2023年02月08日

動いてならぬ時の軽挙妄動を戒めを訓えているのが「風林火山」である

 福島県の一級河川・阿武隈川は、西郷村の源流が白河に流れ、多くの支流を呑み込みながら県内を縦断し、北は宮城県の荒浜から太平洋に灌いでいる。場所に由っては南から北へ、或いは東から西へ、西から東へと流れる場所もある。

 この様に川というのは紆余曲折であって、なだらかな流れもあれば激流もある。舟で下ったとしても滝に出くわしたり、ダムで堰き止められてたり。カヌーやカヤックで下ったとしても、それを運ばなきゃならない場所もある。

 雨が降れば増水し、その姿を一変したり。移り変わる風景もそうした流れがあるから心に響く。人生もそれと同じで「紆余曲折」というものを理解しないと失敗の基となるし、失敗や試練を経験してない人というのはどこか魅力も削がれる。

 政治も然りで、右に行ったり左を向いたり。ここで大事なのはその流れの最後に辿る場所である。果たしてどんな処なのか理解しているかが重要となる。

 大局に立ってその流れを見定める目を養わなくてはならないが、我が国の政治を見る時、果して今、その川がどんな場所でどちらを向いているのか、なだらかなのか、激流なのか、悲しい哉、我が国の政治家にそれが見えているとは思えない。

 激流に流され慌てたり、少しばかりのことで驚く様であれば大将の器は無い。困ったこと、悪いことが起これば右往左往してる様じゃ先が思い遣られるし、ロクな結果を生まない。困難が起これば、立ち止まって状況を冷静に見極めることだ。

 試練は必ず終わる。腰を据えて対策を考えればその暗闇から微かではあるが光が見えて来るし、光が見えれば勇気も湧いてくる。決して慌てて動かないことが肝要。故野村秋介の「熱い風呂に入ってる時はじっとしていろ」とは蓋し名言である。

 武田信玄の「風林火山」は「疾如風、徐如林、侵掠如火、不動如山」の句の原文は、「故其疾如風、其徐如林、侵掠如火、難知如陰、不動如山、動如雷霆」。

「(故に其の疾きこと風の如く、其の徐(しず)かなること林の如く、侵掠(しんりゃく)すること火の如く、知りがたきこと陰の如く、動かざること山の如く、動くこと雷霆(らいてい)の如し)」と読む。ここで注目すべきは作戦行動に於ける「動」と「静」の対比。攻めるときは風の様に疾く、燃ゆる火の勢いを以てする。

 歴史上、攻めるときは風の様に疾く、燃ゆる火の勢いを以てする「動」だけの武将というのは数多く存在する。「孫子の兵法」でも、武田信玄の風林火山と同じく、戦う上で肝心なことは「静」の作戦行動であり、攻撃を中断する時は林の様に静かに、次の機会を待ち山の様に動かないことが大事だと訓えている。

 動いてならぬ時に動いて失敗するというのは往往にして在ることで、「風林火山」とは軽挙妄動の戒めでもある。武田軍が無敵と言われたのもこの「静」の為であり、人生に於いても軽挙妄動の戒めというのは当て嵌まるとは思うが如何だろう。

 武田信玄の名言では、「人は城、人は石垣、人は堀。情けは味方、仇は敵なり」というものがある。だが、どれだけ城を堅固にしても、人の心が離れてしまったら世を治めることは出来ない。情けは人を繋ぎ留め、結果として国を栄えさせる。だが、仇を増やせば国は滅びるという意味だ。そういう信条から信玄はこう諭す。

「凡そ軍勝五分を以て上となし、七分を以て中となし、十分を以て下と為す。
その故は五分は励を生じ七分は怠を生じ十分は驕を生じるが故。
喩へ戦に十分の勝ちを得るとも、驕を生じれば次には必ず敗るるものなり。
全て戦に限らず世の中の事この心掛け肝要なり」

 善いことと、悪いこととは表裏一体であり、掌の表と裏の関係でもある。「山高ければ谷深し」と言うではないか。悪いことが起きた時は慌てずじっと肝を据え、軽挙妄動を戒めて、目の前の艱難を有り難いと思い逆に愉しむべし。呵呵。

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2023年02月07日

「北方領土は日本固有の領土です」とのCMこそ事勿れ主義の最たるものだ

 2月7日は「北方領土の日」。この日に合わせ、総理府が「北方領土は日本固有の領土です!」などと、御丁寧にも歯舞、色丹、国後、択捉四島の画像入りで広告を出しているが、これこそが事勿れ主義の象徴であって、何より税金の無駄使い。

 国民を誑かすのもいい加減にして欲しいものだ。己の土地を他人に奪われて黙っている者はいないだろう。況してや、父祖伝来の国土が強奪されて泣き寝入りする民族が何処にあろうか。「北方領土奪還」は、正に日本民族の悲願である。

 ところが、戦後70年以上経った今日でも、北方領土問題は未だ解決の糸口すら見えて来ないのは一体何故なのか。思うに、領土そのものの重要性に対する認識不足と、如何に不法に占拠されたかの真相把握が欠如していること、更には、ロシアへの認識の甘さと対応の甘さ等が綯い交ぜとなった結果が未解決の根源であろう。

 北方領土は「日露和親条約」並び「樺太・千島交換条約」「日露講和条約」の締結に拠り、歯舞、色丹、国後、択捉の4島を含む、北は占守(シュムシュ)島から得撫(ウルップ)島の全千島列島と南樺太が、我が国固有の領土となったのである。

 領土問題では、共産党が「全千島、南樺太の主権」を訴えているが、この認識が正しく、共産党でも分かることが自民党を始めとした政党や政治家が理解していないのは実に情けない限り。過去に国会に於いて「4島返還決議」を採択しているが、この返還要求こそ、事勿れ主義であり、軟弱土下座外交そのものなのである。

 ペリーが浦賀に来航した2年後の安政元年(1855)2月7日、江戸幕府は伊豆下田でロシアと交渉し、「日露和親条約(日魯通好条約)」を締結。歯舞、色丹、国後、択捉の四島と千島列島の間に境界線が引かれ、樺太を混住の地と決めた。「北方領土の日」はこうした歴史がその根拠となっているのだが、条約締結は江戸幕府。

 我が国は江戸幕府を否定して明治維新を惹起した訳であるから、この論拠は間違い。歴史には続きがある。明治維新を成し遂げた日本政府は、榎本武揚を全権特命大使として派遣し外交交渉を重ねた結果、明治8年(1875)5月7日には、ロシアとの間で「樺太・千島交換条約(サンクトペテルブルク条約)」が締結された。

 その結果として、日本人とロシア人の混住の地だった樺太の北側と千島列島を交換し、南樺太と占守島までの全千島列島が我が国に帰属した。歯舞、色丹、国後、択捉の四島は日本以外に帰属したことはなく、何を今更「四島返還要求」なのか。

 四島返還要求こそ弱腰外交の象徴である。本来ならば、我が国政府がロシアと締結した国際条約である「樺太・千島交換条約」を論拠に、更に「日露講和条約(ポーツマス条約)」に則って、四島を含む全千島列島並びに南樺太の即時返還を要求すべきなのだ。「北方領土の日」は2月7日ではなく、5月7日が相応しい。

 我が国政府は、事勿れ主義から、歯舞、色丹、国後、択捉のみの四島返還に固執する故に「2月7日」にせざるを得ない状況に陥ってるというのが実情である。江戸幕府ではなく、明治新政府が国家として正式に締結した国際条約こそ重んずるべき。

 全千島と南樺太の主権が在るのに四島のみの領有権主張して、国会決議をしたことは、国会と政治家の無能を示すものであり万死に値する。四島返還論は弱腰・軟弱外交の極みであり、領土主権の問題も根本から見直さなければならない。

 1945年(昭和20年)2月、米国のルーズベルト、ソ連スターリン、英国のチャーチルらがクリミア諸島のヤルタに集い密談が行われ、ソ連が日本との戦争に参戦すること、南樺太をソ連に返還すること、千島列島をソ連に引き渡すことなどが決められた。昭和20年8月9日、ソ連は「日ソ不可侵条約」を一方的に破棄し参戦した。

 ソ連軍は、日本人の虐殺、強奪、婦女子の強姦、暴行など鬼畜の如き行為が繰り返えされた。更には軍人、軍属、一般人を含め80万人以上の人間をシベリアへ抑留し、半数以上を凍死・餓死させた。ソ連軍の残酷無残な行為は正に悲憤断腸、鮮血の逆流するのを覚える。我々はこうした事実と悲劇を決して忘れてはならない。

 因みにソ連は、1926年から1941年までの15年間に「不侵略条約」「中立条約」、不侵略や中立の名を冠した条約を東西15ヶ国と結んだが、内14ヶ国に対して蹂躙している。ロシアは「ヤルタ秘密協定」を楯に北方領土の主権を主張しているが、「ヤルタ秘密協定」こそが国際法的にも意味を成さない協定である。

 我が国は、ロシアに対し「ヤルタ協定」の無効と「樺太・千島交換条約」並びに「日露講和条約」を論拠に、領土主権の正当性と即時返還を要求すると共に、終戦間際の蛮行と戦後のシベリア抑留への謝罪と賠償を要求するべきである。

 竹島問題然り、沖縄県尖閣諸島然り。韓国が竹島を不法占拠し、中共、台湾が尖閣諸島の主権を主張しているが、これは戦後、歴代の政府や国会が、領土主権を理解せず、主張を疎かにしてきた結果である。在、世界の各地で民族争いの中で国境紛争が頻繁に起きているが、世界では寸土たりとも主権確立には戦いをしてまで死守しているのが世界の常識であり、奪われたものは奪い返す以外に解決する手段は無い。

 世界の常識通り、「奪われた領土は奪うことでしか解決出来ない」という強い覚悟こそ大事なのだが、現在の我が国の政治家に決定的に足らないものはそうした気概と迫力だ。国際環境が激変しつつある時に動くものが領土問題だと言われている。

 つまりそれは、北方領土や竹島を取り戻す機会が到来したと同時に、尖閣列島や対馬、或いは沖縄本土を奪われる危機でもあるということだ。覚悟せよ!

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2023年02月06日

LGBTQなどの「性的マイノリティ」って性的変質者じゃね~の???

 荒井勝喜首相秘書官がLGBTQなどの「性的マイノリティ」や同性婚を巡って「見るのも嫌」と発言したことで差別と断じられて更迭された。LGBTQは日本語だと「性的少数派」。少数派という言い方が然もイイ人っぽいが、要は性的変質者。性的少数派ならロリコンやSMプレイも立派な性的マイノリティじゃね~の(笑)

 いつぞや杉田水脈が「LGBTQなどの性的少数者は生産性が無い」とか「チマチョゴリやアイヌの民族衣装のコスプレおばさん」「女性ならいくらでも嘘が吐ける」と発言し“差別”だとして糾弾されたが、愚生にはホンネや正論にしか聞こえない。

 LGBTQは性的嗜好を優先する余り、脈々と受け継がれて来た先祖の営みを蔑ろにするばかりか、家系の子孫を残すことなんぞ毛頭無い。杉田じゃなくても生産性がゼロな確かだし、性的変質者を性的少数派と言い換えることには違和感しかない。

 LGBTQの性癖や同性婚を毛嫌いするのは差別じゃなくて、それこ素直な感情だと思うがなぁ。差別さえも赦す、大らかさこそ今の日本には求められる(笑)

 まぁ、地球の存在には寿命もあるし、人類もいつかは滅びるだろう。そう考えると自らの代で終わりとするLGBTQは人類滅亡過程の進化の序章と考えられる(笑)

 荒井秘書官を執拗に糾弾してるのは、いつもの左翼のクソどもや共産党ばかり。左翼マスコミやインチキジャーナリストどもに煽られた一部のLGBTQもいるのだろうが、多くの性的少数者は性的嗜好を表沙汰にはせずにひっそりと生きている。

「チマチョゴリやアイヌの民族衣装のコスプレおばさん」との杉田のツイートも、チマチョゴリやアイヌのコスプレをした女性への違和感を指摘しただけ。チマチョゴリやアイヌの衣装を着てる連中こそ既得利権に群がり差別を助長している。

 ジェンダー平等や性的マイノリティを如何にも権利であると騒いでいるのは、「男女共同参画社会」を実行した変態のクソども。最近では、国家解体の策謀は更に進化してSDGsや子どもの権利などで、補助金を引き出そうと躍起になっている。

「協働のまちづくり」も左翼の共同謀議だが、それを疑いなく推進したのは自民党というのも嗤える。「協働」の目的とは、国家と国民を切り離すことにある。国家と地方を切り離して、共同体(commune)を創り上げることを目的とする。

 地方自治体や町集落の住民が協力して地元の連帯と絆を深めるのは大いに結構なことだとは思うが、「協働」や「男女共同参画社会」の究極の目的は、同じ共同体でも共産主義インターナショナル(Communist International)、つまりコミュンテルン(国際共産主義運動)の創造であり、世界革命の実現を目指す組織に似たり。

 共産主義とは、生産から分配までの経済行為のすべてを共同的(共産的)に実行しようとする考えで、生産機関の共有や生産物の分配も個人主義的自由を認めず、全て共産的に行おうとするもので「協働」とはその目的達成の為の一つである。

「協働」と同じく「男女共同参画社会」は、「共産(共参)社会の実現」が目的である。これら亡国的企画は、総理府や国立婦人教育会館に巣食っていた元全共闘系と共産党系の女革命家ら革新的左翼が共同謀議的に考案して、その実行を謀った。

「持続可能な開発目標(SDGs)」も似た様なもの。世界規模で共通の目標に向かおうというものだが、世界を股にかけて金儲けを企む「地球市民」と同じ臭いを放つ。SDGsは、世界の共産主義者に因る新手の左翼運動ではあるまいか。

 SDGsとは「全ての人々にとってよりよいより持続可能な未来を築く為の青写真です。貧困や不平等、気候変動、環境劣化、繁栄、平和と公正など、私たちが直面するグローバルな諸課題の解決を目指します」ということらしいが実に胡散臭い。

 LGBTQの同性婚を推進してるのは、このキチガイども。この連中の目的とは、性的マイノリティを利用し、如何にして我が国の伝統や文化を破壊してやるかだけ。性的マイノリティは「我々を利用しないで欲しい」というのが本音だと思う。

 いつの間にやら我が国はカタチを変えた共産主義が蔓延り、誰もが疑うことがない。その「カタチ」は実に陰湿になり、巧妙にカタチを変えた左翼の究極の目的は「女性宮家論」「女性天皇」「女系天皇」であり、国體破壊と皇統断絶である。

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徒然なるまゝにその日ぐらしシリーズ

「居の安きを求むるは真の志士に非ず」とは吉田松陰。「一日一生」と言いながら積立保険に入ってたり、固定資産税にしたり、マイホーム主義者の様に、居の安きを求める都合の好い右翼にだけはなりたくないと正統右翼浪人を気取っている。

 浪人という生き方は、算段さえ心配しなけりゃ気楽なものだが、これが儘ならない。所属してた団体を辞し蟄居してたこともあり、またそれに加え、先の大震災の影響でめっきり支援者も減ってしまった。慢性的不如意の現状は自分自身の努力不足と悪因悪果でもある。だが、一維新者として志は失ってはいない。

「貧すと雖も浮雲の富を求むる勿れ 窮すと雖も丈夫の志を屈する勿れ 矯々龍の如く沈々虎の如し 身を潜め名を隠し 当に一陽来復の時を待つべし」とは坂本龍馬。

 その意味は(貧しくても僅かばかりの目先の金儲けに奔るな、困っても挫けるな。眼を据える龍や草叢に身を潜める虎の如くじっと耐え、いつか来るであろう時を待て)。こうした気構えで日々を送っている。ってか、カッコつけ過ぎか(笑)

 右翼浪人を気取ってはいるが最近はブロガーか。政治批評の「爆ちゃん吼える(COMMON SENSE)」と「右翼ジャーナル」。地元の会社社長など暴露系ネタの「汚れた顔の紳士達」と福島県内の飲食店の食べ歩き「爆ちゃんのふくしまグルメ探訪」の4つを綴っている。時間持て余し、艱難を通り過ぎてブログで暇潰し。

「艱難は愉しむものなり」と言ったのは西郷隆盛。自殺未遂、二度の遠島処分、西南戦争と苦難続きの人生を送った。真っ黒な目の巨漢というイメージとは裏腹にその生涯は常に死の影が付き纏っていた。「いつ死んだって好い。人事を尽くして天命を待つだけだ」という処生観を持ち、開き直って生きている様な処があったという。

 会津戦争を見ると狡猾さが見えるが、清濁併せ呑む器用さもなく、その大人格故に多くの信望を集め、自分の死に際でさえ実に潔い人物だったという。桜田門外の変での水戸藩士への裏切りなど、西郷の人格を決定付けた何かがあったのだろう。

「南洲翁遺訓」などを読めば、西郷の指導者としての度量の深さと無上の高潔さを感じ取れるが、歴史的偉人の言葉というのはその多くが自戒であり、西郷が好んだ「敬天愛人」の思想もまたそういった生き様の裏返しの様にも思えてならない。

「征韓論」を却下された西郷は鹿児島に帰郷。明治政府に不満を持つ士族らは、西郷を神輿として祭り上げる。「佐賀の乱」「神風連の乱」「秋月の乱」「萩の乱」など士族の反乱が続く中で、終に西南戦争が勃発し、敗れた西郷は城山で自刃する。

 西郷は「決して政府軍との戦争を起こそうとは考えていなかった」というが、西郷が主宰する私学校生徒を統制出来なかったのは、西郷自身の優柔不断さが大きい。結果的に若者らの不満を抑えきれなかったのは西郷の不徳の至りだと思う。

 苦難とは苦痛ではあるが、実は吾等の敵ではなく味方であり、一番親身に吾が身の為を思って与えてくれる正義の友である。苦難は人を殺す為のものではない。人をより善くし、より一歩を進ませ向上させる為に起こるの大慈悲でもある。

「憂きことの なほ積もれかし 限りある身の力ためさん」とは、豪傑・山中鹿之助。山中に籠り「願わくば吾が身に七難八苦を与え給え」と月に祈って修行をした。

 この辺が家に引き籠り、果報を寝て待つ俗物の愚生と違うところ。果報は未だ届くことは無いが、ひょっとしたら寝て待ってる間に気付かなかったのかも(笑)

 幸福と苦難は表裏一体であり、苦難の本質を弁えれば人生の苦難は「天の与えた試練」と考えるべきだ。と、カッコイイことを綴れども、慢性的不如意はどうにかならないものか。不如意で沈むか、一旦緩急で義勇公に身を捧げられるか、扨てどっちが先か。まぁ、ここまでどうにか生きて来たんだし何とかなるだろう。呵呵。

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2023年02月05日

夜空を見上げながら徒然なるまゝに(笑)

 愚生はどちらかというとあまり社交的ではない性格だと思う。昔はそれほどでもなかったのだが、歳をとった所為か最近は人と会うのも面倒臭い(笑)

 人として一番嫌いなのは調子の好いヤツ。あっちにもこっちにも好い顔と諂屈してる輩を見ると、愛想の好過ぎる犬みたい辟易する。右翼や最近流行の自称・愛国者には、あっちにコロコロ、こっちにコロコロとよく転がってるのが少なくない。

 最近は、有名な右翼人と知り合いになっただけで、然も自分も右翼になったと勘違いしてる輩があっちこっちで見かける。やっぱ、飼い主以外にはそっぽを向いてる犬の方が好きだ。そんな右翼や自称・愛国者の好きな言葉にこんなセリフがある。

 命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は始末に困る者なり。
この始末に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり。

 金もいらぬ、名誉もいらぬ、命もいらぬ人は始末に困るが、
そのような人でなければ天下の偉業は成し遂げられない。

 これは「西郷南洲翁遺訓」第三十ヶ条や山岡鉄舟語録からの引用だが、自分が然も幕末の志士になったかの如くこの言葉に陶酔する。大体、右翼なんぞに「官位」も「名誉」も関係ないだろうし、「金も要らない」という右翼はいないでしょ(笑)

「命もいらず」という割には終身保険に入って月々の積み立てに窮してたり、「名いらず」という割に自分を売るのに躍起で、月刊誌などに名前や写真が出たものならそれを買い漁り、「カネ」への執着は言うに及ばずというか尋常じゃない(笑)

「西郷南洲翁遺訓」や「山岡鉄舟語録」を実践してる右翼なんぞ会ったこともないし、本気でこんなことを想っている右翼人がいるなら是非会ってみたいものだ。

 高目ばかりを夢見て、「有名になりたい」「カネを儲けたい」輩ばかりで、「武士は相見互い」という精神も無ければ、「恭倹己を持す」恭しい右翼などいない。

 喩え、相手が艱難に遭遇していても避けるだろうし。況してや「国家の大業を成す」「天下の偉業」なんてのは政治家がやることで右翼がやることでもない。

「西郷南洲翁遺訓」第三十ヶ条は、この有名な「始末に困る・・・」の台詞の後に、「然れども斯くの如き人は、凡俗の眼には見るべからず」と続く。

 要するに、「始末に困る者」というのは凡俗の眼には判別出来ないということで、人物を見極める目を持たなければならないと訓えている。見かけでしか判断出来ない凡俗の右翼人がそうした始末に困る様な人物に成れる訳がないのである(笑)

 「西郷南洲翁遺訓」では、第二十七ケ条が好い。

 過ちを改めるに、自ら過ったとさへ思ひ付かば、夫れにて善し。
其事をば棄てて顧みず、直に一歩踏出す可し。
過を悔しく思い、取繕はんと心配するは、
譬へば茶碗を割り、其の欠けらを集め、合せ見るも同じにて、詮もなきこと也。

「人間、完全ではないので必ず過ちを犯すものである。過ちを犯さない人間などというのはありえない。大切なことは、その過ちを次に繋げることであり、いつまでも悔やんでいたのでは、物事に伸張がなく、自分にとっても世の中にとっても何の意味も無いことである」という意味である。この教えにも我が国士舘の徳目である「反省」と「思索」があり、その上での実行・実践が何より大事であるということだ。

 まぁ、愚生も過ちばかりの右翼人生ではあるが、失敗で得ることの方が断然多かった。右翼の世界も御多分に洩れずなんちゃって浪漫派や自己陶酔型が多く、パフォーマンス好きで愛すべきキャラクター揃いで厭きることはなかったのも確かだ。まぁ、寒風の中で夜空を見上げながらそんな由無し事を徒然と考えてみた。呵呵。

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2023年02月04日

ヤルタ協定はルーズベルト個人の文書であり公式文書でなく無効である

 第二次世界大戦中の1945年(昭和20年)2月4日から11日にかけて、米国のルーズベルト、ソ連スターリン、英国のチャーチルらがロシア領クリミア諸島のヤルタに集い、密談が行われた。所謂「ヤルタ協定(会談)」である。

 ルーズベルトは「南樺太のソ連に返還」と「千島列島のソ連への引き渡し」を条件に日ソ中立条約の破棄を進言し、ソ連の対日参戦を促した。この密約に従いドイツが無条件降伏した約3ヶ月後の昭和20年8月9日、ソ連は「日ソ不可侵条約」を破棄し参戦し、ソ満国境を越え鬼畜の如き蛮行と、南樺太と北方領土を強奪した。

 ロシアは「ヤルタ密約(ヤルタ協定の極東密約)」を楯に北方領土の主権の正統性を主張している。だが、この「ヤルタ密約」の有効性について、英国政府はヤルタ会談が行われた翌年の1946年2月に疑義を呈していたことが明らかになっている。

 英国立公文書館所蔵の英外交電報では、「露の四島占拠根拠なし」として米英ソがヤルタ密約を公表する2日前に、英外務省から全世界の在外英公館54ヶ所に「緊急且つ極秘」に一斉に送られていたことは歴史的な事実であり、真相である。

 英外交電報には、「ルーズベルト大統領が権限を越えて署名したことや、米上院の批准もない状況下での有効性について米国内で論議が起こるかもしれない」として、「(英国は)その議論に巻き込まれないよう注意すべきだ」と警告している。

 チャーチル首相が1941年8月、ルーズベルト大統領と領土不拡大の原則を謳う「大西洋憲章」に署名しており、ヤルタ密約がこの大西洋憲章に反するとの英政府の認識が示された形だ。一方、米国では1953年に就任した共和党のアイゼンハワー大統領が年頭教書演説で「あらゆる秘密協定を破棄する」と宣言している。

 1956年には、アイゼンハワー政権が、「ヤルタ協定はルーズベルト個人の文書であり、米政府の公式文書でなく無効である」との国務省声明を発表して、旧ソ連の北方領土の占有に「法的根拠がない」との立場を鮮明にしている。

 ヤルタ協定に参加した米英が、ロシアの北方領土の主権に疑義を呈している中で、何故に当事国の我が国がロシアの主張を認め、鬼畜の如き蛮行を赦し、二島先行返還に拘るのか理解に苦しむ。こうした譲歩した返還要求こそが、未だに領土問題が解決しない元凶であるのは言うまでもない。竹島も然りである。

 我が国だけで反論するのは無理だというなら、過去に公表された米英の公式文書などを示し、ヤルタ秘密協定の無効と、「樺太・千島交換条約」並びに「日露講和条約」という国際条約を論拠に、北方領土の主権の正当性と即時返還を突き付けるべきだ。更には、終戦間際のソ連蛮行とシベリア抑留への謝罪要求をするべし。

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2023年02月03日

「この世はあるがままで悟りの世界」と教えた「本覚思想」

 愚生の場合、極楽浄土とは現世に在ると思っている。自分より劣る者に惜しみなく教え与え、難渋している者の相談に乗り、自分なりに如何にして助けてあげるか、少しでも安堵させるか、極楽浄土とは単にそういうものだと考えている。

「死後に極楽浄土(天国)がある」というのは、釈迦牟尼やキリストが、人の抱く死への恐怖を取り除く為に吐いた優しい嘘だと思っている。死んだら「無」だ。

 地獄や天国というのは救いの為の教えでしかない。「この世は、あるが儘で悟りの世界」と教えたのが「本覚思想」。平安時代から鎌倉~室町時代に仏教信者に流行った思想でもある。「本覚」とは、悟りに至る為の清らかな知恵といった意味。

 仏教では「その清らかな知恵は全ての者に備わっており、誰でも悟れる可能性がある」と教えるが、可能性は可能性に過ぎず現実に悟れるかどうかは分からない。

「本覚思想」では可能性ではなく、抑々人間の心に100%備わっていて目の前の現実が「悟り」であり、仏の道だと教えている。元々、仏教は「全てのものは互いに関係があって、何かが別の何かの原因であり、結果である」という教えであり、所謂「縁起」という思想であり、「悪因悪果」や「因果応報」などというのがその一つ。

「悟り」とは本来、こうした縁起を理解することで、つまり「現実の意味を知る」とは「現実を受け入れる」ということでもある訳で、現実を見た儘で納得することそのものが「悟り」でもあるのだ。我が国は古来より「随神の道」である。

 即ち、神道の教えが根付いており、自然崇拝は当然のことで、我が身を包む自然の営みを「悟り」と認めた本覚思想は実に魅力的な仏教思想だったのだと思う。

 本覚思想には「死後に極楽浄土がある」との浄土思想とは相容れない。現実が浄土であり、愚生の極楽浄土への感覚に近い。本覚思想の現実の肯定は「修行の軽視と否定」という問題もあり、どうしても堕落的になる。江戸時代になると、この点が批判されて本覚思想は廃れて行った。修行に重きを置く仏教が広まったからだろう。

 正に宗教とは流行(ブーム)に流されて来た歴史でもあるが、当世の新興宗教も仏や神の道というより単なる流行でしかない。本来「流行」という意味は「病気」の意味で使われた言葉で、信者はその熱に冒されているだけ。今も昔も変わらじ。

 斯くいう愚生も、別に本覚思想の代表的な文献である「三十四箇事書」を読んだ訳でもないのだが、極楽浄土感や堕落的生活ぶりを肯定してしまってる生き方は、正に本覚思想からのものではないのかと、最近何となく気付いた次第(笑)

 葬式坊主から戒名さえ貰えば、都合好く極楽浄土の世界に行けるなんてことは無いと思いますよ。つ~か、先祖や自分の宗派は分かりますか?呵呵。

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2023年02月02日

亡国の危機と不安を煽り「信」じる「者」がいるから「儲」かる(笑)

 過日、投函されてた宗教団体・冨士大石寺顕正会のチラシを興味深く読んでみた。持ってきたのは先日、自宅に来た信者だろう。日蓮宗は宗教というより日蓮大聖人の教えであり、軍人や右翼の中でも信奉者は多く、日蓮上人の括目する言葉は多い。

 愚生は別に日蓮宗の信者ではないが、日蓮上人が立派だと感じるのは、流罪になっても決して挫けることなく、その信念を通し続けたことで尊敬に値する。

 日蓮といえば「立正安国論」が有名だが、上人が流罪となった51歳の時に書き上げた「開目抄」は、文字通り開眼の書である。時、恰も蒙古襲来の直前。未曽有の国難を予言した日蓮は、辻説法による戦闘的な布教活動を展開する。

 幕府から弾圧され流刑となるが、激しい使命感と捨て身の覚悟が、偉大な宗教家たらしめたのは言うまでもない。「我れ、日本の柱とならん。我れ、日本の眼目とならん。我れ、日本の大船とならん等と誓いし願破るべからず」とは獅子吼である。

 我が国が未曽有の国難に直面しているのであれば、右翼にしろ、左翼にしろ、活動家に求められるのは、この開目抄的決意と覚悟と信念を以て活動すること以外にはない。自分で言うのも何だが、愚生は信念はあるがイマイチ覚悟に欠ける。

 宗教に関する本というのは、反創価学会の顕正会にしても、池田太作の「人間革命」にしろ、坂本龍馬などの偉人が憑依するという幸福の科学の大川隆法にしろ、オウム真理教の麻原にしろ、読んでて参考になる部分は少なくない(笑)

 宗教の教えを訝しがって読めば、実践が伴って無いし胡散臭さしか残らないが、要は、読み手側が感ずる部分を読み取って、己の生き方の参考に出来るか否かが大事で、何事も信じ過ぎたり、信奉し過ぎると偏り過ぎてロクなことはない。

 日本人というのは大らかというか実に好い加減で、墓参りはすれど自分の宗派が何だったのか分からなかったり、戒名も何の為に貰うのかも知らない人は実に多い。家紋も同様で先祖からの家紋も知らず、また家紋の無い家系は怪しい(笑)

 戒名というのは、死んでこれから「貴方(御釈迦様)の弟子になります」というもので、生きてる時に仏の道なんぞ知りもしなかった者が、死んだら釈迦牟尼の弟子になって極楽浄土に行こうだなんて都合好過ぎだろう(笑)

 戒名にしろ墓参りにしろ、江戸幕府が邪宗門とされたキリスト教や不受不施派を締出し、宗教を統制する為に行った「寺受制度」の名残であり、「寺請制度」があったからこそ、葬式仏教に成り下がったクソ坊主や葬儀屋が儲かっている(笑)

 明治維新で江戸幕府が滅んだのに、この寺請制度だけは今も有り難がっているのは、極楽や地獄という有難い噓に対する畏怖の裏返しでもある(苦笑)

 江戸幕府の寺受制度を継承するなら、邪教の一掃や宗教への優遇制度を改めるべきだとも思うが、今や邪教の創価学会は政府中枢にまで入り込んだ。

 顕正会の折込チラシの日蓮大聖人の教えは括目するに値するが、この会長が政治を語ると仏の道に繋げたい思いから、政治問題を絡めると頓珍漢なものとなる。

 チラシの最後には「日本は亡国を招かんとしている」として不安を煽る。結局、新興宗教の悪い処は、こうした人の不安を煽り人の心に付け込むことだ。

  教祖様の嘘を「信」じる「者」がいるからこそ、宗教とは「儲」かる仕組みになっている。話題になった統一教会もその新興宗教の一つに過ぎない。

 昨今の亡国の危機などと不安を煽って売文してる営業保守などにも言えること。宗教の束縛が嫌いだ。やっぱり大らかな神道(随神の道)が好い。呵呵。

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2023年02月01日

高血圧の基準値を下げたことで高血圧の患者が2100万人増加!

 今日から如月。朔日ということで朝まだきから身を清める。流石に寒さは堪えるが春の気配を少しずつ感じている。神饌を替え、神棚に向い二礼二拍手一礼。畏くも陛下の弥栄を祈念し、併せて心願成就を懸ける。扨て、今月もどうなるものぞ。

 東京電力福島第一原発事故以来、反原発派やマスコミなどによる過剰な反応の影響から、未だ放射線への誤った認識が改められず、福島県への風評被害や差別は納まることはない。放射線は生きものが生きて行く上で必要不可欠なものでもある。

 例えば、「塩分」も生きる上では必要な栄養素であるが、摂り過ぎると高血圧や脳卒中の原因になると言われている。一般の塩は塩化ナトリウムの純度が高過ぎる不自然な塩で、かといってミネラル成分が多ければよいというものでもない。昔ながらの製法で作られた自然塩には適度のにがりが含まれているし塩は自然塩に限る。

 放射線も同じで、浴び過ぎると「癌」になり易くなるという単純な理屈である。人は必ず死ぬし、日本では今や国民の3分の1が癌で亡くなると言われている。癌は別に放射線だけに因るものでもない。発癌性の高いものに高血圧の薬がある。

 降圧剤は発癌性も然ることながら感染症のリスクも増すことも報告されている。Tokyo DD Clinic院長でNPO法人・薬害研究センター内海聡理事長の説に由れば、高血圧の基準変更は「医師会による策謀」と言っても過言ではない大嘘だという。

 我が国の基準値は最高血圧が160~最低血圧が95mmHgだったが、2000(平成12)年に、最高血圧140~最低血圧90に引き下げた。昨日まで血圧が150~92の健康な人が、いきなり高血圧患者されることとなり病人扱いされてしまった。

 この基準値を下げたことで、新たに2100万人の高血圧の患者が増え、これまでと合わせ3700万人が高血圧となり、血圧を下げる薬が膨大に出され、製薬メーカーの利益は増大した。我が国の殖え続ける国民医療費はこうした医師会と製薬会社、それとそうした利権構造にタカる政治家の腐敗構造に因るものが大きい。

 80歳の人の5年生存率を最高血圧から調査した研究では、最高血圧が180以上の人達の生存率が最も高くなり、最高血圧が120~140のグループの生存率が一番低かったという。抑々、高齢になると血圧が高くなるのは正常な生理作用である。

 それを薬で下げてしまうことでリスクが発生する。何故なら高血圧の人は体温が高いから癌に罹り難いが、降圧剤で体温が下がり癌リスクが上がる。

 血圧の基準自体が嘘なののは承知だが、洗脳されていて、嘘を信じてしまっていることを自覚出来るかどうかである。まぁ愚生も降圧剤服用者ではあるが癌で死ぬことはないだろう。若し、愚生が斃れるとしたら、癌より脳卒中だろう(笑)

 愚生は脳卒中ではなくコロリと逝くのが理想だがそうは上手くは行くまい。脳卒中になって半身不随になってしまうと、自分も周りも苦しむ。 その点、末期癌でも最後まで意識清明でいられるというから、死ぬ整理が出来るのが好い。半身不随じゃそうは行かない。だから、死んで見つかるとヤバいのは大分処分しました。呵呵。

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2023年01月31日

フィクサーを気取ったゴロツキ右翼や金権右翼も歌心のない乞食右翼も皆右翼

 右翼が、国家社会主義、農本主義、純正日本主義などの思想を基に活動したのは遠い昔の話で、今はそうした国粋主義的な思想も無ければ、政治に対しての認識や危機感にしても所謂「ネット右翼」と揶揄されている連中の方が長けている。

 だが、そんな右翼にも悲観はしていない。人生、好い時もあれば悪い時もあるもので、女に本気で惚れて騙されたり、金儲けに奔ったりする時期もあるだろう。その方が人間味があって右翼らしい。どんな生き様をしてようがホンモノは残る。

 街宣車を持っている者は、それを大いに利用して街頭演説で啓蒙したり、営利を貪る悪徳資本家共を糾弾するのも好いだろう。宣伝車が無い者は徒歩で集団示威行為をしたり、ハンドマイクを使った街頭演説や抗議活動も好いだろう。

 文章が上手なら、政争ばかりの政治家や営利に狂奔する企業への抗議文の送付したり、アジビラを撒くも良し。或いは、ボランティアなどで社会貢献するのも良いいだろう。救国運動や愛国活動とは夫夫が出来ることをコツコツとやれば好い。

 真面目な右翼もパクられてばかりいる右翼も、ヤクザブルな軟弱右翼も、金儲けの下手な右翼も、ヤクザ系右翼やフィクサーを気取ったゴロツキ右翼も、歌心のない乞食右翼と揶揄される右翼も全部が右翼。色んな右翼がいて右翼なのだ。

 右翼は愛国者などではない。愛国者とは社稷を重んじて懸命に働き納税してる資本家であり、国に頼らず国を支えている勤労者(サラリーマン)だと思う。

 右翼でありながら怠惰に生きながら、日々の困窮する生活に流されながらも、一維新者としての志しさえ忘れなければいつかはその熱意は届くだろう。

「日本は滅びる!」「日本が危ない!」と徒に危機を煽り、我が国が然も滅亡するかの様に叫ぶ保守派や、我が国に係る危機を売り物にしてる営業保守がいる。

 日本会議を始めとした営業保守や保守派コメンテーターらの言葉を真に受けて、その御先棒を担ぎ、前衛となってネットで騒ぎ立てているのが、自称・愛国者を気取ったネット右翼。流行りでやってるのだろうが、流行りとは正に「病気」である。

 右翼の何たるかも知らないで「ネット右翼」とは右翼陣営もナメられたものだ。愛国運動が軽々しくなったのは右翼指導者の無能は然ることながら「愛国」や「保守」を利用して蓄財し、居の安きに甘んじてる右翼の先生方が元凶ではなかろうか。

 正統の保守主義者に於いて時間を体験する仕方は、過去の現象や行動の意味を直視し、その中に価値を見出す発見によって未来を創造して行くものである。

 高邁な心を忘却し、高い精神の伴わない現在の我が国の様な米国主導の民主主義や資本主義に因る繁栄はやがて衰退するだろう。我ら大和民族は目先の繁栄ではなく、神武肇国の精神の高揚と国民国家の繁栄をこそ目指さねばならないのだ。

 国を愛する心を涵養するとは如何なることか。街頭に立ち、日の丸や旭日旗を掲げ、街中を闊歩すれば愛国者なのか。やらないよりはやった方が好いだと批判されたりもしたが、そんなものはオナニーと同じで贔屓の引き倒しそのものだ。

 愛国心とか大和心とはそんなものではない。愛国とは祖国日本に生を享けた者が、八紘を掩(おお)ひて宇(いえ)にせむこと。つまりは、神武肇国の大理想「八紘一宇」を掲げ、天皇國日本の真姿開顕へ奮闘前進すること以外に無い。

 防挺(防共挺身隊)に愛着はあったが、前任者やそれを取り巻く体制に付いて行けず袂を分かつ結果となってしまったのは返す返すも残念無念なことだった。今やその行動右翼のパイオニアを自任した防挺も風前の灯というのも寂しい限り。

 防挺のそうした現状に隔靴掻痒の感は拭えないが、愚生を含め、防挺を去った後輩らも、防挺に所属していたという誇りを胸に精進して欲しいものだ。

 ということで、怠惰に日々を過ごしてしまっている愚生への自戒と、純粋に右翼活動に打ち込んでいる若手活動家にエールを送ってみました。呵呵。

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2023年01月30日

大体「右(right)」というのは「正しい」という意味なんだから(笑)

 令和5年1月も愈々終わり。結局、今月の支援金は2万円で終わりそうだ。愚生の場合、正統右翼浪人を気取り、由無し事を徒然なるまゝに偉そうに綴ってはいるが、大学卒業以来就職もせずにいる単なるプータローのおっさんに過ぎない(笑)

 中学時代に、日教組の担任への反抗か、右翼に興味を持ち始め、高校時代に国士舘大学三年生で国防青年隊の廣瀬某が、大平正芳首相の殺人未遂事件を起こし、翌日の新聞には「インスタント右翼」などと揶揄した記事がデカデカと載った。

 この事件で、国士舘大学~右翼団体に入るのは既定路線となった。当時は右翼より、総会屋にも興味があった。昭和52年の高校2年生の頃だったか、福島市で行われた日教組大会で大暴れしてた愚連隊右翼で総会屋の防共挺身隊に興味を持った。

「縁は異なもの味なもの」とはよく言ったもので、国士舘大学入学すると、いつも同じ授業に出席してるフケてるおっさんがいた。名前は上田崇仁という。皇族の様な名前だが工学部土木工学科の四年生で、防共挺身隊羽田支部の隊員だった。

 この上田先輩こそが、愚生の右翼人生を決定付けた張本人でもある。その上田先輩、四年で卒業不可能となると、故郷・長崎県の実家の建設会社に就職したと聞いた。そしてその後は地元の町会議員にもなった。生き方が御上手・・・。

 愚生も、死んだ親父には、「政治に興味があるなら天野光晴(元建設相)の秘書でもやって勉強すれば市会議員くらいにはなれるぞ」と諭されもしたが、その頃は、幼い正義感もあって「右翼こそが真の日本人だ」と確信していた。

 まあ、右翼団体に入ってみたら、それこそヤクザにもなれないハンパものばかり。総会屋になる夢も大学四年生の時に商法が改正され頓挫。時代といえばそれまでだが、運の無さは生まれもってのものだろう。それでも人生なんぞ短いもので、一旦決めたことは何があろうが遣り抜こうと決心し、団体は辞したが現在に至る。

 現在の右翼の世界というのは頭でっかちというか、志士を気取り乍ら、安定した生活を追う輩ばかりになって面白味が無くなった。昔の愚連隊右翼時代に戻って欲しいものだと思っている。この儘じゃ右翼そのものが淘汰されて行くだろう。

 その昔、三島由紀夫は右翼について、「筋の通ったことを言えば、皆右翼と言われる。大体『右』というのは、ヨーロッパの言葉では『正しい』という意味なんだから(笑)」と語っていたのを思い出す。今も昔も変わってないということか。

「右翼」というと、日本では「右翼=ヤクザ」とか「バカ」と捉えられる。ネット右翼の連中は「我こそが愛国者なるぞ」と、既成右翼を「朝鮮右翼」と詰るが、右翼を批判する連中が、右翼というものを真に理解していないからそうなる。

 三島でなくても、「オーライ(all right)」は、「よろしい」とか、「差し支えはない」「任せろ」という意味になる。他にも、「右肩上がり」とか、「右腕」だとか、「右」という字は、往往にして好ましい意味で捉えられることが多い。

「右倣え」とは言うが、「左倣え」とは言わない。要は、全ての日本人が右に倣え(all right)ば、正しくて好ましい国になるということでもあるということ。

 一方、「左」というと、「左団扇」とか、「左党」とかの好ましい意味もあるが、知能が足りない者などを「左巻き」というし、正しい道に反することを「左様」という。「さようでござるか」を「左翼」に当て嵌めると分かり易い。

 まあ、簡単にプータローというが、愚生の慢性的不如意と多額の借金を気にしたら普通の人なら自殺するだろうな。そういう意味では、理論武装というよりも、日々、右翼に狂い乍ら精神的鍛錬を実践している様なものでもある。呵呵大笑。

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2023年01月29日

「ライダイハン」はベトナム語で「ライ」は混血「ダイハン」は韓国

 韓国の所謂従軍慰安婦問題は騒がれなくなった。もうカネにならないと悟ったからだろう。韓国は慰安婦問題から「徴用工問題」に舵を切った様だが、慰安婦問題を騒げば騒ぐほどベトナム戦争で韓国軍が組織ぐるみで行った蛮行が明るみになる。

「ライダイハン」という言葉を知ってるだろうか。ベトナムで韓国軍兵士がベトナム人女性を強姦し産まれた子供のこと。ベトナム語で「ライ」は混血、「ダイハン(大韓)」は韓国を意味する差別用語であり、その人数は実に3万人以上に上る。

 韓国がベトナム戦争に参戦したのは1964年のこと。その後1973年までに延べ32万人の兵士を南ベトナムに派兵している。韓国国内で、ベトナムで韓国兵のこうした蛮行が明らかになったのは、1999年から連載された「ハンギョレ21」の記事。

 ベトナム当局から資料を入手し、現地取材と生存者へ取材し、韓国軍に因る殺戮の実態を白日の下に晒した。こうした事実を報じるジャーナリストが韓国に存在したことに驚くが、正に韓国史のタブーに初めて切り込んだ渾身の記事である。

 自国兵の蛮行を暴いたことに元軍人らは怒り、同誌を発行する本社の幹部が元軍人らに監禁、暴行される事件まで起こり、ベトナムでの蛮行は韓国民の記憶から消されて行った。 そうした経緯の中、先日、韓国のニュースサイト「オーマイニュース」に韓国軍人に集団輪姦されたベトナム人女性の証言が掲載された。

 韓国軍の基地で働いていた当時20歳の女性が、兵士たちに輪姦され妊娠。「ライダイハン」を出産し、現在に至るまでの苦労の人生を回顧している。ベトナム戦争では、韓国軍兵士が十万人単位のベトナム人女性を強姦したという。強姦された後に虐殺されている女性も多い。数万人のライダイハンがベトナム戦争後に放置された。

 統一後のベトナムでは、ライダイハンは罪が無いのに「敵国の子」とされ、迫害、差別の対象となったという。1987年にアメリカ政府は混血児とその家族の移住を受け入れ始めたが、韓国側は未だベトナムに対して謝罪もせずに沈黙を続けている。ベトナムのクァンアイソン・ビンホア村には「韓国軍憎悪碑」が建っている。

「天をつく罪悪、万代に記憶するだろう!この虐殺で犠牲になった者の数は合計430人、そのうち268人は女性、109人は50才から80才まで老人、82人は子供、7人は妊婦だった。2人は生きたまま火に投げこまれ、1人は首を切られ、1人は腹を割かれ、2人は強姦された。2世帯は一人残らず抹殺された」と刻まれている。

 当時の朴正煕政権は「反共」を国是とし、ベトナムでのこうした蛮行も反共の英雄的行為とされ、共産主義者との戦いは熾烈を極め、アカに対して情けは無用との認識だった。今更ながら韓国はこうしたベトナムでの蛮行には頬かむりし、「慰安婦問題」を論って日本を責め立てているが、韓国に女性の人権云々を言う資格は無い。

 ベトナム戦争では、米軍による枯葉剤散布が国際問題に発展するや米国は何故か「捕鯨問題」を取り上げ論理の摩り替えを行った。「慰安婦問題」もまた同じ様に、「ライタイハン問題」をひた隠す為の論理の摩り替えでしかない。

 自分達がやっていることは相手もやってるに違いないという思い込みで、韓国朝鮮人に多い「同一化虚言」という症状である。慰安婦の強制連行にしろ、日本人も自分達と同じ様な残虐行為をやったに違いないという思い込みであり、そうあって欲しいという願望だが、真実が明らかにされるのはそう遠くはないだろう。

 何故か「慰安婦(comfort women)」に関する問題が、「性奴隷(sex-slaves)」と虚偽報道されているが、従軍慰安婦だとか性奴隷とは何事ぞ。斯くて世界中の民族、国家は万古不偏、「略奪と強姦」の定義に従って戦争して来た。

 例えば、ロシア人は第二次世界大戦末にベルリンに侵攻すると、僅か半年の間に13万人のドイツ女性を強姦して1万人を孕ませた。8千人は堕児出来たが、産まれた2千人は、「目が寄った額の狭いロシア人顔」の混血児を生んだ。

 3世紀、欧州迄攻め込んだ蒙古人はイランやロシアに混血児を残した。生まれた子供に蒙古系の血が出るとその子は社会から排斥された。韓国兵士の子供のライダイハンも同じである。米国人もロシア人と同様に第二次世界大戦に参戦すると英国で多くの強姦を働いた。欧州戦線では1万4千件の強姦を記録している。

 現在でも、チベットやウイグル、内蒙古で中共が民族浄化という名のレイプで凌辱の限りを尽し、血を薄め、漢民族化している。無条件降伏した日本国内では、米国人もロシア人も残酷に振舞い、多くの混血児を生んだことは誰もが知るところ。

 当時、日本人だった朝鮮人は手のひらを返して、戦勝国を気取って日本や日本人に対して暴虐を尽くした。民家に押し入って妻や娘を強姦し、抵抗すれば殺した。戦後に明らかにされた調達庁の記録では、実に2600人を超える日本人が殺されれている。こうした事実を今を生きる我々は決して忘れてはならない。

 だが、こうした「略奪と強姦」定義とは違い、掠奪と強姦を軍律で厳しく規定した国が在った。それが日本である。日清戦争も日露戦争もその後の支那戦線でも大東亜戦争でも軍律で厳しく取り締まった。その規律を破った者は厳しく処罰された。

「性犯罪を防ぎ、相手民族の尊厳を最低限保つ」という、日本人の配慮を知らずして、高給に集った売春婦を「従軍慰安婦」と称し、恰も軍が関与し、朝鮮人の女性を強制連行し「性奴隷」にしたとは言語道断と言う他はない。

 我々の祖先の名誉と日本人の誇りを死守しなければならない。抑々「慰安婦問題」など存在しない。この問題の背後にいるものは実は米国である。「南京大虐殺」然り、「慰安婦問題」然り、「捕鯨問題」然り。東京大空襲や広島・長崎への原爆投下を敢行した米軍が、日本軍も30万人も大量虐殺をしていたぞとでっち上げた。

 皮肉なことに韓国側が強硬に慰安婦問題を叫べば叫ぶほど、韓国側がひた隠す「ライダイハン」問題が、世界に発信されて行く。そんなこともあって慰安婦問題を鎮静化したのだろうが、韓国軍のベトナムでの蛮行を世界に曝さなければならない。

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2023年01月28日

我らは暴力と破壊、革命と独裁を政治手段とする勢力又は思想を排撃し祖国再建の大業に邁進せん(自民党結党宣言)

 今や誰もが違和感なく使っている「協働」という言葉だが、この「協働」は共産党系列の「生協」が使用してた言葉で、「天皇制」と同じく共産党の造語である。

「協働」の意味は、「同じ目的の為に、対等の立場で協力し て共に働くこと」。ウィキペディアには「複数の主体が、何らかの目標を共有し、ともに力を合わせて活動すること」と説明されている。「協働」とはコラボレーション(collaboration)、パートナーシップ(partnership)ともいうらしいが、それは全く違う。

 コラボレーション(collaboration)だというならば、別に「協働」ではなく「共同」で十分だろう。 「共同」と「協働」の目的は全く違うものだ。「協働」の主体は「国民」ではなく、あくまでも「市民」であり、「市民団体」である。

 これだけでもその左翼どもの目論みが理解出来るというものだが、つまり「協働」とは同じ目的を持った者が集うコミューン(共同体)創りであり、その実はコミンテルン、第三インターナショナル(国際共産党・国際共産主義運動)への一里塚。

「協働のまちづくり」推進派は、「市民とは必ずしも地域住民に限定されるものではなく、NPOをはじめ、企業などの企業市民も含まれ、また、地域の一員という意味では行政もまた行政市民という名の市民である」と説明するが実に胡散臭げ。

  そんなに「市民」が大事か。「国民」という意識が欠落してては「教育」も「国防」も語れない。左翼どもは「国民」という字は使わず「市民」を好んで使う。

「子供」の「供」という字が、「お供え物」「お供する」などを連想させ、「差別的な印象を与える」として「子ども」表記として、今は当たり前の様に氾濫しているが、こうしたことは男女共同参画社会に因る弊害のホンの一例に過ぎない。

 今やその「協働」という造語があらゆる場面で飛び交い、保守を標榜する政治家までもが何の疑いも無く使っている。「天皇制」という言葉も同じで、保守派までもが容認し、共産党造語を違和感なく使用する始末。保守派だけに留まらず自称・愛国者や、なんちゃって右翼にもこの「天皇制」を使ってる輩もいる(笑)

 いつの間にやら我が国はカタチを変えた共産主義が蔓延り、その「カタチ」は実に陰湿になっている。更にカタチを変えた左翼勢力は「夫婦別姓」「男女共同参画社会」「ジェンダーフリー」「人権擁護法案」「共生社会」「外国人参政権」「外国人住民基本法案」「女性天皇容認論」と次から次と策謀を重ねている。

 最近では「SDGs」や「こども家庭庁」がそう。NPOやNGOに左翼陣営が入り込んで補助金利権に勤しんで、湯水の如く左翼へ血税が垂れ流されている。一方の、右翼陣営というと暢気なもので、サラリーマン右翼が純粋らしいから罪が無い。

 こうした愚策の実行に組まれた「男女共同参画社会」予算は、当初には10兆円が計上されてた。それが8兆円になり、現在は2.5兆円に減らされた。浮いた分はどこに行ったのかと思いきや、「SDGs」に6.3兆円。「こども家庭庁」に4兆円の予算が計上されている。当初予算の10兆円より殖えていることに異常さを感じる。

「SDGs」も「こども家庭庁」も新手の左翼の策謀である。こうした全共闘世代の性的変質者の妄想を廃止すれば防衛費増額での増税など画策する必要も無いし、復興予算も確保出来るし、技術研究費などに充てられる。「持続可能な」というのなら国の持続の為の防衛費こそ充実させるべきで、国が無くなって持続もあるまい。

 こうした行政側への共産主義の介入を奨めたのは共産党ではなく、自民党政権だったというのは実に御粗末という他はない。 自民党の「立党宣言」がある。

「社会的欠陥を是正することに勇敢であらねばならない。われらは暴力と破壊、革命と独裁を政治手段とするすべての勢力又は思想をあくまで排撃し祖国再建の大業に邁進せんとするものである」と明記されてあるのを自民党員諸君は御忘れか。

 自民党内に於いて、左翼の策謀や左翼系のNPOやNGOの闇を暴いてるのは杉田水脈くらいなもの。それ故に、左翼陣営から異常な程のバッシングを受けている。

 自民党よ、そして自民党員よ、保守政党や保守派を自任するならば、今こそ立党精神に立ち返り、過去の容共的愚策の実行という過ちを猛省して糺すと共に、共産主義を行政権と連結せしめようとするあらゆる企画、あらゆる行動と対峙するべし。

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2023年01月27日

仁侠道の精神が欠落してる暴力団を排除しよう!

 今や右翼団体の99%は暴力団の傘下になったりヤクザと関わりがある。個人的な付き合いを否定するものではないが、資本主義の申し子というべきヤクザに、反資本主義であるべき右翼が随うというのは如何なものか。愚生もヤクザの知り合いもいるが、「暴力団は仁侠道に立ち返るべき」と暴力団追放を主張している(笑)

 警察やマスコミは「犯罪の背後には必ず反社会勢力の存在がある」と断じて、暴力団の壊滅を目指すべきだと主張するが、Vシネマの観過ぎだろう。反社会勢力が「悪」だというのなら、極左や日本共産党、民進党も立派な反社会勢力だろう。

 暴力団=ヤクザ=任侠ではない。仁侠というのは江戸時代、口入家業を生業にした肥後の武士で町奴・幡随院長兵衛(ばんずいいん ちょうべえ)が祖とされている。

 仁侠とは、正邪の分別と勧善懲悪にある。「仁」狂うことこそ大事で「狂う」とは陽明学でいうところの「本気でやる」とか「一途に打ち込むこと」をいうが、つまり「仁侠」が、本来の「仁に狂う」ならば暴力団に成り下がることはなかった。

 親分に狂い、兄貴分に狂う。本気で仕え、ホンモノの男であろうと修行するものだが、それが最近は「振り込み詐欺」に見られる様に、老人や弱者を食い物にしてカネに狂ってるから始末が悪い。勧善懲悪には程遠い暴力団の何処が任侠なのか。

「仁」とは己に克ち、他人を労わり、思い遣ることであり、つまり、男気に熱く、弱い者を思い遣って助け、悪事を働く強き者を挫き、義の為には命を惜しまない気風を「仁侠」というが、それなら余っぽど愚生の方が仁侠だと思うわ(笑)

 昭和が終わり、平成になりバブルなどもあって、ヤクザは男を売る稼業から「カネも器量のうち」などと、カネこそが器量だという風潮になってしまった。

 山口組三代目の田岡一雄組長も四代目の竹中正久組長も、在日外国人は「若頭」や「若頭補佐」などの幹部には登用しなかったという。朝鮮人ヤクザに日本古来の武士道精神や古事記を理解させるのは到底無理だと分かってたからだという。

 日本精神も朝鮮人ヤクザの「民族の団結」の前には軽く一蹴されてしまう。ヤクザでは山口組四代目組長の故竹中正久が好い。如何にも武闘派という面構えと、あの反骨精神は尊敬に値する。元大阪高等検察庁公安部長の三井環はこう振り返る。

「捜査や取り調べというのは戦争なんですよ。戦争とは荒いことをやります。相手をやるかこちらがやられるかが戦争なんです。私は29年検事をやりましたが自白をしなかったのは3人しかいなかった。一人は山口組の竹中正久で、後の二人は中核派です」。直ぐに自白するヤクザや警察と馴合いの右翼には考えられないことだ。

 竹中四代目は、「わしらにも人権はある。人殺ししたとしてもやなあ、裁判受けとるやないか、ええッ。わしが犬か豚か虎か狼やったら、人殺しても裁判受けさすか。せえへんやろ。人間やから裁判受けさせるんや」とも語っている。

 これを聞くと、果たして「暴対法」や「暴排条例」を人権侵害と騒ぎ立てることは如何なものかと考えてしまう。例えばスナックなどで「みかじめ料」を要求した場合、昔なら恐喝で逮捕だが、「暴対法」に則り「中止命令」が出されるだけ。

 暴力団から抜けたいと申し出た組員を、「組み抜けは許さない」と組事務所で監禁し嚇しても「監禁罪」並びに「脅迫罪」ではなく「暴対法」に則って「中止命令」で済まされる。こうした事例を見る限り、「暴対法」や「暴排条例」が暴力団にとって全て「悪」とも言い切れないし、人権を無視してるとも到底思えない。

 右翼団体の中には「暴等法や暴排条例は人権侵害で憲法違反」として街宣活動を行ってたことがある。暴力団傘下だからやらなきゃならない運動なのだろうが、まぁ「反共右翼からの脱却」ではないが、ヤクザの傘下になってしまった現状を鑑みれば「ヤクザからの脱却」が右翼に課せられた使命じゃね(笑)

 見倣うべきは竹中四代目の徹底した反権力思考だろう。見た目でしか価値判断が出来ないヤクザ業界にいて竹中四代目は異色だった。何より、武闘派でありながらその身体には一切刺青なない。外見を装うより中身を鍛え上げねばと痛感する。

 若い頃、何故に入れたくなるのだろうと思っていたら、先輩がこう教えてくれた。「刺青ってのは刑務所では効果覿面で、刺青をしてるかしてないかで周りの目が違って来るんだよ。所詮、刑務所に入る連中は見た目でしか判断しないんだよ・・・」。その先輩こそ、防共挺身隊三代目総隊長の對馬則政である(笑)

 過去に見て来た日本人ヤクザには確かに義には篤いが、如何せん金儲けというのは下手なのが多い。その点、朝鮮人というのは商才に長けた者が多く、平成に入り、昭和時代の古き好きヤクザは廃り、営利至上主義的暴力団が席捲して行く。

「暴力団撲滅」というが、資本主義の世の中でその資本主義の弊害というべき暴力団を排除するのは困難だろう。今の警察のやり方では益々暴力団化、マフィア化して行くのではなかろうか。ヤクザもヤクザで、老人や弱い者を騙して仁侠だとは厭きれる。やはり、暴力団も「暴力団」と断じられてる悪因悪果を自戒すべき。

 ヤクザになる目的がカネが欲しいからというのも寂しい限り。確かにカネというのは「あれば便利」くらいなもの。カネよりも男気を求め家業入りした初心の思いを忘れることなく、ヤクザ本来の「仁侠道」の精神に立ち返るべきだろう。

 社会も「暴力団=恥ずかしい」と自覚させるべき。幡随院長兵衛の様な町奴で粋で鯔背なホンモノの任侠が増えれば社会も明るくなると思うんだがなぁ。呵呵。

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2023年01月26日

「右翼の敵は右翼に在り」とは田舎にいるとホントよく分かる(笑)

 今から14年程前、防共挺身隊(防挺)の総隊長に就くも運動方針の違いから前任者の對馬則政と諍いになり引退を決意した。端折って言えば、組織としてヤクザの傘下団体や舎弟分になってまで右翼活動をする気は全く無かったということだ。

 對馬はその2年前、弘道会相談役の某組長の舎弟頭に納まった。その組織は「二足の草鞋」は厳禁ということで右翼を実際には引退したにも拘らず、院政を敷こうとあれこれと工作する。 指示しているのは對馬の兄貴分である平重というヤクザ。

 平重は10年前の1月29日、北海道登別温泉のホテルのエレーベーター内で射殺された。山口組・山健組・健竜会系梁取羅城会の元若頭で武闘派ヤクザだった。

 本来ならば對馬との三代目就任の際に交わした約束では、愚生が45歳の時に総隊長に就く予定だったが、平重が前任者を言い含め禅譲をずるずると先延ばし。

 あの頃からだろうか、組織内に軋みが出て来た。 引退する数ヶ月前、友人から渓流釣りを教わりすっかりハマった。山に入れば連絡は付かない。ヤクザ傘下になれば午前と午後の定期連絡は欠かせず、前任者らに「定期連絡は出来ない」と断った。

「なに~、コラッ!総隊長を取るのか、渓流釣りを取るのかどうするんだ、お~?」と責められるも、二つ返事で「渓流釣りにします」と返答した(笑)

 對馬の「おい、弘道会をなめてんのか、コラっ!」との言い分に厭きれ、「なめてはいないが、来るなら来い!」と言って電話を切った。連絡はそれっきり。

 その後に愚生への「除籍通知」が出された。その通知にはあれやこれやと綴られていたらしい。まぁ右翼活動家として後ろ指を指される様なことは無いし、除籍通知を出される理由も無いが、それらを諒として隠遁生活をすることにした。

 除籍通知が出された後、對馬は愚生の義兄弟でもある稲川会紘龍一家組織委員長(当時)の梅本武年に「佐久間を復帰させては貰えないか」と依頼。愚生は組織には戻るつもりもないし、右翼団体への魅力も失ったし、申し入れは鄭重に断った。

 對馬からの梅本組織委員長への申し入れでも分かるが、愚生への除籍通知は無効なのだが、未だのこれを気にする右翼人がいるのは悲しいやら情けないやら。

 愚生が除籍された後、元隊員らへ続々と破門状やら絶縁状が回された。それらを出した元隊員のヤクザも結局はヤクザで通用する筈もなく全員トンズラ(笑)

「礼節を弁えない」だとか、「犬畜生よりも劣る」だとか、對馬自らの器量不足を自ら証明する様なもの。破門状や絶縁状は出すべきではなかったと今でも思う。

「絶縁ゆうたら死刑やど。死刑にするほどそいつがヤクザとして悪いことしたんか。お前の気まぐれで世の中通るほど甘いないど。絶縁にした若い衆が多い程、お前がそんなしょうもない若い衆を連れとったゆうことになるんやど」とは竹中正久。

 結局、對馬がその年の暮れに肝臓癌で幽冥境を異にし、現在の総隊長は実績も何も無いトラック運転手で無線同好会のオッサン。初代(福田進)も二代目(早坂光夫)も知らない者が総隊長だというのだから、防挺の活動も儘ならないだろう。

 現役時代は右翼活動が趣味の様なものだったので、防挺を引退した後は、趣味の釣りを始め色々と興味を注ぎ好きなことをやってる。右翼の基本である「よく読み、よく書き、よく喋る」+「よく呑み」は忘れることなく実践している(笑)

 ブログや新聞投稿、facebookなども右翼としての微かな啓蒙活動の一環。中でも新聞投稿は一般の方々が読むので、記事に賛同して連絡をくれたりして心強い。

 他の右翼団体の仲間からも、有難いことに「田舎で埋もれているのは勿体無い」「どうにか復帰は出来ないものか」という声を頂きもするし、誘われもする。

 大手暴力団大幹部と昵懇の地元の某事務所の会長からも、「俺が〇〇親分(若頭補佐)に言ってやろうか?」と言って貰ったりもしたが、嬉しい反面、右翼団体自体に期待することはもう何も無いし、組織に興味も無いのでやんわり断った。

 山口二矢は既存の右翼や赤尾敏のやり方に絶望したし、野村秋介も右翼絶望派だった。三島由紀夫は既成右翼を毛嫌いしていたのは有名な話し。この三人には遥か遠くに及ばないが、愚生も右翼への絶望という点では共鳴することが多々ある。

 クリミヤ半島に鳩山由紀夫と同道した一水会会長の木村三浩に対してもそうだが、ああした愚行に対し右翼から抗議街宣されたのは知ってるが、直接会って諌めた声は聞こえて来ない。右翼御得意のナアナアさの為せる業だろう(苦笑)

 そういう相手の過ちに対して苦言を呈したり、ケジメを付けない右翼というのがホント嫌いだ。右翼はいつからこんなだらしない勢力に墜ちてしまったのだろう。

 新右翼や、なんちゃって右翼やインスタント保守は、イデオローギーが違っても、或いは、意見が対立していても人間として付き合うのは別だと言って憚らない。

 イデオロギーという言葉だとカッコよく聞こえるが、要は、分かり易く言えば「尊皇」か「反天皇」ということだ。「天皇」に対して根本的価値観が決定的に隔絶している者と、人として付き合えるかといえば愚生には到底無理なことだ。

 こんなインチキ左翼と付き合うのなら、人間的に立派なノンポリと付き合った方が好い。まぁ、新右翼という世界と愚連隊右翼と言われた防挺で育った者の違いと言えばそれまでだろうが、昨今の聞き分けの好い右翼にはうんざりする(笑)

 愚生の場合、嫌いなヤツとは目も合わせないし、挨拶もしないし、波長は合わせないことにしている。若い頃ならいざ知らず、何が悲しくて話を合わせなきゃならないのか。 右翼とはそれで好いと思ってるし、削げ者じゃない右翼に価値は無い。

 野村秋介は遺作となった「さらば群青」で、「日本を切に愛する若き民族派諸君の為に」として、「五つの敵」というものを遺している。「東京裁判史観という敵」「魂なき繁栄という敵」「まやかしの平和という敵」「権力悪、そして巨大な不条理という敵」「わが内なる敵という敵」正に「わが内なる敵」がそこに存在する。
 
 まぁ、「敵」といえば「敵」なのだろうが、右翼が右翼をやっかんでるいうのは確かなことで、田舎に住んで遠巻きに右翼陣営を見てると好く分かる(笑)

 その昔、木村三浩の「右翼は終わってねえぞ」を読んで大いに共鳴もしたものだが、今の右翼を見てると「右翼は終わった」としみじみ感じる。右翼の世界も「玉石混交」だというが、その「玉」に中々出会うことはない、というか玉はいない。

 数ある団体の中には街宣車に日の丸を立てて、軍歌を流すだけの団体も在ったり、街宣車を強請り集りの道具として使用してる自称右翼も少なくないが、それはそれで好いと思う。資金不足で宣伝車さえロクに持てない右翼が殆どの時代に、右翼の怖いイメージを世間に植え付けてくれてるのだから有難いことだ(笑)

 愚生からするとその街宣車が宝の持ち腐れになってたり、贔屓の引き倒しの道具になってたり。そんな右翼の現状ではあるが、世間の嘲笑や侮蔑に耐えつつも皇室の弥栄を祈り、国の行く末を憂う純正右翼や本流右翼も極僅かだが存在する。

 福田素顕翁(防共挺身隊・初代総隊長福田進の父)は、「愛国者は国民の模範的人物にして、指導者たれ」との言葉を残してこの世を去ったが、民族派、右翼を自称する者の中で果たして何人が「国民の模範」と胸を張ることが出来ようか。

 野村秋介は著書「塵中に人あり(旧・汚れた顔の天使たち)」の中で、右翼の在り方を「他を批判する者、先ず自らに峻烈でなくてはならない」と示現している。

 我が胸に手を当て自省してみれば、忸怩たる思いに駆られるが、国民の模範に成れないが、塵の中でもキラリと光彩を放つ、そんな右翼浪人でありたいものだ。

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終身保険に入ってて「一日一生」ってのもどうなのよ(笑)

「覆水盆に返らず」という言葉がある。原義は「一度別れた夫婦は元には戻らない」という意味で、なってしまったことは悔やんでも仕方ない。くよくよしてみたところで始まらないということ。人生にはスパッと諦めることも必要な場合もある。

 イエス・キリストは「一日のことは一日にて足れり」と訓える。つまりは「一日主義」であり、カッコイイ言葉でいうと「一日一生」ということ。右翼人には「一日一生」とカッコつけながら終身保険に入ってるなんてのも少なくない(笑)

 今日のことは、今日、全力を挙げてやり通す。昨日のことは過ぎたことと諦めて、今日一日に全力を尽くす。同じく明日からのことを思い煩ってる場合でもない。日々心新たにして、素直に、謙虚に歩む、即ち「日々是好日」ということである。

「杞憂」という言葉がある。「杞人の憂い」ともいう。昔、杞の国の人が年中心配ばかりしていた。天が落ちて来たらどうしよう。地が裂けたらどうしようという具合に、大袈裟な心配ばかりして暮らしていたという。現実に有り得ないことを大袈裟に心配していることを「杞憂」というが、要は「取り越し苦労」ということだ。

 考えを廻らすことは好いが、「案ずるより産むが易し」という様に意外とどうにかなるもので、「不幸は幸福の源泉」と思えば道は必ず拓ける。難問題が山積みで、幾ら考えても打開策が見出せないのなら、酒でも呑んで寝てしまうのが好い。

 陽気に呑んで騒いで寝てしまえば、翌朝には意外と好い案が浮かんで来るというもの。何かやらねば、何か考えなければと焦ってても解決策は浮かばない。

 井上陽水の「夢の中へ」という歌がある。「探しものは何ですか?見つけにくいものですか?カバンの中も つくえの中も探したけれど見つからないのにまだまだ探す気ですか?それより僕と踊りませんか?・・・」。まぁこれと同じ(笑)

 便所で座ってる時とか、風呂でのんびりしている時など、何気ない時に、ふと「閃いた」、なんてことはよくあることだ。悩みや壁にぶち当たったと思ったら、慌てない方が好い。また失敗してもくよくよしないことも大事なことである。

 こうしたことは試練というより、人生経験上の勉強だと思えば好いだけのこと。悪いことなどそうは続かないのだから。「これを転機に、俺の人生も好い方向へ向かうのだ」と自分に言い聞かせて努力することこそが貴重な経験となるのだ。

 寅さんの「男はつらいよ」の歌の一節に「男というもの辛いもの顔で笑って、顔で笑って腹で泣く、腹で泣く」という一節がある。これが実に好い。

 男というのは本気で泣きたいと思ったら笑うに限る。クスッとニヤケたものではなく、大声で笑ってそれを追い払う。この高笑いに男の甲斐性を垣間見る。

 因みに、「ニヤケ」とは「若男」と書く。本来の意味は、男が艶めかしい様子をすることだという。または男色の相手をいうが、要はゲイやホモか。ニヤケには肛門を指す意味もあるというからニヤケるのは注意した方が好い。呵呵大笑。

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2023年01月25日

将棋では駒を「動かす」とは言わずに「効かす」とか「働かす」と言う

 大相撲初場所は大関・貴景勝の優勝で幕を閉じた。相撲というのは年齢に関係なく実力の社会だが、人生もまた実力社会でもある。実力がある者が番付が上がり、心技体が備わっている者が横綱となるのと同じ様に社会でも伸上がって行く。

 横綱の子供が必ずしも横綱になれる保証はなく、血縁も、家柄も、門閥も、学歴も一切関係なく実力だけがものをいう世界である。 相撲の実力社会に反して、歌舞伎の世界というのは、市川団十郎や尾上菊五郎、中村吉右衛門などを襲名出来る者は限られていて、家柄や門閥がないと譬え実力があっても襲名するのは不可能。

 政治の世界では学歴と経歴より世襲がものをいう、官僚というのは幾ら実力があっても高卒じゃ事務次官にはなれない。企業でも、二代目、三代目が跡を継いで、そのバカ社長に社員を見る目がなければ社員は芽が出ることもない。器量のない上司の下では実力を発揮出来ることなく、早々に見切りを付けて辞めた方が好い。

 1月26日は國士舘創設者で初代館長の柴田德次郎先生の命日。徳次郎先生は「国士とは歩が成った様な者」と訓えている。素人の将棋では、金や銀、飛車、角を大事にするが、普段は軽く見られる「歩」こそ大事に扱わなければならない駒であり、徳次郎先生はその「歩」を教育することに終生心血を注いだ真の教育者であった。

 将棋には「ヘボ将棋、王より飛車を可愛がり」だとか、「桂馬の高飛び歩の餌食」という格言の代表される面白い川柳や諺が多くある。中でも「歩の無い将棋は負け将棋」という格言は、会社経営や人を育てる上で実に考えさせる言葉だろう。

 企業や組織でいえば「歩」というのは新入社員や若い社員のこと。この社員を活かすも殺すも上司の腕の見せ所となる。この若い社員、つまり「歩」を如何に育てるかで会社の将来が決まると言っても過言ではない。そしていつかはその歩が「金」と成って、会社は言うに及ばず、延いては国の宝となるのである。

 将棋では駒を「動かす」とは言わない。「効かす」とか「働かす」という言葉を使う。つまり、上司というのは部下を無闇やたらに「動かす」のではなく、「動」に「人偏(にんべん)」をプラスして、如何に「働かす」かことが肝要となる。

 駒の欠点を周りで補いながら、その駒の長所を伸ばし、折角の駒を死に駒にしないで働かせることで勝ちに繋がるもので、これは会社の経営や組織を率いることでも同じこと。「働かす」のが下手な上司の下では、自分の長所や個性を引き出されることはなく、自分の持ってる好い部分に気付くこともないということだ。

 政治家の世界も実力社会ではなく歌舞伎役者の世界と同じ世襲ばかり。ジバン・カンバン・カバンがものいう世界だから世襲が有利となる。 政策も国家観も乏しい二代目、三代目の世襲議員が当選するのは選挙制度がそういう仕組みだから当たり前。議員報酬や政治献金がバカ高いから、バカ社長と一緒で家業として息子に譲る。

 その結果、考え方もやることも同じだから、政治が醸成するこなく混乱し、機能不全に陥る。国会議員は今や官僚の天下り先となっている。国会という立法府に行政側の官僚が入って来るから、省庁に遜った政治しか出来なくなる。現在、国会議員は世襲と元官僚が8割を占める。政治の世界を実力の世界に戻さなければならない。

 学生に実力テストがあるのだから、政治家にも国家観や歴史観を重んじた実力テストを受けさせ、受かった者を議員にすれば好い。そうなれば現在の多くの議員は落選し、我が国の真の再生に繋がるだろう。それとも、裁判員制度と同じく、政治の一般教養試験合格者からアットランダムに選んだ方がまともだったりして。呵呵。

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2023年01月24日

人間関係に於ては好き嫌いというのは意外と重要なの要素でもある(笑)

 愚生は、食べ物の好き嫌いは無いが人の好き嫌いは激しい方かも知れない。喩えば、時間にルーズなヤツとか、箸使いが下手で箸置きがあるのに使わないで器に載せるヤツとか、食べ方が汚いヤツとか食べ物の好き嫌いの多いヤツとか周りにいると、そんな些細なことが気になって会話も上の空で、その先に進めない(笑)

 そういう意味では、酒席というのは相手の好みも分かるし、醸し出す雰囲気や互いの相性など、人間観察にはベストだ。食べ物の好き嫌いの多いのは、仕事も好き嫌いするので長続きしない。時間にルーズなのは覚醒剤や薬物中毒の疑いがある。

 食べ物の好き嫌いが多いのは幼少の頃の経験が多く、箸使いもそうだが、それを許されたというのは、親が大らかというか、優しく見守ってくれてのだろう(笑)

 国士舘時代は何でも「押忍」。組織にいた頃でも、先輩に好き嫌いをいうものならその嫌いなものを執拗に出される。要は、押忍の精神とは我慢であり、苦手を克服し身になって行くものなのだが、食べ物の好き嫌いの多い奴はその我慢に乏しい。

 人間関係に於てはこの好き嫌いというのは意外と重要で、此方が苦手と思っている相手も同じ様に苦手だと感じているだろう。以心伝心とは実に哲学的だ(笑)

 人の多くは自分の意見や理論こそが正しいと思っている。だから、自分の意見と異にする者を説き伏せようとしたり、感化させようとしたりするものだろう。

 理論的な間違いは指摘出来ても、相手側が此方に「敬」を抱くことがなければ、喩えそれが正論であり、また相手を慮っての意見と雖も相手に通ずることはない。

 要は、人というのは「好きか嫌いか」か、それに尽きる。嫌われてるのに幾ら熱く語ったところで、そんな相手に意見を受け容れさせ様などとは無理なこと。

「人に意見や指導をしてその人の欠点を直す」ということは大切なことであり、親切心であり、慈悲の心とも言えるものであるが、その意見される相手側が、その違憲に耳を傾け、受け容れる気持ちが無ければ単なる「余計なお世話」でしかない。

 意見というものは先ず、その人がそれを受け入れられるかどうかを見極め、相手と親しくなり、此方を信用して受け容れる状態になってからでないと意味はないし、そういうことをしてからでないと意見というのは相手に通じることはない。

 食事したり、一献酒を酌み交わし乍ら相手に心を許し、自分の失敗談を話し、意見を言わなくても相手に悟らせる思い遣りが大事であり、本来、意見とは斯く在るべきである。こうした教えは「葉隠」に書いてある。葉隠は日本人必読の書である。

 綺麗なお姉ちゃんとの酒席でも箸使いが悪かったり、作法がイマイチだらしがなかったりすると、やっぱそこばっかり気になって会話どころじゃありません(笑)

 右翼が喩え、正論を吐いたところで通じないのは「好きか嫌いか」でいうなら、きっと世間から忌み嫌われているからに違いない。まぁ、斯くいう愚生も、熱く語っても相手に通じないことがある。要は、嫌われてるってことだわな。呵呵大笑。

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2023年01月23日

自己放棄に達しない思想は卑しい思想であり、思想を維持する精神は狂気でなくてはならない

「自己放棄に達しない思想は卑しい思想である」とは三島由紀夫。 思想を抱くということは「死」を覚悟するということでもある。 これは右翼や左翼に関係なく、常に思想信条の為に命を賭す覚悟が大事であるということだ。現在の右翼にしても自称愛国者や保守派にその気概は視られず、口舌の徒や売文屋に成り下がっている。

「居の安きを求るは真の志士に非ず」とは吉田松陰。「種々の生業を作(な)して自活することを恥ともせず、日々の生活を優先しながら活動家を気取るとはなんたることか。 思想を維持する精神は、狂気でなければならない」と訓える。「狂気」とは、常軌を逸した精神状態ではなく、物事に本気で向えということである。

 愚生もしがない放蕩右翼浪人ではあるが、日々の怠惰な生き様も、見ように拠っては「狂気」に感じなくもない。常軌を逸した精神状態というより、単に常識というものが欠乏しているのかも知れない。否、欠落しているに違いない(笑)

「狂」とは陽明学の「狂」であり、「理想を高く持ち、何の虚飾も隠し立てもなく、心の儘に率直に行動すること」である。陽明学を簡単にいえば「知行合一」の教えであり、言葉にしたことは必ず実行するというのが「知行合一」の本分である。

 陽明学は「志を立てる」ところから始まり、その志を行動に昇華させることで己の思想が終結する。右翼にしろ、左翼にしろ、政治家を志すにしても、自分の言葉に責任を持ち、自らが率先垂範して国民の模範となることが大事だということだ。

 陽明学では、人間の格位を「聖賢」「狂」「狷(けん)」「卿愿(きょうげん)」の四つとし、孟子はこれを注釈している。端折って書けばこういうことだ。

「聖賢」とは、知識・人格に優れた人物のこと。「狂」とは、理想主義である。「狷」とは、不潔を潔しとしない者。「郷愿」とは、世俗と歩調を合わせた風俗とし、徳の賊(道徳家を装って郷里の評判を得ようとする俗物)のことである。

「狂」とは、己の信念(理想)に向かって脇目もふらずに突進(行動)することである。また「狂」とは、「もし過失があれば改めさえすればよい」とする臨機応変的なものでもあり、世俗社会の常識に対し果敢に挑戦する実践的理想主義でもある。

 自分の行動を「狂挙」と敢えて言える為には、歴史を見つめる「冷静な目」が必要であり、この「狂の精神」こそが、明治維新への道を切り開く転換点となったと言っても過言ではない。旧来の思想や社会構造を打破しようとする時に起こる常軌を逸した行動こそが「正気」の「狂気」であり、「狂挙」なのである。

「狂挙」とは、義に従って突き進むこと。正しいと思ったら損得なんぞ考えずにそれに向かって猛進することである。「仁侠(任侠)」も同じ様に、弱い者を助け、強き者を挫き、義の為には命を惜しまない気風をいうが現代ヤクザにその精神は無い。

 暴力団に成り下がったヤクザが仁侠になるには「仁義に狂うこと」であり、「狂挙」を重んじる仁侠精神に回帰し、真の仁侠道に猛進することだろうと思う。

「狂気」の「狂挙」こそが現状打破の大きな力となり得るのである。だが、悲しい哉、昨今の右翼にしろ、自称・愛国者にしろ、保守派にしろ、居の安きを重んじるばかりで、そこに「狂気」はない。つまり、それは本気さが乏しいということであって、要は、世俗と歩調を合わせた「郷愿」であり、賊であるともいえるのだ。

 吉田松陰もこう訓える。

 「君、狂い給え!」

 そこの貴方には、抱いてる理想はありますか?

 志しは潰えていませんか?

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2023年01月22日

世の中で一番さびしい事はする仕事のない事です!

 浪人暮らしの愚生は毎日が休みの様なもの。年末からここ1ヶ月の収入は2万円。よく年末年始を耐え忍んだものだ。先々の事を考えると不安が無い訳ではない。

 若い頃は宵越しのカネも持たず、収入があればパーッと使って気にも留めなかったが、明日の事を考える様になってしまったのはやはり老いてる証左だわな。

 本部の行動隊長に続いて隊長代行となった30代の頃から、物心両面で支援して頂いていた高花豊先生に幾度となく言われた、「佐久間さん、活動家が長生きすると惨めな生活しか待ってませんよ!」という言葉が重く堪えてる今日この頃です。

「生老病死(しょうろうびょうし)」の「四苦」とは、人として生まれたら逃れられない苦しみだが、「老いる」というのは実に厄介なものなのかも知れない。

「四苦」に、「愛別離苦(あいべつりく)」「怨憎会苦(おんぞうえく)」「求不得苦(ぐふとくく)」「五陰盛苦(ごおんじょうく)」の四つを併せたものが「八苦」。この「四苦」「八苦」以上の悩みや苦しみを見付ければ、釈迦牟尼と言わないまでも開祖の坊さんやインチキ宗教の教祖くらいにはなれますよ、きっと(笑)

 福沢諭吉の「心訓」というものが在る。

 一.世の中で一番楽しく立派なことは一生涯を貫く仕事を持つ事です
 一.世の中で一番みじめな事は人間として教養のない事です
 一.世の中で一番さびしい事はする仕事のない事です
 一.世の中で一番みにくい事は他人の生活をうらやむ事です
 一.世の中で一番尊い事は人の為に奉仕して決して恩にきせない事です
 一.世の中で一番美しいことはすべてのものに愛情をもつ事です
 一.世の中で一番悲しい事はうそをつく事です

 右翼人という一生涯を貫く生き方を持ったことは立派なことなのだろうが、仕事をしてないのは寂しいことでもある。ロクロク働きもせずに、これといった収入も無く自由に生きて行くというのは至難の業で、ある意味で狂気でもある。

 カネが無いというのは実に不安なもので、これは現実に経験した者でなければ分かるまい。くだらない意地を捨てて、仕事していれば余計なことも考えなくて好いし、生活も安定するのは分かってるのだが、それが出来ないから始末に負えない(笑)

 カネが無いことで他人を羨むことはないが、カネというのはあればあったで便利なもので、充実した活動をするのにもやはり資金の確保は重要なことだ。

 右翼団体を辞して団体や組織に興味もないが、ネットなどで「街宣右翼は在日ばかり」だとか「日本を貶めるものだ」「ヘタレ右翼」などとの批判を耳にする。

 行動右翼のパイオニアを自任する防共挺身隊の元総隊長として、忸怩たるものが在るのも確かだが、右翼の行動というのは別に街宣だけが活動ではない。

 街宣というのは単に示威行為とパフォーマンスでやってるのだが、世間にはアレが右翼のスタイルであり、右翼のイメージとして植え付けられてしまった。

 悪いイメージを払拭するのは容易ではない。国民意識から乖離しながら啓蒙活動をしたところで効果はないし、右翼の街宣や演説如きで世の中が変わることはない。

 やはり、右翼に求められるのは、素人如きに批判も揶揄も赦さない圧倒的な怖さであり、言論活動にせよ、常にテロを担保に行動することこそ大事。呵呵。

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2023年01月21日

国民を蔑にする「官賊」「政賊」「労働賊」の三賊を糺さねばならない!

 その昔、箱根の山には山賊が出て、善良な人々を苦しめたという。今は流石に山賊はいないが「三賊」というのが蔓延って人々を苦しめる。今でいう「三賊」とは「官賊」「政賊」「労働賊」は、昔でいうところの悪代官。「士農工商」の階級の名残りで「農工商」の上に胡坐をかいている士階級。特権階級といわれる連中だ。

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 二本松市の霞ヶ城址に「戒石銘」という碑が在る。

 爾俸爾禄(なんじのほう なんじのろくは)
 民膏民脂(たみのこう たみのしなり)
 下民易虐(かみんはしいたげやすきも)
 上天難欺(じょうてんはあざむきがたし)

 愚生が防共挺身隊現役の頃、この「戒石銘」を使い「政財官界粛正」を訴えた。中々好いビラだったと我ながら思う。「戒石銘」は、「貴達の俸給というのは人々の汗と脂の結晶である。だから人々を労わらなければならない。若し人々を苦しめたりする様なことがあれば必ず天の怒りに触れるであろう」という意味である。

「戒石銘」は二本松藩第七代藩主・丹羽高寛が藩の学者・岩井田昨非の献策によって、藩庁前の自然石に、藩政改革と綱紀粛正の指針として建てたもので、今でもこの地に残っている。二本松市に来訪の際には是非とも立ち寄って頂きたいものだ。

「政治は三流、経済一流、官僚機構は超一流」と揶揄されたのも今や昔の話で、その一流だった経済も崩壊した。商業道徳そっちのけで営利至上主義に狂奔したツケが出た。政治が三流なのは今も変りはない。それどころか益々悪くなる一方。

 過去には、政治が如何に混迷しても、超一流の官僚機構が「日本丸」の舵取りを巧くやってくれるという「神話」があったのも事実だが、今やその官僚が国を滅ぼす一大勢力になってしまっている。正に官僚亡国、否、官僚暴国。取分け、官僚機構が崩壊した象徴こそが、あの有名な「ノーパンしゃぶしゃぶ事件」だろうか(笑)

楼蘭
 平成10(1998)年2月、銀行のMOF担と呼ばれる行員が旧大蔵官僚の接待にノーパンしゃぶしゃぶ店「楼蘭」(新宿歌舞伎町)で接待していたことが暴露された。

 大蔵・通産等各省、日銀、公団、国民金融公庫、事務次官・総裁・理事長クラスが顧客になっていた。間もなく「楼蘭」が東京地検特捜部の家宅捜索を受け顧客名簿が押収された。事件発覚後、「楼蘭」の常連客でもあった山口剛彦 (厚生次官)が自殺。「ノーパンしゃぶしゃぶ〈楼蘭〉官僚愛好御用事件」の真相は謎だ。

「ノーパンしゃぶしゃぶ」とは、女性店員がノーパンで接待してくれる和食料理店のことで、店内の床を鏡張りにして、高い場所にアルコール類を置くことで、ノーパンの女性店員が酒を注ぐその姿を覗いて愉しむ非常に下劣な飲食店(笑)

「楼蘭」は女性店員の「持ち帰り」もOKだったというし、飲食店の名を借りた風俗店というのが正しい。女性店員の上半身もスケスケの衣装やトップレスにしている店もあった。起源はノーパン喫茶にあると見られ、他にもノーパン焼肉などが在ったという話しだ。愚生も行ってみたかったが、事件発覚でそれは叶わない(笑)

 通常の風俗店では経費として認められない為に、接待する側は「飲食費」として領収書が落とせる「しゃぶしゃぶ屋」を利用したのだが、スケベな官僚どもを接待するのに、「ノーパンしゃぶしゃぶ」はうってつけの店だった。

 楼蘭の経営者は中国人の女。顧客名簿は中共政府には利用価値が高かったと推測する。事件発覚後、「探偵ファイルのノーパンしゃぶしゃぶ楼蘭の厚生労働省系リスト」としてサイトアップされた。ファイルの前口上にはこう記されていた。

「話題のノーパンしゃぶしゃぶ〈楼蘭〉の顧客名簿を入手しましたので掲載いたします。楼蘭では昭和62年から昨年末までの12年間、政界、財界、官界、等々、多方面の顧客1万人以上の名簿を FDに保存しております」。全名簿の公表は割愛するが、売国官僚一覧表としての意味を持つ一級資料とも言えるのではなかろうか。〈「楼蘭」顧客リスト〉 https://web.archive.org/web/20160802145138/http://www.rondan.co.jp/html/news/roran/

 顧客名簿には、日銀総裁福井俊彦と日銀関係者4名。大蔵省6名。厚生省37名。農水省34名。通産省55名。運輸省19名。郵政省13名。労働省2名。建設省26名。食糧庁4名。その他の公団や官僚の事務方トップやエリートの名前がズラリ並んでいる。

 その名簿に郵政省「品川萬里」の名がある。そう現郡山市長である。顧客リストに載るということは、品川市長ってのは官僚の中でも実力派だったんだろうなぁ。

 強大な国家権力を背景にした高級官僚どもの腐敗は目に余る。特定の政治家の手下になって諂屈したフリをして操縦し、或いは天下り先の大企業とべったりくっ付いて、目は国民を向いてはいない。政治家どもは「国民目線」などと頻りに語るが、国民目線が必要なのは、こうした高級官僚どもの方だ。これは地方と雖も同じこと。

 官僚を操れる政治家が出なければならないのだが、それは不可能に近い。我が国の不幸はこういうことでもあるが、国民を蔑にする政財官界を糺さねばならない。

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2023年01月20日

言いたがり屋は聞き齧り屋とはよく言ったもので

 坂本龍馬は、西郷隆盛をして「西郷という男は大きな太鼓だ。小さく敲けば小さく響き、大きく敲けば大きく響く」と、こういう人物であると喩えたという。

 どうもイマイチよくは分からないが、その敲き様で返って来るものが違うということだろうが、要は、敲く側や相手側の器量も大事だということだろうか。

 坂本龍馬の自慢にも感じなくはないが、西郷という人物はその昔は高く評価していたが、自分で調べた限りでは、巷間囁かれている様な傑物では無かったと思う。

 例えば、勝海舟との対談で江戸城開城したのに、明治維新を完結させ建国を急ぐべきところ会津藩や諸藩の制圧を理由に盗賊の如きの乱暴を働いていることだ。

 私利私欲や保身とは無縁で、清濁併せ呑む器用さもなく、その大人格故に多くの信望を集め、また自分の死に際でさえ実に潔い人物だったのは確かだろう。

 一方で意外に繊細な面もあり、桜田門外の変での水戸藩士との起請の反故という狡猾さを備え、慶喜公や会津藩糾弾に見られる様に執拗さも垣間見れる。

「南洲翁遺訓」などを読めば、西郷の指導者としての度量の深さと無上の高潔さを感じ取れるが、歴史的偉人の言葉というのはその多くが自戒であり、西郷が好んだ「敬天愛人」の思想もまたそういった生き様の裏返しの様にも思えてならない。

「小人の学問は耳より入り口より出ず。君子打たねば響かぬなり。打てば響くなり」という。聞き齧ったものというのは兎角、直ぐ話したくなるものである。

 学問というのは、本来自分自身の向上の為にするものだが、小人というのは学問(それほどのものではないが)を売り物にする輩が多いこと多いこと。

 最近の保守ブームに乗っかって、それらに媚びた記事を書いては売り上げを伸ばすことに躍起になってるが、これを売文屋や営業保守と言わずして何という。

 自称・愛国者や営業保守らは、頻りに朝日新聞などをバッシングするが、朝日もまた株式会社であり、読者のニーズに合った主張をして売り上げを伸ばすのは当たり前のことではないか。要は、営業保守らとやってることは変わりはない(笑)

 政治家というのはホンネは出来るだけ出さない方が好いとされている。それは日本の政治家の伝統でもあるし、政治家のウソには馴れっこになってしまっている。

「ウソは泥棒の始まり」「ウソを吐くと閻魔様に舌を抜かれる」など、嘘というのは悪いものだと教わって来たが、「ウソは政治家の始まり」というのは国民にとっては笑えない。政治家というのは「ウソも方便」というのを優先するが、この「ウソ」には、相手の立場を慮り、思いやりが込められたものでなければならないのだ。

「ウソは世情の宝」とか、「講釈師見て来た様なウソを吐き」とか、ウソというのは世間を和ませる気が利いたウソが好い。「商人は損と求めて蔵を建て」とか、「これでは儲かりません」と言いながら大きな蔵を建てるなんてのはよくある話しでもある。「紺屋(こうや)の明後日」なんてのも笑えるウソの一つだろう。

「明後日紺屋に今度(今晩、明晩)鍛冶」とか「医者(問屋)のただ今」とか「坊さんのおっつけ」も同義語だ。まぁ、愚生の実家のラーメン屋でも、出前の催促が来ると「今、出ました」なんてよく言ってたが、アレと同じで笑えるウソだ(笑)

 花魁の世界には「手練手管(てれんてくだ)」なんてのもあった。まぁ今でいうとキャバ嬢やホステスか。「手練」とは人を操り騙す技巧のこと。ホステス相手についつい熱くなってなんて、そこの貴方も思い当たる節はありませんか(笑)

「妄語戒(もうごかい)」なんてのはウソの典型の様なものだと思っている。釈迦牟尼も「地獄」「極楽」なんていうウソを吐いて民衆の心に安らぎを与え、キリストもまた「天国」への夢を誘って多くの人々を救った。好いウソの典型だわな(笑)

 愚生は神道ではあるが、極楽浄土というのは死後の世界ではなく現世に在ると思っている。如何にして周りにいる自分より能力的に劣る者を助け、悩みや難渋している人を如何に救い施してあげられるかが極楽浄土なのではと単純に考えている。

 ウソにはいいウソと悪いウソがある。自分の為に吐くウソは感心しないが、周りを安心させる様な「いいウソ」は吐いても差し支えはないのだ。そんなウソも吐けないのは正直というものではなく、バカ正直というやつで、世間からは遠ざけられる傾向があるが、そんな馬鹿正直な人も最近はめっきり見かけなくなった。

 まぁ何事も一面な見方や考え方ではなく、ホンネやウソに隠された真実や優しさなどを見抜ける能力を身に付けることが肝心。それはやはり場数を経験することだが、場数とはバカな数。つまり失敗から生み出される知恵と経験がものをいうのだ。

 洒落たウソも吐けない人や、遊び心の無い人というのは自分にも余裕がなく、付き合う方も窮屈で堅苦し良いので魅力はない。以前、FBFで畏友とも言うべき方に教わったのだが、「やまとことば」にも、「うそ」という言葉があるそうだ。

「うそ」「あそ」「あそぶ」は同じ意味を成し、阿蘇山のカルデラの様に真ん中が空っぽの状態を言うらしく、「あそぶ」は、仕事から離れて頭を「空っぽ」にすることだと教えられた。遊ぶとは、単に趣味などに興じることだと思ってたが、なるほど、遊ぶというのは、「頭を空っぽ」にすることと知って、思わず膝を打った。

「うそ」は頭が空っぽな状態。日本語素晴らしさは、相手の「うそ」(空っぽの発言)を主体である自分が、好意をもって受け止める、という言葉だというから、実に奥深い。皆さんも、シャレの効いたウソをたまには吐いてみては如何ですか(笑)

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2023年01月19日

東電旧経営幹部に責任を問うなら菅直人も逮捕せよ!

 東京電力福島第一原発事故を巡り、業務上過失致死傷罪で強制起訴された東電旧経営陣幹部3人の控訴審で、東京高裁は、一審判決に続き無罪判決を言い渡した。

 この一連の裁判では、検察官役の指定弁護士が個人的感情で禁固五年を求刑しているだけで、「10メートル超の津波が来る予見可能性は無く、原発を停止する程の業務上の注意義務は認められない」として無罪とした判決は当然だと思う。

 東日本大震災で亡くなられた方は津波が原因であり、死者数は福島・宮城・岩手三県で実に18456名に及ぶ。原発事故での放射線で亡くなった人は全くいないのに、福島原発周辺の堤防の嵩上げや大津波予見だけが問題にされるのは如何なものか。

 福島原発事故は巨大地震に因る「天災」ではない「人災」である。米国製のハリケーン型原発を過信し、大津波の想定をしていなかった為に発電所内の電源が全て失われ、原子炉冷却に関わるバルブが操作不能になったのことが要因である。

 原発周辺の堤防の嵩上げさえしていれば防げたかといえばそれもまた疑問で、大津波を予見していたならば堤防決壊に因る予備電源を確保することが大事だったのだが、今回の事故は予備電源を地下に埋設していた単純ミスからの「人災」だった。

 大津波を勝俣恒久元会長ら旧経営陣らが予見出来たと断定するなら、国や原発を設置した地方自治体の避難計画や防災対策に於いて、そうした危険回避の対策が何故に講じられていなかったのかも責任が問われて然りだが、そんな声は上がらない。

 未だに福島原発事故を論い、安っぽい正義感から反原発を訴え、それに与する被災者がいるが、生き残った我々がいつまでも被害者意識丸出しで、過去ばかりをふり返ってどうしようというのか。それでも我々は前進していかねばならないのだ。

 大震災から既に約12年が経過した。事故調査委員会から「人災」と判断された原発事故を巡って、その人災を旧経営陣のみに責任を負わせることに何の意味があるのだろう。強制起訴という制度に正義や公正さがあるとはとても思えない。

 起訴内容では、原発事故で避難を余儀なくされた双葉病院の入所者44名の死亡の責任を問われているが、動かしてはいけない重篤な患者を強制的に移動させたのは東電元幹部らではなく当時の首相であり災害対策本部長だった菅直人である。

 当時の民主党政権は原発事後、科学的根拠の無い「原発周辺20キロ圏内」という避難指示を下した。原発事故などの放射線の流れを分析出来るSPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)の数値を知りながら隠蔽したのである。

 双葉病院の在った場所は放射線量は低く、治療を優先すべきだったにも、発令した避難指示に拘り、強制的に避難させてしまったことで患者を死亡させた。

 つまり、死亡した双葉病院や介護老人施設「ドーヴィル双葉」の入所者の44名は、津波を予見せずに対策を怠ったことが原因ではないのに何故は旧経営陣に責任を押し付けている。こんな不正義と不公平な判断があってはならないのだ。

 未だに「原発周辺20キロ圏内」という科学的根拠に乏しい、行き当たりばったりの間抜けな対策が、非科学的な除染という無駄な作業に莫大な血税が垂れ流され、福島県や県民への風評被害や差別を招き、今も復旧や復興の妨げとなっている。

 混乱と更なる被害の拡大を生んだ最高責任者である菅直人が逮捕されずに、東電の旧経営陣のみに責任を負わせようとするのは我が国司法の歪さの現れである。

 あの当時の首相であり災害対策本部長だった菅直人が逮捕も強制起訴もされない裁判は正に茶番劇そのもの。事故の責任というなら旧経営陣ではなく菅直人に責任を取らせるべきだ。何故か、そうした声さえ聞こえないのは不思議でならない。

 二度と人災を繰り返さない為にはどうすべきか。福島第一原発事故での教訓を将来どう活かすか。国内での原発事故に限らず、韓国や中共の周辺国や世界の原発でまさかの事故が起きてしまった場合に、福島原発事故の収束技術と正確な科学的データが活かされることこそ、福島のこの地に住み続ける我々県民の願いでもある。

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2023年01月18日

「益者三友、損者三友」というが悪友こそ我が友である!

 愚生の性格は結構気は遣うが、自分と異なる意見や行動には遠慮せずに言う方だ。これを言えば角が立つからと避けて通ることはない。よく言えば蛮勇があるということだろうが、そんな愚生を嫌ってる人や苦手と思う人も少なくはない(笑)

 若い頃ならいざ知らず、嫌なヤツや性に合わないヤツとは調子を合わさないし、目も合わせない。 本能的に虫が好かないというのは意外と当ってるもので、向こうにしてみれば以心伝心ではないが向こうも同じ様に思ってるものだ(笑)

「忠告して此れを善導し、不可ならば即ち止む。自ら辱められるること勿れ」という。付き合ってる相手の不味い点を見て見ないふりをするというのでは友人としての資格が無いと思っている。だが、忠告を聞くか聞かないかは相手の判断次第であり、相手の主体性を重んじることを「君子の交わり」ということも承知している。

 最近は、指摘したり、忠告したり、諫めたりすると、それを気にしてその後は疎遠になるのことが多く、そういう意味では小者ばかりが多くなったのは確かだ。

「君子の交わりは淡きこと水の如し、小人の交わりは甘きこと醴の如し」という。物事をよく弁えた人の付き合いというものは水の様に自然なものなのだが、つまらぬ小人物の交際というのは、まるで甘酒の様にベタべタした関係であり、一時的には濃密の様に見えてはいるが、長続きせず、破綻を招き易いという訓えである。

 facebookなどSNSでの遣り取りを見ているとキレイゴトを並べ、ベタベタとした上辺だけのコメントが実に多い。互いに抑揚を抑え、大人の遣り取りをしているつもりなのだろうが、そんな付き合いなどに意味があるとは思えない。

「己に如かざる者を友人とする勿れ」という。優れた人物と交際は、自分も成長するし、また香気を放つ人物となって行くもので、人間形成の上で友人の影響は大きく、そういう意味でも友人は選ぶべきで、その交際は慎重であるべきだと思う。

「益者三友、損者三友」という。直(なお)きを友とし、真(まこと)を友とし、多聞(たもん)を友とするは益なり。つまりは剛直な人。誠実な人。見聞に長け教養のある人と交わることは有益であるが、その反対に、媚び諂い、易きにつく人。人当たりばかり良い人。口先だけの人を友とすることは有害なものだとの訓え。

 確かに、自分に諂う様な人物を友としても何の役にも立たないことはよく知っていても、人というのは兎角、自分の短所や欠点を注意されることよりも、何やかんやと御世辞をいう、諂う友を周りに置きたがるものだ。だから孔子は、こうも訓える。「良薬口に苦けれども病に利あり、忠言、耳に逆らえども、行に利あり」

 如何せん、そういう立派な友などそうそうはいない。多くは「朱に交われば赤くなる」の喩え通り、似た者同士が集まってしまうものである。実社会の人間模様を見渡せば、善友、必ずしも善友ではなく、悪友、必ずしも悪友とは限らない。

「毒を以て毒を制す」という言葉があるが、どちらかというと悪友の方が、結果として善友以上の働きを示すことの方が多い。例えば、畳にこぼれた水を拭き取るには、乾いたタオルでは綺麗に拭き取れない。タオルを充分に水に浸し、これをキリリと絞り上げてから使うタオルの方が水気が畳の水を綺麗に吸い上げるのだ。

 日頃、キレイゴトを言ってるヤツなどは、いざという時にはクソの役にも立たない。そんな上辺だけの者より、共に笑い、共に泣き、ある時は共に悪い遊びをした様な友達の方がいざという時は親身になって心配してもくれるし、心強いものだ。

 今どきの安っぽい風潮やマスコミの垂れ流す話題に流され、営業保守の請け売りの政治や歴史を偉そうに語るヤツより、そんなことは全く分からなくても、酒を愛し、趣味や惚れた女やスケベな話しを一生懸命話してるヤツの方が信用出来る。

 愚生は正統右翼浪人を自任しているが無頼派右翼でもある。やはり無難で小さく纏まっている聞き分けの好いヤツよりも、チョッと個性的な削げ者を愛す。呵呵。

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2023年01月16日

第96条に基き改憲発議し第9条改正では尖閣諸島が奪われてしまうぞ!

 国際環境や世界情勢が激変しつつある時に動くものが領土問題である。クリミア半島を侵略したロシアがウクライナへ侵攻していることでも分かるだろう。それはつまり、北方領土や竹島を取り戻す機会が到来したと同時に、尖閣列島や対馬、或いは沖縄を奪われる危機も孕んでいるというのことを我々は自覚しなければいけない。

 この尖閣列島を巡り、日中間で戦争となるだろうと予測してる専門家も多い。だが、中共人民軍や習近平に日本を相手にするほどの覚悟があるとは思えない。

 自衛隊の方が中共軍より兵器も個人の資質も非常に高く、中共軍が尖閣上陸を強行した場合になれば、自衛隊の能力の高さを世界に誇示することになるだろう。

 我が国にとって紛争は、まとまな国家となる好機であり願ったり叶ったり。 更に尖閣での紛争に米国が同盟国として参戦するとなれば、中共側は短期間で重大な被害を受けるのは必至。日本が中共軍を追い払うことが出来なかったとしても、国民が領土主権の重要性に目覚め、憲法論や国防力を見直す契機にもなれば勿怪の幸い。

 然し乍ら、中共の場合はそうはいかない。紛争での失態は習近平体制の威厳を失墜させ、周辺国への恫喝も通じず、巨大な軍事力を背景に弾圧されてる国々は独立に向けて自信を深める結果になり、共産主義一党独裁体制を崩壊する危険を孕む。

 支那には古より「声東撃西(せいとうげきせい)」との戦略がある。東の方を撃つと見せかけて、実は西を撃つというのが支那戦史の鉄則である。また、斉の威王が、魏が趙を攻撃している最中に魏の都を急襲して趙を救ったという「囲魏救趙(いぎきゅうちょう)」の故事は、「兵法三十六計」の戦略の一つでもある。

 支那大陸の戦史にはこうした戦略、謀略が実に多く、尖閣問題を始めとする東シナ海のトラブルは、見方によっては中共の真の狙いは尖閣ではなくて、南シナ海だと言えるのではなかろうか。 南シナ海を制してから尖閣諸島、そして沖縄を狙う。

 中共が尖閣諸島の実効支配を謀るとしたら、精精、南シナ海でよくやったやり方くらいなもので、漁民に扮した工作員が何らかの理由をこじつけて島に上陸し、その後、「漁民保護」を名目に中共軍が御出座しになる作戦くらいなものだろう。

 中共なんぞ、所詮は恐れるに足らないチンピラ国家である。ヤクザには強固な態度で臨むのが最良で、謝ったらハイそれまで。いっそ尖閣列島で紛争が勃発してくれれば、それこそ共産主義体制を崩壊させる千載一遇のチャンスでもあると思うべきだ。中共を尖閣から撤退させば我が国は世界から称賛されることだろう。

 未だ、大東亜戦争での日本軍のアジア侵略を糾弾し、「日本は過去の過ちを反省し、アジアの方々へ謝罪すべし!」との愚論を散見する。未来永劫、我が国がアジアの方々に謝罪する必要があるというなら、その最大の過ちは、戦後に共産主義者の跳梁跋扈を許したことだ。償いはその共産主義という「癌」を取除く以外にない。

 その最大の癌が中華人民共和国である。 尖閣で紛争が勃発し、自衛隊が中共軍を圧倒することによって、西沙諸島、南沙諸島、或いはインドやカシミール地方で中共の無法、虐政に呻吟している国々にとって希望の灯りとなるだろう。

 抑々「集団的自衛権」や「領土主権」という国家の安全保障に係わる問題を憲法論議もせずに語っていることが空空しい。領土は国家の主権である。

 尖閣諸島が北方領土や竹島の二の舞にならぬ様に、自衛隊の駐留や住民への上陸を許可して実効支配を急ぐと共に、現憲法の無効宣言をして大日本帝国憲法を復元・改正した方が、国防強化や安全保障体制を万全にするには最適である。第96条に基き改憲発議し、第9条改正をしている間に尖閣列島が奪われてしまうぞ。呵呵。

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2023年01月15日

成人の日はやはり「小正月」の1月15日に戻すべし!

 今日は小正月。元旦を大正月と呼ぶのに対して15日を小正月と呼ぶ。その年の初めての満月の日に一家の行く末を託す男子の「元服」を行ったのが成人式の由来。

 この「男子の元服」というのが、性差別を叫ぶジェンダーフリーを叫ぶキチガイどもの怒りを買って、所謂「ハッピーマンデー」が誕生するきっかけを作った。

「元服の儀」という屁理屈より、「その年の初めての満月は15日に限らないから第二月曜が好いのでは」と言えば、「なるほど」と支持する国民が出ていたかも。

 平成10年に施行された「国民の祝日に関する法律の一部を改正する法律」及び、平成13年の「国民の祝日に関する法律及び老人福祉法の一部を改正する法律」の所謂「ハッピーマンデー」の施行に伴い夫夫の月曜日に行うこととなった。

 この「ハッピーマンデー」は、我が国の歴史・伝統・文化の否定を目的として施行されており、左翼陣営はこうした策謀を積み重ねることに拠って国體否定の論拠とするのは常套手段。「ハッピーマンデー」なんぞ百害有って一利無し。

 こんな愚策は祝日法の再改定を図るべきだが既成事実化された。成人式は祝日だからという理由でハッピーマンデーの成人式に国旗を掲揚するなど以ての外だ。

 国體破壊を目論む左翼陣営の究極の目的は、天皇が執り行う「宮中祭祀」の妨害である。その宮中祭祀の中で特に重要なものは正月元旦に執り行われる「四方拝」と、11月の2回目の「卯の月」に行われる「新嘗祭」である。勤労感謝の日がそう。

 天皇にとって最も大事なものは国事行為ではなく、神道の最高の地位にいる祭主として行う「祭事」である。宮内庁は、陛下の負担軽減の一環として、新嘗祭の未明に執り行われる「暁の儀」の拝礼や、元旦の四方拝の一部を縮小した。

 陛下の負担軽減を図るなら祭事を優先し、現憲法下での国事行為や公的行為こそ軽減すべき。宮内庁の獅子身中の虫でもある奸臣どもが、陛下の御高齢を理由に宮中の祭事を取り止めることこそ、陛下を利用した国體破壊の序章ではなかろうか。

「A級戦犯分祀が実現すれば天皇陛下が御親拝出来る環境が整う」などというものと同一であり、天皇の政治利用であり、国民を誑かす最たる策謀である。

 天皇の祭祀こそ、決められた日の決められた時間にすべきものであり、祝祭日とは国民が共に祝う日であって、祝祭日は単なる休日ではないのだ。

 諸外国に比べて、我が国の祝祭日ほど「国柄」の分かる伝統文化はない。戦前は祝祭日の多くは神道に由来するものが多く、現在でも約半分が神道の祭日である。

「成人式」にしても皇室の「元服の儀」に由来するものだ。多くの日本人が、祝日を単なる休みとしか考えていない。祝日の意義を教えて行かねばならない。

 最近は、ハッピーマンデーと言いながら、成人式を前倒しして日曜日に執り行う自治体は少なくない。これ即ち、祝日法の意義が失われている証左である。

 国家の中枢に入り込んだ左翼らが謀った、こうした国體破壊を目的とした愚策を実行して来たのは、共産党ではなく自民党で政権だというのは実に御粗末なことだ。

 故安倍元首相は、「自国に誇りの持てる教育を施す」と訴えて政権復帰を果たしながら、道徳教育より英語教育の充実を図って、唯只管に経済至上主義に奔った。

 改憲の国民投票を理由に成人年齢を18歳に引き下げ様としているが、成人式の趣旨と目的は、「大人になったことを自覚し、自ら生き抜こうとする青年を祝い励ます」ことであって、大人になった自覚が無い連中を祝い励ます意味はない。

 例えば、道徳教育を施すことが大事ではなく、道徳や公共の福祉というものを自覚させて、それを自らが実行させる精神を涵養することこそが大事なのだ。

 成人式は別に自治体だけがやることではなく、企業や家庭でも、成人として自覚した若者を祝い励ますことが謳われている。大人になった自覚が無ければその若者に苦言を呈し、諫めることは必要であり、国や地方自治体に頼るのは大間違い。

 成人のモラルの低下は「七五三現象」とも呼ばれ、成人式での乱痴気騒ぎが恒例行事となっているが、こうしたことでも「大人になったことを自覚し自ら生き抜こう」という覚悟や自覚に乏しい成人を祝う意味があるとも思えない。

 イベント化した自治体の式典は意味が無くそろそろ止めた方が好い。親や上司など周りにいる人達が成人になった若者を見守ることこそ日本再生に繋がって行く。

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2023年01月14日

1月14日は沖縄県石垣島「尖閣列島開拓の日」の記念日

 1月14日は「尖閣諸島開拓の日」。沖縄県石垣市が条例に拠り、尖閣列島の主権の正統性を定めた記念日である。「尖閣諸島の日」や「尖閣の日」とも呼ばれるが、こうした記念日にしても尖閣諸島が我が国に帰属した経緯を知る国民は少ない。

 悲しい哉、我が国は領土主権に対する認識が乏しい。ロシアに不法占拠されている北方領土や、韓国に実効支配されている竹島奪還することなど夢のまた夢。それどころかこの儘では沖縄県の尖閣列島も中共の支配下になる危険性を孕んでいる。 

 魚釣島などの五つの島(魚釣島、南小島、北小島、久場島、大正島)と岩礁からなる尖閣諸島は、国際法上「無主地先占」(持ち主のいない土地を占有した国にその領有権を与えるという考え方)に基いて、10年に及ぶ現地調査を実施した結果、明治28年1月14日の閣議決定に拠って沖縄県に編入された我が国固有の領土である。

 明治28年1月14日に閣議決定されているのだから、石垣市が「尖閣諸島開拓の日」条例を定める以前に、政府が「尖閣諸島の日」を決定すべきものだったのだ。

 世界各地の地図上でも、中共や台湾の教科書でも、「尖閣諸島は日本の固有の領土」として認めている。那覇地方法務局石垣支局の土地登記簿には「魚釣島」「南小島」「北小島」「九場島」「大正島」は石垣市登野城との地名になっている。

 現在は尖閣列島は国が管理して、島への上陸を規制することで中共との関係悪化を防いでいるのだが、ここ約10に亘って調査船が通過していることでも分かる様に、中共の領海侵犯は常習化しており、政府は拱手傍観しているのが現状である。

 こうした我が国の伝統というべき弱腰・事勿れ・全方位外交で国家国民の安全を護ることは出来まい。寸土たりとも主権確立には戦いをしてまで死守しているのが世界の常識であり、奪われた領土は奪い返すことでしか解決出来ないのは歴史が証明している。我が国の政治家に足らないものは「奪い返す」という気概と覚悟である。

 尖閣諸島は我が国の固有の領土であることは紛れもない事実である。その一例を挙げれば、大正8年(中華民国八年)の冬、支那福建省の漁民が暴風難で遭難しているが、尖閣諸島の和洋島(魚釣島の別称)に漂着して地元住民に助けられている。中華民国は翌9年5月20日、救助した魚釣島の四氏に感謝状を贈っている。

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〈感謝状〉「中華民国八年冬福建省恵安縣漁民郭合順等三十一人遭風遇難飄泊至日本帝国沖縄県八重山郡尖閣列島内和洋島承 日本帝国八重山郡石垣島雇玉代勢孫伴君熱心救護使得生還故国洵矚救災恤鄰當仁不譲深堪佩特贈斯状以表謝忱 中華民国駐長崎領事馮冕 中華民国九年五月二十日」(※画像をクリックしてみて下さい)

〈解説〉「中華民国八年の冬に、福建省・恵安県の漁民郭合順ら三十一人が、海上で暴風の難に遭って漂流し、日本帝国沖縄県八重山郡尖閣列島内の和洋島(魚釣島の別称)に漂着した。その際、八重山郡石垣村役所の玉代勢孫伴君らが、熱心に救護に当ってくれて、遭難漁民らを故国に生還せしめるまで世話をしてくれた事に深く感謝し、ここにこの感謝状を贈る。中華民国長崎領事馮冕 中華民国九年五月二十日」

 この感謝状を見れば一目瞭然。明確に尖閣諸島が台湾附属の島では無く、日本領の沖縄県、八重山郡の行政区域の中に位置付けており、沖縄県領域の日本領であることを当時の中華民国政府が認識していたことの証拠資料の一級資料である。

 1960年(昭和35年)に、中共で出版された「世界地図集(北京市地図出版社)」には、「魚釣島」と記されて、国境線も国連海洋法に従って与那国島と台湾本島の中間に引かれている。共産党独裁の中共で、一出版会社が勝手に国境を定めるということはない。この地図からも尖閣諸島が日本の領土であることが読み取れる。

 台湾の地図も同様で、1965年(昭和40年)に、国防研究院と中国地学研究所が共同で出版した「世界地図集・第一冊・東亜諸国」には、国境線は与那国島と台湾本島の中間よりも台湾側に寄り、はっきりと「魚釣島」「尖閣(群島)」と記されている。こうした事実は「尖閣諸島は日本領である」こを認識している証拠である。

 前出の中華民国から貰った感謝状にしても、中共、台湾の世界地図でも尖閣列島が明らかに日本の領土であることを示しており、中共や台湾の領有権の主張は、何ら根拠の持たぬ恣意的な捏造であり、改竄であることは明白である。

 尖閣諸島は我が国固有の領土であるのは歴史的事実なのだが、1968(昭和43)年6月、国連アジア極東委員会が、尖閣諸島周辺の東シナ海大陸棚に石油・天然ガスが埋没している可能性を報告したことから尖閣諸島の状況は一変する。

 中共と台湾は、石油・天然ガス資源欲しさに唐突に尖閣諸島の領有権を主張し始め、国際法上の手続きも無しに地図を書き換えて「自国領である」と騒いでいる。

 我が国の歴代政府は、「荒立てる動きはしない方が良い」だとか、「冷静に対処すべき」だとか、カタチばかりの「遺憾の意」を表明して、穏便に遣り過して来たが、断固たる抗議の声を上げて来なかった不作為が冒涜的挑発行為を招いている。

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2023年01月13日

愚生に足らないものは「強烈な努力」以外にはないと自覚する!

 コジマ電気で100円パソコンを購入したのはいつの頃だろう。現在のパソコンは6台目。パソコンをやり始めてからmixiに誘われて色々と綴った。今ではブログ、twitter、facebookと啓蒙活動とはチョッと仰々しいが、備忘録を兼ねて揮っている。

 mixiは匿名なので言いっ放しなので卑怯なコメントが少なくない。facebookは基本的に本名なので未だmixiなどよりはまだマシか。ただ、その遣り取りはキレイゴトを並べ、上辺だけのコメントが実に多く、互いに抑揚を抑え、大人の遣り取りをしているつもりなのだろうが、そんな付き合いに意味があるとは思えない。

「巧言令色鮮矣仁(こうげんれいしょくすくなしじん)」という言葉がある。言葉巧みで、人から好かれようと愛想を振りまく者には、誠実な人間が少なく、人として最も大事な徳である仁の心が欠けているものだという意味でSNSでよく見かける。

 対語は「剛毅木訥近仁(こうきぼくとつじんにちかし」という。その意味は、意思が強く、強固で、素朴で口数が少ない人物のこと。こういう人こそ道徳の理想である仁に最も近い者であるという。愚生は剛毅さはあると自負するが、朴訥には程遠いので無理。好かれ様とは思わないが、巧言令色というのも無きにしに非ず(笑)

 facebookにしろtwitterにしろ、SNS上での理論や薀蓄などは読むには読むがホント凄いというか何というか。ああした記事がホントなら天才だろう。でも、幾ら素晴らしい記事を読んでみてもこちらには全く響いて来ないのは何故だろう?

 それはやっぱり、営業保守や有名人などの請売りばかりで、自分の言葉で語ってないからだと思う。仲間にしか通用しない理論や聞き齧った付け焼刃の薄っぺらい知識を殊更に難しく、或いは使い古された政治用語を斬新な言葉や理論であるかの様に語り、相手の反応など関係無しに自分自身に酔ってる輩を目にする。

 左右両派共に仲間内で盛り上がっているが、あんなことでは世の中を動かすどころか他人さえ感化されるとも思えないし、身内さえも同意しないのではなかろうか。

 右翼や自称・愛国者にはこういう輩が多い。「巧言令色鮮矣仁」の如く、人から好かれようと愛想を振りまく者が少なくない。また仲間や身内可愛さから、相手の間違いや欠点には見て見ぬふりをする。これが真の友人だとしたらお笑い草だ。

 日頃、国士を気取り「君子の交わり」などと言うのなら尚更、忠告してこれを善導すべきであると思う。忠告や苦言、諫言を相手が聞くか聞かないかは相手の判断次第だが、誠意ある諫言や忠告、恕から出でる苦言こそ君子の交わりというもの。

 まぁ、何事も自分の言葉で自分らしく語りかけた方が好い。文章などもアップする際は難しいものは分かり易く、簡単なものは格調高く、人生論は自分の失敗や経験なども織り交ぜて、また時にはユーモアを交えて書く様に心掛けることが大事。

 随分前のことだが、facebookで愚生が綴った「宣伝車での街頭演説なんてのはセンズリと一緒」というコメントに反応し、とある方から「多くの同志を揶揄されてはまことに遺憾ですFBFを解除します」とのメッセージが入っていたのを思い出す。

 日本会議に所属し、活動家を自任し定期的に街頭宣伝活動をやっているらしいが、本気で宣伝車による演説が真の活動だと思っているのだろうか。また演説で世の中変わると本気で思ってるのだろうか。だとしたらホント可哀想というか罪が無い。

「街宣はセンズリ」にカチンと来るなら、その多くの同志に苦言を呈して、真の救国・憂国の活動家、民族派を目指し、更には若手活動家を育てて頂きたいものだ。つ~か、この熱血溢れる男性は、今も獅子吼の演説を続けているのだろうか。

 日蓮大聖人の代表著作で五大部の一つで代表作でもある「開目抄」というがある。「我れ、日本の柱とならん。我れ、日本の眼目とならん。我れ、日本の大船とならん等と誓いし願破るべからず」との獅子吼は、文字通り、日蓮開眼の書である。

 開目抄を書き上げたのは、五十一歳の時である。蒙古襲来の直前、未曽有の国難を予言した日蓮は、辻説法に拠る戦闘的な布教活動を展開した。それに由って囚われて流刑となるが、激しい使命感と捨て身の覚悟が、日蓮を偉大な宗教家たらしめた。

 我が国が未曽有の国難に直面しているのであれば、活動家に求められるのは日蓮上人のこの「開目抄的決意」と覚悟と信念を以て活動すること以外にはない。だが、所詮はアマチュア活動家の口舌の徒ばかりなり。尤も、斯くいう愚生も決定的に努力が足りない。愚生に足らないものは「強烈な努力」以外にはないと自覚する。呵呵。

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2023年01月12日

「使われ上手は使い上手になる」豊臣秀吉の処世術に学ぶ

 シナへの憧れ、或いはコンプレックスから「四書五経(ししょごきょう)」を好む日本人は少なくない。「四書」とは、「大学」「中庸」「論語」「孟子」の4つの儒教の経書。「五経」とは、「詩経」「書経」「礼経」「楽経」「易経」「春秋経」の六経から「楽経」を除いたもの。全て、孔子以前からの書物である。

 まぁ孔孟にしろ読むのは好いが、単なる「シナ気触れ(かぶれ)」になるだけ。それよりも我が国の過去の偉人や英雄に学ぶ方が現実的で、その方が為になる。

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 秀吉に学ぶことは多いが、感心することは人に仕える上手さ。秀吉というのは藤吉郎の時代から羽柴秀吉となってからも永い間、気難しい信長に仕えて来た。

 人というのは、その立場立場で、人を使う立場になったり、人に使われる立場になったりする。人を使うことは難しいが、使われ方もまた難しい。

 秀吉に感心するのは、見事な使われ方だと思う。その心配りが、自分が人を使う立場になった時に如何なく発揮される。秀吉の人使いは実に見事で、つまりは「使われ上手は、使い上手になれる」という典型的な人物であろう。

 信長が上杉謙信と戦う為に加賀に出陣した秀吉は、柴田勝家の指揮下に入り参陣していた。ところが柴田勝家と作戦計画で意見が合わないとみるや、信長の承諾もなしに先陣を離れ長浜の居城に帰還してしまう。信長は激怒し秀吉に謹慎を命じる。

 秀吉は謹慎どころか、毎晩、家来どもを集めては酒宴を開いてのドンチャン騒ぎ。家臣らは信長に知られたら大変だと秀吉を諌める。だが、秀吉は一向に聞き入れようとはしない。秀吉にしてみれば信長の耳に入った方が好都合だと考えていた。

 酒宴を開いて騒いでいた方が「サルらしい」「どうしようもない野郎」で済むが、なまじ謹慎などして大人しくしている様だと、逆に「謀反を企てているのでは」と邪推され、却って信長の勘気をそそることになると考えたのだ。

 果たせるかな信長は、それから二ヶ月後、上杉との戦いを終え、中国地方征伐の総大将として秀吉を起用している。どうだろう、秀吉の思う通りになったのだ。

「中国征伐に成功したら次には九州を。九州を抑えた場合一年間は私に治めさせて下され。その間、軍備を整え朝鮮を征伐します。最早日本国内は全て上様のものです。朝鮮征伐後は朝鮮を私に、更に上様の為に明国まで足を伸ばしたいと思います」

 疑い深い信長に、自分は領土的野心など毛頭なく寧ろ上様はアジアを支配する大きな御方だという「ゴマすり」まで入れている。そして中国地方の征伐も、最後のところは信長に出馬を懇願し勝利を信長に譲っている。心憎いほどの気配りだろう。

 これだけの心遣いをされて訝る上司はいない。そしてこうした者を引き立てない訳にも行かなくなるというものだ。右翼団体やヤクザの世界などでも下積み経験の無い者は、こうした気遣いの出来ない者が多い。下積み時代には下積みなりに、人に使われるという修業を積むことは大事。使われ上手は、使い上手になれるものです。

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2023年01月11日

伝統的武道や芸事の世界は守破離」を重視する

 十五ヨリ三十マデ万事ヲ師ニマカスル也。三十ヨリ四十マデハ我ガ分別ヲ出ス。四十ヨリ五十マデ十年間ハ師ト西ヲ東ト違ッテスル也。其ノ内、我流ヲ出シテ上手ノ名ヲトル也。又、五十ヨリ六十マデ十年ノ間ハ師ノ如クスル也。名人ノ所作ヲ万(よろず)手本ニスル也。七十ニシテ宗易ノ今ノ茶湯ノ風体、名人ノ他ハ無用也。

 凡その意味は、「15から30までは師の教えを忠実に守り、30歳からは自分なりに思索し、40歳からは師の教えとは逆にやってみる必要があるということ。50歳からは師の如く振る舞うことで己も名人の域になれるということだ」という訓え。

 この訓えは茶人の山内宗二の言葉だが、この「茶湯年来稽古」の基となっているのが、宗二の師であった千利休の「守、破・離」の心である。伝統的武道や芸事の世界の子弟関係の在り方というのは、この「守破離(しゅはり)」の意味を重視する。

「守」は「修」であり、師の教えあり、古からの教えを学び身に付けることである。「破」は、そうした既存の概念や枠組み、或いは秩序を破壊すること。「離」とは、守と破から学んだ既存のものを離れて自分自身の型を創造して行くこと。

 つまり、如何に伝統を重んじる武道や芸事とあろうと、単に伝統を守り伝えようとするだけでは、結局のところ伝統を守れなくなってしまうということだ。

 古くから伝えられたことは、先人が失敗を積み重ねた中で厳選したことでもあり、これを何も考えずに学ぶということは、大きな失敗もせずに近道で辿り着いているということでもある。だが、修行はそんな楽なことで好い筈があるまい。

 況してやそれだけ学んだところで、先人が辿り着いた処からは先へ進むことは出来ない訳で、ここで初めて「破」と「離」が必要となってくるのである。

「温故知新」という。古きを訪ねて新しきを知ることの必要さを教えているが、それにはやはりそこから古きから突き抜け新しきを知る努力が必要となる。

 神宮(伊勢)で20年毎に行われる「式年遷宮」の教えは「常若」だが、伝統に学び、根本的な精神を後世に存続させて行くには、新しい息吹を注入する必要があり、そうすることで伝統が再生し、更なる伝統となって受け継がれて行くのである。

「常若(とこわか)」とは、繰り返し再生することで、いつも変わらない姿で、瑞瑞しい儘に「永遠」を目指すことをと言う。この「常若」こそが神宮の大本の精神であり、この思いと祈りこそが我が国の先人の英知を象徴していると言えよう。

「万葉集」の時代には全ての物に魂が宿るとする信仰があった。米には稲魂(いなだま)、木には木魂(木魂・こだま)、言葉には言霊(ことだま)と言う様に。

 国にも国魂(くにだましい)が在るとされた。オオヒルメムチといわれた「天照大神」は光の魂であり、日霊である。その神や国の魂を清新にすれば、我が国は若々しく愈々栄える。つまり弥栄(いやさか)になるとされたのだ。

  20年毎に国の魂を生まれ変わらせることに拠って国家が若返り、そのことで永遠を目指そうとするのであるが、何とロマンチックで素晴らしい想いであろうか。

「常若」というのは、「古事記」や「万葉集」にある「常世(とこよ)」と同じ様に御目出度いことで、室町時代の古文書にもしばしば出てくるが、いつも若々しいこと、永遠に若いことを意味し、それは正しく神宮の目指す理念である。

 いにしへの姿のままにあらためぬ神のやしろぞたふとかりける(明治天皇御製)

 唯、やみくもに新しいことをやれば好いというものでもなく、その好い塩梅が難しい。そこで大事なのは古いことに学び、習得し、それを確り護るのは言うまでもない。確りした土台がなければ、伝統を後世に存続させることは出来ない。

 現在の我が国の政治に欠けているのも古の教えであり、過去を振り返り、そこから学び、未来に活かすことこそ大事である。先人の営為に想いを馳せ活かすこそが真の「保守」である。政治の世界こそ「守・破・離」の教えが必要なのかもな。

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2023年01月10日

稽古とは一より習い十を知り十よりかへるもとのその一(千利休)

「稽古」の「稽」とは「考える」という意味があり、「稽古」とは「古の道を考える」こと。古書を紐解いて古人の教えを学ぶということが「稽古」の神髄である。

 茶人である千利休は「稽古」の何たるかを、「稽古とは一より習い十を知り十よりかへるもとのその一」と喝破している。稽古というのは、初めて「一」を習う時と、「十」まで習い元の「一」に戻って再び一を習う時とでは全く変わっているもの。「十まで習ったからこれでよい」と思った人の進歩はそれで止まってしまう。

「十」より「一」に帰らなければ、その真意を掴むことは出来ないとの教えだ。稽古に稽古を重ねて、全てを知り尽くしたつもりでいてもそれで満足すればそれまで。「もとのその一」や「初心忘れるべからず」こそが稽古する上で重要となる。

 こうした稽古という教えは、別に茶道や武道に限った教えではなく、勉強する上でもスポーツ全般での繰り返して学ぶことで確りと身に付くものでもある。街頭演説やブログやなども同じで、何回も繰り返すことで強固な思想となって行くのだ。

 千利休は豊臣秀吉の逆鱗に触れて死罪となったことは有名であるが、利休の弟子であった山上宗二も、やはり秀吉の怒りに触れて追放された後に悲惨な死を遂げている。宗二が秀吉に向かって、「我仏(わがほとけ)、隣の宝、婿舅、天下の軍(いくさ)、人の善悪(よしあし)」との言葉を二度繰り返したのが原因だった。

 この宗二の投げかけた言葉の意味は何かというと、「人の集まるところでは口にしてはならぬ話題」で、自分の宗派や他所の家の事、嫁や舅の悪口や自慢話、相手の批判や評判など、茶道に於ける厳しい約束事の一つでもある。諫言するに当って、死罪も厭しがることもなくその罰をも諒とする宗二の覚悟と潔さは凡人には分かるまい。

 諫言とは斯く在るべきであり、相手を批判し、苦言を呈するのも慈悲の心とも言えなくもないが、己の発した言葉にもまた責任と覚悟が必要だということだ。

 千利休や山上宗二ら茶人というのは反骨精神に溢れた人物が多い。茶道の「一期一会」との覚悟こそがそうさせるだろう。「一期一会」とは、「この年、この月、この日の茶事は生涯この一度限り」であり、この覚悟こそが茶湯の根本でもある。

「一期一会」という言葉は知っていても、本当の意味も、その言葉に込められた厳しい覚悟というものも理解している人は殆ど少ないのではなかろうか。

 井伊直弼が記したとされる「茶湯一会集」に、「抑茶湯の交会は一期一会といひてたとへば幾度おなじ主客交会するとも今日の会にふたたびかへらざる事を思へば実に我一世一度の会なり 去るにより主人は万事に心を配り聊かも麁末(そまつ)なきやう深切実意を尽し客にも比会に又逢へがたき事を弁え亭主の趣向何一つおろかならるを感心し実意を以て交るべきなり 是を一期一会という」との件がある。

 要は、今の一瞬は「一生涯で一度限り」と覚悟して事に臨めという教えである。野村秋介もまた「美は一度限り」と言った。これは正に「一期一会」と通ずる覚悟であり、野村秋介の峻烈な生き様の淵源はこうした処に在るのではなかろうか。

 こうした偉人の斯くも厳しい覚悟を持つことは凡人の愚生には到底無理な話しだが、せめて人生意気に感じ、人との出会い、邂逅を大切に生きて行こうと思う。

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2023年01月09日

開国した我が国が直面したのが「朝鮮半島匕首(あいくち)論」だった

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 画像は中共から見た日本の地図である。これを見れば一目瞭然で、何故に中共が沖縄や尖閣に拘るかが分かるというもの。太平洋に出るには日本が邪魔なのだ。朝鮮半島もまた日本に向かって伸びており、これが「朝鮮半島匕首論」というものだ。

 朝鮮半島は古来より、我が国にとっては脇腹に突きつけられた匕首の様なものであった。百済の白村江の敗戦で唐の侵攻に怯えた古代。二度に亘る蒙古襲来に見舞われた中世。日清・日露の宿命的な戦争を戦った近代。北朝鮮の暴発と中共の横暴を恐れる現代と、古来より朝鮮半島は地政学的に日本の弱点だったということが分かる。

 北朝鮮が弾道ミサイルを発射する度に、我が国は「遺憾砲」を連発して「我が国上空を通ることは怪しからん」などと抗議の声を上げるが、北朝鮮にしてみれば地図の通り、日本列島が邪魔で日本海や日本の上空を通過させざるを得ないのだ。

 中共や北朝鮮だけではなく、地政学的に日本の地理的位置を利用しているのが米国である。米韓軍事同盟然り、日本国内の米軍基地然り、日本を中共・北朝鮮の防波堤として利用しているのだ。日米軍事同盟も米国の国益を優先してるに過ぎない。

 開国前後の日本も例外ではなく、欧米列強が日本植民地の意図を持って押し寄せて来る。当時、有色人種の完全な主権国家は日本を始め、トルコ、タイ(シャム王国)、エチオピアの四ヵ国だけであった。当時は列強世界が軍事力や経済力で他国や異文明を捩じ伏せ、植民地することが当り前の帝国主義の時代だった。

 約260年の鎖国から半ば無理矢理開国させられた日本が行く道は、白人の植民地となるか、有色人種初の帝国主義国家に生まれ変わるかのどちらの道しかなかった。

 我が国が選択したのは後者だった。近代国家を目指し、維新をたった十数年で成し遂げて欧米列強に付け入る隙を与えなかった明治政府は、「富国強兵策」を展開して「封建的農業国家」を一気に「帝国主義的近代工業国家」に改造したのである。

 不平等乍ら欧米と開国条約を締結し、国際法的整備を終えた我が国が直面したのが、この「朝鮮半島匕首論」だった。 極東から遠い欧米列強より、清やロシアが朝鮮半島を征すれば我が国の安全保障が危うくなるのは明らかだった。半島の主人公たる朝鮮の実情は支那の属国であり、朝鮮半島の安定を託す相手ではなかった。

 江戸の鎖国時代でも支那と朝鮮は交易を通じて分かってはいたが、ロシア帝国の強引な拡張主義は、江戸時代を通じて我が国の恐怖の的でもだった。その象徴的な事件が1861年(文久元年)に起こった「ロシア軍艦対馬占領事件」である。

 この事件は、不凍港を求めて南下したロシアに因る対馬への侵略だった。半年に亘る我が国からの抗議は聞き入れられず、最後はイギリス艦隊が圧力を掛けて排除した。この事件で、「力こそ正義」である事を思い知った我が国は、これ以後、自らの安全保障の為に、宿命的な日清・日露戦争に向かって直走ることになって行く。

 更に言えば、過去の歴史を顧みればアジアの動乱の原因は米国と共産主義だったという事実を忘れてはならない。今正に北朝鮮の金正恩は「力こそ正義」ということを信じて疑わず、核とミサイル開発に狂奔しているが、ある意味で地政学というものを極東アジアの歴史や我が国の歴史に学んでいるとも言えなくはない。

 我が国を侮蔑し続ける中韓と国交絶交を宣言することは容易いが、我が国の安全保障を考えれば地政学的に孤立すれば危険となり、脅かされるのは必至。日米韓の同盟が万全ならば好いが、想定外の問題が起こる可能性は否定出来ない。

 やはりこれらの脅威に対抗出来る万全の国防体制と法整備を急がなければならない。我々は、過去の極東アジアの歴史の必然の上で成り立っていることを忘れてはならないし、過去の歴史と経験に学び、国家の安全保障を考えなくてはならない。

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2023年01月08日

中華人民共和国の建国は1949年。戦後建国した国が戦勝国とはこれ如何に

「国際連合(United Nations、国連、UN)」とは、国際連合憲章の下、第二次世界大戦が終了した1945年に設立された国際組織である。国連とは「日本の帝国主義に勝利した戦勝国」というのが分かり易いだろう。主たる活動目的は、国際平和の維持(安全保障)と経済や社会などに関する国際協力の実現としている。

 国連を設立した趣旨は「国際連盟が第二次世界大戦を防げなかったことへの反省」とされてはいるが、設立の中心となったのは米国、英国、ソビエト連邦、中華民国などの「連合国」だったということでもその目的というのが理解出来るだろう。

 その連合国とは、我が国に宣戦布告した国々を称する用語として使われたものであり、「国連」とは本来「戦勝国」というのが正しく、未だ我が国が「敵国条項」から削除されず、常任理事国入りが未だに出来ないのは当然なことでもあるのだ。

 設立した当初の加盟国は51だったが現在は193ヶに及ぶ。国際社会に存在する国際組織の中で最も広範・一般的な権限と普遍性を有する組織とされてはいるが、その活動は中立性に欠け一部の国による寡占化が進み偏狭な平和主義が蔓延っている。

 この国連で「敗戦国が戦勝国の領土を占領するなど、以ての外だ」との言い分を垂れ流してるのは中華人民共和国(中共)である。然しどうだろう、先の大戦で我が国と戦い戦勝国入りしたのは「中華民国」であり、共産党一党独裁の中共ではない。

 我が国は、中華人民共和国とは戦争をした歴史はない。戦った相手は蒋介石が率いた中華民国であり、従って戦勝国の「カイロ会談」には蒋介石が出席している。ヤルタ会談にしても当時は共産ゲリラでしかなかった毛沢東は蚊帳の外に置かれた。

 中華人民共和国の建国は昭和24(1949)年であり、戦争終結から4年後のこと。つまり、中共が戦勝国として振る舞っていることが歴史的な誤りの最たるもの。

 因みに、韓国・北朝鮮も当時は日本人と共に米英と戦ったのであって戦勝国ではない。中共は建国以来、ベトナムなど近隣諸国と戦争をしているが勝利したことはない。同じ民族の国民党に唯一勝利しただけでこれが戦勝国とはこれ如何に(笑)

 尖閣問題で中共は国連で「敗戦国(日本)が戦勝国の領土(沖縄・尖閣列島)を占領しようとしている」と発言。これは国連憲章第53条、第107条の「旧敵国条項」の「連合国の敵国であった日本などが再び侵略行為を行った場合、他の国は安保理の承認なしに武力行使出来る」という規定を意識したものであることは明らか。

 つまり、中共は戦勝国として、我が国を監視し、我が国の如何なる理由の防衛も侵略行為と断定すれば一方的な武力行使は可能と認識しているということである。

 中国共産党中央総書記・国家主席・中央軍事委員会主席の肩書を持つ習近平は、北京軍区の機関に赴いて視察し「戦争が出来、戦争に勝つことに焦点を合わせ、部隊建設を全面的に強化し、使命・任務を履行する能力を絶え間なく向上させ、党と人民に与えられた各項の任務を断固として完成しなければならない」と語った。

 戦争というのは国際法上認められている行為で「悪」ではない。我が国は負けてしまったから「戦争=悪」となってしまったのだ。そういう意味では、先の大戦とは「戦争は決して敗れることがあってはならない」という極めて重要な教訓を遺した。

 米英は「戦争とは政治の継続」と教え、ドイツでは「戦争とは別の調停手段を伴う政治的な取り引きの継続」と教える。戦争とは政治と外交の手段の一つである。

 習近平でなくとも「戦争を出来る国にする」のは当然であり、絶対に負けない防衛力を整備するのは政治の努めである。我が国も一旦緩急に万全を尽くせ!

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2023年01月07日

中華人民共和国は「中国」ではなく「支那(シナ)」こそ世界の共通語

 右翼陣営や保守を自任している人でも、「支那」や「中華人民共和国(中共)」を一括りに「中国」と呼んでる人がいるが、我が国で中国といえば「中国地方」のこと。況してや「中華人民共和国」を「中国」と呼ぶのは間違いだ。

 尊皇愛国の書として有名な山鹿素行の「中朝事実」では、世の学者の外国(主として漢土)崇拝を批判して、皇統の一貫を根拠にして「日本こそ万国に卓越した中華・中国と呼ぶに相応しい国である」との日本主義を主張している。

 中共政府は、我が国に対してだけ「中国」と呼ぶよう強要し、日本人もその意味も知らずに「中国」と呼称し続けているが、こうしたことはは中共への忠誠でしかなく、我が国に蔓延する「中国」表記は国際的にも間違った表現である。

「中国」という語彙の一番古い意味は「首都」という意味である。中共政府の言う様な「国民国家」を意味するものではない。やはり「支那」と呼ぶのが正しい。

「支那(シナ)」という呼称は差別だという人もいるが、ならば、世界地図で表記されている「東シナ海」「南シナ海」「インドシナ半島」などはどう説明するのか。支那がダメなら「支那そば」なんて食べられないではないか(笑)

「支那」という言葉は、最初の統一王朝の「秦」に由来しているという。世界中の多くの国々では「シン」や「China」を母国語の近似音で呼んでいる。英語圏では「チャイナ」、フランス「シーヌ」、ドイツ「ヒーナ」、イタリア語「チーナ」、ペルシャ語「チーン」、アラビア語「スィーン」、インド「シナスタレ」などなど。

「支那」がダメなら、そうか「チャイナ」と呼べば好いのか。カタカナ表記の「シナ」や「チャイナ」も差別というのだろうか。清朝の公的文書にも「支那」は出てくる。「支那」を漢字にしたのは新井白石で「チーナ」を翻訳したものである。

「支那」という呼称は、易姓革命で政権や王朝が代わっても、その基底にある自然・民族・文化を意味する名称として使われてきた国名であり、見方を変えれば浪漫溢れる美しい国名である。そう考えれば、共産党一党独裁の近代国家如きを「支那」と呼ぶには差別どころか分不相応だと感じている今日この頃である(笑)

 然し、日本を属国、朝貢国と見做す中共は、日本にだけは自分達を「世界の真ん中にある『中国』と呼ばせたい思惑があった。「支那使用禁止」の理不尽な言いがかりが始まったのは、GHQの占領下で戦後の混乱期の昭和21年6月にまで遡る。

「中国共産党」は形式上、連合国の一員であり戦勝国であった為に、その力関係を盾に我が国に対し「中国」という名を強要した。外務省はそれに反論せず従順に受け容れ、外務省から「支那という名前は使わない様に」との局長通達が出されることとなったというのが支那騒動の始まりだ。局長通達には次の様に書かれている。

「今度(このたび)は、理屈抜きにして先方の嫌がる文字を使わぬ様に」。こうした中国共産党の難癖ともいうべきイチャモンに諾々として従い、更には言論機関にもこれを強制して現在に至っていることは憂慮すべき事態であろう。

 今日の日本外交の基本である、「隣国が嫌がるようなことはしない」との近隣諸国条項に続く弱腰土下座外交はこの時が最初であり、外交での一つの譲歩が更なる譲歩を生む典型。たった一度の敗戦で何故にこうなってしまったのか。

「中国」という名は世界の共通語ではない。戦後、外務省が通達した「言論抑圧通達」は無効であり、「支那」という呼称こそが世界の共通語なのだ。「中国」と呼ぶことによって忠誠を示してしまっていることを自覚すべし。

 因みに、ロシアは中共のことをチャイナとかではなく「キタイ」と呼ぶ。キタイとは 支那大陸の北部を支配しただけの契丹のことだ。大統一帝国の秦どころか、契丹と呼称とするロシアに、「差別だ」との抗議の声が上がったことがない。

 我が国への強要は単なる中華思想から出でる日本人蔑視でしかない。「中国」と呼ぶことは「ハイル・ヒトラー!」と同じ中国共産党への忠誠である(笑)

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2023年01月06日

強盗、強姦など重犯罪を犯した外国人を一律に国外追放すべし!

「共通番号(マイナンバー)法」が成立したのは平成25年のこと。平成27年10月に各個人に共通番号通知されて、28年1月から制度の運用が始まった。昨年からキャッシュカード型のマイナンバーカードへの移行を推進しているが普及率は未だ低い。

「マイナンバー法」は、年金や介護など社会保障給付と納税に関する情報を一つの番号で結び付けて把握することで、行政サービスの向上が図れるというメリットがある。その一方で、殖え続ける生活保護の不正受給や脱税を防止の狙いもある。

 昨年導入された「在留カード」により、外国人も住民票に本名で管理される様になった。今回施行される「マイナンバー制」に拠って、在日らの「通名」を駆使した脱税や不法行為も根絶出来れば好いのだが、そう容易いものではなかろう。

 生活保護や国民健康保険制度を悪用する外国人が増殖した。生活保護の受給目当てに偽装離婚したり、書類を偽造したり、詐欺行為や私文書・公文書偽造は朝飯前。役所が不正の兆候を認めて問い糺しても「日本語が分からない」との言い逃れ。

 最近では警察に職務質問され、在留カードの提示を求めても、下手くそな日本語で「帰化して日本人になったから持ってない」などと平然と応えるという。

 在日朝鮮人を始めとした外国人への生活保護費支給は、「日本国憲法第25条」及び「生活保護法」違反である。「人道的」という甘い措置が結果的に不良外国人の増殖を招き、財政的にも大きな負担になっていることは看過出来るものではない。

 生活保護費や医療制度の不正受給には毅然とした対応で臨み、不正受給した外国人に対しては厳罰に処し、本国へ送還し、その国に賠償請求すべきである。

 スイスでは数年前に、強盗や強姦など重犯罪を犯した外国人を一律に国外追放することの是非を問う国民投票が行われたが、「一律追放」の厳罰が承認されている。 これは、強盗や性的暴行や社会保障の悪用などで捕まった不良外国人を、例外なく自動的に国外退去させる法改正を求めたものだが我が国もスイスに倣うべきだ。

 スイスに限らず欧米諸国は、ゴキブリ並に繁殖力のあるシナ人や朝鮮人らの「移民問題」に悩まされ、様々な対策を講じている。だが、日本では「観光立国」などとバカげた政策を掲げて、世界各国から忌み嫌われているシナ人や朝鮮人を査証(ビザ)を簡素化してまで率先して招き入れているのだから狂気の沙汰と言う外無い。

 刑事訴訟法では、在住の外国人が罪を犯し1年以上の有期刑に処せられた場合、永住権は剥奪されて国外追放になるが、国外退去処分になった者は少なく、今や全国各地の刑務所はシナ人やベトナム人など外国人犯罪者で大入り満員状態である。

 だが「在日」に限っては例外で、7年以上の刑を起こした場合のみ特別永住権を剥奪され送還される。だが、それも実際には適用されたケースはない。殖え続ける不良シナ人を厳罰に処せられないのは、在日特権というべき優遇措置が元凶である。

 シナ人や在日、昨今のベトナム人犯罪者に因る凶悪犯罪の増加という現実を無視した上で、治安悪化に何ら対策を講じずに、「観光立国」などという愚策を推進していることは、極めて危険且つ国益を無視する無責任なものと断じざるを得ない。

 生命の保証、財産の安全こそ国民の願望であり、これに優る国益はない。スイスを見倣う迄もなく、重犯罪を犯した外国人を一律に国外追放することは言うまでもなく、不良外国人などの犯罪者対策は喫緊の大問題として万全万策を講ずるべし。

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