに及ぶ。 西軍が会津城内に攻め入ると、上席家老・西郷頼母邸では篭城戦の足手まといとなるのを苦にした母や妻子など一族21人が自刃した。

 徳川幕府への恨みの象徴でもあった会津藩が9月21日に終に降伏。この敗戦により西郷頼母・田中玄清・神保内蔵助が切腹し責任を負うところ、当初から西軍への恭順を示していた西郷は行方知れず。長男らと共に敵前逃亡していた。

 神保と田中は城下での戦闘に於いて既に自刃していた為に、次席の萱野長修が戦争責任を一身に負って切腹している。それでも西軍は満足することなく、戦いは東北地方を北上し函館にまで及ぶこととなった。

 戦いは年を超えるも翌年3月、函館五稜郭で奮闘していた榎本武揚軍が終に降伏し、日本人同士で戦った戊辰の役が事実上終結し、明治維新の幕を閉じた。

 因みに、遁走した西郷頼母は長男と共に生き残り、維新後、西郷隆盛に「同姓の誼で」と長男の職などを嘆願してるが、上席家老としての誇りは無かったのか。死を以て武士の本分を示した白虎隊の行動と照らしてみても恥ずべきことだ。

 会津藩士の中で西郷頼母の生き様に倣うものは無い。只管「講和」を主張し官軍と一戦も交えず開城した勝海舟然り、 維新後、立身出世を目指した榎本武揚然り、両名共に侍として野に下ることこそ取るべき道だったのではなかろうか。

「負けは必定なれど三春に倣うべからず」と義に殉じた我が二本松藩士や、「侍の時代は終わる」と知りながらも家老としての宿命を諒とした河井継之助ら長岡藩士や桑名藩、そして凌霜隊の隊士らこそ日本武士道の鏡であろう。

 靖國神社と鎮霊社に見られる死者の選別に象徴されている様に、「賊軍」の汚名は150年経った今も雪がれることは無い。こうした不条理は、錦の御旗を掲げ「官軍」を騙り、尊皇攘夷とは名ばかりの長州閥中心の新政府の専制政治が元凶である。

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2020年09月02日

降伏文書調印という屈辱の日でもある9月2日を忘れるな!

 昭和20(1945)年8月14日、我が国はポツダム宣言を受諾。そして9月2日、降伏文書に調印した。米国を始めとした連合国ではこの翌日の9月3日を「対日戦争終結記念日」や「第二次世界大戦(太平洋戦争)終戦の日」として祝っている。

 9月2日、東京湾上に停泊してた戦艦ミズーリの甲板上での調印の為に、梅津美次郎参謀総長らと共に、右足が不自由な重光葵外相は義足を引き摺りながらステッキを頼りに細い階段を喘ぎ喘ぎ上る。

 重光外相の右足は「上海天長節爆弾事件」により失った。漸く甲板に辿り着いた重光外相は、調印を前に一杯の水を所望するも「卑怯者のジャップに飲ませてやる水などない」と冷たく拒否される。

「上海天長節爆弾事件」とは昭和7年4月29日に起きた爆弾テロ。重光は上海に於いて駐中華民国公使として天長節奉祝式典に参列。

 国歌を斉唱する正にその時、朝鮮独立運動家である尹奉吉が爆弾を投擲した。重光らはその場から逃げることなく、国歌「君が代」を歌い続け、結果として片足を失うこととなった。

 重光はこの時を振り返り「爆弾が投げられたのは分かっていたけれど、国歌斉唱中なので動かなかった。動くのは不敬であると考えた」と述べている。

 重光の隣で遭難し片目を失った海軍大将・野村吉三郎(後に駐米大使に就任)も「国歌斉唱中だったから逃げなかった」との理由を語っている。

 野村や重光はその後に外相や駐米大使となるが、現在の政治家でこの二人の様なこうした決死の覚悟と肝の据わった官僚や政治家がいるかといえば皆無。こうしたことが我が国政治の不幸とも言えよう。

「君が代」「日の丸」に反対する勢力は国旗国歌を重んじることなく、自称・保守派や右翼人にしても国旗国歌を軽々しく利用するが、重光や野村の様な決死の覚悟が伴っているかといえば疑問でもある。

 昭和20年9月2日、降伏文書の署名に因って我が国は「負け」を認めたが、先の戦争の大義は決して間違いではない。

 抑抑、何故に我が国が開戦を決意し真珠湾攻撃に至ったかが問題であり、少なくてもペリー来航時代のアジア近代史にまで遡らなければ到底理解は出来まい。

 我が国は西欧列強に倣い、強力な中央集権国家を形成する為に明治維新の大業を短期間で成し遂げた。15世紀の大航海時代以来、白人による世界制覇の波がアジアにも押し寄せ、アジアは次々と列強に蚕食され植民地となった。

 その間に勃発した「日清戦争」と「日露戦争」、そしてその後の「日韓併合」も避けては通れない宿命的な歴史だったのだ。

「日清・日露戦争」での日本大勝利の報は、固唾を呑んで見守っていた世界の人々を驚嘆させ、特に有色人種に与えた影響は強烈だった。一方で、欧米では日本人に対する脅威が横溢し「黄禍論」が巻き起こってくる。

 日露戦争勝利から15年後、パリ講和会議で日本は「人種平等の原則」を国際連盟規約に載せることを提案するも、議長を務める米国大統領ウイルソンは「有色人種に人権など必要無い」との差別や蔑視から否決される。

 その後、世界は第二次世界大戦に突入し、我が国はABCD包囲網に因って四面楚歌に陥り、最後通牒である「ハルノート」を突き付けられると「最早生き残る道は連合国との戦争しかない」との決断に至るのだ。

 今も糾弾して止まない「リメンバーパールハーバー」は、日本人への偏見と差別と歴史への冒涜であり、対日戦勝利を祝ってる場合ではなかろう。先の大戦の過ちを猛省すべきは米国自身である。

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2020年08月31日

女性宮家・女性天皇推進派の菅義偉が総裁選レースのトップに躍り出た

 菅義偉官房長官が自民党総裁選への出馬の意向を固めた。二階幹事長の支援表明で、菅が総裁選レースの第一位に躍り出た。対抗馬は岸田文雄政調会長だが、派閥の論理と長老支配で党内の世代交代は未だ未だ先に引き伸ばされた。

 菅官房長官は「将来の天皇が退位する際の先例に成り得る」と退位法案を強行させた逆賊の一人であり、皇族の減少への対応策について「早々に対応しなければならない」との認識を持つ、強烈な女性宮家・女系天皇推進派でもある。

 抑々、男子皇族の後継者不足の問題が出始めたのは、敬宮愛子内親王殿下が誕生されてからのこと。現憲法第二条を曲解し「長子優先」を謀ったのが、今や国力低下を謀り反原発運動で国民を誑かしてる売国奴・小泉純一郎だった。

「長子優先」は、現憲法第二条「皇位は世襲のものであつて国会の議決した皇室典範の定めるところによりこれを継承する」を念頭に置いた策謀というのが正しい。

「皇位継承を安定的なものにする」というのは詭弁であり、その実は女性天皇や女性宮家、更には女系天皇を可能にし皇統断絶を謀る為の一里塚であるのだ。

 現代人の驕りから、皇統の問題を天皇の御意向を一切無視し、現代の価値観や法令で語ることに違和感というか怒りを覚える国民は少なくない。

 旧宮家の皇籍復帰を望まない皇位継承の議論が始められたその翌年、秋篠宮家に長男である悠仁親王殿下が誕生する。小泉は悔しさを滲ませ「皇位継承順位を性別に関係なく長子優先とする」というとんでも法案の提出を断念した。

 その後、皇位継承問題は落ち着いたと思いきや、民主党政権下、野田佳彦が「安定的な皇室活動」として女性宮家問題を提起したことで今に引き継がれている。

「女性宮家」を創ったところで祭祀を継承するのは無理なこと。女性皇族として精精、国賓・公賓への接遇や会見、会食などの御公務のみ。要は、女性宮家創出に拠って「都合の好い皇室活動」をさせたいが為の政治利用に他ならない。

 悠仁親王が成人となられ、御成婚し、殿下が誕生するまで約20年はかかるだろうことを、何故に現代で法令を作って迄も変える必要があるとするのか。

 万世一系百二十六代の皇統が貴重である理由は、神武天皇から連綿として一度の例外も無く「男系」で繋がっているという厳然たる事実である。

 安定的な皇位継承を図るならば、占領下に臣籍降下させられた旧宮家の方々の皇籍復帰を成し、更には堂上公家を元に復せば解決する問題である。

 安倍政権下、反天皇勢力に与し退位法案を成立させ、更に「皇太子」を空位にした。「皇嗣殿下」とは共産主義者らの造語であるが、「皇太弟」ではなく共産党の造語で呼ぶ意味は後の秋篠宮悠仁親王殿下即位阻止が目的であるのは明らか。

 この裏には秋篠宮家の内親王殿下を女性宮家とする目的が透いて見える。二階幹事長も女性宮家及び女性天皇推進派であり、その目論見は菅と一致する。菅や二階は男女共同参画社会の名の下で皇統断絶の完遂を謀っているのは間違いない。

「国防」とは領土防衛だけではなく国體、つまり皇統の死守である。そう考えれば、靖國神社に参拝したことも無い親中派で自虐史観著しい石破茂は論外。

 皇統断絶の完遂を目指す菅に対抗するのは岸田文雄。安倍のやり残した憲法改正を引き継ぐと共に、「男系男子の継承」を重んじる姿勢は好感が持てるが、女性宮家や女系天皇を謀る勢力から糾弾されることになるだろう。

 次期自民党総裁選挙は女性宮家・女系天皇論など皇統断絶を謀るか否かの戦いになるが、尊皇なき自民党にそうした危機感は無く議員らは勝馬に乗るのに必死。

 正統保守を自任する自民党内のグループが菅内閣で謀る女性宮家創設と、それに伴う女性天皇論を諌め、皇統断絶を食い止めるには余りにも頼りない。菅総理誕生で女性宮家創設の動きが活発になるのを食い止めなければならない。

 占領下、旧宮家の皇籍離脱に最後まで反対した昭和天皇の意を汲み、旧皇族を皇籍復帰させることこそが皇統断絶を救う唯一の道である。全愛国者よ、団結せよ!

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2020年08月30日

歴代最長政権の記録を更新中だった安倍首相が突然の退陣表明

 安倍晋三首相が辞任を表明した。後出しジャンケンになってしまうが、安倍首相の後継の一人でもある岸田文雄政調会長が8月16日に靖國神社へ参拝し、唐突に男系男子の継承と憲法改正の継続と意気込みを語ったことに違和感を感じていた。

 野党やマスコミに拠る首相の病状に対する説明責任に対し、麻生太郎党副総理や小泉進次郎大臣が批判していたことでも病状の深刻さを感じていた様にも思える。

 何より安倍政権を批判して止まない石破茂が、政権記録を更新した際に「容易な事ではない」と賛辞を送ってたことは、既に安倍退陣を悟ってたのだと思う。

 難病である潰瘍性大腸炎再発で辞任せざるを得なかった心情は察するに余りある。毀誉褒貶相半ばする安倍政権ではあるが、外交は見張るものがあった。中でも。提唱した 「アジアの民主主義セキュリティダイアモンド」構想は括目に値する。http://cordial8317.livedoor.blog/archives/51867756.html?fbclid=IwAR1ITeptmT_6egjILHEHLFN-v66_cTXYOmJVv-MW4H3h-0yHdEhqGtvEGWw

 日米同盟の是非は兎も角、米国大統領に意見を出来る総理がいただろうか。また、民主党政権下でボロボロになった経済を立て直したことも成果だろう。

 ロシアとの外交に自信を持った安倍はプーチンに二島返還を示す。だが、強かなプーチンは実質的に北方領土をロシア領ということ内外に知らしめることとなった。外交に自信を持ってただけに、逆に外交で墓穴を掘った。

 安倍政権で不満だったのは「退位法案」を皇室典範に附帯し退位を強行し、行政への影響との理由で天皇の大権である元号制定権を簒奪したことは万死に値する。

 安倍の歴史認識も「河野談話」や「村山談話」と大して変わらなかった。戦没者追悼式に於いても「心ならずも戦場で斃れ」だとか、「多くの国々、とりわけアジアの諸国の人々に多大の損害と苦痛を与えて来た」と語ったことも記憶に新しい。

 安倍の掲げた「戦後レジームからの脱却」なんぞ自称・保守派を誑かす画餅に過ぎない。前々回の総選挙前、安倍は前政権下での靖國不参拝を問われ「断腸の思い」とその悔しさを滲ませ、そういう安倍の無念さに国民は共鳴し支持したのだ。

 なのに何故に「とりわけアジアの諸国の人々に」などという戯言を抜かすのか。安倍の言行は靖國など見向きもしない政治家より悪質で始末が悪い。

 拉致問題も安倍政権の最重要課題とし「我が政権で解決を図る」と公言していただけに、任期途中での退任は無念さが滲む。総理の座を辞しても拉致問題を見捨てることなく、元総理として単独で訪朝してでも解決して欲しいものだ。

 自民党が未だ野党だった平成24年12月、衆議院総選挙が告示され、安倍総裁は福島県で第一声を上げることとなった。場所は愚生の実家でもある二本松市(旧岩代町)小浜四つ角、司会進行は地元の自民党支部長でもある愚生の実兄が担った。

 政治で大事なことは「国防」と「教育」であり、その認識を共有する安倍は、中でも教育に対し「将来を担う子供達が自分の国に誇りの持てる教育を施す」と訴えた。愚生は安倍信者ではないが、この認識だけでも安倍を支持する理由になった。

 政権に返り咲き、教育大国を目指し教育改革を打ち出すのかと思いきや頓挫した。「戦後レジームからの脱却」は教育改革無くして語れない。況してや教育は国家百年の大計であり、政治家が行うべき最大のものだが語られることが少ない。

「国防」も然り、尖閣列島などの領土防衛は国防の一つではあるが、国防とは「それを亡くしてしまえば日本ではなくなってしまうもの」を死守することであり、つまり我が国の歴史・伝統・文化を守り、天皇を戴く日本という国柄を護り抜くことだ。

 然し乍ら、安倍首相を始めとした保守派や自称・愛国者らは天皇条項である憲法第一条~第八条の見直しではなく、憲法九条のみに拘る。憲法九条こそが大事と思っている点では保守派と言うのは、護憲派の「九条の会」とどっこいどっこい。

 愚生は安倍政権誕生後、ブログなどでも幾度となく、「新自由主義を盲信し、経済至上主義に奔る安倍を見ていると、吾、疑心暗鬼どころか、屋上屋を架す大馬鹿者だと断言せざるを得ない!」と安倍を評してきた。

 期待してただけに余計にう裏切られた思いが強いのか、元々見る目が無かったのか。抑々、安倍というのは、ベターなだけでベストな首相ではない。所詮は「安倍より他はいない」程度のものと知りながら、それ以上に期待していたのが間違い。

 7年8ヶ月の長期政権は、自民党内の人材不足というのが大きい。ポスト安倍を見れば小粒揃いで、国民が支持する次期総裁候補第一位は親中派の売国奴。安倍政権が終焉を迎え、米国大統領選挙でトランプが負けたらと考えると空恐ろしい。

 街頭演説前、安倍総裁御一行は実家の「相模屋食堂」で名代の「勝どん(カツ丼)」食べた。肉類は潰瘍性大腸炎では厳禁。そのカツ丼を食べたということで難病を克服したと思っていただけに、再発は本人にとって大きなショックだろう。

 麻生副総理や二階幹事長ら長老と比べても未だ65歳と若い。第一次安倍政権の失敗が第二次安倍政権の糧になった様に、今回の挫折を教訓に、先ずは体調を万全にし、来るべき第三次安倍政権待望論に備え捲土重来を期して欲しいものだ。

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2020年08月27日

旧宮家の再興は皇室の本分である祭祀を継承して戴くということにある

 ポスト安倍の一人でもある河野太郎防衛大臣は「安定的な皇位の継承に向けて、女系天皇についても選択肢の一つとして検討すべき」との認識を示した。

 二階幹事長を筆頭に、自民党内には「今の時代に女性の天皇が即位出来ない方が可笑しい」という意見が横溢しており、河野の認識も別段驚きもしない。

「わが国の皇室はずっと男系で継承されてきているので、男系による皇位継承が続くのが一番望ましいと考えている。ただ現状は秋篠宮殿下、次の世代は悠仁親王殿下しかいらっしゃらないのが現状」と語る。悠仁親王まで皇位継承が決まっているのに、何故に今、女性宮家や女系天皇の議論をしなければならないのか。

 その上で「現在の皇室で男系を維持して行くのはかなりのリスクがある」と述べてる。だが、そのリスクとは何ぞや。況してや「女系天皇についても選択肢の一つとして検討を行うべき」と言うが、そのリスクの方が大きいとは思わないのか。

「男系が継承されていることを強く期待するものだが、やはり万が一という事態を想定しておかなければいけないと思う」とは、女性宮家創出や女系天皇容認論者の単なる言い訳であり、皇統断絶を謀る戯言に過ぎない。

「例えば内親王殿下、女王殿下が女性宮家として皇室に残られ、そのお子様が皇位を継承するというやり方もあるでしょうし、あるいはGHQによって皇籍を離脱することになった旧宮家の男子が宮家を復活させるのか、養子に入るのか。養子に入るのも皇室典範の改正が必要だ」とも述べる。

 これは皇室典範第12条並びに第15条の改正が必要との認識。女性宮家推進派は、皇室典範第12条の「皇族女子は、天皇及び皇族以外の者と婚姻したときは、皇族の身分を離れる」との条項を見直し女性宮家の創設を謀ろうとしている。

 旧皇族の皇籍復帰や養子縁組を成立させるには、同第15条の「皇族以外の者及びその子孫は、女子が皇后となる場合及び皇族男子と婚姻する場合を除いては、皇族となることがない」の条項の見直しが必要となる。

「1428年に御即位された後花園天皇の弟君が伏見宮を継承されて、その血筋の方々なので600年前に男系が分かれたのが旧宮家。そういう家の男子を戻す、或いは復活させることに国民の合意、支持が得られるのかという議論も当然ある」と指摘してるが、旧宮家の方には現在の陛下よりも血筋としては正統な方もおられる。

「今の日本国憲法第1条では、天皇の地位は国民の総意に基づく、とあるので、やはり国民の広い議論、国民の支持が必要になるんだろうと思う」とは正論だが、天皇を否定する共産党らが存在する限り「総意」にはならない。

 抑々、天皇とはどの様な存在であるかを理解していないから「男系」や「女性宮家」「女系天皇」などという議論に終始してしまっているのだ。況してや反天皇勢力は憲法第2条の「世襲」を曲解し、愛子内親王の即位を謀る。

 天皇とは諸外国の様な「王室」や「国王」の存在だと思っている人も多いが、分かり易く言えば日本固有の信仰である神道を伝え導く神主(神官)の最高の地位者であり、ローマ法王と同じく祈りを重んずる「祭主」である。

「女性天皇」「女性宮家」では天皇の重んじる祭祀が叶わない。神に仕える神事を執り行うことが憚れるのだ。別に女性差別ではなく、これが伝統というものなのだ。女性宮家や女系天皇論者らは国事行為をする便利な存在としか思っていない。

 女性が天皇に就くというのは普通の生活は送れないということを意味する。過去8人の女性天皇は全員独身で即位し、譲位以後も独身を通した意味は重い。

 女性天皇論者は、神道そのものの無理解と天皇が祭主としての祭事の重要性を理解していないから安易に語れる訳で、これこそ天皇を軽んじてる証左でもある。

 過去10代8人全ては男系の「女性天皇」であり「女系天皇」ではない。敬宮愛子内親王が天皇に即位されてもそれは男系の9人目の女性天皇となる。だが、愛子天皇が御成婚遊ばされ第一子を生んだ場合それは男系ではなくなる。

「旧皇族と結婚すれば問題ない」という声もある。ならば、昭和天皇が最後まで反対なされた皇籍離脱させられた方々の皇籍復帰を先に行うべきだろう。

 若し、愛子内親王の御相手が元皇族でなかったらどうなるのか。過去8人の女性天皇が嫡子を産まなかった重い意味を知るべし。女性皇族が結婚することで皇籍を離れるのは、一般人としての生活を重んじよとの天皇の大御心でもある。

 そうしたことを理解せず、「今の時代、女性宮家が無いのが可笑しい」だとか、「女性が天皇に成れないのは女性差別」と安易に語ることこそ女性差別である。

 祭祀を継承するには旧皇族の復帰を図ることが重要で、廃絶になった秩父宮・高松宮、女性皇族しかいない常陸宮と三笠宮の祭祀を旧宮家を再興し継承するべし。

 皇位継承で大事なのは神武天皇以来の「男系」の血筋であり、「今上陛下とは血筋が違う」というのは近年の反天皇勢力に拠って創られた現代の価値観に過ぎない。

 旧宮家とは「伏見(ふしみ)宮」「閑院(かんいん)宮」「山階(やましな)宮」「北白川宮」「梨本宮」「久邇(くに)宮」「賀陽(かや)宮」「東伏見(ひがしふしみ)宮」「竹田宮」「朝香(あさか)宮」「東久邇(ひがしくに)宮」。

 旧11宮家の方々は北朝第3代崇光天皇の皇子、栄仁親王から始まる伏見宮の系統に属し今上天皇との関係は、室町時代の伏見宮貞成親王を共通の祖先とされている。

 河野大臣が「1428年に御即位された後花園天皇の弟君が伏見宮を継承されて、その血筋の方々なので600年前に男系が分かれたのが旧宮家」と説明されいる通り。

 内「山階」「北白川」「梨本」「東伏見」の4宮家は断絶しているが、東久邇家の系統には、歴代天皇と男系で繋がる男子が7名おられ、悠仁親王殿下と又従兄弟になる男子が5名、更に4名が生誕とのことで実に喜ばしい。

 東久邇宮盛厚王(明治天皇の孫)の妻は昭和天皇の長女である茂子内親王であり、上皇后陛下が民間から嫁がれていることをしても男系男子の正統性を有する。

 秋篠宮皇太弟~悠仁親王殿下の継承は決めっているが、東久邇家以外にも男系男子がおられ、皇位継承は旧宮家の皇籍復帰を成すことで盤石となる。

「長く民間人だった人が皇族になることに違和感」というのは付けたりに過ぎない反対理由であり、宮家を再興するということは男系男子の皇位継承の安定を図るだけではなく、皇室の本分である祭祀を継承して戴くということにある。

 大体「宮家」とは男系だからこそ宮家なのであって「女性宮家」とはなんぞや。憲法以前の御存在であらされる天皇が、今や憲法中心の国事行為をやらせるだけの傀儡となってしまっていることを憂慮せざるを得ない。

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2020年08月25日

「会津の黄門さま」と親しまれた渡部恒三が幽冥境を異に

「会津の黄門さま」と親しまれた渡部恒三が幽冥境を異にした。伊東正義元外務大臣に続き、会津の顔とも言える政治家がまた消えたのは寂しい限り。各界から惜しむ声が届きその偉業を称える。「天下の御意見番」として括目する発言は多い。

 当時、権力を握る小沢一郎に苦言を呈することの出来る人は少なく、恒三さんの存在は貴重で、発言には会津人の「ならぬものはならぬ」という会津魂を感じた。

 小沢一郎を「小沢くん」と見下した物言いで苦言を呈し、騒がれた政党交付金絡みの土地購入問題でも「金が無くて土地を売ったという政治家はいるが、土地を買ったという話は始めて聞いた」と会津弁丸出しで話していたことを思い出す。

 小沢は「新生党」と「自由党」の政党交付金23億円をネコババして不動産購入や蓄財に充てた。政治資金規正法違反に問われた小沢一郎の「政治とカネの問題」は、本を糺せば政党交付金の在り方を論じなければならない問題だった。

 小沢は政治資金の在り方に関し、自著「日本改造計画」で「政治資金の出入りを1円に至るまで全面的に公開し流れを完全に透明にすること」と提唱した。

「同時に罰則の強化も主張し、違反の言い逃れを封じる為に「連座制」を導入すべきとも訴えた。然し、現実には、こうした主張をしてる蔭で、既に西松建設のダミー会社から献金を受け取っていたのだからフザけた話だ。

 西松建設事件で問題になった3億円も、不動産疑惑で問題になった10億円以上の献金も、北朝鮮系の水谷建設からの1億円の闇献金も、新生党と自由党解党時の政党交付金23億円余りの金が、今以って小沢の手中に留まっている。

 恒三さんは、陛下と習近平副主席(当時)の会見を巡る問題でも、小沢幹事長の目に余る言動に対し「政治主導は天皇陛下の問題では全く関係ない。これは日本の国体に関する問題で慎まなければならない」と苦言を呈したが天晴れだった。

 陛下と習近平の謁見について小沢は、「宮内庁の長官が陛下がお疲れだとか、他の日程があるとか屁理屈を付けた」「陛下の御体調が優れないのであれば、他のどうでもいい様な日程を外せば良い」と言いたい放題。

 小沢らが強行させた拝謁は、世界各国が遵守してきた一ヶ月前迄の文書での正式申請の絶対前提を無視したばかりか、各国に対して平等の適用してきた立場を大きく失墜させ、皇室への尊崇の念や威厳を薄れさせる愚行だった。

 中共への忠誠と媚び諂いに畏れ多くも陛下が利用された事は、正に国賊の所業であり断じて看過出来るものではない。未だに権力にしがみ付き醜い権力闘争に与しているが、もうそろそろ政界から身を退くべきだと思う。

 民主党政権下での衆院本会議での法案強行採決に関しても、恒三さんは「国民に恥ずかしい。これをやらなければ明日の日本がないという様な意味がなければならないが、それ程の意味のある法案ではない」と指摘していたこともあった。

 ユーモアというか、独特の嫌味は単純明快で実に解り易く非常に愉快だった。環境大臣時代に「タバコが健康の秘訣だ」といって反響を呼んだことも記憶に新しい。あの世ではのんびりと煙草を燻らして我が国の行く末を案じて欲しいものだ。合掌。

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2020年08月24日

東軍で唯一靖國神社に祀られている二本松藩・三浦権太夫義彰

 地元紙に「尊皇の士」として知られ、戊辰戦争・供中口(ぐちゅうぐち)の戦いで亡くなった二本松藩士・三浦権太夫義彰を顕彰する為に、二本松市の安達ケ原顕彰会は「三浦権太夫義彰戦士の地」の案内板を新設したという記事が出てた。

 清廉潔白な義彰は、藩主の参勤交代に従って江戸詰となった折り、家老座上の丹羽丹波ら重臣らが藩政を縦(ほしいまま)にしていることに憤慨し藩政刷新の建白書を出すも、「藩政を乱す者」として二本松に送還され投獄処分となった。

 建白書の内容は、「人材を登用し、能吏に任じて兵制を改革し、軍備を充実すべし。また冗費を節約すべし。更にに費用が続かねば、三百石以上の重臣の俸給を半減すべし。」というもので、二本松藩の訓えである「戒石銘」の実践である。

 慶応4年、戊辰戦争の戦火は白河以北に達し、7月下旬には二本松藩領まで及んだことで赦免され、農兵司令士として出陣。鏃(やじり)を外した矢で応戦するも供中口で奮戦するも戦死した。享年32歳。近くの観世寺に懇ろに葬られた。

 二本松藩の家老・丹羽一学は「敗戦は必定なれど三春に倣うべからず。二本松は城が灰燼に帰し、一族屍を野に曝すとも武士道と信義に殉ずべきである」と徹底抗戦に纏め上げた。だが、奮闘空しく応戦その日に落城。戦死者は337名を数える。

 二本松藩へ罵詈を浴びせる歴史家もいるが事実はそんな簡単なものではない。圧倒的な武力を前に「東北列藩の信を以て滅びようではないか」と義を貫いたのだ。

 西軍隊長だった板垣退助も「一藩挙って身命を擲ち、斃れて後已むまで戦い抜く、武士道の精髄を尽くしたのは二本松を以て最上とする」と讃えている。

 幕末の薩摩藩士で陸軍元帥の野津道貫は「兵数不詳の敵兵は、砲列を布いて我軍を邀撃するのであった。我軍は早速之に応戦したが敵は地物を利用して、おまけに射撃はすこぶる正確で、一時我軍は全く前進を阻害された。我軍は正面攻撃では奏功せざる事を覚り、軍を迂回させて敵の両側面を脅威し、辛うじて撃退することを得たが怨恐らく戊辰戦中第一の激戦であったろう(近世国民史)」と回顧している。

 義彰が持っていた弓弦には、「あす散るも色は変わりじ山桜」との辞世の句が結び付けてあったという。明治維新の後、義彰は新政府から「尊皇の志が篤い」として東軍戦死者で唯一、靖國神社に合祀されている。

 靖國神社は、明治2年、明治天皇の思し召しにより創建された。その合祀対象は、尊王攘夷派公家の中心的存在であった三条実美が関わり、祭文には「皇軍に役立ちして賊徒等を討たん其の義に・・・命果てぬる輩」と明示している。

 この祭文の原則がある限り、会津藩や我が二本松藩、西郷軍関係者などが本殿に祀られることはなく、未来永劫 「賊軍」の汚名が灌がれることはない。

 靖國神社は営業保守派が言う様な「日本の為に戦って命を落とした人々が祀られている」という認識は根本的に間違っている。「天皇の為に」というのが正しく、京都守護職として奉公した会津藩が賊軍とされているのは不条理そのもの。

 抑々、三条実美は、会津・薩摩を中心とする公武合体派の改革に由り「七卿落ち」となった一人であり、維新後は明治新政府に重用されるが、靖國神社とは明治天皇の思し召しとは程遠い長州藩の遺恨から創られた社となっている。

 靖國神社が戦没者の顕彰を重んじる神社であるなら、賊軍とされた方々を「鎮霊社」という別なカタチで祀ることと本殿に祀ることとでは、どちらが時代に即して天皇(すめろぎ、すめらぎ)が顕現される道なのか。

「本殿と鎮霊社」という死者の選別を続けることは日本人の死生観にもそぐわないし、創建の趣旨でもある「顕彰」からも逸脱している。

 義彰が東軍戦死者で唯一、靖國神社に合祀された理由が「尊皇の志が篤い」ということなら、幕末の動乱期、京都守護職を任じられ孝明天皇を御守りし、幕府唯一の神道を重んじた会津藩が祀られないのは明治新政府の遺恨からのものだ。

 最近の靖國神社を見ると、幕末から明治維新という大業と開国に当たっての犠牲ということが忘れ去られ、大東亜戦争のみを正当化するミュージアムの様だ。

 8月15日の営業保守派やインチキ愛国者らの集団参拝に苦言を呈することなく受け容れてる姿は、陛下の御親拝が遠退くばかりか、神社庁との主導権争いから神社庁を離脱し「宗教法人」となった明治神宮と同じく営利主義にしか感じない。

 官軍である長州閥の下で創られた靖國神社の在り方を見直す時期に来ていると思う。先ずは本殿と鎮霊社という死者の選別を止め、与野党有志で「靖國法案」を提出し、宗教法人格を外しと共に「国民の神社」として国家護持を実現させよ。

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2020年08月22日

「世界で唯一の平和憲法」だとか「憲法九条は世界の宝」という無知

 地元紙に「平和の願い」を投稿したが採用される様子はない。愚生の言う「平和」と、共産党や無自覚左翼が考える「平和」とは異質なものらしい(笑)

 地元紙の読者の欄には「九条の会」のメンバーという人の投稿が載っている。殊更に放射線物質の危険を煽り「世界に誇れる平和憲法」の重要性を訴える。

 護憲派らのいう「世界で唯一の平和憲法」だとか「憲法九条は世界の宝」とは無知から来る現実逃亡であり、戦後民主主義教育の悪害そのもの。

 現憲法の基となったのは第二次大戦後の「不戦条約」である。この不戦条約には我が国を始め、米国、英国、仏国、伊国など多くの国が締結している。

 戦争放棄の国際条約を結んでから、世界は皮肉なことに条約の理想とは全く正反対の道を歩んで往った。こうしたことをしても理想と現実は違うのだ。

 戦争とは国際法上認められてる行為であり「悪」ではない。我が国は先の大戦で負けてしまったから、「戦争=悪」となってしまったのだ。

 米英は「戦争とは政治の継続である」と教え、ドイツでは「戦争とは別の調停手段を伴う政治的な取り引きの継続である」と教える。

 つまり、戦争とは政治の延長なのだ。幼稚な正義感や安っぽい平和主義で国民を賺(すか)し、党勢拡大と革命謀略を謀る左翼政治家と、それらに便乗する勢力と無自覚左翼の有権者こそが戦争を誘発する最大要因となる。

 共産党を始め、野党議員の多くが「平和」というスローガンを掲げて有権者に訴える。軽々しく「平和」を口にはするが、どうやってその平和を創造するかという具体策は言わない。正に、こうした政治家が無防備の害を実践している。

 共産党や左翼陣営や野党にとって、端から「平和」を創り出そうとは思ってはいない。「平和」という言葉は、アホな有権者を騙す最大の武器でしかない。

「戦争を誘発する大きな原因の一つは、アンディフェンデッド・ウェルス(無防備の害)だ」と訓えたのは三島由紀夫。「平和」を訴えている勢力こそが我が国の政治や外交を危ぶみ、戦争を誘発する最大要因となるのは歴史が証明している。

 憲法を守り、米軍に反対し、自衛隊が無くなれば当たり前に平和が存在するのだと疑って止まない。「自国の防衛を否定する現憲法には問題がある」と言った途端に反発を食らうが正に思考停止となるのは無防備の害そのものだろう。

 欧米諸国は安全保障に於いて日本のことを「オストリッチ・ファッション」と嗤うという。オストリッチ(ダチョウ)というのは自分に危機が迫ると穴に首を突っ込み、危機を見ない様にして危機から逃れたつもりになるという。

「自衛隊」「憲法改正」と言った途端に「戦争」をイメージし、思考停止に陥る日本人を揶揄した言葉だが、実に分かり易い喩えだ。抑々「平和憲法」って何なんだ?

 不戦条約に加盟したということもあり、憲法で「平和主義」を謳っている国は80ヶ国以上に上り、イタリア、スペイン、ハンガリー、エクアドル、フィリピンは日本と同じ規定が在るのを知らないから「世界の宝」などと言えるのだ。

 護憲派のいう「世界で唯一の平和憲法」という賛美は、これこそ安直な平和主義を盲信する日本人の奢りであり、無知以外の何ものでもない。

「護憲」とは正に「誤憲」であり【護憲=誤憲=無知=バカ】と訳すのが正しく、無知でバカな誤憲派らこそ戦争を誘発する無防備の害となる(苦笑)

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